学院長元気の出るブログ

日々の随想。教育問題、子育て、英語、積極思考、人間関係、霊想等など。
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ジョージ学院長 元気の出るブログ

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あなたが幸福になるか不幸になるかは

2017.11.26日

"It isn’t what you have, or who you are, or where you are, or what you are doing that makes you happy or unhappy. It is what you think about."
--Dale Carnegie - 1888-1955, Author and Speaker
「あなたが幸福になるか不幸になるかは、あなたが何を持っているか、あなたが誰であるか、あなたがどこにいるか、あなたが何をしているか、によるのではない。あなたがどのように考えるかだ」
--デール・カーネギー、作家・講演家
(訳 舟田譲二)


デール・カーネギーは私もファンのひとりで、彼の著作を読み、本を朗読したCDも繰り返し聴いています。このブログでもしばしば取り上げてご紹介してきました。


昨日の朝起きると、今年の春までうちで働いていてくださったY先生から祈りのリクエストのメールが届いていました。
うちの塾でも学んでいらっしゃったご長女の4年生のSちゃんが4日前から激しい腹痛を訴え、嘔吐し、3日間一切飲食もできず、睡眠も取っていらっしゃらず、近所の医者に診てもらっても原因がわからなくて一昨日市民病院に緊急入院。東海大病院の医師との連携でレントゲン、CTスキャンやMRIなどの検査を精査した結果、成熟嚢胞性奇形腫の茎捻転の疑いがあるとので、昨日東海大病院に転院して手術することになった、という旨の連絡でした。


私も指導していたSちゃんは本当に素直ないい子で、下に双子の赤ちゃんが生まれたら赤ちゃんのお世話もよくして、忙しいお母さんのお手伝いもしていました。
Sちゃんのことを思うと可哀想で胸が張り裂けそうになり、昨日は一日中何度もお祈りしていました。
その後、再びYさんからメールが入り、「緊急入院だったので、執刀医、その他の先生、スタッフと、手術室の予定がまだ合わせられず、手術時間は分からないそうです。更なる検査の結果、両方の卵巣に腫瘍がある可能性が高いそうです。Sと一緒に聖書の色々な箇所を読みながら、主が信仰の先輩にして下さったことや、現代の人にもして下さっていることなどを確認し、祈りました。Sも泣きながら神様に感謝と願いをささげています。引き続き、祈りのサポートをよろしくお願いします」と言ってこられました。


Sちゃんも、そしてお母さんやお父さん、お兄ちゃんたち皆さんとても不安なことでしょう。
Yさんからの別のメールには次のようにありました。
「不思議なことに、主は、Sが腹痛を訴えたその日に、この病名を私に教えていて下さいました。
Sは、救急搬送からずっと一人で診察や検査を受けています。Sがイエス様を信じていて、本当に良かったと思います。
また、付き添いもさせてもらえないので、Sの寂しさは募ると思いますが、主がSを慰めて下さると信じて感謝します」


信仰者の強さをここに見ることができます。
痛くて苦しいのに、病院のベッドの上で涙を流しながらも神様に感謝と願いをささげているSちゃんと、お母さんのYさんの強さ。
これは、現在置かれている状況いかんにかかわらず、神様の最善を信じ、その御手に委ねていらっしゃる信仰者の姿です。


突然、今から31年少し前の出来事がよみがえってきました。
生まれてまだ8か月の次男が急に激しく泣き出しました。休みの日だったので片っ端から小児科に電話をして、ようやく連絡の着いた隣町の医者に連れて行って診てもらいましたが、注射を打っても何をしても泣き止みません。家に戻って再び医者に電話したところ、今晩は様子を見てまた明日も泣くようだったら来るようにと言われました。


そのような時、その数年前にロサンゼルス留学中、教会でお知り合いになったM医師のことを思い出しました。真夜中でしたが、藁にもすがるような思いでお電話して状況を説明したところ、腸重積の可能性が高い、すぐに大学病院に行くように、と先生に言われ東海大学病院に車を飛ばしました。
果たしてそのとおりでした。当番だった先生がすぐに診て処置してくださり、大事には至りませんでした。翌朝まで待っていたら手遅れになっていたかもしれないと言われ、すべてを備えていてくださった神様の憐みに心から感謝した次第でした。
この次男が今は私の仕事を継いで、一昨年結婚した嫁と一緒に毎日頑張ってくれています。感謝です。


Sちゃんに、そしてご家族に平安がありますように。そしてSちゃんに神様の癒しがありますように。


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感謝の心は静かな喜び

2017.11.24日

"There is a calmness to a life lived in gratitude, a quiet joy."
--Ralph Blum (1932-2016) Screenwriter
「感謝の心を持って過ごす人生には静けさがある。静かな喜びだ」
--ラルフ・ブルーム、脚本家
(訳 舟田譲二)


ラルフ・ブルームは文化人類学者、作家でもありました。
むしろそちらのほうでよく知られています。
ある時、イングランドで研究中、2000年前の古代バイキングの粘土板に刻まれた24のアルファベットに出合います。25番目は何も刻まれていない白の板でした。


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ラルフはこの出合いを自分が見つけたのではなく、向こうから自分を発見してくれた、と言っています。
そしてこの文字板をいろいろと並べ替えているうちに、上の写真の順番になり、右上から左に順に読んでいくと、人生の主要なテーマである「自分」「協力」「合図」「退避」「力」「開始」「肥沃」「防御」「保護」「所有」「喜び」「収穫」「機会」「戦士」「成長」「活動」「流れ」「旅」「出入口」「突破」「休止」「一体」などで、そして最後の白いのは「神聖」だと発見します。
「かつてマーガレット・ミードが言った、"A-B-C-D...X-Y-God”という私が知っている唯一のアルファベットだ」
とラルフはピンときました。


ラルフはこの時、無職で一文無し、鬱の状態でしたが、これこそが自分の生涯の仕事と信じました。
彼はこの粘土板の文字は神からのe-mailで、これこそ神から私たち現代人へのメッセージだと言っています。人々に伝えることにより自分が会うことのない何百万人もの人たちの知恵・行動指針になると信じ、これを読解したノンフィクションをシリーズで5冊も書きました。


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ラルフ・ブルームは、
「感謝の心を持って過ごす人生には静けさがある。静かな喜びだ」
と語り、その言葉どおりに、前立腺癌が発見されてからも化学療法や放射線治療を一切受けずに27年間生きて著作・啓蒙活動をし、「静かな喜び」に満たされて昨年84歳で天寿を全うしました。


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◯に交われば白くなる

2017.11.11日

"Good actions give strength to ourselves and inspire good actions in others."
--Plato – Philosopher
「良き行動は自らの力の源泉となり、また他の人の良き行動をも促す」
--プラトン、哲学者
(訳 舟田譲二)


プラトンのことは、これまでこのブログでも何度か取り上げてきました。
とくに「愛知 ― 知を愛する」の中で書きましたように、我が「アカデミー学院」の名前もプラトンが紀元前4世紀に創設した学校の名前と同じです。プラトンの思想・哲学とは波長が合うのです。


今日の言葉、
「良き行動は自らの力の源泉となり、また他の人の良き行動をも促す」
もまたしかり。


中国の古いことわざに、
「朱に交われば赤くなる」
というのがありますが、これは関わる相手の良し悪しによって自分も影響を受けてそのようになる、だから良い友を選べ、という教訓として使われています。これは国家間においてもそのまま当てはまります。


これをもっと積極的に語っているのが上のプラトンの言葉です。
「友の影響を受ける」のではなく、自らが進んで人のお手本となるような行動を起こす。すると、人の良い行動を促すばかりか、自分のためにもなる、というわけです。


孔子は、「己の欲せざるところ、他に施すことなかれ」と語り、
ヒンドゥー教は、「人が他人からしてもらいたくないと思ういかなることも他人にしてはいけない」と教え、
イスラム教も、「自分が人から危害を受けたくなければ、誰にも危害を加えないことである」と言い、
ユダヤ教でも、「あなたにとって好ましくないことをあなたの隣人に対してするな」
と教えています。


しかしイエス・キリストは、
「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」
と、消極的に「〜するな」というのではなく、「〜せよ」と自ら進んで行動を起こすことを教えました。
この言葉が、「律法の中の律法」、世界中の「戒律の中の戒律」、最高の戒律として「黄金律」と呼ばれる所以(ゆえん)です。


「朱に交われば赤く」なりますが、「に交われば白く」なります。


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進化論 vs 神

2017.11.01日

昨日、Facebookの「過去のこの日の投稿」で3年前の記事が出てきました。
もう一度読み直し、そして記事の中の動画も初めから終わりまで通して観て、きょうはこれを再投稿しようと思いました。
最近お友達になった方を含め、まだご覧になっていらっしゃらない方もきっとたくさんあることと思います。
1週間前に肋骨を強打して以来体調が優れないのと、先日書いた記事、「AI(人工知能)は人か神か!?」とも内容が関連するので、ちょっと手抜きになりますが今日はこれでよろしくお願いいたします。
(興味ある方は、記事のリンク先にある「ノアの洪水 Part3」の動画、そしてこちらの動画https://youtu.be/_j9tz2PtoqEもぜひご覧ください。これはビックリ度・満足度100%保証つきの動画です)


昨日の記事「ノアの洪水 Part3」を読んだひとりの方から、「こちらもおすすめ」といって紹介された下の動画、すっかりハマってしまいました。


私の母校であるUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)のキャンパスや教授、学生なども登場します。
これらの人たちは生物学や人類学、地質学、進化生物学などを専門にするいわゆるバリバリの理系学者や学者の卵たちです。
彼らは進化論を固く信じる無神論者。
昨日の動画を制作した人が、これらの人たちをインタビューします。


ちなみに、世間で一般に無神論者と呼ばれている著名人は、この動画によると誰ひとりとして無神論者ではなかったそうです。
たとえば、
アイザック・ニュートンは次のように語っています。
「太陽、惑星、彗星、これらの美しい秩序は、知的かつ絶大な力を持つ存在なくしては成り立ち得ない」。
エイブラハム・リンカーンは、
「神は常に正義の側におられる。私のたゆまぬ祈りと気遣いは、私もこの国も主の側にいつも留まることである」。
カール・セーガンは、
「私は不可知論者だ」。
マーク・トウェインは、
「人は神ほど偉大にはなれないが、誰しも善人にはなれる」。
ベンジャミン・フランクリンは、
「神は人の営みを支配している」。
アインシュタインは、
「神は人格的・無垢な存在である。われわれは創造主を完全に知ることはできないが、限られた知性の人間である私にも宇宙の秩序・調和を見れば、そんな神の存在が分かる。それなのに『神はいない』と言う人々がいる。腹立たしいのは、無神論者が私の言葉を利用することだ。自分は無神論者ではない。創造主を否定する人々は狂気の無神論者だ」。
ダーウィンは、
「私は無神論者ではない」
と、それぞれ述べています。


これはクリスチャン、無神論者を問わずまさに必見動画です。わずか30分足らずであなたの人生を大転換させるかもしれないこの動画をご覧になり、ご自分の目と耳でお確かめください。



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過去に感謝

2017.10.30日
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"Pain makes you stronger, tears make you braver, and heartbreak makes you wiser. So thank the past for a better future."
--Unkown
「人は苦しみを経験して強くなり、涙を流して勇敢になり、悲しい経験をしてより賢くなるものだ。だからより明るい未来のために過去に感謝しよう」
--作者不詳
(訳 舟田譲二)


過去を振り返ると、ほとんどの人が苦しみや涙、悔しさを経験しています。
いや、そのようなことは経験したことがない、というおめでたい人はまずいないでしょう。
人生経験の浅い子どもたちですら、その数年の人生の中でそれなりに苦しいことや悲しいことを経験し、涙も流してきています。


私も過去を振り返ると、数えきれないほどの辛い経験や自らの愚かな行為による後悔の念や涙があり、それらを思い出すと心が苦しくなることがあります。


しかし、ドラえもんの「どこでもドア」やタイムマシーンが発明されない限り(論理的に絶対にあり得ないのですが)、私たちは過去に戻ってやり直すことはできません。
私たちにできることは過去を見つめて再び苦しんだり、悲しい思いをしたり、涙を流したりするのではなく、それを人生の肥やしとして知恵を得て、現在をどのように生きるか心に決め、それを実践するのみです。
昨日までの、いや一瞬前までの過去に対して感謝するとき、そこから明るい未来が開けていきます。


過去を悔やんだり、憎しみを持ち続けたり、復讐に生きようとすると、それは苦しみをさらに増幅させることになるだけです。
映画やドラマ、小説などのテーマの多くは、悲しみや傷ついたこと、怒りなどのエネルギーをバネにして力強く生きることです。このような生き方をするとき、過去の出来事すべてが相働いて現在に、そして未来に益となるのです。


「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました」(口語訳)
「困苦にあひたりしは我によきことなり 此によりて我なんぢの律法をまなびえたり」(文語訳)
(詩篇 119:71)
「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている」(口語訳)
「神を愛する者、すなはち御旨によりて召されたる者の爲には、凡てのこと相働きて益となるを我らは知る」(文語訳)
(ローマ人への手紙 8:28)


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AI(人工知能)は人か神か!?

2017.10.28日

「世界を、ここから動かそう」をテーマに昨27日(金)〜11月5日(日)まで、第45回東京モーターショー2017が東京ビッグサイトで開催されています。
ここ数年でめまぐるしい進歩を遂げ、現在も日々進化中で、私たちの日常生活の中にもどんどん入ってきたAIを利用した各社の技術が今年の目玉になっています。


今回の東京モーターショーのステートメントには次のようにあります。
「クルマの進化は、これからどこへ向かうのだろう。その答えは、きっとひとつではない。もしかしたらそう遠くない未来、クルマという概念は今とはまるでちがうものになるかもしれない。けれど、思い出そう。クルマの本質とは何かを。それは人を動かすものだ。ココロを動かすものだ。私たちの可能性をひろげ、自由にするものだ」


さて、東京モーターショーが開幕した昨日、びっくりするようなニュースが突然飛び込んできました。
「人型ロボットに市民権を与えた最初の国家が登場」というタイトルで、「サウジアラビアで世界で初めてロボットが市民権を取得しました」とあります。
「えっ!! 何だって!?」
一瞬自分の目を疑いました。


「ソフィア」という女性のようなロボットは、サウジアラビアの首都・リヤドで行われた「Future Investment Initiative」で公開されました。ソフィアは香港に本拠を置くHanson Roboticsが作り出したロボット。
壇上でソフィアは語りました。
「私はこのユニークな特例を得られたことを大きな誇りに思います。歴史の中でもロボットに市民権が与えられたのは初めてのことですから」
ソフィアは口の動きだけでなく、瞬きなど、表情の筋肉が非常に繊細に、常に変化しています。
ソフィアに対して「ロボットによって引き起こされる悪い未来」についての質問が投げられると、ソフィアは「あなたはイーロン・マスクの本を読みすぎていますね。そしてハリウッド映画を見過ぎています。心配しなくとも、あなたが私に親切な限り、私はあなたに親切です。私を出力・入力に対して非常に賢いものとして扱ってください」と返しました。(日本語訳がとてもロボット的 笑)
ソフィアが話している様子は以下のムービーから見ることができます。
(スクリーンの下にある四角のマーク %83X%83N%83%8A%81%5B%83%93%83V%83%87%83b%83g%202017-10-27%2021.59.39.jpg をクリックすると英語の字幕が出ます)



(https://gigazine.net/news/20171027-citizenship-humanoid-robot/より)


しかし、これだけで驚いてはいけません。
去る9月にはもっと衝撃的なニュースが報じられました。
元Googleのエンジニア、アンソニー・レヴァンドウスキー氏が人工知能を“神”と標榜する宗教団体を立ち上げたというのです!!!!
団体の最終目標を、「人工知能に付与された神聖を崇拝することで社会をより良くすること、また人工知能に基づいたGodhead(神性)の実現を発展・促進し、Godheadの理解と崇拝を通じて社会をより良くすることに貢献する」としています。


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これ以上の人工知能の研究開発に懸念の声を表す科学者や専門家は少なくありません。イギリスの理論物理学者スティーブン・ホーキング博士もその一人で、いつしか人類の知能を凌駕(りょうが)した究極の人工知能が誕生し、私たちの生存を脅かすのではないかというのです。まさに映画『ターミネーター』シリーズの“スカイネット”そのものです。
(http://tocana.jp/i/2017/10/post_14877_entry.htmlより)


私はこれを読んでいて、旧約聖書の「バベルの塔」の記事を連想しました。
当時の人々はどんどん傲慢になっていき神を神として認めず、自分たちが神のようになろうとして、「さあ、れんがを作ってよく焼こう」と言い、石の代わりにレンガを用い、粘土の代わりにアスファルトを用いて「頂上が天に届く塔を建て、名を上げよう」と言ってバベルの塔の建設に取りかかりました。紀元前2000年頃の話です。なんか今の時代とそっくりではありませんか。


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聖書の1丁目1番地とも言える創世記1章1節には次のようにあります。
「初めに、神が天と地を創造した」
19世紀のイギリスのノンクリスチャンの科学者・哲学者・社会学者・倫理学者であるハーバート・スペンサーは次のように言いました。
「この世に存在するものはすべて、時・力・空間・物質・運動(エネルギー)のうちのいずれかから成る」
この考えは科学界に大きなインパクトを与え、今日でも受け入れられています。
「時」=「初めに」、「力」=「神が」、「空間」=「天と」、「物質」=「地を」、「運動」=「創造した」
ということで、この1文に宇宙創造の要素がすべて含まれています。


進化論が教えるように無から有が偶然に生まれることは絶対にありません。有機物が無機物から生まれることもありません。それは“生命は生命からのみ生まれる”とルイ・パスツールが証明したとおりです。


ノーベル生理学・医学賞を受賞したフランシス・クリック博士(1919-2014)は、DNAの二重螺旋構造を発見しました。博士は生命を作り出すのに必要な元素が地球上には十分にないと語っていますが、聖書の創造論を信じる代わりに、生命が別の惑星から宇宙船のようなもので地球に運ばれてきた、と信じているそうです(笑)。しかし、たとえそのように信じたとしても、その別の惑星で誕生した生命の起源を説明することはできません。


また、突然変異によってもひとつの種から他の種が生まれることもありません。これは『種の起源』を著したダーウィン自身が認めています。
突然変異は常に劣勢、あるいは有害でさえあり、エントロピーの法則(熱力学第二法則)により崩壊に向かって進みます。


つまり、何もないところから偶然にアメーバ―が生まれ、それがたとえ何十億年かかかったとしても偶然が重なって人間に進化することはあり得ないということです。
「神は人をご自身のかたちに創造された」(創世記1:27)
「かたち」は英語では "image" という言葉です。
神のかたちに似せて造られたから人には道徳心や倫理観があり、殺人やテロなど不正義を憎み、罰しようとするのです。
AIは絶対に人になることも神になることもできません。


「思い出そう。人の本質とは何かを」


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原因と結果は事実の両面

2017.10.14日

"Cause and effect are two sides of one fact."
--Ralph Waldo Emerson, philosopher, author, poet, essayist
「原因と結果は事実の両面だ」
--ラルフ・ウォルド・エマソン
哲学者、作家、詩人、エッセイスト
(訳 舟田譲二)


「同じコインの裏表」とよく言いますが、ここでエマソンが言っているのも同じような意味です。
物事にはすべて原因があって結果がある。
私たちの目に見える結果には必ず原因がある。
これが「事実の両面」という意味です。
ときに私たちには理解できないような結果に遭遇することがあります。
しかし、それは私たちの知恵に限りがあるからで、たとえ目に見えなくても必ず原因があります。


善因善果、悪因悪果。
聖書にはこのことがたくさん教えられています。


A man reaps what he sows. (Galatians 6:7-8 )
「人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります」 (ガラテヤ人への手紙6:7−8)


They that sow in tears shall reap in joy. (Psalms 126:5)
「涙と共に種を蒔く者は、喜びの歌と共に刈り入れる」 (詩編 126:5 )


Whoever sows sparingly will also reap sparingly, and whoever sows generously will also reap generously. (2 Corinthians 9:6)
「少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります」 (コリント人への手紙II9:6)


私は小学校のとき、大きくなったら英語が話せるようになりたい、と思ってとにかく単語をたくさん覚えました。
中学時代は、リンガフォンという当時非常に高価だった英会話レコード教材を父に頼んで飼ってもらいました。そして擦り切れるほど何度も繰り返し繰り返し聞き、アメリカ人の発音と同じように発音できるようになるまで練習しました。
大学時代は、キャンパスで出会った外国人講師とはみんな親しくなり、毎週家に遊びに行き、家に泊めてもらったり、一緒に食事に行ったり、旅行に行ったりして英語を使う機会をいっぱい作りました。
その結果、大学卒業後アメリカに留学したときには、アメリカ人からアメリカ生まれの日系人と間違えられました。


たくさんよい種を蒔くとたくさんよい刈り取りができるのです。
その逆に、悪い種を蒔くと悪い刈り取りをしなければならなくなります。


アル中になろうとか、ニコチン中毒になろうと思って酒やタバコを始める人はまずいません。
最初は好奇心から始めたり、かっこよさを求めて始め、初めのうちはおいしくないのですが、繰り返しているうちにハマってしまいます。そのうちにやめられなくなる。これが依存症の恐ろしいところです。
酒が大好きだった俳優の石原裕次郎は肝細胞がんで死亡。タバコが大好きだったニュースキャスターの筑紫哲也さんは肺がんで死亡。やはり蒔いた種を刈り取ることになりました。


同じ種を蒔くなら、よい種を蒔いてよい刈り取りをしたいと思いませんか?
普段からいろいろなところでよい種をいっぱい蒔いておきましょう。
結果は...お楽しみです。


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映画『十戒』のシーンをを彷彿とさせる光景

2017.09.16日

去る9月10日、バハマ諸島からキューバ、そしてフロリダを直撃し、各地に大きな爪痕を残した超大型ハリケーン「イルマ」。
その威力は最大風速85mといい、バーブーダ島では島の建物の95%が倒壊・損傷したそうです。
最近、日本を含め地球の至るところで異常気象による大災害が頻繁に起こっています。地球温暖化の影響を受けた海水温の上昇が原因と考えられています。
下はキューバの街の写真ですが、もうこのような光景は見慣れてしまいました。


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しかし、次の写真にはちょっとビックリ!
バハマの美しいエメラルドグリーンの海が消えてしまったのです。


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なんと低気圧によって海水が上空に吸い上げられてしまったというのです。
このような現象は理論上は起こりうるが、実際に発生した例はほとんどないと気象学者らもびっくりしたそうです。
これがその様子を撮った動画です。



見渡す限り乾いた海底でその上を人が歩いています。
そして13時間後には水が元に戻ったそうです。それが次の動画。



チャールトン・ヘストン主演の映画『十戒』(1956年作)の中で、モーセが杖を振り上げると紅海が真っ二つに割れて乾いた地が現れ、そこをイスラエルの民が渡ってエジプトを脱出し、その後を追ってきたエジプトの軍勢が戻ってきた海の水に飲まれる名シーンを彷彿とさせます。映画では特撮のものすごい劇的なシーンでしたが、今回のイルマの実例で実際には超自然の力が働いて似たような状況が起きたことは想像に難くありません。


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天に宝を積もう!

2017.08.18日

"The most valuable things in life are not measured in monetary terms. The really important things are not houses and lands, stocks and bonds, automobiles and real estate, but friendships, trust, confidence, empathy, mercy, love, and faith."
--Bertrand Russell – 1872-1970, Philosopher and Writer
「人生で最も価値あるものは金銭では測れない。本当に大切なものとは、家や土地、株や債券、車や不動産などではなく、友情であり、信頼、自信、共感、憐れみ、愛、信仰である」
--バートランド・ラッセル、哲学者・作家
(訳 舟田譲二)


この世の多くの人は、ラッセルが言うところの友情、信頼、自信、共感、憐れみ、愛、信仰などに裏切られた経験があってか、そのようなものを大切なものとは思わない。むしろこれらを嘲笑し、こんなものでは生きていけない、こんなことを言うのはおめでたい人だ、と言う。


やっぱり生きていく上でなくてはならないもの、最終的に頼りになるものは、金であり、家、土地、株、債券、車、不動産などの財産だと言います。
確かに一見そのように思われます。また、これ自体は決して間違っていることではなく、尊いことですらあります。
そして多くの人は、一生かけてこれらの財産を築くことを目指します。
しかし、これが人生の目的となると、話は別です。このような人生は不毛で、真の喜びや満足、平安はありません。


聖書の中にイエス・キリストが語られた次のような譬え話があります。


「ある金持の畑が豊作であった。
そこで彼は心の中で、『どうしようか、わたしの作物をしまっておく所がないのだが』と思いめぐらして言った、『こうしよう。わたしの倉を取りこわし、もっと大きいのを建てて、そこに穀物や食糧を全部しまい込もう。
そして自分の魂に言おう。たましいよ、おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ』。
すると神が彼に言われた、『愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そしたら、あなたが用意した物は、だれのものになるのか』。
自分のために宝を積んで神に対して富まない者は、これと同じである」

(ルカによる福音書 12:16-21)


このことは、かつて世界一の億万長者と呼ばれたポール・ゲッティの人生を見ても明らかです。
J・ポール・ゲッティは私生活はめちゃめちゃで、5回も離婚再婚を繰り返し、あげくの果ては子どももその妻もドラッグにはまり、自殺したり、ヘロインの過剰摂取で死去。孫は、自分の祖父は大金持ちだから誘拐して身代金を要求したら大金をせしめられると友人に話していたところ、その話がマフィアに流れ、実際に誘拐され、片耳を切られた後に300万ドルの身代金を支払って解放されたとか、散々の結果です。
そして、21回も遺書を書き換え、自分の妻や子孫には最低限の遺産しか分割せずに、7400万ドルという莫大な遺産を財団に残し、彼が金任せに収集した美術品を所蔵する施設を作り、無料で一般に公開することになったというのです。
彼の曾孫は、"To me, money is not happiness at all." (自分にとって、お金とは幸せとはまったくかけ離れたものだ)と語っているそうですが、本当にその通りです。


天に宝を積みましょう。


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遂に出版された!

2017.08.09日

ちょうど2か月前に「カウンセリングの良書」でご紹介しました、長男直人の嫁、舟田恵利紗の訳による『互いに助け合うために』が出版され、昨日恵利紗さんのお父さんから送られてきました。
英語版 INSTRUMENTS IN THE REDEEMER'S HANDSという原題を『互いに助け合うために』 とうまく訳し替えていますし、本文を見てもよくこなれた分かりやすい日本語で、難しい内容が読者に理解されやすいようよく工夫して訳されています。
監訳を依頼されていたのですが、体調不良のためお断りしたのがかえって良い結果となり、とても嬉しく思っています。


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この本は、副題に「主の御手の器として、変化を必要としている人々が互いに助け合うために」とあるように、牧師やカウンセラーのみならず、クリスチャンを始め一般の方々にもぜひとも読んで日常生活の中で活用していただきたいお薦めの本です。
発行者である名古屋市内の神学校、キリスト聖書学園では、カウンセリングのテキストとして使用されるようですが、広く一般の人々の手にも渡って活用されることを切に願うものです。


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カウンセリングの良書

2017.06.08日

長男直人の嫁、恵利紗が英書 INSTRUMENTS IN THE REDEEMER'S HANDS People in Need of Change Helping People in Need of Change by Paul David Tripp を日本語に翻訳し、間もなく出版されることになっています。
一年ほど前に恵利紗から監訳を頼まれて少しやりかけたのですが、体調不良だったということもあり続けられずすぐに断念してしまいました。
360ページという結構厚手の本で、しかもカウンセリングの専門書なので翻訳するのはさぞかし大変だったと思いますが、見事にやり遂げました。


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この本の111ページにカウンセリングに関して次のような箇所がありました。
「『知る』とは、神様が私たちのもとに送ってくださった人と本当に心から知り合いになる、ということである。私たちはとかくだれか人を知っていると思うと、表面から掘り下げて本当に尋ねなければならないような絶対に必要不可欠な質問をしないものだ。私たちは、その人に関する客観的な事実、たとえば伴侶はだれかとか、職場はどこか、その人の好き嫌い、子どもたちのことなど、を知っていると、とかくその人自身を知った気になってしまうものである。しかし、実際には私たちはその人のことについて本当のところ何も知っていないのだ。
 ひとりの人を知るとは、その人の心を知る、ということである。その人のことがよくわかり始めたと言うとき、それはその人の膝小僧がどんなであるかがわかるほど親しくなった、などということではもちろんない! その人のことがわかるとは、その人の信念や目標、希望や夢、価値観や欲望等々をもっとよく「知る」ということだ。友達のことを知っていると言うとき、その友人がどのように考えるか、ある状況下でその人がどのように感じるかが予想できるものだ。友情とは、心と心がつながっているということだ。
 へブル書4:14-16には、キリストは私たちの世界に入ってきて、33年間この地上にお住まいになったとある。すなわち、私たちが直面するようなことはすべてキリストご自身経験され、だから私たちの苦しみをキリストは理解してくださっていると私たちは知ることができる。だから、「知る」という働きは、それが友人間においていい質問をするとか、あるいはもっとフォーマルなカウンセリングの場で必要な情報を得るとかであろうとも、とても大切なことなのだ。目標は表面より下にもぐることだ。そうすることによって、あなたはその人が、自分自身をよりよく理解し、神様の目標であるより深い心の変化を望むのを手助けすることができる」


専門家である恵利紗のようにはうまく訳せていないでしょうが、このようにカウンセリングの基本である来談者のことをどのように「知る」ことが大切かを、とてもわかりやすく具体的に教えている良書です。
近々出版されるそうですが、今から楽しみです。
ビブリカルカウンセリング(聖書的カウンセリング)という新しい分野の本ですが、ご興味ある方にはお薦めします。


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私もこういう生き方をしたい!

2017.05.29日

長年の喉の酷使で1年ほど前から声が出なくなり、それまで教えていたすべてのクラスから降りました。その経緯を書いたのが「三度の飯よりも好きな...」の記事です。
「三度の飯とは比べものにならないぐらい好きなもの、それは教えること」と書いたのですが、その中で引用したのは宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の有名な詩です。
それほど詳しく知っていたわけではないのですが、宮沢賢治の生き方や考え方にとても共感を覚え、いわゆる「波長が合う」ので、「宮沢賢治のような素朴な生き方がしたい」と書きました。


昨夜、親しくさせていただいているFBフレンドで、これまで何度もこのブログに登場していただいているひかりさんから次のようなメールが届きました。
私は読んでいて胸が高鳴り、この感動を是非ともひとりでも多くの人にシェアしたいと思い、ひかりさんにその旨お伝えしてご了解をいただきましたので、以下に原文のまま引用させていただくことにします。


宮沢賢治の「雨ニモマケズ」という詩のモデルになったと言われている、斎藤宗次郎さんという方をご存知ですか?既にご存知かもしれませんが、少しネットから引用して紹介させて頂きます。
私はこの斎藤宗次郎さんの生き様に感銘を受け、私もこういう生き方をしたい!と心から願いました。


「雨にも負けず」


雨にも負けず 風にも負けず
雪にも 夏の暑さにも負けぬ
丈夫な体をもち
慾はなく 決して怒らず
いつも 静かに笑っている
一日に 玄米四合と 味噌と
少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく 見聞きし 分かり
そして 忘れず
野原の 松の林の 陰の
小さな 萱ぶきの 小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って 看病してやり
西に疲れた母あれば
行って その稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行って 怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば、
つまらないから やめろと言い
日照りの時は 涙を流し
寒さの夏は おろおろ歩き
みんなに 木偶坊(でくのぼう)と呼ばれ
褒(ほ)められもせず 苦にもされず
そういうものに 私はなりたい


この宮沢賢治の「雨にも負けず・・・」の詩には、実際のモデルがいたことをご存知でしょうか。この詩には色々な解釈がなされ、法華経の“常不軽菩薩(じょうふぎょうぼさつ)”の精神を表している、とも言われていますが、それでもひとりのクリスチャンの影響があったようです。


そのモデルの名前は斎藤宗次郎といい、1877年に岩手県の花巻に禅宗の寺の三男として生まれました。小学校の教師になりますが内村鑑三の影響を受けてクリスチャンとなります。


当時は、キリスト教が「耶蘇(やそ)教」などと呼ばれ迫害をされるような時代でした。親からは勘当され、教師の職は失い、町を歩いていれば「ヤソ」と嘲られ石を投げられました。家のガラスが割られたり、家を壊されたこともあったそうです。大衆の迫害はエスカレートしていき9歳の長女にまでおよび、「ヤソの子供」とばかにされお腹を蹴られ、腹膜炎を起こして亡くなってしまいました。その娘の愛子ちゃんは亡くなる時、賛美歌を歌ってほしいといい、彼が賛美歌を歌うと「神は愛なり」と書いて天に召されたそうです。


彼はそのような失意のどん底にあっても「御心がなりますように」とくじけることなく神様を信じ、神様に従い続けました。普通なら迫害のない別の土地へ移るところですが、宗一郎はむしろ、その土地の人々に神様の愛をもって仕えることを選びました。朝は3時に起きて牛乳や新聞の配達をし、迫害をする人たちのために祈り、福音を伝えたのです。10メートル歩いては神様に祈り、10メートル歩いては神様に感謝を捧げたという話はあまりにも有名です。


彼はそれこそ、雨の日も、風の日も、雪の寒さの中でも休むことなく働き、仕事の合間に病人を見舞い、励まし、祈りました。「でくのぼう」と言われながら最後まで愛を貫き通したのです。


そんな斎藤宗次郎は1926年に内村鑑三に招かれて東京へ引っ越すことになりました。花巻の地を離れる日、誰も見送りに来てくれないだろうと思って駅に行くと、そこには身動きがとれないほど大勢の人々であふれていました。なんと町長をはじめ学校の教師に生徒たち、迫害をしていた町の人たちが見送りに集まっていたのでした。彼の行いを通して神様の栄光が現され、町の人々の中で実を結んだのでした。そして、その群集のひとりに宮沢賢治がいて、「そういうものに、わたしは、なりたい」と書いた、とされています。


まさに、この斎藤宗次郎というひとはキリストの同労者として生きたのです。


ひかりさんが送ってきてくださった上の文章を読みながら、私は感動でしびれました。
「私もこういう生き方をしたい!」
とおっしゃるひかりさんと私もまったく同じです。


皆さんはいかがですか?


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愛情と思いやり

2017.05.28日

"Love and compassion are necessities, not luxuries. Without them humanity cannot survive."
--Dalai Lama – Buddhist Monk
「愛情と思いやりは必需品です。贅沢品ではありません。愛情と思いやりがないと人類は生存できません」
--ダライ・ラマ、仏教僧侶
(訳 舟田譲二)


「愛情と思いやり」
こんなの絵に描いた餅、理想像、求めるのは贅沢、などと思っている人がとても多いのではないでしょうか?
世知辛い世の中になった?


確かに朝ドラ『ひよっこ』なんかを見ていると、あの映画『三丁目の夕日』に見られた昭和の古き良き時代の人情が最近は薄れてきているように思われます。


でも、「愛情と思いやり」は昔を偲んで「昔は良かった」と言って惜しむものではなく、また今の時代には「下町の人情はもうない」と嘆くものでもありません。


「愛情と思いやり」は、私たちの心がけひとつで日常生活の中で実践できることです。
たとえば、夫婦・親子・きょうだいの間で、親族間、友人間、職場の同僚間等々、あらゆる人間関係の中で、私たちが率先して行うべきことなのです。
決して贅沢品にしてはいけません。
なぜなら、ダライ・ラマが言っているように、これがないと人間は生きていけないからです。


「愛情と思いやり」こそが、人間を人間たらしめるものです。
確かに動物の世界にも、損得感情抜きの「愛情と思いやり」が見られるように思われます。
しかし、動物と人間の決定的な違い、それは私たち人間が、神の像(かたち)に似せられて創られているということです。そうでなければ、人間は他の動物よりも少しは頭がいいという単なるレベルの差になってしまいます。
ですから、「愛情と思いやりがないと人類は生存できません」とダライ・ラマは語っているのです。


まずは私たちができるところから実践していこうではありませんか。
本物の「愛情と思いやり」はここにあり、と。


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受けるより与えるほうが幸い

2017.05.26日

"Remember that the happiest people are not those getting more, but those giving more."
--H. Jackson Brown, Jr - Author
「最も幸せな人とは、より多くを得ている人ではなく、より多くを与えている人だ」
--H・ジャクソン・ブラウンJr、作家
(訳 舟田譲二)


この世の基準は「より多くを得て幸せになる」です。
これはおそらく人間の本心でしょう。
「多くを持っている」は、もちろん家や財や地位や名誉なども含まれるでしょうが、さらに言えば頭脳や容貌、運動・音楽・芸術などさまざまな才能等々、挙げだせば切りがありません。
みんなこれらを追い求めます。そして、これらがひとつでも多く得られれば幸せになれるという幻想を持っています。


5年前、心身の休養のためロサンゼルスに行った際、ゲッティセンターとゲッティヴィラを訪れたとき、これは幻想だということをまざまざと知らされました。
そのときの記事、「本当の幸福とは」の中にも書きましたが、世界一の億万長者だったJ・ポール・ゲッティは私生活はめちゃめちゃで、5回も離婚再婚を繰り返し、あげくの果ては子どももその妻もドラッグにはまり、自殺したり、ヘロインの過剰摂取で死去。孫は、自分の祖父は大金持ちだから誘拐して身代金を要求したら大金をせしめられると友人に話していたところ、その話がマフィアに流れ、実際に誘拐され、片耳を切られた後に300万ドルの身代金を支払って解放されたとか、散々の結果です。
そして、21回も遺書を書き換え、自分の妻や子孫には最低限の遺産しか分割せずに、7400万ドルという莫大な遺産を財団に残し、彼が金任せに収集した美術品を所蔵する施設を作り、無料で一般に公開することになったというのです。
彼の曾孫は、"To me, money is not happiness at all." (自分にとって、お金とは幸せとはまったくかけ離れたものだ)と語っているそうです。
おそらくポール・ゲッティはお金でありとあらゆるものを手に入れましたが幸せにはなれず、その結果財団への寄付という形で与えることによって初めて平安を得たのではないでしょうか。


「まばたきの詩人」と呼ばれた水野源三さん(1937-1984)は9歳のとき赤痢にかかりその高熱によって脳性麻痺を起こし、やがて目と耳の機能以外のすべてを失いました。
話すことも書くこともできなくなりましたが、母親が彼が何か言おうとしていると感じて、五十音順を指で指し示したところ、まばたきして合図しました。以来、まばたきで綴った詩が後に詩集シリーズとなり多くの人の感動を呼びました。


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口も手足もきかなくなったわたしを
28年間も 世話をしてくれた母
良い詩をつくれるようにと
四季の花を咲かせてくれた母 
まばたきでつづった詩を一つ残らず
ノートに書いておいてくれた母
詩を書いてやれないのが悲しいと言って
天国に召されて行った母
今も夢の中で老眼鏡をかけ
書きつづけていてくれる母


神様の 大きな御手の中で
かたつむりは かたつむりらしく歩み
蛍草は 蛍草らしく咲き
雨蛙は 雨蛙らしく鳴き
神様の 大きな御手の中で
私は 私らしく 生きる


涙なしには読めません。
水野源三さんは何ひとつ持たず、貧しい一生を終えられました。
でも、限りないほど多くの人を慰め、励ましてきました。そして、今も与え続けています。
本当に与えるだけの人生でした。
でも、彼ほど幸せな人はいなかったと思います。


「受けるより与えるほうが幸いである」(使徒20:35)


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日常性の中に潜む非日常性

2017.05.14日

今、NHKでやっている朝ドラ『ひよっこ』を観ていて教えらえることのひとつ、それは「日常性の中に潜む非日常性」です。


主人公を始めとする登場人物の周囲で起こる出来事は、みんな日常性の中に潜む非日常性です。
このドラマの作りがあまりにも丁寧すぎて、ストーリーの展開が遅く感じられ、それが視聴者に退屈を感じさせている面があるかもしれません。
これらはすべて私たちの日常生活の中にも起こっているごくごく当たり前の、小さな出来事ばかりです。ある意味、他人の目から見ればどうでもいいようなことでしょう。
しかし、当人にしてみれば「どうでもいいような」小さな出来事は、とても大きな意味を持つものばかりです。
それは、自分をその立場に置いてみればすぐにわかります。
そのようにこのドラマを観てみると、「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く」ようになり、面白さが倍増します。
私は毎回、観るたびに喜び、泣いています。


しかし、それだけではありません。
私たちの生活の中には、同時に「非日常性の中に潜む日常性」もたくさんあるのです。
ほかの人には理解してもらえないような辛いことや悲しいこと、苦しいことなど、これらは当人にしてみれば「非日常的」なことです。人はだれでもこのような「非日常的」なことは求めず、波風の立たないごくごく普通の「日常的」な生活を求めるものです。
しかし、忘れてはならないのは、この「非日常的」なことの中にもたくさんの「日常性」が隠されているということです。


去る3日にお会いした、癌で病床に臥せっていらっしゃる鴨下新市さん(「ハゲ増す?」)のことを、あれ以来ずっと一日に何度も覚えてお祈りしています。
新市さんや奥さん、ご家族のことを思うと胸が痛みます。
とつぜん癌を宣告され、かなり危機的な状況にあるということは紛れもなく「非日常的」なことです。しかし、そのような中において静かに流れる時、家族とともに過ごす大切な時間、神様との語らいの時、これらはすべて新市さんにとっては「日常性」です。


私たちも、「非日常性の中に潜む日常性」に気づくとき、そこに平安や喜び、希望を見出すことができます。
それが、真の幸せです。
決して「日常性の中に潜む非日常性」を求めないこと、認めないことではないのです。


「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである」
(コリント人への第一の手紙 10:13)


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一か八かやってみる

2017.05.13日

"If you wait for the perfect moment when all is safe and assured, it may never arrive. Mountains will not be climbed, races won, or lasting happiness achieved."
--Maurice Chevalier – 1888-1972, Actor
「すべてが安全かつ確実で完璧な時を待っていたら、そのような時は決して来ないだろう。山には登れないし、競争には勝てない、また永続する幸せは達成できないだろう」
--モーリス・シュヴァリエ、俳優
(訳 舟田譲二)


飛行機に乗ることを怖れる人がいます。
でも、それを言うなら、電車だってバスだって、自転車だって事故を起こす危険性があります。
さらに言えば、歩いていても何かにぶつかったり、こけることだってあります。車にはねられることもあります。
でも、みんな家から出て歩き、自転車に乗り、バスや電車に乗ります。なら、飛行機だって同じです。どうなるかわからないけど、みんな信じて行動しているのです。


学生は合格が確実でなくても志望校を受験します。
スポーツ選手は万全でなくても試合に臨みます。
仕事を選ぶ時も、ある意味一か八かです。
結婚を決断する時もそうです。


そう、人生に確実とか完璧というようなものはありません。このようなものは夢物語。
完璧な時など永遠にやってきません。
決断が必要なのです。
「案ずるより産むがやすし」で、やってみたら案外簡単にできたりするものです。
マイク・ニコルズというコメディアン・映画監督は言っています。
「唯一安全な道は、一か八かやってみることだ」
と。


信仰とはそのようなものです。
完全にすべてが整って、信じられる条件がそろったら信じる、というのは信仰ではありません。


「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである」
(ヘブル人への手紙 11:1)
「彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた」
(ローマ人への手紙 4:18)
「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。その時、あなたがたはわたしに呼ばわり、来て、わたしに祈る。わたしはあなたがたの祈を聞く。あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、わたしはあなたがたに会うと主は言われる」
(エレミヤ書 29:11-14)


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将来が残っている

2017.05.09日

"Just remember when you think all is lost, the future remains."
--Dr. Robert Goddard – 1882-1945, Professor, Physicist, and Inventor
「すべてを失ったと思うとき、思い出せ。将来が残っていることを」
--ドクター・ロバート・ゴダード、大学教授・物理学者・発明家
(訳 舟田譲二)


「財も家族も仕事も健康も友人もすべてを失った」
というと、もう生きる希望も目的も何もかもなくなり、人は死を選ぶことがあります。
しかし、ここでドクター・ロバート・ゴッダードは私たちが生きる理由をはっきりと教えてくれています。
それは、だれにでも与えられている「将来」です。


将来さえあれば、たとえそのほかのもの全てを失ったとしても、それらはいつでもまた取り戻すことは可能です。
最後の土壇場で「将来」が残されていることを思い出そう。
人生はいつでも一からのやり直しがききます。


しかし、それではその将来さえも奪われたとしたらどうか。
癌などで余命いくばくと宣言されたとき。
これで将来は潰(つい)えたのか。


いやそうではない。「今日もいくつもの素敵な出会いが」の中に記した道城献一先生や「ハゲ増す?」の鴨下新市さんがそうです。
また、「今もなお語っている」の中の榎本保郎先生もそうです。
信仰者の強さは、命がこの世で終わるものではなく、永遠に続くことを信じ、そこに本当の「将来」があることを知っているからです。


「イエスは彼女に言われた、『わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。
また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか』」

(ヨハネによる福音書 11:25, 26)


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今もなお語っている

2017.05.05日

「彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている」
(ヘブル人への手紙 11:4)


我が敬愛する故榎本保郎牧師の『旧約聖書一日一章』『新約聖書一日一章』をデボーションに使わせていただき、過去何年にもわたり毎朝妻と一緒に読んでお祈りしています。


榎本牧師の『ちいろば』『ちいろば余滴』はこれまで繰り返し繰り返し読んできました。そして読むたびに、笑ったり泣いたりしています。他のどの本よりもこれを私は愛読しています。私が信仰を持つきっかけになったのもこの本でした。


このたび、5月の連休を利用して京都・滋賀を訪れ、去る2日滋賀県近江八幡市のアシュラムセンターに榎本和子先生を訪ねました。
その日の出来事を記したのが「今日もいくつもの素敵な出会いが」です。
和子先生には40年近く前、アシュラムで初めてお会いしたのですが、4年前に再会したとき私のことをちゃんと覚えていてくださったのです。
そして3年前に再々会し、今回なんと再々々会させていただく恵みに浴しました。
私をひと目見るなり和子先生は、
「舟田先生。前回お会いしたときよりお元気そうで、どっしりと落ち着いていらっしゃる」
と言ってくださり、2年半前に健康を回復したのを見抜かれて驚かされました。
和子先生は私にとって霊の母のような方です。


今は毎朝、『旧約聖書一日一章』で榎本保郎先生から、その日その日にまさにぴったりのみ言葉とメッセージをいただいているのですが、冒頭のみ言葉「彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている」のように、直接語りかけていただいているような気がしてなりません。
和子先生も、必要なことはこの2冊の本の中に全て書かれているから何度も読み返しなさい、とよく人におっしゃっているそうです。


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今回、和子先生から『ちいろばの女房』というご著書をいただき、早速一気に読んだのですが、『ちいろば』の中に出てくるシーンを裏側の和子先生の視点から書いていらっしゃっていたり、また『ちいろば』以降の出来事も書いてあり、読みながらまるでその場に遭遇したかのような錯覚にとらわれます。そして、『ちいろば』を読んだときと同じように、笑ったり、泣いたりしています。


特に、ちょうど40年前の7月、伝道旅行でロサンゼルスに向かう飛行機の中で保郎先生が喀血し、空港に着くと同時に病院に緊急入院された箇所は、ちょうど私もロサンゼルスで先生をお待ちしていたときのことで、知らせを聞くと同時に断食して必死で祈っていたので、まるで映画の中のシーンが機内、病院、教会と交互に切り替えられているかのような感じです。


また、先日お会いしたとき、和子先生のお口から直接伺ったお話がこの本の中にいくつも描かれていて、これも映画のシーンのように目の前に迫ってきます。


本のカバーそでに書かれている言葉が和子先生のお気持ちをひと言で見事に物語っています。
「今までの私の望みは保郎でした。
でも保郎は死んでしまった。
しかし、主に、神様に望みを抱けば、
決して望みは消えることはなく、
何が起こっても大丈夫なのだと気づいたのです。」


これを読んで私も気づかされました。
頼るべきは人ではなく、絶対に変わることのない神様ご自身だということを。


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ハゲ増す?

2017.05.03日

"Dreams are only dreams until you wake up and make them real."
--Ned Vizzini – 1981-2013, Writer
「夢はあくまでも夢にすぎない。目覚めて、それを現実のものにしない限りは」
--ネッド・ヴィッジー二、作家
(訳 舟田譲二)


今日は妻の母教会の宣教60周年記念感謝会に参加してきました。
後藤喜良先生の力強いメッセージと、これまでご奉仕してこられた牧師先生たちや献身者の方々、ここで信仰に導かれた方々のお証(あかし)などがありました。
ドイツから来た女性宣教師が開拓されたこの教会は、過去60年の間に16人という大勢の献身者を輩出してきました。一応、妻もその中のひとりということで、突然証を頼まれて少し語りましたが、皆さんお話のお上手な方々ばかりでした。
中でもFacebookでお知り合いになった、敬愛する鴨下彌(わたる)先生の尾西教会で信仰に導かれたお証はまるで漫談のようでみんな笑い転げていました。


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私たちの結婚の仲人をしてくださった中嶋先生ご夫妻と妻の青年時代の信仰の友、Mさんと一緒に


しかし、一番親しくさせていただき、お会いするのを楽しみにしていた新市さんからほんの数日前メールをいただき、癌で入院中と知らされ、私は「心が折れそうになって」いました。


しかし、司会をしていらっしゃる牧師の土肥先生は、沈痛な表情ではなく、むしろにこやかに新市さんのご病気のことをお伝えになりました。
土肥先生によると、現在の新会堂建設の是非を問う役員会で全員が反対したにもかかわらず、新市さんおひとりが賛成され、教団の理事会で3分の2以上の賛成があってゴーサインが出たそうです。
そして、長年にわたって積み立てられてきた会堂献金で借入金ゼロで建築できたとのこと。


新市さんは祈りに祈って、そして行動を起こして長年の夢だった会堂建設を現実のものにされたのです。
今日の60周年記念感謝会をほかの誰よりも楽しみにしていらっしゃった新市さんが参加できなかったのを皆さんとても残念に思っていらっしゃいました。


私たちは新会堂の献堂式の約1か月後に訪ねましたが、妻が青年時代をともに過ごした新市さんと私はそこで友達になりました。


その新市さんが癌と知り、Facebookの彼の過去の記事をたどると、3月には次のように書いていらっしゃいました。
「12月から3ヶ月半理髪店に行ってないので困っていましたが、調度抗がん剤の副作用で髪の毛がなくなりつつあり、理髪店に足を運ぶ手間がなくなり助かりました。全て主は益としてくださいます。感謝です」


記念会のあと、新市さんを病院にお見舞いに行けるかどうか土肥先生にお尋ねしたところ、大丈夫とのお返事。
「かえってこちらが励まされますよ」と土肥牧師。


早速、病院に向かいました。
ベッドの上の新市さんに今日の記念感謝会のお話をし、新会堂の影の功労者である新市さんの労をたたえると、新市さんは謙遜して全ては神様のみわざとおっしゃるばかり。
土肥先生がおっしゃっていたとおりだったので、私はそのことを伝えて「とても励まされます」と言ったところ、新市さんは
「いや、まだ髪の毛はありますよ」
と冗談で返し私たちを笑わせました。
実は新市さんは鴨下彌先生の弟さん。ご兄弟揃ってすごいユーモアの持ち主です。


でもそれ以上に、私は信仰者の強さを見せつけられた思いをしました。
最後に新市さんと手を取り合ってお祈りしましたが、みんな涙が溢れてきました。それは悲しみの涙ではなく、感謝の涙でした。


「イエスは彼女に言われた、『わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。
また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか』」

(ヨハネによる福音書 11:25, 26)


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今日もいくつもの素敵な出会いが

2017.05.02日

4年前にお会いした榎本和子先生(「京都は暑く、私も熱かった!」)は、知る人ぞ知る『ちいろば』牧師の奥様です。
3年前に再びお会いして(「素晴らしい出会い」)またの再会をお約束していたのですが、今日それを果たすことができました。


前回、前々回は妹は一緒じゃなかったのですが、今回は妹にも是非とも会ってもらいたいと思い、同伴してもらいました。


朝、お電話したらお風邪を召して、花粉症で顔と両目が腫れていて床についているのでお会いできないと恵さんのお嫁さんのお返事だったのですが、「今、起きてきました。ちょっとお待ちください」とおっしゃって、和子先生とお話ししたところ是非お越しくださいとのこと。
すぐに準備して家を出ました。


目が腫れていて会うのが恥ずかしいとおっしゃっていたのですが全然わからないほどで、今年92歳というお年を感じさせないほど相変わらず頭はボケるどころか私よりもはるかに明晰でかくしゃくとしていらっしゃって驚かされました。
話はあちらこちらに飛びますが、全てきちんと理解し、適切なお返事やご感想をくださり、またご謙遜と独特のユーモアでみんなを笑わせてくださいます。


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「前回お会いしたときよりお元気そうで、どっしりと落ち着いていらっしゃる」と、私の顔を見るなり言ってくださり、2年半前に健康を回復したことをちゃんと見抜いていらっしゃって、二重三重に驚かされました。


昨日私たちがお会いした西村先生のこともよく覚えていらっしゃり、和子先生にいただいた『旧約聖書一日一章』『新約聖書一日一章』を宝物にして読んでいらっしゃいますよ、とお伝えしたところ、昨年出版された『ちいろばの女房』を西村先生、妹と私に一冊ずつ、おもて表紙を開いたところに目の前でみ言葉とサインを達筆でしたためてプレゼントしてくださいました。


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妹がオルガンに興味を持っていることを伝えたところ、るつ子先生が奥の部屋にあるとても立派なオルガンを見せてくださって、週に一日オルガンを教えているとおっしゃいました。それを聞いた妹は以前からずっとオルガンを習いたいと思っていたと言うと、なんとその場で来週からオルガンを教えてくださることになる、というびっくりぽんのお土産付きでした。


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ほんの30分ほどお目にかかれれば、と言ってお伺いしたのに、いつの間にか2時間になってしまいました。おいとまする時には、お昼をご一緒にどうぞとお勧めくださいましたが、温かいお心遣いを心から感謝して失礼しました。


榎本先生宅を出て急いでヴォーリズ学園へ。
副校長先生と少しお話しして、校内を見学させていただきました。
顔を合わす生徒たちが「こんにちは!」と元気よく挨拶してくれ、礼儀正しいのに驚きました。
つい10日前に召天された道城先生のお部屋は電気が消えていて主人なき学園長室が寂しさを物語っていました。
副校長先生始め、お話しする先生方皆さんが、道城学園長は責任感の強い方で使命を全うされたと口を揃えておっしゃっていました。
先ほどのるつ子先生はヴォーリズ学園でハンドベルのご指導をしていらっしゃいますが、るつ子先生も道城先生のことを、学園長として、理事長として、牧師として、父親として、夫として使命を立派に全うされたとおっしゃっていましたが、死の間際まで全力で走るべき行程を走り抜かれた先生を改めて尊敬しました。


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ヴォーリズ学園を後にして次に道城先生宅を訪ねました。40年前の留学中、大変お世話になった道城夫人を弔問しました。
お部屋の中は道城先生がお使いになっていたパソコンなどがそのままあり、在りし日の道城先生が偲ばれました。
まだ10日ほど前にご主人を亡くされたばかりですが、夫人はとても明るく、昔の思い出話や、4人のお子さんのこと、お孫さんのことなどをお写真を見せながら話してくださいました。
上の3人の息子さんたちは、当時まだ生まれたばかりの赤ん坊から幼稚園児くらいのわんぱく坊主でしたが、今や独立してご家庭を持っていらっしゃり、道城先生も立派に成長されたお子さんやお孫さんたちに囲まれて天国に旅立たれ、お幸せだったことでしょう。
奥様も道城先生の生涯を太く短い立派な人生だったと振り返っていらっしゃいました。
「されど我らが国籍は天に在り」
のみ言葉をいつも語っていらっしゃった道城先生ですが、まさにそのみ言葉に生きる人生でした。


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使命に生きる

2017.04.23日

「小さな奇跡」という昨日の記事をご覧になったひとりの方から次のようなメールを朝一番にいただきました。
ご本人の承諾を得て、その一部を下にご紹介させていただきます。


「敬愛なる舟田先生
おはようございます。
朝からすみません、どうしても舟田先生に感謝の気持ちを伝えたくてメールさせて頂きました。
私は先生のブログに毎日どれだけ力を頂いているか分かりません。最近は自分でも驚くほど精神状態が不安定になることがあり、聖書を開く元気もない時に、先生のブログに何度も救われました。(不思議なことにどれもタイムリーなメッセージで、神様の働きを感じました)
私にとって先生のブログは、本当に豊かに生きる為の知恵がつまった、現代版・箴言です。
先生にしかできない素晴らしい働きですね。
その恩恵にあずかることができて本当に感謝致します。
きっと多くの読者の方も同じ気持ちだと思います。
先生も毎日お忙しいと思いますが、お体ご自愛下さいね。また夏になったら海でプレヤーウォーキングできたら嬉しいです!
では、今日も舟田先生にとって素敵な1日になりますように!
感謝を込めて
H」


じつはこのようなメールを読者の方からよくいただくのですが、これぞまさしく私の願っていることで、私がこのブログを書く目的です。
私は次のようなお返事を書き送りました。



「Hさん
こんにちは。
私のブログが少しでもお役に立っているなら本当にとても嬉しいです。
おそらく今日の記事を読んで、このようなご感想を寄せてくださったのだと思いますが、その中に書いていますように、一人ひとりみんなに、ひとりの漏れもなく存在の意味・目的があり、使命が与えられています。そして、それはもちろん神様から来るものです。神様抜きにしたら、人生に目的も意味もありませんし、使命がなければ人は生きていくことができなくなります。
蟻のような小さな生き物や、さらに言えばアメーバや細菌のような微生物にさえ存在の意味、目的、使命が与えられていて、みんな必死に生きようとしているのです。たったこれだけのことでも、神の存在が証明できると言っても過言ではないと私はいつも思っています。
神様はHさんに素晴らしい賜物をたくさん与え、尊く用いてくださっています。Hさんの普段からの明るさ、積極性などは周りの多くの方々に希望や喜びを与えてくれていますよ。
ですから安心してください。
『主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである』
(エレミヤ 29:11)
私もHさんの平安と希望に満ちた明るい将来を信じて祈っています」


