学院長元気の出るブログ

日々の随想。教育問題、子育て、英語、積極思考、人間関係、霊想等など。
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ジョージ学院長 元気の出るブログ

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AI(人工知能)は人か神か!?

2017.10.28日

「世界を、ここから動かそう」をテーマに昨27日(金)〜11月5日(日)まで、第45回東京モーターショー2017が東京ビッグサイトで開催されています。
ここ数年でめまぐるしい進歩を遂げ、現在も日々進化中で、私たちの日常生活の中にもどんどん入ってきたAIを利用した各社の技術が今年の目玉になっています。


今回の東京モーターショーのステートメントには次のようにあります。
「クルマの進化は、これからどこへ向かうのだろう。その答えは、きっとひとつではない。もしかしたらそう遠くない未来、クルマという概念は今とはまるでちがうものになるかもしれない。けれど、思い出そう。クルマの本質とは何かを。それは人を動かすものだ。ココロを動かすものだ。私たちの可能性をひろげ、自由にするものだ」


さて、東京モーターショーが開幕した昨日、びっくりするようなニュースが突然飛び込んできました。
「人型ロボットに市民権を与えた最初の国家が登場」というタイトルで、「サウジアラビアで世界で初めてロボットが市民権を取得しました」とあります。
「えっ!! 何だって!?」
一瞬自分の目を疑いました。


「ソフィア」という女性のようなロボットは、サウジアラビアの首都・リヤドで行われた「Future Investment Initiative」で公開されました。ソフィアは香港に本拠を置くHanson Roboticsが作り出したロボット。
壇上でソフィアは語りました。
「私はこのユニークな特例を得られたことを大きな誇りに思います。歴史の中でもロボットに市民権が与えられたのは初めてのことですから」
ソフィアは口の動きだけでなく、瞬きなど、表情の筋肉が非常に繊細に、常に変化しています。
ソフィアに対して「ロボットによって引き起こされる悪い未来」についての質問が投げられると、ソフィアは「あなたはイーロン・マスクの本を読みすぎていますね。そしてハリウッド映画を見過ぎています。心配しなくとも、あなたが私に親切な限り、私はあなたに親切です。私を出力・入力に対して非常に賢いものとして扱ってください」と返しました。(日本語訳がとてもロボット的 笑)
ソフィアが話している様子は以下のムービーから見ることができます。
(スクリーンの下にある四角のマーク %83X%83N%83%8A%81%5B%83%93%83V%83%87%83b%83g%202017-10-27%2021.59.39.jpg をクリックすると英語の字幕が出ます)



(https://gigazine.net/news/20171027-citizenship-humanoid-robot/より)


しかし、これだけで驚いてはいけません。
去る9月にはもっと衝撃的なニュースが報じられました。
元Googleのエンジニア、アンソニー・レヴァンドウスキー氏が人工知能を“神”と標榜する宗教団体を立ち上げたというのです!!!!
団体の最終目標を、「人工知能に付与された神聖を崇拝することで社会をより良くすること、また人工知能に基づいたGodhead(神性)の実現を発展・促進し、Godheadの理解と崇拝を通じて社会をより良くすることに貢献する」としています。


GodAI_1.jpg


これ以上の人工知能の研究開発に懸念の声を表す科学者や専門家は少なくありません。イギリスの理論物理学者スティーブン・ホーキング博士もその一人で、いつしか人類の知能を凌駕(りょうが)した究極の人工知能が誕生し、私たちの生存を脅かすのではないかというのです。まさに映画『ターミネーター』シリーズの“スカイネット”そのものです。
(http://tocana.jp/i/2017/10/post_14877_entry.htmlより)


私はこれを読んでいて、旧約聖書の「バベルの塔」の記事を連想しました。
当時の人々はどんどん傲慢になっていき神を神として認めず、自分たちが神のようになろうとして、「さあ、れんがを作ってよく焼こう」と言い、石の代わりにレンガを用い、粘土の代わりにアスファルトを用いて「頂上が天に届く塔を建て、名を上げよう」と言ってバベルの塔の建設に取りかかりました。紀元前2000年頃の話です。なんか今の時代とそっくりではありませんか。


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聖書の1丁目1番地とも言える創世記1章1節には次のようにあります。
「初めに、神が天と地を創造した」
19世紀のイギリスのノンクリスチャンの科学者・哲学者・社会学者・倫理学者であるハーバート・スペンサーは次のように言いました。
「この世に存在するものはすべて、時・力・空間・物質・運動(エネルギー)のうちのいずれかから成る」
この考えは科学界に大きなインパクトを与え、今日でも受け入れられています。
「時」=「初めに」、「力」=「神が」、「空間」=「天と」、「物質」=「地を」、「運動」=「創造した」
ということで、この1文に宇宙創造の要素がすべて含まれています。


進化論が教えるように無から有が偶然に生まれることは絶対にありません。有機物が無機物から生まれることもありません。それは“生命は生命からのみ生まれる”とルイ・パスツールが証明したとおりです。


ノーベル生理学・医学賞を受賞したフランシス・クリック博士(1919-2014)は、DNAの二重螺旋構造を発見しました。博士は生命を作り出すのに必要な元素が地球上には十分にないと語っていますが、聖書の創造論を信じる代わりに、生命が別の惑星から宇宙船のようなもので地球に運ばれてきた、と信じているそうです(笑)。しかし、たとえそのように信じたとしても、その別の惑星で誕生した生命の起源を説明することはできません。


また、突然変異によってもひとつの種から他の種が生まれることもありません。これは『種の起源』を著したダーウィン自身が認めています。
突然変異は常に劣勢、あるいは有害でさえあり、エントロピーの法則(熱力学第二法則)により崩壊に向かって進みます。


つまり、何もないところから偶然にアメーバ―が生まれ、それがたとえ何十億年かかかったとしても偶然が重なって人間に進化することはあり得ないということです。
「神は人をご自身のかたちに創造された」(創世記1:27)
「かたち」は英語では "image" という言葉です。
神のかたちに似せて造られたから人には道徳心や倫理観があり、殺人やテロなど不正義を憎み、罰しようとするのです。
AIは絶対に人になることも神になることもできません。


「思い出そう。人の本質とは何かを」


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貴重な映像

2017.10.09日

私の日課であるウォーキングのコースでいつも見かけるシラサギの大集団がねぐらにしている金目川の中洲。
夕方うす暗くなり始めると、あちらこちらから8〜10羽ぐらいの集団がここに戻ってきて、あるものは直接木の上にとまっておねんねの準備、他のものは川の中に舞い降りて寝る前の腹ごしらえ。
(画像をクリックすると拡大されます)


IMG_1677.JPG IMG_1701.JPG


秋晴れの気持ちいいお天気でウォーキングしていたら、通りかかったその支川である近所の河内川で偶然出くわした光景。
一羽のシラサギが餌を求めて川の中を歩いていました。
突如飛び上がり、水面すれすれのところを飛び回っていたかと思った次の瞬間、餌の小魚を見つけダイビングキャッチ。
「お見事!」
川に降り立ち、くちばしに加えていたかと思うとあっという間に「ごっくん」と丸のみ。
すぐ近くのいつものねぐらに帰る前にこのシラサギくんはここで腹ごしらえをしていたのです。


その瞬間を映像に撮りそこねたので、iPhoneのカメラをビデオモードにしてシラサギくんの動きを追っていました。
結構長い時間。
そしたら、先ほどと同じように飛び上がりました。
チャンス到来!
ビデオのスイッチを入れました。



ところが、残念!
今度は何度飛び回っても一匹も餌を捕れません。
かわいそうなシラサギくん。
「生きていくのはみんな大変なんだなぁ」
で、しばらく足を止めてカメラで追い続けていたジョージくんも残念。
ということで、今回は「撮れなかった貴重な映像」でした。


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「白いキリン」 神獣?

