学院長元気の出るブログ

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器の大きい人 小さい人

2017.10.17日

「器の大きいリーダー」「あの人は器が大きい」「器が小さい」などとよく言います。
「器」とは文字どおり「容器」「入れ物」のことです。


そこから発展して、人の才能や器量、度量、心の大きさなどを指して言うようになりました。
社会ではもちろん器の大きい人が求められます。
器の大きい人は、能力があり、いい仕事ができ、人間関係も上手く、出世するし、また社会にも役立ちますし、会社や国のリーダーにもなります。


でも、よく考えてみると世の中、器の大きい人ばかりではありません。
子どもでも、たとえば今注目の将棋の藤井四段のような器の大きい子もいれば、大人でも器の小さい人がいます。それは、持って生まれた遺伝的な要素もあるでしょうし、また育った環境にもよるでしょう。
いずれにせよ、器の大きい人も小さい人もいるという事実をまず認識することが必要です。


最近相次ぐ車の運転手による暴力行為やそれが引き起こした非常に残忍な事故、事件。
「注意されてむかついた」「追い越されて頭にきた」等々。
そんなこと、本当はどうでもいいようなことではありませんか。こんなことで自分が怪我しても損ですし、人を怪我させたり、死なせたりして犯罪者になったら一生を棒に振ることになります。


私も後続車にあおられたり、高速道路で目の前に割り込まれたりして怖い思いをしたことが何度かあります。
このようなとき、この人は「器が小さいんだ」と思って相手にしないことにしています。
つられてこちらまで怒ってしまったら、自分のほうが器が小さいことになります。


親が子どもに接するとき、あるいは会社で上司が部下に、学校で教師が生徒に接するとき、一般的には長く生きてきて、より多くの様々な経験を積んできた人の方が器は大きいものです。もちろん逆のケースもありますが。
しかしいずれにせよ、器の大きい人が器の小さい人を見ると、当然ことながら器の小さい人はまだ様々な面で欠けがあるわけです。
すると、ついつい欠けが目について、注意したり、叱ったり、時には頭にきて怒ったりすることもあります。


昔、最初にお世話になった税理士さんは、本を何冊か書いていて講演会などもたびたび開いている実力者でした。
あるとき素人なので小さなことでミスをしたところこっぴどく怒られ、さらに始末書まで書かされました。
その後、その方の事務所を訪れたとき、私の目の前で部下を大声で怒鳴りつけ、罵倒していました。
それを見て私はすぐに契約を解除して別の税理士に替わりました。私の信頼を失ったのです。
おそらく、その税理士さんは誰に対してもそのような態度だったのでしょう。数年後、その税理士事務所はつぶれていました。
器の小さい税理士さんでした。


「大きい器」に当たる英語は、
tolerant (忍耐強い)
accepting(包容力のある人)
generous(寛大な)
などと言います。


すなわち、器の大きい人は必ずしも特定の能力のあるなしだけでなく、「入れ物が大きい」わけですから、忍耐強く、温かく包み込むような、寛大な人なのです。
親が子どもに接するときも気をつけないと、大声で怒鳴ったり、怒ってばかりいたら、子どもから「お母さん(お父さん)は気が短いな(=器が小さい)」と思われているかもしれません。ひょっとしたら、子どものほうが器が大きいということもあり得ます。


夫婦間のトラブル、仲たがいも最初はほんのちょっとしたことなのですが、そこにばかり目をやっていると、積もり積もって爆発して大ゲンカになったりするものです。
このようなときは、「この人は器が小さいんだ」と思って相手を受け入れ、自分が一歩退くことが解決の糸口となります。喧嘩というのはお互いに自分は正しい、相手が間違っていると思い込んでいるからです。
なにか言いたくなったら、深呼吸してひと呼吸おくことです。
自分の気持ちをぶっつけると、お互いに惨めな思いになるだけです。
少しでも自分が大きい器に成長するために、弱い、小さい器を包み込んであげましょう。


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「受動喫煙対策」どこまで?

2017.10.16日

「屋内は完全禁煙」世界基準 五輪・パラ控え「受動喫煙対策」どこまで?


 東京五輪・パラリンピックを3年後に控え、非喫煙者がたばこの煙を吸う「受動喫煙」を防ぐ対策が急務だ。受動喫煙による死者は国内で年間1万5000人との推計もあり、主要政党も衆院選の公約にたばこ対策を盛り込んでいる。多くの外国人観光客の来日が予想されるなか、世界基準の対策を打ち出せるか注目される。(森井雄一)


 国際オリンピック委員会(IOC)は2010年、世界保健機関(WHO)と「たばこのない五輪」を推進することで合意。それ以降に五輪・パラリンピックを開催した都市では、官公庁や飲食店などの屋内完全禁煙を実現している。


 主要6党の公約では、希望、公明、共産の各党は五輪を意識した表現を盛り込んだ。「開催国として国際標準」(希望)や「開催地で常識」(公明)、「開催国としての国際的責務」(共産)として、より強い規制を進める方針を示した。自民党は「法整備も含め徹底する」と宣言。立憲民主党と日本維新の会は公約で言及していない。


 厚生労働省が受動喫煙防止対策の強化案のたたき台を示した昨秋以降、意見が最も対立したのが飲食店への規制だった。


 厚労省案は、飲食店などは喫煙室のみ喫煙可とした上で、30平方メートル以下のバーやスナックは例外として喫煙を認めた。自民党は、飲食店の負担が増えるとして、100平方メートル以下の店舗では、店頭に表示すれば喫煙可とする案をまとめ、折り合いがつかなかった。


売り上げに影響は


 国民健康・栄養調査によると、受動喫煙の機会が最も多いのが飲食店で42・2%に上る。対策は必須だが、禁煙化で売り上げが減ることを恐れる飲食店の経営者は多い。ただWHOは09年の報告書で、レストランやバーの調査結果を分析し、「全面禁煙にしても減収はない」と結論づけている。


 10年前に店内を禁煙化した横浜市のビアレストラン「横濱チアーズ」を経営する堀川秀樹さん(57)は「たばこを我慢できない人は来なくなったけど、煙が苦手なお客さんが増え、売り上げも伸びた」と話す。


 また、厚労省案や自民党案はいずれも喫煙の例外を認める内容だが、医学界は「例外のない全面禁煙」を求める声が主流だ。


 米カリフォルニア大が職場やレストラン、居酒屋を全面禁煙にした世界各地の研究を分析したところ、呼吸器の病気にかかる危険性が24%、狭心症や突然の心停止は39%、心筋梗塞(こうそく)などは15%下がることがわかった。一方、職場に限った禁煙の効果は限定的だった。


 日本内科学会や日本循環器学会など25学会が参加する「禁煙推進学術ネットワーク」も2月、こうした結果を踏まえて「部分的規制や分煙では効果が期待できない」として、「面積基準による例外や喫煙室の設置等の分煙は認めるべきではない」と声明を発表した。


 ネットワーク理事長の藤原久義さん(兵庫県立尼崎総合医療センター院長)は「分煙は、喫煙を推進する方策でしかない。科学的根拠に基づいて健康対策を進めるなら、全面禁煙しかあり得ない」と訴える。


 受動喫煙による健康影響は、肺がんや脳卒中、虚血性心疾患などですでに「ほぼ確実」とされており、こうした病気で国内で毎年約1万5000人が亡くなると推計されている。


 WHOは「公共の場所」を病院、大学、飲食店など8種類に分類し、国の法律等で全面禁煙になっている場所がいくつあるかでランク付けしている。日本は現在、中国などと並び、最低ランクに位置する。
(10月15日付 読売新聞 [医療なび・衆院選2017]より)


つい先日、「受動喫煙」について書いたばかりですが、受動喫煙撲滅は世界的潮流です。
「2020年東京オリンピックのために」とか「税収」、「飲食店の売り上げに影響」などといったちっぽけな理由のためではなく、上の記事に書かれているようにもっと大所高所から受動喫煙撲滅に取り組まなければならないと思っています。
日本も世界基準を目指し、すべての人のために国を挙げて取り組んでもらいたいものです。


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人の魅力は...

2017.10.07日

昨日の記事、「障がい」に対して、ひとりの方が次のように書いてこられました。
「障害者です。別に何の抵抗もありません。と言うか、自分を障害者とも思ってないんですけどね。challenged、ですから」


2日前の10月5日付読売新聞14面 「人生案内」に次のような相談が載っていました。


奇形抱え人生に自信持てず


30代の公務員女性。お尻に奇形を抱えて生まれました。自分の人生に自信が持てません。
医師からは治すことは難しいと告げられており、この先も一生、この体で生きていくことになると思います。家族は「服で見えないのだから、いいじゃない」と言いますが、その言葉を受け入れる余裕も強さもありません。


奇形のことを知られるのが怖くて、友人と旅行に行ったことも、男性と交際したことも一度もありません。友達や周りの女性たちを羨ましく思うことが度々あります。「人と同じことはできないし、楽しみもあまりないけれど、この体で一生懸命生きよう。そうしたら、来世はきれいな体で生まれてこられる。旅行も恋愛も結婚もできる。だから大丈夫」と、自分に言い聞かせています。


後ろ向きな考えかもしれませんが、私の考えは間違っているでしょうか。自分に自信はありませんが、これから先、両親の亡き後も一人でしたたかに生きていけるよう、助言をお願いします。(茨城・M子)


◇海原 純子(心療内科医)


自分の努力で変えることができない体の問題は、いくら人から気にするなと言われても、絶えず脳裏から離れないものです。物心ついた頃から、そうした悩みを抱えながら成長なさってきたあなたのつらさは想像を超えるものでしょう。


ただ、あなたに一つ質問があります。あなたは、体に奇形がある人と旅行に行ったり、交際したりするのは嫌ですか? そうではないはずです。


その人と関わりたくなるかどうかは、奇形の有無ではなく、人としての魅力があるかどうかによると思います。人としての魅力というのは、体の問題を吹き飛ばしてしまう大きなエネルギーを持っているのです。


誤字や脱字がなく、みとれるほど美しい字でつづられたお手紙には、あなたの生き方が見えます。「この体で一生懸命生きよう」と自分に言い聞かせ、一人で生きていけるようにと考えて、仕事で自分の場を築いてこられた。
あなたは、もうすでに大きな魅力をお持ちです。来世まで待たずに、この人生で幸せになってください。


5年前に書いた記事、「自分には◯◯できない」(講演の動画あり)の中で紹介したニック・ブイチチさんは先天性四肢欠損症で両腕両足がない状態で生まれてきました。
「手足がないことで幼少期を肉体的、精神的に大きな苦労とともに成長する。その間、何度も絶望に襲われ自殺を考えた。それを思いとどまったのは両親の愛と両親への感謝からであった。
自分自身の世話をすべて自分で行い、水泳、サーフィン、ボート、魚釣りなどありとあらゆるレジャーを楽しみ、2012年には日本人女性と結婚した。現在2児の父」
(Wikipediaより一部抜粋)


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愛の輪を広げよう

2017.09.25日

"Spread love everywhere you go. Let no one ever come to you without leaving happier."
--Mother Teresa – 1910-1997, Nun and Missionary
「あなたが行くところどこででも愛の輪を広げなさい。あなたのところに来る人が、もっと幸せな気持ちになってあなたのもとを去ることができるように」
--マザー・テレサ、修道女・宣教師
(訳 舟田譲二)


昨日はとても嬉しいことがふたつありました。
毎日、一日に何度もお祈りしている人が何人かいるのですが、そのうちのひとりの方が半年ぶりぐらいで教会に来られました。
前回久しぶりに来られたときには体調が思わしくないようで、言葉数も少なかったのですが、昨日は目が合うなりその表情からすっかりお元気になられている様子がすぐにわかりました。
お互いににっこりと笑顔を交わすなり、こちらに飛んできて両手を広げてハグしてくださいました。
ハグして背中をさすりながら私は嬉しくて涙が出てきました。
「毎日お祈りしていましたよ」
と言うと、
「はい、ありがとう。わかっていました」という返事。


礼拝中はとても美しい、大きな声で賛美され、牧師のメッセージにはひと言ひと言大きくうなずいてメモを取っていらっしゃり、その姿を後ろから見ていて何度も何度も涙が出てきました。
礼拝後もしばらくお話ししましたが、自ら進んでいろいろなことを話してくださり、何年も昔に戻ったような気持ちになりました。


午後からは別の方ふたりが遠くからうちを訪ねてきてくださいました。
このおふたりのためにも毎日お祈りしているのですが、とても元気で明るく、いろいろな話に花が咲き、祈りが聞かれていることを目の当たりにして、嬉しくて仕方ありませんでした。


ふたりが帰られてから、私は冒頭のマザー・テレサの言葉をしみじみとかみしめました。
まるで天使が朝は教会に、午後には家を訪ねてきてくれたような感じでした。
私の一番の喜びは、人が幸せになっているのを見ることです。
人の幸せが私の幸せです。
マザー・テレサのように、私自身も幸せを持ち運ぶ器になりたいと心から願わされました。


そもそも私たちはみんなそのために生かされ、この地上に置かれているのではないか、それこそが私たちの使命なのではないか、と強く思わされた一日でした。
神様、感謝いたします。


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「白いキリン」 神獣?

2017.09.18日

2年前の記事、「ピンクの象」は大反響を呼びました。
「自分もピンクの象だ」と共感を覚えた方がたくさんいらっしゃいました。


しかし、今日は「ピンクの象」ならぬ「白いキリン」のお話です。しかもこれは実話です。
以下は9月16日付 「HUFFPOST」および「NATIONAL GEOGRAPHIC」(日本版) からのシェアです。


「完全に神獣だ」 世にも珍しい“白いキリン“の親子(動画)


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アフリカのケニアの保護区で8月下旬、なんとも珍しい全身が真っ白なキリンが見つかった。
あまりにも神々しい姿に、Twitter上では「完全に神獣だ」といった声が上がっている。



動画を撮影したのは、アンテロープ(レイヨウ)の一種「ヒロラ」の保護活動をしている「ヒロラ保護プログラム」のパトロール隊員。Youtubeで公開したところ、たちまち世界中に拡散された。


ヒロラ保護プログラムによると、白いキリンの存在はこれまでも知られていたが、実際に確認されたのは、たった2回だけ。初めての報告は、2016年のタンザニアのセレンゲティ国立公園で、2016年3月には、ケニアのイシャクビニ保護地区でも確認された。


このキリンは、皮膚の細胞が色素を作ることができない「白変種」で、白くなってしまったよう。目が赤くないことなどから、全ての器官で色素を作り出すことができない「アルビノ」ではないという。


動画や写真を見た人からは、「完全に神獣」「めっちゃ綺麗だ」といった声が相次いだ。
このタイプの動物は、皮膚細胞で色素を作れないこと以外には、生存に不利になるような遺伝的問題はない。ただ、白い色のせいで望ましくない注意を引いてしまうことはある。


保護団体のキリン保護基金によると、キリンの赤ちゃんはライオンやハイエナなどの捕食者の標的になりやすく、生後半年以内に半数以上が死亡するという。ヒロラ保護プログラムが投稿した動画のコメント欄には、生息地についての情報も記されており、世界中に拡散したことで密猟の標的になってしまうのではないかという懸念の声も寄せられている。


白く珍しい体でニュースになる動物はキリンだけではない。8月にはスウェーデンで、珍しい白いヘラジカが草むらの中を歩いている様子が撮影されている。同じく白変種と考えられる白いライオンや白いペンギンも目撃されている。


胸を張って歩くお母さんキリンの姿はまるで優雅な伯爵夫人のよう。
でも、「ピンクの象」や「白いキリン」だけでなく、人間でもちょっと見慣れない変わった人がいると特別扱いしたり差別したりすることがありますが、これらは個性のひとつです。お互いありのまま受け入れ合いましょう。


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成功者になってください

2017.08.16日

"If you want to be successful, it's just this simple. Know what you are doing. Love what you are doing. And believe in what you are doing."
--Will Rogers – 1879-1935, Actor
「もし成功したかったら、自分がやっていることをよく知り、やっていることに惚れ込み、やっていることを信じること。たったそれだけのことだ」
--ウィル・ロジャーズ、俳優


私自身は決して世にいうところの「成功者」ではありませんし、自分でも成功した人間だ、なんて思ってみたこともありません。
ただ、「成功」というとき、それは単に地位を築く、有名になるとか、金持ちになるなど、いわゆる「地位・名誉・財産」ではないと私はいつも思っています。
むしろ、後悔のない、満足した、幸せな人生を送ることこそ、本当の「成功」だと考えています。そして、そういう意味において、自分は成功者だと思っています。


ところで、冒頭でウィル・ロジャーズが言っているように、「自分がやっていることをよく知り、やっていることに惚れ込み、やっていることを信じること」は何をするにしても、本当に大切なことです。
というのは、多くの人が仕事にしても勉学にしても、家族・友人関係などの人間関係においても、健康にしても意識せずただ何となくやっているからです。このようなやり方で、満足したり、幸せになったりするわけありません。
つまり、やることは何であるにせよ、根を詰めて一生懸命取り組み、やっていることを心底愛し、信じているなら、それは必ず成功につながります。
もちろん仕事や勉学においても。また、有名になったり、財を築くことにもなるかもしれませんが、それはあくまでも結果です。


ですから生徒たちを始め、接する人たち、読者の皆さん方にはもれなく、人生において成功して欲しい、と私は常々願っているのです。


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他人を変える

2017.08.15日

"Consider how hard it is to change yourself and you’ll understand what little chance you have in trying to change others."
--Jacob M. Braude – 1896-1970, Author
「自分自身を変えることがどれほど困難なことか考えてみるとよい。そうすれば、他人を変えようとすることなんて、ほとんど不可能だということがわかるだろう」
--ジェイコブ・M・ブロード、作家


私たちは毎日のように、それこそ朝から晩まで、夫や妻や子どもたち、親や、兄弟、親族、職場の同僚や上司・部下、友人などを自分の思い通りに変えようとしていることでしょう。
果ては国際関係において外国をさえ思い通りに動かそうとしています。最近の北朝鮮と北朝鮮と関係する国々の間に存在する緊張もそうです。
「あなたのためだから」などと言いながら、胸に手を当てて正直に考えてみると、本音は自分のためなのです。


ところが、基本的に人は、またあらゆる生物を含め、意思を持つものはほぼすべて、他のもののいいなりになるのを嫌うものです。だから様々な問題が起こるのです。


よくよく考えると、自分自身を変えること、そのような他人を変えようという考え方をすら変えるのがどれほど困難なことか。
自分自身を変えることさえなかなかできないのに、自分と異なる考えや価値観、行動基準を持つ他人を変えることなど、至難のわざ、いやほとんど不可能に近い話です。


だとすれば、私たちにできることは何か?
ここが一番肝要です。
私たちにできることは、自分自身を変えること以外にありません。それがたとえどれほど難しいことであったとしても。
なぜなら他人を変えることは、もっともっと、それこそ比較にならないほど難しいことだからです。
むしろ、自分の考え方や行動を変えることによって、他人(他国)が変わることを期待する方がまだ可能性が高いと言えるのではないでしょうか。


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自分の人生に責任を持つ

2017.08.12日

"Your future depends on many things, but mostly yourself."
--Frank Tyger (1929-2011) Editorial Cartoonist and humorist
「あなたの将来は多くの要素にかかっている。しかし、一番大きな要素はあなた自身だ」
--フランク・タイガー、風刺漫画家・ユーモア作家
(訳 舟田譲二)


私たちの人生は生まれた境遇(親や家庭環境、社会環境等々)に大きな影響を受けています。
今、NHKで放映されている朝ドラ『ひよっこ』に登場する主人公、谷田部みね子は奥茨城村の農家に生まれ育ち、小さいときから田植えや稲刈りなどの農作業を手伝っていく中で、農家の仕事が大好きになります。
小さな農家で経済的に厳しい状況から、父親は東京へ出稼ぎに出て働きながら仕送りして家計を支えます。
みね子は、東京で突然行方不明になった父を探すため、また父に代わって家計を助けるため集団就職で上京することを決断します。


農家に生まれ、農家の仕事を子どもの頃から手伝ってきたことも、また家族を助けるために集団就職したことも、ある意味そういう環境に置かれた結果です。


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これらはみね子の将来を決める大きな要素です。
しかし、かと言って、みね子の人生はこれらの要素によって決められたわけではありませんし、環境の犠牲になったわけでもありません。
一つひとつの出来事の背後には、みね子の選択があります。


私たちの人生も同じです。
人生に大きな影響を与える様々な要素はたくさんありますが、どの要素よりも最も大きく、そして重要な要素は、私たち自身の選択と決断、そして行動です。
私たちは決して環境の犠牲者ではありません。たとえどのような環境の下にいたとしても、それらの環境を生かしたり、あるいはひどい逆境に打ち勝つこともできるのです。「人生は今日からでも変えられる」の中に書いたオプラ・ウィンフリーがそれを見事なまでに実証しています。
また、このような例は枚挙にいとまがありません。


冒頭でフランク・タイガーが言っている「あなたの将来は多くの要素にかかっている。しかし、一番大きな要素はあなた自身だ」とは、まさにそういう意味です。
これは、学生だったら勉強や進学、部活や友達関係、社会人だったら仕事や家庭や職場の人間関係、はたまた家族・親族・友人関係から健康に至るまで、あらゆることに当てはまります。
言い訳はやめて、自分の人生に責任を持つ、それが人生で最も大切なことと言えます。


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遂に出版された!

2017.08.09日

ちょうど2か月前に「カウンセリングの良書」でご紹介しました、長男直人の嫁、舟田恵利紗の訳による『互いに助け合うために』が出版され、昨日恵利紗さんのお父さんから送られてきました。
英語版 INSTRUMENTS IN THE REDEEMER'S HANDSという原題を『互いに助け合うために』 とうまく訳し替えていますし、本文を見てもよくこなれた分かりやすい日本語で、難しい内容が読者に理解されやすいようよく工夫して訳されています。
監訳を依頼されていたのですが、体調不良のためお断りしたのがかえって良い結果となり、とても嬉しく思っています。


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この本は、副題に「主の御手の器として、変化を必要としている人々が互いに助け合うために」とあるように、牧師やカウンセラーのみならず、クリスチャンを始め一般の方々にもぜひとも読んで日常生活の中で活用していただきたいお薦めの本です。
発行者である名古屋市内の神学校、キリスト聖書学園では、カウンセリングのテキストとして使用されるようですが、広く一般の人々の手にも渡って活用されることを切に願うものです。


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恩知らず

2017.07.30日

夏の真昼の道中で暑さにあえぐ旅人がプラタナスの木を見つけた。その陰で身を休めながら「実がなっていない」「役立たずな木だ」と散々な言いようである。「恩知らずめ」と木が怒ったのも無理はない。イソップの寓話(ぐうわ)である。
◆身近な街路樹のプラタナスが減っているという。大きくなるので剪定(せんてい)や落ち葉の処理に手間がかかる。それがきらわれるらしい。
◆かように現実の世界でも見過ごされがちな恩恵に、光があたったと思わせる話もある。五輪開催時の暑さ対策として街路樹の陰を広げる。東京都のそんな計画を先週の記事が伝えていた。会場周辺のプラタナスなど2000本が対象になる。
◆読売新聞の社屋から遠くない都心の通りで、その1本をみた。幹から枝先までの距離は剪定で抑えられている。これが倍以上になるまで枝張りを大きくするという。3年先のきょうは大会7日目にあたる。緑陰のありがたみが身にしみる人もいよう。
◆人に親切を施してもわかってもらえないことは多い――イソップの教えるところである。確かにそうだが、感謝される日もいずれは来る。寓話の続編が紡がれるといい。

(7月30日付 読売新聞「編集手帳」)


イソップ物語の「プラタナスの木」はこんなストーリーです。


夏の盛りの暑い日に、ふたりの旅人が暑さでぐったりしていましたが、大きなプラタナスの木を見つけました。そこでその木陰に入ってひと休みしていました。
ふたりは木を見上げて言いました。
「この木は実はつけないし、葉っぱは散らかるばかりで役立たずだなぁ」
するとプラタナスの木が怒って言いました。
「恩知らずども。私の木陰で休んで恩恵に与っているくせに、実がないだの無用だのと」


うちでも今から約20年前に新築した際、狭い庭に4メートルほどの常緑樹の樫の木を植えました。
10年もするとその木はどんどん背が伸びて葉が生い茂り、二階の大屋根を超えるほどにまでなりました。木陰になったダイニングは涼しくて良かったのですが、根が張って木の周りのインターロッキングを持ち上げ始めました。
そこで、庭師を呼んで剪定してもらおうとしたところ、根がブロックの塀と家の基礎にも食い込みかけていることがわかり、慌てて根元から伐採して、大きな根っこも引き抜いてもらいました。


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塀と家の基礎は難を免れましたが、今は「朝日が暑い。木がないと家が殺風景で寂しい。何か新しい木が欲しいね」などと話し合っています。
まるでイソップの寓話そのものです。


同様に、私たちはしばしば人にお世話になっている間はそれを当たり前のことと思い、その人がいなくなると途端にその人の有難さが身にしみて感じる、ということがよくあります。
「孝行のしたい時分に親はなし 」の諺ように。


親や子など身近な者だけでなく、自分のそばにいる人や、関わりのある人はみな、意味あってそばに置かれているのです。


また逆の立場で、たとえ人に親切を施してもわかってもらえない、時には誤解されるようなことすらままあります。
それでもいいのです。そもそも人に感謝されたくてするようなことは本当の親切ではないのですから。


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カウンセリングの良書

2017.06.08日

長男直人の嫁、恵利紗が英書 INSTRUMENTS IN THE REDEEMER'S HANDS People in Need of Change Helping People in Need of Change by Paul David Tripp を日本語に翻訳し、間もなく出版されることになっています。
一年ほど前に恵利紗から監訳を頼まれて少しやりかけたのですが、体調不良だったということもあり続けられずすぐに断念してしまいました。
360ページという結構厚手の本で、しかもカウンセリングの専門書なので翻訳するのはさぞかし大変だったと思いますが、見事にやり遂げました。


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この本の111ページにカウンセリングに関して次のような箇所がありました。
「『知る』とは、神様が私たちのもとに送ってくださった人と本当に心から知り合いになる、ということである。私たちはとかくだれか人を知っていると思うと、表面から掘り下げて本当に尋ねなければならないような絶対に必要不可欠な質問をしないものだ。私たちは、その人に関する客観的な事実、たとえば伴侶はだれかとか、職場はどこか、その人の好き嫌い、子どもたちのことなど、を知っていると、とかくその人自身を知った気になってしまうものである。しかし、実際には私たちはその人のことについて本当のところ何も知っていないのだ。
 ひとりの人を知るとは、その人の心を知る、ということである。その人のことがよくわかり始めたと言うとき、それはその人の膝小僧がどんなであるかがわかるほど親しくなった、などということではもちろんない! その人のことがわかるとは、その人の信念や目標、希望や夢、価値観や欲望等々をもっとよく「知る」ということだ。友達のことを知っていると言うとき、その友人がどのように考えるか、ある状況下でその人がどのように感じるかが予想できるものだ。友情とは、心と心がつながっているということだ。
 へブル書4:14-16には、キリストは私たちの世界に入ってきて、33年間この地上にお住まいになったとある。すなわち、私たちが直面するようなことはすべてキリストご自身経験され、だから私たちの苦しみをキリストは理解してくださっていると私たちは知ることができる。だから、「知る」という働きは、それが友人間においていい質問をするとか、あるいはもっとフォーマルなカウンセリングの場で必要な情報を得るとかであろうとも、とても大切なことなのだ。目標は表面より下にもぐることだ。そうすることによって、あなたはその人が、自分自身をよりよく理解し、神様の目標であるより深い心の変化を望むのを手助けすることができる」


専門家である恵利紗のようにはうまく訳せていないでしょうが、このようにカウンセリングの基本である来談者のことをどのように「知る」ことが大切かを、とてもわかりやすく具体的に教えている良書です。
近々出版されるそうですが、今から楽しみです。
ビブリカルカウンセリング(聖書的カウンセリング)という新しい分野の本ですが、ご興味ある方にはお薦めします。


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優しい言葉、親切な顔つき、感じのいい笑顔

2017.06.07日

"A gentle word, a kind look, a good-natured smile can work wonders and accomplish miracles."
--William Hazlitt – 1778-1830, Writer
「優しい言葉、親切な顔つき、感じのいい笑顔は、びっくりするような結果をもたらし、さらに奇跡を起こす」
--ウィリアム・ヘイズリット、作家


上辺だけの「優しい言葉、親切な顔つき、感じのいい笑顔」をしている人を私はこれまでたくさん見てきました。
このような人に騙される人はたくさんいます。お人好しだった父はよく騙されました。
でも、私は直感的にすぐにわかります。
ですから、甘い言葉にひっかかりません。


しかし同時に、本物の「優しい言葉、親切な顔つき、感じのいい笑顔」をしている人にもこれまでたくさん出会ってきました。
本物かどうか、「におい」というか、やはり直感でわかります。
そして、このような人に出会うと奇跡が起こり、人生が変わります。


人を見る目というのはどのようにしたら養われるか。
直感が働かない場合には、しばらくその人の言動を注意深く観る(観察する)ことです。外面ばかり見ていたら騙されます。
でも人は知らず知らずのうちに本音を出してしまうものです。
本心からか、それともお金儲けやその他の下心があるかどうか、あるいは他意はないけどshallow(深くなく、表面的)なのか、見極める必要があります。
とくに職場や伴侶を選ぶときなど、一生に関わる人を見抜く目を持っていないと、あとで後悔することになります。
「後悔先に立たず」
人を見る目を養いましょう。


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大いなることを期待せよ

2017.06.04日

"Expect your every need to be met. Expect the answer to every problem. Expect abundance on every level."
--Eileen Caddy – 1917-2006, Author
「あなたの必要がすべて満たされると期待しなさい。あらゆる問題に答えがあることを期待しなさい。あらゆるレベルで満ち足りることを期待しなさい」
--アイリーン・キャディ、作家
(訳 舟田譲二)


私たちはとかく「まあ、こんなもんだろう」「これだけあればいいや」と、小さなことで満足してしまいがちです。
というか、「現状満足」「欲を持たないことが美徳」のような風潮があります。
私自身もどちらかとそのタイプで、あまり大きなことは望まないほうです。


でも、アイリーン・キャディはここで、
「あなたの必要がすべて満たされると期待しなさい。あらゆる問題に答えがあることを期待しなさい。あらゆるレベルで満ち足りることを期待しなさい」
と言っています。
なぜでしょう?
答えは、期待しなかったらそのとおりの結果しか得られないから。
これは決して遠慮ではなく、欲がないことです。
欲がないところに成長・発展はありません。
人類がここまで発展してきたのは、飽くなき欲望があったからです。


アイリーン・キャディはまた次のようにも語っています。
「あなたの人生で何かをうまくゆかせる秘訣は、まず第一に、うまくゆかせたいという心の奥底から沸き上がる願望です。次に、それが必ずうまくゆくと信頼し、確信することです。次に、あなたの意識に生き生きした明確なビジョンを描きます。そして、疑念や不信をもたずに、人生が一歩一歩実現してゆくのを見守るのです」


確かにこのような生き方をしていったら、夢は一つひとつ実現できていくことでしょう。
仕事においても、子育てにおいて、家族やその他あらゆる人間関係において、趣味や健康作りなど、これは何事においても当てはまります。
逆にそうでないと、私たちの人生はどんどん尻すぼみになっていき、自分でも惨めな気持ちになっていきます。そして、これは決して健全なことではありません。
夢を持ち、その夢に向けて努力することは大切なことであり、幸せな人生を生きるために不可欠なのです。


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人が求めるリーダー像

2017.05.16日

"A person who wants to lead the orchestra must turn their back on the crowd."
--Max Lucado – Author and Preacher
「オーケストラを指揮したいと思う者は聴衆に背を向けなければならない」
--マックス・ルーカド、作家・牧師
(訳 舟田譲二)


「オーケストラを指揮したいと思う者」とはどのような人のことでしょう?
「指揮したい」とあるように、人をリードしたい人、すなわち人の先頭に立って企業やその他さまざまなグループや団体、組織などを引っ張っていきたい人、リーダーのことです。
経営者やトップの人でなくて学校の教師や塾の先生もある意味、生徒に対してリーダーです。
親も子どもに対してはリーダーです。


リーダーになる人はもちろんその資質も大切ですが、同時に八方美人で誰からもよく思われたいと思う人は不適です。つまり、マックス・ルーカドが上で言っているように「聴衆に背を向けなければならない」のです。
リーダーとはある意味大変な仕事で、人から理解されず辛いこともたくさんあります。敢えて心を鬼にしなければならないこともあります。
しかし、リーダーたる者これに耐えなければなりません。リーダーとして成功している人たちはみんなこの辛いところを通ってきています。


しかし、かと言って冷血にならなければならないというわけではありません。人気取りのためにニコニコするのでなく、真に血が通った温かい人、他人のことを大切にする人、他人のために尽くす人で、素晴らしいリーダーはいくらでもいます。
いえ、むしろ人が求める理想のリーダー像はまさにこのような人です。


自分は後ろにいて鞭をふるって他人を駆り立てる、という典型的なボスタイプのリーダーは今は求められていません。人が求めるのは、自ら先頭に立ってお手本を示し、人を引っ張っていくタイプのリーダーです。


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成功の奥義

2017.05.15日

"Experience shows that success is due less to ability than to zeal. The winner is he who gives himself to his work, body, and soul."
--Sir Thomas Fowell Buxton – 1786-1845, English Member of Parliament
「成功は能力よりもむしろ熱心さによるということは経験上明らかである。勝利者とは、自らを己れの仕事や肉体、魂に捧げる者だ」
--サー・トマス・ファウエル・バックストン、英国議会議員
(訳 舟田譲二)


これは私自身これまでこのブログで繰り返し述べてきていることです。
「成功する人は能力のある人だ」と、世間ではまことしやかに言われています。そして多くの人がそのように信じています。
その結果、自分には能力がないから成功は無理だと初めから諦めたり、あるいは成功している人を指をくわえてただ羨んでいたりする人が実に多いです。


その理由のひとつは、成績至上主義の我が国の教育、そして学歴社会にあると言ってもいいでしょう。
今ひとつの理由は、親の子育ての仕方です。
賢い親は、子どもが幼少の頃より様々なチャンスを与え、褒めて育ててセルフイメージを高め、持っている能力をますます引き伸ばします。
それに対し、知恵のない親は自分の子どもに、「バカ、アホ、マヌケ、能なし、役立たず」といったネガテイブな言葉を小さい頃から常に浴びせかけ、子どもに低いセルフイメージを植えつけます(「子どもをバカに育てたかったら」)。これで子どもが賢く育ったら不思議です。まことに親の責任大です。


しかし、サー・トマス・ファウエル・バックストンが上で述べているように、成功している人を見ると、決して能力によるものではなく、その人の物事に取り組む姿勢、熱心さ、勤勉、努力であることを私たちはみんな経験上知っています。
「自らを己れの仕事や肉体、魂に捧げる者」とは、コミットする人のことです(「コミットメント」を参照)


今からでも決して遅くありません。
自分自身のことでも、また子どものことでも。
この成功の奥義は仕事や勉強のみならず、スポーツから人間関係からどのような世界でも共通しています。


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恋は盲目。友情は目をつむる?

2017.05.06日

"Love is blind, but friendship closes its eyes."
「恋は盲目。友情は目をつむる」(ことわざ)
(訳 舟田譲二)


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「恋は盲目」ということわざは有名で、どうやら万国共通のようです。
上のことわざでは、その後に「友情は目をつむる」というのがついています。
おそらくこの意味は、友人の目には欠点は見えるけれども敢えてそれを指摘せず、見て見ないふりをする、というようなことでしょう。
その点、恋に落ちると「あばたもえくぼ」で、相手の欠点が見えなくなることを言っています。


しかし、面白いことに気づきました。
日本語では「恋」と「愛」を区別して、「恋」はなんとなくちゃらちゃらしていて、浮ついた「惚れた、腫れた」の類いのものですが、「愛」と言うと、「神の無条件の愛」のように高尚なイメージがあります。
ところが、原語の英語では両者を区別せず、ただひと言 Love です。


英語のことわざで"Love is blind."と言うときには、日本語の「恋」のようなイメージなのでしょう。
しかし、私は本物の愛は「盲目」ではなく、また上の友情のように「見て見ないふりをする」「目をつむる」とも違うと思うのです。


相手の弱さや欠点などが見えていても、わかっていても、それを承知の上で「ありのまま受け入れる」。これこそが本物の愛ではないでしょうか。
条件付きで、気に入れば、自分の眼鏡にかなえば愛する、というのは自己中心的な愛で、こんなものは本物の愛からはほど遠いものです。


むしろ、本物の愛は、相手を両目でしっかり見て、今まで見えなかった部分、良い点を敢えて見つけることです。
相手の欠点ばかりが目についている間は、愛が欠けている証拠です。


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心が折れそうになってる…

2017.04.30日

"You are braver than you believe, stronger than you seem, and smarter than you think."
--(Winnie the Pooh) A. A. Milne – 1882-1956, Author
「あなたは自分が信じているより勇敢で、見た目よりもよりも強く、思っているより利口だ」
--『クマのプーさん』の原作者、A・A・ミルン
(訳 舟田譲二)


実は今、私は心が折れそうになっています。


ちょうど1週間前の記事「命の恩人の召天の知らせにショック」に書いた道城先生の奥様を明後日、弔問させていただくことになっています。
本来ならばこの日にお見舞いに伺う予定だったのですが、癌の進行が予想外に早く、1週間遅れで間に合わず残念ながら願いがかないませんでした。
73歳での召天でした。


そして、3日は妻の母教会の60周年記念会があり、私たちの仲人をしてくださった牧師先生始め、これまでに二度この教会を訪ねた際、お知り合いになった方々とお会いできるのを楽しみにしてきました。
ところが昨夜、そのうちのひとりで一番親しくさせていただいている兄弟にメールで時間を尋ねたところ、返ってきた返事に愕然としました。
癌で入院中で、万一の時に備えて家族の出席も難しいとのこと。記念会の後、お見舞いに伺いたいと思っています。
この方は私たちと同い年です。


この他、病名は知らされていませんが、もう半年以上入院しておられる知り合いの方がいらっしゃいます。この方はまだ30代の若い方で、毎日お祈りしているのですが、お母さんと離れて寂しい思いをして暮らしている幼いお子さんたちのことを考えると辛くてたまりません。


でも、このような中、グッドニュースがあります。
57年の長きにわたって親しくお付き合いさせていただき、敬愛してやまない小学校時代の恩師、西村先生を明日、京都にお訪ねすることになっているのです。


先生は7年前血液の癌と言われるリンパ腫を患われ、化学療法で一旦良くなられたのですが、昨年秋再発し、今また治療を受けていらっしゃいます。
これまで結構頻繁にお会いしていたのですが、ここ3年ほど私が急に忙しくなったことと、先生のご病気もあってお会いすることがかなわなかったので、化学療法が一段落し落ち着いているとお聞きして、居ても立っても居られないなくなり是非ともお目にかかりたいとお願いし、明日の再会が実現することになったのです。しかも、滋賀に住む妹と一緒にお会いできるというオマケ付きです。


西村先生は私の人生の中で今や一番長くお付き合いさせていただいている、私にとってまるで父親のような存在の大切な方です。
先生がリンパ腫と闘い、懸命に明るく、積極的に生きていらっしゃるお姿は、今心が折れそうになっている私にとって何よりもの喜び、力の源泉となっています。


クマのプーさんが、
「あなたは自分が信じているより勇敢で、見た目よりもよりも強く、思っているより利口だ」
と励ましてくれているような気がして嬉しくなりました。


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子どもをバカに育てたかったら

2017.04.26日

"It is easier to build up a child than it is to repair an adult. Choose your words WISELY!"
「子どもを育て上げる方が、大人を修理するより簡単だ。言葉を賢明に選べ」
(訳 舟田譲二)


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「子育ては難しい」とよく言います。
確かに難しいです。みんなあちらに頭をぶっつけ、こちらにぶっつけ、苦労します。
子育てにこれが正解、というのはありません。一人ひとり子どもの性格も違えば、親の生まれ育った環境も価値観も異なりますし、子育てはケースバイケースです。


しかし、ひとつ言えることは、
子どもをバカに育てたかったら、子どもが小さいときから「お前はバカだ、アホだ、マヌケだ、脳なしだ」と言い続けることです。
そうすれば十中八九(「じゅっちゅうはっく」ではなく、正確には「じっちゅうはっく」)、子どもは期待どおりに(?)バカに育ちます。
このように言われて育った子どもはセルフ・イメージが低くなり、自分は本当にバカだと思い込み、バカな行動を取るようになります。


塾に来ている生徒の中にも、「私はバカだから」と言う子が時々います。
親がそのように洗脳してきたのです。


逆に、できる子の親は決まって
「お前は頭がいいね」
と言って育てています。
そして、このように言うのは頭のいい親です。
「お前はバカだ、アホだ」と言う親がバカなのです。


冒頭の
「子どもを育て上げる方が、大人を修理するより簡単だ。言葉を賢明に選べ」
は何を教えているかと言えば、「お前はバカだ、アホだ」と言って育てられて大人になって壊れた人を修理するのは至難の業。むしろ、子どもをまともに育てる方がよっぽど簡単だ、ということです。


それでは、「お前はバカだ、アホだ」と言って育てられた人はもう手遅れか、と言えば決してそうではありません。「大人を修理するより簡単だ」とあるように、修理は難しいかもしれませんが、可能です。決して手遅れ、不可能ということはありません。
また同様に、子育てにも手遅れはありません。
気づいたときが吉日。早速改めることです。


ついでに、これは親子間だけに限らず、夫婦間や労使間などありとあらゆる人間関係にも通じます。念のため。


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小さな奇跡

2017.04.22日

"I have no silver and gold, but what I do have I give to you."(Acts 3:6)
「金や銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう」(使徒の働き3:6)

(訳 舟田譲二)


これは有名な聖書の中の一節です。
今から約2000年前の歴史上の出来事。
イエス・キリストの十字架上での処刑後、弟子たちは師を失って意気消沈し、迫害を恐れて隠れていましたが、復活したイエスに出会ってからは、まったく別人のように生まれ変わりました。
弟子たちの筆頭、ペテロは3度もイエスを知らないと言って裏切りましたが、実際に復活の主に出会って、力強くイエス・キリストを宣べ伝えるようになりました。そして、その信仰の故に幾多の迫害にあい、最後は逆さ磔(はりつけ)という殉教の死を遂げた、と伝えられています。
そのペテロが言ったのが冒頭の言葉です。
このあと、彼は次のように続けています。
「ナザレの人イエス・キリストの名によって、歩きなさい」
すると、生まれつき足のきかなかった男がたちまち癒されて歩き出した、という奇跡が起きました。


しかし、今日、私がここで述べたいことは、これとは異なる奇跡です。
私はよく、冒頭の
「金や銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう」
という言葉を瞑想するのです。


この世の中、「金や銀」という言葉で象徴されるような、経済的に裕福な人もいれば逆にそうでない人もいます。
同様に、学問や医療、芸術やスポーツなどさまざまな分野で抜きんでた人もいれば、そうでない人もいます。
しかし、私たちはみんなお互いに補完し合うように生まれてきています。


昨夜、フィギュアスケート世界国別対抗戦がテレビで放映されていました。
これを見て、励まされたり心が踊るような思いになった人も多かったことと思います。
このほか、連日行われているサッカーやプロ野球などのスポーツも同じです。
テレビでやっている歌番組によって、あるいはコンサートなどで音楽によって勇気づけられている人も大勢います。
ドラマやバラエティ番組などの娯楽によって癒され、楽しんでいる人もたくさんいます。
旅行したり、あるいは外食したりすることによって元気をもらっている人もいます。
病気になると医師のお世話になり、私たちはとても助けられています。
このように、私たちはみんなお互いに助け合っているのです。


私の健康のことを心にかけてくださって毎月、たくさんのサプリメントを贈ってくださっている方がいらっしゃいます。
あるいは地元の産物のうどんやチーズやハムなどを贈ってくださる方もあります。
また別の方は健康に関する本を送ってくださったり、食事などの健康法を教えてくださいます。


冒頭のペテロじゃないですが、私には金銀はありません。そのほか、私にはないものの方が多く、このように多くの方々から助けられています。
でも、私にあるもの、それは英語や教育という仕事、またこのブログ記事など、これらによって少しでも人々のお役に立つことができているなら、たとえどんなに小さくても、それは与えられている使命を果たしていると思うのです。


このようにこの世のすべてのもの、空気や水を始め、食物となる動植物やペットも、みんなそれぞれに使命が与えられていて、それを用いることによって互いに助け合っている。
同様に、あなたにも、家族の間で、また仕事を通してなど、あなたでなければできないことが必ずたくさんあります。
それが与えられていること、そして貢献できていることを感謝しつつ、また同時にほかの人たちやさまざまなものによって助けられていることを感謝する。
このとき、小さな奇跡は私たちの身の周りでたくさん起きるのです。


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あなたもどうですか?

2017.04.14日

きょう、多くの人が新鮮なインスピレーションとともに目覚めようとしています。あなたもどうですか?


きょう、多くの人が自分の周りを取り囲んでいる美しいものに目を向けようとしています。あなたもどうですか?


きょう、多くの人が昨日の亡霊と別れて、きょうのはかり知れない力を捉えようとしています。あなたもどうですか?


きょう、多くの人が現在与えられている恵みに目を留めて、過去の壁を打ち破ろうとしています。あなたもどうですか?


きょう、多くの人が自己不信と不安の重荷を、安心と自信の力に変えようとしています。あなたもどうですか?


きょう、多くの人が信じている自らの限界を超えて、内に潜む力につながろうとしています。あなたもどうですか?


きょう、多くの人が自分の子どもに対して良きお手本となれるような生き方をしようとしています。あなたもどうですか?


きょう、多くの人が悪い習慣の奴隷から自分を解放しようとしています。あなたもどうですか?


きょう、多くの人が自分の幸福感を支配している状況から自由になろうとしています。あなたもどうですか?


きょう、多くの人が質素の中にある豊かさを見出そうとしています。あなたもどうですか?


きょう、多くの人が困難な道徳的選択に直面していますが、利益を追い求めるのではなく、正しいことを選択しようとしています。あなたもどうですか?


きょう、多くの人が被害者意識の中にどっぷりと浸っているのをやめて、自分の人生の主導権を握り、プラスの変化を起こそうとしています。あなたもどうですか?


きょう、多くの人が違いを生み出すために必要な行動を起こそうとしています。あなたもどうですか?


きょう、多くの人がより良い母親、父親、息子、娘、学生、教師、労働者、職場のボス、兄弟や姉妹等々になる決心をしようとしています。あなたもどうですか?


きょうは新しい日です!


多くの人がきょうという一日を自分の手のうちに治めようとしています。


多くの人が最高に生きようとしています。


あなたもどうですか?


スティーブ・マラボリ
(訳 舟田譲二)


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◯◯しない勇気

2017.04.13日

「勇気」と言うと、何かをする勇気、行動を起こす勇気、と普通私たちは考えます。
ちなみに、このブログのページの左上コーナーにある「エントリー検索」に「勇気」と入力すると、数十の記事が出てきます。その記事のほとんどが「◯◯する勇気」について語っています。
私自身はそれほど勇気のある人間ではなく、勇気のある人を見ると羨望の念を抱きます。そのようなところから、自分自身に対するメッセージとしてこれらの記事を書いたのではないかと思います。


しかし、昨日、ある出来事をとおして「◯◯しない勇気」について思いを馳せることになりました。
もっと厳密に言うと、「◯◯しないことを選択する勇気」です。
「◯◯しない」のは勇気のないことのように思われますが、ときには「◯◯しないことを選択する」のは立派な勇気です。


たとえば、「一気飲み」です。
周りの者にあおられて一気飲みして急性アルコール中毒になって死亡する人がいます。
また、阪神タイガース優勝の際のファンの道頓堀ダイブなどもその例です。
これらは極端な例ですが、身の回りにも同様の「◯◯しない」勇気はいくらでもあります。


担任の先生からいじめを受けて自殺した中学生が出たのはまだつい最近の出来事です。
このようなケースは枚挙にいとまありません。
とくに体育会系の部活でのしごきや顧問の体罰等々。
また、クラス内でのいじめによる自殺も後を絶ちません。


自殺する勇気があるなら、学校に行かない勇気、部活をやめる勇気を発揮して欲しいものです。
いじめがあるにもかかわらず我慢して学校に行き続ける、体罰を受けながらも部活をやめないで、最後には追いつめられて自殺するぐらいなら、学校や部活をやめ、友達との縁を切る、こちらの方がよっぽど立派な勇気です。
たんに勉強をさせ試験で点数を取らせて進学させることが教育の本来の目的ではないはずです。むしろ、生きる力を養うことこそ教育の真の目的だと思うのです。


また、親も子どものおかしな様子に気づいたら、学校に行くことを無理強いするよりは、学校に行かせない勇気の決断が求められます。
子どもの人生、命を犠牲にしての学校や部活などなんの意味もありません。
(去る2月の記事「いじめの問題」もご参照ください)


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人を愛する最善の方法

2017.03.26日

"I find the best way to love someone is not to change them, but instead, help them reveal the greatest version of themselves."
--Steve Maraboli – Author and Speaker
「人を愛する最善の方法は、その人を変えようとするのではなく、その人が最高の自分を出せるよう手助けすることだ、ということを私は悟った」
--スティーブ・マラボリ、著作家・スピーカー
(訳 舟田譲二)


そうなんです。
私たちは無意識のうちに、自分が愛している人、子どもとか伴侶とか、近しい人ほどより良くなってほしいと望むあまり、ついついその人に「こうした方がいいよ」「これはしない方がいい」と言ったり、ときには「こんなことはしちゃだめだ」と言いたくなるものです。
その動機はあくまでもその愛する人に良くなってもらいたいからで、もちろんいじわるなんかではありません。


しかし、往々にして相手からは煙たがられたり、ときには反発されたりして、こちらの意図が伝わりません。
スティーブ・マラボリはとても素晴らしい助言を私たちに与えてくれています。
「人を愛する最善の方法は、その人を変えようとするのではなく、その人が最高の自分を出せるよう手助けすることだ」と。
手助けするには方法はいくつもあるでしょう。
それはアドバイスや説教ではなく、むしろ自分でモデルとなり示すことかもしれません。
「最高の自分を出す」とは、その人が内に持っているものを引き出すことです。
そのお手伝いをするのが、最善の愛を示す方法なのです。
なにか心当たること、あなたにもできることはありませんか?


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人の幸せのために

2017.03.20日

"The shortest distance between two people is a smile."
--Victor Borge – 1909-2000, Comedian
「ふたりの人の間の最短距離はスマイルだ」
(訳 舟田譲二)


ビクター・ボーグはコメディアンであると同時にプロのピアニスト。
ピアノの腕前はもちろんのこと、演奏とユーモアを見事なまでに合体させ、聴衆を笑いの渦の中に巻き込む技術はまさに超一流です。
彼は、クラシック音楽を一般の人々に身近なものとし、「微笑み」「笑い」が人をもっとも親密に、幸せにする鍵だということを知っていたので、自らのピアノの技術を抑え、敢えてコメディアンとして、死の直前まで人々の幸せに貢献する生涯を送りました。


彼のいくつかのYouTube動画を見てみましたが、どれも引き込まれて、思わず微笑んでしまいます。どうぞお楽しみください。



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人が幸せを感じるのは

2017.03.12日

近年、「幸福」の本質や要因について、知識の体系化がかつてないほど進んできています。
そのひとつとして、「幸福」は感情であり、決して環境によるものではないということが明らかになりました。幸福とは「面白いこと」や「楽しいこと」以上のことです。幸福は、長く続く健全な状態だということができます。


私たちが幸福と感じるのは、「私たち【に】何かが起こるから」ではなく、「私たち【の内に】何かが起こるから」です。言い方を変えれば、幸福とは人生に対する私たちの受け止め方です。
アブラハム・リンカンはかつて言いました。
「人は自分が願う分だけ幸せになれる」と。
仏教の諺によると、
「痛みは避けられない。しかし、苦しみは選択できる」のです。


それでは、幸せな人たちに共通する特性は何でしょうか?
お金ではありません。名声でも、外見でもありません。知性や能力でもありません。
いいえ、もっとも大切なふたつの要因は、「感謝の心」と「満足いく人間関係」です。


公式は単純です。
「感謝できることを数え、家族や友達を楽しむこと」です。


ところが残念なことに、「単純」イコール「簡単」とは限りません。


本能的に暗い表情をする人や悲観的になる人は、自分たちの考え方を再構築しなければなりません。
「幸福とは欲しいものを手に入れることではなく、自分が手に入れたものを望むことだ」
と言うのと、
「自分が持っているもので本当に満足する」
というのはまったく別のことです。


多くの人にとって、ポジティブに考え、行動するには訓練が必要です。


時にそれは、物事の見方を変え、明るい兆しやコップに入っている半分の水を見て、感謝するのを選択することです。
またある時に必要なのは、痛みや失望、嫉妬心などを抱えて悩み苦しむ代わりに、感謝すべきことすべてを含め良い考えに心を向けるように自分をし向けることです。


興味深いことに、ポジティブな態度を維持する能力が、大切な人間関係を生み出したり維持したり、最善の結果を期待することと同様、とても大切なことだということです。


マイケル・ジョゼフソン
(訳 舟田譲二)


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良いコミュニケーションの秘訣

2017.03.07日

「コミュニケーション」の大切さが指摘されるようになってずいぶんたちました。
みんなコミュニケーションが重要なことはよくわかっているのですが、一般に日本人は下手なように思われます。
コミュニケーションは日本語に直すと「意思疎通」で、お互いに忌憚(きたん)なく心の中に思っていることを相手に伝え、理解し合い、争い事などを避け、より良い人間関係を築くためのものです。


哲学者・エピクテトスの有名な言葉にこのようなものがあります。
「神は人間にひとつの舌と、ふたつの耳を与えた。しゃべることの2倍多く聞けということだ」
これは実に真理をついており言い得て妙です。
さらに言うならば、人間には目もふたつ与えられています。これはすなわち、お互いに相手の目をふたつの目でしっかり見て、コミュニケーションを取りなさい、ということでもあるでしょう。


昔、英会話を教えていた方で、ある大手の商事会社を定年退職して家にいながらご自分の趣味をいろいろやっていらっしゃる方がいました。
家に呼ばれて行ったことがあるのですが、奥さんとふたり暮らし、そして犬がいました。
気がつくと、ご主人も奥さんもふたりとも笑顔で犬とはよく会話されるのですが、ご夫婦の間ではまったく会話がないのです。
なにか言いたいことがあると、お互いに犬を通じて相手に伝達していらっしゃるような感じでした。
日本人の高齢者の夫婦間によく見られるコミュニケーションがうまくできていない典型的なケースです。


私たち夫婦もすでに高齢者の仲間入りをしていますが、よくこれだけ話すことがあるものだと思うほど、日々のニュースのことから私たちの信仰のこと、仕事のこと、仕事に関わる人たちのこと、知人・友人・親族のこと等々、どんな話題でも顔を合わせている間はネタが途切れることはありません。
もちろん行き違うこともありますが、そのようなときにはお互いに素直に謝ります。
エピクテトスのアドバイスに従って、話す2倍の時間をかけて相手の言うことに耳を傾け、そして相手の目をしっかりと見つめながら。
高齢者特有の、相手は言ったことを忘れて同じことを何度も言い、こちらもそれを忘れてしまっているので何度も聴くという面もあるようですが(笑)。


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ひとりを大切に

2017.03.05日

つい1か月ほど前、急に奥歯が痛み始め、いつものかかりつけの歯医者さんに行ってきました。
この歯医者さんについては6年ほど前に記事にして書いたことがあります(「真心のこもったサービス」)。
この間、何度もこの先生に診ていただいていますが、行くたびに先生始めスタッフの皆さんの心のこもったサービスには頭の下がる思いをしています。
一昨日、歯の詰め物が取れてまた行き、感動を新たにしました。


先生に診ていただくまで隣の診察台で待っているとき、事前に診てくださった看護師さんがとても気さくに声をかけてくださいました。
「受験生の方々の合格発表も先日あって、先生もようやくひと息ついていらっしゃるところですね」
「ええ、ありがとうございます。でも来週からは新年度の授業が始まりまた忙しくなります」
他愛のない会話なのですが、このように先生始めスタッフの皆さんが患者さん一人ひとりに心をかけて話しかけてくださるところがこの歯科医院の素晴らしいところです。


治療が終わって医院を出るときには、先生が受付のカウンターまで出てきてくださって、笑顔で
「どうぞお大事に」
と言ってお辞儀し、私がドアを開けて外に出るまで見送ってくださり、「ありがとうございました」と言って会釈する私にまた丁寧に頭を下げてくださいました。
一人ひとりの患者さんにこのような心のこもった接し方をしてくださいます。
先生がこのような方ですから、スタッフの方々も皆さんいつも笑顔で患者さんに接してくださいます。


ある時など、患者さんが治療を受けている間、待合室で看護師さんのひとりが患者さんの小さなお子さんのお世話までしてくださっていました。
昔、ある内科医では待合室で子どもが泣きぐずったとき、看護師さんは怖い顔をしてお母さんに「ほかの患者さんにご迷惑ですから、お子さんは連れて来ないでください」と言って、心底驚かされました。そして、私はその後二度とその医院には行かなくなりました。


ですから、この歯医者さんのような方が私は大好きで、医者に限らずレストランやほかのどのような業種のお店でもいったん気に入ると絶対に浮気せずに忠実にそこに通いますし、知り合いの方々にもお薦めします。


昔、中1の夏休みに友達に紹介されて体験に来た生徒がいました。
勉強が嫌いで、サッカーばかりやっていた少年でした。
しかし、アカデミーに来て塾が大好きになり、勉強が面白くなって学力がどんどん上がって志望校を毎年アップして入塾当初より志望校を2ランク上げて、地元のトップ校に進学しました。
高校時代も通ってくれて、大学入学と同時にアカデミーで講師として働いてくれるようになりました。生徒思いで、大学の4年間とても献身的に働き、生徒たちの信望も厚い先生でした。卒業後も1年継続して働いてくれて、その後約200倍の倍率を勝ち抜いて大きな企業に就職しました。
そこに3年間勤務していましたが、昔働いていたアカデミーが忘れられず、そこを依願退職して来月からアカデミーに正社員として入社してくれることになりました。
昨夜は遅くまで打ち合わせをしていましたが、やはり転職の動機になったのは、「ひとりを大切に」のうちの経営理念でした。
とても頼もしい助っ人が来てくれることになり、私たちはみんな心強いことこの上なしです。


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褒めることよりも大切なこと

2017.02.18日

"Taking an interest in what others are thinking and doing is often a much more powerful form of encouragement than praise."
--Robert Martin - Author
「人が考えたり行なったりしていることに関心を持つことは、褒めることよりもはるかに強力な励ましとなる」
--ロバート・マーチン、著作家
(訳 舟田譲二)


人を褒めることはとても大切です。いつも他人の言うことすることにケチをつけ、けなしてばかりいる人がときどきいます。
でも、人はけなされたり、ケチをつけられるとやる気をなくすものです。
親の子どもに対する接し方や、教師の生徒に対する、また上司や雇い主の部下に対する接し方などを見ればよくわかります。


しかし、「人が考えたり行なったりしていることに関心を持つこと」は、案外多くの人に見過ごされているのではないでしょうか。
ロバート・マーチンが言っているように、人に純粋な関心を持つことは、単に褒めることよりもはるかにその人にとって大きな意味を持つものです。


「へぇ〜、そうなんだ」
「ふ〜ん。それで?」
「そしたらどうなったの?」
のような相づちや質問は、その人に関心を持っていることを表し、それはすぐに伝わります。
そして、さらに会話ははずんで、相手の人はどんどん話を続けます。
むしろ表面的な褒め言葉はそれほどありがたく感じられず、会話はすぐに止まってしまいます。


先日、「持っているものはますます与えられる」の中に登場したAさん、最近は毎日塾に顔を出してニコニコしながら話が止まりません。
曰く、
「アメリカの大学に留学して化学を勉強したいんです。今、元素は118発見されているんだけど、私は120番目の新元素を発見するのが夢なんです。そして、将来は大学で化学を教える先生になりたいです」
私はちょっと茶々を入れました。
「そうなの...。先生は文系の人間であまり化学には興味がないんだ。元素なんて、なんか無機質で情緒がないような気がするよ」
これに対する彼女の答えは、
「え〜?なんで、なんで?この壁のクロスも、柱も、床も目に見えるものはみんな元素から成り立っているんですよ。一つひとつがそれぞれの特徴を持っていて、その特徴を生かしてこういうものになってるんです。それを思ったら、もうどれもこれも可愛くて可愛くて仕方がない」
「そう言えば、腸内細菌を研究している人が言ってたけど、自分の腸の中にいる細菌が可愛くて、花子とか一つひとつ細菌に名前をつけているんだって。それとおんなじだね」
「はっはっははは...」


こんな感じで会話はいつまでも続きます。
おそらくAさんは自分の考えていることを人に言いたくて仕方ないのでしょう。
あなたのすぐ近くにもそんな人がいませんか?


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借りを返す

2017.02.13日

"The only people with whom you should try to get even are those who have helped you."
--John E. Southard - Author
「借りを返すことを考えるべき唯一の相手は、あなたを助けてくれた人だ」
--ジョン・E・サウザード、著作家
(訳 舟田譲二)


「借りを返す」とは、もともと「借りていたものを返却する」という意味ですが、そこから転じて、「相手に復讐する、自分が受けた損失や屈辱と同等のものを相手に味合わせる」「恨みのある相手に仕返しをする」という意味で一般によく使われます。
しかし同時に、「以前良くしてもらった相手のためになることをする」「恩返しする ・ 恩に報いる」という良い意味でも使います。


ここで、ジョン・E・サウザードが言わんとしているのは、英語の get even 「仕返しをする」という言葉を「恩を返す」という意味に置き換えて、聴き手の不意を突くように「借りを返すのは、仕返しではなくあなたを助けてくれた人に恩を返しなさい」と言っているのです。じつにうまい言い方です。


英語のことわざに
Forgiveness is the best revenge.
赦しは最大の復讐。
というのがあります。


憎しみを持ち続けていると、それは相手よりも自分を苦しめ、傷つけることになります。それこそ相手の思う壺です。
古今東西、多くの小説や映画、テレビドラマのテーマは復讐です。
でも復讐することによって得るものはありません。失うものばかりです。


ですから、借りを返すのは復讐ではなく、自分に良くしてくれた人に恩を返すのが一番なのです。


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行き詰まった、もうこれで終わりだ

2017.01.16日

"Often when you think you're at the end of something, you're at the beginning of something else."
--Fred Rogers(1928-2003), Television Personality
「行き詰まった、もうこれで終わりだ、と思うような時は、しばしば何か別のことの始まりだ」
--フレッド・ロジャーズ、教育者、テレビホスト
(訳 舟田譲二)


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長い人生、生きていると必ず二度や三度、いや数えきれないほど、「行き詰まった、もうこれで終わりだ」というような状況に遭遇します。
長く生きていなくても、たとえ子どもでもこのように感じて、中には思いつめて自死する子すらいます。
私の中学校時代のクラスメートがふたり自死しました。
原因はいじめもあれば、病気、家庭の事情など様々です。
しかし、「待った!」
人生は終わりではありません。
終わりというのは、病気や老化など寿命が尽きたときの自然死です。


フレッド・ロジャーズが言っているように、
「行き詰まった、もうこれで終わりだ、と思うような時は、しばしば何か別のことの始まり」
です。
そう、道は必ず開けます。行きづまりは、すなわち新しい道への入口です。


フレッド・ロジャーズは大学卒業後、将来牧師になるために神学校に進学しましたが、ちょうどそのとき出合ったテレビに子どもの教育への大きな可能性を感じ、テレビ業界に入ります。
子ども向けの歌を200曲以上作詞・作曲し、数多くの児童書や教育書を著し、教育業界での貢献に対して多くの賞を受賞しました。


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そのようなことから、冒頭の言葉はおそらく青少年への愛情を込めたメッセージではないかと思います。
でも、同時にこのメッセージは人生のどの年代においても当てはまる真理です。


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やるのは<今>

2017.01.14日

"Go for it now. The future is promised to no one."
--Wayne Dyer - 1940-2015, Author and Speaker
「思い切ってやってみなさい。未来はだれにも約束されていません」
--ウェイン・ダイアー、著作家・スピーカー
(訳 舟田譲二)


ウェイン・ダイアーはアメリカの心理学者で、自己実現・自己啓発に関する書籍を数多く著し、世界的に高く評価されています。
日本語にも多く訳されていますがその一例を挙げると:


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このブログの中でも、「引き寄せの法則 2」「夢を描く」などの中にも書いたいわゆる「引き寄せの法則」で、私自身この法則をこれまで数えきれないほど経験してきているので、これは本当だと確信をもって言うことができます。


ウェイン・ダイアーは上の言葉のほかにも、
「これまでの人生を振り返ってみるとわかるが、私たちは自分がやってしまった事柄についてはほとんど後悔しない。むしろ後悔するのは、自分がやらなかったことである」
などと言っています。


物ごとはやってみないことにはうまくいくかどうか、わかりません。
うまくいかないこともあるでしょう。うまくいかなくて元々だと考えればいいのです。
でも、やってみたらうまくいくかもしれない。やらなければ、うまくいったかもしれないものも、何ひとつ実現しません。
そもそも「未来はだれにも約束されていない」のですから、それならやってみないと損ではありませんか。
行動を起こした人しか成功を味わうことはできないのです。
これは仕事に限らず、勉強やスポーツ、子育てや人間関係などありとあらゆるものに当てはまります。


原文には、"Go for it now."と "now"という言葉が入っています。
そう、やるのは<今>です。


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批判するより励ませ

2017.01.10日

"Those who are lifting the world upward and onward are those who encourage more than criticize."
--Elizabeth Harrison – 1849-1927, Educator
「世界を向上させ、前進させる人は、批判するよりむしろ励ます人だ」
--エリザベス・ハリソン、教育者
(訳 舟田譲二)


人を批判したり、責めたりするのはいとも簡単なことです。ときには大声で怒鳴ったり叱ったりすることもあるでしょう。
実際のところ、ほとんどの家庭において夫婦・親子・きょうだい間で、また学校では教師間あるいは教師と生徒の間、生徒間で、企業などでは上司・部下の間、同僚の間などで日常茶飯事のように行われていることでしょう。


私が塾の仕事を立ち上げたとき、最初にお世話になった会計事務所で、私たち客の面前で経営者が従業員を大声で怒鳴っているのを目撃しました。
怒鳴られていた人はうちの担当者でしたが、即首になったか、自ら退職したかで、間もなく顔を見なくなりました。
そして、私たちもこのようなところは嫌だと思い、すぐに別の会計事務所に変わりました。


人はみんなそれぞれ器の大きさが違います。自分の思うように動いてはくれませんし、期待外れの状況にときには頭にくるようなこともあるでしょう。
でもこのことは言い換えれば、同時に相手も自分のことを同じように見ている可能性があるということです。


自分が完璧からほど遠く、欠けだらけであるのと同様、この世に完璧な人などどこを探してもいません。
ということは、相手に「ああしろ、こうしろ」と要求したり、「こうあって欲しい」と期待すること自体無意味ですし、このような見方、考え方をしている限り、自分にとっても相手にとってもものすごいストレスとなって、このストレスがお互いの人間関係を壊し、さらには私たちの肉体・精神の健康すらも損ねることになります。


自分が日々接している人や環境を向上させ、前進させたいと思うなら、相手を批判するよりむしろ励ますことです。
ここから創造的な世界が開けていきます。


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ダディ

2017.01.07日

今から数年前、2005年11月28日に父は亡くなりました。
父の名前はジョン。父は私の人生の大半において、子どもたちとほとんど時間を過ごすことのなかった、つねに忙しい会社の経営者でした。
子どもの頃のことを考えると、ほとんど母の思い出ばかりです。母は家族をひとつにまとめ、自らの愛情とサポートで家庭を築いてくれていました。
父はいわゆる大物のビジネスマンで、ただ仕事やレクリエーションのスケジュールに沿って、家を出たり入ったりしているだけでした。


しかし父は、年を取るにつれて自分の人生に関わっている人たちに関心を寄せるようになりました。娘たちや義理の息子たち、孫たちなどに。
ひ孫が誕生すると父はそれまでとはまったく違う人物となり、周りの人たちのことをもっとよく知ろうとするようになりました。父は愛する者たちみんなと時間を過ごすよう努め、私たちに自分自身をまるでギフトのようにして与えてくれました。


その過程で父は、家族の一員として愛されるとはどういうことかを学びました。
また、父がどれほど素晴らしい人物であったかを知るきっかけも私たちに与えてくれました。
父が人生最後の数年間に、その生き様を通して人生についてとても多くのことを私に教えてくれた、ということを知ったらきっと驚いたことでしょう。


父はいつでも万事において楽しい面や良い面を見つけていました。決して鼻を鳴らしたり不平を言ったり、人の悪口を言ったり、人に対して否定的な見方をしたりすることなく、自分の財産に対しては物惜しみせず、道徳面、金銭面においては人々の信用が厚く、機会あるたびに人をハグし、愛を体現し、感謝の気持ちを表していました。
父は、ただありのままの姿でいるだけで素晴らしいお手本でした。


ですから私は今日、さまざまな人間関係を考えるとき、どれほど無意識のうちにお互いに影響を与え合っているかということを思いめぐらせるのです。
私たちの日常生活の中で、ほんの些細な会話や行動さえもがほかの人にいつまでも消えない印象を与えます。


ほかの人に対する心遣いや思いやりを伝えることができるよう、私は自分のすることすべてにおいてこのことを意識するよう心がけています。
ちょうど晩年の父が私に教えてくれたように。
あなたはいかがですか?


サンドラ・アベル
(訳 舟田譲二)


6年前の記事、「子は父の背中を見て」の中に、私自身の天に帰ったダディ(私も父のことをこう呼んでいました)のことを書きました。
父は決して上のサンドラ・アベルさんのダディのような立派な人ではありませんでした。
それでも数えきれないほど多くの素晴らしいレッスンを、お手本を私に残してくれました。


サンドラが
「あなたはいかがですか?」
と尋ねていますが、果たして私はどうなんでしょう?
「子は父の背中を見て育つ」と言いますが、果たして子どもたちにどのような背中を見せてきたのでしょうか。
そして、これから先も見せ続けるのでしょう。
また、子どもに対してだけでなく、あらゆる人間関係において私はどのような背中を見せているのでしょう。
私も「自分のすることすべてにおいてこのことを意識するよう心がける」ようにしています。


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親切のススメ

2017.01.06日

"Be kind whenever possible. It is always possible."
--Dalai Lama - Monk
「できる時にはいつでも親切にしなさい。そして、親切はいつでもできることです」
--ダライ・ラマ、僧侶


「可能な時にはいつでも親切にしなさい。でも、親切にするのに可能でない時などないのですよ」というダライ・ラマの親切のススメです。


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「小さな親切運動」というのがありますが、上のはあくまでも一例であって、「電車やバスの中で人に席を譲る」「困っている人を手伝ってあげる」など、改まってすることである必要はありません。どんなことでもいいのです。言葉かけだけでもいい。寄り添ってあげるだけでもいいのです。
親切は、いつでも、どこでも、だれにでもできることです。
夫婦や親子、きょうだいの間でも、また友達同士、仕事仲間、上司と部下、先輩と後輩、雇主と従業員、教師と生徒の間から、まったく見知らぬ通りがかりの人に至るまで。


そう言えば、厚切りジェイソンのお笑いネタに「親を切って何が親切だ」というのがありましたが、親切とは「親を切る」のではなく、「相手にぴったり寄り添う」という意味です。
人はひとりで生きていくことはできず、誰かにぴったりと寄り添ってもらいたいものです。
ですから、ほんのちょっとしたことでいいのです。
「親切」は人間関係の潤滑油です。
親切のない世界はギスギスして、息づまるような感じがします。


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女子大生 気になる男性が2人

2016.12.08日

 20代の大学生の女性。夏のゼミ合宿から、2人の男性が気になっているのですが、この気持ちが何なのかわかりません。
 2人は友達同士です。一緒に肝試しやバーベキューをし、たまに話をするうちに気になり始め、いつの間にか彼らを目で追い、一緒にいたいと思うようになってきました。
 最初は一時の感情だろうと思っていましたが、大学が始まり、彼らと会うとうれしくてたまりません。ただ、ゼミは先生の講義を聴くだけで、学生同士で活動をするわけではなく、2人と話す機会はほとんどありません。きっかけがあれば、話せるのにと残念です。
 私は中学、高校時代を女子校で過ごしました。恋愛をしたことがなく、この感情が恋なのかわからず、戸惑っています。彼らと付き合いたいのかと言われたら、それもわかりません。気になっているのが2人という状況も不思議です。
 もうすぐ就職活動が始まるため、残りの大学生活を恋愛ばかりに使ってもいられません。今後、どうすべきでしょう。(A子)

     ◆

 ◇増田明美(スポーツ解説者)


 ちいさな恋の種が地中からそっと芽を出したような相談のお手紙です。
 2人の男性のことが気になっているのですね。きっと2人の醸し出す雰囲気があなたのタイプなのでしょう。今、あなたは恋愛のドアをノックしたばかり。もしかしたら今の感情は恋というよりも「好感」なのかもしれませんね。
 でもドアの先には広い草原が広がっています。草原で芽吹いた芽から茎が伸びて、葉を茂らせ、花が咲く「恋」がきっと現れるでしょう。そして草原に出れば、あなたが2人の男性のことが気になるように、あなたのことを遠くから見つめている人がいるのです。
 これからもさまざまな出会いを大切に、大学生活をエンジョイしてください。勉強や就職活動もあるなかで「大学生活を恋愛ばかりに使ってもいられない」という真面目なあなたなら、草原で迷子になることはありません。
 これまで通り、あなたの道をしっかりと、心豊かに歩き続けてくださいね。ふとした時に、その道端に恋の花が見つかりますよ。

(12月7日付 読売新聞 「人生案内」より」)


この相談者A子さんのようなことは、女性に限らず男性も含めてほとんどの人が若いころには一度や二度ならず経験することでしょう。
その答えになるかもしれません。
以前、「生活の中に潜む数学」という記事を書きましたが、なんと結婚相手を決めるときにも数学が役立つんですって!
これから結婚という人はご参考までに。



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自分が立てた計画を明け渡す

2016.12.06日

"We must let go of the life we have planned, so as to accept the one that is waiting for us."
--Joseph Campbell - 1904-1987, Writer
「私たちを待ち受けている計画を受け取るためには、自分が立てた計画を明け渡さなければならない」
--ジョゼフ・キャンベル、作家
(訳 舟田譲二)


私たちはいろいろな計画を立てます。
そして、その計画を実現させるために努力します。当たり前のことです。そしてそれは素晴らしいことです。
計画のない人生は、風に弄(もてあそ)ばれて、あちらこちらに彷徨(さまよ)うようなものです。


しかし同時に、いくら素晴らしい計画を立て、その実現に向けて努力していても、思うようにいかないのが人生です。そもそも、すべてが計画どおりに進む、なんてことはまずありません。


ひとつには、私たちはひとりで生きているのではなく周りに多くの人がいて、出会う人たちの影響を絶えず受けますし、また生まれ育った環境、その時代の経済や気候など、ありとあらゆる状況・環境に影響されます。


時には自分が考えていた計画よりもはるかに素晴らしい機会に出くわすことすらあります。そのような場合は、自分が立てた計画に縛られているよりもむしろその計画を手放した方がはるかにいいことだってあります。
ジョゼフ・キャンベルが述べている冒頭の言葉もきっとそのような意味なのでしょう。


昨日放映されたNHKの連続テレビ小説『べっぴんさん』の中で、次のような言葉が語られました。
「小さな勇気と決断が人生の転機をもたらす」
自分が立てた計画を明け渡すには、確かに勇気も決断も必要になります。しかし、その決断によって人生の転機がもたらされることがしばしばあります。
私もこれまで数え切れないほどこのような体験をしてきました。


すなわち、「私たちを待ち受けている計画を受け取るためには、自分が立てた計画を明け渡さなければならない」のです。
その見極めが重要で、そのために役立つのがそれまでに得てきた経験や学び、人との出会い等々です。


とまれ、人生には無駄がありません。


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成功したければ

2016.12.04日

Put your heart, mind, and soul into even your smallest acts. This is the secret of success.
--Swami Sivananda - 1887-1963, Author
「心も精神も魂もあなたのもっとも小さな行動に至るまで注ぎなさい。これが成功の秘訣です」
--スワミ・シヴァナンダ、作家
(訳 舟田譲二)


「成功」と言うと、だれでも、仕事での成功や学業、子育て、人生での成功などをまずは思い浮かべるかもしれません。
そう、確かにこれらもすべて「成功」です。
しかし、成功はこれらの大きなものに限らず、私たちの日々の生活の中でのさまざまな小さなことすべてにおいても存在します。
家族を含むあらゆる人間関係、精神の安定、健康、規則正しい生活、食生活、運動、休息、睡眠、学び等々、生命活動全般にわたります。
これら一つひとつに、「心も精神も魂もすべて」を注ぐなら、成功しないわけありません。
これらのうちのひとつでも成功していないとすれば、それは心と精神と魂を完全に注いでいないからです。


スワミ・シヴァナンダは医師、ヨガの指導者、宗教家、思想家、作家として、生涯をとおして人民のために自らを捧げた奇特な人です。


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人生と人間関係を改善する方法

2016.12.02日

「ぼくのことをひとことで言い表すとしたら何て表現すると思う?」
妻はちょっと考えて言いました。
「ひとことは難しいけど、完璧主義かしら...。うーん、でもやっぱり優しさだわ」


昨日の記事、「完璧を追い求めると」の中にこの会話の経緯(いきさつ)を少し書きました。
じつはこの後、続きがあるのです。
私は妻に
「じゃあ、自分で自分のことをひとことで言い表すとしたら何て言う?ぼくはどんな言葉で表現すると思う?」
妻はしばらく考えて答えました。
「自己中心?わがままかしら?」
「残念でした。ぼくがいつも考えているのは、『正直』だよ。自己中心とかわがままなんて考えるのは、セルフイメージが低い証拠だよ」
私は妻のことを正直だと考えている理由をいくつか例を挙げて話しました。


自分のこと、また自分の伴侶や子どもなど、家族のことを正しく評価することはとても大切なことです。
否定的、消極的な見方をしていると、それはセルフイメージを低くしますし、また家族など身近な者を否定的に評価すると、それはその人間関係に大きな悪影響を与えます。
逆に良い面を見、肯定的、積極的な見方をする、すなわちいい点を探すと、セルフイメージは高くなりますし、対人関係も飛躍的に良好なものになります。


いかがですか?
あなたは自分のことをどのように表現しますか?評価しますか?
身近な人たちをどのように見ていますか?
頭に浮かぶ言葉を点検してみましょう。
これによって自分自身の人生を、そして人間関係を驚くほど改善することができます。


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『五年目のひとり』

2016.11.21日

一昨夜の土曜日に放映された山田太一ドラマスペシャル『五年目のひとり』(芸術祭参加作品)はとても見応えのある作品で、途中何度か涙しました。


新聞に載っていた番組欄には、
「山田太一×渡辺謙が贈る家族愛の物語〜東日本大震災から5年! 津波が引き裂いた父娘の命!! 忘れたくない… 遺された男に起こる奇跡〜涙と感動の結末!!」 市川悦子、高橋克実、柳葉敏郎、木村多江
とあり、興味をそそられました。


ちょうどその日、私は5年前のブログ記事、「おばあさんは川へせんたくに…」をFacebook上でシェアしていたのですが、この中で東日本大震災のことを書いていました。
大震災の前の年の暮れ辺りからちょっと体調を崩していたのですが、震災の少し前の2月14日に私は愛する父を天国に送り(「バレンタインデーに嬉しいことが3つ」)、直後には義母の交通事故、そしてそれに続く東日本大震災。
立て続けに起こったこれらの出来事が引き金となってストレスから私は体調を大きく壊し、その後4年にわたって心身の病と闘うことになったのでした。


上の「おばあさんは川へせんたくに…」の記事の中には次のように書きました。
「私のストレスや苦しみなどは、被災地の人たちとは比べものになりません。
被災地では、愛する家族や親族・友人を始め、家や車・家財道具・船などの仕事道具・土地、仕事、その他多くのものを失い、今も避難所や仮設住宅に住んでいらっしゃる方々が大勢いらっしゃいます。
現地でさまざまなボランティア活動や、体を張って放射能の除染活動をしていらっしゃる方々も数え切れないほどいらっしゃいます。
このようなことを考えると、私など不満を鳴らすことなど決してできません。
ちょうど、私の仕事を周りの人たちが分担してやってくれているように、被災地でも多くの人たちがそれぞれの持ち場立場で力を出して、助け合っています。
『そうだ。人というのはひとりでは生きていけない。みんながお互いを必要とし、助け合いながら生きているんだ』」
ちょうどこれを地で行くような内容のドラマがこの『五年目のひとり』だったのです。


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脚本家山田太一氏はこれまで幾多の小説やエッセイ、シナリオ・戯曲などを書いてこられ、いくつもの大きな賞を受賞してこられた超ベテラン。
この作品の中でもその技量が惜しみなく発揮されていました。82歳という歳を感じさせないじつに緻密なストーリーの展開、登場人物一人ひとりの台詞のやり取りの絶妙さ。配役も演出ももう見事と言うほかなく、俳優さんたちの名演技と相まってこの作品を素晴らしいものに仕上げていました。


東日本大震災は単なる過去の出来事ではなく、今日に至るまで、そしてこれから先もまだまだその結果をあちらこちらに引きずっていきます。
それに対して私たちにできること、それはたとえ小さなことでも、一つひとつが合わさると、このドラマのようにそれは大きな感動を呼び起こし、ひとりの人の人生を変えることにもなるのです。


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人と人の間の境界線

2016.10.30日

最近、「境界線」についてよく考えます。
心理学などで使う「境界線」(別名バウンダリー)と私が考えている境界線はちょっと違うようです。


広い意味での「境界線」は、たとえば国家間の「国境線」です。
国境線とは隣接する国と国との境目で、国家主権の及ぶ限界です。勝手に自国の都合や益のために他国の国境線を越えると、最悪の事態では戦争になります。国家の主権は犯してはならないからです。
各国がこの基本的なルールを守れば戦争は起きないはずです。


同様に、各個人レベルにおいてもさまざまな境界線が存在します。
それは、たとえ夫婦や親子、きょうだいなど家族間、親しい友人間においてもそうです。
それぞれ超えてはいけない私的な境界線があります。
この境界線を越えるからさまざまな問題が起こるのです。


夫婦というのは、まったくの赤の他人でありながら、もっとも近しい関係です。
聖書には、「夫婦は一体である」と教えられています。「一体」とはひとつということです。
分けられないひとつの単位です。しかし、それでもなお夫にも妻にもそれぞれ自分自身の境界線があります。
そして、この境界線を越えることは、伴侶の人権を踏みにじることになります。これが原因でお互いに不信になり、離婚に至るケースもあります。


また、結婚している夫婦は一体なので、不可侵です。
したがって不倫は絶対にだめなのです。国境を越える行為と同じです。
マジシャンのミスター・◯リックが次のように言っていました。
「不倫はバレなければ天国だが、バレたら地獄だ」と。
「経験者語る」のような響きがありますが、たとえバレなくても不倫行為は夫婦間およびそれに割り込む人物、またそれぞれの家族などすべてにとって地獄そのものです。天国なんてどこにもありません。


きょうだい間においても不可侵の境界線があります。
これを破ると親が死んだあと財産争いなどに発展したり、互いに憎しみ合ったり、裁判沙汰になったりします。最悪の事態では殺人事件にも至ります。


さまざまなトラブルやそれに伴うほとんどの事件は、この「境界線」を越えて起きるます。
私たちはみんな他人の、あるいは国家や団体などすべての権利を認め、尊重すべきなのです。


「人にされたくないことを人にしてはいけない」、という消極的なものではなく、さらに一歩進めて、
「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」
という聖書の教えは万国共通の、そして永遠の真理です。


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争いの修復作業

2016.10.28日

昔々、隣同士の農場に住んでいるふたりの兄弟が大きな争いごとに陥ってしまいました。これまで何の問題もなく、必要に応じてそのときどきお互いに機械や物を貸し合ったり、仕事を手伝い合ったりしてきたのですが、この40年で初めての大きな兄弟げんかになりました。


これまでの長い間の協力関係がいっぺんに壊れてしまいました。ほんの些細な誤解から始まったのですが、やがてそれは大きな問題に発展し、お互いに相手をひどい言葉でののしり合い、ついには何週間も口を利かなくなってしまいました。


ある日の朝、ジョンの家のドアに「トン、トン」とノックの音がしました。ドアを開けると見知らぬ男が大工道具の箱を持って立っています。
「2〜3日でできる仕事を探しているのですが」
とその男が言いました。
「ひょっとしたらその辺で、何か私にできるような小さな仕事はありませんか?」


「ああ、あるとも」と兄のジョンが答えました。
「お前さんにぴったりの仕事がある。あの川の向こう側の農場を見てみろ。あれはうちの隣の農場で、実は弟がやっているんだ。先週まで向こうとうちの間には牧草地があったんだが、弟のやつが小川の土手にブルドーザーを入れやがって、今では間に大きな淵ができてしまった。やつは俺に嫌がらせをしたつもりでいるんだろうが、俺はやつに一杯食わせてやろうと思ってる。あそこの小屋の横に積み上げてある乾燥させた木材が見えるだろう。あれで2メートル半ほどの高さの柵を作ってもらいたいんだ。やつの農場を見なくて済むように。少なくともあいつの頭を冷やすことになるだろう」


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大工は答えました。
「状況はわかりました。釘と穴堀機を用意してください。そうしたらきっとあなたのお気に召すような仕事ができることと思います」


ジョンは大工がすぐに仕事に取りかかれるよう、町へ行って材料や道具を準備すると、一日出かけました。
大工は寸法を測ったり、のこぎりで切ったり、釘で打ちつけたりして一日中一生懸命働きました。
ジョンは戻ってくると、びっくりして目を大きく見開き、口をあんぐり開けました。


柵などどこにもありません。あったのは橋。川の一方からもう一方にかかっている橋!手すりのついた立派な橋です。
そして向こうから橋を渡ってくるのは、隣の農場に住む弟。手を広げてやってきます。


「俺があんなにひどいことを言ったり、したりしたにもかかわらず、こんな橋を作るとは兄さんは大したやつだ」


ふたりの兄弟は初め橋の両端に立ち、次には真ん中で会い、お互いの手を取り合いました。ふたりは振り返って、道具箱を持ち上げようとしている大工の方を見ました。
「ちょっと待ってくれ。あと数日ここにいてくれ。ほかにももっとたくさん仕事があるから」と兄のジョンが言いました。


大工は言いました。
「ここにいたいのは山々なんですが、もっとたくさんの橋を造らなければなりませんので」
作者不詳

(訳:舟田譲二)


現代の「万里の長城」を造ると主張している御仁がいらっしゃる中で、心温まる素晴らしいお話です。
私たちも高い塀を建てるのではなく、橋をかける者になりたいものです。


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現在の幸せをみすみす見逃すな

2016.10.24日

"Do not spoil what you have by desiring what you have not; but remember that what you now have was once among the things you only hoped for."
--Epictetus (55AD-135AD) Philosopher
「自分が持っていないものを欲して、持っているものまで台無しにしてはいけない。今持っているものもかつてはただ望んでいたものなのだから」
--エピクテトス、(紀元55年-135年)古代ギリシアのストア派哲学者
(訳:舟田譲二)


人間だれしも最初からなにもかも持っているなんてことはあり得ません。
ところが、私たちはとかく欠けているもの、持っていないものに目が行きやすいものです。
しかし、ここでエピクテトスが言っている「自分が持っていないものを欲して、持っているものまで台無しにしてはいけない」というのは、とても大切なことです。
それは、「あれがない」「これが欲しい」と不満を感じていると、すでに持っているものを感謝することを忘れてしまい、現在の幸せすらみすみす見逃してしまうからです。


これはなにも物に限ったことではありません。
健康や家族、友人を含むさまざまな人間関係、能力や技術等々。
挙げ出せば切りがありませんが、これらはすべて時を経る過程で一つひとつ私たちのものとなってきたのです。それらを、望んでいたからです。


大切なのは、さらに次の目標を目指して手を伸ばし努力すること。
そのとき、必要なものはさらに与えられます。これまで与えられてきたように。


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視点を変えると

2016.10.13日

「視点を変える」って、そんなに大きな意味のあることなのでしょうか?視点を変えることによって、あなたが体験する世界が本当に変わるのでしょうか?
ちょっと次のストーリーを考えてみてください。


ロンが7歳の息子のニックにボールとバットを与えると、ニックはすぐに野球をしたがりました。
ロンはニックに言いました。
「野球というのはね、真剣勝負のゲームなんだよ。プレーできるようになるまでには一生懸命練習しなければならないんだ」
するとニックは外に出ると、ボールを上に放り上げて落ちてくるのをバットで打とうとし、これを何度も何度も繰り返しました。1時間ほどたつと、ニックは言いました。「お父さん、もう一緒にプレーできる?」


ロンは言いました。
「じゃあ、できるようになったところをパパに見せておくれ」
ニックはボールを上に投げ、落ちてくるのをめがけて思いっきりバットを振りましたが、当たりませんでした。「ワンストライク!」ニックは興奮しながら言いました。もう一度ボールを放り上げましたがまたもや空振り。「ツーストライク!」ニックは大声で叫びました。


ロンは心配しているのをニックに悟られないように言いました。
「集中するんだ、ニック。いいかい、もう一回空振りしたら三振でアウトだぞ」
ニックはもう一度宙にボールを放り上げて思いっきりバットを振りました。あまりにも強く振って空振りしたので尻もちをついてしまいました。ロンはびっくりしましたが、ニックはニタリと笑いました。
「三振したんだよ。なんでそんなに嬉しそうな顔をしてるの?」
「だってぼくものすごいピッチャーなんだもの」


このニックの積極的な姿勢には本当に恐れ入ります。彼はきっとイチローのようなすごいバッターにはならないでしょう。でも彼は多分、幸せな人生を歩むことでしょう。さらにもっとすごいのは、ニックは周りの人たちの心を和ませ、元気を与えてくれるということです。彼のこのような態度は人々に伝染するからです。
悲観論者は、ニックのような人はバラ色のメガネでこの世を見ていて思い違いをしているのだと考えます。


決して容易なことではありませんが、知恵を用いてフラストレーションや失敗をプラスの経験に変え、自分を傷つけるような怒りやうっぷん、恨みなどをうまく昇華させる力を生み出すならば、私たちの人生はもっと明るい光でいっぱいになることでしょう。
マイケル・ジョゼフソン

(訳:舟田譲二)


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誰かがあまりにも◯◯だと思っていたら...