これは、私がこのブログで繰り返しお送りしているメッセージ、私の信念です。
皆さんも、「◯や◯は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう」と、ご自分の持てる最高のものを家族や友人に、この世に提供して与えられている使命を全うしてくださいね。


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小さな奇跡

2017.04.22日

"I have no silver and gold, but what I do have I give to you."(Acts 3:6)
「金や銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう」(使徒の働き3:6)

(訳 舟田譲二)


これは有名な聖書の中の一節です。
今から約2000年前の歴史上の出来事。
イエス・キリストの十字架上での処刑後、弟子たちは師を失って意気消沈し、迫害を恐れて隠れていましたが、復活したイエスに出会ってからは、まったく別人のように生まれ変わりました。
弟子たちの筆頭、ペテロは3度もイエスを知らないと言って裏切りましたが、実際に復活の主に出会って、力強くイエス・キリストを宣べ伝えるようになりました。そして、その信仰の故に幾多の迫害にあい、最後は逆さ磔(はりつけ)という殉教の死を遂げた、と伝えられています。
そのペテロが言ったのが冒頭の言葉です。
このあと、彼は次のように続けています。
「ナザレの人イエス・キリストの名によって、歩きなさい」
すると、生まれつき足のきかなかった男がたちまち癒されて歩き出した、という奇跡が起きました。


しかし、今日、私がここで述べたいことは、これとは異なる奇跡です。
私はよく、冒頭の
「金や銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう」
という言葉を瞑想するのです。


この世の中、「金や銀」という言葉で象徴されるような、経済的に裕福な人もいれば逆にそうでない人もいます。
同様に、学問や医療、芸術やスポーツなどさまざまな分野で抜きんでた人もいれば、そうでない人もいます。
しかし、私たちはみんなお互いに補完し合うように生まれてきています。


昨夜、フィギュアスケート世界国別対抗戦がテレビで放映されていました。
これを見て、励まされたり心が踊るような思いになった人も多かったことと思います。
このほか、連日行われているサッカーやプロ野球などのスポーツも同じです。
テレビでやっている歌番組によって、あるいはコンサートなどで音楽によって勇気づけられている人も大勢います。
ドラマやバラエティ番組などの娯楽によって癒され、楽しんでいる人もたくさんいます。
旅行したり、あるいは外食したりすることによって元気をもらっている人もいます。
病気になると医師のお世話になり、私たちはとても助けられています。
このように、私たちはみんなお互いに助け合っているのです。


私の健康のことを心にかけてくださって毎月、たくさんのサプリメントを贈ってくださっている方がいらっしゃいます。
あるいは地元の産物のうどんやチーズやハムなどを贈ってくださる方もあります。
また別の方は健康に関する本を送ってくださったり、食事などの健康法を教えてくださいます。


冒頭のペテロじゃないですが、私には金銀はありません。そのほか、私にはないものの方が多く、このように多くの方々から助けられています。
でも、私にあるもの、それは英語や教育という仕事、またこのブログ記事など、これらによって少しでも人々のお役に立つことができているなら、たとえどんなに小さくても、それは与えられている使命を果たしていると思うのです。


このようにこの世のすべてのもの、空気や水を始め、食物となる動植物やペットも、みんなそれぞれに使命が与えられていて、それを用いることによって互いに助け合っている。
同様に、あなたにも、家族の間で、また仕事を通してなど、あなたでなければできないことが必ずたくさんあります。
それが与えられていること、そして貢献できていることを感謝しつつ、また同時にほかの人たちやさまざまなものによって助けられていることを感謝する。
このとき、小さな奇跡は私たちの身の周りでたくさん起きるのです。


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小さな親切

2017.02.27日

"No act of kindness is too small. The gift of kindness may start as a small ripple that over time can turn into a tidal wave affecting the lives of many."
--Kevin Heath
「親切な行為で小さすぎるものなんて一つもない。親切のギフトは小さなさざ波で始まるかもしれない。しかし、やがてそれは多くの人の人生に影響を与える津波となる」
--ケビン・ヒース
(訳 舟田譲二)


小さなさざ波から大きな津波に!
親切な行為は初めたとえどんなに小さく見えても、それはどんどん大きくなっていって、大勢の人の人生を変えるほどの力を帯びていきます。
考えてみたら、人類の歴史はまさにこの人の無私の親切行為の積み重ねです。


ロシアの文豪トルストイが書いた『靴屋のマルチン』は世界中の数え切れないほど大勢の人々に感動を与え、小さな親切を促してきました。


マルチンはとても信仰厚い人でした。
クリスマスが近づいたある夜、マルチンは夢の中 でイエス様の声を聞きました。
「マルチン、マルチン、明日あなたの家に行くよ」 
次の日、マルチンは仕事をしながら窓から外の様子を気にしていましたがイエ ス・キリストはいっこうに現れません。


そのかわり、窓から雪かきをしている老人が寒そうにしているのが見えました。マルチンは老人を家に招いて暖かいお茶をご馳走しました。
次に赤ちゃんを抱いた貧しそうな母親が通りました。マルチンは寒そうにしているお母さんに温かい食事を食べさせ、ショールとお金をあげました。
次に通りすがりにおばあさんのかごからリンゴを取ろうとしている少年を見て、マルチンは急いで外に出て、少年と一緒におばあさんに謝りました。


イエスさまが来るとおっしゃったのは、ただの夢だったか、とマルチンはがっかりしました。
その時、イエス・キリストが現れ、「今日、あなたのところに行ったのがわかったか」と言い、雪かきの老人、貧しい母子、通りすがりのおばあさんと少年の姿に変わりました。


「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」
(マタイ25:40)


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ひび割れつぼの話

2017.02.06日

とっても素敵なお話に巡り合いました。
FacebookフレンドのMasumi HughesさんがDaniel Matsushitaさんのタイムラインからシェアしてくださったものです。再シェアさせていただきます。


【ひび割れつぼの話】
インドのある水運び人は2つのつぼをもっていました。その2つを天秤棒の左右につけて肩にかけ、ご主人のために毎日水を運んでいました。片方のつぼには、ひび割れがあったので、いつも水が半分こぼれていました。もう片方のつぼは完璧で、自分は役目を十分果たしていると満足していました。


ひび割れつぼは、自分のひび割れを情けなく思い、いつもみじめな気持ちになりました。2年が経ち、ひび割れつぼは、とうとう水運び人に言いました。「私は自分が恥ずかしい。私にはひび割れがあって毎日水が半分こぼれ、あなたの役に半分しかたっていない。それがとても辛いんです」  
それを聞いて水運び人は、ひび割れつぼに優しく言いました。「今度歩く時に、道端の花をよく見てごらん」


そう言われて、次の日、ひび割れつぼは、毎日通る道に美しい花が咲いていることに気づきました。美しい花を見て、少し元気になった気がしましたが、ご主人の家に着いたときには、やはり水は半分しか残っていませんでした。


「やはり私は役に立たないつぼだ。ごめんなさい」
すると水運び人はこう言ったのです。
「気がつかなかったかい? 道端の花は君の側にしか咲いていなかっただろう。僕は君のひび割れを知ってから、君の通る道に花の種をまいておいたんだ。毎日そこを通るたびに君は種に水をやり、花を育ててきたんだよ。僕は毎日その花を切り、ご主人の食卓に飾ってきた。君のおかげでご主人は、きれいな花を眺めながら 食事を楽しむことができるんだよ」


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この話はいろいろなことを教えています。


私たちはとかく自分の欠けているところに目が行き、情けない気持ちになったり、申し訳なく思ったり、自分は役立たずだと自分を責めたりしてしまいやすいものです。
しかし、自分の気がつかないところで、私たちの「欠け」そのものが、ほかの人やものの役に立っていたりするのです。


上の話の中では、もう一方のつぼは完璧だったとあります。
「自分は役目を十分果たしていると満足していました」とあり、確かに水漏れもなく役割は完璧に果たしていたかもしれませんが、「満足していた」とあるように、ひょっとしたらそれは自己満足だったのかもしれません。


私たちから見て才色兼備で「完璧」に見える人がときどきいますが、そもそも完璧などと言える人はひとりとしていません。
むしろこの世の中は、一人ひとりみんな異なるギフト(賜物、才能、特徴)が与えられていて、それらに優劣をつけることなどできません。


私たちは与えられているそれぞれのギフトを最大限に活かすことによって、互いを助け合い、補い合って役割を果たし、社会全体として機能するようになっている、と私はいつも思うのです。
ですから、自己満足して高慢になることも間違っていれば、また自分の劣っている面を見て自己卑下することも同様に間違っています。


この物語を読みながら私はこんなことをを考えていました。


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感謝の心は

2017.02.05日

"Gratitude can transform common days into thanksgivings, turn routine jobs into joy, and change ordinary opportunities into blessings."
--William Arthur Ward – 1921-1994
「感謝の心はごくありきたりの普通の日を神への感謝に一変させ、毎日の決まりきった仕事を喜びにし、平凡な機会を祝福に変える」
--ウィリアム・アーサー・ウォード、教育哲学者・牧師


昨日の記事、「ロシアより愛を込めて」に引用したウィリアム・アーサー・ウォードの格言です。
キーワードは「感謝の心」です。
感謝の心はすべてを一新します。
換言すれば、感謝の心を忘れていると、「ごくありきたりの普通の日」「毎日の決まりきった仕事」「平凡な機会」などは、みんな当たり前のものとなってしまいます。
なぜなら、「感謝」の反対語は「当たり前」だからです(「ありがとう」と「サンキュー」の反対語)。


そして、「なんでもかんでも当たり前」と思うことほど人を、人生を、神を愚弄することはありません。
この世の中に当たり前のことなど何ひとつありません。
私たちが毎日、1秒1秒吸っている空気も、飲んでいる水も、野菜や果物、肉などの食べ物も、健康も、家族も仕事も、すべて神様から一方的に与えられているものです。


感謝の心があると、ごくありきたりの普通の日を「神への感謝」に一変させ、毎日の決まりきった仕事を「喜び」にし、平凡な機会を「祝福」に変えるのです。


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「サンクゼール」の伝道

2017.01.23日

親しくさせていただいているFBフレンドで声楽家のTAKAMIさん。
昨日のTAKAMIさんのブログ WIND AND SOUND 日々雑感 季節の風と音 を、ご本人の許可を得てシェアさせていただきます。
とても感動的なお話です。読んでいて背筋がぞくっとしました。
皆さんもどうぞお楽しみください。


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私は4年ほど前からクリスチャンなので、たまにはクリスチャンの伝道について書かせていただきます。
早くこの記事を書きたくて、詳細な時系列や、一般の方にはあまり関係ないと思うころは省略しています。


先日、職場の友人が、私に一冊の、ノートのような絵本を下さいました。
「りんごジャムの奇跡」
高松の「ゆめタウン」というショッピングモール内にある「サンクゼール」という、自社製のジャムやパスタソース、ワイン、ジェラート…などなどのお店に
「ご自由にお持ちください」と太っ腹で置いてあったそうです。


絵本の内容は、「サンクゼール」の会社の歴史と、ファミリーが次々と洗礼を受け、クリスチャンになっていく、チャペル設立の歴史が同時進行で展開していくもの。
また、見開きに1句ずつ、聖書のみことばも掲載されています。


要約すると、こんな感じ。


現代表、そしてチャペルの長老である「良三さん」は、1950年生まれ。
スキーが大好きで、20代で、「まゆみさん」と結婚して、長野でペンション経営を始めましたが、家族でのペンション経営は、あまりにも忙しく、子供の世話をしながらお客さまの対応をするのは本当に過酷で大変でした。
そんな中でも、まゆみさんは、近くの農園で売られている果物を買って大変美味しいジャムを作り、それがお客さまの間で大評判になりました。
(これが現在の「サンクゼール」の原点になっている模様)


家庭的にも大変な紆余曲折を経て、二人はペンションを廃業して、農園作りを始めました。
きっかけはフランスの田舎への旅行。
広いりんご畑、そこで放牧されている牛たち、シードルや、カルヴァドス(りんごのブランデー)の工場、レストランで食事をする幸せな老夫婦…


これらを見たご夫婦は、長野でもこの素晴らしい世界を実現しようと、多額の借り入れをして、農園にジャム工場やワイナリーを作りました。
しかし、借金の返済に行き詰まり、夫婦は窮地に陥り、良三さんは不眠になってしまいました。うつ病…だったのかもしれません。


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その頃、まゆみさんは教会に通っていて、心が弱っている良三さんを教会に誘いました。
教会では、高齢の、体の不自由な人たちが、とても優しく、良三さんのためにお祈りをしてくれました。


そこで、良三さんは、神さま…イエス・キリストに出会いました。
心砕かれた良三社長は、社員を集めて心から謝罪をし、これからも協力してほしいと願ったところ、社員たちは、これまで以上に頑張って働いてくれたとのこと。


まゆみさん、良三さんは洗礼を受けてクリスチャンになり、さらに、神学校を卒業、牧師・長老となります。
息子さんたちも次々と受洗。
さらに「サンクゼール・チャペル」を設立し、社内にて、聖書の学びを開始。


「サンクゼール」商品は、次々とモンドセレクション金賞受賞。
現在、サンクゼールは、約90店舗出店し、サンクゼール・チャペルにて、100名以上の方が受洗されたとのこと。


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いかがでしょうか。
これは、クリスチャンの方にとっても、そうでない方にとっても、感慨深いストーリーではないでしょうか。


以前、倉敷市の大原美術館の創立者大原孫三郎は、倉敷を「聖地」にしようとしたほどのクリスチャンであったことを、ご紹介しました。
早稲田大学時代放蕩の限りを尽くし、1億円以上の借金をして、親に、郷里岡山に呼び戻されたとのこと。
その後、キリスト教に出会い、彼は倉敷紡績の二代目社長に就任した時から、まともな教育を受けていない工場労働者に教育の場を設け、過酷な労働環境の改善について腐心したり、日本最大の孤児院を設立したり、そのほかにも多くの功績を残しました。
すぐにそのこととオーバーラップしました。


私はこの絵本を読んで、何よりも、こういった伝道のやり方にとても感銘を受けました。
B5のノートサイズ、40ページの絵本を「ご自由にどうぞ」といって、各店舗に置いているのです。
これを手にとった方は、家に帰って珈琲でも飲みながら、ゆっくり手にとって読むことでしょう。
これを下さった職場の友人も、じっくり読んで「この聖句が特によかった」という感想を聞かせてくれました。


私は早速「サンクゼール」に行ってパスタソースを試食しましたが、とっても美味しかった。
きっと他の商品も美味しいに違いない。
そして、その会社を経営している人はクリスチャンで、「長老」でチャペルも持っている。
こんな人が、こんな美味しい商品を作っている会社の代表なのか、、
この絵本を読んだ方は、誰もがそう思うはず。


「サンクゼール、サクセスストーリー」の中での良三さんの挫折。心砕かれたところでのキリストとの出会い。
これがなければ、今の「サンクゼール」はなく、だからこそ、この伝道があるのです。


宗教は、弱っている心に入ってこようとする。
…と、殆どの人が思っているでしょうし、私もそう感じています。
これまでも、病気になったとき、離婚したとき、いろんな宗教の方が私を誘ってくださいました。
実際に、心が弱っているとき、人は超自然的なものをよりいっそう求めると感じます。
順風満帆でとても毎日の生活が充実して満たされて、迷いも困難もない人は、死ぬまで、自分と神さまの繋がりのことをじっくり考えることはないかも。


そんな人よりも、少しは困ったり切羽詰ったりしたとき、神さまのことを思い出す人のほうが祝福されていると私は感じます。
どんな逆境に陥っても、自分の底力をどこまでも信じて、未来を切り開いていく…
私はそうやって生きて、そのことが自分のプライドでした。


そして、自分なりの成功をおさめるために、今よりも自分を高めたいと、日々精進、邁進…
というのには正直限界アリ。
何が成功で、何がゴールなのか全くわからない。
やっぱ、日々楽しく、ぐっすり寝て、美味しいゴハンを食べて、気のおけない人たちと一緒にゆるゆると過ごしたいな〜〜。


こんな紆余曲折を経てきた私がクリスチャンとなっている理由は、神さまが
「さあ、時間になりましたよ。ここにいらっしゃい。」
と仰ったからです。


子供の頃から、私は神さまを信じていたのです。
神さまは「宇宙の摂理であり愛である」と子供の心で疑いもなく感じていました。
だから、しょっちゅうお祈りもしていました。
しかし、その神さまは、さらに私自身も知らない私の髪の毛の数を知っていると聖書に書いてあります。
この神さまは私の愚痴も祈りもすべて知っている。
神さまとは、漠然とした「摂理」や「愛」じゃなくて、ものすごく具体的で私の隅々にまで介入しているのだ( ̄□ ̄;)!!
ああ、よかった嬉しい…と、なんだかとっても安堵するのです。


私は誰に勧誘されたわけでもありませんでした。
ですので、私も、キリスト教について誰も勧誘はしません。


キリスト教では、人々に福音を伝えることを「伝道」というのですが、私たち人間にできることは、神さまの許へご案内することで、
神さまとの出会いは、あくまでもその人と神さまとのことであって、他人には立ち入ることができない…というもの。


しかし、この絵本のような、こんなにも力強く説得力ある「ご案内」いいな〜〜〜、と、、、
私にはなにができるかな、なにかしたいなーと思います。
拙い私にとっては、それは音楽でしかないのですけれど。


拙ブログをお読みいただいている方には、
なんでTAKAMIがクリスチャンになったのか?と思っていらっしゃる方、少なからずいらっしゃると思います。


私にとってはほんの少しですが、内側の気持ちを書かせていただきました。


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人生とは芸術

2017.01.13日

"Life is the art of drawing without an eraser."
--John W. Gardner – 1912-2002, Former U.S. Secretary of Health, Education, and Welfare
「人生とは消しゴムなしで描く芸術だ」
--ジョン・W・ガードナー、米国保健教育福祉省元長官
(訳 舟田譲二)


うまく言ったものですね。
私も「人生とは芸術だ」と常々思っています。
私たち一人ひとりが描く異なった絵。
いえ、人だけではありません。地球上のすべての動植物、さらに細菌なども含むすべての生命体がその人生をかけて1枚1枚の絵を描いています。
どれ1枚をとってもみんな異なり、しかも無価値なものなどなく1枚1枚に無限の価値がある。
「開運!なんでも鑑定団」に出したら、それこそ値段がつきません。それぐらい価値あるものです。


さらにすごいのは、消しゴムで消して描き直すことができない、みんな一回限りの人生を最高に描いているのです。
もちろん、はた目に見ると「傑作」や「駄作」もあるでしょうし、「失敗作」もあるかもしれません。しかしこれはあくまでも人間の見方。
神様の目から見れば、どれ一つとして「駄作」や「失敗作」はないのです。
なぜなら神様は
「わたしの目には、あなたは高価で尊い」(イザヤ43:4)
「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している」(エレミヤ31:3)
と一人ひとりにおっしゃっているからです。


あなたは神様の最高傑作。
たとえ失敗があったとしても消しゴムで消して描きなおす必要のない、ありのまま、今の状態で最高の芸術作品なのです。
卑下したり、悲観することは作者である神様に対する冒涜です。


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人生で遭遇する諸問題に対する答え

2017.01.08日

今日は日曜日。
日本ではたくさんの人が元旦に神社に行きますが、日曜日には教会に行くようになるといいですね。
そのわけは、私たちの誰しもが人生で遭遇する様々な問題に対する答えがそこにはあるからです。


先日、Facebookでシェアされていた英文を日本語にして紹介させていただきます。


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(訳 舟田譲二)


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汝らいま知らず、のち知るべし

2016.12.27日

"Someday, everything will make perfect sense. So for now, laugh at the confusion, smile through the tears, and keep reminding yourself that everything happens for a reason."
「いつの日か、すべてのことの理由(わけ)がわかる日がくる。だから今は、困惑していることを笑い飛ばし、涙で見えなくても微笑み、起こるすべてのことには理由があるのだと自分に言い聞かせよう」


人生、だれでも試練に遭い、「なぜ?」と言いたくなるようなことが一度ならず二度、三度と起こるものです。
「なぜ?なぜ?」と問い続けても答えは出るものではなく、逆にどんどん苦しくなるばかりです。


しかし、よく考えてみると、それまでにもまったく別の困難な状況に遭遇したことがあり、理由がわからないまま放っておいたところ、時間が解決してくれ、振り返ってみて「ああ、そういう意味だったのか」とわかったことがあるのではないでしょうか。


ですから、どうせ答えがわからないのなら、冒頭の言葉のように、「困惑していることを笑い飛ばし、涙で見えなくても微笑み、起こるすべてのことには理由があるのだと自分に言い聞かせ」、やがて答えが出る時まで待つのが最善の方法なのです。


聖書にも、
「汝らいま知らず、のち知るべし」
(ヨハネ13:7)
とありますが、これは真理です。
全知全能全愛の神は、すべてのことを相働かせて、私たちのために最善に導いて下さると信じ、委ねること、これに勝る生き方はありません。


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Happy Birthday, Jesus!

2016.12.25日
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Happy Birthday, Jesus!
Happy Prelated Birthday, Naoto
and Merry Christmas to you all!


皆さん、メリークリスマス!


Naoto and Erisa, you two timelept to AD1(?) to witness Jesus' birth scene!?
直人、明日の誕生日おめでとう!
「マリヤとヨセフの二人だけ」の現場に直人と恵利紗もいてこのシーンを目撃していたとは!


♪世界ではじめのクリスマス♪


世界ではじめのクリスマスは
ユダヤの田舎のベツレヘム
宿にも泊まれず家畜小屋で
マリヤとヨセフの二人だけ


赤子のイエスさま
草の産着
揺りかご代わりの飼い葉桶
優しい笑顔に見守られて
恵みの光が照らすだけ
グローリア グローリア グローリア グローリア
インエクセルシス デオ


不思議な光が空を照らし
野原のまきびと驚いて
御使い教えたベツレヘムへ
イエスさま拝みに駆け出した


確かにおられた救い主だ
まことに賢き嬰児(みどりご)じゃ
われらがイエスさま拝めるとは
世界で一番幸せよ
グローリア グローリア グローリア グローリア
インエクセルシス デオ


キリスト探して博士たちは
東の国から遠い旅
星かげたよりにベツレヘムの
うまやでイエスさま見いだした


尊きキリスト神の御子よ
み告げのとおりのお姿ぞ
黄金、乳香、没薬など
まごころ尽くして捧げましょう
グローリア グローリア グローリア グローリア
インエクセルシス デオ


世界ではじめのクリスマスは
小さな小さなクリスマス
けれども喜び満ちあふれた
気高いまことのクリスマス


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私の大好きなSさん

2016.12.19日

昨日、教会ではアドベント(待降節)第4週。講壇の前には4本目のロウソクに火が灯され、来週の日曜日25日にはイエス・キリストのご降誕をお祝いすることになります。


私の敬愛するSさんが久しぶりに教会に見えました。
天気が良ければ来たいとおっしゃっている、と前の週にお伺いしていたので、お会いできるのを楽しみにしていたのですが、昨日の週報には体調が良くなくお休みされる、と書いてあったのでがっかりしていました。なにせ遠いところにお住まいで、バスを乗り継いで2時間あまりかけて来られるので、無理はできません。
ところが、礼拝が始まりしばらくすると玄関のところで物音がし、見に行くとSさんのお姿が見えて、涙が出るほど嬉しかったです。
玄関へお迎えに行って、手を取り合って喜びました。


Sさんは今83歳。私からすれば、ちょっと年の離れたお姉さん、あるいは若いお母さんのようなご年齢です。
いつも私のことをまるでわが子のように可愛がってくださり、私は56歳の若さで天国に旅立った母のイメージが重なって、Sさんのことを自分の母のようにとてもお慕いしているのです。
教会の皆さんもSさんが来られると、とてもほっこり温かい気持ちになります。


私たちの教会では、礼拝後小さな持ち寄りの愛餐会が持たれました。
隣の席に座ってくださったSさんがご馳走をいただきながら、ご自分の小学生の頃の思い出話をしてくださいました。
ときはちょうど戦時中。
ご実家の大阪から和歌山の親戚の家に疎開されていました。周りは田んぼと山しかないとても自然に恵まれたのどかなところでした。


頭上を飛ぶB29は大阪へ爆撃に向かうため和歌山は戦災を免れました。
しかし、芋のつるを食べるほど食料に窮し、飢え死にするのではないかと思ったほどでした。そこで、近くの畑になっているものや山にできているみかんを友達と盗んで取ってきてこっそりと食べていました。内緒にしていたつもりが、甘い匂いがしてみかんを食べたのがばれてしまったと、はにかんでおっしゃるご様子はまるで当時の10歳の頃の少女のよう。


Sさんがおっしゃるに、日本がこんなに豊かになるなんて当時は想像だにしなかったと。
時代の大きな変遷をつぶさに見てこられたSさんは、その後信仰に導かれ、本当に素晴らしい人生を歩んでこられました。
昨日は礼拝でSさんの愛唱歌である聖歌506番「いわなるイエス」が歌われました。その歌詞をご自分の証を交えて語ってくださったのですが、まるで牧師の説教のように魂に染み入るメッセージで、聴いていて胸が熱くなりました。


今年の夏、とても暑かったとき、狭心症の発作を起こして、この先もうあまり長くないだろうと思いご自分の葬儀のことなど、遺言を牧師に残されました。
そんな身でありながら遠いところ足を運び、お会いするたびに私の健康のことをご心配くださって、「今日は顔色がいいですね。とてもお元気そうですよ」と優しいお声をかけてくださり、私の方がいつも元気をいただいているのです。
お帰りになるとき車でお送りしますよ、と言ったのですが、バス停まで歩き、バスに乗って帰ると気を遣って言って教会を後にされました。
Sさん、いつまでもお元気で、昨日もお話された日野原重明さんのように長生きして私たちみんなを励ましてくださいね。


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もっとも暗い瞬間にこそ、光に焦点を合わせよう!

2016.12.03日

It is during our darkest moments that we must focus to see the light.
--Aristotle Onassis - 1906-1975, Shipping Tycoon
「もっとも暗い瞬間にこそ、光に焦点を合わせなければならない」
--アリストテレス・オナシス、海運王
(訳 舟田譲二)


海運王オナシスと聞いたら、瞬間的に「えっ、ジャクリーン・ケネディと再婚したあのオナシス?」と思われる方がきっといらっしゃるでしょう。そう、あのオナシスです。


オナシスはオスマン帝国時代のスミルナ(現トルコ領イズミル)で、中流階級のギリシャ人家庭に生まれました。第一次世界大戦後、スミルナはギリシャによって占領されましたが、1922年にトルコ軍によって奪還され、それらの紛争の中でオナシス家は全ての財産を失い、ギリシャへ難民として移住。
その後、ギリシャを離れ、ウルグアイに渡って葉巻タバコの商売を始め、アルゼンチンに移って葉巻タバコの貿易をきっかけに食肉をヨーロッパへ輸出して大成功をおさめます。
ギリシアにもどったオナシスは、第二次世界大戦後に余剰化した連合国軍の船舶を安値で購入し海運業をはじめ、時代の流れに乗って大成功し、海運王となります。
海運王の娘と結婚しましたが、オペラ歌手のマリア・カラスと恋仲になり夫人と離婚。その後カラスとも別れて、暗殺された米大統領ジョン・F・ケネディの未亡人、ジャクリーン・ケネディと再婚しました。
(以上、Wikipediaより一部抜粋)


オナシスにはゴシップがつねにつきまとっていましたが、その商才は広く認められていて、莫大な遺産とともに自らの経験から綴ったビジネスに関する名言も数多く残しています。
成功に至るまで、戦争で全ての財産を失って、難民となったりして苦労を重ねましたが、そのような真っ暗闇の中で彼はつねに一条の光を探し求めて努力し続けていました。


私たちも人生の中で、「もうだめだ」と思うような暗闇の穴に落ち込むことがあります。
でも、そういう瞬間こそ、光に焦点を合わせなければなりません。
たとえ真っ暗な闇の中でも、探し求めるなら必ず光を見出すことができます。
宇宙は真っ暗です。しかし、どんなに真っ暗でも、小さな光があれば、その光は闇の中で輝きます。


「光はやみの中に輝いている。
やみはこれに打ち勝たなかった」
(ヨハネの福音書1:5)


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再び 信仰の世界

2016.11.12日

以下はちょうど1年前の記事です。
今、読み返して示唆に富む言葉に新たに感動を覚えています。
再度ここにシェアさせていただきます。


iaskedgod.JPG


I asked for strength and God
gave me difficulties to make me strong.
私は力を求めた。
神は私が強くなるよう困難を与えられた。
I asked for wisdom and God
gave me problems to solve.
私は知恵を求めた。
神は解決すべき問題を私に与えられた。
I asked for prosperity and God
gave me brawn and brains to work.
私は富を求めた。
神は屈強な身体と頭脳を私に与えられた。
I asked for courage and God
gave me dangers to overcome.
私は勇気を求めた。
神は乗り越えるべき危険を私に与えられた。
I asked for patience and God
placed me in situations where I was forced to wait.
私は忍耐力を求めた。
神は、待つことを余儀なくされる状況に私を置かれた。
I asked for love and God
gave me troubled people to help.
私は愛を求めた。
神は助けるべき困難の中にいる人を私に与えられた。
I asked for favors and God
gave me opportunities.
私は願い事をした。
神は私に機会を与えられた。
I asked for everything so I could enjoy life.
Instead, He gave me life so I could enjoy everything.
私は人生を楽しむことができるようあらゆるものを求めた。
しかし、神は私にあらゆることが楽しめるよう命を与えられた。
I received nothing I wanted,
I received everything I needed.
私は自分の望んだものを何ひとつ得なかった。
しかし、私が必要としていたものをすべて得た。

(訳:舟田譲二)


人生、自分の思うようにはいきません。
しかし、神は私たちに必要なものはすべてご存じで、私たちに最善を与えてくださいます。
これが素晴らしい信仰の世界です。


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宇宙に存在する星の数

2016.10.16日
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(CNN) 米航空宇宙局(NASA)は13日、観測可能な宇宙の範囲内にある銀河の数は2兆個と、これまで推定されてきた数の10倍に上ると発表した。英ノッティンガム大学の研究チームが数学モデルを駆使し、現在の望遠鏡では見ることのできない銀河の数も含め算出した。


天文学者らは1990年代半ば、ハッブル宇宙望遠鏡による発見も踏まえ、銀河の数を2000億個とする見解に至っていた。


だがこのほど、ノッティンガム大学の研究チームが新たな結論を引き出した。
これによると、はるか昔の宇宙では銀河の多くが密集していた。小規模で放つ光も弱い銀河は大きな銀河に飲み込まれていき、この過程で宇宙内における銀河の密度は低下した。


研究チームは今回、ハッブル望遠鏡の新旧の画像を調査。さらに新しい数学モデルを使い、観測可能な範囲内にありながら現在の望遠鏡では見ることができない銀河の数を推定した。
この結果、90パーセント以上の銀河は放つ光があまりに弱いか、非常に遠くにあるため、最も強力な望遠鏡を使っても観測できないことが分かった。

ただ現在、ハッブル望遠鏡よりも巨大なジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡(JWST)の開発が進められている。JWSTは赤外線領域での観測に利用され、130億年前の光をとらえることが可能。これにより、最初期の宇宙の様子を調査できるようになると期待されている。
(CNN NEWS)

銀河の数が2兆個といい、銀河には1000万(10の7乗)程度の星で成り立つ矮小銀河から、100兆(10の14乗)個の星々を持つ巨大な銀河まであります。ひとつの銀河に存在する星の数がこれだけあるのですから、全宇宙にある星の数といったら、これはもう文字通り天文学的な数字で、だれも数えることはおろか、想像することすらできません。たとえこの先、科学がどれだけ進歩しても、人間には宇宙にある星の数は永遠にわかりません。


「主(神様)はもろもろの星の数を定め、すべてそれに名を与えられる」
(詩篇 147:4)


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苦しみや困難な中にある人へ

2016.09.26日
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私の名前はアシュリンです。
今11歳ですが、8歳の頃からずっとトゥレット症候群で苦しんでいます。まばたきや変な呼吸といったひきつけを起こします。
家族も私も初めのうちはただの癖かなにかだと思っていました。でも、だんだん症状がひどくなってきてようやくトゥレットだとわかりました。というのはお父さんも同じトゥレットだったからです。
じつは正式にトゥレットと診断されたわけではありません。というのは、これがトゥレットだということはみんなわかっているからです。それで両親は私をお医者さんに連れて行って、ただひどくならないようにと、薬を出してもらうことを望んでいないのです。


私がトゥレットだとわかってからわりとすぐに家族は引っ越しました。そしてありがたいことにホームスクーリングで学ぶようになりました。でも、教会は変わらなければなりませんでした。
新しく通い始めた教会の礼拝はすばらしかったです。でも私はきっとパニックするだろうとおそれていました。私がひきつけを起こしているのを、だれかがじっと見ていました。
その日、家に帰ったときには泣きそうになりました。
教会で洗礼を受けて半年ぐらいするとひきつけはほとんどなくなりました。2年半ほど前のことです。


それから家族はもう一度引っ越しました。そして昨日の晩、私たちはジェイミー・グレースのキャンプコンサートに行ってきました。
ジェイミーが自分のひきつけのことを話し始めたとき、私は泣きそうになりました。
ジェイミー・グレースもトゥレットだということを私は知っていました。だからジェイミーのおかげで、私もトゥレットであるということがうんと楽になりました。
ジェイミーが「神様はぜったいに間違ったことはされない」と言ったとき、もう私はその場で泣きたくなってしまいました。
幼稚園の頃からの友達に、何か月か前にトゥレットのことを勇気を出して言いました。
「あなたがトゥレットだからと言って、私はあなたのいい友達だってことに変わりはないわよ」と友達が言ったとき、また泣きたくなりました。


ギターを弾いたり、歌を歌ったりすると気持ちが落ち着きます。
ギターを習い始めて2年ぐらいになります。ギターを弾いていると気持ちよくなって、ひきつけを起こさないことに気づきました。
それからもうひとつ、トゥレットだということで落ち込むこともありますが、人と同じであることよりも人と違うということはもっといいことなんだ、ということがわかるようになりました。
これはトゥレットに限らず、自分が人と違うということで辛い思いをしている人がいたら、ジェイミー・グレースが言っているように、「神様はぜったいに間違ったことはされない」ということを思い出してほしいと思います。人と違うということであなたはもっとすてきな人になっているからです。

(訳:舟田 譲二)


ちょうど二日前、ピアノや歌を教えていらっしゃるFBフレンドのTakami Anabukiさんから、このジェイミー・グレースの"Fighter"という歌の歌詞を翻訳して欲しいと依頼されました。
訳していて魂に迫ってくるものを感じました。
この歌は、苦しみや困難な中にある人が必死で立ち上がろうとしている姿を歌っているもので、同じような境遇にいる人への励ましのメッセージとなっているからです。
これがその歌です。
長くなるので歌詞は明日のブログに載せることにします。



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真の友は永遠に

2016.09.25日
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良い友はお互いを思いやる
親しい友はお互いに理解し合う
しかし真の友は永遠に共にいる
言葉を超え、距離を超え、時を超えて

「最高の英語の名言」より
(訳:舟田 譲二)


このような友を持ちたいものです。
そして、このような真の友になりたいものです。


原文では、"True Friends..."と複数形になっていて、「真の友」を一般化して言っていますが、我々有限の人間が、言葉を超え(すなわち文化を超え)、そして時空を超えて永遠に良き友でいることなど能力的にも物理的にも不可能です。
言葉も時も空間も超えた真の友と言えば、やはりイエス・キリストでしょう。
キリスト教式結婚式や葬儀などで必ずと言っていいほどよく歌われる讃美歌312番は世界中の人に愛されています。その歌詞は:


いつくしみふかき ともなるイエスは
つみ とが うれいを とりさりたもう
こころのなげきを つつまず のべて
などかは おろさぬ おえる おもにを


いつくしみふかき ともなるイエスは
われらのよわきを しりて あわれむ
なやみ かなしみに しずめるときも
いのりに こたえて なぐさめたまわん


いつくしみふかき ともなるイエスは
かわらぬ あいもて みちびきたもう
よの とも われらを すてさるときも
いのりに こたえて いたわりたまわん


感謝します、イエスさま。


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世界に不用の物はない

2016.09.23日
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上の4枚の写真は何だと思いますか?
ピンと来る人がいたらかなりの「通」です。
私はなにかの菌類かと思いました。でも、ハズレ。
一般の私たちにはなじみの薄い「粘菌」(ねんきん)と呼ばれるものなのですが、これがまた実に不思議な生き物。
「動物とも、植物とも、菌類とも、原生生物とも言える曖昧な生物、コスモポリタンで、梅雨時から夏にかけて、森の朽ちた倒木や落ち葉の上などに見つけられる。粘菌変形体は、裸の原形質の巨大な塊で、100gぐらいの原形質が、先端部では数cmから数mのシート状に広がり、後方では、管がネットワーク状に分布している」
と北海道大学電子科学研究所、上田哲男さんが語っています。


かつて昭和天皇もこれをご研究されていたそうです。
そして、この粘菌の研究で世界的に有名だったのは、南方熊楠(みなかたくまぐす)という1867年から1941年に活躍した博物学者、生物学者、民俗学者です。
明治19年に19歳で渡米し大学で動植物を研究し、その後25歳でイギリスに渡り、大英博物館で考古学、人類学、宗教学などの蔵書を読みふけったといいます。


18か国語を自在に操り、独学で世界的な粘菌の研究者となったこの人がすごいことを言っています。
「多くの菌類や黴(かび)菌は、まことにせっかく人の骨折って拵(こしら)えた物を腐らせ、悪(にく)むべきのはなはだしきだが、これらが全くないと物が腐らず、世界が死んだ物で塞がってニッチも三進(さっち)もならず」と続け、害虫も無益のものではないと力説したそうです。
(2016年8月21日付読売新聞 「[名言巡礼]南方熊楠の言葉…世界にまるで不用の物なし」より)


「粘菌は味覚もあり、苦いものは避け、糖とかアミノ酸のような美味いものには寄って行く。嗅覚もある。臭いに対する粘菌の反応とヒトの反応に高い相関があることから、そこに共通のメカニズムがあると想像されるほどだ。その他、重力や電流にも反応する。粘菌には五感が備わっていると言ってよい。動物では特殊化した感覚器官が局在化しているが、粘菌ではこれらの能力が全身にある。一部分を切り取っても、サイズが小さくなるだけで同じように振舞う。粘菌は、全身が感覚器官であり、運動器官であり、情報器官だと言われる」
一見原始的な生物が、感覚受容、判断、行動、“計算”、“記憶”など、脳をもつ動物にも匹敵する高度な情報能力を示すことから、これを応用した「粘菌コンピュータ」なるものまで生まれたのです。


この単細胞生物の真正粘菌が形成する餌の輸送ネットワークを理論的に解明し、都市を結ぶ実際の鉄道網よりも経済性の高いネットワークを形成する理論モデルの構築に成功したそうです。
近年ますます複雑化するネットワーク社会において、経済性および災害リスクなどの観点から最適な都市間ネットワークを設計する手法の確立につながるというではありませんか。


去る7月に相模原市の知的障害者施設で起きた殺傷事件を受けて、一昨日の21日に横浜で全国から1000人が集う追悼集会が開かれました。
参加した方たちが切々と訴えていました。
「容疑者の『障がい者はいらない』という言葉は、私たちに向けられています。私たちは障がい者である前にひとりの人間です」
「障がい者にも輝く人生があります。生まれてよかったと思える社会を作らなくてはいけません」
「障がい者はみんなうまく言葉にできなくても心や頭の中ではちゃんと考えています。このことを社会の人たちにわかってほしいです」


この世の菌類やかび菌、害虫を始めとするあらゆる動植物を指して「世界に不用の物はない」と南方熊楠は語りましたが、人である障がい者ほどこの世において大切な存在のものはありません。
私たちは障がい者と力を合わせて共生社会作りを目指さなければなりません。


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心の中で人を裁いていると

2016.09.12日

"If you judge people, you have no time to love them."
--Mother Teresa – 1910-1997, Missionary and Saint
「心の中で人を裁いていると、その人を愛する余裕はありません」
--マザー・テレサ、修道女・聖人
(訳:舟田 譲二)


マザー・テレサについては「あなたの中の最良のものを」を始め、何度かこのブログでも取り上げてきました。


マザー・テレサはつい1週間前、カトリック教会で「聖人」として認定されました。
プロテスタントでは「聖人」という概念はありません。なぜなら聖書によると人はみんな同じ罪人だからです。
しかし、「聖人」であろうがなかろうが関係なく、病や貧困に苦しむ人々の救済に捧げたマザー・テレサの生涯と、彼女の謙虚な信仰の姿勢は世界中の人々から称賛され、マザー・テレサの残した数々の名言は今日も多くの人々に勇気と希望と力を与えています。
私もその恩恵に与かるひとりです。


冒頭の
「心の中で人を裁いていると、その人を愛する余裕はありません」
は私たちすべてに語られている言葉です。
私たちは例外なくみんな高慢な者であり、知らず知らずのうちに人を心の中で裁いています。
「裁く」とは、分かりやすい言葉で言い換えると、「その人の良し悪しを判断する」という意味です。
私たちはみんな「同じ穴のむじな」、似たり寄ったりです。
人を心の中で裁くことのできるような者はひとりもいません。
しかも、マザー・テレサの言うように、人を心の中で裁いている間は、その人に対する愛が自らのうちに欠けていて、自分も同じように神様から裁かれるからです。


聖書にも次のような言葉があります。
「隣り人をさばくあなたは、いったい、何者であるか」
(ヤコブの手紙 4:12)


「人をさばくな。自分がさばかれないためである」
(マタイによる福音書 7:1)


「だから、ああ、すべて人をさばく者よ。あなたには弁解の余地がない。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めている。さばくあなたも、同じことを行っているからである」
(ローマ人への手紙 2:1)


私たちもマザー・テレサに倣って、謙虚に人に仕える者となりたいものです。


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人生とは、自分の身に起こる10%と...

2016.09.11日

"Life is 10% of what happens to you and 90% of how you respond to it."
--anonymous
「人生とは、自分の身に起こる10%と、それにどのように反応するかの90%から成っている」
--作者不詳
(訳:舟田 譲二)


人生とは本当に摩訶不思議なものです。
健康で、家族に恵まれ、楽天的に、幸せに一生を過ごす人がいるかと思えば、かたやさまざまな病気を抱え、サポートしてくれる家族はいず、その結果悲観的になり、不幸な一生を送る人もたくさんいます。
これを「不公平だ!」と言う人もいます。


でも考えてみれば、そもそもこの地上において、みんなが公平ということはあり得ません。
たとえ工場でベルトコンベアーに乗って次々と生み出される機械物でも、出来不出来があります。ましてや、命を持つものですべてが同じ、公平などということを望む方がそもそも間違っています。


動物や植物の世界でも不公平は存在しています。
生まれつき足が不自由な犬もいます。同じ農園で栽培されている同じ種類の果物でも、美味しいものもあれば美味しくないものもあります。
でも、ここで大切なのは、動物や植物はほかと比べて不公平だ、なんてこれっぽっちも考えていないということです。


これに対して、人はほかの人と自分を比べるから、「不公平だ!」と言いたくなるわけです。
動植物と違って我々人間には知恵があるからそのように感じるのは当たり前だ、と言う人もいるでしょう。
ところが、またまた不思議なことに、同じ病気を抱えている人、経済的困窮の中にいる人、家族関係で問題のある人等々、似たような状況の中にあっても、ある人はその中で生き生きと、幸せに生きていますが、別の人は不平・不満が口を突いて出てきて、恵まれている人を嫉妬したり、恨んだりする人すらいます。


作家、三浦綾子さんは結核、脊椎カリエス、心臓発作、帯状疱疹、直腸癌、パーキンソン病など次から次へと襲う病魔と闘いながらも、「私はこんなにもたくさん病気をして、神様にえこひいきされている」と言って、感謝をしながら一生を送られました。
一生、綾子さんの介護を続けられた夫の三浦光世さんも、不平不満をこぼしたことはなく、夫婦円満で幸せな人生を送られました。


このように考えてみると、冒頭の言葉、
「人生とは、自分の身に起こる10%と、それにどのように反応するかの90%から成っている」
は確かに真理だと言わざるを得ません。
そして、起こったことにどのように反応するかには、根拠が必要です。無目的な出来事に対してポジティブに反応するのはまことに困難です。
このことを証ししていらっしゃるのが、シカゴ在住のFBフレンドの中村佐知さんです。


ご主人が作られた下の動画を昨日、「ミルトスの木かげで 線香花火」でシェアされました。
涙なしに見られない感動の実話です。



中村佐知さんのお嬢さんの美穂さんは21歳という若さでガンで天に召されました。
ご両親、ご家族・ご親族始め、多くの友人の方々が本当に苦しい、辛い思いをされました。
その苦しさの中で、お母さんは美保さんが息を引き取られる直前のときのことを葛藤の中で次のように語っていらっしゃいます。


「ガンになっても助かる人はいる。完治しなくても、ガンと共存しながら長生きする人もいる。死ぬにしても、安らかに眠るように亡くなる人もいる。それなのに、なぜみんは、21歳の若さで、ガンの診断を受けてから1年も経たないうちに、しかもこんなに苦しみながら、死に向かって突き進んでいるのですか…? あんなに大勢の人たちが、世界中で祈ってくださっているのに、癒しを確信し、ひれ伏して祈っていたのに、なぜこうなってしまうのですか? 私たちの祈りは、あなたの御前に何の意味もなかったのですか? My God, my God, why have you forsaken us!?」


しかし、最後には次のような言葉で締めくくっていらっしゃいます。


「みんは、本当に最期までよく頑張った。彼女の闘いは華麗だった。 感謝の言葉と愛の言葉で貫かれていた。もちろん時には痛みや悲しみゆえにかんしゃくを起こしたときもあったけれど、それでも、みんはいつも感謝と愛と憐れみの心で満ちていた。葬儀に来てくれた大勢の友人たちも、それを証ししてくれた。この地上での最期の言葉が「I love you」だとは、実にあの子らしい。苦しみのただ中からなおも愛を告白できるところは、幼児のころから少しも変わっていないのだ。敵は、みんに神様を呪わせ、親を呪わせ、この世の中を呪わせたかったのだろう。何とかみんに、いのちではなく呪いの言葉を吐かせようと、苦しみを与え続けたのかもしれない。しかし彼女は屈しなかった。苦しみを苦しみとして受け止めつつも、自分の肉体の弱さを受け入れつつも、決して屈しなかった。そして、この地での最期を「I love you!」と叫ぶことで締めくくった。敵はさぞかし悔しがったことだろう。イエスが十字架の上で赦しの言葉を語ったように、みんは病の床の淵から愛の言葉を語った。たとえ肉体は死んでも、みんはこの闘いに勝ったのだ。イエス様もみんに、「Well done!」とおっしゃっておられることだろう。」
「ミルトスの木かげで 最後の30時間」より一部抜粋)


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86,400秒分の1秒

2016.09.04日

"God gave you a gift of 86,400 seconds today. Have you used one to say 'thank you?'"
-- William Arthur Ward
「神様は今日、あなたに86,400秒という贈り物をくださいました。あなたはそのうちの1秒を使って『ありがとう』と言いましたか?」
-- ウィリアム・アーサー・ウォード
(訳:舟田譲二)


ウィリアム・アーサー・ウォード(1921-1994)はアメリカの教育学者、牧師、教師。
アメリカでインスピレーションナルな名言でもっともよく引用される人物の一人です。


よく引用される彼の有名な言葉に次のものがあります。
The mediocre teacher tells.
The good teacher explains.
The superior teacher demonstrates.
The great teacher inspires.
平凡な教師はただしゃべる。
良い教師は解説する。
さらに優れた教師は自らやってみせる。
しかし、偉大なる教師は生徒の心に火をつける。
(訳:舟田譲二)


これは本当に教育者として鏡にすべき名言中の名言です。
以前、山本五十六の有名な言葉をご紹介しましたが、これに通じる教えです(「ほめてやらねば 人は動かじ」)。


さて、今日の冒頭の彼の言葉
「神様は今日、あなたに86,400秒という贈り物をくださいました。あなたはそのうちの1秒を使って『ありがとう』と言いましたか?」
は、本当に耳に痛いです。


去る2月に「ありがとう」と「サンキュー」の反対語という記事を書きました。
「感謝する心」の反対は「当たり前と思う心」です。
私たちは、毎日毎日、数えきれないほどたくさんの素晴らしいプレゼントを神様からいただきながら、無意識のうちにそれを当たり前のものと思い、感謝するのを忘れてしまいがちです。
そのプレゼントの中でも最高のものは「時」です。だれでも公平に1日に86,400秒という時間を与えられています。
生きていること、時間が与えられていること、そんなことは当たり前だと思っているのです。
しかし、ウィリアム・ウォードは言っています。「86,400秒のうちの1秒でも使って『ありがとう』と言いましたか?」と。


人から何をしてもらっても当たり前。神様から数えきれないほどの恵みを毎日いただいても当たり前。
これは本当に私たちが陥りやすい罠で、なんでもかんでも「当たり前」と思っていると、「感謝する心」、喜びが生まれてきません。


まずは、86,400秒のうちの1秒を使って神様に「ありがとう」「感謝します」と言いましょう。
そして、次に、家族や友人など私たちの身の周りの人たちに同じく「ありがとう」と言おうではありませんか。
私たちが今日の一日生かされていることは、まさに神様のお陰、身の周りの人たちのお陰です。
みんながこのような思いで一日を過ごすなら、争いは止み、家族も、世の中も本当に平和になるでしょう。


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用いるか、失うか

2016.09.01日

"God gives everyone certain attributes, characteristics, talents, and then He says, "If you use what you have I'll increase it, but if you don't use it, you'll lose it." Use it or lose it; it's a law."
-- Charlie "Tremendous" Jones
「神様は私たち一人ひとりに独自の性質、特性、才能を与えてくださっていて、私たちにおっしゃいます。『あなたの持っているものを用いるならば私はそれをさらに増し加えましょう。でも用いないならば、あなたはそれを失います』と。用いるか、失うか。これは法則です」
-- チャーリー・"トレメンダス"・ジョーンズ
(訳:舟田譲二)


チャーリー・"トレメンダス"・ジョーンズ(1904-2008)は、アメリカを代表するモチベーショナル・スピーカー、作家、講演家。
私の大好きな作家、オグ・マンディーノ(「アメイジング・グレース」)の勧めもあって、彼の "Life is Tremendous" を昔読んでとても啓蒙されました。書名の "Tremendous" は彼のペンネームでもありますが、「最高」「素晴らしい」「ものすごい」といった意味です。
この本は12か国語に翻訳され、世界で200万部売れたベストセラーです。


charlie.jpg


冒頭の言葉、「神様は私たち一人ひとりに独自の性質、特性、才能を与えてくださっていて、私たちにおっしゃいます。『あなたの持っているものを用いるならば私はそれをさらに増し加えましょう。でも用いないならば、あなたはそれを失います』と。用いるか、失うか。これは法則です」は、聖書の教えるメッセージであり、同時にチャーリー・"トレメンダス"・ジョーンズがその生涯を通して私たちに語っているメッセージでもあります。
上掲書もこのことを教えています。
これは、勉学に、仕事に、人間関係に、子育てや家族関係に、そして人生のありとあらゆる場面に通じます。


「おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう」
(マタイによる福音書 25:29)


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不思議な不思議な巡り合い、そして出会い

2016.08.30日

「はじめまして。突然のメールで申し訳ありません。
恵泉キリスト教会湘南グレースチャペルで牧師をしております土志田と申します。
時々、Facebookで金野正樹牧師(同僚です)や小泉文恵姉(義理の母です)とのやりとりを拝見させていただいています」
というメールを1週間ちょっと前にいただきました。


読み進んで、びっくりぽん。
「先日結婚式をあげられた市川さんと結婚した妃奈子さんと知り合いで、お相手の市川さんは先生のつながりのある方ということで、神様が離れず見てくださっているのだと驚きをもって感謝しているところです」
そこで私はすぐに返信。
「なんという巡り合わせでしょう。
一度達紀さんとご一緒に市川夫妻にお会いできるといいですね。
それに私がお慕いしていて、毎年リユニオンでお会いしている文恵さんが義理のお母さんだなんて、びっくりです。神様の不思議なご摂理を畏れます。
どうぞ今後ともよろしくお願いいたします」


このあと、何度かやり取りしているうちに急きょお会いすることになり、達紀さんから
「ホームで電車を待っているときに、一度妃奈子さんのことも含めご挨拶させていただいた方がいいなという気持ちになりました。神様がその気持ちを与えてくださったのだと思います。
私もお会いできるのを楽しみにしています」


そして昨日、ご夫妻で我が家を訪ねてきてくださったのです。


toshida.jpg


本当に不思議な不思議な巡り合い、そして出会いでした。
話はお互いの生い立ちに始まり、今日に至るまでの人生の歩みから家族のこと、信仰の話、市川夫妻のことなど、大いに盛り上がり、神様がご用意してくださっていたとても楽しいひと時を持つことができました。

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人生という砂時計

2016.08.05日

2か月ほど前から使い始めた洗顔フォーム。
ほんの少しでよく泡立ち、しかもスムーズで、洗顔後もしっとり、スッキリでとても気持ちいいです。
毎日使っているのですが、使う量がほんの僅かなので、使っても使っても減りません(笑)。
この分だと一生使えるのではないか、と思うほどです。


ところが、洗顔フォームではありませんが、これまでにも同じようにやはり使ってもちょっとも減らず、一生使えるのではないかと思っていたものがいくつもありました。しかし、よくできたものでどれもこれも使用期間に差はありましたが、みんなやがて底をついてなくなりました(当たり前のことですが)。


sandclock.jpg


砂時計も同様で、最初のうちは砂が落ちるのがとてもゆっくりしているのに、半分過ぎるとどんどん速くなり、そのうちに加速度的に速くなってあっという間に最後の一粒が落ちてしまいます。


子どもの頃は、毎日毎日がとても長く感じたものです。
やがて青年期になり、徐々に時の流れるスピードか速くなってきました。
これが還暦を過ぎると、それこそ砂時計の最後の秒読みのようにめちゃくちゃ速くなってきます。
(まだ若造のくせに、とお叱りをうけそうですが)


気がつくと自分の身の回りでも、最後の一粒が下に落ちてあの世に行ってしまう人が次々と出てきました。
砂時計の中に入っている砂の量は一人ひとり異なり、それが全部下に落ちてしまうのがいつなのかは誰にも知らされていません。
まさに「神のみぞ知る」です。


私は死を恐れていません。
信仰によって死後の永遠のいのちを信じているからです。
でも、残された日々が少なくなってくるにしたがって、いつ天に召されてもいいように、悔いのない充実した時を過ごすということが今の私にとってとても大切なこととなってきました。
少しでも健康で長生きできるよう、栄養・食事や運動、休息など毎日のライフスタイルに気をつけていますが、あとは神様の御手に委ねています。
決して弱気になっているわけではありません。
人の寿命はわからないので、いつその日が来てもいいように備えをしておくことが大切だということです。(ちなみに、もう5年前に遺書をしたためていますが)


"I'm going to a special place when I die, but I want to make sure my life is special while I'm here."
「私は死んだら特別の場所に行く。しかし、私の今の人生も特別であることをこの地上に永らえている間に確実なものにしたい」
(訳:舟田 譲二)
と、語っていたアメリカの実力派プロゴルファー、ペイン・スチュアート(1957-1999)は、図らずも42歳の若さで飛行機事故で亡くなったのです。


そんなこんなで、今朝は妻とお祈りをする際、妻に上の砂時計の話をし、これまでの日々を妻に感謝するとともに、これからの時を今まで以上に大切にして一緒に過ごそう、と私の思いを伝えました。
無意識のうちに涙が頬を伝っていました。


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知的障害者福祉施設で起きた事件に思う

2016.07.29日

"In helping others, we shall help ourselves, for whatever good we give out completes the circle and comes back to us."
--Flora Edwards - Author
「他の人を助けることによって、私たちは自分自身を助けることになります。というのは、たとえどのような善意を施しても、それは回り回って自分に戻ってくるからです」
--フローラ・エドワーズ、作家
(訳:舟田 譲二)


去る7月26日、神奈川県相模原市緑区の知的障がい者福祉施設「津久井やまゆり園」で19人が刺殺され、26人が重軽傷を負うという痛ましい事件が起きました。


「知的障がい者はこの世にいない方が世のためだ」という、独りよがりの異常な妄想によって引き起こされた事件のようで、世界を震撼させました。
これは、最近外国で頻繁に起きているテロ事件と本質においてまったく変わらず、独善的な行為で、世界平和などたとえどんなに立派な主義・主張を唱えても決して許さるべき行為ではありません。


世間ではよく次のように言われるのを耳にします。
「人にしてほしくないことはしてはいけない」
確かに、上の事件の犯人にしても、またテロリストたちにしても、同じことを自分にされたら嫌なはずです。
憎しみや暴力行為は、またそれを引き起こすという負の連鎖を生むだけです。


しかし、本来「人にしてほしくないことをしてはいけない」ではなく、
「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」
(マタイによる福音書 7:12)
であるべきです。
憎しみや復讐に打ち勝つ唯一の道は、自ら進んで人に善をなすことです。
これによって正の連鎖が始まり、自分のところにも善が戻ってくるのです。


「一寸の虫にも五分の魂」で、蚊や蟻ですら自分の命に危険が迫ると必死で逃れようとしますし、死ぬ時には苦しみます。
ましてや人間においておやで、自分の価値観で他人の生命を軽んじたり、ましてやそれを奪うことなど絶対に許されません。
亡くなられた方の恐怖、苦しみ、またそのご家族の方の悲しみ、辛さを思うと心が張り裂けそうになります。


教育の原点は、まさに人の生命の尊厳を教えることにあるのではないでしょうか。
単に勉強ができる、テストでいい点が取れる、いい学校に進学する、などが教育の目的ではないはずです。
オウム事件の時もそうでしたが、テロリストたちは概して高学歴の人たちが多いようです。


学問よりも学歴よりも何よりも、人の生命を大切にすること、そしてその中には当然のことながら自分の生命も含まれるということを家庭で、そして初等教育で徹底して教えるべきだと思います。


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人生の行く先は

2016.06.15日

"Sow a thought and you reap an action;
sow an act and you reap a habit;
sow a habit and you reap a character;
sow a character and you reap a destiny."
「思考の種を蒔きなさい。そうしたら行動の実を刈り取るでしょう。
行動の種を蒔きなさい。そうしたら習慣の実を刈り取るでしょう。
習慣の種を蒔きなさい。そうしたら人格の実を刈り取るでしょう。
人格の種を蒔きなさい。そうしたら人生の目的地を刈り取るでしょう」
(作者不詳)
(訳: 舟田 譲二)


上を次のように言い換えてみましょう。


「悪い思考の種を蒔きなさい。そうしたら悪い行動の実を刈り取るでしょう。
悪い行動の種を蒔きなさい。そうしたら悪い習慣の実を刈り取るでしょう。
悪い習慣の種を蒔きなさい。そうしたら悪い人格の実を刈り取るでしょう。
悪い人格の種を蒔きなさい。そうしたら最悪の人生の目的地を刈り取るでしょう」
こちらの方が、よりリアルで実感がわくかもしれません。


一昨日、ある人から聞いた話ですが、日本の高校生の8割、10人のうち8人が「自分に自信がない」と言っているそうです。
これは本当に驚くべき、お先真っ暗な数字です。
原因のひとつは、そしてひょっとしたら一番大きな原因なのでしょうが、教育にあると思います。
まずは幼児期からの家庭での親の教育に始まり、小中高校と学校の教育にも責任があるでしょう。
子どもに自信をなくさせるような教育をしているとしか思えません。


そういう私も高校生の頃、学校生活のつまらなさ、授業の退屈なこと、自分自身のやる気のなさなどから、将来が見えなくなった一時期がありました。
自分自身が見えなくなっていました。
何のために生きているのか、人生の目的は何なのか、と真剣に考え悩みました。
友人と語り合い、本を読み、またあるときは教会の門をたたいたこともあります(「神の存在は証明できるか」)。
でも答えは見つかりませんでした。当時の私も「自分に自信がもてない」一青年でした。


でも幸いにもその後、思考を一新する最高の機会に恵まれ、その結果人生の目的地が見えるようになりました。
とどのつまり、人生の行く先は最初の思考から始まっているのです。


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怒りの原因

2016.06.09日

「怒り」はだれの心にもあり、コントロールするのが難しいものです。
あるときには、人に対して、あるいは物に対して、はたまた国や異なった考え方・価値観などに対して、そして自分に対してさえも怒ることがあります。
この御しにくい怒りはどこから来るのでしょうか?
そして、怒りをうまくコントロールするにはどうしたらいいのでしょうか?