2017.09.18日

2年前の記事、「ピンクの象」は大反響を呼びました。
「自分もピンクの象だ」と共感を覚えた方がたくさんいらっしゃいました。


しかし、今日は「ピンクの象」ならぬ「白いキリン」のお話です。しかもこれは実話です。
以下は9月16日付 「HUFFPOST」および「NATIONAL GEOGRAPHIC」(日本版) からのシェアです。


「完全に神獣だ」 世にも珍しい“白いキリン“の親子(動画)


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アフリカのケニアの保護区で8月下旬、なんとも珍しい全身が真っ白なキリンが見つかった。
あまりにも神々しい姿に、Twitter上では「完全に神獣だ」といった声が上がっている。



動画を撮影したのは、アンテロープ(レイヨウ)の一種「ヒロラ」の保護活動をしている「ヒロラ保護プログラム」のパトロール隊員。Youtubeで公開したところ、たちまち世界中に拡散された。


ヒロラ保護プログラムによると、白いキリンの存在はこれまでも知られていたが、実際に確認されたのは、たった2回だけ。初めての報告は、2016年のタンザニアのセレンゲティ国立公園で、2016年3月には、ケニアのイシャクビニ保護地区でも確認された。


このキリンは、皮膚の細胞が色素を作ることができない「白変種」で、白くなってしまったよう。目が赤くないことなどから、全ての器官で色素を作り出すことができない「アルビノ」ではないという。


動画や写真を見た人からは、「完全に神獣」「めっちゃ綺麗だ」といった声が相次いだ。
このタイプの動物は、皮膚細胞で色素を作れないこと以外には、生存に不利になるような遺伝的問題はない。ただ、白い色のせいで望ましくない注意を引いてしまうことはある。


保護団体のキリン保護基金によると、キリンの赤ちゃんはライオンやハイエナなどの捕食者の標的になりやすく、生後半年以内に半数以上が死亡するという。ヒロラ保護プログラムが投稿した動画のコメント欄には、生息地についての情報も記されており、世界中に拡散したことで密猟の標的になってしまうのではないかという懸念の声も寄せられている。


白く珍しい体でニュースになる動物はキリンだけではない。8月にはスウェーデンで、珍しい白いヘラジカが草むらの中を歩いている様子が撮影されている。同じく白変種と考えられる白いライオンや白いペンギンも目撃されている。


胸を張って歩くお母さんキリンの姿はまるで優雅な伯爵夫人のよう。
でも、「ピンクの象」や「白いキリン」だけでなく、人間でもちょっと見慣れない変わった人がいると特別扱いしたり差別したりすることがありますが、これらは個性のひとつです。お互いありのまま受け入れ合いましょう。


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映画『十戒』のシーンをを彷彿とさせる光景

2017.09.16日

去る9月10日、バハマ諸島からキューバ、そしてフロリダを直撃し、各地に大きな爪痕を残した超大型ハリケーン「イルマ」。
その威力は最大風速85mといい、バーブーダ島では島の建物の95%が倒壊・損傷したそうです。
最近、日本を含め地球の至るところで異常気象による大災害が頻繁に起こっています。地球温暖化の影響を受けた海水温の上昇が原因と考えられています。
下はキューバの街の写真ですが、もうこのような光景は見慣れてしまいました。


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しかし、次の写真にはちょっとビックリ!
バハマの美しいエメラルドグリーンの海が消えてしまったのです。


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なんと低気圧によって海水が上空に吸い上げられてしまったというのです。
このような現象は理論上は起こりうるが、実際に発生した例はほとんどないと気象学者らもびっくりしたそうです。
これがその様子を撮った動画です。



見渡す限り乾いた海底でその上を人が歩いています。
そして13時間後には水が元に戻ったそうです。それが次の動画。



チャールトン・ヘストン主演の映画『十戒』(1956年作)の中で、モーセが杖を振り上げると紅海が真っ二つに割れて乾いた地が現れ、そこをイスラエルの民が渡ってエジプトを脱出し、その後を追ってきたエジプトの軍勢が戻ってきた海の水に飲まれる名シーンを彷彿とさせます。映画では特撮のものすごい劇的なシーンでしたが、今回のイルマの実例で実際には超自然の力が働いて似たような状況が起きたことは想像に難くありません。


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散る桜 残る桜も 散る桜

2017.04.27日

散る桜 残る桜も 散る桜


江戸時代の曹洞宗の僧侶で、歌人でもあった良寛和尚の辞世の句と言われています。
このほか、
「散らぬ桜に散る桜、散らぬ桜も散る桜」とか
「散る桜 散らぬ桜も散る桜」
などいろいろなバージョンがありますが、言っていることはみな同じです。


つい1週間ほど前、「遅咲き」という記事の中に、いつものウォーキングのコースに周りの葉桜に囲まれて1本だけ七分ほど花をつけている桜の木を見て感動を覚え、桜の遅咲きから人の遅咲きに思いを馳せたことを書いたのですが、昨日の早朝同じところを歩いてみると、その桜もきれいに葉桜になっていました。(当たり前のことですが)


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これを見たとき、冒頭の一句が頭によぎったのです。
散った桜の花がすっかり色あせて赤茶け、人が歩いたり自転車が通るところを除いて小径(こみち)を覆っています。
頭の上には美しい若葉が生い茂っています。
今勢いあるこれらの葉も秋には全部落ちて地を覆います。
そして、落ちた花びらもまた葉もやがて腐り、土と混ざって腐葉土となり木に栄養を与え、それがまた来春の美しい花を咲かせ、葉を茂らせる。
これを何十年、何百年どころか、何千年と繰り返している。


考えてみたら、私たち人間も同じ。
私たちが今歩いている道、住んでいる町の下にも何百年、何千年という歴史が詰まっている。
数えきれないほどの人がかつてこの地の上で生活し、やがて死んで、それが肥やしとなって今日に至り、私たちが今ここで生活しているのです。


私たちも一人もれなく、この「散る桜 残る桜も 散る桜」と同じく散っていきます。
これが世の常、生まれてきたもの、万物の宿命であり、これをやたらと怖れたり、儚(はかな)んだり、悲しむ必要などありません。
当たり前のことなのですから。
むしろ、この世に、この世の命や物質に執着するから死を怖れたり、別れを悲しんだりするのです。


大切なことは、桜の花や葉が腐葉土となり肥やしとなって次に命をつないでいるように、私たちも単に物質としてだけでなく、霊や精神、また知性などが子どもや孫の代に、さらに綿々と後世に受け継がれていくというところに目をやることです。


そのことを思うと、今、ここに生かされていることが、とてつもなく偉大なこと、素晴らしいことに思われてきます。
しかも、それが単に有名人や能ある人、歴史に名を残すような偉大な人物だけでなく、生まれてきた人すべてがこの尊い使命に生かされているということ。
このように考えると、ほかの人の命も、また同様に自分の命も決して粗末にはできません。さらにもっと積極的に、大切にしなければならないということに気づくはずです。


現代の教育でこのような視点が一番欠けているのではないかと常々思っています。
教育とは、単にテストで点を取り、志望校に合格し、企業に就職し、地位を築き、名声を馳せ、財産を築くためにあるのではありません。


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かみさまへのてがみ

2016.12.17日

12月16日付 読売新聞 「編集手帳」に次のような一文がありました。


米国の子供たちが神様に手紙を書いた。例えば、〈かみさま、かぜを ひくのは なんの やくにたつのですか?〉(谷川俊太郎訳)。サンリオ刊『かみさまへのてがみ』には楽しい質問が並んでいる。
万物をこしらえたという創造主に、出来栄えの感想を尋ねた子供もいる。〈かみさま あなたは きりんを ほんとに あんなふうに つくりたかったの? それとも あれは なにかの まちがいですか?〉。長い首が不思議でならないのだろう。


これを読んで、私も『かみさまへのてがみ』を読みたくなって検索したところ、「かみさまへのてがみ」のタイトルでいくつかの興味深いYouTubeの動画がヒットしたので、ついでに見てみました。
ひとつは「お涙ちょうだい」のとても感動的なものでした。