2016.10.07日

"If you think someone is too lazy, the chances are he or she thinks you work too hard."
--Anonymous
「誰かがあまりにも怠惰だと思っていたら、その人はあなたのことを働きすぎだと思っているものだ」
--作者不詳
(訳:舟田譲二)


「この人は本当に鈍いな」って思うことがありませんか。でも、そんなときは決まって、その人はあなたのことを「この人は本当に神経質だな」と思っているものです。
同様に、「この人はなんてグズなんだ」と思っていたら、その人はあなたのことを「せっかちな人だな」と思っています。
「頭悪いな」↔「頭いいな」
「ケチな人だな」↔「気前がいい人だな」
「つまらない人だな」↔「面白い人だな」
「ふざけてる」↔「クソまじめだ」
というふうに。


本来「人間はみんな自己チュー」ですから、自分の基準が絶対と思いやすいもの。
自分の基準で人を見ると、その基準から離れていると、その人のことをどうしても「あまりにも◯◯だ」と思ってしまいがちです。


見方を変えると、その人の意外な面が見えてきて、「へえー、この人にはこんな素晴らしい面があったんだ」と感謝する心が芽生えてくると同時に、それまでの自分の傲慢な考えを恥じるようになったりするものです。


ちなみに、今日の格言の生みの親である「作者不詳」さんは、実は「ジョージ学院長」のことでした。
常々考えていることをシェアさせていただきました。


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人間はみんな自己チュー

2016.10.05日

私は使ったことがありませんが、自己中心のことを「自己チュー」と言うようです。
「誰々は自己チューだ」という表現をいつ頃からかよく耳にするようになりました。
考えてみたら私自身もそうですし、人間なんてみんな自己チューです。誰だって自分が一番可愛いですし、美味しいものも食べたければ、いい家にも住みたい、いい暮らしをしたい、痛い思いはしたくない、死にたくない…、当たり前のことです。
また自分の立場が危うくなると自分を守るために嘘もつけば、人を責めもする。最近テレビなどでよく見るシーンです。
憎い人には直接暴力を振るわなくても言葉などで傷つけもする。
考えてみれば、人間関係のもつれや、国家間の戦争などすべてこの自己チューから起こっています。


ふと「自己チュー」の反対は何だろうと考えてみました。
よく「自己紹介」をもじって「他己紹介」などと言ったりしますので、「自己」の反対は「他己」?
そしたら「自己チュー」の反対は「他己チュー」、すなわち「他人中心」という意味になります。
周りを見回して、こんなお人好しの他己チューの人なんかいますか?
いるとしたら、「チューチュータコかいな」のタコぐらいでしょう。でも、そのタコすらやはり自分が可愛い自己チューです。


もともと「自己」は「己れ自ら」ということですから、「他人自ら」というのは矛盾していて、「他己」というのは誰かが勝手に言い出した言葉で、いわゆる造語です。
ですから「他己チュー」という言葉は存在しません。そもそも人間みんな自己チューなのですから、他己チューという概念も存在しません。


でも「利己主義」に対して「利他主義」もしくは「利他精神」という概念は存在します。
これについては「利他の心」「ビジネスのエッセンス」の中でも触れましたが、たとえ自己チューな私たちでも「利他精神」は日常生活の中で実践できることです。


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真の友は永遠に

2016.09.25日
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良い友はお互いを思いやる
親しい友はお互いに理解し合う
しかし真の友は永遠に共にいる
言葉を超え、距離を超え、時を超えて

「最高の英語の名言」より
(訳:舟田 譲二)


このような友を持ちたいものです。
そして、このような真の友になりたいものです。


原文では、"True Friends..."と複数形になっていて、「真の友」を一般化して言っていますが、我々有限の人間が、言葉を超え(すなわち文化を超え)、そして時空を超えて永遠に良き友でいることなど能力的にも物理的にも不可能です。
言葉も時も空間も超えた真の友と言えば、やはりイエス・キリストでしょう。
キリスト教式結婚式や葬儀などで必ずと言っていいほどよく歌われる讃美歌312番は世界中の人に愛されています。その歌詞は:


いつくしみふかき ともなるイエスは
つみ とが うれいを とりさりたもう
こころのなげきを つつまず のべて
などかは おろさぬ おえる おもにを


いつくしみふかき ともなるイエスは
われらのよわきを しりて あわれむ
なやみ かなしみに しずめるときも
いのりに こたえて なぐさめたまわん


いつくしみふかき ともなるイエスは
かわらぬ あいもて みちびきたもう
よの とも われらを すてさるときも
いのりに こたえて いたわりたまわん


感謝します、イエスさま。


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弱き者よ、汝の名は…

2016.09.24日
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「人生の5つの愉快な真理」

1.子どもがひとりできたらあなたは親になる。しかし、ふたりできたらあなたは審判になる。
2.結婚とは、一方がつねに正しく、他の一方はつねに夫であるという関係である。
3.愛はお金で買うことはできない。しかし、愛のためにはお金がたくさんかかる。
4.妻と夫はつねに妥協する。夫は自分が誤っていたと認め、妻は夫に同意する。
5.私たちの話す言葉を母語と言うが、それは父親には話す機会がまったく与えられないからである。

「最高の英語の名言」
(訳:舟田譲二)


アメリカ人特有のユーモア満載「名言」(迷言?)です。
読んでいて吹き出しながら、自分のことに当てはめて考えてみると、これが「当たらずとも遠からず」で、おそらくアメリカ人の夫婦だけでなく、ひょっとしたら日本人にも、あるいはほかの国の夫婦の間にも共通する「真理」なのかな、なんて... (笑) 。


1.は間違いなく真理。子どもがふたりできると、親は間に入って「審判」にならなければなりません。
審判に求められることは、公平であること。どちらに味方しても必ずもう一方からブーイングがきます。


2.夫婦間において「一方がつねに正しく」とはどちらのことか。「他の一方はつねに夫である」からその答えは明白です。
かつてはまったくこの逆だったのですが、男女同権が唱えられるようになってから、むしろ女性の権利の方が優先されるようになって、「老いては子に従え」じゃないですが、男性は「つねに妻に従え」のような雰囲気になってきました。その方が事は丸く収まるからです。
面白いことに、ライオンなど動物の世界においても、一見オスの方が強そうに見えるのですが、実際にはメスが自分の思うようにオスを従えています。


3.は面白い「真理」ですね。確かに愛はお金では買えないけど、たくさんお金がかかる。一般の世界ではきっとそうでしょうね。本物の愛にはお金はかからないのですが。


4.お互いに妥協しないで我を通そうとすると、衝突は不可避で関係は壊れ、離婚ということになります。そして、ほとんどのケース、女性はひとりでも、あるいは子連れでもやっていけるのですが、男性はひとりでやっていけない。そこで「謝る」。これが夫の側の妥協。それに対して、妻の「妥協」とは夫の言うことに同意する。うーん、言い得て妙。


5.一般的に男性は寡黙で、女性はおしゃべり。脳科学的にも、また遺伝子的に見ても女性の方が言語能力が優れているので、自然とそのような形になります。
そこで、家庭内においても母親の意見が通ることが多く、それを英語でも日本語でも自国語のことを「母語」と言うのとかけてるところがミソです。


ハムレットの名セリフ
「弱き者よ、汝の名は女なり」
の現代語訳は、
「弱き者よ、汝の名は男なり」。


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馬がしゃべる?そーんなバカな!

2016.09.22日


「馬がしゃべる?そーんなバカな
馬が歌う?そーんなバカな
ホント。
だけど相手はひとり、ホントに好きな人にだけ
アイ アム ミスター・エド」
というオープニングソング。
1962年から1964年まで放映された日本でも人気のアメリカのホームコメディ。
私のお気に入りの番組で、欠かさず観ていました。


馬が人語を話す。これはドラマの世界。
でも、なんと馬語を話す人がいるのです。
その人の名はモンティ・ロバーツ(現在81歳)。


映画『モンタナの風に抱かれて』(ロバート・レッドフォード主演)のモデルとなった人で、その著『馬と話す男〜サラブレッドの心をつかむ 世界的調教師モンティ・ロバーツの半生』(徳間書店)は多くの人に読まれ、モンティ・ロバーツは日本に講演に来られたこともあります。


モンティは、調教したことのない野生馬をわずか30分で調教し、その背に鞍を乗せて人が乗れるまでにします。
その方法は、従来のような調教師が権威を持って鞭で馬を強制的に従わせるのではなく、馬の目線に立って馬の気持ちを理解し、馬と語り合いながら信頼関係を築き、馬が自分の方からモンティに従いたくなるように導くという画期的な方法です。



モンティ・ロバーツはひと言でズバリ、その調教の秘訣を語っています。
「どんな教師も、その気のない脳みそに知識を押し込むことはできない。教えるという一方的な行為は存在しない。あるのは、学ぶという行為だけだ」と。


学校や塾における教育、また家庭における親の子どもに対する教育において、従来の馬の調教のような脅しや強制、暴力などが日常的に行われていて、それによって生徒・子どもは勉強嫌いになっています。
さらに、教師の部活等における暴力的な指導により自殺・自殺未遂する生徒が全国で後を絶たず、平成に入ってからその数は60件余りに上ると言います。
馬でさえ、馬語を話すモンティ・ロバーツの愛情によって学ぶ姿勢が生まれるのならば、ましてや人間においておやです。


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力を全部出しきる

2016.09.21日
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小さな少年が田舎道をお父さんと一緒に歩いていました。
とても大きな樹の枝がふたりの前に立ちふさがっているところに出くわしたとき、少年は尋ねました。
「お父さん、あの大きな枝、ぼくにどけることができると思う?」
「もし、お前が力を全部出しきったら、きっとどけることができると思うよ」
そこで少年は力の限りを尽くして大きな枝を持ち上げたり、引っ張ったり、押そうとしましたが、どうしてもどけることができませんでした。
がっかりした息子は言いました。
「お父さん、残念でした。ぼくにはできないよ」
お父さんは言いました。
「もう一度試してごらん」
今回は、枝と格闘している息子に父親は手を貸して、ふたりは一緒に枝をどけることができました。
「おまえは最初、全部の力を出し切らなかったよ。お父さんに助けてと言わなかっただろう」


この話はとても大切なレッスンを教えています。私たちが自分の力だけでできないことはたくさんあります。でも、だからと言って「できない」というわけではありません。私たちの周りには家族や友人や、そして「信仰」など、目標を達成するのに助けとなるさまざまな手立てがあります。私たちはときにプライドや頑固さのゆえに、助けを求めることを怠ります。人の手を借りなければならないというのは弱さのしるしだと思うこともあります。さらに、助けを求めることを考えつかないことすらあります。どのような理由であれ、これは本当にもったいないことです。


私たちが持っている力を使い切ることは大切なことです。この中には自己鍛錬や勇気、そして愛といった自らの内側にあるものが含まれます。しかしそれだけでなく、外側にあるほかの手立ても含まれています。ちょうど私たちがほかの人たちを進んで助けるべきであるように、私たちもほかの人たちに進んで助けを求めるべきなのです。これが人間であることの素晴らしいことのひとつなのです。
マイケル・ジョゼフソン
(訳:舟田 譲二)


自分の力だけでやることが「力を全部出しきってやる」とは限らない。
人の力を借りることも、「力を全部出しきる」ことに含まれる。
なるほど、確かにそのとおりです。
そもそも私たちの持っている力なんてたかだかしれています。
素直に人に助けを求め、力を合わせて一緒にやることも「力を全部出しきる」ことのうちなのですね。


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「怒る」と「叱る」

2016.09.15日

少し前に、「怒りの原因」という記事を書きました。
そして昨日、その続編ともなる「正しい怒り方」について記しました。


「怒り」というのは、ある意味人間の本質にも迫るような大きな問題です。
この怒りが原因で、傷害事件や殺人事件から国と国との間の戦争問題にまで発展するのです。


さて、親子の間や上司と部下、子弟間、先輩・後輩間など、身分や立場上の上下関係においては、「怒る」ことと「叱る」ことがよく混同され、それがもとでさらに人間関係を壊しているケースがよくあります。


国語辞典の「怒る」の定義の中に、「叱る」という言葉を挙げているものもあるほどです。
1 不満・不快なことがあって、がまんできない気持ちを表す。腹を立てる。いかる。「真っ赤になって―・る」
2 よくない言動を強くとがめる。しかる。「へまをして―・られた」


しかし、「怒る」と「叱る」の間には、厳然たる違いが存在します。
「怒る」は基本的には上の定義にもあるように、「不満・不快なことがあって、がまんできない気持ちを表す。腹を立てる。いかる」、すなわち自分本位の心の中の不満の爆発、怒りをぶっつけるという意味合いが含まれます。
「叱る」は往々にして、「怒る」と同じ状況を生み出すからです。


しかし、「叱る」の本来の意味は、「目下の者の言動のよくない点などを指摘して、強くとがめる」です。
すなわち、怒りという心の中の状態を相手にぶっつけるという自分本位のものでなく、相手のことを考え、また相手が改善することを期待して「注意する」という行動を指しています。
ですから、「優しく怒る」ことは普通できませんが、「優しく叱る」ことはだれにでもできます。


ここで気をつけなければいけないのは、たとえいくら相手のことを思っての行為であっても、「怒り」の感情を相手にぶっつけて「叱る」なら、それは単なる「怒り」としか相手には受け取られないということです。
この点において、多くの人たちが過ちを犯しています。
とくに多いのが、親が子を叱るケースです。親が愛の行為から叱っているとしても、子どもは怒られているとしか感じません。
これでは元も子もありません。


正しく「叱る」コツは、
1.叱る前にひと呼吸おく
2.大声を出さず、冷静に叱る
3.叱るべきときに間髪を入れずに叱る
4.ねちねちとしつこく叱らない
5.的をひとつに絞って具体的に叱る
6.人前で叱らない
7.優しく叱る
8.相手が納得できるよう論理的に叱る


このように、怒らずに叱ることはだれにでもできます。


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正しい怒り方

2016.09.14日

"Anyone can become angry - that is easy. But to be angry with the right person, to the right degree, at the right time, for the right purpose, and in the right way - this is not easy."
--Aristotle
「だれでも怒ることはできる。じつに簡単なことだ。しかし、しかるべき相手に、しかるべきレベルで、しかるべき時に、しかるべき目的で、しかるべき方法で怒るとなると、これは簡単なことではない」
--アリストテレス
(訳:舟田 譲二)


アリストテレスについてはこれまで何度かこのブログの中で取り上げてきました。彼の名言の多くは私の波長と非常によく合い、一つひとつビンビンきます。
6年前に書いた記事、「幸福になる秘訣」は今読み返しても、「ふむふむ、なるほど」と我ながら感心する、アリストテレス特有の幸福論です。


今日の「怒り方」も非の打ちようのないほどずばり真理を突いた教えです。
多くの人が夫婦間、親子間、きょうだい間、子弟間、同僚間、上司部下の間等々で、この「正しい怒り方」の原則を守らないために、関係を壊し、下手をすると憎しみや嫉妬に発展したり、さらにこれがもつれると、傷害事件や殺人事件に、国と国の間では戦争にまで発展するのです。


さすが天才アリストテレス、正しい怒り方をじつに簡単明瞭に教えています。
「しかるべき相手に、しかるべきレベルで、しかるべき時に、しかるべき目的で、しかるべき方法で」怒るなら、その怒りは役目を果たします。
しかし、そこが人の弱いところ。ことごとくその正反対をしてしまうのです。
「怒るべき相手を間違えている」
「怒るべきレベルを超えている」
「怒るべきでない時に怒っている」
「目的を外れて怒っている」
「正しい方法で怒っていない」


だれかに対して怒った最後の時のことを思い出してみましょう。胸に手を当てて、正直に。
私たちのだれひとり、胸を張って自分は「正しい怒り方」をしたと言うことはできないのではないでしょうか。
正しい怒り方は問題解決につながりますが、怒り方を間違えるとかえって問題を複雑にしてしまいます。
このように、「怒ること」自体は簡単なのですが、「正しく怒ること」は決して簡単ではありません。
この次、なにかで頭にきて、怒りたくなったときには、ひと呼吸おいて上のアリストテレスの「正しい怒り方」を頭の中で復習してみましょう。


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明日の良い仕事のための最善の準備

2016.09.13日

"The best preparation for good work tomorrow is to do good work today."
--Elbert Hubbard (1856-1915)
「明日の良い仕事のための最善の準備は、今日良い仕事をすることだ」
--エルバート・ハバード
(訳:舟田 譲二)


エルバート・ハバードは19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍したアメリカの著名な教育者、著作家です。
セールスマンとして成功を収めた後、新しいキャリアを求めて40代はじめにそれまでの仕事をやめて大学で勉強を始め、その後会社経営をするかたわら、勤勉、質素な生活、積極的姿勢という独自の人生哲学を広めようと執筆活動をはじめました。
43歳のとき、わずか1時間で書き上げたという『ガルシアへの手紙』は、14年後には4000万部も印刷され、世界中の多くの人を啓蒙しました。


「幸せは日々の習慣で作られる」という名言も残していますが、
今日の名言
「明日の良い仕事のための最善の準備は、今日良い仕事をすることだ」
と同様、ハバードの勤勉な性格、生活態度から生まれた言葉です。


ここでは「明日の良い仕事」と言っていますが、これは仕事に限らず、親子関係を始めとするあらゆる人間関係に適用できますし、学生ならば勉学に、また健康や、人生そのものについてすべての人に当てはまります。
とどのつまり「ローマは一日にして成らず」なのです。
今日の一日をどのように過ごすかが、私たちの将来を決めます。


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心の中で人を裁いていると

2016.09.12日

"If you judge people, you have no time to love them."
--Mother Teresa – 1910-1997, Missionary and Saint
「心の中で人を裁いていると、その人を愛する余裕はありません」
--マザー・テレサ、修道女・聖人
(訳:舟田 譲二)


マザー・テレサについては「あなたの中の最良のものを」を始め、何度かこのブログでも取り上げてきました。


マザー・テレサはつい1週間前、カトリック教会で「聖人」として認定されました。
プロテスタントでは「聖人」という概念はありません。なぜなら聖書によると人はみんな同じ罪人だからです。
しかし、「聖人」であろうがなかろうが関係なく、病や貧困に苦しむ人々の救済に捧げたマザー・テレサの生涯と、彼女の謙虚な信仰の姿勢は世界中の人々から称賛され、マザー・テレサの残した数々の名言は今日も多くの人々に勇気と希望と力を与えています。
私もその恩恵に与かるひとりです。


冒頭の
「心の中で人を裁いていると、その人を愛する余裕はありません」
は私たちすべてに語られている言葉です。
私たちは例外なくみんな高慢な者であり、知らず知らずのうちに人を心の中で裁いています。
「裁く」とは、分かりやすい言葉で言い換えると、「その人の良し悪しを判断する」という意味です。
私たちはみんな「同じ穴のむじな」、似たり寄ったりです。
人を心の中で裁くことのできるような者はひとりもいません。
しかも、マザー・テレサの言うように、人を心の中で裁いている間は、その人に対する愛が自らのうちに欠けていて、自分も同じように神様から裁かれるからです。


聖書にも次のような言葉があります。
「隣り人をさばくあなたは、いったい、何者であるか」
(ヤコブの手紙 4:12)


「人をさばくな。自分がさばかれないためである」
(マタイによる福音書 7:1)


「だから、ああ、すべて人をさばく者よ。あなたには弁解の余地がない。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めている。さばくあなたも、同じことを行っているからである」
(ローマ人への手紙 2:1)


私たちもマザー・テレサに倣って、謙虚に人に仕える者となりたいものです。


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86,400秒分の1秒

2016.09.04日

"God gave you a gift of 86,400 seconds today. Have you used one to say 'thank you?'"
-- William Arthur Ward
「神様は今日、あなたに86,400秒という贈り物をくださいました。あなたはそのうちの1秒を使って『ありがとう』と言いましたか?」
-- ウィリアム・アーサー・ウォード
(訳:舟田譲二)


ウィリアム・アーサー・ウォード(1921-1994)はアメリカの教育学者、牧師、教師。
アメリカでインスピレーションナルな名言でもっともよく引用される人物の一人です。


よく引用される彼の有名な言葉に次のものがあります。
The mediocre teacher tells.
The good teacher explains.
The superior teacher demonstrates.
The great teacher inspires.
平凡な教師はただしゃべる。
良い教師は解説する。
さらに優れた教師は自らやってみせる。
しかし、偉大なる教師は生徒の心に火をつける。
(訳:舟田譲二)


これは本当に教育者として鏡にすべき名言中の名言です。
以前、山本五十六の有名な言葉をご紹介しましたが、これに通じる教えです(「ほめてやらねば 人は動かじ」)。


さて、今日の冒頭の彼の言葉
「神様は今日、あなたに86,400秒という贈り物をくださいました。あなたはそのうちの1秒を使って『ありがとう』と言いましたか?」
は、本当に耳に痛いです。


去る2月に「ありがとう」と「サンキュー」の反対語という記事を書きました。
「感謝する心」の反対は「当たり前と思う心」です。
私たちは、毎日毎日、数えきれないほどたくさんの素晴らしいプレゼントを神様からいただきながら、無意識のうちにそれを当たり前のものと思い、感謝するのを忘れてしまいがちです。
そのプレゼントの中でも最高のものは「時」です。だれでも公平に1日に86,400秒という時間を与えられています。
生きていること、時間が与えられていること、そんなことは当たり前だと思っているのです。
しかし、ウィリアム・ウォードは言っています。「86,400秒のうちの1秒でも使って『ありがとう』と言いましたか?」と。


人から何をしてもらっても当たり前。神様から数えきれないほどの恵みを毎日いただいても当たり前。
これは本当に私たちが陥りやすい罠で、なんでもかんでも「当たり前」と思っていると、「感謝する心」、喜びが生まれてきません。


まずは、86,400秒のうちの1秒を使って神様に「ありがとう」「感謝します」と言いましょう。
そして、次に、家族や友人など私たちの身の周りの人たちに同じく「ありがとう」と言おうではありませんか。
私たちが今日の一日生かされていることは、まさに神様のお陰、身の周りの人たちのお陰です。
みんながこのような思いで一日を過ごすなら、争いは止み、家族も、世の中も本当に平和になるでしょう。


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首が長〜く伸びます

2016.08.29日

昨日は本当に恵まれた一日でした。
7年前の「心身の休息とエネルギー充」という記事に登場していただいた中央大学時代の教え子、小島さんの息子さんのKくんが、高校の友達3人を連れて教会の礼拝に来てくれました。
Kくんは今、高校2年生。中学時代、藤沢からうちの塾に通ってくれていました。3年ぶりぐらいに見るKくんは背も大きく伸び、立派になっていてとても頼もしく感じました。
お父さんは、大学卒業後高校の英語教師をしていらっしゃいますが、今や50代で学校でも中堅というか、むしろ要職についておられ、校外でもさまざまな分野で大活躍していらっしゃいます。
小島さんには、大学卒業後30数年にわたって親しく家族ぐるみのお付き合いをさせていただいていて、お子さんたちの成長も見てくることができ、これほど嬉しいことはありません。
Kくんの通っていらっしゃる学校はミッションスクールで、毎朝講堂で礼拝があるとのこと。今回は、教会の礼拝を訪ねてその感想を書くという夏休みの宿題で友達を誘って来てくれたのでした。
礼拝後、茶菓を囲んで歓談のひと時、いろいろな話題に花が咲きとても楽しいひと時でした。
夜には、Kくんからお礼のメッセージが届き、お父さんも近いうちに会ってお話ししたいと言っています、と伝えてきてくれました。また、楽しみがひとつ増えました。


礼拝後、いつものように外で軽く食事をとって、近くの大きなスーパーに1週間分の食料品の買い出しに出かけました。
そこで、またまたびっくりするような出会いが。
「四半世紀の長きにわたって」成人英会話クラスに通ってくださっていたAさんとご主人にばったり7年振りにお会いしたのです。
お嬢さんも高校生の頃、教えていたのですが、もうご結婚してご家庭を持っていらっしゃいます。
上の息子さんのところのお孫さんが来年は上は大学受験、下が高校受験だそうで、年月の流れる速さに驚かされました。
ご夫婦ともに私のことを「全然変わっていない」とおっしゃってくださり、これもまた嬉しかったです。
しばらくスーパーの中で立ち話でお互いの近況報告。私のブログを見ていてくださるようで、長男と次男が結婚したこともご存じでした。
別れ際には、一度仲間みんなで集まって同窓会をしましょう、と。これもまた楽しみになりました。


あちらこちらで、このような昔の教え子(私よりもずっとご年配の方々も)との出会いがあり、これが今の私の「生き甲斐」と言ってはちょっとオーバーかもしれませんが、神様からのご褒美の瞬間です。
卒塾生で社会人になっている人たちからも、ときどきメールで「近いうちに友達と一緒に遊びに行きます」と言ってきてくれると、もうこれ以上伸びないというぐらい首が長〜く伸びます。
待ってますよ!


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他人の幸運を喜ぶ

2016.08.23日

"One of the sanest, surest, and most generous joys of life comes from being happy over the good fortune of others."
--Archibald Rutledge – 1883-1973, Poet
「人生において、もっとも健全、確実、かつ豊かな喜びのひとつは、他人の幸運を喜ぶところから来るものだ」
--アーチボールド・ラトリッジ、詩人
(訳:舟田 譲二)


アーチボールド・ラトリッジ(1883-1973)はアメリカのサウスカロライナ州生まれの教育者、詩人、作家。
著書も詩も、そして名言も数多く残しています。


今日の冒頭の名言、
「人生において、もっとも健全、確実、かつ豊かな喜びのひとつは、他人の幸運を喜ぶところから来るものだ」
は今日の社会に欠けているとても大切な教えのひとつのように思われます。
競争社会においては、人を蹴落としてでも自分が出世する、人よりも豊かになる、地位や名誉を築く等々に価値観が置かれがちで、いかにこれらを得るかであくせく働いているように見えてなりません。


このような社会においては、他人の成功や幸福を望むよりは、他人の不幸を望む人が多いものです。競合他社や商売敵が倒産すると喜ぶ、なんてあまりにもみみっちい、寂しいことじゃないですか。
このようなことをやっていて幸福になれるわけありません。
他人の幸運を、幸せを喜ぶこと、これほど安上がりで、しかも心身にとって健康的で、さらに自らに幸福をもたらすものはないでしょう。
逆に、他人に嫉妬したり、他人の不幸を願うことは、骨の腐りであり、心身の不健康につながり、結果自分の不幸につながります。


そして、これらは国と国との関係にも当てはまります。
敵対国と言わないまでも、政治・経済上の競争国を敵視して、その国の失敗や不幸を喜ぶなんていうのはあまりにも了見が狭いです。
もっと豊かな心の持ち主になりたいものです。これが、個人を、社会を、国を、世界を、全人類を幸せにします。
そもそも私たちはみんな兄弟姉妹ではありませんか。


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良い客と悪い客

2016.08.21日

 私は良い客だ。どんなひどいサービスであろうと、絶対にクレームをつけたりしない。
 レストランに入ると、ウェイターもウェートレスも世間話に夢中で、誰一人「ご注文は承っておりますでしょうか」と聞いてこない。あとから来店した一行に先に料理が出されることもあるが、そんな時でも私は絶対にクレームをつけず、黙って待つことにしている。


 何かを買おうと店に行く時も、私は店員のことを思いやる。横柄な店員は、何を買うか決めるまでいくつもの商品を見ていると腹を立てるが、そのような時でも私はできる限り礼儀正しく振る舞うことにしている。店員と同じように失礼な態度をとったほうがよいとは思わないからだ。


 先日、ガソリンスタンドに行くと、五分近く待たされた。ようやく対応に来ても、ガソリンは撒き散らす、油で汚れた雑巾でフロントガラスを拭くといったありさまだ。しかし、私はこのひどいサービスにもクレームをつけなかった。


 私は文句を言わないし、愚痴もこぼさないし、批判もしない。ましてや、一部の人たちがするように事を荒だてるようなことは絶対にしない。そんなことは余計なことだと思う。私は良い客なのだ。さらに、もうひとこと付け加えれば、私は二度と来ない客である。


 私はあまりにも強引な商売をされると、そこを立ち去って、良い客をきちんと評価してくれる、訓練された従業員のいる店に行って買い物することにしている。世間には、どんな店でも倒産させてしまう、私のような良い客がおおぜいいる。


 広告宣伝費を湯水のように使って顧客を呼び戻そうと躍起になっている会社をよく見かける。そんなことをしなくても、微笑みながらひとこと親切な言葉をかけ、良いサービスを提供しさえすれば、私を固定客にできるのに。


 あなたがどのようなビジネスに携わっていようと、店がつぶれそうだったり、会社の業績が悪化していたりするなら、私のような二度と来ない客が原因であることに気づいてほしい。

名もなき良い客


これは『お客様の心をつかむ 真実の瞬間』の著者が語っていることです。私の言葉ではありません。


私も基本的には不満があっても口に出さず、うちに収めておく「良い客」です。
ある時、レストランで運ばれてきた料理に髪の毛が入っていたことがありました。
黙ってその毛を取って食事することもできましたが、私はウェイターを呼びました。
ウェイターはなかなか来てくれませんでした。
ようやく来たウェイターに、まだ手をつけていない料理の中に入っている髪の毛を見せました。
ウェイターは「しらばくお待ちください」と言って、厨房に行き、その後なかなか戻ってきませんでした。
ようやく来て言いました。
「少しお時間をいただくことになりますが、お料理をお作り直しすることもできますが、そのようにいたしましょうか?」
私はこの返答に一瞬驚きましたが、そこでも決して怒りを表さず、静かに「そのようにお願いします」と答えました。
料理ができてくるまでかなりの時間がかかり、一緒にいた人たちはみんな食べ終わっていました。
ウェイターは「申し訳ありませんでした」のひと言も言わずに、料理を置いて立ち去りました。
それでも私はクレームをつけませんでした。そんなところで喧嘩するだけの価値がないと思ったからです。
あとで、お詫びにと言ってデザートをテーブルについていたみんなに持ってきてくれました。
私は丁寧にお礼をいいました。
しかし、そのレストランには二度と戻りません。
この店は私に見捨てられたのです。


でも、変化を期待できるところや変化してほしいところには敢えて「悪い客」(クレーマー)になります。
先日の記事、「すぐやるか?」をご覧になった方の中には、私のことを「クレーマー」と思っている人もあるかもしれません。
まあ、少なくとも件の市役所の担当者にとって私はクレーマーのように映っていることでしょう。ひょっとしたらブラックリストに乗っているかもしれません。
自分ではクレーマーとは思っていませんが、言うべきときにははっきりと、論理的に、冷静に相手が納得できるよう話します。


なぜそのような嫌われ役を敢えてするのか。妻などは放っておけばいい、と言います。
決して自分の主義主張を通したいから言っているのではありません。
ほかの人たちも迷惑を被っているし、自分が言わなければほかに言う人がいないと思うから、みんなの声を代弁して言っているのです。
また、同時に少しでも改善してもらうよう期待を込めて言っています。
つまり、見捨てていないのです。


なぜなら、私自身、冒頭のような黙って去っていき二度と戻ってこないような「良い客」は望んでいないからです。
むしろ、「悪い客」から適切で有用なアドバイスが欲しいのです。
聞くときには少々耳に痛いかもしれませんが、「善意のクレーム」によって改善したいと常に思っています。


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甘い実をつける苦い木

2016.08.14日

"Patience is a bitter plant that produces sweet fruit."
--Charles Swindoll, Pastor and author
「忍耐は、甘い実をつける苦い木だ」
--チャールズ・スウィンドル、牧師・作家
(訳:舟田 譲二)

「忍耐」「我慢」「辛抱」「根気」「試練」「努力」。
甘美な響きのある言葉ではありません。
できることならこれらのものは避けて、楽して、順風満帆で人生を送りたいものです。
ところがうまくできたもので、私たちの地上での人生、誰ひとりとして「忍耐」「我慢」「辛抱」「根気」「試練」「努力」を経験せずに済む人はいません。

「隣の芝生は青い」で、とかくよそはよく見えるものですが、どこにも必ずさまざまな問題や試練があります。

史上30人目となるメジャー通算3000安打という偉業を達成したイチロー選手しかり、オリンピックで素晴らしい結果を出している選手、また幸せな家庭を築く人たち、健康長寿の人たち、ビジネスで成功する人たち、みんな楽してこれらの結果を得ているわけではありません。


そこに至るまで、みんな一人ひとり努力しています。これらの結果は、上の「忍耐」「我慢」「辛抱」「根気」「試練」「努力」を経てきて結んだ「甘い実」です。


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「ありがとう」のひと言

2016.08.03日
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"Feeling gratitude and not expressing it is like wrapping a present and not giving it."
-- William Arthur Ward, Scholar
「感謝してはいながらその気持ちを表現しなければ、それはプレゼントをラッピングしておいて相手に渡さないようなものだ」
-- ウィリアム・アーサー・ウォード、学者
(訳:舟田譲二)


ウイリアム・アーサー・ウォード(William Arthur Ward, 1921-1994)は、米国ルイジアナ州出身で、メソジスト教会監督や日曜学校校長、信徒リーダーなどを務めたほか、いくつかの大学で教え、リーダーズダイジェストなどのコラムニストとしても活躍していました。
彼が残した名言は、今日でもアメリカでもっとも多く引用されていると言われます。


さて、感謝していながらその気持ちを素直に表せない人がとても多いです。日本人にその傾向が強いように思われます。
外国の人の場合はちょっとオーバーすぎるほど言葉だけでなく、顔の表情やジェスチャー、ハグしたりなど、全身で感謝の気持ちを相手に伝えます。
そのアメリカですら、ウィリアム・ウォードが人々にもっと感謝の気持ちを表すようにと勧めているぐらいですから、ましてや私たち日本人においておやです。


日本人の場合、とくに夫婦間や親子間など家族の間で、「ありがとう」というひと言が出てこないことが多いように思いますが、いかがでしょうか?
以前、「ありがとう」と「サンキュー」の反対語という記事を書きましたが、「ありがとう」の反対語は「当たり前」です。
つまり、人に何をしてもらっても「当たり前」と思う傲慢な心です。確かに何でも当たり前と思っていると、「ありがとう」という感謝の気持ちは起きてこないですよね。


いくら感謝していると言っても、その気持ちを表現しなければ、「プレゼントをラッピングしていながらそれを渡さないようなもの」で、これでは元も子もありません。
私たち日本人は、もっと素直に感謝の気持ちを相手に伝えられるようになりたいものです。
それも、とくに家族など身近な人たちに。


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健全なセルフイメージ

2016.07.31日

子どもの頃、私のセルフイメージはとても低かった。妹はとても可愛くて、頭がよく、性格はおっとりしていて愉快で、みんなから愛されていた。私が2歳のとき妹が生まれてきて、両親の愛情を私から「奪って」しまったので私はおもしろくなかった。そこで、私は自分のうちになにか人から愛されない原因があるに違いないと思うようになった。次に私は怒りっぽくなって、無意識のうちに人を遠ざけるようになった。


両親は愛情深く、妹と私を差別などしていなかった。しかし、両親が妹により多くの時間を割き、かまっているように見えたので(小さい子どもだから当然のことだったのだが)、私は妹ほど大切な存在でもなければ、価値もない人間だと思うようになった。


これがこの後25年間におよぶ「劣等感」の始まりだった。私は自分が愛されるに値しない者、価値のない者、ほかの人たちのように能力のない者だと思うようになった。そして、これが自己成就的予言となった。私はどのようにして友達を作ったらいいのかわからなかった。だから小学生時代はほとんど孤独な時を過ごした。中学高校生になってほんの少しはよくなったものの、自分のうちに人に与えられるものなどないと思っていたので、友達はあまりできなかった。


成人してからも本当に辛い日々を過ごしていた。しかし、いくつかの成功体験とおして私は自分自身を見つめ直し、思っていた以上のものがあるかもしれないと気づき始めた。


私は自分を注意深く見つめ、子ども時代のことから解放されて、自分が何者であるかがわかり始めてきた。自分はこれでいいのだ、自分のうちにも人に提供できるものがたくさんあることに気づいた。30代になる頃には、他人の評価によって自分が何者か決まるわけではないということもわかってきた。自分が何者であるか、そして自分に愛される価値があるということは自分しか決められないことだとわかった。


自分次第だということがわかったとき、私は自分を評価し直し、ほかの人たちと同じように、自分は愛される価値のある、かけがえのない存在で、能力があるのだと結論づけた。自分はユニークだという点においてみんなと違っていて(私たちはみんなそうなのだが)、そしてそれ自体素晴らしいことなのだ。また、ありのままの状態で私は良い人間だということにも気づいた。


かと言って自分が「完璧だ」というわけではない。そもそもそんなものは存在しないのだ。「完璧」の定義は、私たち自身にかかっている。それで、私こそ「完璧な私」だということがわかった。これは別に成長の余地がないという意味ではない。さまざまな困難や不完全なことがあっても、私は自分自身を愛し、感謝することができる、という意味である。他人に関係なく私には価値がある。もし何らかの理由によって、人々が私と同じように感じなかったとしても、それは彼らの問題であって、私の問題ではない。


私は自分の価値を認めなかったときには人生がどれほど苦痛であったかを今でもよく覚えている。私の今の目標は、他の人たちがかつての私と同じあの苦痛を感じなくていいよう、サポートすることだ。


肯定的なセルフイメージを持っている人は、人生においてどのようなことが起こってもよりうまく対処できるということを見てきた。自分の内に価値があると感じていたら、たとえさまざまな困難やトラウマがやってきてもうまく対処できるし、そこから前進することもできる。自分を愛し、受け入れることができない人にとっては、あらゆることが苦しみに感じられるものだ。


もしあなたが自分の内に疑いを持っているなら、自分の古い信念を再評価する時間を取って、あなたはこれまでもずっと驚くような素晴らしい人物であったことを再発見してもらいたい、と私は願っている。
これは必ずやあなたの人生を変えることになるだろう。


サンドラ・アベル、ベストセラー作家、スピーカー、カウンセラー、ライフ・ビジネスコーチ
(訳:舟田 譲二)


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知的障害者福祉施設で起きた事件に思う

2016.07.29日

"In helping others, we shall help ourselves, for whatever good we give out completes the circle and comes back to us."
--Flora Edwards - Author
「他の人を助けることによって、私たちは自分自身を助けることになります。というのは、たとえどのような善意を施しても、それは回り回って自分に戻ってくるからです」
--フローラ・エドワーズ、作家
(訳:舟田 譲二)


去る7月26日、神奈川県相模原市緑区の知的障がい者福祉施設「津久井やまゆり園」で19人が刺殺され、26人が重軽傷を負うという痛ましい事件が起きました。


「知的障がい者はこの世にいない方が世のためだ」という、独りよがりの異常な妄想によって引き起こされた事件のようで、世界を震撼させました。
これは、最近外国で頻繁に起きているテロ事件と本質においてまったく変わらず、独善的な行為で、世界平和などたとえどんなに立派な主義・主張を唱えても決して許さるべき行為ではありません。


世間ではよく次のように言われるのを耳にします。
「人にしてほしくないことはしてはいけない」
確かに、上の事件の犯人にしても、またテロリストたちにしても、同じことを自分にされたら嫌なはずです。
憎しみや暴力行為は、またそれを引き起こすという負の連鎖を生むだけです。


しかし、本来「人にしてほしくないことをしてはいけない」ではなく、
「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」
(マタイによる福音書 7:12)
であるべきです。
憎しみや復讐に打ち勝つ唯一の道は、自ら進んで人に善をなすことです。
これによって正の連鎖が始まり、自分のところにも善が戻ってくるのです。


「一寸の虫にも五分の魂」で、蚊や蟻ですら自分の命に危険が迫ると必死で逃れようとしますし、死ぬ時には苦しみます。
ましてや人間においておやで、自分の価値観で他人の生命を軽んじたり、ましてやそれを奪うことなど絶対に許されません。
亡くなられた方の恐怖、苦しみ、またそのご家族の方の悲しみ、辛さを思うと心が張り裂けそうになります。


教育の原点は、まさに人の生命の尊厳を教えることにあるのではないでしょうか。
単に勉強ができる、テストでいい点が取れる、いい学校に進学する、などが教育の目的ではないはずです。
オウム事件の時もそうでしたが、テロリストたちは概して高学歴の人たちが多いようです。


学問よりも学歴よりも何よりも、人の生命を大切にすること、そしてその中には当然のことながら自分の生命も含まれるということを家庭で、そして初等教育で徹底して教えるべきだと思います。


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失敗したくなければ

2016.07.21日

"Keep on going and the chances are you will stumble on something, perhaps when you are least expecting it. I have never heard of anyone stumbling on something sitting down."
--Charles Kettering - 1876-1958 - Inventor
「前進し続けなさい。そうすればまず間違いなく何かにつまずくことでしょう。それも予想もしないような時に。座っていてつまずいた人の話など聞いたことありません」
--チャールズ・ケタリング、発明家
(訳:舟田 譲二)


チャールズ・ケタリングの名は日本ではそれほど知られていませんが、アメリカでは知る人ぞ知る、という大発明家です。
農民からスタートし、教員、メカニック、エンジニア、科学者、発明家、社会哲学家と活動の幅を広げていきました。
300以上の特許を取りましたが、その中でも今日、私たちがその恩恵にもっとも浴しているのは、自動車のセルモーターです。それ以前は、みんなこんな感じでクランク棒を回してエンジンをかけていたのです。


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冒頭のケタリングの名言は説明するまでもないでしょう。
発明家として大成功を収めましたが、エジソン同様、その陰では幾多の失敗も重ねています。
そもそも、失敗なしの成功などあり得ないのですから。失敗を恐れる必要などこれぽっちもありません。
いつも言うことですが、これは仕事に限らず、勉強でも、人間関係でも、子育てでも、ありとあらゆることに通じます。


ケタリングはまた、上の言葉を別の表現でも語っています。
「この世の中には最初からうまくいくものなどほとんどない。成功へと至る道では、失敗、それも度重なる失敗が道しるべとなる。失敗したくなければ、何もせずじっとしているほかない。試行錯誤を重ねながら、成功を目指して一歩一歩前進していくことが大切だ」


心しておきたい教えです。


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学院長、カッコいいよ!

2016.07.20日

ちょうど6年前の記事の再録です。
今や大学2年生になった、今日の話の中に登場するS君、今頃どうしてるのかなぁ...


多分2か月ぐらい前からだと思うのですが、中2の男子生徒が私の顔を見るたびに、
「学院長、カッコいいよ!」
と言うのです。
初めのうちは冗談と受け止めて、
「ありがとう。みんなそう言うよ」
と冗談で返していたのですが、最近段々とエスカレートしてきました。
一昨日はついに何人かが私のことを
「学院長、カッコいい。ニコラス・ケイジみたいだよ」
と言うのです。
まあ、ほめられて気分悪くはないのですが、ちょっと気になることがありました。
みんなニコニコ(というかニタニタ)しながら言うのです。
しかも、よく聞いていると、
「ニコラス・ケイジ」ではなく、「ニコラス刑事」と聞こえるのです。
どうもかつがれているみたいです。
そこで
「もういいよ。冗談は」
と言ったら、
「真面目に、カッコいいっすよ!」
とS君が言うのです。
「真面目に」というのは、いわゆるこれまでの「まじで」の新しいバージョンのようです。


正直、私は自分がカッコいいなどと思ったこともありません。
ましてや、中学生の男子から「カッコいい」なんて言われる覚えもありません。
しかし、誰でも「カッコ悪い」とか「ブスだ」とか「バカだ」とか「うざい」とか言われるよりも「カッコいい」と言われるほうが、たとえ冗談でも気持ちいいものです。
それで私もS君に「学院長、カッコいいっすよ!」と言われたら、「Sもかっこいいよ!」と言い返すことにしています。


先日、バス送迎をしているとき、Rちゃんに
「◯◯ちゃんのお母さんがRちゃんのことをとてもいい子だってほめてたよ」
先生も本当にRちゃんはいい子だと思ってる」
と言ったところ、
「全然そんなことないですよ」
という返事が戻ってきました。
もちろん謙遜しているのです。
そこで私は
「オーケー、じゃあ、◯◯ちゃんのお母さんに、Rちゃんは全然いい子じゃないですよ、って言っておくね」
と冗談で言って、
「でも本当にいつもいろいろありがとう。Rちゃんにはとっても感謝しているよ」
と付け足しました。
Rちゃんはニッコリ笑って、元気よくあいさつしてバスを降りました。


人間、誰でもほめられると嬉しいものです。
「ブタもおだてりゃ木に登る」と言うぐらいですから。
それなのに、みんな人のことをあまりほめないのは一体どうしてでしょう。
耳にするのは批判的な悪い言葉ばかりです。
そしてお互いに傷つけあっています。
みんながお互いに相手のいいところを見つけて、それをほめれば人間関係はもっとうまくいき、みんなが幸せな気持ちになり、人生が楽しくなるのに。
教師は生徒を、親は子どもを、夫は妻を、妻は夫を、兄姉は弟妹を、同僚同士で、友達間で、上司が部下を、部下が上司をもっとほめるようになったら、みんなもっともっと素晴らしい人間に成長していくと「真面目に」思うのですが。


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ビジネスのエッセンス

2016.07.19日
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徳川幕府の末期を支えた幕臣・勝海舟は、明治維新の後、1899年(明治32年)まで生きた。晩年の時事談議をまとめた「氷川清話」の中で、勝は塚本定次という商人を、「田舎にはまだ感心に本気の人が居る」と大いに称賛している。


塚本は、思わぬ利益を得た時には、自分でため込まず、従業員に分配したり、学校に寄付したりする。所有する荒れ地には、桜を植えて近隣住民を楽しませたという。


塚本は、いわゆる近江商人の一人だ。今の滋賀県を拠点とした商人たちは全国に商いを展開し、江戸時代に大いに栄えた。塚本の言動に見るような利他的な家訓が、近江商人の家には数多く伝わっている。例えば中村治兵衛宗岸そうがんという商人は18世紀半ば、後継ぎとして孫娘の婿に迎えた15歳の青年にこんな書き置きを残した。
「皆人よき様にとおもひ、高利望み申さず、とかく天道のめぐみ次第と、只ただそのゆくさきの人を大切におもふべく候」
自分だけが大きな利益を得ようと思わず、取引先の人々を大切に思いなさい、と丁寧に説いている。


 近江商人は、近江を本拠に、地方に支店を出して、互いの特産品をそれぞれの土地に届ける、現代の商社のような機能を果たしていた。


 「彼らは他国に出かけていって商売をした。行った先の地域社会に支持されなければ、商いは成り立たないと知っていました」。長年、近江商人を研究してきた末永國紀くにとし・同志社大名誉教授は話す。
 薄利でよい、誠実に働け。理想論にも見えるけれど、「ひとかどの商人は似た言葉を残しているし、引き継げなかったところは滅んでいる」(末永名誉教授)。持続可能な経営のための知恵だったのだろう。


 そんな近江商人の哲学を、後世の研究者が集約した言葉が「売り手よし、買い手よし、世間よし」、通称「三方よし」。近年は、企業の社会的責任の源流と注目を受けている。


 近頃、あちこちで大企業の幹部が謝罪する姿を目にするにつけ、買い手や世間を軽んじた商いは、結局は長続きしないのだと痛感する。
(7月17日付 読売新聞 日曜版 「[名言巡礼 繁栄をもたらした利他精神]近江商人の商売の心構え…売り手よし、買い手よし、世間よし」より)


私は大学卒業後もいくつかの学校で学び、最終的に卒業して仕事に就いたのは34歳の時。
もちろんそれまでにも仕事はいくつもしてきましたが、自立して本格的に始めたのはこの時です。
キリスト教会牧師、英会話学校講師、大学講師、企業のサラリーマンと、四足の草鞋(わらじ)を履くという忙しさでした。
そしてその後、これらすべてをやめて自分の英会話学校、学習塾の仕事を始めました。
30年あまりになりますが、自分ほど商売に向いていないものはいないというほど、こと商売に関しては本当に下手です。
ただ、ここまでやってこれたのは、父から仕込まれた上の近江商人のサービス精神に負うところが大きいです。
私は儲けを度外視して一生懸命人に仕えることに徹してきました。
その結果、今日があります。
勝海舟が称賛したという近江商人の精神こそが、日本が世界に誇るビジネスのエッセンスではないでしょうか。


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えっ、10倍の結果が出る!?

2016.07.18日

"When I was young, I observed that nine out of 10 things I did were failures, so I did 10 times more work."
-George Bernard Shaw, Writer and Critic
「私は若かった頃、やったことの10のうち9つは失敗だったことに気づいた。そこで、私は10倍の仕事をした」
--ジョージ・バーナード・ショー、作家・批評家
(訳: 舟田 譲二)

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ジョージ・バーナード・ショーはイギリスで19-20世紀に活躍したアイルランド出身の劇作家、劇評家、音楽評論家、政治家、教育家。1925年にはノーベル文学賞を受賞していますが、日本では一般の人にはなじみが薄いです。日本での夏目漱石のように外国では知らない人がいないというほど有名な人物で、非常にユニークかつ辛らつな批評家としてもよく知られています。


バーナード・ショーが言った有名な言葉で次のようなものがあります。
「健全な精神は、健全な肉体を産む」 (The sound body is the product of the sound mind. )
あれっ、と思われたかもしれません。普通のことわざでは、
「健全なる精神は健全なる身体に宿る」 (A sound body in a sound mind.)
で、まったく逆のことを言っているのですが、私はずっと前からバーナード・ショーの言っている前者の方が正しいと思っています。


さて、今日の冒頭の言葉ですが、彼のような優秀な人でさえ若い頃は10のうち9つは失敗していたというのですから、我々においておやです。
ここで彼は10倍の仕事をしたと言っています。確かに10のうち9つ失敗していたとしたらそれを取り戻すために10倍余分に働かなければなりません。そして、それを実際に行ったのが彼、ジョージ・バーナード・ショーです。死後66年たっても全然人気が衰えず、常に世界中で多くの人々に読まれ、劇が演じられ、また名言が引用されているのも、まさに「さもありなん」という感じです。


今日の言葉はもう何もつけ足す必要がないほどはっきりしているのですが、ちょっと違う観点から生徒、学生に注意を促したいと思います。なぜなら、私自身がかつてそうでしたから。
学生ならば10倍余分に勉強することにも方法や理屈というものがあるのです。
よく中学生や高校生を見ていると、試験で間違った英単語や重要人物名や漢字などをノートいっぱいに何度も何度も、それこそ1ページがいっぱいになるまで書き直し、覚える作業をしている子がいます。
それで、その子に再度同じ問題を出してテストすると、はたしてまた同じ間違いを犯すのです。
これは、10倍やれば身につくだろうという安直な考え方によって、繰り返しの作業をただ機械的にやっているからです。


物事にはなんでも論理というものがあります。その論理をしっかり理解しなければたとえ100回やっても身につかないのです。
このことを生徒に教えるのですが、頭から勉強は「嫌なもの」「しなければならないもの」という考え方をしているので、いつまでたっても身につきません。
逆に、「なぜだろう?」という疑問をもって、その疑問を解決しようという姿勢があるならば、10回やらなくてもたった1回で完ぺきに身につけることさえできるのです。
このようなことを生徒に伝え、勉強の正しいやり方を教えたかったので塾の仕事を始めた、と言っても過言ではありません。


上に学生の勉強について述べましたが、実はこれは一般の人たちの仕事や料理や家事、育児、さらには人間関係など、ありとあらゆることに通じる真理です。
バーナード・ショーはただがむしゃらに10倍働いたのではなく、その理屈を知ったうえで10倍の仕事をしたからこそ成功を収めたのです。
ここに成功する人としない人の差があります。


嘘だと思ったら試してみてください。
理屈を知ったうえで10倍の勉強なり、仕事なり、あるいは素敵な人間関係を築く努力をしてみてください。
自分でも驚くような結果が出ます。


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目標設定の真髄

2016.07.15日

"I don't think there's any such thing as setting your goals too high. The higher you set your goals, the more you are going to work. If you don't reach them, then it's okay, just as long as you set it and then give 100% of yourself."
-- Dan Jansen, Speed Skater
「目標の設定が高すぎるなどというとことはありません。目標を高く設定すればするほど人は一生懸命頑張ります。目標を達成できなかったとしてもそれはそれでいいのです。目標を設定し、それに向けて100%力を出し切っている限り」
--ダン・ジャンセン、スピードスケーター
(訳:舟田 譲二)


初めこれを読んだ時、さすがいつも記録と競い合っているスピードスケーター、言うことが違うと思いました。


ダン・ジャンセンは世界のトップスピードスケーター。
1985年のサラエボに始まり、常に金メダル候補と言われながら、金メダルを取ったのは最後のチャンスとなる29歳の時のこと。10年越しの金メダルを取った人の言う言葉には重みがあります。



でもよく考えてみたら、これってスポーツ選手に限らず私たちみんなに当てはまることだと気づきました。たとえそれがどんなことであっても。


家庭のお父さんなら仕事に、と普通考えますが、仕事に限らず家族を始めとするさまざまな人間関係においても。健康管理や趣味においても。


お母さんも同様。今は外で仕事をしていらっしゃる方が多いですが、仕事のほか食材の買い物、炊事洗濯掃除などの家事、子育てなど一般にお母さんの仕事と考えられていることに限りません。
お母さん同士の、あるいはお友達との人間関係において、また趣味や気分転換となるさまざまな活動においても、やはり高い目標を設定すればそれだけ達成できるものも多くなり、満足感、幸せに、生きがいにつながります。


子どもの場合、もちろん第一には勉強、じゃなくて友達との遊びや人間関係や部活などのスポーツなどでしょう。
多くの子どもたちから嫌われている勉強ですが、今やっている勉強が自分という人間を作り上げていき、さらには将来の人生につながると思えば、勉強に対する考え方や取り組む姿勢も変わってきます。


ですから、我々大人が、教師や親がそのことを子どもたちに伝える務めがあります。
ある塾のチラシに、
「勉強はつまらないし、辛いもの。でも、学生の間は歯を食いしばってこの時を耐え忍ばなければならない」
と書いてありましたが、とんでもないことです。
教育者自ら「勉強はつまらないし、辛いもの」なんて刷り込みをしていたら、子供たちは勉強嫌いになって当たり前です。


でも上に挙げたことをするためには、冒頭でダン・ジャンセンが言っているように、目標を設定することが大切なのです。
それもできる限り高めの目標を(高すぎて不可能なものは逆効果)。
たやすく達成できるような目標は目標とは言いません。なぜなら達成できても喜びもなければ、達成感や満足感も得られませんし、自分自身にとってなんら益するところがないからです。
さらに、高めの目標を設定すれば、普通だったら達成できなかったような高い目標が達成できるのですからなおさらいいじゃないですか。


そして、万一高めに設定した目標が達成できなかった場合でも損をしたというようなことは絶対にありません。
自分はそれだけ成長したわけですから、必ずや満足感が伴い、さらには今後に向けてさらに頑張ろうという新たな目標が生まれます。


私自身も今、新しい目標に向けて日夜(笑)一生懸命取り組んでいます。
かなり高い目標ですが、それに向けて努力すること、100%自分を出し切るところに意義があるのですから。
ただし何事も無理は禁物。
「ノー天気な」一生懸命で目標に向けて共に頑張りましょう。


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あなたも北極星!

2016.07.07日
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「私たちひとりびとりは、だれか他の人にとって、北極星のような存在である。だれも、ある人の代わりになってその人自身の生活をすることはできない。そのような意味において、私たちひとりびとりは、それぞれ自分自身の生活に責任を持たなければならない。しかし、もし私たちが、自分の理想や、愛する者たちが私たちに対していだいている希望にはるかに及ばないような生き方をするならば、私たちは、自分自身を傷つけるだけでなく、また、だれかの北極星を空から落とすことになるのである」
(『山頂をめざして』 p.469 L・B・カウマン著 いのちのことば社)


そうです。私たちはみんな、ひとり残らずだれか他の人にとって、北極星のような存在、すなわち絶対に必要な存在なのです。
赤ん坊からお年寄りまで、ひとり残らずみんなです。
自分など生きていても何の役にも立たない、自分の人生に意味なんかない、自分がこの世にいてもいなくても何も変わりない、などと人はよく考えがちです。
日本はとくに自殺(自死とも)する人の数が多く、年間30,000人にも及びます。ざっと毎日100人近くの人が自殺しているということになります。
自分の生きている価値や目的がわからないと、困難や試練、苦しみにぶつかると死にたくなることがだれにもあります。


これまでこのブログで何十もの障がい者に関する記事も書いてきましたが、そのどれもこれも否定的・悲観的なものではなく、積極的・肯定的なものばかりです。


ニック・ブイチチさんのこと(「自分には◯◯できない」)、全盲のジム・ストーヴァルさん(「盲目にならなくても見える!」)、リジー・ベラスケスさん(「頑張れ、リジー!」)、マレーシアの全盲のほか、頭蓋骨・脊柱奇形といういくつかの障害を持って生まれてきたコリンくん(「生き甲斐」)、また障がい者でなくても、携帯電話のセールスをやっていてみんなから無能と思われていたポール・ポッツさんのこと(「ダイヤモンドの原石」)等など、挙げ出せば切りがありません。


これらの人たち一人ひとりに共通すること、それは自分に与えられた役割、使命に気づいたということです。
神様はこの世に私たち一人ひとりを生み出す時に、その人にしかない大切な役割、使命を一人もれなく与えてくださっているのです。
自分自身の快楽のために生きるのは虚しいことです。でも、ほかの人の北極星(道しるべ)となるために生きることには本物の生き甲斐があります。
あなたもだれかの北極星なのです。それを空から落とさないようにしましょう。


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リッツ・カールトンのサービスとは

2016.07.05日

昨日の記事「サービスの精神」の中に登場したリッツ・カールトンについてはこれまでこのブログで何度か書いてきました。
「サービス」という言葉は、日本では「無料で◯◯がもらえる」といった意味で使われることが多く、それをサービスだと思っている人もたくさんいますが、もともとは「仕える」「奉仕する」という言葉から生まれたものです。
「総理大臣」や「大臣」を意味する英語の minister という言葉も、元来は「仕える僕」「公僕」です。
先日問題になった都知事もそうですが、どうやら日本では「大臣」とか「知事」「市長」「公務員」などは、自ら「偉い人」だと勘違いしているようなきらいがあり、人に「仕える」より「仕えられる」ことを好む人たちがなるようです。
ちなみに、キリスト教会の牧師も英語では同じ minister という言葉で表されますが、やはり同じく「仕える人」という意味です。(もうひとつ牧師に当たる言葉の pastor は「牧会者」という意味で、「羊飼い」からきています)
私個人は、この「仕える」という意味の「サービス」が好きなようで、試しにこのブログページの左上コーナーにある「エントリー検索」に「サービス」と入力すると、サービスという言葉を含む記事が数十ヒットします。
今日は、サービスの代名詞のように使われているリッツ・カールトンについて書いた7年半ほど前の最初の記事をご紹介したいと思います。


皆さんは、「サービス」というとどんなイメージを持ちますか?
価格あるいは料金以上の価値あるもの、といった感じでしょうか?


私は常々、アカデミー学院の売りはこの「サービス」だと思っています。
問い合わせのお客様が見えたとき、塾の説明をしますが、そのときに強調するのが「サービス」です。
他塾以上のサービスをたくさんつけるよう心がけています。


たとえば、小学部のディズニーランド遠足、クリスマス会。親が忙しくてなかなか子どもをディズニーランドに連れて行けない、そのような方々のために私たちが1日親代わりのようになって子どもたちを連れて行きます。子どもたちは友達と一緒なので、家族と一緒のときよりも伸び伸びとさらに楽しむことができるようです。クリスマス会では、ほかでは経験できないキャンドルライトサービスや英語の賛美歌合唱、子どもたちの楽しめるゲームをやったり、ケーキやお菓子、ジュースなどのリフレッシュメントのほか、プレゼントも子どもたちにあげます。みんな、子供会のクリスマス会よりずっと楽しいと大満足してくれます。


中学部では、入塾前の1か月無料体験、季節講習無料体験、集団指導と個別指導の自由な組み合わせ、バス送迎、年間300時間を超える無料補習、期末テスト前の音楽・美術・保健体育・技術家庭の技能4科の対策授業、年間通じての無料英検対策授業、他塾にない30万題におよぶデータベースシステムの活用、ご家庭に毎月送付する家庭成績通知表、バーベキュー大会、夏合宿、映画会などのイベント、等々このほかにも生徒やご父母の方々に喜んでもらえること、役に立つことは何でもやろう、という感じです。
先生達もみんなサービス精神満点です。生徒のために徹夜で、わかりやすい楽しい教材作りをしたり、生徒の通う学校の体育祭や文化祭に行ったり、生徒のいろいろな相談にのったり、と。


しかし、サービスの本質は実は、「〇〇をする」とか「◇◇をあげる」とかではなく、お客様を大切にするハートです。
2年半前の誕生日に長男から1冊の本をプレゼントしてもらいました。
『リッツ・カールトンが大切にする サービスを超える瞬間』というタイトルで、リッツ・カールトンという一流ホテルの日本支社長が書いたものです。


最初この本を見た瞬間、これはあまり自分には関係ないな、という印象を受けました。
表表紙を開いたところに息子が次のように書いていました。
「パパへ
父の日と誕生日、おめでとう。そしていつもどうもありがとう。
家族をはじめ、誰に対しても既にサービス精神いっぱいのパパだけど、
これからもますますそこに磨きをかけて、人間関係の達人になってください」
これを読んでジーンと来て読み始めました。
すると、読み進むにつれて感動で胸が震えるようになりました。教えられることの多い、最高の書物の1冊になりました。そしてそれ以来、何度も読み直し、その都度また新しいことを教えられています。


本の中にはいろいろなことが書かれていますが、エッセンスをひとことで言うと、
「お客様が期待していない、予期していないことをする、おもてなしの心」でしょうか。
これは、仕事のみならず、すべての人間関係にも通じることで、だれが読んでも多くのことを教えられる良書です。皆さんにもぜひ一読をお勧めします。


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自分にしてもらいたいこと

2016.07.01日

 数年前、私はある電話会社のコマーシャルに出演を依頼された。スーツを新調しようとニューオーリンズ郊外にある自宅近くの衣料品店に行ったところ、幸運にも販売員のフレッド・オーバートと出会った。自己紹介し、自分が探しているものについて相談すると、フレッドはたいへん親身になってくれた。それ以来、私はずっと彼の固定客だ。
 

 フレッドはまず私の話にじっくり耳を傾けてくれた。私がカメラの前でどんなイメージを希望しているかをよく知るため、彼はコマーシャルについて質問したうえで、細い縦縞の入った濃紺のスーツを推薦し、寸法を測った。私はそのスーツを買い、これでやっとコマーシャルの準備が整ったと思った。


 しかしその後、会社側から「コマーシャル撮りに使うセットの背景が暗いので濃い色のスーツは合わない」と言われ、私はグレーのスーツを探すために再びフレッドのところに行った。すると彼は、「そういう事情でしたら、濃紺のスーツを引き取りましょう」と言ってくれたが、私はそれが良いスーツで手放したくなかったので、そのまま自分のものにした。しかし、フレッドの店にはグレーのスーツがたくさんあったものの、どれもコマーシャルの雰囲気にぴったり合わない。フレッドは強いて自分の店のスーツを売りつけようとせず、競合店へ行くよう私に勧めたので、行ってみると、そこでイメージにぴったり合うスーツが見つかった。このことでフレッドは販売のチャンスを逸したが、私の信頼を得た。

(中略)

 以前、フレッドの上司はこう言った。「彼は絶対に顧客を失わない。彼の顧客は、引っ越すか死ぬかしない限り、生涯にわたって顧客であり続ける」。しかし、この発言は少しだけ事実と異なる。その後、私は遠方に引っ越したが、スーツはいまでもフレッドから買っている。

(中略)

 彼は私を説得して、グレーのスーツを買わせることもできたかもしれない。しかし、私が本当に必要としているかどうかもわからない商品を買って店を出ていってほしくなかった。だから、競合店を紹介したのだ。しかし、私はそれ以来、その競合店ではスーツを一着も買っておらず、フレッドの店では何着も買っている。売れば販売につながるが、買うのを手伝えば顧客の獲得につながるという証しである。
(マイケル・ルボーフ著 『お客様の心をつかむ真実の瞬間』 ダイヤモンド社 p.15-19)


今読んでいる上掲書は、ビジネスのバイブル、さらに言えば人間関係などその他すべてのことに通じるもっとも大切なことを教えてくれる本です。
私も普段から仕事をするときに、また生徒や生徒のご父母と接するとき、塾で働いてくださっている人たち、友人、親族などすべての人にこの精神を忘れず接するよう努めています。
これも「父の日」に書いたように、父から教わった大切な教えです。


そして、その原型が本の中の本と言われるバイブル(聖書)にあります。
「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい」
(マタイの福音書7:12)


みんながこのような精神で生きていたなら、人間関係の衝突や、恨みや憎しみ、復讐、争いごとなど世の中から消えてしまうことでしょう。


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真実の瞬間

2016.06.29日

先日の記事「もっと楽に生きるコツ」は、結構多くの人が抱えている問題に対する解決法だったようで、少しでもお役に立てることができていれば幸いです。


さて、この記事の中でご紹介したマイケル・ルボーフさんの有名な著書『お客様の心をつかむ真実の瞬間』を早速読み始めていますが、素晴らしい本でぜひ皆さんにもお薦めしたいと思います。
ビジネスについて書かれたバイブルのような本ですが、人間関係のバイブルとも言えます。
その中からひとつをシェアします。


「顧客に対してほぼ確実に良い印象を与える基本戦略がある。それは、顧客のセルフイメージを高める手助けをしてあげることだ。そうすれば、顧客はあなたのことが好きになる。
新婚ほやほやのジェーンが、友人と昼食を共にしながら、なぜボブではなくビルと結婚したのかを説明している。
 『たしかにボブは素晴らしい男性よ』とジェーンは言う。『ハンサムだし、高学歴で、頭も切れるし、仕事もできる。実際、ボブといっしょにいると、この世で最もすばらしい男性といっしょにいるように感じるわ』
 『じゃあ、どうしてビルと結婚したの』と友人が尋ねると、ジェーンはこう答えた。
 『ビルといっしょにいると、自分がこの世で最もすばらしい人物のように感じられるからよ』
 この話は、自分を売り込むうえで最も大切なポイントを示している。ポジティブで長続きする印象を与える最も効果的な方法は、顧客が抱いているセルフイメージを高めてあげることに全神経を注ぐことなのだ。
あなたが接する顧客はみな、セルフイメージを高めてほしいと思っている。そのことに神経を集中すれば、あなたは自分を売り込むことができる。しかし、ほとんどの人はそれをしない。自分の製品やサービス、自分自身を顧客に印象づけようと躍起になるあまり、顧客とそのニーズを忘れてしまっているのだ。」

(同上 p.39-40)


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もっと楽に生きるコツ

2016.06.23日
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As for worrying about what other people might think – forget it. They aren’t concerned about you. They’re too busy worrying about what you and other people think of them.
−Michael LeBoeuf - Author and Professor
「ほかの人が自分のことをどう思っているか、なんて心配しているなら、そんなことは忘れてしまいなさい。だれもあなたのことなんか気にしてませんよ。みんな自分のことをあなたやほかの人がどう思っているか、心配することで精一杯ですから」
−マイケル・ルボーフ 作家、大学教授
(訳:舟田 譲二)


いやー、これは言えてます。
私も知らず知らずこの罠にはまりがちなのですが、考えてみたらみんな基本的には同じ、どっこいどっこいです。
人の目を意識していると、ストレスになり健康は害するし、人間関係は壊れるし、幸せに生きることもできなくなります。
ですから、もうこんなことに煩わされるのはやめましょう。
私もやめます。
肩の力を抜いて、もっと気楽に生きていきましょう。


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平凡な中の幸せ

2016.06.22日

昨日の誕生日に際しましては、本当に数えきれないほどたくさんの方々からお祝いメッセージ、お祈りをいただき心からお礼申し上げます。お一人ひとりにお礼の気持ちをお伝えすることができませんが、今日のこの記事を通して私の想いをご理解いただければ幸いです。


家族を始め親族から、昔からの親しい友人、信仰の友、友人の友人、Facebookで知り合いになった方々、セミナー等で知り合った方々等々さまざまな方からお祝いいただきました。
その方との間柄によって、「舟田譲二様」「舟田様」というとてもご丁寧なものから、「舟田さん」「舟田先生」「譲二先生」「先生」「ジョージ」「ジョージくん」「フナやん」「舟田くん」など、呼び方も千差万別。面白いです。
多くの方が、私の健康のことを気遣いお祈りくださっていて、また「学院長 元気の出るブログ」で励まされている、と逆に私を励ましてくださいました。
お祝いメッセージ一つひとつを読みながら、また添付されている画像や音楽などを楽しませていただきながら、お一人ひとりのお顔やこれまでのおつき合いの経過などを思い浮かべ、感謝のお祈りをいたしました。


昨日の「今日は私の誕生日」に載せた『ルート66』の写真に何人かの方が反応してくださいました。
「ルート66 懐かしいですね 忘却の彼方から舞い降りてきたみたいやあ」(HIさん)
「ルート66、いいですね!! 素敵です」(TAさん)
「ルート66、これからも安全第一でお進みください(笑)」(NTさん)
ほか。



上の動画は、マ−テイン・ミルナ−(声=愛川欽也氏)、ジョ−ジ・マハリス(声=納谷悟朗氏)の二人がロスアンゼルスとシカゴを結ぶルート66を、コルベット・ステイングレ−に乗って旅する、日本では1962年から放映され絶大な人気を誇ったTVドラマ『ルート66』の主題歌です(Wikipediaより)。
青年時代7年近く過ごしたロサンゼルスのサンタモニカが起点で、全長3,755kmの大陸を横断する国道です。
テレビ番組は、この国道を旅しながら繰り広げる若者二人の日常の出来事をドラマ化したストーリーです。
私も子どものころ、このドラマが大好きで夢中になり、いつかあのルート66を自分も車で走ってみたいと憧れていたものですが、実際に現地に住み、走ってみるとごくごく普通の平凡な国道です。


考えてみたら私たちの人生も似たようなもので、ルート66を走っているような毎日ありきたりの生活なのですが、その中で起こる様々な出来事を喜んだり、悲しんだり、驚いたり、感動したり、あるいはなにも感じないような平平凡凡の日々を過ごしたりしています。


しかし、そのような平凡な生活の中にこそ幸せに生きる秘訣が隠されています。
それが昨日シェアしたTV番組TEDの「幸福な人生を送るには? ハーバード流人生満喫術」の中でも語られています。
幸せな人生を送る秘訣、それはすなわち「人間関係」です。
多くの人が思うような「富」や「名声」「地位」「豪勢な生活」「家や車などの持ち物」などは人に幸せをもたらしません。
家族や親族、友人などとの間で、豊かな人間関係を持っていること、これが何よりも幸せなことで、これがひいては健康、長寿にもつながる、というのです。


そのような意味で、今回<ルート66>の誕生日を迎えた私は、本当に平凡な生活をしていますが、家族や親族に、また多くの友人たち、また仕事における仲間、さらにはアカデミーに送られてくる多くの生徒たちに恵まれて本当に幸せだ、とつくづく実感しました。


皆さんに感謝の気持ちをこめて。


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怒りの原因

2016.06.09日

「怒り」はだれの心にもあり、コントロールするのが難しいものです。
あるときには、人に対して、あるいは物に対して、はたまた国や異なった考え方・価値観などに対して、そして自分に対してさえも怒ることがあります。
この御しにくい怒りはどこから来るのでしょうか?
そして、怒りをうまくコントロールするにはどうしたらいいのでしょうか?


私はこの問題をずっと長い間考えてきました。
なぜなら、この世の問題のほとんどは、「怒り」によって引き起こされているからです。
傷害事件や殺人事件など、原因の多くは「怒り」です。
国家間の戦争も、テロも、宗教間の対立も、相手に対する怒りが原因であることが多いです。


それでは、「怒り」の原因は何か。
これがわかり、うまくコントロールできるようになると、多くの問題を未然に防ぐことができます。
私が到達した答え、「怒り」の原因をひとことで言うと、「相手を自分の思うように動かしたい、コントロールしたい」という考えです。
たとえ夫婦間や親子間など近しい関係にあっても、人は自分の期待どおりには動いてくれないものです。
なぜなら、人はみんなそれぞれ自分なりの価値観を持っていて、それに従って行動し、生きているからです。
自分だって、人からなにかを強制されることは嫌でしょうし、実際のところ人に言われるとおりには動きません。ならば、人が自分の思いどおりに動いてくれないのは当たり前のことです。


ところが、他人が自分の思いどおりに行動してくれないと、人は腹立ち、怒るのです。
つい先日、北海道七飯町の山林で父親の仕置きで山林で置き去りにされた少年のケース(「月に代わって、おしおきよ!」)も、ことの発端は子どもが自分の思いどおりにならないことに対する父親の怒りです。


ここに怒りの対処法の答えが隠されています。
自分だって人にああしろ、こうしろ、と言われるのが嫌なのですから、人だって同じ。たとえ子どもでも親の思いどおりにいかなくて当たり前。生徒も教師の言いなりにはなりませんし、部下も上司の思うようには動いてくれません。
そこで腹を立てるのではなく、相手の立場に自分を置いてみる。そうすることによって同じ問題でも違う面が見えてきます。
もしも怒りがムラムラと湧き上がってきたら、その場でそれを爆発させてしまわず、まずはひと呼吸置くことです。ほんのちょっと時間を置くだけでも、血が上っている頭も冷めてきます。
これは怒る価値があるかどうか、と客観的に判断します。多くの場合、怒ることによって得る結果は、相手だけでなく、自分にとっても苦をもたらし、損になることがわかります。


それでも人間は感情を持った動物ですから、いつでも冷静に対処できるとは限りません。
怒ることもあるでしょう。
そのようなときには、次の聖書の言葉を思い出すといいです。
「怒ることがあっても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れるようであってはならない」
(エペソ人への手紙 4:26)


怒りそのものは罪ではありません。「義憤」というものもあり、神様ご自身も悪に対しては非常に強い怒りを持っていらっしゃいます。
しかし、それを爆発させて相手を傷つけるようなことになると、それは罪です。
そして、もし怒ってしまった場合には、日が暮れる前に、すなわちその日のうちに詫びて、関係を修復することです。
これができれば、家庭は円満になり、親子・友人間、また国家間の争いもなくなるのですが...


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コミュニケーションは真実に

2016.05.21日

いとしい相手から次のような手紙をもらったら、さて、どんな気持ちだろう。〈あくびがでるわ。いやけがさすわ。しにたいくらい。てんでたいくつ。まぬけなあなた。すべってころべ〉
◆絶望してやけ酒、やけ食いに走るのは早い。横書き6行の左端を縦に読んでみる。「あ・い・し・て・ま・す」。和田誠さんのエッセー集『ことばの波止場』(白水社)から引いた。詩人、谷川俊太郎さんの作という。伝統の言葉遊び、 折句(おりく) である
◆NHKが載せた新聞番組表の紹介文がちょっとした話題になっているらしい。2日夜に放送したサッカーワールドカップの特集『プロフェッショナル』である
◆〈日本代表エースに密着▽/本田圭佑500日の記録▽/ガチンコ総取材▽ミラ/ン移籍舞台裏▽挫折を/バネに進化▽超極秘ト/レーニングにケニア人▽/W杯へ独占インタ〉。横書きの左端を縦に読めば、「日・本・ガ・ン・バ・レ・W杯」となる。凝りましたね、NHK
◆苦心の折句も効いてか、日本時間のきのう、日本代表はコスタリカ代表との国際親善試合に逆転勝ちを収めた。「 言霊(ことだま) の 幸(さき) わう国」である。

(読売新聞 2014年 6月4日付「編集手帳」より)


私も昔、言語学をやっていたくらいで、言語には人一倍の関心があり、言葉遊びなども大好きです。
このブログでもこれまで何度も言語をテーマにした記事を書いてきています。
上の「編集手帳」も興味深く読ませていただきました。
しかし、冒頭の谷川俊太郎さんの作という手紙文は正直、ちょっといただけません。


あくびがでるわ。
いやけがさすわ。
しにたいくらい。
てんでたいくつ。
まぬけなあなた。
すべってころべ。


いくら言葉遊びと言っても、受け取った相手の気持ちを思うととってもじゃないですが、こんなことは書けません。いくら言葉遊びでも。
そこで、私だったら言葉遊びでどんな風に書くだろうかと少し考えてみました。


あなたのことを思うと
いても立ってもいられない
死んでもいいくらい
天を越えて
まっすぐに
すっ飛んで行きたい


heart1.jpg


これでも、やはり左端の文字を縦に読むと「愛してます」となり、平凡かもしれませんが、これで十分な言葉遊びになっていますし、愛している気持ちは倍になって伝わることでしょう。
あまり気をてらって、冒頭のような手紙を書くと、受け取った人はやはりショックを受け、下手をすると真意が伝わらず心が裂けてしまうかもしれません。


コミュニケーションとはこういうものです。
気をてらって、面白いつもりで言ったとしても、相手にそれが伝わらず逆に不愉快な思いをさせるなら、それは上手いコミュニケーション術とは言えません。


"The most important thing in communication is to hear what isn't being said."
-- Peter F. Drucker, Author and Management Expert
「コミュニケーションで最も大切なことは、話されていないことを聴くことだ」
(舟田訳)
著作家、経営学者のピーター・ドラッカーの言っている上の言葉がコミュニケーションの本質を語っていると思います。


実際のところ、コミュニケーションにおいて言葉そのものが果たす役割はわずか7%と言われています。
それでは残りの93%は何かと言うと、顔の表情や声の調子、話し方、身振り手振りなどのノンバーバル(非言語)コミュニケーションなのです。
たとえば、
「愛してるよ」
と同じ言葉を言ったとしても、低い声で、顔は無表情で、冷たく言ったり、あるいはうるさそうな顔をして、
「愛してるよ。愛してる、愛してる、愛してる。もうこれでいいだろうっ!」
というような調子で言ったなら、相手には間違いなく
「愛していない」
というメッセージが伝わることでしょう。


これが「言霊」と言われる所以(ゆえん)で、言葉には魂が宿っているのです。


聖書には、次のようにあります。
「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。
この言は初めに神と共にあった。
すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった」
(ヨハネ1:1〜3)
「言は神であった」とあります。
この点において、神与の人間の言葉は動物の鳴き声とは根本的に異なるのです。


私たちも言葉を大切にし、コミュニケーションは真実に行うよう常に意識したいものです。


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中3息子がゲームばかり

2016.05.20日

40代の会社員女性。シングルマザーです。中学3年の息子がどうしようもなくて、嫌になります。
高校3年の娘は大学受験に向け、親の私が驚くほど熱心に勉強しています。それに対し、息子は部活をやめさせられて以来、スマホのゲームばかりしています。同居する私の両親が息子のことで私に小言を言い、私は怒りを10倍にして息子にぶつけ、ケンカになる。いつも、この繰り返しです。


将来、こんな調子で定職に就かず、家でごろつかれても困ります。息子を私の人生から抹消したいとさえ考えます。本人にも、「こんなクズ、産むんじゃなかった」と言います。
一時は、息子の人生は息子が決める、私は明るくしてさえいればいいと、自分に言い聞かせていました。でも、こんな日々がいつまで続くのかと思うと、今、更生させるべきなのかと悩みます。(山口・C子)


◇大日向 雅美(大学教授)
子どもは必ずしも、親の思い通りに育たないものです。さりとて自分の人生から息子さんを抹消したいとは尋常ではありません。「こんなクズ、産むんじゃなかった」とまで母親から言われて、よく息子さんは耐えていると思います。


お手紙には、部活をやめさせられたと書かれています。事情がよくわかりませんが、高校受験か何かを理由に、息子さんの意思とは無関係にやめさせられたのでしょうか? そうでしたら、気持ちの整理がつかないのは当然です。


しかも家の中では、対照的に優等生のお姉さんが輝いていて、自分をめぐって祖父母の小言が飛び交い、母親からは存在を全否定されているのです。唯一の逃げ場がスマホのゲームになっているのだと思います。あなたはすでに息子さんを精神的に抹消しているのと同然です。
まず息子さんへの接し方について率直にあやまってください。今、何を考えているのか、何をしたいのか、じっくり聴いてください。娘さんと比べることはやめて、息子さんの良いところを探してください。
この先、ひきこもったり暴力を振るったりするほど追いつめないために、即刻あなたの心と態度を改めるべきです。

(5月19日付 読売新聞17面「人生案内」より)


昨日の記事「子どもをやる気にさせるコツ」に書いたことの正反対のことをすべてこの方はしていらっしゃいます。
このようなことを日々繰り返していて、親子間の信頼関係が壊れ、お互いに自暴自棄になってしまって、子どもがゲームという唯一の自分の世界に逃げる、というのはごくごく当たり前の結果です。


回答者のアドバイスはすべて納得のいくものです。
このような状況の下で、助けを求めてカウンセリングに行く人も多いです。
でも、ここで大切なことがひとつ見落とされています。
カウンセラーが、これはだめです、こうしなさいああしなさい、とアドバイスし、本人もそのとおりだと頭では納得するのですが、言われたとおりできないのが人間。
みんな自分なりの言い分もあるし、すべてのことの発端は相手にある、相手が変わらなければ、と考えるのが人の弱いところです。


真の解決の道はどこにあるかと言えば、本人のうちに、このままではだめだ、何とかしなければ、どうしても現状を変えたい、いい親子関係を築きたい、といった燃えるような願いがなければうまくいきません。
逆にこれさえあれば、もう問題の解決の道筋は見えたようなものです。
なぜなら、それさえあれば人に言われなくても自分で方法はいくらでも見つけられるからです。


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もうひとつの飢餓問題

2016.05.15日

"Three billion people on the face of the earth go to bed hungry every night, but four billion people go to bed every night hungry for a simple word of encouragement and recognition."
-- Cavett Robert
「世界中で30億人の人たちが飢えた状態で毎晩床に就いている。しかし、40億人の人たちはちょっとした励ましや褒め言葉に飢えた状態で毎晩床に就いている」
(キヤベット・ロバート)


うーん、なかなか鋭い指摘です。
確かに、世界中の飢餓の問題はよくあちらこちらで目にしたり耳にしたりして、みんなの知るところです。
しかし、飢餓人口よりもさらに10億人も多くの人々が「励ましや褒め言葉」に飢えている、というのはちょっとショッキングな話です。世界の総人口70億の半分以上ということです。
でも、言われてみれば、なるほど、さもありなんという感じです。


5年ほど前に、「豚もおだてりゃ木に登る」という記事を書きましたが、その後も繰り返し「褒めること」の大切さをこのブログで訴えてきました(このページ左上コーナーの「エントリー検索」に「褒める」や「ほめる」、「励まし」を入れて検索してみてください。きっとその記事の数の多さに驚かれることと思います)。


身の回りをちょっと見回してみてください。
あなたの励ましや褒め言葉を必要としている人が必ずいます。あなたのすぐ隣りにも、家族や親族の中にも、学校や職場にも、友達の中にも。
「地球の飢餓を救え」などへの寄付行為もとても大切ですが、もっと身近なところで、あなたに今すぐにでもできる飢餓対策、それが「励ましや褒め言葉」なのです。


ただ、褒めることにも一つ注意しなければならないことがあります。
それは、「褒めて、褒めて、褒めまくれ?」の中に書きましたので、こちらをご参照ください。


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価値観が人を作り上げる

2016.05.07日

先日車で走っていた時、信号のないところで私が車を停車させると、隣に乗っていた妻が、なぜ停まったのかわからず一瞬きょとんとしていました。


しばらくして、対向車線の側の歩道にいた小学生が頭を下げて横断歩道を渡っていきました。
アメリカだったらごく普通の光景です。歩行者優先のアメリカでは、このようなシーンで停車せずに走っていくとすぐに白バイがサイレンを鳴らして車を停め、チケットを切って罰金になります(経験者語る…)。


日本も昔と比べるとずいぶん変わってきましたがまだまだです。
狭い通りから大通りに車で出ようとすると、車の流れは途切れずなかなか出させてもらえません。
へたをすると前方が信号などで道路が詰まっているのに、こちらが出ようとしている通りをふさぐような形で車を停める人もいて、そうなると信号が変わってもその後ろの車もまたどんどん続いていって結局ずっと出られないことすらあります。
とくに時間に追われている夕方などに、生徒のバス送迎をしていてこのようなことがあると、ついイライラしてしまいます。


ところ変わって中国の狭い通りなどがテレビの番組などで映し出されると、「そこのけ、そこのけ、お車が通る」で、歩行者はまったく無視され、車を避けないとぶつかられたりして、非常に危険な状況にあるのを目にすることがあります。


その国の文化や習慣、さらに言えば同じ国の中でも、育った環境や、親の躾けなどによっても、人々の行動は大きく変わってきます。
これらはごく小さな一例に過ぎませんが、文化や習慣などの中で人の価値観が作り上げられていき、さらにそれが人の行動や人生までも変えてしまうというのはよくあることです。


子育ての上手な親の子どもや、躾がしっかりなされている家庭の子どもは、自然と言葉遣いも礼儀も正しくなり、また勉学に取り組む姿勢や友達関係を始めとする人間関係、また学校生活や部活など、生活全般にも大きく影響していることがよくわかります。
親だけでなく、子どもたちと日々接している私たち教育に携わる者も子どもたちの価値観を形成する役割を果たしており、その責任はまことに大きいです。


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人の名前を覚えること

2016.04.27日

先日のBBQ大会の夜のレクで、新人の先生やOBの先生たちの自己紹介がありました。
司会役の、今年晴れて念願だった地元の県立高校の数学教師となった旧人のT先生が、「皆さん、ぼくの名前を知っていますか?」と言った流れで、あとの先生もみんな同じ質問で自己紹介をしました。
先生たちみんなが終わったところで、T先生が「あっ、忘れてました。アカデミーで一番偉い先生、学院長先生がいました。学院長、自己紹介をよろしくお願いします」と私の方に振ってきました。


生徒はいつも私のことを「学院長」と呼んでいるため、どうかすると私の名字すら知らない子がいます。
そこで、「皆さん、ぼくの名前を知っていますか?」と同じように尋ねたところ、案の定手を挙げたのは数人。そこで、「名前は学院長ではなくて、舟田譲二です。ジョージです。よろしくお願いしま〜す」と言いました。
いやー、やっぱり名前は覚えて欲しいですね。


私はこれまでいろいろな記憶術の本を読んで勉強してきました。
英語で書かれた、アメリカの記憶術の神様と呼ばれる人たちの本も何冊か読みました。
どれにも共通して書いてあるのは、自分の知っていることに結び付けて覚える、ということです。
今から30年近く前、中央大学で教えていた当時、英語音声学と英語表現研究のクラスにそれぞれ100人ずつの学生、それに国史専攻やフランス文学専攻など、英語専攻以外の学生の教養英語に各50名ずつ、合計毎年250〜300人ほどを教えていました。
この学生全員の名前を私は覚えました。
授業時間内に何度も何度も学生を名前を呼んで当てて質問したり、発言させたり、声をかけたりして、その都度その学生の名前と顔や性格など何か特徴をつかんで、それらを結びつけて覚える、という方法でした。もちろん簡単なことではありませんが、コツは繰り返しです。
この結果、毎年大勢の学生が、学年末試験のとき、4年間の大学生活で名前を覚えてくれたのは先生が初めてだった、と答案用紙に書いてくれました。
当時教えた学生の名前と顔を何人かは今でもはっきり覚えていますし、いまだに親交のある人も何人かいます。
また塾を始めて30年間、これまで教えてきた生徒の名前もほとんど覚えています。


私は「人の名前を覚える」ことをアメリカにいたときに学びました。日本には、「隣のご主人」とか「〇〇さんの奥さん」、あるいは「先生」、というような言い方がありますが、英語にはありません。アメリカ人はみんな、一人ひとりを名前で呼びます。しかも、早く名前を覚えます。自分の名前を覚えてもらい、呼んでもらえることはうれしいことです。そこで、
「これはすごい。自分も真似をしよう」と思ったのです。
人の名前を覚えることにはいろいろなメリットがあります。
デール・カーネギー(1888〜1955)というアメリカの有名なビジネスセミナー講師・著述家は、
「人にとって一番耳に響きのいいのは、自分の名前である」
と言っています。
本当にそのとおりです。


ところが、ここ数年体調を壊して以来、生徒の名前がなかなか覚えられなくなってきているのです。
「昔はよかった」といくら昔を懐かしんでも、意味ありません。
そこで、パラダイムシフトをすることにしました。
これについては、また明日の記事でお話しします。


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愛するとは

2016.04.15日

「ラスベガス日本人教会」を牧会する、私の敬愛する鶴田牧師の3年前のブログ記事の転載です。
親子関係、子育てについて教えていますが、これは夫婦関係を始め、あなたが大切にするすべての人間関係にも通じることで、自分と特定の人との関係を頭に入れながらお読みください。


今日は、“子供が一番欲しいもの”ということについて考えてみました。
ところで皆さんは、自分の小さな子供が何を一番欲しがっているかを考えたことはありますか?オモチャでしょうか?コンピューターゲームでしょうか?それとも美味しいチョコレート?