私はこの問題をずっと長い間考えてきました。
なぜなら、この世の問題のほとんどは、「怒り」によって引き起こされているからです。
傷害事件や殺人事件など、原因の多くは「怒り」です。
国家間の戦争も、テロも、宗教間の対立も、相手に対する怒りが原因であることが多いです。


それでは、「怒り」の原因は何か。
これがわかり、うまくコントロールできるようになると、多くの問題を未然に防ぐことができます。
私が到達した答え、「怒り」の原因をひとことで言うと、「相手を自分の思うように動かしたい、コントロールしたい」という考えです。
たとえ夫婦間や親子間など近しい関係にあっても、人は自分の期待どおりには動いてくれないものです。
なぜなら、人はみんなそれぞれ自分なりの価値観を持っていて、それに従って行動し、生きているからです。
自分だって、人からなにかを強制されることは嫌でしょうし、実際のところ人に言われるとおりには動きません。ならば、人が自分の思いどおりに動いてくれないのは当たり前のことです。


ところが、他人が自分の思いどおりに行動してくれないと、人は腹立ち、怒るのです。
つい先日、北海道七飯町の山林で父親の仕置きで山林で置き去りにされた少年のケース(「月に代わって、おしおきよ!」)も、ことの発端は子どもが自分の思いどおりにならないことに対する父親の怒りです。


ここに怒りの対処法の答えが隠されています。
自分だって人にああしろ、こうしろ、と言われるのが嫌なのですから、人だって同じ。たとえ子どもでも親の思いどおりにいかなくて当たり前。生徒も教師の言いなりにはなりませんし、部下も上司の思うようには動いてくれません。
そこで腹を立てるのではなく、相手の立場に自分を置いてみる。そうすることによって同じ問題でも違う面が見えてきます。
もしも怒りがムラムラと湧き上がってきたら、その場でそれを爆発させてしまわず、まずはひと呼吸置くことです。ほんのちょっと時間を置くだけでも、血が上っている頭も冷めてきます。
これは怒る価値があるかどうか、と客観的に判断します。多くの場合、怒ることによって得る結果は、相手だけでなく、自分にとっても苦をもたらし、損になることがわかります。


それでも人間は感情を持った動物ですから、いつでも冷静に対処できるとは限りません。
怒ることもあるでしょう。
そのようなときには、次の聖書の言葉を思い出すといいです。
「怒ることがあっても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れるようであってはならない」
(エペソ人への手紙 4:26)


怒りそのものは罪ではありません。「義憤」というものもあり、神様ご自身も悪に対しては非常に強い怒りを持っていらっしゃいます。
しかし、それを爆発させて相手を傷つけるようなことになると、それは罪です。
そして、もし怒ってしまった場合には、日が暮れる前に、すなわちその日のうちに詫びて、関係を修復することです。
これができれば、家庭は円満になり、親子・友人間、また国家間の争いもなくなるのですが...


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罪の呵責(かしゃく)

2016.06.07日

ちょうど6年前の記事の再録です。
この記事を書いた翌年、父は天国に凱旋しました。
父の思い出、そして私の恥ずかしい思い出の記事です。


昨夜はなかなか寝つけませんでした。
最後に枕もとの時計を見たときは4時でした。
そして、7時に父に起こされました。
「ジョージ、もう起きなさい!」
「はい」
「グッモーニン...」
アレっ?父の姿が見えません。
なんと夢の中で父に起こされたのです。
父には一昨日、病院で診察を受けるときに会ったばかり。
車椅子に座った父は、アルツハイマーが進み、私のことも分からず、何を話しかけても反応がありません。
かつて太っていた父は、今や手足もやせ細り、昔の面影はありません。
その父が、昔の若いときの元気のいい声で私を起こしてくれたのでした。
高校生の頃にタイムスリップしたような感じでした。


早く目覚めたので、犬を散歩に連れて行きました。
歩きながら、父のことや母のことを思い出していました。
すると幼稚園の頃のことがフラッシュバックしてきました。


IMG_0006.jpg


これは私が4歳の頃の写真です。
母が営んでいた洋裁店の前で撮ったものです。
手に持っているのはおもちゃではなく、本物のカメラ(ただし壊れていましたが)。
髪はパーマをかけて、七三で横分けしていました。
虫も殺さないような可愛い(!?)顔をしていて、近所の人たちの間で人気者でした。
母の洋裁店の筋向いには小さな会社があって、みんなが「組合」と呼んでいました。
私はしょっちゅうそこに遊びに行きました。
その「組合」の人たちが、交互に私を家に泊めてくれて、あちらこちらに連れて行ってくれました。


IMG_0005.jpg IMG_0004.jpg


左:「組合」の人たちに囲まれて  右:慰安旅行に一緒に連れて行ってもらったときの写真


ところが、表とは裏腹に私の心の中にはすでに悪い心がありました。
今でもそのシーンをはっきりと覚えています。
三輪車に乗って、住んでいた家の向かいにあった商店の玄関の大きなガラス戸に石を投げつけて割ったのです。
石を投げつければガラスが割れることはわかっていました。
「ガシャーン」という大きな音とともにガラスは粉々になって下に落ちたかと思うと、店の人が飛び出してきました。それも予期していました。でも、逃げようとしませんでした。
親を呼ばれて、こっぴどく店の人に叱られました。
もちろん、親からもさんざん叱られました。


ある日、近くの神社で縁日があってたくさんの露店が出ていました。
私は親からお小遣いをもらったことがなかったので物を買うということすら知らなかったのですが、なぜか露店で買い食いしたい衝動に駆られました。
日曜日の朝早く、親がまだ寝ているときに、そっと食器戸棚に入れてあった母親の財布から小銭を盗んだのです。
胸がドキッドキッと大きな音を立て、親に気づかれるのではないかと恐れました。
そして盗んだ小銭を持って縁日に行き、何か買い食いしたのですが、それがとてもまずくて
「しまった。悪いことをしてしまった」と、とても後悔しました。
そして、家に戻るとすぐに両親にそのことを涙ながらに打ち明けて、「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝りました。
普段優しかった両親はこのとき烈火のごとく私を叱りました。


これらの苦い思い出は、成人してからもずっと私の心を苦しめ続けました。
つい数日前、読売新聞の「人生案内」に、50代主婦の方が出来心で万引きをして、警察に通報され、その後、家族にもその店の人にも、近所の人にも顔向けができなくて、辛くて死んでしまいたい、と相談していました。
私はこれを読んで、その人の気持ちが痛いほどよくわかりました。
私自身がかつての罪の呵責から解放された、「赦しの福音」があることをその人に伝えたい、と心から願いました(「訓練していたことを実践しただけです」)。
そして、その人に声をかけてあげたいと思いました。
「死なないでください。生きていれば必ず『小さな幸せ』がいくつも見つかります。
そして、生きていて良かったと思う日がきます」と。


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富と健康と品性

2016.06.02日
billy-graham-Quotes-1.jpg


"When wealth is lost, nothing is lost; when health is lost, something is lost; when character is lost, all is lost."
(Billy Graham)
「富を失っても何も失わない。健康を失うと何かは失う。しかし品性を失うとすべてを失う」
(ビリー・グラハム)

(訳:舟田 譲二)


これはかの有名な20世紀最大の大衆伝道者、ビリー・グラハムの格言です。
1980年10月、沖縄、大阪、東海、広島、福岡、東京の全国でビリー・グラハム国際大会が開催されました。全会場での聴衆は約33万5000人と言われています。
当時神学生だった私は、大阪日生球場の大会に1000人の聖歌隊の一員、カウンセラーとして参加し、ビリー・グラハムの力強い生の声を聴きました。
人で埋め尽くされた会場はこんな感じでした。


BG.jpg


そのビリー・グラハムの上の格言はじつに意味深長です。
多くの人が、「富」と「健康」を求めて生きていますが、この両者は突き詰めて考えていくと、短い地上では影のようなもので、なんら実態のないものです。
いかに「富」と「健康」に恵まれていたとしても、やがて生涯を閉じるときにはすべて消えてしまいます。
それが人生というものです。
しかし、「品性」は人が地上での生涯を終えて亡くなったのちにも、永遠に後世の人々の心の中に生き続けます。


よし地上での人生で「富」を失ったとしても、そんなものは大したことではありません。
すべての財産を失った後に、それ以上に富を回復した人はたくさんいますし、また富がなくても幸せな人はいくらでもいます。
富が人生のすべてでないことはだれもが経験上知っています。
ですから、富を失ったからといって自殺したり、一家心中したりするなどまったく馬鹿げたことです。


それでは「健康」はどうか。
確かに「健康第一」とよく言います。どんなに成功したとしても、健康を損ねたら何の意味もないと人は言います。
健康を失うと、確かに苦しい、辛い思いをします。それは私自身何度も経験してきました。
しかし、もし健康でないことが不幸だとすると、この世の中不幸な人であふれ返ってしまいます。
ところが、健康でなくても幸せな人はいくらでもいます。
作家の故三浦綾子さんなどは、その生涯ずっと病気でしたが、彼女の口から出てきた言葉は、
「こんなにたくさん病気をして、私は神様にえこひいきされている」
でした。


人生で一番大切なのは、「品性」です。
たとえどんなに地位、名誉、財産を築いたとしても、品性を失い、人から信用されなくなるならば、それはすべてを失ったことになります。その例は枚挙にいとまありません。
「品性」とはその人のいのちそのものです。


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あなたの人生も変えられる

2016.05.23日

昨日、ご本人の口から聞いたびっくりするような実話を下にご紹介します。
ご本人の了承を得てシェアさせていただきます。


Mさんは1942年に満州で誕生。
3歳のとき終戦。父親は出征したまま戻らず、安否もわからず遺骨も届けられないまま終戦後戦死の知らせを母親は政府より受ける。
母親はMくんを含む4人の幼な子を連れて満州を引き上げ帰国。
母子は父親の郷里、島根県川本の父の兄のもとに身を寄せる。
母親は失対(失業対策事業)で道路工事などの肉体労働をしながら一家を支える(のちに小学校の給食のおばさんに)。


貧しい環境の中で育ったMくんは、小学校に上がるとき、自分の名前をひらがなで読むことも書くこともできなかった。
子どもの頃の記憶はほとんどない。
はっきりした記憶があるのは、小学4年か5年生のときの出来事。
間借りで住んでいた家の隣りに中国電力の社宅があり、その隣りに友達の家があった。一階部分の屋根がトタンで、二階の窓をまたいで外にでるとトタン屋根の上だった。その上でよく遊んでいた。
ある日、その家に住む友人が、トタン屋根の横を並行して走っている電線を指差して、触るとビリっとくる、と言うのを聞いて怖いもの見たさで片手で払うように触ってみた。しかし、何も起こらない。そこで、「ビリっとしないよ」と言ったところ、友人は、片手じゃだめだよ。両手でもう一本の電線を触るとビリッとくる、と言う。
そこでもう一方の手を伸ばし、両手で電線を握った瞬間、100ボルトの電気が走った。
Mくんは「ギャアーっ」と悲鳴を上げ、大声で泣き、手を離そうとするが全身はビリビリと震えるばかりで、電線はぴったり両手にくっついたままどうしても離れない。
Mくんの頭の中で一瞬、これまでの短い人生が走馬灯のようによみがえり、もはや自分の命はここまでと思った。
その瞬間、誰かがM少年の身体を抱えて思いっきり引っ張って電線から引き離し、二人は一緒にどっしーんとトタン屋根の上に転がった。
隣りの中国電力の社宅に住んでいた従業員が大声を聞いて駆けつけ、畳屋をやっていた友人の家にあった堀コタツ用の半畳の畳を持って二階に駆け上って、その上に乗ってM少年を電線より引き離したのだった。感電を避けるためのプロのとっさの判断だった。


本人曰く、これがきっかけか少しずつ勉強がわかるようになり始めた。
5年生の算数の授業のとき、担任の先生の質問にクラスの生徒の多くが手を挙げた。
Mくんもつられて手を挙げた。それまで勉強ではまったく目立たなかったMくんが手を挙げたのに驚いた教師はMくんを当てた。
わかっていたのか、それともたまたまだったのかわからないが、答えが合っていて、それをきっかけにMくんは自分に自信を持つようになり、算数が好きになった。
その後、放課後友達の家に何人かの仲間たちが集まって一緒に勉強をするようになり、お互いに教え合うようになる。


こうして高校に上がったときには、数学が一番の得意教科になり、同じクラスにいた高校教師の娘で数学がとても良くできた女の子を抜いて、学年1位になる。
高校では就職組にいたので、卒業と同時に通商産業省に就職。
しかしM青年は、それまでまったく苦手だったが英語は将来きっと必要になるだろうと思い、働きながら中央大学の夜間部に進学し英文学を学ぶことになる。
働いて稼いだお金で、当時とても高額だった英語教材リンガフォンを買い求め、毎日繰り返し、繰り返しレコードを聴いてリスニングの練習をした。
同時に、通産省で昼間行われていた、将来外国へ出張する人たちのための実用英会話クラスに参加して英語を学ぶ。
やがて大学で学年1位の成績を収めたM青年は、夜間部から初めての卒業生総代として卒業証書を授与される。


大学卒業と同時に通産省を退職し、働いて蓄えておいた貯金と退職金を元に中央大学文学部大学院に進学。
さらに勉強を続ける夢が与えられ、大学院を卒業する前にアメリカの有名大学大学院の神学部に直接手紙を書き、入学希望の意志を伝えた。
留学するためには、銀行の残高証明や親の扶養証明などの経済的保証が必要だったが、神学部の教授がM青年の熱意に心打たれ、返済義務のない奨学金と教授のアシスタントの仕事を与え、彼は留学することになる。


その大学院で(キリスト教)教職修士号、別の大学院で神学修士号、さらにもう一つ別の大学院で教育修士号と、4つの大学院で学び修士号4つを取得。
帰国後、キリスト教会牧師、カウンセラーを務めつつ、自らカウンセリングセンターを開設。
母校の中央大学で英語の講師を20年勤めたあと立正大学心理学部教授に就任。
全国でカウンセリング関係の講演活動をするほか、国際的な講演会などで通訳なども務めて今日に至る。
日本リアリティセラピー協会理事長なども務め、カウンセリング関係の著訳書は20数冊に及ぶ。


このかつてのM少年こそ、私の恩師であり、同労者(協力牧師として)、また家族ぐるみのお付き合いをしている親しい友人、柿谷正期牧師です。
柿谷牧師のことは、これまで何度もこのブログに取り上げてきました。
そのうちのひとつ、「小さな奇跡」の中では、柿谷牧師とキリスト教との出会いから救いへの軌跡が記されています。


小学校に上がるときには、自分の名前の読み書きもできなかった学習障がい児(本人談)が、のちに大学教授になったという、朝ドラ並みの一大ドラマ。
もちろんご本人の努力があったのは言うまでもありませんが、これこそ神様の奇跡でなくていったいなんでしょう。
「石ころからでも、アブラハムの子を起こすことができる」(マタイの福音書3:7)、全知全能なる神様は、私たちの、そしてあなたの人生も変えることのできるお方です。


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パラダイム・シフト

2016.04.28日
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上の2枚の絵は有名なだまし絵(隠し絵)ですが、あなたには何に見えますか?
何も見えないと言う人もいますが、たいていの人は年老いた女性、あるいは若い女性が見えると言います。
目を凝らして見てみてください。
いったん年老いた女性が見えると、若い女性は見えなくなりますし、若い女性が見えると年老いた女性が見えなくなる不思議な絵です。


これは視点の問題です。
だれでもこうと思い込むと他が見えなくなるのです。
これをパラダイム、「固定観念」と言い、視点を変えることをパラダイム・シフトと言います。
以下は「成績不良から億万長者に」なった、私の尊敬するボブ・プロクター氏のブログからの抜粋です。
「人の名前を覚えること」という昨日の記事の最後のところに書いたのですが、昔は人の名前を覚えることに自信のあった私ですが、今はなかなか覚えられず自信喪失になりがちで、「自分の全盛時代はすでに終わった」と過去を懐かしんでいたのですが、このボブ・プロクターの記事を読んでこのような考えを改めることにしました。


私には固定観念があるし、あなたにもある。
しかし、成長するためにはこの固定観念から抜け出さなければならない。
次の5つは、よく見受けられるが、同時にほとんどのケース自分では気づきにくいパラダイム(固定観念)で、私たちの人生に大きな影響を与えるものである。


固定観念 1.すべてはうまくいっている
人生は別に苦しみというほどのものではないが、かといって取り立てて言うほどたいしたものでもない。
人生において手に入れられるものはこんなものだろう。あるいは、とくにそれ以上望むまでもない、と自分に言い聞かせている。


しかし視点を変えると:
「私は幸せだ。しかし、決して満足しているわけではない」
地面の中の種が太陽の光や養分を、また水をさらに求めているように、私たちはみんな成長したいという自然な欲求を持っている。
私たちの存在の法則とは、もっと知りたい、もっとなにかをしたい、さらに向上したいという欲求だ。


固定観念 2.私は収入の限界を知っている
いくら一生懸命働いても、あるいはなにをしようとも、稼げる収入はこんなものだ。
あなたは行き詰まりを感じ、このハードルをどのようにして超えることができるのかわからないでいる。


しかし視点を変えると:
「私は自分の将来の経済について大きな夢を持っている」
あなたは今までに夢見た以上のお金を稼ぐことができる。しかし、自分の収入には限界があると話したり、考えたり、感じたりしていたらこれは達成できない。
あなたが信じたとおりになる、というのが宇宙の法則だ。
収入を増やすことができるのは、正しい、積極的な思考のみによる。


固定観念 3.私の全盛時代はもう終わった
40代以上の人の多くは、自分たちにできることはすでに達成したと感じている。これから新しい仕事をしたり、人間関係を築いたり、健康を増進させたり、お金を増やすにはもう十分な時間がないと思っている。「どうせなにをやっても無駄だ」と。


Iしかし視点を変えると:
「あなたは100歳以上生きられる」
私たちの体は、100歳以上生きられるように造られている。
もしも100歳以上生きられるとわかっていたら、あなたは今の生活の何を変えだろう?それとも、あなたは自分にできることはもう全部やってきたと思っているのだろうか?
私たちの寿命は絶えず伸び続けている。豊かで、幸せで、健康的な次の100年を、さらにそれ以上のいのちを期待しようではないか。
私はもうすぐ82歳になろうとしている。しかし、多くの30歳の人たちよりももっと大きな目標を持っているし、エネルギーもたっぷりある。このペースをスローダウンすることなどまったく考えていない。
だから、もしあなたが自分の全盛時代はすでに終わったと思っているなら、そんなことで自分の人生を無駄にするのはすぐにやめることだ。次にやってくる素晴らしいことを受け取る準備をしておくことだ。


固定観念 4.私は愛される価値がない
あなたは今孤独を感じているかもしれない。愛を分かち合えるパートナーはもう見つからないだろうと思っているかもしれない。あなたのことを愛してくれる人がいたなら、あなたの人生は劇的に変わると思っているかもしれない。
ひょっとしたらあなたはとても外交的で、ユーモアのセンスもあるかもしれない。しかし、自分は愛されていない、と心の内ではさびしく思っているかもしれない。
あなたは太りすぎていて人から愛されないと思っているかもしれない。体重計が示す数字があなたの価値を決めると思っているかもしれない。


しかし視点を変えると:
「私は自分自身を愛している。そしてその愛は倍になって自分に戻ってくる」
あなたは自分のことをどのように考えようがまったく自由だ。ならば、自分のことをなぜそのように卑下するのか。
あなたの潜在意識は、あなたの本当の姿と想像上の姿を区別することができない。だから、あなたが望む自分のイメージをはっきりさせよう。
一日を過ごすとき、自分が求めているもの、たとえば愛、幸せ、健康などにのみ焦点を合わせよう。


固定観念 5.私は世界の承認が必要だ
人はなにか新しいことをしようとするときはいつでも周囲の承認を得ようとする。
雇い主や上司、同僚、友人、顧客、あるいは親などからの同意や評価、承認、指導などを求める。
また、自分が間違っていないということを確信できるような条件や状況を求めるかもしれない。
この固定観念はしばしば気づくのが困難だ。なぜなら、私たちのほとんどは自分の能力を低く見ているからだ。


しかし視点を変えると:
「神はつねに私を導いてくださっている」
聖書によると、私たちは神の像に似せて造られている。
だから、もしあなたが自分の願望は重要ではない、あるいは自分の運命は失敗の道をたどるなどと思っているなら、それは誤った考えだ。そんな考えは一刻も捨て去りなさい。
もしあなたが何かをしたい、作りたい、表現したいと強く願うなら、その願望は神様から来た声だ。その声に応えるなら、あなたは確実に導かれ、成功は約束される。
たとえどれほどたくさんの固定観念がこれらのうちにあろうとも、あなたは考え方を変えることができる。


あなたの成功を祈りつつ
ボブ・プロクター

(訳: 舟田 譲二)


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教育と教養

2016.04.11日

私の敬愛する節子さんが昨日、久しぶりに教会の礼拝に来られました。
バスを乗り継いで2時間近くかけて来てくださいました。
2日前にお電話で礼拝に来ると伝えてくださり、とても楽しみにお待ちしていました。


じつは去る3月27日のイースターの日、教会での礼拝後、午後は教会から1時間余かかるメモリアルパークへ墓前礼拝に教会のみんなで行き、その帰り道節子さんのお宅をお訪ねしたのですが、あいにくその日は隣り街に出かけておられお留守でした。
訪ねて行った私たちを、ご主人がお茶やお菓子を出して歓待してくださり、もうまもなく戻ってきますから、と言っていろいろなお話をして私たちを楽しませてくださいました。でも、奥さんには連絡が取れず、30分余りいたのですが結局戻ってこられなかったのでお会いできないままおいとましました。


このとき、ご主人のお話の中で話題に上ったのが、歳を取ってから大切な「教育と教養」というお話でした。
ご主人はとても教育も教養もおありの方で、お話上手で話題も豊富だったのですが、この「教育と教養」はじつは期待していた内容とは違いました。
「きょういく」は「教育」ではなく、「今日、行く」ところで、「きょうよう」は「教養」ではなく、「今日の用事」だそうで、歳を取ってもボケないために、このふたつに気をつけるようにと、お嬢さんから言われたとのこと。
私たちはみんな大笑い。


でも、考えてみたら、私もぼちぼちこの「今日、行く」ところと、「今日の用事」を意識しなければならないようになってきました。
節子さんが、教会へバスを乗り継いで来られるとき、よく会う90代のおばあさんがいらっしゃるそうで、その方に年齢を尋ねられて「83歳」と答えたところ「まだ子どもねぇ」と言われたとのこと。
またまた大笑い。
「それじゃ、私なんか赤ん坊ですよ」と私。


節子さんは私のことを子どものようにとても可愛がってくださっています。
母が生きていたら今は92歳。56歳の若さで天国に帰りましたが、私のイメージの中では母が今生きていたら節子さんのような感じだろうなといつも思っています。
節子さん、いつまでもお元気でいてくださいね。


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あなたは幸せですか?

2016.04.07日

「あなたは幸せですか?」
と尋ねると、
ほとんどの人が、「まあまあ幸せ」と答えます。
「なぜ幸せですか?」と聞くと、
「健康だから」「家族に恵まれているから」「仕事がうまくいってるから」「志望校に合格したから」
といった答が返ってきます。
素晴らしいことです。
が、それは本当の幸せですか?


新聞の人生相談を読んでいると、
「夫は優しい人で幸せです。でも子どもを授からないので離婚を考えています」
といった相談がときどき載っています。


「幸せ」という言葉は、もとは「仕合わせ」と書き、「仕合わせがいい」とか「仕合わせが悪い」というような表現を昔はしていたそうです。
つまり「仕合わせ」とは、「めぐり合わせ」「運」というのがもとの意味なのです。


おもしろいことに、英語の happy という言葉も語源はhappening の hap 「運」「偶然の出来事」といった意味で、日本語とそっくりなのです。
つまり、多くの人が「幸せだ」と思っているのは、「たまたま健康だから」「たまたま家族に恵まれているから」「たまたま仕事がうまくいっているから」「たまたま志望校に合格したから」なのです。
それが証拠に、あこがれの志望校に合格したにもかかわらず、5月の連休が終わる頃には毎年大勢の人が「5月病」に悩み、その学校に入学したことが果たして本当に良かったのかどうか、と迷い、悩み始めます。そして、たちまち「幸せ」でなくなってしまうのです。健康を自慢していた人が急に病気になると、たちまち「幸せ」でなくなってしまいます。
それでは、環境に左右されない「本当の幸せ」なんて、果たしてあるのでしょうか?
それがあるのです。


聖書の有名な言葉
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。...」 (マタイの福音書5:3〜12)
に出てくる「幸い」は、英語では happy ではなく、 blessed という言葉が使われていて、原語のギリシャ語でもそのような意味の言葉が使われています。
「心の貧しい者」「悲しむ者」は、この世の基準で考えると決して「幸せ」ではありません。
鍵は blessed という言葉にあります。
blessed は bless 「祝福する」という言葉の過去分詞形で「祝福されている」という意味です。
「天の御国」を与えるのも、「慰める」のも神様です。
この世でたとえ苦しみを体験していても、神様は心の痛みをご存じで、その痛みをいやし、慰めてくださる、すなわち「祝福してくださる」のです。


この真理がわかれば、自分の置かれている状況に振り回されずに、「幸せだ」と感じることができるようになります。
今、苦しみのどん底にいらっしゃる方があれば、安心してください。悲しんでいる方も、辛い思いをしている方も安心してください。神様はあなたの心のうちをよくご存じです。
この世には理解できないことがたくさんあります。
「神様、なぜですか?」と神様に食いつきたくなることもあるでしょう。
私たちは有限の存在なので、無限の世界にいらっしゃる神様の深いお考えやご計画を理解することができません。
でも、そのようなとき、神様にすべてをお委ねするのです。そうすれば心は平安で満たされます。
それが、神様からの「祝福」なのです。
この世の中で生きている限り、「苦しみ」「悲しみ」「辛さ」などから完全に開放されることなど、そもそもあり得ないことです。
であるとすれば、「有限」の自分の弱さを神様の前に認めること、そして神様の最善を信じること、これこそが本当に「幸せ」に生きる秘訣なのです。


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袖触れ合うも他生の縁

2016.04.06日

「袖触れ合うも他生の縁」は仏教の教えで、「他生」とは仏教の思想である輪廻で「前世」、すなわち「今の世」に対して、この世に生まれてくる前の世界を指しています。
よく「多少の縁」と勘違いしている人がいますが、そうではありません。
上のことわざの意味は、
「袖が触れ合うようなちょっとしたことも、前世からの深い因縁によって起こるものである」
ということです。


キリスト教には輪廻の思想はありません。キリスト教では神の摂理、すなわち「神の深いご愛と知恵の中で立てられたご計画によってすべては最善に導かれる」といいます。


10年ほど前のことになりますが、送迎バスを塾の前の道路に停めて教室にいたとき、外で「ドーン!」という大きな音がしました。
「あっ、また事故だ」。
どういうわけか、教室の前ではこれまで何度も自動車同士の事故、自動車と自転車やバイク、歩行者の事故などが起こっています。
しばらくすると、以前アカデミーに来ていた人が教室に来て、
「先生、アカデミーのバスがよその車にぶつけられましたよ!」
と言ってきました。
びっくりして外に出てみると、バスの後部に乗用車がめり込んでいます。
幸い、運転していた人に怪我はなく、バスには誰も乗っていなかったので、ホッとしました。


さて、バスの修理の話になったとき、相手の方の保険会社の担当者が、どうか自分の知り合いの修理工場で修理をやらせてください、としきりに頼みました。
私はこれまでずっとディーラーで修理してもらっていたので、このときもディーラーでと思っていたので、あまり気は進まなかったのですが、「どうしても」と言われるのでその工場で修理してもらうことにしました。


ところがなんと、それ以来この10年間、車検も修理、整備も、タイヤ交換も、すべてこの修理工場、Tボディーでやってもらっているのです。それも3台の送迎バスと乗用車の5台全部を。
Tさんとはいつの間にかすっかり親しくなり、その後何度かジャズのライブショーや食事に招待していただいたりしています。
つい数日前も、送迎バス1台の調子がおかしくなり、電話したところ翌日一番に来て、すぐに修理してくださったのですが、このとき同時に他にも悪いところが2か所見つかり、一緒に直していただきました。


「袖触れ合うも他生の縁」は仏教用語ですが、キリスト教式に言うならば、神様のご計画のうちにTさんと巡り会うことになっていたということです。


皆さんもきっとそうだと思いますが、私の場合、妻との出会いもいくつもの偶然が重なってたまたま出会った、と普通の人だったら言うかもしれません。しかし、これは赤い「糸」ならぬ神の「意図」によって出会ったと言うほかありません。そして、私たちの間に生まれてきた3人の子どものことを思うとき、とくにそう感じます。
そのように考えてみると、人と人との出会いは、場所や時だけでなく、すべての状況がぴったり合わなければ起こり得ないことで、やはり背後で神の手が働いていたと言わざるを得ません。
これをすべて「偶然」と呼ぶほうが、よほど大きな信仰がいります。


有名な心理学者ユングは、この世の中のことはすべてがつながっていて、意味のない偶然はない、とまで言っています。
「他生の縁」どころか、永遠から永遠に、意味をもってつながっている、しかもただのつながりではなく、すべては私たちの最善のためにつながっているのです。ちょうど数日前の記事、「ホンマ、びっくりぽんや!」に書いたとおりです。
このように考えると、人生は俄然面白くなってきます。


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ホンマ、びっくりぽんや!

2016.04.03日

今年の流行語大賞になるのではない
かと思っている、NHK朝のテレビ小説『あさが来た』の中で主人公がよく言う「びっくりぽん」。
本当に何もかもびっくりぽんでした。


昨日が最終回で、これでもう毎朝「あさ」に会えないと思うとさびしくなります。
物語の主人公「あさ」のモデル、広岡浅子は一般の人にはこれまでほとんど知られていませんでしたが、このドラマのお陰で一躍脚光を浴びることになりました。それは、加島銀行や大同生命を創業した実業家、日本女子大学校(現日本女子大学)設立に尽力した教育者としての広岡浅子です。
しかし残念なのは、ドラマが尻切れトンボで終わっていて、彼女の人生の集大成とも言える晩年が描かれていなかったことです。


成瀬仁蔵から紹介された牧師・宮川経輝によると、様々な書物を読み好奇心旺盛な浅子でしたが、宗教について問われて十分に答えることができず、「これから謙遜な生徒となって宗教を学ばねばならない」と宮川に諭されます。「自分の知らない宗教を学ぶため」という、いかにも浅子らしい理由から、宮川に師事して宗教哲学、そして聖書を学ぶとともに、キリスト教への理解を深めることとなります。


そして軽井沢の三井三郎助別荘での避暑の最中、「霊的経験」をした浅子は、そこでキリスト教の信仰を確信し、1911(明治44年)12月25日のクリスマスに、宮川が牧師を務める大阪教会(大阪市西区)で洗礼を受けました。
彼女はそのいきさつを次のように語っています。
「私は長い間キリスト教には反対でこの宗教の悪口を云って60年の生涯を過ごしてきたのですが、今から思うと反対すると言うよりはむしろ知らなかったのです。しかるに61歳になって、色々の事を経営してみたがどうも物足らぬ思いがしました。後イエスの教えを聞き、その御足の下に真実ひざまずき謝したのです」
浅子は、もっと早くに信仰を持っておけばよかったと後悔していました。


61歳で洗礼を受けた浅子は日本キリスト教中央委員となり、遊郭の女性救出を始めとした社会活動を行いました。
また、御殿場二の岡の別荘で開催した夏期勉強会には、後に『赤毛のアン』の翻訳者となり、連続テレビ小説l『花子とアン』のヒロインのモデルとなった村岡花子も参加していたそうです。これにもびっくりぽん。


浅子の娘、亀子(ドラマの中では千代)に婿養子に来た恵三。
その恵三の妹、一柳満喜子はアメリカの大学に留学中キリスト教信仰を持ち洗礼を受けて帰国。
当時、兄恵三の自宅を設計していたのは、滋賀県近江八幡市の商業高校にアメリカのYMCAから英語教師として派遣されていたW.Mヴォーリズ(ドラマの中にも一度登場)。
ヴォーリズは大阪、京都、近江八幡市等に数多くの建築物を残しましたが、私もそのいくつかを見学させていただく機会に恵まれました(「素晴らしい出会い」「妹一家と猫たちをご紹介します」)。


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また満喜子はその英語力が買われて兄の自宅の設計の通訳を務め、そこでヴォーリズに見そめられて結婚します。
満喜子はその後、近江八幡市に幼稚園を興し、これが後の近江兄弟社学園(現ヴォーリズ学園)に発展するのですが、なんとその現在の学園長はロサンゼルスの教会で牧師をしていた道城献一師で、私を信仰に導き、洗礼を授けてくださった方です。
さらに、私の甥が来週からここの高校に通うことになっているのです。
なんという巡りあわせ!
これらすべてがひものようにしてつながっている「新超ひも理論」です。
神様の壮大なドラマのごくごく小さな一部にホンマ、びっくりぽんです。


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成功の8つの原則

2016.03.23日

「成功の8つの原則」なんて、あちらこちらでよく聞く言葉です。
8つでなくて、5つでも7つでもかまいません。
私もこれまでこのブログでいく度となく「成功の原則」のようなことを書いてきました。
人によって成功体験は異なりますから「成功の原則」も少しは変わりますが、だいたい似たり寄ったりです。なぜなら、「成功の原則」には真理があり、共通点があるからです。
そして、この8つの原則も例外ではありません。
しかし、この人が言うと、重みが違います。
なぜなら、およそ普通の人が考え得る限り、この人ほど「成功」という言葉からほど遠いところにいた人はいないのではないか、いったいどうしてこの人が「成功」という言葉を語るようになったのか、と不思議に思えるからです。


このブログでもこれまで何度もご紹介してきたニック・ブイチチさんが語る「成功の8つの原則」はこれです。



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不平を言うことは

2016.03.19日

"When you complain, you make yourself a victim. Leave the situation, change the situation, or accept it. All else is madness."
Eckhart Tolle - Author


「不平を言うと、あなたは自分自身を犠牲者にしている。状況をそのままにしておくか、変えるか、さもなければ受け入れろ。その他すべての行為は狂気だ」
エックハルト・トール、作家
(訳:舟田譲二)


この教えを説いたエックハルト・トールはうつ病を患っていて、不平を言いながら、暗い、辛い、苦しい人生を長年送っていました。
しかし、ある日彼は目覚め、うつ病から脱却しました。
その彼が自分の経験から上の言葉を語っているのです。だから、説得力があります。


不平・不満・文句を言いたくなるような状況にはだれでもしょっちゅう遭遇します。
でも、そのようなときには、トールの冒頭の言葉を思い出してください。
自分を犠牲者、すなわち悲劇の主人公のようにすることによって良い結果は何ひとつ生まれません。
なぜなら、不平を言うことによって、あなたはますますみじめになるばかりで、さらには周りの人まで不幸の道連れにするからです。


昨日、デボーションで読んでいた旧約聖書士師記15章に有名なサムソンの物語が出てきます。
絶体絶命の状況にあったサムソンには足元に転がっていたろばのあご骨しかありませんでした。一見何の役にも立たないような1個のあご骨。
しかし、彼はこんなものしかない、と不平を言わずにそれを拾い上げ、それを使って信じられないような大業を成し遂げます。
状況がたとえどのようであれ、「◯◯しかない」ではなく、「◯◯がある」、と見方を変えるなら、その◯◯はとてつもない素晴らしい道具にもなり得るのです。


あなたにできることは、状況をそのままにしておいて時が解決してくれるのを待つか、あるいは勇気を奮い起して状況を変えるよう働きかけるか、そうでなければ状況をありのまま受け入れるかのいずれかです。


ということで、今朝はこれから一昨日の記事「SOS 緊急事態発生!」に書いた、教え子の丈くんの結婚式の司式に向かいます。
皆さんのお祈りのお陰で、何とか声が出る状態にまで回復していただくことができました。
感謝いたします。
(不平は言いませんでした ^_^; 、はい)


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壮絶な最後の30時間

2016.03.18日

なんという壮絶な最後の30時間!
私もその場にいて、ご家族の方々と一緒にみんちゃんの手をさすり、最後の"I love you."という声を耳にしたかのように感じました。
読みながらずっと肩を震わせながら涙を流し、感動で胸がいっぱいになりました。


みんちゃん、本当にお疲れさまでした。
イエスさまのみ腕の中でゆっくりと安らいでくださいね。
そして、佐知さん、ご家族の皆さんも長い暗いトンネルでしたが、ようやく抜けて、明るい希望の世界に入ることができましたね。
主の豊かな癒しとお慰め、平安がありますように。


本文はこちらから。


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公園で神に出会う

2016.03.14日

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エイブは85歳という歳にもかかわらず、とても自立心の強い老人でした。
しかし、軽い発作を起こしてから息子は自分のところに引っ越してくるようにと言って聞きませんでした。


エイブは住んでいる古いアパートの近くにある公園に行けなくなってとてもさびしい思いをしていました。そこである土曜日、公園にきっと何かがあると思って彼はついに公園に出かけることにしました。


途中で道に迷ったエイブは、ティミーという名の少年に公園への道を尋ねました。
ティミーはエイブに、公園に連れて行ってあげたいけど、神様を探しているので時間がない、と答えました。
両親がなぜ離婚するのか、その理由をどうしても神様に尋ねたいのだと言いました。
「ひょっとしたら神様は公園にいるかもしれないよ。おじいさんも、神様に尋ねたいことがあるんだ。なんで神様は自分を役立たずな人間につくられたのか聞きたいんだよ」と、老人は答えました。


そこでふたりは一緒に神様を探しに行くことにしました。
公園に着くとティミーは両親の離婚のことで泣き始めました。エイブはティミーの顔を両手に包んで、彼の目をじっと見つめました。
「ティミー、なんでいやなことが起こるのか、おじいさんにもわからない。でも、その理由はお前のせいじゃないってことだけはわかる。お前はいい子だ。お前のお父さんもお母さんもお前のことが大好きだし、これからだってずっと愛してくれている。お前は絶対に大丈夫だよ」
ティミーはエイブをギュッと抱きしめて言いました。
「ありがとう。おじいさんに会えて本当によかった。ぼく、もうおうちに帰っても大丈夫」


通りの向かいからティミーのお母さんはふたりが抱き合っているのを見て、息子のところに駆け寄ってきて心配そうに尋ねました。
「今のおじいさんはだれ?」
「あの人はきっと神様だ」とティミーは答えました。
「えっ、あの人がそう言ったの?」
「ううん。でもおじいさんがぼくにさわって、大丈夫だよって言ってくれたとき、気持ちがすーっとしたんだ。そんなことできるの神様だけだよ」


エイブが家に戻ったとき、息子がきつい口調で尋ねました。
「いったいどこに行ってたんだ?」
「神様と公園にいたんだ」
「えっ、なんだって!? なんで神様と一緒にいたって思うんだ?」
「おれを必要としていた男の子を神様はおれんとこへ送ってくださって、男の子はおれを抱いてくれたんだ。おれはもう役立たずじゃないって神様が言ってくださっているように感じたんだよ」

(Whatwillmatter.comより)
(訳:舟田譲二)


神様は、私たちみんなを必要な存在としてつくってくださっています。
必要のない人などひとりもいません。


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思い通りにならない日は…

2016.03.13日

♩「朝の空を見上げて
今日という一日が
笑顔でいられるように
そっとお願いした

時には雨も降って
涙も溢れるけど
思い通りにならない日は
明日 頑張ろう」♩


NHKの朝ドラ『朝が来た』の主題歌の一部です。
人生、ホントにいろいろあって、この歌詞のように「時には雨も降って 涙も溢れるけど 思い通りにならない日は 明日 頑張ろう」の精神でやっていかないと、つぶれてしまいます。


「曲がり角の先には...」の中にも書きましたが、「人生は本当に『曲がり角』が次から次へと現れ、その先に『晴れ間』があるから面白いし、楽しい、そして生きがいがあるのです」。


結婚してからの2度目のアメリカでの留学生活には本当にいろいろな出来事がありました。そして、それはいつでもいいことばかりとは限りませんでした。


長男、直人の誕生の翌日、私はほぼ1日UCLAの大学病院に入院している妻を訪ねていました。
妻の労苦をねぎらい、直人に話しかけたり二人の写真を撮ったりしていました。
直人という名前は、詩篇11:7b 「直ぐな人は、御顔(みかお)を仰ぎ見る」から取りました。


夕方家に戻ると、なぜか玄関のドアが開いています。
普段いつでも裏の勝手口から出入りしていて玄関のドアなど開けることはまずありませんでした。
「なんでドアが開いているんだろう」と思いながら、車で裏まで行き、勝手口に向かいました。
すると、台所の窓ガラスが割れています。首をかしげながら勝手口のドアを開けて中に入ると、いつも鍵をかけている部屋に入るドアも開いているではありませんか。
中に入ると、リビングに置いてあったTVやラジカセ、そして寝室のタンスの引き出しが全部開いていて中が荒らされています。泥棒に入られたのです。
タンスの引き出しに入れてあった妻のネックレスやイヤリング、私のタイピンなどわずかな安物の「貴重品」(笑)が全部盗まれていました。


裏に住んでいる大家さんのNさんのところに行って、泥棒に入られたことを伝え、電話を借りて警察に届けました。
警官がパトカーでやってきたのは電話してから2時間ぐらいたってからです。
映画に出てきそうな、身長が190cmほどある大柄で、お腹も大きく出た、こんな感じのアフリカ系アメリカ人(黒人)の警官でした。


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泥棒なんてもう慣れっこという感じでニコニコしながら家の中に入ってきて、
"Hi! How're ya doin'?" (やあ、調子はどう?)
と言います。
"Oh, not too bad, but not too good, either."
(まあ、そんなに悪くはないけど、良くもないよ)
と答えると、警官はリビングの中に置いてあったさまざまな赤ちゃん用品を見るなり、
「おっ、赤ちゃんが生まれたんだ。男の子、女の子?」
と尋ねます。
私が男の子と答えると、
「名前は何てつけたの?」
「ナオト・デイヴィッド」。
するとこの警官、ポケットから葉巻を出して私に手渡し(これがお祝いの習慣)、
「ナオートゥ・デイヴィッド! オメデトウ!」。
(もちろん会話は全部英語でしたが)


一応、盗まれたもののリストを尋ね、私が言うものをノートに書き留めていきます。
「今、ここで盗難報告をして、犯人が捕まったり、品物が戻ってくる可能性はあるんですか?」
と尋ねると、
「いや、まずない。これは形だけのもの」
と笑いながら言います。


アメリカ人の大らかさに圧倒されました。
で、もちろん品物は出てこないままでした。
私はこの時、いつものように、積極思考に頭を切り替えて神様に祈りました。
「神様、感謝します。盗まれたものがほとんど価値のないものばかりで、唯一の高価なものであるカメラは病院に持っていっていたので盗まれずにすみました。ソファやテーブル、ベッド、タンスと中の衣類など、全部持っていかれなくて、生活が続けられますことを感謝します。それに神様、何を取られても直人が与えられたことを本当に感謝します。泥棒に入られましたが、私が泥棒でなくてよかったです。感謝します。
家の中にだれもいなくて危害を加えられることがなかったことを感謝します。盗まれたものはほとんど価値のないものですが、こんなものでもその泥棒さんの役に立つなら感謝します。願わくば、この泥棒さんもいつの日か、神様を信じ、このような行動を悔い改め、もっとまじめな生活を送ることができますように...」


考えてみれば、これらのこともみんな「千載一遇のチャンス」だと思われるようになり、盗まれたものなど全然気にならなくなるぐらい、心が平安になりました。
試練をすら喜びと感謝に変えてくださる神様のみ名を心より崇めました。


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またひとつ夢が実現しました!

2016.03.05日

嘘のような本当の話。
すごい夢が実現しました。
それも私の夢だけでなく、もうおひとりの夢も一緒に。


FBフレンドの中田ゆかりさんとメールをやり取りしていた2年前のある日、次のようなびっくりニュースが飛び込んできました。
「実は、神様に日本へ戻るように示されているような気がして、主人と祈ってまいりましたが、本当にそうなりそうです。 現在の職場は、心から神様を信じる教職員が多く、とても素晴らしいので離れがたいのですが、また子ども達も日本行きを嫌がっていたのですが、私達のこちらでの恩人(日系2世)の急な死を通して、私達に残されている時間があるうちに、神様に示されていることをしなければならないと、強く思わされました。 それで、驚かれるかも知れませんが、引越し先は平塚市です」


そして、ご一家は長年住まわれたブラジルを後にして2014年10月に日本に来られ、翌年1月にゆかりさんは双子の女の子をご出産されて、ちょうど1年ほど前に平塚に来られました。
ご夫妻との出会いを記した記事、「願いがひとつ実現」の中に、どのような経緯でご夫妻と知り合いになったかを記しました。
ゆかりさんは、私とよく似た経歴をお持ちで、これまでずっといろいろな場で教育に携わってこられました。そして、「神様が許されるなら、いつの日かぜひ舟田先生の塾で教えさせていただきたいです」、とお知り合いになった当初からおっしゃっていたのですが、それがなんと昨日実現したのです。
ふたりとも感慨深くそのことを思い出し、神様の奇跡に御名を崇めました。


昨日、ゆかりさんがアカデミーで新任の先生としてデビューされました。
受け持ってくださったのは「わくわく発見クラブ」という、ゆかりさんにまさにピッタリのとてもユニークなクラスです。
今春中学1年生のご長男、小学6年生のご次男、小学3年生のご長女、そして1歳1か月の双子の赤ちゃん、と5人のお子さんを育てていらっしゃる子育ての超ベテラン。
小学低学年と高学年の2つのクラスで見せられた子どもたちとの接し方はまさにプロ中のプロ。
クエン酸、重曹、酢を使った化学の実験が終わったときの子どもたちの表情は生き生きしていました。


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恋は盲目?

2016.02.24日

英語のことわざに次のようなものがあります。
"Keep your eyes wide open before marriage and half shut afterwards."
「結婚前は両目を大きく見開き、結婚してからは片目を閉じよ」


なるほど、確かに結婚前というのは相手のいいところばかりが見えて、結婚後はこんなはずじゃなかったなどと、悪い面が目につくというのはよくある話です。


昔、もう30年以上も前のことですが、英会話を教えていたとき、大手の商事会社を定年退職した方が通っていらっしゃっていました。
年齢は60歳をちょっと過ぎたころ。今の私よりもずっと若かったのですが、見た目はもう70歳ぐらいの感じ。
何十年と空手をやっていらっしゃってお体は健康そのもの。商事会社では英語を使ってお仕事をしていらっしゃったので、とても積極的で結構話せました。でも自己流の英語で、発音も文法もまったくデタラメでした。


あるとき、ご自分の家でクラスを開きたいと申し出てくださって、私と一緒にこの英会話のクラスの仲間たちをご招待してくださり、お茶やデザートをご馳走してくださいました。
見ているとすぐ横に奥様がいらっしゃるのですが、私たちとは一切言葉を交わされません。それどころか、ご主人ともひと言も会話がないのです。
ところがどうしたことか、家の中で飼っている犬とは、ご夫妻ともによく会話をしていらっしゃいます。
犬が夫婦の間に入って、行ったり来たりして夫婦の間を取り持っているような感じでした。


これまでにもこのようなカップルを何度か見たことがあります。
おそらくは、冒頭のことわざの真逆で、結婚前は片目をつぶり、結婚後は両目をしっかり見開いて相手の悪いところばかりを見て、心の中で批判していらっしゃるのでしょう。
"Love is blind."
「恋は盲目」
ということわざもあるように、恋をしている間は相手のいいところばかりを見て、欠点は見えないのです。


ところで、神様はどうかというと、私たちのことを隅から隅まですべてご存じの上で、私たちをありのまま受け入れ、愛してくださっています。それこそ、両目をしっかり見開いてよくご覧になっていらっしゃるのです。
私たちが自分でも嫌になるようなところもすべてそのまま受け入れてくださっています。これが神様の無条件の愛です。


私たちも神様に見倣ってと言うと少し大げさですが、結婚してからも両目を見開いて相手をありのまま、しっかり見ればいいと思います。片目をつぶって見て見ぬふりをするのではなく、むしろ、相手のいいところをもっと一生懸命探すように努めるのです。片目をつぶるからかえっていい面が見えなくなるのではないでしょうか。
私の尊敬するJohn MacArthur (ジョン・マッカーサー)牧師が説教の中で言っていました。
「私は罪人(つみびと)だ。ただ自分が罪人であるだけではない。さらに、罪人である妻と結婚もしている」。
もともと罪人で自己中心、自分勝手なのが人間ですから、欠点があるのは当たり前のことです。
自分がそうであるように相手も同じなのだ、と受け入れる、ここが肝要です。自分が不完全なのに相手に完全を求めること自体が間違っています。


ですから、私は敢えて、
「結婚前は両目を見開いて相手を見よ。結婚してからはさらに大きく目を開いて相手をしっかり見て長所を探し、それに感謝せよ」
と言いたいのです。
感謝できることを探し始めると、不思議なほど次から次へと見つかるものです。
これこそが見せかけでない、本物の夫婦愛です。
下の写真は「自分には◯◯できない」の中でご紹介した先天性四肢切断症のニック・ブイチチさんご夫妻です。
今もお幸せに結婚生活を続けていらっしゃり、2年前にはお子さんも与えられました。
お互いに両目をしっかり見開き、相手を見つめ、受け入れ、愛し、支え合っていらっしゃいます。


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ルズはベテルである

2016.02.19日

毎朝読んでいる故榎本保郎牧師の『旧約聖書一日一章』。
すでに『旧約』『新約』ともに何度も繰り返し読んでいるのですが、読むたびに新しい気づきが与えられ、ハッとすることがたくさんあります。
敬愛する榎本先生とは波長が合うのか、いつも読むたびにビビビーっと魂にきます。
「ルズはベテルである」という短い一文から、筆者は深く掘り起こしています。
今朝、読んだ箇所から短くシェアさせていただきます。


聖書の中にルズという地名がときどき出てくる。私たちがこの地名を聞いたとき思い出すのは、あのヤコブ物語に出てくる場面である。
自らの不真実のゆえに兄エサウのうらみを受け、父母のもとを離れてひとり旅するヤコブにとって、ルズの野宿はまことに寂寞(せきばく)たるものであったにちがいない。

(中略)


十年ほど前のことであったと思うが、ロンドンで一人の老人が墓場で自殺をしたことがあった。この人は金持ちで何不自由なく生活していたそうであるが、死後発見された日記には、「きょうもだれも声をかけてくれなかった」という言葉が毎日のように記されていたとのことであった。だれからも声をかけられない、というさびしさが、この人を自殺に追いやったのである。生きる意欲をなくさせたのである。


しかし、このことは老人だけにかぎられたことではない。人間はだれでも友を求め、相手を必要とするものである。「人間」とは「人の間に生きるもの」という意味である、と説いていた人がいたが、まさにそのとおりである。しかし、私は多くの人たちの間にいて孤独をいやというほど味わうことがある。みんなが楽しそうにしているとかえって自分だけがみじめな存在のように思われて、ひとりぼっちのさびしさをかみしめることがある。このことは私だけでなないのではなかろうか。その意味でルズは決して一定の場所でもなく、だれかのおかれている所でもない。実はみんなルズに生きているのである。ある者はそれに気づかずに生きているだけである。


ヤコブはこのさびしいルズにおいて神の語りかけを聞いた。彼を愛し、彼と共にいたもう神の約束の言葉を聞いたのである。孤独の中でともなってくださる神を知ったのである。そこで彼は朝早く起きて、まくらとしていた石を取り、それを立てて柱とし、その頂に油を注いで、その所の名をベテルと名づけた。ベテルとは神の家という意味である。ここが神の家であり、これが天の門であるということを知らされた彼が喜びにあふれてこの名をつけたのである。
(中略)


われらもまた、今日の時代、人間喪失などと言われている時代に向かって、「ルズはベテルである」と宣べ伝えるべきである。この声をこそ今日の人々は待ち望んでいるのではなかろうか。


40年も前に書かれた本ですが、今の時代もなんら変わることありません。
いえ、人間の本質が永遠に変わらないように、ひとりでこの世に生まれ、ひとりで死んでいくという、本来孤独な人生を歩む私たちは、心の真ん中にぽっかりと空いた穴があり、その穴をふさいでもらいたいという欲求があります。
それが、ひとつには友であり、また家族ですが、たとえ友達や家族、仲間に囲まれて、わいわい賑やかに、幸せそうに生きていても、人はやはり孤独です。その穴をうめることができるのは、神様だけです。
神様が共にいてくださることを知って初めて、人は心に真の平安を得ることができ、「ここはベテルだ」と言うことができるようになるのです。


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1+無限大=無限

2016.02.16日

今日はいよいよ県立高校の入試日。
昨日も大勢の中3生が塾にやってきて、最後の総仕上げに余念がありませんでした。


教室の入口横には、中3生を指導してきた先生たちからのメッセージが書かれた紙が三日ほど前から貼ってありました。
「緊張してもいい。怖くてもいい。でも、どうってことはない。真っ直ぐ立って、深呼吸して、いつもどおりにやってきてください」
「問題文をしっかり読んで、焦らず、丁寧に取り組もう。本番は"練習"。思いっきり実力を出し切ってくださいね」
「いよいよ本番です。国語ではかなりの問題を解いています。自信を持って!」
「やるべきことはやってきました。悔いのないよう全力を尽くしてください」
「意志のあるところに道は開ける。自分が合格するイメージを持って。あとはやるだけです」


それぞれの先生が自らの体験を踏まえて贈った受験生への愛のメッセージです。


昨日の朝、デボーションのとき読んでいた、私の敬愛する故榎本保郎牧師の『旧約聖書一日一章』のところに、次のような言葉がありました。
「百プラス無限大も、一プラス無限大もその結果は同じである」。
これまでに何度も読んだ言葉なのですが、私自身が今置かれている状況と併せて、翌日受験に臨む中3生のことを考えていたとき、この言葉がグサッと胸に突き刺さりました。


「自分は弱い」「不安だ」「怖い」「緊張する」「もし落ちたらどうしよう」等など、受験生ならだれでも感じるこれらの気持ちはある意味当然のことです。多くの生徒にとっては、15歳で経験する人生最初の試練(?)でしょう。
でも、心配ご無用。これからの長い人生、必ずこれよりもっともっと大きい試練を何度も何度も経験することになります。あとになって振り返れば、この高校受験という試練などは、本当に小さいもの。人生の一通過点に過ぎません。


このようなとき、どうしても人と比べて不安になりがちなものですが、みんな五十歩百歩。さほど違いはありません。
いえ、五十歩百歩ではなく、ひょっとしたら人が「百」に見えて、自分が小さな小さな「一」に見えるかもしれません。
でも、背後で祈ってくれている家族や先生たち、そして後押ししてくれている神様の力は無限に等しいもので、「百プラス無限大も、一プラス無限大もその結果は同じ」です。
無限の力を信じて、勇気を持って出て行ってください。
これまでずっと毎日毎日、一人ひとりの生徒の名前を挙げて祈ってきました。
大丈夫。無限大の力がバックにありますから。
みんなの笑顔の報告を信じて、楽しみに待っていますよ。


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持っている人、持っていない人

2016.02.10日
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For whosoever hath, to him shall be given, and he shall have more abundance: but whosoever hath not, from him shall be taken away even that he hath.
(King James Version)
というのは、持っている人には与えられ、ますます豊かになるが、持っていない人からは、持っているものさえも取り上げられるだろう。
(マタイによる福音書 13:12)
(私訳:舟田 譲二)


上の欽定訳と言われる King James Version はイングランド王ジェームズ1世の命令によって翻訳された1611年刊行の聖書で、とても格調高く、今日でもこの訳を好んで用いている人たちは大勢います。
雰囲気としては、下の文語訳、あるいは文語訳の前に刊行された元訳が欽定訳にとても近いです。
それ誰(たれ)にても、有(も)てる人は與(あた)へられて愈々(ますます)豐(ゆたか)ならん。されど有たぬ人は、その有てる物をも取らるべし
(文語訳)
それ有(もて)る者ハ(は)予(あたへ)られてなほ餘(あまり)あり無有(もたぬ)者ハその有(もて)る物をも奪(とら)るる也(なり)
(元訳)


さて、この言葉が言わんとしているのは、「誰でも、たとえどんなことでも、持っている人はそれがますます与えられるけど、持っていない人からは持っているものまでも取られてしまう」という、今日の考え方からすると一見不公平に思えるようなことです。
でもこれは事実です。


もっとわかりやすい身近な例を挙げると、たとえば:
頭のいい人は勉強するのでますます頭が良くなるが、勉強しない人はますます勉強ができなくなる
運動する人はますます運動能力が高められるが、しない人はどんどん運動できなくなる
毎日歩いて(ジョギングして)いる人は面白くなってますます歩く(ジョギングする)が、しない人はできなくなる
本を読む人はますます読むので、本から学び成長するが、読まない人はますます読めなくなり成長しなくなる
絵を描く(字を書く)のが好きな人はたくさん描く(書く)のでますます絵(字)がうまくなるが、描かない(書かない)人はますます描かなく(書かなく)なり下手になる
音楽が好きな人は楽器を演奏したり、歌を歌ったりするのでますますうまくなるが、そうでない人はまったくできなくなる
健康な人は食事・運動・休息などバランスのとれた健康法に気をつけるのでますます健康になるが、そうでない人は健康に留意しないのでますます不健康になる
金持ちはお金の価値を知っていて正しく管理し、うまく活用・運用するが、そうでない人はますます貧しくなる
美しい人は美容に気をつけるのでますます美しくなるが、そうでない人はますます◯◯(ごめんなさい)になる
仲のいい人たちは関係を大切にするのでますます仲良くなるが、仲たがいしている人はますます仲が悪くなる(愛情も憎しみも倍加される)
人と交わるのが好きな人は社交の場にどんどん出ていくのでますます社交的になるが、そうでない人はますます非社交的になりやがて友人がいなくなる


等々、いくらでも挙げることができます。
ちょっと厳しいようですが、これは公平、不公平の問題ではなく、私たちの選択という意志の問題です。
自分の将来を考えて、良い方に時間や労力や財を投資するならそれはますます豊かになって戻ってきますが、それをしなければ当然のことながらますます乏しくなり、それこそ持っているものまで取り上げられ、なくなってしまいます。
ですから古今東西、偉人と呼ばれる人たちはみんな口をそろえて目標の設定とその実行の大切さを訴えているのです。


あなたはどちらを望みますか?
望むことに対してどのような行動を起こしますか?