合唱曲もありましたが、アメリカで大ヒットしたと言われる同名の映画の短いプロモーションビデオ、これも感動的で実際のビデオを観てみたくなりました。



でも、やっぱり冒頭の谷川俊太郎訳の『かみさまへのてがみ』の中に紹介されている子どもの神様への素直な質問、「かみさま あなたは きりんを ほんとに あんなふうに つくりたかったの? それとも あれは なにかの まちがいですか?」が一番心にぐさりときます。


ちょうど昨日のブログ記事「地球の将来、人類の未来は」に書いたように、現在の子どもたちがこれからの時代に直面する「動植物の生態系の破壊」や「民族・国家間の戦争、テロ、地球温暖化など異常気象による大型台風・地震・火山爆発の多発」の問題など、子どもたちの「このままではいけない。なんとかしなければ...」という魂の叫び声のようなものが聞こえてくるような気がします。
このような質問を神様にぶっつけたくなる純真な想い、この答えを子どもたちは自ら探し求めていかなければならないのです。


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最近、細菌が脚光を浴びている

2016.10.25日

岩や水面など至るところにぬめぬめした膜を形成する藍色細菌(シアノバクテリア)は、世界を「見る」ことができることがわかった。体を一種の小さなレンズのようにして日光を感じ取り、光源の方へと移動するのだという。



アオコは、藍色細菌の一種が発生させたものだ。PHOTOGRAPH BY WIKIMEDIA COMMONS
細菌は、見た目よりもすごい生き物だ。極寒かつ真空の宇宙空間で1年以上生き延びることができる。地球上には少なくとも5×10の30乗個ほど存在する。それに、人間の体内には約100兆個の細胞が存在するが、その1割ほどは、実際にはバクテリアやウイルスなどだ。
さらに細菌は、一種の小さな眼球として働き、世界を「見る」こともできることがわかった。
藍色細菌(シアノバクテリア)は、岩や水の至るところにぬめぬめした膜を形成する、古くから存在する細菌性生物だ(アオコや赤潮などの原因になる種もあるほか、食用となるスピルリナも藍色細菌のひとつ)。
藍色細菌がどのように光を感じて光の方へ移動するのかについては、これまでわかっていなかったが、研究チームによると、細菌の細胞は一種のレンズとして働くことができるのだという。球面になって日光を屈折させ、光を細胞の逆側の1点に集中させることによって光を感じ、いわゆる走光性によって光源の方へと移動して光合成を行うのだ。


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カメラ、人間の目、藍色細菌がどのように世界を「見る」かを説明する図。画像は、『eLifeScience』に掲載された論文より。
研究チームのリーダーであるロンドン大学クイーン・メアリーのコンラッド・マリノーはリリースで、「細菌がわれわれ人間と基本的には同じやり方で世界を見ることができるというのはかなり刺激的なことです」と説明している。「科学者はこの340年間、顕微鏡で細胞を見続けてきましたが、これまではこのことに誰も気がついていませんでした」
研究チームは、「棒状」の細菌もまた一種の光ファイバーレンズになることができ、光をとらえて感じることで光源の方向へと移動するのではないかと考えている。
人間など動物の視覚はもちろん細菌のものよりもはるかに複雑だが、細菌の視覚と同じような原理から進化したのかもしれないと研究チームは考えている。
細菌の光合成能力については、食品やバイオ燃料といった有用なものの製造に利用することが模索されている。

(TEXT BY MICHAEL RUNDLE, TRANSLATION BY RYO OGATA/GALILEO, WIRED NEWS (UK)より)


最近、細菌が脚光を浴びています。
「細菌は、見た目よりもすごい生き物だ。極寒かつ真空の宇宙空間で1年以上生き延びることができる。地球上には少なくとも5×10の30乗個ほど存在する。それに、人間の体内には約100兆個の細胞が存在するが、その1割ほどは、実際にはバクテリアやウイルスなど」と上にありますが、最近わかってきたことは、人の健康や寿命の鍵も私たちの体内に住んでいる細菌が握っているらしいのです。とくに腸内細菌が注目を集めています。
これまで私たちは細菌を馬鹿にしてきましたが、実は細菌に馬鹿にされていたのかもしれません。


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宇宙に存在する星の数

2016.10.16日
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(CNN) 米航空宇宙局(NASA)は13日、観測可能な宇宙の範囲内にある銀河の数は2兆個と、これまで推定されてきた数の10倍に上ると発表した。英ノッティンガム大学の研究チームが数学モデルを駆使し、現在の望遠鏡では見ることのできない銀河の数も含め算出した。


天文学者らは1990年代半ば、ハッブル宇宙望遠鏡による発見も踏まえ、銀河の数を2000億個とする見解に至っていた。


だがこのほど、ノッティンガム大学の研究チームが新たな結論を引き出した。
これによると、はるか昔の宇宙では銀河の多くが密集していた。小規模で放つ光も弱い銀河は大きな銀河に飲み込まれていき、この過程で宇宙内における銀河の密度は低下した。


研究チームは今回、ハッブル望遠鏡の新旧の画像を調査。さらに新しい数学モデルを使い、観測可能な範囲内にありながら現在の望遠鏡では見ることができない銀河の数を推定した。
この結果、90パーセント以上の銀河は放つ光があまりに弱いか、非常に遠くにあるため、最も強力な望遠鏡を使っても観測できないことが分かった。

ただ現在、ハッブル望遠鏡よりも巨大なジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡(JWST)の開発が進められている。JWSTは赤外線領域での観測に利用され、130億年前の光をとらえることが可能。これにより、最初期の宇宙の様子を調査できるようになると期待されている。
(CNN NEWS)

銀河の数が2兆個といい、銀河には1000万(10の7乗)程度の星で成り立つ矮小銀河から、100兆(10の14乗)個の星々を持つ巨大な銀河まであります。ひとつの銀河に存在する星の数がこれだけあるのですから、全宇宙にある星の数といったら、これはもう文字通り天文学的な数字で、だれも数えることはおろか、想像することすらできません。たとえこの先、科学がどれだけ進歩しても、人間には宇宙にある星の数は永遠にわかりません。


「主(神様)はもろもろの星の数を定め、すべてそれに名を与えられる」
(詩篇 147:4)


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人間に与えらえた知恵

2016.10.10日

"What you do makes a difference, and you have to decide what kind of difference you want to make."
--Jane Goodall(1934-), Primatologist and UN Messenger of Peace
「あなたの行動が違いを生み出す。しかし、どんな違いを生み出すかはあなた自身が決めなければならない」
--ジェーン・グドール、霊長類学者・国連平和大使


ジェーン・グドールさんは幼い頃より動物が好きで、アフリカへ行くことを夢見る少女だった。
ケニヤで農場を経営する友人宅を訪問したときに人類学の世界的権威であるルイス・リーキー博士と出会う。リーキーの勧めでタンザニアのゴンベのジャングルでチンパンジーの研究を始める。 リーキーとグドールは世界で初めてチンパンジーが草の茎を使いアリを捕る行動を報告し、人類固有とされてきた道具を使う能力がチンパンジーにも存在することを証明した。また、草食動物であると考えられていたチンパンジーが雑食であること、チンパンジーの性格に個体差があることを証明し、目覚しい研究成果を上げた。(Wikipedia)


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グドールさんがチンパンジーの研究を始めたとき、チンパンジーが彼女から逃げて近づくことすらできませんでした。
しかし、来る日も来る日もチンパンジーの行動を観察し、性格の違いを見つけて1頭1頭に名前をつけて近づいていきます。そのうち、チンパンジーのほうがグドールさんを自分の仲間として認めてくれるようになり、仲良くなって上に挙げたような画期的な発見を次々としました。


グドールさんは言っています。
「ヒトの脳。私が思うに、私たち人類と、一番近い親戚であるチンパンジーの最も大きな違いは、脳にあります。チンパンジーはかつて考えられてきたよりもずっと高い知性を持っています。それでも、どんなに賢いチンパンジーの脳も、ロケットや、そこから這い出して火星を動き回り、地球上の科学者たちに写真を送信するロボットを設計した生き物の脳とは比較になりません」
この知恵ある人間がどんどん傲慢になって、地球を破壊してきました。
「けれども、私たちは正気に返りつつあります。すでに世界中で、私たちが作りだした多くの問題への革新的な解決法が考案されています。例えば再生可能エネルギー、持続可能な農法というように。それに、個人のエコロジカル・フットプリントを軽減する方法も」(ジェーン・グドール:地球の未来に希望を抱く5つの理由より)
と彼女は、人間に与えらえた知恵で地球を破壊することはないだろうと期待しています。