そうではありません。小さな子供は、お父さんとお母さんと一緒にいることを何よりも欲しているのです。彼らはお父さんとお母さんが傍に居てくれれば、愛されていることを確認し、安心感を覚え、自分が価値のある人間であることを信じるようになります。


ですから、親が子供を愛するということは、時間を使わないで子供が欲しい物を買い与えることではなく、何よりも時間という大切なものを犠牲にして子供と一緒に過ごすことであり、そこに親子が深い絆で結ばれ、同時に、その子供が肯定的な自己像を持つに至る大切な要因があるのです。
そして、その自己像が、いわゆる人生脚本として、その子の一生を支配し、大きく左右していくことを考えれば、子供と過ごす時間の大切さは、どれだけ強調してもし過ぎることはないのです。


ある日、5歳になる娘を持つ父親が、その日も仕事で疲れきって遅く家に帰ってきました。すると、彼の娘がドアのところで待っていたのです。父親は驚いて言いました。


父: まだ起きていたの?もう遅いから早く寝なさい。
娘: パパ。寝る前に聞きたいことがあるんだけど。
父: なんだい?
娘: パパは1時間にいくらお金をかせぐの?
父: そんな事、お前には関係ないことだよ。


仕事で疲れている父親はイライラして言いました。


父: どうして、そんなこと聞くんだ?
娘: どうしても知りたいだけなの。1時間にいくらなの?


女の子は嘆願しました。


父: あまり給料は良くないよ・・・20ドルくらいかな。ただし残業代は無しだ。
娘: わぁ。


女の子は言いました。


娘: ねえ。パパ。私に10ドル貸してくれない?
父: なんだって!


疲れていた父親は怒ってしまいました。


父: お前が何不自由なく暮らせるためにお父さんは働いているんだ。それなのにお金が欲しいだなんて。ダメだ!早く部屋に行って寝なさい!


女の子は、黙って自分の部屋に行きました。しばらくして父親は後悔し始め、少し厳しく叱り過ぎたかも知れない…。きっと娘はどうしても買わなくてはいけないものがあったのだろう…。それに今まで娘は一度も何かをねだったことなどなかった・・・。


父親は娘の部屋に行くとそっとドアを開けて、小さな声で言いました。


父: もう寝ちゃったかい?
娘: ううん。パパ!


娘は少し泣いているようでした。


父: 今日は長いこと働いていたし、ちょっとイライラしてたんだ・・・。ほら。お前の10ドルだよ。


娘はベットから飛び起きて顔を輝かせました。


娘: ありがとう。パパ!


そして、小さな手を枕の下に入れると数枚の硬貨を取り出しました。父親はちょっとびっくりして言いました。

父: おいおい。もういくらか持ってるじゃないか。
娘: だって足りなかったんだもん。でももう足りたよ。


娘はそう答えた。そして10ドル札と硬貨を父親に差しのべて、


娘: パパ!私20ドル持ってるの。これでパパの1時間を買えるよね?


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同情と共感

2016.04.13日

英語では「同情」を sympathy (スィンパすぃ)、「共感」を empathy(エンパすぃ) と言います。(英語のthは上の歯と下の歯の間に舌を軽くはさんで出す摩擦音で、日本語にはない音なのでsのスの音と区別するために敢えてひらがな表記しました)
両者は一見よく似た言葉です。
これはギリシャ語の pathos 「苦しみ」から来ています。日本語にもなって「ペーソス」(悲しみ、悲哀、哀愁)といった意味で使われています。
sympathy の sym- は「共に、同時に」といった意味の接頭辞で、たとえば symphony 「シンフォニー、交響曲」、 synchronized swimming 「シンクロナイズドスイミング」などにも使われています。
empathy の em- はもともと in- という形の接頭辞で「〜中に」という意味です。
すなわち、sympathy は「苦しみを共にする」、empathy は「苦しみの中に入っていく」ということから、日本語でそれぞれ「同情」「共感」と訳しているのです。(「共感」という日本語はむしろ sympathy に近いような感じがしますが)
empathy はまた「感情移入」という意味でも使われます。「苦しみの中に入っていく」のですから、それも理解できます。


sympathy と empathy はアメリカ人にも区別が難しい言葉で、同意語だと思っている人も少なくありません。
あるアメリカ人は両者の違いを次のように定義しました。
Empathy is entering into another's feelings. Sympathy is having a feeling together with someone.
「empathy はほかの人の気持ちの中に入っていくこと。Sympathy はその人と同じ気持ちになること」
また、
Sympathy is when you feel bad for someone else. Empathy is when you feel bad with someone else.
「Sympathy は誰かほかの人のために心を痛めること。Empathy はその人と一緒に心を痛めること」
When you feel sympathy for someone you feel sorry for their pain. When you feel empathy you are feeling the pain too.
「あなたが誰かに sympathy を感じるとき、あなたはその人の痛みを気の毒に思っている。しかし、あなたが empathy を感じるときは、あなた自身もその痛みを感じている」
とも言っています。


どっちでもいいじゃないか、と思う方もあるかもしれませんが、実はこのふたつはカウンセリングをする時に大きな違いを生み出します。
Empathy、すなわち「その人の痛みを共有して」「その人の立場に立って」話を聞くならば、その人は「自分のことを本当に理解してくれている」と感じます。


1994年、1995年に放送されたテレビドラマ『家なき子』では、主人公の相沢すず(安達祐実)が、「同情するなら金をくれ」と言った劇中の台詞が新語・流行語大賞に選ばれるほどのブームとなりました。
同情は当事者にとって、それほどうれしくないものなのかもしれません。


「ラッキーマン」で紹介したマイケル・J・フォックスも、その本の中(Chapter 8)で次のように言っています。
In man-on-the-street interviews, members of the public offered expressions not so much of sympathy, as I feared, but of genuine empathy, as well as heartfelt wishes for a positive outcome.
「街頭インタビューでは、私が恐れていたような同情の声はあまり聞かれず、むしろ心からの共感と良い結果を望む心からの願いが聞かれた」
つまり、マイケル・J・フォックスも人々から同情されることを恐れていました。ところが、自分の予想に反して、みんなが心から共感してくれていることにホッとしているのです。


Put yourself in her (his) shoes.
は英語でよく使われる表現で、「その人の靴の中に自分の身を置きなさい」というところから、
「彼女(彼)の身になってみなさい」
という意味です。
これも empathy に近い感覚だと思います。
マイケル・J・フォックスも言っているように genuine empathy 「心からの共感」を人は求めています。
上辺の同情はかえって人の心を傷つけることがあります。


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アラジン効果

2016.04.12日

一昨日、「マタイ効果」について書きました。
「おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう」(マタイ福音書25:29)
という聖書の箇所から命名したもので、
「豊かな者はますます豊かになるが、貧しい者はますます貧しくなる」という社会現象から、音楽やスポーツの才能等など、いろいろな分野にこのことが当てはまります。


これに対して、私は「マタイ効果+α(アルファ)」という考えを提唱しました。
ここで私が述べたのは、マタイ効果は確かに存在するけど、これはどうしようもないことではなく、自分の手で変えることができる、ということです。


また、「魔法のランプ」についても書いたことがあります。
アラジンの魔法のランプのように、真剣に願うことはかなう、といった内容です。


今日ここに書くことは、人間関係における「アラジン効果」です。
「成功の9つのステップ」で有名なジェームス・スキナーさんは、7つ目のステップのところで「思い切った行動」について語っています。
そのひとつの例として、私たちはとかく人にお願いするのを遠慮したり、初めから無理だろうと思い込んであきらめてしまったりして、人にお願いすることを躊躇します。
「聞きもしないであきらめるな」とジェームスは言います。
聞いてみると案外うまくいくことがある、これを「アラジン効果」と彼は呼んでいます。


さて、人間関係において、私たちは人にこうしろ、ああしろ、と命令することがよくあります。
とくに会社などの組織内では上司が部下に、学校では先輩が後輩に、教師が生徒に、家庭では夫が妻に、親が子に、兄姉が弟妹に、と上下関係が存在するところでよく見られます。


親が子どもに向かって注意するときは、ついつい感情が先に出てしまって、怒鳴ったり、叱ったりとなりがちです。
怒鳴られたり、叱られたり、あるいは命令されて嬉しい人はあまりいません。
でも、このようなときに、ひと呼吸おいて冷静に、
「〜してほしいんだけど」
「〜してくれたら嬉しいんだけど」
というふうにお願いに変えると、相手もスムーズにその願い事を聞き入れ、応えてくれるものです。
上の立場にいる人は下の人になかなかお願いしにくいものです。
でも、これが良好な人間関係につながっていくのです。


これもひとつの「アラジン効果」です。


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早起きの鳥は虫を獲る?

2016.04.08日

昨夜寝たのはいつものように遅かったのですが、今朝はいつもより早く、というか超早く、5時に目覚めてしまいました。
「早起きは三文の得」となればいいのですが。


「早起きは三文の得」という諺を英語で
"The early bird catches the worm."
(早起きの鳥は虫を獲る)
と言います。


次はアメリカでの英語のジョークを和訳したものです。
遅寝、遅起きで夜中に遊び歩く息子に父親が説教して言います。
「早起きの鳥は虫を獲る」って言うだろう?
すると息子が父親に尋ねます。
「じゃあ、鳥に食べられてしまう虫はどうなの? 早起きするから鳥に食べられるんじゃないの?」
すかさず父親が答えます。
「よく聞きなさい。この鳥に獲られる虫は早起きしたんじゃないんだよ。夜通し遊んでいて、朝帰りする途中だったんだ」


なるほど。ものは言い様です。
上の英語のジョークを日本語に翻訳するときに、"The early bird catches the worm." を「早起きは三文の得」と言ってしまうと、このジョークは相手に通じません。


このジョークの中の鳥と虫じゃないですが、世の中を見回すと、一方で得する人がいれば、他方で損をする人がいます。
いつもそうというわけではありませんが、実際にはそのようなケースが多いです。
でも、知恵を用いると、両者とも得をすることも多々あります。
これを英語で Win-Win の関係と言います。

いくら自分が正しいと思っていても、それを相手に主張することによって角が立つようであれば、結果的には自分も傷つき、損をすることになります。
人は元来自己中心なので、自分が折れることは好ましく思わないものです。
しかし、「負けるが勝ち」という言葉があるように、言いたいことをあるときには呑み込むことによって、相手の気分を害することをせず、同時に自分も傷つかず、しかも良好な人間関係が築けるということがよくあります。
これもある意味 Win-Win の関係です。


私たちは毎日、一瞬一瞬、絶え間なくAかBかという選択を迫られています。
このようなときに、賢明な選択をすると、良い結果がついてきます。
親子関係、夫婦関係における意見の衝突など、とくにそうです。
感情に振り回されるのではなく、できる限り理性的に、相手にとっても、自分にとっても益となるような言葉の選択をしようではありませんか。


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コミットメント

2016.04.05日

先日来、このブログでディズニーランドの話や「仕事の価値」の中のレジ打ちの女性の話などをいくつかシェアしてきました。
これらの話が私たちの感動を呼ぶのはなぜでしょう。
スタッフのお客様に対するサービス精神もそのとおりですが、突き詰めて言うと、自分の仕事に対する「コミットメント」です。


コミットメント?
日本ではあまり聞きなれない言葉で、知らない人のほうが多いのではないかと思います。
英語の "commitment" は、日本語には訳しにくい言葉です。
英和辞典に載っている訳語を一部挙げると、
「委託、委任、公約、誓約、婚約、義務、責務、責任、かかわり合い、参加、犯行、拘留、投獄...」
これではさっぱりわかりませんよね。
ぴったりした日本語がないので、日本でも「コミットメント」とそのままカタカナ語を使っているのです。


それでは、この「コミットメント」とは何なのでしょう。
ひと言で言うと、「何かに自分自身を捧げる」ことです。
「捧げる」と言うとき、それは中途半端なやり方ではなく、「徹底的に」「心底から」「命がけで」「全身全霊」という捧げ方です。「献身」「全力投球」と言い換えることもできます。


身近なところで、勉強、部活、スポーツ、友人関係、受験、アルバイト、就職、仕事、職場での人間関係、事業、結婚、夫婦関係、子育て、親戚付き合いなどに当てはめてみましょう。
どうですか?
イメージできますか?
学生であれば、「勉強、部活、スポーツ、友人関係、受験、アルバイト、就職」に、社会人ならば「仕事、職場での人間関係、事業、結婚、夫婦関係、子育て、親戚付き合い」などに、自分自身を徹底的に捧げる、命がけで捧げることをイメージしてください。
これで成功しないほうが不思議だとは思いませんか?
逆に、「コミット」(英語の動詞は "commit")して失敗することなど考えられません。


どの世界においても成功する人の割合がほんの数パーセントしかないのは、みんな中途半端で徹底的に「コミット」していないからです。
成功している人はみんなそれぞれの分野で「コミット」しています。
プロのスポーツ選手しかり、音楽家、芸術家、政治家、学者、医者などを見ればよくわかります。
そのほか、大工さんや左官屋さん、ペンキ屋さん、豆腐屋さん、パン屋さんなどを見ても、成功している人はみんな自分の仕事に「コミット」しています。
夫婦関係がうまくいっているカップルは、お互いに「コミット」しています。


Oさんは、将来科学者になるつもりで大学では宇宙地球科学を専攻しました。
ところが大学卒業後、ひょんなことからビジネスの世界に入りました。
何をやってもうまくいかず、貧乏と不幸のどん底で毎日あえいでいました。
いろいろなことを勉強していく中で、Oさんは日本ではまだあまり知られていなかった「ある考え方」に出会います。
彼は直感的に「これだ!」と感じ、これに賭けることにしました。「コミット」する決意をしたのです。
自らのビジネスにこれを応用し、さらにこの「考え方」を日本で普及させるために命をかけることにしました。
今やOさんは、日本のダイレクトマーケティングの世界で第一人者となり、月商何千万円です。
さらに友人や家族にも恵まれ、幸せな家庭生活を送っていらっしゃいます(数年前、塾からディズニーランド遠足に行ったとき、食事の席で偶然にお子様連れのご夫妻にお会いしました)。


Oさんに限らず誰でも、何かに、あるいは誰かに出会ったとき、それ(その人)に「コミット」すれば、必ず、100%成功できます。
「100%成功の鍵」はコミットメントです。
ディズニーランドやリッツ・カールトン・ホテル(「私がとても大切にしていること」)などの成功は、スタッフの仕事に対するコミットメントにあるのです。そして、自分の仕事にコミットしている人自身も、生き甲斐を感じ、最高に幸せになっています。


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工事中 ご迷惑をおかけします

2016.03.04日

昔、小学4年生のころ、父が運転する車で夜中に国道を走っていたところ、急にふわっと宙を飛んだかと思った次の瞬間、ドッシーン!と大きな穴ぼこの中に落ちました。
私は後ろの座席から前の座席まで吹っ飛び、家族みんなが車のダッシュボードや窓などに頭や顔をぶっつけました。当時の車にはシートベルトなど付いていませんでした。
幸い深い穴ではなく、誰も大きな怪我はありませんでした。
昭和30年代半ば、日本はまだモータリゼーションの時代に入る前で車の数は少なく、国道が工事中で途中で途切れていることなどざらでした。
今だったら、数百メートルあるいは数キロ先から「この先◯m工事中」の電気のついたサインがあり、工事現場には必ずガードマンがついていますが、当時はそのようなものはありませんでした。


今日、運転中に見かけた工事中の看板でこの時の思い出がよみがえってきました。



「工事中   ご迷惑お掛けしております。ご協力をお願い致します」
ヘルメットをかぶった作業員がぺこりと頭を下げています。


これを見て教えられました。
「そうか。私たち人間はみんな不完全、未完成で、いわば工事中のようなもの。
だから、みんなに迷惑をかけている。
ご協力、ご理解をお願いいたします、と頭を下げなければならない」と。


私たちは、とかく自分の主義・主張・正統性を人に訴えますが、なかなか相手の言うことに耳を傾けようとしません。
日本と韓国の間の竹島の領有問題もそうです。
日中間の尖閣諸島問題しかり、日露間の北方領土問題しかり。


もっとごく身近なところで、親子間、夫婦間、兄弟間、親戚間、友人間、同僚間、近所間、上司と部下の間、先輩と後輩の間等など、ありとあらゆるところに、それぞれの主義・主張があります。
お互いにそれぞれの言い分があります。


でも、よく考えてみれば、みんな不完全な人間の言うこと、すること。お互いに思い違い、行き違いがあって当然のことです。


自分の義ばかり主張して譲らないと、そこには必ず摩擦が生じ、時には修復不可能な亀裂が生じることもあります。
国家間だと戦争になり、夫婦間だと離婚、友人間だと絶交となります。
そしてその結果、傷つくのは誰か?双方ともに傷つきます。喧嘩して傷つかないものはありません。


このような時、お互いに頭を下げて、「私は現在工事中です。ご迷惑をおかけします。申し訳ありません。ご協力・ご理解ください」と言って歩み寄るなら、ここから解決の糸口が見つかるのではないでしょうか。


何か問題に直面した時、相手の欠点ばかりが目に付く時、自分自身も「工事中」であることを認識すれば、問題は半分解決したようなものです。


「 お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい」 (聖書)



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千里の道も一里から

2016.02.28日

毎月お世話になっている健太郎くん。
と言っても、健太郎くんは人ではなく機械です。病院に置いてある血圧自動測定機。


一昨日の健太郎くんによると、血圧(最高108、最低69)から私はなんと30代の若者です。正常値よりもさらに低い「至適」。これは言い換えると「素敵」です。少し前まで、上が93、下が53という「超素敵」な数値。
まあ、38歳の永遠の若者ですから当然のことですが。


bloodpressure.JPG


体調は順調に回復してきているのですが、まだ毎月2つの病院の2つの科に通っています。以前は3つの病院、5〜6つの科にかかっていたので、それから考えると嘘のようです。


体調が悪かったときは、体重が最大で10キロ以上減り、会う人みんなから「痩せたね。大丈夫?」と言われていました。
以前着ていたスーツはぶかぶかになって全部着られなくなり、2着を残して処分しました。4年前はちょっとオーバーですが、こんな感じでした。


zubon.JPG


最近は体重も、ウェストも徐々に戻り、とっておいたスーツがまた着られるようになりました。まだずいぶん大きいですが。


運動のほうは、ウォーキングは毎日とはいかないながらも意識して続けており、昨日も11キロほど歩いてきました。
スイミングもできる限り週に1回は行くよう心がけています。
「千里の道も一里から」で、少しずつの積み重ねがやがて大きなものになります。
昔は全然歩かなかったのに、体調を崩してから歩き始めて、2年ほど前には2900キロ超、「日本列島縦断達成!」して、今ではゆうに文字どおりの「千里」=4000キロは歩いています。


これは健康に限らず、勉強もしかり、スポーツも、仕事も、人間関係も。
やればやっただけの結果が出ます。


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似た者夫婦

2016.02.26日

「似た者夫婦」とは、夫婦になる男女は趣味や性格が似ていることが多いということ。
また、最初はそれほど似ていなくとも、長く生活を共にしていくうちにお互い影響し合って、考え方や好みが似てくる場合もあるということを意味します。


長年一緒に生活していると考え方や行動が夫婦そっくりになってくるのはよくあることです。
「本物の勇気」の中に書いたミラーニューロンはここでも働いています。


そして、これは夫婦間だけでなく、いろいろな場面でも働いています。
子どもがバレエの練習をしているとき、踊っている先生を一生懸命見ていると、その子どもの頭の中では先生の脳の活動している部分と同じ部位の脳が働きます。上手な先生の手の動き、身体の動きを観察していると、その先生の脳が活動しているように子どもの脳が活性化されるのです。上手なお手本を見て腕をあげることができるのは、このミラーニューロンのおかげです。


もともとミラーニューロンの働きが発見されたきっかけは、人が猿のエサを手でつかむのを見ていた猿の脳が活性化したことにあります。サルの脳には相手の行動を映すような神経細胞があることがわかったのです。
自分は何もしなくても相手が何かをするのを見ていれば、相手が行動したときに活発化する脳の部分と同じ部分が自分の脳でも活発化するのです。
かくして弟子が師匠を見ていると弟子は師匠に似てくるわけです。
その飼い主と犬の例が次の動画です。



うちで飼っていたラブラドールのラブは、飼い主の私たち家族があまり運動神経がよくなく気が小さかったため、それが犬にもうつってラブもとても気の弱い犬になりました(「遺伝か環境か」)。
上の動画の犬とちょうど正反対です。


このように見てくると、夫婦間だけでなく、親子間、教師と生徒の間など、その影響力がいかに大きいかということがよくわかります。
良い意味でも悪い意味でも、知らず知らずのうちにお互いに影響を与え、それがやがて相手の性格や生き方にまで大きな影響力を与えます。このようにして「似た者夫婦」が生まれるわけです。
いい関係を築き、良い感化力を与えたければ、お互いに良いお手本を示さなければなりません。


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同じ匂いがする

2016.02.25日

昔、アカデミーで長年講師を勤めて、その後都内の高校教師になった人が面白い表現をしました。
「同じ匂(にお)いがする」
その後、さまざまな場面で、この「同じ匂いがする」光景を目の当たりにして、実に言い得て妙だと感心しています。


最近、毎晩のように塾の前のバス通りを数台のバイクが「ブーン、ブンブン、ブーン、ブンブン」とけたたましい音を立てて暴走しています(まあ、今に始まったことではありませんが)。
つい最近も生徒の送迎をしているとき赤信号で止まっていたら、その横を大きな音を立てながら2台のバイクがそのまま交差点に突っ込んでいき、両側から来ていた車を停止させて走り去って行きました。
バスに乗っていた生徒たちはみんなしかめっ面をして、「ああいうのが一番いやだ」と言っていました。
暴走行為をしている人たちはきっと、迷惑行為をすることによって快感を得ているのでしょう。
そして、同じ匂い(臭い?)がする人たちが一緒になってやっているのだと思います。


英語のことわざにも、
"Birds of a feather flock together." (同じ羽毛の鳥が群がる)
というのがありますが、日本語ではこれを「類は友を呼ぶ」と言います。
まことに面白いように、スズメはスズメと一緒に群れ、カラスはカラスと、ハトはハトと群がります。
カラスとハトが一緒に飛んでいたり、餌をつついているのを見たことがありません。


doves.JPG


経営コンサルタントのブライアン・トレーシーは言っています。
"If you want to fly with eagles, don't scratch with turkeys."
(もし鷲と一緒に飛びたかったら、七面鳥と一緒に戯れていていはいけない)
「鷲のように飛びたかったら」


人間も同じです。
同じような考え方、価値観を持つ者たちが自然とくっつきます。
「似た者夫婦」と言いますが、これも同じような現象です。
アカデミー学院にも、似たような価値観の先生たちや生徒たちが集まります。
きっと「同じ匂いがする」がするのでしょう。


もしスポーツができるようになりたければ、スポーツが得意な人と一緒にいる。
芸術で秀でたいと思ったら、芸術で秀でた人と一緒にいる。
勉強ができるようになりたければ、勉強ができる人と一緒にいる。
仕事ができるようになりたければ、仕事ができる人と一緒にいる。
幸せになりたければ、幸せな人と一緒にいる。


当たり前すぎるほど当たり前のことですが、これがなかなかできないのが人間の弱いところです。
でも、自分の人生は自分の手の中にあります。
すべては自分の選択です。
「いい匂い」がする人と一緒にいるほうが絶対に得です。


でも、自分はどちらかと言えば、「臭(くさ)い臭(にお)い」がするタイプだと思っている人でも大丈夫。
「いい匂い」の人たちと一緒にいると、だんだんその匂いに染まっていくものだからです。


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夫婦円満の秘訣

2016.02.23日

「破(わ)れ鍋に綴(と)じ蓋(ぶた)」ということわざがありますが、どんな人でも、その人に似合った、結婚相手がいるというたとえです。
由来は、ひびが入った鍋には、修理をした蓋が合うように、自分に似合った相手と 一緒になるのが、互いにつりあいが取れてうまくいく、ということから生まれたそうです。
「似た者夫婦」というような意味もあります。


あるとき、寝る前に妻が「鍋に蓋」っていう言葉があったかしらと尋ねたので、上のことわざを思い出し、世界三大悪妻の話をしました。
世界三大悪妻は、哲学者ソクラテスの妻クサンティッペ、作曲家モーツァルトの妻コンスタンツェ、作家トルストイの妻ソフィアと言われています。
いずれも後の作り話とも言われていますが、世界三大◯◯というのは人の興味をそそるタイトルです。
ソクラテスは独身の男性に結婚について尋ねられたとき、次のように答えたとのこと。
「ぜひ結婚しなさい。よい妻を持てば幸せになれる。悪い妻を持てば私のように哲学者になれる」。
またあるとき、クサンティッペがソクラテスに次のように言ったそうです。
「屁理屈ばかり言っていないで働きなさい」。
ところがソクラテスはまったくそれに動じないので、妻は彼に頭から水をぶっかけました。
するとソクラテスはすました顔で、
「雷の後の雨はつきものだ」と言ったといいます。
この話をしたら、妻が吹き出して大笑いしました。


本当に結婚というのは、いい結婚をすると幸せになれますが、下手な結婚をして不幸になるぐらいならしないほうがましです。まあ、哲学者にはなれるかもしれませんが。
私は幸いなことに哲学者にはなりませんでした。


妻は私によく言います。
「私たちは本当に似た者夫婦ね」。
実際、物事の考え方や感じ方、価値観がとても似通っています。
ですからいろいろなことに一緒に感動し、一緒に泣き、一緒に喜び、一緒に大笑いします。
結婚してからだんだんそのようになってきたようです。
まさに「破れ鍋に綴じ蓋」です。
自営業をやっていることもあって、妻と私はそれこそ朝から晩までほとんどずっと一緒です。
「亭主元気で留守がいい」というテレビCMが昔流行ったことがありますが、妻は「留守は困る」と言います。まあ、「アッシーくん」になったりなど、何かと便利屋さん的な要素もあるからかもしれませんが(笑)。


私たちが結婚する直前に離婚したオーストラリア人の友人から素晴らしいアドバイスをいただきました。
「いつまでも友達同士でいること。これが幸せな結婚生活を続けるコツよ」と。
私たちは、このアドバイスに忠実に従ってきました。
ですから、結婚してもうすぐ34年になるのに、いまだに友達同士のような感じで、毎日新鮮です。
上のアドバイスをくれた友人も再婚して、以来とても幸せな結婚生活を送っています。
日本では、夫婦は空気のような存在だ、とよく言いますが、いるかいないか分からないような存在ではなく、空気のようになくてはならない存在で、お互いに意識して、相手をいたわり合い、支え合う、「破れ鍋に綴じ蓋」のようにお互いに補い合うことが大切なのではないでしょうか。
1年に1日、2月2日の「夫婦の日」だけ良い夫婦になるのではなく、1年365日よい夫婦でいることが、一番のいい子ども教育にもなります。


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幸せになりたい!

2016.02.22日

読売新聞の人生案内に、30代独身女性が、男性と交際したいと切々と訴えていました。


「30歳代後半の独身女性。一人暮らしです。今まで男性とお付き合いしたことがありません。
仕事関係でも趣味関係でも男友達は多く、2人きりで食事に行くこともありますが、恋愛に発展しません。
男友達に告白して断られた時に理由を尋ねたところ、『友達としてしか見られない』とのこと。女性としての色気が足りないのでしょう。
言葉遣いや身なりに気を使っていますが、実を結びません。
誰からも恋愛の対象にされず、深く悩んでいます。何より性体験がないことがつらいです。
いつか絶対にご縁があるはず、と信じていこうと思うのですが、一方で、自分には異性を引きつける性的魅力が欠けているのだろうと薄々感じています。
可能性がないのに男性との出会いを追い求めても絶望するだけ。
このまま歳を取ることが不安です。いっそ恋愛をあきらめることができたらいいのですが……。(東京・A子)」


このような相談はよく見かけます。
男性からも女性からも、若い子からも中年からも熟年からも。
みんな、「幸せになりたい!」と叫んでいるのです。


「幸せになりたい」人に朗報があります。
簡単な方法で幸せになれます。


答えは、「人を幸せにすること」です。
同様に、友達が欲しい人。「自分のほうから人の友達になる」ことです。
「お金が欲しい人」は「人にお金を惜しみなく与える」。
(逆説のように見えるかもしれませんが、真実です。人に、社会にお金を還元する人のところにお金は流れ込んできます)
「勉強ができるようになりたい人」は「勉強を好きになる」。
(勉強を好きになると、勉強もあなたを好きになってくれます)


先生が好きになると、その先生から好かれる。
社長が社員を愛すると、社員は社長を愛するようになる。
社長を信頼すれば、社長から信頼される。
スポーツを愛すると、そのスポーツに愛され、どんどん上達する。
読書を愛すると、本のほうがあなたを愛してくる。
人を助けると、人から助けらる。


その反対に、人に不親切にすると、不親切がもどってきます。
人を嫌うと、その人から嫌われます。
読書を嫌うと、本から嫌われます。
勉強をいやだと思っていると、どんどん勉強ができなくなります。
お金をケチると、お金は逃げていきます。


しかも、この法則はなんと2倍になって返ってきます。だから、やらなければ損なのです。
これは、「引き寄せの法則」と同じ考え方です。
この法則がわかると、人生は自分の思うように生きることができるようになります。
人生は、一瞬、一瞬、すべてのことを選択し、その結果がついてくるものです。


幸せになりたければ、人を幸せにする。
こんな簡単なことはありません。
みんな、自分のことばかり考えているから、求めるものがどんどん逃げていくのです。


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失敗する人の90%は...

2016.02.13日
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"Ninety percent of all those who fail are not actually defeated. They simply quit."
--Paul J. Meyer
「失敗する人の90%は実際に挫折したのではない。ただ単にあきらめただけだ」
ポール・J・マイヤー
(訳:舟田譲二)


ポール・J・マイヤー(1928-2009)は十代の頃からすでに大変な努力家で、競争心に燃え、物事を必ずやり遂げる青年だったそうです。彼は、飽くことなく学び、成功を成し遂げた人びとを熱心に観察しました。「勝利者になるためには、チャンピオンがするとおりにしなければならない」と信じていたのです。
「成功は、旅路であり、終着駅ではない」という信念から生まれた言葉が冒頭の、「失敗する人の90%は実際に挫折したのではない。ただ単にあきらめただけだ」です。
彼はセールスマンとして、著作家、講演家、ビジネスマンとして大成功を収めました。


何事においても成功した人から学ぶことは大切です。スポーツや芸術、学問など、どんな分野でも成功する人というのはみんな並大抵の努力家ではなく、最後まであきらめない人たちです。
つまりあきらめなければ誰でも成功できる、ということです。
人はすぐ、あの人は能力があるからとか、あの人は環境に恵まれていたから、などと言いますが、決してそうではありません。
環境にも能力にも恵まれていなくて成功した人はこの世に数えきれないほどいます。
その秘訣はただひとつ。
「成功するまであきらめなかった」のです。


3日後の来週の火曜日は神奈川県立高校の入試です。
どの問題も簡単で、目をつむってでもできる、というような人はほとんどいません。
必ず難しい問題に遭遇します。思うようにできない科目もあるでしょう。
そのようなとき、「ああ、もうだめだ」と思ったら、その時点でアウトです。
合格するのは、最後まであきらめない人たちです。
「失敗する人の90%は実際に挫折したのではない。ただ単にあきらめただけだ」


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最高のギフト

2016.02.12日
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明後日はバレンタインデー。
ひそかに期待している私です(笑)。


この世の中、どんなことでもお金で片づけられるような風潮があります。
ですから「ギフト」とか「贈り物」「プレゼント」とか言うと、お金がかかるものを想像してしまいます。
「最高のギフト」と言ったら、ダイヤモンドかなにか、いったいどれほどお金がかかるのだろうなどとつい考えてしまいます。


このブログでこれまで19回も引用しているビジネスコンサルタントのブライアン・トレーシー(「期待されている以上のこと」)が、このギフトに関してすごいことを言っています。


"The greatest gift that you can give to others is the gift of unconditional love and acceptance."
(人に与えられる最高のギフトは、無条件の愛と受容のギフトである)


The Power の中で著者、ロンダ・バーンも次のように述べています。
「相手を変えようとすることは愛を与えないことです!自分はその人にとって何が最善なのかが分かる、自分の方が正しくてその人が間違っている、などと思うことは愛を与えないことです!また、批判や非難をしたり、不平や小言を言ったり、人のあらさがしをすることも愛を与えないことです」 (『ザ・パワー』p.224)。


「相手を変えようとする」「批判や非難をする」「不平や小言を言う」「人のあらさがしをする」 − 多くの人が日常茶飯事にしているこれらのことは、すべて「無条件の愛と受容」と正反対のことです。
ブライアン・トレーシーはなぜ「無条件の愛と受容が人に与えられる最高のギフト」と言うのでしょうか?


『ザ・パワー』には次のようにあります。
「歴史上の最も悟った人たちはみな、人を愛しなさいと教えています。良い人になるために人に愛を与えよと言っているのではありません。私たちに人生の秘密を教えているのです!それは引き寄せの法則です。人を愛すると、あなたの人生は驚くほど素晴らしいものになります。人を愛するとそれに相応(ふさわ)しい人生を受け取ります。
(中略)
人に親切にしたり、人を勇気づけたり、助けたり、人に感謝したり、好感を抱いたりして人を愛しなさい。するとそれが何倍にもなって自分に戻ってきます。そして、健康、金銭、幸福、仕事など人生の色々な面に愛がもたらされます」 (p. 220-221)


「無条件の愛と受容」は、人が一番必要としているものです。
とくに成長過程の子どもはそうです。
しかし、子どもに限らず、大人も、お年寄りもみんな、人から無条件に愛され、受け入れられることを求めています。
人は高価なギフトを求めているのではありません。いくら高価なギフトを上げても、無条件の愛と受容というギフトがなければ、それはむなしいギフトです。


人が最も必要としているものを与えることは、その人にとって最高のギフトです。
そして、「無条件の愛と受容」という最高のギフトを人に豊かに与える時、それはほかの誰でもない、自分にそのまま戻ってきて、自分自身が一番幸せになれるのです。
バレンタインデーのギフトは、ゴディバのチョコレートや高価なプレゼントでなくていいのです。


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魔法の言葉

2016.02.11日


人見知りで、いつも父の背中に隠れているような子どもでした。そんな私に、人前に出るきっかけを与えてくれたのが、愛知県岡崎市立矢作西小学校6年の時の担任だった筒井博善先生(故人)。当時50歳代後半で、一人ひとりの児童によく目配りしてくださる先生でした。
 新学年が始まって間もない音楽の授業。ピアノが苦手な先生は、「代わりに弾いてくれないか」と私を指名しました。「できません」と何度も断ったのに、先生は「絶対にできるから、やってみなさい」と励ましてくれました。両親から音楽の先生を目指していることを聞き、引っ込み思案な私に活躍の場を与えてくれたのでしょう。
 学芸会でも、準主役のお姫様の役をくださいました。その時も「できるよ」と背中を押してくれました。とても恥ずかしかったけれども、大勢の前で演じる喜びも味わいました。
 先生が体調を崩して2〜3週間入院したことがありました。退院して登校した日の朝の光景が、今も忘れられません。職員室に駆けつけ、窓の前にひしめき合いながらクラス全員で先生の姿を探しました。振り向いた先生が笑いかけてくれた時、涙が出るほどうれしかったのを覚えています。
 それまでは「どうせダメだから」とあきらめがちだったのに、先生に「できるよ」と言われると、「ひょっとしてできるかも」と自信が湧いてくる。私にとって「魔法の言葉」でした。先生に出会わなければ、人前で自分の音楽を聴いてもらうシンガー・ソングライターを目指すこともなかったかもしれません。

(2013年7月1日付 読売新聞 インタビュー 「私の先生」より)


シンガーソングライター、岡村孝子さんにとって、人生を変えた「魔法の言葉」は、小学6年の時の担任教師の「できるよ」でした。
私も教育関連の仕事に携わって足かけ40年。この間、この「できるよ」の魔法の言葉を何回使ってきたことか。
生徒は頭から「無理」と言うのですが、それを説得して自信を持たせ、背中を押してきた結果、英検・漢検・数検などの検定試験を始め、高校・大学受験でも、また就職において、人間関係の修復などにおいても、この魔法の言葉が数え切れないほど実現してきました。そして、これらの体験をこのブログに数多く記してきました。


私自身もそうでしたが、人間というものは基本的には否定的・消極的な考えが支配していることが多いようです。
そのような中で、学校や塾の先生、親、友達などの「できるよ」のようなちょっとした励ましの言葉が「魔法の言葉」になることは古今東西よく知られていますし、それを体験してきた方も読者の中にきっとたくさんいらっしゃることと思います。


皆さんの、お子さんや兄弟姉妹、夫や妻、親、友達あるいは生徒や先生、会社の同僚や上司、部下を含め、あらゆる人間関係において、その人を生かす「魔法の言葉」は考えてみればいくらでも見つかります。
「夫婦の間のあいうえお」シリーズや「子育てのあいうえお」シリーズなどをぜひ日々の生活の中で実践していただければと思います。
その逆の、人をつぶす「悪魔の言葉」(「子育て禁句のあいうえお」など)は子育てだけでなく、あらゆる人間関係においてできる限り使わないようにしましょうね。


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象でもできるんだゾウ!

2016.02.06日
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心身の健康のためには、食事、運動、睡眠が大切である、とよく言います。
そこで、体に良いからと言って、植物性タンパクや食物繊維ばかり摂って、動物タンパクを一切摂らない人がいます。また、その逆の人もいます。


運動がいいからと言って、過激な運動をして体を壊す人がいます。
睡眠が大切と言って、1日に10時間も、あるいはそれ以上も眠ると、これは心身に良いわけありません。


勉強が頭にいいからと言って、もしも食事を摂らず、睡眠も削って勉強ばかりやっていたら、頭にも体にも精神にも良くないでしょう。


子育てや夫婦関係、その他の人間関係において、思いやり、優しさが大切だ、と言って、いつもそのことばかり考えて周りの人に気を遣ってばかりいたら、自分の健康を害してしまうことになりかねません。


バランスが人生の鍵です。


「象でもできるんだゾウ!」
と、上の写真の象が言っているかどうかはわかりませんが、私たちもこの象に倣って人生のさまざまな分野でバランスを取ることを意識してみましょう。これは私が今、心がけていることです。
心身ともに健康になるだけでなく、人生、生きるのがうんと楽になります。


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勉強しない子が勉強するようになる

2016.02.01日

アカデミー学院で昨年4月から導入した小学生のための国語・算数教室「ガウディア」
昨日は4時間に及ぶ定期研修が横浜で開催されました。以下にその学びの一部をご紹介させていただきます。
よくお母さん方から聞く「うちの子は勉強しない」「やる気が出ない」に対する名答が得られました。


第1部は「国語指導法」の学び。
「国語」というと、一般に「算数や理科・社会のような正解はなく、評価しにくい」教科で、「センス」「発想力」「独創性」が必要だとよく言われます。
しかし、これは厳密に言うと「小学校の」国語で、「国語」という広い言葉で一括りにするのは間違っています。
いわゆるPISA型の学力では、客観的に評価できる「読解力」「数学的リテラシー」「科学的にリテラシー」が求められ、「読解力」は決してセンスではなく、情報処理能力、分析力、それを根拠にした論理力が必要であることがわかります。


以上のことを踏まえて、参加者によるPISAの過去問を使ってのアクティブラーニングが行われました。
なかなか骨のある、答えが簡単には見つからない難問でしたが、全問正解でした。
正答率が31.8%と一番低い問題は確かに難しかったのですが、やはり主語と述語を意識して論理的に考えると正答を導くことができました。
ただ講義だけで終わっていたらスーッと頭の上を通り抜けていたかもしれませんが、この実践を通したお陰で身についたように思います。
ガウディアの国語教材は、この論理力育成を意識して作られている、ということで本当にそのとおりだと大いに納得しました。


第2部では、成功している教室の事例紹介。
そして、第3部のゲストスピーカーはマザーカレッジ主宰の江藤真規先生の「子育てコーチング」。
江藤先生ご自身の子育ての失敗体験などを通して、また現在もご自身の研究テーマとして取り組んでおられる「保護者と子どもと先生三者」のWin-Win-Winの信頼関係づくりをもとにしたコーチングでした。
多くの学校や塾が「欠けている知識を埋める」ティーチングしかしていませんが、本当に効果的なのは自発的な行動を促すコーチングです。(下のスライドの画像)
これはEducation(教育)という言葉が、原義であるラテン語のEducare(訓練する)とEducere(引き出す)から来ていることからも当たっています(「学院長ご挨拶」)。


coaching.JPG


次のようなアクティブラーニングの手法を用いて、実体験させていただきました。
1. テーマ(解決したいこと)
2. 理想(どのようにしたいか)
3. 現状(何がそうさせているのか)
4. ギャップ(理想に向けて何か変えられるものはないか)
5. 行動計画(いつ、何から手をつけ、具体的に何をするか)
という流れに沿って、まずは自分の抱えている問題(私の場合は、整理・整頓・断捨離ができない)を解決する行動計画を立て、次に同じやり方で、保護者の方の問題、たとえば「子どもが勉強しない」をどのようにすれば解決するお手伝いができるか、を考えました。


多くのご父母の方が、「子どもが勉強しない」と言うとき、子どもの問題と自分の問題が一緒くたになって、親は焦ったり、イライラして怒鳴ったりします。しかし、親が子どもに無理やり勉強させることはできません。子どもが勉強するようになるために、自分に何ができるか、何をするか、と発想転換をしなければならない、ということです。
これは、まさにこれまで何度もこのブログでも取り上げてきた「リアリティセラピー」のカウンセリング手法(「若返りました!」)そのものです。


昨日はこの研修会の学びだけでも十分すぎるほどの恩恵に与かったのですが、お昼をご一緒した千葉でガウディアをやっていらっしゃる上野先生とも親しくなれて、それも大きな収穫でした。
この方は、スイミングスクールをやっていらっしゃるのですが、子どもにスイミングを教えるのもガウディアで勉強を教えるのも同じだ、と去年、私とほぼ同じ時期に始められたのです。
若い頃はオリンピックの水泳選手を目指していたというプロのスイマーで、ついでにスイミングで私が抱えていた問題もお尋ねしたところご親切に教えていただき、本当に感謝なことでした。
上野先生、ぜひ平塚に遊びにお越しくださいね。日帰り温泉「湯乃蔵」にお連れします。
この他、江藤真規先生、お隣の席でペアワークをしてくださった曽根先生、ガウディアのスタッフの方々皆様に心より感謝いたします。


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私の自己評価

2016.01.25日

私は脳なしの人間でした。そして、脳なしであることを当たり前のことと思っていました。
小学生のとき、なにかチームを作るときには私はいつでも最後まで選ばれませんでした。とくに理由もないのにからかわれていました。また、友達はなかなかできませんでした。
その理由はわかりませんでした。しかしなぜか、私は仲間外れにされ、みんなの目にかなわなかったのです。
同級生たちはその理由を知っているに違いないと思っていたので、私は彼らの目をとおしていつも自分を見ていました。このようにして、自分に対して否定的に自己評価するようになっていました。
子どもの頃からティーンエイジャーの時代、そして大人になりたての頃も、そのほとんどの期間、私は自分のことを野暮で、周囲の人よりも価値がない人間だと思い、自分を嫌っていました。
クラスメイトの私に対する態度は、まさに自分でその予言を実現させる結果となっていました。


ところが、30代半ばになったとき、私のことが好きな友達がいて、私は自分の人生の様々な分野において成功しているということに気づき始めたのです。
小学校時代の同級生たちが私のことをあれこれ言っていたのは、私自身の問題だったというよりはむしろ彼ら自身の問題で、彼らの不安感からきていたのだということに気づくと、自尊心が次第に芽生え始めました。
私の中に長い間いた、傷ついた小さな女の子は、何十年も昔のあの当時の子どもたちの方がおかしかったのだということを悟りました。
私は結局のところ、全然仲間外れにされるような者ではなかったのです。


私は完璧な人間ではなかったけど(そもそも完璧な人間なんて存在しない)、私はそれでもいいんだということがわかり始めました。私は素晴らしいものをたくさん持っているいい人なのです。
私の自尊心はさらに高くなりました。
自分の内側を見て、自分がどのような人間であるかを判断するのは、自分にかかっているということがわかるようになってきました。
私の自尊心は、鏡のように他人の見方によるものではないのです。
自尊心は内側を見るところから生まれます。
この新しい見方ができるようになって、自分が愛すべき、有能な人間であることがわかり始め、それに応じて私の自尊心はますます成長していきました。


以来何年もたった今、私はありのままの自分にとても満足しています。
これは決して、もう進歩する余地がないということではありません。欠点があるにもかかわらず、私は愛すべき、価値ある人間だということを知っているという意味です。
かつての私でなく、現在の私にとても満足しています。
正しい自尊心は、健全で幸せな人生の土台です。
正しい自尊心が持てなかったとき、生きることは困難でした。
自尊心を持っている今、自分の行く先でたとえなにが起ころうとも、私はそれに対処する能力があり、必要な力が内にあるということを知っています。
ですから、肯定的な自尊心がないと人生はどれほど辛いものであるか、私にはよくわかるのです。
自分のことを、この世に一人しかいないユニークで素晴らしい人物だということをまだ知らないすべての方が、否定的な言葉をつぶやいたり、他人の考えに左右されることから脱皮して、自分は美しい人間だということを発見してもらいたいと私は切に願っています。


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サンディ・アベル (ビジネス・コーチ、作家、講演家、カウンセラー)
(訳:舟田譲二)


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釘を打ちつけ、そして引き抜く

2016.01.24日
Pounding-In-and-Pulling-Out-Nails.jpg


娘がほかの子どもに対していじわるなことを言って傷つけたことを責められたとき、娘はすぐに謝りたいと泣いて言ってきました。
それはそれでいいことなのですが、謝ればいつでも問題が解決するわけではないということを、私は娘に学んでもらいたいと思いました。


そこで、2年前に9歳のウィルという少年の父親が母親を捨てた話を娘にしました。
ウィルは、怒ってよく他の子にひどい言葉を浴びせかけていました。
彼は一度は母親に、「お父さんがお母さんを捨てたわけがわかるよ」とまで言いました。
ウィルのひどい言葉に耐えられなくなったお母さんはその夏、ウィルをおじいちゃんとおばあちゃんのところにやりました。


ウィルが自分をコントロールできるようにするためにおじいさんが考えた戦略は、彼がいじわるなことや人を不快にさせるようなことを言うたびに、ガレージに行って10センチ角の板に5センチの釘を打ちつけさせることでした。
小さな子どもにとって、これはとても骨の折れる仕事でした。でもおじいさんは、釘が板を打ち貫くまではウィルを戻ってこさせませんでした。
ガレージに10回ぐらい行ったところで、ウィルは自分の言う言葉にこれまで以上に気をつけるようになってきていました。
とうとう、彼は自分の言ったことに対して謝るようにさえなりました。


おばあさんが介入してきたのはそのときのことです。
おばあさんはウィルに釘をいっぱい打ちつけた板を持ってこさせ、その釘を全部引き抜くように言いました。
これは釘を打ちつけるよりもずっと大変な作業でした。でも、苦労したあげく、彼は釘を全部引き抜きました。
おばあさんはウィルを抱きしめて言いました。
「おばあちゃんはお前が謝ってくれて、もちろん嬉しいよ。おばあちゃんはお前を愛しているから許してあげる。でも、謝るというのはちょうど打ちつけた釘の1本を抜くのと同じようなことだということを知ってもらいたいの。
ほら、この板を見てごらん。穴が開いたままでしょ。板は元には戻らないのよ。
お前のお父さんがお前の心に穴を開けたことはよくわかっているわ。でも、どうかほかの人の心にまで穴を開けないでおくれ。お前はそんなちっぽけな人間じゃないでしょう」


4年生のクラスを受け持つひとりの先生が、つい最近私に言ってくれました。彼女は新学期の初めに生徒たちにこの話をし、そして1年をとおしてこの話を繰り返し聞かせたというのです。
生徒がいじわるなことを言ったりしたりすると、彼女はその生徒に尋ねました。
「あなたはだれかに釘を打ちつけたの?それからその釘を引き抜いたの?」


生徒たちは先生が何を言わんとしているのかちゃんと理解していて、また自分たちのしたことが間違っていたということをみんな認めていたそうです。もし、先生が生徒に「何をしたの?」と尋ねていたなら、みんなほかの子のせいにして互いに責め合うことを繰り返していたでしょう。
また、謝られた生徒たちが考えもせずに「いいよ」と言ってはいけないと、先生は生徒たちに教えました。なぜなら、自分の身にされたことは決して「良くない」し、たとえ口で「いいよ」と言っていても、心の中では当然のことながら「いい」とは思っていないからです。
そこで、先生はクラスの生徒たちに、「いいよ」と言う代わりに、「謝ってくれてありがとう」とか「許してあげるよ」と言うことを教えました。


先生はまた、教室の外で起きる家族間の難しい問題を生徒に理解させるためにもこの話を使いました。
彼女は言いました。「子どもの心に打ちつけた釘を一生引き抜かない大人もいるわ。でも、他の人に自分の人生を支配させないで、自分の力で人生を生きていくために、打たれた釘を自分で抜く力は誰にもあるのよ」と。
先生は私に言いました。「この話は単純明快です。でも、伝えているメッセージは強烈です。とくに、『あなたはそんなちっぽけな人間じゃないでしょう!』という言葉をあとに続けると。
とどのつまり、人の品性がものを言うのです。


マイケル・ジョゼフソン(キリスト教牧師)
(訳:舟田譲二)


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教え子の来訪

2016.01.21日

昨日は教え子の丈くんの誕生日。
「丈くん」といっても、今や27歳の立派な大人。
小学3年生の頃からアカデミーにお兄ちゃんと一緒に通い始め、大学生の4年間はアカデミーでは数学と理科を担当した人気講師。
大学卒業後は、私立の中学・高校で数学の教師を務め、この4月からは本人の念願であった地元の公立高校での採用が決まり、新たに高校の数学教師としてスタート。
さらにおめでたいことに、この3月には結婚式を挙げます。


その丈くんが、昨夜アカデミーを訪ねてきてくれました。
結婚式・披露宴の招待状を直接届けてくれると同時に、結婚式の司式を正式に依頼してくれたのです。
去年の7月、次男正人の結婚式の司式をした(「昨日は最高に幸せな一日でした」)のを見てとても感動したようで、式後すぐに自分の結婚式の時には司式をしてもらいたい(彼の言葉では「牧師さんしてください」)と言ってきたのです。


20年近くも丈くんの成長をずっと見てきたので、彼の結婚式の司式をさせていただくというのはとても光栄なことで、喜びもひとしおです。
小学生の頃から明るくて素直な子だったのですが、そのまま大人になったという感じです。


去年の11月20日のブログ記事、「倒産寸前ホテルが奇跡の復活」を見た丈くんは、Facebookに次のようなコメントを寄せてくれました。
「学院長!
私もこの番組を見ていたのですが、ちょうど、『アカデミーみたいだなぁ、学院長みたいだなぁ』と思いながら見ていました。
嫁さんに、『アカデミーも、似たような雰囲気があるよ』と話もし、学院長がブログにしていてビックリしたので、思わずコメントさせて頂きました(^^)」


昨夜、中1・中2と個別のクラスを何年かぶりに見学した丈くんは、「懐かしい!また、ここで働かせていただきたいです」と、とても嬉しいことを言ってくれました。
自習に来ていた中3生には、「この近くの高校の先生になるので、ひょっとしたら君たちにその学校で会うかも」と。


アカデミーの歴代の先生たちは今も付き合いが続いていて、それぞれの結婚式にはみんな仲間が集まって祝い、また毎年お盆休みにはバーベキュー大会や泊りがけの旅行、そして忘年会をしたりしています。
箱根で一泊で行われた去年の忘年会(下の写真)には、仕事で来れなかった人を除いて21人も集まったそうです。
このようにして、先生たちがいつまでも仲良くしていて、その都度私にも顔を見せて挨拶してくれるのは、私にとって本当に大きな喜びです。


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相利共生

2015.12.30日

今から25年ぐらい前のこと。
うちの塾の小中学生の生徒たち十数名をアメリカへホームステイに引率して行きました。
私がお世話になった家では夕食後の歓談のとき、なんの話からだったか、ご主人が日本の捕鯨を強く非難し始めました。
私はそれに対して、捕鯨の伝統的な意味や、文化、クジラの食用や骨、油の活用法などさまざまなことを話しましたが一切受け付けず、クジラは魚ではなく哺乳動物だから殺すのはいけないと言います。
それを言うなら、私たちはみんな牛や豚を殺して食べているではないか、これらも哺乳動物だ、と返したところ、牛豚は食べてもいいが、クジラはだめだの一点張り。
さらに、この人は狩猟が趣味で、冬になるとライフル銃を持って山に入り、シカや熊、ウサギなどを打ち殺し、その肉を食べ、その取った動物の頭をはく製にして壁に飾っていたので、私はこれこそ残酷だ、と言ったところ、もうこの話はこれで終わりだ、と言って打ち切り、気まずい雰囲気で夜が終わりました。


去る9月に「人間は万物の霊長か」という記事を書きました。
我々人間に限らず、この地上の生物はみな、ほかの動植物を食料にして生存しています。人間だけが万物の霊長だから、というわけではありません。


ここで、最近よく言われる「共生」という概念が大切になってきます。
「共生」とは、文字どおり「共に生きること」です。
Wikipediaには「複数種の生物が相互関係を持ちながら同所的に生活する現象」と定義されています。


共生と言うとき、
相利共生(そうり) … 双方の生物種がこの関係で利益を得る場合
片利共生(へんり) … 片方のみが利益を得る場合
片害共生(へんがい) … 片方のみが害を被る場合
寄生(きせい) … 片方のみが利益を得、相手方が害を被る場合
などをよく挙げますが、私は、表面的には上のように利害関係があるように見えるものも、
「すべては互いに益し合って生きている」
のではないかと思うのです。


この世を人間中心に考えると、人間に益となる動植物等のケースは上の「片利共生」になり、動植物等を中心に考えると「片害共生」で犠牲者となります。
人が愛(め)でる草花や、食用にする動植物等は、人間にとってはありがたいものであっても、彼らにとってはいわば被害者になるのですから。


しかし、視点を変えると、じつは一見被害者に見える彼らも、人に益することによってその与えられた使命を果たし、喜んでいる(?)のではないでしょうか?
これを人間のエゴだとか、傲慢と言う人もいます。
しかし、そのように言う人でも、現実にはこの世に存在するさまざまなものを食用にし、あるいは趣味や観賞用として利用しています。これは矛盾です。


さて、この共生という考えは、さらにはこの地球上の人間同士の関係においても言えます。
一昨日、日本と韓国が「慰安婦問題」で歴史的な最終合意に至りました。
これからは未来志向で、両国間の平和と繁栄を目指していかなければなりません。今までのように、両者が自分の立場ばかり主張し、一歩も譲らない姿勢でいては、お互いに益することなどひとつもありません。
そして、このような問題は、今も昔も地球上至るところで、国家・民族間の衝突や戦争に、さらにはそれが尾を引いてお互いに憎しみ合い、復讐し合うという負の連鎖に陥り、テロに発展したり、テロの掃討という報復合戦になっています。
これほど愚かなことはありません。
ここでこそ、人類、人間という広い見地から、真の「相利共生」を目指さない限り、人類は必ず滅亡の道をたどることになるでしょう。


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人は心の中で考えることを

2015.12.17日

つい先日、車を運転していてとても怖い状況に遭遇しました。
右折しようとして指示器を出して止まっていました。
そこへ対向車が左レーンを走ってきて、私が曲がろうとしている右の道路から出ようとしている車を先に通そうとして止まりました。
ところが、右レーンを走ってきた対向車が横を通り抜けようとしたため、道路から出てきた車とぶつかりそうになったのです。
私は危険を事前に察知し、右レーンを猛スピードで走ってきた車にヘッドライトをちかちかさせてクラクションを鳴らして知らせたのですが、その車は突っ切って走り抜けていきました。右の道路から出てきた車が危機一髪のところで急停止したため幸い事故は避けられました。
しかし万一、事故が起きていたら、私の車に衝突した2台の車が突っ込んできて、こちらも大破、重症もしくは重体、あるいは最悪死亡ということだってあり得ました。
そう考えると正直ぞーっとしました。


昨日も、目の前の交差点を赤信号なのに突っ込んでいく車があり、一歩間違えば車同士の事故、または人身事故にもつながっていたかもしれません。


赤信号を無視する車の運転手というのは、交差点に近づいている時、横断歩道の点滅している青信号を、そして黄色に変わった信号を見ていながら初めから突っ切って行くことを心に決めています。


同様に、万引きや窃盗、盗撮、痴漢などの犯罪行為をする人も、「つい魔が差した」ということをよく言いますが、実際には初めからそれをしようと心の中で決めています。


以前、「頭の中にあることは」という記事を書きましたが、その中に下の有名な聖書の言葉を引用しました。
"As a man thinks in his heart, so is he." (箴言23:7)
日本語訳は「彼は、心の内では勘定づくだから」(新改訳)と、分かりにくい表現になっていますが、言わんとしていることは、
「人は心に考えるような人になる」
ということです。


この言葉を少し変えると次のようになります。
"As a man thinks in his heart, so does he."
「人は心に考えることをする」


マザー・テレサの次の言葉にも通じます。
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。


冒頭に挙げたケースはネガティブなものですが、その逆も真なりで、いいことを考えていたら、それは言葉になり、行動に、習慣に、性格に、そして運命にもつながっていきます。
これも延々とつながっているひものようなもので、いわゆる「ひも理論」(「新超ひも理論」)です。


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新超ひも理論

2015.11.23日

昨日の記事「音楽に見られるひも理論」に書いた、NCM2のクリスマス・コンサートは本当に素晴らしいもので、魂を揺さぶられました。
記事の中でご紹介した「輝く日を仰ぐとき」が、午前の礼拝に続き、コンサートでもまた賛美されました。
また、40年近く前、導かれた教会の祈祷会でよく賛美していた「歌いつつ歩まん」が歌われ、当時大変お世話になった日系1世のおじいちゃん、おばあちゃんたちのことを思い出し、胸がいっぱいになり涙が止まりませんでした。
その昔、長男の直人もこのNCM2のメンバーとしてご一緒に賛美させていただいていたのですが、「直人くんのお父さんですか?」と何人もの方々から声をかけられたり、ブログを読んでいますと言ってくださる方など、このコンサートでも「ひも」でつながっている人があまりにも多くて驚かされました。


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さて、これまで8回にわたって「勉強のひも」について書いてきました。


「勉強のひも」と書きましたが、実はこれは「勉強」に限らず、人の人生や人間関係や人の好みや趣味を始め、その他諸科学や芸術、地球や宇宙の諸現象、引いてはすべての事物の成り立ちや起源にも通じることで、私はこれを「ひも理論」と名づけようと思ったのですが、ネットで調べてみると既にその名称も、また「超ひも理論」も物理学の世界で存在していることを知り、敢えて「新超ひも理論」と名づけたのです。


ひも理論については、Wikipediaが的を射た説明していますので下に引用させていただきます。
超弦理論(ちょうげんりろん、英: superstring theory)は、物理学の理論、仮説の1つ。物質の基本的単位を、大きさが無限に小さな0次元の点粒子ではなく、1次元の拡がりをもつ弦であると考える弦理論に、超対称性という考えを加え、拡張したもの。超ひも理論、スーパーストリング理論とも呼ばれる。
宇宙の姿やその誕生のメカニズムを解き明かし、同時に原子、素粒子、クォークといった微小な物のさらにその先の世界を説明する理論の候補として、世界の先端物理学で活発に研究されている理論である。この理論は現在、理論的な矛盾を除去することには成功しているが、なお不完全な点を指摘する専門家もおり、また実験により検証することが困難であろうとみなされているため、物理学の定説となるまでには至っていない。


ちょっと読んだだけでは???という感じかもしれませんが、簡単に言うと、この宇宙の中のすべての成り立ちは超微粒子ではなく、超微粒「ひも」でできていて、すべてがつながっているということです。


このブログにもこれまで何度か量子物理学のことを取り上げてきましたが、私自身は物理学に関しては全くの素人、門外漢ですが、直感的に非常に納得がいきますし、またとても心そそられる分野です。


この難解な「ひも理論」を、私たちの日常生活レベルで語っているのが、私の「新超ひも理論」です。
もしこの広大な宇宙が点のようなバラバラの粒子の集まりで成り立っているのでなく、ひものようにつながりがあるとするならば、ましてや私たちのような極めて小さな存在で、有限な人間ならなおさらのこと、様々な点のつながりであるひものようなもので成り立っているということは容易に想像がつきます。
また、その方がはるかに私たちを納得させてくれ、人生に対してより深い洞察力が与えられます。


一例を挙げると、夫婦関係や親子関係、友人関係、同僚関係、師弟関係などすべての人間関係に、さらに広げると国家関係にも当てはまります。
言うまでもなく、これらの関係がうまくいくかこじれるか、戦争状態になるかなどは、すべてそれまでの数えきれないほどのお互いの関わり合い方の結果であって、「ある日、突然!」何か特別なことが起こったわけではありません。
これを言い換えると、すべての事象はそのときどきの出来事の積み重ねの結果、つまり何らかの原因があってその結果がある、ということができます。
ということは、現在起こっている出来事自体は変えることはできないが、これから先のことはどんなことでも自分の意志次第でほとんど変えることができると言えます。(『バック・トゥー・ザ・フューチャー 』


つまり、個々バラバラに見えることでも、それぞれの間に存在する目に見えない引力のようなものですべてがつながっているのです。
これが、私の提案する「新超ひも理論」です。


私たちが今、この世に存在しているのは、母親が生み出してくれたお陰です。
しかし、父親も必要でした。
さらに、その父親にも母親にも同様に父親と母親が必要で、とどんどんさかのぼっていくと、当たり前のことですが一度も途切れることなくひものようにつながっていて、結局はみんな同じところにたどりつくことになります。


宇宙がある日突然、意味もなくビッグバンで生まれ、その後自然の流れで今日に至り、その過程で偶然に単細胞の生命が生まれ、それがどんどん進化していった結果、私たちが現在この世に生きているのだとすれば、人生には何の意味もなく、生きる目的もなくなり、「飲めや、食えや」でその日その日を面白おかしく生きていけばいいことになります。
でも、私たちは直感的にそうではないことを知っています。
このように「人生のひも」が見えると見えないでは、人生は180度変わってきます。


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結婚、子育てで失敗しない法

2015.11.16日
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[人生案内]離婚の長女 3人子連れで疲弊


60代の女性。3人の子どもを連れて離婚した長女の今後が心配です。
 長女には小学生2人と5歳の子がいます。2年前にうつになり病気休業を繰り返しながら働いています。
 先日、「自分は子どもを育てられない」と言い放ちました。子どもが言うことを聞かずわがまま放題で、ゆううつになり、むなしくなるのだといいます。
 再婚したいと、結婚相談所に登録しましたが、うまくいきません。「3人子どもがいるのは、そんなにハンデなのか」と落ち込んでいます。精神的に男性にすがりたい、と言います。
 状況を見かねて、私は孫たちを3日ほど預かりましたが、すっかり疲れてしまいました。私にも持病があり無理がききません。
 長女の元夫に、子どもを引き取ってもらえないかと話をしたら、「何を今さら」と断られてしまいました。
 心配でなりません。私は母親としてどうすべきでしょうか。(広島・W子)


     ◇


 いや、ご長女の子育てのご苦労いかばかりかと共感したいのですが、それ以前にお子さんたち、父からも母からも邪魔者扱いされて、何だか不憫ふびんすぎます。
 第一、「子どもを育てられない」と宣言したところで、お子さんにとって大切な母親であることに変わりありません。ご長女の母であるあなたが、「それを言ってはいけない」と諭してあげるべきかと。
 ご長女は再婚を考えておられるようですが、それを実現するためにも、まず母が子をかわいがらねば。「子どもがいるのはハンデ」と言う以前に、我が子への愛情がないのでは良い旦那が来てくれるわけもない。子どものある女性と再婚したい男性の心理は、やはり平和で幸せな家庭を作りたいという願いでは? 「子どもが嫌なので男に頼る」のでは、かえって男が寄り付かないでしょう。
 持病があるのに本当に精いっぱいの力を尽くしておられるあなたに頭が下がりますが、ご長女の子育てを代行したり、元夫に子どもを押し付ける算段をしたりするのではなく、子どもをどうやったら愛せるかを、ご長女と一緒に真剣に考えることから始める必要があるように感じられました。
野村 総一郎(精神科医)

(11月14日付 読売新聞「人生案内」より)


野村総一郎さんの名回答には、いつも「スカッと爽やか」な気持ちになります。お見事と言うほかありません。
相談者もそのご長女さんも、一昨日の記事「結婚ってフィフティ-フィフティ?」に書いた正しい結婚観、育児観を持っていらっしゃたなら、状況は180度変わっていたことでしょう。


多くの人が結婚を自分中心に考えています。
そして、自分の思うようにいかないと、安易に離婚という形で解決を図ろうとします。その結果、いつも子どもたちが一番の被害者になります。
このご長女さんご夫妻も、結婚に対して正しい考え方をしていらっしゃったなら、きっと結婚生活はすっかり違っていて、離婚を避けることができ、また子育てで苦しむことも、うつになることも、再婚で悩むこともなかったことでしょう。
もしも、このままの考え方をしたままで子連れで再婚されても、また同じ過ちを繰り返すことになる可能性が大です。
とどのつまり、結婚も子育ても、原則に従って行えばうまくいくものであり、大きな祝福となります。


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結婚ってフィフティ-フィフティ?

2015.11.14日
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Marriage is not 50-50.
Divorce is 50-50.
Marriage has to be 100-100.
It isn't dividing everything in half, but giving everything you've got!
結婚は50/50(フィフティ−フィフティ)ではない。
離婚が50/50だ。
結婚は100/100だ。
結婚とは、すべてを半々に分けることではなく、自分の持てるもの100%を与えること。

(訳:舟田譲二)


最近は結婚のことを「コストパフォーマンス」で考える人が増えてきているようで、そのようなタイトルの記事をあちらこちらでよく見かけます。
コストパフォーマンスで考えるなら、結婚は50/50でも100/100でもなく、100/0になり、自分さえ良ければ良いという全く自己中心なものになってしまいます。
そして、自分にとって益でなくなれば、不倫をする、離婚をするということになります。
果して結婚てそのようなものなのでしょうか。


聖書によると、結婚とは次のようなものです。
「妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい」
「主」とはイエス・キリストのことです。
夫婦関係が壊れる原因の多くは、妻が夫に仕えない、すなわちパワーバランスが崩れるというところにあるようです。妻は自分の思い通りに夫をコントロールしようとしますが、夫は妻に支配されるのを嫌います。そこで夫は言葉や行動をもって妻を力づくで支配しようとします。


それでは夫に対してはどうでしょうか。
夫は妻に仕えられてふんぞり返って、亭主関白で妻を自分の思い通りにこき使っていればいいのでしょうか。このような夫婦関係も非常に多く、そしてその結果離婚に至るケースもしばしばです。
聖書は次のように言っています。
「夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい」
夫に対しては妻を愛しなさい、とあるのですが、その愛し方は単に「愛しているよ」というようなレベルではありません。
「キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように」とは、イエス・キリストがご自分を信じる者を愛して十字架上で命を捧げられたようにという意味で、命をかけて愛しなさい、という命令です。
夫がこのように命がけで妻を愛するなら、妻は喜んで夫に仕えることでしょう。


つまり、聖書が教える結婚の姿は、夫も妻も自らを相手に100%捧げること、「100/100」の関係です。
このような結婚がうまくいかないわけありません。
そして、育児においても必ず成功します。


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確率論

2015.11.08日
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医者が手術の前に患者に言いました。
「この病気の手術が成功する確率は10%と言われています」
「10%!」
「でも安心してください。私はこれまでこの病気の手術で9回失敗していますから」


なるほど、手術の成功の確率は10%で、これまで9回失敗していたら、確率論的には次あたりは成功するかも、ということですね。
でも、果たしてこの医者の腕は信頼できるのか...


成功哲学者のジャック・キャンフィールドがいいことを言っています。
"I teach something called The Law of Probabilities, which says the more things you try, the more likely one of them will work. The more books you read, the more likely one of them will have an answer to a question that could solve the major problems of your life.. make you wealthier, solve a health problem, whatever it might be."
-- Jack Canfield, Success Coach
「私は確率の法則というものを教えている。この法則によると、より多くのことを試すと、そのうちの一つがうまくいく可能性がある。また、より多くの本を読めば、あなたの人生における大きな問題を解決してくれるような答えを見出す本を見つける可能性が高くなる。あなたをより裕福にしてくれ、健康上の問題を解決してくれたりと、ほかのどんなことであれ」
-- ジャック・キャンフィールド、成功哲学コーチ
(訳:舟田譲二)


これは言えてます。
よく小学生や中学生が、ときに高校生や大学生ですら尋ねます、「勉強をしていったい何の役に立つの?」と。
今の学校や塾での勉強、さらに言えば、日本の教育システムの中での勉強は、ともすれば強制的なものになりがちで、意味や目的も分からず、ただ試験のために、学校の成績のために、受験のために、就職のためにしなければならないもの、というふうに子どもたちは受け止めています。
勉強が苦痛になるのは当たり前、「いったい何の役に立つの?」と言いたくなるのはよく分かります。私自身がそうだったのですから。


でも、人間ってなにかをやって、いきなり「ビンゴ!」、大当たり、なんてことはまずありません。
勉強に限らず、スポーツにしても、職業にしても、はたまた結婚相手にしても、いろいろ試していくうちに、「これだっ!」というものに当たることがしばしばです。
ということは、これも確率論で、上でジャック・キャンフィールドが言っているように、より多くのことを試し、またより多くの本を読み、より多くの分野の勉強をする、そのうちに自分に合ったもの、大好きなものに出会うチャンスが増えるわけです。
これだけでも勉強をする理由は十分にあります。
勉強は役立たない、つまらない、と先入観で決めつけるのは損です。将来の可能性の扉を自ら閉ざすようなものですから。


私はこれまでやってきたこと、勉強してきたこと、すべてが今役立っていて、「◯◯式」じゃないですが、「やってて良かった」と心底思っています。


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子育ては親の責任

2015.11.06日

以前、子育てシリーズで「子育てのあいうえお その1」「子育てのあいうえお その2」「子育てのあいうえお その3」「子育てのあいうえお その4」「子育てのあいうえお その5」「子育てのあいうえお その6」をあいうえお順で書きました。


このシリーズ、なかなか評判がよかったのでそれに続いて今度は「子育て禁句のあいうえお」シリーズを書きました。
「子育て禁句のあいうえお その1」「子育て禁句のあいうえお その2」「子育て禁句のあいうえお その3」「子育て禁句のあいうえお その4」「子育て禁句のあいうえお その5」「子育て禁句のあいうえお その6」「子育て禁句のあいうえお その7」「子育て禁句のあいうえお その8」「子育て禁句のあいうえお その9」「子育て禁句のあいうえお その10」
「子育て禁句のあいうえお 最終回」と、11回にわたって書きました。


もし、まだご覧になっていらっしゃらない方がありましたら、すぐに読める内容なのでぜひご覧ください。
子育ての終わった方は孫育てに、お子さんのいらっしゃらない方は甥子さんや姪子さんに、まだこれからの方には将来のお勉強のために今から見ておかれたらなにかと役立つことかと思います。


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「子は親の背中を見て育つ」とよく言いますが、子どもは親の背中だけでなくすべてを見ています。
先日、大磯海岸に行った時、サーフィンをやっている親の子どもは小学生の時からサーフィンを、釣りをしている親の隣りには小学生の子どもが釣りを、並んで一緒にジョギングをしている親子などを見かけました。今度の東京オリンピックでは2代目の活躍が期待されています。
趣味から好み、特技まで親の影響を受け、真似をして育ちます。そういう私も父のお陰で英語が得意になりました。親の生き様が子どもの一生を決めると言っても過言ではないほどです。
どんな子どもに育てるか、それはまさに親の責任です。


「子は親の鏡」というタイトルのものをFacebookで最近見つけましたのでそれをここにシェアさせていただきます。
ちょうど読売新聞の[貧困 子供のSOS]をシリーズでご紹介してきた内容と、上の「子育てのあいうえお」「子育て禁句のあいうえお」の総集編のような感じで、とてもうまくまとめられています。
一分間の短いYouTubeの画像もついていますので、ぜひご覧ください。よくあちらこちらで見かける光景です。



「子は親の鏡」


けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる
親が他人を羨(うらや)んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉(ほ)めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりを持って育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、
子どもは、この世はいいところだと思えるようになる


ドロシー・ロー・ノルト


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子育て禁句のあいうえお 最終回

2015.11.04日


長く続いた「子育て禁句のあいうえお」シリーズもいよいよ今日が最終回です。
これまでお付き合いくださった皆様には心より感謝いたします。
少しでもお役に立てたならば本望です。
では、行きましょう。


る  ルックスがいい。(悪い)!
「◯◯さんはルックスがいい」とか「見た目が悪い」、「ブス(ブ男)だ」などと、親が子どもの前で平気で人の外見の良し悪しを話していることがあります。時には、子どもの友達のことでも、このような外見の評価をしたりします。でも、これは教育上絶対に好ましくありません。
まず、人の良し悪しを外見で判断すること自体が意味のないことですし、しかも子どもにその人の価値に関して先入観や偏見を与えることにもなります。さらに人を外見で判断するという誤った教育をすることにもつながります。
学生時代にある超有名な茶道の家元の英語通訳をしたことがあります。外見はものすごく立派で、周りの人たちがペコペコしていましたが、私はちょっと接しただけで、その人の中身が見えた気がして、とてもがっかりした覚えがあります。人は外見ではわかりません。


れ  例外は認めない。
何かルールを決める時など、よくこの「例外は認めない」という言葉を聞きます。
まあ、確かに何事も例外ばかりあったらルールの意味がなくなりますが、かと言って例外を一切認めないというのは、杓子定規で人間的な温かみや融通というものを感じません。
とくにこれが親子関係の場合はなおさらのことです。子どものために、時には例外も認めて、失敗や過ちを受け入れてあげることも必要です。
私たち自身、これまでの人生振り返ってみると、この「例外」によってずいぶん救われてきたのではないでしょうか。


ろ  ろくでなし。
「ろくでなし」も、このシリーズ第1回の最初の「あほ」「バカ」「マヌケ」同様、相手を見下した表現で人の心を傷つけます。
「ろくでなし」というのは、「性格が曲がっている」「役立たずのどうしようもないもの」というような意味で、別の言葉で言うと「落ちこぼれ」「能無し」「カス」「くず」「社会のダニ」「ゴキブリ」等など、相手を非難するありとあらゆる悪い言葉の総称のようなものです。
これらを言われて良い気分のする人など一人もいません。
人に言われたくないことを人に言ってはいけません。とくに自分の子どもには。


わ  わざとらしい。
せっかく子どもが何かを一生懸命言ったり、やったりしても、それを素直に認めることができず、「わざとらしい」と言って一蹴する親がいます。これでは子どもがかわいそう。
万一、たとえわざとらしく見えたり、聞こえたりしたとしても、親はそれをありがたく受け止め、お礼を言ってあげると、子どもも気持ちよくなり、じゃあまた今度も何か喜ばれるようなことをしようという気になります。子どもの心の背後に悪意を見るのではなく、善意を見抜いて、それを伸ばしてあげるようにするのが親の務めです。


以上で「子育て禁句シリーズ」を終えることになります。
皆さんの応援、温かいコメント等たくさんいただき、ありがとうございました。
私がこのシリーズのまとめとして言いたかったことを、お二人のFBフレンドの方が見事に言ってくださいました。感謝をもってご紹介させていただきます。


「神様から授かった大切な宝物をいかに上手に育てるかは、親や教育者をはじめ、周りの大人たちの課題でしょうね」(NMさん)


「”反面教師風”学びも、時として肯定的おすすめよりインパクトがありますね。そしてこれも相手が我が子だけでなく、人間関係全てに言えるようです」(MOさん)


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子育て禁句のあいうえお その10

2015.11.03日


この「子育て禁句のあいうえお」もシリーズ10回目になりました。
今、子育て中の方も、これからの方も、もう終わって今度は孫育ての方も、またお子さんのいらっしゃらない方にも、何らかの形で少しでもお役に立てていることがあるなら、幸いです。
ちょっと長くなり過ぎた感がありますが、次回で最終回にしたいと思います。


や  やかましい!
子どもに対して平気で「やかましい!」「うるさい!」と怒鳴る親の気が知れません。
子どもというのは概してうるさいものです。逆に、もしおとなし過ぎたら問題です。
同じ状況でも、「やかましい」と思うか、「賑やかで楽しい」と思うか、考え方ひとつです。
同じ子育てするなら、楽しむ方が自分のためにも子どものためにもいいに違いありません。


ゆ  夢みたいな話するな。
子どもが夢みたいな話をするのは当たり前のこと。むしろ、現実的なことばかり話す子どもがいたら、その方が問題です。
子どもの夢のような話をしっかり聴いてあげて、大きく驚いたり、感動したり、褒めたりしてあげましょう。
「超常識」の中にも書きましたが、みんなから夢のような話だと言って、バカにされていた人がその夢を実現させたケースは数え切れないほどあります。


よ  欲張り!
子どもに限らず、人間誰でも自己中心なものです。ですから自己中心な親が子どもに向かって、「欲張り!」とか「自己中心」なんて言えた義理ではありません。
親自身がまず自己中心でない生き方をして子どものお手本にならなければなりません。
「欲張り!」と子どもを責める前に、人に優しくする、人のことを心にかける生き方をまず示してあげましょう。


ら  落書きばかりして。
子どもはあちらこちらに落書きをします。まだ、いいことと悪いことの区別がつかないのです。そして、落書きは子どもにとっては最初の自己表現活動です。少々のことは大目に見てあげながら、正しいことと間違っていることを教えていってあげてください。
私の愛用の聖書の中にも何カ所か子どもの落書きが残っていますが、今となってはいい思い出です。


り  理屈を言うな!
親に叱られた子どもが何か言おうとすると、頭ごなしに「理屈を言うな!」と大声で怒鳴る親がよくいます。
でも、誰にでも何かを言ったり、したりするその背後には、必ず何らかの理由があります。その理由を話そうとする時に、「理屈を言うな!」と言ってさえぎってしまうと、会話がそこで中断されるばかりでなく、子どもは親に拒絶されたかのように感じます。
時に屁理屈を言うこともあるでしょう。そのような時には、冷静にその理屈が成り立たないことを教えてあげればいいのです。このようにして子どもは知恵をつけて成長していきます。


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子育て禁句のあいうえお その9

2015.11.02日


「子育て禁句のあいうえお」シリーズ、長い間お付き合いくださいましてありがとうございます。あともう少しです。


ま  まだっ!?
親はどうも忍耐力がないのか、しょっちゅう子どもに「まだっ!?」「早くっ!」と言って、行動を急かします。子どもは何をするにも時間がかかるものです。何事にも慣れていないから当然のことです。
もう少し忍耐強く待ってあげましょう。
また、時間がかかるからといってすぐに手を貸すこともあまり良くありません。何事も自分でやることが大切なのです。その繰り返しですべて上達していきます。


み  みっともない!
子どもがみっともないことを言ったり、したりすることも当たり前のこと。私たち自身も子どもの頃はそうだったのですから。
常識外れのことや、人に迷惑をかけるようなことはだめですが、少々みっともなくても、周りの人たちは笑って大目に見てくれます。親が人目を気にしていつも「みっともない」と言っていると、子どもは人目を意識するようになり、子どもらしい行動が自由に取れなくなってしまいます。


む  無理、無理。
親は子どもに対してあまりにも容易に「無理」と言って、子どもが何かしようといているのを諦めさせようとします。
確かに、子どもにとって困難なことはたくさんありますが、それら一つひとつを試していく中で、できることが少しずつ増えていくのです。
ですから頭ごなしに「無理、無理」と言うのでなく、忍耐力をもって見てあげましょう。
できれば「すごい!」と言って褒め、もしできなければ「あと一歩」とか「こういうふうにやってみたら?」とヒントを与えたりして、簡単に諦めない根性を同時に育て上げるようにしましょう。
また、子どもに何か頼まれたりした時なども、あまりにもあっさりと「無理」と断るのでなく、本当に力になれないかどうかよく考えてから答えるようにしてもらいたいものです。


め  めんどくさい。
子どもに何かせがまれて「めんどくさい」と答える親をよく見かけます。これでは子どもがかわいそう。自分が人に何かを頼んで、「めんどくさい」と言われたらどんな気持ちがしますか?
とくに子どもは親の関心や助けや愛情をいっぱい必要としています。「めんどくさい」は禁句です。
子どもに思いっきり時間を使ってあげましょう。


も  文句ある?
子どもが何か言おうとしたら「文句ある?」と切り返す親がいます。これははた目で見ていても心が痛みます。
子どもにも当然、自分なりの考え方ややり方、価値観などがあるわけですから、親はもっと子どもの心の叫び声に耳を傾けるべきです。
「文句ある?」と言う前にお互いにもっとよく話し合い、理解するように努めましょう。


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子育て禁句のあいうえお その8

2015.11.01日

私が子どもの頃からみると、確かにこの「子育て禁句」シリーズに書いているようなひどい言葉遣いはずいぶん減っていると思います。
でも、現実に今でも時々ここに挙げているようなシーンに遭遇することがありますし、また青少年の非行などの背景にこのような親の子育てがあることも否定できません。


散歩していて、仲の良さそうな親子を見かけるとホッとします。
昨日もそのようなシーンにいくつか遭遇しました。
すると、自然とこちらも笑顔になってしまいます。


それでは、今日も続きをいきましょう。あくまでも反面教師にしてくださいね。


は  恥さらし!
子どもはまだ社会経験は浅いし、人間関係だって下手に決まっています。ですから時々、親にとって恥ずかしい場面に遭遇することだってあります。それは、私たち自身も子どもの頃はそうだったんですから。
でも、子どもに向かって敢えて「恥さらし!」なんて言う必要はありません。もっと具体的にどのように言えば良かったのか、すれば良かったのかを教えればいいのです。子どもたちはこうして学びながら成長していくのです。


ひ  ひねくれもん!
子どもは何事においても親の思うようにはいきません。一個の人格を持ってこの世に生まれてきているのですから。
親の思い通りにいかないからといって、「ひねくれもん!」と言うのは間違っています。ひょっとしたら親の考えの方が間違っている可能性だってあります。
子どもの考え方を尊重してあげましょう。間違っていれば、それを具体的に示して教えればいいだけのことです。


ふ  ふざけるな!
子どもがふざけているのを見て「ふざけるな!」と言うのではなく、むしろ親にとって面白くない時にこのような言い方をするのではないでしょうか。ですから、子どもだって時には親に向かって同じように「ふざけるな!」と言うのでしょう。
でも、この言葉はお互いを傷つけ、不愉快にし、関係を壊すだけで決して解決には至りません。
「ふざけるな!」は会話も行き詰まりにします。この言葉を使う前に、「なぜ?」と理由を尋ねて、お互いの立場や考え方の違いを理解するように努めるべきです。解決の道はそこから自ずと開かれていきます。


へ  下手くそ。
子どもは何をやっても下手くそなのは当たり前。私もあなたも子どもの頃は、下手くそだったのです。
子どもは「下手くそ」と言われると、やる気をなくすのが落ちです。
ですから、どのようにすればうまくなるのか教えるのが親の務めなのです。


ほ  没収する!
子どもが携帯やゲームや漫画本、テレビなどに夢中になっていると、親はつい「没収する!」と言って取り上げてしまいます。
でも、いきなり没収するのでなく、その前に親子の間でルール作りをすることが大切です。
「◯時まで」とか、「〜をやったら」などと、お互いに納得がいくように話し合ってルールを作り、それを破った場合は没収という取り決めをしておく方が効果的ですし、さらに将来の社会性を身につけるためにも役立ちます。