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忍耐とは

2016.02.03日

"Perseverance is not a long race; it is many short races one after another."
--Walter Elliot
「忍耐とは長いレースではない。次から次へと続く短いたくさんのレースのことだ」
−ウォルター・エリオット

(訳 : 舟田譲二)


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ウォルター・エリオットは日本ではほとんど知られていませんが、1888-1958のスコットランドの政治家です。
31歳の時に結婚し、新婚旅行で山登りをしていて事故で奥さんを亡くしたというまことに気の毒な方です。


彼の口から出た冒頭の言葉はきっとこの経験も含め、おそらく政治家としても苦労や忍耐が続き、そのような中で生まれたものでしょう。
そう考えると、とても重みを感じます。


普通「忍耐」と言うと、長く続く苦しい、辛い、悲しい経験と思うものです。
しかし、これまでの人生を私自身振り返ってみると、一つひとつの辛い経験はそれほど長くは続いていなかったように思います。
むしろ、ウォルター・エリオットの言うように、「次から次へと続く短いたくさんのレース」という方が当っているような気がします。
皆さんはいかがですか?


ということは言い換えると、私たち人間は誰ひとり例外なく、愛する連れ合いや子ども、親や兄弟、親しい友人やペットなどとの別れを始め、人間関係や事業での失敗や健康不良等など、数え上げれば切りがないほどの試練に出会いますが、それらは長い間いつまでも私たちを苦しめ、悲しめるものではなく、必ず逃がれの道や癒しの道も備えられているということです。
そうでなければ、私たち人間は誰ひとりとして70年、80年もの長い年月を忍耐して生き抜くことはできないことでしょう。
この配慮も神様の憐みと智慧によるものではないでしょうか。


『氷点』の著者で有名な三浦綾子さんは、生涯ずっとさまざまな病気との闘いの連続でした。しかし、ご本人の口を通して出てきた言葉は、
「私はよっぽど神様にえこひいきされているんだ」
で、いつも神様のご愛を身近に感じていらっしゃったとそうです。


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あなたが人生の主人公

2016.01.27日
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昨日の記事「大感動の純愛物語」は、私が大変感動したように、多くの方々の感動を呼びました。
お二人はまったく別のところで別の人生を歩んでこられましたが、世間でよく言うところの「運命のいたずら」(クリスチャンは「神様のご摂理」と言いますが)で、偶然(クリスチャン流には「神様のお導き」によって)出会い、そしてお互い愛し合うようになり、自らの生涯をこの人に捧げようと、ご結婚の決意をされました。
お二人は、もうこれ以上の幸せはない、というほどの幸せ感を今、思う存分味わっていらっしゃいます。
本当に素晴らしいことです。
私は陰ながら、お二人をこれからもずっと祈って応援していきたいと思っています。


しかし一方では、悲恋のどん底で苦しんでいらっしゃる方もあります。
『フランダースの犬』の主人公ネロは、小説の中の世界とは言え、悲劇の主人公でした。
幸せな人もいれば、不幸な人もいる。こんなのは不公平だ、と言う人もいます。
でも現実を見れば、世の中不公平なことだらけです。豊かな国や家庭に生まれて何ひとつ不自由なく、幸せな人生を送っているように見える人もいれば、逆に貧しい環境、日々の生活にも困る境遇で生まれ育ったり、食物がなくて栄養失調で幼くして命を落としていく子どもたちも世界には大勢います。


「不公平だ」と言う人に対して、「いったいどこの誰が、世の中、みんなが公平であるべきだと言ったか?」と言った人がいました。
実際のところ、みんなが等しくハッピー、ハッピーなんてことはあり得ません。
人間がいかに理想社会を求め、努力したところで完全な「公平」などはあり得ません。
ひとつには、人には罪の性質があり、人を騙してお金を取ったり、人の命を奪ったりする者がいる。ということは、その犠牲者もいる、ということで、これほど不公平なことはありませんが、これが現実です。


このような不公平な中でも、一人ひとりがある意味、人生の主人公なのです。
問題は、あなた自身が自分の人生に意味を見いだせるか否かです。そもそも、生まれてから死ぬまで、問題が何ひとつない幸せな人生を歩める人など誰ひとりとしていません。


この世の人生だけに目を向け、ハッピーエンドにのみ価値観を置いていたなら、人生は矛盾だらけ、不公平なことだらけですし、私たちの力で完全な理想を実現することなど不可能です。
でも、聖書にあるように、「わたしたちの国籍は天にある」(ピリピ3:12)と、地上での人生を超えた永遠の世界に目を向けるなら、この世での不公平は天国において是正され、大いに報いられることを私たちは知ります。
実際、これ以外に死を始めとする人生における諸問題の真の解決の道はありません。


このように見るなら、私たちはみんな一人ひとり、「自分」という人生の一大ドラマの主人公であるということがわかり、人生の生き方も大きく変わってくるのではないかと思います。


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釘を打ちつけ、そして引き抜く

2016.01.24日
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娘がほかの子どもに対していじわるなことを言って傷つけたことを責められたとき、娘はすぐに謝りたいと泣いて言ってきました。
それはそれでいいことなのですが、謝ればいつでも問題が解決するわけではないということを、私は娘に学んでもらいたいと思いました。


そこで、2年前に9歳のウィルという少年の父親が母親を捨てた話を娘にしました。
ウィルは、怒ってよく他の子にひどい言葉を浴びせかけていました。
彼は一度は母親に、「お父さんがお母さんを捨てたわけがわかるよ」とまで言いました。
ウィルのひどい言葉に耐えられなくなったお母さんはその夏、ウィルをおじいちゃんとおばあちゃんのところにやりました。


ウィルが自分をコントロールできるようにするためにおじいさんが考えた戦略は、彼がいじわるなことや人を不快にさせるようなことを言うたびに、ガレージに行って10センチ角の板に5センチの釘を打ちつけさせることでした。
小さな子どもにとって、これはとても骨の折れる仕事でした。でもおじいさんは、釘が板を打ち貫くまではウィルを戻ってこさせませんでした。
ガレージに10回ぐらい行ったところで、ウィルは自分の言う言葉にこれまで以上に気をつけるようになってきていました。
とうとう、彼は自分の言ったことに対して謝るようにさえなりました。


おばあさんが介入してきたのはそのときのことです。
おばあさんはウィルに釘をいっぱい打ちつけた板を持ってこさせ、その釘を全部引き抜くように言いました。
これは釘を打ちつけるよりもずっと大変な作業でした。でも、苦労したあげく、彼は釘を全部引き抜きました。
おばあさんはウィルを抱きしめて言いました。
「おばあちゃんはお前が謝ってくれて、もちろん嬉しいよ。おばあちゃんはお前を愛しているから許してあげる。でも、謝るというのはちょうど打ちつけた釘の1本を抜くのと同じようなことだということを知ってもらいたいの。
ほら、この板を見てごらん。穴が開いたままでしょ。板は元には戻らないのよ。
お前のお父さんがお前の心に穴を開けたことはよくわかっているわ。でも、どうかほかの人の心にまで穴を開けないでおくれ。お前はそんなちっぽけな人間じゃないでしょう」


4年生のクラスを受け持つひとりの先生が、つい最近私に言ってくれました。彼女は新学期の初めに生徒たちにこの話をし、そして1年をとおしてこの話を繰り返し聞かせたというのです。
生徒がいじわるなことを言ったりしたりすると、彼女はその生徒に尋ねました。
「あなたはだれかに釘を打ちつけたの?それからその釘を引き抜いたの?」


生徒たちは先生が何を言わんとしているのかちゃんと理解していて、また自分たちのしたことが間違っていたということをみんな認めていたそうです。もし、先生が生徒に「何をしたの?」と尋ねていたなら、みんなほかの子のせいにして互いに責め合うことを繰り返していたでしょう。
また、謝られた生徒たちが考えもせずに「いいよ」と言ってはいけないと、先生は生徒たちに教えました。なぜなら、自分の身にされたことは決して「良くない」し、たとえ口で「いいよ」と言っていても、心の中では当然のことながら「いい」とは思っていないからです。
そこで、先生はクラスの生徒たちに、「いいよ」と言う代わりに、「謝ってくれてありがとう」とか「許してあげるよ」と言うことを教えました。


先生はまた、教室の外で起きる家族間の難しい問題を生徒に理解させるためにもこの話を使いました。
彼女は言いました。「子どもの心に打ちつけた釘を一生引き抜かない大人もいるわ。でも、他の人に自分の人生を支配させないで、自分の力で人生を生きていくために、打たれた釘を自分で抜く力は誰にもあるのよ」と。
先生は私に言いました。「この話は単純明快です。でも、伝えているメッセージは強烈です。とくに、『あなたはそんなちっぽけな人間じゃないでしょう!』という言葉をあとに続けると。
とどのつまり、人の品性がものを言うのです。


マイケル・ジョゼフソン(キリスト教牧師)
(訳:舟田譲二)


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感謝のご報告

2016.01.22日

1年半前に脳波の検査を東京の病院で受けました(「死後の世界はあるのか?」)。
その時、仲良くなった検査技師の方に撮っていただいた記念写真がこれです。


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きっといい結果が出るだろうと高をくくって笑顔でいたのですが、「行きはよいよい、帰りは...」で、検査の結果は脳波に異常が認められ、なんとてんかんと診断されました。
しかし、私はこのとき、必ず癒されると信じ、自分にできることはなんでもやってきました(「『若さ』と『馬鹿さ』が取り柄」)。


そして、先週別の大学病院で再び受けた脳波とMRI、血液検査の結果が一昨日出ました。
果たして結果は...
「すべて異常なし!」


6年ほど前には突発性難聴になり1週間入院しました。同病で入院していた人はだれも治らなかったのに私だけが奇跡的に癒されました。
病院の屋上を祈りながら歩いていたとき、
「ゆけ、汝の信ずるごとく汝になれ」(マタイ8:13)
というみ言葉によって必ず癒されるという信仰が与えられました。


これまで5年余り不調だった身体が、1年少し前の2014年12月の末に、突然好転しました。
まだ去年1年間は多少の波がありましたが、最近は本当に好調で、気持ち悪くなったり、これまで毎日のように苦しんでいた首肩、腰の痛みもほとんどありません。
仕事の方も少しずつですが、負担にならない程度にやっています。


皆様のお祈りに心から感謝いたしますとともに、ご報告させていただきます。


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幸せはすぐそこにある?

2016.01.20日

多くの人にとって、幸せとはすぐそこにあるものです。
卒業証書や仕事、昇進、昇給。ただこれさえあれば幸せになれるのです。
ひょっとしたら結婚を、あるいは子どもができるのを待っているのかもしれません。
または定年退職したら幸せになれると思っています。


アルフレッド D’スーザは語っています。
「人生はもうすぐ始まると私は長い間思っていました。
でも、いつもなんらかの障害になるものがありました。まずやっておかなければならないことがあったり、まだやり終えていない仕事があったり、働かなければならない期間が残っていたり、あるいは返済しなければならない借金があったりとか。
これらが片付けば自分の人生は始まると思っていました。
しかし、これらの障害こそが自分の人生なんだとようやく気づき始めました」


ジョン・レノンは次のような別の言い方をしました。「人生なんて、ほかの計画を立てている間に起こるものさ」
つまり、私たちの人生とは今、現在起こっているものなのです。
自分が望む満足感や充足感を得ようとするならば、私たちは身に起こること、また周囲で起こることすべてのうちに喜びや楽しみを見出すことを学ばなければなりません。というのは、これらの経験こそがまさに私たちの人生そのものだからです。


人生とは目的地ではなく、旅のようなものだということに気づくならば、私たちはもっとも多くのものを人生から得ることができるのです。
ですから、もし自分のしたいことがあったなら、それをしようがしまいが関係なく、自分は幸せになれるのだという事実に気づき、自らをそれに合わせることを今始めるのです。


幸せはすぐそこにあるのではありません。今すでにあるか、それとも決してやってこないかのどちらかです。
幸いなことに、あなたは幸せになるために必要なものはすべて持っています。
哲学者、詩人、科学者などはみんな口をそろえて言っています。幸せは、お金や名声や権力によっては手に入れられないと。
幸せとは、事実ではなく、心の持ちようなのです。
あなたに必要なものは楽観と感謝の心です。


マイケル・ジョゼフソン(キリスト教牧師)
(訳:舟田譲二)


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小さな奇跡

2016.01.18日

昨日の平塚見附キリスト教会での柿谷正期牧師のメッセージは、ヨハネの福音書2:1-11から「小さな奇跡」と題してなされました。
これは、ガリラヤのカナという町で行われた婚礼の席で、招かれていたイエスさまが、水をぶどう酒に変えるという最初の奇跡をなさったことが記されている箇所です。
以下にメッセージの概要をご紹介させていただきます。
感動に身を震わせながら聴いたメッセージです。


水をぶどう酒に変えるというのは、比較的小さな奇跡です。なぜなら普通だったらぶどう酒ができるのにかかる自然のプロセスを早められただけだからです。
この時、水をぶどう酒に変えたこの奇跡を知っていたのは、イエスさまの母マリヤと、水をくんでかめに入れた僕たちだけでした。
私たちの人生においても奇跡はたくさん起きていますが、それに気づいている人と気づかない人がいます。


戦後間もないころ、ひとりの婦人が離婚し、荷物を郷里の広島に送ったところ途中で紛失してしまいました。
この婦人、時枝スミ子さんは、山陽地方の広島に送ったのが山陰地方と間違えられて、島根県に送られたらしいことを知り、荷物の行方を追って山奥の小さな沢谷村にやってきました。
結局そこでも荷物は見つからずじまいで、途方に暮れていたとき、役場の人に声をかけられました。
「あなたは何かお仕事をしていらっしゃいますか?」
「私は看護婦ですが、今は何もしていません」
「そうですか。実は、この村では看護婦が必要なのですが、ここで働いてくださいませんか?」
というような次第で、時枝さんはこの村で保健婦として働くことになりました。


時枝さんは熱心なクリスチャンでした。
仕事をしながら、自宅でイエスさまのことを人々に伝えていらっしゃいました。
そのような中で、ひとりの青年が集会に集うようになり、やがて信仰に導かれ、第1号の受洗者となります。
酒飲みで、「のんべえの虎さん」として知られていた高橋虎夫青年はやがてすっかり生まれ変わり、その変わりようを見た人たちが大勢教会に集まるようになりました。
やがて高橋青年は献身して神学校へ行き、卒業後牧師となって郷里に戻ってきました。
その教会の土曜学校に足を運んだのが柿谷牧師の妹さんでした。
そして、妹さんに誘われ柿谷牧師も教会に通い始め、信仰を持つに至るのです。


これら一連の流れは、すべて一見「偶然」起こった出来事のように思われますが、実はすべて遠大な神様のご計画によることでした。
小さな奇跡の連続が多くの人の人生を変えていったのです。


この話を聞いていて、私も不思議な神様の御手の導きを感じずにはいれませんでした。
柿谷先生との出会いも実に不思議な、いろいろな巡りあわせの結果のものでした。
さらに、上のようなことはまったく知らないまま、私が行った神戸の関西聖書神学校は、まさにこの宣教の流れを継いでいたところで、かつて高橋虎夫先生が学ばれた神学校した。
神学校在学中、通訳の奉仕で遣わされた岡山の香登教会は、高橋先生が当時牧会していらっしゃった教会で、この時初めて先生にお会いしました。


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また、私が関西聖書神学校で学んだ小島伊助先生(「金色夜叉」)や本田弘慈先生(「生まれ変わり」)始め先生方の多くが、沢谷村の教会開拓に関わっていらっしゃったことを私はのちに『十字架は丘の上に ある看護婦の献身の生涯』によって知るのです。


そして、さらにこの神学校で、奇跡的な出会いをした女性がのちの妻となったのです(「アメリカから日本へ」「母が残してくれた最高のプレゼント」)が、これらのうちどれひとつでも欠けていても、タイミングがずれていても、今日の私はありませんでした。
そして、これも私がこのブログでよく言う「新超ひも理論」なのです。


私たちの人生には、このような「小さな奇跡」が数えきれないほど起こっているのですが、それに気づいているかどうか、それが神様のお取り計らいだと受け止めるかどうかで、人生の意味は大きく変わってきます。


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衷心よりお詫びいたします

2016.01.10日

去る8日の拙ブログ記事、「イエス・キリストの奇跡とは」の冒頭に、アメリカのドッキリカメラの動画を載せました。
これをご覧になったほとんどの方(クリスチャンの方を含め)からは、「爆笑した」といった好意的なコメントをいただきました。
ドッキリカメラを載せた目的は、ただ単に面白いからということではなく、あくまでもその後に続く本文に書きましたように、聖書に記されているイエス・キリストの奇跡はこのような類のトリックではない、ということを弁証論的に証明することにありました。


しかし、このブログをご覧になった方のおひとりから、このドッキリカメラの動画はイエスさまを愚弄するもので不快だ、というご指摘をいただきました。
私の意図するところをご理解いただきたく、本文をお読みいただくようお願いしたのですが、削除すべきだ、と強く主張されました。


この問題で私は昨日一日悩み、敬愛する私のメンターにご相談しましたところ、次のようなお返事をいただきました。
「少しでも不快感を与えるかもしれない素材は、できるだけ用いないのが賢明ではないでしょうか。ただ、事前にそのことに全く思いが至らないことがある、というのが人間の思いの至らなさですから、そのような素材を使ってみようと思われたときは、一度自分の思いを離れて、全く別のように取られる可能性はないかを他者の立場で想像してみることで、同じ失敗はかなり防げるのでは、と思います」
確かに、自分の意図したことがなんであったにせよ、別の捉えられ方をしたということで、自分の考えが至らなかったことに気づき、心よりその方を始め、同様に不快に感じられた方がいらっしゃいましたなら、本当に申し訳なく、お詫びしたいと思いました。


改めて衷心よりお詫びいたします。
これにより、上の記事からは動画の部分を削除し、本文を一部修正しましたので、皆様のご理解をいただきたいと思います。
今後とも、至らないところがありましたら、どうぞご遠慮なくご指摘くださいますようお願いいたします。


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恥ずかしい想い出

2016.01.09日

昨日は、久しぶりに結構歩いてきました。
大晦日に10.5km、元日に9.3kmウォーキングしてきたのですが、その後はまたしばらく出かけることがありませんでした。
でも、今年の目標として具体的に書いた中に「毎日ウォーキングする」というのがあり、昨日は実行することにしたのです。
家を出てから戻ってくるまで3時間。でも途中で寄り道をしたので、歩いた距離は14.5kmでした。


いつものコースで、家から金目川サイクリングロードコース沿いに海の方に向かって歩きました。
海岸のすぐそばにFBでつながったお友達の中田さんご一家がお住まいです。
一昨年の11月に初めて平塚駅でお会いしました。
ブラジルにお住まいだったのですが、平塚の神学校に来ることを決意し、一昨年ご家族で引き上げて日本に引っ越してこられたのです。その時の経緯を書いたのが、「願いがひとつ実現」です。
この時、奥様のゆかりさんはとても大きなお腹をしていらっしゃったのですが、1年前の1月28日に双子の女の子をご出産されました。
上に3人の小学生のお子さんがいらっしゃるのですが、小5のご次男のささぐくんと小2のご長女のさきちゃんが去年の夏にアカデミーに体験に来られ、小6のご長男のあおぐくんはこの時から入塾してくださっています。


つい4日ほど前のFBのタイムラインに双子の赤ちゃんが熱を出して、ひとりは気管支炎になって入院すると書いてあったので、毎日祈っていましたが、ちょうどいい機会なので散歩の途中、ちょっとお寄りすることにしました。
すると、ご主人が入院していたというみゆちゃんを抱いて玄関に出てこられ、ちょうど退院して帰ってきたところだとのこと。このグッドニュースを聞いてとても嬉しくなりました。
しばらくすると、さきちゃんがあゆちゃんを抱いてこられました。小学2年生なのに、よく子守をしてとってもいいお姉ちゃんぶりを発揮しています。
みゆちゃん、あゆちゃんはさすがは双子。鏡に映したようで、本当にそっくり。見分けがつきません。


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(中田ゆかりさんのFBより、許可を得て転載)


その可愛いこと。
ご主人の実さんが抱いているみゆちゃんにチュッとキスをしていらっしゃるのを羨ましそうに見ていたら、「抱っこしますか?」と尋ねられ、念願かなって抱っこさせていただきました。
ところが、知らないおじさんに急に抱っこされて不安になったみゆちゃんは泣き出し、すぐにお父さんの腕の中に。キスは我が孫までお預けです。
夏に体験に来たささぐくんも元気な顔を見せてくれました。
しばらく玄関で立ち話して、私は大磯海岸に向けて出発。


海岸を歩いていると、見事な夕焼け。箱根連山が美しいシルエットになって浮き上がっていました。
(富士山はこのすぐ右にあります)


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さらに歩いて、大磯漁港に到着。
昼間働いていた船が静かに休んでいました。


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帰り道、辺りはすっかり暗くなって、小路の足元も見えないほど。


oisowalk3.JPG


歩きながらちょっと怖くなってきて、変な人がついてきていないか何度も振り返って確かめていたのですが、不安を振り払おうと賛美歌を歌うことにしました。


♪主 我を愛す 主は強ければ
我 弱くとも 恐れはあらじ
我が主イェス、我が主イェス、
我が主イェス、我を愛す♪


歌っていた時、今から38年ほど前の光景をふと思い出しました。
当時神学生だった私は、CS(教会学校)の小学生を引率して教団のキャンプ場へ行きました。
夜、肝試し大会があって、子どもたちが真っ暗な中を歩くのですが、この時、ふたりの女の子が手をつないで大声でこの歌を歌っていたのです。(あの時の可愛い女の子も今では50歳ぐらいのおばちゃん!そう言う青年だった私はおじいちゃん...)


と、その瞬間、すっかり忘れていた恥ずかしい想い出がよみがえってきたのです。
その夜、キャンプファイヤーの時、メッセージをするようずいぶん前に牧師先生に言われていたのですが、私はすっかり忘れてしまっていました。
司会者が、「それでは今から舟田先生がお話をしてくださいます」と言った時、私の心臓は破裂しそうになりました。
顔は真っ赤。頭の中は真っ白。
私はとっさにどうしていいかもわからず、牧師先生のところに行き、頭を下げて半分べそをかきながら事情を話しました。
すると、このベテラン牧師は、なにも言わずに笑顔ですっと立ち上がると、ファイアーのところに行き、何ごともなかったかのように、イエスさまを裏切ったペテロのお話をし始められたのです。もちろん、私へのあてつけではなく、素晴らしい伝道メッセージでした。
集会が終わってから、私は先生に何度も何度もお詫びしたのですが、先生はそんなことまったく意に介せずという感じで、とがめもせず温かく私の失敗を赦してくださいました。感謝してもしきれない、私が心より敬愛していた今は亡き大恩人、大恩師のS先生です。
今、考えても顔が赤くなり、心臓がドキドキする、私の生涯で一番恥ずかしい想い出です。


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イエス・キリストの奇跡とは

2016.01.08日

昨日、たまたま(実際にはたまたまということはないのですが「偶然、たまたま」)Facebookを見ていたら、1年ちょっと前に見た面白い動画に出くわしました。もう何度も見ているのですが、またまたお腹を抱えて大爆笑してしまいました。
そこで、その動画を紹介した記事を再度ここでシェアさせていただきます。


と、書いて動画をアップしたのですが、私の意図したところと違うように捉えた方がいらっしゃり、不快感を伝えてこられました。
自分の考えが甘かったことに気づかされ、動画の部分をカットしてこの記事を修正させていただきます。


多くの人が、聖書に載っているイエス・キリストが行った奇跡というのをこのような類(たぐい)のものだろうと思っています。あるいは、今から2000年前の人はもっと単純だったので、簡単にだまされた、あるいは信じ込まされたのだろうと言います。
果たしてそうなのでしょうか? あるいはイエス・キリストの奇跡は本物だったのでしょうか? 今日は、このことについて考えてみたいと思います。おそらくクリスチャン、ノンクリスチャンを問わずみんな関心のあることではないかと思います。
まず、この最初の点ですが、当時の人々はナイーブだったので単純にだまされた、あるいは信じたというのは事実ではありません。なぜなら、上の動画のように今日の私たちでさえ、このドッキリカメラに簡単に騙されてしまいますし、当時の人々は奇跡を見て驚き、怪しんだとあります。


「進化論 vs 神」の記事の中にも書きましたが、かのアインシュタインは天地宇宙の創造者なる神の存在は疑いようがない、と確信していました。しかし、聖書の中に記されているように、イエス・キリストが神であるとは信じられず、イエス・キリストは素晴らしい人格者だと言っていました。
果たしてそうなのでしょうか?
まず最初にこのことから検証してみましょう。


さて、ユダヤ人が紀元前何千年も前から信じてきたあの分厚い旧約聖書の中に、イエス・キリストのことがたびたび預言されていました。そして、今から約2000年前にイエス・キリストが実際にこの世に誕生しました。
そして、イエス・キリストの言行録をまとめたのが新約聖書です。これは主にイエス・キリストと起居を共にした弟子たちの手によって記されました。
新約聖書には旧約聖書で預言されていたことが全部成就したと記されています。
また、新約聖書を読んでいると、イエス・キリストが神であると弟子たちも、またイエスさま自身もたびたび証言しています。
イエスの一番弟子であったペテロは、
「イエス・キリストのしもべであり使徒であるシモン・ペテロから、私たちのであり救い主であるイエス・キリストの義によって私たちと同じ尊い信仰を受けた方々へ」 (第二ペテロ1:1)
「このようにあなたがたは、私たちのであり、救い主であるイエス・キリストの永遠の御国にはいる恵みを豊かに加えられるのです」 (第二ペテロ1:11)
と述べています。
このところは、原文のギリシャ語を見ても、1節の「神」と11節の「主」という言葉が入れ替わっているだけであとはまったく同じ言葉、語順になっているので、ペテロは明らかに「イエスは神であり、主である」と言っていることになります。


次にイエス・キリストご自身が語っておられます。たとえば、
「イエスは彼に言われた。『ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父(なる神)を見たのです。どうしてあなたは、「私たちに父を見せてください」というのですか』」 (ヨハネ14:9)
など、ほかにもたくさんあります。


さて、ここで二つの可能性があります。
イエスは神であったか、なかったかのいずれかです。
もしアインシュタインやほかの多くの人が考えるように、イエスが神でなかったとしたなら、また可能性は二つです。
一つは、イエスと弟子たちが嘘をついていて、奇跡もトリックのようなものであったか、もう一つはイエスは誇大妄想狂だったかのどちらかです。
でも、歴史上、イエスが気が狂っていたという人はキリスト教に反対する人でさえひとりもいません。この説は論理的に矛盾するのです。嘘をついたり、気が狂っている人で、同時に人格者ということはあり得ないからです。


イエスが嘘をついていたという可能性はどうでしょうか。
イエスと起居を共にしていた12弟子のうち、イエスを裏切ったユダは自殺しました。そしてヨハネは離れ小島に流されそこで幽閉されて生涯を終えます。あとの10人は全員、そしてそのほかにも大勢の人たちがイエス・キリストを信じる信仰のゆえに迫害を受け、はりつけの刑や石打ちの刑など殉教の死を遂げています。


今から20年近く前に日本中を震撼させたオウム真理教の教祖、麻原彰晃のためにはほぼ全員の弟子たちが麻原を裏切って自らの犯罪を認め、地下鉄サリン事件など教祖の指導を証言しました。
果たしてイエス・キリストがついていた嘘のために、喜んで殉教の死を遂げる人がいるでしょうか。
このように考えると、可能性はただ一つ、イエス・キリストは神ご自身であった、ということになります。


ヨハネ1:1-18で弟子ヨハネが述べているように、もしイエス・キリストが神であって、人となってこの世に来られたとすれば、イエス・キリストの奇跡など全然不思議ではなくなります。なぜでしょう。
神は永遠の昔からいまし、永遠の未来までいますお方で、天地宇宙を始め、その中の地球を始め地球上の人間や動植物などすべて存在するものを創造された全知全能のお方です。このようなお方に不可能なことはないからです。


ということは、突き詰めていくと、神が存在するかどうかという問題にかかってきます。
しかし、これについては上のアインシュタインを始め多くの科学者たちが宇宙や地球や生物を見て、創造者なる神を認めていることから、これはもう認めざるを得ません。
結論として、イエス・キリストは神であり、神であるがゆえに不可能はなく、奇跡も行うことができた、となります。
もし、今これを読んでいる方の中で無神論や進化論を信じていらっしゃる方がありましたら、どうかもう一度上の動画「進化論 vs 神」をご覧になってください。人生が変わるかもしれません。


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直人の誕生日

2015.12.29日

去る12月26日の長男、直人の誕生日(「今日は長男の誕生日」)は、こんな有意義な一日だったそうです。誕生日を迎えての決意も書かれています。
本人の了承を得て、皆さんにシェアさせていただきます。
以下は、直人のFacebookのタイムラインから。(英文と写真があとに続きます)


The reflection of my 33-year-old (which is actually my 34th; counting age 0) birthday. English text follows.


誕生日コメントくださったみなさん、どうもありがとうございます!
ひとつひとつに返信できずにすみませんが、コメントとメッセージをくれたひとりひとりを思って感謝です!o(^▽^)o 特に、自分はこの1年間ほとんど誰にも誕生日のコメントしてないのに、約12年前にロサンゼルスに来る前の日本の友人、来た直後に会った懐かしい友人からもひとことメッセージがあると、嬉しいものですね! もちろん、最近でも付き合いのある身近なみんなからのも嬉しいです!


誕生日当日は、カタリナ島(ロングビーチとかから1時間ぐらいフェリーで行ったところの島)に恵利紗と一緒に行って(誕生日はフェリーなどが無料!)、ハイキングをしたり、海辺の町を散策したり、フリーフードをもらったり、いろいろ楽しむことが・・・、なんと強風でフェリーが欠航になったために何一つできませんでした!( ̄▽ ̄) なので、後日出直します!


急遽予定変更して、本来カタリナ島でハイキングをしているはずの時間は家で昼寝(早起きだったから・・・)、起きてからは一日予定を空けていたので、ゆっくりと近隣を回りながらフリーなものをいただきに回ってきました(写真)。。^^; アメリカはなかなかジェネラスな(気前が良い)ところも多くて感心です。
なんだかんだで、ぐうたら・・・、あ、いや、のんびりした休みを恵利紗と楽しめたのは幸せでした★


33歳になってしまいました。約2000年前、イエス・キリストが十字架にかかって死んだのも33歳。なんという差!!!(゚Д゚) イエスは人のために自分の命までも与えて死にましたが、なんと私は食事をもらい、アイスをもらい、コーヒーをもらい、フローズンヨーグルトをもらって33歳のスタートを切ってしまいました。。「受けるよりは与える方が幸い」というイエスの言葉・またその生き方を身をもって示したイエスの弟子たちに逆行したなんとも歯がゆいスタートですが、これを教訓に、もっともっと与える人生へと変わっていきたいと思う次第です。


1年ちょっと前から学業に戻り(The Master’s CollegeでBiblical Counseling専攻)、学業・仕事・教会の活動などで忙しく、なかなか人のために与えられる時間と経済的余裕が今は多くありません。。経済的には多くを得ることが祝福だとは考えていませんし、むしろそれはしっかり管理しないと人生の落とし穴になる可能性が高いと思います。必要が与えられて、満ち足りていることが幸せです。


「貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。私が食べ飽きて、あなたを否み、「主とはだれだ。」と言わないために。」(箴言30:8-9)
「わずかな物を持っていて主を恐れるのは、多くの財宝を持っていて恐慌があるのにまさる。 野菜を食べて愛し合うのは、肥えた牛を食べて憎み合うのにまさる。」(箴言15:16-17)
イエスの弟子ペテロは言いました。「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。(使徒3:6)」 金銀はなくても、人が本当に必要としているもの、イエス・キリストの福音を私は持っています。これを人に与える人生を生きたい。それも、できるだけ効果的に与えたい。物を受けて消費して終わる人生でなく、本当に価値ある物を生産して与える人生を生きたい。そう願って、今日もそのための学びを積んでいます。(写真からはそう見えないですが・・・汗)


33歳。キリスト者として、恵利紗の夫また家庭のリーダーとして、社会で働く者として、学生として、もっともっと成長していきます。長い目で、またあたたかい目で見守り、励まし、戒め、導いてください。よろしくお願いします。


I had a relaxed birthday yesterday, and both Erisa and I enjoyed it! Thank you so much for giving birthday wishes! We were originally planning to go to Catalina Island and have some fun there, but due to the weather, the ferry to the island was cancelled. We’ll try again another time.
Instead, we decided to try out some freebies around us, and ended up getting free food, free ice cream, free starbucks drink, and free frozen yogurt. So much free stuff, so much receiving! So many American companies are quite generous! That’s pretty impressive!


Then I came to my senses. My life is such a different one from Jesus’.
I became 33; the age Jesus gave His life on the cross for many. I, on the other hand, was receiving so many things at the start of my 33-year-old life. What a shame!


I’m called to live a life of producing and giving - giving people something of real and great worth, rather than a life of receiving and consuming things.
Though Erisa and I enjoyed God’s provision and our friendship yesterday, receiving is not the aim of our life. This one thing we’re living for; to bring and give people the life-giving gospel of Jesus Christ. (Though the pictures may not seem so… :P)


We’re now being trained for this mission. I have so much room for growth; as a Christian, a husband and household leader, a member of society, and a student. It will be my honor and privilege if you could support, pray, encourage, admonish, and help me to get there. Thank you for your friendship!


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三本の木

2015.12.28日

「幸せを約束する聖書の言葉」より『三本の木』を下にご紹介させていただきます。
イギリスで昔から語り継がれている「三本の木」という、作者不詳のとても感動的な短編物語です。どうぞ存分に味わってお読みください。
私は読み終わって、しばし感動に酔いしれました。


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昔、ある山の頂上に、三本の木が立っていました。その三本の木には、それぞれ将来の大きな夢がありました。
一本の木は、世界一美しい宝石箱になることでした。
二本目は、世界一大きな船になることでした。
そして、三本目の木は、人々がその木を見るとき、神様を思い出すような、そんな世界一背の高い木になることでした。


時は過ぎて、三本の木は大木になりました。


ある日、木こりが来て、「綺麗な木だ」と言って、一本の木を切り倒しました。その時、木は「宝石箱になるんだ」と呟きました。


次の木こりは「頑丈そうな木だ」と言って斧を振るい、木を切り倒しました。
その時、二本目の木は、「立派な大きな船になるぞ」と言いました。


次の木こりは、木を見ようともしません。
「どんな木でもいいんだ」と呟くやいなや、切り倒してしまいました。


さて、美しい宝石箱になることを願っていた木は、木工所に運ばれ、自分の願いとは違う、家畜のえさ箱になりました。宝石箱とは大違いでした。


二番目の木は造船所に運ばれ、心弾ませていましたが、段々削られ、叩かれ、大きな船ではなく、魚を獲る小舟になりました。大海原どころか、生臭い魚を運ぶ毎日でした。


三番目は製材所に運ばれ、太い角材にされたままです。「自分は、ただ、あの山に立って、神様を指していれば、満足だったのに」と独り言を言いました。
 

それから何年も月日が経ちました。もう自分たちの願いは、すっかり忘れていました。
 

そんなある夜、宝石箱を夢見たえさ箱に、一人の女性が、生まれたばかりの幼子を寝かせました。一番目の木は、自分が世界で一番素晴らしい宝物をお入れしたことに気づきました。


ある晩、二本目の木の小舟に、疲れた旅人たちが乗り込んで来ました。舟が陸から離れると、人々は眠り始めました。すると嵐になり、舟になった木は恐ろしくなり、壊れてしまうと思いました。
するとその中の一人が、「静まれ」と言うと、嵐が静まりました。その時、自分は天と地を治める王をお乗せしているのを知りました。


また、ある日、長い間積み上げられていた、三番目の角材が引き出され、大勢の人々のあざけりの中を通っていきました。
そして、一人の男に、釘が打ち込まれました。木は恐ろしさで震えました。それから三日目の朝、日が昇り、三番目の木の足元で、大地が喜びに満ち、神様の愛で全てが変えられたことを知りました。


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献げることの大切さ

2015.12.22日

昨日の記事、「クリスマスが大嫌いだった人のために」は多くの人たちの共感を呼んだようです。


そして、昨日の朝一番に私の目に飛び込んできたのは、長男の直人が通っているロサンゼルスのガーデナ・バレー・バプテスト教会の大里英二牧師がFacebookに載せていらっしゃった前日のクリスマス礼拝の様子でした。


大勢の人々が列を作って講壇にやってきて、飾られている大きなクリスマスツリーに赤い靴下をたくさんぶら下げていらっしゃる写真が載っていたのです。


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私はそれに対して、次のようなコメントを書きました。
「祝福されたクリスマス礼拝、様子が伝わってきます。ツリーいっぱいに飾りつけられた赤いソックス、素晴らしいですね」
大里牧師からすぐに返信がきました。
「感謝です。この特別献金はメキシコ、タイ、そして、日本の被災地の皆さんのために献げました。長い長い列となって献金をしてくださる兄弟姉妹を見て胸が熱くなりました」


ちょうどこの直後、私は下の記事に出くわしました。


「自分にできる範囲で精いっぱい献げましょう」


4人の小さな子どもを抱えた未亡人のテレサは、経済的に困っている家庭にプレゼントや食料を教会のメンバーが集めて届けに行く、というお知らせを見ました。そこで、彼女は貯金が入れてあるつぼから10ドルを取り出して、3ダースのクッキーを作るための材料を買いました。
テレサが待ち合わせ場所になっている教会の駐車場に着いたとき、教会の人たちが物品を届けるためにまさに出ようとしているところで、ぎりぎり間に合いました。


テレサがグループ一団と一緒に走っていたルートはよく知っている道でした。しかし、車列がテレサの家の前で止まったとき、彼女はびっくりしました。
牧師が彼女を見つけて言いました。
「テレサ。まさかきみが私たちの仲間に加わるなんて思ってもみなかったよ。ご主人が召されてからずっと大変だったことを知っていましたよ。だから、私たちはみんなあなたを助けたいと思っていたのです」
自分がこの慈善活動の対象になっていたということを思うと彼女はとてもきまり悪い気がしましたが、テレサはだれにも不快な思いをさせたくなかったので、明るく言いました。「まあ。これで私もお友達とこのクッキーを一緒にいただけるわ」


この話は、だれひとりとして貧しいために他の人を助けることができないということはない。本当の慈善は愛と哀れみに根差しているということを教えてくれています。
経済的困窮より心が貧しいことの方が憐れなのです。テレサのこの物語は、私たちのうちで、できること、そしてなすべきことをしている者は、ほんのわずかしかいない、ということを気づかせてくれます。


ロサンゼルス市YMCAの前代表である私の友人、ラリー・ローゼンは、「犠牲の献げもの」という概念を私に教えてくれました。自分が望んでいるものを犠牲にしなければならないところまで思いっきりたくさん献げるという概念です。
簡単なところからスタートすればいいのです。慈善活動に献げようと思っている額を出し、次にそれを倍にします。
もし、それがちょっと大変だと思うなら、2倍にする代わりに50%増やします。
つまり、ちょっと背伸びしてみる、ということです。あなたが援助する人にとって、それは大きな意味を持つことになるでしょうし、あなた自身の心にとっても同様に大きな祝福となります。
覚えておいてください。大切なのは人の品性です。
マイケル・ジョゼフソン

(訳:舟田譲二)
(11月28日付 ボブ・プロクター『インサイト・オブ・ザー・デー』より)


そして、この物語を読んでいて、私は昔書いた記事「またしても危機到来!」を思い出しました。
私自身も「経済的困窮学生」のひとりで、上の物語とそっくりのケースだったのです。
その日のことを思い出して、胸が熱くなり、感謝を捧げました。


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クリスマスが大嫌いだった人のために

2015.12.21日

これは1982年12月14日に『ウーマンズ・デイ』誌に掲載された実話です。
『ウーマンズ・デイ』誌が、クリスマスシーズンのお気に入りの家族の伝統と、その背後にある物語を募集したところ何千もの応募がありましたが、その中で1等賞に選ばれたものです。
そして、この物語はジョージア州アトランタ市に住むある家族を動かし、与えることの大切さを若者たちに教えることを目的とした「白い封筒プロジェクト」と「ギビング101」という非営利団体の誕生につながりました。




ほんの小さな、白い封筒でした。うちのクリスマスツリーの枝の上に置かれていたのは。
宛名もなければ、差出人もわからないし、メッセージもありません。この10年間ぐらい、ただクリスマスツリーの枝の間からちょこっと顔を出しているだけでした。


夫のマイクがクリスマスが大嫌いだったことから、ことのすべては始まりました。別にクリスマスの本当の意味を知って嫌っていたわけではありません。クリスマスの商業的な面が嫌いだったのです。お金の無駄遣いから始まり、クリスマス直前の慌ただしい買い物。ハリーおじさんへのネクタイやら、おばあちゃんへの風呂上りのパウダーなど、他にもうなにも思い浮かばなくてやけくそになって買うプレゼントのことです。


マイクがこのように感じているのを知っていたので、私はある年のクリスマス、いつものようにシャツやセーター、ネクタイなどをプレゼントするのをやめることにしました。
その代わりに、私はマイクのためだけの、ある特別なことを考えつきました。
それは驚くような方法でひらめいたのです。


当時12歳だった息子のケビンは、通っていた中学校でレスリングをしていました。そして、クリスマスの直前に街のスラム街にある教会がスポンサーしているチームと1回勝負の試合することになりました。
息子の学校のチームの子どもたちが鮮やかなブルーとゴールドのユニフォームとピカピカのレスリングシューズで身を固めているのに対し、相手チームの子どもたちが履いているスニーカーはボロボロ。唯一靴ひもがチームをまとめているかのように見えるほどで、その歴然たる違いは驚くばかりでした。


試合が始まると私はドキッとました。相手チームの生徒たちは耳をプロテクトするソフトなヘルメットのようなヘッドギアをつけずにレスリングをしているのに気づいたからです。
みすぼらしいチームにとって、ヘッドギアなどとっても買えるような代物ではなく、ぜいたく品でした。
さて、うちのチームは相手をぼこぼこに打ち負かしてしまいました。
どのウェイトの級でもうちのチームは勝ちました。相手チームの子どもたちはみんなマットから立ち上がると、敗北を認めることができない、ストリートチルドレン特有のプライドで、ボロボロのユニフォームに身を包まれて、空威張りしながらふんぞり返って歩いて戻っていくのでした。
私の隣りに座っていたマイクは、悲しそうに頭を振りながら言いました。
「せめてひとりだけでも勝ってくれれば。みんなものすごい可能性を持っているのに。でも、こんなふうに負けてしまうと、本当にくじけてしてしまうな...」


マイクは子どもが大好きでした。リトルリーグのフットボールや野球、ラクロスのコーチをしてきて、子どもたちのことをよく知っていました。
まさにそのときでした。彼へのプレゼントのアイデアが浮かんだのは。


その日の午後、私は近所のスポーツ用品店に行き、レスリング用ヘッドギアとシューズの詰め合わせのセットを買い、それを匿名でスラム街の教会に送ったのです。
そしてクリスマスイブに、私はクリスマスツリーの枝の上に封筒を置いておきました。その中で、私がやったことをマイクに知らせ、これが私から彼へのプレゼントだと書き留めたメモを入れておきました。


マイクは、その年、そしてそれからずっと何年にもわたって、クリスマスになると最高の微笑みを見せてくれるようになりました。
クリスマスがくるたびに、私はこの伝統を守り続けました。ある年は、精神に障がいのある子どもたちのグループをホッケーの試合に招待し、また別の年には、クリスマスの1週間前に火事で家が焼け落ちたお年寄りの兄弟に小切手を送ったり、等など。


このツリーに乗せる封筒は、いつしか私たちのクリスマスのハイライトになっていました。
クリスマスの朝、この封筒はいつも最後に開けられました。私たちの子どもは自分たちのおもちゃのプレゼントなどそっちのけで、お父さんがツリーからこの封筒を取って、その中に書いてあることを読み上げるのを目を輝かせて聞くのでした。
子どもたちが大きくなるにつれ、おもちゃはより実用的なものに取って代わっていきました。でも、封筒はいつもみんなの注目の的でした。


でも、この物語はここで終わりません。
恐ろしいガンで私たちはマイクを失ったのです。
次のクリスマスがやってきたとき、私はまだ悲しみが癒されていず、クリスマスツリーを飾ることができないほどでした。
でも、クリスマスイブに私はツリーに封筒を置きました。翌朝見ると、封筒はさらに3つ増えていました。
子どもたちの一人ひとりがだれにも知られないように、お父さんのために封筒をツリーの上に置いておいたのです。
この伝統はその後もずっと続いていて、いつの日かきっと孫たちも封筒を取って見るのを楽しみにするようになるでしょう。


クリスマスのスピリットに似た、このマイクのスピリットは、これから先いつまでも私たちの伝統となるに違いありません。


ナンシー・W・ギャヴィン
(訳:舟田譲二)


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クリスマスの心

2015.12.19日

昨日はアカデミーの小学生たちが首を長〜くしてずっと楽しみにしていたキッズクリスマス会でした。
初めは学院長の5分間クリスマスメッセージ。
幼稚園児から小学6年生まで60人余りがひと言も話さずシーンと聞き入ってくれました。
こんなショートメッセージでした。


アメリカでのお話です。
あるクリスマスの日のこと、ポールというおじさんが仕事が終わって会社から出てくると、よく見かける少年が、道路に停めてある彼のピカピカの新車のまわりを歩き回っていました。よほどその車が気に入ったらしく、ポールに話しかけてきました。
「これ、おじさんの車?」
「ああ、お兄さんからクリスマスプレゼントにもらったんだよ」とポールは答えました。
「えっ?おじさんのお兄さんがくれたの?うわあっ、すごいな!ぼく...」
と、少年は何かを言いかけたまま、口を閉じてしまいました。
ポールは、この少年が「ぼくにも、そんなお兄さんがいたらなあ」と言いたかったのだろうと思いました。ところが、少年の口から出てきた言葉にポールは驚きました。
「ぼくもおじさんのお兄さんみたいな人になりたいな」
ポールは、じっと少年の顔を見て言いました。
「この車に乗ってみるかい?」
少年は、「うん!」と言って目を輝かせながら車に乗ってきました。
「おじさん、ぼくの家の前まで乗せてくれる?」
「ああ、いいよ」
ポールはこの少年がきっとこんな大きな車で家に帰ってくるところを近所の人たちや友達に見せて、自慢したいのだろうと思いました。
「あそこに階段がついている家が見えるでしょう?家の前でちょっと待っててくれる?」
少年はそう言うと、車を降りて、走って家に入っていきました。
しばらくすると家の中から、少年が体の不自由な弟をおんぶして出てきました。
少年は、弟を階段の上に座らせて、弟の体が倒れないように抱きかかえながら言いました。
「なあ。言ったとおり、すごい車だろ。あのおじさんのお兄さんがクリスマスプレゼントにくれたんだって。お前も、待ってろよ。兄ちゃんが、いつかきっとあんな車をお前に買ってやるからな。そしたら、いつも話してるクリスマスのきれいな飾りを、その車で見に行こう」
それを聞いたポールは、何も言わずに車を降りると、少年の弟を抱き上げ、車に乗せ、少年と三人でドライブに出かけました。


3週間ほど前、うちの塾に3人の兄妹で来ているお兄さんの中学生の生徒がお休みしました。お母さんから、その夜は仕事があって、息子に妹たちの世話をしてもらうので休ませます、という連絡がありました。
次の週、このお兄さんをバスに乗せた時、先生は言いました。
「偉いね。妹たちの世話をしてたんだって」
「母はときどき夜に仕事が入るので、そういう時は妹の食事を作ったりして世話をしています」
「いやー、そんなことなかなかできないよ。きみ偉いよ」
「そうですか?ありがとうございます」


今から約2000年前、神様は私たちを愛して、イエス・キリストというひとり子をこの世に送ってくださいました。これが神様から私たちへの最高のプレゼントで、クリスマスの出来事です。
このことから、2000年以上たった今も、世界中で人々はクリスマスをお祝いしています。
クリスマスは自分の大切な人に、何かプレゼントするときです。
ポールのお兄さんのように高い車をプレゼントする必要はありません。
君たちも、妹や弟がいなかったら、友達に優しくしてあげたり、お父さんやお母さんの言うことを聞いたり、お手伝いしたりと、いくらでも人の喜ぶことをすることができます。これが心のこもった本物のプレゼントです。


このショートメッセージの後、生徒各自が持つ燭台のろうそくに火を灯し、部屋を真っ暗にしました。
みんなの口から「オーっ!」という歓声が上がりました。


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そしてろうそくを持ったまま、生徒たちはこの1か月間練習してきた、ルカの福音書2:28-38の聖句を英語で暗唱し、Angels We Have Heard on High (あらののはてに)を英語と日本語でとっても上手に歌いました。


と、ここまでは教会学校のクリスマス会、キャンドルライトサービスとほとんど変わらないプログラムです。
ここからは、クリスマスに関連した英単語を使ったBINGOやメッセージ伝達ゲーム、そして体を動かしてHOKEY POKEYなどをみんなでやって大いに盛り上がりました。


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♪You put your left hand in,
You put your left hand out...


次にみんなが用意してきたプレゼントの交換会。
そして、みんなの大好きなリフレッシュメントタイム。
ジュースとお菓子やプリン、ケーキなどがが行きわたり、食べ始めたそのときです。
突然、鈴の大きな音とともに、な、なんと、サンタクロースがクリスマスに1週間も早いのに背中に大きな袋を背負って登場。
でも、生徒たちは心得たもので、
「学院長先生だ!声でわかる!」
(と、いつもの台詞ヽ(^o^)丿)


そして、最後に学院からのプレゼントをもらい、みんなニコニコ、大満足。(サンタクロースは部屋の外に追い出されてしまいました...)
あっという間の1時間半でした。


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人は心の中で考えることを

2015.12.17日

つい先日、車を運転していてとても怖い状況に遭遇しました。
右折しようとして指示器を出して止まっていました。
そこへ対向車が左レーンを走ってきて、私が曲がろうとしている右の道路から出ようとしている車を先に通そうとして止まりました。
ところが、右レーンを走ってきた対向車が横を通り抜けようとしたため、道路から出てきた車とぶつかりそうになったのです。
私は危険を事前に察知し、右レーンを猛スピードで走ってきた車にヘッドライトをちかちかさせてクラクションを鳴らして知らせたのですが、その車は突っ切って走り抜けていきました。右の道路から出てきた車が危機一髪のところで急停止したため幸い事故は避けられました。
しかし万一、事故が起きていたら、私の車に衝突した2台の車が突っ込んできて、こちらも大破、重症もしくは重体、あるいは最悪死亡ということだってあり得ました。
そう考えると正直ぞーっとしました。


昨日も、目の前の交差点を赤信号なのに突っ込んでいく車があり、一歩間違えば車同士の事故、または人身事故にもつながっていたかもしれません。


赤信号を無視する車の運転手というのは、交差点に近づいている時、横断歩道の点滅している青信号を、そして黄色に変わった信号を見ていながら初めから突っ切って行くことを心に決めています。


同様に、万引きや窃盗、盗撮、痴漢などの犯罪行為をする人も、「つい魔が差した」ということをよく言いますが、実際には初めからそれをしようと心の中で決めています。


以前、「頭の中にあることは」という記事を書きましたが、その中に下の有名な聖書の言葉を引用しました。
"As a man thinks in his heart, so is he." (箴言23:7)
日本語訳は「彼は、心の内では勘定づくだから」(新改訳)と、分かりにくい表現になっていますが、言わんとしていることは、
「人は心に考えるような人になる」
ということです。


この言葉を少し変えると次のようになります。
"As a man thinks in his heart, so does he."
「人は心に考えることをする」


マザー・テレサの次の言葉にも通じます。
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。


冒頭に挙げたケースはネガティブなものですが、その逆も真なりで、いいことを考えていたら、それは言葉になり、行動に、習慣に、性格に、そして運命にもつながっていきます。
これも延々とつながっているひものようなもので、いわゆる「ひも理論」(「新超ひも理論」)です。


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バーニ・マーシュ先生との再会

2015.12.07日

昨日は二つの素晴らしい出来事がありました。
一つ目は尊敬する、そして大好きな宣教師の先生と31年振りの再会を果たせたことです。
生涯を日本人の伝道に捧げていらっしゃるバーニ・マーシュ先生と、ずっとご一緒に働いてこられた川島輝子先生です。
お二人とは今から37年前に京都で出会いました。


当時お二人は、京都で一番の繁華街である三条河原町で喫茶店伝道をしていらっしゃいました。
私はまだ生まれたばかりのクリスチャンでした。
アメリカ留学中でしたが、病床にあった母の見舞いで一時帰国していて、友人を通してマーシュ先生たちにお会いしました。
毎週、集会に集い、「友よ歌おう」などを賛美し、証ししたり、路傍伝道したりしていました。


母は信仰を持って病床洗礼を受けました。その後、一時期少し体調を持ち直していた時、私の信仰に猛反対して迫害していた父が、母をマーシュ先生の教会に連れて行くため毎週教会に通い始めました。
父は母が召天した後も通い続けました。


アメリカでの留学を終えて帰国し、神奈川県二宮町で開拓伝道をしていた時、京都のマーシュ先生が青年のための結婚セミナーに講師として招待してくださり、日曜日の礼拝のご用と午後の洗礼式を依頼されました。
礼拝が終って受洗者の発表で父の名前が呼ばれた時、私は感動で涙が止まりませんでした。
マーシュ先生の粋な計らいで、私へのビッグサプライズをくださったのです。(「夢はかなう! その2」


ということで、その洗礼式の日以来、実に31年振りの再会となったのです。
私の家族の写真を見せたりして、31年間のブランクをシェアし合いました。
その間、お互い病気や試練など本当にいろんなことがありましたが、今日まで守られ、すべてのことが相働いて最善に導かれてきたことに、神様の御名を一緒に誉め称えました。
昔と全然変わらないマーシュ先生と川島先生ですが、やはりお年を召してきていらっしゃいますので、ご存じの方できれば東京でぜひ集まりませんか?