動物行動学者らしい表現でグドールさんは冒頭のように語っています。
私たちがすることはどんなことであれ、良きにつけ悪しきにつけ何らかの違いを生み出すことになる。
大切なのは「どんな違いを生み出すか」で、それを決めるのは私たち一人ひとりの務めだ、と。


今日、ジェーン・グッドールさんは国連平和大使として、精力的に全世界を飛び回って講演活動を行い、自然保護、動物保護を訴えています。
「動物に性格や心、思考能力、そして何より感情があることを受け入れる覚悟ができれば、当然の帰結として、私たちは無数の動物たちの心理的・肉体的苦痛を思い、眠れぬ夜を過ごすことになるでしょう。集約的畜産、食肉処理、スポーツハンティング、罠猟、エンターテインメント業界の動物たち、『ペット』の扱い、釣りなど、挙げていけばきりがありません。だから私はベジタリアンになりました」


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世界に不用の物はない

2016.09.23日
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上の4枚の写真は何だと思いますか?
ピンと来る人がいたらかなりの「通」です。
私はなにかの菌類かと思いました。でも、ハズレ。
一般の私たちにはなじみの薄い「粘菌」(ねんきん)と呼ばれるものなのですが、これがまた実に不思議な生き物。
「動物とも、植物とも、菌類とも、原生生物とも言える曖昧な生物、コスモポリタンで、梅雨時から夏にかけて、森の朽ちた倒木や落ち葉の上などに見つけられる。粘菌変形体は、裸の原形質の巨大な塊で、100gぐらいの原形質が、先端部では数cmから数mのシート状に広がり、後方では、管がネットワーク状に分布している」
と北海道大学電子科学研究所、上田哲男さんが語っています。


かつて昭和天皇もこれをご研究されていたそうです。
そして、この粘菌の研究で世界的に有名だったのは、南方熊楠(みなかたくまぐす)という1867年から1941年に活躍した博物学者、生物学者、民俗学者です。
明治19年に19歳で渡米し大学で動植物を研究し、その後25歳でイギリスに渡り、大英博物館で考古学、人類学、宗教学などの蔵書を読みふけったといいます。


18か国語を自在に操り、独学で世界的な粘菌の研究者となったこの人がすごいことを言っています。
「多くの菌類や黴(かび)菌は、まことにせっかく人の骨折って拵(こしら)えた物を腐らせ、悪(にく)むべきのはなはだしきだが、これらが全くないと物が腐らず、世界が死んだ物で塞がってニッチも三進(さっち)もならず」と続け、害虫も無益のものではないと力説したそうです。
(2016年8月21日付読売新聞 「[名言巡礼]南方熊楠の言葉…世界にまるで不用の物なし」より)


「粘菌は味覚もあり、苦いものは避け、糖とかアミノ酸のような美味いものには寄って行く。嗅覚もある。臭いに対する粘菌の反応とヒトの反応に高い相関があることから、そこに共通のメカニズムがあると想像されるほどだ。その他、重力や電流にも反応する。粘菌には五感が備わっていると言ってよい。動物では特殊化した感覚器官が局在化しているが、粘菌ではこれらの能力が全身にある。一部分を切り取っても、サイズが小さくなるだけで同じように振舞う。粘菌は、全身が感覚器官であり、運動器官であり、情報器官だと言われる」
一見原始的な生物が、感覚受容、判断、行動、“計算”、“記憶”など、脳をもつ動物にも匹敵する高度な情報能力を示すことから、これを応用した「粘菌コンピュータ」なるものまで生まれたのです。


この単細胞生物の真正粘菌が形成する餌の輸送ネットワークを理論的に解明し、都市を結ぶ実際の鉄道網よりも経済性の高いネットワークを形成する理論モデルの構築に成功したそうです。
近年ますます複雑化するネットワーク社会において、経済性および災害リスクなどの観点から最適な都市間ネットワークを設計する手法の確立につながるというではありませんか。


去る7月に相模原市の知的障害者施設で起きた殺傷事件を受けて、一昨日の21日に横浜で全国から1000人が集う追悼集会が開かれました。
参加した方たちが切々と訴えていました。
「容疑者の『障がい者はいらない』という言葉は、私たちに向けられています。私たちは障がい者である前にひとりの人間です」
「障がい者にも輝く人生があります。生まれてよかったと思える社会を作らなくてはいけません」
「障がい者はみんなうまく言葉にできなくても心や頭の中ではちゃんと考えています。このことを社会の人たちにわかってほしいです」


この世の菌類やかび菌、害虫を始めとするあらゆる動植物を指して「世界に不用の物はない」と南方熊楠は語りましたが、人である障がい者ほどこの世において大切な存在のものはありません。
私たちは障がい者と力を合わせて共生社会作りを目指さなければなりません。


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運命の赤い糸

2016.05.31日

地球上の生物の種類は約870万ぐらいだそうですが、そのうち約9割はまだ発見されていないといいます。
しかし、1500万から4000万とか、あるいは1億と推定する研究者もいます。
この数字は種類で個体数ではありません。
人間はホモサピエンスで1種類ですが、その数は現時点で73億人あまりです。


以前教えていた私立中学3年生のS君の英語の教科書にコオロギの鳴き声の話が出ていました。
リーン、リーン、コロコロ、チンチロチンチロチンチロリンなどという秋に聞く鳴き声です。
実はこれは正確には鳴き声ではありません。
コオロギは口で鳴いているのではなく、羽根をこすり合わせて音を出しているからです。
さて、鳴くのはオスだけで、これはメスに対する求愛活動なのです。
メスは何匹ものオスの鳴き声を聞いて、この人(コオロギ君?)の歌が一番うまい、というふうに相手を決めて、ここでカップルができあがるのです。
魚もダンスを踊ったりしてメスに求愛活動をします。
クジャクは翼を広げます。
食べ物をプレゼントして求愛する鳥などもいます。
巣を作って求愛するものもいます。
ほかにも、数多くの生物がさまざまな求愛活動をします。


犬が好きな人には、同じ種類の犬でも顔を見て、可愛い犬、美人(犬?)、年寄り、意地悪な犬、怖い犬など違いがわかります。
私は犬の顔を見て、嬉しい、悲しい、甘えたい、疲れた等などの表情がわかりますが、猿の顔はほとんど見分けはつきません。
しかし、サル山で餌付けをして猿の世話をしている人には、100匹以上いるサルの1匹1匹の顔が区別でき、やはり性格もわかるそうです。


私たち人間には魚はみんな同じ顔に見えますが、おそらく魚の世界の中では、やはり美魚、老魚など違いがわかるのでしょう。
だから、上に挙げたように魚の世界でもダンスのような求愛行動があるのです。


さて、それでは人間は?
私たち日本人には、たとえばアラブ系の人たちやアフリカ系の人たちはあまり見慣れていないので、みんな似ているように見えます。
白人から見ると、日本人も中国人も韓国人も、そしてアジア系の人はみんな同じように見えて区別がつきません。


私の場合は、アメリカ人の俳優は、昔の人も今の人も結構見分けがつき、名前もわかります。
しかし、ファッションモデルになるとみんな同じ顔に見えます。
その理由を考えてみると、自分にとって大切なもの、興味・関心のあるものに関しては、よく見えるということです。


さて、人間の場合、結婚相手を探すのに、動物のような本能的な求愛活動はしません。
「婚活」をする若者は多いですが、これも一種の求愛活動でしょうが。


「運命の赤い糸で結ばれている」という表現をよくしますが、これは単なる迷信や俗説、伝説などで片づけられない面があります。
なにか目に見えない、不思議な引き合いがあり、自然とカップルができあがる、という感じがします。
アカデミーでも、2組のカップルがこれまでに誕生しています。
そのような出会いの場を提供できたということはとても喜ばしいことです。
地球上の何十億という人の中から自分の相手を見つける、というのはまさに奇跡と言っても過言じゃないほどの確率で、また不思議なめぐり合せです。