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子育て禁句のあいうえお その7

2015.10.31日


実はこの「子育て禁句のあいうえお」を書き始めたのは「夫婦間のあいうえお」や「子育てのあいうえお」を書いた頃で1年以上も前のことです(㊟この記事自体が2年前のものですので、実際には3年以上も前になります)。
でも、「子育て禁句のあいうえお その1」にも書きましたように、「禁句」シリーズなので「あまりにも否定的、攻撃的な言葉が多く、自分でも書きながら気が重くなってきて」アップするのをやめようと思い、そのまま放っておきました。


しかし、世の中いいことばかりではなく、現実には辛いことや悲しいことがあまりにも多く、ドメスティックバイオレンスなど子どもに対する親の虐待事件など、ニュースの話題に上らない日がないぐらいです。
それで、思い切って反面教師の意味合いで、今回このシリーズを始めることにしました。
ですから、もしお読みになっていて不愉快になられたら、本当に申し訳ありません。裏を読み取っていただければ幸いです。
それでは、その続きです。
反面教師として、何か一つでもご参考になることがあればと願いつつ。


ぬ  抜かしやがる!
子どもが生意気なことを言うようになるのは成長のしるしです。みんなそのようなところを通って大人になっていくのです。
そのような時に、「生意気なことを抜かしやがる」などと言うと、上から目線で子どもを押さえつけ、バカにするので、子どもの成長はなくなります。そもそも「言う」という意味で「抜かす」と言うのは、相手を卑しめる非常に悪い言葉です。
子どもは親の背中を見て育ちますから、もっと人を大切にした言葉遣いを普段から心がけ、いいお手本になるようにしなければなりません。
以前、一人の小学生の女の子がものすごい言葉遣いをするので注意したところ、家でいつも母親からそのように言われているから、という答えが戻ってきたことがありますので、私たち親は本当に要注意です。


ね  寝ぼけたことをほざくな!
「ほざく」も上の「抜かす」と同様、相手を卑しめる悪い言葉です。私自身は上品なので(笑)、このような言葉は使ったことがなく、テレビなどで聞いているだけでも胸が悪くなるほどです。
「寝ぼけたこと」というのは、子どもにとっては心の中にある「夢」の話です。人類はこれまで、荒唐無稽と思われるようなことを考えてきたお陰でここまで進歩してくることができたのです。
子どもが考える「夢」、すなわち「超常識」を頭からバカにしないで、そのような夢をもっともっと大きくするお手伝いをするのが親の真の務めです。
(㊟つい先日の記事、「この日がやってきた!」「『バック・トゥー・ザ・フューチャー 』」を見れば、このたった30年間のものすごい進歩がよく分かります)


の  のぼせるな!
子どもは誰でも人から褒められたいものです。自分ですごいと思うことを何か言ったりしたりして、得意顔になっている時に、親から「のぼせるな!」などと言われたら、それこそ風船に針を刺すようなものです。がっかりするどころか、やる気さえなくしてしまいます。
むしろ、「すごいね!」とか「偉い!」、「お前は将来きっと大物になるよ」などと言って褒めて、励ましてあげるとどんどん伸びます。(㊟今、NHKの朝ドラでやっている「あさが来た」の主人公の「あさ」などがそのいい例です)
その上で、天狗にならないようちょこっとだけ釘を刺せばいいのです。


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子育てのあいうえお その6

2015.10.20日

昨夜、「未来世紀ジパング」というテレビ番組で、ジャーナリストの池上彰さんが「近江商人の三方よし」について話していらっしゃいました。
近江商人というのは、鎌倉時代から昭和時代(戦前)にかけて天秤棒を担いで日本各地を行商し豪商へと成長した、近江国(滋賀県)の商人のことです。
三方よしとは、
「売り手よし」
「買い手よし」
「世間よし」
を指し、売り手は適正な利潤を受け、買い手は買った商品によって益を受け、さらに世間にも貢献できる、というWin-Win の関係を表しています。
手前味噌になりますが、これを見ていて、私は思わず「これってまさにうちのアカデミーのことじゃない」と言ってしまいました。
アカデミー学院では、講師陣には経済的にとどまらず精神的にも、また人生経験という面からも潤ってもらえるよう努めています。
さらに、幼稚園児から小中高校生に至るまで、ただ単に勉強を教えて成績を上げることだけに腐心するのでなく、豊かな人生を送れるよう手助けしています。
そして究極的には、卒塾した生徒たちが社会に出て社会貢献できるよう育てることを目標としています。


このことを考えていたとき、子育てもまったく同じではないかと気づきました。
子育ては、子どものためだけではなく、親のためにも、そして社会のため、国家のためにも利する、最高の仕事です。
昨日の記事「子育てのあいうえお その5」の中でご紹介しましたアインシュタインの名言、
「育児くらい崇高で素晴らしい仕事はない」
は真実です。
ということで、読者の皆さんには、そのような自覚を持ってこの崇高な子育てという仕事に当たっていただきたいと心から願うものです。
今日は「子育てのあいうえお」シリーズの最終回です。


や  約束しよう。
子どもと約束し、親がその約束を必ず守ることによって、子どもに約束を守るという人間関係の基本的なルールを教えることができます。子どもにも「約束しよう」と、約束することを促しましょう。
ゆ  夢を持とう。
子どもが一番必要とするもののひとつが夢です。夢さえあれば、たいがいの困難や試練を乗り越えることができます。夢を持ち続けたマーチン・ルーサー・キングJr のお陰で黒人差別がなくなり、今日のアメリカ合衆国があります(「オバマ大統領誕生!」)。
よ  余裕だね。
子どもが何かをスムーズに、きれいにやり遂げたときには、「余裕だね」と言って褒めてあげましょう。自信を育てることにつながります。
ら  ライバルは敵じゃないよ。
勉強でもスポーツでも、その他あらゆることにライバルはいます。ライバルに勝つことばかりを強調すると、こどもはライバルを敵と思うようになる危険性があります。ライバルは競い合い、一緒に成長する仲間です。
り  リラックスしよう。
緊張しているとどんなことでも実力を発揮できません。小さいときからリラックスするコツを身につけさせましょう。そのために「リラックスしよう」と声かけすることは大切です。
る  ルールは守ろうね。
学校でも仲間の間でも、どこの世界にもルールがあります。これらのルールの基本を身につける場所は家庭です。普段の生活の中でルールを守ることを習慣づけるよう訓練しましょう。
れ  練習だよ。
何事も「繰り返し」「練習」です。練習せずに身につくものなどありません。子どもが何かでめげそうになったら、「何事も練習だよ」と声をかけて力づけてあげましょう。
ろ  朗読しよう。
声を出して本を読むことは脳を活性化します。同時に目や喉も鍛え、呼吸法や発声法、正しい姿勢も身につけ、健康増進にも役立ちます。私は音読によって英語の発音をマスターしました。
わ  分けようね。
子どもが小さいときから、親自らお手本となって物を分けることを教えましょう。物を人と分け合う喜びを学んだ子は、ますます与えられ豊かになります。


冒頭に書きました「三方よし」の精神で、親子、子ども同士、子どもと社会などで Win-Win の関係が築けるようお祈りしています。


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子育てのあいうえお その5

2015.10.19日

「私の成功の秘訣がひとつだけあるとすれば、それはずっと子どもの心のままでいたことです」
「私は天才ではありません。ただ、人より長くひとつのことと付き合っていただけです」
「天才とは努力する凡才である」


上はいずれもアインシュタインが残した名言です。


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かの天才と呼ばれたアインシュタインが自ら、自分は天才ではないと語り、天才の定義は努力する凡才である、自分の成功の秘訣はずっと子どもの心のままでいたことだ、と言っているのです。
ということは、子どもはだれでもみんな天才になる可能性を持っているということです。
またアインシュタインは、子育てについて次のようにも語っています。
「育児くらい崇高で素晴らしい仕事はない」
「子どもには批評よりも手本が必要である」

つまり、子どもの無限の可能性をどれだけ引き伸ばし、育てるかはひとえに親の子育てにかかっているということです。


それでは今日も行きましょう。
「子育てのあいうえお」シリーズその5です。
親自ら子どものお手本となり、この崇高で素晴らしい仕事に引き続き取り組んでいきましょう。


ま  負けるが勝ち。
勝負に勝つことだけが勝利とは限りません。場合によっては、負ける方が勝ちということだってあります。勝ち負けの結果だけにこだわらないよう小さいときから教えましょう。
み  見事だ!
子どもが何かを首尾よく成し遂げたとき、たとえ完璧でなくても「お見事!」と言って褒めてあげてください。褒められれば褒められるほど子どもは伸びます。
む  胸がいっぱいだ。
親として嬉しいとき、感動したときなど、「胸がいっぱいだ」と親の気持ちを素直に子どもに伝えましょう。子どもは親に喜んでもらえることがとても嬉しいものです。
め  名案だ!
子どもが何か提案したときなど、「名案だ!」と言って感謝しましょう。子どもは自信を持ってどんどん発言できる子になります。
も  もちろん!
「もちろん!」は、疑いようもなく、という意味で、子どもを力強くサポートする言葉です。「聞いてる?」「嬉しい?」「本当に?」「ぼくのこと好き?」などと子どもに聞かれたら、即座に「もちろん!」と答えてあげましょう。


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子育てのあいうえお その4

2015.10.18日

2年前の記事を転載させていただきます。
「もう一度子育て見直します」
というご感想や、大学時代の同級生からは、
「今度は孫育てに役立てたいです」
という嬉しい声が寄せられています。


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今日は父の日。とは言っても、私にとっては別に何もありません。誰も「父の日、おめでとう」とも言ってくれません。でも、私はそんなことはまったく気にしていません。
そう言えば4年前の父の日はちょうど私の誕生日と重なり、塾で先生や生徒たちにサプライズのパーティをしてもらいました。
このことを思い出してその日のブログ「父の日」をもう一度読み返したのですが、まるで昨日のことのようによみがえってきました。
その中に元気な頃の父というリンクがあり、それを読んで2年少し前に天国に帰った父のことも思い出しました。その中に「私が何度か大きな失敗をしたときには厳しく叱りましたが、そのあとはすぐにまた優しい父に戻っていました」というくだりがあり、その失敗のひとつがありありとよみがえってきました。


大学生のとき、父の愛車セドリックを借りて名古屋に住んでいた友人を訪ね、彼の下宿に泊めてもらいました。翌日、友人の下宿を出る前に気をきかしてボンネットを開け、ラジエーターに水を満たしました。
当時のセドリックは高級車、乗り心地満点でご機嫌で京都に向かって国道を走っていたのですが、真ん中あたりの滋賀県で急にボンネットから煙が出てきて、エンジンストップ。道路脇に停めてボンネットを開けると、なんとラジエーターキャップの締め忘れで、中の水は空っぽ。車はオーバーヒートして止まったのです。
あわてて父に電話して、別の車で迎えに来てもらい、ロープで牽引してもらってゆっくりゆっくり京都まで戻りました。
父が大事にしていたセドリックでしたが、エンジンまでだめにしてしまいました。
しかし、父は私の不注意を少し叱っただけで、そのまま赦してくれたのです。
このときほど父の愛情を強く感じたことはありませんでした。
大学を卒業してアメリカの大学院に留学させてもらい、そこでクリスチャンになりましたが、上の出来事もあって父なる神の愛が赦しの愛であることは容易に理解でき、素直に受け入れることができました。


子育ての基本の一つ。それは「赦し」です。
それではシリーズの4回目です。


は  始めが肝心。
始め良ければ終わり良し。英語では、"Well begun is half done."(始めがよければ半分終わったのと同じこと)と言います。何事も始めが肝心。子どもが何かやりたいと言ったときは、「始めが肝心」と言って励まし、背中を押してあげましょう。
ひ  ひと休みしよう。
何事もあまり一生懸命になると周りが見えなくなることがあります。頑張りすぎて途中でダウンしないように、「ひと休みしよう」と言ってあげることも必要です。
ふ  不可能はないよ。
子どものことを心配するあまり、「無理」とか「不可能」とか、子どものやる気に水をさすネガティブな言葉が無意識に出てきます。でも、むしろ「不可能はないよ。やってごらん」と励ましてあげてください。世の中の天才とは、ほとんどのケース「不可能はない」と親に教えられて育ち、何かに取り組んできた人たちです。
へ  平気、平気。
子どもが何か失敗をしてもそれほど大したことではありません。本人はとても気にしていますので、そのようなときは「平気、平気」と言って安心させてあげましょう。ここからまた新しいチャレンジが始まるのです。
ほ  方法は必ずあるよ。
ときには八方ふさがりに見えることがあります。でも、上を見上げると空が開いているし、いざとなればトンネルを掘って地下を進むという方法だってあります。「方法は必ずある」ということを親は子どもに教えなければなりません。


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子育てのあいうえお その3

2015.10.17日
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CHILDREN are not the people of tomorrow but the people of today.
They have a right to be taken seriously, and to be treated with tenderness and respect.
They should be allowed to grow into whoever they were meant to be.
The unknown person inside each of them is our hope for the future.”
- Janusz Korczach -


子どもたちは未来ではなく、今現在生きている人間である。
真摯に受け止められ、優しさと尊敬の念を持って取り扱われる権利がある。
子どもたちはなるべき人物になれるよう認められるべきである。
一人ひとりの内に潜む未知の人物は将来の我々の希望である。
−ヤヌシュ・コルチャック−


上はマドレーヌさんのポスティングからの引用です。
ヤヌシュ・コルチャック(1878年- 1942年)は、ポーランドの小児科医、孤児院院長、児童文学作家で、1989年に国連で採択された「子どもの権利条約」に大きな影響を与えた人物です。
彼の主張は、子どもは生まれながらにして立派なひとりの人間であって、成長していって徐々に人間になるのではない。だから、我々大人は子どもの人間としての尊厳を尊重し、一個人そのものが持つ価値がいかに大きいか、そしてそのような子ども一人ひとりと真摯に向き合うことがいかに大切かということを訴えています。
これは子どもを持つ親だけでなく、私たちみんなに語られている言葉です。


昨日の「子育てのあいうえお その2」を読んだ一人の読者から、全部覚えて実践できる自信がない、というメールをいただきました。
でも大切なのは、私がたまたま書いた言葉一つひとつを全部覚えてそのまま実践することではなく、日々の生活の中でいかに意識して子どもを立派なひとりの人間として接するか、ということです。そして、これができれば最近大きな問題になっている子どもに対する虐待などはなくなります。
それでは今日の「子育てのあいうえお その3」をお送りします。


た  大したもんだ。
「大したもんだ」、「偉い!」と、親が子どもを大げさに褒めると、子どもの自尊心は大きく育ちます。
「ダメはダメ」と、Fさんがアイデアを送ってくださいましたが、本当に「ダメ」というネガティブな言葉は禁句です。
ち  調子いいね。
人間だれでも調子のいいとき、悪いときがあります。調子の悪いことを指摘するよりも、調子のいいことを指摘してあげるほうが子どもにとっては有益です。親にこのように言われると、子どもはどういうときに調子がいいかがわかるようになり、そのようなときを意識して生み出すことができるようになります。
つ  続けようね。
何事も継続が肝心。せっかくいいことを始めても途中でやめてしまってはもったいないです。継続して初めて何でもモノになります。
て  できるよ。
どれほど多くの親が子どもに「お前に○○なんかできない」と、否定的な言葉を使っていることでしょう。もっともっと「できる」というメッセージを送ってあげたいものです。
と  どうして?
学習の基本は好奇心です。ただ単に教えられたことを覚えたり、テストでいい点を取ることにあるのではありません。常に「なぜ?」「どうして?」と子どもに尋ねかけ、自ら「なぜだろう?」と考える子どもに育ったら、教育は大成功です。それだけで一生食べていけます。
な  仲直りしよう。
親子、兄弟、友達同士でぶつかること、ケンカすることもあります。そのようなとき、親自ら「仲直りしよう」と声をかけていると、子どもも人に対して「仲直りしよう」と言える子どもになります。
に  似合うよ。
ヘアスタイルや洋服、持ち物など、どんなことでも「似合うよ」と言って、子どもを励ましてあげましょう。自信のある子に育ちます。
ぬ  脱いだらどうするんだっけ?
「また脱ぎっぱなしっ!」と言って頭から叱るのでなく、「脱いだらどうするんだっけ?」と言って、自分で考える子どもに育てましょう。
ね  寝る子は育つ。
「寝る子は育つ」という諺は真理です。テレビやゲームなどで夜遅くまで起きているのは、子どもにとって心身ともに良くありません。十分な睡眠が取れるよう、生活の時間管理を身につけられるよう助けてあげましょう。
の  伸びてるよ。
身長だけでなく、勉強でも、スポーツでも、趣味でも何でも、「伸びている」と指摘されることは子どもにとってものすごく嬉しいものです。励まして、ますます伸びるよう助けてあげるといいですね。


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子育てのあいうえお その1

2015.10.15日

2年前の記事からの転載です。


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昨晩、吹き替え・字幕スーパーなしで久しぶりにアメリカ映画をテレビで見ました。
「幸せのちから」(原題: The Pursuit of Happyness)で、ウィル・スミス主演、6歳の実の息子と親子で好演しています。
父子の愛情を見事に描いた実話に基づくとても感動的なストーリーで、最後のシーンは涙で目が曇りました。(もしご興味がおありでしたら詳しい内容はこちらからご覧ください)


この映画の中で私にとって一番感動的だったのは、貧乏のどん底の生活をしているとき、父が息子に向かって次のように言うシーンです。


movie-text-the-pursuit-of-happyness-will-smith-Favim.com-513412.jpg


Don't ever let somebody tell you...
...you can't do something.
Not even me.
All right?
You got a dream...
...you gotta protect it.
People can't do something themselves...
...they wanna tell you you can't do it.
If you want something, go get it. Period.
「お前にはできない」なんて絶対にだれにも言わせちゃだめだぞ。
たとえ俺でも。わかったか? 夢があったら、どんなことがあってもそれを守り通すんだ。
人は自分では大したことはできやしない。それで、「お前にはできない」って言いたいんだ。
でも、本当に何か欲しかったら、何としてもそれを手に入れるんだ。ただ、それだけだ」

(私訳   英語はわざと非文法的な文にして、親子間のくだけた会話の雰囲気を出しています)


父親は息子のためにもこの言葉をそのまま実行するのです。
そう、今日から始まる「子育てのあいうえお」の基本は、子どもに夢と自信を持たせ、それを親自ら実践して見せることです。


あ  ありがとう。
親が率先して子どもに、また周りの人に「ありがとう」と普段から言ってお手本を示し、感謝の心を育てましょう。
い  いいね!
子どもが何か言ったり、したりしたとき、「いいね!」と言ってサポートしてあげると、子どもの内に自信が育ちます。
う  嬉しいよ。
親の嬉しい気持ちを素直に言葉で言い表すと、子どもは愛情を感じます。
え  笑顔が素敵だよ!
子どもの笑顔は親にとって最高の宝物です。親子でいつも笑顔を心がけていると、家庭は自然と明るくなります。
お  大きくなったね。
子どもは自分が大きくなっていることを実感しません。いつまでも子ども扱いをするのでなく、年齢に応じた扱いをすることでより大きな成長が期待できます。


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夫婦の間のあいうえお その3

2015.10.14日

今日は、「夫婦の間のあいうえお」と「夫婦の間のあいうえお その2」に続く第3弾で、「ま」〜「わ」です。


ま  まあまあ。
「まあまあ」はいろいろな場で使えるとても便利な表現です。相手が興奮しているときに「まあまあ」と言ってなだめ、落ち着かせる方法。完璧でなくてもそこそこ満足できるときに使う「まあまあ」。料理の出来や新しい服などについて尋ねられて、「なにこれは!?」と言う代わりに「まあまあ」とか「あと一歩かな」などと言えば、角が立ちません。
み  見て!
子どもが親に「見て!」よく言いますが、同様に夫婦の間でも「見て!」と言って、相手の関心を引きつけることは大切です。長年一緒に生活していると、お互いに空気のような存在になってきて相手に対する関心や意識も次第に薄れてきます。そこで、「見て!」と言って関心を引くのです。
む  無駄はない。
毎日の生活の中でいろいろな無駄は必ずあります。でもそのようなときに、敢えて「無駄はない」と言うのです。勉強になった、もう二度と同じ間違いは繰り返さない、など今後のレッスンになったわけですから。そこで、相手の失敗を責めずに「無駄はない」と言って慰めるのです。
め  目を見て。
お互いに目を見ないで会話をしている夫婦がとても多いように思われます。でも真のコミュニケーションの基本中の基本は相手の目を見て話すこと・聴くことです。ときには「目を見て」と口に出して言うことも必要です。
も  もうちょっと!
完璧ということなどはなかなかありません。そこで、ある程度のところで満足することも大切です。そういうときに「もうちょっと!」と言って、相手を励ますのです。それほど不愉快にも感じませんし、さらに上を目指して頑張ろうという向上心も生まれます。
や  やってあげる。
相手が大変そうだったら、「やってあげる」と言って手を貸してあげましょう。お皿洗い、掃除、草花の水やり、庭の手入れ、洗車、ゴミ出し、食後のテーブルの後片づけ、肩もみ・身体のマッサージ等など、身の回りでお互いに手伝えることはいくらでもあります。このような助け合いで愛情を行動に現すのです。
ゆ  夢みたい。
なにか嬉しいことがあったら、「夢みたい」と喜びを素直に言葉に表すと、相手も必ず嬉しく思います。
よ  喜んで!
あるレストランではなにかを注文するといつも大きな声で「喜んで!」というスタッフの声が戻ってきます。夫婦の間でもなにか頼まれたとき、いやいやではなく、気持ちよく「喜んで!」やりましょう。
ら  ラブラブ!
新婚時代のラブラブの感情はだんだん薄れてきます。でも夫婦間でいつまでも仲良くやっていくためには、このラブラブをある程度意識して演出しなければなりません。そこでどちらかが敢えて、「ラブラブ」と言って意識を喚起するのもひとつの方法です。
り  理屈なし。
夫婦の間ですから利害関係なしに、損得勘定なしに、理屈なしに相手のために自分を捧げるのです。そのような親の姿を見て育つ子どもは知らず知らずのうちに同様の優しさを身につけていきます。
る  ルンルン!
最近あまり耳にしなくなりましたが、嬉しくて気持ちが高揚している「ルンルン!」状態を意識して演出しましょう。歳取ってもずっと仲良くやっていける秘訣です。
れ  連絡して。
一昔前よく言われた「ホウレンソウ」。「報告」「連絡」「相談」で、ビジネスの場面で実践されているものですが、夫婦の間でも同様に必要不可欠です。
ろ  労苦は共に。
どこの家庭にも、夫婦の間にもいろいろな労苦はつきものです。ひとりで負うと重くて担いきれませんがふたりだと重さは半分になります。相手が大変だなと感じたら、「労苦は共に」と声かけしてあげましょう。
わ  わぁーっ!
「わぁーっ!」は感動の言葉です。上の正反対で、喜びはふたりで分かち合うと倍になります。嬉しいことや驚くようなことがあったら、少々大げさに聞こえるぐらいに「わぁーっ!」と言って、喜び・感動をシェアしましょう。


このように、ちょっとした気遣いで夫婦関係はいくらでも良くしていくことができます。そして、夫婦関係がうまくいっているとお互いに幸せを感じますし、子どももうまく育てることができます。
実際のところ、仲のいい夫婦は若い、年寄りに関わらず、みんなこのような細かい心遣いを日常生活の中で実践しています。私たちも見習いたいものです。
逆に、昔の知り合いで夫婦間にコミュニケーションがまったくない方がいらっしゃいました(「コミュニケーション」)が、一緒にいて息が詰まるようでした。


以上で簡単ながら、「夫婦の間のあいうえお」を書いてきましたが、次回は「子育てのあいうえお」を扱います。
皆さんの方でももしグッドアイデアなどがありましたらぜひお知らせください。


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夫婦の間のあいうえお その2

2015.10.12日

昨日の記事「夫婦の間のあいうえお」に対して、早速何人かの方がコメントくださいました。
「おもしろいですね、「あ」以外は結構言い合う仲良し夫婦ですが、今更「あ」は言えない、言えない、吹き出しますよ(^-^;」
「時々見直したり,意識的に使っていくといいなと思いました。シェアさせてくださいね」
「「あ〜そ」いいですね〜。実践されようとする舟田先生は素敵です。
ちなみに夫からは言われた事のないことば・・、期待するとがっかりするので、私から言ってみましょう ♪
神様が合わせて下さったことを感謝しつつ☆彡」
「旦那が留守が良いの言葉はよくないっていうことですね。ありがとうございます」
「実践します(≧∇≦)」


このような生の声を聞かせていただけるととても嬉しいです。
これらに刺激されて、私もさらに精進(?)しなければ、と思った次第です。
今日は、シリーズの第2弾です。
リンクを貼らずにそのままコピペしてしまいますね。


昨日書いた「夫婦の間のあいうえお」は大勢の方にご覧いただいたようで、結構評判のようでした。
こんなコメントをFBフレンドの方々からいただきました。
「☆日野原医師の標語から・・『 思うだけではいけませんね、実践(言い始める)こそが勝負です!』・・・ですよね。 一度、口にしたら‥二度目からは楽になるでしょう。。 (^-)v~ 」(MHさん)
「ネガティブは人をダメにしますが、ポジティブは人を建て上げます。こんな言葉を心に留めて日々を歩んでいくなら、どんなにかすばらしいでしょう!」(MKさん)
「うっとおしい、え:えげつないにしたらよかったわ(笑)舟田先生、blogに登場させてもろて、光栄です」(FFさん)
皆さん、コメントをありがとうございました。
MHさんもおっしゃっているように、大切なのは実践です。私も書いた以上(?)、早速いくつか実践しています。
この続きはまた今度、と思っていたのですが、夕方散歩に出かけちょっと考えていたら、次から次へと思い浮かんできて最後の「わ」までできてしまったのですが、ちょっと長くなるので2回に分けます。
昨日は、「あ」〜「そ」でしたので、今日は続きの「た」〜「ほ」までです。


た  「楽しい」
夫婦仲良くなるためには日々楽しく過ごさなければなりません。同じことをしていても、「楽しい」と思っていると本当に楽しくなってきます。要は言葉に出して相手にその気持ちを伝えることです。
ち  「ちょうどピッタリ!」
ヘアスタイルでも洋服でもアクセサリーやその他の持ち物でも、「あなたにちょうどピッタリ!とても似合っている」と言われると誰でも嬉しいものです。
つ  「辛かった?」
毎日の生活の中で誰でも辛いことを経験します。そのようなとき、ちょっとひと言「辛かった?」と尋ねられるとそれだけで癒されます。
て  「手をつないで」
最近、ご年配の方々で手をつないで歩いていらっしゃる方をあちらこちらでよく見かけます。手をつなぐのは仲良しのしるし。どちらかが「手をつないで歩こっ!」て言い出すと、最初はちょっと恥ずかしくてもすぐに慣れ、新婚気分に戻れます。
と  「とんでもない」
「ありがとう」とお礼を言われたら、「とんでもない、そんなこと当たり前のこと」と、恩に着せないようにしましょう。
な  「なーに?」
相手が心のの中で何を考えているかはわからないものです。ひと言「なーに?」と言って会話の緒(いとぐち)を作りましょう。
に  「ニッコリ笑顔で」
毎日顔を合わせているとつい笑顔を忘れてしまいがちです。お互いに意識して「ニッコリ笑顔で」と口に出すと、それだけで自然と笑顔が生まれます。
ぬ  「ぬくもり」
夫婦間のぬくもりは大切です。スキンシップです。これも意識していないとついつい忘れてしまいますので、どちらかが「ぬくもり」と言うのを合図にするとか、あるいはそっと手を取る、肩に手を置く、など行動することが欠かせません。
ね  「ねえねえ」
「ねえねえ」は女性言葉で、概しておしゃべりな女性の方がよく使う言葉ですが、男性が使っても平気です。「ねえねえ」と言うと、何か新しい話題を持ち出すのが容易になります。
の  「のんびり行こう」
今は忙しい時代、ストレス社会です。昔の人が一生かかって経験したストレスを、私たち現代人は20歳までで全部体験するとも言われています。こういうときに大切なのは、焦らずのんびりいくことです。お互いにちょっと焦っているな、イラついているなと思ったら、「のんびり行こう」と声かけするといいのではないでしょうか。
は  「話して」
意思の疎通、会話こそがやはり心を通わせる一番の手段です。わかっているつもりでも案外わかっていないもの。そこで、何かちょっとでも気になることがあったら「話して」と声をかけましょう。
ひ  「ひょっとしたら」
思わぬこと、意外なことが日常起こるものです。そのようなとき、ちょっと気を利かせて「ひょっとしたら」という気遣いが嬉しいです。
ふ  「夫婦水入らず」
いつも子どもと一緒、友だちと一緒というのはだめです。夫婦水入らずの時間が必要です。
へ  「へえー!」
相手の言ったことに対して、「へえー!」と思いっきり驚く。自分に関心を持ってもらっていると思うとき愛情が伝わります。
ほ  「欲しい?」
相手が何かを欲しているとき、「欲しい?」と尋ねてあげるのです。方法はあとからいくらでも考えられます。相手のニーズを見逃さないことも大切な心遣いです。


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夫婦の間のあいうえお

2015.10.11日

2年ほど前に書いた記事、「夫婦の間のあいうえお」のシリーズを再びシェアさせていただきます。
今日はその第1回目をどうぞ。
少しでもお役に立てていただければ幸いです。


http://www.academygakuin.com/blog/2013/06/post_1315.html


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耳に痛い言葉

2015.09.25日
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"There are many more people trying to meet the right person than to become the right person."
-- Gloria Steinem - Journalist and Author
「正しい人物を探そうとする人の方が、自ら正しい人物になろうとする人よりずっと多いものだ」
-- グロリア・スタイネム ジャーナリスト、作家
(訳:舟田譲二)


グロリア・スタイネム(1934年 - )は、アメリカのラディカル・フェミニズム運動の活動家で著述家、女性の権利の擁護者。


「正しい人物を探そうとする人の方が、自ら正しい人物になろうとする人よりずっと多いものだ」
というスタイネムの冒頭の名言に、私たちは素直に耳を傾けなければなりません。
私たちはともすれば他人にさまざまな要求をぶっつけるくせに、自分自身がそのような要求にふさわしい人物になろうと努力しないものです。
胸に手を当てると、私自身、本当に耳に痛い言葉です。


原文の the right person は文字どおりには「正しい人物」で、実際その意味するとおりなのですが、同時にこれには「ふさわしい人物」という意味も含まれています。
「ふさわしい人物」とは、教師であればこうあるべきだとか、親として、上司として、部下として等など、相手にさまざまなことを期待し、要求するものです。
しかし、それに対して、自分が「ふさわしい人物」になるよう努力しているか、と言うと怪しいものです。


私たち一人ひとりが、他人に要求する前に自分がそのような人物になれるよう努力するなら、家庭の中は、また社会は、そして世界はずっと平和で住みやすいところになることでしょう。


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86,400秒分の1秒

2015.09.03日

"God gave you a gift of 86,400 seconds today. Have you used one to say 'thank you?'"
-- William Arthur Ward
「神様は今日、あなたに86,400秒という贈り物をくださいました。あなたはそのうちの1秒を使って『ありがとう』と言いましたか?」
-- ウィリアム・アーサー・ウォード
(訳:舟田譲二)


ウィリアム・アーサー・ウォード(1921-1994)はアメリカの教育学者、牧師、教師。
アメリカでインスピレーションナルな名言でもっともよく引用される人物の一人です。


よく引用される彼の有名な言葉に次のものがあります。
The mediocre teacher tells.
The good teacher explains.
The superior teacher demonstrates.
The great teacher inspires.
平凡な教師はただしゃべる。
良い教師は解説する。
さらに優れた教師は自らやってみせる。
しかし、偉大なる教師は生徒の心に火をつける。
(訳:舟田譲二)


これは本当に教育者として鏡にすべき名言中の名言です。
以前、山本五十六の有名な言葉をご紹介しましたが、これに通じる教えです(「ほめてやらねば 人は動かじ」)。


さて、今日の冒頭の彼の言葉
「神様は今日、あなたに86,400秒という贈り物をくださいました。あなたはそのうちの1秒を使って『ありがとう』と言いましたか?」
は、本当に耳に痛いです。


去る2月に「ありがとう」と「サンキュー」の反対語という記事を書きました。
「感謝する心」の反対は「当たり前と思う心」です。
私たちは、毎日毎日、数えきれないほどたくさんの素晴らしいプレゼントを神様からいただきながら、無意識のうちにそれを当たり前のものと思い、感謝するのを忘れてしまいがちです。
そのプレゼントの中でも最高のものは「時」です。だれでも公平に1日に86,400秒という時間を与えられています。
生きていること、時間が与えられていること、そんなことは当たり前だと思っているのです。
しかし、ウィリアム・ウォードは言っています。「86,400秒のうちの1秒でも使って『ありがとう』と言いましたか?」と。


人から何をしてもらっても当たり前。神様から数えきれないほどの恵みを毎日いただいても当たり前。
これは本当に私たちが陥りやすい罠で、なんでもかんでも「当たり前」と思っていると、「感謝する心」、喜びが生まれてきません。


まずは、86,400秒のうちの1秒を使って神様に「ありがとう」「感謝します」と言いましょう。
そして、次に、家族や友人など私たちの身の周りの人たちに同じく「ありがとう」と言おうではありませんか。
私たちが今日の一日生かされていることは、まさに神様のお陰、身の周りの人たちのお陰です。
みんながこのような思いで一日を過ごすなら、争いは止み、家族も、世の中も本当に平和になるでしょう。


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明日のために今日を大切に

2015.08.13日

"You must do the things today that others will not do so that you can have the things tomorrow that others will not have."
-- Anonymous
「人がしないことを今日しなければならない。そうすることによって人が手に入れることができないものを明日、自分のものにすることができるのだ」
-- 作者不詳
(訳:舟田譲二)


人は得てして、周囲の人たちと同じことをやっていたら安心だと思いやすいものです。
確かに周りの人たちと同じようなことをしていたら大きな失敗をすることはないかもしれません。
しかし、
「危険は冒さなければならないものだ。なぜなら、人生における最大の危険は、なんの危険も冒さないことだからだ」
というレオ・バスカーリアの言葉を先日ご紹介しましたように(「危険を冒さないことは…」)、自らの殻を破ってチャレンジしないでいると、当然の結果として陳腐なことしか手に入れることはできません。


ここで「自分のものにする」「手に入れる」というのは必ずしも物質だけとは限りません。
自尊心や自信、人望、信頼を始め、高潔、人格、優しさや思いやり等々、目に見えない徳というものも含まれます。
ときには恥ずかしい思いをしたり、仲間から浮いてしまうことや、嘲笑されるようなこともあるかもしれません。
でも、いいのです。
人がしないことを敢えてするのです。
勉強でも仕事でも、スポーツでも、芸術活動でも、人間関係でもなんでもかまいません。
「小事に忠実な者は大事に忠実」で、今日やっている小さなことが信任されて、明日、大きく実を結ぶことにつながります。


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良い夫婦関係を築く秘訣

2015.08.02日
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去る7月19日に司式した次男正人と小島萌さんの結婚式(「昨日は最高に幸せな一日でした」)で行ったショートメッセージを以下にシェアさせていただきます。
良い夫婦関係を築くのに、新婚・既婚、結婚年数に関わらず通じることで、少しでも皆さんのお役に立つことができれば幸いです。


聖書が教える良い夫婦関係を築く秘訣を3つのポイントでお話します。
まず第1に、妻に対して聖書は何と言っているでしょうか。
「妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい」(エペソ5:22)
「主」とはイエス・キリストのことです。
夫婦関係が壊れる原因の多くは、妻が夫に仕えない、すなわちパワーバランスが崩れるというところにあるようです。妻は自分の思い通りに夫をコントロールしようとしますが、夫は妻に支配されるのを嫌います。そこで夫は言葉や行動をもって妻を力づくで支配しようとします。
このような勧めを聞くと、こんなのは不公平だと女性の方は思い、面白くなく感じるものです。


それでは第2に、夫に対してはどうでしょうか。
夫は妻に仕えられてふんぞり返って、亭主関白で自分の思い通りに妻をこき使っていればいいのでしょうか。このような夫婦関係も非常に多く、そしてその結果離婚に至るケースもしばしばです。
聖書は何と言っているのでしょう。
「夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい」(エペソ5:25)
夫に対しては妻を愛しなさい、とあるのですが、その愛し方は単に「愛しているよ」というようなレベルではありません。
「キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように」とは、イエス・キリストがご自分を信じる者を愛して十字架上で命を捧げられたようにという意味で、命をかけて愛しなさい、という命令です。
夫がこのように命がけで妻を愛するなら、妻は喜んで夫に仕えることでしょう。


最後にふたりに対して聖書は何と言っているのでしょう。
「それゆえに、人は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである」(創世記2:24)
結婚してからも夫、または妻がまだ自分の親に精神的に、あるいは経済的に頼っていてはいけません。これも結婚生活が破たんする大きな原因のひとつです。
結婚したらふたりは一体であり、良い時だけでなく、苦しい時も、どんな時でもふたりで一緒に問題を解決していかなければなりません。実家に頼っていてはいけません。
また聖書には、
「互に重荷を負い合いなさい」(ガラテヤ6:2)
とあります。
夫婦は一心同体ですから、喜びだけでなく、相手の悩みや苦しみも自分のものです。二人で喜びを分かち合えば二倍になり、苦しみを分かつと半分になります。
最後にもうひとつ聖書から。
「怒ることがあっても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れるようであってはならない」(エペソ4:26)
ここで言っている「日が暮れる」とはその日が終わる、ということです。どんなに愛し合っていても、時には意見が衝突し、喧嘩することがあるでしょう。しかし、それを翌日に持ち越さない。お互いに謝り、また許し、相手を受け入れること。互いに許し合う、これがいつまでも平和で仲良く続けられる夫婦関係の秘訣です。
二人が一生、お互いを大切にし、支え合い、神様に祝福された素晴らしい結婚生活を築いていけるよう切に祈り求めます。
ご列席くださいました皆様もぜひ二人のことを覚えて祈り、支えてくだされば幸いです。


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感謝の気持ちを表現する

2015.08.01日
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"Feeling gratitude and not expressing it is like wrapping a present and not giving it."
-- William Arthur Ward, Scholar
「感謝してはいるけどその気持ちを表現しないことは、プレゼントをラッピングしていながらそれを渡さないようなものだ」
-- ウィリアム・アーサー・ウォード、学者
(訳:舟田譲二)


NHKの朝の連続ドラマ『まれ』が面白くてハマっています。
希を見ていて、「一生懸命」とかその他教えられることがたくさんありますが、そのうちの一つが希の素直さで、悪いと思った時には平謝りするし、ありがたいと思うと精いっぱいその気持ちを相手に伝えるところで、とても好感が持てます。


感謝していながらその気持ちを素直に表せない人がとても多いです。とくに日本人にその傾向が強いように思われます。外国の人の場合はちょっとオーバーすぎるほど言葉だけでなく、顔の表情やジェスチャー、ハグしたりなど、全身で感謝の気持ちを相手に伝えます。


確かにいくら感謝していても、その気持ちを表現しなければ、「プレゼントをラッピングしていながらそれを渡さないようなもの」で、これでは元も子もありませんね。
私たち日本人も、希のようにもっと素直に感謝の気持ちを相手に伝えられるようになりたいものです。
それも、とくに家族など身近な人たちに。


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小さな人助け

2015.07.21日
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"Great opportunities to help others seldom come, but small ones surround us every day."
-- Sally Koch, Author
「人助けをするものすごい機会なんてめったに来るものではない。しかし、小さいものなら毎日私たちを取り囲んでいる」
-- サリー・コッホ、作家
(訳:舟田譲二)


1週間ほどの短期間滞在をしていた長男の直人夫婦が、昨夜ロサンゼルスに向けて羽田を発ちました。
昨日、朝起きてきて、開口一番
「今日がもう最後の日なので、俺から提案があるんだけど。
オススメの映画があって、それを家族みんなで一緒に観に行かない?」


ということで観に行ったのが、『羊のショーン』というアニメ。
最初のうちはなんだと思って観ていたのですが、そのうちにだんだんハマっていきました。
隣に座っていた妻は、ここ1週間あまりずっと夜中から明け方近くまで仕事をしていて、しかも昨日の次男の結婚式で疲れていました。それで、羊が主人公の映画だからきっと「羊が一匹、羊が二匹」ですぐに寝てしまうよ、と言っていたら予言的中。
羊飼い(牧場主)が羊を数え始めた途端に、羊飼いと一緒にすぐに眠り始め、映画が終わるまでぐっすり眠っていました。良い休息の時が取れたようで本人は大満足でした。


この映画は子ども向けのアニメのようでありながら、実は我々大人もそのストーリーから、ある事件を通して羊飼いと羊の間の愛情を深く教えられるもので、なかなかの感動ものでした。
直人の妻の恵利紗のお気に入りの物語ということで、恵利紗は泣きながら観ていたそうです。

さて、冒頭のサリー・コッホの言葉はまことに至言。心からアーメンと唱えたいです。
このような日々の小さな人助け、それも自分の親や子ども、兄弟、友人、同僚、上司と部下、近隣の人など、毎日顔を合わす人たちこそ、まさに私たちが率先して手を差し伸べなければならない相手です。


ところがどうしたことでしょう。
私たちはとかく夫婦間や親子間など身近な人たちほど、言葉遣いや接し方でぞんざいに扱ってしまう傾向があるのではないでしょうか。
お客さんやよその人たちにいくら丁寧に接し、親切にして人々から良く思われていても、いわゆる「内弁慶」で、外の顔と内の顔が違うようでは意味ありません。
私たちの親切な言葉を一番必要としているのは、実は私たちの身近な人たちなのです。
それこそ朝起きてからから夜寝るまで、小さな親切をする、人助けをする機会など数え切れないほどあります。


昨日観た映画『羊のショーン』に登場する羊飼いと羊。羊あっての羊飼い、羊飼いあっての羊。日常生活の中でお互いに相手を必要としているのですが、それがなかなか分からない。何かがあって初めて相手の存在の大きさに気づくものです。


いま一度、私たちも日々の生活をもう一度点検してみようではありませんか。
そして、身近な人たちに優しく接し、小さな人助けを日々心がけるようにしましょう。そのようなチャンスは身の周りにいくらでも転がっています。


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すべてに通じる勝利の方程式

2015.07.07日
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"When you're riding, only the race in which you're riding is important."
-- Bill Shoemaker, Jockey
「馬に乗っているとき大切なのは、自分が今まさに走っているレースだけだ」
-- ビル・シューメーカー、騎手
(訳:舟田譲二)


ビル・シューメーカー(1931-2003)は、アメリカの騎手、調教師。
17歳となった1949年3月19日に騎手としてデビュー。翌20日にシャフタービーという牝馬で初勝利を挙げると、引退までに世界記録となる通算8,833勝の金字塔を打ち立てることになった。(Wikipediaより)
シューメーカーの勝利の方程式は、冒頭の言葉にあるように、「馬に乗っているとき大切なのは、自分が今まさに走っているレースだけだ」です。


じつに示唆に富む言葉ではないでしょうか。
彼は騎手だったからこのように言ったのですが、これはどんなことにも通じます。
ひと言で言うと「集中力」です。これについては以前、「手に入れたいものを確実にゲットする法」の中でも書きましたが、何ごとも中途半端に、あるいは二心でやっていたのではものにならないということで、これは真理です。
生徒や学生であれば勉強に集中しなければならないのは当たり前すぎるほど当たり前のことです。
スポーツをしているのならば、その練習に、そして試合に集中しなければなりません。
芸術家もしかり。
仕事をしている人もそう。
家庭を築いている人、子育てをしている人もそうです。


ところが、人間というのは気が多いせいか、なかなか一つのことに集中できず、ついフラフラとよそ見をしたり、あちらこちらに足を取られたり、いっときに二つ、三つのことをしようとしたりするのです。
それが脳の刺激になっていいことももちろんあります。
しかし、こと勝負事に関しては、あるいはたとえ勝負事でなく、子育てでも何でもそれに賭けているときには、やはりそれに集中しなければならないのです。
最近よく見かける光景で、赤ん坊を抱っこしていたり、あるいはベビーカーで押しているのに、赤ん坊そっちのけで携帯のメールに夢中になっているお母さんたち。
これはどう見ても問題です。赤ちゃんが可哀想。


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餅は焼いても、やきもち妬くな、火の用心!

2015.07.02日
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餅は焼いても、やきもち妬くな、火の用心!(チョン、チョン)


昔、小学生の頃、週に2度ほど当番で駆り出されて、
「マッチ一本火事のもと、火の用心。
サンマ焼いても家焼くな、火の用心」
と言いながら、拍子木をチョン、チョンと打って近所を回ったものです。


今日の冒頭の言葉はこれとはちょっと違います。私が作った新しい標語です。
人間関係に対する警告のようなものです。
やきもちを妬く、ということは相手を信頼していないこと、あるいは自分に自信がないことの裏返しの行動なのでしょう。
でも、これが人間関係、とくに夫婦関係や友情を壊す原因にもなりかねません。つまり、人間関係の火事にもつながるし、自分自身の健康をも害する、という意味で火事になるということです。


あまりにも独占欲が強くてやきもちを妬くと、相手は息が詰まるような思いをして、かえって煩わしくなるものです。
また、相手を信頼していないと、相手もあなたを信頼しなくなります。
自分に自信がないとしたら、相手はそんな自信のない人に魅力を感じません。
また、嫉妬は自分の心身をむしばみます。
つまり、どちらに転んでも得することはひとつもないのです。
そして、多くの場合、昨日の記事にも書いたように、「心配とは事前に支払う無駄な利息」なのです。


ということで、
餅は焼いても、やきもち妬くな、火の用心!(チョン、チョン)


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心は花のようなもの

2015.06.24日
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"People will not bear it when advice is violently given, even if it is well founded. Hearts are flowers; they remain open to the softly falling dew, but shut up in the violent downpour of rain."
-- John Paul Richter
「たとえまともなアドバイスであってもきつい調子で言われると人は我慢できないものだ。心は花のようなもの。優しく包んでくれる露に花は開き続けるが、激しく降りかかる雨には閉じる」
-- ヨハン・パウル・リヒター
(訳:舟田譲二)


ヨハン・パウル・フリードリヒ・リヒター(1763-1825)はドイツの小説家。
このリヒターの言葉は私たちみんなが肝に銘じておくべきものです。
私たちはとかく「義」「正しいこと」「まともなこと」「常識的なこと」「明白なこと」などを相手に言えば通じると思いやすいです。
しかし、上でリヒターが言っているようにたとえ言っていることが100%正しかったとしても、その言い方がきつい調子だったり、相手を責めるような調子だったりすると、人はそのようなアドバイスは聞きたくないものです。
それはあたかも激しく降りかかる雨に花が閉じるようなものだ、と。実に小説家らしい素敵な表現です。


これは子どもとて同じです。親からあまりにも理詰めで「これはいけない」「ああしろ」「こうしろ」「お前は間違っている」などと言われても、心を閉ざすものです。
夫婦関係においてもしかり、職場の人間関係もそうです。
言っている内容が正しいかどうかではなく、その言い方が相手の心を動かすかどうかが問題なのです。


今一度、自分自身の言葉遣いを点検しましょう。
花を覆う露のように優しいでしょうか。
それとも激しく降りかかる雨のようでしょうか。


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人間の頭脳の不思議

2015.06.12日

"An amazing thing, the human brain. Capable of understanding incredibly complex and intricate concepts. Yet at times unable to recognize the obvious and simple."
-- Jay Abraham, Marketing Expert
「驚くべきもの、それは人間の頭脳。信じられないような複雑なことや難解な概念を理解することができる。しかし時に、明白で単純なことを認識することができない」
-- ジェイ・エイブラハム、マーケティングのエキスパート
(訳:舟田 譲二)


人間の頭脳は本当にすごいです。
走ることでは絶対にかなわない獣を研究して自動車を産み出し、水中を泳ぐことでかなわない魚を見て舟や潜水艦を作り、鳥のように飛びたいと思ったら飛行機を発明し、さらには今やどんな鳥もかなわない宇宙船を作って宇宙の彼方へ冒険の旅行に、そして火星に移住することも考えるほどにまでなりました。
植物を研究してそこからさまざまな薬物を始め、バイオの世界を切り開きました。


人間が考え出したコンピュータは、想像もつかないようなスピードで超複雑な計算を瞬時にこなし、これが宇宙船の飛行も可能にしています。
人は一見、コンピュータに負けたように見えますが、このコンピュータを産み出したのは人間で、しかもこれをどんどん進化させているのも人間です。コンピュータ自体は自分自身で進化することはできません。


人間というものはこれほどすごいものでありながら、やはり神に創られた被造物。神が無限であるのに対し、人間はあくまでも有限の世界の中に生きています。
そんな人間ですから、冒頭の言葉のように、あまりにも「明白で単純なことを認識することができない」ことがあるのです。
そのひとつが戦争です。
戦争などして益するところなど何ひとつありません。そんなことは誰の目にも明白で単純なことです。しかし、こんな単純なことを認識できず有史以来戦争を絶えず続けているのです。
そして、対人関係のレベルで、また国家間のレベルで互いに愛し、受容し、助け合っていかなければならないのに、ぎゃくに憎み、拒絶し、闘っています。なんと愚かなことか。
人は自らの限度を知り、もっと謙虚にならなければなりません。それが唯一の真の平和を築く方法であり、みんなが幸せに生きることができる方法なのです。


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自分を惨めにするにも労力を要する

2015.05.31日

"We either make ourselves miserable or we make ourselves strong. The amount of work is the same."
-- Carlos Castaneda, author
「私たちは、自分自身を惨めにするか、あるいは強くするかだが、その労力は変わらない」
-- カルロス・カスタネダ、作家
(訳:舟田 譲二)


カルロス・カスタネダ(1925-1998)はペルー生まれのアメリカの作家・人類学者です。
私の母校でもあるUCLAで文化人類学を学び、ヤキインディアンの呪術関連の著書をたくさん残してます。私もUCLAの前にいたカリフォルニア州立大学フラトン校で文化人類学を学びましたが、とても興味深い分野で大好きでした(「日本よ、どこへ行く?」)。
その文化人類学者が言っている冒頭の言葉は示唆に富みます。


私たちは日常生活の中で、無意識のうちに自分を惨めにするようなことを言ったり、したりしていますが、それにもじつは労力がいるのです。自分を強くするのと同等の労力が。


勉強を嫌がる子どもたちは勉強をサボります。一方、目標がはっきりしている生徒は目標に向けて一生懸命勉強します。
一見、サボる方が楽で勉強するほうが大変な労力がいるように思われますが、サボるのにも勉強するのと同じだけの労力を要します。
夫婦関係や親子関係、友人関係、親戚関係、職場の人間関係などはなかなか難しいものです。
とても壊れやすいです。
しかし、これらの人間関係を壊すのにも労力が必要で、正しい人間関係を築くのと同等の労力を要します。
また、国際関係において、互いに憎しみ合い戦争するのにも、平和を築くために努力するのと同じ労力を要しています。
このほか、信仰の世界においても、神の存在を否定するのにも、神を信じるのと同じ労力を必要としています。


同じ労力を要するのなら、否定的、破壊的なことに使うよりも、肯定的、建設的なことに使った方がよっぽどいいのじゃないでしょうか。


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手に入れる将来は

2015.05.25日

"The future you see is the future you get."
-- Robert G Allen, Business, Finance & Motivational Author
「あなたが見る将来は、あなたが手に入れる将来だ」
-- ロバート・G・アレン、ビジネス・ファイナンス・モチベーション作家
(訳: 舟田 譲二)


目に見えないもの、何だかわからないものを手に入れることなどできるわけありません。
手に入れたい将来があったら、その将来を夢見るだけでなく、ありありと目に浮かぶように見なければなりません。
そして、将来をはっきりと見ていたら、それが実現へ向けての第一歩となるのです。


いい成績を取り、また志望校合格を果たす生徒や学生は、はっきりとその様子を前もって信仰の目で見ています。そして、それを確実に手に入れるために努力をします。
企業人もそうです。どのような将来を手に入れたいかはっきりと見ています。
学者も同様です。
人間関係もそうです。


今がたとえどうであっても、このようになりたい、という目標がはっきりしていれば、それに向かって努力することができます。
熟年の人が、自分の将来はもうないと、思っていたらまさにそのとおりになります。
逆に、日野原重明先生を目標に、あのようになりたいと、具体的に自分の将来を見ていたら、そのような将来を手に入れるために努力します。そして、それは現実化するのです。


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持っている人、持っていない人

2015.05.23日

For whosoever hath, to him shall be given, and he shall have more abundance: but whosoever hath not, from him shall be taken away even that he hath.
(King James Version)
というのは、持っている人には与えられ、ますます豊かになるが、持っていない人からは、持っているものさえも取り上げられるだろう。
(マタイによる福音書 13:12)
(私訳:舟田 譲二)


上の欽定訳と言われる King James Version はイングランド王ジェームズ1世の命令によって翻訳された1611年刊行の聖書で、とても格調高く、今日でもこの訳を好んで用いている人たちは大勢います。
雰囲気としては、下の文語訳、あるいは文語訳の前に刊行された元訳が欽定訳にとても近いです。
それ誰(たれ)にても、有(も)てる人は與(あた)へられて愈々(ますます)豐(ゆたか)ならん。されど有たぬ人は、その有てる物をも取らるべし
(文語訳)
それ有(もて)る者ハ(は)予(あたへ)られてなほ餘(あまり)あり無有(もたぬ)者ハその有(もて)る物をも奪(とら)るる也(なり)
(元訳)


さて、この言葉が言わんとしているのは、「誰でも、たとえどんなことでも、持っている人はそれがますます与えられるけど、持っていない人からは持っているものまでも取られてしまう」という、今日の考え方からすると一見不公平に思えるようなことです。
でもこれは事実です。


もっとわかりやすい身近な例を挙げると、たとえば:
頭のいい人は勉強するのでますます頭が良くなるが、勉強しない人はますます勉強ができなくなる
運動する人はますます運動能力が高められるが、しない人はどんどん運動できなくなる
毎日歩いて(ジョギングして)いる人は面白くなってますます歩く(ジョギングする)が、しない人はできなくなる
本を読む人はますます読むので、本から学び成長するが、読まない人はますます読めなくなり成長しなくなる
絵を描く(字を書く)のが好きな人はたくさん描く(書く)のでますます絵(字)がうまくなるが、描かない(書かない)人はますます描かなく(書かなく)なり下手になる
音楽が好きな人は楽器を演奏したり、歌を歌ったりするのでますますうまくなるが、そうでない人はまったくできなくなる
健康な人は食事・運動・休息などバランスのとれた健康法に気をつけるのでますます健康になるが、そうでない人は健康に留意しないのでますます不健康になる
金持ちはお金の価値を知っていて正しく管理し、うまく活用・運用するが、そうでない人はますます貧しくなる
美しい人は美容に気をつけるのでますます美しくなるが、そうでない人はますます◯◯(ごめんなさい)になる
仲のいい人たちは関係を大切にするのでますます仲良くなるが、仲たがいしている人はますます仲が悪くなる(愛情も憎しみも倍加される)
人と交わるのが好きな人は社交の場にどんどん出ていくのでますます社交的になるが、そうでない人はますます非社交的になりやがて友人がいなくなる


等々、いくらでも挙げることができます。
ちょっと厳しいようですが、これは公平、不公平の問題ではなく、私たちの選択という意志の問題です。
自分の将来を考えて、良い方に時間や労力や財を投資するならそれはますます豊かになって戻ってきますが、それをしなければ当然のことながらますます乏しくなり、それこそ持っているものまで取り上げられ、なくなってしまいます。
ですから古今東西、偉人と呼ばれる人たちはみんな口をそろえて目標の設定とその実行の大切さを訴えているのです。


あなたはどちらを望みますか?
望むことに対してどのような行動を起こしますか?


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あなたの功績は?

2015.05.09日

"No matter what accomplishments you make, somebody helped you."
-- Althea Gibson, Tennis Player
「あなたがたとえどんな功績を上げたとしても、それは誰かが助けてくれた結果のものです」
-- アリシア・ギブソン、プロテニスプレーヤー
(訳:舟田 譲二)


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アリシア・ギブソンは、アメリカ・サウスカロライナ州出身の女子テニス選手。黒人テニス選手の草分けとして、主に1950年代に活躍し、4大大会女子シングルスに通算5勝を挙げた名選手。人種差別との厳しい闘いの中で、ギブソンは黒人女子スポーツ選手の開拓者として道を切り開いた。(Wikipediaより)


さて、ここで使われている accomplishment という言葉には多くの意味があります。
ギブソンの場合だとテニスにおける「功績」でしょうが、必ずしもそれに限ったことではありません。
「手柄」「業績」「成果」「働き」などのほか、「完成」「成就」「遂行」、さらに「特技」「才能」「教養」といった意味でも使われます。
つまり、全部良いことばかりです。


このような言葉を見ていると、自分には程遠い、無関係だ、と思う人もいるかもしれませんが、実は大なり小なりだれでもこのような素質を持っており、また人生で達成した手柄も多々あるのです。
まったく無価値、無能力、働きのなかった人、存在の意味のない人など誰ひとりいません。もしそうだったら、神様はあなたをこの世にお送りにはならなかったでしょう。


しかし、ここで覚えておかなければならない大切なことは、これらの背後には親や家族を始め、友人、恩師、先輩・上司等々、数えきれないほど多くの人々や、自分が置かれてきたこれまでの境遇などの結果によるものであり、決して自分の力でやってきたことではない、ということです。
これらの人々や境遇などを「当たり前」のことと思うと、感謝の心は生まれてこなく、その結果「ありがとう」という言葉も口から出てきません。人はこのような人を高慢だと見、自分自身も感謝の心がないと幸せな人生を送ることができなくなります。
この世に「当たり前」のことなどひとつもありません。


今日(こんにち)ある自分を育ててくれた多くの人々に心からの感謝の心を持って、今日も一日元気に過ごしましょう。


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試みの時

2015.05.07日

"Trying times are not the times to stop trying."
-- Ray Owen, Writer
「試みの時とは試みるのをやめる時ではない」
--レイ・オーウェンズ、作家
(訳: 舟田 譲二)


英語の trying times の try には、試練という「試み」と、チャレンジするという「試す」のふたつの異なる意味があります。「試みの時」というのは言い換えると「苦しい時」のことです。


「隣の芝生は青い」という諺のとおり、よそのことはよく見えるものです。
英語の諺にも似たようなものがたくさんあります。
The grass is always greener on the other side of the fence.
(塀の向こう側の芝生はいつも青い)
The apples on the other side of the wall are the sweetest.
(塀の向こうのリンゴが一番うまい)
My neighbor's goat gives more milk than mine.
(隣人の山羊は自分の山羊より多くミルクを出す)


なぜ自分のところにばかり、こう次々と試練がやってくるのだろうと、人は思いがちですが、試練のない家などどこにもありません。
人間、生きているかぎり様々な試練はつきものです。


このようなとき、選択肢がふたつあります。
試練に打ちのめされてつぶれてしまう(負けてしまう)か、それともその試練に打ち勝つかのどちらかです。
試練に打ち勝つためには何をしなければならないか。そう、チャレンジし続けることです。
すなわち、いろいろと「試みる」ことです。


学生であれば勉強がそうでしょう。やる気が起きない、やろうと思ってもできない、やっても◯◯さんのようにはできない、このままでは志望校合格は無理だ、等々。
これは学生にとっては大きな「試みの時」、試練です。
でもここでやめてしまったら、もうそれで終わり。
唯一の方法は、試み続けること、チャレンジすることです。


その他、家庭生活における夫婦関係や親子関係、親戚関係、友人関係、仕事や職場の人間関係など、ありとあらゆる「試み」があります。
でも大切なのは、「試みるのをやめない」こと。
試み続けていると、道は開けるものです。


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人の目

2015.05.06日

"As for worrying about what other people might think - forget it. They aren't concerned about you. They're too busy worrying about what you and other people think of them."
-- Michael le Boeuf
「人が自分のことをどう考えているかなんて心配するのはやめなさい。人はあなたのことなんか気にしていません。みんな、あなたや他の人たちが自分のことをどう考えているか心配することで精一杯ですから」
--マイケル・レボウフ (作家、講演家、大学名誉教授)
(訳: 舟田 譲二)


多くの人が他人の目を意識しています。そしてそれが過剰になると不安神経症になったりすることすらあります。
でも、マイケル・ルボウフが上で言っているように、人というのはみんなしょせん自己中心なもの。そこまで他人のことなんか気にしていません。みんな自分のことばかり考えているのです。ですから、人の目を意識すること自体が馬鹿げているのです。


自分の容貌や、年齢、学歴、家柄、仕事や勤め先、住んでいる家や乗っている車、着ている服、家族や親族のこと、付き合っている友人のこと等々、挙げ出せばきりがありません。
このようなこと、全部気にするのはやめましょう。だれもあなたのことでそこまで気にしている人などそもそもいないのです。ちょうどあなた自身も自分のことで頭がいっぱいで、人のことでそこまで気にしていないように。
ありのままの自分を、そして身の回りの人をそのまま受け入れましょう。
そうしたら肩の荷が下りてうんと楽になります。
新陳代謝も盛んになり、自律神経も正常になって心身ともに健康になります。
お試しあれ。


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期待のクオリティ

2015.05.01日

"The quality of our expectations determines the quality of our actions."
-- Andres Godin
「期待のクオリティが行動のクオリティを決定づける」
アンドレ・ゴダン
(訳: 舟田 譲二)


「期待」というとき、それは人に対する期待であることも、また自分自身に対する期待であることもあります。
確かに、自分に対する期待のクオリティが高ければ当然のことながらその期待に応えるべく行動のクオリティも高くなるでしょう。
わかりやすい例を挙げれば、学生なら良い成績や志望校合格という、自分に対する期待のクオリティが高ければやはり誰でも一生懸命勉強し、努力して夢をかなえようとします。その努力が行動のクオリティなのです。
スポーツや芸術や仕事など何でもそうです。


自分に対する期待のクオリティが低い人は当然、行動のクオリティも低くなり、結果も低いクオリティになります。
どの世界においても、素晴らしい実績を挙げている人はみんな自分に高いクオリティの期待をかけ、かつそれを実現させるためにそれ相応の高いクオリティの行動を取っています。
これができない人は低いクオリティに甘んじることになります。


それでは人に高いクオリティの期待を寄せる人はどうかと言えば、そのような人はただ単に人に期待するだけでなく、その期待のクオリティに合致した、そしてそのようなクオリティを引き出すような行動を取っています。
これは優秀な教師や監督、コーチなどを見れば明らかです。
子育てに当たる親も同様です。
「子は親の背中を見て育つ」という言葉にも表れているように、賢い親は自らの行動のクオリティをもって子どもに良きお手本を示しているのです。


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離婚しない理由

2015.04.17日

"You may have a 100 good reasons to get divorced.
But all you need is find just one simple reason to stay married and make yourself and your family happy."

--Author unknown
「離婚するのに100のもっともな理由があるかもしれない。
しかし、あなたに必要なのは、結婚生活を続け、自分自身をそして家族を幸せにするたった一つの単純な理由を見つけることだ」

--作者不詳
(訳: 舟田 譲二)


結婚というものは、するまではワクワクして希望と喜びに満ちているけれども、いざ結婚して現実を見るとそんなに甘いものではないということがわかる。
なぜなら、たとえどんなに愛し合っていても、相手がどれほど素晴らしい伴侶であっても、自分自身が欠けだらけのものであるから。
さらに、お互い全く異なる環境の下で生まれ育ってきたので、考え方や価値観など同じということはあり得ない。
そこで、一つ屋根の下で暮らす結婚生活の中では、意見が衝突したり、気持ちがすれ違ったり、相手のことを不快に感じたりすることがあるものです。
人間はそもそも自己中心ですからこのようなことが、しばしばでなくてもたまに起こることはごく当然のことです。


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そして、離婚という選択肢が頭の中をよぎることも時にはあるかもしれません。いや、冒頭の言葉のように離婚する理由が100も見つかるかもしれません。
最近はあまりにも簡単に離婚する人が増えてきていて、その結果当人も、そしてさらに子どもや親までも巻き込んでみんなが不幸になるというケースもしばしばです。


このようなとき、大切なのはそのときの感情に流されずに、たった一つの理由を探すことです。結婚生活を続ける理由を。


多くの場合、問題の原因を伴侶や子ども、親に、あるいは仕事に、など周りに見出そうとします。
しかし、これでは問題は解決しないばかりかかえって複雑にし、みんなを Lose(敗者)にするか、あるいは Win - Lose(勝者−敗者)としてしまいます。


でも気をつけてよくみると、必ず Win - Win 、みんなが勝者になる道があるものです。


そしてこれは結婚に限ったことではなく、全ての人間関係や、仕事、学生であれば勉学などにも通じることなのです。


ちなみに、今日の名言は「作者不詳」と冒頭に書きましたが、実は誰あろう私の名言(迷言?)でした。
常々考えていることを文章にしてみました。
たった一人の人のお役に立てればと願って。


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成功への固い決意

2015.04.15日

"Your own resolution to succeed is more important than any other one thing."
-- Abraham Lincoln, 16th U.S. president
「成功への固い決意は他の何ものにも勝る」
--エイブラハム・リンカーン (第16代合衆国大統領)
(訳: 舟田 譲二)


リンカーンの上の言葉、実に重いです。
ビジネスで成功している人はみんな例外なく「成功への固い決意」を持っていることでしょう。
しかし、これは決してビジネス上の成功に限って言っているのではありません。
たとえば、リンカーンの場合は政治家としてこの固い決意を持っていたのです。
リンカーンについてはこれまでにも何度か書いてきましたが、彼ほどの苦労人もそうはいないのではないかと思います。


リンカーンは貧しい家庭に生まれ、幼いときから苦労の連続でした。
彼の生涯を見ると60歳で大統領になるまで、
31歳 事業に失敗
32歳 州議会議員選挙に落選
34歳 再度事業に失敗
43歳 この後、5年間に3回、下院議員選挙に落選
55歳 上院議員選挙に落選
56歳 副大統領選で敗北
58歳 上院議員選挙に再び落選
とまさに失敗の連続の人生でした。
しかし、リンカーンは将来いつでも役立てることができるようにと、一生懸命勉強し続けました。

「失敗したとき」より)
リンカーンには、絶対に成功するという固い決意があったのです。


これは学生であれば勉学に、家庭を持っている人であれば家庭生活や子育て、より良い夫婦関係に、また健康増進に、信仰生活に、より良い人間関係の構築のために、自らの人格形成のために、...と、どんなことにも適用できます。


あなたには「成功への固い決意」がありますか?


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昨日のイベント、続報

2015.04.13日

昨日の塾イベント、BBQ大会は大成功でした。
下に生徒の声の一部をご紹介させていただきます。


「テストは盛り上がるし、後々役立つと思うからいいと思った!勉強やる気も出たし! 先生たちが体を張るのが面白かったー!  劇で問題やるのも面白かった。夏合宿が楽しみ〜☆」
「テスト、難しかった。焼き肉美味しかった。1年生と仲よくなれた。もっといたかった」
「食材争奪テストも勉強した甲斐があった。先生たちの頑張りがよかった!」
「テストがきつくて脳に栄養を奪われた。BBQはおいしかった。ずっと笑いっぱなしだと思えるぐらいたのしかった」
「きちんと勉強に関することもあってよかった。劇も国語的要素があり、正人先生や清田先生たちの演技がおもしろかった」
「普段、話すことのできない人と話せたのがよかった。劇がすごく面白かった」
「お肉などすごくおいしかった(*^。^*)  最後の、気持ちや言葉などを考えるのもすごくおもしろくて楽しかった。勉強もしながらやったから身についたし、学べて、楽しいからすごく良かった♪」
「おなかいっぱい。正直、お肉たくさんありすぎて胃がもたれる〜〜。 楽しくて勉強も出来てとても良きでした。来年いないけど、もう1回くらいやりたい」
「劇の演技がすごかった」
「争奪テストむずかった。ご飯はいろんな食べ物があって、鬼ごっこして、めっちゃ楽しかった! "箱の中身はなんじゃろな"とか"わさびずし(シュークリーム)"とか面白かった。3学年混じってできるって、やっぱいいなって思った」


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「塾では個別だからあまり交流をすることがなかったけど、交流して楽しく遊ぶことができた」
「バーベキューを通して先輩たちと交流することができ、とても楽しかった。また同学年の人ともさらに仲良くなるいい機会だった。今後の中学生活が楽しくなると思った」
「成績上位者からもらったお肉は優しい味がした(笑)。夜はたくさんレクやって楽しかった。特に劇がおもしろかった! 国語の問題は難しかったけど... アカデミーの先生はイベントのレクとかいつもみんなが楽しめるものを考えてくれてすごいなと思います! ありがとうございました。勉強も頑張ります!」
「テストの単語がむずかしかった。先生たちの劇もすごく楽しかったです。漢字のゲームはチームのみんなで考えたけど大変でした。でも楽しかったです。来年もまたやりたいなー」

等々。


普通、「塾」というと「勉強するところ」というイメージです。もちろんアカデミーでも勉強しますが(笑)。
でもただ単に勉強するだけでなく、このように楽しく学ぶということ、そしてさらにそれを超えて人生においてもっと大切なこと、すなわち「人間関係」(「豊かな人生を歩むために」)を生徒たちがこのようなイベントを通して学んでくれていることがとても嬉しいです。


このことについては先般、アメリカの教会の牧師、高木ジュン先生がFacebookに次のようなコメントをお寄せくださいました。
以前の「良い子」の定義は「先生の教えることをそのまま、オウム返しに答えられる子」でしたが、これからはその先生に言われたことに対して、生徒自身の物の見方、考え方を先生に発表出来る子こそ、「良い子」ではないでしょうか。さもなければ、もの見方の狭い融通性のない子になることでしょう。人間の人格形成は単なる知識の詰め込みだけでは出来ません。そこが、教育の難しいところでしょう。生前のソニーの井深 大氏は、毎年小学校に入学する社員の子供にランドセルを進呈していたそうです。そこで、「学校に行って何をしますか?」と言う質問をいつもしていたそうです。ほとんどの子は「学校で勉強します」と答えたそうです。最後に、井深氏はその質問をした後「学校は良い人を作るところです。」と答えたそうです。


これからの情報時代、単に教えられたことを覚えて答えるだけの勉強では間に合わなくなります。大切なのは人間関係、そして自分の考えをしっかりと持って、それを発信し、他の人の意見や考えも聞いて交流できる、そのような人づくりこそが教育に求められると思います。


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失敗する人の90%は...

2015.04.05日

"Ninety percent of all those who fail are not actually defeated. They simply quit."
--Paul J. Meyer
「失敗する人の90%は実際に挫折したのではない。ただ単にあきらめただけだ」
−−ポール・J・マイヤー


ポール・J・マイヤー(1928-2009)は十代の頃からすでに大変な努力家で、競争心に燃え、物事を必ずやり遂げる青年だったそうです。彼は、飽くことなく学び、成功を成し遂げた人びとを熱心に観察しました。「勝利者になるためには、チャンピオンがする通りにしなければならない」と信じていたのです。
「成功は、旅路であり、終着駅ではない」という信念から生まれた言葉が冒頭の、「失敗する人の90%は実際に挫折したのではない。ただ単にあきらめただけだ」です。
彼はセールスマンとして、著作家、講演家、ビジネスマンとして大成功を収めました。


何事においても成功した人から学ぶことは大切です。スポーツや芸術、学問など、どんな分野でも成功する人というのはみんな並大抵の努力家ではなく、最後まであきらめない人たちです。
つまりあきらめなければ誰でも成功できる、と言っているのです。
人はすぐ、あの人は能力があるからとか、あの人は環境に恵まれていたから、などと言いますが、決してそうではありません。
環境にも能力にも恵まれていなくて成功した人はこの世に数えきれないほどいます。
その秘訣はただひとつ。
「成功するまであきらめなかった」のです。


皆さんはどうですか?
夫婦関係、親子関係、職場や学校などの人間関係。仕事や勉学、スポーツ、音楽や美術・工芸等々、どの分野においてもうまくいかなかった人というのは、途中であきらめた人なのです。
あきらめないで続けましょう。やがて実を結ぶ日が必ずやってきます。


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夫婦円満の秘訣 その3

2015.03.30日
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以前、「夫婦円満の秘訣」「夫婦円満の秘訣 その2」という記事を書きました。
今日は、マイボイスコムが3月13日から15日までの期間に行った「夫婦」に関するアンケート調査をもとに「夫婦円満の秘訣 その3」をお届けします。


調査の結果、「夫婦円満のためにしていること」について挙げられたのは「できるだけ会話をする」ことでした。
これについては「コミュニケーション」という記事の中で夫婦間のコミュニケーションの大切さを述べました。
夫側からは「家事を分担する」という回答があったということで、これも上の「夫婦円満の秘訣 その2」の中に書きました。


しかし、夫の立場である私の視点から気づかなかったことは、やはり妻が何を大切にしているかという点です。
妻側からは「ひとりの時間を大切にする」「友人との時間や趣味を楽しむことを尊重する」「夫とほどよい距離をとるようにする」などといった回答が挙がったそうです。これを知って、「へぇー、そうだったんだ」と初めて知りました。


「配偶者の気になること」という質問に対して夫の最多回答は「特にない」。夫は一般的に言うとこういうことについては割とうといのです。
これに対して、妻の回答では、「頑固なところ」「加齢臭を感じた」が多く、さらに、「家事をしない、手伝わない」「いびきや寝相が悪い」「日々の感謝を口にしない」といった声もあったという点です。
これは「なるほど」という感じです。
加齢臭(カレーの臭いではない!)に関しては、40歳を過ぎれば男性だけではなく女性にも必ずあるので、お互いに相手を不快にさせないためにも、風呂に入って体を清潔に保つ、衣類は「着たきりスズメ」にならないよう頻繁に着がえるなど基本的なことに加え、規則正しい生活リズムやバランスの取れた食事、酒・たばこを控える、運動する、防臭・制汗剤の使用などでかなり抑えることができます。
また、夫は頑固を改め、もっと家事を手伝えばいいのです。
これだけでうんと夫婦円満に近づけます。


「夫婦円満のために必要だと思うができていないこと」を聞くと、夫、妻ともに「日々感謝を伝えること」という回答。
ところが、感謝を伝えていると思っている夫は50.5%、妻は66.0%。一方、相手から伝えられていると感じている夫は43.3%、妻は51.0%でした。夫、妻ともに「伝えている」より「伝えられている」と感じている方が少なかったというのは、人は自分の欠けにはあまり気づかないけれども、相手の欠けにはよく気づくということを表しています。
いずれにせよお互いに感謝の心を持ち、それを言葉や態度で表すことが大切で、決して当たり前とは思わないことです(「『ありがとう』と『サンキュー』の反対語」)。


一番大切だと思ったのは次の点です。
「円満度が高い」と答えた夫婦ほど、「配偶者からの褒められ率」が、高かったということです。
また、「うるおいのある毎日を送っているか」という質問でも、円満度が高い夫婦や褒められ率が高い人ほど、「うるおいを感じている」と回答したということで、親子の間でも夫婦の間でもいかに相手を褒めることが大切かということを如実に表しています。
ただし、褒めすぎには要注意です(「褒めて、褒めて、褒めまくれ?」)。


そして、夫よりも妻の方が多く「うるおいのある毎日を送っている」と答えた割合が多く、「おいしいもの」「友だちとの外出」「おしゃれ」など、自分の時間を楽しむことでうるおいを手に入れる“うるおい妻”が多いということで、一般的に夫は不器用で、妻の方が自分の生活を楽しむのが上手という姿が見えました。


結論として、褒め言葉や感謝の言葉を配偶者と贈り合い、自分の時間を楽しむことこそが、夫婦円満で、より生活をうるおわせる秘訣のようだと締めくくっていました。
「なるほど、確かに」と納得するとともに、夫たるもの(私も含めて)は妻をもっと褒め、同時に妻に倣って自分の時間を楽しむことがひいては夫婦円満で、うるおいある生活を楽しむことにつながるのだ、と教えられ大いに納得した次第です。
同じ生きていくなら夫婦円満の方がいいに決まっています。その方がお互いに幸せですし、健康長寿にもつながります。


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コミュニケーションの大切さ

2015.02.03日

「コミュニケーション」の大切さが指摘されるようになって時久しいです。
みんなコミュニケーションが重要なことはよくわかっているのですが、一般に日本人は下手なように思われます。
コミュニケーションは日本語に直すと「意思疎通」で、お互いに忌憚(きたん)なく心の中に思っていることを相手に伝え、理解し合い、争い事などを避け、より良い人間関係を築くためのものです。
今回の「イスラム国」との摩擦や衝突などを見ても、やはりコミュニケーションがうまくできていないな、と思わずにはいられません。


先日の記事「満足とは」に引用した哲学者・エピクテトスの有名な言葉にこのようなものがあります。
「神は人間にひとつの舌と、ふたつの耳を与えた。しゃべることの2倍多く聞けということだ」
これは実に真理をついており言い得て妙です。
さらに言うならば、人間には目もふたつ与えられています。これはすなわち、お互いに相手の目をふたつの目でしっかり見て、コミュニケーションを取りなさい、ということでもあるでしょう。


昔、英会話を教えていた方で、ある大手の商事会社を定年退職して家にいながらご自分の趣味をいろいろやっていらっしゃる方がいました。
家に呼ばれて行ったことがあるのですが、奥さんとふたり暮らし、そして犬がいました。
気がつくと、ご主人も奥さんもふたりとも笑顔で犬とはよく会話されるのですが、ご夫婦の間ではまったく会話がないのです。
なにか言いたいことがあると、お互いに犬を通じて相手に伝達していらっしゃるような感じでした。
日本人の高齢者の夫婦間によく見られるコミュニケーションがうまくできていない典型的なケースです。

私たち夫婦も今年高齢者の仲間入りをするのですが、よくこれだけ話すことがあると思うほど、日々のニュースのことから私たちの信仰のこと、仕事のこと、仕事に関わる人たちのこと、知人・友人・親族のこと等々、どんな話題でも顔を合わせている間はネタが途切れることはありません。
もちろん行き違うこともありますが、そのようなときにはお互いに素直に謝ります。
そして、エピクテトスのアドバイスに従って、話す2倍の時間をかけて相手の言うことに耳を傾け、そして相手の目をしっかりと見つめながら。
高齢者特有の、相手は言ったことを忘れて同じことを何度も言うけれども、こちらもそれを忘れてしまっているので聴く(笑)という面もあるようですが。


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新聞の「人生案内」などを見ていると、たいがいの問題の根底にはこのコミュニケーションの不足があるように思われてなりません。


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考えを変える

2015.01.18日

"If you don't like something, change it.
If you can't change it, change your attitude.
Don't complain."
--Maya Angelou, poet
「もし何かが気に入らなければそれを変えなさい。
もしそれを変えることができなければ、あなたの考えを変えなさい。
愚痴を言ってはいけません。」
--マヤ・アンジェロウ、詩人

(訳: 舟田譲二)


昨日に引き続き、今日もマヤ・アンジェロウの言葉です。


何か気に入らないことがあるとき、まずすべきことはそれを変えることを試みることです。
しかし、変えることができないと私たちはしばしば不平・不満を言います。
でも、上にマヤ・アンジェロウが言っているように、一番大切なのは自分の考え方を変えることです。
愚痴をこぼしていても、また自分の主義を主張し続けていても何の解決にもなりません。


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この世の中、何でも自分の思いどおりにいくことなんてそう多くはありません。
そのようなとき、多くの人が他人を変えようとします。自分の夫や妻を、また子どもを、あるいは兄弟や親を、友人を、他の人たちを。
しかし、人は自分の思うように簡単には変わってくれません。
そのようなとき、お互いの考えが衝突して喧嘩になったり、ひどい場合は憎しみ合ったりします。
毎日のようにあちらこちらで起きているさまざまな事件や殺人、争いごと、戦争等など、これらはルーツをたどるとたいがいの場合、人を自分の思いどおりに変えようとすることから始まっています。
今回のフランスのテロ事件もそうです。


政治週刊誌「シャルリー・エブド」は、「表現の自由」を標榜し、さらにムハンマドの風刺画を描き続けてイスラム過激派の感情を逆なですることを選択しています。
「表現の自由」もイスラム過激派を変えることはできなければ、イスラム過激派もテロで「表現の自由」を変えることはできません。
ならば方法はただひとつ、自分の考え方を変えることしかありません。
愚痴を言っていても何も解決しませんし。


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利他の心

2015.01.05日

1959年、27歳で京都セラミツクを創業した稲盛和夫さん(京セラ名誉会長)は、ご自分の会社を京都一に、日本一、世界一にしようと、強い願望を持って始められました。絶縁材料の研究開発という狭い分野。持っている技術はたいしたものではなかったけれども、誰にも負けないほど努力したそうです。
稲盛氏は次のように語っています。


 日本人特有の勤勉さや、努力、丁寧なものづくりという資質はすたれていない。慈愛に満ちた思いやりの心は、一番の宝だ。東日本大震災時にも略奪などが起こらなかった。人の困っているところにつけ込んで、自分が得をしようとは思わない。経済が強い、軍事力が強いということよりも、そうした美徳という点で世界が尊敬してくれる。
 日本人が持っているおもてなしの精神を、サービス産業ではもっと発揮すべきだ。作られた笑顔ではなく、心からのおもてなしの気持ち。お客様が思っていることを気持ちよくしてあげることが一番大事になる。
 経営が厳しい地方の中小企業でも、創意工夫がカギになる。現在のビジネスをこのまま続けていて良いのか。通りいっぺんのやり方で、なかなか利益が出ないと嘆いていてもうまくいかない。どうやったら利益が出るか、考えて工夫しないといけない。
 私がもしラーメン屋なら、おいしいラーメンを作るため常に工夫し、努力をする。「ラーメンとはこんなものですよ」というのではなく、よそのラーメンを食べ、その味を出そうとすれば、もっと良いものができる。
 会社を起業するのが難しい時代という見方があるが、そんなことはない。良いアイデアや具体的な計画があれば、支援するところはいくらでもある。
 自らの利益をただ追求するのではなく、自分以外の周囲の人たちが豊かになるように考える「利他の心」が大事だと思う。今も、中堅・中小企業の経営を助ける活動をボランティアでしているが、利他をベースに経営している会社は非常に順調にいっている。
 世界で貧富の格差が問題になっている。ますます、思いやりや礼儀正しさといった日本人が持つ良さが称賛される時代が来ると思っている。

(1月4日付 読売新聞1面〜2面 一部抜粋)


まことにそのとおりだと思います。
NHK朝ドラの『マッサン』が思っていた以上にすごい人気です。このブログでもこれまで何度か取り上げました(「マッサン」「マッサン Part2」「やってみなはれ」)。
この番組の人気の秘訣のひとつは、その昔、大正時代から昭和時代にかけて日常生活の中でごく当たり前に見られたおもてなしの心、作った料理を近所におすそ分けしたり、そのお返しをしたり、お互いにいたわり合い、助け合うといった下町の人々の人情に心惹かれるからではないでしょうか。
これこそ、『マッサン』に登場するでき過ぎ妻、エリーのモデルとなったリタじゃないですが、まさに「利他精神」です。


rita.jpg


リタさんは生涯マッサンの夢をかなえるために尽くし、日本人以上に日本人らしい嫁と呼ばれ、マッサンもその妻の心に応えてリタの最期を看取るのです。
リタじゃなく「利他」の心、これこそ今の日本に求められている、そして世界のお手本ともなるべき大切な「お・も・て・な・し」の精神ではないでしょうか。


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感謝の心 Part3

2014.12.21日

「感謝の心」「感謝の心 2」という記事を以前、と言ってもずいぶん前になりますが書きました。また、「感謝」という言葉をブログページ左上コーナーの「エントリー検索」に入力してみると200以上ヒットしました。(めんどくさくなって途中で数えるのをやめましたが)
「感謝」は、人生を豊かに生きるための大切なキーワードです。


6年以上にわたってこのブログをほぼ毎日書いてくることができたことも感謝です。
ここ数年体調を崩していて、ブログの過去ログを見てみるとキッズクラブのクリスマス会では11年〜去年まで3年間メッセージもできない状態でした。
一時期は一日中寝ていたりして、自分の命はもうそんなに長くないのではないだろうか、なんて弱気になっていたこともあったのですが、信仰の力と背後で祈ってくださっている多くの方々のサポートによってここまで強められました。
調子が良くなり始めたのはほんの数か月前からのことですが、まるで嘘のようです。
一昨日のクリスマス会では、その準備に始まりメッセージから後片づけまで、全部きっちりやり遂げることができました。
感謝なことです。


この間、食事療法やウォーキング、スイミングなどの運動療法、サプリメントなど良いと思われることは何でもやってきました。
これらすべてがきっと相乗効果を上げたのでしょう。
何事も一生懸命やる私の性分で、ウォーキングはほぼ毎日1時間から2時間、スイミングは最近は50分で1km以上泳げるまで体力もついてきました。
体組成計によると、体脂肪も内臓脂肪も過去最低レベル、体内年齢は39歳、血圧は上が93、下が53で正常値をさらに下回る至適血圧と、もう言うことなし。
感謝、感謝。


この数年間、父や義母、何人かの親しい友人の死や辛いこと、悲しいこと、苦しいことなど、試練もたくさんありました。
でも、常に感謝の心を失わないよう努めてきました。
人間だれでも人生のネガティブな面を見ると、次から次へとマイナス面ばかり見えてきて、ついつい「神様なぜですか?」と言いたくなったりするものです。
でも、このようなときにもプラス面に目をやって、感謝できることを探し始めると数えきれないほど感謝なことが見えるようになってきます。
病気したことにも感謝、苦しかったことにも感謝、辛かったことや悲しかったことにも感謝。これらがなければ今日の私はありません。
このように感謝していると、ますます心身魂ともに強められ、感謝なことがさらに増えてきます。
今日はこれから教会でクリスマス礼拝。
今年もここまで守られてきたことに感謝します。
「数えてみよ、主の恵み」と、感謝できることを毎日の生活の中で数え上げましょう。幸せになれること間違いなしです。


「いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである」
(テサロニケ人への第一の手紙 5:16-18)


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「できる」それとも「できない」?

2014.12.10日

"Think you can, think you can't; either way, you'll be right."
--Henry Ford, Industrialist
「できると考えても、できないと考えても、結果はあなたの思ったとおりになる」
--ヘンリー・フォード フォード自動車創業者
(訳: 舟田譲二)


『マッサン』の中で鴨居商店の経営者、鴨居欣次郎が乗っている高級外車(当時)はT型フォードです。
鴨居欣次郎のモデルになった鳥井信治郎が実際にフォードに乗っていたかどうかはわかりませんが、当時は「フォード」と言えば自動車、また金持ちの代名詞でした。
そのフォードの創業者であるヘンリー・フォードが言ったのが上の言葉です。
「できると考えても、できないと考えても、結果はあなたの思ったとおりになる」とは実にうまく言ったものです。名言中の名言です。


ford.jpg


6年近く前の記事「頭の中にあることは」の中にも似たようなことを書きました。
「人は心に考えるような人になる」ということです。
これは積極思考などの本によく出てくる言葉、考え方ですが、ヘンリー・フォードの言葉と瓜二つではありませんか。


ヘンリー・フォードも、そして昨日の記事に登場したサントリーの創業者、鳥井信治郎、ニッカウヰスキーの創業者、竹鶴政孝にしても、また一昨日ご紹介したオプラ・ウィンフリー始め、これまでこのブログに登場してきた数多くの人たちはまず例外なく、「必ずできる」と信じてやってきた結果、そのとおり自分たちの夢を実現した人たちです。
逆に、フォードも言っているように、「できない」と考えると本当にそのとおり、できない結果になります。


私たち自身、あるいは身の周りの人たちを見回してみましょう。
いかがですか?
人間関係を始め、健康や、スポーツ、趣味や、仕事、勉強など、ありとあらゆる分野で自分の夢を実現している人たちはみんな「できる」と信じているのです。


皆さんはいかがですか?
どのような人生を送りたいですか? 
「できる」と「できない」、どちらを選びますか?