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マーシュ先生たちとお別れして池袋を発ち、私は二つ目の大きなイベントが持たれる荻窪に向かいました。
杉並公会堂で開かれる荻窪栄光教会主催の第48回メサイアです。


この教会には親しくお付き合いさせていただいている田中さんご一家が通っていらっしゃり、去年の6月に訪問しました。(「人生最高の日?」
ご主人の勝己さんが聖歌隊のメンバーでテナーで歌われるということでお招きいただきました。


荻窪栄光教会は、私の神学生時代の恩師であり、聖歌622番「夕べ雲焼くる」を作詞された森山 諭先生が開拓、伝道・牧会しておられた歴史ある教会で、岸 義紘先生と、今ご一緒に教会の働きをさせていただいている柿谷正期先生が青年時代過ごされたところです。


田中さんのご次男の恵嗣さんとご一緒に聴き入ったメサイアは、期待にたがわず素晴らしいもので、とくにハレルヤコーラスでは感動で鳥肌が立ちました。
その昔、1980年に大阪日生球場でビリー・グラハム国際大会が催された時、1000人の聖歌隊の一員として賛美した時のことが蘇ってきました。
こんなに素敵なことを一日に二つもいただいていいのかしら、と思うほど本当に恵まれた一日でした。


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新超ひも理論

2015.11.23日

昨日の記事「音楽に見られるひも理論」に書いた、NCM2のクリスマス・コンサートは本当に素晴らしいもので、魂を揺さぶられました。
記事の中でご紹介した「輝く日を仰ぐとき」が、午前の礼拝に続き、コンサートでもまた賛美されました。
また、40年近く前、導かれた教会の祈祷会でよく賛美していた「歌いつつ歩まん」が歌われ、当時大変お世話になった日系1世のおじいちゃん、おばあちゃんたちのことを思い出し、胸がいっぱいになり涙が止まりませんでした。
その昔、長男の直人もこのNCM2のメンバーとしてご一緒に賛美させていただいていたのですが、「直人くんのお父さんですか?」と何人もの方々から声をかけられたり、ブログを読んでいますと言ってくださる方など、このコンサートでも「ひも」でつながっている人があまりにも多くて驚かされました。


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さて、これまで8回にわたって「勉強のひも」について書いてきました。


「勉強のひも」と書きましたが、実はこれは「勉強」に限らず、人の人生や人間関係や人の好みや趣味を始め、その他諸科学や芸術、地球や宇宙の諸現象、引いてはすべての事物の成り立ちや起源にも通じることで、私はこれを「ひも理論」と名づけようと思ったのですが、ネットで調べてみると既にその名称も、また「超ひも理論」も物理学の世界で存在していることを知り、敢えて「新超ひも理論」と名づけたのです。


ひも理論については、Wikipediaが的を射た説明していますので下に引用させていただきます。
超弦理論(ちょうげんりろん、英: superstring theory)は、物理学の理論、仮説の1つ。物質の基本的単位を、大きさが無限に小さな0次元の点粒子ではなく、1次元の拡がりをもつ弦であると考える弦理論に、超対称性という考えを加え、拡張したもの。超ひも理論、スーパーストリング理論とも呼ばれる。
宇宙の姿やその誕生のメカニズムを解き明かし、同時に原子、素粒子、クォークといった微小な物のさらにその先の世界を説明する理論の候補として、世界の先端物理学で活発に研究されている理論である。この理論は現在、理論的な矛盾を除去することには成功しているが、なお不完全な点を指摘する専門家もおり、また実験により検証することが困難であろうとみなされているため、物理学の定説となるまでには至っていない。


ちょっと読んだだけでは???という感じかもしれませんが、簡単に言うと、この宇宙の中のすべての成り立ちは超微粒子ではなく、超微粒「ひも」でできていて、すべてがつながっているということです。


このブログにもこれまで何度か量子物理学のことを取り上げてきましたが、私自身は物理学に関しては全くの素人、門外漢ですが、直感的に非常に納得がいきますし、またとても心そそられる分野です。


この難解な「ひも理論」を、私たちの日常生活レベルで語っているのが、私の「新超ひも理論」です。
もしこの広大な宇宙が点のようなバラバラの粒子の集まりで成り立っているのでなく、ひものようにつながりがあるとするならば、ましてや私たちのような極めて小さな存在で、有限な人間ならなおさらのこと、様々な点のつながりであるひものようなもので成り立っているということは容易に想像がつきます。
また、その方がはるかに私たちを納得させてくれ、人生に対してより深い洞察力が与えられます。


一例を挙げると、夫婦関係や親子関係、友人関係、同僚関係、師弟関係などすべての人間関係に、さらに広げると国家関係にも当てはまります。
言うまでもなく、これらの関係がうまくいくかこじれるか、戦争状態になるかなどは、すべてそれまでの数えきれないほどのお互いの関わり合い方の結果であって、「ある日、突然!」何か特別なことが起こったわけではありません。
これを言い換えると、すべての事象はそのときどきの出来事の積み重ねの結果、つまり何らかの原因があってその結果がある、ということができます。
ということは、現在起こっている出来事自体は変えることはできないが、これから先のことはどんなことでも自分の意志次第でほとんど変えることができると言えます。(『バック・トゥー・ザ・フューチャー 』


つまり、個々バラバラに見えることでも、それぞれの間に存在する目に見えない引力のようなものですべてがつながっているのです。
これが、私の提案する「新超ひも理論」です。


私たちが今、この世に存在しているのは、母親が生み出してくれたお陰です。
しかし、父親も必要でした。
さらに、その父親にも母親にも同様に父親と母親が必要で、とどんどんさかのぼっていくと、当たり前のことですが一度も途切れることなくひものようにつながっていて、結局はみんな同じところにたどりつくことになります。


宇宙がある日突然、意味もなくビッグバンで生まれ、その後自然の流れで今日に至り、その過程で偶然に単細胞の生命が生まれ、それがどんどん進化していった結果、私たちが現在この世に生きているのだとすれば、人生には何の意味もなく、生きる目的もなくなり、「飲めや、食えや」でその日その日を面白おかしく生きていけばいいことになります。
でも、私たちは直感的にそうではないことを知っています。
このように「人生のひも」が見えると見えないでは、人生は180度変わってきます。


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音楽に見られる「ひも理論」

2015.11.22日


上の動画は長男の直人がFacebook上で少し前にアップして紹介してくれたものです。
チェロとピアノの二重奏で、あまりにも美しく、心洗われるような音楽なので、皆さんにもぜひご観賞していただきたく、ここに再シェアさせていただきます。


アルゼンチンとブラジルにまたがる世界最大の滝、イグアスの滝、そして世界七不思議の一つ、リオ・デ・ジャ・ネイロのコルコバードのキリスト像を背景に奏でられる美しい調べは私たちの心を打ちます。


メロディは、How Great Thou Art です。
これは世界中で愛唱されているスウェーデンの賛美歌で、日本では「輝く日を仰ぐとき」(聖歌480番)としてよく知られています。
原作者、カール・グスタフ・ボーベリーは、1885年頃のある夏の日に、スウェーデン南東部海岸のモンテステロス付近を訪れた際、激しい雷雨に見舞われました。まもなく雷雨は上がり、小鳥が再び歌い始めて、入り江の中から教会の鐘の音が水面を伝わって響いていくるのを聞いた時、彼は神の創造のわざと、神のあがないに心を打たれて、思わずひざまづき神を賛美してこの歌詞を作った、と言われています。
私の愛唱歌でもあり、散歩しながらよくひとりで口ずさみます。
今朝の礼拝でもこの賛美歌を歌いました。
歌詞は以下のとおりです。


1.輝く日を仰ぐとき 月星(つきほし)眺(なが)むるとき
雷(いかずち)鳴り渡るとき まことの御神(みかみ)を思う
Chorus:
 我が魂(たま)いざたたえよ 大いなる御神を
 我が魂 いざたたえよ 大いなる御神を
2.森にて鳥の音(ね)を聞き そびゆる山に登り
谷間の清き流れに まことの御神を思う
 Repeat Chorus
3.御神は世人(よびと)を愛し 一人の御子(みこ)を下(くだ)し
世人の救いのために 十字架にかからせたり
 Repeat Chorus
4.天地(あめつち)造りし神は 人をも造り替えて
正しく清き魂 持つ身とならしめ給う
 Repeat Chorus


神の創造のわざである大自然の中に、この美しいメロディーと演奏、そして歌詞が素晴らしいハーモニーで溶け込んでいます。
そして、これもすべて目に見えない「ひも」でつながっている「新超ひも理論」のひとつです。


今日は、ロサンゼルス時代の信仰の友であり、プロのミュージシャンである牧 良夫さん(下の写真、右から二人目)主宰のNCM2(NEW CHRISTIAN MUSIC MINISTRY)がここ平塚の近隣の街、小田原の十字町教会の招へいでクリスマス・コンサートを開かれます。NCM2は今、公演ツアーで全国を回っていらっしゃいます。
私も平塚での礼拝後、コンサートに出かけますが、牧さんとの再会、そして美しい賛美に耳を傾けられるのがとても楽しみです。

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生活の中に潜む数学

2015.11.18日

「勉強のひも」シリーズ3回目です。
今日のテーマは「生活の中に潜む数学」です。


一昨年の秋、「43年ぶりの再会」を果たした高校時代の親友、画家の堀 博喜くんのブログに面白いことが書かれていました。


1を7で割ると
   0.142857
この数字は不思議。
  142857×2=285714
  142857×3=428571
  142857×4=571428
  142857×5=714285 
  142857×6=857142
と数字が規則正しく繰り返しでてくる。
こんな不思議が 絵の中にもあるかも知れない。


「こんな不思議が 絵の中にもあるかも知れない」
と言うところが、さすが画家、芸術家です。
そして、これは実は真理なのです。
ちなみに、堀 博喜くんから個展のお知らせが先日届きました。
ちょうどこの11月15日(日)〜23日(月)10:30〜17:00(19日休廊)、名古屋市中区栄1-17-30 サロンギャラリー余白で水彩画・コラージュの個展が開かれていますので、お近くの方、ご興味のある方はぜひ足をお運びください。
私も2年前に彼の作品を目の当たりにして、感嘆のため息を漏らしました。
今回の個展に出展されている下の作品に、彼の言うところの数字の規則性、不思議が皆さんには見えますか?


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多くの生徒に嫌われていて、役立たないと思われている数学は、生活の様々な分野で生きています。
ドイツの数学者、天文学者、物理学者、ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウス(1777年4月30日 - 1855年2月23日)は、子供の頃から神童ぶりを発揮しました。
小学校での話が逸話として残っています。ある時、1から100までの数字すべてを足すように課題を出された彼は、1 + 100 = 101、2 + 99 = 101、…、50 + 51 = 101 となるので答えは 101×50 = 5050 だ、と即座に解答して教師を驚かせたそうです。
この話を知って、私は「本当なの?」と、検証してみることにしました。
小学生の頃、そろばんをやっていました。今でもよく覚えているのは、
「1円也、2也、3円也、...10円では」
「55円!」。
そこで、上のガウスの計算法を当てはめてみました。
1+10=11、2+9=11、3+8=11、4+7=11、5+6=11    11×5=55
1+20=21、2+19=21、…10+11=21   21×10=210
あっ!本当だ。すごいっ!!


また、作図できる正(素数)角形は古来から知られていた正三角形と正五角形のみだと考えられていたところ、ガウスは約二千年ぶりに正17角形が作図できることを発見しました。
このほか、
・ガウス積分・ガウスの定理・ガウスの判定法・ガウスの超幾何級数・ガウスの消去法・ガウスの相互法則・ガウス平面・ガウス整数・ガウス素数・ガウス関数、ガウス曲線等など、数えきれないほどの法則や定理を発見し、後の数学界に大きく貢献しました。


黄金比は、
1:1+√5/2
の比で、近似値は1:1.618、すなわち約5:8。
黄金比はパルテノン神殿やピラミッドといった歴史的建造物、絵画などの美術品の中に見出すことができるといいます。
また、自然界にも現れ、植物の葉の並び方や巻き貝の中にも見つけることができるといった主張があります。これらから、最も安定し美しい比率とされ、意図的に黄金比を意識して創作した芸術家も数多いそうです。
身近なところでは、名刺などのカード類や、パソコンのディスプレイなどにも多く利用されています。


「数は何故美しいのか。それはベートーベンの交響曲第九番がなぜ美しいのかと訊ねるようなものだ。君がその答を知らないのであれば、他の誰も答えることはできない。私は数が美しいということを知っている。もし数が美しくないのなら、美しいものなど何も無い」
とハンガリーの数学者ポール・エルデシュが言っています。
ガリレオ・ガリレイは全ての現代物理学の数学的基盤と整合する一文として
「数学は神が創造した世界を設計するために用いた言語である」
と主張しました。
(以上、Wikipediaより)


一見、無味乾燥に見える数字の羅列の中に美を見出すことができるのです。
というか、ガリレオ・ガリレイが言うように、神がご自身の無限の知恵を用いて創造された宇宙に整然とした数学的美が隠れているのは、ある意味当然のことでしょう。
これらの主張はすべて「ひも」でつながっています。
そして、古今東西の偉大な物理学者や数学者らは、自ら研究を進めていく中でこの「ひも」を発見し、偉大な功績を後世に残しました。


しかし、これは物理学や数学の世界に限ったことではありません。
宇宙の事物・事象すべてに原因があり、結果があります。
原因のない結果は存在しません。もしそうでなかったら、宇宙に上のような規則性はなく、混沌(こんとん)としていて、何の目的もないことになります。
そして、宇宙が無目的であるなら、私たち人間の存在も、人生もすべて目的がなくなります。
しかし、私たちは直感的にそうでないことを知っています。だから、みんな一生懸命生きようとするのです。
宇宙の規則性も、地球上のすべての生物、人間にも意味があり、これらはすべて「ひも」でつながっているのです。
そのつながりの関係を見抜くのが、すなわち論理力なのです。
これを見抜くことができると、勉強(学問)の面白さにはまり、様々な分野で次々と新しい発見ができるようになります。
さらに、学者に限らず、私たちのようなごく普通の人間にとっても、「ひも」を発見することは、無意味な人生でなく有意義な人生を送ることができるということにつながります。
私はこの「勉強のひも」を英語に見出し、その結果英語が得意になって、その後人生ずっと英語で生活するに至りました。


明日の「勉強のひも」では、「英語ができるようになるには」というテーマでお話しします。
これは今、学校で英語を勉強している生徒・学生だけを対象にしているものでは決してなく、だれの生活にも当てはまり、役立つ内容ですのでご期待ください。


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結婚ってフィフティ-フィフティ?

2015.11.14日
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Marriage is not 50-50.
Divorce is 50-50.
Marriage has to be 100-100.
It isn't dividing everything in half, but giving everything you've got!
結婚は50/50(フィフティ−フィフティ)ではない。
離婚が50/50だ。
結婚は100/100だ。
結婚とは、すべてを半々に分けることではなく、自分の持てるもの100%を与えること。

(訳:舟田譲二)


最近は結婚のことを「コストパフォーマンス」で考える人が増えてきているようで、そのようなタイトルの記事をあちらこちらでよく見かけます。
コストパフォーマンスで考えるなら、結婚は50/50でも100/100でもなく、100/0になり、自分さえ良ければ良いという全く自己中心なものになってしまいます。
そして、自分にとって益でなくなれば、不倫をする、離婚をするということになります。
果して結婚てそのようなものなのでしょうか。


聖書によると、結婚とは次のようなものです。
「妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい」
「主」とはイエス・キリストのことです。
夫婦関係が壊れる原因の多くは、妻が夫に仕えない、すなわちパワーバランスが崩れるというところにあるようです。妻は自分の思い通りに夫をコントロールしようとしますが、夫は妻に支配されるのを嫌います。そこで夫は言葉や行動をもって妻を力づくで支配しようとします。


それでは夫に対してはどうでしょうか。
夫は妻に仕えられてふんぞり返って、亭主関白で妻を自分の思い通りにこき使っていればいいのでしょうか。このような夫婦関係も非常に多く、そしてその結果離婚に至るケースもしばしばです。
聖書は次のように言っています。
「夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい」
夫に対しては妻を愛しなさい、とあるのですが、その愛し方は単に「愛しているよ」というようなレベルではありません。
「キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように」とは、イエス・キリストがご自分を信じる者を愛して十字架上で命を捧げられたようにという意味で、命をかけて愛しなさい、という命令です。
夫がこのように命がけで妻を愛するなら、妻は喜んで夫に仕えることでしょう。


つまり、聖書が教える結婚の姿は、夫も妻も自らを相手に100%捧げること、「100/100」の関係です。
このような結婚がうまくいかないわけありません。
そして、育児においても必ず成功します。


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信仰の世界

2015.11.11日
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I asked for strength and God
gave me difficulties to make me strong.
私は力を求めた。
神は私が強くなるよう困難を与えた。
I asked for wisdom and God
gave me problems to solve.
私は知恵を求めた。
神は解決すべき問題を私に与えた。
I asked for prosperity and God
gave me brawn and brains to work.
私は富を求めた。
神は屈強な身体と頭脳を私に与えた。
I asked for courage and God
gave me dangers to overcome.
私は勇気を求めた。
神は乗り越えるべき危険を私に与えた。
I asked for patience and God
placed me in situations where I was forced to wait.
私は忍耐力を求めた。
神は、待つことを余儀なくされる状況に私を置かれた。
I asked for love and God
gave me troubled people to help.
私は愛を求めた。
神は助けるべき困難の中にいる人を私に与えた。
I asked for favors and God
gave me opportunities.
私は願い事をした。
神は私に機会を与えた。
I asked for everything so I could enjoy life.
Instead, He gave me life so I could enjoy everything.
私は人生を楽しむことができるようあらゆるものを求めた。
しかし、神は私にあらゆることが楽しめるよう命を与えた。
I received nothing I wanted,
I received everything I needed.
私は自分の望んだものを何ひとつ得なかった。
しかし、私が必要としていたものをすべて得た。

(訳:舟田譲二)


人生、自分の思うようにはいきません。
しかし、神は私たちに必要なものはすべてご存じで、最善を私たちに与えてくださいます。
これが素晴らしい信仰の世界です。


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3年連続のリユニオン

2015.11.07日

昨日は本当に素晴らしい出来事がふたつもある、とても贅沢な日でした。
久し振りに出かけた東京でしたが、まず一つ目はFacebookフレンドの北村啓子さんがご経営していらっしゃる会社の銀座オフィスをお訪ねさせていただいたことです。
これまでにもいく度かお会いして、その都度大変お世話になっているのですが、この夏銀座にオフィス兼店舗を出されたということで、ずっとお訪ねしたいと願っていました。
銀座の一等地に位置するそのオフィスは、まるで映画『ティファニーで朝食を』のティファニーのようなイメージの(行ったことありませんが)センスのいいとっても素敵なところでした。
あいにく北村さんはお仕事でオフィスを空けておられお会いすることができませんでしたが、スタッフの方々がとても温かくお迎えくださり、感動に胸が震える思いをしました。
扱っていらっしゃる商品は、高級化粧品と私も愛用させていただいている高品質なサプリメントで、まさに五つ星のものです。自信を持ってご紹介させていただけるものばかりです。
ご興味がある方は是非ご連絡ください。


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ラパスを後にして品川に向かい、二つ目の幸せな時を過ごしました。
2年前の「初対面同士の再会?」、そして去年の「一年ぶりの同窓会⁉」に続き、今年は3年連続のハグリユニオンの素晴らしい時を持たせていただきました。
もとはアメリカ在住のますみ・ヒューズさんが一時帰国されるのを機に、つながっていたFBフレンドで集まろうということになったのです。
私にとってこのクリスチャン仲間の1年に1回の集いは、他のなにものにも代えがたいもので、いわば魂の故郷での親しい交わりのひと時です。
ただ今回は風邪でお一人が、そしてもう一人は直前になってご家族に体調を崩した方が出て、急に参加できなくなったのが残念でした。
美味しいお食事をいただきながら、金野正樹先生(写真左)が作詞されたゴスペル演歌替え歌『北国の春』などをカラオケで歌って楽しみました。
皆さんとのお別れの時には、ハグしていただいて涙が出てきて止まらなくなるほどで、天国の前味を味わうような感謝な時となりました。


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人間は万物の霊長か

2015.09.16日
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今朝方、玄関先の通路に生えていた草むしりをしかけて、ふと次の逸話を思い出しました。


かつて昭和天皇の侍従が「真に恐れ入りますが、雑草が生い茂っておりまして随分手を尽くしたのですがこれだけ残ってしまいました。いずれきれいに致しますから」とお詫びしたところ、天皇陛下は、「何を言っているんですか。雑草という草はないんですよ。どの草にも名前はあるんです。どの植物にも名前があって、それぞれ自分の好きな場所を選んで生を営んでいるんです。人間の一方的な考えで、これを切って掃除してはいけませんよ」とおっしゃった、というものです。


私は鈍いもので、とくに草花などについてはほとんど知識がありません。
ですから道端や庭に生えている草は全部一緒くたにして「雑草」と呼んでしまいます。
さらに、庭の草むしりをしていて、雑草か雑草でなくて花を咲かせる草かどうかの判別もつかず、雑草と一緒にむしり取って捨ててしまい、妻に叱られることすらあります。


「雑草」は我々人間にとって見栄えが悪いから、不都合だからと言って抜いて捨てるのは確かに人間の傲慢な考えに思われます。昭和天皇がおっしゃったように、ひとまとめにした「雑草」ではなく、一つひとつに名前があり、与えられた命を精いっぱい生き抜いています。


これに対して、我々の目に美しい花は高い値段で売買され、花瓶に活けて飾ったり、花束にして人にプレゼントしたりして、とても重宝されます。


しかし、どういうわけか、クジラやイルカなどの保護を訴えて、時には実力行使で人に危害さえ加えるような団体などはあっても、草花の命を護れと訴える団体というのはあまり聞きません。というか、同じ命を持っていても雑草は平気で抜いて捨て、美しい草花は抜いたり切ったりして人が愛でる目的で使うのならば良しとします。


これは人間のエゴではないのか。


でも、突き詰めて考えていくと、地球上のすべての動植物を人は自分たちの生命活動のため、また芸術活動と称して利用しており、そのような行為が認められています。


それは人間が地球上で一番偉い存在、すなわち万物の霊長だからなのでしょうか。
人間が「万物の霊長」であるという考え方に対して、それは間違いで単なる思い上がりだ、と言う人もいます。中には、人間を害虫以下の生物だと言う人すらいます。


もしそうだとすれば、地球上の生物に優劣など一切なく、進化論が言うように適者生存、弱肉強食の世界ということになり、人間が他の動植物やバクテリア・細菌などの生物に食われたり、殺されたりしてもやむを得ないものとなります。


しかし、私たちは直感的にそうではない、ということを知っています。それは単なる思い上がりではありません。
その根拠はどこにあるのかと言うと、宇宙とその中に存在する万物を創造された神様ご自身が、創造の目的を語っていらっしゃる聖書の中にあるのです。
この聖書の教え抜きにしては、人もその他の生物もなんら変わるところはありません。


また、上に書いた「人間は万物の霊長である、と考えるのは人間の思い上がりだ」という考えや、「人間は害虫以下の生物だ」という考えも、聖書に照らし合わせて初めて、それは罪によるものだということが分かります。


神様が宇宙を創り、地球上に人をご自身の像(かたち−ご人格、ご性質)に似せてお創りになった時、「非常によかった」(創世記1:31)とあるように、すべては調和がとれて完璧な状態でした。
そして、神様は人に「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ」(創世記1:28)とお命じになりました。ここで言う「支配せよ」は「管理せよ」というような意味です。
すべてが狂い始めたのは、人間が罪を犯してからです。罪の結果、「人間は害虫以下の生物」のようなものになったのです。


しかし、神様はこのような状態を良しとされず、人とその他の被造物との和解の道としてイエス・キリストという真の和解の使者をこの世に遣わされたのです。
このような考え方を、キリスト者の傲慢だと言えば、もうこの世の中は、進化論の教えに従って混とんとした無秩序、無目的の世界になり、解決の糸口はどこにも見出せなくなってしまって、人類は自滅するよりほかなくなってしまいます。


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無知よりも危険なもの

2015.09.12日

"Beware of false knowledge; it is more dangerous than ignorance."
-- George Bernard Shaw
「間違った知識に注意せよ。無知よりも危険だから」
-- ジョージ・バーナード・ショー、作家・批評家
(訳:舟田譲二)


ジョージ・バーナード・ショーについては、以前「10倍の結果を出すには」に書いていますので、ご参照ください。私の尊敬する作家の一人です。


昨日のニュースで、IS(イスラム国)がまた日本を含む世界中の国々に対して、テロや誘拐などの予告をしました。
そして、ノルウェー人と中国人をすでに人質に取って身代金を要求しているということを知り、ショックを受けました。日本人の人質二人が尊い人命を奪われるというおぞましい出来事からまだ半年少ししかたっていません。
この反社会的、反人道的な行為を繰り返すイスラム過激派の考えが理解できません。


このような事件が起きると、「だから宗教は恐ろしい」と人はよく言います。
確かにISが主張していることを聞くと一見宗教のように思われ、これまでのオウム真理教や、人民寺院の900人を超える集団自殺、統一協会や法の華三法行の大型詐欺事件などを見ると、宗教に対してついつい用心深くなるのは当然のことです。
一般的には、無知な人たちがこのような恐ろしい集団に引き込まれるケースがとても多いです。


しかし、宗教という名前で一括(くく)りをすることは同時に危険です。これらはカルトと呼ばれるもので、宗教とは違います。
「間違った知識には注意せよ。無知よりも危険だから」と、ジョージ・バーナード・ショーが言っているように、間違った教えに染まること、すなわち洗脳されることは、知らないことよりもよっぽど危険なのです。


それではどのようにして善と悪を見分けるのか。一番良い見分け方は、聖書に書いてある次の方法です。
「にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。
あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。
そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない。良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれる。
このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである」
(マタイによる福音書 7:15-20)


つまり「実によって見わける」、やっていることを見て見分けるのです。
間違った教えに染まらないよう、私たちは「みことば」という正しい教えで武装しなければなりません。


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困難は勇敢に立ち向かうと霧散する

2015.09.08日

"It has been my philosophy of life that difficulties vanish when faced boldly."
-- Isaac Asimov, author
「困難は勇敢に立ち向かうと霧散するというのが私の人生哲学だ」
-- アイザック・アシモフ、作家
(訳:舟田譲二)


アイザック・アシモフ(1920–1992)は、アメリカの作家、生化学者。
非常に成功した多作の作家であり、その著作は500冊以上を数える。彼が扱うテーマは科学、言語、歴史、聖書など多岐にわたり、デューイ十進分類法の10ある主要カテゴリのうち9つにわたるが、特にSF、一般向け科学解説書、推理小説によってよく知られている。


家庭は裕福ではなかったが学業成績は優秀で、公立校や高校を飛び級で卒業して1935年に15歳でコロンビア大学へ入学。卒業後、同大学大学院で化学を専攻したが、第二次世界大戦の勃発を理由に大学院を休学。戦後大学院に復学し、博士号を取得したものの就職口は得られず、ボストン大学医学部の生化学の講師となった。大学では講義と研究の他に共同で教科書の執筆を行い、一般向けのノンフィクションを書くきっかけとなった。


1955年に准教授となり終身の在職権を得たが、この頃になると執筆活動への傾倒が進んで学内で上司や一部の教授たちから不興を買い度々トラブルが発生していた。既に著作や講演で十分な収入を得ていたこともあり、1958年に肩書きのみを保持することで合意し、教壇を降りた。その後は専業の作家・講演者となり、化学以外のノンフィクションの分野へも活動を広げていった。1979年7月になってボストン大学は彼を昇格させ、生化学教授となった。


1951年に息子、1955年に娘が生まれていたが、1970年から妻子と別居。1973年にガートルード夫人と正式に離婚し、同年に心理分析医のジャネット・ジェプスン(後にSF作家)と再婚した。アシモフとジャネットはノービー (Norby) シリーズなどの共著を残している。
(以上、Wikipediaより抜粋)


一見、順風満帆で作家として大成功したかに見える生涯も、博士号取得後の就職難やコロンビア大学の職場での同僚との確執、離婚問題など、さまざまな問題に遭遇しています。
しかし、そのような中でアイザック・アシモフは、その都度一つひとつの問題を解決し、経験してきた困難がすべてうまく作用して、作家として成功を収めているのです。


アシモフに限らず、だれでも人生において幾多の困難や試練に出会うものです。
傍目にうまくいっているようでも、困難、試練のない人生などそもそもあり得ません。
アイザック・アシモフはそのような試練を通して学んだこと、それが冒頭の言葉、
「困難は勇敢に立ち向かうと霧散するというのが私の人生哲学だ」
です。


「わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない」
(ヨシュア記1:9)
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」
(ローマ8:28)


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人に与えたものと、人から受けたもの

2015.09.07日
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"Blessed are those who give without remembering and take without forgetting."
-- Elizabeth Bibesco
「幸いなるかな。人に与えたものを思い出さず、人から受けたものを忘れない者は」
-- エリザベス・ビベスコ
(訳:舟田譲二)


エリザベス・ビベスコ(1897–1945)は英国首相の長女として生まれた、イギリスの作家・詩人、社交界の名士。
12歳の時、慈善事業のために自分が演出する劇の台本をアイルランドの偉大な劇作家、ジョージ・バーナード・ショーに依頼して書いてもらう。
ルーマニア人の貴族と結婚し、侯爵夫人となる。当時のイギリスでは、ほかのだれよりも超越した知性の持ち主と評される。イギリスの上流社会での自らの体験を作品の中で描写している。


エリザベス・ビベスコは多くの名言を残していますが、冒頭のものは彼女の生活から生まれた真実のものに違いありません。
豊かで、優雅な生活をしていながら、「人に与えたものを思い出さず、人から受けたものを忘れない」という精神は本当に立派です。
多くの人は、むしろこの逆で、「人に与えたものをいつまでも覚えていて、人から受けたものを忘れる」のではないでしょうか。


私はこれまで何人か、このような「人に与えたものを思い出さず、人から受けたものを忘れない」立派な人に出会ってきました。
今もそのうちのお一人に、とてもお世話になっていて心からその方を尊敬しています。
私の知り得る限り、ほかの誰よりも立派な、本物の篤志家・慈善家です。
このような方とお知り合いになれていることを私は本当に誇りに思っています。
まさに現代のエリザベス・ビベスコです。


私自身も、この方に倣ってたとえ小さいことであっても、「人に与えたものを思い出さず、人から受けたものを忘れない」者となれるよう努めたいと常々思っています。


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アインシュタインが定義する偶然

2015.09.06日
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"Coincidence is God's way of remaining anonymous."
-- Albert Einstein
「偶然とは、名前を前に出さないで働かれる神の方法である」
-- アルバート・アインシュタイン
(訳:舟田譲二)


「偶然」という言葉を私たちは無意識のうちによく使います。
しかし、果たしてさまざまな出来事は本当に「偶然」起こっているのでしょうか?
これまで、このブログで「偶然」についてたびたび記事を書いてきました。(「偶然、たまたま」「再び「偶然、たまたま」?」「神はさいを振られない」、ほか)


上の記事の中に登場したみづきちゃんは、24歳の若さでアメリカで交通事故に遭いなくなられました。しかし、「亡くなった」のではありません。事故に遭う少し前に信仰を持って、天国の神様のもとに召されたのです。


このみづきちゃんの事故死は私たち知り合いの者すべてにとって、そして誰よりもご家族にとっては本当にいたたまれない辛い出来事でした。
でも、このことを通して神様はみづきちゃんのご家族に働きかけられました。お母さんは信仰に導かれ、事故から約1年半後の今年のイースターに洗礼を受けられたのです。
お母さんとは今も時々メールでやり取りしていますが、素晴らしい信仰をみづきちゃんから引き継いでいらっしゃいます。


これらは全部「偶然」の出来事だったのでしょうか?
もしも「偶然」と呼んだら、みづきちゃんの死も、お母さんの受洗も何の意味もないことになってしまいます。


実際のところ、もしも神様がいらっしゃらなかったら、私たちの命も、人生も、死も何の意味もないことで、すべては偶然のことなので、喜んだり、悲しんだり、嘆いたりする必要もありません。
しかし、直感的に、本能的に、私たちはそうでないことを知っています。神様が私たちの心の中にそのような思いを刻みつけていらっしゃるからです。


アインシュタインはこのことを面白い表現で言いました。
「偶然とは、名前を前に出さないで働かれる神の方法である」と。
この世で起こる様々なできごとは、一見なんの意味もない、偶然の結果のように思われるかもしれません。
しかし、宇宙の歴史だけでなく、人類の歴史も、そして私たちの人生もすべてを統べ治めていらっしゃる神様がその背後にあって、ご計画を持って行っていらっしゃるのです。
ただ、これは神様がなさったのだと、はっきりと分からないように「作者不詳」(英語でanonymous)で行っていらっしゃるので、私たちの目にはこれが「偶然」のように見えるのです。
一分(いちぶ)の狂いもなく完璧な状態で運行している宇宙を見るとき、神の存在抜きに偶然で済ませることはできないと、アインシュタインは考え、冒頭の言葉を語ったのです。


このことが分かると、人生は180度変わってきます。


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86,400秒分の1秒

2015.09.03日

"God gave you a gift of 86,400 seconds today. Have you used one to say 'thank you?'"
-- William Arthur Ward
「神様は今日、あなたに86,400秒という贈り物をくださいました。あなたはそのうちの1秒を使って『ありがとう』と言いましたか?」
-- ウィリアム・アーサー・ウォード
(訳:舟田譲二)


ウィリアム・アーサー・ウォード(1921-1994)はアメリカの教育学者、牧師、教師。
アメリカでインスピレーションナルな名言でもっともよく引用される人物の一人です。


よく引用される彼の有名な言葉に次のものがあります。
The mediocre teacher tells.
The good teacher explains.
The superior teacher demonstrates.
The great teacher inspires.
平凡な教師はただしゃべる。
良い教師は解説する。
さらに優れた教師は自らやってみせる。
しかし、偉大なる教師は生徒の心に火をつける。
(訳:舟田譲二)


これは本当に教育者として鏡にすべき名言中の名言です。
以前、山本五十六の有名な言葉をご紹介しましたが、これに通じる教えです(「ほめてやらねば 人は動かじ」)。


さて、今日の冒頭の彼の言葉
「神様は今日、あなたに86,400秒という贈り物をくださいました。あなたはそのうちの1秒を使って『ありがとう』と言いましたか?」
は、本当に耳に痛いです。


去る2月に「ありがとう」と「サンキュー」の反対語という記事を書きました。
「感謝する心」の反対は「当たり前と思う心」です。
私たちは、毎日毎日、数えきれないほどたくさんの素晴らしいプレゼントを神様からいただきながら、無意識のうちにそれを当たり前のものと思い、感謝するのを忘れてしまいがちです。
そのプレゼントの中でも最高のものは「時」です。だれでも公平に1日に86,400秒という時間を与えられています。
生きていること、時間が与えられていること、そんなことは当たり前だと思っているのです。
しかし、ウィリアム・ウォードは言っています。「86,400秒のうちの1秒でも使って『ありがとう』と言いましたか?」と。


人から何をしてもらっても当たり前。神様から数えきれないほどの恵みを毎日いただいても当たり前。
これは本当に私たちが陥りやすい罠で、なんでもかんでも「当たり前」と思っていると、「感謝する心」、喜びが生まれてきません。


まずは、86,400秒のうちの1秒を使って神様に「ありがとう」「感謝します」と言いましょう。
そして、次に、家族や友人など私たちの身の周りの人たちに同じく「ありがとう」と言おうではありませんか。
私たちが今日の一日生かされていることは、まさに神様のお陰、身の周りの人たちのお陰です。
みんながこのような思いで一日を過ごすなら、争いは止み、家族も、世の中も本当に平和になるでしょう。


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用いるか、失うか。これが法則。

2015.09.01日

"God gives everyone certain attributes, characteristics, talents, and then He says, "If you use what you have I'll increase it, but if you don't use it, you'll lose it." Use it or lose it; it's a law."
-- Charlie "Tremendous" Jones
「神様は私たち一人ひとりに独自の性質、特性、才能を与えてくださっていて、私たちにおっしゃいます。『あなたの持っているものを用いるならば私はそれをさらに増し加えましょう。でも用いないならば、あなたはそれを失います』と。用いるか、失うか。これは法則です」
-- チャーリー・"トレメンダス"・ジョーンズ
(訳:舟田譲二)


チャーリー・"トレメンダス"・ジョーンズ(1904-2008)は、アメリカを代表するモチベーショナル・スピーカー、作家、講演家。
私の大好きな作家、オグ・マンディーノ(「アメイジング・グレース」)の勧めもあって、彼の "Life is Tremendous" を昔読んでとても啓蒙されました。書名の "Tremendous" は彼のペンネームでもありますが、「最高」「素晴らしい」「ものすごい」といった意味です。
この本は12か国語に翻訳され、世界で200万部売れたベストセラーです。


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冒頭の言葉、「神様は私たち一人ひとりに独自の性質、特性、才能を与えてくださっていて、私たちにおっしゃいます。『あなたの持っているものを用いるならば私はそれをさらに増し加えましょう。でも用いないならば、あなたはそれを失います』と。用いるか、失うか。これは法則です」は、聖書の教えるメッセージであり、同時にチャーリー・"トレメンダス"・ジョーンズがその生涯を通して私たちに語っているメッセージでもあります。
上掲書もこのことを教えています。
これは、勉学に、仕事に、人間関係に、子育てや家族関係に、そして人生のありとあらゆる場面に通じます。


「おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう」
(マタイによる福音書 25:29)


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夢を実現させるための努力を惜しまない人

2015.08.30日

"Happy are those who dream dreams and are ready to pay the price to make them come true."
-- Leon Suenens, Clergyman
「夢を見、その夢を実現させるための努力を惜しまない人は幸いです」
-- レオン・スーネンス、ローマカトリック教会枢機卿(すうききょう)


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"Happy are those who..."
と言えば、あの有名なイエス・キリストの山上の垂訓の出だしの言葉です。
"Happy are those who are humble; they will receive what God has promised!"
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです」


そして、それに続く次の言葉はとても有名です。
「悲しむ者は幸いです。その人は慰めれるからです。
柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。
義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。
あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。
心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。
平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。
義のために迫害される者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。
喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたよりも前に来た預言者たちも、そのように迫害されました」
(マタイの福音書5:3-12)


若い頃、イギリスで法律を学んでいたガンジー(「不屈の精神からくる強さ」)は聖書の山上の垂訓、とくにこのあとに続く、
「『目には目で、歯には歯で。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい」
(マタイ5:38, 39)
のみ言葉に出会って大きなショックを受け、イエス・キリストの「非暴力」の教えによってインドを独立へ導いたのでした。


さて、今日の格言
「夢を見、その夢を実現させるための努力を惜しまない人は幸いです」
はカトリック教会の枢機卿(教皇の最高顧問)、レオン・スーネンスが語ったものですから、当然聖書の山上の垂訓を意識して作ったものでしょう。
面白いのは、枢機卿という立場にありながら、信仰のことを語るのではなく、まるで現代の積極思考の先導者であるかのようなことを言っている点です。
しかし、実はこの「夢を見、その夢を実現させるための努力を惜しまない人は幸いです」は、積極思考だけでなく、信仰の世界にも通じることなのです。
「彼(アブラハム)は望みえないのになおも望みつつ信じた」(ローマ4:18)
とありますが、アブラハムはただ信じただけではなく、それに伴う行い、努力も惜しみませんでした。
ヤコブも
「それと同じように、信仰も、もし行いがなかったらな、それだけでは、死んだものです」
(ヤコブ2:17)
と語っています。


信じること、夢を見ることはとても大切ですが、ただ夢を見るだけでなく、その夢を実現させるための努力も当然のことながら不可欠です。ちょうどガンジーがイエス・キリストの山上の垂訓の教えに従って命を張って実行に移したように。


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愛している者には、時は永遠である

2015.08.28日
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"Time is too slow for those who wait, too swift for those who fear, too long for those who grieve, too short for those who rejoice, but for those who love, time is eternity."
-- Henry Van Dyke
「時は待っている者にはあまりにも遅く、恐れている者にはあまりにも速く、悲しんでいる者にはあまりにも長く、喜んでいる者にはあまりにも短い。しかし、愛している者には、時は永遠である」
-- ヘンリー・ヴァン・ダイク
(訳:舟田譲二)


ヘンリー・ヴァン・ダイク(1852ー1933)は、アメリカの作家、詩人、随筆家で、長老派教会の牧師を務めたあと、プリンストン大学の英文学教授となり、その在任中オランダ公使も務めた多彩な人物です。
上のダイクの言葉は、作家、詩人、また牧師に実にふさわしいものではないでしょうか。


時というのは非情なもので、
「時は待っている者にはあまりにも遅い」。
早く来ないか、とその時を待ちこがれている者には、時は永遠に感じるほどゆっくりと流れます。


「恐れている者にはあまりにも速い」。
願わくはその時が来ないで欲しい、と思っている者にはあまりにも速くやってきます。


辛い思いをして
「悲しんでいる者にはあまりにも長く」
感じられるものです。


そして、
「喜んでいる者にはあまりにも短い」。
こんな喜びが永遠に続いて欲しいと思っている者にはあまりにも短く感じられます。


そんな一見、いじわるのように見える「時」ですが、
「愛している者には、時は永遠である」。


時は神様から私たちへのプレゼントです。
そして、この愛があるからこそ、私たちは神から与えられたつかの間の地上の人生を真に享受することができるのです。
もし愛がなかったら、この世の人生はあまりにも苦渋に満ちていて、空しい。
神様、あなたの無限のご愛を心から感謝いたします。


「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」
(ヨハネI 4:10)


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別れは再会の始め

2015.08.24日

今日の紙上説教は、昨日、湘南見附キリスト教会で取り次いだメッセージです。
少し長いので、ご興味のある方だけお読みください。


「別れは再会の始め」
(ヨハネの福音書3:16)


♪Should auld acquaintance be forgot,
And never brought to mind?
Should auld acquaintance be forgot
And auld lang syne?

Refrain:
For auld lang syne, my dear,
For auld lang syne,
We'll take a cup o' kindness yet
For auld lang syne.♬

(日本語に直しますと)
古い友人は忘れ去られ、
もう二度と思い出されることもないのだろうか。
古い友人は忘れ去られ、
古き良き日々の記憶もまた、心から消え去ってしまうのだろうか。

コーラス:
親愛なる友よ、古き良き日々のために、
古き良き懐かしい日々のために
親愛なるこの一杯を飲みかわそうではないか。
古き良き日々のために。


言うまでもなく、これは有名な『蛍の光』の元の英語の歌で、スコットランドの民謡、準国歌です。
NHKの去年の朝ドラ『マッサン』の中で、主人公のエリーが繰り返し歌い、紅白歌合戦ではエリー役のシャーロット・ケイト・フォックスさんが大トリで歌っていました。
この”Auld Lang Syne”は私にとっても思い出の歌です。
英語が大好きだった私は、中学1年生になって英語部に入りました。その年の秋の文化祭で英語部ではいくつかの英語の歌を歌ったのですが、これがそのうちの一つでした。以来、これは私の愛唱歌となりました。


日本人ならみんなそうでしょうが、『蛍の光』を歌うと胸がいっぱいになり、涙が出てきます。このスコットランドの民謡”Auld Lang Syne”を歌う人たちも同様でしょう。この歌を歌うと、どうしても「別れ」のイメージが大きくて辛くなり、胸がいっぱいになります。
日本では「会うは別れの始まり」と言います。夫婦であろうと親子、兄弟姉妹、親族、親しい友人、師弟、教会内の兄弟姉妹等々すべての人間関係にはやがて必ず別れの時がきます。中には、死に別れの辛さのあまり病気になり床に伏してしまったり、場合によっては気が変になってしまったり、また後追い自殺をする人さえいます。死は大切な人間関係を引き裂く、人生最大の敵です。


大変なときなどに、「四苦八苦する」と私たちはよく言いますが、この「四苦八苦」は仏教の用語です。生・老・病・死(生きる、老いる、病気になる、死ぬこと)の四苦、すなわち4つの苦しみに、愛別離苦(あいべつりく - 愛する者と別離すること)、怨憎会苦(おんぞうえく- 怨み憎んでいる者に会うこと)、求不得苦(ぐふとくく - 求める物が得られないこと)、五蘊盛苦(ごうんじょうく - 肉体と精神が思うようにならないこと)の四つを加えて、八つの苦しみのことを「四苦八苦」と呼ぶのです。


このうちのひとつ「愛別離苦」、愛する者と生き別れたり、あるいは死に別れすることの苦しさ・辛さは他のどれよりも一番酷なものでしょう。
仏教では、これらの人生に伴う苦しみに対する答えとして、悟りを開くこと、解脱することを教えています。言い換えると、それらを超越して、苦しみから解放されることですが、そんなに簡単にできることであれば誰も苦労しません。現にあのとんちで有名な高僧、一休和尚は臨終の床で、自分の死後の行き先が分からず、「わしゃ死にとうない。ほんまに、ほんまに死にとうない」と言って、枕もとに集まって師匠の最後の言葉を待っていた弟子たちを驚かせたと言われています。


私は幼稚園児の頃から、死を考え、恐れる非常に多感な子どもでした。26歳の時にカラスの鳴き声を聞いて悟りを開いたという一休和尚よりもある意味早熟だったかもしれません。
毎晩、布団の中に入ると、自分の両手の親指と中指で耳と鼻を押え、目を閉じて息を止めて、真っ暗で音も聞こえず、息もできなくて苦しい世界、これが死後の世界だろうと想像して、「死ぬのが怖い。死にたくない」と泣いて両親を困らせていました。4、5歳のときのことです。
両親はなんとか私を慰めようとして、「大丈夫だよ。譲二は死なないよ」と言うのですが、私にはそれが嘘だとよく分かっていました。


そんな私がアメリカ留学中の27歳のとき、聖書の中のまことの神様に出会い、自分の罪を悔い改めてイエスさまを救い主として信じて生まれ変わりました。このとき初めて、永遠のいのちが与えられたということが分かり、幼少の頃より恐れていた死の恐怖から解放されました。


さらに、この永遠のいのちのことをどうしても両親にも知ってもらいたいと思い、必死で毎日祈りました。母は1年後にイエスさまを信じて救われました。
そして、「神により 生きる尊さ 今あらた」
「まくらもとに 立たれし御神のみことばが 今も耳に残りて 苦しみもぬけ去りぬ」
「もしキリストの愛がなかったら 痛い苦しみ 今ごろはさ迷う羊となっていたでしょう」
など数多くの詩を書き残して、2年後に心臓病で天国に帰りました。
父は私の信仰をどうしても認めることができず、ずいぶん迫害しましたが、7年後についに信仰に至り、サプライズで私の手から洗礼を受けてくれました。そしてその父も今から4年半前に天に帰りました。かくして、私が幼稚園児のときに「譲二は死なないよ」と言っていた両親にも永遠のいのちをプレゼントし天国に送って、将来私も天国に召されるときそこで再会できることになりました。つまり、「別れは再会の始め」がここに実現されたのです。


皆さん、これこそが福音です。福音とはグッドニュース、良い知らせのことです。英語では、good の比較級 better「より良い」、 最上級 best「最高に良い」と変化しますが、「良い知らせ」 どころか、「最高の知らせ」、これ以上のグッドニュースは世にありません。人類最大の敵である罪の問題と、死の問題を解決してくれるからです。


しかもこの永遠のいのちはだれでも受け取ることができます。
ただし、それにはたった一つだけ条件があります。この条件を満たさない限り永遠のいのちをいただいて天国に行くことはできません。それは、本来、私たちが罪人として支払うべき罰である永遠の死の裁きをイエスさまが身代わりになって十字架にかかって受けてくださったことを信じて受け入れることです。これなしに天国に行くことはできませんし、「別れは再会の始め」の希望を持つことはできません。


世の宗教はこぞって善行功徳、良い行いをして徳を積んで天国に行くことを教えますが、人の罪はそんな生やさしいものではありません。善行功徳が天国に行ける保証とならないのは、第一にその基準がないということです。どれだけ良い行いをしたら天国に行けるのか誰にも分かりません。だから、悟りを開いていたという一休和尚でさえ死を恐れていたのです。
そして、もし善行功徳で天国に行けるのなら、イエスさまは十字架上でわざわざあのような苦しみの極みをなめて、神の罰を受ける必要もありませんでした。


さて、私たち日本人はみんな、自分はそんな恐ろしい罪人ではない、ごく普通のありきたりの人間だと思います。罪と言うと犯罪をイメージし、自分は警察につかまったり、裁判にかけられて有罪判決を受けるような犯罪人ではないと思うのです。
しかし、聖書のいう罪人とは、犯罪人のことではありません。
新約聖書の中で使われている「罪」という言葉は、原語のギリシャ語では「ハマルティア」といいます。
この「ハマルティア」の元の意味は「的外れ」です。すなわち、神中心でなく、自己中心で自分が一番可愛い、自分が一番大切という生き方、これが的外れな生き方で、罪なのです。


人を憎んだり、恨んだり、嫉妬したり、高慢になって人を心の中で裁いたり軽蔑したり、心の中に汚れた思いを持ったりする。先ほど、四苦八苦のところで言ったような、怨み憎んでいる者に会うとか、求める物が得られない、肉体と精神が思うようにならない、などというのはすべて人間の心の中にある罪からくるものです。そして、これらの罪が表に現れたもの、それが社会のルールを破る、いわゆる犯罪なのです。ですから、たとえ犯罪を犯していなくても、私たちはみんな生まれながらにして罪人なのです。


神様は私たちがひとりとして滅びて永遠の地獄に行くことを望まれず、自らイエス・キリストという人の形をとって今から約二千年前にこの世に来てくださり、十字架上で私たちの罪の罰を身代わりになって受けてくださいました。そのことを信じる者のみが罪赦され、永遠のいのちをいただくことができます。


人はみんな罪を隠そうとします。しかし、いくら小さくしても、その罪は残っていて消すことはできません。イエスさまの十字架の贖いを信じた者だけが、神様から罪なし、と宣言されるのです。ちょうどこのように。
(罪が消えるマジック)


この地上の私たちの人生はさまざまな苦しみや悲しみもあり、そしてやがて肉体のいのちは終わり、愛する者と別れます。しかし、天国では永遠に別れることがありません。つまり、この地上での別れは天国での再会の始まりなのです。肉体の死は、永遠のいのちへの出発、いわば毛虫が美しい蝶に生まれ変わるようなものです。
だれでも家族や親しい者との別れは辛いです。私も皆さんとの地上での別れはとても辛いです。しかし、やがて天国で再会できることが約束されています。私は今からその日を楽しみにしています。


「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」


お祈りします。
愛する天の父なる神様。
あなたは私たち罪人を愛して、私たちが罪の故に永遠の地獄に落ちることを望まれず、ひとり子イエスさまをこの世にお送りくださいました。そしてイエスさまは十字架上で尊い血を流して、私たちの罰を身代わりになって受け、贖いのわざを成し遂げてくださいました。イエスさまを信じる者は永遠のいのちが与えられ、たとえ地上で悲しい別れがあっても、天国での再会が約束されています。
あなたの深いご愛を覚えて、心より感謝いたします。
しかし、まだこの素晴らしい永遠のいのちを受けていらっしゃらない方が私たちの身の周りにたくさんいらっしゃいます。これらの方々に神様の愛を、そしてイエスさまの十字架上の贖いの最高のニュースを伝える使命が私たちに与えられています。どうか、私たちがあなたによってこの世に遣わされたキリスト者としての良き香りを放ち、イエスさまを人々にお証しすることができますように。そして愛する人たちがイエスさまを信じて永遠のいのちを受け、天国で再会する恵みに与かることができますように、切に祈り求めます。
私たちの尊い救い主、イエス・キリストさまのお名前によってお祈りいたします。
アーメン。


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神はさいを振られない

2015.08.22日

"God does not play dice."
-- Albert Einstein
「神はさいを振られない」
-- アルバート・アインシュタイン
(訳:舟田譲二)


昨日の記事、「夕日の神秘や、月の美しさ」の中でもアインシュタインの言葉を引用しましたが、今日の彼の言葉も至言です。


「神はさいを振られない」とは、神は気まぐれなお方ではない。神は偶然に物事をゆだねられるお方ではない。すべてをご計画し、ご自分の意志によって歴史を支配しておられる方である、というような意味です。


これに対して、「さいを振る」とは、意志の入り込む余地がない、成り行き任せということで、絶対神の存在を認めない進化論の教えはまさにそれです。
進化論によると、宇宙が生まれたのも、地球上に生命が生まれたのも、そして私たちが生まれ、この地球上に現在生きていることもすべてが偶然によることで、意味も目的もなにもない、ということになります。


このような進化論の教えに従うと、愛や善意、思いやり、人助けなどおよそ徳と言われるものはすべて絶対的でなく相対的なものになり、別にしてもしなくても良いことになります。
さらに言えば、この世は弱肉強食の世界なので、弱いものをたとえ蹴落としてでも強いものが生き残り、その遺伝子を子孫に残せばいいことになり、弱者に対する思いやりなど必要なくなります。
極端な言い方をすれば、高尚に生きる意味や目的もないので、飲めや食えやでその日を面白おかしく過ごし、自分の欲を満たせればいい、ということにすらなります。
そして、現代はまさにそのような生き方が人々の理想になっているかのようにすら見えます。


昨日、滋賀に住む甥が5日間ほどの滞在の予定でこちらに遊びにきました。
彼が携帯に載っている乙武洋匡さんの写真を見せてくれました。しかし、そのあとには身体障がい者がこの世から消えていなくなればいい、といった読むに堪えないひどい侮辱の言葉が延々と続いているのです。
私はそれを見て言葉を失いました。甥も同様にとても心を痛めていました。


しかし、面白半分でそのような生き方をしていても、人の魂は決して満足できるわけありません。
なにか違うのではないか、この人生になにか意味があるのではないか、自分はいったいなんのために生きているのか、などと自問するものです。


これに対して、「神はさいを振られない」という考え方をすると、自分は偶然の産物ではないので自分の人生には意味があるはずだとなり、たとえ苦しみや辛いこと、試練などがあっても、その背後にある神様のご計画、ご愛を感じることができるようになります。



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夕日の神秘や、月の美しさ

2015.08.21日
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"When I admire the wonders of a sunset or the beauty of the moon, my soul expands in the worship of the creator."
-- Mahatma Gandhi
「夕日の神秘や、月の美しさをほめたたえるとき、私の魂は創造主を拝してふくらむ」
-- マハトマ・ガンジー
(訳:舟田譲二)


ガンジー自身はキリスト教を否定し、自分のことをヒンドゥー教徒と称していました。
しかし、ヒンドゥー教は輪廻を教える多神教で、宇宙の絶対的な創造者の存在を教えていません。
それにもかかわらず、ガンジーが「夕日の神秘や、月の美しさをほめたたえるとき、私の魂は創造主を拝してふくらむ」と言っているのは、注目に値します。


アインシュタインもクリスチャンではありませんでしたが、同様のことを言っています。
「神は人格的・無垢な存在である。われわれは創造主を完全に知ることはできないが、限られた知性の人間である私にも宇宙の秩序・調和を見れば、そんな神の存在が分かる。それなのに『神はいない』と言う人々がいる。腹立たしいのは、無神論者が私の言葉を利用することだ。自分は無神論者ではない。創造主を否定する人々は狂気の無神論者だ」。


聖書には、上のガンジーやアインシュタインの言葉を想起させるような表現が繰り返し出てきます。
「わたしは、あなたの指のわざなる天を見、あなたが設けられた月と星とを見て思います」
(詩篇 8:3)
「夜をつかさどらすために月と、もろもろの星とを造られた者に感謝せよ」
(詩篇 136:9)
「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである」(ローマ人への手紙 1:20)


「神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて」というのは、アインシュタインの言う「宇宙の秩序・調和を見れば、そんな神の存在が分かる」であり、ガンジーが月星太陽等を見て、その背後にいます創造主を拝しているのと同じことです。
主の御名はほむべきかな!


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言葉遣い

2015.08.16日

私はどうも生真面目というか、クソまじめというか。
まあ、きっとクソまじめなのでしょう。
言葉遣いにとてもうるさいのです。
昨日も録画しておいたテレビ番組「心と脳の白熱教室 『あなたの性格は変えられるか』」を見ていたのですが、英語で話されているのを日本語に翻訳してナレーションをしている人が「気高い」という言葉を「きだかい」と言っているのを聞いてちょっと幻滅してしまい、素晴らしい番組の価値が半減したかのような気がしました。
もちろん、これは「けだかい」と読みます。


ほかにもこれまでこのブログで言葉に関する記事はたくさん書いてきましたが、昔、言語学をやっていたこともあってか、とくに言葉遣いについてはうるさいのです。
今ではもう当たり前のようにみんなが使っている「なので…」という言い方も、私は好きではなく、自分では絶対に使うことはできません。
考えてみたら、「嗚呼、福田恆存先生!」の中に書いた福田恆存先生や、金田一春彦先生(「自分を買ってもらえ そこ2」)など、国語の大家から受けた影響が大きいのかもしれません。


また、言葉遣いに敏感な私は、ええとこのボン(「今日は何の日?」)じゃないですが、これまで一度も妻や子どもたちに対してさえ「俺」とか「お前」という言葉を使ったことがありません。親しい友達の間ですらそうです。自分のことは「僕」、「私」また「パパ」などと言い、相手のことは名前を使って呼んでいます。
小学生のとき、近所に住んでいた2歳年下の子が自分のことを「わし」と言っているのを聞いて驚き、「僕」と言った方がいいよと教えてあげたことがあるほどです。


このような言葉遣いになったのは、おそらく両親の育て方の故でしょう。
私は小さい頃から言葉遣いにはデリケートで、言葉が大好きでした。
ですからきっと福田先生や金田一先生とも波長が合い、大学では英語、英語学を専攻して、大学院では言語学を専攻することになったのだと思います。


このような私が聖書に触れたとき、聖書の言葉
「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった」(ヨハネによる福音書 1:1)
はまさに私の魂に即座に響き、その後の聖書理解、神理解に大いに役立ちました。


私たち人間が人間たる所以は、言葉を使うことにあり、そしてこの言葉は神様ご自身が私たち人間とコミュニケート(意思疎通)するために与えられた最大のプレゼントだと確信するのです。


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神なしの1週間

2015.08.05日
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アメリカ在住のFBフレンド、Masumi Hughesさんがシェアしてくださった上の画像の言葉が機知に富んでいてあまりにも面白く、何とかこれをうまく日本語に翻訳できないものかと、夜も寝て(!)夢の中で(?)考えました。
そして、ついに一昨夜たどり着きました。
でも、その前にまず上の英文をそのまま日本語に訳します。


神がいないと私たちの1週間は:
Sinday 「罪の日」(Sunday 日曜日を文字って。以下同様)
Mournday 「悲しみの日」(Monday 月曜日)
Tearsday 「涙の日」(Tuesday 火曜日)
Wasteday 「無駄遣いの日」(Wednesday 水曜日)
Thirstday 「渇きの日」(Thursday 木曜日)
Fightday 「闘いの日」(Friday 金曜日)
Shatterday 「打ち砕かれる日」(Saturday 土曜日)
神なしの7日間は私たちをひ弱にする。


で、原文の語呂合わせの味を保ちつつ、私が日本語風に直して創作したのが次のものです。(裏付ける聖書の注付き)


神がいない1週間は:
ニーチェ様日 (日曜日 「神は死んだ」のニーチェの様な日)

(愚かな者は心のうちに「神はいない」と言う。彼らは腐れはて、憎むべき事をなし、善を行う者はいない。−詩篇14:1)
下水道日 (月曜日 下水道のように嫌な臭いを放つ日)
(またその運河は臭いにおいを放ち、エジプトのナイルの支流はややに減ってかわき、葦とよしとは枯れはてる。−イザヤ書19:6
それは、かんばしいかおりであり、神の喜んで受けて下さる供え物である。−ピリピ人4:18)
禍異様日 (火曜日 禍-わざわい-を異様に大きく感じる日)
(悪しき者はわざわいだ、彼は災をうける。その手のなした事が彼に報いられるからである。イザヤ書3:11
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。−詩篇 23:4)
追悼日 (水曜日 死を恐れ、死後に望みがないので近親者の死を悼み、悲しむ日)
(イエスは彼に言われた、『わたしに従ってきなさい。そして、その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい」。』−マタイ8:22
「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。−Iコリント15:55)
黙夜日 (木曜日 夜な夜な孤独な沈黙を過ごす日)
(わたしは黙して物言わず、むなしく沈黙を守った。しかし、わたしの悩みはさらにひどくなり、−詩篇39:2
あなたがたが主と共におる間は、主もあなたがたと共におられます。−歴代志下15:2)
金要日 (金、金が要ると、金が全ての空しい日)
(これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。−マタイ6:32-33)
どんよ〜り日 (土曜日 頭も心も霊もどんよ〜り曇って神が見えない日)
(そして、彼らがイスラエルの神を見ると、その足の下にはサファイアの敷石のごとき物があり、澄み渡るおおぞらのようであった。−出エジプト記 24:10
心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。−マタイ5:8)
神なしの1"週間"は、人に悪い"習慣"をつけさせる。


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神の奴隷? 罪の奴隷?