「幸せの青い鳥」じゃないですが、案外、自分のすぐそばにそのような人がいることがよくあるものです。
要は、先ほどの話ではありませんが、関心をもってよく見るということです。


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はーるよ来い

2015.03.25日

♬梅のこえだで
うぐいすは
春が来たよと
うたいます
 ホウホウ ホケキョ
  ホウ ホケキョ♫


うちの長男の直人が幼稚園で歌っていた童謡です。一緒に歌っているうちに覚えてしまいました。本人はきっと忘れているでしょうが。
まだついこの前のことだと思っていたら、もう結婚していて、そう遠くない将来には子どもが生まれ、またその子もこの歌を歌う日がやってくるのでしょうか。


昨日はポカポカ陽気に誘われて久しぶりのウォーキングに出かけてきました。
ここしばらくは仕事に追われてずっと忙しくしていたのと、花粉症で外に出られなかったりで、2時間歩いて戻ってくるとかなり疲れ、昼食後昼寝をしてしまいました。もっと歩かないとだめですね。
スイミングの方もプールに行くと、そのたびにJリーグの日と重なっていて駐車場が満車で入ることができず、しばらくご無沙汰になっています。


いつも歩く金目川沿いの小径の桜はまだつぼみが硬く、満開は4月の2週目ぐらいになるのでしょうか。


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でも冒頭の歌のようにうぐいすが澄んだ声で
「ホーホーホケキョ」
と何度も鳴いていました。
そして道端に目をやると、小さな土筆が一生懸命背伸びをしていました。子どもの頃よく食べた土筆。懐かしいです。


%82%C2%82%AD%82%B5.JPG


春がもうすぐそこまで来ています。
日本の春はやっぱりいいですね。
それぞれの国にそれぞれの良さがあり、みんな自分の国の春がきっと一番好きなのでしょうが、私は日本の春をこよなく愛しています。
「はーるよ来い、はーやく来い...」


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我が祖国、日本

2014.11.13日

日本は四季折々、それぞれの美しさや良さがある、自然にとても恵まれた国です。
ちょうど今、木々の葉っぱが黄色から赤に変わり、今日のように風の強い日は葉っぱが雪のように風に舞ってます。




もうすぐ紅葉は赤く、イチョウの葉は黄色くなり、地面を覆い尽くします。
今日は青空が広がり、うちの前からも富士山がくっきりと見えます。




先日、私のために毎日祈ってくださっているお友達のKさんから、お見舞いでとても立派な胡蝶蘭が贈られてきてうちの玄関を賑わし、毎日私を元気づけてくれています。




私は子どもの頃は夏が大好きでしたが、中学生ぐらいから秋のこの時季が一番好きになりました。
涼しくて頭も身体もスッキリして、とても気持ちがいい。
なにかちょっと寂しげなこの季節が好きなのです。


かと言って、秋の後に続く寒い冬は苦手です。でも、同時に冬は冬で「冬来りなば春遠からじ」で、「人生の厳しい冬もいつまでも続くわけではなく、希望に満ちた将来がすぐ後に控えている」と嬉しいメッセージを届けてくれます。しびれるような寒さの中にも冬の良さはたくさんあり、苦手ですが嫌いではありません。


そして一斉に花が開き、豪華絢爛な春がやってきます。
道端の草花までも美しく咲き誇り、私たちの心までウキウキしてきます。


うだるような暑さの夏は今は苦手になりましたが、夕方、太陽が落ちると海風に吹かれて散歩するととても気持ちいいです。
夜はエアコンを弱くかけっぱなしにするのでよく眠れます。
そして、また大好きな秋が巡ってきます。


数々の火山の上に横たわる日本列島は昔から天変地異が多く、これからも火山の噴火や地震、津波、台風による洪水など確実に起こります。
でも、そのつど日本人はこれまでみんなで支え合い、助け合って、幾多の試練や困難を乗り越えてきました。
これからだって大丈夫です。


アメリカを始め外国にも友達はたくさんいます。
そして、それらの国もそれぞれに素晴らしさがたくさんあり、その国々の人々や自然、文化や歴史、習慣・習俗を愛し、尊敬します。
しかし、やっぱり素晴らしい日本。
我が祖国、日本を心から愛し、誇りに思います。


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人間の横暴

2014.10.23日

この親子は、この後”生きたまま”毛皮を剥がされ苦しみながら絶命していくのです。
「かわいい」「ステキ」と知らずにリアルファーを眺めていた昔の自分を今は恥じ入るばかりです。
昔、ハリウッド女優達が毛皮反対に抗議していましたが、あまり関心がありませんでした。でも、余興の為のライオンハンティング、象牙ハンティング、そしてこの毛皮...etc.ミンクも初めから毛皮にされるために、繁殖させ、一生を狭い檻の中で飼い殺しのような毎日、そして最後は生きたまま生皮を剥がれる...こんな残酷なことが世界中でまかり通っていることを知るにつけ、強い怒りを覚えるようになりました。人間が生きていく為に与えられている権利をはるかに超えたような横暴の数々...キリがありません。が、少なくともこの毛皮問題は解決に向かって動いていると信じています。ユニクロもリアルファーを扱わなくなっています。少しずつですが...。



上の写真とファーの話はFBフレンドのHiroko Umaaraiさんが昨日ポスティングしていらっしゃったものです。
ファーの話を聞いたのは初めてで、ギューっと胸をしめつけられる思いがしました。
こんなことがまかり通っていいのか。それも人間のファッションという贅沢のために。
上でHirokoさんがおっしゃっているように、このほか象牙ハンティングやミンクなどなど、挙げれば切りがないほど人間の横暴が見えてきます。
私もこれまでこのようなことに疎(うと)かったことに恥じ入りました。


ちょうどこのようなとき、今朝のことですが、思いもかけず下のような動画を発見しました。
やがて地球を滅ぼしてしまいかねない人間の傲慢さがこの中によく表されています。
私たちもこれをただ見るだけでなく、反省の気持ちを持って見、そしてなんらかのアクションを起こさないといけない、それも猶予のない話だとつくづく思わされました。





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当たり前のこと

2014.08.07日

朝、太陽が昇る。
目が覚める。
外では、ウグイスや鳩、カラスやスズメ、セミの鳴き声が聞こえてくる。
散歩に連れてもらっている犬に出会う。
猫の姿も見る。
我が家の小さな庭にはきゅうりがなっている。きゅうりが小さな可愛い花をつけている。
川には水が流れていて、爽やかなせせらぎの音が聞こえてくる。
山々は深い緑の木々で覆われている。
散歩道の両脇にはきれいな花が咲き誇っている。
海に行くと、100色の、いや1000色の絵の具を使っても表せないさまざまな異なる表情で日々、時間ごとに私たちの目を楽しませてくれる。
夕方には太陽が傾き、きれいな夕焼けを見せてくれる。
雨の後の美しい虹。
夕方になると月が姿を現す。
夜のとばりが下りると空には無数の星が輝く。


これらの自然の恵みを私たちは普段、何の気なしに見ていて、どれもこれも「当たり前」ものとして見ている。


いや、自然だけではない。
家族や友人や同僚など毎日接する人々も「当たり前」。
住んでいる家も、運転している車も、乗っている自転車も、毎日食べる食事や飲み物も、着ている服も、メガネや靴も、どれもこれもみんな「当たり前」。


これらのものに改めて感謝することなどまずほとんどないのではないでしょうか?