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死が別つまで

2014.11.24日

"A good marriage is when you're married to not to someone you can live with, but to someone you really can not live without."
Dr. Howard Hendricks
「良い結婚とは、一緒に生きることができる人と結婚していることではなく、その人がいなくては生きていけない人と結婚していることである」
ハワード・ヘンドリックス博士



ヘンドリックス博士はダラス神学校を卒業したのち、ある教会の牧師として働き始めましたが、間もなく卒業した神学校から招聘され、昨年88歳で天に召されるまで、60年あまりにわたり、13000人以上の学生を教えてこられました。
「自分は教えることが好きだ。教えることは私にとって生きることだ」とまで言われた博士の言葉に、その生き様が表れています。


このヘンドリックス博士が残された名言の一つが冒頭の結婚に関する言葉です。


私たちはとかく結婚に関して、わりといい加減というか、好きだ、惚れた、といった感情に流されて、あるいは家や将来性やその他さまざまな条件などで結婚してしまいがちです。
しかし、結婚とは聖書によると、イエス・キリストと花嫁なる教会の関係に例えられるほど神聖なものです。
そのように考えると、そう簡単に離婚や再婚を繰り返したりすることなどできなくなるはずです。


確かに、結婚して最初の頃はみんな幸せでラブラブムードでやっていけるのですが、一生このような関係を続けるのはなかなか困難です。
みんなそれぞれ個性があり、物事の考え方や感じ方、価値観なども違いますから、行き違いや衝突なども起きるでしょう。
でも、だからと言って、もうダメだと言うことは決してありません。
思い立ったが吉日で、気づいたならそれこそいつからでももう一度やり直すことができる、それが結婚というものです。


「妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい」
(エペソ人への手紙 5:22)
「夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい」
(エペソ人への手紙 5:25)


相手がいなければ生きていけないというほどお互いに自らを捧げ、仕え合うならば、その結婚は必ず神様に豊かに祝福され、死が別つまで共に素晴らしい生涯を生き抜くことができることでしょう。


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小さなことの積み重ね

2014.11.19日

この動画はすごい。すごすぎる。ここまで来ると、もう芸術の最高の領域。



これはフランスのテレビショーでやっていたものだそうです。
一足飛びにここまで来れたわけではありません。いったいどれだけの汗や血を流し、苦しんできたことでしょう。


作家であり、積極思考の生みの親でもあるデール・カーネギーは次のように語っています。
"Don't be afraid to give your best to what seemingly are small jobs. Every time you conquer one it makes you that much stronger. If you do the little jobs well, the big ones tend to take care of themselves."
「小さな仕事に見えることに自分の最善を尽くすことを恐れてはいけない。ひとつこなしていくごとに、あなたはその分強くなっていく。そして、小さな仕事をきちんとやっていると、大きな仕事は自然とうまくできるようになるものだ」

(訳:舟田譲二)


私たち人間は、とかく大きな仕事には一生懸命取り組みますが、一見人目を引かないような小さな仕事は手抜きしがちです。
ところが、デール・カーネギーはまったく逆のことをここで勧めています。
すなわち、小さな仕事にこそ最善を尽くして取り組みなさい。そうするならば、大きな仕事というものは自然とできるようになりますよ、と。
これは上の動画のような超ハイレベルなものに限らず、すべてのことに当てはまる真理です。


生徒や学生であれば、日々の小さなステップ・バイ・ステップの基本的な勉強にしっかり取り組んでいると、それが積み重なってやがて大きな力となり、社会に出てからも有益なものとなり、大きく用いられるようになります。
学校の試験や入試のためだけの付け焼刃の勉強法はとりあえず点数を取って良い成績を取ったり、志望校に合格できるかもしれませんが、このようなものは将来決して役立ちません。


steplogo.gif


人間関係においてもそうです。
親子、夫婦、兄弟関係から始まり、学校での生徒同士、教師と生徒の間、先輩・後輩の間、職場での人間関係を始め、顧客との関係等々、やはり良い人間関係を築くコツは、コツコツと小さなところから始めていくことです。そうするならば、やがてそれが将来大きな花を咲かせることになります。


仕事も同様。
何事も急に一足飛びにうまくいくことなどありません。
冒頭のデール・カーネギーの言葉をもう一度かみしめ、私たちの日常の生活の中で活かしていきたいものです。成功は保証つきです。


「小さな仕事に見えることに自分の最善を尽くすことを恐れてはいけない。ひとつこなしていくごとに、あなたはその分強くなっていく。そして、小さな仕事をきちんとやっていると、大きな仕事は自然とうまくできるようになるものだ」


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願いがひとつ実現

2014.11.08日

「初めまして。舟田譲二と申します。 共通の友達が多いので、どこかに接点があるかなと思ってリクエストしました。 よろしければお友達になってください。 自己紹介代わりに、拙ブログをご覧ください。よろしくお願いします」


「メッセージありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願い致します。実は今、朴先生のラスベガスの投稿から舟田先生のブログへと移り、塾のHPにお邪魔していたところです。HPを閉めたところで、先生からのリクエストに気づき、驚きました。私も、日本では、長いこと家庭教師や塾講師をしておりました。「先生、うちの学校に来てよ。」「うちの子の家庭教師になって下さい。」等と嬉しい言葉をもらったこと、バレンタインデーには複数の女子生徒からプレゼントをもらった(笑)こと等を思い出しておりました。先生の経営なさっておられる塾も、講師と生徒が仲がよく、生徒や保護者から信頼されているとても素敵な塾ですね。
 (ある時、以前バイトとして塾講師をしていた時の生徒の妹達の家庭教師になってもらいたいと言って、私が「今は大手の塾でフルタイムで講師をしているから無理だ」と答えても、私がYesを出すまで何度も電話をかけてきたお母さんがいらっしゃいました。携帯にも自宅にも電話がかかってくるので、辟易しましたが、あまりのしつこさに、Yesを出さざるを得ませんでした。実は、このお母さんのママ友さんも、それより以前に、「娘の家庭教師になってもらいたい」と仰って来られたことがあるのですが、その時は、私が一度「無理です」とお伝えしただけで、諦めて下さいました。後日、このママ友さんにばったりお会いした時に、「私の娘の時は無理だと仰ったのに、どうして◯◯さんで教えていらっしゃるんですか!?」と迫られました。「◯◯さんにも、無理ですとお伝えしたのですが、私が『はい』と答えるまで昼も夜も電話をかけ続けられて来たので、仕方なく……」と答えながら、寡婦と裁判官の例え話を思い出していました。今でも、どうしても相手にこちらの訴えを受け取ってもらわなくてはならない時は、聖書の話と、この時のお母さんの行動を思い出します)
 その後、神様によってブラジルでの奉仕に導かれ、さらに結婚へ導かれ、現在はサンパウロで日本語教師をしております。  よろしくお願い致します」


「ご丁寧なお返事をありがとうございます。 塾・家庭教師、日本語教師など、共通点がとても多いですね。私も昔留学中、LA近辺で常に日本語教師や通訳などの仕事をしていました。 鶴田先生とはそのような時にお会いして意気投合したのですよ」


このようなやり取りから1年以上前の去年の8月にFBフレンドになった中田ゆかりさんから、今年の5月に次のようなメールをいただきました。
「実は、神様に日本へ戻るように示されているような気がして、主人と祈ってまいりましたが、本当にそうなりそうです。 現在の職場は、心から神様を信じる教職員が多く、とても素晴らしいので離れがたいのですが、また子ども達も日本行きを嫌がっていたのですが、私達のこちらでの恩人(日系2世)の急な死を通して、私達に残されている時間があるうちに、神様に示されていることをしなければならないと、強く思わされました。 それで、驚かれるかも知れませんが、引越し先は平塚市です」


以来ずっとメールでやり取りし、お互いに祈り励まし合ってきたのですが、この中田さんご一家がちょうど1週間前にブラジルを離れて日本に到着され、ついに中田さんご夫妻と昨日平塚でお会いする機会が与えられたのです。


ブラジルと日本の地理や気候、移民などの歴史など2国間の関係から始まり、文化や習慣・習俗・政治、国民性の違い、言語について、宗教観など話題は多肢にわたりましたが、とどのつまりさまざまな問題の根源は教育にある、ということで教育者である私たちは結論に至り、教育についてさらに突っ込んで話し合いました。



このようにして、FBでつながった人たちと次々と親しいお友達が生まれ、実際にお目にかかってお交わりさせていただいたりするようになり、私はつくづく幸せ者だなぁと、昨日は心から感謝した一日でした。


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子どもの可能性と教育法

2014.11.03日

5歳のとき多動児で学習障害児。学校では先生から見放され、上の子は9歳まで、下の子は10歳まで字の読み書きもできませんでした。
お母さんは最初はとても辛い思いをしましたが、そこから立ち上がり、子どもたちに学校をやめさせて、自ら家でホームスクーリングで教え始めます。
子どもたちは母親の愛情を感じ、学んだことをスポンジのようにどんどん吸収していき、兄の方は11歳、弟は12歳でなんと大学生に‼︎


これはアメリカで起こった実話です。
ふたりは大学卒業後、システムエンジニアになり、その後あの有名な映画『ロード・オブ・ザ・リングズ』のデジタルイメージを制作したのです。


母親は自らの子育ての記録を本に著し、その本は教育界のみならず一般の人々の間でも絶賛されて、米国テレビネットワークCNN, ABC, NBC, CBSで、そしてウオールストリート・ジャーナル、ワシントンポスト、ロサンゼルスタイムス、ニューヨークタイムス他の新聞でも紹介されました。
この本は、親や教育者たちに子どものチャレンジ精神を力に変え、興味・関心を発見し、さらにそれらを情熱に変え、情熱を才気・知性に変える方法を教えています。
本に寄せられた推薦の言葉には、「この本は全世界の言語に翻訳されて、すべての教育者、親に読んでもらうべきだ」とありました。


brilliance.JPG


彼女はテレビのインタビューで次のように語っています。
子どもは一人ひとり異なり、それぞれが自分の興味、関心、賜物を持っている。それを早く見出し、育てることが親の務め。
親子の間の信頼関係がもっとも大切。子どもに対して強制的だと子どもは親に逆らうようになるが、信頼関係ができていると子どもは自ら進んで勉強もするようになる。
公教育始まった当時と今ではすっかり環境が変わっている。教育の仕方も時代とともに変化させなければならない。


resa2.jpg


子どもはみんな「無限の可能性」(こちらの記事もクリックしてご覧ください)を持ってこの世に生まれてきています。
その可能性の芽を親や学校が摘み取っていてはだめです。


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浦島太郎

2014.10.26日

昨日は中学3年のときのクラス会でした。
新幹線で京都に着き、駅ビルで買い物をしたら、いきなり京都弁で
「おおきに!」。
当たり前のことですが感激。
懐かしい! ああ、京都弁ええなぁ…


私は京都の大学を卒業してからアメリカに留学し、帰国してからはずっと神奈川に住んでいます。京都弁を忘れたわけではないのですが、もう口から出てこなくなってしまいました。
でも魂は京都にあって、京都はいつまでたっても私の心の故郷です。
京都に来るたびにホッとするのはきっとそのせいでしょう。


親しかった友人3人が車で出迎えてくれ、懐かしい卒業高校と中学校に連れてもらいました。
校舎も新しく建て替えられていて、ここも思い出の糸をたどってもほとんど思い出せません。


やがて待ち合わせ場所に一人二人と同級生が来ますが、この人たちもわからない。名前を聞いてようやく、「ああそういえば」という感じです。
向こうも私のことがわかりせん。
「舟田です」というと「ああ、目の辺りに面影が残っている。昔はポッチャリしたイメージだったけど、痩せたね」という返事。


最初はみんなこんな感じでした。
でもしばらく一人ひとりと話しているうちに昔の思い出がよみがえってきて、そのうちにまるで中学のときに戻ったかのような錯覚を覚えました。もう50年ぶりとは思えないぐらいで、タイムスリップしたよう。


マイクロバスでクラス会の宴会場の大枝へ。ここもすっかり変わっていました。当時は山や竹やぶ、田んぼや畑で、狭い国道にバスは1時間に1本だったのが、今や振興開発の大都市になり、京都縦貫の高速道路も走っています。
私はまるで浦島太郎です。


宴会場に現れたクラス担任だったY先生はもう80歳。昔はものすごく大きく見えた先生も今では縮んだ感じでとても小さくなっていてびっくり。
クラスの仲間がお互いに顔がわからなかったのに、この先生は私を含め50年前の生徒だった私たちをひと目見るなり名前で呼んでくださりびっくり。ああ、素晴らしい恩師だなぁと感激しました。


昔の仲間と語りながら食べるすき焼きは本当に美味しい!
普段少食の私も知らず知らずのうちに箸が進み、驚くほどたくさん食べていました。
各テーブルで話が盛り上がり、またみんな他のテーブルを回りながらさらに会話がどんどん広がっていきます。


そのうちにカラオケが始まり、踊り出す人も。
しかし、一方でクラス48人のうち5人の物故者に話が及ぶとみんなの心は消沈。事故やガン、自死など。とても辛いです。


また、クラス会に参加予定だった人でつい1週間前にご主人が亡くなって来れなくなった方もあり、心を痛めました。その方に声をひと言、声をかけたく電話しましたが出られませんでした。
ところが、しばらくして着歴を見て電話がかかってきました。なんと言っていいのかわからず、「大変だったね」と言うと、本人の声は意外と明るく驚きました。でも、やはり未だに立ち直れず、から元気だとのこと。当然のことでしょう。
あちらこちらでガンなど持病の話など、やはり自然と年相応の話題になっていきます。


一人、仕事の出張でイギリスに渡った友人がそのままいついて18年。
来年、帰国するという連絡が私の方にメールで入り、また来年もクラス会をしようということでお開きに。
楽しい時間はあっという間に飛び去りましたが、元気な限りみんなで会おうと誓い合い別れました。

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サービス精神

2014.10.21日

今朝、11:00に自動車保険の更新手続きに担当の方がうちにみえました。
この方とはもうかれこれ30年近いお付き合いで、最初は自動車ディーラーに勤めていらっしゃって車を買う時にお世話になりました。
それ以来、何台も買い替えてきましたが、2年ほど前に定年になられ第二の人生をこれまでもやってこられた保険の仕事で続けられることになったのです。


今までにも事故やバッテリーが上がった、パンクした、脱輪した、雪で車が動かなくなったなどというたびにこの方に連絡すると、保険会社のロードサービスよりも早く、しかも丁寧に対応してくださり、どれほど助かったことかわかりません。
今日も手続きが終わってお話ししていたところ、今年の2月の大雪の直後のある夜の出来事が話題に上りました。生徒の送迎バスの1台が山中の雪の中で車輪をとられ立ち往生したとき、保険会社のロードサービスに連絡したところ来てもらうのに1時間半ほどもかかるとのことで、この方にお電話したら仕事が終わって家に帰られるところだったのですがすぐに飛んできてくださいました。
息子と私でいろいろ方法を尽くしどうしてもだめだったのが、この方がシャベルを使ってバスの下の雪をかき出しご自分の車でロープで引っ張ると、ものの15分ほどで見事にバスを雪の中から出してくださいました。
お礼を言って私たちは現場をあとにしたのですが、その後思わぬ出来事が起きたというお話を今朝伺いました。

私たちを見送った後、自分もその場を出ようとして、やはりまだ雪の積もっている別の道を走り出したところご自分の車も同じように雪の中に埋まり、最初は車の中で一夜明かそうかと思ったけど、まあ試しにやってみようと、先ほど使ったシャベルで同じように車の下の雪をかき出して一汗かいたとのこと。
そんなことなら私にすぐにお電話くださればよかったのに、と言ったところ、いやいやご迷惑をおかけするわけにはいかないので、と笑いながらおっしゃいます。
「で、雪から出るのに何分ぐらいかかったのですか?」と尋ねると、
「いやあ、1時間半ほどかかりました。これこそまさに『ミイラ取りがミイラになる』っていうやつで、自分でも大笑いしてしまいましたよ」
というお返事。
私は本当に頭が下がり、何度もお詫びしました。


この方は高校を卒業してから最初は修理・整備の仕事をずっとしてこられ、その後は営業の道ひと筋。
営業でも会社で一番という素晴らしい成績を上げておられました。
そりゃこの人のこのサービスぶりを見ていると当然のことだといつも思っていました。
うちのような営業時代のお客様がものすごく多く、お顔が広いのでそれが今の保険のお仕事でも役立っています。しかし、やはり何よりもこの方の一番の売りである「サービス精神」がものを言っているのです。つい先日も、昔のお客で埼玉の人から電話があり助けてくれと言われ、ひとっ走り行ってきたとのこと。
「これまでお客様からのこのような助けを求める声を断ったことは一度もない」と聞いて、さもありなんと思いました。


この「サービス精神」は、別に営業や保険の仕事に限ったことではありません。
あらゆる仕事に通じることであり、また夫婦関係や親子関係に始まるあらゆる人間関係にも当てはまります。
やはり信頼される人というのは、ここが違うのです。
社会的にどんなに偉い人であっても、中には高慢な人や冷たい人、サービス精神のない人はたくさんいて、このような人はやはり信頼されません。
逆にそれこそこの保険の営業をやっている方のように、たとえ目立たない生涯を送っている人であっても一生懸命やっている人はその気持ちが人に伝わるものです。
宮沢賢治じゃないですが、「そういうものにわたしはなりたい」。


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真の失敗とは

2014.10.16日




Defeat is not the worst of failures, not to have tried is the true failure."
--George Woodberry, Poet
敗北が最大の失敗ではない。試さないことが真の失敗だ。
ージョージ・ウッドベリー、詩人


これは言い得て妙なり。
私たちはとかく何事かで失敗すると、もうだめだと打ちのめされたような気持ちになりがちです。
でも考えてみたら本当に冒頭で言われているとおりですね。


このブログでもこれまで何度か書いてきましたが、エジソンしかり、アインシュタインしかり。
おおよそこの世で大いなることを成し遂げた人というのは、間違いなくみんな失敗や苦労の連続。成功するまで何年も、何十年も失敗を繰り返しています。今回のノーベル化学賞受賞の3人の日本人の研究者たちもその例からもれません(「失敗したとき」)。
失敗しても失敗しても諦めない。それが成功につながる。


冒頭でも言っていますように、試さないことが本物の失敗なのです。
このことを覚えておくと、私たちも日々の生活の中でそれを応用していき、やがて真の成功に至ることができるはずです。
たとえば、生徒や学生であれば学業において、親であれば子育てにおいて、サラリーマンや自営業などの人であれば仕事において、またあらゆる人間関係においても通用することです。

私もへこたれずに引き続き頑張ります。
皆さんもどうぞお試しあれ。


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街興し(まちおこし)

2014.08.25日

私が子どもの頃は、みんな生きるのに必死という感じで、あまり「街興し」などというようなものはなかったような気がします。
せいぜい月に2回程度の夜店と、あとは地域の神社のお祭りとより大きな規模の「菊人形展」のようなものぐらいだったでしょうか。


しかし、映画『三丁目の夕日』のようなイメージを求めてか、全国あちらこちらで「街興し」なるものをやるようになったようです。
とくに最近流行っているのは「ゆるキャラ」と呼ばれるご当地キャラクターの着ぐるみ、ゆいぐるみ。
どこかが始めると日本国内みんなが真似するというのが、またいかにも日本らしいです。
去年のゆるキャラ1位は栃木県の「さのまる」というものらしいですが、あまり関心のない私にとってはどれもこれもみんな一緒に見えてしまいます。


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その他、各地で企業誘致、就労の場づくり、都市開発、再開発、地場産品の発掘や開発 - ご当地グルメ、名物、、イベント(スポーツ、祭など)、観光資源の創出、観光資源の発掘、目玉施設の整備 - 総合(運動)公園・スポーツ公園の整備・美術館や博物館など「箱物」の整備など(以上Wikipediaより抜粋)が主なものらしいです。どこも人集めに必死ですが、なかなかうまくいくものは少ないようです。


昨日は礼拝の後、駅の近くに食事に出かけると、あちらこちらでさまざまな催しをやっていて人もそれなりにたくさん集まっていました。


event4.JPG


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平塚は7月の七夕が一番有名ですが、10月には平塚囲碁祭り1000面打ち大会といって全国からプロの棋士80名を招待する大きなイベントもあります。
平塚市も一生懸命で、なんとかして新しい人をただ観光だけでなく、住民を増やしたい、といろいろな策を打っていますが、ことはそう簡単ではありません。
そして、これはどこでも同じ状況です。


もっともっと各地で、さらに地域の壁を超えてこのような交流の場を設け、自分の住んでいる地域だけでなく、他の地域にも目を向けて、全国規模で日本の将来のために今から取り組んでいかないと、本当に「日本沈没」になりかねません。


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幸せになりたいなら

2014.08.21日

"Those who are not looking for happiness are the most likely to find it, because those who are searching forget that the surest way to be happy is to seek happiness for others. ".
---Martin Luther King, Jr. , clergyman
「自らの幸せを見つけようとしていない人が一番幸せ見つけるものだ。というのは、自分の幸せを探している人というのは、幸せになれるもっとも確実な方法が他人の幸せを探すことだということを忘れているからだ」
マルチン・ルター・キングJr.牧師

(訳 : 舟田譲二)



私がよく引用する偉人などの名言・格言はこのブライアン・トレーシーのメールマガジンからのものが多いです。毎日送られてきて、教えられることばかりです。
つい先日も、「人類が生き残る唯一の道」で、またずいぶん前にも「オバマ大統領誕生!」の記事の中でマルチン・ルター・キングJr.牧師のことはご紹介しました。


今日の、キング牧師の言葉は本当に意味深です。
なぜなら、幸せになりたくない人などだれもいないからです。そしてだれでも自分の幸せを追求するものです。
しかし、キング牧師は言います。
「幸せになれるもっとも確実な方法は他人の幸せを探すことだ」と。
ここで、普通の人なら、「人の幸せなんてどうでもいい。自分が幸せになりたいんだ」という発想になり、中には「人が幸せになる、ということは自分の幸せの分までその人に取られることになる」とやっかみやひがみが生じたりするものです。


この結果、世界中で戦争があり、同国内でも、同じ家庭内でも、会社内や学校内でも憎しみや争いが絶えないのです。
問題の根本解決の唯一の方法は、ここでマルチン・ルター・キングJr.牧師が言っているように、
「自分の幸せを探している人というのは、幸せになれるもっとも確実な方法が他人の幸せを探すことだ」
というのを肝に銘じて、それを日々の生活の中で実践することにあります。


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日本の少子化と国際化にもの申す

2014.08.12日

昨日から神奈川県平塚市の自宅から名古屋郊外の妻の実家にお盆帰省。
私は今、車の運転にドクターストップがかかっているため妻が一人でずっと運転。
途中やはりお盆ラッシュで渋滞があり、休憩も含めて約7時間の長旅。妻に本当に申し訳なく思いつつ、私は助手席で昨日のブログ記事を書いたり、寝たり。
帰りもきっと渋滞に巻き込まれることになるでしょう。


妻の実家の隣街に住んでいらっしゃるFacebookフレンドの掃部関(かもんぜき)美智子さんと前から帰省の際にはお会いする約束をしていたのですが、昨夜ようやく実現しました。
二人とも安藤秀世先生や金 斗絃先生、金野正樹先生など共通の友人があまりにも多く、そこからFBでつながった仲ですが、初めてお会いしたという感じはまったくなく、昔からの親しい友人という不思議な感覚でした。


ただ、ご両親が日本からブラジルに移住され、現地で生まれてブラジル人として育たれた美智子さんにとって、24年前に日本に期待して来られた時のショックは大変なものだったそうです。
ブラジルという国は全体的にのんびりしていて人も温かく、住み心地良かったのに、日本に来て驚いたのはみんなせかせかしていて、他人には冷たかったこと、また人種差別があったことだそうです。このことは昨日の記事「もうだめだ、という時は…」にも関連していて、お話をお聞きしていてとても心が痛みました。


IMG_4790.jpg

ご一緒に見えたのは美智子さんの息子さんのお嫁さんで、23年前に来日され、学校で美智子さんの生徒さんだったそうです。彼女もやはり美智子さんと同じことをおっしゃっていて、今でも同じような差別を体験しておられるとのこと。
この名古屋近辺はブラジルからの移民がとても多い地域で、私も以前、日本の少子化の問題について「子どもたちはどこへ行った?」の記事の中でもブラジルなどからの移民政策を進めるようにと提案していたのですが、未だに続く日本の鎖国的な国民性を打破しなければならないと、お二人のお話をお聞きして強く感じた次第です。


このような時に見た次のYouTubeの微笑ましい動画からは本当に教えられることが多いです。
どうぞお楽しみください。私たちも彼らのように人種や民族を超えてもっと仲良くなれないものなのでしょうか。





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講師の懇親会

2014.07.20日

ここ数日、ウォーキングの距離が7〜9km(1万歩は約6km)とちょっと少なめだったので、昨日は久しぶりに足を延ばして12〜3kmぐらい歩こうと一昨日から思っていました。


すると、朝になってアカデミーの元講師だった方たちが食事会を兼ねて海岸で懇親会をすると聞き、みんなの顔が見たくなりました。
そこで昼過ぎに正人に尋ねてみると、きっとみんなも会いたいだろうからぜひ顔を出して、ということでちょっと寄ることにしました。


上は33歳から下は現役の20歳の先生たちまで、何代にもわたってみんなで14名ほど集まっていました。
この中には高校の先生をしている人たちから独立行政法人やインターネット関連会社や一般企業に勤めている人など、バラエティに富んだ組み合わせの集まりでしたが、一つの共通項、それは愛校(塾)精神を持つ人たちでした。
アカデミー出身の人も何人もいましたが、みんなアカデミーが大好きな人たちばかり。
毎年、盆暮れに2回、泊りがけの小旅行やこういった食事会などをしています。
私にとってこれほど嬉しいこと、光栄なことはありません。


みんなで海岸で記念写真をパチリッ!
このあと遅れて加わった人が2人。一緒に撮れなくて残念でした。


bbq14.JPG


集まった人たち一人ひとりと話しましたが、みんなの口からかつてのアカデミーでの楽しい思い出を始め、アカデミーの教育論、これからのアカデミーの姿、目標などの話が出て、みんながいかにアカデミーを愛してくれているかがよくわかります。


会社に就職している人たちで、アカデミーが分校を作るならいつでも今働いているところをやめてすぐにでもアカデミーに戻ってくると言ってくださる方たちが何人もいて、本当に嬉しい限りでした。


みんなの口から出た言葉、それは「アカデミーは特別」「こんな素敵な生徒思いの塾はない」「アカデミーで働けたことは自分にとって素晴らしい経験だった」「アカデミーのお陰でこのような素晴らしい仲間と出会えた」「アカデミーは学院長の寛大な心のお陰で、カスタマーサティスファクション(顧客満足)だけでなく、エンプロイーサティスファクション(従業員満足)も昔からよくできている」「この仲間は一生続くと思う」というようなポジティブな意見ばかりで、私は心の中で感動して泣いていました。


食事が終わり、男性たちは上半身裸になって砂浜で相撲の勝ち抜き戦。白熱した試合が続き、みんな砂だらけになっていました。見ていて私もやってみたくなりましたが、歯が立つわけないのでやめておきました。
ひとりの人の誕生パーティーも兼ねていて、みんなで手をたたきながら「ハッピーバースデー」を歌い、手作りケーキのロウソクを本人が吹き消して、みんなでお祝いする温かいシーンまでありました。


みんなとても楽しそうで、私も若い頃こんな仲間に入っていたかったなぁと、正直羨ましく思ったほどです。
ほんのちょっとの時間立ち寄るつもりだったのが、いつの間にか3時間あまりもみんなと親しく話していて、私の心は幸せな気持ちに満たされていました。。


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離婚の減少に貢献

2014.07.13日







ママへは


おなかすいたよ
わたし寒い
ぼくは暑いよ
ねえ、◯◯食べてもいい?
◯◯が見たい
ママ、どこ?
パパに聞いてくれない?
手伝って、ママ
あいつにやられちまったよ
あの子にいじめられたの
あそこに行きたーい
いつ◯◯できる?
ねえ、◯◯しない?
どうしてダメなの?



パパには


ママどこ?
(舟田 譲二訳)


これはちょっと前にFacebookで見たもので、アメリカの一般的な親子の会話の様子です。だいたいどこの家でもこんなもので、おそらく日本でもそれほど変わりないでしょう。
それほど家庭内においては父親の影は薄く、子どもたちはみんな母親に頼っているのです。
お母さん方、嬉しいですか?


ところが、事もあろうに人権を訴える聖書に、家庭内における夫と妻の役割、立場についてはなんと次のように書いてあるのです。


妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。
キリストが教会のかしらであって、自らは、からだなる教会の救主であられるように、夫は妻のかしらである。
そして教会がキリストに仕えるように、妻もすべてのことにおいて、夫に仕えるべきである。

(エペソ人への手紙 5:22-24)


いかがですか、お母さんたち?
これを読んで、中にはご立腹される方もいらっしゃるかもしれません。
「聖書は男尊女卑を教える古い宗教だ」と思う方もきっといらっしゃるでしょう。
聖書にある「父なる神」という表現すら男尊女卑だと言って、ある教会では聖書を書き直し、神を「父と母なる神」と呼んでいるところや、いやこれでも男性が先に出てくるからけしからんというわけで、「母と父なる神」と言っているところもあるとか。


上のエペソ書の妻に対する勧めを読んで不愉快に感じる方は必ずいらっしゃることと思います。
「妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい」
「妻もすべてのことにおいて、夫に仕えるべきである」
冗談じゃない。そんな風に夫に仕えるなんてまっぴらゴメンだわ、と。


それでは聖書は夫に対してなんと言っているのでしょう。
夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。
(エペソ人への手紙 5:25)


この箇所はさっと読み流してはいけません。
「キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように」とは、キリストが十字架上で命を捧げくださったように命がけで「妻を愛しなさい」と聖書は教えているのです。
さあ、世の奥様たち。どちらが得ですか? まあ、損得の問題じゃないですが、夫のために命を捧げるよりは仕える方が楽なんじゃないですか?それに、夫が自分のことを命がけで愛してくれたら、夫に従い、仕えることはどうってことないでしょう。
それこそ、夫の方が大変です。命がけで妻を愛するのですから。でも、妻が自分に従い、仕えてくれるなら喜んでそれもできる、というものです。


中には、夫婦によってお互いの性格や夫婦関係も異なるから、ケースバイケースでいいんじゃないか、と言う人もいます。
でも、最初に男性であるアダムを創り、アダムの遺伝子から女性のエバ(イブ)をお造りになった神様が、二人のための最善を願って作られた、これが理想的な夫婦間のルールなのです。でないと、夫婦間でどちらがリーダーシップを取るか決めようとすると必ずいろいろな場面で衝突が起きるものです。
(余談ですが、人造人間の女性は作れるそうですが、男性は作れないと以前聞いたことがあります)


たとえば、車を買うときのことを考えてみましょう。
二人はそれぞれ一票ずつ自分の考えを投じますが、もしも意見が分かれた場合、最終的には夫に決定権を与えるのです。
夫は、自分の考えに従ってこれがいいと思う方を選んでも良いし、あるいは妻の気持ちを考えて妻の好む車に最後の一票を投じてもいいのです。イエスさまが命を投じられた十字架から見れば、軽いものじゃないですか。ここで、妻は夫の決定に従うのです。


私が常にモットーとしているのは、以前記事に書いた「関係は本質に先立つ」(必読)ということです。
Aという車がたとえかっこ良くて性能も良く、値段もうんと安くしてもらえたとしても、妻がそれほどでもないBという車を欲しがっていて、Bにした方が夫婦関係がうまくいくとしたら、もうこれは絶対にBにする方が賢いのです。自分の気に入る、お買い得のAという車を買ったとしても、その後夫婦関係に亀裂が入るようなら、それは正しい選択じゃなかったということなのです。


この「関係は本質に先立つ」は、生活のさまざまな面で生かすと、人間関係が優先され、幸せな生き方ができ、ひいては離婚の減少にも貢献することでしょう。





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黄金律とは

2014.06.12日

「友達の友達は友達」に書きましたように、去る4月の14日、高校時代のミニ同窓会に参加するために京都に行ってきました。
その前日は、お隣の滋賀県に寄り、何人かの方々との「素晴らしい出会い」がありました。
その夜は、親しいFBフレンドの方のお世話になってホテルに泊まり、翌朝京都に出発する前、その方がホテルに訪ねてきてくださって短いひと時でしたが、素晴らしいお交わりの時を持たせていただきました。


お別れする時にその方からプレゼントしていただいた一冊の本、『バイブルに見るビジネスの黄金律』(マナブックス)は示唆に富む本当に素晴らしいものでした。
「一線で働くクリスチャン・ビジネスパースン20人の証言」が副題ですが、この中には例えば、近江兄弟社や資生堂、MKグループ、白洋舎、カネボウ薬品、ムラサキスポーツなど、普段の生活の中でよく見かける有名な会社などがたくさん入っています。(シリーズ2も出ています)


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聖書の黄金律とは、
「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい」
(マタイの福音書7:12)
というイエス・キリストのおっしゃった有名なお言葉で、これを経営方針のモットーとしておられる会社のトップの方々がインタビューに答える形式になっています。


その中の一つ、人材派遣会社、株式会社フジスタッフの経営理念は、
「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」という聖書の黄金律。社員は毎日の朝礼でこの聖書の言葉を斉唱し一日の業務を始める。毎月一回の幹部会は牧師のメッセージから始まり、聖書の話を通して人間関係や生き方の学びをしている。
「人を扱う会社が、人を大切にする理念がなければ失敗します。効率とお金儲けに走ることよりも人を大切に育て、お互いの追求するものを共有していくことが大切です。だから、聖書のことばから一日を始めます。そうすれば神様が祝福されないはずがありません」
(上掲書 p.97)
「聖書のことばをシンプルに受け入れ従うこと。それしかありません」
(同 p.102)


この本をくださった方も、この黄金律に従って会社を経営していらっしゃり、お仕事はとても祝福されています。


私たちのアカデミー学院の仕事もまさに「人を扱う会社」。
相手は幼稚園児から小中高校生、そしてその生徒たちを送ってきてくださっているご父母、ご家族の方々、そして毎日生徒に接して教育に携わる講師の先生方。
妻と私は毎朝、これらの人たちのためにお祈りをもって一日を始めます。
一人ひとり、そしてそのご家族の祝福を祈ります。
時に、ウォーキングしながら、生徒や卒塾生の家の前を通るとやはり祈ります。というか祈らずにはいられません。
ときには、「近くの小中学校」を回りながら祈ることもあります。


私たちは年賀状などに、「ご多幸をお祈り申し上げます」などとよく書きますが、いざ自分が本当に祈られていると思うと、誰でも嬉しくなるのではないでしょうか。


私たちもこの聖書の黄金律をモットーにこれまでアカデミー学院を運営してきて、数え切れないほどのたくさんの祝福を神様からいただいてきました。
この黄金律はビジネスのみならず、人の人生そのものに、そして人間関係などすべてのものに適応されるまさに最高の黄金律です。
さらに、この祝福は神様を信じる者には誰にでも惜しげなく与えられるものです。


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「批判」と「批評」

2014.05.29日

「舟田式ひも勉強法 その27」ですが、今日からタイトルを下の小見出しにします。
その方が内容がよくわかっていいと思いますので。


 26. 「批判」と「批評」


「批判」と「批評」、とてもよく似た言葉ですよね。
実際のところ、数学の集合の図でいくと、Aという「批判」とBの「批評」の二つの円があって、真ん中の重なっている部分があると思います。


A%20cap%20B.png


ですから人によっては、両者を同じ意味でとらえて、自分の家族のメンバーや職場の上司、同僚、部下を、学校においては生徒同士で、あるいは教師・生徒間で、ごく日常的にこの「批判」を繰り返しています。
でもこの「批判」、気をつけないと、人を傷つけ、場合によっては人を潰してしまうことすらあります。実際、そのようなケースをこれまであちらこちらでたくさん見てきました。


ここでは「舟田式ひも勉強法」の中で扱っているので、特に学校や塾での教師または講師と生徒間に、そして家庭内においては、夫婦・親子・兄弟間に的を絞ってお話ししますが、どのような人間関係にも適用できます。


一般的に「批判」は、別の言い方をすれば「悪口」になりがちです。
相手の気に入らないところや面白くないところを直接相手にぶっつけることもあれば、本人のいないところでの陰口になったりします。
つまり、「批判」は否定的な意味合いを持つことが多いのです。
さらに「批判」は場合によっては、非難、中傷、叱責といった意味合いを含むこともあります。


これに対して「批評」は悪口ではなく、良い点も認めて褒めた上で何か悪い点があればそれも指摘する、すなわち客観的に相手を見て、評価するのです。ですから、「評価」の「評」の字が入っているのでしょう。
ここで大切なのは、ただいい、悪いを言うだけでなく、なぜそう思うか、どうすれば改善できるかということを相手に伝えて、相手の徳を高め、成長を促すことです。
ですから、「批判」は否定的なのに対して、「批評」は肯定的な意味で使うことができるのです。
この世に「批評家」という職業はあっても「批判家」というがないのはそのためです。


さて、上に挙げた家庭内、あるいは学校内のさまざまな人間関係において、うまく「批評」を用いれば、相手を高めることができますが、「批判」は相手を潰すことになりかねないのです。


ところが、なんと多くの人がこの「批判」の罠に陥って相手を傷つけ、潰し、また自分自身をも悪口を言うことによって不快な思いをしていることでしょう。
教師が生徒に対して、あるいは親が子に対して、また夫婦間や兄弟間で吐く暴言などはこの「批判」のひとつの形です。


昔、親しくしていたあるアメリカ人の家庭では、もう見事なまでに冷静かつ客観的に、相手に対して「批評」し、相手の改善を促す素晴らしいメッセージをきっちりと伝えていました。
信頼関係ができているので、当然のことのように、夫婦・親子・兄弟関係は素晴らしいものでした。


私はこれまで、家族の間で、友人間、先輩・後輩間、職場の同僚・上司、その他の人間関係で批評を受けたことはもちろん何度もあり、そのお陰でここまで成長してこれましたが、批判された経験がほとんどありませんでした。それで、FBで友達リクエストしてきた方から、私が記事に綺麗事ばかり書いていて「偽善者だ」と批判を一度受けた時にはとても凹んでしまいました。
普段から良好なコミュニケーションが取れ、信頼関係ができている親子関係などで、批評されていて、時に批判されるのはいいかも知れませんが、信頼関係ができていない間での批判はこたえます。
批判されない状況とはいわば無菌状態のようなもので、そのような中で育てられると、打たれ弱い者にもなりかねませんので、適度な批判も受けて訓練されておく方がいいかもしれません。


これも「ひも理論」でつながっていて、「批評」により正しい人間関係ができ、その結果お互いの信頼関係をさらに発展させ、みんなが一緒に成長していきます。
他方、「批判」ばかりしている人間関係は、どんどん壊れていき、また相手を潰していきます。これもひもでつながっているのです。
そしてこれらが子どもの勉強に大きな影響を与えることは疑う余地ありません。


何事にも手遅れということはありません。
早速今日からでも、「批判」ではなく「批評」によってより良い人間関係を築いていこうではありませんか。
親子の間でこれを実践すると、子どもの勉強嫌いはなくなり、勉強を楽しんでやるようになりますよ。


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舟田式ひも勉強法 その22

2014.05.24日

 21. 学歴よりも学習歴


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今の世の中、日本に限らずどこの国でも、というかお隣の韓国や中国などがとくにそうなのですが、一般の人たちの間で「学歴」信仰がものすごいです。
上の写真の雑誌の記事じゃないですが、学歴が高いと出世、高収入、良い結婚、などと人は考えがちです。でもこのようなものに惑わされてはいけません。


うちの塾では高校受験シーズンが近づいてくると、面接練習を何度も繰り返してするのですが、「将来の夢は?」とか「本校に入ってしたいことは何ですか?」などという質問に対して、ほとんどの生徒が「貴校に入学したら一生懸命勉強し、卒業後は大学に進学してさらに勉強して、社会に貢献できるような人になりたいと思います」というような返事が戻ってきます。
まあ、確かに模範的な回答かもしれませんが、このように答えていた生徒のその後を見ると、高校卒業後大学に進学せず、そのまま就職している子もたくさんいます。別にそれが悪いと言っているわけではありません。
しかし、多くの生徒にとって「とりあえず大学を卒業する」というのがごく当たり前のようになっているようです。


でも、最近は昔と違ってそんなに甘くありません。大学を卒業しているからといって、希望するような職種、企業に勤められるとは限りません。
企業側ももうよく知っていて、◯◯大学を出ているからといって、それだけで採るようなことはしませんし、有名大学名にもそれほどこだわりません。
なぜなら、これまで散々そのような学歴に騙されてきているからです。


多くの人が思っているほど、学歴というものはそれほど大きな意味を持っていません。
なぜなら、大学生というとそのほとんどと言っていいほどが、在学中あまり勉強せずに取りあえず卒業に必要な単位は取るけれども、あとはアルバイトで明け暮れているからです。
まあ、確かにアルバイトも良い社会経験になり、社会に出てから大いに役立ちはしますが、大学の本来の目的である勉強しない、というのはどうかと思います。


大卒や大学院卒の高学歴を持っていても、社会に出てほとんど役立たない人だってたくさんいますし、逆に大学に行っていなくても会社でとても重宝する人材、自分で会社を興して大成功する人などいくらでもいます。
要は学歴じゃないということです。


それでは何が大切かというと、「学歴」ではなく「学習歴」なのです。
何を学んできたか、それを社会に出てどう活かすか、が何よりも大切なのです。
「社会に出て」と言う時、それは必ずしも「就職」という意味とは限らず、「結婚」や「子育て」、また「さまざまな人間関係」なども含まれますし、人として人生をいかにうまく、賢く生きるか、ということなども含んでいます。
つまり、大学を出たかどうか、どこの大学を出たか、よりも大切な「何を学んだか」、そして「それをどのように実生活の中で活かすことができるか」、これによって人生を何倍も有意義に、幸せに過ごすことができるようになるのです。


そして、これらはいつも言うように、一見すべて個々の「点」に見えるのですが、これらの一つひとつの点が結びついて「ひも」になっているのです。
また、「学習歴」は必ずしも学校での学びだけにとどまらず、アルバイトなどの経験や、読書やスポーツ、趣味や人間関係など幅広いもので、これらすべてから私たちは多くのことを学ぶことができます。


大卒などの外面的な資格などではなく、実質的な学びをしっかりし、また経験も積んでおいて、それらを将来の人生においてすべて役立たせるか、ということが「舟田式ひも勉強法」の大切なポイントなのです。
これは私自身の経験から言えることで、間違いありません。そして多くの人がきっと同意してくださることと思います。


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亭主元気で留守がいい

2014.05.18日

昨日は礼拝後、妻と一緒にいつもの湘南平塚海岸に行って、持って行ったチェアに座ってお昼のお弁当をいただきました。
その後、砂浜を歩いて波打ち際まで行き、波の音を聴き、周囲の大勢の人たちを見ながら、いろいろなことを話しました。
夫婦水入らずの時です。


hiratsukakaigan.JPG

その時、ふと昔よくやっていたテレビCMを思い出しました。
「亭主元気で留守がいい」



うちなんか、お互いに依存心が強いせいもあるのでしょうが、仕事を含めこれまではほとんど四六時中一緒でした。
最近になって私の健康快復のためのウォーキングなどで、仕事も以前のように常に一緒ではなくなり、少しずつお互いに独立(?)してきました。
でも妻に言わせれば、上の「亭主元気で留守がいい」というのは信じられないないようです。


そういえば、昔、成人英会話クラスを教えていた時、大手商事会社を定年退職したばかりの男の方が女性に混じって入っていました。
年の頃にすれば、おそらく今の私とほとんど変わっていなかったのでしょうが、ご年配に感じ、貫禄と存在感、また発言力のある方でした。


一度、この方がご自分の家でクラスをやって欲しいとおっしゃり、クラスのメンバーみんなでお邪魔しました。
とても素敵なお家で、愛犬が家の中で飼われていました。
奥様も隣の部屋にいらっしゃるのですが、私たちのところには顔も出されず、お茶の用意もご主人一人で全部やっておられました。


気づくと、ご主人は犬には頻繁に話しかけ、その犬が今度は奥様のところへ行き、奥様も何やら犬に話しかけていらっしゃいます。
犬はまるで通訳のようにご主人と奥様の間を行ったり来たりしながら、二人の間を取り持っていたのです。


このご家庭では、まさに上の「亭主元気で留守がいい」そのもので、二人の間には普段から一切会話がなく、それこそ
「風呂」「メシ」「寝る」
の口だったそうです。


せっかくお子さんたちがみんな独立し、夫婦だけで暮らしていらっしゃるのだからもっと仲良くされたら毎日が有意義で楽しいだろうに、と思ったことでした。


日本にはどうやらこのような夫婦が結構多いようで、だから「亭主元気で留守がいい」のようなCMが人々の共感を呼び、受けるようです。
でも、これは本当にもったいない。


私たち夫婦は、いつでもどこでも一緒にいるので、どこに行っても「ご夫婦仲がいいですね」と言われます。今日も教会で言われました。


仲が悪いよりいい方が良いに決まっているじゃないですか。
でも、そのためには普段からお互いに何でも心を割って話し合えるような場を意識的に作って、心にあることを伝え、コミュニケーションを図るようにしておかなければなりません。


この後、私はさらに歩いて日本最初の海水浴場、大磯海岸に行きましたが、平塚湘南海岸と違って閑散としていてちょっと寂しく思いました。
ここは昔、教会をやっていた時、洗礼式をやった思い出深いところでもあります。
今日はわりと暖かかったので、平塚でも大磯でも海の中に入って遊んでいる子どもたちが何人かいました。
平和な感謝の一日でした。


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「醜い」から「見えにくい」へ

2014.05.15日

去る4月4日に「『醜い』から『見にくい』へ」という記事を書きました。その中で私が言わんとしたことは、とかく目につきやすい「醜い」ものを意識的に「見にくい」ものにしてしまうということでした。


今日のタイトルは「『醜い』から『見えにくい』へ」で、一見同じように見えます。
何が違うんでしょう?
よく見比べてください。


1文字「え」が入っているかいないかの違いです。
冒頭の記事の中に、
「敢えて「醜い」ものから目を遠ざけて、それらを「見にくく」させるということです。
これは自然に対してだけでなく、冒頭に挙げたような社会悪や人の醜さについても同じです。
そして、意識的に美しいもの、心洗われるもの、感動を覚えるようなもの、喜びがあふれてくるようなもの、笑いがこみあげてくるようなもの、あるいはそういった感じの心地よい人に目を向けるようにしているのです」
と書きました。


この「意識的に美しいもの、心洗われるもの、感動を覚えるようなもの、喜びがあふれてくるようなもの、笑いがこみあげてくるようなもの、あるいはそういった感じの心地よい人に目を向ける」ことは、普通だったら「見えにくい」ものなのですが、そこに目を向けるというのが、今回のテーマ「『醜い』から『見えにくい』へ」です。


ちょうどこのことを考えていた時、テレビで面白いCMに出会いました。
それはAC ジャパンのCMで、これです。



「イイトコメガネはみんなの心の中にあるよ!」
というキャッチコピーこそ、まさに私が言いたかったことです。
意識すると、周囲の人の中に、自分の中にも、人間関係の中に、自分の仕事の中に、勉強の中に、また自然の中に、人間が生み出した文化やさまざまな発明品の中に、その他ありとあらゆるものの中に、この「いいこと」がいっぱい見えてくるのです。
これらはうっかりしていると見過ごしてしまったりするような「見えにくい」ものであることが多いものです。


私たちはとかく「醜い」ものに目が行きがちで、不快な思いをしたり、批判したりしやすいのですが、むしろこの「見えにくい」ところに目を注ぐといいものがどんどん見つかり、幸せな気持ちになることができるのです。
これこそが本当の「幸せ」の秘訣かも知れませんね。
しかも、ドラえもんに秘密の道具「イイトコメガネ」を出してもらわなくても、私たちの心の中にちゃんとあるのですから。


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一人ひとりの個性を尊重

2014.04.29日

昨日、「舟田式ひも勉強法 その5」まで書きましたが、実はこのシリーズまだ当分続きます。
ずっと同じような話が続くと皆さんに飽きられるかもしれないと思い、今日はちょっと脱線です。
とは言っても、本当の脱線ではなく、今お話ししていることに関連はしているのですが。


今、毎日ウォーキングをしていることはこのブログでこれまで何度も書いてきています。
普通はだいたい2時間、13kmほど歩いているのですが、昨日は2時間43分あまりで約16km歩いてきました。
いつもの金目川沿いのサイクリングロードの散歩コースです。


uguisu.JPG


ここはいつも歩いていると、最近では田舎でもあまり聞かなくなったといううぐいすの鳴き声が、上の写真の木立の辺りから、またそのほかの場所でも毎回聴けるのです。
朝、歩いている時にはうぐいすが私に、
「おはよう!」
と語りかけているような気がし、帰り際、とくに夕方などは
「お帰り。お疲れさま!」
と言ってくれているように感じます。
それに対して私も
「おはよう」とか「ただいま」と祈りの中でうぐいすさんに答えています。


さて、うぐいすの鳴き声と言えば、だれでも知っているあの有名な歌。
1. 梅の小枝で うぐいすは
  春がきたよと うたいます
  ホウ ホウ ホケキョ
  ホウ ホケキョ


2. 雪のお山を きのう出て
  里へきたよと うたいます
  ホウ ホウ ホケキョ
  ホウ ホケキョ


昔、「物まね大合戦」とかいうテレビの番組に出た小学生の女の子が、実に見事にこのうぐいすの鳴きまねをして、だれが聴いても本当にうぐいすの鳴き声と思うほどそっくりで、この女の子がチャンピオンになりました。
日本では、うぐいすというと、その鳴き声はほぼだれでも「ホーホケキョ」と言います。



ところが、散歩しながらよく聴いていると、これが必ずしも「ホーホケキョ」じゃないことに気づきます。
私が気づいただけでも、たとえば、
「ホーホケホケキョ」「ホーホケキョケキョ」「ホーケキョ」「ホーホケッキョ」「ホッホーホケキョ」「ホッホッホッホーホケキョ」「ケキョケキョケキョ」「ホッホッホッホーホケキョ」「ホホホホホーケキョ」
などなど本当にたくさんのバリエーションがあるのに気づきます。
ところが面白いことに、外国人の耳にはこのうぐいすの鳴き声は「ホーホケキョ」とは聞こえず、
「スースチチュ」「スーチッチュ」「ルールキチュ」「フーフチュン」「ホーチポン」
などと聞こえるようです。
じつに面白いです。


これは動物などの鳴き声に限りません。
犬にあまり関心のない人にとって、犬は同じ種類の犬ならみんな同じ顔に見えます。
ところがある種の犬を飼っている人にとっては、よその同種の犬の顔を見ると明らかに違いがわかるのです。
これは猫や、その他なんにでも当てはまります。


一昨日、FBフレンドのSさんが、パンジーのこんな可愛い写真を載せていらっしゃいました。


panji.jpg


そして、次のように書いていらっしゃいました。
「みんな ソックリなようで、微妙に違う顔してますね(*^^*) どんなものにも唯一無二の顔がありますね(^_^)」


そうなんです。
ファッションに興味ある人には、人が身につけている服装はとても気になり、その特徴がすぐに目に入り、しっかりと頭の中に刻み込まれます。
何でもそうですが、興味あることには人間は非常に敏感に小さな違いに気づきますが、そうでない人にとってはみんな同じように見えてしまいます。


海岸でよく見かける鳩も、一見みんなそっくりに見えるのですが、よく見ていると1羽1羽みんな羽の色や柄が違うだけでなく、姿格好も、また顔すら違うし、行動も、声や鳴き方もそれぞれ異なるのです。


hato.JPG


ましてや、「人間においておや」です。
動物から見れば、人間はみんな同じように見えるかもしれませんが、我々人間同士は違いがわかります。
たとえ一卵性双生児で一見そっくりでも、親から見ていると顔や体つきだけでなく、性格や行動やさまざまな違いがはっきりと見えます。


私たちも人を見るときに気をつけなければならないのは、十把一絡げにしてはいけない、ということです。
一人ひとり顔や恰好が違うだけでなく、考え方も感じ方も表現の仕方も、歩き方や食べ方など行動も、すべてがみんな異なります。
この違いを私たちはその人固有のものとして受け入れ、尊重しなければなりません。


今、この「舟田式ひも勉強法」シリーズで繰り返し言っていることは、みんなそれぞれ個々の点から成っているのではなく、それぞれの点が集まって線になっている、ということですが、個々の特徴を尊重するとともに、個々バラバラに見るのではなく、その中に共通する線を見出すこと。これがとても大切なことで、これによって初めて、正しい人間関係を築くこともできるようになるのです。


ということで、今日はちょっと気分転換を図りました。


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新超ひも理論 その2

2014.04.24日

一昨日、「新超ひも理論」を書き、その具体例として昨日から新しいシリーズ「舟田式ひも勉強法」を始め、今日は「舟田式ひも勉強法 その2」に進む予定でした。
しかし今日は特別な、本当にものすごく特別な出来事があり、予定変更でまた「新超ひも理論」の続編「その2」になりました。


どういうことかと言うと、まだちょうど1間前にFBフレンドになったばかりの方と、メッセージのやり取りをしているうちに今日の朝10時にお会いすることに突然決まったのです。
そして、この出会いこそ、まさに「新超ひも理論 その2」の内容にふさわしいと思ったわけです。


今朝お会したこの方は高城 信さんといいます。FBでは Shin Takagi さんとなっています。ご本人のご了解を得たうえでこの記事を書いています。


ことのきっかけは、私の1週間前の記事をお読みになった高城さんが、次のようなコメントを送ってくださったことでした。
「舟田先生は平塚ですか。気が向くと朝4時に自宅を出発、犬たちとー緒に海岸目指して歩きます。自宅から片道10km強、日の出前なのでR129の歩道を歩きます。歩道の幅が広く、車との接触の心配がないので往路は必ずこのルートで辿ります。平塚駅構内をそのまま渡り海までー直線、海に着くとビーチバレーの辺りから相模川河口迄砂浜散歩、復路は相模川の土手を上流へと仙ります。自宅に戻るのは午前10時頃、海岸散歩の折、確率は限りなく低いですが、偶然ということもあります。どうぞよろしくお願いいたします」
これに対して私は、
「一度ぜひ平塚海岸でお会いしましょうよ。低い確率の偶然に任せずに。天気の良い日に予めお約束して」とお返事したところ、今度は高城さんの方から、
「主の平和。舟田先生、ご提案感謝します。良いですね、是非お会いいたしましょう。日程、コンディション整えば私はオーケーです。早朝お会いする時間を6時から7時前後に設定すれば、先生のお仕事に支障はないのではと思います。曜日で設定すると火曜日が1日フリーで助かります。その他の曜日では、月曜日、木曜日あたりだと日にちによってはオーケーです。この中で設定くだされば助かります。いやあ、楽しみ、楽しみ、気合入っています。主に在りて、この出会いに感謝します。アーメン」


このようなやり取りをしているうちに、高城さんの方から今日の朝という日時を提案してこられ、お会いする運びとなったわけです。


私はお会いする平塚海岸まで約50分ほど歩いて行きました。
いつものウォーキングコースの金目川サイクリングロードを歩きながら、うぐいすの「ホーホケキョ」(おはよう)というメッセージを聴き、私もうぐいすに祈りの中で感謝のお返事をしました。
行く道、八重桜が満開でとてもきれいでした。


yaezakura.JPG


これから初めてお会いする高城さんとのお交わりが大いに祝福されるよう何度も祈りながら歩いて海岸に向かいました。


平塚海岸に着いて、海岸沿いの国道134号線をそのまま歩けばすぐの距離なのですが、私は敢えて海岸の波打ち際を歩くことにしました。時間はかかるし、歩くのも大変なのですが、波が打ち寄せるすぐ際を波音を聴き、楽しみながら歩いて行きました。
歩いてきた道をふと振り返るときれいに私の足跡が残っていました。


hratsukakaigan.JPG


これを見た時、ついている足跡はひとつだけど、イエスさまがともにいて私を背負って歩いていてくださっているのだという「FOOTPRINTS(あしあと)」の美しい詩を思い出していました。


ようやく約束の場所に着くと、1時間半もかけて12kmほどの道のりを歩いて先に来て待っていてくださった高城さんとお互いにすぐに相手を見つけて駆け寄り、固い握手を交わしました(右手がまだ痛むので左手で)。
「お写真と全然変わりませんね」と高城さん。
それから、ボードウォークのボードに腰かけ、延々2時間半にわたり、これまでのお互いの人生の足跡について語り合いました。


takagi.JPG


写真の中で後ろを歩いているのは、高城さんの愛犬のうちの一匹ララで、とても可愛い犬です。


高城さんのお話があまりにも感動的で、途中、私は何度も涙し、鼻をかんだりしなければなりませんでした。
その内容は個人情報に関わることなので、ここでは触れません。
連れてこられた3匹の犬はリードをつけていなくても勝手にどこへも行かない、みんなとてもお利口さんですが、3匹とも捨て犬を拾ってきたとのこと。これまで30年間にこのようにして飼ってきた犬は11匹になるそうです。家にはまだ4匹の同様の捨て猫を飼っていらっしゃるとのこと。
その動物愛にも感動しました。犬にも高城さんの愛情が伝わるので、みんなとてもよく言うことを聞くのです。


気がつくともうお昼を過ぎていたので、昼食をお誘いして帰り道にあるパスタのお店に寄りました。
ここでもさらにいろいろなびっくりするようなお話が続き、私と正反対のような性格で、そのようなすごい人生を歩んでこられた方だと改めて驚かされ、またその話の内容に吸い込まれていきました。
その間、犬たちは店の前の歩道につながれて、吠えもせず、行き交う人が手を出して相手になるととてもなつっこく尻尾を振って愛想を振りまいていました。左からピース、ララ、そしてあずさです。


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高城さんがこのような話は他の人にはしないんだが、と前置きしてお話しされるのですが、私も非常に関心のある内容で、また少しばかりの聞きかじりや読みかじりの知識があったので、ここでの話も大いに盛り上がりました。
驚いたのは、高城さんの知識や経験の広さ、そして記憶力の良さです。
上の写真を見たところでは、高城さんは私よりもいくつも年上に見えるかと思うのですが、実は同い年だったのです。高城さんの記憶力やお話の豊富さ、ご健康など、どれひとつをとっても逆に私よりもはるかにお若く、圧倒されっぱなしでした。


来る途中、川沿いの道で採ってきたとおっしゃる野ぶき、ノビル、クコ、よもぎなどの野草と八重桜の花を大きなビニール袋に3つも持ってきてくださって、それをお土産にくださいました。
高城さんは普段からこのような自然のものを毎日食べていらっしゃり、また犬の散歩やサイクリング、スポーツジムなどの運動も相まって、とてもご健康なのです。
高城さんからは教えられることばかりで、「私と友達になったら舟田先生、あっという間に必ずお元気になりますよ」と言っていただき、それだけでも大いに元気をいただきました。
海岸でも、そしてこのレストランでもご一緒に心をひとつに合わせてお祈りの時を持ち、最後にはまた固い握手を交わして、6月の再会のお約束をしてお別れした時はもう夕方でした。
本当に恵まれ、祝福されたひと時でしたが、この私たちの出会いが可能になったのは、間違いなく見えないひもによってつながっている、という「新超ひも理論」によります。高城さんもこの点についてはまったく同意見でした。
ご自分でもおっしゃっていましたが、「良寛」を現代に生かした、まさにそのような超越した方でした。
この出会いに心から感謝します。


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友達の友達は友達

2014.04.14日

ちょうど2年ぐらい前に、「43年ぶりの同窓会」「お父さ〜ん!」という記事に、高校の時の同窓会があったことを記しました。昨日はその第2弾、というか他の人たちは去年もやっていたようなので正確には第3弾なのですが、京都の植物園でお弁当を各自持ち寄りで集まり、旧交を温めるミニ同窓会が開かれました。
しだれ桜がちょうど満開で最高に美しく、一緒に歳取っている同窓生たちも桜に映えて一層若々しく、そして美しく見えました。来れる人たちだけで、というミニ同窓会でしたが45名も集まりました。
(下の写真は、いずれもクリックすると拡大表示されます)


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私たちの頃は1学年のクラス数も生徒数も多かったこともありますし、今と違って男女間の交わりはほとんどなかったので、当時の女の子たち(現在は◯女)の印象が薄く、というか男同士でさえわからない人があまりにも多くてびっくりで、「初めまして、じゃないですが、私は舟田譲二です。失礼ですが…」と言ってお互いに自己紹介しなければなりませんでした。(ちなみに上のカッコ内の◯に入る文字は「熟」ではなく「美」です(^o^))。


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みんなと別れて私は小学生当時6年間住んでいた家や、毎日遊んでいた賀茂川の辺りをちょっと散策しながら小学生時代を懐かしく振り返りました。


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そしてその後、小学5・6年当時同級生だった近所の親友に電話をして、近くのモールで会うことに。京都に戻るたびに彼と会い、一緒に食事したりしていますが、今回は1時間ほどお話しして別れました。


つい2週間ほど前には、「50年振りのミニミニ同窓会」を中学2年当時の仲間二人と一緒にやったばかりです。
大学卒業と同時に故郷京都を離れアメリカに留学し、帰国してからは湘南地方に住み、なかなか同窓会なるものには参加できませんでした。
でも、ようやく時間も少し取れるようになり、またこのようにして旧友と会って昔を懐かしんで話すことが自分の健康のためにもとてもいいことがわかり、積極的に同窓会に出るようになりました。


昨日は、この高校の時のミニ同窓会のあと、さらに大きなおまけつきでした。
これまでこのブログに何度も登場していただいている、小学4年生の時の教育実習生だった先生とその後54年間(!)もずっとお付き合いが続いているのですか、ちょうど植物園の近くにご実家があるので、事前にご連絡して夕方お邪魔させていただくことになっていたのです。
前回お会いしたのは、去年の夏(「京都はとても暑く、私も熱かった!」)。なんか毎年お会いしているような感じです。
西村先生は私にとっては年齢的にはお兄さんなのですが、まるで父のような存在で、何かあるとご相談に乗っていただいたり、アドバイスや励ましをいただいたりで、いつも本当にお世話になりっぱなしです。
今回もまたお会いする機会が与えられ、本来の目的だった高校の同窓会以上にこちらの方がメインイベントのような感じになりました。


もうこれまでに何度もお宅に泊めていただいているので、「ただいまー!」とまるで実家に帰ってきたような気がするほどです。
しばらくご夫妻とお話しして、夕食に出かけることになりました。
なんと行き先は私が小学生の頃住んでいた家のすぐ近く。ご夫婦でやっていらっしゃるとても素敵な京料理店で、小学校の時の同級生の家の隣です。


ここでまたまたびっくりの出来事が。
つい1時間前に「じゃあ、またね!」と言って別れたばかりの先ほどの親友Sくんが奥さんと一緒に入って来て隣の席に着いたのです。私は彼の声に気づいていたのですが、彼がいつ気づくかと思って黙って様子を見ていたら、ふとこちらの方を見て、目をパチクリ。一瞬何が何だかわからないといった表情でした。それからは、ご一緒していた西村先生ご夫妻とSくん夫妻との間でも楽しい話題が次々と持ち上がり、とても盛り上がりました。


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いただいたお料理はさすが本場の京料理、しかもこの二家族が常連客で懇意にしているお店というだけあって盛り付けから、一品一品もう芸術品とも言える最高のもの。
美味しいお料理に舌鼓を打っていたら私の携帯がなり、取ってみると昼の同窓会で一緒だったNくんから。
明日、京都駅を発つ時に見送りに来たいとのこと。ところが面白いことに、19歳の時にアメリカからうちにホームステイに来た交換留学生のエドくんを通じて、小学校時代のSくんと中高時代のNくんも友達(「意思あらば道通ず」)。そこで、電話を代わってまた二人の会話も盛り上がり、近く会う約束に。そして、Sくんと西村先生ご夫妻も親しくなって、今度は6月にこのお店でご一緒しましょうという話に発展。もうこうなると、偶然の積み重ねではすみません。
まさに「友達の友達は友達」を地でいく形となりました。最高に祝福された素晴らしい京都滞在の一日となり、「ああ、京都に来て本当に良かった」と、とても幸せな気持ちで床に就きました。


そして明けて今日、西村先生ご夫妻とお別れしてから、昨夜電話がかかってきたNくんと京都駅で午前10時半に会い、なんと4時間にわたり喫茶店でいろいろなことを話し合いました。


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電車がホームを出るまで付き合ってくれ、座席に着いて「ありがとう。またね」と口を大きく開けてお互いに言い、手を振りながらお別れしました。
つくづく私は幸せ者だな、と心から感謝しました。そして、これでもう半分以上、健康になった気持ちになりました。


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素晴らしい出会い

2014.04.13日

昨日は滋賀県に寄せていただきました。
滋賀には親しくさせていただいているFBフレンドの方を始め、ロサンゼルスで授洗してくださった牧師先生(現在は近江兄弟社学園学園長)もいらっしゃり、また妹も住んでいるので、本当はみんなにお会いしたかったのですが、残念ながら皆さんお留守だったりご都合が悪かったりでお会いできませんでした。
しかし、神様は期待を上回る素晴らしい出会いをちゃんとご用意してくださっていました。


去年の8月に「京都はとても暑く、私も熱かった!」の中に記した、私の信仰の原点とも言える『ちいろば』著者、故榎本保郎先生の奥様である榎本和子先生に約1年ぶりにお会いすることができました。


和子先生は相変わらず88歳というお年が信じられないほど、というか私も負けるほどのすごい記憶力で、遠くなったとおっしゃる耳も私とほとんど変わらず、保郎先生の話に始まり会話はよどむことなくどんどん広がり、心底驚かされました。


榎本保郎先生は私が心から尊敬している先生で、著書の『ちいろば』と『ちいろば余滴』は何度も繰り返し読み、その都度感激の涙を流しました。また今も、毎朝妻と一緒に『新訳聖書一日一章』や『旧約聖書一日一章』を読み、その都度深く教えられ、心を探られ、それを妻とシェアし合い、それから二人でお祈りしています。


さらに素晴らしかったのは、『ちいろば』の本の中で赤ちゃんから子ども時代のことが書かれていたお嬢様のるつ子さんともお会いでき、ご一緒にお話しできたことでした。
私と同い年ということでとても親しみを感じ、共通の友人も多くて、連絡先をお伝えしたりしました。


さらにさらに大きなおまけ付き。
すぐ近くにお住まいのご長男の恵(めぐみ)先生宅にもご訪問させていただいたのです。
恵先生とも共通の知人・友人がとても多くて話がものすごく盛り上がり、初対面とはまったく感じませんでした。
今年の夏にはアシュラムでロサンゼルスの方にいらっしゃるとのことで、行き先をお尋ねしたら、なんと長男の直人がいる教会という、まさにびっくりの連続。


また、恵先生宅は、往年の建築家として有名なヴォーリズ氏の設計により90年も昔に建てられたという由緒ある建物で、今でもとてもモダンな素敵な洋館でした。そこで、おいとまする時恵先生ご夫妻もご一緒に綺麗なお庭で記念写真をパチリ。



昨日はこのようにまったく予期していなかった最高の出会いがいくつも与えられ、皆さんとのお話を心ゆくまで楽しませていただき、私の信仰も燃やされました。


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◯◯◯が◯んだ、小指が痛い...

2014.04.11日

あなたがかんだ 小指が痛い
きのうの夜の 小指が痛い
そっとくちびる 押しあてて
あなたのことを しのんでみるの
私をどうぞ ひとりにしてね
きのうの夜の 小指が痛い


これは、伊東ゆかりの1967年の大ヒット曲「小指の想い出」の1番の歌詞です。
私とほぼ同世代の人だったら、ほとんどみんな無意識のうちに口ずさんだ経験があるのではないかと思うほど、当時はみんながこの歌を歌っていました。
意味も知らずに私も歌っていましたが、なんで「あなたがかんだ 小指が痛い きのうの夜の 小指が痛い」のだろう、とネットで調べてみたら結構ヤバイ内容のようです。それを国民みんなが知ってか知らずか歌っていたのす。


実は、私も今、小指が痛いんです。
でもそれは、当前のことながら「あなたが昨日の夜、噛んだ」からではありません。
今日のブログタイトルの
「◯◯◯が◯んだ、小指が痛い」
の◯に入る言葉は、
「わたしが転んだ」なのです。恥ずかしながら...
ついでに、その続きの部分はこのようになります。
「ひと月前の、小指が痛い」


ちょうど1か月前の今日、「心身の健康をあなたにも」という記事の中に、山梨県南都留郡(山中湖近く)にある美徳杜(びとくもり)に来ています、と書いてその中にテニスをしている写真を載せました。実はこの時、テニスコートの周りはすっかり雪に覆われていて、コートに降りる階段も雪が積もっており、しかもそれが凍っていたのです。手すりに捕まりながらゆっくり気をつけて一歩一歩降りていたのですが、底が丸い「健康になる靴」MBTを履いていたため、滑って大きく転んでしまいました。
その時、体を支えようとして右手を階段についた時、どうやら打ち所が悪かったようで、右手の小指をひどく痛めてしまいました。
でも痛みを我慢してテニスを続けました。撮ってもらった写真を見ると、ちょっと格好が悪いのは右手の小指が痛かったせいです(と、長年やっていなかったのを怪我をした小指のせいにする私です)。


tennis.JPG


夜になると小指が赤く大きくはれ上がり、美徳杜のスタッフの方に湿布をしていただきました。
数日、痛みは激しかったのですが徐々に引いていき、家に帰る頃にはかなり良くなっていたので、もう大丈夫と思っていたら、なんの1か月たった今もまだ痛いのです。
私のホームドクター(娘)によると、たとえ骨折していても固定しておけば自然とつながるものだ、ということで整形外科にも行かずにいたのですが、なかなか痛みが消えません。
食事するときに箸を持つのさえ不自由なぐらいです。
怪我をしてもう1か月もたつのに、生活のさまざまな場面で不便を感じています。


聖書に次のような言葉があります。
目は手にむかって、「おまえはいらない」とは言えず、また頭は足にむかって、「おまえはいらない」とも言えない。
そうではなく、むしろ、からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり...

(コリント人への手紙第1 12:21-22)


たった1本の、それも小さな小指。普段、小指のことなどまず考えもしない、まさに「からだのうちで他よりも弱く見える肢体(体の一部)」です。
しかし、この1本の小指が痛むと、身体全体が痛みを共有する。気分まで滅入ってしまうのです。
人間の体というものはこのようにできているのです。


そして、それは身体だけに限らず、家族や学校、会社や、どんな集合体も同様で、小さな目立たない人でもみんな絶対に必要不可欠な存在です。だれかが痛みを覚えると、みんなが痛みます。
こんな共生の家族や社会を、そして世界を、私たちは日常の生活の一場面一場面で目指していきたいものです。


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代価と代償

2014.03.20日

昨夜、自宅の机につけてある蛍光灯スタンドの球が切れました。
そこで今日は雨でしたが、近くの◯◯電機まで歩いて買いに行くことにしました。
本当は低気圧のせいか気分はかなり滅入っていて、昼食後はそのまま布団に入ってひと眠りしようと思っていたのですが、気分転換のために思い切って傘をさして出かけました。
一昨日、昨日と違って今日はかなり寒く、また冬に戻ったような感じでした。


◯◯電機で型番を伝えて店員さんに探してもらったところ置いていないとの返事。
近くだったら☐☐☐☐ホームセンターさんにあるかもしれないと言われ、思い切って足を伸ばすことにしました。
ところがここにも置いてなく、◯◯◯◯ホームセンターだったらあるかもしれないとのこと。
そこまでは歩いて1時間以上かかりますし、しかもこの雨と寒さの中。もうあきらめることにしました。
そして、そこから引き返して家に戻ろうとしたのですが、せっかくここまで来たのだからもうちょっと足を伸ばして、いつもの散歩コースを逆回りで海岸まで行こうと思いました。


途中、だんだん横殴りの風が強くなってきて、雨が容赦なくズボンや傘をさしている上着にも打ちつけます。
でもこうなったら最後まで歩きとおそうと心に決めました。


歩いているうちに体が温まると同時に沈んでいた心も少しずつ明るくなってきました。
いつものように歩きながら声に出して祈り始めました。
「神様、感謝します。感謝します。感謝します」と言っているうちに、感謝すべきことが次から次へと頭に浮かんで、感謝は途切れません。
今年、私に与えられている聖書の言葉、
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」
(テサロニケ人への手紙 第1 5:16〜18)
が頭に浮かんできました。


そういえば、最近「喜ぶ」ことが少ないなぁ...、と気づき、喜ぶべきことをまた一つひとつ数え上げながら感謝を神に捧げました。


そうしているときにとても大切なことに気づきました。
「そうか、今、雨の中を歩いていてずぶ濡れになっているけど、これは健康になるための代償なんだ」と。
「代償」というのは、「目的を達するために、犠牲にしたり失ったりするもの」というような意味です。
ウォーキングという時間や労力、そして今日の場合は雨に濡れるという犠牲を払って、健康を得るのです。


私たちは日常生活の中で、常にさまざまな「代価」を支払って、何かを成し遂げるための犠牲や代金などを支払っています。
家で使っている電気や水道・ガス、インターネットや携帯電話、食品、着物等など、すべて代金を支払ってその恩恵にあずかっているわけです。


上に挙げた「代償」と言うとなにか自分が損をしているような感じがしますが、この「代価」という言葉を使うと益を被る、というプラス面がクローズアップされます。
私は今、毎日、玄米採食を中心とした食事療法をしていて、以前大好きだったラーメンや焼き肉やギョーザ、ピザ、ケーキやアイスクリームなどといったものは一切食べていません。
また、今日も雨の中約12キロほど歩いてきましたが、このウォーキングも時間や労力といった犠牲が伴っています。
しかし、今、自分が一番求めている健康を得るためには、このような「代償」は全然痛くもかゆくもありません。
なぜなら、その結果、自分が一番求めている「健康」を手に入れることができるからです。
ですから、私にとってはこれらは「代償」ではなく、むしろ喜んで捧げる「代価」なのです。


このように考え始めると、もうウォーキングも食事療法も全然苦痛ではなく、むしろ楽しんでできるようになります。
生徒や学生にとっての勉強だって同じです。
試験のためとか、仕方なく、あるいはいやいややっていると、これは「代償」で、身に着くものも着かなくなってしまいます。
それに対して、多くの子どもたちが学校の部活などでサッカーや野球などのスポーツには喜んで、時間も労力も捧げます。
これはうまくなる、レギュラーになって試合に出る、試合に勝つ、などの対価が得られる「代価」だからです。


私たちはやることなすことすべて、自分の益のために「代価」を払っていると思えば、同じことをやっていても全然苦痛ではなくなり、むしろ楽しいこと、喜ばしいこととさえなるのです。
同じ生きるのなら、そのような生き方をしないと損じゃないですか。


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2014卒デミー その3

2014.03.10日

一昨日の「今日は卒デミー」、そして昨日の「2014卒デミー その2」に続く、もう一つの卒デミーです。
ただ、今日の卒デミーの主人公はいつものように生徒ではなく、ひとりの先生です。


去る2月12日の「中3最後の授業」に登場した中野友祐先生です。写真の中では向って私の左側に座っているとても大きい人です。
一昨日の卒デミーのゲームの中で、先生たちに関するクイズがあり、中野先生については「履いている靴のサイズは28.5cmである。⚪︎か×か?」という問題が出て、生徒たちは半々ぐらいに分かれましたが、答えは×で中野先生曰く、「今日、みんなでボウリングに行ったときのシューズのサイズは29.5cmでした」。
みんな一斉に「えーっ!」。
身長は183cm! 横に立つともうまるで大人と子どもみたいで、見上げなければなりません。
また先日の大雪が降った日、30cmほども積もった雪の中を自転車で湘南平を頂上まで登り降りしたツワモノで、上智大学では理工学に在籍し、自動車部ではプロジェクトリーダーとして、2011年度の全日本学生フォーミュラ大会で優勝を果たしていらっしゃいます。
その成果も買われてでしょうか、今春の大学院卒業を機にトヨタ自動車のエンジニアとしての就職も決まりました。


この中野先生から今朝メールが届きました。
これを読んでいてもう胸がいっぱいになり、涙で字がかすみました。
本人の了承を得て、下にそのままコピーさせていただき、私の感動を皆さんにシェアさせていただこうと思います。


学院長
昨晩はありがとうございました。
お陰様で気持ち良く最後の卒塾生を送り出すことが出来ました。
6年間もの間、大変お世話になりました。ありがとうございました。


丈くんに誘ってもらってからの6年間、色々な人に出会いました。
まず、歴代の講師の方々からはたくさんの新しい世界を教えてもらいました。教え方から学び方、そして遊び方まで全てにおいて発見と驚き、楽しみがありました。
また、何百人もの生徒にも出会いました。生徒からもたくさんの事を学びました。受験期の生徒からは逆に励まされるようなことも多々ありました。


もう教壇に立てないかと思うと悲しくもありますが、アカデミーで培った事を忘れずに次のステップに進もうと思います。
こんなにも素晴らしい塾で働けたこと、幸せに思っています。


最後に、何度も言われていることですが、アカデミーの良さは勉強だけではなく、多くのイベントで深めた生徒と先生の親睦と信頼の上で生まれる、勉強への楽しさだ、と6年目にしてより一層実感しています。
正直、最初はイベントにあそこまで身も心も金銭も注ぐ先生達の気持ちが分からなかった時もありました。
しかし、今ではその理由も分かります。
今思うと、初めて参加したバーベキューで生徒と打ち解け、スタートから生徒との距離を感じることなく授業をすることができました。
後に続く夏合宿、映画会、卒塾式。どれもひとつひとつ意味があり、その結果として涙を交えつつも笑顔で卒塾を迎えることができたのでしょう。


自分が通っていた塾、話に聞く塾、それぞれ非常に魅力的な部分がありました。他の塾も素晴らしいところをたくさん持っています。正直、アカデミーでは敵わない部分も多くあると思います。


でも、その中でもアカデミーが特化した部分は、今後絶対に絶やすことなく続けていって欲しいと思います。今回、卒塾ムービーを作ったり、過去の写真を色々と見ている時に改めて強く感じました。
極めて激化する塾業界の競争の中、それがアカデミーの活路であり、僕たちが誇れる部分だと思っています。


本当に大好きなアカデミーの、今後のより一層の発展を心から願っています。
色々とご迷惑をおかけしてしまいましたが、長い間、本当にありがとうございました。アカデミーの講師として働けたこと、心から誇りに思います。
アカデミー学院 講師
中野 友祐


中野先生にも、「卒塾おめでとうございます」。
これからの人生の上に神様の豊かな祝福を心よりお祈りしています。


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もうひとつの飢餓問題

2014.02.21日
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世界的に有名な経営コンサルタント、ブライアン・トレーシーについてはこれまでこのブログで何度も取り上げてきました(「不景気なときの最高の投資」ほか)。彼からの一昨日のメールマガジンに次のような言葉が紹介されていました。


"Three billion people on the face of the earth go to bed hungry every night, but four billion people go to bed every night hungry for a simple word of encouragement and recognition."
-- Cavett Robert
「世界中で30億人の人たちが飢えた状態で毎晩床に就いている。しかし、40億人の人たちはちょっとした励ましや褒め言葉に飢えた状態で毎晩床に就いている」
(キヤベット・ロバート)


うーん、なかなか鋭い指摘です。
確かに、世界中の飢餓の問題はよくあちらこちらで目にしたり耳にしたりして、みんなの知るところです。
しかし、飢餓人口よりもさらに10億人も多くの人々が「励ましや褒め言葉」に飢えている、というのはちょっとショッキングな話です。世界の総人口70億の半分以上ということです。
でも、言われてみれば、なるほど、さもありなんという感じです。


3年ほど前に、「豚もおだてりゃ木に登る」という記事を書きましたが、その後も繰り返し「褒めること」の大切さをこのブログで訴えてきました(このページ左上コーナーの「エントリー検索」に「褒める」や「ほめる」を入れて検索してみてください。きっとその記事の数の多さに驚かれることと思います)。


身の回りをちょっと見回してみてください。
あなたの励ましや褒め言葉を必要としている人が必ずいます。あなたのすぐ隣りにも、家族の中にも、学校や職場にも、友達の中にも。
「地球の飢餓を救え」などへの寄付行為もとても大切ですが、もっと身近なところで、あなたに今すぐにでもできる飢餓対策、それが「励ましや褒め言葉」なのです。


ただ、褒めることにも一つ注意しなければならないことがあります。
それは、「褒めて、褒めて、褒めまくれ?」の中に書きましたので、こちらをご参照ください。


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類は友を呼ぶ

2014.01.24日

「類は友を呼ぶ」ということわざをよく、間違えて覚えて、
「友は類を呼ぶ」と言う人がいます。気をつけましょう。
もちろん、「気の合う者や似通った者同士は、自然に寄り集まって仲間を作るものである」(故事ことわざ辞典より)という意味です。
昨日の記事、「子育ての基本」の中に登場した田中将大選手と坂本隼人選手もそうですし、このようなケースは枚挙にいとまがありません。


英語ではこのことわざを
Birds of a feather flock together.
(同じ羽毛の鳥は群がる)
と言いますが、今日も夕方ウォーキングをしていて、まさにそれを目撃しました。
上の写真は鴨が数羽泳いでいるところ。下のは対岸でカラスが数十羽集まっているところ。


kamo.jpg


karasu.jpg


馬が合う者同士が自然と集まるのは人間も同じです。
ということはいい仲間、友人を選ばなければならないということです。
私が中学生の頃は、今のように部活動がそれほど盛んではなく、今で言ういわゆる「帰宅部」というのが多くて、私もそのうちの一人でした。
もし、スポーツをやる友達と親しくなっていて、その人に引っ張られて運動部に入っていたら、おそらくもっと身体は強くなっていたことでしょう。


大磯海岸を歩いていたら、昨日の記事に登場した田中将大を彷彿とさせるように高校生らしき野球少年二人が砂浜で暗くなるまでキャッチボールをしていました。彼らも田中選手に刺激されて将来はプロ野球選手を目指すのでしょうか。


yakyuu.jpg


どんな人と親しくなるかによってあなたの人生は大きく変わります。
私の場合、やはり最初は英語が好きな人と友達になり、お互いに単語を言い合って覚えたりしていました。また、高校時代は油絵を描く友達と一緒になって美術部で毎日、絵を描いて楽しんでいました。
クリスチャンになってからは、やはり自然とクリスチャンの人たちとの交流が多くなり、今は本当にそのことで感謝しています。
あなたはどんな人と交わりますか?