2015.08.03日
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昨日、湘南見附キリスト教会の礼拝において語ったメッセージを、今日はそのままご紹介させていただく紙上説教です。
実際には原稿から離れて話しており、アドリブや冗談が入り、また最後の方で視覚に訴えるゴスペルマジックも行っているのですが、それをこの紙上で再現するのは不可能なので、ここでは元の原稿をそのまま転写いたします。
ただ少し長いということと、キリスト教や聖書の話に関心のない方もいらっしゃると思いますので、そのような方はスルーしてください。あくまでも興味のある方だけお読みください。


「神の奴隷か罪の奴隷か」

ローマ人への手紙6:12-23


 4か月ほど前になりますが、『ガイアの夜明け』というテレビ番組で「産後ドゥーラ」という活動を特集していました。これは娘のお気に入りの番組で、私も一緒によく見ています。
 産後ドゥーラは、産後の悩めるお母さんたちを助ける働きです。普通、家事代行は家事しかやってくれませんし、ベビーシッターは赤ちゃんの世話だけで料理や掃除はしてくれません。しかし、産後ドゥーラは、産後のお母さんをトータルでサポートするのです。
 この「ドゥーラ」というのは日本人には聞きなれない言葉ですが、私は聞いた瞬間、直感でこれはギリシャ語の「ドゥーロス」の女性形だと思いました。ドゥーロスとは「奴隷」のことです。
 一緒に番組を見ていた娘にこのことを言ったところ、娘は驚いて、「まあ言わんとすることは分からないではないけど、やっぱり『奴隷』という言葉は響きが悪いし、印象も良くない。名前の付け方にちょっと問題があるのでは」と言いました。
 確かに、今のこの時代に「奴隷」という言葉を使うのには抵抗があるでしょう。ですからこの団体ではホームページ上で、「ドゥーラの語源は、ギリシャ語で他の女性を支援する、経験豊かな女性」というふうに説明していて「奴隷」という言葉は使っていません。


 もし万が一、現代の世界のどこかの国で奴隷のようなことが行われていたら、それがどこであっても人権蹂躙(じゅうりん)だと言って国際団体が訴え、廃止に追い込もうとすることでしょう。
 誰だって「奴隷」になんかなりたくありません。
 ところが、聖書を見ていると「奴隷」という言葉が頻繁に出てきます。それは単に昔の時代のことで奴隷制度があったからではありません。今日の私たちも「神の奴隷だ」と聖書は言っています。
 教会外の人たちが、クリスチャンとは神の奴隷だなんて聞いたら、自分たちはまっぴらご免だと言って、つまずきになることでしょう。しかし、聖書には創世記の最初から黙示録の最後に至るまで一貫して、私たちは神の奴隷であると記されています。


 聖書を読み始めた時、私が一番初めにとても違和感を覚えた言葉は「主」(しゅ)でした。今日私たちは「主」なんて言葉はまず使いません。ひと昔前には「館の主(あるじ)」というような使われ方はしていましたが、今や聞くことはありません。しいて言えば、妻が夫のことを「主人」と呼ぶのに使われているぐらいです。まあ、どちらが主人なの分からないケースもよくありますが。あと「主」を使うのは「主従関係」とか「主語・述語」、「主治医」「主任」とかで、「主」という言葉自体を耳にすることはまずありません。


 聖書の中で使われている「主」とはなんでしょう。私たちクリスチャンは普段、無意識のうちに神様のことを「主」と呼び、また「主よ、主よ」と賛美しています。


 旧約聖書の中には「主」という言葉が7000回近く出てきます。原語のヘブル語ではYHWHという子音だけで書かれていて母音がありません。母音がなくてもヘブル語は普段使われている言葉で母音を補って読むため発音は分かるのですが、この神様を表すYHWHは出エジプト20:7にある
「あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない」
というところから、人々は畏れ多くて神様のお名前を口にせず異なる母音をつけ「アドナイ」と発音し、「主」という意味に置き換えていたと言われています。


 日本でも、天皇陛下のことを昔は現人神(あらひとがみ)と言って名前を口にするのを畏れて「陛下」と呼んでいました。昭和天皇のことを「裕仁」(ひろひと)と呼ぶようになったのは英語の影響もあって、戦後のことです。
 また、今日でも現天皇の「明仁」(あきひと)という名前を知っている人はほとんどいません。昔だったら、天皇のことを「明仁」なんて名前で呼んだりしたら不敬罪で逮捕され投獄されて、ことによっては首をはねられていたかもしれません。


 同様に、旧約聖書の時代も神様の名前を口にするのをはばかっているうちに発音の仕方が分からなくなったのです。YHWHに母音を補っておそらく「ヤハウェ」のような発音だったのだろうと言われていますが、これすら確かではありません。
 アドナイの母音を使って発音した「イェホワ」を英語読みしたものがJehovah(ジェホゥヴァ)で、日本語風に直したのが「エホバ」です。皆さんもよくご存じのエホバ証人が使っている名前です。エホバの証人は、聖書の中に出てくる「主」とか「神様」というのは本当の名前ではなく、正確に神様のお名前を「エホバ」と呼ばなければならないと主張し、私たちキリスト教会を非難しています。しかし、彼らが使っている「エホバ」も英語の「ジェホゥヴァ」もヘブル語のYHWHの正確な読み方ではありません。そのことを彼らに指摘したところ、発音はどうでもよい、正しい名前で呼ぶことが大切なのだと返答しました。これはまったく見当外れな答えで、たとえて言うならば、人の名前を間違えて呼んでいるのと同じで、かえって失礼になります。
 さて、以上のような理由で、神様のお名前を口にするのが畏れ多くて、「主」と呼んでいたのです。


 新約聖書において「主」と訳されている言葉は、原語のギリシャ語では「キュリオス」で、750回ほど登場しますが、これは旧約聖書に出てくるヘブル語の「ヤハウェ」のことで、同じ神様のことを指しています。このことは、新約聖書の中でイエスさまやパウロなどが旧約聖書を引用して「ヤハウェ」のことを言うときに「キュリオス」という言葉を使っていることからも明らかです。
 つまり、旧約聖書においても、新約聖書においても、神様のことを「主」と呼んでいるのは、神様が私たちの「ご主人様」であり、私たちは神様の奴隷であるからです。パウロも自らのことを「キリストの僕(しもべ)」と呼んでいます。「僕」とはもちろん奴隷のことです。つまり私たちはみんな神様の僕、神様は私たちの「主」なのです。


 これらのことを念頭に置いて今朝の聖書の箇所、ローマ人への手紙6:17−18を見ると、パウロはここで、私たちは「罪の奴隷」から解放されて「義の奴隷」になったと言っています。 
 私たちはかつて罪の奴隷だったのです。
 16節の前半には、「あなたがたはこのことを知らないのですか。あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り」とあります。すなわち23節にあるように「罪から来る報酬は死」、私たち生まれながらのものはみんな例外なく罪人であり、その行き着く先は永遠の死なのです。
 しかし、聖書の中に記されているまことの神が素晴らしいのは、世界中のどの宗教にもない、人間が持つ最大の敵であり、私たちを苦しめ、不幸にしているこの罪の問題を解決しているところにあり、これこそがキリスト教のトレードマークと言えるものなのです。


 20−22節にあるように、「罪の奴隷であった時は、あなたがたは義については、自由にふるまっていました。その当時、今ではあなたがたが恥じているそのようなものから、何か良い実を得たでしょうか。それらのものの行き着く所は死です。しかし、今は、罪から解放されて神の奴隷となり、清潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです」。
 罪の奴隷は、奴隷制度における奴隷とは比べものにならない本当に恐ろしい、最悪の奴隷です。神様を知らない人たちはみんなこの罪の奴隷状態にあります。だから、周りの人々に、とくに家族や親族、友人など身近な人たちにこの素晴らしい神様からのプレゼントである永遠のいのちを知らせるために神様によってこの世に教会が置かれ、私たちクリスチャンは伝道するよう命じられているのです。
 人々は奴隷になることを恐れていますが、自分たちが罪の奴隷であることに気づいていません。しかも、その行き着く先は永遠の死であることも知りません。
 しかし、罪の奴隷状態から解放され、神の奴隷になるなら最高のプレゼントである永遠のいのちをいただくことができるのです。こんな素晴らしい奴隷だったらだれでも喜んで神の奴隷になりたいと思うのではないでしょうか。ちょうどパウロが神の奴隷であることを誇っているように。


 罪の奴隷状態から解放され義の奴隷になる、すなわち罪が完全に赦されて、神様が私たちのことを「罪なし」と宣言されるところが聖書には何か所も出てきます。
 「東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される」(詩篇103:12)
 イエスさまは十字架の上で流されたその犠牲の尊い血潮によって私たちを洗い清め、雪よりも白くしてくださいます。


 しかし、「東が西から遠く離れている」とか「イエスの十字架の血潮によって雪よりも白く洗い清めてくださる」と言われても、ちょっとイメージするのが難しいです。
 そこで、このみ言葉を具体的なイメージで表すとこんな感じになります。
(ここで、罪から解法されるのを表すゴスペルマジックを披露)


 ヨハネの福音書3:16−18には、
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている」
とあり、また今日の箇所ローマ6:23には、
「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」
とあります。


 あなたの主はだれですか。本当にヤハウェの神様、イエスさまが主になっていますか? 私たちはヤハウェの神様、主イエス・キリストの僕になっているでしょうか。罪の奴隷から解放されて、義の奴隷となっているでしょうか。


 お祈りします。
「私たちの主。主の主。王の王なるイエスさま。
私たちはかつては罪の奴隷でした。自分が望む善を行うことができず、悪を行う、本当にみじめな者でした。そして、その罪の奴隷が行き着く先は永遠の死であり、そのために死を恐れていました。
 しかし、イエスさまが十字架上で流してくださいました血潮によって私たちを罪の奴隷状態から解放し、神の子、僕としてくださいました。今や私たちはさばかれることがなく、永遠のいのちが与えられ、生きる意味も目的も与えられています。そのことのゆえに心より感謝いたします。
 しかし、私たちの身の周りには家族や親族、友人たちの中に、まだまだこの素晴らしい福音を知らず、罪の奴隷状態になっている人たちがいます。
 主よ、どうか私たちをきよめ、あなたの義の奴隷にふさわしい者として整えてくださり、世の光、地の塩としてキリストの良き香りを放ち、周囲の者に良い証しを立てて、この素晴らしい救いの世界に導くことができますよう助けてください。
 私たちの主、イエス・キリストの御名によって感謝してお祈りいたします」


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良い夫婦関係を築く秘訣

2015.08.02日
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去る7月19日に司式した次男正人と小島萌さんの結婚式(「昨日は最高に幸せな一日でした」)で行ったショートメッセージを以下にシェアさせていただきます。
良い夫婦関係を築くのに、新婚・既婚、結婚年数に関わらず通じることで、少しでも皆さんのお役に立つことができれば幸いです。


聖書が教える良い夫婦関係を築く秘訣を3つのポイントでお話します。
まず第1に、妻に対して聖書は何と言っているでしょうか。
「妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい」(エペソ5:22)
「主」とはイエス・キリストのことです。
夫婦関係が壊れる原因の多くは、妻が夫に仕えない、すなわちパワーバランスが崩れるというところにあるようです。妻は自分の思い通りに夫をコントロールしようとしますが、夫は妻に支配されるのを嫌います。そこで夫は言葉や行動をもって妻を力づくで支配しようとします。
このような勧めを聞くと、こんなのは不公平だと女性の方は思い、面白くなく感じるものです。


それでは第2に、夫に対してはどうでしょうか。
夫は妻に仕えられてふんぞり返って、亭主関白で自分の思い通りに妻をこき使っていればいいのでしょうか。このような夫婦関係も非常に多く、そしてその結果離婚に至るケースもしばしばです。
聖書は何と言っているのでしょう。
「夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい」(エペソ5:25)
夫に対しては妻を愛しなさい、とあるのですが、その愛し方は単に「愛しているよ」というようなレベルではありません。
「キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように」とは、イエス・キリストがご自分を信じる者を愛して十字架上で命を捧げられたようにという意味で、命をかけて愛しなさい、という命令です。
夫がこのように命がけで妻を愛するなら、妻は喜んで夫に仕えることでしょう。


最後にふたりに対して聖書は何と言っているのでしょう。
「それゆえに、人は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである」(創世記2:24)
結婚してからも夫、または妻がまだ自分の親に精神的に、あるいは経済的に頼っていてはいけません。これも結婚生活が破たんする大きな原因のひとつです。
結婚したらふたりは一体であり、良い時だけでなく、苦しい時も、どんな時でもふたりで一緒に問題を解決していかなければなりません。実家に頼っていてはいけません。
また聖書には、
「互に重荷を負い合いなさい」(ガラテヤ6:2)
とあります。
夫婦は一心同体ですから、喜びだけでなく、相手の悩みや苦しみも自分のものです。二人で喜びを分かち合えば二倍になり、苦しみを分かつと半分になります。
最後にもうひとつ聖書から。
「怒ることがあっても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れるようであってはならない」(エペソ4:26)
ここで言っている「日が暮れる」とはその日が終わる、ということです。どんなに愛し合っていても、時には意見が衝突し、喧嘩することがあるでしょう。しかし、それを翌日に持ち越さない。お互いに謝り、また許し、相手を受け入れること。互いに許し合う、これがいつまでも平和で仲良く続けられる夫婦関係の秘訣です。
二人が一生、お互いを大切にし、支え合い、神様に祝福された素晴らしい結婚生活を築いていけるよう切に祈り求めます。
ご列席くださいました皆様もぜひ二人のことを覚えて祈り、支えてくだされば幸いです。


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顧客第一主義

2015.07.26日

"Never say no when a client asks for something, even if it is the moon. You can always try, and anyhow there is plenty of time afterward to explain that it was not possible."
-- Cesar Ritz, hotelier
「お客様が何かを頼んだら、決して"できません"と言ってはいけない。たとえそれが"月"であったとしても。いつでも試してみることはできるし、それに、"できませんでした"と後で説明する時間はたっぷりとあるのだから」
-- セザール・リッツ、ホテル経営者
(訳:舟田譲二)


セザール・リッツ(1850-1918)は今日の最上級ホテルの代名詞とも言えるホテル・リッツおよびザ・リッツ・カールトンというホテルの礎を築いた人です。
ザ・リッツ・カールトン・ホテルについては1年あまり前に、「人にして欲しいこと」という記事にも書きました。


セザール・リッツは16歳でホテルに見習いとして雇われましたが「ホテル従業員には向いていない」と言って首になり、その後軽食の給仕の仕事や、靴磨き、売春宿のドアマンなどの職を始め短期の季節労働の仕事をしたり、ホテルやレストランを片っ端から回って、就業を積んでいきます。
若干27歳でモンテカルロのホテルの支配人になると、1年で収益を倍にするなど敏腕を振るい、その後いくつかのホテルを買収し、46歳でホテル・リッツを始め大成功を収めました。


そのホテル王セザール・リッツが言っているのが冒頭の言葉です。
成功の秘訣は徹底した「顧客第一主義」です。
そして、この顧客を第一にしたサービスはすべての基本であり、最終目標です。
「人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ」(ルカ6:31)
という聖書の教えはすべてに通じる真理です。


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昨日は最高に幸せな一日でした

2015.07.20日

昨日は午前中は、湘南見附キリスト教会で礼拝を守りました。
説教は正人の結婚式で一時帰国している長男直人が担当しました。
会衆一人ひとりに優しく語りかけるような口調にみんなすっかり引き込まれました。


幼少の頃から小中高校生の頃、PK(牧師の子)として育てられ、それに抵抗して道を踏み外すような人生を送っていたけれど、高校を卒業して教会に行き始め、自分の罪に気づいて悔い改めイエスさまを信じ受け入れて生まれ変わったという証し。
そして、直人が一番尊敬しているアメリカ人牧師、ジョン・パイパーのメッセージを聴いていた時、彼の人生が根底から覆されたそうです。
パイパー牧師が、数万人の大学生など若者相手にニコニコしながら言いました。
「私の知っている愛する二人の老婦人の宣教師が、アフリカのカメルーンで車を運転していた時、ブレーキが故障して崖から落ちて即死しました。皆さん、これは悲劇ですか?
いいえ、悲劇ではありません。
悲劇はこっちです。このリーダーズダイジェストの雑誌に書いてある『いかに年若くして成功し、早くリタイアし、毎日ゴルフをし、ボートを持ち、大邸宅に住むか』という記事の中に登場しているこの人たちこそ本当の悲劇の人たちです。彼らはやがて地上の生涯を終えて審判者である神の前に出た時、『神様、私はこんなにゴルフがうまいです。こんなすごい家に住み、こんな大きなボートを持っています』と言うのでしょうか」
私はこの話を、そして直人の語るエペソ人への手紙1章からの神様の洪水のようにあふれてくる祝福の話を聴きながら、もう涙が止まりませんでした。


礼拝が終わり、電車に間に合うよう駅まで走って、横浜の結婚式場へ。
リハーサルにぎりぎり間に合いました。そしてすぐに本番。
時が近づいてくると、私の心臓はドッキン、ドッキン…。
弦楽四重奏(?)の生演奏とプロの方の歌に併せて荘厳な雰囲気の中、新郎と新婦が入場します。
牧師のガウンを身につけた私が式次第を一つひとつアナウンスしながら式は進められていきます。


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讃美歌312番「いつくしみ深き」が賛美され、聖書朗読、誓約に続き宣言。
「舟田直人と小島萌とは、今、神と教会との前において、真心より夫婦となる誓約をいたしました」
と言ったところ、目の前にいる正人が私の方を見て小さな声で「正人」と訂正します。
午前中の礼拝の司会で、「舟田直人」と何度も繰り返していたため、無意識のうちに名前を間違えてしまっていたのです。頭に血が上り、もう汗びっしょり。心臓はバックン、バックンと大きな音を立てています。慌てて名前を言い直すという大ポカをやらかしてしまいました。
まあ、これもご愛嬌です。
その後、式は順調に進み、無事「うるっ」とならず「さくっ」と司式の務めを終えることができました。


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式後の披露宴では、アカデミーの現役、および歴代の先生たち12人が次々と挨拶にこられ、私も幸せでしたが、こんな素晴らしい仲間に恵まれた正人はなんと幸せ者なのだろう、と思うともううるうる。
正人から新婦萌さんへのプレゼントでサプライズのコントラバス演奏。
萌さんの涙を見てこちらも涙。


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そしてスクリーンに二人の子どもの頃から出逢いまでの写真がスライドで映し出されると、もうだめ。それからは涙腺が緩みっぱなし。
最後に新郎・新婦の親への感謝の言葉が語られ、両家を代表して新郎の父の挨拶の時が来る頃には涙ボロボロで、言葉が出てこないほどでした。


美しい、とても優しい、そして聡明な萌さんをお嫁さんにいただいた正人は本当に幸せ者です。
私たちも最高に幸せな一日でした。


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今日は次男の結婚式

2015.07.19日

今日は次男、正人の結婚式です!


一か月ほど前の私の誕生日の翌日、正人から頼まれました。
「結婚式の司式をしてくれない?」
これが正人から私への誕生プレゼントでした。
「思いもかけなかった」ことではなく、可能性はとても低かったのですが、私はずっとこのために祈っていました。ですから神様からの応えだと受け止め、それほど驚きはしませんでした。でも正直、とても嬉しかったです。


二人の仕事の都合で、結婚式の日にちを先に決めてしまっていたのですが、式場はどこもずいぶん先まで予約で埋まっていて探すのが大変だったようです。
結局、横浜の由緒ある歴史的建造物でもあるラ・バンク・ド・ロアという式場になりました。
一応、結婚式のセットの中に専属チャプレンによる司式が含まれているのですが、お決まりのありふれたものではなく、オリジナルのものを作りたいという彼らの願いからの司式の依頼でした。


式は午後からなのですが、それに先立ち午前中はいつも私たちが出席している湘南見附キリスト教会の礼拝に長男直人夫婦とともに出ることになりました。
先週の礼拝後、そのことを先生にお伝えすると、もしよければ直人に礼拝のメッセージをお願いしたいということになり、今朝は特別賛美を直人夫婦にデュエットしてもらい、メッセージをいただきました。初めて聴く息子のメッセージでした。
賛美、メッセージともにとても恵まれました。


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慌ただしく、これから式場に向かいます。
すでに天国に逝った父の洗礼式を今から30年前に私の手で行う特権に与かりましたが、今回は次男の結婚式の司式と、私はなんて神様に祝福された者だろう、とただただ感謝に絶えません。
結婚式の様子や写真はまた明日のブログにて皆様にシェアさせていただきます。
感謝とともにご報告させていただきます。


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危険を冒さないことは...

2015.07.18日

"Risks must be taken because the greatest hazard in life is to risk nothing."
-- Leo Buscaglia, Speaker and Author
「危険は冒さなければならないものだ。なぜなら、人生における最大の危険は、なんの危険も冒さないことだからだ」
-- レオ・バスカーリア、講演家・作家
(訳:舟田譲二)


バスカーリアはアメリカ合衆国の教育家で、いのちについて教える日本でも人気の絵本『葉っぱのフレディ』の著者として世界的に知られています。
彼の言う「人生における最大の危険は、なんの危険も冒さないこと」というのはとても深い意味を持っています。


昨日は、Facebookを通じて知り合いになり、以来このブログに何度も登場していただき(「最高の一日」「最高の二乗」「昨日は美女とデート」「人生最高の日?」「有楽町で会いましょう」)、家族ぐるみのお付き合いをさせていただいている田中勝己さん・元美さんご夫妻のお子さん、ひかりさんと恵嗣くんが我が家に訪ねて来てくださいました。


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恵嗣くんは高校を卒業してから2年間自分探しをしてこられましたが、最近ようやく自分のこれからの進むべき道が見え始めてきた、と言ってその相談に見えたのです。
田中さんご一家は素晴らしいクリスチャンファミリーです。
今、うちに滞在している直人夫婦はアメリカで聖書カウンセリングを学んでいるのですが、恵嗣くんもこの分野に関心を持ち始められたのです。
聖書カウンセリングについていろいろと直人夫婦が教えてくれ、その内容にみんなすっかり引き込まれてしまいました。


直人と恵利紗から聖書カウンセリングの理論と実際、その目覚ましい効果などを聞いているうちに、みんな心燃やされてきました。私はもう水を得た魚のような感じでした。
恵嗣くんご本人の許可を得て今これを書いているのですが、この交わりと聖書カウンセリングの話を通して、彼もいよいよ本格的にアメリカの大学で学びたいという思いを熱くされたのです。
でも、実際に行くとなると、英語の問題や学資の問題など、行く道は決して平坦ではなく、ある意味これは大きな危険を冒すことです。
しかし、冒頭でバスカーリアが言っているように、「人生における最大の危険は、なんの危険も冒さないこと」で、むしろ「危険は冒さなければならない」のです。自分の将来のために。そして、世のためにも。
そしてこのことは、図らずもバスカーリアが『葉っぱのフレディ』の中で語っている、「葉っぱの短い生を通じいのちの尊さを知ると同時に、散った葉っぱがまた次の春に新しい葉っぱとして生まれ変わり、いのちは永遠に続いていくという生命の循環を知る」という内容にぴったりのことなのです。


私は恵嗣くんのこれからの歩みのために、そしてひかり・恵嗣姉弟が豊かな実を結ぶよう祝福をお祈りしました。


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障害のない道

2015.07.14日
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"If you can find a path with no obstacles, it probably doesn't lead anywhere."
-- Frank A. Clark
「障害のない道を見つけられたとしたら、その道はきっとどこにも通じないことだろう」
-- フランク・A・クラーク


だれでも障害のない楽な道を歩みたいものです。前途に困難が待ち受けている道など、だれも選び取りたくなんかありません。
ところがよくできたもので、楽な道を歩んでいるとその人の人生はどこにも行き着かない。
困難があるとその人は訓練され、練り清められ、立派に成長していくものです。


聖書には「試練」に関して次のような言葉があります。
「わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである」
(ヤコブの手紙 1:2, 3)
「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである」
(コリント人への第一の手紙 10:13)


私たちはこの世に生きている限り、試練のない人生など誰ひとり送ることなどできません。
人生に試練はつきものなのです。
ならば、試練を嫌なもの、避けたいものと考えるのではなく、上にあるようにむしろありがたいもの、喜ばしいもの、といった考え方をすると、試練の持つ意味は変わってき、人生そのもの、私たちの生き方そのものが変わってきます。


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人生とは一瞬一瞬が選択の連続

2015.07.11日
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"Choosing to be positive and and having a grateful attitude is going to determine how you're going to live your life."
(KushandWisdom)
「前向きで、感謝の心を持つことを決意をすることは、あなたがどのような人生を歩むかを決定づけるだろう」
(クシャンドウィズダム)


人生とは一瞬一瞬が選択の連続です。愚かな選択をすると、当然のことながらその蒔いた種を刈り取ることになりますし、賢い選択をすると豊かな人生を歩むことになります。
賢い選択とは「前向きで、感謝の心を持つ」ことです。
人はどのような状況の下にいようとも、前向きで、感謝の心を持つこともできれば、逆に不平・不満を言い、否定的、消極的な生き方をすることもできます。


私は一昨日、突然肩の激痛に襲われました。
あまりの痛さに、お友達の皆さんに祈りの応援をお願いしました。
すると100人以上の人が「祈っています」と言って温かい励ましの言葉を送ってきてくださいました。これによってどれほど勇気づけられ、元気になったかしれません。
お一人ひとりのメッセージを読みながら、嬉しくて涙が出てきました。


しかし、痛みの中で苦しみ悶え、神を呪うことだってできたのです。そしてそのような選択をしている人もたくさんいます。


昨日、FBフレンドのGさんの会社の従業員のお子さんがトラックに引かれ、ドクターヘリで病院に搬送されたというニュースが飛び込んできました。
昔、うちの塾の生徒がやはりトラックに引かれて亡くなったことがあったので、他人ごとではなく心に痛みを感じ、私もそのお子さんのために何度もお祈りしました。
ところが、Gさんが病院に向かう途中、信号待ちしていたところ後ろから来た車に追突されたそうです。その運転手の方が母子家庭の方で、しかも任意保険に入っていなかったとのこと。
車の修理費用はそれほどでもなさそうなので平気だけど、自分がもしむち打ち症になったら人身事故に切り替えることになり、相手の母子家庭のお母さんに経済的な負担がかかるだとうとご心配していらっしゃいます。


ついていないと言って、相手を責めたり、自分の不幸を呪うことだってできますが、Gさんは相手の方の経済的負担をご心配していらっしゃいます。
これもやはり選択です。
素晴らしい選択をしていらっしゃる後藤さんのお姿に私は感動を覚えました。
神様は必ずや後藤さんのこのような優しい心遣いに報いてくださることでしょう。
後藤さんのためにも併せてお祈りしました。


あなたはどのような人生を歩みたいですか?


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希望とは...

2015.07.10日
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"Hope is the only bee that makes honey without flowers."
-- Robert Green Ingersoll, Lawyer, Political leader
「希望とは、花がない状況で蜂蜜を作ってくれる唯一の蜂のことである」
-- ロバート・グリーン・インガーソル、弁護士、政治指導者
(訳:舟田譲二)


演説が公共の楽しみであった時代、インガーソル(1833-1899)は演説者として知られた。
彼の演説は3時間以上続くこともあったが、彼はそれを暗記していた。聴衆たちは退屈することがなかったという。(Wikipediaより)


冒頭の言葉は、まことに彼らしい見事な表現で、「希望」とはどんなものかを語っています。
「花がない状況で蜂蜜を作ってくれる蜂」なんているわけありません。花があって初めて蜂は蜂蜜が作れるのです。
しかし、そのような絶体絶命の中で唯一私たちを生かし、蜂蜜を与えてくれるのが「希望」だと言うのです。


聖書に次のような有名な言葉があります。
「忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである」
(ローマ人への手紙 5:4, 5)


私はこの「希望は失望に終ることはない」という言葉が大好きです。これによってこれまでどれほど勇気づけられ、助けられてきたことか分かりません。
実は昨日、予期しない出来事が起こりました。
昼頃、体育館のプールでスイミングしていた時、突然左上腕部に激痛が走ったのです。
クロールができなくなり、とりあえず途中から平泳ぎに変えてプールサイドにたどり着きました。
その後、夕方2時間生徒を教えていた時、痛みはどんどんひどくなり、そのうち左腕をまったく動かせなくなりました。
何かのはずみでちょっとでも動かそうものなら目から火が出て、
あ゛あ゛っ!
という声にならない悲鳴が苦痛にゆがんだ口から出てきます。


激痛に耐えかねて、市民病院に救急で駆け込もうとしたのですが、電話で問い合わせると整形外科の医師はいなくて処置ができない、明朝一番に来るようにとのことです。
仕方なく家にあった鎮痛剤を服み、経皮鎮痛湿布剤を患部に貼って早く床につきました。


朝、目覚めてすぐに病院にやってきて、今治療を待っているところです。
5年前にも同じような症状になったことがあり、その時はあまりの痛さに「骨肉腫になった⁉︎」かと思ったほどでした。
しかし、今回はもうベテラン?というわけではありませんが、事情知ったる我が家です。
しかも昨夜、Facebook上に「SOS! 緊急祷告依頼」とフレンドの方々にお祈りの応援をお願いしたところ、あっという間に200人以上の方々が即座に「いいね!」をクリックし(決して「良く」はないのですが)、100人近くの方が「お祈りしています」と励ましてくださり、皆さんのメッセージを読んでいて嬉しくて涙が出てきました。


私の今の状況は、決して「花のない状況で蜂蜜を作ってくれる蜂を求める」ような喫緊のものではありません。
でも、ニック・ブイチチさんなど両手、両足がなく、自分には何もできないと思っていた人が、逆に私以上に何でもできるようになられました(「自分には◯◯できない」)。
希望が持てないような、究極の絶望的な状況での真の希望というのが、「花のない状況で蜂蜜をもたらしてくれる蜂を求める」ようなものなのです。
私などこんなことぐらいで不平、不満、泣きごとを言っていたら、それこそバチが当たります。


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この世から最高のものを求めるなら

2015.07.08日

"If you want the best the world has to offer, offer the world your best."
-- Neale Donald Walsch, Author
「もしこの世から最高のものを求めるなら、まず自らの最高のものをこの世に提供しなさい」
-- ニール・ドナルド・ウォルシュ、作家
(訳:舟田譲二)


ニール・ドナルド・ウォルシュ(1943年9月10日 - )は、アメリカ合衆国の著作家。ベストセラー『神との対話』シリーズの著者です。
著者は、自動車事故に遭って首を骨折し、何か月もの間リハビリを続けているとき仕事を失い、保険会社は補償金を出し渋り、さらに配偶者と子どもたちが自分のもとを離れ、文無しになって1年間ホームレスの生活を経験しました。
このことを通して、「変えれば、変わる」ということを知り、本に著しました(『変えれば、変わる』)。
この彼が経験から言っているのが冒頭の言葉です。


私たちはとかくこの世に対して、あるいは家族や周囲の人たちに対して、そして神様に対しても、あれして欲しい、これが欲しいなどと自分の願い事は遠慮なく言うものですが、自分の方から先に何かをする、何かを提供するということがあまりにも少ないのではないでしょうか。
しかし、宇宙の法則は、私たちが自分の持っているものを先に相手に提供することを求めています。


聖書の「求めよ、さらば与えられん」という言葉は有名ですが、あまり知られていない「与えよ、さらば与えられん」も宇宙の大原則なのです。
「与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから」
(ルカによる福音書6:38)


このことを4年近く前に「与えなさい、そうすれば与えられます」という記事の中で書きました。
この世の一般的な基準からすると、与えるということは自分の持っているものが減り、損をすることになるのですが、そうではありません。与えれば与えるほど「引き寄せの法則」が働き、ますます多くのものが与えられるのです。


嘘だと思ったらニール・ドナルド・ウォルシュが言っているように、
「もしこの世から最高のものを求めるなら、まず自らの最高のものをこの世に提供しなさい」。


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心配とは事前に支払う無駄な利息

2015.07.01日

"Worry is interest paid on trouble before it comes due."
-- William Ralph Inge, writer
「心配とは、支払期限がくる前に支払われる、問題に対する利息である」
-- ウィリアム・ラルフ・イング、作家
(訳:舟田譲二)


ウィリアム・イングは19世紀から20世紀にかけてのイギリスの聖公会の司祭、神学者、作家です。


私たちはなんと心配するのが好きなのでしょう。
この心配というは、まるで「支払期限がくる前に支払われる利息」のようなもので、まったく無駄なもの。つまり、利息だけ先払いしておいて、実際にはその問題が起こらないで、支払った利息である「心配した」分だけ損をしたということになるのです。
皆さんも覚えがあるのではないでしょうか。
日本にも古くからことわざがありますよね。
「案ずるより産むが易し」と。


それが分かっていながら心配をする。これが人間の性(さが)なのでしょう。
これから解放されるにはどうしたらよいか。
宇宙の歴史を、そして私たちの人生を、始めから終わりまですべてご存じで支配していらっしゃる神様のみ手にお委ねすること。それ以外にありません。なぜなら、神様は私たちに対して最善以外の何ものもなさらないからです。


聖書には次のようにあります。
「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている」
(ローマ人への手紙 8:28)
「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである」
(エレミヤ書 29:11)


おそらく、ウィリアム・ラルフ・イングも上のようなことが言いたかったのでしょうね。


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ハンセン病患者の平安

2015.06.27日

私が尊敬する故榎本保郎先生の著『旧約聖書一日一章』(昭和52年初版 116ページ)「レビ記13:46」より一部抜粋したものを下にご紹介します。
胸を打たれるお話です。


 最近医学の発達でらい病人(注:現在はハンセン病という)はほとんどいなくなったと聞くが、先日らい療養所を訪れ、その後遺症のゆえに顔かたちが変形している兄弟、姉妹(注:キリスト教信者)に会ったとき、その病の恐ろしさに心が痛んだ。生涯そのとげを身に負って生きなければならないあの人たちを思うとき、自分の安易さを深くえぐられる思いがした。
 そのとき療養所内のK教会の一人の姉妹がこんな話をしてくれた。
「わたしは、せめて一年に一度くらい、元気に過ごしていることを両親に知らせたいと思って、今年、年賀状を出しました。すると間もなく父親がたずねてきました。わたしはその知らせを聞いて胸おどらせて面会室に飛んでいきました。すると父はわたしの顔を見るなり『なぜ年賀状などよこしたのか。これからはいっさい便りをよこしてくれるな』と吐き捨てるように言って、あとも振り向かず、帰っていきました」
 私はこの話を聞いたとき、胸がしめつけれらる思いがした。彼らは肉体のとげだけでなく、このような精神的なとげも負いながら生きていかなければならないのである。しかし、この姉妹の話はこれで終わらなかった。
「わたしはこんな父をうらもうとは思いません。むしろ、あんなことを言わねばならぬ父はどんなに苦しんだことかと思うと、申し訳ない思いでいっぱいです。どうかわたしの父も一日も早く信仰を与えられて、その苦しみから救われてほしいと祈っています」
 平安に満ちた、ほほえみさえ浮かべたこの姉妹の姿を見て、私は自分の目をうたがったほどであった。一体この平安の秘密はどこにあるのだろうか。この喜びのみなもとはどこにあるのだろうか。「だから、イエスもまた、ご自分の血で民を清めるために、門の外で苦難を受けられたのである」(注:キリストの十字架刑)と聖書は証言している。まさに彼女は、この営所の外に出てくださった主イエスの愛の注ぎを受けているがゆえに、あのように生きることができているのであろう。


私はこの話を読んでいて涙が溢れてきました。この記事を書いている今も、目に涙をためています。
聖書の中に幾度も登場するハンセン病患者。映画『ベン・ハー』の中にも登場します。
昔は不治の病、伝染病としてどの社会でも隔離され、人々から恐れ忌み嫌われ、家族から縁を切られていました。
このような中で本来なら、親を憎み、世を恨み、神を呪いたくなるようなハンセン病の苦しみを背負いながら、この話の中に登場する一人の女性は、親に申し訳なく思い、父の救いを祈り、平安に満ちて、ほほえみさえ浮かべている。
健全な身体を持ち、物心ともに満たされ、「飲めや食えや」の生活をして、幸せそうに見える人たちと比べて、果たしてどちらが本当に幸せなのでしょうか。
これが本当の信仰の世界、信仰の力です。


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私は自分が分からない

2015.06.23日

"People often say that this or that person has not yet found himself. But the self is not something one finds. It is something one creates."
-- Thomas Szasz, psychiatrist
「人はよくあの人は自分のことがよく分かっていない、この人も分かっていない、などと言う。しかし、自分のことというのは分かるかどうかではなく、創り上げるかどうかの問題である」
-- トーマス・サース、精神科医
(訳:舟田譲二)


トーマス・サース(1920-2012)はハンガリー生まれのユダヤ人で、のちにアメリカに移住した精神科医です。
サースは、精神疾患の患者が悪魔に憑りつかれているのでないのと同様、罪責感の犠牲者でもないと言って、精神疾患のそれまでの法律用語の定義を否定しました。
その彼が言っているのが冒頭の言葉です。


確かに考えてみたら、自分自身のことなんてだれも完璧に理解などできるわけありません。
理解できているかどうかではなく、むしろ大切なのはいかにして自分自身をcreate(創り上げる)かということだと、彼は主張しているのです。


新約聖書の大半を書いた使徒パウロは自分のことを次のように言っています。
「わたしは自分のしていることが、わからない。なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである。
そこで、この事をしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。
すなわち、わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている。
わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。
こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。
なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである」
(ローマ人への手紙 7:15〜8:2 口語訳)


パウロは、自分は善を行いたいにもかかわらず、それができない自らの内に潜む罪に悩み、自分はなんとみじめな人間なのだろうと、言っています。
このパウロがイエス・キリストの福音に触れ、変えられ、福音に生きる者とされていきます。
この場合、パウロ自身が自らを創り上げていくのではなく、内に宿っておられるイエスご自身がパウロを創り上げていってくださるのですが、「自分はこういう人間だ」と分かること以上に大切なのは、自分を創り出していくことです。


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パーソナルロボットPepper発売!

2015.06.20日

ここ数日、ウォギング(ウォーキングとジョギングのコンビネーション)でちょっと頑張り過ぎたら、昨日は途端に体全体が痛くなってダウン。そこへもってきて梅雨の雨空でウォーキングには出かけられませんでした。


でも、教室へ行く途、雨に濡れた綺麗な紫陽花を見て心身ともに大いに癒されました。
そのあまりの美しさにハッと息をのみ、しばらく見とれてしまいました。


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家に帰ってくると、出窓に飾ってある紅と白の美しい薔薇が私を迎えてくれました。


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と思いきや、小川薔薇店の小川政弘先生ならすぐに見抜くことでしょうが、これはもう何年も同じところで咲き続けている、真っ赤な薔薇ではなく「真っ赤な偽物」の造花です。
私のような素人にはなかなか区別がつかず、いとも簡単に騙されてしまうのですが、玄人にすればきっと一目瞭然なのでしょう。
一つには命があり、もう一方には命がない。


今、人工知能ロボットがとても注目を浴びています。とくにお年寄りの間で人気だそうです。
今日ソフトバンクから発売されるパーソナルロボットPepperは、人の感情を持っているという触れ込みで、ドラえもんの時代がやってきたとも言われています。
まずはその実力を下の動画でご覧ください。



孫正義社長が自信を持って売り出すだけあって、確かにすごいです。
しかも価格がなんと198,000円というから驚きです。私もポケットマネーで買えなくもないぐらいです。(実際にはアプリや保険などで全部合わせると100数十万円かかるそうですが)


果たしてドラえもんの時代が来たのでしょうか。
確かにこれからロボットの時代が来ることは間違いなく、介護を始めとするさまざまな分野で活躍することでしょう。
しかし、ロボットがたとえどれだけ進化した(じゃなくて、機能が進んでいった)としても、上の本物の紫陽花と造花の薔薇のように、命があるかないかの違いは想像以上に大きく、その垣根は未来永劫決して超えることはありません。スマップの中居くんが言っているようなPepperとの結婚などあり得ません(笑)。


ここに、神様の創造のみわざの凄さがあります。人は、神様から授かった知恵でこれから先、驚くようなロボットを造ることはできるでしょうが、無から命を産み出すことは絶対にできません。


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プレヤーウォーキング

2015.06.13日

昨日は朝から用事で出かけ、夕方から夜にかけて仕事でした。
仕事が終わったのは8時半。
いつものようにウォーキングする時間がなかったので、思い切って家に帰る前に8時半からウォーキングすることにしました。


夜は結構涼しかったので気持ちよく歩いていたのですが、途中からだんだん熱くなってきました。
歩いていると、以前塾に来ていた何人もの生徒の家の前を通りかかり、そこで思い立ってこれらの生徒一人ひとりのためにお祈りすることにしました。


今、高3でときどき顔を合わせるUさんの家の前を最初に通りました。
次に姉妹二人で通ってくれていたAさん。もうとっくに成人になっていて姉の方はもう近々結婚するという話を聞いています。
さらに進むと塾を始めた当初の初代の生徒Yさん。彼女はもう30代半ば。きっとすでに結婚していて家庭を持っていることでしょう。
また別の生徒の家の前を通り、もう少し進むとさらに他の生徒。
そして、兄妹で通ってくれていたHさんの家の前にさしかかりました。ここはご両親がお店をやっています。
そして今も通ってくれている生徒。他県に引っ越した別の生徒。
昨晩歩いているとき塾に来て勉強していたFくん。
今年30歳になるMくん。今は何をしているのだろう。
次に兄妹と、もう一人私が今教えている小学1年生の妹の三人で通ってくれている生徒の家の前を通りました。


しばらく進むと、4年前に天に召された父が最後の数ヶ月を過ごし息を引き取った、高台の病院の下を通りかかりました。認知症が進み、私のこともまったくわからなくなっていた父。当時の思い出が脳裏によみがえってきました。
父に感謝のお祈りをしました。


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中学時代、常に学年1位を取っていたSさんは今やもう30代半ばでしょうか。
そして、やはり昨晩塾で学んでいたYくんの家の前を通りかかり、ちょっと進んだところに昔Sさんが住んでいたアパート。
私立中学に進学し、今は高2になっているTくん。ここもご両親がお店をやっています。灯りがついていてお客さんがいらっしゃるようでした。
次に、大学生になっているKさんが住むマンション。
今、通ってくれている姉妹ふたり。
同じく今通塾中の小学生の家。
兄弟で通っていたOくんは今は高校生。


と、1時間あまりぐるっと一周近辺を回りました。
一人ひとりのために、そしてご家族とご両親のお仕事のためにもお祈りしました。
また、いろいろなところで関わりのある方々のために、そして病いの床にある方、怪我をしていらっしゃる方々のためにも併せてお祈りさせていただきました。
このようなプレヤーウォーキング(祈りの散歩)をよくしますが、祈っているこちらの方が恵まれます。
家に着いたのは10時前。いつもよりちょっと少ない13400歩、距離は8.8キロ。
最近は一日歩かないでいると気持ちが落ち着かなくなり、少しでも歩くよう努めています。
気持ち良い汗をかき、夜も熟睡できました。最近はよく食べ、よく歩き、よく眠って快調です。


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人間の頭脳の不思議

2015.06.12日

"An amazing thing, the human brain. Capable of understanding incredibly complex and intricate concepts. Yet at times unable to recognize the obvious and simple."
-- Jay Abraham, Marketing Expert
「驚くべきもの、それは人間の頭脳。信じられないような複雑なことや難解な概念を理解することができる。しかし時に、明白で単純なことを認識することができない」
-- ジェイ・エイブラハム、マーケティングのエキスパート
(訳:舟田 譲二)


人間の頭脳は本当にすごいです。
走ることでは絶対にかなわない獣を研究して自動車を産み出し、水中を泳ぐことでかなわない魚を見て舟や潜水艦を作り、鳥のように飛びたいと思ったら飛行機を発明し、さらには今やどんな鳥もかなわない宇宙船を作って宇宙の彼方へ冒険の旅行に、そして火星に移住することも考えるほどにまでなりました。
植物を研究してそこからさまざまな薬物を始め、バイオの世界を切り開きました。


人間が考え出したコンピュータは、想像もつかないようなスピードで超複雑な計算を瞬時にこなし、これが宇宙船の飛行も可能にしています。
人は一見、コンピュータに負けたように見えますが、このコンピュータを産み出したのは人間で、しかもこれをどんどん進化させているのも人間です。コンピュータ自体は自分自身で進化することはできません。


人間というものはこれほどすごいものでありながら、やはり神に創られた被造物。神が無限であるのに対し、人間はあくまでも有限の世界の中に生きています。
そんな人間ですから、冒頭の言葉のように、あまりにも「明白で単純なことを認識することができない」ことがあるのです。
そのひとつが戦争です。
戦争などして益するところなど何ひとつありません。そんなことは誰の目にも明白で単純なことです。しかし、こんな単純なことを認識できず有史以来戦争を絶えず続けているのです。
そして、対人関係のレベルで、また国家間のレベルで互いに愛し、受容し、助け合っていかなければならないのに、ぎゃくに憎み、拒絶し、闘っています。なんと愚かなことか。
人は自らの限度を知り、もっと謙虚にならなければなりません。それが唯一の真の平和を築く方法であり、みんなが幸せに生きることができる方法なのです。


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もう一つの成功の鍵

2015.06.09日

"Do a little more than you're paid to. Give a little more than you have to. Try a little harder than you want to. Aim a little higher than you think possible, and give a lot of thanks to God for health, family, and friends."
-- Art Linkletter
「給料を支払われている分よりももう少し仕事をしましょう。与えなければならないよりももう少し与えましょう。やりたいと思っていることよりももう少し頑張りましょう。できると思う以上、もう少し上を目指しましょう。そして、健康や家族、友人のために神様にいっぱい感謝しましょう」
-- アート・リンクレター
(訳:舟田 譲二)


アート・リンクレター (1912–2010) はカナダに生まれましたが、両親は貧しさから彼を近くの教会の入り口のところに置き去りました。この教会の牧師夫妻が彼を養子にして育て、やがて彼はラジオの、そしてテレビのパーソナリティとして大成功を収めました。


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リンクレターのモットーは冒頭の言葉で、それが彼に成功へ導きました。
考えてみたら、確かにこのような生き方を心がけていたら、生まれ育ちがどんなであろうと、容姿や能力がどうであろうと関係なく、だれでも人生で成功しますね。
これも成功のとても大切なルールの一つです。


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意欲に(1492)狂ったコロンブス‼️

2015.06.08日

"If Columbus had turned back, no one would have blamed him. No one would have remembered him, either."
-- Anonymous
「もしコロンブスが引き返していたら、だれも彼のことを非難しなかっただろう。まただれも彼のことを覚えていなかっただろう」
-- 作者不詳
(訳:舟田 譲二)


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コロンブスと言えば、「意欲に(1492年)燃えるコロンブス、新大陸発見」の語呂合わせで覚えた例のやつで、みんな学校で学びました。また、コロンブスはたどり着いたところを新大陸とは思わず、インドだと思い込んでいたので、出会った原住民のことをインディアンと呼んだこともみんな知っています。


新大陸発見を祝う凱旋式典で「誰でも西へ行けば陸地にぶつかる。造作も無いことだ」などとコロンブスの成功を妬む人々に対し、コロンブスは「誰かこの卵を机に立ててみて下さい」と言い、誰も出来なかった後でコロンブスは軽く卵の先を割ってから机に立てた。「そんな方法なら誰でも出来る」と言う人々に対し、コロンブスは「人のした後では造作も無いことです」と返した。これが『コロンブスの卵』の逸話であり、「誰でも出来る事でも、最初に実行するのは至難であり、柔軟な発想力が必要」「逆転の発想」という意の故事で今日使われています。


しかし、冒頭の言葉を見て「ん?」と首をかしげました。
私の頭の中ではコロンブスはある意味、英雄だったのです。
そのコロンブスがなぜ非難されたり、忘れ去られなければならなかったのだろう?
そこで早速、いつものごとくWikipediaで「コロンブス」を検索して彼が非難される理由を調べました。
記事を読み進むうちに、驚きが反吐(へど)が出そうになるほどの不快感に変わっていきました。
とても長いのでその一部を下に引用します。


最初に上陸した島でコロンブス一行は、アラワク族インディアン達から歓待を受ける。アラワク族は船から上がったコロンブス達に水や食料を贈り、オウムや綿の玉、槍やその他見たことのないたくさんのものを持ってきた。コロンブス一行はそれをガラスのビーズや鷹の鈴と交換した。だがしかし、コロンブスの興味は、ただ黄金にしかなかった。彼はこう書き残している。
「私がインディアに到着するとすぐに、私が見つけた最初の島で、彼ら原住民(アラワク族インディアン)たちに、私に差し出さなければならないものがこの品々の中にあるのかどうか教え込むために、私は力ずくで原住民の何人かを連行した」
「彼らは武器を持たないばかりかそれを知らない。私が彼らに刀を見せたところ、無知な彼らは刃を触って怪我をした。 彼らは鉄を全く持っていない。彼らの槍は草の茎で作られている。彼らはいい身体つきをしており、見栄えもよく均整がとれている。彼らは素晴らしい奴隷になるだろう。50人の男達と共に、私は彼らすべてを征服し、思うままに何でもさせることができた」
コロンブスはこの島で略奪を働き、次に現在のキューバ島を発見。
帰還したコロンブスを歓迎して宮殿では盛大な式典が開かれた。コロンブスは航海に先んじて、発見地の総督職、世襲提督の地位、発見地から上がる収益の10分の1を貰う契約を交わしていた。この取り決めに従い、コロンブスはインディアンから強奪した金銀宝石、真珠などの戦利品の10分の1を手に入れた。また陸地を発見した者には賞金が王夫婦から与えられるとされていたのだが、コロンブスは自分が先に発見したと言い張り、これをせしめている。
コロンブスの軍勢は凶暴性を増し、窃盗、殺人、強姦、放火、拷問を駆使して、インディアンたちに黄金の在処を白状させようとした。
コロンブスが何カ月もの間病いに臥せっている間、コロンブスの軍勢はやりたい放題の大虐殺を続けた。コロンブスが快復するまでに、5万人以上のインディアンの死が報告されている。やがて完全復帰したコロンブスの最初の仕事は、彼の軍勢に対し、略奪を組織化することだった。
1495年3月、コロンブスは数百人の装甲兵と騎兵隊、そして訓練された軍用犬からなる一大軍団を組織した。再び殺戮の船旅に出たコロンブスは、スペイン人の持ち込んだ病いに倒れ、非武装だったインディアンの村々を徹底的に攻撃し、数千人単位の虐殺を指揮した。コロンブスの襲撃戦略は、以後10年間、スペイン人が繰り返した殺戮モデルとなった。
彼らは刀の切れ味と男ぶりを試すため、捕虜のインディアンの首を斬り落とし、または胴体を真っ二つに切断し、賭けの場とした。捕えた酋長を火炙りにしたり、絞首刑にした。
1492年の「新大陸」へのコロンブスの上陸時に約800万人いたインディアンの人口は、1496年の末までに、その3分の1までに減った。
ラッセル・ミーンズは、「コロンブスは大西洋を横断した世界初の奴隷商人だ。コロンブスの前では、アドルフ・ヒトラーはまるでただの不良少年だ」、AIMコロラド支局代表のインディアン、グレン・モリスは、コロンブスを「殺人者であり、強姦者であり、今日も続く大量虐殺思想の大立者である」、ウィノナ・ラデュークは、「生物学的、技術的、生態学的な侵入は、500年前のコロンブスの不幸な航海から始まった」とコメントしている。


知らないことは恐ろしいことです。
意欲に狂ったコロンブスがやったことは、IS(イスラム国)と変わりない、と言うよりもそれ以上にひどいではありませんか。
これを読んでいて、コロンブスが途中で大航海をあきらめて引き返していたことを心から願った次第です。
人間の罪の恐ろしさをまざまざと見せつけらました。


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昨日のゴージャスなデート

2015.06.06日

ちょうど1週間前の「デート」に続き、なんと昨日もゴージャスなデートでした。
今回のデートのお相手は...


FBフレンドならみんながうらやむお方、共通のフレンドも多いHiroko Umaaraiさんです。
今日、東京で行われるセミナーに参加するのに朝の時間が早くて、飛行機の時間が間に合わないので前日に上京する、ということで平塚まで足を伸ばして来てくださいました。
湘南には前からずっと来たいと願っておられたそうです。


じつはかなり前から塾のことや日本での英語教育のことなどについて話を聞きたいとおっしゃっていたのですが、今年の4月にアカデミーで開講したガウディア(「最高の喜び、楽しみを子どもたちに」)をHirokoさんのところでも導入検討中で、もっと詳しく知りたいと、今回この絶妙のタイミングで来られたのです。


午前11時過ぎに平塚に着かれたので湘南海岸へご案内しました。ここは以前から憧れのところだったとおっしゃり、富士山や伊豆半島、大島、江の島、三浦半島の大パノラマにとても感動してくださいました。
海岸をウォーキングしながら楽しい語らいの時を持ちました。


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(富士山、大磯港、伊豆半島をバックにツーショット)


ちょうどお昼になったので、何を召し上がりたいかとお尋ねしたところ、せっかくだから地の魚料理ということで、すぐ近くの「平塚漁港の食堂」へお連れしました。
食堂とはいえ、吹き抜けの高い天井にしゃれたインテリアで雰囲気もとても素敵。いつも行列のできる、知る人ぞ知る大人気の食堂です。
着いた時には広い店内は満席で、すでに20人ぐらいの人が並んでいて、待つこと40分ほど。
注文した料理は一日限定15食のひつまぶし膳(「ひまつぶし」じゃない!)といって、地魚ひつまぶし、アジとあんこう(?)のフライと味噌汁のセットですごいボリューム。
味の方も最高で、もう大満足。


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食後、アカデミーにお連れして、ガウディアの教材を見ていただき、使用法や生徒たちの反応などをお話ししたところ、すっかり気に入ってくださり早速導入したいとのこと。


駅にお送りする前にコメダ珈琲でさらにお話の続き。
教育問題から塾の将来のビジョン、信仰のことなど話は尽きず、あっという間にお別れする時間になりました。
デートのお相手も、湘南海岸ウォーキングも、お話も、食事も、最後のコーヒーのひと時もすべてがゴージャスなデートでした。
ありがとうございました、Hirokoさん。


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一番の子育て法

2015.06.04日

"What will your children remember? Moments spent listening, talking, playing and sharing together may be the most important times of all."
-- Gloria Gaither
「あなたの子どもたちは何を覚えているでしょう? 耳を傾け、語り、遊び、ともに過ごした一瞬一瞬が、すべての中で一番大切な時となることでしょう」
-- グロリア・ガイザー


クリスチャンの方ならたいがいご存じかと思いますが、「主は今、生きておられる」(Because He Lives)を作詞作曲したのが、ビル&グロリア・ガイザー夫妻です。
ベトナム戦争のあとの1970年代、アメリカが混乱の中にあった時、グロリアさんは第三子を妊娠しておられました。このような時代に子どもを産んでどのように育てるか、ということを考えていた時に自然と生まれたのが上の賛美だそうです。



この歌は世界中に広まり、大勢の人々に賛美されました。
当時2歳半ぐらいだったうちの長男が、ある日突然「しゅはいま〜、いきておら〜れる〜、わがうち〜に、おられる〜」と意味もわからずに歌い始めました。毎週、教会で聞いているうちに覚えてしまっていたのです。
あれから30年の年月があっという間に流れましたが、あの時の驚き、感動の状況が今もなおまぶたに焼きついています。


「あなたの子どもたちは何を覚えているでしょう? 耳を傾け、語り、遊び、ともに過ごした一瞬一瞬が、すべての中で一番大切な時となることでしょう」
という冒頭のグロリアさんの言葉は、まさに彼女自身が体験したことであり、また私たちみんなが持っている共通の経験ではないでしょうか?