しかし、考えてみたら、私たちはこれらすべてのものや人の恩恵にあずかり日々暮らしているのです。
どれ一つ欠けても困るし、生きていけません。


この世に存在するものすべてのものに存在目的があります。
意味のないものなど一つもありません。
たとえ道端に転がっている、何の役にも立たなさそうに見える石ころ一個にさえ存在目的があるのです。


山にある岩石が川に流され、途中互いにぶつかり合ってだんだん小さくなり、やがて海に至る頃には砂になっています。私たちはその砂を用いて家や道路などの建造物を造ります。


私たちが「当たり前」に毎日使っている車や飛行機や船なども全部、この世に存在する原材料を使って造っています。


太陽と地球の間の距離は絶妙で、あと少し距離が近いと地球は灼熱の砂漠になり、あとほんの少し近いと南極大陸のように氷に覆われます。
もし月と地球の距離が現状の半分だとすると、引力によって起こる潮の干満は現在の4倍となり、地球との距離が3分の1になると、潮の干満は9倍になるので一日に2度全てが水浸しになりおぼれることになります。



酸素と窒素、二酸化炭素、その他の元素の割合もまさにピッタリで、このお陰で私たち人間を始め哺乳類は呼吸することができ、植物も生きることができるのです。
そして、食のサイクルも最善の形でかみ合っています。


これら上に挙げたものどれ一つをとっても、バランスが少しでも崩れると私たちは生きていけません。
私たちが普段「当たり前」と思っているものは、宇宙から始まり、私たちの日常の生活に至るまで決して当たり前のことではなく、絶妙なバランス、最高の計画に従って成り立っているのです。


そして、それらすべての背後にあるのが創造主なる神様で、神ぬきにこれらを説明することはできません。


そして、被造物すべてが創造主をほめ歌っているのです。


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一人ひとりの個性を尊重

2014.04.29日

昨日、「舟田式ひも勉強法 その5」まで書きましたが、実はこのシリーズまだ当分続きます。
ずっと同じような話が続くと皆さんに飽きられるかもしれないと思い、今日はちょっと脱線です。
とは言っても、本当の脱線ではなく、今お話ししていることに関連はしているのですが。


今、毎日ウォーキングをしていることはこのブログでこれまで何度も書いてきています。
普通はだいたい2時間、13kmほど歩いているのですが、昨日は2時間43分あまりで約16km歩いてきました。
いつもの金目川沿いのサイクリングロードの散歩コースです。


uguisu.JPG


ここはいつも歩いていると、最近では田舎でもあまり聞かなくなったといううぐいすの鳴き声が、上の写真の木立の辺りから、またそのほかの場所でも毎回聴けるのです。
朝、歩いている時にはうぐいすが私に、
「おはよう!」
と語りかけているような気がし、帰り際、とくに夕方などは
「お帰り。お疲れさま!」
と言ってくれているように感じます。
それに対して私も
「おはよう」とか「ただいま」と祈りの中でうぐいすさんに答えています。


さて、うぐいすの鳴き声と言えば、だれでも知っているあの有名な歌。
1. 梅の小枝で うぐいすは
  春がきたよと うたいます
  ホウ ホウ ホケキョ
  ホウ ホケキョ


2. 雪のお山を きのう出て
  里へきたよと うたいます
  ホウ ホウ ホケキョ
  ホウ ホケキョ


昔、「物まね大合戦」とかいうテレビの番組に出た小学生の女の子が、実に見事にこのうぐいすの鳴きまねをして、だれが聴いても本当にうぐいすの鳴き声と思うほどそっくりで、この女の子がチャンピオンになりました。
日本では、うぐいすというと、その鳴き声はほぼだれでも「ホーホケキョ」と言います。



ところが、散歩しながらよく聴いていると、これが必ずしも「ホーホケキョ」じゃないことに気づきます。
私が気づいただけでも、たとえば、
「ホーホケホケキョ」「ホーホケキョケキョ」「ホーケキョ」「ホーホケッキョ」「ホッホーホケキョ」「ホッホッホッホーホケキョ」「ケキョケキョケキョ」「ホッホッホッホーホケキョ」「ホホホホホーケキョ」
などなど本当にたくさんのバリエーションがあるのに気づきます。
ところが面白いことに、外国人の耳にはこのうぐいすの鳴き声は「ホーホケキョ」とは聞こえず、
「スースチチュ」「スーチッチュ」「ルールキチュ」「フーフチュン」「ホーチポン」
などと聞こえるようです。
じつに面白いです。


これは動物などの鳴き声に限りません。
犬にあまり関心のない人にとって、犬は同じ種類の犬ならみんな同じ顔に見えます。
ところがある種の犬を飼っている人にとっては、よその同種の犬の顔を見ると明らかに違いがわかるのです。
これは猫や、その他なんにでも当てはまります。


一昨日、FBフレンドのSさんが、パンジーのこんな可愛い写真を載せていらっしゃいました。


panji.jpg


そして、次のように書いていらっしゃいました。
「みんな ソックリなようで、微妙に違う顔してますね(*^^*) どんなものにも唯一無二の顔がありますね(^_^)」


そうなんです。
ファッションに興味ある人には、人が身につけている服装はとても気になり、その特徴がすぐに目に入り、しっかりと頭の中に刻み込まれます。
何でもそうですが、興味あることには人間は非常に敏感に小さな違いに気づきますが、そうでない人にとってはみんな同じように見えてしまいます。


海岸でよく見かける鳩も、一見みんなそっくりに見えるのですが、よく見ていると1羽1羽みんな羽の色や柄が違うだけでなく、姿格好も、また顔すら違うし、行動も、声や鳴き方もそれぞれ異なるのです。


hato.JPG


ましてや、「人間においておや」です。
動物から見れば、人間はみんな同じように見えるかもしれませんが、我々人間同士は違いがわかります。
たとえ一卵性双生児で一見そっくりでも、親から見ていると顔や体つきだけでなく、性格や行動やさまざまな違いがはっきりと見えます。


私たちも人を見るときに気をつけなければならないのは、十把一絡げにしてはいけない、ということです。
一人ひとり顔や恰好が違うだけでなく、考え方も感じ方も表現の仕方も、歩き方や食べ方など行動も、すべてがみんな異なります。
この違いを私たちはその人固有のものとして受け入れ、尊重しなければなりません。


今、この「舟田式ひも勉強法」シリーズで繰り返し言っていることは、みんなそれぞれ個々の点から成っているのではなく、それぞれの点が集まって線になっている、ということですが、個々の特徴を尊重するとともに、個々バラバラに見るのではなく、その中に共通する線を見出すこと。これがとても大切なことで、これによって初めて、正しい人間関係を築くこともできるようになるのです。


ということで、今日はちょっと気分転換を図りました。


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昨日はリラックスできて調子は上々

2014.04.10日

ここしばらく好天が続き、初夏を思わせるような暖かさで、ウォーキングをしている途中、上に着ている薄いジャンパーを脱いで腰の周りに巻いたりしています。


昨日もそのような日でした。
いつも歩く桜の並木道、金目川サイクリングロードは、もうかなり花は散ってしまい葉っぱと混ざり合っています。
学生の頃は、この時季の五分葉桜がわびさびの美しさをかもし出しているような気がして大好きだったのですが、今は自分の年齢と重ねて考えるせいか一抹の寂しさを感じるようになってきました。


hazakura.JPG


でも、昨日はこの同じ五分葉桜を見て、桜の花が散って寂しくなった方にではなく、新芽、若葉が出てきたことに焦点を合わせると、希望があふれてきて、逆に元気が出てきました。不思議ですね、同じものを見ていても、「わびさび」「寂しさ」「希望」と、とらえ方が変わってくるのです。


いつも歩く小径の横の小川には落ちた桜の花がたくさん浮いてなんやら文様を描いているようで、それも風情があってなかなかいいものでした。


sakurakawa.JPG


また、子どもたちが川の浅瀬で遊んでいるのを見て、「ああ、自分もこんなことをしていたなぁ」と、子どもの頃のことを懐かしく思い出しました。


kodomo.JPG


これまでウォーキングする時の楽しみの一つは、「好きなものと心中する」に書いたようにiPhoneでアメリカのお気に入りの牧師のメッセージを聴くことでした。
しかし、数年前に「五感を大切に」という記事の中にも書きましたが、突発性難聴になりました。
幸い癒されて、今は聴力は少し衰えてはいるものの生活に支障がない程度なので感謝しています。
つい最近娘から、散歩しながらイヤホンを使って何かを聴くことは難聴の人には良くないと言われ、素直な私はすぐにその忠告に従ってやめました。