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1年を締めくくるにふさわしい日

2013.12.31日

今日は大晦日。
この一年を振り返り、明日からの新年に向けて新しい決意をするのにとてもいい時です。


ということで、自分なりに振り返りましたところ、もちろん反省すべきこともたくさんありましたが、感謝することの方が圧倒的多数でした。


最近、FB上でフレンドの多くの方が「自分新聞」というのをシェアしていらっしゃるのを見て面白いなと思っていたのですが、これを開こうとしたら「あなたも自分新聞を作りませんか?ほんの数分でできます」というメッセージが出たので、遊び半分でやってみました。
出来上がりを見ると、「月間MVPポストと振り返る2013年」というコラムを除いては、ほぼ全部デタラメの作り話で笑ってしまいました。でも、一応FBにアップしたところ、百数十件の「いいね!」をいただき、結構多くの方がご覧くださったようです。
これが、その「自分新聞」です。
お笑いのつもりでで見てください。


(画像はクリックすると拡大されます)

上のコラムは、実際のブログ記事からの引用のものだったのですが、コンピュータが勝手に選んだものなので、私の気持ちは反映されていず、本当の意味での月間MVPではありません。
でも、一年を振り返るのにはまあまあ役立ちそうです。


病いで始まった1年でしたが、年末近くの記事になると、全体的にはかなり健康になってきているな、と我ながら嬉しく思いました。
さらに、FBを通じて新しい友人が大勢でき、しかもその内の二十名以上の方とは実際にお会いし、親しくなれたことは私にとって一番感謝なことでした。
またこの年、拙ブログがにほんブログ村で参加者6000人を超える教育部門の人気ランキングで、秋ぐらいからずっと1位になったのも確かに嬉しいことです。


今日はこの一年を締めくくるにふさわしく、「これからだ!」の中に登場したFBフレンドの鈴木伸二さん・くるみさんご夫妻と2か月ぶりに、そしてお子様たちとは初めてお会いし、とても楽しいお交わりのひと時を持たせていただきました。



「ん、これは何だ?」「ナンだっ!」
というわけで、優しいネパール人が経営する本格的なカレーナンの美味しいご馳走を初体験でいただきました。


息子さんには残念ながらお会いできませんでしたが、とても素敵な3人のお嬢さん方ともお話しできて、楽しさが三倍増しました。


ご夫妻がそれぞれ日々病いと戦っていらっしゃる中で、お子さんたちがとても明るく、伸び伸びと立派にご成長していらっしゃるご様子を拝見し、本当に嬉しくなり、同時に励まされ、私も頑張らなくては、と思いました。




鈴木さんご家族とお別れして名古屋第二日赤に向かいました。
一昨夜、現在大阪に住んでいる中学時代の親友、中村くんから電話をいただきました。この電話によると中高時代の親友だった萩原くんが3か月ほど前に腰痛で手術を受けたのが、ウィルス感染で再び悪化して名古屋の病院に入院しているというのです。
それで、この年末年始ちょうど家内の実家、名古屋方面に行くことになっていたので是非とも萩原くんを見舞いに行きたいと思ったわけです。


彼との再会ももう何十年ぶりです。
病室を訪ねると、ちょっと老けてはいましたが昔のままの親友、萩原くんでした。




医師たちは2回目の手術が必要と言っているけど、今は様子見で手術の日程は決まっていないとのこと。歩くことも立つこともできない、という状況でとても辛そうでした。
でも、会話が進むうちに彼が尊敬し、その著作を全部読んだという梅原 猛氏の話から哲学論、宗教論、人生論などに及び、昔の学生時代を彷彿とさせる白熱したひと時となりました。
私は聖書に記されている神観、人間観、罪、救済論などについて話し、彼も一生懸命真剣に耳を傾けてくれました。


そのうちに私の長男と同い年の次男夫婦が小さな子どもを二人連れて見舞いに来ました。
「爺ちゃん」と孫から呼ばれる彼の目尻は下がりっぱなしです。私の体にも身を寄せてくる可愛いお孫さんに頬ずりしたくなり、私も早く孫が欲しいなと羨ましく思いました。


ご家族の大切なお時間、と思って席を立ち失礼した時にはもうすでに1時間半も経っていました。


今日は本当に充実した、思いもよらない、今年最後の日を過ごすことができて感謝でした。


さて、来年の私の抱負は、何と言っても現在の訓練を続けて心身魂脳の健康作りに励むこと。
皆さん、新しい年も変わらずよろしくお願い申し上げます。


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真の友、魂の家族

2013.12.19日




つい先日の「夕闇に輝く十字架」という記事の中に、三浦綾子さんの『生きること 思うこと』を読んでいると書きましたが、昨夜読み終えました。


なんかまるで私の心の中を見透かして書いていらっしゃるんじゃないかと思うほど、三浦綾子さんとは考え方や感じ方で波長が合うのを感じます。


三浦さんは作家デビューされる前、ご自宅で雑貨屋を1年ほど営んでいらっしゃいました。当時の時代背景が随所に見られます。
店先に置いてある赤電話を借りに来た人のことが書いてあったりして、「赤電話」と聞くだけで懐かしさがこみ上げてきます。


この『生きること 思うこと』が出版されたのは1972年のこと。すでにデビューして10年ほど経っていて、その間に次から次へと大ヒット作品を発表していらっしゃいますが、自分はまだまだ新人と、とても謙虚です。


さて、この本を書かれた頃、1970年と言えば私はまだ20歳の大学生です。今から40数年も前のことですが、昨夜読んだところに次のような箇所があり、驚かされました。
「友人とは何か。わたしの場合、お互いに何を祈ってほしいのか、わかっている間柄の人たちだと思っている。お互いの祈りの課題、それは、真の心の底を見せることであり、弱さを見せるこだと思う。この課題をお互いに祈っているならば、ふだん、特に親しく出入りしなくても、遠くに離れていても、わたしは深く交わっていることになると信じている」
(上掲書p.200)


えっ、これって今、最先端のFacebookのことじゃないの⁉︎
Facebookについては、今年に入ってからブログの記事の中でも度々書いてきました。
一例を挙げると、
「感謝!」「毎日の元気の源」「今日のデート その2」「Facebookよ、ありがとう!」「人生、悲喜こもごも」「初対面同士の再会?」「これからだ!」「子育て禁句のあいうえお その6」
等などです。


上に挙げた記事を順に読み返すと、初めのうちはFacebookのありがたさに感謝していたのが、これが次第に発展していって、FBでつながる人たちが増え、さらにこれらの方々と次々とお会いする道が開かれていったことがよくわかります。
さらに、ただ会ったというだけでなく、この中から祈りのグループが生まれ、遠く離れているにもかかわらず、これらのフレンドと毎日FB上でお会いし、お互いに祈り合い、固い絆で結ばれているという事実です。もう他人という気がしないのです。いわば、真の友、魂の家族です。


これはまさに三浦綾子さんが上でおっしゃっていることそのものではありませんか。
三浦さんご自身が40数年前にご体験していらっしゃったことが、今やこのインターネットという時代の落とし子のお陰で、私たちも同じ恩恵にあずかることができるようになったのです。


昨夜、上の本を読み終え、感謝の気持ちにあふれてしばし神様にお祈りしました。
そして、最後になりましたが、FBフレンドの皆さん、ありがとうございます。心から感謝しています。


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魔法の言葉

2013.12.08日




人見知りで、いつも父の背中に隠れているような子どもでした。そんな私に、人前に出るきっかけを与えてくれたのが、愛知県岡崎市立矢作西小学校6年の時の担任だった筒井博善先生(故人)。当時50歳代後半で、一人ひとりの児童によく目配りしてくださる先生でした。
 新学年が始まって間もない音楽の授業。ピアノが苦手な先生は、「代わりに弾いてくれないか」と私を指名しました。「できません」と何度も断ったのに、先生は「絶対にできるから、やってみなさい」と励ましてくれました。両親から音楽の先生を目指していることを聞き、引っ込み思案な私に活躍の場を与えてくれたのでしょう。
 学芸会でも、準主役のお姫様の役をくださいました。その時も「できるよ」と背中を押してくれました。とても恥ずかしかったけれども、大勢の前で演じる喜びも味わいました。
 先生が体調を崩して2〜3週間入院したことがありました。退院して登校した日の朝の光景が、今も忘れられません。職員室に駆けつけ、窓の前にひしめき合いながらクラス全員で先生の姿を探しました。振り向いた先生が笑いかけてくれた時、涙が出るほどうれしかったのを覚えています。
 それまでは「どうせダメだから」とあきらめがちだったのに、先生に「できるよ」と言われると、「ひょっとしてできるかも」と自信が湧いてくる。私にとって「魔法の言葉」でした。先生に出会わなければ、人前で自分の音楽を聴いてもらうシンガー・ソングライターを目指すこともなかったかもしれません。

(7月1日付 読売新聞 インタビュー 「私の先生」より)


シンガーソングライター、岡村孝子さんにとって、人生を変えた「魔法の言葉」は、小学6年の時の担任教師の「できるよ」でした。
私も教育関連の仕事に携わって足かけ40年。
この間、この「できるよ」の魔法の言葉を何回使ってきたことやら。
生徒は頭から「無理」と言うのですが、それを説得して自信を持たせ、背中を押してきた結果、英検・漢検・数検などの検定試験を始め、高校・大学受験でも、また就職において、人間関係の修復などにおいても、この魔法の言葉が数え切れないほど実現してきました。そして、これらの体験をこのブログに数多く記してきました。


私自身もそうでしたが、人間というものは基本的には否定的・消極的な考えが支配していることが多いようです。
そのような中で、学校や塾の先生、親、友達などの「できるよ」のようなちょっとした励ましの言葉が「魔法の言葉」になることは古今東西よく知られていますし、それを体験してきた方も読者の中にきっとたくさんいらっしゃることと思います。


皆さんの、お子さんや兄弟姉妹、夫や妻、親、友達あるいは生徒や先生、会社の同僚や上司、部下を含め、あらゆる人間関係において、その人を生かす「魔法の言葉」は考えてみればいくらでも見つかります。
「夫婦の間のあいうえお」シリーズや「子育てのあいうえお」シリーズなどをぜひ日々の生活の中で実践していただければと思います。
その逆の、人をつぶす「悪魔の言葉」(「子育て禁句のあいうえお」など)は子育てだけでなく、あらゆる人間関係においてできる限り使わないようにしましょうね。


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おんぶに抱っこ

2013.10.17日

Facebookで驚くような画像や、見たこともない美しい景色や草花、動物の写真に毎日のように出会い、感動することがしばしばです。
また、友達の友達というふうにして、知り合いも急速に増え、FBフレンドとの実際の出会いもあちらこちらで実現したりしていて、FBは実に私たちの世界を大きく広げてくれています。


昨日、出会った面白い画像は下のキリンの親子のおんぶです。
これには思わず吹き出してしまいました。
動物親子の抱っこの画像は何度も見てきましたが、キリンのような大きな動物がおんぶをするというのは驚きでした。



日本では昔から「おんぶに抱っこ」という表現がいろいろな場で使われています。昨夜は寝る前に、このキリンの画像を思い出して、思いを馳せました。


そう言えば、非常に自立的な人もいれば、逆に「おんぶに抱っこ」の人もたくさんいるな、私などはまさに後者の口だと思いました。


昨日の記事「台風一過」にも書きましたが、妻と義弟妹は平塚の自宅に向けて車で3時間ほど前に発ち、私は逆に妻の実家でこれから3〜4週間ぐらい独り身の生活をします。
これまで妻に「おんぶに抱っこ」でやってきた私にとっては、独身時代に戻ったような感じで、わくわく感とともに正直なところドキドキの不安感もあります。
妻がよく私に、自分はまるで金魚の糞のようにあなたにくっついてきた、と言いますが、それは私も同様で、朝起きてから床に就くまでほとんどいつも一緒に仕事し、生活してきました。


こちらでの「独身」生活では、健康第一の献立も考えて料理し、時間管理もして買い物やウォーキング、また名古屋の方に出かけて、美術展やコンサート、映画などにも挑戦しようと思っています。
「おんぶに抱っこ」の生活から脱却することが、自分の心身の健康回復のためにも必要で、神様がこのような時を備えておいてくださったのだ、と今は感謝しています。


あっ、そうそう。
今、これを書いていてふと考えたことです。
この8月初めには「人生、悲喜こもごも」に、そして9月終わりには「初対面同士の再会?」に書いたように、FBでつながったフレンド同士でFB会を行ったところ、これが思いのほかみんなに好評で、私自身もとても楽しむことができました。
神戸でも正月に計画されているようでお誘いを受けたのですが、もし名古屋近辺にお住まいの方々でお会いしてお茶をご一緒できるような機会ができたら素敵だな、と思いました。
FBフレンドに限らず、このブログの愛読者の方々でももちろんOKです。
いかがでしょうか?
ご関心のある方はぜひご連絡ください。
新しい出会いを期待しつつ。


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一人ひとりに役割がある

2013.10.08日

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今日読んでいた本の中にとても心惹かれる文がありました。
「私たちひとりびとりは、だれか他の人にとって、北極星のような存在である。だれも、ある人の代わりになってその人自身の生活をすることはできない。そのような意味において、私たちひとりびとりは、それぞれ自分自身の生活に責任を持たなければならない。しかし、もし私たちが、自分の理想や、愛する者たちが私たちに対していだいている希望にはるかに及ばないような生き方をするならば、私たちは、自分自身を傷つけるだけでなく、また、だれかの北極星を空から落とすことになるのである」
(『山頂をめざして』 p.469 L・B・カウマン著 いのちのことば社)


そうです。私たちはみんな、ひとり残らずだれか他の人にとって、北極星のような存在、すなわち絶対に必要な存在なのです。
赤ん坊からお年寄りまで、ひとり残らずみんなです。
自分など生きていても何の役にも立たない、自分の人生に意味なんかない、自分がこの世にいてもいなくても何も変わりない、などと人はよく考えがちです。
日本はとくに自殺(自死とも)する人の数が多く、年間30,000人にも及びます。ざっと毎日100人近くの人が自殺しているということになります。
自分の生きている価値や目的がわからないと、困難や試練、苦しみにぶつかると死にたくなることがだれにもあります。


これまでこのブログで何十もの障がい者に関する記事も書いてきましたが、そのどれもこれも否定的・悲観的なものではなく、積極的・肯定的なものばかりです。


ニック・ブイチチさんのこと(「自分には○○できない」)、全盲のジム・ストーヴァルさん(「盲目にならなくても見える!」)、リジー・ベラスケスさん(「頑張れ、リジー!」)、マレーシアの全盲のほか、頭蓋骨・脊柱奇形といういくつかの障害を持って生まれてきたコリンくん(「生き甲斐」)、また障がい者でなくても、携帯電話のセールスをやっていてみんなから無能と思われていたポール・ポッツさんのこと(「ダイヤモンドの原石」)等など、挙げ出せば切りがありません。


これらの人たち一人ひとりに共通すること、それは自分に与えられた役割、使命に気づいたということです。
神様はこの世に私たち一人ひとりを生み出す時に、その人にしかない大切な役割、使命を一人もれなく与えてくださっているのです。
自分自身の快楽のために生きるのは虚しいことです。でも、ほかの人の北極星(道しるべ)となるために生きることには本物の生き甲斐があります。
あなたもだれかの北極星なのです。それを空から落とさないようにしましょう。


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Facebookの功罪

2013.10.01日

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昨日の記事、「初対面同士の再会?」に書いたFBフレンドとの出会いは本当に素晴らしいものでした。
みんな口を揃えたように言っているのは、「初めて会ったのに、初めてという感じがまったくしなかった」ということ。
これは本当に不思議な経験です。今までこのような経験をしたことはありません。


去る8月には京都で同じような集いをしましたが、その時もまったく同じでした(「人生、悲喜こもごも」)。
これは一つにはFBで普段からつながっていて、お互いに気楽に話し合っているということもあります。おそらく、同じような体験をしていらっしゃる方々はほかにもたくさんいらっしゃることでしょう。
しかし、私たちの場合、さらにその感が強いのはやはり信仰をともにする兄弟姉妹だ、ということがとくに大きいと思います。
ただ単にFBで知り合って実際に会い、一緒に食事をする、お話をする、というのではなく、昨日のように喜びや楽しみだけでなく、これまでの人生での、あるいは今体験している辛さや大変なこともお互いにシェアし合い、喜び合い、人の痛みを自らの痛みとして受け止めて祈り合うことができるというのは、どこにも見られない特別な経験です。
単に「経験」というひと言では言い表せない、素晴らしいもので、本当に「天国の前味」とみんな言っていましたが、そんな感じです。


FBのお陰で、昔の友人に出会えたり、長いこと会っていない友人の近況を知ることもできます。さらに、知り合いを通じて新しい友達に巡り会えたり、自分の知らない世界を知ることができるというのも素晴らしいことです。
見たこともない動物や植物、世界中の美しい光景などにも出会うことができますし、いろいろな人の物事の見方や考え方に触れることができるのもこのFBの特徴です。
孤独な人でも、FBでつながっている人たちと話し合うことができますし、慰められ、励まされたり、希望を与えられたりすることもできます。
これは今の時代に生きている私たちに与えられている特権だと思います。


しかし、もちろん何事もそうですが、いいことばかりとは限りません。
とくに最近問題になっているのは、膨大な個人情報が流れているために、悪用しようとしている人もたくさんいるということです。
毎日のように美しい若い女性から友達リクエストがたくさん来ますが、これはもう見え見えの危険な罠です。もうすでに多くの方が体験していらっしゃるようです。


また、もう一つの難点はFBを本格的に始めると、これにハマってしまうということです。
時間がいくらあっても足りなくなるぐらいで、中には一日中パソコンの前に座っている人もいます。
私の場合、iPhoneでつながっているので、いつでもどこでも新しいタイムラインが送られてきます。とくに、今朝などメールが100件近くも入っていて、一つひとつを見るだけでも大変でした。
先日、FBフレンドの方が、「新聞よりも、FBよりも、聖書を朝一番に」と書いていらっしゃいましたが、本当に気をつけないとFBに振り回されてしまいます。


昨日の集いの場で提案された、昨日のメンバーだけで新しいグループを立ち上げ、お互いの祈りの課題をシェアし、祈り合う、という素晴らしいアイデアが今朝、早速スタートしました。
これは確かに時間は取られますが、本当にありがたい、素晴らしいものです。
このお陰で、みんなで祈り合う、主にある兄弟姉妹となりました。
感謝なことです。皆さん、本当にありがとう!


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初対面同士の再会?

2013.09.30日

今日は上野精養軒で同窓会がありました。
同窓会とは言っても卒業校の同窓生たちとのものではなく、FBでつながっている人たちのもので、集まった12人のうち9人は初対面でした。
でも、普段から毎日のようにFB上で顔を合わせ、お互いに親しく声をかけ合っているので、初めてお会いするという感覚ではなく、まるで昔からの友人という感じでした。
いわば、初対面同士の再会(?)という、これまでなかった新しい形態の同窓会です。
ほとんどは関東近辺に住むものたちですが、中には福井から飛行機で、京都から新幹線で駆けつけた人たちもいました。


このうち私の既知の一人は今年の4月に初デートした小川政弘さん(「今日のデート その2」)、もう一人は8月にお会いした藤木冨士子さん(「人生、悲喜こもごも」)でやはりFBフレンド。
他の人たちもそのほとんどがみんな初対面だったのですが、会った瞬間から懐かしい友に再会したように感じていました。
これはSNSという時代が生み出した新しい形態の仲間で、これからさらに加速度的に今まで見られなかった人間関係がどんどん生まれてくることでしょう。


ほとんどみんな初対面なので、最初は自己紹介から始まりました。
今回、この同窓会が企画されるきっかけとなったのは、アメリカ在住40年のますみさんのお里帰りです。
ますみさんから始まり、一人ひとりが自己紹介していくのですが、FBを通して知っていることもありますが、ほとんどは初めて知ることばかりで、みんな人の話を聴きながら大きくうなづいて、「ふーん」「へえー」と驚くようなことばかり。


自己紹介が終わると、あちらこちらに質問が飛んだり、共通の友人の話になったりして、そのたびにまた驚きの声が上がります。
そのうちに隣りや向かいの人たちなど近くの者同士のグループで話が盛り上がり、予定されていた2時間あまりがあっという間にたちました。


みんなが立ち上がり、さあ、これで終わりかという時、皆さんが私の周りに集まって、お一人おひとりが肩に手を置いて私のために祈ってくださいました。感動で涙が出てきました。
ほかにも近くお孫さんが手術を受けられる方のために祈ったり、と本当に感動の場面でした。
クリスチャンの集いというのはなんて聖く、温かく、気持ちの良い交わりなのだろうとつくづく思いました。
そのあとで、記念写真をパチリ。


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そして、予定のない人たちは二次会で、新橋駅の近くの沖縄料理店へ。
ひとりの方の知り合いの若い男性がそこでアルバイトをしていらっしゃって、その方の沖縄三味線の演奏にしびれながら美味しい料理を満喫。
本当に"天国の前味"を味わわせていただいた素敵な一日でした。
皆さん、本当にありがとうございました。心からの感謝とともに。


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夫婦円満の秘訣 その2

2013.09.13日

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昨夜、テレビで崩壊寸前の夫婦の問題が取り上げられていました。
夫は2年半前リストラに会い、以来警備員のアルバイトをしながら求職活動をしていますが、7年前に購入したマンションのローン支払いなど生活費で、毎月14万5000円の赤字が膨らみ続けているといいます。
経済アナリストの森永卓郎さんが、夫婦の生活に密着し、アドバイスをします。
家族でフィリピンに移住したら、生活費は日本と比べたら比較にならないほど安く上がり生活は楽になるし、子どもが現地の学校に行ったら日本に帰国した際、英語ができるようになっていて帰国子女として母親が希望している私立の学校に編入もできる、と。
すると、夫はその提案に乗り気で、やってみないとわからない、試してみようと言い、妻は頭から猛反対で夫を激しく罵倒します。
妻は夫の努力を全然評価せず、自分は働く意思は全くなく夫を責めるばかりで、食べ物や日常生活では贅沢していながら、子どもを私立の学校にやりたいと言っています。
最後のシーンで、夫は引き続き職を探し、頑張るしかない、と元気なく言っていました。


これを見ていて、私は無意識のうちに夫婦円満の秘訣について考えていました。
そして今日、この問題について書こうとしたら、すでに「夫婦円満の秘訣」という記事を3年半ほどまえに書いていたので、きょうはシリーズ その2です。(このページ左上コーナーにある「エントリー検索」に「夫婦円満」というキーワードを入力すると、ほかにもいくつかの記事が出てきますので、関心のある方、あるいはニーズのある方はご参照ください)


さて今日、私は3時間ほどかけて主夫業をしました。
私がここ数年体調を崩しているので、そのしわ寄せが妻や息子、娘に行っていて、いつも本当に申し訳なく思っています。
今の私がすべき第一優先の仕事は健康作りです。
そして、同時に自分にできることは何でもするよう努めています。


今朝は妻が塾の掃除に行っている間、まず洗濯物を干し、昨日の洗濯物をたたんで片づけ、それから家の掃除をしました。
普段あまり手の届かないところ、例えば押入れのスノコや衣装ケースなどを全部のけて掃除機をかけ、ふすまも外して下の車輪などのホコリも取りました。
さらに、冷蔵庫を前に移動して床や壁、冷蔵庫の上、裏側、下に着いているホコリを掃除機で吸い、雑巾がけしました。
ピアノの下、洗濯機の下なども同様に掃除機を使ってきれいにしました。
途中、掃除機の中のゴミ・ホコリを2回出しました。
私は、このような家事をすることを恥ずかしいとは全然思いません。
今は料理こそしませんが、独身のころやっていたので、いざとなればいつでもできます。
私が小学生のころは、毎年大晦日に母親は煮しめなど料理で正月の準備をしている間、父親が家中の大掃除をし、畳も全部上げて表に出して干し、パンパンとホコリを叩き出したりし、私も父の手伝いをしていました。最近は、このような光景はまったく見かけなくなりました。


つまり、夫婦円満の秘訣のひとつは、お互いに仕事分担してできることはどんなことでもやって助け合うということです。
冒頭のテレビ番組に登場した妻のように、相手を責めるばかりで、自分もできる範囲内で協力しようという意気込みがなければ、たとえどんな状況でも、うまくいくものもいかなくなります。


そう言えば、私の尊敬するJohn MacArthur (ジョン・マッカーサー)牧師が説教の中で言っていました。
「私は罪人(つみびと)だ。ただ自分が罪人であるだけではない。さらに、罪人である妻と結婚もしている」
この言葉は示唆に富みます。
人間、みんなそもそも自己中心な罪人なのです。だから、罪人同士が結婚し、夫婦となっているのですから、お互いに足りないところ、欠けているところなどあって当たり前の話。
相手を責めるということは、すなわち自分自身も同じ欠け、足りないところがあるということを認めているのと同じことです。
だからこそ、お互いにその欠けを補い合う努力をする、これが夫婦円満の秘訣の第一歩です。


つい先日、友人を通してあるご夫婦の結婚カウンセリングを依頼され、今晩ご夫妻にお会いすることになりました。
お話しするポイントは、過去がどうであったかではなく、今、自分たちの望んでいることは何か、今どんなことをしているか、今していることはその目標達成のために役立っているか、目標に向かって自分たちにできることは何か、この4つのポイントです。
これは、どんな問題にも当てはまります。
お試しあれ。


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至れり尽くせり

2013.08.10日

昨日は朝から西村先生ご夫妻に大原三千院へ連れていただきました。
ここは、今から32年あまり前、私たち夫婦が結婚式を挙げた翌日、新婚旅行で訪れたところです。


大自然の美しさをそのまま庭園にした日本独自の素朴な美。
セミの鳴き声や鳥のさえずり、小川のせせらぎが聞こえ、質素な中の最高の贅沢にとても感動しました。
私の大好きな聖歌480番「輝く日を仰ぐとき」がよみがえってきました。


@輝く日を仰ぐとき
月星眺むるとき
雷(いかずち)鳴り渡るとき  まことのみ神を思う


我が霊(たま)いざ称(たた)えよ 大いなるみ神を
我が霊 いざ称えよ 大いなる御神を(繰り返し)


A森にて鳥の音(ね)を聞き  そびゆる山に登り
谷間の流れの声に まことのみ神を思う
(繰り返し)


お昼は西村先生ご夫妻お気に入りのお店で、作りたての炊き込みご飯やのり巻き、野菜の天ぷらなどを、店の前のベンチに腰かけいただきました。
どれもこれも、美味しいこと、美味しいこと。
「まるで遠足のようね」と奥様。
そのあと寂光院。
このひなびた感じがまたなんとも言えません。
鞍馬天狗の里、鞍馬寺に足を延ばして、その後帰宅。
私が小学生のころ住んでいた家がすぐ近くだったので途中で車から降ろしていただき、歩き始めました。友達の家の呼び鈴を鳴らすと不在でしたが、携帯番号をいただいて電話で会話。その友達と夕食の約束をしました。
私の住んでいた家は跡形もなくなっていました。その他、当時の友達の家も多くは表札の名前が変わっていて、建物も変わり町の風景はどこにも当時の面影は残っていませんでした。そりゃもう50年以上もたつのですから当たり前のことですが。


先ほどの友達と落ち合い、近くの焼鳥屋さんでもう一人の友人も加わって一緒に冷たい生ビールでかんぱ〜い!
焼き鳥の一つひとつの美味しいこと。さすが食文化の京都。正直、こんなに美味しい焼き鳥は生まれて初めてです。
昔話に始まり、旧友の近況や京都の伝統産業について、自分たちの仕事、家族のことなど話は尽きませんでした。


西村先生ご夫妻、一昨日お会いしたFBフレンドの皆さん、小学校時代の友人、みんな至れり尽くせりで、本当に心底感謝しています。


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人との出会いで人生は決まる

2013.07.31日

先生、覚えていますか?
誰の人生にも、運命を決する瞬間がある。そして、そんな瞬間は、たいてい誰かの励ましによって訪れる。


(前略)
 先生が厳しかったことも不人気の理由のひとつだった。ほとんどの生徒は先生の優秀さに気づいていなかったのだ。
「そうですよ。将来の職業を探すんです」。先生は顔を輝かせていた。まるで、毎年の課題の中で、いちばんおもしろいテーマみたいに。
「自分の将来の職業について、レポートを書いてもらいます。自分が何になりたいかを考え、その仕事をしている人にインタビューし、発表するのです」
 みんな、どうすればいいか首をひねりながら下校した。13歳で、何がやりたいなんてわかる子がいるかしら? 私は消去法で考えることにした。好きなのは美術、歌、文章を書くこと。だけど、美術のセンスは最低だし、歌うと姉さんたちが、「きゃあ、やめてよ」と叫ぶ。残っているのは書くことだけだ。
 先生は、レポートの進行状況について毎日わたしたちに質問した。ようやく、みんな何かを選んだ。私は新聞記者を選んだ。本物の生きた新聞記者にインタビューしなければならない。私は怯えた。
(中略)
 数日後、わたしはなまなましい記憶だけを頼りに発表をした。レポートの成績はAだった。
(中略)
それから何年もして、先生のことはすっかり忘れてしまった。大学で何を専攻するかについては、いろいろ考えていた。父はビジネス界に入らせたがったし、当時としては筋の通った助言だった。ただ、わたしにはビジネスはまったく向いていなかった。そのとき、ふと、バージニア・デビュー先生のこと、13歳のときの夢を思い出した。わたしは両親に電話した。
(中略)
「何にするつもりだね?」父がやっと尋ねた。
「ジャーナリズムよ」
両親がひどく失望していることはわかったが、反対はされなかった。ただ、その世界の競争がどれほど厳しいものか、また、いままでわたしがどんなに競争を避けてきたかを指摘されただけだった。
 だが、ジャーナリズムは違った。わたしの性に合っていた。まったく見知らぬ人のところへ行って、自由に質問することができるようになった。だんだんとわたしは自信をつけた。
(中略)
 ある日、バージニア・デビュー先生がいなければ、いまわたしはこうしてデスクには向かっていなかったのだとふいに気づいた。
(中略)
 学生時代を振り返ってみると、誰でもきっと、ひとりの先生の姿が浮かんでくるのではないだろうか。人には、それぞれのバージニア・デビュー先生がいるに違いない。心からありがとうと伝えたい先生が。
                                            ダイアナ・L・チャップマン

(『こころのチキンスープ 9』 ジャック・キャンフィールド、マーク・V・ハンセン ダイヤモンド社 p.81-85)


ちょうど1週間前、「そうだ、京都へ行こう! その2」という記事を書きました。
すると、その日のうちにメールが来ました。私の恩師中の恩師、西村隆宏先生からでした。
「すっかりご無沙汰していますが、ブログは毎日読んで力を戴いています。
今日のブログを見て、もう一度是非お会いしたくなり、お泊り戴いて、京都での貴方のひと時を独占させて戴きたいと、メールをお送りします」とありました。
西村先生との出会いは、「潜在意識の力」の中にも書きましたが、私が小学4年生のときにお会いした当時は大学生の教育実習生です。わずか3週間ほどの短い期間の出会いでした。


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でも、その後53年間もお付き合いが続き、結婚式にも、また母の葬儀にも来てくださり、一昨年の夏には泊まりがけで4日間もお世話になったのです(「使用前、使用後」)。


冒頭の『こころのチキンスープ 9』の物語を読んでいて、私の頭の中には真っ先に西村先生のことが浮かびました。まさに、西村先生との出会いが、私を教育の道へと導いてくれました。ですから、西村先生こそまさに恩師中の恩師、私のバージニア・デビュー先生です。


何人かのFBフレンドの方々からもお会いましょう、とお声がかかり、日程はちょうど1週間後の8月7日から10日と決まりました。
西村先生とまた二年ぶりにつもり話をし、私の心のふるさとである嵐山や嵯峨野を散策し、龍安寺の石庭で心を沈めてじっくりと考えたりして楽しむと同時に、FBフレンドの方々とお会いできるのはなんという恵みでしょうか。
もう今からわくわくしています。


私は人との出会いを常にとても大切にしています。
本当に人生において何が大切かというと、人との出会い、これに勝るものはありません。
いえ、ひとつだけあります。それ以上のものが。それは神様との出会いです。
人生において大きな影響を与えるものは人との出会いですが、神様との出会いは人生最大の影響を与えてくれます。


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妻は夫を恋い慕う?

2013.07.19日

聖書の中の創世記に出てくるエデンの園とアダムとイブの物語はあまりにも有名です。
聖書を読んだことも、手に取って見たこともない人でも知っています。


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ここに面白い表現が出てきます。
つぎに女に言われた、「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。それでもなお、あなたは夫を慕い、彼はあなたを治めるであろう」(創世記3:16)


これは神様の言いつけにそむき、園の中央にあった禁断の木の実を取って食べたことに対して、神様がイブ(聖書の中ではエバ、英語ではイーヴ)におっしゃっている言葉です。
出産の痛みと苦しみはここから来ているのですが、それよりもそのあとの「あなたは夫を慕い、彼はあなたを治めるであろう」という言葉に注目したいと思います。
妻に恋い慕われれば夫は嬉しいのではないでしょうか。
しかし、それにもかかわらず夫は力づくで妻を支配しようとするというのです。


この「恋い慕う」という同じ言葉が、その直後に再び使われています。
「あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行なっていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたはそれを治めるべきである」(創世記4:7)
「罪があなたを恋い慕っている」というのは、とても怖い状況です。この言葉のもとの意味は、「誘惑する」で、罪が戸口で待ち伏せして女性を誘惑しようとしているというのです。


これに先立つところには次のような出来事がありました。
女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。
つまり、イブが最初にへびの誘惑に負けて木の実を食べ、それをアダムに与えているのです。
そして、神に叱られたとき、二人はどうしたかというと、言い訳ばかりして他人のせいにしました。
人は答えた、「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」。
そこで主なる神は女に言われた、「あなたは、なんということをしたのです」。女は答えた、「へびがわたしをだましたのです。それでわたしは食べました」。

(創世記3:12, 13)


罪は実に巧妙に人を誘惑し、だまします。そして、罪を犯した人はそれを素直に認めて謝ることができず、責任転嫁をしようとします。
人間の弱さ、罪の本質を見事に表しています。


さて、話をもとに戻して、イブはどのようにして夫を恋い慕っているか、すなわち誘惑しようとしているかと言うと、夫婦間の力関係においてです。
妻は無意識のうちに夫を自分の思いのままに動かそうとする傾向があります。そして、それに対して夫は妻のご機嫌取りをして妻の言うように動くのですが、それが何度か繰り返されると堪忍袋の緒が切れて、頭にくると言葉や力で妻をねじ伏せようとする。これを男性神経症と呼びます。夫婦間の問題というのは、ほとんどのケースこれに集約されそうです。
DVなどはその典型です。


夫婦が同じ権力を持っていると、ことあるごとに喧嘩になり、うまくいきません。一般に芸能人カップルに離婚が多いのもこれが一因と思われます。
そこで聖書は、男女のどちらが偉いかということではなく、秩序として妻は夫に従うようにと教えているのです。
でも、これでは妻の方は面白くありません。男女平等じゃない、と言いたくなります。


それでは夫に対して聖書はなんと言っているかというと、
夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。
(エペソ人への手紙5:25)
キリストはどのようにして教会(キリストを信じる群)を愛されたか、というとご自分の生命をささげてくださったのです。ということは、聖書は夫に対して「命がけで妻を愛せよ」と言っているのです。
これが聖書の教える夫婦間の秩序です。
どうでしょうか。命懸けで夫に愛されていたら、妻は喜んで夫に従えるようになるのではありませんか。
まあ、女性的な夫と男性的な妻の場合は、立場が逆転してもいいのですが。


わかりやすい例えで言えば、通常交差点内ではどの車も信号に従って走ったり止まったりしています。みんな平等で、ルールに従っているのです。
しかし、パトカーや救急車、消防車などは緊急時には赤信号でも進むことができます。これは緊急車両が他の車よりも偉いからではなく、優先順位を設けて秩序を保つためです。このような秩序がないとあちらこちらで自己主張して譲らず、喧嘩になったり事故になったりします(「長生きするための秘訣」)。


同様に、神様は健全な夫婦の関係を願って、力関係ではなく、秩序を設けらました。
そして、その神様の定められた秩序に従うとき、夫婦関係はうまくいくのです。
私自身、このところから深く教えられ、反省しきりです。もちろん、私が暴君だとか、妻を力づくでねじ伏せようとしているというわけではありませんが。


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私の隣人とは

2013.07.14日

昨日の読売新聞「人生案内」より。
友人とは何か悩む
30歳を目前にした公務員男性です。「友人」とは何なのか、悩んでいます。
友人と呼べる存在はいますが、自分の側だけが友人だと思っているのではないかと考えてしまいます。「今度、いつ空いてる?」「飲みにでも行く?」と誘うのは、いつもいつも自分。自分が動かないと、会うことも遊ぶこともありません。自分ばかりが声をかけるむなしさを感じます。
大学を卒業する時に、友人と呼べる存在を作ろうとしなかったことに気づき、社会人になって積極的に動き、出会いを広げようとしました。「求めよ、さらば与えられん」と言いますが、「与えられた」と感じたことはほとんどありません。
自分は「つまらないやつ」と思われているのでしょうか。趣味もないので関係が広がらないのでしょうか。
花火大会や海水浴など自分には無縁です。そんな話を聞くと孤独感が強くなり、つらくなります。若いうちに親友や仲間という存在を感じられない自分は人生の負け組ですか。自分の今までの人生は何だったのでしょうか。(神奈川・T男)
    ◇
友だちを作るのを、いちどやめてみませんか?
あなたは友だちというのを、いっしょに飲む仲間、あるいは祭りや海水浴などでいっしょに遊ぶ人というようにイメージされているようですね。たしかに仕事の後で息抜きしたいとき、だれも横にいないのは寂しいものです。
ごはんも一人で食べるより、仲間と食べるほうがうんとおいしい。けれどもそれがおいしいのは、相手が自分にとって大切な人だからです。苦楽をともにしてきたという共通の思いがあるからです。
楽のみならず苦をともにしてきたというこのことが、たがいの信頼というものを築きます。地域社会の結束も、日々の暮らしを、伝統行事を手をたずさえて守ってきた、災害を、戦乱を力を合わせてくぐり抜けてきた、という体験をとおして育まれます。
遊びや飲み会に誘うよりも、相手が苦労している仕事に思いをはせる、もがいている相手に脇から手を差しだす、そんな小さな思いやりが後で大きな意味をもってきます。友だちというのは、「作る」ものでなく「なる」ものです。
  鷲田 清一(哲学者)

(7月13日付 読売新聞17面)


今日の礼拝の柿谷牧師のメッセージは、「誰が私の隣人か?」というタイトルでした。
聖書の中でもとても有名なルカの福音書10章、善きサマリヤ人のたとえ話からです。
ユダヤ人の律法学者が同じユダヤ人であるイエスに、永遠の生命を受けるために何をすべきかと問いかけたところ、イエスは逆に律法にはどうあるかと尋ね返します。
律法学者が、「神を愛し、隣人を愛する」と答えたところ、イエスは「正しい、その通りにしなさい。そうすればいのちが得られる」と答えます。
律法学者が「隣人とは誰のことですか」と尋ねると、イエスは次のたとえ話をします。
ある人がエルサレムからエリコに向かう道中で、強盗に襲われて身ぐるみはがされ、半殺しになって道端に捨てられていました。
祭司、そしてレビ人といったいわゆる聖職者はこの人を助けずに通り過ぎます。
しかしユダヤ人からとてもに嫌われていたサマリア人は、この大怪我をした人の手当てをし、自分の家畜に乗せて宿屋まで運び、介抱します。翌日、宿屋に怪我人の世話を頼んで費用まで出して出かけました。
このたとえ話をした後、律法学者に対してイエスが、このたとえ話の中で怪我人の隣人は誰かと尋ねたところ、「助けたサマリア人です」と彼は答えます。
するとイエスは、「あなたも行って同じようにしなさい」と言った、というストーリーです。


柿谷牧師は、メッセージのまとめとして、「隣人とは友人ではない。出会った人、神があなたの隣に置いてくださった人のことである。あなたの隣人は誰か。あなたはどのような隣人になりたいか。隣人に今週一週間何ができるか」と問いかけられました。


冒頭の「人生相談」の中で質問者のT男さんが、人から遊びや飲みに誘われるのを待っているけど誘われない。自分の方ばかり誘っているのはむなしい。「親友や仲間という存在を感じられない自分は人生の負け組ですか。自分の今までの人生は何だったのか」と言っています。


確かに、どのような友人も最初は隣人です。神があなたの隣に置いてくださった人です。
まずは神が自分の隣に置いてくださった隣人に対して何ができるかを考え、そしてそれを実行するところから、人間関係が友人へと発展していくのです。


私は自分の隣人とは誰か、考えました。
近所に住んでいる人たちだけが隣人ではありません。
神様が私の隣に置いてくださった人たち、たとえば、仕事の仲間であるアカデミーの先生たちや生徒、その生徒を送ってくださっているご父母の方々、これまで学校や職場などさまざまなところで出会ってきた人たち、さらにこのブログを通して、あるいはFacebookを通して知り合った方々、など挙げ出せば切りがありません。


礼拝後、妻と一緒に近くのショッピングモールに出かけましたが、そこでアカデミーの生徒とそのご家族ふた組に、さらに10年以上も前にうちで先生をしていた方でつい先日結婚されたばかりの素敵なカップルにも出会い、この人たちも私の隣人だと気づきました。


私が今週、これらの人たちにできることは何か。
ひとつはこのブログを通してメッセージを送ること。また、声をかけてあげること。耳を傾けてあげること。
さらに自分に何ができるか、毎日考えながら生活しようと思いを新たにしました。


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視点を変えると世界が変わる!

2013.07.11日

昨日Facebookを見ていたら次のような面白いものに出会いました。


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それで下のような日本語訳をつけてシェアさせていただきました。
「ロバの背にふたりも乗ってる。かわいそうに!」
「奥さんを歩かせるなんてなんてひどい人なの!」
「奥さんをひとりで乗せるなんてバカだね!」
「ロバの使い方も知らないなんてバカじゃない!」
とかく社会とはこういうもの。


いつもだと、私が面白いなと思ったものはほとんど小川先輩が訳してアップしてくださっているので、今回も一応チェックしたのですが、小川さんがまだやっていらっしゃらないようなので、自分で訳をつけて皆さんに見ていただきたいと思った次第です。
しかし、本当に私が言いたかったことは、上のことではなく、ちょうどその正反対のことです。


英語がわからないとして、このような翻訳がついていたらどうでしょう。
「ふたりも乗せてる。偉いロバだね!」
「ご主人思いの優しい奥さんだね!」
「奥さんのことを本当に大切にしているご主人、すごいね!」
「ロバをいたわって自分たちは歩いている。偉い人たちだね!」
社会とはこのようにあるべきもの。


同じ絵を見ても、視点を変えると世界がまったく正反対に見えます。
とかくこの世は、社会を、人々を批判的に見がちです。そして、裏でとやかく陰口をたたくものです。
でも、このような優しい心遣いをして、お互いにいたわり合うなら社会は変わります。
そして、あなたの人生も変わります。
あなたはどちらの生き方を選択しますか?


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夫婦の間のあいうえお その3

2013.06.10日

今日は、「夫婦の間のあいうえお」「夫婦の間のあいうえお その2」に続く第3弾で、「ま」〜「わ」です。


ま  まあまあ。
「まあまあ」はいろいろな場で使えるとても便利な表現です。相手が興奮しているときに「まあまあ」と言ってなだめ、落ち着かせる方法。完璧でなくてもそこそこ満足できるときに使う「まあまあ」。料理の出来や新しい服などについて尋ねられて、「なにこれは!?」と言う代わりに「まあまあ」とか「あと一歩かな」などと言えば、角が立ちません。
み  見て!
子どもが親に「見て!」よく言いますが、同様に夫婦の間でも「見て!」と言って、相手の関心を引きつけることは大切です。長年一緒に生活していると、お互いに空気のような存在になってきて相手に対する関心や意識も次第に薄れてきます。そこで、「見て!」と言って関心を引くのです。
む  無駄はない。
毎日の生活の中でいろいろな無駄は必ずあります。でもそのようなときに、敢えて「無駄はない」と言うのです。勉強になった、もう二度と同じ間違いは繰り返さない、など今後のレッスンになったわけですから。そこで、相手の失敗を責めずに「無駄はない」と言って慰めるのです。
め  目を見て。
お互いに目を見ないで会話をしている夫婦がとても多いように思われます。でも真のコミュニケーションの基本中の基本は相手の目を見て話すこと・聴くことです。ときには「目を見て」と口に出して言うことも必要です。
も  もうちょっと!
完璧ということなどはなかなかありません。そこで、ある程度のところで満足することも大切です。そういうときに「もうちょっと!」と言って、相手を励ますのです。それほど不愉快にも感じませんし、さらに上を目指して頑張ろうという向上心も生まれます。
や  やってあげる。
相手が大変そうだったら、「やってあげる」と言って手を貸してあげましょう。お皿洗い、掃除、草花の水やり、庭の手入れ、洗車、ゴミ出し、食後のテーブルの後片づけ、肩もみ・身体のマッサージ等など、身の回りでお互いに手伝えることはいくらでもあります。このような助け合いで愛情を行動に現すのです。
ゆ  夢みたい。
なにか嬉しいことがあったら、「夢みたい」と喜びを素直に言葉に表すと、相手も必ず嬉しく思います。
よ  喜んで!
あるレストランではなにかを注文するといつも大きな声で「喜んで!」というスタッフの声が戻ってきます。夫婦の間でもなにか頼まれたとき、いやいやではなく、気持ちよく「喜んで!」と声をかけてみましょう。
ら  ラブラブ!
新婚時代のラブラブの感情はだんだん薄れてきます。でも夫婦間でいつまでも仲良くやっていくためには、このラブラブをある程度意識して演出しなければなりません。そこでどちらかが敢えて、「ラブラブ」と言って意識を喚起するのもひとつの方法です。
り  理屈なし。
夫婦の間ですから利害関係なしに、損得勘定なしに、理屈なしに相手のために自分を捧げるのです。そのような親の姿を見て育つ子どもは知らず知らずのうちに同様の優しさを身につけていきます。
る  ルンルン!
最近あまり耳にしなくなりましたが、嬉しくて気持ちが高揚している「ルンルン!」状態を意識して演出しましょう。歳取ってもずっと仲良くやっていける秘訣です。
れ  連絡して。
一昔前よく言われた「ホウレンソウ」。「報告」「連絡」「相談」で、ビジネスの場面で実践されているものですが、夫婦の間でも同様に必要不可欠です。
ろ  労苦は共に。
どこの家庭にも、夫婦の間にもいろいろな労苦はつきものです。ひとりで負うと重くて担いきれませんがふたりだと重さは半分になります。相手が大変だなと感じたら、「労苦は共に」と声かけしてあげましょう。
わ  わぁーっ!
「わぁーっ!」は感動の言葉です。上の正反対で、喜びはふたりで分かち合うと倍になります。嬉しいことや驚くようなことがあったら、少々大げさに聞こえるぐらいに「わぁーっ!」と言って、喜び・感動をシェアしましょう。


このように、ちょっとした気遣いで夫婦関係はいくらでも良くしていくことができます。そして、夫婦関係がうまくいっているとお互いに幸せを感じますし、子どももうまく育てることができます。
実際のところ、仲のいい夫婦は若い、年寄りに関わらず、みんなこのような細かい心遣いを日常生活の中で実践しています。私たちも見習いたいものです。
逆に、昔の知り合いで夫婦間にコミュニケーションがまったくない方がいらっしゃいました(「コミュニケーション」)が、一緒にいて息が詰まるようでした。


以上で簡単ながら、「夫婦の間のあいうえお」を書いてきましたが、次回は「子育てのあいうえお」を扱おうと思っています。
皆さんの方でももしグッドアイデアなどがありましたらぜひお知らせください。


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夫婦の間のあいうえお その2

2013.06.09日

昨日書いた「夫婦の間のあいうえお」は大勢の方にご覧いただいたようで、結構評判のようでした。
こんなコメントをFBフレンドの方々からいただきました。
「☆日野原医師の標語から・・『 思うだけではいけませんね、実践(言い始める)こそが勝負です!』・・・ですよね。 一度、口にしたら‥二度目からは楽になるでしょう。。 (^-)v~ 」(MHさん)
「ネガティブは人をダメにしますが、ポジティブは人を建て上げます。
こんな言葉を心に留めて日々を歩んでいくなら、どんなにかすばらしいでしょう!」(MKさん)
「うっとおしい、え:えげつないにしたらよかったわ(笑)舟田先生、blogに登場させてもろて、光栄です」(FFさん)

皆さん、コメントをありがとうございました。
MHさんもおっしゃっているように、大切なのは実践です。私も書いた以上(?)、早速いくつか実践しています。


この続きはまた今度、と思っていたのですが、夕方散歩に出かけちょっと考えていたら、次から次へと思い浮かんできて最後の「わ」までできてしまったのですが、ちょっと長くなるので2回に分けます。
昨日は、「あ」〜「そ」でしたので、今日は続きの「た」〜「ほ」までです。


た  楽しい。
   夫婦仲良くなるためには日々楽しく過ごさなければなりません。同じことをしていても、「楽しい」と思っていると本当に楽しくなってきます。要は言葉に出して相手にその気持ちを伝えることです。
ち  ちょうどピッタリ!
   ヘアスタイルでも洋服でもアクセサリーやその他の持ち物でも、「あなたにちょうどピッタリ!とても似合っている」と言われると誰でも嬉しいものです。
つ  辛かった?
   毎日の生活の中で誰でも辛いことを経験します。そのようなとき、ちょっとひと言「辛かった?」と尋ねられるとそれだけで癒されます。
て  手をつないで。
   最近、ご年配の方々で手をつないで歩いていらっしゃる方をあちらこちらでよく見かけます。手をつなぐのは仲良しのしるし。どちらかが「手をつないで歩こっ!」て言い出すと、最初はちょっと恥ずかしくてもすぐに慣れ、新婚気分に戻れます。
と  とんでもない。
   「ありがとう」とお礼を言われたら、「とんでもない、そんなこと当たり前のこと」と恩に着せないようにしましょう。
な  なーに?
   相手が心のの中で何を考えているかはわからないものです。ひと言「なーに?」と言って会話の緒(いとぐち)を作りましょう。
に  ニッコリ笑顔で。
   毎日顔を合わせているとつい笑顔を忘れてしまいがちです。お互いに意識して「ニッコリ笑顔で」と口に出すと、それだけで自然と笑顔が生まれます。
ぬ  ぬくもり。
   夫婦間のぬくもりは大切です。スキンシップです。これも意識していないとついつい忘れてしまいがちですので、どちらかが「ぬくもり」と言うのを合図にするとか、あるいはそっと手を取る、肩に手を置く、など行動することが欠かせません。
ね  ねえねえ。
   「ねえねえ」は女性言葉で、概しておしゃべりな女性の方がよく使う言葉ですが、男性が使っても平気です。「ねえねえ」と言うと、何か新しい話題を持ち出すのが容易になります。
の  のんびり行こう。
   今は忙しい時代、ストレス社会です。昔の人が一生かかって経験したストレスを、私たち現代人は20歳までで全部体験するとも言われています。こういうときに大切なのは、焦らずのんびりいくことです。お互いにちょっと焦っているな、イラついているなと思ったら、「のんびり行こう」と声かけするといいのではないでしょうか。
は  話して。
   意思の疎通、会話こそがやはり心を通わせる一番の手段です。わかっているつもりでも案外わかっていないもの。そこで、何かちょっとでも気になることがあったら「話して」と声をかけましょう。
ひ  ひょっとしたら。
   思わぬこと、意外なことが日常起こるものです。そのようなとき、ちょっと気を利かせて「ひょっとしたら」という気遣いが嬉しいです。
ふ  夫婦水入らず。
   いつも子どもと一緒、友だちと一緒というのはだめです。夫婦水入らずの時間が必要です。
へ  へえー!
   相手の言ったことに対して、「へえー!」と思いっきり驚く。自分に関心を持ってもらっていると思うとき愛情が伝わります。
ほ  欲しい?
   相手が何かを欲しているとき、「欲しい?」と尋ねてあげるのです。方法はあとからいくらでも考えられます。相手のニーズを見逃さないことも大切な心遣いです。


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夫婦の間のあいうえお

2013.06.08日

先日、Facebook上でシェアされた
「一言変えるだけでもっと人に好かれる!
あかさたなはまやらわの法則」
を読んで、とても感心しました。


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そこで私も次の言葉を添えて、再シェアさせていただきました。
「どれもこれも素晴らしい肯定的、積極的な褒め言葉ですね。
このようなリストを子育て用、夫婦用、教師用などいろいろな場面のために作り、みんなが日々実践していけるといいですね。
私もちょっといろんなバージョンを考えてみます」
すると、FBフレンドのFFさんから
「あ、あかん。い、いけず。う、うるさい。・・ではない(笑)」
と懐かしい京都弁でコメントを返してくださいました。
これに対して私は
「Fさん。うまいですね。そういう反面教師的なものも必要ですね」
と答えました。


上のは主にビジネスの場で使われそうなものです。そして、このことがずっと頭にあり1週間過ごしましたが、いろいろな素晴らしい言葉が頭に浮かんでくるのですが、その場で書き留めないためすぐに忘れてしまい、頭に残っていません。
ということは、私自身、あまりそれを実践していないことの証拠だと言うことができるかもしれません。
そこで改めて、夫婦バージョンをちょっと考えてみました。
ところが、どういうことかいざ考えようとすると、Fさんじゃないですが、何とすぐに思いつくのは否定的な「反面教師」のものばかり。
「あっ、これはだめだ!」と発想を変えて真剣に考えてみました。
「あ」〜「わ」まで一気に考えるのは難しいので、少しずつシェアしていきたいと思います。
夫婦バージョンですが、夫の言葉と妻の言葉では少々異なるので、夫だったら「〜よ」「〜だね」、妻だったら「〜わ」とか「〜ね」などをつけ加えると、よりリアルに感じるのではないかと思います。一部、冒頭のFBのものと同じになりましたが、見ながら考えなかったので重なったものはお許しください。
それでは行きましょう。今日は「あ」〜「そ」まで。右に簡単なコメントをつけます。


あ  愛してる。         なかなか言葉にするのが難しい言葉。でも必要です。
い  いつもありがとう。     感謝の言葉は夫婦人間関係もスムーズにします。
う  嬉しい。           嬉しい気持ちを素直に言葉で表しましょう。
え  笑顔が素敵。       笑顔はお互いを励まし、癒します。
お  面白い。          相手のユーモアを素直に楽しみましょう。
か  感謝してる。        何をしても当たり前ではなく、感謝の気持ちを言葉にしましょう。
き  期待してる。        期待されると誰でも頑張るものです。
く  苦しみも一緒なら平気。 結婚生活にさまざま苦しみは不可避です。でもふたりで一緒にスクラム組んで。
け  結婚して良かった。    言葉でそう言っていると本当にそのような気持ちになってきます。
こ  コーチして。         お互いに教え合うことはたくさんあります。
さ  最高!            いろいろな場面で使える言葉で、相手は必ず嬉しく感じます。
し  幸せだ。          これも言葉にすることが大切です。
す  すごーい!        「 すごーい!」と褒められて気を悪くする人はいません。
せ  世界一!         相手を思いっきり褒めましょう。アメリカの夫婦は恥ずかしがらずにはしょっちゅう言っています。
そ  そのままでいい。    相手に変わることを求めないで、自分が変わりましょう。


こうして見ると、夫婦関係に限らず人間関係の基本は、相手に感謝すること、褒めること、相手を尊ぶこと、ありのまま受け入れること。どうも、これらに集約されそうです。
私も早速、毎日の生活の中で実践します。
次回、また続きを書きますね。


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愛するとは

2013.05.21日

「ラスベガス日本人教会」を牧会する、私の敬愛する鶴田牧師のブログからの転載です。
親子関係、子育てについて教えていますが、これは夫婦関係を始め、あなたが大切にするすべての人間関係にも通じることで、自分と特定の人との関係を頭に入れながらお読みくださるといいと思います。


今日は、“子供が一番欲しいもの”ということについて考えてみました。
ところで皆さんは、自分の小さな子供が何を一番欲しがっているかを考えたことはありますか?オモチャでしょうか?コンピューターゲームでしょうか?それとも美味しいチョコレート?


そうではありません。小さな子供は、お父さんとお母さんと一緒にいることを何よりも欲しているのです。彼らはお父さんとお母さんが傍に居てくれれば、愛されていることを確認し、安心感を覚え、自分が価値のある人間であることを信じるようになります。


ですから、親が子供を愛するということは、時間を使わないで子供が欲しい物を買い与えることではなく、何よりも時間という大切なものを犠牲にして子供と一緒に過ごすことであり、そこに親子が深い絆で結ばれ、同時に、その子供が肯定的な自己像を持つに至る大切な要因があるのです。
そして、その自己像が、いわゆる人生脚本として、その子の一生を支配し、大きく左右していくことを考えれば、子供と過ごす時間の大切さは、どれだけ強調してもし過ぎることはないのです。


ある日、5歳になる娘を持つ父親が、その日も仕事で疲れきって遅く家に帰ってきました。すると、彼の娘がドアのところで待っていたのです。父親は驚いて言いました。


父: まだ起きていたの?もう遅いから早く寝なさい。
娘: パパ。寝る前に聞きたいことがあるんだけど。
父: なんだい?
娘: パパは1時間にいくらお金をかせぐの?
父: そんな事、お前には関係ないことだよ。


仕事で疲れている父親はイライラして言いました。


父: どうして、そんなこと聞くんだ?
娘: どうしても知りたいだけなの。1時間にいくらなの?


女の子は嘆願しました。


父: あまり給料は良くないよ・・・20ドルくらいかな。ただし残業代は無しだ。
娘: わぁ。


女の子は言いました。


娘: ねえ。パパ。私に10ドル貸してくれない?
父: なんだって!


疲れていた父親は怒ってしまいました。


父: お前が何不自由なく暮らせるためにお父さんは働いているんだ。それなのにお金が欲しいだなんて。ダメだ!早く部屋に行って寝なさい!


女の子は、黙って自分の部屋に行きました。しばらくして父親は後悔し始め、少し厳しく叱り過ぎたかも知れない…。きっと娘はどうしても買わなくてはいけないものがあったのだろう…。それに今まで娘は一度も何かをねだったことなどなかった・・・。


父親は娘の部屋に行くとそっとドアを開けて、小さな声で言いました。


父: もう寝ちゃったかい?
娘: ううん。パパ!


娘は少し泣いているようでした。


父: 今日は長いこと働いていたし、ちょっとイライラしてたんだ・・・。ほら。お前の10ドルだよ。


娘はベットから飛び起きて顔を輝かせました。


娘: ありがとう。パパ!


そして、小さな手を枕の下に入れると数枚の硬貨を取り出しました。父親はちょっとびっくりして言いました。

父: おいおい。もういくらか持ってるじゃないか。
娘: だって足りなかったんだもん。でももう足りたよ。


娘はそう答えた。そして10ドル札と硬貨を父親に差しのべて、


娘: パパ!私20ドル持ってるの。これでパパの1時間を買えるよね?


今日の一言: 愛するとは時間を使うこと


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マイナス・アルファが生み出す違い

2013.04.14日

一昨日は「プラス・アルファ」について書きましたが、今日は「マイナス・アルファ」について書こうと思います。


昨日テレビを見ていたら、南伊豆のひなびた港町で美味しそうなさざえのつぼ焼きを食べているシーンが出てきて、私たちもぜひとも食べたいと思いました。
そこで、隣町の漁港でやっている漁業組合運営の食堂があることを思い出し、早速電話をして問い合せました。
「ちょっとお伺いします。店は朝11時半に開店するんですか?」
「そう、開店は11時半だけどもう人は並んでるよ」
「えっ、11時前から並んでるんですか?」
「そう」
「何時頃から並び始めるのですか?」
「だから、もう並んでるっ」
「さざえのつぼ焼きなんかもありますか?」
「ない。その日獲れた魚料理だけ」
「どこか近くでつぼ焼きやってるところとかないんですか?」
「どこもない。ここで食堂やってるのはうちだけ」
もう話しているのが嫌になりました。
電話を切って妻にそのやり取りを話すと、妻も不愉快になって、「もう行くのやめましょう」と言いました。
せっかく食べに行こうと思っていたのにもうがっかりです。
あとでネットで調べてみると、その食堂について「B級グルメ。もう二度と行かない」というブログ記事がありました。中を見てみると、店員の横柄な態度を始め、長い時間待たされ、出てくる料理は3種類だけで中身は質素でそれほど美味しくなく、その上値段が高いといいます。三拍子どころか四拍子も五拍子も悪いことが揃っています。


私はこれを「マイナス・アルファ」と呼びます。
まさに一昨日書いた「プラス・アルファが生み出す違い」の正反対です。
このようなやり方をしているところは、まず間違いなくつぶれてしまいます。


歯医者でタバコを吸っている人は、治療する手がタバコ臭くて、一度行くともう二度と行く気がしなくなります。このような歯医者にこれまで二人当たりました。そして、そのようなところは患者の数がどんどん減っています。
かつて多教場展開し、市内最大規模、地元トップ高校にダントツで大勢の合格者を出していた近所のA塾は、傲慢経営で生徒や父母をないがしろにし、しかも大手塾が2つ近くに入ってくると、優秀な生徒を全部取られてしまい、去年8月末に倒産してしまいました。
このほか、近隣でこれまでにつぶれた塾を始め、レストランや美容室、パン屋、酒屋、スーパー、デパート、不動産屋、工務店など、挙げれば切りがありませんが、やはりこの「マイナス・アルファ」がその原因になっています。


生徒を見ていても、入塾当時はあまり目立たない、それほどできない子が勉強の面白さに目覚め、頑張り始めてどんどん成績を上げ、2ランクも3ランクも上の志望校に合格するケースがあるかと思えば、逆に最初ものすごく頑張って、素晴らしい成績を上げていたのに、途中でやる気をなくして勉強しなくなり、受験で失敗してしまう子がいます。
それで、アカデミーでは全教室の壁に次のような張り紙をしています。


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これは以前Facebookで見かけてシェアしたものすが、0.01の小さな努力の積み重ねが大きな結果を生み、反対に0.01の油断や努力不足、さぼりが蓄積すると、やがて力がなくなる、という戒めです。
そして、このことは「プラス・アルファが生み出す違い」に書いたのと同様、すべての人間関係を始め、健康や仕事やありとあらゆる面においても当てはまります。


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プラス・アルファが生み出す違い

2013.04.12日

「プラス・アルファが違いを生み出す」とはどういうことでしょう。
これは、学生なら勉強で、社会人なら仕事で、クオリティ(上質)を生み出すということで、好ましい結果を伴います。
学生や社会人に限らず、父親・母親として、あるいは子どもとして、兄や姉として、弟・妹として、教師・生徒として、上司・部下として、先輩・後輩として等など様々な人間関係にも、また国家間などありとあらゆる関係においても当てはまります。
また人としての成長や健康増進などにも応用できます。


普通のことをしていたら、当然のことながら普通の結果しか生まれません。
さらに優れた「何か」を求めるなら、やはりどうしてもこの「プラス・アルファ」が必要になってきます。


ところがどういうわけか、このごく当たり前の事実に気づかない人や、関心のない人、分かっていてもそのための努力をしようとしない人などがあまりにも多いのです。
誰でもちょっと意識すれば、プラス・アルファの違いを生み出し、その恩恵にあずかることができるのに。
実際のところ、あらゆる分野でいわゆる「成功」している人や国、会社などは、例外なくこの「プラス・アルファ」を実行しています。


それでは、「プラス・アルファ」を実行するとは、具体的にはどういうことでしょう。
普通だったらやらない、あと一歩の努力、心がけです。
学生ならば、勉強や部活、仲間との人間関係などにおいて実行できます。
あと10分の努力、ひと声かける思いやり、夫婦間のお互いに気遣う優しさ、仲間と一緒に力を合わせて盛り上げようとする思い、セールスならもうひとつ商品を売ろうとする決意等、この「プラス・アルファ」はどのような場面でも活かすことができます。


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塾業界においては、これまでの私の経験では、一般的に無愛想なところが多かったです。
それが当たり前になっている節さえあります。
でも、アカデミーでは違います。
問い合わせのお客様が見えると、講師はみんな笑顔で応対し、お帰りになる時にはみんなが深くお辞儀して、明るい声で「ありがとうございました!」と言って玄関で見送ります。
生徒が塾に着くと、先生たちはみんな一人ひとりに「こんにちは!」「こんばんは!」、生徒が帰る時には「お疲れさま!」「さようなら!」「気をつけてね!」と声をかけます。
たったこれだけのことで、お客様もご父母の方々も生徒もみんな気持ちよくなります。
毎月の生徒の努力を成績表やカルテの形で表して、塾の様子を知らせる通信と一緒に保護者の方のもとにお送りします。
こういうところにも「プラス・アルファ」を表せます。
塾ですから生徒に力をつけられるようにしっかり教えるのは当たり前のことです。


ちょっとした心がけや気遣いで、あらゆる場面において「プラス・アルファ」を実践していくなら、必ずやその結果がついてきます。


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その離婚、ちょっと待った!

2013.04.03日

50代の主婦。介護福祉士として働き、3人の子どもは成人しています。結婚35年になる夫の相談です。
夫は仕事は真面目にしますが、子育ても家事も何一つ協力してくれませんでした。気に入らないことがあると、一言も口をきかずに舌打ちして、私の作った料理に手をつけません。一度機嫌を損ねると2週間くらい続きます。急に怒り出してどなり、手がつけられなくなることもあります。
12年前から夫婦生活もありません。放っておかれたことを思うと情けなくなります。先日、夫が知らない女性と遊びに行った写真を見つけました。話し合おうとしましたが、大声でどなり、殴ろうとしました。実際には殴りませんでしたが、怖くて何も言えません。
今まで言いたいことも我慢して、家庭を明るく、子どものためにと頑張ってきましたが、疲れました。別れたいと思いますが迷います。一歩が出せません。私は正社員ですので、生活はできます。(K子)


◇手紙を読みながらご主人のよいところを探してみました。が、たった10文字、「仕事は真面目にします」とあるだけ。あとはすべて悪いところばかりです。態度ががさつで、瞬間湯沸かし器のようにどなり散らす。家事は一切しない。料理に手をつけず、いったん機嫌を損ねると2週間は口をきかない。夫婦生活はなく、浮気の疑いがある。
あなたはふだん、介護福祉士として人のお世話をされているのですね。心身共にお疲れでしょう。それなのに、帰宅してもあなたをねぎらう人はいない。それどころか、心をかき乱されるばかり。あなたの安らぐ場所はどこにあるのでしょう。心の支えは誰なのでしょう。共白髪と申しますが、このままではあなただけが白髪になってしまいそう。
ただ、あなたはもうご自分で答えを出しておられますね。正社員なので、「生活はできます」。この最後の1行を読んで、背中を押させていただきます。
別れましょう――。あなたが自分の人生を生きられるなら。あなたが笑顔を取り戻せるなら。子どもたちが心配ですか。大丈夫。彼らは一番の理解者です。35年間、本当におつかれさまでした。

(3月31日付読売新聞21面 「人生案内」より)


このような人生相談をよく見かけます。
相談者は実際、本当に大変なのでしょうし、お気の毒に思います。
しかし私自身、カウンセリングを専門に学んでき、カウンセラーの仕事もしてきましたが、顔も合わせずに、また夫のことも何も知らず、紙面のわずかこれだけの相談で、人生を決めるほどの大きな決断をこんなに簡単に「別れましょう」とアドバイスしていいものなのか、とはたと考え込んでしまいました。


先日来、また何度もオーディオ版で聞いている『ザ・パワー』(「健康になるぞ!」)の中にこのような箇所があります。
「愛の力によって人間関係を回復した例を何百と知っていますが、壊れかかった結婚生活を立て直した一人の女性の例が際立っています。この女性は一度は夫に対する全ての愛を無くしました。彼女は夫の近くにいることに耐えられないほどでした。彼女の夫は毎日不平をこぼし、いつも病気でした。彼は欝になり、怒りっぽくなり、彼女と四人の子供達を怒鳴り散らし虐待しました。
彼女は愛を与えることでパワーを得られることを学び、難しい結婚生活の中で、もっと幸せを感じるようにしようと決心しました。すると、あっという間に、家庭の雰囲気が明るくなり、四人の子供達との関係が以前よりずっと良くなりました。次に彼女はアルバムを取り出し、新婚時代の夫の写真を見ました。その中から数枚の写真を選んで机の上に置き、毎日見るようにしたのです。すると驚くべきことが起こりました。新婚当初の夫に抱いていた愛を再び感じたのです。愛が戻って来たと感じると、彼女の心の中で夫への愛は劇的に深まっていき、これまでの人生で感じたことが無いほど、夫を深く愛するようになりました。彼女の愛がとても大きくなったので、夫の欝と怒りが消え、健康も取り戻し始めました。この女性は、夫からなるべく離れていたいという気持ちから一転して、なるべく永く一緒にいたいという夫婦関係に達したのでした」

(『ザ・パワー』 p.223)


私もこれまで、離婚まで秒読み段階という険悪な仲の夫婦がよりを戻し、今では仲睦まじく暮らしているというカップルを何組も見てきました。
「夫婦関係」「人間関係」という言葉が示すように、たいがいのケース、双方に問題があり、上の例のように一方が変わると相手も変わるということはよくあります。一方だけの話を聞いて、それで安易に離婚を勧めるのはちょっとどうかと思いました。


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オバマを大統領にした人

2013.03.29日

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ある夜、オバマ大統領とミシェル夫人は、いつもとはちょっと違うことをしようと思い、それほど高級でないレストランへごく普通の食事をしに出かけることにしました。二人が席に着くと、レストランのオーナーが大統領の護衛に、どうしてもミシェル夫人と個人的にお話がしたいと頼みました。
二人の会話が終わり、オバマ大統領は妻に尋ねました。
「オーナーはいったいなぜ君とそんなに話したがっていたの?」
ティーンエイジャーの頃、オーナーが彼女に夢中だったのだとミシェルは答えました。
するとオバマ大統領が言いました。
「じゃあ、もし君が彼と結婚していたなら、今ごろ君はこの素敵なレストランのオーナーになっていたんだね」
ミシェルは答えました。
「いいえ、もし彼と結婚していたなら、彼は今ごろ大統領になっていたわ」


信じられないことかもしれませんが、男性がどのような人物になるかというのはときに女性自身の手にかかっています。
だから、今自分の伴侶を探している未婚の男性の皆さん、あなたを「無名の人物」から「ひとかどの人物」にしてくれるような伴侶に出会えますように。
そして今これを読んでいる未婚の女性の皆さん、あなたなしではどんな男性にもできないようなその祝福の基にあなたがなれますように。

(Facebook "Relationship Lessons" さんの記事を翻訳)


私は上の記事を読んで思わず吹き出してしまいました。
でも、最後の部分のコメントを見て、なるほどその通りだと納得させられました。
オバマ大統領のことについてはこのブログでも何度か記事にしてきました(「オバマ大統領誕生!」ほか)。
「犯罪の影に女あり」などとよく世間では言いますが、本当は「偉人の影に女あり」です。
私などは名もなき小さな者ですが、それでも背後に妻の働きがあったことは紛れもない事実で、本当にいつも感謝しています。
偉大なる女性に拍手!


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緊急提言

2012.09.24日

昨日、多くの方からメールをいただき、読者の方にご心配をおかけしていると思い、メールマガジン登録してくださっている方々に下のようなメールをお送りしたのですが、今日もまた引き続き多くの方々からメールをいただいているので、やはり他のブログ読者の方にもお知らせした方がいいと思い、ペンを執った(?)次第です。これが昨日お送りしたメールです。


「しばらくブログをお休みします」と書いたところ、早速何人もの方からお気遣いのメールやお電話をいただき、本当に恐縮しています。
ご心配をおかけして申し訳ありません。
この夏のアメリカ旅行から戻って以来、家内の心遣いと息子や先生たちの協力も得て、仕事はほとんど外してもらって楽をさせていただいています。
娘も私のために野菜や魚を中心とした健康食を毎日料理して協力してくれていて、体組成計では、体脂肪や内臓脂肪、BMIの数値も大きく改善しています。
しかし、相変わらず疲れやすいのと吐き気に襲われることが頻繁にあります。
そこで、やはり一番大切なのは、頭の中を空っぽにして、のんびり過ごすことだろうと思い、そのためにはパソコンの前で過ごす時間を減らさなければならないという結論に達してブログの休刊を決意した次第です。
そして、今日は仕事が終わった夕方から、先日来何度か行っている平塚市内の日帰り温泉に家内と一緒に行ってボケっとしてきました。
行く前は緊張していて呼吸が浅かったのですが、出てきたら心身ともにすっかりリラックスしてとても気持ちよくなっていました。
これまでずっと働き詰めだったので、これからはできる限りこういうゆとりの時間を作ろうと思っています。
この夏、訪問させていただいたラスベガス教会の敬愛する鶴田牧師からは、教会をあげてみんなでお祈りする、という温かいお言葉をいただき、元気百倍、勇気千倍です。
皆様に心から感謝しつつ。
舟田 譲二


これは余談ですが、一昨日のブログ休止お知らせの記事はあっと言う間に、塾教育部門だけでなく、5600サイトを超える教育部門でも注目記事で1位になり、ブログ休止した方がいいのかななどと思ったりしました(笑)。


さて、妻から頭脳を酷使し過ぎだから頭をもっと休ませて、体を使った方がいいと言われ、私も本当にそのとおりだと思いました。
折しも、妻が2週間あまり前から膝を痛め、整形外科で診てもらったところ、軟骨がすり減って水が溜まっているという例のやつで、私も体を動かしながら妻の助けになるので一石二鳥だと、教室掃除を先週からやって、気持ちのいい汗をかいています。これも私のリハビリの一環です。


今朝、掃除していてふと思ったことがあり、ブログ休止中ですが、どうしても緊急提言したいと思いました。


今、平塚市内の、各中学校では前期期末試験の時期で、昨日まで連日、試験対策の授業や補習で大勢の生徒が来ていました。今週の試験で今日も補習に大勢来ているのですが、どうしても生徒に伝えたいことがあるのです。


教室掃除をして気づいたのは、机の上も床もあまりにも消しゴムのカスが多いということです。
塾だから当たり前のことと思われるかもしれませんが、私はいつも生徒にできる限り消しゴムを使わないよう指導しているのです。


小さい頃から、親や学校の先生たちから教えられているのか、みんな書き間違えるとすぐに消しゴムを使ってきれいに消して書き直します。
答えだけでなく、漢字や計算の途中式などもすぐに消します。
中には、テストで自信がない時、イともエとも読めるよう消しゴムでうまく消して薄くし、どちらかが当たればいいというような猿知恵を働かすような子もいますが、これは絶対にだめです。


テストでない限り、答えにせよ、あるいは漢字や途中式にせよ、間違いを残しておいて、赤で直し、自分の間違いの記録をとっておいて、あとで見直す時に間違いから学ぶことはとても大切です。英語の3単現のsのつけ忘れなど、自分の間違えるパターンに気づかなければなりません。
間違った答えや文字を消してしまうのは本当にもったいないことです。


このことを試験勉強をしている生徒に言おうと思った時にふとひらめいたのです。
これは私たちの人生そのものにも通じることだと。
私たちはどうかすると、消してしまった方がいいような心の傷をいつまでも消さずに大事にとっておいて、事あるごとにその傷を見て、なめて、また痛むというようなことをしばしばしています。
逆に、失敗から学ぶべきことで、消してはいけない記憶を消してしまい、同じ失敗を繰り返します。
これは人間関係すべてに当てはまることです。


最近の中国や韓国との領土問題もそうで、これまで長年にわたってお互いに助け合ってきた、消してはいけない良い思い出を容易に消してしまっています。
そして、消し去るべき過去の傷という嫌な思い出に囚われて、いつまでもそこに戻って痛みを味わい、相手を責めるということをやっているように見えますが、これは本当に愚かなことです。将来に向けてまったく発展性がないばかりか、逆に一発触発の戦争の大きな危険性を孕んでいて、不幸を繰り返すのみならず、かえってこれまで以上に大きな傷跡を残すことにもなりかねません。
また、中国が主張している棚上げ論は、「イともエとも読めるよう消しゴムでうまく消して薄くしている」のと同じで、問題の先送りに過ぎず、後世につけを回すだけです。ちょうど、今がそれであるように。


このような問題は、まずは当事国が膝を交えて話し合わなければならないのは当然のことですが、それができなければやはり国際司法裁判所という第三者に仲裁してもらうのが一番です(「日中韓ロの領土問題解決策」)。


多くの人が提案している、アメリカなどの第三国に入ってもらうことはかえって問題を大きくする危険性があり、得策ではありません。アメリカが加わり、これに韓国や北朝鮮やロシアが参戦し、などとなるとそれこそ第3次世界大戦にもなりかねません。
だから、アメリカに限らず当事国以外はどの国も関わり合いたくないのです。
解決のお手伝いは利害関係のない第三者に当たってもらうのが一番です。


教室掃除をしていてふと思ったことでした。
このような記事が書けるほどですから大した病気ではありませんので、ご安心ください。
ブログ休止の決意をたった一日で破ってしまいましたが、これからしばらくは不定期で休みますのでよろしく。


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工事中  ご迷惑をおかけします。

2012.08.13日

昔、小学4年生のころ、父が運転する車で夜中に国道を走っていたところ、急にふわっと宙を飛んだかと思った次の瞬間、ドッシーン!と大きな穴ぼこの中に落ちました。
私は後ろの座席から前の座席まで吹っ飛び、家族みんなが車のダッシュボードや窓などに頭や顔をぶっつけました。当時の車にはシートベルトなど付いていませんでした。
幸い深い穴ではなく、誰も大きな怪我はありませんでした。
昭和30年代半ば、日本はまだモータリゼーションの時代に入る前で車の数は少なく、国道が工事中で途中で途切れていることなどざらでした。
今だったら、数百メートルあるいは数キロ先から「この先◯m工事中」の電気のついたサインがあり、工事現場にはたとえ夜中でも必ずガードマンがついていますが、当時はそのようなものはありませんでした。


今日、運転中に見かけた工事中の看板でこの時の思い出がよみがえってきました。



「工事中   ご迷惑お掛けしております。ご協力をお願い致します」
ヘルメットをかぶった作業員がぺこりと頭を下げています。


これを見て教えられました。
「そうか。私たち人間はみんな不完全、未完成で、いわば工事中のようなもの。
だから、みんなに迷惑をかけている。
ご協力、ご理解をお願いいたします、と頭を下げなければならない」と。


私たちは、とかく自分の主義・主張・正統性を人に訴えますが、なかなか相手の言うことに耳を傾けようとしません。
今、再び熱い注目を集めている日本と韓国の間の竹島の領有問題もそうです。
日中間の尖閣諸島問題しかり、日露間の北方領土問題しかり。


もっとごく身近なところで、親子間、夫婦間、兄弟間、親戚間、友人間、近所間など、ありとあらゆるところに、それぞれの主義・主張があります。
お互いにそれぞれの言い分があります。


でも、よく考えてみれば、みんな不完全な人間の言うこと、すること。お互いに思い違い、行き違いがあって当然のことです。


自分の義ばかり主張して譲らないと、そこには必ず摩擦が生じ、時には修復不可能な亀裂が生じることもあります。
国家間だと戦争になり、夫婦間だと離婚、友人間だと絶交となります。
そしてその結果、傷つくのは誰か?双方ともに傷つきます。喧嘩して傷つかないものはありません。


このような時、お互いに頭を下げて、「私は現在工事中です。ご迷惑をおかけします。申し訳ありません。ご協力・ご理解ください」と言って歩み寄るなら、ここから解決の糸口が見つかるものです。


何か問題に直面した時、相手の欠点ばかりが目に付く時、自分自身も「工事中」であることを認識するなら、問題は半分解決したようなものです。


「 お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい」 (聖書)


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天からの助け

2012.08.09日

昨日、家を出ようとしたらうちの駐車場のところにアブラゼミが一匹腹を上に向けて死んでいました。
この時期になると、よく見かける光景です。
このままだときっと誰かが知らずに踏んづけるか、あるいは車が踏みつぶしてしまうだろうと思い、足でそっと道路脇のところに押しやろうとしたら、なんと突然「ジジジー」と鳴きながら飛んで行きました。
死んでいるものとばかり思っていたのでびっくりしました。
(踏みつぶさなくて良かった!)


この時、ふと思いました。
私たち人間も、弱り果てて野たれ死にしそうになって倒れていることがよくあります。
もちろん、文字通り実際に道端に倒れているというわけではなく、精神的にです。


このような時、誰かがちょっと温かい声をかけてくれたり、肩に手を置いてくれたりするだけで生き返ったりするものです。ちょうど私自身が中1の時、いじめに遭って死にたいと思っていた時に隣の席の子が「気にしなくていいよ」と声をかけてくれたのと同様です(「心が痛むいじめの問題」)。
私にとって彼のひと言はまさに天からの助けでした。


誰も相談する人がなく、途方にくれている人もいます。
あなたのすぐそばにもいるかもしれません。
死ぬほど悩み、苦しんでいる人が。


「大丈夫だよ」
「困っていることがあったらなんでも言って」
「何か私にできることある?」
「私は◯◯が好きなんだけど、あなたは?」
ちょっとしたことでいいのです。
これがひとりの人の命を救うことになるかもしれません。
躊躇しなくていいのです。


そして、もしあなた自身が困っている立場にあったなら、覚えておいてください。あなたは決してひとりぼっちじゃありません。
冒頭のアブラゼミのように、誰か通りすがりの人が触れてくれるかもしれません。
たったそれだけのことでも、力になることがあります。
決してあきらめてはいけません。
天からの助けは必ずきます。


「わたしたちは途方にくれても行き詰ることはありません」(聖書)


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自分のことは見えないもの

2012.08.07日

うちで飼っているラブラドールのラブは庭で放し飼いにしています。
この連日の暑さにバテ気味で、涼を求めて日陰から日陰へと移動します。
その中でもお気に入りの場所は玄関のポーチです。家の裏の方はもっと日陰がたくさんあるし、しかも風通りもよくてもっと涼しいのですが、なぜかポーチにいることが多いです。
ちょうどこんな感じです。
love9.JPG
でも伸びてしまって寝ていることが多いです。
ですから、家族の者が玄関のドアを開けて出入りするたびにラブが邪魔になります(ラブにしてみれば、私たちが邪魔なのでしょうが)
"Hey, Love! Move over! You're on my way. Hey, get up!"
(ラブ、そっちへ行きなさい。邪魔だよ。さあ、起きて!)
私はラブにはいつも英語で話しかけます。
日本語で話そうが英語で話そうが、どっちみち理解できなくて、何となく雰囲気で言われていることがわかるだけだからです。


ラブがいつも玄関で寝ているのは、やはり家族の顔を見たいからなのでしょう。
裏でひとりで(一匹で?)寝ているのは寂しいのではないでしょうか。犬ですらそうなのですから、人間はなおさらのことです。


さて、ラブがポーチに寝ているのは一向に構わないのですが、ただ一つ問題があります。
ドアを開けるときに邪魔になるというような程度のものではありません。
「臭い」です。
最近はラブラドールやゴールデンのような大型犬でも家の中で飼うところが多いようですが、うちなど毎日朝から晩まで仕事で、ラブの世話まで手が回りません。ましてや、家の中で飼うとなると最低でも週に1回はシャンプーしなければならないでしょうし、外でブラッシングをして毛を落とさないと、家の中は毛だらけになってしまいます。


それで家の外の庭で放し飼いにしているのですが、そうしょっちゅうシャンプーができるわけではないので、臭うのです。動物特有の「あの臭い」です。動物園のような。
私の毎朝の日課は、花壇の草花に水をやることと、ラブのうんちを掃除すること、そしておしっこをしたところをホースで水をかけながらデッキブラシでゴシゴシとやることですが、それでも臭います。
ラブ自身の体臭もなかなかのものです。たとえシャンプーしても、しばらくするとまたすぐに臭います。
娘が時々、家の風呂場でシャンプーするのですが、玄関から風呂場まで新聞紙で床や壁を防護して、そしてシャンプーしたあとの風呂場の掃除も大変です。
私も以前はよくやっていたのですが、今はやると必ずあとで腰痛になるので、最近は娘に任せています。


ちなみに、犬の嗅覚は人間の100万倍だとか1億倍だとかよく言われます。
私などは嗅覚はそれほど強い方ではありませんが、ラブの臭いには敏感な方です。
不思議なのは、私の嗅覚の何百万倍も強い嗅覚を持っているラブが、自分の臭いにはとても鈍感だということです。


いやいや、これは犬に限ったことではありません。
私たちも、「人のことはよく見えるが、自分のことは見えない」とよく言いますが、本当にその通りで、自分ではわかっているつもりでいますが、案外自分のことがわかっていない。
それでいて、誰それはああだ、こうだ、と人のことをよく云々します。


他人のことで何か言いたくなったら、「おっと、バックアップ、バックアップ!自分はどうなのだ?」と、自省する必要があります。
というのは、人も私たちのことを見て、同じように思っているからです。
完璧な人間などいません。ならば、お互いにありのまま受け入れるのが一番で、これが良い人間関係を築く第一歩です。
ペットと仲良くするのと同じです。


でも、明日辺りラブをシャンプーすることにします。もう私の嗅覚の限界を超えそうです。


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ディズニーランドなう(続き)

2012.06.23日

バズライトイヤーが終わり、妻は「あれだけ待たされて、たったあれだけのこと?」。
そう、ディズニーランドのアトラクションはみんなこんなもんです。


ディズニーランドは、家族や友達、カップルで来るから楽しいもの。
私など、今年は食事療法をしているので、いつも食べるピザやハンバーガー、ポップコーンやアイスクリームなど、好物が一つも食べられません。
妻が隣でコーラと一緒にピザをおいしそうに食べながら、「ひと口食べる?」。
いいえ、私は意思が固いのです。
一度誘惑に負けると、あとはズルズルといってしまいそうなので、断りました。
私のお昼は、来る途中セブンイレブンで買ってきたお茶とおにぎりだけでした。


正直なところ、これまで皆勤で毎年来たM君じゃないですが、私たちもぼちぼちディズニーランド遠足は卒業かな、と。
妻はもう疲れ果てて、レストランのテーブルで身体を大きく左に傾けて倒れそうになりながら爆睡中。


私は、転んだら石ころ一つでも拾って立ち上がる方なので、今日もここディズニーランドで学ぶことを探して、大きく目を見開いています。


ディズニーで学ぶことと言えばやっぱりこれですね。
「サービス精神」と「夢はかなう」というメッセージ。


お客様一人ひとりの笑顔のために、1日2万人以上働いているという全従業員(そのほとんどはアルバイト)のこぼれるような笑顔です。
チケットブースに始まり、どこのアトラクションでも、パレードでも、また通りやトイレを掃除している人も、レストランや売店など、いつでもどこでも、小さな子どもであろうがシニアであろうが、誰に対しても笑顔で丁寧な言葉遣いで客に接しています。
これは実にすごいこと。
これは、どの業界においても学ぶべきことです。
そして、これを私たちがみんな日常の生活の中で実践するなら、世の中、本当に平和になるでしょう。
しかも、決してできないことではありません。
せっかく学んだことを実践しなければ実にもったいないことです。


かつてディズニー・ワールドがフロリダに誕生した時、ウォルト・ディズニーのお兄さんにある人がお祝いの言葉を贈って言ったそうです。
「ウォルトがこのディズニーワールドを見ることができなくて残念でしたね」
すると兄が答えました。
「弟がディズニー・ワールドを見なかったですって?とんでもない。弟が夢の中で見ていたから、今日このようにディズニー・ワールドが誕生したのですよ」


私も信じます。
「夢は必ずかなう」と。


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バカの大足

2012.05.28日

中学生の時の保健体育の先生は怖いけどとても面白かったS先生。
中学3年の時、男女分かれての保健の時間に性教育がありました。
S先生が黒板に女性の体の絵を描いて生殖の仕組みについて教えてくれました。
ユーモアあふれる授業で、教室はずっと大爆笑の連続。
授業が終わり、女子が教室に戻ってくる前にS先生は黒板に書いてあった女性の体の絵にちょっと手を加えました。
上部と下部を消して横の線で結び、真ん中の部分がくびれた壺のようなオブジェにして、上の口から縦に何本もの線を引き、その先に花をつけて、はい、花がいっぱい詰まった花瓶の絵の出来上がり。
またしても、みんな大笑い。


ある時、S先生が保健の授業の中で言いました。
「バカの大足」
これはよく使われる表現ですが、その後に続いて
「間抜けの小足、中途半端のろくでなし」。
ここでまた大爆笑。
いつもこんな調子でした。


昨日、ふとこの授業風景がよみがえってきたのは、中2のみずきちゃんとバスの中で話していた時のことです。
みずきちゃんが「バカの大足」というわけではありませんが、以前塾に来ていた今は高3のお姉ちゃんのありさちゃんと姉妹そろって背がとても高いのです。
以前、姉妹の名前の由来を尋ねたところ、ご両親が女優の観月ありさのファンだったそうで、初めの女の子が生まれた時「ありさ」と名付けたところ、二人目も女の子だったので「みずき」(実際にはそれぞれ漢字が使われています)と名付けたそうです。それで姉妹そろって「みずきありさ」。
なるほど、とても上手い名付け方です。


080117mizuki01.jpg


ところで、観月ありさは身長169センチでとても大柄な女優ですが、実はありさちゃんはさらに高くて171センチ、みずきちゃんも166センチで中2としてはかなり高く、今もまだ伸び続けています。
ご両親ともにやはり背が高いそうですが、「みずき」「ありさ」二人ともテニスをしていて、遺伝プラス運動でますます身長が伸びるのです。
昨夜、みずきちゃんに尋ねました。
「背が高くて便利なこととか不便なことってある?」
「便利なことはあまり感じたことありません。でも、洋服や靴を買う時、自分の気に入ったものがあってもサイズがなかったりすることがよくあって不便を感じます。あと、目立つことと周りの男子がみんな小さくて、それがいやかな」
ハイルーフで室内高164センチの送迎バス、ほかの生徒たちはみんな大丈夫なのに、みずきちゃんは頭がつかえ、腰をかがめて乗り降りします。


背の低い人は高い人を羨ましく思ったりするものですが、実際にはそんなのはどうでもいいこと。
大足、小足、中足にバカも間抜けもろくでなしもありません。
背の高い女の子も、背の低い男の子も、みんなそれぞれの個性で、いい悪いなどありません。
みんな、それぞれの個性をお互いに認め合い、受け入れ合う。
これが人間関係をもっと気持ち良いものにし、ひいては人種や国家や文化や宗教を始めとするさまざまな差別や戦争などの解決の糸口になると私は信じています。
教育はただ勉強だけ教えて、試験のために暗記させ、志望校に合格させて、いいところに就職させることが目的ではありません。
もっと人間として基本的なことをしっかり教える必要があります。


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人は変えられない

2012.04.02日

私のブログを読んでくださっている方は既におわかりでしょうが、私はユーモアのセンスはある(と自分では思っている)し、融通もけっこう利く人間ですが、一般の人と比べるとちょっと真面目すぎるきらいがあります。
そこへもってきて几帳面、正義感が強いときます(「ローマは一日にして成らず」)。
ですから記事も自然とそのようなものが多くなります。
たとえば、「譲り合いの精神」などにもそれが現れていますが、他人の運転マナーが悪いことや、「きれいな街づくり」にあるように、平気でゴミや空き缶、タバコの吸い殻、ガムなどを道路に捨てる人を見ると、心を痛めたり、時には腹が立ったりします。
また、平気で嘘をつく人や、誠実でない企業や政治家、国家などにも腹立ちを覚えます。


こういうのが私にとってけっこうストレスになります。
ですから、バス送迎の運転自体は好きなのですが、ほとんど必ずと言っていいほど運転マナーの悪い人に遭遇するので、これがストレスの原因になるのです。
つい先日、そのことを妻に話したところこのように言われました。
「人は変えられないわよ。
人のことでストレスを感じていたら損じゃない。あなたがいつも言う選択理論(「強制と自由」)で、自分の気持ちを選択しないと...」
まさに名言です。
一本やられた、という感じです。


上の「強制と自由」の中にも書きましたが、私はボスマネージメントが嫌いで、生活のいろいろな場面でできる限りリードマネージメントを心がけています。
すなわち、大声で怒鳴ったり、怒ったり、脅したりして人を自分の思い通りに動かそうとするのではなく、良いお手本を示して、相手に習ってもらいたい、ついてきてもらいたい、と思うわけです。
これには根気が要ります。すぐに目に見えるような効果は出ません。がっかりさせられることの方が多いかもしれません。
その点、ボスマネージメントだとすぐに目先の効果は出るでしょう。でもこれは本心からではないので、長くは続きません。
つまり「急がば回れ」なのです。


譲り合う電車の座席や車の運転マナー、落ちているゴミを拾うことなど、良いお手本をコツコツと重ねていき、たとえ目に見えないほど遅々とした歩みであっても、少しずつ前進し続けるなら、それはやがて自分の身の回りの人を変え、さらには社会を変えていくことになる、と考える理想主義者なのです(ああ、やっぱりまじめ人間だ!)。
「人は無理やり変えられません」。しかし、人は自分の自由意思で変わることができます。
ちょうど私自身がそうだったように。


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講師会

2012.03.24日

今日は午後3時から6時まで新年度第1回目の講師会でした。
13名全員揃うとなかなか迫力あります。
新任講師も加わったので、一人ひとり「印象に残る」自己紹介から始めました。
本当に印象に残る自己紹介がいくつもあり、各講師のユニークさをとても頼もしく思いました。


続いてK先生による歴史の模範授業。模擬授業ではありません。
3週間前、各クラスを見学して回り、今日の講師会での模範授業の講師としてK先生に白羽の矢が立ちました。
授業の初めから最後まで一分(いちぶ)の隙もないほど、緻密に計算されていて、私は唸りました。
授業後、K先生に模範授業のお願いをしたところ、「ありがとうございます。精一杯頑張ります」との返事。


そして今日、先日の授業の一部を再現していただき、時間配分や授業の流れなどをみんなに解説してもらいました。
最初の5分間の前週の確認小テスト、復習を兼ねての解説、採点や間違いの訂正の仕方に始まり、前週学んだ出来事が今週の新しい単元にどのようにつながっていくか、なぜそのようになったか、またそれがさらにどのような新しい展開につながるかなど、実に見事なプレゼンテーションでした。
講師を生徒と見立てての授業は、時に大きな笑いが起き、終始和やかなムードの中で進められました。みんな、とてもいい勉強になったと思います。
K先生、ありがとうございました。


それに続き、一昨日のブログに書いた「強制と自由」の記事の内容に言及して、昨年の反省、今年度の課題と目標をみんなで共有できるよう話しました。
とくに、私が強調したのは記事中の「ボスマネージメント」と「リードマネージメント」の違い。
アカデミー学院の特徴である「リードマネージメント」を、さらにどのようにして推し進めクオリティ・スクールを目指すかを具体的な例も挙げてシェアしました。


ちょうど昨日、50年以上に及ぶ小学校時代の友人であるW君からこのテーマについてメールでコメントをいただきました。
「強制と自由は興味深かったです。以前からモヤモヤしていた話題でした。
人に何かやってもらう時、とても役に立ちます。
1〜7まで対比してプリントアウトして壁に貼っておこうと思っています。
ありがとう」


私はこれこそが教育を変えると信じています。
致命的な悪習慣           気配りの良習慣
1. 批判する             1. 傾聴する
2. 責める               2. 支援する
3. 罰する               3. 励ます
4. 脅す                4. 尊敬する
5. 文句を言う            5. 信頼する
6. 小言を言う            6. 受容する
7. 褒美で釣る            7. 相違点を乗り越える


教育の世界だけではありません。親子関係、夫婦関係、上司・部下の関係など、すべての人間関係において上の「致命的な悪習慣」を「気配りの良習慣」に変えるなら、私たちの人生は180度変わります。
そして社会が変わります。


信頼関係に根差した真の教育を目指して、みんな心を一つにして頑張っていこうと言って、今日の講師会を閉じました。
とても実り多い、満足いく講師会でした。


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四つ葉のクローバー

2012.01.24日

昨日の読売新聞夕刊14面に面白い記事が載っていました。


「しあわせの小箱
ふとしたことがきっかけで習慣になることがある。秋田市でタクシーを運転している今井泉さん(65)にとって、それは8年前に始めた四つ葉のクローバー探しだ。
客待ちのタクシーが列を作っている病院。運転手仲間と立ち話をしていたら芝生が目に入った。
『暇だから四つ葉でも見つけようか』とみんなで探したが、見つけたのは今井さんだけ。『いいことあるかな』なんて思い、手帳に挟んだ。
その夜。浮かない顔の女性を乗せた。『彼氏とうまくいかなくて』と沈んだ声だ。手帳から四つ葉を取り出し、手渡した。『より、戻せるかな』。ミラーに映る女性が笑顔になった。
それ以来、空き地や公園、河川敷へ。それまで気づかなかったけれど、意識して見てみればあちこちに生えている。だけど四つ葉はなかなか見つからない。それでも半年間で200本見つけた。
2008年のクリスマス。乗客の女性にいつものように四つ葉を手渡した。半年後、女性から手紙が届いた。クリスマスの翌日に交際を申し込まれた男性と結婚したそうだ。『神様の代わりに幸せを届けてくれたことに感謝しています』
神様なんて大げさだけど、四つ葉のクローバーには確かに、人を幸せにする力があると思っている」


とても心温まる話です。
この記事に登場する今井さんは、「神様なんて大げさだけど、四つ葉のクローバーには確かに、人を幸せにする力がある」と思っていらっしゃるようですが、これは真実ではありません。
本当は、四つ葉のクローバーではなく、今井さんの心遣い、愛情です。
私も子どもの頃、四つ葉のクローバー探しをしたことがありますが、そうそう簡単に見つかるものではありません。というか、一つ見つけるのが本当に大変でした。
今井さんは四つ葉のクローバー探しに相当な時間と労力を費やしていらっしゃいます。
そして、乗客に対するこのような愛情、思いやりの心を今井さんのうちに芽生えさせてくださったのは、実はほかでもない神様ご自身です。


聖書の有名な言葉。
「神は愛である。
神がこのようにわたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互いに愛し合うべきである」
(ヨハネの第一の手紙4:8,11)


と、ここまで書いて今日の夕刊を見たら、上のストーリーの続きが載っていました。
今井さんは、四つ葉の生える株を自宅のプランターに移植して四つ葉が多く発生する株を作り始め、今や、自宅の表と裏の庭に10個の花壇が並んでいるそうです。
四つ葉だけでなく、五つ葉、六つ葉…、最高九つ葉まで作ったとのこと。
そして、その日が結婚式というお客さんを偶然乗せた時はとっておきの七つ葉をプレゼントするそうです。


今井さんのような人がもっともっと増えたら世界は平和になることでしょうね。
周りの人々に小さな幸せを届けていらっしゃる今井さんに幸あれと思わず祈りました。


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癖を見抜く

2012.01.09日

へたな字には癖があります。
線の長さや間隔、角度などのバランスが取れていなかったり、はらうところやはねるところ、とめるところをきちんと守っていなかったりするとへたな字になります。
それでは、うまい字を書くにはどうしたらいいかと言うと、うまい字の癖を見抜き、それを真似て自分のものにすればよいのです。


同様に、どんなスポーツにも正しいやり方というものがあります。これを身につけるのには、うまい人やチームを見て真似、一に練習、二に練習、三にも四にも練習です。


また、対戦する相手にも癖があります。これを見抜くと戦術が立てられ、より効率的に戦うことができます。


受験生の場合だと、公立高校や国公立大学の試験問題に癖があり、私立の場合は各学校ごとにやはり癖があります。
その癖を見抜くと、受験勉強はうんとやりやすくなります。


英検など、過去問をたくさんやっていたらほとんど誰でも合格します。
でも、英検1級に合格しているからと言って、TOEFLやTOEICで高得点できるかと言えばそうでもありません。
問題の癖が全然違うからです。
しかし、どのテストを受けても高得点できる人は、本物の実力があります。


人間関係においてもこの癖を活かすことができます。
人それぞれみんな癖があるので、その癖を見抜いて一人ひとりに合わせた賢い接し方を身につければ、人間関係の天才になることだってできます。
夫婦関係、親子・兄弟関係、職場の人間関係などにもこれを適用できます。


ビジネスにおいても、時代や場所、文化に合わせた人々の癖(ニーズ)を見抜き、そこにうまく入っていく人は成功します。


このように考えると、癖を見抜き、それにうまく対処することは、ある意味賢い処世術とも言えます。


そして最後に、自分自身の癖を見抜くこと。
そうすればもう鬼に金棒です。


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「ダメだ!」という言葉が人をダメにする

2011.12.21日

12月14日付 読売新聞 「教育ルネサンス 成長信じれば変わる」は、教師の目を開く記事でした。
以下はその要約です。


「早稲田大学の国際教養学部、カワン・スタント教授(60)は中国系インドネシア人。
貧しい境遇から日本で奨学金を得て、26歳で大学に進学。数々の苦難を乗り越え、日本の4大学で工学、医学など四つの博士号を得た経験が、『人生は挑戦の連続』という信念を生んだ。


早大に移籍する前、ある私立大学で教えていた。
『8割の学生は授業が理解できない』と切り捨てる教授陣。
学生の無気力、無感動は成長を期待されないためではないかとスタント教授は考え、『やればできる』と学生を奮い立たせた。
この結果、研究室では特許が認められるような研究も生まれ、『スタント効果』と呼ばれた。
『私は、一人も見捨てない』
とスタント教授は言う。


早大大学院で学ぶ中国人留学生の蘇霞さん(42)は、スタント教授と学外の講演会で出会い、『人が変わる秘密を探りたい』と今年5月から講義のアシスタントを願い出た。
退学寸前だったり、大学に居場所がなく失望していた学生が、目標に向けて行動し始める姿を目の当たりにした。


スタント教授は、大学教員の心得として以下の5つを挙げている。
1. クラスに合わせて戦略的な授業を
2. 無自覚、不用意な指導を避ける
3. 学生の可能性を心から信じる
4. 学生の意見に敏感、柔軟に
5. 個々人に目配りし、まとまりあるクラスに」


今の日本の教育を見ていて、まさにこれらが欠けていると思います。
上の5つのポイントは、大学だけでなく、小中高、塾、企業など、どのような組織にも当てはまります。


教師があまりにも安易に吐く「ダメだ!」という言葉が、生徒をダメにしています。
そして、親が言う「ダメだ!」という言葉が子どもを、上司や同僚が言う「ダメだ!」という言葉が社会で働く人を、夫と妻がお互いにぶつける「ダメだ!」という言葉が夫婦関係を壊しているのです。


スタント教授に習って、私たちは相手の可能性を信じ、「やればできる」という人を生かすメッセージを周りの人たちに送り続けなければなりません。


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すべての人間関係に通じるもの

2011.11.11日

昨日のブログに取り上げた「感動物語 その2」の出典がわかりました。
「致知 Chichi」でした。感謝して報告させていただきます。
この記事はやはりかなりの反響があってすごいアクセス数でした。
多くの人の目に留まって感謝です。


昨日のブログを読んで早速、私の恩師中の恩師である西村隆宏先生(「使用前、使用後」)から次のようなメールをいただきました。
「一気に寒くなりましたが体調は大丈夫ですか。
私も過日のペット検査やCTヨード検査の結果に異常が認められず、次の定期検査は6ヶ月後で良いと言われました。
貴方をはじめ多くの人達に支えられているお陰だと感謝をし日々を楽しく大切に過ごしていますのでご安心ください。
毎日ブログを読んでいますが、何処で読んだのかは覚えていませんが、今日のお話と同じものを以前に読んだことを思い出しました。
パソコンを通して読むことはないので、多分新聞か何かでしょう。
教師や全ての指導者は、スポーツであれ芸能や芸術あるいは勉学であれ、子ども達一人一人の心の奥にある真実に迫ろうとする努力が大切なのですね。
このお話も、中身はまるで違うけれど貴方と私の出会いも、子どもが偉かったなぁとつくづく思いましたよ。
この先生が教え子の結婚式に呼ばれた時の感動は私も貴方の結婚式で体験させて貰いました。
そして、今年の貴方の修学旅行で2度めの感動を体験しました。
3度目は、いつの日か京都・永観堂の紅葉でも満喫しながら味わいましょうか」


上の「結婚式に呼ばれた時」のことは「潜在意識の力」の中にも書きましたが、私にとってはちょうど昨日のブログに引用した生徒と同じ気持ちです。


西村先生には次のようにお返事しました。
「西村先生とのこれまでの私の思い出は、すべて私の宝物のようで、私の方こそ先生にはいくら感謝しても十分に感謝できません。
ブログに引用した子供の気持ちが私は痛いほどよくわかります。
それで、私も生徒と接する時にはいつもこのことを心がけています。
昨日も、レギュラーの生徒ではないのですが、4人の中学生を教え、今日はいつもの小学生5人を教え、とても幸せを感じました。
正直、生徒を教えている時が一番幸せです。
ありがたいことです。
今晩もこれから高1生を教えに行きますが、本当に楽しいです。
これも、西村先生からいただいた教師スピリットだと感謝しています」


昨日引用した記事は、教師に限らずすべての人間関係に通じるものだと私は思っています。
人を上辺で見ず、その人の気持ち、心、背景を理解しようと努めるなら、どのような人間関係も飛躍的に改善することでしょう。


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渡る世間は鬼ばかり?