私も自分の幼い時の想い出、そして子どもたちが小さい頃の想い出といえば、やはりこのような一瞬一瞬です。


子育てに毎日追われているお母さんたちは、ともすれば目先のことに心奪われ先が見えなくなってしまったり、イライラしてついつい子どもにつらく当たったり、大声で怒鳴りつけたりしてしまいますが、あの時をもっと大切にしておけば良かったと、後になって後悔することになります。
今という瞬間瞬間を大切にしましょう。子どもははっきりとその時を覚えています。
そして、それが一番の子育て法なのです。


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昨日のデート

2015.05.29日

昨日はデートの日でした。
お相手は...
柿谷正期牧師ご夫妻です。


柿谷先生とは40年近くに及ぶおつき合い。
私の良き師であり、また同労者、そして親しい友人でもあり、同時に兄のような存在。(写真を見ると親子のように見えますが^o^)
奥様の寿美江先生は4年前に脳腫瘍で天国に凱旋(「心洗われます」)。
その後、柿谷先生は寿美江先生を先に天国に送られた寂しさをお顔に出さず、明るく振舞いながらお仕事に励んでいらっしゃいましたが、とてもお辛かったことと思います。
リアリティセラピーのお仕事を通じてお知り合いになっていらっしゃった出村栄子さんと昨年ご再婚され、周りの者はみんな先生のお喜びを共にしました。
栄子さん、初登場の写真です。陽射しが強かったのでサングラスをかけておられ、素敵なお顔がよく見えないのが残念ですが…


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(対岸の茅ヶ崎を背景に)


前日、先生からお誘いのメールをいただき、午後から3人で一緒に湘南海岸から相模川へ。途中出くわす、野良猫や散歩中の犬、見かけたスズメやムクドリ、カラスに声をかけたり、道端の野草に慈しみの目をやったりと、お二人の息のあった優しさが肌に伝わってきました。


柿谷先生の口からは次から次へとジョークの連発。みんなで笑って語り合いながら楽しく、相模川沿いの小道を川上に上って、国道1号線の先まで行き、そこから平塚駅に戻りました。先生ご夫妻はこのコースのウォーキングを毎日楽しんでいらっしゃるそうです。
駅近くの喫茶店(カフェというより90年の歴史のある喫茶店)でコーヒーをいただきながら憩いのひと時。
信仰の話など話題は尽きませんでした。
来る6月21日の私の誕生日に、礼拝後柿谷先生から按手礼を授かることになっているのですが、これを機に湘南見附キリスト教会の協力牧師にならないかとのお誘いをいただきました。


家に帰ってみると、歩いた距離は10.72キロ、18343歩。
一昨日に続いて、身体はくたくたに疲れていましたが、心は浮き浮き。
前夜はあまりぐっすり眠っていなかったのに、なぜか体は元気で家に戻ってからもまだひと仕事もふた仕事もこなすことができました。
本当に嘘のように元気になりました。感謝なことです。


昨日は楽しいデートの一日でした。


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成功の最善の方法

2015.05.24日

"I've come to believe that each of us has a personal calling that's as unique as a fingerprint - and that the best way to succeed is to discover what you love and then find a way to offer it to others in the form of service, working hard, and also allowing the energy of the universe to lead you."
-- Oprah Winfrey, Talk Show Host
「私たちには指紋が一人ひとり違うように異なる使命が神様から与えられていると、私は信じるようになりました。また、成功する最善の方法は、自分が何をするのが一番好きかということを発見し、奉仕という形でそれを他の人たちに提供して、一生懸命働き、そして同時に宇宙のエネルギーにあなたを導かせるようにすることだと信じるに至りました」
オプラ・ウィンフリー、テレビ番組の司会者
(訳:舟田 譲二)


オプラ・ウィンフリーについては以前にも「人生は今日からでも変えられる」に書きました。彼女の生い立ちには本当に心に痛みを覚えますが、そのような中からアフリカ系の女性でありながら見事にアメリカを代表するような人物になりました。


そしてこれが彼女の成功訓です。
「成功する最善の方法は、自分が何をするのが一番好きかということを発見し、奉仕という形でそれを他の人たちに提供して、一生懸命働き、そして同時に宇宙のエネルギーにあなたを導かせるようにすることだ」と語り、そしてその自分が好きなものは神様から一人ひとりに与えられている指紋のようなユニークなものである、と。


「私にはなんの取り柄もない」「私は無能力だ」「私は人に迷惑をかけるだけの存在価値のない者だ」「自分にできる仕事などない」等々、自分のことを過小評価するのは間違っています。
人にはそれぞれ異なる賜物(神様からの贈り物)が初めから与えられています。それを発見し、人に対する奉仕という形でそれを用いて世に貢献する方法を探し、一生懸命努力する。これこそ神様が私たちに望んでおられることなのです。
そのとき、神様はあなたにそれを成す力を与えてくださいます。この世の基準の大きい成功である必要はありません。


あなたの賜物はなんですか?
どのような形でそれを用いて世に貢献できますか?


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持っている人、持っていない人

2015.05.23日

For whosoever hath, to him shall be given, and he shall have more abundance: but whosoever hath not, from him shall be taken away even that he hath.
(King James Version)
というのは、持っている人には与えられ、ますます豊かになるが、持っていない人からは、持っているものさえも取り上げられるだろう。
(マタイによる福音書 13:12)
(私訳:舟田 譲二)


上の欽定訳と言われる King James Version はイングランド王ジェームズ1世の命令によって翻訳された1611年刊行の聖書で、とても格調高く、今日でもこの訳を好んで用いている人たちは大勢います。
雰囲気としては、下の文語訳、あるいは文語訳の前に刊行された元訳が欽定訳にとても近いです。
それ誰(たれ)にても、有(も)てる人は與(あた)へられて愈々(ますます)豐(ゆたか)ならん。されど有たぬ人は、その有てる物をも取らるべし
(文語訳)
それ有(もて)る者ハ(は)予(あたへ)られてなほ餘(あまり)あり無有(もたぬ)者ハその有(もて)る物をも奪(とら)るる也(なり)
(元訳)


さて、この言葉が言わんとしているのは、「誰でも、たとえどんなことでも、持っている人はそれがますます与えられるけど、持っていない人からは持っているものまでも取られてしまう」という、今日の考え方からすると一見不公平に思えるようなことです。
でもこれは事実です。


もっとわかりやすい身近な例を挙げると、たとえば:
頭のいい人は勉強するのでますます頭が良くなるが、勉強しない人はますます勉強ができなくなる
運動する人はますます運動能力が高められるが、しない人はどんどん運動できなくなる
毎日歩いて(ジョギングして)いる人は面白くなってますます歩く(ジョギングする)が、しない人はできなくなる
本を読む人はますます読むので、本から学び成長するが、読まない人はますます読めなくなり成長しなくなる
絵を描く(字を書く)のが好きな人はたくさん描く(書く)のでますます絵(字)がうまくなるが、描かない(書かない)人はますます描かなく(書かなく)なり下手になる
音楽が好きな人は楽器を演奏したり、歌を歌ったりするのでますますうまくなるが、そうでない人はまったくできなくなる
健康な人は食事・運動・休息などバランスのとれた健康法に気をつけるのでますます健康になるが、そうでない人は健康に留意しないのでますます不健康になる
金持ちはお金の価値を知っていて正しく管理し、うまく活用・運用するが、そうでない人はますます貧しくなる
美しい人は美容に気をつけるのでますます美しくなるが、そうでない人はますます◯◯(ごめんなさい)になる
仲のいい人たちは関係を大切にするのでますます仲良くなるが、仲たがいしている人はますます仲が悪くなる(愛情も憎しみも倍加される)
人と交わるのが好きな人は社交の場にどんどん出ていくのでますます社交的になるが、そうでない人はますます非社交的になりやがて友人がいなくなる


等々、いくらでも挙げることができます。
ちょっと厳しいようですが、これは公平、不公平の問題ではなく、私たちの選択という意志の問題です。
自分の将来を考えて、良い方に時間や労力や財を投資するならそれはますます豊かになって戻ってきますが、それをしなければ当然のことながらますます乏しくなり、それこそ持っているものまで取り上げられ、なくなってしまいます。
ですから古今東西、偉人と呼ばれる人たちはみんな口をそろえて目標の設定とその実行の大切さを訴えているのです。


あなたはどちらを望みますか?
望むことに対してどのような行動を起こしますか?


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悪魔あなたに語りかける

2015.05.21日
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When the devil keeps on asking you to look at your past, there must be something good in the future he doesn't want you to see.
「悪魔がしつこくあなたに過去を見ろ、と言うときは、あなたに見てもらいたくない何か素晴らしいことが将来にあるからだ」
(訳: 舟田 譲二)


あー、これは何と真理を突いた言葉でしょう。
私たちが落ち込んでいるときや何か問題に直面しているとき、過去を見ると、目につくのはたいがい嫌な思い出、苦々しい思い、人を責めたくなるようなこと、後悔していること、自信をなくすこと、自分が嫌になることなどです。
巧妙な悪魔は、過去を見ろ、過去を見ろ、と言い続け、あなたが否定的、消極的、絶望的になるよう働きかけます。
過去を振り返り、失敗から学び、反省して将来に臨むことは大切です。でも悪魔のささやきの罠にはまってしまうと、将来に希望が持てないように錯覚してしまいます。


悪魔が「過去を見ろ」としつこく言うときには、その先には必ず平安が、将来が、希望があるのです。
悪魔の手に乗らないように気をつけましょう。


主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。
それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。

(エレミヤ書 29:11)


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運命の女神は...

2015.05.15日

"Fortune favors the audacious."
-- Desiderius Erasmus, Theologian
「運命の女神は大胆な人に微笑みかける」
-- デジデリウス・エラスムス、神学者
(訳:舟田 譲二)


上の言葉を文字通りに訳すと「好運は大胆に味方する」となりますが、あえてこのように訳しました。その方がピンとくるかと思ったからです。
宗教改革の時代を生きたエラスムスは、マルチン・ルターが起こした「聖書中心主義」思想に好意的な言動を取っていました。


そのような背景があるのかどうかわかりませんが、エラスムスの口から出てきた言葉が冒頭の「運命の女神は大胆な人に微笑みかける」です。
このことはあらゆる分野に通じます。
何か新しいことを始めようとすると、必ずと言ってよいほど様々な逆風に出会います。
ここであきらめてしまったらそれですべて終わりです。
しかしルターのような大胆さがあったからこそ、今日のキリスト教会があるのです。
順風だけでなく、逆風もうまく活用しましょう(「逆風満帆」)。


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障害が大きければ

2015.05.13日

"The greater the obstacle, the more glory in overcoming it."
-- Moliere, Playwright
「障害が大きければ大きいほど、その障害を乗り越えたときの栄光も大きい」
-- モリエール、劇作家
(訳: 舟田 譲二)


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1978年の元旦から大晦日まで毎週日曜日に53回放映された長編アニメ『ペリーヌ物語』。
同年文化庁こども向けテレビ用優秀映画作品賞を受賞。
原作はフランス人作家エクトル・マロの『アン・ファミーユ』(En famille)。邦題は『家なき娘』(いえなきこ、いえなきむすめ)または、『家なき少女』です。


当時、私はアメリカ留学中でしたし、国内にいたとしても少女向けのアニメなど興味を持つわけもなく、その存在すらまったく知りませんでした。
ところが37年を経た今、再放送されていて娘が欠かさず録画し夜に観ているのです。
最初のうちは何となくつきあっていたのですが、いつの間にか私もハマってしまい、今では私の方から再生を催促するぐらいです。
これは実によくできた感動の大作です。原作はきっとこのアニメ以上に素晴らしいのでしょうが。


ストーリーは…、ネタバレになってしまうのでここでは明かしません。ご興味のある人はネット上で全作が無料動画で観られますのでどうぞ。超オススメです。


このアニメを観ていて、主人公のペリーヌというわずか12〜3歳の女の子が、これでもかこれでもか、というほど次々と障害に出会い、試練に襲われ、辛い、悲しい思いをしながらも、ただひたすら耐え抜き、明るく、誠実に、精いっぱい生きる姿に胸を打たれます。
しかし、最後に大逆転の栄光が待っているのです。


冒頭のモリエールの言葉は真実です。
そして、これは単に少女向けの空想上の物語の中の話だけではありません。
試練、障害は誰でもできれば避けて通りたいと思うものです。しかし、試練を避けて一生を過ごすことなど誰ひとりできません。
聖書には200回以上も「試練」「試み」「訓練」「苦難」といった言葉が出てきます。
しかし一方で「栄光」という言葉は300回近く出てきます。
最後に栄光があるからこそ、それまでの試練に意味があるのです。


すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。
(ヘブル人への手紙 12:11)

愛する者たちよ。あなたがたを試みるために降りかかって来る火のような試錬を、何か思いがけないことが起ったかのように驚きあやしむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。
(ペテロの第一の手紙 4:12,13)


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科学と聖書

2015.05.04日

最近よく考えることですが、私たちが、そして世界中の人たちが日常何も考えずに当たり前のこととして使っている日曜日から土曜日までの1週間。
この1週間の起源が聖書にあることを知っている人は少ないのではないでしょうか。
聖書の最初の最初、創世記の1章に神様が6日間をかけて天地宇宙を創造され6日目に休まれた記事が記されています。
これは驚くべきことです。今から3400年も前から人は1週間のサイクルで生活してきたのです。


聖書については、これまで何度もこのブログの中で語ってきました。
(ご興味のあるある方は下の記事をご覧ください。
「こんな実験を…」「再び、ニワトリか卵かどちらが先か」「ノアの洪水⁉︎」「ノアの洪水 Part2」「ノアの洪水 Part3」ほか)


聖書というと神話じみていると感じる人が多いのですが、果たしてそうでしょうか?
ロサンゼルスにあるグレース・コミュニティー・チャーチのジョン・マッカッサー氏は、アメリカを代表する福音派の牧師の一人で、私の卒業した神学校の先輩でもあり、とても尊敬している方です。
マッカッサー牧師が聖書の無謬性(むびゅうせい--誤りがないこと)を語っているメッセージの中から、科学と聖書の箇所の一部を下にご紹介します。


1. 宇宙の起源と存在について

イギリスの哲学者、ハーバート・スペンサー(1820-1903)は、自然科学の発見を哲学に適応し、科学には5つのカテゴリーがあるとした。
1. 時間
2. 力
3. 空間
4. 物質
5. 運動

聖書には創世記1:1に次のように書かれている。
「はじめに神は天と地とを創造された」
「はじめに」=時
「神は」=力
「天と」=空間
「地とを」=物質
「創造された」=運動

スペンサーが哲学に適応した自然科学の発見は、紀元前1400年に聖書の一番初めの1節に余すところなく記されている。


2. 神は星を創造された。神はその数をご存じ。
当時の人々は1000の星が天にあると考えていた。

「目を高くあげて、だれが、これらのものを創造したかを見よ。主は数をしらべて万軍をひきいだし、おのおのをその名で呼ばれる。その勢いの大いなるにより、またその力の強きがゆえに、一つも欠けることはない」
(イザヤ書 40:26)

わたしは大いにあなたを祝福し、大いにあなたの子孫をふやして、天の星のように、浜べの砂のようにする。
(創世記 22:17)

天の星は数えることができず、浜の砂は量ることができない。そのようにわたしは、しもべダビデの子孫と、わたしに仕えるレビびとである祭司の数を増そう。
(エレミヤ書 33:22)


3. 物質とエネルギーの保存という、熱力学の第一法則が発見される数千年も前にすでに聖書はそれを語っていた。

「見よ、これは新しいものだ」と言われるものがあるか、それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである。
(伝道の書 1:10)


4. 進化論の主張と正反対の教えである熱力学の第二法則「物質とエネルギーは保存されているだけでなく、秩序から無秩序へと崩壊している」も聖書が預言している宇宙と地球の崩壊と合致している。


5. 水文学(すいもんがく)は、地球上の水循環を対象とする地球科学の一分野であり、陸地における水をその循環過程より、蒸発、浸透、陸水や地下水の移動等を教えている。

川はみな、海に流れ入る、しかし海は満ちることがない。川はその出てきた所にまた帰って行く。
(伝道の書 1:7)

天から雨が降り、雪が落ちてまた帰らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種まく者に種を与え、食べる者にかてを与える。
(イザヤ書 55:10)

彼は水のしたたりを引きあげ、その霧をしたたらせて雨とされる。
空はこれを降らせて、人の上に豊かに注ぐ。

(ヨブ記 36:27–28)


6. コペルニクス(1473-1543)は、地球中心の天動説を覆す太陽中心の地動説を唱えた。
ある宗教の聖典には、象が陸地を支えていて、そのうちの1頭が疲れると、頭をゆするので地震が起きると記されていて、その地方の人々はそう信じている。



地球は地軸を中心に回転している。
神が地球を宇宙の空間の何もないところに浮かべておられると聖書は教える。

彼(神)は北の天を空間に張り、地を何もない所に掛けられる。
(ヨブ記 26:7)

地は印せられた土のように変り、衣のようにいろどられる。
(ヨブ記 38:14)

当時はサインの代わりに印が使われ、芯を中心に回転させて柔らかい土の上に印字した。これはちょうど地軸を中心に地球が回転しているのと同じ。


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成功への固い決意

2015.04.15日

"Your own resolution to succeed is more important than any other one thing."
-- Abraham Lincoln, 16th U.S. president
「成功への固い決意は他の何ものにも勝る」
--エイブラハム・リンカーン (第16代合衆国大統領)
(訳: 舟田 譲二)


リンカーンの上の言葉、実に重いです。
ビジネスで成功している人はみんな例外なく「成功への固い決意」を持っていることでしょう。
しかし、これは決してビジネス上の成功に限って言っているのではありません。
たとえば、リンカーンの場合は政治家としてこの固い決意を持っていたのです。
リンカーンについてはこれまでにも何度か書いてきましたが、彼ほどの苦労人もそうはいないのではないかと思います。


リンカーンは貧しい家庭に生まれ、幼いときから苦労の連続でした。
彼の生涯を見ると60歳で大統領になるまで、
31歳 事業に失敗
32歳 州議会議員選挙に落選
34歳 再度事業に失敗
43歳 この後、5年間に3回、下院議員選挙に落選
55歳 上院議員選挙に落選
56歳 副大統領選で敗北
58歳 上院議員選挙に再び落選
とまさに失敗の連続の人生でした。
しかし、リンカーンは将来いつでも役立てることができるようにと、一生懸命勉強し続けました。

「失敗したとき」より)
リンカーンには、絶対に成功するという固い決意があったのです。


これは学生であれば勉学に、家庭を持っている人であれば家庭生活や子育て、より良い夫婦関係に、また健康増進に、信仰生活に、より良い人間関係の構築のために、自らの人格形成のために、...と、どんなことにも適用できます。


あなたには「成功への固い決意」がありますか?


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苦難の人生の意味

2015.04.08日

先般の記事、「魂と遺伝子の法則」の続きです。
私自身が常々考えていることと非常に合致していることも多く、その一部を追々シェアさせていただきます。


河合氏のところに相談にくる方は、いろいろな悩みを抱えています。息子が学校へ行かなくなったとか、左遷されて仕事が面白くないとか。河合氏によると、そこに必ず「創造の病」の契機が見えるそうです。
だから河合氏は、この不幸を土台にして、どのような人生を創造しようとしているのか考えながら話を聞いておられます。そして、実際、カウンセリングを受けた後、多くの方が「病気になったお陰で」「左遷されたお陰で」という気持ちになられるというのです。病が病のままだと非常に辛いのですが、受け止め方によって、マイナスをプラスの創造に変えることができるのです。
人間の習慣や生き方を変えるのは、命がけの仕事です。そう考えると、自分の人生の方向を変えるというのは、すごく創造的なことだと思います。


人生の危機は思いがけない形でやってきます−−。河合氏のところに相談に来られる方は、みんなそういわれるそうです。そして、不幸を嘆いたり、誰かを恨みに思うことが多い。「私はちゃんとしているのに、家内が悪い」とか「子供がバカだから」「お父さんが駄目だから」と、自分い以外の誰かが悪いと思っています。
そんなときに、単純に原因を究明しようとする方がいますが、河合氏はそういう考え方では物事が解決しないことが多いように思うといっておられます。それで解決するなら、わざわざ相談に来る必要はないのですから。そう考えると、そこには原因や結果を超えた不可解なことが起こっているように見られます。河合氏は、そこに意味がありそうだと考えられたのです。
私たちは、一人で、自分の力で生きていると思いがちですが、一人で生きていると思っていても本当は一人ではないと思います。逆にいうと、たくさんで生きていても一人なのです。大勢の家族がいても一人ひとりは別です。だから一緒に生きていても一人、一人で生きていても一緒というパラドックスが分からないといけません。非常に深いところで自分を支えてくれるものがあるという体験が、人生の危機を乗り越えるためには大事です。

(上掲書p. 33-35)


少し長い引用になりましたが、著者の村上和雄氏は、この「自分を支えている何か」を"]"と呼び、それを私たちは死ぬまでに自分で探さなければならない、と結論していらっしゃいます。


この"]"は村上氏の言うところの「サムシング・グレート」(偉大なる何ものか)ですが、他でもない私たちをこの世に生み出された創造主なる神ご自身のことです。
つまり、自分をこの世に送り、日々支え、導いていてくださる神が見えると見えない人生ではまったく違う意味を持ってくるということです。
続きはまた次回。


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再び「偶然、たまたま」?

2015.03.29日

昨年12月に書いた「偶然、たまたま」の記事の中に登場したみずきちゃんは24歳という若さで地上の人生を終えて天国に帰りました。
本当に辛く、悲しい出来事で、今このことを思うだけでも目に涙が浮かんできます。
でも、みずきちゃんの痛ましい交通事故死が一粒の麦となって地に落ち、種が蒔かれました。


昨夜、みづきちゃんのお母様から次のようなメールをいただきました。
「実は、先生にご報告したくて、突然メールしました。
今度、洗礼を受けます。4月5日にです。
お隣のアガペーチャペルでです。
お隣の教会の建物は、もともと、筑波大のラグビー部の寮として、父〔主人の〕が建てたもので、あらためて考えてみると、いろんなことが、不思議だなあと思います。
みづきが飛び跳ねて喜んでるのが見える気がします。
そして、舟田先生へのこの報告も喜んでいると思います」


蒔かれた種が2年越しで実を結んだのです。
私はお母様にお返事しました。
「今、お母様からのメールを家族に読んで聞かせてあげました。
そして読んでいるうちに感極まって涙が出てきました。本当に嬉しいです。
イースターの日の受洗ですね。
心からおめでとうございます!
天国でみづきちゃんが同じように涙を流して喜んでいらっしゃるのが目に見えるようです。
これはまさに神様のみわざですね。しかも、お義父様がお建てになられた建物が教会になっていて、そこで受洗されるなんて、なんという巡り合わせでしょう。
神様の摂理です。
そして、今度はいよいよご主人とみづきちゃんの弟さん、そして妹さんの番ですね。ご家族の皆さんの救いのためにご一緒にお祈りしましょう。
改めておめでとうございます。
『主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます』
(使徒行伝 16:31)」


神様のみわざをほめたたえました。


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魂と遺伝子の法則

2015.03.26日

去年の11月に書いた記事「サムシング・グレート」の中でご紹介した村上和雄氏は、昇圧酵素「レニン」の遺伝子の全暗号解読に初めて成功した、遺伝子工学で世界をリードする研究者です。
同じ著者による別の本『人を幸せにする魂と遺伝子の法則』を先日、また同じ方からプレゼントしていただき早速読み始めました。


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「幸福のために頑張っても幸福は逃げ、目の前の一人の人のために一生懸命になると幸福が訪れる。それが幸福の面白さ」という名言を残した、日本を代表する心理学者、故河合隼雄博士とある日、村上氏は対話をしておられました。
その中で、河合氏が、
「心と遺伝子の相互作用は大変面白いテーマで、その成果を大いに期待している。しかし、もっと面白いテーマがある。それは、魂と遺伝子の関係だ」
と言われたのを受け継いで、村上氏はご自身の専門分野である遺伝子の研究をさらに深めてこのテーマに取り組み始められました。
村上氏は上の本の中で次のように語っておられます。
「DNAは生命の設計図と呼ばれていますが、正確には身体の単なる設計図です。では、細胞を作るのに必要な材料を集め、必要なエネルギーを使い、設計図通り組み立てている細胞の建設作業者は誰なのか。それがサムシング・グレートだと、私は考えているのです」
氏が呼んでいるこの「サムシング・グレート」とは、言葉に言い表せない何か偉大な存在のことで、これはとりもなおさず聖書のいうところの人と万物の創造者である神のことです。


さらに同氏は上掲書の中で、次のように書いておられます。
「自分の中にもう一人の自分がいるような気がすることがあります。たとえば、『はい』と返事をしながら、心の中では『ばかやろう』と思ったりする人間の心は、非常に複雑です。
世間でも、あんなに立派な人が、どうしてあのような酷いことをするのかという例がしばしばあります。自分には、自分があまり承認したくない、いわば自分の影の部分があり、その部分を認めることも大切なのだということを、私は河合氏から学びました」


私はこのところを読んでいてハッとしました。
1か月ちょっと前のことです。
車を運転していたところ、すぐ後ろにバイクがぴたっとくっついてきていて、私は危険だなぁと思っていました。
左折のウインカーを出してバイクに気をつけながらゆっくりと狭い道路に曲がったところ、このバイクの運転者も曲がり、さらにぴたっと真後ろを走りながら大声で「バカヤロー、バカヤロー」と怒鳴っています。
私はこのように怒鳴られることなど身に覚えがないし、危険を感じたので車を停めて降り、その人のところに近づいて行きました。
「そんなにぴったりくっついて後ろを走っていたら危ないじゃないですか」
「ここは一方通行じゃない。一旦停止もない。バカヤロー」
「えっ、何を言っているのですか? 意味がさっぱりわかりません」
「バカヤロー、バカヤロー」
「お酒でも飲んでいるのと違いますか」
「バカヤロー、バカヤロー」
「おたく私に喧嘩を売ろうとしているんですか?」
「バカヤロー、バカヤロー」
他にも何か言っているのですが、言葉が全然聞き取れないし、いくら話してもらちが明かないので車に戻り、興奮した心を押さえながら走り出しましたが、相変わらずぴたっとくっついて大声で「バカヤロー」を連呼しています。
もう私の心臓はバクバクし、頭に血が上っていました。
「ちくしょう。あのバカおやじめ!」と心の中で思いながら。


普段は誰に対しても温和で、怒ることもほとんどなく冷静な私ですが、あの時はかなり頭にきていて、売り言葉に買い言葉で大声で怒鳴った自分が恥ずかしくなりました。
そして、人を見下す傲慢な心があったことに気づき、「ああ、自分も本当に罪人だ」と示されて、その夜神様の前に悔い改めました。そして今後はたとえこのような状況に置かれても決して怒らないと心に誓いました。
これこそ、村上氏が言っている二重人格のことで、これは誰のうちにもあるもの、罪なのです。
相手が悪かったりすると、これが傷害事件や殺人事件にもなり得るほど恐ろしい罪です。


この罪という問題、魂と遺伝子の法則について村上氏がこの本の中でどのように解き明かしていかれるのか楽しみです。


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本物の愛とは

2015.03.21日




"Darkness cannot drive out darkness; only LIGHT can do that.
Hate cannot drive out hate; only LOVE can do that."

--Rev. Martin Luther King Jr.
「闇は闇を駆逐することはできない。
それができるのは光だけである。
憎しみは憎しみを駆逐することはできない。
それができるのは愛だけである」

ーマーチン・ルーサー・キング Jr 牧師
(訳: 舟田譲二)


聖書の言葉、
「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった」
(ヨハネによる福音書 1:5)
を彷彿とさせる言葉です。


今日、世界中で起こっている戦争やテロ行為、さらには身近なところでも毎日のように起こっている差別やいじめ、そしてそれらに起因する犯罪、また夫婦・親子・兄弟の家族間にも存在する敵意や憎しみ。
これらの真の解決は、マーチン・ルーサー・キング牧師が上に言っているように本物の「愛」以外にはありません。
この愛は、自己中心的な愛ではなく、自己犠牲的な愛です。
自分のために都合よく人を利用するものは本当の愛ではありません。


つい先日、近くのスーパーに買い物に行ったとき、子どもを連れた家族と行き違いました。
父親が母親に向かって大声で、
「殺すぞー、てめえっ!」
と怒鳴っているのを聞いて、私は背筋が凍る思いをしました。
小さな子どものいる前でです。
こんな言葉を毎日のように聞いて育つ子どものことを思うと胸が痛みました。


また別の日には同じスーパーで若いお母さんが小さな女の子に、
「何やってんだよ、お前は! いい加減にしろよっ!」
と怒鳴っていました。
これも言葉の暴力です。


本当に愛していたらこんな言葉は決して口から出てこないでしょう。
憎しみを駆逐することができるのは愛だけです。


「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
愛はいつまでも絶えることがない」

(コリント人への第一の手紙 13:4〜8)


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再び、ニワトリか卵かどちらが先?

2015.03.03日

以前「ニワトリが先か、卵が先か」の中に書きましたが、この問題は一般には堂々巡りで答えが出ないと言われています。


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近代にもっとも大きな影響を与えた人物のひとり、ドイツの哲学者・思想家のカント(1724-1804)はこの問題に対して、その著『人間の歴史の憶測的な起源』の中で次のように語っています。


憶測のうちにおぼれてしまわないためには、人間の理性によっては、先行する自然の原因から導き出せないものに歴史の起源を定める必要がある。すなわち人間の歴史は、人間の存在という事実から始まるべきなのである。しかも、母親の援助を必要とすべきではないので、成人した人間の存在を想定する必要がある。また子孫を繁殖させる必要があるので、夫婦でなければならない。しかも人間がすぐに戦争を始めることのないように、この夫婦はただ1組の夫婦でなければならない。見知らぬ人間が近くに住んでいると、すぐに戦いになるからである。また別の理由としては、自然が複数の夫婦による異なった血統の存在を認めたならば、人間の使命の最大の目的である社交性を発揮させるための賢明な準備を怠ったとして非難されることになりかねないからである。これについては家族がただ1組であり、そこからすべての人類が誕生したとするのが最善の配置であるのは確実だからだ。
(中略)
こうして最初の人間は立ち、歩むことができた。話すこともできた。それだけでなく論じること、すなわち連結された概念にしたがって会話することができた。だから思考することができた。


つまりカントは、成熟した、しかも類人猿から進化してきたヒトではなく、完全な人格を備えた今日の私たちと同じ人間が男と女、ペアで最初に存在したとはっきりと、かつ論理的に上のように説明しているのです。
じつに簡潔明瞭で、この理屈から言えば進化論や無神論は入り込む余地さえありません。
そしてカントの結論は、やはり私と同じ、というか聖書と同じで最初に神が人を完全に成長した男と女に創られた、というものです。
したがってほかの動物も同様なので、卵からニワトリが生まれるわけはなく、神がニワトリをオスとメスに創られたということになります。
進化論を前提とするから堂々巡りになって答えが出ないわけで、神が人間同様ニワトリを最初に創られたと考えればいともすっきり解決がつきます。


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神様の計画とは

2015.02.25日
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"Never tell God your plan because His plans are far greater than ours."
--Cory Oliver
「神様に自分の計画を決して言ってはいけません。なぜなら神様のご計画は私たちの計画よりはるかに素晴らしいからです」

--コリー・オリバー


上の言葉は『神は死んだのか?』の映画に出演した女優のコリー・オリバーさんのものです。
これは彼女の自らの証であり、それを映画の中でそのまま演じていました。


最近FBでつながった友達のTAさんから昨日、次のようなメールをいただきました。
「幸せは、確かに個人の感情です。
『五体不満足』を書かれた乙武さんが、『自分はこの身体だから不便であるけど不幸じゃない』と言っていました。
また、MSにかかった子供が、他の人から見れば可哀そうにとか思う事も、周りの方の優しさに気づくとき、幸せを感じると口癖のように『私はMS、別名多発性硬化症であることを後悔しないよ。MSごと自分をそのまま愛しているよ』と言いました。
『幸せ』は、いつでも、どこでも、どんな時でもあなたのそばにいます。幸せは、あなたが気づくのを待っています」


別のFBフレンドのKUさんもつい最近ご自分の生々しいお証しをシェアしてくださいました。
「もう11年経ちますが、右腕の自由を奪われた時のことです。
退院後も相変わらず機能は回復せず、神経の異常反応による痛み、カウザルギー症候群に悩まされていました。
いくら祈っても回復しない、痛みで気がおかしくなりそうでした。
誰も居ない礼拝堂で膝を折って泣きながら祈り、終いには十字架に向けて罵倒を始め、最後には「テメエなんか居ねぇ!全能?無能じゃねーか!?俺はもうテメエなんか信じねぇ!!」と吐き捨てて出て来ました。
数日後、教会メンバーのあるご婦人とたまたま顔を合わせた時、もう自分は信仰を捨てた、もう信じないと告白して来たと伝えました。
ご婦人は、ニコニコしながらこちらに話し掛けました。
『まあ、そうなの?
でも、それを礼拝堂で誰に告白したの?』
『え…あ、か…神…様?』
『良かった。まだ神様がいらっしゃることは信じていらっしゃるのね♪』
…逃げられない、と思いました(^◇^;)。降参です。
かなり軽くなったものの、今も痛みは日々続いて居ります。痛いのは生きてる証拠と思い、それを抱えながら生きてます。それがプレゼントなのかなと思ってます。
右手の指は結局全て不動ですが、指に嵌めるピックを作り、教会のベーシストとして用いられて居りますが、本当にありがたいことです。まさか片腕で剣術を学ぶようになるとは思いませんでしたけどね。生きるのって、苦しいけど楽しいなと思います」


上のMSを煩っていらっしゃるお子さんも、またKUさんも神様に癒しを願われたかもしれませんが、神様のご計画は別にあり、そのことを知ったとき初めてお二人とも本当の幸せを見つけられたのです。


「神様に自分の計画を決して言ってはいけません。なぜなら神様のご計画は私たちの計画よりはるかに素晴らしいからです」


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魂のトレーニングジム

2015.02.18日

ハリウッドスター、シルベスター・スタローン。
「アメリカ合衆国の俳優、映画監督、脚本家。身長178cm。 1970年代から1990年代のアクション映画を代表するスター。60歳を超えた現在でも、鍛え上げた肉体で激しいアクションをこなす映画俳優。
9歳の時に両親が離婚したことを切っ掛けに次第に素行不良になる。小学校から高等学校修了までに14の学校から放校処分を受け、母親の経営するボクシングジムで体を鍛えながらも荒れた生活を続けた。
ポルノ映画への出演やボディーガードなどをこなして日銭を稼ぐ極貧生活が長く続いた。顔面麻痺による演技力の限界や、あまりにも典型的なシチリア人の風貌のため54回のオーディションに落ちた。
1975年、29歳の時、観戦したボクシングの世界ヘビー級タイトルマッチ「モハメド・アリ対チャック・ウェプナー」の試合に感銘を受け、それをヒントにわずか3日で書き上げた脚本をもって映画会社に売り込む。脚本が気に入った映画会社は一線級スター(ロバート・レッドフォードらが候補)を主役にした大作として製作しようとしたが、スタローンは自分を主役にしないなら脚本は渡せないと固辞、結局主張は認められた。この作品こそ『ロッキー』である。もっとも無名俳優の主演作品のため低予算のB級扱いとなり、わずかな上映館でのスタートとなった。しかし徐々に大評判を呼ぶことになり、世界的規模で大ヒット(詳細は 『ロッキー』の項で記述)、遂には同年のアカデミー賞最優秀作品賞を受賞する。映画の主人公の境遇とスタローン自身のそれが「荒んだ生活から一夜にして栄光を掴む」という古典的なまでの「アメリカン・ドリーム」を体現した点で共通していることから大変な話題を呼び、多くの人間に希望を与えた功績が評価された」 (以上Wikipedhiaより抜粋)


このスタローンが面白いことを語っています。


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この写真、かなり若いときのものですが、スタローンがクリスチャンだったとは知りませんでした。
上に書かれている内容は、
"You need to have the guidance of someone else. You cannot train yourself. I feel the same way about Christianity and about what the church is: the church is the gym of the soul."
「人はだれかほかの人の指導が必要だ。自分で自分自身をトレーニングすることはできない。キリスト教について、そして教会についても同じことが言えると思う。教会はいわば魂のトレーニングジムだ」
シルベスター・スタローン
(訳: 舟田 譲二)


普通、映画やドラマを作るとき、脚本家から始まり、俳優、監督、演出家、照明係、音響係、効果、セット、大道具、小道具等々、数多くのスタッフがいます。
スタローンはなんとひとりで脚本、監督、俳優までこなしています。
その彼が言っているのが上の言葉で、キリスト教やキリスト教会も同じで、それぞれの役割を果たす人たちがいる。そしてみんなが集まって初めて魂のトレーニングジムのようになる、というのです。
なるほど、うまく表現しています。
聖書にも、教会はいわばキリストのからだの一部一部のようなものだ、と書いてあります。


そして、このことは教会に限らず、企業やその他の組織、さらに大きく視野を広げると国、そして世界、すべてみんなお互いを必要としているということになります。
このように考えると、不必要な人などというものは誰ひとりいませんし、みんなで助け合って一つひとつの組織を構成しているのです。
キリスト教会は、スタローンが言うように魂の訓練の場です。


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再び「神は死んだのか?」

2015.02.10日
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去る12月6日に「神は死んだのか?」という記事を書きました。昨年末に上映された同上タイトルの映画を紹介したものです。
これは、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェ(1844年-1900年)が残した有名な言葉です。
ドイツ語では"Gott ist tot." 英語では"God is dead." となります。
それを否定するために、"God is dead." (神は死んだ)に NOT を挿入して "GOD IS NOT DEAD."(神は死んでいない) という題にしたのが上の映画です。
ですから私は邦題の「神は死んだのか?」よりも、原題の感じを出すためには「神は死ん...でいない」とした方がいいのではないか、と提案したのです。


映画の中では無神論者の大学教授が、哲学入門の最初のクラスで紙を配り、学生全員にクラスの結論である「神は死んだ」と書くようにと言います。
主人公のクリスチャンの学生はどうしても書けない、と言ったところ教授は、それでは神の存在を証明しろと言い、クラスはまるでふたりの法廷論争のようになり、他の学生全員が陪審員となるというじつに見応えのある映画でした。


映画の中で教授はこれまでの人生で自分の大切なものを神は全部奪ってきた、だから神を憎むと最後に言い放ちますが、その言葉に対して主人公が、「教授、存在しない神をいったいどうして憎むことなどできるのですか?」と詰め寄り、結局陪審員全員が主人公の「神は存在する」に同意の評決を下すことになります。


さて、ニーチェの言葉、「神は死んだ」はすなわち、かつて人々に信じられていたような神はもう死んでしまった、いないのだと無神論を唱えているのです。
かくして無神論者はこの世に神は存在しない、と言います。
しかし考えてみれば、人間のような知識も知恵も限られているものがそもそも「神は存在しない」などと断言することなどできるのでしょうか。


「神は存在しない」と断言するためには、宇宙の始まりから今日まですべての歴史を知っていて、また宇宙のすみずみまで全部知りつくし、宇宙に存在するものすべて知った上で「神は存在しない」と証明しなければならないのです。
しかし、もしそのようなことができるとするならば、それこそその人こそが全知全能、すべてを知り尽くした神となるのですが、有限なる人間にはそんな能力などあるわけなく無神論を証明することなど不可能となります。
せいぜい言えたとしても、「神が存在するかどうか自分にはわからない」が正しい答えです。これを不可知論と言います。これは正直な答えです。


また、もしこの世に、宇宙に神は存在しないとなると、星の運行など宇宙に寸部違わない規則性がなぜ存在するのか、なぜ人は悪を憎み善や義をを愛する心があるのか、これも納得のいく説明をしなければなりません。神が存在しない宇宙は無目的で、義や愛など必要ないからです。
20世紀最大の科学者アインシュタインは、この宇宙の規則性を見て神の存在はあきらかである、と言いました。
かくして、無神論者は「神は存在しない」と言うことによって自らの無知をさらけ出し、逆に「神は存在することもあり得る」という結論を引き出すという自己矛盾に陥ることになるのです。


もし私が上の映画の主人公だったとしたなら、このような論を展開したのではないかな、と思いました。
皆さんはいかがですか? どう思われますか?


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ハッピーな人生

2015.02.09日

まずはこの動画をご覧ください。ビックリ仰天請け合いです。



こんなお利口さんなワンちゃん見たことがありません。
それにこのダンス、尋常じゃない。私よりもよっぽどうまい、というか私なんか全然踊れない。もうまるでプロのダンサーの領域。
何度見ても大笑いしてしまいます。
ただ訓練されたことを機械的にやっているのではなく、自ら楽しんで踊っているよう。
しかも、相手のダンサーと息がピッタリ合っていてベストパートナーです。
こんなワンちゃんと一緒に暮らしていたら毎日ハッピーで言うことなし、って思ってしまいます。


でも、人生そううまくはいきません。
日々の生活を楽しむことはとても大切なことですが、こんな生活が永遠にずっと続くわけありません。
たとえこのワンちゃんと、あるいは愛する人生のパートナーや家族と幸せに暮らしていても、好きな仕事や趣味をやっていても、その先には何事にも必ず終わりがあるのです。
このワンちゃんとも、愛する人ともやがて別れのときがやってきます。


聖書は、私たちの地上での生活は「寄留者」のようなものだ、と言っています。
「これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした」
(ヘブル人への手紙 11:13)
また別の個所では、
「わたしたちの国籍は天にある」
(ピリピ人への手紙3:20)
このことがわかっているのといないのとでは、地上での生き方が180度変わってきます。
すなわち、この世での命がすべてだと思うと、死は恐ろしいし、愛する者との別れも辛く絶えられないほど苦しいものとなりますが、地上の生活が一時的なものであり、私たちの本当の国籍は天にありそこで永遠に憩うことができる、ということがわかっているならば、先日「イスラム国」で殉教の死を遂げられた後藤健二さんもうかばれます。逆に、これを信じていなかったら、このような残酷な別れは本当に苦しいものとなります。


一休さんの名前で親しまれていた高僧、一休宗純は自らの死に直面して、
「わしゃ、死にとうない。ほんまにほんまに死にとうない...」
という言葉を残して逝ったそうです(「♪好き好き好き好き好き」
自分の行き先を知らなかったから怖かったのです。


人生で唯一100%確実なこと、それは私たちがみんなやがて死ぬということです。
その死の向こうに永遠の命があることを知っているならば、自らの死も、また愛する人との別れも、地上の人生との決別も恐れるに及びません。


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「ありがとう」と「サンキュー」の反対語

2015.02.02日

昨日の記事「ありがとう」は後藤健二さんの尊い犠牲の死を悼んで書いたものですが、大きな反響がありました。
私自身、昨日は何度も繰り返しその動画を見てそのつど感動の涙を流しました。寝る前にもう一度見てやはり悔し涙とも感謝の涙ともつかない涙を流し、ご遺族の方々を始め、関わっておられた教会の方やお友達、学校の教え子など関係者の方々の上に神様のお慰めと癒し、平安をお祈りしました。


「ありがとう」と普段、何気なく使っている言葉にこれほどの重みがあるのかと改めて思わされました。
日本語の「ありがとう」はもっとも美しい言葉の一つだとよく言われますが、本当にそう思います。
この「ありがとう」に相当する英語の言葉と言えば当然だれもが知っている「サンキュー」です。
正確には "I thank you." と言い、「私はあなたに感謝します」という意味です。
そこで、この反対を英語で言うとどうなるのかと考えてみたところ、当然のことながら
"I don't thank you." または "I can't thank you." となります。
これは、「私はあなたに感謝しません」「私はあなたに感謝できません」のような意味で、言い換えると日本語の「当たり前」と同じになります。これは面白いと思いました。
日本語の「ありがとう」は「有り難い」からめったにないこと、珍しいこと。英語の "Thank you." は「感謝します」で、もともとの意味は全然違うのに、反対の意味になると同じ「当たり前」になるということなのです。


つまり、昨日の動画にあったように、普段私たちが「当たり前」と思っていることは、実は決して当たり前のことではなく、背後には数えきれないほどの犠牲や、祈りや、愛の行為があるということです。
その中でももっとも大きいのは、これはもう神様の大きなご愛、憐み、慈しみで、これ以外にはありえません。
改めて今回、後藤健二さんが流された尊い犠牲の血に、そして神様のご愛、イエスさまが私たちのために流してくださいました尊い血潮に心より感謝した次第です。


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カラス

2015.01.29日

今朝早くからカラスがけたたましい声で鳴いていました。
「カーカー、カーカー、カーカー、カーカー」
そう、日本人にカラスの鳴き声は?と尋ねると、10人中9人、いやおそらくみんなが「カーカー、カーカー」と答えることでしょう。



ところが、今朝はよーく聞いているといろんなふうに聞こえてきました。
「アーアー、アーアー、アーアー」
「ガーガー、ガーガー」
「ハーハー、ハーハー、ハーハー」
「クワークワー、クワークワー、クワークワー」
「クワッ、クワッ、クワッ」


実際、外国語ではカラスの鳴き声は必ずしも「カーカー」ではなく、たとえばフランス語では「クロア、クロア」、ヘブライ語では「クルルルー、クルルルー」、韓国語では「クカーク、クカーク」、トルコ語では「ガアーク、ガアーク」、タイ語では「ガー、ガー」と聞こえるようです。
同じカラスが鳴いているのに、その国によって鳴き声が違って聞こえるというのは面白いですね。


ところが、しばらく聞いていると聞き捨てならぬ鳴き方をしているカラスがいました。
「アホー、アホー、アホー」
私は頭にきて、そのカラスを殺そう、とはもちろん思いませんでした。
それよりもむしろ、カラスに私たち人間の愚かさを指摘されているような気がしたのです。
「イスラム国」による日本人人質事件や世界各国で起きているテロ事件、日本国内でも毎日のように起こっている殺人事件や詐欺、強盗、痴漢・盗撮行為等々、カラスから見たらさぞかし「アホー、アホー、アホー」と言いたいところだと思います。


人はもともと神の像に似せて創られたものであるのに、どうしてこんなに愚かなのでしょう。
その答えは聖書の中にあります。
最初の人であるアダムとエバが神様に逆らって罪を犯した結果です。
これを理解せずにこの世の様々な問題の解決の糸口は見つかりません。
カラスに「アホー、アホー、アホー」と言われないためにも、私たちがしっかりとこの罪の問題に向き合い、本気で取り組まなければこのままますます堕落していくことでしょう。


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真の世界平和を求めるなら

2015.01.22日

昨日は一日、「イスラム国」が日本人を人質にとって身代金を要求してきたという大事件に日本中が、世界が、多くの人たちが、そして私も翻弄され、一昨日の夜はひと晩眠れないほど心を騒がせました。自分で何かできるわけでもないのに。
昨日はそのようなことで、神様の知恵を祈り求めつつ、平和的解決のための方策がないものかと自分なりにいろいろと模索していました。


日本政府としてはテロと断固戦うとして欧米諸国と安直に同調することは危険極まりありません。自国の安全さえ守られればいいという自己中心的な考えからそのように言うのではありませんが、ここで選択を誤ると日本はこれから確実にアメリカや今回のフランス同様、テロの対象国となります。さらに、日本だけでなく世界中にそのような対象国をさらに広げることは必至です。
ただ問題を複雑にしているのは、イスラム国が認知された国家ではなく、正規の外交ルートもなければ向こうの方から話し合いの場に出てくるということも望み薄ということです。
そもそも、自爆テロなどをする過激派グループは、自分たちの主張はしていますが、他人の意見を聞く姿勢をこれまで一切見せてきていません。これは、同じイスラム教を信奉する国、国民とすらそうなので明らかです。
結局のところ、日本が良好な関係を持っているトルコなど周辺国とのパイプを通じてなんとかイスラム国に連絡を取り、水面下で交渉することしかないのでしょう。
しかし、ここでまた難しい問題は、日本が「人の命は地球よりも重い」と言って安易に身代金を支払うと、それに味をしめた彼らはまた日本人の中から次の標的を見つけ、同じことを繰り返すということにもなりかねないことです。


本来イスラム教は穏健で平和を愛する宗教だと言っても、そのイスラム教徒や国家ですらイスラム国などの過激派からは敵視されていて被害を受け、話し合うことすらできないでいるのです。
もしも、彼ら過激派に自分たちの考えや主義、抑圧感や不満などがあるならば、公けの場に出てそれを堂々と主張し、解決に向けてみんなの協力を要請すればいいのですが、それすらせずただ暴力によってそれを訴えようとするのは、かえって人々の反感を買い、自分たちを孤立化させてお互いに犠牲者を多く出すばかりで何の解決にもなりません。


つい先日「銃と自由」という笑うに笑えない怖いジョークをネット上で見つけました。
ロシアン 「わが国は治安が悪化し、銃が自由に手に入るようになってしまった」
一同「大変だね」
チャイニーズ 「わが国も貧富の差が出てきて、銃を自由に使う奴が増えたよ」
一同 「困ったもんだ」
ジャパニーズ 「わが国は不景気でも銃は自由に使われません」
一同 「素晴らしい!」
アメリカン 「わが国は景気も良くて、しかも銃も自由に手に入るぜ!」
一同 「???」
タリバン 「わが国は貧しいが、銃が手に入るほど自由だ!」
一同 「…」


聖書には、
「平和を作り出す人たちは幸いである。彼らは神の子らと呼ばれるであろう」
(マタイ5:9)
とあります。
また、次のような言葉もあります。
「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。
神の怒りにまかせなさい。
それはこう書いてあるからです。
『復讐は私のすることである。私が報いをする』
と主は言われる」

(ローマ12:19)


人類がこの地上において生き延びるためには、みんながお互いを認め、受け入れ、協力し合う心、平和を作り出す決意と行動が必要不可欠です。
イスラム過激派の人たちも、自らを神の子と称するならば、そのための協力を惜しんでいてはだめです。ユダヤ教、キリスト教とともに彼らも経典とする旧約聖書にあるように、復讐は自分たちの手でするのでなく、神の手に委ねるべきです。
また同時に反イスラムの立場にある人たちも、単に「反テロリズム」を訴えて暴力に暴力で向かっていては、同じく復讐をしていることになり、負の連鎖で絶対に解決の糸口は見つかりません。
このままの状況が進むと、かつて歴史が見たこともないような世界規模の戦争に突入していき、人類は間違いなく自滅することでしょう。
そのようにならないようただひたすら祈り、また世界の国々のリーダーたちが賢明な決断ができるよう切望するものです。
そして、何よりも湯川遥菜さんと後藤健二さんの無事の解放を心よりお祈りします。


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会うは別れの始め

2015.01.20日

これまで何度もこのブログに登場したNHKの朝ドラ『マッサン』。
先週のトピックは「会うは別れの始め」で、昨日からは「人間到る処青山有り」。
「墳墓の地はどこにでもあるから、人は故郷を出て大いに活動すべきであるという意」という意味です。
いよいよマッサン一家は、本場スコットランドのようなうまいウイスキーを造るという夢の実現のために北海道に向けて出発することになりました。
しかし、その前にこれまでお世話になった大阪の近所の人たちにお別れ会をしてもらいます。
それが昨日のシーンでした。



エリーの一番の理解者であり友人のキャサリンが言います。
「やっぱりやめた方がええん違う?
エリーはなんも知らんのや。
北海道のウインターはな、吐く息がアイスになるらしいで。鼻水垂らしたら、つららになって、息もできんでジ・エンドや。
いやいやいや、北海道はな、人の数よりも熊の数の方が多いんや。
歩いとったら大きな大きなビッグベアーが出てきて、グワ〜!
それにな、それに、それに…
そんな遠いとこまで行ったらもう会われへんやん。
ウイスキーなんか、どこでも造れる。大阪おったらええ。
エリーに会われへんようになるのさみしい。
マッサンどうでもええけど。
なあ、エリーらだけ大阪に残ったらあかんの?



(蛍の光のメロディとともに)
エリー「みんな、おおきに。ほんまにありがとうございます。
私、大阪大好き。
みんなと別れる、とってもとってもさみしいです。たくさん悲しい。
だけど私たちの夢をかなえるために、家族三人で北海道へ行きます。
力合わせて、何があっても頑張ります。
オー、皆さんのこと、ずーっとずーっと忘れません。
長い間、ホントにお世話になりました」



会うは別れの始め。
夫婦であろうと親子、兄弟姉妹、親族、親しい友人、師弟等々すべての人間関係にはやがて必ず別れの時がきます。
辛くて、悲しい別れ。
今、こうしてこの記事を書きながら、昨日の上のシーンがよみがえってきて目に涙が浮かんできます。キャサリンの言葉も去ることながら、「蛍の光」に乗せたエリーの言葉には胸が詰まります。


しかし、地上における別れが最終の永遠の別れじゃないのです。
「会うは別れの始め」とよく言いますが、信仰を持つ者にとっては、
「別れは再会の始め」
なのです。
ドラマ中のエリーのモデルになったリタは64歳で召天しますが、最期を看取った夫のマッサンはその後18年生き、臨終の床で愛するリタの元に行きたいと言って病床洗礼を受けるのです。(『百万人の福音』1月号 p.10)
なんて感動的なんでしょう。
愛する人たちとの別れもやがて天国での再会があるという希望があれば、一時的な別れでありそんなに打ちのめされるほどの悲しみではなく、また自分の死も恐れるものでなくなります。
信仰は単なる気休めや、弱い人がすがるものでもなく、人の人生そのものを根底から変える生きる力です。


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未年にちなんで

2015.01.08日

千葉県富津市のマザー牧場で飼育している羊を使って干支の文字を描き出すイベントが行われているそうです。
牧羊犬に導かれた羊150頭が広場に現れると「未」の形に置いてあった餌を食べ始め、1分ほどで文字が完成するとのこと。
2月1日まで約1か月続けられるこのイベント、親子に人気というのもうなずけます。


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子どもにしてみれば、羊ってお利口さんなんだなって思うかもしれませんが、本当はものすごいおバカさんなのです。


動きは鈍く、野犬などに襲われると逃げることもできず、すぐに餌食になってしまいます。
また、前方にあるものの距離感をつかむことができず、ちょっとしたくぼ地や浅い水たまりに落ちることもよくあり、そうなると自分で立ち上がることもできず、ただそのまま死んでしまうこともあるそうです。
いつも仲間の羊と群れて団体行動しているのですが、時に仲間から外れて迷い子になってしまうと仲間のところに戻れずそのまま飢え死にする、というほどのおバカさんです。
日本では、羊は群れをなして行動するため、家族の安泰や平和をもたらす縁起物とされていますが、羊飼いや牧羊犬がついていないと生きていけないくらいお人好し(お羊好し?)な動物なのです。


そのため人間にとって羊はかえって好都合で、毛はウールに加工されてセーターや洋服になり、皮はスエード、ムートンに、乳はミルクやチーズに、肉は食料となり、昔の中東に住む人々や中国など大陸に住む人々にとっては生活に欠かせない動物でした。


聖書の中では、私たち人間がこの愚かな羊によく例えられています。
人はよく「万物の霊長」と自らのことを呼び、地上でもっとも優れた生き物だと言っています。
確かに人は神様の像に似せて創られているのですが、実際には憎しみや嫉妬、怒りなどによってお互いに傷つけ合い、殺し合い、戦争し、自己中心な心から人の物を盗んだり、嘘をついたり、高慢になって人を見下したり差別したり、暴力を振るったり、と他の動物がしないような恐ろしいことをたくさんしていて、ある意味羊以上におバカさんです。
聖書ではこれを「罪」と呼んでいて、私たちはみんな罪人で、羊飼いなる神様、イエスさまなしでは生きていけない愚かな羊と同じだと言っているのです。

この未年、私たちは羊に倣って自らの弱さを知り、もっと謙虚になって、羊飼いなるイエスさまにお従いするものとなりたいものです。


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いろんなことがありましたよ

2014.12.31日


いろんなことがありましたよ。
イエスさまを信じたあとも
だけどぼくの心の中に いつでもよろこびがある
悲しいこともありましたよ 苦しみ悩んだことも
だけどぼくの心の中に イエスさまへの感謝の歌がある
キミもおいでよ イエスさまのもとへ
そのままでいいんだよ 新しい人生だから

なにを信じて歩くの? なにを頼りに歩くの?
この長い人生の坂道を 見果てぬ夢追いかけ ただひとり
キミもいつか分かるだろう 自分の力の弱さを
そしたらすぐにおいでよ 優しいイエスさまのもとへ
ムリをしないで 意地をはらないで
そのままでいいんだよ 新しい人生だから
キミもおいでよ イエスさまのもとへ
そのままでいいんだよ 新しい人生だから
新しい人生だから
新しい人生だから


長男の直人が4年前にロサンゼルスの教会で歌った賛美です。
本当に今年もいろんなことがありました。でも、感謝なことに私も新しい人生を歩み始めることができるようになりました。
今、この歌を聴きながら今日までの1年間を振り返り、「うるる ヽ(≧Д≦)ノ」となってしまいました。


幼少の頃から身体は弱い方でしたが、とくに還暦を過ぎた頃からここ4〜5年、さまざまな病いと闘い、いくつもの病院に通ってきました。
FBフレンド、曽我さんの「今年のアルバム」の一番初めに「年寄りはどこか悪いのが正常」とあるのを見てひと安心。なるほど、そういうことか。
でも、待てよ。ここ数か月でこれまでのさまざまな病気の症状が嘘のように消えて、今がこれまでの人生で一番快調ということは、逆に今が異常なのかと思ったら、曽我さんが
「あなたは健康長寿百歳までがんばれそうですね。おめでとうございます\(^o^)/」
と励ましてくださり、とても嬉しくなりました。


2時間のウォーキングもできるようになり、先週などは2回プールに行って1.5kmずつスイミングできるほどに快復しました。
これまでの毎日の吐き気や目の前が真っ暗になる発作、幻聴、全身悪寒、前立腺肥大による夜中1〜2時間おきのトイレ、味覚異常と食欲不振、そして激やせ、不眠症や、ひどい便秘と下痢の繰り返し、毎晩経皮鎮痛消炎湿布を貼らなければ寝られなかった首や肩の痛みなど、全てが嘘のように消えました。


長男の結婚もあり、本当にいろんなことがありましたが、今振り返ってみればすべてが感謝、感謝。
「いつもよろこんでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべてのことについて感謝しなさい」
神様、感謝します。
またまた、うるる ヽ(≧Д≦)ノ


この一年間、皆様の温かいお祈りとご支援をありがとうございました。心より感謝いたします。
来たる年もよろしくお願いいたします。
どうぞ良いお年をお迎えくださいね。


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慰安婦問題とSTAP細胞

2014.12.28日

昨日の読売新聞一面に「朝日社長がおわび 慰安婦問題誤りを放置」と「STAP細胞調査打ち切り」という二つの記事が載っていました。
ほかの面にもこの二つの記事に関する会見要旨、検証、関連記事などが載っており、一昨日の新聞にも慰安婦問題についての第三者委員会の委員二人とメディア論専門家の分析と意見が紹介されていました。


これらを読んでいて、問題の根源、ルーツは似たようなところにある気がしたのは、おそらく私だけではないでしょう。
STAP細胞については、今年の2月に「リケジョ、泣き明かした夜も」という記事をブログに書き、この成果に大いに期待していただけに非情に残念です。
また慰安婦問題については、この朝日新聞の記事が元で、日韓問題にとどまらず米国、カナダ、中国、オランダ、オーストラリアなど国際問題にまで発展し、日本が国際的に大きな信頼を失ったことは否めません。もちろん、真実は追求し、認めるべきは認めて、謝罪すべきは謝罪すべきなのですが、物事の本質をここで見極めてきっちりと解決しておかないと、また同じような問題が繰り返し起きる可能性があります。


これらの問題のルーツは何かというと、一つは人間誰しもが持つ名声や利潤を追求する心、二つ目は問題が発覚した時にそれを隠そうとし、また偽りや過ちを認めて謝罪しようとしない自己保身という罪の性質です。
日本では一般に「罪」と「犯罪」が同一視される傾向があり、この程度のことは犯罪ではなく誰でもやっていることだ、というような意識があり自分を正当化しようとします。それが証拠に、日本人に「あなたは自分が罪人だと思いますか?」と尋ねると、まずほとんどの人が「自分は罪人ではない」と答えますが、これは「犯罪は犯していない」という意味で、キリスト教文化が根ざしている欧米などと比べると「罪」に対する意識が非常に希薄だからです。


日本がこれから真のグローバル化を目指すためには上に挙げたような態度を改め、世界に認められるような真の国際人を目指さなければなりません。


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天国は、本当にある

2014.12.26日
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去る21日のクリスマス礼拝の後、1年間お仕事の出張でロサンゼルスに行っていらっしゃったお友達のKさんが、「舟田先生なら英語の字幕がなくてもおわかりになるでしょうからこれ差し上げます」と言って、『天国は、ほんとうにある』のDVDをプレゼントしてくださいました。


時同じくして、一昨日FBフレンドであり、私の師でもある敬愛する小川先生がゲストとして出演されたテレビ番組『ライフ・ライン』のDVDを送ってきてくださいましたが、この中で取り上げられていたのも『天国は、ほんとうにある』でした。
お二人から素晴らしいクリスマスプレゼントをいただき、感謝感激でした。
それで昨日はこの2枚のDVDを連続で観ました。
両者からは教えられることが多く、小川先生も語っていらっしゃるように、映画の中の主人公たちである、臨死体験をして天国を見てきた3歳の子どもと父親である牧師夫妻や、その教会の信徒たちなど、私たちクリスチャンがみんな自らの信仰を試され、再確認させられるとても素晴らしい内容の映画でした。


興行成績約100億円という大ヒットを記録。
原作は"Heven is for Real"(邦題:『天国は、ほんとうにある』)。
愛と奇跡のノンフィクション・ストーリーとして注目を集め、米ニューヨーク・タイムズ紙のベストセラーリストに200週ランクイン。全世界で900万部の売り上げを記録しているといいます。


下に映画の予告編の動画を載せますが、その中で語られている次の言葉は観る者の胸を打ちます。
「みんな信じていない。信じるのが怖いのさ」
「天国より今の生活が大事だわ」
「天国を見たことないですか? 赤ん坊の産声や友人の勇気の中に両親の愛の中に私は見た。だから信じる。あなたは?」


天国の存在を信じるかどうかはもちろん個人の自由です。でも、信じるか信じないかでこの人生の生き方が180度変わってきます。
かつて17世紀のフランスの哲学者、思想家、数学者、物理学者、宗教家のパスカルは人生最大ともいえる大きな賭けをしました(「パスカルの賭け」)。
この賭けは8億年年末ジャンボ宝くじよりもはるかに確実性の高い、しかも永遠に続く真に価値ある賭けです。
では、予告編をどうぞ。



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メリークリスマス!