楽しみが一つ減ったと思っていたのですが、なんと昨日気づいたことは、これまで聞こえなかったいろいろな種類の鳥のさえずりや小川のせせらぎなどがものすごくよく聞こえるようになっていることでした。
しかも、これらは高周波音で脳にもいいということです(「春来りなば夏遠からじ」)。
逆に楽しみが一つ増えました。


昨日の大磯の海は凪でした。
サーファーの人たちにとっては凪はつまらないでしょうが、一年には春夏秋冬があり、人生に生老病死があるように、海にも凪も嵐も必要なのです。
私は凪の海を見ながら海岸を歩いていて、心がとても癒されました。


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首輪をしていない野生の猫(捨て猫?)が海岸で気持ちよさそうに日向ぼっこをしているのを見て、きっとこの猫も私と同じようにリラックスして楽しんでいるんだろうな、と想像しました。


neko.JPG


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春来たりなば夏遠からじ

2014.04.01日

「冬来たりなば春遠からじ」という記事をまだついこの前書いたばかりだと思っていたら、もういつの間にか春になってしまいました。
暦の上では3〜5月は春ですが、今年の3月のように3月の初めは毎年どか雪が降って、受験生の足などに大きな影響を出し、まだまだ寒くて冬の真っただ中のような感じがするのですが、月末になると急に辺りは春めいてきます。


今日から4月。いよいよみんなが待ち焦がれていた春本番です。
しかし、「春来たりなば夏遠からじ」で、今度はあっという間にうだるような暑さの夏になります。
昨日はこの湘南地方では最高気温22℃というポカポカ陽気。それに誘われたかのように、一昨日までまだつぼみだった桜が一斉に花を咲かせ満開になりました。
本当は一昨日の「50年振りのミニミニ同窓会」で最高の花見をする予定だったのが雨で流れてしまいましたが、そのお陰で5時間あまりも話す密度の濃い同窓会となり、逆に感謝でした。


昨日は朝食とブログ記事、その他諸雑事を終えてからウォーキングに出かけました。
これがいつものコース、金目川サイクリングロードの桜並木です。見事に満開です。


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いつものように海に行くつもりだったのについつい足が湘南平の方に向き、途中からコース変更して湘南平を登頂しました。
標高1810mだったらすごいのですが、一桁少ないたったの181mで、たくさんの高齢者の方々もハイキング気分で登っていらっしゃいました。まあ私もそのうちの一人ですが。


途中、富士山が一望できるこのような最高のところを通っていきます。


MtFujifromchonandaira.JPG


頂上に着くと、駐車場に面白い車が止まっていました。こんなの初めて見ました。宣伝カーなのですかね。


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いつもウォーキングしている大磯海岸がこの下の方にあります。
「春来たりなば夏遠からじ」で、もう夏のような恰好をしています。


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歩いていると様々な小鳥のさえずりや小川のせせらぎなども聞こえてきて、本当に癒されます。
そういえば、先日書いた「物忘れ対策」の中に登場する雑誌『わかさ』に付録でついていた「脳活性 高周波音CD」には、この小川のせせらぎやうぐいすなどの小鳥のさえずり、海の波音などが入っていて、これを聴いていると本当に心身がリラックスして途中で眠ってしまうほどなのですが、毎日の散歩コースでこれらを自然の中で生で聞けるというのはなんと恵まれているのだろう、と改めて感謝した次第です。


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五感を最大限に

2013.11.09日




五感という分類の仕方は、もともとは古代ギリシャのアリストテレスによる分類に端を発しており、それが様々な文化に引き継がれ、現在でも小学校などでも教えられており、広く通念ともなっている。
すなわち視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚をさす。
学問的には、現在では、感覚には少なくとも9種類はある、と大方認められており、細かく分類すれば20余りある、とする説明もある。
(以上Wikipedia より一部抜粋)


まあ、細かいことはいいとして、実質的に私たちが日常意識しているのは、やはり上の視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感です。
中には身体的な障がいを負っていて、このうちのいくつかの感覚が麻痺、あるいは機能していない人たちもいます。


盲聾唖(見えない・聞こえない・話せない)という三重苦の中で、家庭教師のアン・サリバン女史の助けによって、冷たい井戸水の触覚をきっかけに三重苦を克服したというヘレン・ケラーの話などは、本当に感動的です。


スーパーマンのような人は誰もいず、みんな何らかの弱さを持っています。
私など小学生の頃は、視力は両眼ともにいつも1.5で自信があったのに、中学2年の時に急に落ち始め、高校に入った最初の検査ではもう0.01というレベルまで落ちていました。視力0.01というのは、眼鏡を外してはっきり見える距離が10cmというものです。
勉強のやり過ぎでした、なんて言えればいいのですが、実際は父親からの遺伝といつも暗いところで本を読んでいたのが原因だったのでしょう。自慢じゃないですが、勉強は全然しませんでした。


4年ほど前には突発性難聴になり、同病で入院していた人はみんな治らなかったのに私だけが奇跡的に癒されました。でも、聴力は今でも劣っていて、人の話をよく聞き返します。


触覚、味覚、嗅覚は今のところ大丈夫です。これらも年とともに徐々に衰えていくのでしょうが。


しかし、私のモットーは常にその時々において、一瞬一瞬、最大限に五感を活用し、その恵みに感謝するすることです。
何を見ても「ああ、美しいな!」と感動し、何を聞いても「ああ、なんて素敵なんだ!」、何に触れてもその触感を慈しみ、楽しみ、何を食べても飲んでも「ああ、美味しい!」と心から味わい、どんな匂いを嗅いでもその香りを楽しむようにしています(子どもの靴の臭いはまだ苦手ですが)。


このようなことを普段から意識していると、何を見ても、聞いても、触れても、食べても飲んでも、香りを嗅いでも、感動して、生かされていることを実感し、感謝の気持ちにあふれます。
私は人と接する時を始め、散歩する時も、食事する時、読書、音楽、テレビ、映画などを楽しむ時も、五感をフルに活かし、至福の時を楽しんでいます。


ただ、一つだけ気をつけなければならないことがあります。
それは何かと言うと、あまりにもすべてにおいて鋭敏になり過ぎると、心身に与える影響が大きくなり過ぎて、負担になることもあるということです。
過去の偉大な芸術家や文芸家を始め、おおよそ各分野でずば抜けた人たちというのは、一般的に感受性が異常に鋭い人たちで、そのため自らを滅ぼす結果になった人も少なくありません。


ですから結論としては、人生を楽しむために五感を最大限に活用することは大切ですが何事もほどほどに、ということです。


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ツクツクボウシ

2012.08.23日

一昨日、昨日、今日と、夕方に散歩に出かけました。久しぶりのことです。
最近はずっと暑い日が続き、散歩どころではなかったのですが、日が落ちるとずいぶん涼しくなってきました。(ロサンゼルスの涼しさにはかないませんが)
それに、1週間ほど前からまた何度か吐き気に襲われ、ここしばらく調子が悪かったので散歩には出かけていませんでした。


しかし、数日前に「真似されてこそ本物!」という記事を書いたところ、その中に登場した和菓子屋さんの隣町に住む妹が早速、美味しい最中や栗饅頭などの和菓子の詰め合わせを贈ってきてくれて、それをデザートにいただくと少し元気が出てきたのです。


いつもの散歩コースを歩きました。金目川沿いのサイクリングロードです。
桜並木道では夏の最後を惜しむかのように、セミが声の限り鳴いていました。
アブラゼミやヒグラシに混ざって、それに負けじと、ツクツクボウシが耳をつんざくような大きな声で鳴いていました。
一句できました。