2011.11.03日

「ああ、もうだめだ!」
と、窮地に追い込まれた時、不思議とどこからか助けがきます。
これまで、このような体験をどれだけしてきたかわかりません。
子どもの頃も、学生時代も、留学していた時も、帰国して仕事に就いた時も、そして今でも。


NHKの連続テレビ小説「カーネーション」(「出会い その2」)を見ていると、主人公もこのようなところを何度も通っています。


先週は、近所の電気店にミシンのデモンストレーションに来た根岸先生に、ミシンを教えてくれと直談判しますが、最初は取り合ってもらえません。
そのうち、糸子が本気なのを見て、それまで反対していた呉服屋の父親が根岸先生を訪ね、土下座して頼みます。


根岸先生との出会いといい、また予想外の父親の助けといい、不思議と次から次へと助けが来ます。


今週は、主人公、糸子がデパートの火事で和服を着ていた女子店員が大勢逃げ遅れて亡くなったという新聞記事を読んでひらめきます。
早速、大阪心斎橋にあるデパートに、洋服の制服のデザインを売り込みに行くのですが、何度行っても取り合ってもらえません。
ところが、またしても父親の勧めで実物を作って自らそれを着てデパートに赴(おもむ)いたところ、支配人の目に止まり、採用してもらえることになります。


ところが、採用の条件付きは新年に間に合うよう1週間で20着作るということです。
そこで、糸子の家族みんなが協力して助けてくれ、ミシンは神戸の実業家の祖父のところで使わせてもらうことになります。
ところが、土壇場で父親がへそを曲げて神戸の母の実家でお世話になることに猛反対します。
糸子は「もうだめだ!」と思った時、祖母や母親、妹たちがみんなで力を合わせて、糸子を神戸にやります。


今日のシーンでは、糸子が神戸の祖父のところでミシンを使わせてもらって制服を作り始めたその日の夜、家から電話がかかってきて、お父さんが家を出た、すぐに帰ってきて、と言われます。
そして、翌朝早くに家に戻ると、なんと玄関にミシンがあるのです。父親が店の商売道具の反物を売ってそのお金でミシンを買ってきたのです。
そして、そのミシンを使って納期限の前夜は徹夜して約束の20着を仕上げて、無事納品するというのが今日のあらすじです。


次から次へと、いろいろなことが起こり、窮地に追い込まれるたびに、いつもどこかから助けの手が差し伸べられます。
これは、まさに「渡る世間に鬼はなし」のことわざ通りです。
21年間も続いたテレビドラマ「渡る世間は鬼ばかり」で、多くの人が上のことわざを間違えて覚えてしまい(「場の『ふいんき』を読んで!!」)、そのような印象を植え付けられていましたが、実際にはこの世には助けの手を差し伸べてくれる人が不思議とどこかから必ず与えられて、そのようにして私たちは毎日生きていけるようになっているのです。


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愛を与えるとは

2011.09.28日

先日から何度か記事に書いている『ザ・パワー』の中に、次のような言葉がありました。
「ほんの少ししかかかわりのない人に対しても出来るだけ行為と親切と愛と思いやりを与えなさい。そしてそこから見返りを得ようとは思わないことです。するとあなたの人生は必ず、変わるでしょう」 (『ザ・パワー』 p.219)


これは私の大好きな作家、オグ・マンディーノ(「才能はやがて開花する」)の言葉の引用です。
この言葉を読んで、というかオーディオCDで聴いて、今から34年前のある出来事を思い出しました。


当時、私はUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に在籍していて言語学を学んでいました。
ある時、同じクラスで知り合ったアメリカ人の友人からアルバイトの話を持ちかけられました。
夏休みを利用して日本から2週間ほどUCLAに短期留学に来るグループがあって、そのコーディネーターの仕事をしないか、というのです。
私は、UCLAでは教授の助手をし(「You so Obama!」)、現地の日系人の子供たちに日本語学校で教え、パサデナ大学で教えたり、通訳をしたり(「通訳の仕事 2」)と目いっぱいアルバイトをして生計を立てていました。
忙しくなるので大変とは思ったのですが、この仕事を引き受けることにしました。


夏休み期間ということで普段より少しはましだったのですが、毎日朝早くから夜遅くまで2週間本当に大変でした。
グループは中学生・高校生が中心で一部一般の成人の方や大学生もいました。
一行はUCLAのキャンパスの学生寮に寝泊まりし、学生食堂で食事し、午前中は短期集中講座で英語を学び、午後からはディズニーランドやユニバーサル・スタジオなどのテーマパークに行ったり、ショッピングモールに行ったりとスケジュールはびっしり詰まっていました。
グループと一緒に行動していない時は、スタッフでミーティングをしていて、息つく暇もないほどで毎日睡眠不足でした。


中に中学生の女の子と、その子のお母さんと、おばあちゃんと3代で来ている方があり、お母さんとおばあちゃんが英語ができないこともあって、私はとくにこのご家族にいろいろと心をかけ、付き添ってお世話させていただきました。


プログラムが終わり、一行が日本に帰った後、何人かの方からお礼のお手紙をいただきました。
その中に上のご家族からの手紙も入っていました。
お母さんからは、お礼にと言って洋服のプレゼントが同封されていました。
その年のクリスマスに、そして翌年の私の誕生日にもプレゼントが送られてきました。


プログラムからちょうど1年後の夏休み、私は病床にある母を訪ねて帰国しました。
それを知った上のご家族から手紙が来て、ぜひ北海道に遊びに来てくださいとお招きをいただきました。
私はお断りしたのですが、数日だけでもいいからと、なんと北海道までの往復航空券を同封して半ば強引に招待されました。


千歳空港に着くと、お母さんが大きな高級アメ車で迎えに来てくださり、それから札幌のマンションに連れていただいて、そこでお嬢さんとおばあちゃんとも再会しました。大変なご馳走でおもてなしをいただいた上、翌日から今度はベンツに乗り換えて阿寒湖、摩周湖、屈斜路湖など、あちらこちらにドライブに連れてくださいました。
まったく予期していなかったことで腰が抜けるほど驚きました。
あとでわかったのですが、このご家族は大きな病院を経営していらっしゃる名家でした。


冒頭のオグ・マンディーノが言っている、「ほんの少ししかかかわりのない人に対しても出来るだけ行為と親切と愛と思いやりをあたえなさい。そしてそこから見返りを得ようとは思わないことです。するとあなたの人生は必ず、変わるでしょう」の言葉など当時まだ知りませんでしたが、それがそのまま現実のものとなり、その後の私の人生に多大の影響を与えたことは言うまでもありません。
だからオグ・マンディーノの作品とは波長が合うのだと思います。


あの時の中学生のお嬢さんも今頃はもう50歳近く。立派なお母さんになり、きっとご自分のお母さんに習って社会奉仕活動に励んでいらっしゃるか、あるいは医者になってお父さんの病院を引き継いでおられることだろうなと、懐かしい北海道に思いを馳せました。


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ジョーのあいうえお

2011.07.30日

去る7月18日のブログ「自慢の教え子」に書いたジョー君の西日本一周ヒッチハイク旅行は出発からちょうど2週間になります。
平塚からスタートした旅も、本州最南端の潮岬や淡路島、四国を経て昨日フェリーで大分に渡ったと昨夜電話で知らせてきました。これから九州一周です。
すごい勢いですよね。

毎日mixiにアップされるジョー君の日記を読むのは、私の毎朝の日課になり、一日の元気をいただいています。
他にも大勢の人たちに読まれているようで、毎日たくさんのコメントが書き込まれています。
「コメントはしないけど、日記は読んでるぜ!
って人がいると信じ、しつこく今日も日記を書くのであります」
とジョーが書くと、その日のコメントには、
「コメントはしないけど、日記は読んでるぜ! 」が延々と続いたりします。


各地方の人たちが話す方言も見事に再現されている彼の日記は、読む度に何度も笑わされます。あまりにも面白いのでコメントに、
「ジョーの日記を日テレかどこかに売り込んでドラマにしてもらおうかと思ってる」
と書いたほどです。
大受け、間違いなしです。
あるいは、数学の教師をやめて作家になるか、それともお笑い芸人になるほうが合っているかもしれません。


どこに行っても、いろいろな人にとても親切にされ、ご馳走になったり、泊めていただいたり、お土産をいただいたりと、読んでいてみんな羨ましく思うほどです。
ヒッチハイク旅行に不可欠のホワイトボードをどこかでなくしたり、乗せてもらった車にiPhoneを忘れたりと、いつものボケぶりも発揮していますが、そこはジョー君のこと、知恵を使ってうまくピンチを切り抜けています。
さすがに私の自慢の教え子だけある?


ジョー君の日記を読んでいて教えられました。
彼のヒッチハイク旅行がこんなにうまくいくのは、彼の人徳のお陰だと。
その人徳を簡単にまとめると、次の5つに集約されます。
名付けて「ジョーのあいうえお」
(かきくけこでも、さしすせそでも、何でも書こうと思えば書けるのですが、基本中の基本というABCのような意味で)


「あ」は、ありがとう。
感謝の気持ちです。日記を読んでいてそれが十分に伝わってきます。
だからみんなジョー君に親切にせずにはおられなくなるのでしょう。


「い」は、意気軒昂。
彼はまさに元気のかたまりのような人間です。
テントや寝袋持参で、泊るところがなければどこにでも野宿をします。
また車が止まってくれるまで何時間も立っていたり、重いバックパックを背中に背負ってハンパない距離を歩いたりもします。
だから接していて楽しい。接する人はみんな彼から元気をもらうことができるのです。


「う」は、嬉しさを素直に表す。
彼の感動が日記のあちらこちらにあふれています。
だからみんな彼にもっとやってあげようって思うのです。
神様まで彼を応援してくれているようです。


「え」は、笑顔。
行き先を書いたボードを持って「今世紀最大の笑顔」で立っていたと日記に書いていましたが、彼の誠実さが笑顔に表れています。
だからみんな安心して彼を車に乗せたり、家に泊めてくれたりするのです。


「お」は、面白さ、ジョークです。
彼のジョークのセンスにはみんなかないません。毎日の日記を笑わずに読むことはできません。
きっと車に乗せた人もみんな彼の面白さに引き込まれるのでしょう。
だから話がはずみ、もっと彼と一緒にいたいと思って、食事や宿となるのでしょう。
そして別れ際にはみんなで記念写真。


考えてみると、この「あいうえお」は、すべての人間関係に通じるものです。
私たちみんなが、この「あいうえお」を心がければ、世の中本当に平和になるなと思いました。


ジョー、ありがとう!
君の日記は今や多くの人に喜びをもたらし、ここしばらく元気をなくしていた僕の元気の源になっているよ。


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真心のこもったサービス

2011.07.26日

先日、船越歯科で治療中のこと。
私の隣に座った女性の方(顔は見えなかったのですが、声からしてご年配?)が、治療にやって来た船越先生に話しかけました。
「この壁に掛けてあるお写真素敵ですね」
「ええ、それは私が...」
それから数分間、先生とこの患者さんとの間で楽しい会話がはずんでいました。
この時、私は思いました。
「ああ、この先生は患者さん一人ひとりを本当に大切にしていらっしゃる」


これまで数多くの歯医者さんにかかってきましたが、こんなに患者さんを大切にしている先生は初めてです。
ほかの患者さんを治療しているときでも、別の患者さんが終わって治療室を出るときには必ず手を止めて、
「お大事にどうぞ」
とか、
「○○さん、〜には気をつけてくださいね」
など、一人ひとりに丁寧に声をかけられます。
船越先生がそういう方なので、ほかの看護師の方たちも皆さん同じように手を止めて笑顔で挨拶されます。
これは、商売を第1に考えたビジネス志向のサービスではなく、本物の真心こもったサービス精神です。


待合室にある空気清浄機、加湿器、冷水器、スリッパの消毒装置、心尽くしのきれいな洗面所とトイレなどの設備にも、お客様を大切にする先生の心が表れています。


そういえば、トイレで思い出しました。
昔、うちのこどもがまだ小学校の低学年の頃のことです。アトピー性皮膚炎で長い間皮膚科に通っていました。
ある時、待合室で待っていたら、子どもが急にトイレに行きたいと言い出しました。
そこで、その医院の受付をやっている先生の奥さんに事情をお話ししてトイレを使わせていただけませんかと言いました。
奥さんの答えは、
「駅のトイレに行ってください」でした。
私は自分の耳を疑いました。
近くとは言っても、駅までは子どもの足で5分かかります。
その日を最後に、その皮膚科には二度と行かなくなったのは言うまでもありません。
サービス精神はこういうところにも表れるのです。


今日、新しいコンピュータが家に届きました。
自宅で使っているものが古くなり、動きがかなり鈍くなってきたので、思い切ってちょっといいものを注文しました。
これで何台目になるでしょうか。
最初に買ったメーカーのサポートがとてもよく、これまでトラブルがあったり、困った時など電話で1時間でも丁寧に、親切に対応してくれたので、ずっと同じメーカーのものばかり買っています。
これが本物のサービス精神です。


サービス精神は一朝一夕に生まれるものではありません。
汗と涙と血の結晶です。
汗は絶え間ない努力。
涙は相手を大切にする心。
血は犠牲です。


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友達はありがたい

2011.07.25日

去る6月の私の京都修学旅行で40数年ぶりに会った小学校時代の友人W君(「友人はお互いに高め合う」)から今朝メールをいただきました。
昨日の記事「不思議な体験」を見て親友としての忠告を送ってきてくれたのです。


「健康管理には最大限の注意を払ってください。
まじめな人ほど病気になりやすいというのが僕の持論です。
僕は、自分の身体にはできる限り忠実でありたいと思っています。いつもと少しでも体調が違うと思うと早目に休養します。
舟田君の夢の話から分かるのですが、君は間違いなく疲れています。落下する夢を見る時というのは、かなり疲れている証拠です。
疲れを癒す方法は2つ、寝ること、そして好きなことをする。わくわくすることをすればいいのです。
免疫力をUPする方法を考えるのです。こんなことを言っていて、僕が病気になった時は笑ってください。
僕は、まだまだやりたいことがあります。この地球上から飢餓や戦争がなくなるまでやることはいっぱいありますよ。
それまで元気でいること、体調管理も大切なことです。
君の健康は多くの子供たちの命の問題でもありますよ。
どうか、ご自愛ください」


W君とは小学校時代一度も同じクラスになったことがないので、どういういきさつで友達になったのか先日会ったとき彼に尋ねました。
すると、小学校時代、私がテレビに出ている(「何事も一生懸命」)のを見て興味を持ち、自分のほうから友達になろうと思ってアプローチしたと言うのです。このことはまったくの初耳で、驚きました。
そして3年生の頃からとても親しくなりました。テレビが取り持ってくれた不思議な縁です。
私はテレビに感謝しました。


しかし小学校を卒業して私は引っ越し、また成人してからは、彼は大阪で仕事をするようになり、私はアメリカに留学。帰国後は神奈川に住むようになりしばらく音信不通になっていたのですが、先日京都に行った折、別の友達がW君に声をかけてくれて、わざわざ大阪から会いに来てくれたのでした(「懐かしい!」)。


それ以来メールのやり取りをしていますが、彼からの昨日のメールには次のようにありました。
「いつもブログ楽しく読んでいます。
『学習を楽しむとは』もおもしろかったです。
その中でリンクされていた『教育哲学』も、全くその通りだと思います。
子供の頃、舟田君のような先生がいてくれたならと思いました。


君のブログ『おばあちゃんになってきたね』を拝見しました。
犬と英語で話すのはいいアイデアですね。
"Love, you became a grandmother."で思い出しましたが、専門学校で広告の勉強している時、教科書の意味論の入門書(S.I.ハヤカワ『思考と行動における言語』)で読んだのですが、高速道路でパンクしている人を見つけて、車を止めて、『どうかされましたか?』といって近づいて行くのは、『私は敵意をもっていませんよ、もし困っているなら手伝いましょうか?』と言う意味だという話です。
僕には目から鱗でした。理系の人間は、言葉通りに考えがちです。その辺のところが分かれば、人と人との争いはすべて避けられるのではないか、とまで思ったほどです」


S.I.ハヤカワの『思考と行動における言語』は、昔、言語学を研究していた時私も愛読していたもので、非常に興味を持っていた分野なので、同じ本をW君も読んでいて、感銘を受けていたのだと思うと、とても嬉しくなりました。
また、このようなコメントを受け取ると、本当に励みになります。


友達というものは本当にありがたい。
彼からのメールでずいぶん元気づけられました。
W君、本当にありがとう!
感謝しています。
そして、健康管理にもっと真剣に取り組みます。
ちなみに、今日は君からのメールで一日とても元気に過ごすことができましたよ。


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以心伝心

2011.07.02日

「千葉さんのあれが大好き」
今朝、食事中のことです。妻がいきなり上のように言ったので、私の頭はいそがしく回転しました。
千葉さんってどこの誰だったっけ…。妻と私の共通の知人で千葉さんっていったら多分あの人のことだけど、藪から棒にあの千葉さんが出てくるわけがない。
うちの生徒にも千葉さんはいたけど、もう何年も前のこと。
ほかに千葉さんっていたっけ?
それとも、映画俳優か女優で千葉という人のことだろうか。
しかし、それにしても「あれが大好き」の「あれ」って一体なんのことだろう?
私の頭の中のコンピュータは煙を吹いてダウンしそうでした。
「千葉さんってどこの誰?その千葉さんのあれって何のこと?」
すると妻は大笑いして澄まし顔で言いました。
「いやだ。私が言ったのは、千葉産のピーナッツのことよ。最近、言葉がすぐに出てこなくなって」


妻とは結婚してもう30年近く。よその勤め人のように私は外に出かけるわけではなく、妻と二人でずっと自営業をやってきたので、毎日ほぼ24時間近く一緒にいます。
ですから、妻が頭の中で考えていることはたいがいわかりますし、おそらく妻も同じでしょう。
相手がツーと言えばこちらはカーと言う関係を「ツーカー」の間柄と言いますが、まさに私たちはそのような「以心伝心」そのものです。


しかし、今朝の「千葉さん」のようにトンチンカンなやり取りをしたり、またお互いに行き違ったり、誤解したりすることが時にあります。
たとえ一卵性双生児だってそうでしょうし、クローン人間が将来生まれたとしてもやはり完璧な以心伝心というのは人間である限りあり得ません。


私たちはとかく相手が自分の考えていること、言っていることをわかってくれているだろうと思いがちです。
また、自分は相手の言っていること、考えていることがわかっていると思い込みやすいものです。
ところが実際には思いのほか、人のことはよくわかっていないものなのです。そして、ちょっとした行き違いから徐々に溝が広がり、そのうちにその溝を埋めることができないほど大きくなることだってあります。


相手のことをわかっていると思い込むことは危険です。
むしろ、人と自分は違うということを理解して、そこからお互いの違いを受け入れ合うことが相互理解の第一歩です。
たとえ夫婦や親子の間でも。


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人間関係の潤滑油

2011.05.19日

最近、テレビのCMで見るたびに笑わされるものがあります。
撮影はローマかどこかの町だと思うのですが、ごく普通の男の子が出てきていきなり歌い始めます。
「ララララーラララ、ラララララー、ララララ...、消〇力!」という例のやつです。
いくつかのパターンがありますが、最近はおじいちゃんが出てくるバージョンもあります。
このCMを流している会社は、昔から意外性とユニークさで人を笑わせるのが得意なようです。
しかも、CMの目的である、商品名はしっかりと印象に残るよう、よく工夫されています。
本当に感心します。


この「意外性」というのは、CMに限らずなんにおいてもとても大切なことです。
一般に、人は習慣の動物ですから、いつの間にか無意識のうちにパターンの中に陥ってしまいます。
そしてそれを心地よく感じるようになります。
毎回、毎回、変わったことばかりで、次に何が起こるか予測もつかない、というのではみんな疲れてしまいます。
しかし、いつものパターンの中で「意外性」が起きるので面白く感じるのです。


「意外性」は人を深く印象づけます。
また、楽しませてくれます。
人のジョークも同じです。
思いもかけないときにパッと出てくるジョークは人を楽しませます。


昔、アメリカの著名なビジネスマンがスピーチをしていました。
「ここの冬の寒さはハンパじゃないですよ。
予期していないありとあらゆることが突然起きます」
と言ったそのとき、会場だったホテルのブザーが大きな音を立てて鳴りました。
予期していなかったブザーの音でスピーチが一瞬途切れました。
しかし、スピーカーは澄ました顔をしてスピーチを続けました。
「ブザーも鳴ります」
聴衆はどっと沸きました。


先日、個別のクラスのとき、ひとりの生徒が〇日は休みですよね、と私に言ったので、私はあまり深く考えずに「うん、休み」と答えました。
その直後、S先生が私のところに来て、「学院長、〇日は休みじゃないですよね」と言うので、確認したら休みじゃありません。
そこで、「うん、休みじゃない」と答えました。
S先生は、先ほどの生徒のところに戻って、〇日は休みじゃないよ、塾あるよ、と言いました。
すると、生徒が「だって、さっき休みって学院長が言いましたよ」。
S先生は澄ました顔で、「人の言うことをそんなに簡単に信じるものじゃないよ」。
このとっさの機転にみんなどっと笑いました。
そして私の言った間違いをさっぱりと洗い流してくれました。


このような「意外な」ジョークや、とっさの機転、ユニークさは人間関係において潤滑油のような役割を果たします。


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優しさとは その3

2011.05.13日

2回にわたって「優しさとは」というテーマで記事を書きました。というよりも、正人の東日本大震災現地レポートを載せました(「優しさとは その1」「優しさとは その2」)。


さて、先週からまた近所のF歯科にかかっています。
これまで何度もF歯科医のことをこのブログの記事に書いてきました(「プラスαのパーソナルタッチ」他)。
先日、会計で料金を支払おうとしていたらF先生が私のところにやってきて、小さな卓上カレンダーのような写真アルバムを見せてくださいました。
先生も宮城県南三陸町に歯科災害ボランティアとして、有志と一緒に発電機やスーツケースのようなものに入った機械類を持ってバスで行ってこられたそうです。
正人の撮ってきたのとそっくりのがれきの山の写真が次から次へと続きます。
それらに混ざって、被災地の保育園で歯の治療をしておられるF先生の写真がありました。
懐中電灯を片手に、普通の椅子に腰掛けた患者さんの口の中を照らしながら歯の治療をしていらっしゃるのです。
しかも、ご自分の患者さんをキャンセルして行ってこられたというのです。
「やっぱり」と思いました。


F先生は患者さん一人ひとりのことをよく覚えていらっしゃいます。
受付に来たひとりの男性には、
「〇〇さん、お久し振りですね。前回来られたのは平成17年ですよ」。
「平成17年」はもちろんカルテを見てのことでしょうが、6年ぶりに来た患者さんの顔も名前もちゃんと覚えていらっしゃるのです。
そして、どの患者さんに対しても優しく、言葉遣いも丁寧。
「連休はどこかにいらっしゃいましたか?」
と尋ねられたので、妻の実家の名古屋のほうに、と私が答えると、
「奥さんのご実家は名古屋なんですか?」
これがうわべの会話ではなく、一言ひとことに真実味があり、患者に関心を持っていらっしゃることが伝わってきます。
看護師さんや助手、事務の方たちに対してもF先生はいつも丁寧な言葉遣いです。
「〇〇お願いします」「はい」「そうです」「ありがとう」云々。
だから、看護師さんたちもみんな患者さんに親切で、いつも笑顔で接していらっしゃいます。


私の喉が弱いのを知っている受付の方は、私が診察台に座るとすぐにうがい薬を持ってきてくださいます。
優しさは人に対する心遣い、思いやりです。
F歯科に行くといつもそのことを教えられます。
歯の治療は正直、痛いこともあります。
でも、F先生を始めスタッフの方々がみなさんいい方々なので、たとえ痛い治療でも行くのが全然苦痛でなく、むしろ歯が悪くなると治療に行くのが楽しみになるぐらいです。
また、治療が終わるときには一抹の寂しさを感じるほどです。
おそらく同じ匂いがするのでしょう(「同じ匂いがする」)。


「優しさの具現化」がボランティアだと「優しさとは その1」に書きましたが、これはなにもボランティアに限ったことではありません。
「思いは見えないけど、思いやりはだれにでも見える」(「心温まるシーン」)のごとく、みんながお互いにちょっとした心がけで優しさを表すならば、私たちはハッピーな日々を送ることができ、世の中もっともっと平和になるのですが。


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気が置けない友人

2011.04.18日

私には「気が置けない友人」がいます。
これは、「気を許せない」とか「油断できない」という意味ではありません。
正しくは、「気遣う必要がない」「遠慮のいらない」「ありのままに付き合える」親しい友人という意味です。


この友人のことは2年前のブログ「VIP」にも書きましたが、34年に及ぶ友人で、昨日、2年ぶりに会ってきました。
名古屋から東京に向かう新幹線の小田原で途中下車してもらい、妻とふたりで小田原駅まで会いに行ってきたのです。


大体年に1回、4月から5月にかけてアメリカから日本にご夫妻でやってこられ、2週間あまり日本のあちらこちらを回って、いろいろな人に会われます。
お忙しいスケジュールの中、時間を割いてもらってお会いするのですが、本当に「気が置けない友人」です。


彼とはずっと本音で付き合っています。
心の内にあること、喜びも悲しみも苦しみもお互いに何でも分かち合うことができます。
本音で付き合えるというのは何という幸いなことでしょうか。
友人間で、親子で、夫婦で、兄弟間で、同僚間で、上司と部下の間、教師と生徒の間で、本音の付き合いができたら、どれほどみんな幸せになれることでしょう。


一時期「仮面夫婦」という言葉が流行りましたが、実際のところ、ある知り合いのご夫妻はお互いに会話がなく、娘さんを通訳のように使って会話し、おふたりとも犬とばかり話していました。
本来、お互いに何でも話し合えるはずの夫婦間や、家族間でさえ、本音で付き合えず、相手の顔色を見ながら建前で付き合っているひとがなんと多いことでしょうか。
お互いに腹の内を探り合いながら、疑心暗鬼になって付き合うのでものすごいストレスになって、疲れてしまうのです。


会社の忘年会や新年会には「無礼講」(ぶれいこう)というのがあって、上司・部下、先輩・後輩の間柄を超えて、思いっきり羽目を外して酒を飲んだりします。
私も昔、会社勤めをしていたとき、何度かこのような光景を目の当たりにしました。
しかし、「親しき間にも礼儀あり」で、この無礼講は私には合いませんでした。
ですから非常に居心地悪く感じました。


実は、冒頭に述べた「気が置けない友人」は、本当にどんなことでも話し合える親友ですが、それでもやはり「親しき間にも礼儀あり」の関係です。
考えてみれば、私の場合、親友に限らず、家族間ですら「親しき間にも礼儀あり」を無意識のうちに実践しています。
別に気遣っているわけではありませんし、またどんなことでも話し合える間なのですが、「礼儀」というのがあると思うのです。
おそらく、人によって、またそれぞれの家族によっても事情は異なるのでしょうが、私にとっては「気が置けない友人」や「家族」でも「礼儀」は大切なのです。


わがままを通さない、相手を傷つけない思いやりは、親しい友人や家族の間でもやはり大切なのではないでしょうか。


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世界平和は自分自身の幸福

2011.04.03日

この世の中にはすべての世界でさまざまな違いが存在します。
不公平と言おうが何と言おうが、これは厳然とした否定しようのない事実です。
たとえば、外見が美しく、カッコいい人もいればその逆の人もいます。
頭のいい人もいれば、そうでない人もいます。
能力のある人もいれば、そうでない人も、運動神経の優れた人もそうでない人も、歌のうまい人、絵や字のうまい人も、そうでない人もいます。
当たり前のことです。


そして、この世の中では前者のタイプの人たちが褒(ほ)めそやされます。
これもごく当たり前のことです。
今日は、春の選抜高校野球で神奈川県代表の東海大相模が11年ぶり2度目の優勝を果たしました。
優勝者を称(たた)えるのは当然のことです。
彼らのこれまでの努力に賞賛を送るわけです。


ところが優勝者の背後には数え切れないほどの敗者が存在します。
優勝者や能力のある人たちを褒め称えるのはいいのですが、どうしても目がそちらのほうに行ってしまって、敗者の陰の努力を見過ごしたり、あるいは場合によっては能力のない人たちを見下したり、裁いたりしてしまう傾向があります。
しかし、この世の中、勝者がいる限り当然のことながら敗者もいるわけで、敗者や能力が劣るものに価値がないわけでは決してありません。
このところがよく理解できていれば、この世の中から差別やいじめ、蔑視など悪意の行為をなくしていくことができます。


すなわち、人それぞれみんな顔や姿形が異なるように、能力も異なっていて当たり前で、それをお互いに単なる相違として受け入れなければならないということです。
この世の中に、不必要な人など存在しません。
みんな何らかの役割が与えられていて、使命があるのです。
それをお互いに認め合うこと、これがみんな幸せに平和に生きていくための絶対必要条件になります。


自分と違う価値観を持っているからと言って、そのような人たちを抹殺しようとしてテロ行為をするとか、あるいは他宗教の人たちが重んじている経典を燃やしてしまう、学校や会社で弱い人をいじめるなどの行為は、あまりにも幼稚で独善的すぎます。


「お互いの違いを認め、受け入れあう」、このことを幼少時代から親もまた社会も学校も、みんなが教えていくこと、これが本当の教育ではないでしょうか。
ただ単に勉強ができても、このような人間としてもっとも基本的なことが身についていないようでは教育は失敗です。


私たちは、この世から上のような残虐な行為をなくしていくために、日々の生活の中で意識してできることをひとつでもしていかなければなりません。
世界の平和のために、そして自分自身の幸福のためにも。


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同じ匂いがする

2011.03.30日

昔、アカデミーで長年講師を勤めて、その後都内の高校教師になった人が面白い表現をしました。
「同じ匂(にお)いがする」
その後、さまざまな場面で、この「同じ匂いがする」光景を目の当たりにして、実に言い得て妙だと感心しています。


最近、毎晩のように塾の前のバス通りを数台のバイクが「ブーン、ブンブン、ブーン、ブンブン」とけたたましい音を立てて暴走しています(まあ、今に始まったことではありませんが)。
今日も午後、生徒の送迎をしているとき赤信号で止まっていたら、その横を大きな音を立てながら2台のバイクがそのまま交差点に突っ込んでいき、両側から来ていた車を停止させて走り去って行きました。
バスに乗っていた生徒たちはみんなしかめっ面をして、「ああいうのが一番いやだ」と言っていました。
暴走行為をしている人たちはきっと、迷惑行為をすることによって快感を得ているのでしょう。
そして、同じ匂い(臭い?)がする人たちが一緒になってやっているのだと思います。


英語のことわざにも、
"Birds of a feather flock together." (同じ羽毛の鳥が群がる)
というのがありますが、日本語ではこれを「類は友を呼ぶ」と言います。
まことに面白いように、スズメはスズメと一緒に群れ、カラスはカラスと、ハトはハトと群がります。
カラスとハトが一緒に飛んでいたり、餌をつついているのを見たことがありません。


経営コンサルタントのブライアン・トレーシーは言っています。
"If you want to fly with eagles, don't scratch with turkeys."
(もし鷲と一緒に飛びたかったら、七面鳥と一緒に戯れていていはいけない)
「鷲のように飛びたかったら」


人間も同じです。
同じような考え方、価値観を持つ者たちが自然とくっつきます。
「似た者夫婦」と言いますが、これも同じような現象です。
アカデミー学院にも、似たような価値観の先生たちや生徒たちが集まります。
きっと「同じ匂いがする」がするのでしょう。


もしスポーツができるようになりたければ、スポーツが得意な人と一緒にいる。
芸術で秀でたいと思ったら、芸術で秀でた人と一緒にいる。
勉強ができるようになりたければ、勉強ができる人と一緒にいる。
仕事ができるようになりたければ、仕事ができる人と一緒にいる。
幸せになりたければ、幸せな人と一緒にいる。


当たり前すぎるほど当たり前のことですが、これがなかなかできないのが人間の弱いところです。
でも、自分の人生は自分の手の中にあります。
すべては自分の選択です。
「いい匂い」がする人と一緒にいるほうが絶対に得です。


でも、自分はどちらかと言えば、「臭(くさ)い臭(にお)い」がするタイプだと思っている人でも大丈夫。
「いい匂い」の人たちと一緒にいると、だんだんその匂いに染まっていくものだからです。


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プラスαのパーソナルタッチ

2011.02.02日

昨日は歯医者に行ってきました。
F歯科のことはこれまでも何度かこのブログに書いてきました(「サービス精神」)。
先週、歯に詰めていたものが取れたので、その治療でした。
会計のとき、
「それでは、治療は今日で終りです。お大事にどうぞ」
と言われて、
「やったー!終った」
と思ったのではありません。
私の気持ちは、
「えー!? もう終りなの?もっと来たいのに」
でした。
それほどこのF歯科のことが好きなのです。
先生も看護師の方も、助手、受付の方もみんな。


今日の読売新聞「教育ルネサンス 地域との縁 自信育む」(18面)に次のような記事がありました。
京都のある公立中学校で、1998年に同校生徒が近くの公園で同年代の子ども達から集団暴行を受けて死亡するという痛ましい事件が起きました。
事件の4年後、新校長が赴任したとき、生徒の服装は乱れ、教師に反抗して挨拶はせず、地域での評判もよくなかったそうです。
しかし、校長はこのとき、
「世界で一番通いたい学校に」という目標を掲げて、国際援助活動や、アントレプレナー(起業家)教育、小学生の登下校見守り運動など、様々な取り組みを始めます。
そして4年目に、住民から
「○○中学校は地域の誇りです」
という便りが届いたとのこと。


5年前に15人乗りの生徒送迎用のバスを購入しました。
このときの担当セールスの方がとても感じ良かったので、それ以来その方から送迎バスを含め車3台買っています。


このほか、いつも利用する近所のパン屋さん、床屋さん、紳士服店、レストラン、洋菓子店、ガソリンスタンド、車の修理工場等など、お気に入りの店があります。


これらに共通していることは何でしょう。
いろいろ考えてみました。


もちろん、技術力や味、品質などもあります。
しかし、それ以上に大切なのは、担当者の「ハート」だと思うのです。
「ハート」こそがプラスα(アルファ)のパーソナルタッチです。
経営コンサルタントのブライアン・トレーシーが言っています。
「人は物事を論理的に判断していると思っているが、実際には感情で判断している」と。


学習塾を例に取ると、塾のブランド力や合格実績、講師力、成績が上がったかどうか、などこれら客観的な要素はもちろん大切ですが、それ以上に大切なのは、この「ハート」というプラスαのパーソナルタッチです。
なぜなら、人は上に挙げたような客観的な要素すら感情的に判断しているからです。
ここで言う「ハート」とは、生徒への思いやりであり、そのご父母の方々への気遣い、誠心誠意であり、英語で言うと integrity (「人が見ていなくても」)です。


「ハート」こそ、サービス(商品)提供者と顧客、学校での教師と生徒の関係、会社内の経営者と従業員、上司と部下、親子・兄弟間、親戚関係、近所付き合い等、すべての人間関係を決定づけるものです。


プラスαのパーソナルタッチ「ハート」で、生徒やご父母の方々からさらに信頼され、送っていただいている生徒さんの弟さん妹さんもまたお任せいただき、さらにお知り合いの方々にもご紹介していただけるようにならなければならないと改めて思わされました。


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誠実な関心を寄せよう

2011.01.21日

このブログで何度か取り上げたことがあるデール・カーネギーの『人を動かす』(「成人の日に寄せて」)の中に面白い箇所があります。
「友を得る法を学ぶには、わざわざ本書を読むまでもなく、世の中でいちばん優れたその道の達人のやり方を学べばいいわけだ。
その達人とは ― われわれは毎日路傍でその達人に出合っている。こちらが近づくと尾を振りはじめる。立ち止まって、なでてやると、夢中になって好意を示す。
何か魂胆があって、このような愛情の表現をしているのではない。家や土地を売りつけようとか、結婚してもらおうとかいう下心はさらにない。
何の働きもせずに生きていける動物は、犬だけだ。
鶏は卵を産み、牛は乳を出し、カナリヤは歌をうたわねばならないが、犬はただ愛情を人に捧げるだけで生きていける」 (同書 第2部「人に好かれる6原則 第1章「誠実な関心を寄せる」より)


私はこの本を散歩するとき、車を運転するときなど、iPhoneに入れたオーディオブックで繰り返し繰り返し聴いています。
朗読しているのは、もちろんカーネギー本人ではないものの、その雰囲気をもった熟年の専門家がきれいな英語で吹き込んでいるので、まるでカーネギーに直接語りかけられているような錯覚を覚えるほどです。
上のような日本語訳で読むより、比較にならないほど説得力があります。


それにしても、カーネギーはうまいことを言うなと感心させられます。
うちの愛犬ラブも、私たち家族が通りかかると、いつもニコニコしながら尻尾を振って体をすり寄せてきて、濡れた鼻をビチョッとくっつけてきます。
これがラブの愛情表現です。
正直なところ、スーツにラブの毛がつくし、濡れた鼻はもっと迷惑なのですが、ラブにはそんなことはわかりません。
飼い主である私たち家族が大好きなのです。
そして、犬はただそれだけで生活ができるのです。


カーネギーの同書には、「名前を覚える」という章があります。
この中で紹介されているジム・ファーレーという人は高校も出なかった職人でしたが、人の名前を覚えることに関しては右に出る者がなく、やがて政界に進出し、民主党全国委員長、合衆国郵政長官にまでなりました。
カーネギーがファーレーに、
「あなたは10000人の名前を覚えているそうですね」
と言ったところ、彼の返事は
「いいえ、50000人です」。
名前を覚えるということは、その人に「誠実な関心をもっている」ことの表れです。


そういえば、私が高校3年のときの倫理社会の担当教師は、生徒の名前をひとりも覚えず、いつも
「そこのメガネ!」
「出席番号30番の人!」
「そのドアの横に座っている人」
などと言って当てていました。
その先生が一番人気がなかったのは当然のことです。


カーネギーが言っています。
2年間かけて他人に自分に関心を寄せてもらうより、自分が他人に2か月間関心を寄せるほうが早く友ができる、と。


教師が生徒に、生徒が教師に、親が子に、子が親に、先輩と後輩が、上司と部下が、みんながお互いに「誠実な関心」を寄せたら、人間関係はどれほど素晴らしいものになることでしょう。


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仲良き事は美しき哉

2010.12.25日

中学生の頃、武者小路実篤の額縁に入った色紙が家に飾ってありました。
「開運! なんでも鑑定団」に出そうにも、その後何度も(数え切れないほど)引っ越しをしたので、どこかに行ってしまいました。
しかし、うちにあったぐらいですから、おそらく複写したもので本物ではないでしょうが。


この色紙にかぼちゃか何かの絵が描いてあって、そこに武者小路実篤の直筆で、
「仲良き事は美しき哉  実篤」
とありました。
強烈な印象がいまだに残っています。


最近、この言葉をよく思い出します。
昔、オーストラリア人の友人から「幸せな結婚生活を続ける秘訣はいつまでも友達同士でいること」という素晴らしいアドバイスをいただきました(「夫婦円満の秘訣」)。
私たちはこのアドバイスを肝に銘じてきました。


アカデミーの先生達はみんなとても仲がいいです。
イベント前になると、何週間も前から連日連夜打ち合わせで、みんな午前様です。
つい先日も、授業後、S先生が塾に残っていた先生達に尋ねていました。
「おれクリスマスイブは仕事がないんだよ。暇なんだけど、Kは暇?」
「おれは授業が入っています」
「Nはどう?」
「おれは授業が入っていません。空いています」
「N、クリスマスイブは一緒に星空でも見に行こうか?」
「えっ!?」


昨日のクリスマスイブ、S先生とN先生が一緒に星空を見に行ったかどうかは聞いていません...。


先生と生徒もまるで友達のような感じです。
生徒に注意しても、まるで友達に接するかのような感じで先生達に話しかけています。
先生達が生徒のことを心にかけてくれているからです。
生徒が出演する吹奏楽のコンクールを見に行ったり、運動会の応援に行ったり、文化祭に行って生徒に声をかけたりします。


そしてもちろん生徒たちもみんな仲良しです。
学校、学年、男女を越えてみんな仲がいいです。
いわゆる「塾友」がたくさんいる塾です。


昨日は中1の冬期講習初日でしたが、新しい男子生徒がバスに乗ってくるなり、中2の女子たちが声をかけていきなりノリノリの雰囲気になっていました。
先月末の中間試験対策補習には連日大勢の生徒が塾に来て勉強していましたが、仲のいい友達同士で一緒に座ろうとしたので、私は言いました。
「仲のいい子同士で座るとしゃべりたくなるから、仲の悪い子と一緒に座りなさい」(もちろん冗談)
「仲の悪い子なんかひとりもいません」
「じゃあ、今から喧嘩しなさい」
「無理ですっ!」


「仲良き事は美しき哉」
家族、友人、先輩・後輩、上司・部下、同僚などあらゆる人間関係において、この武者小路実篤の言葉どおりにいったら、この世の中どれほど住みやすくなることでしょうか。
そして、国家間においてもこれが実践されたら、地上から醜い戦争は消えるのに、と韓国・北朝鮮や、あちらこちらで現在も続いている戦争やいがみ合いを見て、心から平和を望むものです。


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取り扱い注意

2010.12.20日

昨日、郵便局本局へ郵便物を出しに行きました。
日曜日だというのに、駐車場は満車。
窓口はものすごい人で長い列ができていました。
待つこと15分。ようやく私の番が回ってきて、大量の郵便物(毎月送付する成績表と通信)を出したところ、担当の人が不慣れだったためまたまた長い時間待たされました。
その時間、なんと35分。
1時間ほど郵便局で立ちんぼでした。
待っている間、あとの人が次々と窓口に来て、用事を済ませていきました。
クリスマス前、年末ということもあって、小包を出す人、受け取りに来た人がとても多く、中にはフィリピンやカンボジア、アメリカなど外国宛の小包を出している人が何人もいました。
別に見ていたわけではないのですが、小包にはたいがい「取り扱い注意」、英語では Handle With Care と書いてあります。
大切なものが中に入っているからです。
そもそも大切でないものなんか送る必要がありません。


そう、「取り扱い注意」というのは、大切なものです。
しかし、考えてみれば、「人」ほど大切なものはなく、それこそ何よりも「取り扱い注意」しなければならないのに、どういうわけか「人」の取り扱いが、家庭内においても、学校や職場など、どこにおいてもぞんざいになされているように思われてなりません。


うちで飼っているラブラドールのラブでさえ、私たち家族に大切に扱ってもらいたいと願っています。
最近は毎日忙しくてここしばらくラブを散歩に連れて行っていません。
庭で放し飼いにしているのですが、犬ですから自分の健康管理のために庭をうろうろ歩いて運動しようなどと考えることはありません。
ですから、私の顔を見ると「散歩係り」と思い、散歩のおねだりをします。
体をすり寄せてきたり、ニコニコしたり(そう犬にも顔の表情があるのです)、暖かい日などは地面にゴロリと横になってお腹を出したりします。
このようにして、遊んでくれというメッセージを私に送ってきます。
それで、私が両手でラブの体をくすぐってやると、喜んで「ウーン、ウーン」とうなります。
犬でさえ、大切に扱ってもらいたいと思っているのです。


子どもはなおさらです。
しかし、多くの親が毎日の生活に追われ、疲れて、子どもに対して面倒くさそうにつっけんどんに接します。
子どもは「取り扱い注意」です。


子どもだけではありません。
夫も妻も、親も、友達も、親戚も、同僚も、上司も部下も、みんなだれでも大切に扱ってもらいたい、と思っています。
そもそも人はみんな「取り扱い注意」なのです。
ぞんざいに扱っていい人などどこにもいません。


客に対して丁寧に接する人は多いですが、家族や仲間内に対してはぞんざいというのは困りものです。
仲間内の人たちこそ、本当は一番大切なのです。


誰と接するにも、「取り扱い注意」を心がけましょう。


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お客様は神様?

2010.12.10日

日本ではよく「お客様は神様」と言います。
でも外国では宗教的なニュアンスを持つ「神様」という言葉はそう簡単に使えるものではなく、この表現は英語では
"The customer is king."
(客は王様)
とか、
"The customer is always right."
(客の言うことはいつでも正しい)
といった言い方をします。


アメリカにいたとき、スーパーの店員の対応が悪かったり、あるいはドライクリーニングに出したコートが戻ってきたときにチューインガムがくっついていたとき、また医者に予約を取ってあったにもかかわらず、その時間に行ったら医者がいなかったりしたとき等など、クレームをつけなければならないときがよくありました。
このようなとき、アメリカではそう簡単には自分の非を認めないので、こちらも強気で言わないと負けてしまいます。
そこで、いつも「マネージャーを呼んでくれ」と言って、直接マネージャーにクレームを言うと、すぐに「申し訳ありませんでした」と謝ってくれたものです。


これに対して一般的に、日本の商売人やセールス、店員等の接客態度はとても丁寧で、ほとんどの場合、すぐに非を認めて謝ってくれるので気持ちがいいです。
そう言う、私もやはり学習塾というサービス業をやっているので、お客様(生徒やご父母)に対してはすぐに非を認め、そして素直に謝るよう心がけています。


さて、お客様と言うとき、ほとんどの場合、商品やサービスに対してお金という代価を支払う人のことを言いますが、実は「客」とは私たちが接するすべての人のことである、とビジネス・コンサルタントのブライアン・トレーシーは言っています。
たとえば、企業において経営者や、部下を持つ上司にとって、雇っている人や部下もある意味「客」なのです。
というのは、経営者や上司が自分の部下に対して横柄に接していたら、部下はそのうっぷんをさらに下の部下に、そして最終的には末端の消費者に対して横柄に接するようになり、結局は自分自身が損をすることになる、というわけです。


なるほど、そのとおりです。
経営者が部長などに対して乱暴な接し方をしていたら、部長は課長に、課長は係長に、係長は平社員に対してやはり乱暴な接し方をするようになります。
学校においても、たとえば校長が教頭に、教頭が学年主任に、主任が平の教師に対して、あるいは部活の顧問が部員に対して、また先輩が後輩に対して乱暴だと、同じようにみんな自分の下にいる人に対して乱暴になるものです。
逆に、上司が部下に対して丁寧に、優しく接していたら、それが回り回って消費者にまで届きます。
そして、それは組織を見ればすぐにわかります。
つまり、私たちは自分の地位がどうであれ、そんなことに関係なく、誰に対しても丁寧に接しなければならないということです。


夫は妻に対して、親は子どもに対して、兄姉は弟妹に対して、年上の人は年下の人に対して、つまり上下関係に関係なく、みんながお互いに丁寧に接していたら、人間関係はどれほどスムーズな気持ちの良いものになることでしょう。


「お客様は王様」のような意識で周りの人みんなに接するなら、社会は本当に住みやすいところになります。
そして、それを始めるのは自分自身です。


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補い合う

2010.11.23日

夫婦関係や友人関係で大切なのは「補い合う」関係です。
お互いに同じような性格で、補い合うところがあまりないと、ぶつかることが多くなります。
そして相手の欠点が目につき、相手を責めて衝突を繰り返し、結局別れることになるというケースが多々あります。


人間だれしも自分の価値観というものがあります。
そしてその価値観に合致しないものがあると、相手を変えようとします。
ところが人というものはなかなか簡単に変わるものではありません。
大切なのは、相手を変えようとするのではなく、むしろ相手の弱さをありのまま受け入れて、欠けているところを補うという心構えです。
これがうまく機能するようになると、人間関係はスムーズになります。


この世の中、みんな一人ひとり長所もあれば短所もあります。
そして特技もみんなそれぞれ違います。
いわばみんなデコボコです。
デコボコは「凸凹」と書きますが、それぞれの凹の部分に凸が入ると関係はうまくいくのです。
凹ばかりでもうまく噛み合わないし、また凸ばかりでも衝突します。
確かに、世の中を見てみると、男女の関係も、また植物のめしべやおしべも、また雄ネジと雌ネジも、原子同士の結びつきも、その他すべて凸と凹の関係です。


以前、ブログに「パズルのワンピース」という記事を書きましたが、パズルのピース一つひとつは凸があったり凹があったりしますが、だからこそみんながうまく収まってひとつの絵になるのです。
この世界、本当にうまくできています。


保険もお互いに助け合うものです。
税金も富んでいる人がたくさん納めて、貧しい人を助けます。
音楽を演奏する人がいれば、鑑賞する人がいてうまく成り立っています。
スポーツもプレイして楽しむ人とそれを見て楽しむ人がいます。
病人がいるから医者がいます。


人間関係も、夫婦、友人などに限らず、職場での上司と部下や同僚、学校での先輩と後輩、教師と生徒、生徒同士、みんながお互いに助け合い、補い合う関係ができれば、世の中もっともっと住みやすいところになるでしょう。
広く世界に目を向けても同じです。
それぞれの国がお互いに補い合う関係を作るよう努めれば、世界は平和になります。
家庭内の平和のためにも、夫婦、親子、兄弟、みんなお互いに補い合いましょう。


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マナー違反

2010.09.27日

送迎バスを運転していると不愉快な思いをすることがよくあります。
相手はこちらが塾バスなのできっとおとなしいだろう、文句を言い返さないだろうと思っているのでしょう。
以前、狭い道路で行き違いができないことがわかっているのに対向車が突っ込んできたことがありました。
このような場合、私は結構長い距離でもたいがいバックするのですが、このときは相手がほんの数メートルバックすれば対向できるところだったので、きっとバックするだろうと思っていたら動こうとしません。
私の後ろには車がどんどんやってきて大渋滞しました。
たまたま通りかかった歩行者の男の人が、状況を見て相手の人に言ってくれました。
「あなたがちょっとバックすればいいのですよ。このままではどちらも動けませんよ」
すると、運転していた女の人が大声で私に罵声を浴びせました。
「バカヤロー!運転できないんだったらこの狭い道路を走るな!」


私はこのとき思いました。
この人はきっと普段は、家庭ではお母さんとして家族に優しく、そして職場ではお客さんに頭を下げて笑顔で丁寧に接しているんだろうな。
「旅の恥はかき捨て」じゃないですが、自分の名前やアイデンティティがわからないところだと、こんなに態度が変わるものなんだと。


車や自転車、人が自分の前に出てくると、大きな音で「ビ、ビ、ビ、ビー!」とクラクションを鳴らしながら突っ込んでいく人をよく見かけます。
確かに、「危険じゃないか」と言いたいのでしょうが、スピードをちょっと落として相手の人を行かせてあげればそれで済むことなのに、そのままのスピードで突っ込んでいくほうがよほど危険行為で、マナー違反です。


日本人は一般にマナーのいい国民だと言われています。
確かにそういう面もあります。
しかし、たとえば、エスカレーターの片側に立って急いでいる人に道を譲るという日本独特のマナーの場合、エスカレーターを階段のように使っている人が、真ん中に立っている人を押しのけて「マナー違反だ!」と怒鳴るほうがよほどマナー違反です。


高速道路で、追い越し車線を走っている車のすぐ後ろにピタッとつける人は、「追い越し車線をゆっくり走るのはマナー違反だぞ」と言いたいのでしょうが、車間距離がほとんどない状態で高速で走るほうがよほど危険な行為でマナー違反です。


狭い道路で待ってくれている車に手を挙げたり、クラクションを鳴らしてお礼を言うという、これも日本独特のマナーですが、これをしない人に対して「バカヤロー!礼ぐらい言え!」と怒鳴るほうがやはりマナー違反です。


他人のことはよく見えるものですが、自分のことはあまり見えないのが私たちの弱いところです。
人のマナー違反を言う前に、自分の行動がマナー違反でないか吟味しなければなりません。


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隣の車が小さく見えま〜す

2010.09.17日

1966年、日産自動車は1000ccの大衆車を開発し、発売する前にキャンペーンで名前を公募にして800万通の中から「サニー」という名に決定しました。
4月に発売されたサニーは大当たりし、一大旋風を巻き起こしました。
ところがその7か月後にトヨタがカローラを
「プラス100の余裕」
というキャッチフレーズで発売。
たちまちサニーを抑えて売り上げトップに。
こののち40年にわたって高度成長時代を牽引(けんいん)するCS戦争(カローラvsサニー)が続きます。
実は、トヨタは日産が1000ccの大衆車を開発中ということを知り、急きょカローラを1100ccに変えたといういきさつがありました。
対する日産は、ずっとカローラに負け続けていたのですが、4年後モデルチェンジをするとき、1200ccの2代目サニーを
「隣の車が小さく見えま〜す」
のキャッチコピーで発売。
私も大学生の頃、このサニークーペに乗っていました。
面白いことに、カローラの「プラス100の余裕」は人々に好意的に受け入れられたのですが、サニーの「隣の車が小さく見えま〜す」のCMは比較広告ということでかなり批判を浴びました。
アメリカではこのようなCMはごく普通なのですが、日本人には相手をけなすように受け止められ、受け入れられなかったのです。


話は変わりますが、ドイツのフォルクス・ワーゲン(ドイツ名はフォルクス・ヴァーゲン、アメリカ名はヴォルクス・ワーゲンで、日本名は足して2で割ったもの)は、文字通りには「国民大衆車」です。
サニー・カローラと同じ大衆車だったのですが、今から30年位前までは、日本では医者がよく乗っていた車でした。
輸入車ということで、「やっぱりドイツ車は違う」と、医者はプライドを持っていましたが、本国のドイツやアメリカでは大学生やお金があまりない人が乗っている本当の「大衆車」でした。


アメリカで最初苦戦したワーゲンは面白いキャッチコピーを生み出しました。
「あなたの家が大きく見えます」。
確かに当時のアメリカ車はみんなものすごく大きかったので、カブトムシ型のワーゲンはとても小さく見えました。
ところがそれを逆手にとってこのコピーを考えたのです。
「隣の車が小さく見えま〜す」のコピーと一見似ているのですが、否定的なメッセージではなく、車の持ち主をいい気分にさせる逆転の発想でした。
これがまた大当たりしたのです。


こうして見ると、テレビCMのキャッチコピーはものすごい力を持っています。
しかし、これはCMの世界だけでなく、普段の人間関係においても同じです。
同僚や家族、とくに子どもに対しては、
「隣の車が小さく見えま〜す」のような否定的なメッセージを送るのはなく、むしろ
「あなたの家が大きく見えます」のような肯定的なメッセージを送るほうが、はるかに本人をやる気にさせ、効果的です。
他人と比較して、「だめねー」ではなく、本人の気分をよくさせる言葉づかいを心がけましょう。


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兄弟

2010.09.14日

先日、送迎バスの中で中1のM君に尋ねました。
「君の弟は何歳になったの?」
「2歳です」
「そう。じゃあ、パパとかママとか少ししゃべり始めたんでしょ」
「はい、そうです」
「可愛いでしょ?」
「いいえ、そうでもないです」
「えっ、可愛くないの?」
「はい」
「そう?頬(ほお)ずりしたり、キスしたりしたくならない?」
「全然」


実は私も、M君と同じ小学5年生のときに11歳違いの妹ができてたのですが、それはそれは可愛かったこと。
しょっちゅうオムツを替えたり、ミルクを飲ましたりしていました。
遠慮なく頬ずりもキスもしました。
そして妹が物心ついてきた3〜4歳頃からは、よくあちらこちらに連れて行きました。
散歩にも、買い物にも、親戚の家や友達の家にも。
妹が幼稚園に行っていた頃、私は高校生。
うちに遊びに来る私の友達の間でも妹はいつも人気者でした。
高校のクラスの遠足のときに、妹を子連れ(妹連れ)のようにして一緒に連れて行ったこともありました。
大学のときにも、友人と一緒に旅行に行ったり、キャンプに行ったりするときに妹を連れて行きました。
みんな妹をとても可愛がってくれました。


妹が幼児のときには、三輪車の乗り方を、幼稚園の頃は縄跳びの仕方を教えました。
妹はやがて自転車から自動二輪に乗るようになり、北海道へオートバイで旅行に行くほどにまでなりました。
縄跳びも私が決してできなかった二重跳びを何十回も連続でするようになりました。
妹が高校生の頃、教えた卓球でもすぐに負かされるようになりました。
練習(「1に練習、2に練習、3に練習」)で師を越えることは誰にでもできるのです。
英語だけは負けていませんが、そのほかのことはおそらく全部妹に負けました。
「私ほど、兄からいろいろとたくさん教えてもらった人はきっといないでしょうね」
といつだったか妹が言っていました。


兄弟げんかはどこの家でも毎日のように起こり、親が死ぬと兄弟で財産争いまでしているケースをよく耳にします。


私たちはうちの子ども達に常々言っています。
「将来、兄弟が困ったときにはお互いに助け合いなさい。
経済的に困ったら、お金を貸してあげるのではなく、惜しみなくあげなさい。
それが兄弟というもの」
この世の中で唯一、同じ母親のお腹から生まれてきた血を分けた兄弟。
人生で最初に人間関係を学ぶのが兄弟。
兄弟は一生続く長〜いお付き合い。
いつまでも仲良く、良き理解者であり、サポーターであり、カウンセラーであり、助け合う仲。
兄弟は本当にありがたいものです。


皆さん、兄弟を大切にしましょう。
それが自分の幸せにつながってきます。


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スカッとさわやか

2010.09.06日

「スカッとさわやか コカ・コーラ」
は、私が高校生の頃大ヒットしたテレビCMソングです。
それ以来、「スカッとさわやか」と言うと、即「コカ・コーラ」を思い起こすほど洗脳されてしまいました。


しかし、113年ぶりと言われる猛暑のこの夏、私は少しでも涼しく過ごせる「スカッとさわやか」を発見しました。
コカ・コーラではありません。
昔よく飲んだコカ・コーラは最近は飲みません。健康のために。
この夏発見した「スカッとさわやか」は「メントール」です。


朝起きて一番に顔を洗うときの洗顔料にもメントールではありませんが、メントールとそっくりのスーッとする成分が含まれています。
食後の歯磨きにもメントールが含まれていて、爽やかになります。
髭剃りのクリームにもメントール、髭剃り後につけるアフターシェーブローションにもメントール。
昼間、気分をシャキッとするために噛むガムにもメントールが入っています。
夜、寝る前に風呂に入ると、メントール入りのトニックシャンプー、そしてスーパークールボディシャンプー。
さらにシャンプー後はメントール入りのヘアトニック。
風呂上りは、頭や首の周りや体中がスーッとします。
まさに朝から晩までメントール漬けで、「スカッとさわやか」です。
お陰で、この暑い夏も結構涼しく過ごせています。


先月、床屋に行ったとき、シャンプーにメントールが入っていてとても気持ち良かったので、そのことを店長さんに伝えると、
「ありがとうございます。今年の夏はあまりにも暑いので、試しにメントール入りのシャンプーを使ってみたんですが、お客さんからこれまで何の反応もなくて、ちょっとがっかりしていたんです」
とにっこりして返事。
「ああ、言って良かった」と思いました。


そのとき気づいたのですが、ちょっとした心遣いで人を喜ばせることができるんだと。
私自身がメントールのお陰で「スカッとさわやか」な気持ちになっているのですが、同時に私の言動も人に「スカッとさわやか」にさせるようでなければならない、と気づかされました。


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魔の変則六差路

2010.07.31日

私のバス送迎のルートに凄(すさ)まじい箇所があります。
私はそれを「魔の変則六差路」と呼んでいます。



大きな地図で見る


北西から南東にのびている道路がバス通りですが、幅が狭くてバスが行き来できないところも多く、ちょっと広いところでよく退避しています。
その狭い交差点内にバス停が何と2箇所あります。
しかも、南西の角には信用金庫の駐車場があり、そこに車が絶えず出入りします。
さらに、見通しの悪い狭い通りから人や自転車が入ってきます。
最悪のときは、交差点内に2台のバスが止まり、バス通りも、南北の通りも、そして南西から北東にのびる通りも全部が渋滞して、車がまったく動かなくなり、その間を縫って人や自転車が通行します。
南西に400mほど行ったところに平塚江南高校があるのですが、夕方などひどいときはこの当たりまで渋滞します。
バス通りが優先道路なので、そのほかの通りにいる車は車の切れ目ができるまで待たなければなりません。
上の地図は通りの広さがあまり正確ではなく、北にのびる通りはネックが狭くなっていて、そこは車が2台行き来できず、さらにそのすぐ先には小さな青果市場があり、そこへ行く人や自転車、トラックも数多く、この狭い通りが混雑します。
また交差点内には地図のような広い逆三角形の空間もありません。
かと言って信号をつければかえって渋滞しそうです。
日本国内にはこのようなひどい渋滞を引き起こす交差点はきっとあちらこちらに数多くあるのでしょう。


交通行政のまずさもあるのですが、それよりもさらにまずいのは運転手のマナーです。
みんな我先にと交差点に入るので、それも渋滞の原因になります。
バスの運転手も交差点に入る手前でちょっと止まればほかの通りの車が進めるのですが、当然の権利のようにして交差点内のバス停に止まり、前後左右の渋滞を引き起こします。


昔、フィリピンのマニラに行ったことがあるのですが、乗っていた観光バスの運転手は、交差点の信号が赤でも平気で無視して突っ込むわ、前方がちょっと混雑していると反対側の車線を走るわ、で生きた心地がしませんでした。
これに対して思い出すのは、アメリカでの経験です。
信号のない交差点では、優先道路とかに関係なく、すべての車が一旦停止した後、交互に車が進むのがごく普通のマナーになっていました。
最初これを見たときは本当に驚きました。
また、道路の広いアメリカでは車を斜めに頭から突っ込んで駐車できるところがたくさんあります。
そして駐車していた車がバックして出てくるとき、道路を走っていた車はストップして相手の車が出るのを待ちます。
アメリカが何でもすべていいというわけではありませんが、見習うべきことはたくさんあります。
車の運転マナーはそのうちのひとつです。


みんなが譲り合いの精神で運転するなら、渋滞も事故の数もうんと減ると思います。
譲り合いの精神は、車の運転だけではなく、日常生活のさまざまな面においても活かされるようになると、人間関係はもっとスムーズに、そして気持ちよいものになることでしょう。


今朝、別の場所ですが、狭い通りから広い通りに出るとき、右からも左からも車が続いていてなかなか出られなかったところ、1台の車が止まって通してくれました。
とても嬉しくてその運転手に手を挙げ、何度も頭を下げてお礼をの気持ちを伝えました。
たったこれだけのことで、今日1日気分がとても爽(さわ)やかでした。
そしてその後、例の「魔の変則六差路」で私も止まってほかの車に譲ってお返しをし、さらに気持ち良くなりました。


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謙遜は美徳?

2010.07.24日

「つまらないものですが」
よく聞くセリフです。
とくにこのお中元のシーズンには。
日本人の間では「謙遜は美徳」という観念があって、「謙遜な人はいい人」、「高慢な人は悪い人」といった考えが根強いようです。
確かにこれには一理あります。
しかし謙遜も行き過ぎると問題です。
たとえば冒頭の「つまらないものですが」は、謙遜して言っているのですが、もらうほうとしては「そんなつまらないものならいらない」ということにもなりかねません。


笑い話のような話ですが、昔こんなのを聞いたことがあります。
「何もありませんが、どうぞ隣の部屋で召し上がってください」
これだけだったら何も面白くないのですが、外国人のお客様に昔習った英語を思い出しつつひとりの奥さんが次のように言ったそうです。
"There is nothing to eat, but please eat the next room."
これを聞いた外国人が目を白黒(白青?)させたそうです。
上の英文を和訳すると、
「何もありませんが、どうぞ隣の部屋召し上がってください」
何もないものは食べようがありませんが、部屋を食べろとは!


アメリカ留学中、文化人類学のクラスでアメリカと日本の文化の比較について発表したとき、次のような話をしました(「日本よ、どこへ行く?」)。
「日本では、しばしば自分の妻のことを『愚妻』、息子のことを『愚息』と言います。これは謙遜して言っているのです」
クラスの学生がみんな一斉に大笑いしました。
アメリカ人にとっては、そんな「愚妻」と結婚したあなたはもっと阿呆だ、「愚息」を育てたあなたは何てバカなんだ、ということになるわけです。
ところが興味深いことに、そのクラスの担当教授Dr.Sadovsky(サドフスキー)が、
「自分の出身国であるハンガリーも昔は日本とよく似た感じだった」
とコメントしました。


アメリカ人は、自分の妻のことを「世界で一番美人で、料理は上手く、気立てはよく、最高の妻だ」と言って人に紹介します。
聞いているこちらのほうが赤面します。
同様に、子どものこともさんざん褒めたおします。
ブライアン・トレーシーは、セミナーの中で子どものことをいつもべた褒めしています。
「謙遜は美徳」という概念はアメリカ人にはあまりないようです。


冒頭の「つまらないものですが」も、アメリカ人だったら、
「これは私が非常に気に入っているものです」
と言って、素敵なものをあなたにプレゼントするよ、とアピールします。


文化の違いは、どちらがいい、悪い、正しい、間違っているという問題ではありません。
日本人が常識と考えている「謙遜は美徳」が必ずしも絶対的ではないように、私たちが普段常識と考えているものを別の角度から見直してみることも大切です。


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学院長、カッコいいよ!

2010.07.16日

多分2か月ぐらい前からだと思うのですが、中2の男子生徒が私の顔を見るたびに、
「学院長、カッコいいよ!」
と言うのです。
初めのうちは冗談と受け止めて、
「ありがとう。みんなそう言うよ」
と冗談で返していたのですが、最近段々とエスカレートしてきました。
一昨日はついに何人かが私のことを
「学院長、カッコいい。ニコラス・ケイジみたいだよ」
と言うのです。
まあ、ほめられて気分悪くはないのですが、ちょっと気になることがありました。
みんなニコニコ(というかニタニタ)しながら言うのです。
しかも、よく聞いていると、
「ニコラス・ケイジ」ではなく、「ニコラス刑事」と聞こえるのです。
どうもかつがれているみたいです。
そこで
「もういいよ。冗談は」
と言ったら、
「真面目に、カッコいいっすよ!」
とS君が言うのです。
「真面目に」というのは、いわゆるこれまでの「まじで」の新しいバージョンのようです。


正直、私は自分がカッコいいなどと思ったこともありません。
ましてや、中学生の男子から「カッコいい」なんて言われる覚えもありません。
しかし、誰でも「カッコ悪い」とか「ブスだ」とか「バカだ」とか「うざい」とか言われるよりも「カッコいい」と言われるほうが、たとえ冗談でも気持ちいいものです。
それで私もS君に「学院長、カッコいいっすよ!」と言われたら、「Sもかっこいいよ!」と言い返すことにしています。


先日、バス送迎をしているとき、Rちゃんに
「○○ちゃんのお母さんがRちゃんのことをとてもいい子だってほめてたよ」
先生も本当にRちゃんはいい子だと思ってる」
と言ったところ、
「全然そんなことないですよ」
という返事が戻ってきました。
もちろん謙遜しているのです。
そこで私は
「オーケー、じゃあ、○○ちゃんのお母さんに、Rちゃんは全然いい子じゃないですよ、って言っておくね」
と冗談で言って、
「でも本当にいつもいろいろありがとう。Rちゃんにはとっても感謝しているよ」
と付け足しました。
Rちゃんはニッコリ笑って、元気よくあいさつしてバスを降りました。


人間、誰でもほめられると嬉しいものです。
「ブタもおだてりゃ木に登る」と言うぐらいですから。
それにしても、みんな人のことをあまりほめないのは一体どうしてでしょう。
耳にするのは批判的な悪い言葉ばかりです。
そしてお互いに傷つけあっています。
みんながお互いに相手のいいところを見つけて、それをほめれば人間関係はもっとうまくいき、みんなが幸せな気持ちになり、人生が楽しくなるのに。
教師は生徒を、親は子どもを、夫は妻を、妻は夫を、兄姉は弟妹を、同僚同士で、友達間で、上司が部下を、部下が上司をもっとほめるようになったら、みんなもっともっと素晴らしい人間に成長していくと「真面目に」思うのですが。


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コミュニケーション その3

2010.07.04日

あるとき、私の知り合いの人が妻に言いました。
「ご主人は外面(そつづら)がいいから、家では大変でしょう」
妻はその言葉の意味がさっぱり分からなかったと、言っていました。
私は外でも家でも顔はほとんど変わりません。
家に帰ってきたらお面を付け替えるというようなことはありません。
妻と私はいつもお互いに自然体で接しています。
一緒によく笑いますし、ときには泣いたり、怒ったり、悲しんだり、と喜怒哀楽も共有しています。
そして、どんなことでも話し合います。


妻と私は本当によく話します。
一緒に仕事をしているので、どうかすると1日中ずっと一緒にいることもあります。
一緒にいないのは、バス送迎しているときと、トイレに入っている時ぐらいだ、と冗談半分に言うほど一緒にいる時間が多く、しかもそのほとんどの時間、絶えずいろいろな話題について話し合っています。
一番多い話題は当然のことながら、生徒のことや先生たちのこと、ああしよう、こうしようなど、仕事のことです。
次に家族や親族のこと。
そして、それに負けず劣らずよく話すのは政治のこと。
このほか、友人・知人、人生、信仰、芸術、文化、世の中の出来事、事件、スポーツ、芸能人、私たちの若い頃のこと、将来のこと等など、挙げ出せば切りがありません。
朝目が覚めてから、寝るまで、よくこれほど話すことがあるものだね、とふたりで笑ってしまうこともあります。


しかし、これだけよく話し合っているのに、ミスコミュニケーションをすることがときどきあります。
言ったつもりで相手に通じていなかったり、しっかりと聞いていなかったり、誤解していたりすることがあるのです。
であれば、それほどコミュニケーションに時間をかけない人なら、ミスコミュニケーションが起きないほうが不思議です。
このことに私たちは心しておかなければなりません。
自分は相手のことをわかっていると思うほどわかっていないし、相手も自分のことを期待しているほど理解してないものです。


以前書いたブログ「コミュニケーション」「コミュニケーション その2」をもう一度読み返しながら、コミュニケーションの大切さを改めて肝に銘じた次第です。


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上質な時間

2010.06.03日

子ども手当が一部の自治体で支給され始めました。
子どもの前でニコニコしながらお札を数えているお母さんの写真が新聞に載っていました。
またテレビのニュースを見ていたら、子どものために子ども手当を使うと言って、家族旅行を予約する人が大勢いると言っていました。
また、子ども手当を狙った新しいビジネスがたくさん生まれているようです。


ひとりのアメリカ人の父親が言いました。
「私には3人のティーンエージャー(十代)の息子がいるけど、3人ともアルコールやタバコ、ドラッグ、暴走、その他の問題を起こしたことはないし、毎晩夕食の時間には家に帰ってきて家族一緒に食事をする。反抗期というものを経験したことがない」
それを聞いた人が言いました。
「お子さんが小さいとき、きっとコミュニケーションをとても大切にされたのですね」
「私は息子3人に、それぞれ毎週2時間の時間を費やしました。
あるときは、一緒に散歩しながら話し、また別のときは夕方ポーチで座って何時間も一緒に話し、というふうに一人ひとりとたっぷり時間を過ごしました」


一般に、反抗期は子どもから大人に成長する過程で、自立するために必ず通るべきところだ、とよく言われます。
確かにそのような一面があります。
しかし、だからと言って、誰しもが反抗期を通らなければならないというわけでは決してありません。


小学生の頃はとても素直で、親の言うことを何でもよく聞いていたのに、中学に入ると急に親の言うことを聞かなくなった、という話をよく聞きます。
ある意味、素直で親の言うことを何でも聞いていた子どもほど、時計の振り子のように大きく反対側に振れて反抗期に突入するケースが多いようです。
知り合いだった人の娘は、高校を卒業するまで本当にお手本のようないい子でした。
しかし、大学に入ったとたん、無断外泊したり、親に逆らったりするようになり、親は戸惑って右往左往していました。
子どものうちでは親に対する反動が大きかったのでしょう。


実は、子どもの頃に大切なのは、親の言うことを何でも聞く素直な子に育てることではなく、子どものために親が十分に時間を取って、何でも話し合えるような信頼関係を築いておくことです。
このようにしておくと、子どもは反抗期を通らずに済み、親子ともに辛い、苦しい嵐のような数年間を避けることもできます。


ある人が次のように言っていました。
「子どもの頃、家はとても貧しく、父は毎日一生懸命働いていました。
11歳の誕生日のとき、父は私にプレゼントと言って誕生カードだけをくれました。
私はとてもがっかりしました。
でも封を開けてカードを取り出すと、その中に
『お父さんはお前のために何も買ってあげることはできない。
でも、毎日お前のために1時間は必ず使ってあげる。これがお前への誕生プレゼントだ』
と書いてありました。
父は、仕事が終わって家に帰ってくると、本当に毎日必ず最低1時間は私のために使ってくれました。
この時間は私にとっては宝物のようでした。
これが今日の私を形作ってくれたと言っても過言ではありません。
ですから、私は父親になった今、子どもに同じことをしています」


子ども手当をもらってそれを家族旅行や塾の費用に回したり、物を買い与えたり、といろいろ活用法はあるでしょうが、子どものためにもっと大切なことは、お金を使うことではなく、上質な時間(クォリティ・タイム)を子どもとともに過ごすことです。
そのためにお金を使うのもいいでしょうが、お金がなければできないということはありません。


そして、これは子育てだけに限らず、夫婦関係にも当てはまります。
テレビのCMで、夫が妻にダイヤモンドの指輪をプレゼントするシーンがありますが、ダイヤモンドの指輪よりも大切なものは、夫婦間のコミュニケーションと相互理解です。


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本当に大切なことは

2010.06.02日

鳩山首相と小沢幹事長が辞任するというニュースが、今朝インターネット上で報じられました。
民主党両院議員総会で鳩山首相が、「職を引かせていただく」と辞任の意向を表明するシーンをテレビで見ました。
政治のことをここで云々するつもりはありませんが、私が感じたことは「やっぱりなるべくしてなった」ということです(「夢を実現させたければ」)。


私たちの行動は、そのときどき「もっとも良い」と思うことを選択した結果のものです。
これは必ずしも、道徳的に良いとか、倫理的に良いという意味ではありません。
自分にとって「良い」と思って行動しているのです。
たとえば、嘘をつくのもそれが自分にとって「最善」「益」だと思うからです。
物を盗んだり、人を傷つけたりというようなことさえ、人はそれがそのときの「最善」の行動と考えて選択しています。
鳩山首相も、そのときどき、最善と思うことを精一杯やってきたのだと思います。
でも、当然のことながら、取った行動の結果はついてきます(「蒔いた種を刈り取る」)。


ブライアン・トレーシーが次のような体験談を語っています。
子どもがまだ3〜4歳ぐらいだったとき、家族で散歩を楽しもうと思って出かけました。
しばらく歩いていると、子どもが道端に落ちていた棒切れを拾い、それを振り回して道路脇の草花や茂みをたたいたりし始めました。
子どもがそのことに夢中になって、それまでのようなペースで歩けなくなったことにいらだったブライアンは、大声で子どもを叱り、持っていた棒を取り上げて思いっきり遠くに投げて、子どもの手を引っ張ってさっさと歩き始めました。
子どもは大声で泣き叫びました。
ブライアンは子どもをまた叱って言いました。
「今は、みんなで散歩するために来たんだから、さっさと歩きなさい」
子どもはブライアンの投げた棒のほうを見ながらいつまでも泣いていました。
また子どもに説教し始めたブライアンはふと、自分の子どもの頃の経験を思い出しました。
父親はいつも自分のことを叱るとき、自分の大切にしていたものを取り上げてそれを捨て、自分に痛い目をさせて罰していたそうです。
その父親の姿と自分の姿がダブって見えたその瞬間、ブライアンは自分のしたことの間違いに気づき、放り投げた棒切れのところに走って行ってそれを拾うと、子どものところに戻ってきて言いました。
「ごめんね。お前の大切なものを取り上げて。さあ、気が済むまでいつまでもこの棒を持っていていいよ」
ブライアンは気づいたのでした。
家族で楽しむために散歩に出かけたのに、いつの間にか散歩が子どもよりも大切になってしまっていたと。
このとき以来、ブライアンは何か行動を取るときには、この問題の本質は何か、ということを必ず考えるようになったそうです。


親のメンツにかけて子どもに謝れない、というのはあまりにも度量が小さいです。
子どもだけでなく、部下に対しても、生徒に対しても、間違っていたことは間違っていたと素直に認め、謝り、行動を改める。そこから真の信頼関係が築かれていきます。
これこそ本当に大切なことではないでしょうか。


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心遣い

2010.03.31日

3月12日のブログ「骨肉腫になった!?」に肩を壊したと書いたところ、何人もの生徒や父母の方から
「学院長、肩の具合はいかがですか?」
と声をかけていただいたり、メールをいただいたりしました。
激痛が走った10日から病院に行った12日までの3日間、本当に四六時中痛くて大変でした。
知り合いのJさんがやはり同じ経験を以前にされて、そのときには腕を切り落としたい、と思うほど痛かったとおっしゃっていたのを思い出しました。
私の場合は、腕を肩から切り落としてしまったかと思うほどの痛みでした。
あとでネットで調べてみたら、救急車で運ばれる人もいるとか。
妻と子どもは、そんなに痛かったのになぜ救急車を呼ばなかったの、と不思議がっていました。


3週間経った今は、まだ痛みは残っているものの、あのときの激痛はありませんし、腕も上がるようになり、車も運転できるので日常生活は支障なく過ごすことができています。
ご心配いただき、またお声をかけてくださったりして本当にありがとうございました。


人の心遣いは誰でもうれしいものです。
生徒が「あっ、学院長、髪の毛カットした?」と聞いてくれると、たったこれだけのことでもうれしく感じます。
髪の毛をカットしたのに、夫が全然気づいてくれない、と妻が不満に感じているという話をよく聞きますが、実際そうでしょう。
このようなちょっとした気遣い・心遣いが人の心をなごませます。


去年の12月に突然歯が折れて(「大丈夫」)、それからつい先々週まで3か月という長い間歯医者に通っていました。
F先生は、普段でも道で偶然顔を合わせたりすると、
「舟田さん、お元気ですか?歯のほうはその後大丈夫ですか?」
と声をかけてくださいます。
このような心遣いもうれしいです。


春休みに入って、家族で京都に旅行に行っていたHさんが、昨日久し振りに塾に来て、
「先生、京都に行ってきたお土産です」
と、つぶアン入り生八橋の「おたべ」を持ってきてくれました。
Hさん一家は毎年夏休みには外国旅行に行ったりしますが、いつも忘れずにお土産を持ってきてくれます。
卒塾生もディズニーランドに行ったから、とよくお土産を持ってきてくれます。
このような心遣いもとてもうれしいものです。


とどのつまり、人間関係というのはちょっとした心遣いでスムーズにいくようになるものです。
私も送迎バスを運転しながら、できる限り生徒一人ひとりに声をかけて、塾の勉強の様子を尋ねたり、学校のことや友達のこと、生徒の好きなスポーツや趣味のことを聞いたり、英語の単語を教えたり、生徒と一緒になぞなぞやしり取りをしたりして、生徒と係わるようにしています。


自分の家族や周りの人たちに普段から心遣いをして、気持ちのいい関係を築いておきましょう。
それがあなたの日々の生活を豊かにし、また一生の財産にもなります。


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サービス精神

2010.02.12日

私は幼い頃から喉が弱く、風邪はいつも喉から来ます。
また、喉を痛めて声が出なくなることもよくあります。
授業中、急に声が出なくなることも時々あり、また声が裏返って生徒に笑われることもあります。
でも仕方ありません。


先日来このブログの中に去年の暮れから歯医者に通っていることを書いています。
歯医者では治療の間、長い時間口を開けていなければならないのですが、治療が始まる前にやはり喉の調子がおかしくなることがあります。
そのようなとき、「エヘン、エヘン」(実際にはこんな音ではありませんが)とよく咳払いします。
すると、今通っているF歯科では、受付の方や看護師の方がすぐにうがい薬を持ってきてくださいます。
先日などはコップ1杯のうがい薬を使い終わってもまだ喉が変で咳払いをしていたところ、2杯目のうがい薬を持ってきてくださいました。
また、うがい薬を使ってうがいをしていたときに、失敗して水をこぼし、前掛けを濡らしてしまったところ、「大丈夫ですか?」と先生がすぐにタオルを持ってきて、新しい前掛けに取り替えてくださいました。
このような心遣いは本当に嬉しいものです。
そこで、前回歯の治療が終わったとき、サービスしてくださったうがい薬を分けてください、と言って1本購入しました。


本当のサービスとは、「お客様が期待していない、予期していないことをする、おもてなしの心」ですと、随分前にブログに書いたことがあります。(「本当のサービスとは」
そして、このような真心からのサービスをしてくれるところは、歯医者に限らず、レストランでも、お店でもどこでもよくはやります。


個別指導クラスに来ていた専門学校生のMさんは、将来ホテルで働くのが夢と言っていました。
そこで私は『リッツ・カールトンが大切にする サービスを超える瞬間』という本をお薦めしました。
この本の中に書かれている本物のサービス精神は、ホテル業界だけに通じるものではなく、ありとあらゆる業界、職種、また官公庁のような役所でも活かされるものです。
実際のところ先日、市役所に行った時、とても親切な職員に長い時間、忍耐強く丁寧に説明していただき、感動しました。


私たちも人に感動を与えるような、サービス精神を持つ者になりたいものです。


そうそう、今思い出しましたが、アカデミー学院のトップページに載せた動画が少し重くて、パソコンの環境によってはスムーズに再生されないことがあります。
そのような時は、画面下のポーズボタンを押して、ダウンロードが終わってから、再生ボタンを押すとうまくいくようです。
また画像が少し小さいので、全画面表示もぜひお試しください。生徒の顔の表情などがよくわかります。
音声レベルを調整するのをお忘れにならないように。


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信頼関係

2010.01.10日

私の住んでいる町には、農家の近くに無人の野菜果物販売所が結構たくさんあります。
最近、とくに増えてきたようで、バス停のすぐそばにも小さな台の上にみかんと代金入れの鍵付の筒が置いてあったりします。
中には、農家の入り口に「米あります。5キロ1600円」とダンボールの上に書いたものが貼ってあったりして、こうなるともう立派な商売です。


mujin1.jpg


mujin2.jpg


初めて見たときは、微笑ましいなと思うと同時に正直少し驚きました。
代金を入れる空き缶やかごが商品の横に無造作に置いてあって、これでみんな正直にお金を入れるのかな、と思いました。
また、缶やかごの中のお金を取る人はいないのだろうか、と。
でも、この手の無人販売所の数が増えてきているということは、ほとんどの人が正直に代金を支払っていて、お金を盗む人もあまりいないのだろうと想像しています。
中には、防犯カメラが設置してあるところもあり、やはり不安な人もいるのでしょう。
でも、おそらく全国的にこの無人販売所の数は増えてきているのではないでしょうか。


しかし、私が本当に不安に思うのは代金のことではありません。
スーパーの食品の中に針がいたずらで入れられていることが最近よくあります。
昨日も埼玉のスーパーでまぐろの刺身やうどんに針が混入しているのが発見されました。
幸い事故には至りませんでしたが、危険極まりない悪質ないたずらです。
もとは1984年〜85年頃のグリコ・森永事件が発端です。このときは、お菓子などに青酸カリが混入されていました。
この事件がきっかけで、お菓子を始めあらゆる食品がフィルム包装されることになりました。
今では当たり前になった食品のフィルム包装は、何と25年ほど前まではまったくなく、無防備だったのです。


昔、アメリカにいた頃、ハロウィンになると、近所の子どもたちが "Trick or treat!" と言ってうちにもやってきて、用意しておいたキャンディをあげたものでしたが、ちょうどこの頃、子どもたちがもらったお菓子や果物にやはり毒が入っていたり、カミソリの刃が入っていたりして、社会問題化したことがありました。
これなどは、人の信頼を根底から覆すまことに卑劣な事件です。


私が心配するのは、無人野菜果物販売所に置いてある商品がまったく無防備な点です。
だれかがいたずらで針など危険なものを入れはしないか、ということを恐れているのです。
これは本当に信頼関係の上に成り立っていることです。
日本は世界的に見て、本当に平和で安全な国だと思うのですが、スーパーの針混入事件などが最近増えてきているので、やはり私たち一人ひとりがもっと注意しなければなりません。
無人販売所の近辺に不審な人がいないかどうか、また商品を買った場合、やはり安全性を確かめる必要があるでしょう。


このようなことをしなければならなくなったということは本当に残念なことですが、ただ平和だ、安全だ、と言って慢心するのでなく、このような卑劣な行為は絶対に許さないと決意し、みんなで協力し、安心して暮らせる社会を作っていくことが大切です。
信頼関係はその上に築かれるものです。


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N先生、毎日お祈りしています

2010.01.05日

昨年、3月10日のブログ「潜在意識の力」の中に書いた、小学4年生のときに教育実習に来てくださった西村隆宏先生のことがいつも心にあり、昨年の11月末にメールで近況をお伺いしました。
西村先生から戻ってきたお返事はショッキングなものでした。
「私は今年1月に悪性のリンパ腫が判明し、入退院を繰返しながら化学療法を受けています。リスクもありますが、しっかり現実を受け止め、明るく前向きの姿勢を発揮出来るよう祈り努めています。貴方も健康にはくれぐれも気を遣って下さいね。先ずは、ご報告まで」


西村先生は、私の大切なメンターのひとりです。
なんとしても西村先生に、元通りのお元気な姿になっていただきたいと心から願っています。
そこで、私はこのメールをいただいた日以来、毎日欠かさず西村先生の癒しのためにお祈りしています。
このブログでも何度か書きました寿美江先生も、悪性の脳腫瘍で余命6か月と医師に宣告されたにもかかわらず、手術後2度のMRIで医者が驚くほど経過が良好ということです。(「体温を上げると健康になる」
信じられないような奇跡というのは実際のところ枚挙にいとまがありません。
そして、信じて疑わないなら、そのようになります。


西村先生からのメールに、「明るく前向きの姿勢を発揮出来るよう祈り努めています」とありましたが、これは本当に大切なことです。
『ザ・シークレット』の中に登場するキャシー・グッドマンさんは乳癌と診断されましたが、癌はすでに癒されたと心の中で本当に信じ、「癒されたことを感謝します」と毎日唱えました。
そして、面白い映画を見て、笑って、笑って、笑い続けました。
放射線治療も化学療法もまったく受けず、三か月後完全に癒されていました。
「キャシー・グッドマンの美しく感動的な話は、3つの偉大な力が働いていることを証明しています。それは、感謝の力、良くなると信じる力、病気を消滅させる喜びと笑いの力です」(同書p.208〜209)


西村先生、持ち前の明るさと積極思考で、病を忘れて、身体から追い出してください。
必ず癒されます。


西村先生からの年賀状には次のように書いてありました。
「まだまだ先は長いようですが、焦らずしっかり前向きに立ち向かってまいります」


陰ながら毎日祈り、そして応援しています。
そして再会しましょう。お元気になられてから。
楽しみにしています。


「ブログ、ときどきですが拝読しています。文章、内容、継続、全てに感服しています」とのお褒めのお言葉をちょうだいし、恐縮しています。
私も頑張ります。先生も頑張ってくださいね。


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1000人にひとり

2009.12.19日

去る15日のブログにF歯科で歯の治療をしてもらったことを書いたのですが、その翌日からものすごい腹痛と下痢と吐き気に襲われ、ここ数日とても苦しんでいました。夜中もずっとです。
ひょっとしてインフルエンザ?と思って、熱を測るのですが熱はありません。
あまりにもひどいので医者に行こうと思ったのですが、「ちょっと待てよ。ひょっとしたら...」。
昨日、F歯科に電話してF先生に事情を伝えました。
F先生は、処方した化膿止めの抗生物質はとても弱いもので、まずそのようなことはないと思うけど、念のためメーカーに問い合わせてみます、との返事。
そして今朝、F先生から電話があり、このようなケースはこの20年間1度もなかったけれど、調べたところ0.1%〜3%の割合で腹痛・下痢・嘔吐の副作用が出ると言ってこられました。
0.1%というのはなんと1000人に1人です。1000人に1人から30人、というものすごく狭き門をどうやら私はくぐったみたいです。
昨夜までの症状は今朝ほぼ治まり、まだ少しお腹が緩いものの今日から普通に食事ができるようになりました。
良かった!


そして、今日久し振りに銀だこを食べました。
そのおいしいこと、おいしいこと。感動でした。
銀だこに行ったところ、レジの人がこう言いました。
「お待ちしていました」
この言葉にも感動しました。
そして品物を渡すときには、
「どうぞ、おいしく召し上がれますように」。
もちろん、全部マニュアルどおりの言い回しで、どこの店に行ってもみんな同じことを言うのでしょうが、でも嬉しいですね。このように対応してもらうのは、客として。


上に書いたF先生と、そしてこの銀だこの店員さんに共通していること、それは「サービス精神」です。
サービス精神は人の心を和ませ、幸せにしてくれます。


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大丈夫

2009.12.15日

先週、突然歯が折れて(予告して折れることなどありませんが)、歯医者に行きました。
そして今日は2回目の予約。
麻酔注射を打ってから、残っている根を抜いてもらいました。
F先生は、いつも顔を見ると「どうですか?」と声をかけてくださいます。
今日も麻酔を打つ前に「大丈夫ですか?」と尋ね、麻酔を何ヵ所か打ちながら「大丈夫ですか?」、打ち終わってからも「大丈夫ですか?」、しばらくして見に来て、「大丈夫ですか?」、根を抜きながら何度も「大丈夫ですか?」、抜き終わってからも「大丈夫ですか?」と、何度も何度も「大丈夫ですか?」と尋ねてくださいました。


私は幼稚園の頃行っていた歯科医の光景にタイムスリップしました。
M歯科医院のM先生は若くてきれいな女医さんでした。
私はこの先生が大好きで、歯医者に行くのは全然苦痛ではありませんでした。
小学1年のとき随分遠くに引っ越しましたが、小学生の間はずっとM先生を慕って、電車を乗り継いで通っていました。
M先生はいつでも、笑顔で優しく、「大丈夫?」と尋ねてくれ、治療が終ると決まってキャラメル1個をくださいました。
もうこれだけで、私はいつも痛みにも耐えられ、「大丈夫」になるのでした。
このことがあって、私は歯医者は全然怖いと思ったことがありません。
歯の調子がちょっとでもおかしいと思うと、すぐに歯医者に行きます。


先日のブログ「ありがたい、ありがたい」の中で、普段からの口ぐせが大切だ、というようなことを書きましたが、私の口ぐせは何かと考えてみたら、「ありがたい」と、「大丈夫」でした。
困ったときや、行き詰ったときも、苦しいときも、私はいつも「大丈夫」と自分に言い聞かせます。
また周りの人たちにもいつも「大丈夫」と言って励まします。
実際のところ、「大丈夫」と思っていると、不思議と道が開けていくのです。


また、この「大丈夫」は人間関係においても大切な役割を果たします。
それは「信頼関係」です。
私が歯医者を恐れないのは、この「大丈夫」のお陰で、歯医者を信頼しているからです。
信頼していると、歯医者に行くのは苦痛でなく、あまり痛くもなく、しかも早く治ります。(実際、今朝治療していただいたところは、かなり深い根を抜いて、歯茎を縫っていただいていたのですが、ほんの数時間で止血し、痛みもありません)


塾も同じで、信頼してくださっている親御さんのお子さん(または塾を信頼してくれている生徒)は力がつき、成績もぐんぐん伸びます。そして志望校に合格します。
信頼してくださっていないと、なかなか伸びません。(信頼されていないということは、コミュニケーションのまずさなど、こちらの努力不足やもあるのでしょうが)


親子や夫婦、兄弟などの家族関係、学校での友達関係、教師と先生との関係、職場での同僚同士、上司・部下の関係、親戚づきあい、近所づきあい、さらに国と国との関係等なども、全部この信頼関係の上に成り立っています。


鳩山首相がオバマ大統領に「大丈夫。私を信頼して」と言ったそうですが、後になってその約束を翻せば、当然信頼関係は壊れてしまいます。


あなたは、自分の周りの人に「大丈夫」というメッセージを送っていますか?


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またいじめ...

2009.11.22日

沖縄県で、中学2年生の男子生徒が同級生の8人から集団暴行を受けて亡くなった、といういじめのニュースが報道されています。
犠牲となった男子生徒の苦しみとそのご家族の無念さを思うと、心が張り裂けそうになります。
ここしばらくいじめのニュースを耳にしないな、と思っていた矢先でした。
毎回のことですが、このような事件が起きるたびに、前回の事件の教訓が生かされていなかった、という反省の声が聞かれます。


実は、私自身も子どもの頃いじめにあった経験があり、いじめられている子どもの悲痛な叫び声が耳に響くような気がします。
小学校の頃、私の名前が「譲二」と少し変わっていたため、同級生からいじめられました。
「ジョージ、ジョージ」と言っているうちに、いつの間にかそれが「ゾーリ」になりました。
私は親につけてもらった自分の名前に誇りをもっていましたが、それでもその名前ゆえにいじめられたときには親に「なんでもっと普通の名前をつけてくれなかったの?」と泣いて訴えたこともありました。
また赤い靴下を履いていたり、髪の毛を七三の横分けにしていたり、身体測定のときほかの男子がみんなデカパンを履いている中、私だけがブリーフを履いていたため、「女だ」と言っていじめられたこともありました。
このときも、親に「ぼくも普通の子が履いているパンツを履きたい」と懇願しました。
今から考えると他愛ないことなのですが、当時の私にとっては大問題でした。
小学5年生のときには、体育の時間に野球をやったのですが、野球のルールなどを一切教えられないままいきなりゲームをやることになり、バッターボックスに立っていた私に、いつもいじめる子が「舟田、走れ!走れ!」と大声で叫ぶので、私は何もわからないまま1塁の方に向かって走り始めました。
その瞬間、みんなが笑ってからかい、穴があったら入りたいほど恥ずかしい思いをしました。
このあと、公園でやっていた草野球の仲間に入れてもらい、野球はうまくなり大好きになりましたが。


中学のときも何度かいじめにあいました。
中1のときのいじめは陰湿でした。
同じクラスの2・3人から「どろぼう、どろぼう」と言われ、掃除の時間には「さぼるなよ」と何度も言われ、「ちゃんとやっている」と言うと、「さぼってるって誰が言った?さぼるなよって言ってるだけだ」とすごまれました。
段々エスカレートしていって、このときは追い詰められ、本当に死にたいとすら思いました。
いじめられていることを思い切って父に打ち明け、いじめている子の家に父についてきてもらって、「もうこれ以上いじめないでほしい」とありったけの勇気を振り絞って言いました。
それでいじめはやみました。
その後も、電車の駅のホームで上級生にからまれて裏に連れて行かれ、殴られそうになったことがありました。
このときは、別の上級生が見ていて、間に入ってきてくれて助けられました。
中3の修学旅行のときには旅館で、よそのクラスの子が私を彼の部屋に連れて行き、数人で私を取り囲み胸ぐらをつかんで「生意気だ」と言って殴りかかろうとしました。
このときも、部屋にいた別の子が「やめろ!」と言って間に入って助けてくれました。
その後も、同じメンバーの生徒がたびたび私のクラスに呼び出しに来ましたが、クラスの仲間がその都度助けてくれました。


私は別にいじめられっ子ではありませんでした。ごく普通の子です。明るくて、友達もたくさんいました。
それでもいじめられました。
そして、いまだに深い傷が心に残っています。


いじめは犯罪です。
沖縄の事件のようにいじめがエスカレートして、暴行で人を死なせることもあれば、自殺に追いやることもあります。
またその人を生涯トラウマで苦しませることもあります。
逆の立場で自分がいじめられるほうになったら、それがどれほど恐ろしいことかわかるはずです。
私の場合は、たまたま近くにいた人のお陰でその都度守られてきました。
いじめを目撃したら、みんなで協力していじめられている人を助けましょう。
またいじめられている人は、ひとりで悩まずに誰かに打ち明けて助けを求めましょう。
いじめている者に対して、死んでし返してやろうとすることは、親や家族、親しい友達を悲しませるだけで、正しい解決法ではありません。
いじめに対しては、やられている人も、周囲の気づいた人も、みんな勇気を持って立ち向かいましょう。


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コミュニケーション その2

2009.11.09日

前回4月23日にもこのブログで「コミュニケーション」について触れました。
その中で、子どもは fragile (壊れやすい)ので Handle with Care (取り扱い注意)、また子どもだけでなく家族や周りの人たちに対しても丁寧な言葉使いをしましょう、と書きました。


さて、「コミュニケーション」と言うとほとんどの人は「言葉」だと思います。
しかし、心理学者が実験・研究した結果、コミュニケーションにおいて「言葉」が占める割合はたったの7%だそうです。
それでは残りの93%は何かと言うと、38%が声の調子、55%が顔の表情やジェスチャーなのです。


例を挙げると、妻が夫に
「あなた、最近私に愛してるって言ってくれないわね。もう私のことを愛してないの?」
と言ったとしましょう。
すると夫が言います。
「愛してる、愛してる、愛してる!愛してるったら愛してる。ハー...。もういいだろう?」
これを聞いた妻は、
「あー、自分は夫に本当に愛されている!」
って感じるでしょうか?
答えはもちろん「ノー!」です。
いくら口で「愛してる」と言っても、言い方やその時の顔の表情などで「愛していない」というのが伝わります。
逆に、「愛してる」と言わなくても、普段の生活の中で夫が妻に優しく接し、妻のために毎日一生懸命生活していれば、それで十分夫の愛は伝わります。
それが本当のコミュニケーションです。
ですから、「コミュニケーション=言葉」ではないのです。


口がひとつで耳がふたつあるのは、話すよりも聞くことに2倍の時間を使いなさい、というようなことがよく言われます。
これは真理です。
人はみんな自分の話を聞いてもらいたいものです。
生徒たちの会話を聞いていると、誰かが何か言うと、
「私なんかこの間...」
というようにすぐに自分の話をし始める子がよくいます。
人の話を横取りしてしまうのです。
このこと自体が、みんな自分の話を聞いてもらいたいと思っているということの現れです。


みんながみんな、自分の言いたいことばかり話していたのでは会話は成り立ちません。
ということは、会話の上手な人は、聞き上手な人だということです。
自分の言いたいことはちょっと我慢して、相手の話をよく聞いてあげる。これが一番大切なのです。


そこで「聞き上手」になるためには、ただ単に「言葉」と「声」をふたつの耳で聞くだけでなく、相手の顔の表情やしぐさ・ジェスチャーなども同時にふたつの目でしっかり見ることも必要なのです。
なぜなら、上で述べたように、コミュニケーションの半分以上(55%)が顔の表情・ジェスチャーによるからです。


会話は口と耳だけでなされているのではありません。
目も大きな働きをしています。
でも、もっと大切なのは、ハートです。
いくら笑顔で話していても、心が伴っていないとそれはすぐに伝わります。


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十頭身美人 !?

2009.10.29日

先日、名古屋方面に行った時のこと。
コンビニに入ったら、なっ、なんと...十頭身美人(!?)に出会ったのです。
一瞬、目を疑いました。
一昔前は、「八頭身美人」という表現をよく耳にしましたが、最近の若い人は八頭身はもう標準になりつつあるようです。
しかし、十頭身には正直驚きました。(正確には九頭身かもしれませんが)
ヒールを履いているわけではありません。
実際、キリンのように長い首の上にちょこんと小さな頭が乗っている感じ(まるでモディリアニの絵の中のモデルのよう)で、体はとてもスマートで、足がものすごーく長い!
一緒にいたその人の友人もとてもスタイルがいいのですが、その人は明らかにほかの誰をも寄せつけないほど群を抜いていて、コンビニの中でも頭ひとつ分、ほかの人よりも背が高かったのです。
しかも美人!
妻にそっと教えると、妻もびっくり仰天。
「きっとプロのモデルさんよ」
でも、外人のカッコいいモデルでも、こんな十頭身の人は見たことがありません。


世の中にはいろいろな人がいるものだ、と変に感心したわけですが、一般の人たちは女優や俳優、タレントなど、美人、イケメン、カッコいい人を見るとキャーキャーと騒ぎ立てます。
確かに、人間誰でも美しい人にあこがれます。
それ自体は別に悪いことではありません。
問題は何かというと、八頭身や九頭身の人をちやほやして、逆に六頭身(?)や七頭身の人を見下し、差別することです。


神様の創造の御業(みわざ)は、すべてが最高で、差別はありません。
差別するのは人間の心です。
言い方が少し悪いですが、いわゆる一般に言うところの「見栄えがいい・悪い」は、神様の目から見れば、みんな等しく素晴らしい作品で、違いは単なる個性に過ぎません。
現に、違う価値観を持つ国に行くと、美人・イケメンの基準はまったく異なります。
この世の中から差別を完全になくすことは難しいと思います。というか、不可能でしょう。
でも、私たちは日常の生活の中で、他人をうらやんだり、また見下したりするのはやめたいものです。
比較すると、劣等感にさいなまれるか、高慢になるかのどちらかです。
そして、これは本当にくだらないことです。
このくだらないことによって、いかに多くの人が傷つき、苦しんでいることでしょう。


自分も含めて、人をありのまま受け入れ、認めること。これがすべての人間関係の始まりではないでしょうか。


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人を変えようとするな 2

2009.10.15日

去る5月にも同じタイトルでブログを書きました。(人を変えようとするな)
このトピックはあまりにも大切なので、何度でも書く必要があります。
(英語で言うと、
This topic is so important that I have to write about it again and again.)


以前読んだ本に次のようなことが書いてありました。
ある女性が通う(確か)人間関係のクラスか何かで、講師が、
「自分にどのように変わってもらいたいか伴侶に尋ねてくるように」
という宿題を出したそうです。(もちろんアメリカでの話です)
そこでその女性が夫に尋ねたところ、
「何も変わってもらいたいことはないよ。今の君のままでいい」
という返事が返ってきたそうです。
そのことを彼女がクラスで発表したところ、講師を始め、クラスのみんながとても感動したそうです。


素晴らしいですよね。
私たちは誰でもひとつやふたつ(いや、きっとたくさん)、夫に、妻に、子どもに、親に、兄弟に、親戚に、友人に、教師に、生徒に、会社の同僚に、上司に、部下に...変わってもらいたいと思っていることがあるのではないでしょうか。
でも、よく考えてみると、周りの人も私たちのことを「〜のように変わってくれたらいいのに」と思っていますが、私たちは決して変わろうとしません。
むしろ、人に言われると不愉快になるものです。
人間、みんな自分自身の考え方、価値観、好み、やり方、生き方等があるものです。
それを人に変えようとされるのは、みんないやなのです。
ならば、私たちも人を変えようとしてはいけません。
自分と異なる価値観を持つ人を、そのまま受け入れ、認めなければならないのです。
それが良好な人間関係を築きます。
むしろ、人を変えようとする無駄なエネルギーを、自分を変えるために使うほうがよっぽどいいです。


私たち夫婦は、朝起きるといつもお互いに、
「Good morning! 今日も1日よろしくね!」
と挨拶します。
そして、夜寝るときは必ず、
「今日も幸せな1日だった。ありがとう」
「ありがとうございます」
「Good night!」
と言って床につきます。
そうすると、心がポカポカと温かくなってきて、すぐに眠れます。一晩中ぐっすりと。
相手を変えようと思って、イライラして眠れないより、よほど健康的だと思いませんか?
「結婚して20代は情熱、30代は惰性、40代は忍耐、50代はあきらめ、60代になって感謝」
ということを昔聞いたことがありますが、感謝するのに何も60代まで待つ必要はありません。


新聞の「人生案内」の相談内容を見て、今日のトピックを考えました。


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「寛大」と「いい加減」

2009.10.03日

「寛大」というといいイメージです。
しかし、「いい加減」というと悪いイメージです。
でも、しばしば「寛大」と「いい加減」は表裏一体です。


今週の火曜日にアメリカにいる正人に銀行から送金しました。
すると木曜日に銀行から電話があって、口座の名義と口座番号が一致しないので送金できない、番号を確認して銀行に手続きに来てほしいと連絡がありました。
そこで何度も正人にメールを送ったり、電話したりするのですが返事がありません。
日本とアメリカでは時間がちょうど逆で、日本の正午は向こうの真夜中。生活時間が合わず、うまく連絡が取れないのです。
何とか金曜日中に手続きしたいと思っていたのですが、結局正人から連絡はありませんでした。
銀行に手続きに行くのは来週の月曜日になり、送金はさらにその後になるとあきらめていたところ、今日正人からメールがきました。
12桁もある口座番号の4桁目の数字を間違って伝えてきていたのです。
ところが、驚いたことに自分の口座に私の送金した金額がちゃんと入金されていて、すでに水曜日に必要なお金を引き出すことができたというのです。
???
唯一考えられるのは、アメリカの銀行が4桁目の番号が違うのを「寛大」に処理してくれて、入金してくれたということです。
日本の銀行は正しい口座番号を持ってきて訂正の手続きをしてくれ、それには2500円の費用が必要だ、と言っていたのですが、向こうではその手続きなしで処理してくれたのです。
私の最初の印象は「アメリカはなんていい加減なんだ。日本では考えられない」というものでしたが、日本のように杓子定規でないアメリカでは結構融通が利き、「寛大」に処理してくれたわけで、昨日正人から連絡が来なかったお陰で手続きの費用もかからず一件落着となったのです。


昔、聞いた話ですが、アメリカで新車を買った人がドアのあたりで異音がするのに気づき、ディーラーに持って行って見てもらったところ、内張りをはずすと何とコカコーラのビンと腐ったハンバーガーが出てきたとそうです。おそらく工場でその車を作っていた作業員が昼食を摂りながら仕事をしていて、そのままドアの中に置いたまま忘れて内張りを張ってしまったのでしょう。
これは、実に「いい加減」です。


今日、床屋に散髪に行ったところ、床屋さんが昔、旅行先のオーストラリアで床屋に入ったら何と鏡がなかったというのです。散髪が終わって、「オーケー?」と聞かれたけど、自分の姿を見ていないので、オーケーなんて言えるわけがない、なんて「いい加減なんだ」と思ったそうです。
日本の床屋では、髪の毛をカットした後、顔そり、シャンプー、さらに鼻毛を切ってくれたり、肩をマッサージしてくれたりしますが、アメリカの床屋はカットだけ。しかも、終わった後肩の上には髪の毛がたくさんついたまま。
「いい加減」です。
でもアメリカ人にとってはそれが当たり前。「寛大」なのです。


アメリカのデパートで買い物をすると、茶色のペーパーバッグに買ったものを全部そのまま入れるだけで、一切包装はありません。
今日、デパートで商品券を買ったところ、商品券を箱に入れ、それを包装紙で包み、その上にのしがみをつけ、それを紙袋に入れて、さらにデパートの大きなビニールの袋に入れてくれました。
アメリカでは考えられません。
日本は異常なほどにまで気を遣います。神経質、サービス過剰です。


どちらがいい、悪いという問題ではありません。文化の違いです。
アメリカ人は「寛大」であり、同時に「いい加減」です。
日本人は「サービス満点」であり、同時に「神経質すぎ」です。


長所と短所はしばしば表裏一体です。
人を見るときに、あるいは自分の子どもや伴侶に接するときに、短所に目を留め批判的になるのではなく、長所に目を留め感謝するよう心がけたいものです。


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本物の善意

2009.09.28日

今から27年前、私は結婚して妻と一緒に2度目のアメリカ留学をしました。
最初の留学の時も貧乏学生でしたが、このときはさらに貧乏でした。
前回の留学のときお世話になっていた教会のNさんのご厚意で75ドルという信じられないほど安い家賃で一軒の家に住まわせていただくことになっていました。
友人の鶴田さんが空港に迎えに来てくださって、教会近くのその家まで送ってくださいました。
この家は、家主のNさんが建てられて、ご自分が住まれたあと、何人もの教会の人が住み、さらにその後は日本から来た留学生が数多く住んでいました。
私はその家をよく知っていたのですが、妻は私が言った「古い家」というのをどのようにイメージしていたのかわかりませんが、家に着いてリビングのソファに腰掛けたとき、そのあまりの古さに驚いて言葉を失っていました。
天井には数箇所雨漏りのしみがあり、家具は昔私自身が使っていたものでしたが薄汚れていて、ベッドのマットレスはしみだらけ、バスルームには西部劇に出てくるような脚のついたバスタブが床の上に置いてありました。
私たちはこの家に1年ほど住んでいましたが、ある日トイレで用を足して立ち上がろうとしたら、便器がドーンと大きな音を立てて横に倒れてしまいました。
Nさんに頼んでプラマー(水道屋)に来てもらったところ、倒れた便器を見て大笑い。
そして、もうこの便器は直すまでもない。家自体がもう寿命だと言いました。
無理もありません。築50数年経っていた家でしたから。
でも、この家を出て通っていたタルボット神学校の近くのアパートに引っ越すのには勇気がいりました。
家賃が75ドルから450ドルに一気に上がったからです。
このときは、奨学金が下りたり、教会の方々が神学生献金してくださったり、食料品を届けてくださったりして難局を乗り切ることができました。


そして無事卒業し、帰国しました。34歳のときのことです。
このときも無一文でした。
一緒に働かせていただいた教会の牧師先生がふとんをくださったり、さらにご自分の使っていた車までくださいました。
その後、独立して教会を始めようとしたとき、知人にある人を紹介していただきました。実力者だからきっといろいろ力になってくださるだろうと。
東京のとある駅に迎えに来てくださったその方は、最高級車のベンツに私を乗せて隣県の自宅まで連れてくださいました。
途中、「ここが私の経営している店」「ここは私のレストラン」などといくつかご自分の事業を紹介してくださいました。
「ここが私のお屋敷です」
と案内された大きな家の玄関には立派な置物があり、応接室にはトラの毛皮が敷いてありました。
お茶をいただいたあと、その方が以前経営していた工場に連れてくださいました。
「今は使っていないので、この建物を自由に使ってください。中には、狭いですが住まいもあります」
と案内された工場は廃屋で真っ暗。はしごを上がっていった2階の住まいとは四畳半ひと間の、まるでお化け屋敷のようなところ。
「家賃は安くしておきます」
と言われたとき、私はショックで言葉を失いました。
そして丁重にお断りしてすぐに帰途につきました。


ロサンゼルスでお世話になった家は確かに便器が倒れるほど古く、雨が降ると雨漏りもしました。
冷蔵庫の中にはアリが入ってきて食品にたかったりしました。
寝ていたベッドの中にもアリが入ってきました。
でも、この家は大家さんのNさんの愛情がこもっていました。
本当の善意が伝わってきました。
Nさんご自身は生涯質素な生活をし、『佐賀のがばいばあちゃん』のように、自らは貧しくしていても人のためには惜しみなく与えました。


ここに本当の善意を見ることができます。
本物の善意は人を感動させ、その人をさらに新しい善意へと駆り立てます。
これが「ペイ・フォワード」の精神です。


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思いやりの心 2

2009.09.21日

先日(9月13日)、大和カルバリーチャペルの礼拝で、早稲田大学名誉教授で、現在恵泉女学園大学学長の木村利人先生がメッセージをされました。
私はこのときまで知らなかったのですが、木村先生はあの世界的に有名な「幸せなら手をたたこう」の歌を作詞された方です。
学生時代からボランティアを数多く体験し、フィリピンの農村復興運動に参加し、現地の青年達と一緒に汗を流して村にトイレを作る作業をしていたときに生まれたのが、坂本九さんが歌って有名になった「幸せなら手をたたこう」だったのです。


「利人」というお名前は「としひと」と読むのではなく、「りひと」と読みます。
その由来は、ドイツで医学を学んだ伯父さんがゲーテが好きで、ゲーテの最後の言葉、
「もっと光を」 (ドイツ語で Mehr Licht ミーア リヒト、英語では More Light.)
の光(リヒト)から来ているとのこと。
伯父さんが東京で産婦人科の病院を建てるときに、新しい時代に生まれてくる子どもたちが、人々に新しい光をもたらすように育ってほしいという願いを込めて「リヒト病院」と名づけ、その病院で最初に生まれた赤ちゃんが木村先生でした。ご両親は「リヒト」(光)という音と、漢籍の「損己利人」(己を損し人を利す)という字を合わせて「利人」と命名されたそうです。


木村先生はバイオエシックス(生命倫理)の研究で世界的な権威です。
日本にインフォームド・コンセントの概念を紹介されたのも木村先生です。
バイオエシックスについて木村先生は、次のようにおっしゃっています。
「命や生き物、暮らしに関するあらゆることを視野に入れた分野です。かけがえのない自他の命を守るために、一人ひとりが命の尊厳と人権の尊重について考えましょうという思いが根源にあります。人間の命のはじまりから終わりまで関連してくるすべてを扱うと言ってもいいですね。だから、バイオエシックスは、単なる学問ではなくて、『命の尊厳』を核にして世の中をつくっていく運動と考えてもらってよいと思います。
一人ひとりが自立した社会をつくるということは、お互いに一人の人間を大切にする『思いやりの心』を育てる社会だともいえるでしょう。バイオエシックスは、自立と思いやりの心を育てる運動といえるのではないでしょうか」


今の日本、また世界の国々を見回すとき、どの国も、また人々もみんな自己中心、自分の利益ばかりを追い求める風潮が強いように思われます。
自分の利益を得ることが幸せにつながる、と錯覚しているように見えます。


ご両親が「利人」と命名された願いをまさに木村先生は具現化されました。
私たちも、日々の生活の中で、人に対する「思いやりの心」を実践するものでありたいと思います。


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日本よ、どこへ行く?

2009.09.05日

アメリカに留学していたときのことです。
親友のポールの家に遊びに行った時、彼のお父さんとゆっくり話す機会がありました。
日本の家族・家庭について尋ねられて、私は当時の日本の家族関係について話しました。
お父さんは私の話を聞いて言いました。
「アメリカも昔はそうだった。自分の子どもの頃の家族関係はまさにそんな感じだった」
今から30数年前のアメリカの家庭では、母親が働きに出て、家族は食事もバラバラ、生活時間帯もみんなバラバラで、お互いに顔を合わさないこともしょっちゅうという感じでした。
ポールのお父さんは、日本の家庭がうらやましい、と言っていました。


同じ頃、私は文化人類学のクラスを取っていました。
教授はハンガリー出身のDr.Sadovsky (サドフスキー)という先生で、ひどいハンガリー訛りの英語で話していました。
このクラスでは前半はアメリカインディアンの歴史や文化、生活などについて学びましたが、後半は学生一人ひとり、レポートを書いてクラスの前で発表するという課題が与えられていました。
私はアメリカと日本の人間関係の違いについて、言語の違いや文化の違いを交えてプレゼンテーションしました。
アメリカ人の学生はみんなとても興味をもって話に聞き入ってくれました。
そしてプレゼンテーションが終わると、一斉に質問を浴びました。
最後に、サドフスキー教授が締めくくりをして言いました。
「ありがとう、ジョージ。
実は、君の話を聞いていて、自分が住んでいた昔のハンガリーを思い出していた。
人間関係が君の話した日本のそれとそっくりだ。
しかし、今日ではハンガリーはもうすっかり変わって、アメリカと同じようになってしまった」


今日、ふとこのクラスの光景を思い出しました。
そして、今の日本の人間関係・家族関係を考えると、なんと当時のアメリカのそれとそっくりになっているではありませんか。
日本も遅ればせながら、欧米と同じようになってきた。しかし、残念なことに日本の昔の良さを失ってしまった。
まさに、ポールのお父さんが、そしてサドフスキー教授が嘆いていたのと同じことが、今日の日本でも起こっている。
私は愕然としました。


日本でも、パーティをしたり、旅行に出かけたりと、生活スタイルは欧米化したのですが、家族関係・人間関係が希薄になり、表面的になってきたような感じがしてなりません。
昔は近所の人たちとの係わりがもっと親密で、作った料理のおすそ分けを隣近所に持って行き、その器にお返しの手作り料理がのって戻ってきたものです。
近所の家族構成や一人ひとりの名前も知っていました。
ところが今はどうでしょう。
近所の人の家族構成どころか、誰が住んでいるかすらわかりません。
ほとんど顔も合わさないし、挨拶さえしない。
他人に干渉されたくない、という個人主義が、いつの間にか冷たい人間関係になってしまいました。
これからの日本は果たしてどうなるのでしょうか?


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アラジン効果

2009.07.20日

前にこのブログで「マタイ効果」について書いたことがあります。
「おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう」(マタイ福音書25:29)
という聖書の箇所から命名したもので、
「豊かな者はますます豊かになるが、貧しい者はますます貧しくなる」という社会現象から、音楽やスポーツの才能等など、いろいろな分野にこのことが当てはまります。


また、「魔法のランプ」についても書いたことがあります。
アラジンの魔法のランプのように、真剣に願うことはかなう、といった内容です。


今日のブログに書くことは、人間関係においての「アラジン効果」です。
「成功の9つのステップ」で有名なジェームス・スキナーさんは、7つ目のステップのところで「思い切った行動」について語っています。
そのひとつの例として、私たちはとかく人にお願いするのを遠慮したり、初めから無理だろうと思い込んであきらめてしまったりして、人にお願いすることを躊躇します。
「聞きもしないであきらめるな」とジェームスは言います。
聞いてみると案外うまくいくことがある、これを「アラジン効果」と彼は呼んでいます。


さて、人間関係において、私たちは人にこうしろ、ああしろ、と命令することがよくあります。
とくに会社などの組織内では上司が部下に、学校では先輩が後輩に(教師も生徒も含めて)、家庭では夫が妻に、親が子に、兄姉が弟妹に、と上下関係が存在するところでよく見られます。
上の立場にいる人は下の人になかなかお願いしにくいものです。
たとえば、親が子どもに向かって注意するとき、ついつい感情が先に出てしまって、怒鳴ったり、叱ったりとなりがちです。
怒鳴られたり、叱られたりして嬉しい人はいません。
でも、このようなときに、ひと呼吸おいて冷静に、
「〜してほしいんだけど」
「〜してくれたらありがたいんだけど」
というふうにお願いに変えると、相手もスムーズにその願い事を聞き入れ、応えてくれるものです。
これが良好な人間関係につながっていきます。


これもひとつの「アラジン効果」です。


今日からアカデミーの夏期講習が始まります。
この夏大いに飛躍するのを目標に授業に集中するように、毎日規則正しい生活を送って悔いのない夏にするように、生徒たちにお願いしましょうか...。


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Win-Win の関係

2009.06.26日

「早起きは三文の得」というのを英語で
"The early bird catches the worm."
(早起きの鳥は虫を獲る)
と言います。


次はアメリカでのジョークです。
遅寝、遅起きで夜中に遊び歩く息子に父親が説教して言います。
「早起きの鳥は虫を獲る」って言うだろう?
すると息子が父親に尋ねます。
「じゃあ、鳥に食べられてしまう虫はどうなの? 早起きするから鳥に食べられるんじゃないの?」
すかさず父親が答えます。
「よく聞きなさい。この鳥に獲られる虫は早起きしたんじゃないんだよ。夜通し遊んでいて、朝帰りする途中だったんだ」


なるほど。ものは言い様です。
上の英語のジョークを日本語に翻訳するときに、"The early bird catches the worm." を「早起きは三文の得」と言ってしまうと、このジョークは相手に通じません。


確かに、世の中を見回すと、一方で得する人がいれば、他方で損をする人がいます。
いつもそうと言うわけではありませんが、そのようなケースが多いようです。
でも、知恵を用いると、両者とも得をすることもあります。
これを英語で Win-Win の関係と言います。

いくら自分が正しいと思っていても、それを相手に主張することによって角が立つようであれば、結果的には自分も傷つき、損をすることになります。
人は元来自己中心なので、自分が折れることは好ましく思わないものです。
しかし、「負けるが勝ち」という言葉があるように、言いたいことをあるときには呑み込むことによって、相手の気分を害することをせず、自分も傷つかず、良好な人間関係が築けるということがよくあります。
これもある意味 Win-Win の関係です。


私たちは毎日、一瞬一瞬、絶え間なくAかBかという選択を迫られています。
このようなときに、賢明な選択をすると、良い結果がついてきます。
感情に振り回されるのではなく、できる限り理性的に、相手にとっても、自分にとっても益となるような選択をしようではありませんか。


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パズルのワンピース

2009.06.09日

「世界の真ん中に自分がいるからどうしても行き詰まる
ほんとはだれもがパズルのワンピース
神に置かれた場所で隣の人と手をつなぐ
でこぼこばっかでみんな変な格好
そう言う自分もやっぱ変な格好
ほんとはだれもがパズルのワンピース
神に置かれた場所で隣の人と手をつなぐ


それぞれ得意と苦手があるからみんなが助け合える
たがいにつながればイエスさまのつくった
ひとりひとりの命の素晴らしさが見えてくる
ひとりだけではなんかあじけない
でこぼこなのはつながるためだから
ほんとはだれもがパズルのワンピース
神に置かれた場所で隣の人と手をつなぐ」


去る5月31日、愛知県岩倉市の岩倉キリスト教会でイースター礼拝を守りました。
礼拝の中で小さな子どもたちが可愛い賛美をしました。
上の歌詞がそれです。
みんな笑顔で、手話で歌詞を表しながら、踊って賛美していました。
とくに最後の「でこぼこなのはつながるためだから
ほんとはだれもがパズルのワンピース
神に置かれた場所で隣の人と手をつなぐ」
のところを聴いたとき、感動して胸がジーンとなりました。


今、バッハの全作品集CDを送迎バスの中で毎日聴いています。
小さくて目立たない楽器から、スポットライトを浴びるような楽器まで、一つひとつの楽器がそれぞれのパートをきっちりとこなしています。
どれひとつが欠けてもバッハが心に描いていた曲にはなりません。


私たちもそうです。
俳優、女優、歌手、モデルのように脚光を浴びるような美しい人もいれば、そうでない人もいます。
体が大きくてスポーツが万能の人もいれば、そうでない人もいます。
ノーベル賞を取るような頭の良い人もいれば、そうでない人もいます。
金持ちの人もいれば、そうでない人もいます。
しかし、この世の中は、こういった人たちみんなで成り立っています。
みんなでこぼこだらけです。
でも、でこぼこだからこそ、一人ひとりがくっついて大きな絵になるのです。不必要な人などひとりもいません。
私たちはみんなパズルの中のワンピースです。


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人を変えようとするな

2009.05.26日

他人を自分の思うように変えようとする人がたくさんいます。
とくに親にその傾向があります。
私の好きな作家、シドニィ・シェルダンの代表作Master of the Game (日本語タイトル『ゲームの達人』)では、主人公が息子を自分の思いどおりにしようと思って策略を張り巡らすうちに、息子は母親の陰謀を知ってついには気が狂ってしまいます。
シドニィ・シェルダンの作品は全部読みましたが、どれも人間の心理をついていてとても面白いです。
日本語訳もありますが、どのページにも誤訳が4〜5ヵ所あり、やはり原語で読むと迫力が全然違います。原語で読めるようになるのを目標に英語を勉強するのもひとつの方法です。
Master of the Game は何度も繰り返し読みましたが、ストーリーがわかっていても面白いです。


話がそれましたが、自分の思いどおりに人を操ろうとしていい結果は絶対に生まれません。
人は誰でも他人の思いどおりに動かされることを好みません。
聖書の一番初めに創世記がありますが、3章に人間の堕罪の記事が出ています。そして、神は女(エバ)に向かってこう言われます。
「あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる」 (創世記3:16)
この「あなたは夫を恋い慕う」という言葉は原語で、「あなたは夫を支配したがるようになる」とも読み取れる表現が使われています。(英語では Your desire will be for your husband.)
つまり、人類最初の女性エバは、罪の性質を持ったため、夫アダムを支配しようとするようになった、しかしそれに対してアダムは力づくで妻のエバを支配するようになった、というわけです。
そしてこのことは今日まで、世界中で引き継がれているのです。
つまり、妻は夫を自分の思いどおりに動かそうとし、夫はそれが面白くないので力づくで妻を支配する、というのです。
心理学でも「男性神経症」というのがあって、男性は女性に支配されるのを極端に嫌う、ということです。


このように親が子どもを、妻が夫を、夫が妻を、自分の思いどおりにしようとすると必ず摩擦が起きます。
人を変えようとしてはいけません。
ではどうすればいいのでしょう?
自分の願い、気持ちを正直に伝えればいいのです。
「こうしてくれたらうれしい」
「こういう言い方は傷つくのでやめてほしい」
決して感情をぶっつけて怒鳴ったり、叱ったりしないことです。これでは、相手はますます意固地になってしまいます。


もうひとつの方法は、自分が変わることです。
多くの場合、自分が変わると相手も変わるものです。
これが良好な人間関係を築く秘訣です。


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同情と共感

2009.05.24日

英語では「同情」を sympathy (スィンパスィ)、「共感」を empathy(エンパスィ) と言います。
一見よく似た言葉です。
これはギリシャ語の pathos 「苦しみ」から来ています。日本語にもなって「ペーソス」(悲しみ、悲哀、哀愁)といった意味で使われています。
sympathy の sym- は「共に、同時に」といった意味の接頭辞で、たとえば symphony 「シンフォニー、交響曲」、 synchronized swimming 「シンクロナイズドスイミング」などにも使われています。
empathy の em- はもともと in- という形の接頭辞で「〜中に」という意味です。
すなわち、sympathy は「苦しみを共にする」、empathy は「苦しみの中に入っていく」ということから、日本語でそれぞれ「同情」「共感」と訳しているのです。(「共感」という日本語はむしろ sympathy に近いような感じがしますが)
empathy はまた「感情移入」という意味でも使われます。「苦しみの中に入っていく」のですから、それも理解できます。


sympathy と empathy はアメリカ人にも区別が難しい言葉で、同意語だと思っている人も少なくありません。
あるアメリカ人は両者の違いを次のように定義しました。
Empathy is entering into another's feelings. Sympathy is having a feeling together with someone.
「empathy はほかの人の気持ちの中に入っていくこと。Sympathy はその人と同じ気持ちになること」
また、
Sympathy is when you feel bad for someone else. Empathy is when you feel bad with someone else.
「Sympathy は誰かほかの人のために心を痛めること。Empathy はその人と一緒に心を痛めること」
When you feel sympathy for someone you feel sorry for their pain. When you feel empathy you are feeling the pain too.
「あなたが誰かに sympathy を感じるとき、あなたはその人の痛みを気の毒に思っている。しかし、あなたが empathy を感じるときは、あなた自身もその痛みを感じている」
とも言っています。


どっちでもいいじゃないか、と思う方もあるかもしれませんが、実はこのふたつはカウンセリングをする時に大きな違いを生み出します。
Empathy、すなわち「その人の痛みを共有して」「その人の立場に立って」話を聞くならば、その人は「自分のことを本当に理解してくれている」と感じます。


1994年、1995年に放送されたテレビドラマ『家なき子』では、主人公の相沢すず(安達祐実)が、「同情するなら金をくれ」と言った劇中の台詞が新語・流行語大賞に選ばれるほどのブームとなりました。
同情は当事者にとって、それほどうれしくないものなのかもしれません。


5月13日のブログ「ラッキーマン」で紹介したマイケル・J・フォックスも、その本の中(Chapter 8)で次のように言っています。
In man-on-the-street interviews, members of the public offered expressions not so much of sympathy, as I feared, but of genuine empathy, as well as heartfelt wishes for a positive outcome.
「街頭インタビューでは、私が恐れていたような同情の声はあまり聞かれず、むしろ心からの共感と良い結果を望む心からの願いが聞かれた」
つまり、マイケル・J・フォックスも人々から同情されることを恐れていました。ところが、自分の予想に反して、みんなが心から共感してくれていることにホッとしているのです。


Put yourself in her (his) shoes.
は英語でよく使われる表現で、「その人の靴の中に自分の身を置きなさい」というところから、
「彼女(彼)の身になってみなさい」
という意味です。
これも empathy に近い感覚だと思います。
マイケル・J・フォックスも言っているように genuine empathy 「心からの共感」を人は求めています。
上辺の同情はかえって人の心を傷つけることがあります。


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愛は愛を呼ぶ

2009.05.22日

こちらが相手に好意を持っていると、自然とそれが相手に伝わり、相手も自分に好意を持ってくれるようになる、ということを多くの人が経験しているのではないでしょうか。
面白いもので、犬や猫は特に動物的勘というのでしょうか、動物好きの人がわかるようで、動物もその人が好きになります。
私の母がやはりそういう人で、どこに行ってもすぐに動物が母になつきました。犬や猫だけでなく、スズメまでもが。
人間は動物よりも勘が鈍いので、時にだまされることもありますが、一般的に言うと私たちもある程度相手の自分に対する好意はわかるものです。
ということは同時に、自分はこの人が苦手だとか、馬が合わないなどと思っていると、それも相手に伝わってしまいます。
生徒が「学校の〇〇先生が嫌いだ」などと言っているのを聞くことがありますが、これはよくありません。
なぜなら、自分も先生から嫌われることになるからです。そうすれば当然のことながら悪い成績がつきます。


そもそも完璧な人間なんてどこにもいません。それは自分自身を見たらいちばんよくわかることです。
しかし、私たちは自分が完全でないくせに、なぜか人に完全を求めます。
自分を計る物差しと人を計る物差しの基準が違うのです。
そして人のあらが目につきます。そうすると、その人のいいところが見えなくなってしまいます。
悪いところばかり見ていると、それは相手に伝わり、自分がよく思われていないと思うと、その人も自分のことを敬遠するようになります。
人の成功や幸せを素直に喜べない。嫉妬する。これもまたその人に伝わります。
このようにして人間関係が壊れるのです。


それでは、人間関係を回復させるいい方法は何でしょう。
その人にいいところを探し、そこに目を留め、認め、感謝し、そこから学ぼうとすることです。
そのような目で人を見ていたら、それは必ずその人に伝わり、その人もあなたのことをよく思うようになります。
これはどのような人間関係にも当てはまります。友人関係だけではありません。上司と部下、教師と生徒、先輩と後輩、親子や兄弟、親族、近所の人間関係においてもしかりです。


愛は愛を呼ぶのです。
憎しみは憎しみを呼びます。
人間関係を壊したかったら相手を憎めばいいのです。そうすれば簡単に壊れます。
しかし、誰もそんなことは望みません。
みんな愛を求めています。
この世の中の様々な問題のほとんどは、壊れた人間関係、愛の欠如から起こっています。
私たち一人ひとりが先頭に立って、日々の生活の中で愛の種を蒔いていったら、人間関係は確実に改善していくことでしょう。


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笑顔は...

2009.04.25日

塾の仕事をしていて、いつもとても幸せな気分になれるのは、生徒の笑顔のおかげです。


小学3年生のYちゃん。バスで迎えに行くと、乗ってくる時いつも笑顔で「お願いします」と言います。そして降りる時には必ず「ありがとうございました」と、また笑顔で言ってくれます。Yちゃんの笑顔を見ると、こちらもつい笑顔になってしまいます。Yちゃんは名前も夢いっぱいで、いい名前をご両親につけてもらって幸せだな、といつも思っています。


小学4年生のT君もいつも笑顔で、塾の講師の間で人気者です。茶目っ気たっぷりのT君は塾に着くと「ピンポーン」とチャイムを鳴らしてドアの陰に隠れます。見つけるとニコッと微笑みます。どの先生にも笑顔で冗談を言ったり、難しい問題を出して先生の反応を見てまたニッコリ。先生達もT君が可愛くて、ついついつられて笑顔になります。


小学5年生のOちゃんと6年生のNちゃん。ふたりとも目が合うと必ずニコッとします。こちらもニッコリ。笑顔が笑顔を誘います。中学生のお姉さん達もOちゃんに会うと、みんな「可愛い、可愛い」と言います。笑顔が素敵だからです。


中学生や高校生の中にも、顔を合わせるといつもニコッと微笑んでくれる子がたくさんいます。
卒塾した生徒が塾に遊びに来てくれる時も、みんなニコニコ顔で元気よく「ただいまー」と言ってくれます。こちらもまたニコニコ。つい顔の筋肉が緩んでしまいます。


アカデミーの先生達もみんな生徒の顔を見ると、ニコニコして「こんにちわー!」「こんばんわー!」と挨拶します。別れる時も、笑顔で「さよならー!」「気をつけてね!」。
笑顔はほんとうにいいものです。


以前、隣の大磯町に住んでいた時、地元の商店やスーパー、レストラン、銀行、郵便局、医者、病院などへ行くと、どういうわけかいつもしかめっ面ばかり。時には「いらっしゃいませ」とか「ありがとうございました」の挨拶すらないことも。こちらも自然としかめっ面になり、あと味が悪くなります。不愉快な思いをしたことが何度もありました。
あとで聞くと、ほかの人もみんな同じような経験をしていて、これがその町の文化のようなものだとか。


しかめっ面をするのにはなんと47もの顔の筋肉を使うのに対して、笑顔をつくるのに使う筋肉はたったの17しかないそうです。つまり、しかめっ面をしていると笑顔の時よりも何倍も疲れるということです。
しかも、笑顔はほかの人の笑顔を誘い、周囲が明るくなり、みんな幸せな気持ちになります。
それに対して、しかめっ面をしていると周りの人までしかめっ面をするようになります。当然のことながら、人間関係もとげとげしいものになります。


デール・カーネギーは次のように言っています。
「にっこりするコツおよびその効果を考えよう。まず世間や人々に対して本当に誠意をもって対さなければならない。この心掛けがなければ、にっこりしても不自然にしか見えない。だが人前ではいつもにっこりするよう心掛けるだけでも、けっこう役に立つ。ほほ笑みかけられた相手が幸福になり、その幸福がブーメランのように、こちらへはね返ってくるからだ。相手の気分がよくなれば、こちらの気分もよくなり、間もなく笑顔が本物になる。
また、ニッコリすると、不快な気持ちやよそよそしい気持ちが抑えられる。にっこりほほ笑みかければ、相手が好きだということを、それとなく伝えることになる。相手にもその気持ちが伝わり、こちらが好きになる。まあいっぺんにっこりする習慣をつけてみたまえ。きっといい事があるはずだ」 (『カーネギー名言集』から)


親しい友達の間でにっこりすることは簡単です。みんなそうしています。
でも、空気のような存在の夫婦間や家族間でもにっこり微笑みましょう。和やかな雰囲気になります。
また、会社の同僚や、クラスの仲間に、学校の先生にもにっこり微笑みかけましょう。
周りが明るくなるだけでなく、自分自身が知らないうちに明るい気持ちになります。
とどのつまり、毎日を幸せに過ごす秘訣は、自分から周りの人に笑顔で接することです。
笑顔で毎日過ごすことは健康の秘訣でもあります。病気を寄せつけません。
ただで、しかも労力もいらず、そして自分も周りの人たちもみんな幸せな気持ちになれて、しかも健康になれる、こんなに素晴らしいものはないですよね。


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コミュニケーション

2009.04.23日

一般的に言って日本人はコミュニケーションが下手なようです。
日本語の造語で「ノミュニケーション」(飲みニケーションとも)というのがあって、お酒を飲みながらコミュニケーションする、といった意味ですが、これはあまり感心できるものではありません。
SMAPメンバーの草なぎ剛さんが公然わいせつ罪で逮捕されたというニュースが今日の午後1番に飛び込んできました。
泥酔状態で夜中に公園で全裸になって騒いでいたといいいます。草なぎさんはとても温かい、優しいイメージだったので、ショックを受けた人も多いことと思います。
泥酔して裸になって騒いで逮捕されよう、なんて初めから考えてお酒を飲んだわけではないでしょうが、お酒の力が彼の判断力を狂わせたのでしょう。
そもそも、そのような判断力を狂わせる力を持つお酒を飲みながら、大切なコミュニケーションを取ろう、というほうが間違っています。
学生時代の友人に、酒を飲むと必ず乱暴になって喧嘩をする人がいました。初めは楽しく飲んでいるのですが、途中から酒に狂わされてしまい、大切な人間関係を壊してしまうのです。


「飯、風呂、寝る」の3つの言葉しか家で言わないお父さんがいるそうです。まあ、これは少しオーバーな表現なのでしょうが、これに似たような状況は結構ありそうです。
昔、私が英語を教えていたある人は、日本のトップ企業を定年退職し、礼儀正しく、頭も切れる、とても立派な方でしたが、家ではまさにこの「飯、風呂、寝る」のタイプの人でした。
奥さんとはまったく口を利かず、用事がある時には娘さんをまるで通訳のように使って、夫婦の間を行ったり来たりして伝言させていました。
家で犬を飼っていらっしゃいましたが、ご夫妻ともに犬とはよく会話されるのですが、夫婦間の会話はありませんでした。
おそらく夫婦仲があまりよくなかったのでしょうが、コミュニケーションがしっかりできていたらもっと夫婦仲も良くなっていたと思います。


ほとんどの人は小学校から中学校、高校で9年〜12年間いろいろなことを学びます。さらに大学に進むと16年間学びます。社会に出て働けるようになるためにこんなに長い間みんな勉強しているのです。
車を運転するためには自動車学校に通い、実技と学科を学び、試験に合格して免許を取らなければなりません。
そのほか、いろいろな資格試験があり、それらの試験に受からなければ、その専門職に就くことはできません。
みんなこれらのために一生懸命、お金も時間も労力もかけて勉強しますが、生きていくうえで1番大切な人間関係の基本となるコミュニケーションについてはしっかりと学んでいません。


アメリカでは、幼い頃から家庭で、また小学校や中学・高校でコミュニケーションの仕方を教え、訓練しています。社会人対象にもさまざまなところで、コミュニケーションのセミナーが催されたりしています。
あくまでも一般論ですが、アメリカにはコミュニケーションがうまい人が結構います。一方、日本人は政治家や学者でもコミュニケーションが下手な人が多いように思います。


私が気になるのは、親や教師、経営者、上司、先輩、役人など、上に立つ人が子どもや生徒、部下、後輩など下の立場の人に対して話す時の言葉遣いが乱暴な点です。
とくに子どもはとてもデリケートです。日本の親は子どもを自分の所有物のように思っている節があり、傷つける言葉を平気で使っているのをよく見かけます。
英語で「取り扱い注意」を Handle with Care と言います。Fragile とも言いますが、これは「壊れやすい」という意味です。
子どもはとくに「壊れやすい」です。
もっとていねいに言葉で「取り扱って」欲しいものです。
子どもだけではありません。家族を、周りの人をもっと大切に、言葉で「取り扱い」ましょう。
コミュニケーションは良好な人間関係の基本です。


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期待されている以上のこと

2009.04.17日

今日、送迎バスの中で聴いていたブライアン・トレーシーのCDの中で、彼が次のようなことを言っていました。
「顧客サービスには4つのレベルがある。
第1のレベルは、人に期待されていることをする。これは当たり前のことをやっているだけ。
第2のレベルは、期待されていることを超える。これは競合相手よりも少し長く留まるだけ。
第3のレベルは、顧客を喜ばせ、満足させる。
第4のレベルは、期待されていないことをして客を驚かせる。これが本当のサービス」
(ブライアン・トレーシーについては「自分を買ってもらえ」「オリンピックで金メダルを取る人に共通していることは...」「不景気なときの最高の投資」でも書いています)


今日、送迎のときにちょっとしたハプニングがあって、教室の階段と踊り場が泥だらけになってしまいました。
授業が終わって生徒を家に送り届けて教室に戻ってきたら、なんとあれだけ汚かった階段が跡形もなくきれいになっているではありませんか!本当に驚きました。
送迎に言っている間に、教室に残った3人の先生達がほうきと掃除機できれいに掃除してくれていたのです。だれも頼んでいなかったのに。
これこそ期待していないサービス予期していないサービスおもいやりの心です。とてもうれしく思いました。


一人ひとりがこのような小さな心遣いをしたら、世の中どれほど住みやすい、平和なところになることでしょう。


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Sound of Silence

2009.04.05日

サイモン・アンド・ガーファンクルの Sound of Silence (You Tubeでライブが見られます) はとても美しい曲です。
若い頃大ヒットしました。私も大好きで、よく口ずさんでいました。
歌詞の中に、
People talking without speaking
People hearing without listening
という箇所があります。
英語を教えている時、生徒からよく聞かれるのがこの talk と speak、hear と listen の違いです。
日本語だと「話す」「聞く」で済んでしまうのですが、英語では厳密に区別します。
英語ではほかに「話す」に当たる言葉が tell, say、「見る」に当たる言葉が see, look, watch など、ほかにもまだたくさんありますが、それぞれ微妙に意味が異なります。


おおまかなニュアンスの違いを挙げると次のようになります。
talk      おしゃべりする(聞き手がいます)
speak    話す(言語を話したり、演説したりする、しゃべる)
tell      伝える、告げる、教える
say      言う(誰それが〇〇と言う)
hear     聞こえる(意識しなくても耳に入ってくる)
listen     聴く(意識して耳を傾ける)
see      見える(意識しなくても目に入ってくる)
look     見る(意識して見る)
watch     見つめる(動きのあるもの、小さいものを見る)


上の区別はあくまでも大体の目安です。
たとえば、「映画を見る」は see を使います。画面が大きくて自然と目に入ってきます。
テレビを見るときは watch を使います。
それではテレビでDVDの映画を見る時は何と言うでしょう?そう、画面が小さくて一生懸命見るので watch です。
それではホームシアターで大画面で見ると? うーん、大きさにもよりますが、see でしょう。


先ほどのサイモン・アンド・ガーファンクルの Sound of Silence の
People talking without speaking
People hearing without listening
はどういう意味でしょうか?
「人はおしゃべりはしているけど、心で話していない。
聞いてはいるけど、心で聴いていない」
というような意味で、人々のコミュニケーション能力の低さと愛の欠如を皮肉っています。
私たちの日常の会話を反省させられます。


心のこもっていない上辺だけの会話。むなしいです。
夫婦の間で、親子の間で、教師と生徒の間で、上司と部下の間で、友達同士の間で、もっともっと心をこめた会話がなされると、誤解の多くは解かれることでしょう。


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関係は本質に先立つ

2009.04.01日

「存在は本質に先立つ」と哲学者サルトルが言いました。
これは、「私が何であるか(本質)ということに先だって、私はとにかく今ここにいる(存在)」というような意味です。


先日の正人の大学の立派な卒業式アカデミーの質素な卒塾式を比べて、アカデミーの卒塾式のほうがはるかに感動が大きかった、とブログに書きました。
正人とこのことについて話していたら、彼も同じように感じていて、大学で教授が言っていたタイトルの「関係は本質に先立つ」という言葉を正人が思い出しました。


「関係は本質に先立つ」とは、人間の本質すべてよりも人間関係のほうが大切だ、というような意味です。
このことがわかれば、いろいろな問題の解決の糸口が見えてきます。
たとえば、親子関係を考えると、関係がうまくいっているとき、子どもはのびのびと素直に育ち、精神的にも落ち着いていて、ほかの人間関係もおおむねうまくいっているものです。
逆に、親子関係がうまくいっていないと、ほかの人間関係もうまくいっていないことが多く、このような場合、非行に走ったり、非行まではいかなくても、あちらこちらで問題を起こす確率が高くなります。


社会に出てからも、人間関係がうまくいかない人の多くは、すべての人間関係の基本である幼少時の親子関係がうまくいっていなかった可能性が大きいです。
また、夫婦関係がうまくいっていないと、親子関係もうまくいかなくなるケースが多いです。


アメリカではほかのどの病気よりも精神病を患っている人が一番多いそうですが、精神病の一番の原因はやはり人間関係です。
人間関係がうまくいっている人は、毎日の生活も充実しています。
日々の生活が充実すると、仕事や学業もうまくいきます。


アカデミーの粗末な卒塾式がとても感動的だったのは、まさに良好な人間関係の結果です。
教師と生徒、生徒同士、教師同士の人間関係がとてもうまくいっていたから、あのような大きな感動があったのです。


人間関係の基本は、まずは信頼です。お互いに信頼していると安心できます。これが精神的な安定に
つながります。
信頼関係ができていると、お互いに批判したり、心の中で裁いたり、陰で悪口を言ったりすることもなくなります。
これはとても大切なことです。


次に、相手に自分の考えや価値観を押しつけないことです。
とくに、親子関係や夫婦関係、兄弟関係では無意識のうちに自分の価値観を押しつけがちです。
人はだれでも自分自身の考え、価値観をもっています。人に押しつけられるのはいやなものです。
強制が良い結果を生まないのはこのためです。相手の考えや価値観を尊重することは大切です。


他人と比較しないことも同様に大切です。
比較すると人間関係を壊します。
人はみんな一人ひとりユニークな存在です。みんな違うからこの世の中、うまくいっているのです。
比較することは実に意味のないことです。
ありのまま受け入れましょう。


たとえ正しいことであっても、人間関係を壊すようなことなら言わないほうがましです。
W. Livingston Larned という人が書いた Father Forgets という有名な詩(日本語訳つき)があります。
ひとりの父親がベッドで眠る幼い子どもに対して、毎日がみがみと小言ばかり言っていたことを詫びます。
子どもはあくまでも子どもです。たくさん望みすぎること自体が間違っているのです。


人間関係でとても大切なもうひとつのことは、相手に感謝することです。
私たちはとかく当たり前のことと思って感謝することが少ないものです。
素直な気持ちになると感謝することはいくらでも見つかります。


人をほめること。これも人間関係の潤滑油になります。


素晴らしい人間関係を築くのも壊すのも、私たちの意志ひとつです。
良い人間関係を築くことは、結局自分自身のためです。


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あなたの中の最良のものを

2009.03.20日

「人は不合理、非論理、利己的です
気にすることなく、人を愛しなさい


あなたが善を行うと
利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく、善を行いなさい


目的を達しようとするとき
邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい


善い行いをしても
おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、し続けなさい


あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい


あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい


助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい


あなたの中の最良のものを、世に与え続けなさい
けり返されるかもしれません
でも気にすることなく、最良のものを与え続けなさい


気にすることなく、最良のものを与え続けなさい」


マザー・テレサ


私の枕元には上のマザー・テレサの言葉を書いたものが置いてあります。
私自身、それほどひどいことではありませんが、上のと似たようなことは何度か体験しています。
おそらく、ほとんどの人が大なり小なり経験したことがあるのではないでしょうか。
このような時、私たちはとかく、傷つき、腹が立ち、怒り、時には復讐したいとすら思うものです。
でも、私たちはマザー・テレサの勧めに従うべきなのです。
なぜでしょうか?
それは、私たち自身のためだからです。
私たちが人の仕打ちを根にもっていると、それは自分自身をさらに傷つけ、不幸に、不健康にするからです。
聖書には次のように書いてあります。
「愛する人たち。自分で復習してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる』」 (ローマ人への手紙12:19)


自分で復讐しようとして悪に陥る人がなんと多いことでしょう。
復讐は神の手に委ねましょう。
そして、マザー・テレサが言うように、
「あなたの中の最良のものを、世に与え続けなさい
けり返されるかもしれません
でも気にすることなく、最良のものを与え続けなさい
気にすることなく、最良のものを与え続けなさい」
これこそ、神様が私たちに望んでおられることです。
そして、それは私たちの幸せのためなのです。


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潜在意識の力

2009.03.10日

昨日、送迎バスの中で助手席に座った小学4年生のMちゃんが、よく見る夢の話をしてくれました。
ブランコに乗っていたらだんだん大きく揺れて、そのうちに止まらなくなって落っこちる怖い夢を何度も見るそうです。
私は、最近はあまり見なくなりましたが、以前は空中を泳ぐようにして飛んでいる夢をよく見ていました。それがとてもリアルで、目が覚めてからも現実と区別がつかないほどだった、とMちゃんに話しました。
潜在意識の中で考えていることが夢になって現れる、と言われています。


果たして、今日の明け方、とても感動的な夢を見ました。目が覚めてからもしばらくその余韻に浸っていました。そうしたら眠れなくなって、まだ早い時間でしたが、起きて着替え、またいつものコースでラブを散歩に連れていくことにしました。
もう20年以上も成人英会話クラスに来てくださっている方が、犬を飼うと健康になる、と以前言っておられましたが、本当にそのとおりです。犬を散歩に連れて行っているつもりが、実は犬に散歩に連れてもらっていて、その結果健康になる、ということです。
私のブログも最近は読んでくださっている方がずいぶん増えてきているようで、あちらこちらからいろいろなコメントをいただくようになってきました。
つい先日は、私のブログを読んで子どもの入塾を決めた、という方が手続きにいらっしゃいました。
まだお子さんのいらっしゃらない方が、ブログを読んでいて、もし自分に子どもがいたら、ぜひともアカデミーに入塾させたいと思う、と言ってきてくださいました。
いつもは辛口のアメリカ留学中の長男も、今朝メールを送ってきて、「ブログすごくいいね!!読んでて感動してるよ。自分の父親とは信じがたいほどだ!(笑) 」と書いてきました。
同じく今朝届いた小島君からのメールには、「ブログは毎日楽しみに拝見しています。いろいろなことを教わります。そうそう、"Pay It Forward"、生徒たちに見せましたよ!」
と書いてあり、とても嬉しく思いました。
実は、先ほどの「犬を飼うと健康になる」と同じ理屈で、私自身このブログを書くようになって、自分が一番感動し、祝福を受けています。


日曜日にコンサートに行った時、お世話してくださった小島君の結婚10周年がちょうどその前日の7日だったということを彼のブログで知り、お祝いしました。
実は私たちも今月22日に結婚27周年を迎えます。
そのようなこともあって、潜在意識の中に結婚記念日のことがあったのでしょう。今朝、感動した夢とは何かと言うと...


27年前に結婚式を司式してくださった京都聖徒教会の船田牧師夫妻を夢の中で訪ねていたのです。
ご夫妻はずいぶん歳を取っておられて、最初私のことが分からなかったのですが、お話ししているうちに思い出してくださり、とても喜んでくださいました。
私は、先生方のご期待の道に進むことができなくて、本当に申し訳ありませんでした、と涙ながらに牧師夫妻に謝りました。実際のところ、ずっとこのことが気がかりで、これまでにも何度もこの教会を訪れる夢を見ています。
泣いて謝っているところで目が覚めたのですが、実はこの後目が冴えて眠れなくなったのは、この結婚式のときに来てくださった西村隆宏先生のことを思い出したからです。


西村先生は私が小学校4年生のときに教育実習に来てくださった方で、わずか3週間ほどの短い期間でしたが、私はこの先生の大ファンになりました。
私の今日の教育者としての礎を築いてくださった方と言っても過言ではありません。
春の教育実習が終わったその夏、習ったばかりのローマ字で夏休みの様子を書いて西村先生に手紙を送りました。すると、西村先生からすぐにローマ字で返事が返ってました。飛び上がるほど喜んだのをまるで昨日のことのようにはっきりと覚えています。
それ以来、なんと48年間も西村先生と文通が続いているのです。


そして今からちょうど5年前、京都の向日市に一人住まいしていたと電話で話していたところ、どうも様子が変で、訪ねることにしました。
父の住所をネットの地図で調べると、たまたま同じ町に住んでおられた西村先生の家とほんの500メートルほどしか離れていないではありませんか。
これは何かの縁だと思い、私は西村先生にお電話して、事情を話し、父を連れて先生の家も訪問することにしました。
20年ぶりにお会いした西村先生は、もうすでに小学校教師を定年退職して、ずいぶんお年を召しておられ驚きました。
古いアルバムの中から、教育実習のときの写真を何枚か見せてくださいましたが、その中に私が写っているものも何枚かありました。この時の先生はまだ23歳の若きハンサムな青年。


shimei1.jpg


私がアメリカ留学中にお送りした手紙も見せてくださいました。大事に取っておいてくださったのだ、と思うと涙が出てきました。
西村先生は、長い教師人生の中で私ほど印象に残っている子はいない、教師冥利に尽きる、と言ってくださいました。
50年近く前の、しかもたった3週間の実習期間だけの出会いとその時の感動が今日まで続いている。これだけでも奇跡と言えるではありませんか。潜在意識がふたりを引き寄せているのです。
西村先生ご夫妻は、ご自分たちのご両親3人の面倒を見ておられたのですが、ついに昨年最後のお一人を看取られました。ご訪問したとき、ニコニコして話しかけてくださったあの優しいおばあちゃま。思い出して胸が詰まりました。
西村先生ご夫妻、本当に長い間、3人のお年寄りのお世話、ご苦労さまでした。


西村先生は、一小学校教師として、はた目には平凡な人生を送ってこられたかもしれません。しかし、私の人生においてこれほど大きな影響を与えてくださった方はありません。
西村先生、私の今日あるのは先生のお陰です。本当にありがとうございました。


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バレンタインデー

2009.02.14日

今日はバレンタインデーでした。
今週の水曜日あたりから、小学生や中学生の女の子が手作りのチョコを持ってきてくれ始めました。
昨日もふたりからもらいました。
「これ、ひょっとして本命?」
「いえ、義理です」
「これは本命?」
「いえ、義理です」
そしたら横にいた子が、
「学院長、奥さんがいるのに浮気しちゃだめですよ!」


そして今日も、たくさんの子からいただきました。
中には今日は授業がないのに、わざわざ塾に持ってきてくれる子も何人かいました。
こんなにたくさんもらって、あー幸せだなぁ、って思っていたら、他の若い先生達は私の倍ぐらいもらっていて、さすがだなぁと感心しました。
若い先生も、
「これ本命?」
と私と同じことを聞いていました。
返ってきた答は、
「誇大妄想も甚だしい!」
手厳しいですね。


でも、生徒たちの気持ちがうれしいです。手間隙かけて手作りのチョコやクッキーを先生達のために持ってきてくれる、この生徒と先生との心のつながりが本当に素晴らしいと思います。
いくら義理でも、嫌いな先生や、尊敬していない先生にチョコをあげる気はしないでしょう。
ちょっとした心遣い、優しさ、うれしいですね。たとえ、ほんのチョコっとだけでも。


私は誰からもらったか覚えていず、なんとなくみんなからもらったような気になっているのですが、先生達はどのチョコを誰からもらったか、きっちりメモを取っていて、いつもホワイトデーにはお返しまでします。偉いですねぇ。感心します。これもちょっとした気遣い。
お互いにさり気なく気遣う。これがスムーズな、温かい人間関係を築きます。


今日のバレンタインデーから学んだことです。
それにしても、中3生とはバス送迎もあと今度の月曜日で最後、と思うと本当に胸が締めつけられます。


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ライバルと敵

2009.02.05日

中3生の前期選抜の合格を通知しなかった生徒がいて、さらに合格者が5名増え18名になりました。一昨日のブログのデータを訂正しておきました。
恥ずかしかったのか、遠慮していたのかわかりませんが、こちらは連絡がないのでだめだったのか、と思っていました。
さて、合格発表の翌日、昨夜の授業には前期選抜で合格した生徒も全員が集まりました。
これまでだと、前期で合格した生徒は後期の生徒に迷惑がかかるから遠慮するとか、もう合格したので塾に行かなくていい、といった考えで途中から来なくなる生徒が何人かいたのですが、今年の中3生は後期選抜を目指して頑張る仲間たちを応援するためにもみんな来てくれています。さらに、補習にまで来て後期選抜組と一緒に勉強してくれています。とてもうれしく思います。


かつて受験戦争といわれていた時代、自分が志望校に受かるためには仲間の足を引っ張ってでも、という風潮がありました。私の受験時代も、「昨夜はテレビの〇〇を見ていて全然勉強しなかった」とか言ってけん制する人がいたものです。
競争相手のことを一般に「ライバル」と言います。ライバルということばは英語の river と親戚のことばで、もともとの意味は、「同じ川を利用するふたりの人」です。
ライバルはあくまでも競争相手であって、敵ではありません。お互いに競い合って伸びる関係、これがライバルです。
これに対して、「敵」は広い意味ではライバルをも意味しますが、もとは、自分の生命や家族、財産などを脅かす脅威となる相手のことです。
受験生、とくに同じ学校や塾での仲間は、いい意味の競争相手、ライバルであって、決して足を引っ張ったり、倒したりする相手ではありません。
そういう意味で、前期選抜で合格した生徒が、浮かれた様子もなく、落ち着いて、後期選抜で受験する生徒と一緒に机を並べて真剣に勉強に取り組む姿勢は本当にすばらしいです。


実はこれは受験生の世界に限ったことではなく、各国間においても、あるいは企業間においても本質は同じです。国も、企業も、これまで互いに競い合ってきたからこそ、みんなここまで成長・発展してくることができたのです。
ところが現実には、国と国の間で、また企業と企業の間で、相手を敵とみなし、足の引っ張り合い、つぶし合い、殺し合いが公然と行われています。
これはまことに残念なことです。これでは、互いに健全な成長・発展など望むことができません。
これはまさに自らバリアを築くことで、平和・繁栄の一番の妨げとなっています。
バリアフリーについては前にブログでも書きましたが、あらゆる人間関係、国際関係、企業関係において無駄な、無意味な、破壊的なバリアを取り除くことが、今日の私たちにとってもっとも大切なことではないかと思います。
これは、先ほど就任演説でオバマ大統領が言った
「平和と繁栄、互いに尊敬し合い、共存・共栄を目指す」
という言葉と通じる考えです。


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人の名前を覚えるコツ

2009.02.04日

今日の送迎のバスの中でSさんが友達に言っていました。
「塾の数学の本城先生の名前がなかなか覚えられなくて、いつも数学の先生と呼んでいた」
私はSさんに尋ねました。
「塾に来て数学は好きになった?」
「学校とは比べ物にならないぐらい塾の数学はよくわかり、好きになりました」
そこで私は言いました。
「本城先生の名前の覚え方は、たとえば、塾に来て『ほんのちょっと』数学が好きになった。『ほんのぢょっと』、『ほんぢょ』、『ほんじょう』。何かに結びつけると覚えやすくなる。これは人の名前だけでなくて、勉強でも同じことだよ」
「そう、私も歴史の年号なんかよく語呂合わせで覚えていますよ!」


私はこれまでいろいろな記憶術の本を読んで勉強してきました。
英語で書かれた、アメリカの記憶術の神様と呼ばれる人たちの本も何冊か読みました。
どれにも共通して書いてあるのは、自分の知っていることに結び付けて覚える、ということです。
私は昔、中央大学で教えていた当時、英語音声学と英語表現研究のクラスにそれぞれ100人ずつの学生、それに国史専攻やフランス文学専攻など、英語専攻以外の学生の教養英語に各50名ずつ、合計毎年250〜300人ほどを教えていました。
この学生全員の名前を私は覚えました。
授業時間内に何度も何度も学生を名前を呼んで当てて質問したり、発言させたり、声をかけたりして、その都度その学生の名前と顔や性格など何か特徴をつかんで、それらを結びつけて覚える、という方法でした。もちろん簡単なことではありませんが、コツは繰り返しです。
この結果、毎年大勢の学生が、学年末試験のとき、4年間の大学生活で名前を覚えてくれたのは先生が初めてだった、と答案用紙に書いてくれました。
今から20数年前に教えた学生の名前と顔を今でも何人かはっきり覚えています。
また塾を始めてこれまで教えてきた生徒の名前もほとんど覚えています。


私は「人の名前を覚える」ことをアメリカにいたときに学びました。日本には、「隣のご主人」とか「〇〇さんの奥さん」、あるいは「先生」、というような言い方がありますが、英語にはありません。アメリカ人はみんな、一人ひとりを名前で呼びます。しかも、早く名前を覚えます。自分の名前を覚えてもらい、呼んでもらえることはうれしいことです。そこで、
「これはすごい。自分も真似をしよう」と思ったのです。
人の名前を覚えることにはいろいろなメリットがあります。
デール・カーネギー(1888〜1955)というアメリカの有名なビジネスセミナー講師・著述家は、
「人にとって一番耳に響きのいいのは、自分の名前である」
と言っています。
本当にそのとおりです。
生徒はいつも私のことを「学院長」と呼んでいるため、どうかすると私の名字すら知らない子がいます。私の名前が「譲二」(ジョージ)というのを知って驚く生徒もいます。
いやー、やっぱり名前は覚えて欲しいですね。


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年賀状

2008.12.28日

メールを利用する人が増えてきて、年賀状の売り上げが毎年どんどん落ちてきているとのこと。
確かに年賀状を書くのは面倒で、メールで「アケオメ」(ちょっと古いか)というほうが手っ取り早いです。
でもこれはちょっと味気ないですね。元旦の朝、届いた年賀状を1枚1枚見ながら、昔の友人やお世話になった人のことなどに思いを馳せるのはいいものです。
何でもかんでも合理的にやっていくと、不必要なもの、無駄なものなど一杯出てくるでしょう。しかし、それを全部削っていったら、人生は本当につまらないものになってしまいます。


私自身は若い頃アメリカで7年間過ごしたため、合理的な考え方がすっかり身についてしまい、生活も無意識のうちに合理的に進めるようになっています。しかしそれでも、日本の故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る「温故知新」の精神は大切にしています。
年賀状はそのひとつです。


毎年、この時期は冬期講習と重なり、忙しくて年賀状を投函するのはいつも大晦日。
ところが、今年は何と今日投函したのです!こんなに早いのは初めてです。
とは言っても、パソコンがみんな代わりにやってくれるので楽なものです。
昔、正座してすずりで墨をすって、筆で1枚1枚書いていたのが、墨が墨汁になり、筆ペンになり、ボールペンになり、やがてワープロ、パソコンと、ここもどんどん合理化が進んできました。今ではパソコンで作成してプリンタで印刷したものがほとんど。たまに筆を使った達筆の年賀状を受け取ると感動してしまいます。

年賀状、いろいろなものがあっていいのですが、ただ「謹賀新年。今年もよろしくお願いします」ではちょっとさびしいですね。何か、近況報告とか、新年の抱負・目標とか、その人独自のオリジナリティがあるといいと思います。


ところで、英語の "Happy New Year" を「明けましておめでとう」と思っている人が大勢いますが、外国ではクリスマス前に "Merry Christmas and Happy New Year" と言います。これは「良いクリスマスと新年をお迎えください」という意味です。年が明けてからの "Happy New Year" という挨拶も「良い新年をお過ごしください」というような意味で、日本語の「明けましておめでとう」とはちょっとニュアンスが違います。


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人と人との出会い

2008.12.27日

先ほど、メールをチェックしていたら突然、N君という中央大学時代の教え子からskypeで「舟田先生ですか?」とチャットが入ってきて驚きました。
早速、skypeをつなぎ、しばらく懐かしい昔話に浸りました。
私の頭の中では、N君はまだ中央大学時代の学生のまま。ところが年齢を聞いてびっくり。何と45歳ですって!今は京都と神戸の大学で講師をやっているとのこと。
数年前には癌になって胃の5分の4を摘出した、と聞いて二重、三重に驚き。でも今は元気になっていると聞いて本当にホッとしました。


N君は中央大学時代、私の英語表現研究というクラスを取っていました。とても熱心で、授業後よく一緒に食事をしたり、話したりしていました。大変な好青年でした。
卒業後、神戸の大学院で言語学を学んだあと、アメリカの大学院に留学したい、と言ってきたので、私の母校であるUCLAを紹介し、推薦状を書きました。そこで修士号を取ったあと日本に戻ってきて、その後彼のライフワークである韓国の研究のために何度も日本と韓国の間を往復した、とのこと。
N君のこれからの活躍を祈らずにいられません。


もうひとり、やはり中央大学時代の教え子でいまだに毎年年賀状を送ってくれる I さんも、やはりアメリカの大学院への留学をお世話して、今は東京のある大学で専任講師。


茅ヶ崎で高校の英語教師をしているK君、と3人の教え子が教師として活躍しているのは本当にうれしいことです。みんな当時の私よりも年上になっていて、時の経つ早さに驚かされます。自分はいつまでも歳を取っていないつもりでいるのですが、周囲を見回し、教え子達の成長を見ると、自分の年齢に愕然とします。
でもありがたいことに、塾の仕事というのは、いつでも同じ年齢層の子どもたちと接しているので、気持ちだけはいつまでも若くいられます。


先日、小学4年生と5年生の子に英語を教えていたとき、niceという言葉が出てきましたが、最初二人ともこれが読めませんでした。そこで私が「先生を見たらわかるでしょ。先生みたいな人のことだよ」と言ったら、5年生のNちゃんはすぐに「わかった!」。4年生のOちゃんは一生懸命考えて、「わかった!歳取っているという意味だ!」。


人と人との出会い。人生は本当に素晴らしいな、とつくづく思った次第です。


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