夕暮れに
ツクツクボウシ
大合唱


セミといえば、今から40年近く前、アメリカに留学してすぐに大の仲良しになったポールのことを思い出しました(「英語がうまくなりたかったら」)。
ポールは高校生の時、日本に短期留学したのですが、それがきっかけで日本が大好きになり、大学卒業後はロサンゼルスにある日系企業に就職しました。
この夏、ロサンゼルスに行った時、彼にも会いたいと思い、Facebookなどで調べたのですが、何しろ英語の名前でポール・ケリーなんてあまりにもありふれていて、同姓同名は五万といます。
彼の住んでいた街や大学名などキーワード検索もかけたのですが、見つけることができませんでした。
そのポールが日本で経験した一番恐ろしかったことは、夜、二階の自分の部屋に戻ったところ、部屋の中にセミがいたということ。
「えっ?どうして?セミなんて可愛いものじゃない」
「冗談じゃない!あれは化け物だ。あんなグロテスクで恐ろしい生物を見たことは人生で一度もない」とポール。
日本では、セミは生活の一部になっていて、日本人ならほとんどがセミに愛着があり、化け物など、考えも及びません。
ミンミンゼミ、アブラゼミ、ツクツクボウシ、クマゼミ、ヒグラシ、ニイニイゼミ等など、種類も鳴き声も違いが分かるのですが、英語にはそのような区別はなく、ただ cicada (シケイダ)というだけです。(セミに言わせれば、それこそ「失敬だっ!」)
また、それぞれのセミの鳴き声も、アメリカ人の耳には日本のように「ミーン、ミーン、ミーン」「ジージージー」「ツクツクボウシ、ツクツクボウシ」「シンシンシンシン」「ヒシヒシヒシヒシ」「チージー、チージー」などのようには聞こえないようで、英語ではただ "shrilling" と「甲高い声で鳴いている」と表現するしかないようです。
これ一つを見るだけでも、日本ではセミがいかに私たちの生活に浸透しているかということがわかります。
昔、うちの子どもたちが近所の公園でセミを捕まえて、大きな虫カゴにぎっしり隙間もないほど詰めて持って帰ってきたこともありました。そのセミたちの鳴き声の凄まじかったこと!
ツクツクボウシの鳴き声を聞きながら、昔の日々を懐かしく思い出しつつ、ポールは今頃どうしているんだろう、と彼のことを考えました。


サイクリングロードから高麗大橋に上がりました。
ここは2か月ほど前、ある出来事でとても落ち込んでいた時、思索しながら歩いたところです(「命の洗濯」)。
橋を渡りながらちょうど真ん中辺りに来たところでふと振り返りました。
辺りはもうすっかり暗くなっていましたが、向こうの方に夕暮れに赤く染まった空が富士山の頂のすぐ右に見えました。


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以前は、時速6キロぐらいの結構速い速度でウォーキングしていたのですが、事故で怪我して以来(「スピード違反、事故から1週間」)、速度は5.5キロぐらいに落とし、ちょうど1時間をゆったりと歩くペースです。
これが今の私にとっては一番いいようです。


気持ち良い汗をかくことができました。
三日坊主で終わらせずにこれからもウォーキングを続け、心身の健康を目指してもっと頑張ろうと決意しました。
昨日の記事「自分には◯◯できない」に書いたニック・ブイチチのことを思いながら。


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桜にも個性が

2012.04.04日

昨日は午後から大嵐で夜のクラスは生徒の安全を考えて休講にし、また後日振替授業をすることにしました。
日が変わって今日は、朝から青空広がる気持ちのいいお天気で、つられて散歩に行ってきました。
今の私の一番の仕事は、食事と運動に気をつけて健康を回復させることです。
何人かの方から温かいお気遣いのメールをいただきました。ありがとうございます。


いつも今頃は満開の金目川のサイクリングロードを今日も歩きましたが、まだまだほとんどの木はせいぜい二分咲きです。
中にはまったく咲いていないのもあります。
そして、一本だけ七分咲きの木がありました。


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あと、ピンクの桜は満開でした。


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歩きながらこれら一本一本の桜を見ていて思いました。
桜にも早咲き、遅咲き、そして色など個性があるんだ。
そして、どれもこれもそれなりに美しいし、味わいがある。
桜ですらそうなんだから、ましてや人においておや。


人にもやはり早咲き、遅咲きがあって、身長や体重も一人ひとりみんな違います。
それこそ肌の色も目の大きさも、鼻の高さもまちまちです。
性格なんかたとえ双子であってもまったく違うこともよくあります。
それでいいのです。
むしろみんな同じだったらそれこそ恐ろしいことになります。まるでオートメーションでベルトコンベアを流れてくる物と同じです。


ところがどういうわけか、私たちはついつい人と比べて、うちの子はどうだ、こうだ、はたまた夫や妻も、あるいは上司や部下も他人と比べて、こうだったらいいのに、誰それがうらやましい、などと言ってしまうのです。


この世に不必要な物や人などありません。
みんなそれぞれ違うからこそ、それぞれに役割があるのです。
私たちはこのことを認め、受け入れ、さらに感謝しなければなりません。


神様は不必要な人や物を造るほど暇人(暇神?)じゃありません。


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美しい、あまりにも美しい

2011.06.01日

以前、このブログの中でレイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』のことを書きました(「教育の力 その2」)。
私は自然に関してはかなり疎(うと)いほうで、動植物の名前や生態などに関しては知らないことがとても多いです。
一応常識的なことは最低限知っているつもりですが、それでも自分の無知を正直認めています。


その理由のひとつは、ミミズやヘビが苦手ということがあります。
庭仕事というとミミズがつきもので、花壇をいじっていると必ずミミズに遭遇します。
ミミズを見ただけでぞーっとして悲鳴を上げてしまうほどです。
ヘビに至ってはもう絶対だめです。
テレビなどに登場するウネウネ、ヌルヌルしたものの映像を見るだけでもう心臓が止まりそうになるほど気持ちが悪くなります。
このようなわけで草花や木々だけでなく、ミミズを食べる鳥も魚も苦手、爬虫類全般が苦手なのです。


しかし、冒頭の『センス・オブ・ワンダー』を読んでいると、本当に大自然の美しさ、その中に生きとし生けるすべての生き物の美しさに心底惚れ込んでしまいます。
著者レイチェル・カーソンの自然に対する愛情が本を通してほとばしり出ているのです。
おそらく彼女はミミズやヘビやその他の爬虫類も愛していたのでしょう。


この本を読んでいると心を洗われます。
そして、大自然の前に畏怖(いふ)の念すら覚えます。
「雨の日は、森を歩きまわるのにはうってつけだと、かねてからわたしは思っていました。メインの森は、雨が降るととりわけ生き生きとして鮮やかに美しくなります。針葉樹の葉は銀色のさやをまとい、シダ類はまるで熱帯ジャングルのように青々と茂り、そのとがった1枚1枚の葉先からは水晶のようなしずくをしたたらせます」 (上掲書18ページ)
「たとえば、子どもといっしょに空を見あげてみましょう。そこには夜明けや黄昏(たそがれ)の美しさがあり、流れる雲、夜空にまたたく星があります。
子どもといっしょに風の音をきくこともできます。それが森を吹き渡るごうごうという声であろうと、家のひさしや、アパートの角でヒューヒューという風のコーラスであろうと。そうした音に耳をかたむけているうちに、あなたの心は不思議に解き放たれていくことでしょう。
雨の日には外にでて、雨に顔を打たせながら、海から空、そして地上へと姿をかえていくひとしずくの水の長い旅路に思いをめぐらせることもできるでしょう」 (同26〜27ページ)
「虫のオーケストラは、真夏から秋の終わりまで、脈打つように夜ごとに高まり、やがて霜がおりる夜がつづくと、か細い小さな弾き手は凍えて動きが鈍くなっていきます。そして、とうとう最期の調べを奏でると、長い冷たい冬の静寂のなかへひきこまれていきます」  (同40ページ)


どのページを開いても、著者の鋭い感性がひしひしと身に伝わってきます。
毎日の忙しい生活に疲れて、心の洗濯が必要になったとき、この本を読むとリフレッシュすること請け合いです。


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