2014.12.25日

昨夜のクリスマスイブ、床に就く前に読んだ『朝の祈り 夜の祈り』(J・ベイリー著)の箇所はまことにイブにピッタリのメッセージでした。以下に引用します。



天の父よ、日ごとにさまざまな祝福をもってわたしの生活をゆたかにしてくださるあなたに、すべてのほまれと栄光がありますように。
あなたの豊かなたまものは、
共に住む家庭、愛する近親、親しい友人
あたえられた地位と仕事
みどりの世界、青い空、すんだ空気
健全な体と素朴な楽しみ
民族の長い歴史と、見ならうべき偉人たち
良い書物と、鑑賞すべき多くの美術工芸
価値ある知識と、技術、学問
未知のところから来て、時おりわたしの心をみたす高潔な思想
多くの幸福な年月と、陰うつな日にあなたが与えられる内なる静けさ
あなたがわたしの心に住まわれることによって与えられる、人知をこえた平安
死を越えたかなたをのぞみ見る信仰と、墓のかなたにあるより大きな生命への希望
などです。


主なる神よ、感謝いたします。あなたは、いついかなる時にも、その全能のみ手によって人類に対する祝福をお示しくださいましたが、ことにイエス・キリストのうちに、かつてなされたことのない大きなみわざをなしてくださいました。それは、
家庭をより楽しく、友だちをより親しいものとし、
悲しみを喜びにかえ、苦痛をたましいの勝利にかえ、
死のとげをぬきとり、
罪の力をうばい、平和をより大きな平和に、喜びをさらに大きな喜びにし、信仰と希望と愛とをより確かなものにしてくださったのです。
アーメン


イエス・キリストはこのために天から下り地上に来て、私たちのうちに住まわれ、十字架の上で私たちの罪を、苦しみや悲しみを身代わりに負ってくださいました。
そのためにイエスさまはお生まれになられました。これこそまさにクリスマスの意味じゃないですか。
先日書いた『偶然、たまたま』ではありませんが、イブにこのような力強いメッセージをいただき、感謝の気持ちでいっぱいになりました。


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もうひとつのクリスマスキャロル

2014.12.24日
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丈一少年は小学4年生でした。
クリスマスの朝、目覚めると一番に枕もとにサンタさんが置いて行ってくれたプレゼントを探しました。
そこには小さなプレゼントがラッピングしてあり、リボンがかけられていました。
開けてみると出てきたのは2冊の本。
1冊はディケンズの『クリスマスキャロル』、もう1冊は『古事記』。裏表紙には100円と書いてあります。
丈一くんは『古事記』の書名にふってある振り仮名を見て、「乞食」だと思いました。
丈一くんはがっかりしました。
サンタさんにはおもちゃのプレゼントをお願いしていたのです。
しかも、本を開けてみると、『古事記』はさっぱりわからずつまらない。もう読む気にもなりませんでした。
『クリスマスキャロル』は、クリスマスの名前につられて読みかけましたが、なにしろこれまで本など読んだことのなかった丈一くんにとってはこれも難解。何回読もうとしても、数ページ進むとそこでギブアップ。ついに最後まで読み通すことができませんでした。


丈一くんは集中力がなく、学校での勉強はさっぱりわからず、家でもまったく勉強しませんでした。
学校でもらってくるお知らせなどもランドセルの中に入れたまま。
成績は全然よくありませんでしたが、お父さんとお母さんは成績のことで叱ったり、勉強しろとは言いませんでした。彼はいつも両親の愛情のもとで明るく、素直にすくすくと育ちました。
小さい頃から身体が弱く、いつも病気がちでほぼ毎週のように病院通いをしていました。そんなこともあって彼は運動神経が鈍く、体育はほとんど何もできず学校の成績はいつでも1でした。


丈一くんの家庭はとても貧しく、お父さんもお母さんも働いていましたが、生活はほとんどその日暮らし。お父さんはセールスでしたが月給は数千円で、その月の成績によって手取りの給料が大きく変わりました。
お母さんは家で洋裁の仕事をしていましたが、これも定期的に仕事が入るわけではありません。
一家が住んでいた借家は、古い一軒家でしたが、隣には大家さんが住んでいて、ベニヤ板で仕切った壁で二家族が住んでいたのです。
親戚や友達の家にはお風呂があるのに、丈一くんの家にはお風呂がなく、親戚の家や友達の家に遊びに行くとよくお風呂に入れてもらっていました。普段は二日に一回の銭湯も、夏は台所の土間に置かれたたらいの中で家族みんなが順番に行水していました。
このような中で丈一くんは月二千円のアルバイトをして家計を助けていました。とは言っても、彼は自分が家計を助けているという意識はまったくありませんでした。


やがて丈一くんは中学、高校へと進みました。
あれほど本が読めなかった丈一くんは、中学では学校で一番たくさんの本を図書館から借りて読むほどになっていました。
家庭は相変わらず豊かではなくお小遣いももらえず、彼は両親のことを思って大学に行くかどうか迷いました。働いて親を助けようと思ったのです。
でも、大学を出ていなかったことで苦労していたお父さんは、彼をどうしても大学に行かせたいと思い、親戚から借金して行かせてあげました。


それまで勉強嫌いだった丈一くんが勉強に目覚めたのは大学に入ってからのことです。
周りの友達がみんな新しい英文タイプライターを買って使っているのに、彼は紙にキーボードの配列を描いて、その紙の上をタイプを打つようにして毎日練習していました。
ある日、アメリカ軍が廃棄処分にした古い古いタイプライターをもらい、それで友達と早打ち競争をした時には一番になっていました。


大学を卒業するとき、周囲の友達はみんな就職しましたが、彼だけはもっと勉強がしたいと思い、アメリカの大学院に留学することになります。
この時も、家にはお金がなく、大学に提出しなければならない資金証明書を得るためにお父さんは、銀行でほんの数日だけお金を借りて口座に入れ、その残高証明書を作ってもらったぐらいでした。


親からの仕送りが期待できなかった丈一くんは、掛け持ちでいくつものアルバイトをしたり、大学から奨学金をもらったり、授業料を免除してもらったりして勉強を続けました。
こんな丈一くんがアメリカで教会に導かれそこで信仰を持つに至ります。
両親は彼の信仰に猛反対し、お父さんはかなりひどい迫害さえしました。しかし、そのような中で彼は悩みに悩んだ挙句、将来大学で教鞭を執りたいという思いを捨てて、献身し神学校に行くことになります。


そして、あとは皆さんご存じのとおり。
丈一くんは実は譲二くんで、素晴らしい家族や友人や仕事に恵まれ、今日に至っています。
このクリスマスを迎えるに当たり、これまでずっと大小さまざまな病気と闘ってき、とくにここ数年は仕事もできなくなり、もう寿命も長くないのではないかと思っていた譲二くんは、ようやくこれまでの人生で一番健康になり、昨日などはプールで1.5km泳ぎ、プールまでの往復2時間のウォーキングもすることができるようになったのです。


これまで譲二くんのために祈り、支えてきてくださった多くの先生方、主にある兄弟姉妹、先に天国に行った両親、今与えられている家族、そして祈りに応えて豊かに祝福してくださったイエスさまに譲二くんは今、心から感謝しています。


これこそが、小学4年生の時のサンタさんからのプレゼントの『クリスマスキャロル』ならぬ、イエスさまからの今年の本当のクリスマスプレゼントで、ついに両親の夢もかなったのでした。
(これはすべて実話です)


メリークリスマス!!


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感謝の心 Part3

2014.12.21日

「感謝の心」「感謝の心 2」という記事を以前、と言ってもずいぶん前になりますが書きました。また、「感謝」という言葉をブログページ左上コーナーの「エントリー検索」に入力してみると200以上ヒットしました。(めんどくさくなって途中で数えるのをやめましたが)
「感謝」は、人生を豊かに生きるための大切なキーワードです。


6年以上にわたってこのブログをほぼ毎日書いてくることができたことも感謝です。
ここ数年体調を崩していて、ブログの過去ログを見てみるとキッズクラブのクリスマス会では11年〜去年まで3年間メッセージもできない状態でした。
一時期は一日中寝ていたりして、自分の命はもうそんなに長くないのではないだろうか、なんて弱気になっていたこともあったのですが、信仰の力と背後で祈ってくださっている多くの方々のサポートによってここまで強められました。
調子が良くなり始めたのはほんの数か月前からのことですが、まるで嘘のようです。
一昨日のクリスマス会では、その準備に始まりメッセージから後片づけまで、全部きっちりやり遂げることができました。
感謝なことです。


この間、食事療法やウォーキング、スイミングなどの運動療法、サプリメントなど良いと思われることは何でもやってきました。
これらすべてがきっと相乗効果を上げたのでしょう。
何事も一生懸命やる私の性分で、ウォーキングはほぼ毎日1時間から2時間、スイミングは最近は50分で1km以上泳げるまで体力もついてきました。
体組成計によると、体脂肪も内臓脂肪も過去最低レベル、体内年齢は39歳、血圧は上が93、下が53で正常値をさらに下回る至適血圧と、もう言うことなし。
感謝、感謝。


この数年間、父や義母、何人かの親しい友人の死や辛いこと、悲しいこと、苦しいことなど、試練もたくさんありました。
でも、常に感謝の心を失わないよう努めてきました。
人間だれでも人生のネガティブな面を見ると、次から次へとマイナス面ばかり見えてきて、ついつい「神様なぜですか?」と言いたくなったりするものです。
でも、このようなときにもプラス面に目をやって、感謝できることを探し始めると数えきれないほど感謝なことが見えるようになってきます。
病気したことにも感謝、苦しかったことにも感謝、辛かったことや悲しかったことにも感謝。これらがなければ今日の私はありません。
このように感謝していると、ますます心身魂ともに強められ、感謝なことがさらに増えてきます。
今日はこれから教会でクリスマス礼拝。
今年もここまで守られてきたことに感謝します。
「数えてみよ、主の恵み」と、感謝できることを毎日の生活の中で数え上げましょう。幸せになれること間違いなしです。


「いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである」
(テサロニケ人への第一の手紙 5:16-18)


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偶然、たまたま

2014.12.19日

「◯◯さんにFB上で偶然出会い友達になった」
「新聞を読んでいたときにたまたまその記事に目が留まった」
など、私たちは日常の生活の中でこの「偶然」とか「たまたま」という言葉をよく使います。


私は毎朝、妻と一緒にデボーションといって祈りの時間を持っています。
祈る前に聖書日課を読んだりします。前は私の尊敬する故榎本保郎先生の『新約聖書一日一章』を用いていましたが、これを全部読み終わり、今は『旧約聖書一日一章』を読んでいます。これは以前にも読んでいたのですが、また創世記から始めています。


不思議なのが、これらの『旧・新約一日一章』を読むとき、何か問題があったり、あるいは妻とあることで話し合っていたときに、まさにそれに対する回答とも言えるようなメッセージに出くわすことがしょっちゅうあるのです。
このようなとき、多くの人は上のように、「偶然」とか「たまたま」と言います。
どのような言い方、見方をするかは個人の自由で、もちろん「偶然」あるいは「たまたま」と言っても良いのです。
しかし、「偶然」や「たまたま」という言葉には「何の意味もない」、いわゆる「運命」というような意味合いが含まれています。果たして私たちの人生は、意味のない運命に支配されているのでしょうか。


信仰の目を通してこのような日常茶飯事の出来事を見るとき、これらをただ単に「偶然」や「たまたま」で片づけられないほど、まさに折にかなった助けを受けることがよくあるものです。
つい先日も、日曜日の礼拝後のお茶の時間にひとりの方がおっしゃっていました。
「忘れもしない先週の火曜日。その日、友達と話していて、ある問題で非情に気持ちが落ち着かなかくなっていたのですが、帰宅して舟田先生のブログを開いて見たところ、私の心の中にあった問題の答えが見つかり、それをすぐにその友達にメールで知らせてあげました」。
それは「マッサン Part2」の記事だったとのことです。
このようなことをよくブログの愛読者の方々から言われます。
そういえば、今週の『マッサン』のドラマの中で、主人公のエリーが足を踏み外して階段から落ちて流産してしまいました。しかし、結果的にエリーは生まれつき血液が少ない体質で、もしあのまま出産していたら出血でエリー自身が命を落としていただろう、という医者の言葉がありました。これも偶然だったのでしょうか。


1年半ほど前の記事「人生、悲喜こもごも」「偶然と必然」、ほかの記事の中でご紹介したみづきちゃんは、私の娘と同い年の24歳という若さで交通事故に遭い天に召されました。
このときは本当に辛く、悲しく、やりきれない気持ちでいました。
しかし、つい先日、みづきちゃんのお誕生日に「また天国で会おうね」とFBにメッセージを送ったところ、これをきっかけにみづきちゃんのお母様と弟さんとFBでつながることになりました。
お母様によると、みづきちゃんの遺品を整理していたところ、家族みんなのために聖書5冊が買って用意してあったとのこと、また私のことをみづきちゃんから聞いていたということ、そして今はみづきちゃんの気持ちが通じて聖書を読み、教会に通っている、というとても嬉しいご連絡をいただきました。
ロサンゼルスでのみづきちゃんとの出会いも「偶然」だったのでしょうか。


これらをただ単に「偶然」や「たまたま」で片づけるのは、神様に対する、そして人の命に対する冒涜ではないでしょうか。
日本ではよく「ご縁があって」というような言い方をしますが、聖書ではこれを「神の摂理」と呼びます。
全知・全能にして、愛なる神様は私たちの最善を常に願っておられ、あらかじめご計画を持っていらっしゃる、ということです。
みづきちゃんの命がなぜこんなに若くして取られたのか、それは私たちにはわかりません。でも、その背後にはきっと神様の深いご計画と、大きなご愛があるのでしょう。


私たちも人生を振り返ると、いろいろな悲しいことや辛いこと、苦しいことを経験してきています。このようなことがひとつもない、という人はこの世に誰ひとりいません。
しかし、神様はさまざまなことをとおして、私たちに神様のご愛を、摂理という形で示しておられます。
これは信仰の目を持って初めて見えるようになることです。
そして、これがわかるとわからないでは、人生の意味・目的は天地ほど大きく違ってきます。


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神は死んだのか?

2014.12.06日

来週の土曜日、13日からアメリカの映画『神は死んだのか』が全国ロードショーされます。
全米で実際に起こった数々の信仰に関する訴訟事件をベースに映画化。
まずは予告編をご覧ください。



「クリスチャンの大学生と無神論者の哲学教授との“神の存在証明”を巡る大激論の行方を描いた『神は死んだのか』は、2014年3月に全米公開されると3日間で856万ドルという驚異の興行収入を記録【1,000館未満で公開された作品の中で全米歴代最高記録】、合計600万人以上を動員。知的刺激に満ちあふれ、勇気を呼びさましてくれるドラマチックな話題作がいよいよ日本公開」
という全米を震撼させた話題作です。


私自身、アメリカの大学院で7年間にわたり学んでいましたし、また同時に2つの大学で教鞭を取っていたので、アメリカの大学の授業の雰囲気や教授と学生のやり取りなど雰囲気がよくわかり、この映画は待ちに待っていたものです。
ただし、上映される映画館の数や期間が限られていて、おそらく都市圏でないと観られないと思いますので、映画館情報で事前にチェックしておかれた方がいいかと思います。
クリスチャンの方にも、またノンクリスチャンの方にも、ご自分の人生について考えるよい機会を与えてくれるお薦めの映画です。


eiga.jpg


原題は"GOD'S NOT DEAD." とありますように、本当は『神は死んだのか』よりも「神は死ん...でいない」 の方がより本来の雰囲気を出してるかと思います。


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死が別つまで Part4

2014.12.04日
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元言語学者の観点から、いくつかの夫婦間の呼び名の語源をちょっと探ってみました。


「かみさん」
これは元々、上の人に対するうやうやしい呼び方で、「お上」から来ている。それにさらに「さん」(元は様)をつけているので、ものすごく偉いお方という畏れ多いお方に対する呼び方。
また、「おお、神様」が語源だという説もある。
「家内」
一見、家の内にいる人というふうに見えるが、実はこれは妻を怖れる夫が他人に対して、「うちのおっかない(恐ろしい)お方」と言ったところから始まっている。
「妻」
爪楊枝という言葉があるが、いつも妻に用事を言いつけられている夫が、用事を飛ばして「爪」と言ったのが妻に変化した。
「女房」
「房」とは元々部屋の意味で、妻に部屋を占拠されて追い出された夫が小さくなって、妻のことを女房と呼んだ。
「旦那」
元の意味は「布施、施し」で、そこから妻に施しをして仕える人という意味になった。
「主人」
主人というと家の主(あるじ)のように見えるが、元は音の似ている囚人から来ていて、妻の言いなりになっている人を指す。
「亭主」
これはひところよく流行った「亭主元気で留守がいい」のCMに表れているように、家にいないことを望む妻が言い始めた呼び名。
「ハズ」
結婚してから、「こんなはずじゃなかった」と言った妻の言葉が語源。
「夫」
オットセイがいつも「オエーッ、オエーッ!」と鳴いている様子が夫と似ているからついた。


というのはもちろんぜーんぶ冗談。
ごめんなさいね、世の奥様方。
えっ、こんなの舟田先生らしくない、ですって?
いや、話はこれからです。すべてのことには原因があります。
冒頭に挙げたような、男尊女卑ならぬ「女尊男卑」が始まった元をたどってみます。これは冗談ではなく、大真面目な話です。


皆さんご存じの聖書の中のエデンの園の物語。
神様がアダムをお造りになった時、彼は自分にふさわしいパートナーが見つかりませんでした。
そこで神様は、
「人がひとりでいるのは良くない。彼のために彼にふさわしい助け手を造ろう」
と言って、エバを造ってアダムのところに連れてこられました。
深い眠りから目覚めたアダムはエバを見て、
「これこそ、私の骨からの骨、私の肉からの肉」
と言って一目惚れし、二人は結婚しました。


ところがその後、蛇の形をとったサタンがエデンの園にやって来て、アダムとエバをそそのかして神の言いつけに背かせようとします。
そのサタンの誘惑に最初に負けたのはエバで、彼女は神に禁じられていた木の実を取って食べ、それを夫のアダムにも与えたのでアダムも食べてしまいました。


しばらくすると、神様がやって来られてアダムに仰せられました。
「食べてはならないと命じておいた木から食べたのか」
アダムは答えました。
「あなたが私のそばに置かれたこのおんなが、あの木から取って私にくれたので私は食べたのです」
神はエバに仰せられました。
「あなたはいったいなんということをしたのか」
エバは答えました。
「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです」


これが人間が最初に犯した罪です。
聖書の中で語られる罪とは、人を殺すとか、物を盗むとかいう犯罪ではなく、神に対して逆らう心で、さらにアダムとエバの間に見られるようなお互いに責任を相手のせいにするような自己中心の罪です。


この後、神はアダムとエバに罰をお与えになります。
「わたしはあなたのみごもりの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産まなければならない。
しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼はあなたを支配することになる」
(創世記3章)


ちょっと前置きが長くなりましたが、夫婦の問題の根源のほとんどはここにあります。
すなわち妻は夫をコントロールしようとする(上の「恋い慕う」という言葉の原義は、その後の4:7の「罪があなたを恋い慕っている」と同じで「支配しようとする」という意味)が、夫はそれが気に食わなくて力ずくで妻を支配しようとする、ということです。
先日も、テレビを見ていたら、家具や電化製品、車やその他さまざまなものを買う時の決定権の8〜9割は妻にあるとのこと。これは世界的にもほぼ共通していることで、エバ以来女性の遺伝子の中に受け継がれてきているようです。
夫は妻が自分を支配しようとしているのを感じると、だんまりを決め込むか、面白くないと言葉で売られた喧嘩を買ったり、あるいは力ずくでねじ伏せようとしてますます関係が悪化するのです。これを男性神経症と言います。


新約聖書を見ると、「夫は妻を、キリストが教会を愛したように愛しなさい」とありますが、これはキリストが教会、すなわち私たちのために命をかけて愛してくださったように愛しなさいということです。
そして、妻に対しては「キリストに仕えるように夫に仕えなさい」と言っています。
つまり、夫婦は何か問題を解決しようとする時、あるいは何か決めようとする時、ふたりとも1票ずつの投票権があるのですが、最終的には夫にもう1票の投票権があり、夫が決めるのです。その時、妻は夫に従うのが聖書的な良好な夫婦関係です。その代り、夫は自分の決定したことに対して責任を持たなければなりません。命がけで。
また、妻も夫の選択が間違っていたからといって、後で「ほら、だから言ったでしょ! やっぱり私の言ったとおりじゃないの!」などと言ってはいけないのです。
これが、人生のマニュアル本と言われる聖書が教える、死が別つまで夫婦円満に過ごす秘訣です。
これから結婚しようとする人も、またすでに結婚している人も、ぜひこの夫婦間のルールを実践してみてください。神様の祝福は折り紙つきです。そして、私もハンスの祈りの手で陰ながらお祈りしています。


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祈りの手

2014.12.03日

「祈りの手」という有名な絵がありますが、皆さんも一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。


prayinghands.jpg


いまから500年ほど前、ドイツのニュールンベルグの町にデューラーとハンスという若者がいました。
2人とも子だくさんの貧しい家に生まれ、小さい時から画家になりたいという夢を持っていました。 


2人は版画を彫る親方の元で見習いとして働いていましたが、毎日忙しいだけで絵の勉強ができません。
思いきってそこをやめて絵の勉強に専念したいと思いましたが、絵の具やキャンバスを買うお金もままならないほど貧しく、働かずに勉強できるほど余裕はありませんでした。
ある時、ハンスがデューラーに1つのことを提案しました。
「このままでは2人とも画家になる夢を捨てなくてはいけない。
でも、僕にいい考えがある。
2人が一緒に勉強はできないので、1人ずつ交代で勉強しよう。1人が働いてもう1人のためにお金を稼いで助けるんだ。そして1人の勉強が終わったら今度は、別の1人が勉強できるから、もう1人は働いてそれを助けるのだ」

 

どちらが先に勉強するのか、2人は譲り合いました。
「デューラー、君が先に勉強してほしい。君の方が僕より絵がうまいから、きっと早く勉強が済むと思う」

 

ハンスの言葉に感謝してデューラーはイタリアのベネチアへ絵の勉強に行きました。
ハンスはお金がたくさん稼げる鉄工所に勤めることになりました。


デューラーは「1日でも早く勉強を終えてハンスと代わりたい」と、ハンスのことを思い寝る時間も惜しんで絵の勉強をしました。
一方残ったハンスはデューラーのために早朝から深夜まで重いハンマーを振り上げ、今にも倒れそうになるまで働きお金を送りました。


1年、2年と年月は過ぎていきましたがデューラーの勉強は終わりません。
勉強すればするほど深く勉強したくなるからです。
ハンスは「自分がよいと思うまでしっかり勉強するように」と手紙を書き、デューラーにお金を送り続けました。


数年後ようやくデューラーはベネチアでも高い評判を受けるようになったので、故郷に戻ることにしました。
「よし今度はハンスの番だ」と急いでデューラーはニュールンベルクの町へ帰りました。
2人は再会を手を取り合って喜びました。


ところがデューラーはハンスの手を握りしめたまま呆然としました。
そして、泣きました。
なんとハンスの両手は長い間の力仕事でごつごつになり、絵筆がもてない手に変わってしまっていたのでした。
「僕のためにこんな手になってしまって」と言って、デューラーはただ頭を垂れるばかりでした。
自分の成功が友達の犠牲の上に成り立っていた。
彼の夢を奪い、僕の夢がかなった。
その罪悪感に襲われる日々を過ごしていたデューラーは、「何か僕に出来ることはないだろうか。少しでも彼に償いをしたい」
という気持ちになり、もう一度ハンスの家を訪ねました。


ドアを小さくノックしましたが、応答はありません。でも、確かに人がいる気配がします。
小さな声も部屋の中から聞こえきます。
デューラーは恐る恐るドアを開け、部屋に入りました。
するとハンスが静かに祈りを捧げている姿が目に入りました。
ハンスは歪んでしまった手を合わせ、一心に祈っていたのです。
「デューラーは私のことで傷つき、苦しんでいます。自分を責めています。神様、どうかデューラーがこれ以上苦しむことがありませんように。そして、私が果たせなかった夢も、彼がかなえてくれますように。あなたのお守りと祝福が、いつもデューラーと共にありますように」


デューラーはその言葉を聞いて心打たれました。
デューラーの成功を妬み恨んでいるに違いないと思っていたハンスが、妬み恨むどころか、自分のことより、デューラーのことを一生懸命祈ってくれていたのです。
ハンスの祈りを静かに聞いていたデューラーは、祈りが終わった後、彼に懇願しました。
「お願いだ。君の手を描かせてくれ。君のこの手で僕は生かされたんだ。君のこの手の祈りで僕は生かされているんだ!」


こうして、1508年、友情と感謝の心がこもった「祈りの手」が生まれました。

(「いのりの手」 学校図書出版 かがやけみらい どうとく4年より)


一昨日、FBフレンドを通して知ったこの感動的な物語、デューラーの「祈りの手」は昔から知っていましたが、その背後にこんなエピソードがあるとは知りませんでした。
読んでいて胸が熱くなりました。
小学4年生の道徳の教科書に載っていて、その主眼は「互いに思いやり、信頼し合う友情を育む」といういかにも道徳的な感じがします。それはそれでいいと私も思います。とくに公立の学校で祈るとかいうことを取り上げることはできないので当然のことでしょう。
でも、私はクリスチャンの立場から、やはり「祈り」そのものに心が釘付けにされました。


そして、昨日、朝のデボーションの前に、妻にこの「祈りの手」の絵を見せたところ、知っていると言うのでこの物語を読んで聞かせてあげました。
ところが読んでいる途中、何度も何度も胸がいっぱいになって、涙があふれてきて読み続けることができなくなるほどでした。


ハンスはその友、デューラーのために自らの人生を捧げました。陰で祈りながら。
そして、デューラーもハンスの祈りの手の絵を描いて後世に残し、ハンスの祈りに対する感謝の気持ちを表しました。
この友情には本当に胸を打たれます。泣かされます。
私も友のために、これまでお世話になってきた人たちのために、祈りの手を合わせてもっともっと祈らなければと示されました。


しかし、イエス・キリストは私たちの罪のために祈るのみならず、身代わりとなってご自分の命を捧げて私たちの罪の償いをしてくださいました。
「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」
(ヨハネによる福音書15:13)
ああ、主よ、あなたの大きなご愛を心より感謝いたします。あなたのご愛にこの小さき者も少しでも応えていくことができますように。


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マッサン

2014.12.01日




昨日の読売新聞別刷りの一面記事は、NHKの連続テレビ小説「マッサン」のモデルになった竹鶴政孝とスコットランド人の妻リタの特集記事でした。


ネタバレと言われようが何であろうが、私の性分でNHKのホームページの「マッサン」やニッカウヰスキーのホームページなどで竹鶴政孝のことやニッカウヰスキーのことはすでに勉強していました。ですから、上の新聞記事を読んでもさほど新しい情報はなかったのですが、記事タイトルの「ウイスキーで苦しみ、ウイスキーで喜んだ人生であった」が私の心を強く魅きました。
これは竹鶴が晩年に著した自伝を締めくくる言葉だったそうです。


まあ、確かにこれまでのテレビのストーリーを観ていても、上の言葉はよく理解できます。
まさにウイスキーとの出会いの故の七転び八起きの人生だったと思います。
日本酒造の家の長男として生まれ、家業を継ぐことを期待されていたのに、ウイスキーを造りたいと言って家族に反対され、さらに大正というまだまだ封建的な時代に外国人妻を連れてスコットランドから帰国して周りから白い目で見られ、そして日本酒しか知らない人たちにウイスキーを知ってもらうという夢、どれを取っても簡単なことではありません。


でも、このような反対や逆境の嵐の中で、愛妻リタの支えによって幾多の試練を乗り越えて、最後には夢を実現する男。彼の人生にロマンを見て、みんな心揺さぶられているのではないでしょうか。


私自身は、大学時代に父の影響を受けて、家で父と一緒にジャズのレコードを聴きながらウイスキーを嗜(たしな)んだことはありますが、その後はウイスキーや酒類は一切飲まなくなったので、この竹鶴のウイスキーにかける情熱は正直理解できません。


でも、アメリカ留学中にクリスチャンになり、自分は一生これにかけていこうと思い、今もその気持ちは変わっていないので、おそらく竹鶴の情熱も同じようなものだったのだろうと想像はつきます。
ただ、竹鶴の「ウイスキーで苦しみ、ウイスキーで喜んだ人生」のように、自分がそこまで福音に命をかけているかと問われれば、まだまだなような気がして、恥ずかしい限りです。


毎朝、妻と一緒にデボーションの時に用いている故榎本保郎先生の『新約一日一生』を読んでいると、先生がまさに福音のために命をかけていらっしゃったということがひしひしと伝わり、胸に迫ってきて、その後祈る時に悔い改めたり、あるいは感謝の気持ちが溢れて涙で顔をぐしゃぐしゃにすることがしばしばです。
昨日もそうでした。
「ああ、主よ。毎日毎日あなたに本当に豊かに祝福され、あなたの深いご愛に心より感謝いたします。それなのに私の生ぬるい信仰を、怠惰、慢心をどうかお赦しください。残された人生、自らをあなたに捧げ切ることができるようお導きください」と切に祈るものです。


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あなたの習慣は?

2014.11.28日
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"Being miserable is a habit. Being happy is a habit. The choice is yours."
--Tom Hopkins, sales trainer
「みじめな気持ちでいるのは習慣です。幸せな気持ちでいるのも習慣です。どちらを選ぶかはあなた次第です」
--トム・ホプキンズ,セールス・トレーナー
(訳: 舟田譲二)


確かに。
私たちはとかく周りの状況が順調だと幸せに感じ、うまくいっていないとみじめな気持になります。そして、このみじめになっているのは、だれだれのせいだ、◯◯のせいだ、と何かのせいにしたくなるものです。
でもよく考えてみたら、冒頭の言葉のように、みじめになるのも、幸せになるのも周囲の状況の結果ではないのですよね。


私たちから見て、とても恵まれていて幸せそうな方でもみじめに感じていることはしばしばありますし、その逆に大変な逆境にあるにもかかわらず幸せに感じていらっしゃる方もあります。
つい先日ご紹介した「持っていないものを数えるな」の中に登場する女性など、両腕がないのにとても明るく幸せに生活していらっしゃいます。
「命を大切に」に書いた星野富弘さんも同じです。
世界にはこのような方がたくさんいらっしゃいます。


不平不満を言ったり、みじめな気持ちになるのをいつも繰り返しているとこれは習慣になり、自分にとっても周りの人たちにとっても非常に不幸なことです。
ところが、たとえ同じような状況でも幸せに感じることを繰り返していると習慣になり、これは自分自身だけでなく、周りの人たちをも幸せにします。
怒ることも笑顔でいることも、繰り返していると習慣になります。
どちらを選んだ方が得か、もう言うまでもないですよね。


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死が別つまで Part3

2014.11.27日

『幸福♡脳』をつくれば 恋も仕事もうまくいく −心を病んでいませんか−』(医学博士・神津健一著 予防医学・代替医療振興協会発行)に面白いことが書かれていました。
ちょうど、昨日まで続けていた「死が別つまで」のシリーズに関連しているので、グッドタイミングと思いシェアさせていただくことにしました。


koufukunou.jpg


第5章
恋愛脳・結婚脳・離婚脳・「SEX」脳


◯恋愛脳
恋愛はしても結婚はしたくないか、しなくてもいい、という人が増えている。確かに恋愛と結婚は違う。
恋の始めはドーパミンホルモンが沢山分泌するが、時間が経つにつれて刺激もなくなり、分泌量は徐々に下降する。
すると恋愛関係の維持に疲れを感じ、ときには煩わしくさえなってくる。これは恋愛の終末期である。
恋愛脳は最初重く、時間が経つと軽くなる。


◯結婚脳
恋愛から結婚に至るケースが自然であるが、恋愛期間が長過ぎるとドーパミンホルモンの分泌が減少して、結婚に対する欲望も徐々に後退する。結婚願望は安定感をもたらすセロトニンホルモンによる。
ドーパミンの分泌が盛んで燃えるような恋をしていても、もしこの人と二人だけで、いつもず〜っと一緒にいたい、暮らしたい、できれば子どもが欲しい...と思ったら、脳内はセロトニンという安定感を与えてくれるホルモンが増幅していると考えられる。


◯離婚脳
結婚生活が3年以上も経過するとセロトニンやGABAなど安定感をもたらせたホルモンに馴れ、刺激がなくなると倦怠期に入ってくる。とくに子供がいない夫婦の場合は、かなり深刻になるケースもある。
時には配偶者の存在がうっとうしく感じたり逃避したくなるのは、ノルアドレナリンホルモンの仕業である。
新しい刺激や快感を求めてドーパミンやアドレナリンホルモンが分泌量を増やすのもこの頃である。脳が徐々に離婚志向に傾き始めるので要注意。


◯「SEX」脳
「愛する人とのいいSEXは健康にいいし、気持ちも穏やかになり、女性は艶やかになり、キレイになる」
これは幸せ感が得られるドーパミンやセロトニンの分泌が促されるからである。
「SEXは脳でする」と言われていますが、前頭葉の大脳新皮質の働きが大きく関係している。好きという感情に想像力や精神的満足感などを視床下部に性腺刺激を与えてドーパミンホルモンを分泌する。
しかし、ストレスを受けると性ホルモンの分泌量が減ったり止まったりする。すると女性は月経が止まったり、不順になったりするし、男性はインポテンツになったりする。
アメリカの美人女流作家で栄養学者としても著名な、ノーラ・ハイデンはその著書『Energy』(エネルギー)の中で、Dr. Eugene Sheimann の『セックスは心臓と生命を長持ちさせる』の著書を引用し、若々しく、健康を保つために、セックスの重要性を次の10項目で説明しています。


1. セックスは、ホルモンのバランスを調整し、動脈の活性化を促進する。
2. セックスは、女性にとっても男性にとっても老化現象の進行を防ぎ、若さを保つのに役立っている。
3. セックスは、愛と共に、人生に夢と希望、生き甲斐をもたらしてくれる。
4. セックスは、夫婦生活を楽しく、潤いのあるものにしてくれる。中年になって独身生活を送っている男性の50%は心臓麻痺になっていることを銘記すべきである。
5. セックスは、男性が歳をとってからの不整脈や、インポテンツを防ぐのに役立っている。
6. セックスは、フラストレーションによる食べ過ぎ、酒やタバコの飲み過ぎを抑制してくれる。
7. セックスは、コレステロールのレベルを下げるのに役立っている。
8. セックスは、性格を温和にし、落ち込んだり、孤独にならず、やる気をもたらしてくれる。
9. セックスは、心と身体の柔軟体操として大いに役立つものである。
10. セックスは、最も経済的にストレスを解消する唯一の方法である。


いかがでしょうか。
地球上のほとんどの動物が、ただ子孫保存のために繁殖期に本能によって交尾するのに対して、人間は男性と女性が愛を交わして性の営みをし、これは上に挙げたようにさまざまな心身の健康を生み出すのです。


聖書の創世記2章には次のように記されています。
「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」
「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。
男から取ったものだから、これを女と名づけよう」
「それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである」


ここに見事なまでに神様の人間に対する性の祝福が記されています。
そして、この性の営みは「夫婦間」のみで許されていることで、婚外のセックスはほとんど必ずと言っていいぐらい離婚や憎しみ、金銭のトラブル、ときには傷害事件や殺人事件、また子どもの情緒不安定や精神障害など恐ろしいトラブルのもととなっています。上の離婚脳のところにあるノルアドレナリンホルモンには要注意です。


これまで私は性に関して恥ずかしいという思いが常にあり、友人との間ですら話題にしたことがなく、セックスの「セ」の字も言えないほどだったのですが、今回初めてこのブログでも取り上げる勇気が与えられました。
そして、至った結論はやはり「死が別つまで」です。


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死が別つまで Part2

2014.11.26日

父親が太郎君の髪を見て言いました。
「太郎。髪が長くなったから、明日散髪に行きなさい」
これをそばで聞いていた母親が言いました。
「あら、いいわよ。今の子供はみんなこんな長さが普通よ。太郎、行かなくていいわ」
ここで問題になっているのは髪の長さではありません。この家ではだれが支配権を握っているかということです。母親は自分が何をしているのか意識していないと思いますが、実は子供の前で父親の頬に平手打ちをくわせたのと同じです。

(『しあわせな夫婦になるために』 柿谷正期著 いのちのことば社 p.26)


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著者の柿谷正期氏は、もうかれこれ40年近くにおよぶ私の師であり、同労者であり、また冗談を言い合える親しい友でもあります。毎週、柿谷氏が牧会していらっしゃる教会の礼拝にも行っています。
去る23日、礼拝後に先生が26年前に書かれた上の書を買い求め早速読みました。
読んでいて、一つひとつ首肯することばかり。そして、自分なりに努力してきたつもりではありますが、この本の中に教えられていることに自らを当てはめると思い当たる節が多々あり、反省しています。よく言われることですが、頭でわかっていることと実行することとは別なんですよね。
夫婦関係、親子関係、セルフイメージ、子育てについてなど、非常に大切なことがぎっしりと詰め込まれていて、今日でも類書を見つけるのはなかなか困難です。
具体的には、夫婦間のコミュニケーションの取り方、夫婦喧嘩の仕方、互いに赦し合うことの大切さなど日常生活に密着した内容になっています。
これから結婚しようとしている人、もう既に結婚している人、良い結婚生活ができている人にもそうでない人にも一読をお薦めしたい良書です。


また、同じく柿谷氏の翻訳による『夫婦のための豊かな性生活の手引き』(エド・ウィート著)のカセットテープ版(CD版もあり)を先日から毎朝妻と一緒に聴いて学んでいます。
我が家ではこういった話題はこれまでずっとタブー視されてきていたのですが、これからも教えられること多く、また同時に反省しきりです。結婚前に、あるいは結婚してからでももっと早くに聴いて夫婦で一緒に学んでおけば良かった、そしてもっとオープンに子どもたちとも聖書に基づいた正しい性の概念を話し合っておけばよかった、と。
現淀川キリスト教病院名誉ホスピス長、大阪大学名誉教授の柏木哲夫氏は、「婚約中のカップル、新婚の夫婦、壮年・中年の夫婦、また初老・老人の夫婦...すべてのクリスチャンが一度聴いてみる価値のあるカセットである」と推薦の言葉を寄せていらっしゃいます。


上記の書籍あるいはオーディオ書籍、その他柿谷氏による著作をお求めになりたい方は、「柿谷カウンセリングセンター 書籍申込み書」から、またカウンセリングご希望の方は、「柿谷カウンセリングセンターホーム―ページ」からどうぞ。
きっとさまざまな問題の解決の糸口になることかと思います。
私自身、これまで柿谷氏にどれほどお世話になってきたかはかり知れないほどで、いつも心から感謝しています。


1年に1日だけの「いい夫婦」ではなく、死が別つまで真のいい夫婦でありたいものです。


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死が別つまで

2014.11.24日

"A good marriage is when you're married to not to someone you can live with, but to someone you really can not live without."
Dr. Howard Hendricks
「良い結婚とは、一緒に生きることができる人と結婚していることではなく、その人がいなくては生きていけない人と結婚していることである」
ハワード・ヘンドリックス博士



ヘンドリックス博士はダラス神学校を卒業したのち、ある教会の牧師として働き始めましたが、間もなく卒業した神学校から招聘され、昨年88歳で天に召されるまで、60年あまりにわたり、13000人以上の学生を教えてこられました。
「自分は教えることが好きだ。教えることは私にとって生きることだ」とまで言われた博士の言葉に、その生き様が表れています。


このヘンドリックス博士が残された名言の一つが冒頭の結婚に関する言葉です。


私たちはとかく結婚に関して、わりといい加減というか、好きだ、惚れた、といった感情に流されて、あるいは家や将来性やその他さまざまな条件などで結婚してしまいがちです。
しかし、結婚とは聖書によると、イエス・キリストと花嫁なる教会の関係に例えられるほど神聖なものです。
そのように考えると、そう簡単に離婚や再婚を繰り返したりすることなどできなくなるはずです。


確かに、結婚して最初の頃はみんな幸せでラブラブムードでやっていけるのですが、一生このような関係を続けるのはなかなか困難です。
みんなそれぞれ個性があり、物事の考え方や感じ方、価値観なども違いますから、行き違いや衝突なども起きるでしょう。
でも、だからと言って、もうダメだと言うことは決してありません。
思い立ったが吉日で、気づいたならそれこそいつからでももう一度やり直すことができる、それが結婚というものです。


「妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい」
(エペソ人への手紙 5:22)
「夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい」
(エペソ人への手紙 5:25)


相手がいなければ生きていけないというほどお互いに自らを捧げ、仕え合うならば、その結婚は必ず神様に豊かに祝福され、死が別つまで共に素晴らしい生涯を生き抜くことができることでしょう。


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この本は何?

2014.11.21日

「こんな実験を・・・」にも書きましたが、聖書は人類史上最大のベストセラー、過去数千年にわたって読み継がれてきた世界的なベストセラーです。1815年〜1998年に推定で約3880億冊販売・配布され、2000年の1年間だけでも世界中の聖書協会によって約6億3300万冊が配布・販売されたそうです。(Wikipediaより)


世界の有名人が聖書のことを何と言っているか聞いてみましよう。


「いかなる世界史におけるよりも、聖書の中にはより確かな真理が存在する」
(ニュートン)

「私が獄につながれ、ただ一冊の本を持ちこむことを許されるとしたら、私は聖書を選ぶ」
(ゲーテ)

「私の生涯に最も大きい影響を与えた書物は聖書である」
(ガンジー)

「聖書は古いものでも新しいものでもない。聖書は永遠のものである」
(ルター)

「聖書を教えない単なる教育は、無責任な人に鉄砲を渡すようなものである」
(ルーズベルト大統領)

「聖書は世界無二、宇宙第一の書物である」
(山室軍平)

「聖書を読んだなら、それが神の言葉であることがわかる。なぜなら聖書の中に、自分の心、幸せ、そして義務についても鍵を見出すからである」
(ウィルソン大統領)

「聖書に精通することは、大学教育にまさる価値がある」
(ルーズベルト大統領)

「聖書はただの本ではない。抵抗するあらゆるものを征服する力を持つ、生き物だ」
(ナポレオン)

「聖書に立ち返るか、野生に帰るか、どちらかだ」
(ルイ・パロー)

世界中の偉人たちが証言しているように、聖書ほど世界中の多くの人に影響を与え、その人生を変えた書物はほかにありません。


私が持っている聖書は、旧約の原典であるヘブル語、新約のギリシャ語を始め、日英のさまざまな訳のものなど十数冊ありますが、その中で普段使っているものは下の3冊です。
黒いのは日本語の聖書で、その上にあるのは世界最小の英語の聖書(縦12cm, 横9.5cm, 厚さ2cm, 全880頁)。



どれぐらい小さいかというと、下の写真で私の親指の大きさと比較したらわかります。
紙の厚さは超薄で、文字は本当に小さくて、目を凝らさないと読めません。とても気に入っているのは、イエス・キリストの言葉が赤で印刷されている点です。(写真をクリックすると拡大されます)




でも、ポケットに入る大きさで毎週の礼拝に、また旅行などのときにも持ち運びに便利なので愛用しています。


この最小の聖書はアメリカ留学中に買ったものですが、当時のお金で5000〜6000円ぐらいしたかと思います。とても貧しい生活をしていた(「Needy student」)ので、ずいぶん迷いましたが、今となっては買って本当に良かったと思っています。


「この小さな一冊の本の中に、世界中のすべての本を全部合わせたよりも深遠な内容がぎっしりと詰まっている」
(舟田譲二)
これは有名人の言葉じゃないですが…。


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カーラース、なぜ鳴くの?

2014.11.18日

昨日、ウォーキングに出かけようとしたら、どこからか幼い女の子の可愛い声が聞こえてきました。
「アイラブユー、アイラブユー、アイラブユー…」と、リズムに乗って繰り返しています。
やがて父親と4歳ぐらいの女の子が手をつないで仲良さそうに、私の行く道の前を歩いていきました。


Iloveyou.JPG


そのとき、私はふと20数年前の頃にタイムスリップしたかのような錯覚を覚えました。
実は末っ子の娘が40歳のときに生まれることがわかったときから、胎教じゃないですが、妻の大きくなっていくお腹に手を当てながら、毎日英語で "I love you. I love you. I love you. God is sending us a big present. You're going to be a beautiful girl. I love you. I love you." (愛してるよ。愛してるよ。神様は私たちのところに素晴らしいプレゼントを送ってくださる。必ずとっても美しい女の子になるよ。愛してるよ)などと話しかけていたのです。
そして生まれてからも、毎日毎日、それこそ朝から晩まで、ミルクを飲ませるときも、おむつを替えるときも、お風呂に入れているときも常に英語で話しかけていました。
娘が14〜15歳になるまでこれがその後もずっと続きました。ニュースなど結構難しい内容のことも英語で話していました。
でも家族がみんな日本語で話すので、私にも日本語で答え、いわば半バイリンガル(?)のような感じでした。
さすがに年頃になってきたら、恥ずかしいだろうと思い、その頃から少しずつ日本語でも話しかけるようになったのですが、初めの頃はぎこちなく、とても話しづらかったのを覚えています。
でも、そのお陰か、英語を聴くことに関しては結構自信があるようで、アメリカやイギリスのテレビ番組を見ていても大体の内容はわかると言います。
冒頭に登場した女の子も将来、こんな形で英語が好きになってくれればいいなと思いました。


さて、いつものウォーキングのコース、近所の金目川沿いのサイクリングロードを歩いていると、すぐ目の前に真っ黒に見える鳥の大群が飛翔していました。大きな声で鳴きながら。
そのあまりの数の多さに驚き、持っていたiPhoneで写真を撮りました。


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これは、この辺りをねぐらとしているムクドリです。
川沿いに立ててある看板には、「シラサギとムクドリの生息地です。大きな音を立てたりして驚かさないようにしてください」とあります。
むしろ、この鳥の大きな鳴き声と大群にこちらの方が驚かされたのですが。


家に戻ってネットでムクドリを検索してみると、
「もともとは農作物に害を及ぼす虫を食べる、益鳥とされていた。平均的なムクドリの家族(親2羽、雛6羽)が1年間に捕食する虫の数は百万匹以上と研究されている。当時害虫を1匹駆除するのに1円かかるといわれていたため、ムクドリ1家族で年間に百万円以上の利益を国家にもたらす「農林鳥」とたたえられたほどである。その後、生息環境の破壊により都市に適応して大量に増殖すると、鳴き声による騒音や糞害などが、しばしば問題になる。日本国内では1994年からは狩猟鳥に指定されている。その他、果物を好んで食べるため、果樹園に被害を与えるとして駆除されることもある」(Wikipediaより)
とあります。


私はこれを見て思いました。
農作物に害を及ぼす虫を食べる、益鳥とされていて、ムクドリ1家族で年間に百万円以上の利益を国家にもたらす「農林鳥」とたたえられたのに、鳴き声による騒音や糞害、また果樹園に被害を与えると言われるようになると、途端に害鳥になり狩猟鳥に指定された、とは何という人間の身勝手なことか。
それも人間の手による生息環境の破壊により都市に移動していった結果ではないですか。
ひと昔前によく流行った歌、「カーラース、なぜ鳴くの。カラスの勝手でしょ」じゃないですが、それこそ「人間の勝手でしょ」。
私も以前、頭の上を飛んでいたスズメに糞をかけられたことが何度かありますが、「糞害だ!」と「憤慨」することなく苦笑したものです。また、家の周りで毎日のように大きな声で鳴くこのムクドリやカラスの鳴き声を騒音だから駆除せよ、などとは考えたこともありません。


昨日の記事「雁に学ぶ」の中に書いたように、もう少し人間と周囲の動植物との間に調和をもたらすことはできないものでしょうか。
この地球と地球上のすべての生き物は、神様が愛をもってお創りになったもので、人間だけのものではないはずです。
犬や猫などのペットもそうで、ペット業者が金儲けのために劣悪な環境の中で増殖させ、不要になったものはどんどん殺処分していくというのも、まったくもってひどい話です。
これこそまさに「人間の横暴」(とても興味深いアニメがあります)ではありませんか。


私たちは、もう一度謙虚になって、地球上のすべての被造物との共生、調和、平和を考えるべきではないでしょうか。我が子だけにではなく、すべてのものに"I love you."と言えるようになりたいものです。


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群盲象を撫でる

2014.11.16日

何人かの盲人を象のところへ連れて行き、一人には象の足を触らせ、別の一人には尻尾を、また別の一人には鼻を、あるいは耳を、牙を、わき腹をというふうに、それぞれ別の部分を触らせます。その後象とはどんなものだったか描写してもらいました。
すると、ある人は「象とはひものような細長くて、絶えず動くものだ」、また別の人は「いや違う。象とは太い木のようなものだ」、また別の人は「いや、大きなうちわのようなものでひらひらしていて風を送ってくれる」、「いや、長いホースのようなものだ」、「いや、大きな壁のようなものだ」、「いや、みんな違う。象とは先がとがっていて湾曲した固い長い棒のようなものだ」と答えた、という話。
これが有名な諺(ことわざ)にもなっている「群盲象を撫でる」(もしくは「群盲象を評す」)です。
つまり、同じものを触っていても、みんな体験することが違うので、違う描写になっているけれども、実際には「象」という同じものを触っているのだ、ということです。


この諺を引いて、宗教も同じようなものだ。キリスト教も、イスラム教も、仏教も、その他の宗教もみんな同じ神を目指しているけれども、違う観点から見ているので違う表現で神を言い表している、と。
とくにこのような考え方は日本人には受けます。あまり相手とぶつかるような真っ向勝負は好まず、みんなと仲良くやっていこうではないか、というわけです。
ですから、日本の家にはよく同じ部屋に仏壇と神棚があって、両方に向かって手を合わせ拝んでも何の違和感もないし、またお寺にも神社にもお参りに行きます。私の両親も私もかつてはそうでした。
ですから、神に至る道、救われる道はただひとつ、イエス・キリストを信じるだけだ、とクリスチャンが言うと心が狭いとか、他の宗教に対して寛容的でないとか言われます。


この他にも一休禅師が詠んだといわれる似たような次の歌もあります。
「分け登る麓の道は多けれど 同じ高嶺の月を見るかな」
このような考え方は日本人には確かに受け入れやすいですよね。


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しかし、よく考えてみると、上の群盲の話は象を神と比べているところに、同様に下の歌でも月と神を比較しているところに問題があります。
つまり、どの宗教を信じる人々も同じ神を体験しているのだと最初からそう思い込んでいますが、実際にはみんなそれぞれ異なった神を信じているのです。
ですからキリスト教とイスラム教が同時に正しいということはあり得ませんし、また仏教とイスラム教が、仏教とキリスト教が同じことを教えている、ということは絶対にないのです。みんな神概念も教えも違います。
ということは、可能性としては、どの宗教もみんな間違っているか、あるいはこれら世界に存在する数多くの宗教の中でどれかひとつだけが正しいかのどちらかになります。


宇宙、万物の創造主なる神様ご自身がイエス・キリストという人となってこの世に来られ、私たちの罪の罰を身代わりとなって十字架の上で受け、そのことによって神との和解の道を開いてくださった。これを信じる者のみが救いを得、天の神様のみもとに行くことができるというのが聖書の中に記されたキリスト教の教えです。
イスラム教にも、仏教にも、ヒンドゥー教など他の宗教にはこのようなイエス・キリストによる救いの教えはなく、みんなそれぞれ異なった教えを持っています。
ですから非常に単純な三段論法でいっても、みんな間違っているか、あるいはひとつだけが正しいかのいずれかになる、というわけです。
真理を求めるとき、寛容的であるかないかということが問題になるのではありません。どれが正しいか、そしてどれを信じるか、あるいはどれも信じないかのいずれかになるのです。


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イエス・キリストの奇跡とは

2014.11.14日

多くの人が、聖書に載っているイエス・キリストが行った奇跡というのをトリックのような類(たぐい)のものだろうと思っています。あるいは、今から2000年前の人はもっと単純だったので、簡単にだまされた、あるいは信じ込まされたのだろうと言います。
果たしてそうなのでしょうか? あるいはイエス・キリストの奇跡は本物だったのでしょうか? 今日は、このことについて考えてみたいと思います。おそらくクリスチャン、ノンクリスチャンを問わずみんな関心のあることではないかと思います。
まず、この最初の点ですが、当時の人々はナイーブだったので単純にだまされた、あるいは信じたというのは事実ではありません。なぜなら、上の動画のように今日の私たちでさえ、このドッキリカメラに簡単に騙されてしまいますし、当時の人々は奇跡を見て驚き、怪しんだとあります。


「進化論 vs 神」の記事の中にも書きましたが、かのアインシュタインは天地宇宙の創造者なる神の存在は疑いようがない、と確信していました。しかし、聖書の中に記されているように、イエス・キリストが神であるとは信じられず、イエス・キリストは素晴らしい人格者だと言っていました。
果たしてそうなのでしょうか?
まず最初にこのことから検証してみましょう。


さて、ユダヤ人が紀元前何千年も前から信じてきたあの分厚い旧約聖書の中に、イエス・キリストのことがたびたび預言されていました。そして、今から約2000年前にイエス・キリストが実際にこの世に誕生しました。
そして、イエス・キリストの言行録をまとめたのが新約聖書です。これは主にイエス・キリストと起居を共にした弟子たちの手によって記されました。
新約聖書には旧約聖書で預言されていたことが全部成就したと記されています。
また、新約聖書を読んでいると、イエス・キリストが神であると弟子たちも、またイエスさま自身もたびたび証言しています。
イエスの一番弟子であったペテロは、
「イエス・キリストのしもべであり使徒であるシモン・ペテロから、私たちのであり救い主であるイエス・キリストの義によって私たちと同じ尊い信仰を受けた方々へ」 (第二ペテロ1:1)
「このようにあなたがたは、私たちのであり、救い主であるイエス・キリストの永遠の御国にはいる恵みを豊かに加えられるのです」 (第二ペテロ1:11)
と述べています。
このところは、原文のギリシャ語を見ても、1節の「神」と11節の「主」という言葉が入れ替わっているだけであとはまったく同じ言葉、語順になっているので、ペテロは明らかに「イエスは神であり、主である」と言っていることになります。


次にイエス・キリストご自身が語っておられます。たとえば、
「イエスは彼に言われた。『ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父(なる神)を見たのです。どうしてあなたは、「私たちに父を見せてください」というのですか』」 (ヨハネ14:9)
など、ほかにもたくさんあります。


さて、ここで二つの可能性があります。
イエスは神であったか、なかったかのいずれかです。
もしアインシュタインやほかの多くの人が考えるように、イエスが神でなかったとしたなら、また可能性は二つです。
一つは、イエスと弟子たちが嘘をついていたか、もう一つはイエスは誇大妄想狂だったかのどちらかです。
でも、歴史上、イエスが気が狂っていたという人はキリスト教に反対する人でさえひとりもいません。この説は論理的に矛盾するのです。嘘をついたり、気が狂っている人で、同時に人格者ということはあり得ないからです。


イエスが嘘をついていたという可能性はどうでしょうか。
イエスと起居を共にしていた12弟子のうち、イエスを裏切ったユダは自殺しました。そしてヨハネは離れ小島に流されそこで幽閉されて生涯を終えます。あとの10人は全員、そしてそのほかにも大勢の人たちがイエス・キリストを信じる信仰のゆえに迫害を受け、はりつけの刑や石打ちの刑など殉教の死を遂げています。


今から20年近く前に日本中を震撼させたオウム真理教の教祖、麻原彰晃のためにはほぼ全員の弟子たちが麻原を裏切って自らの犯罪を認め、地下鉄サリン事件など教祖の指導を証言しました。
果たしてイエス・キリストがついていた嘘のために、喜んで殉教の死を遂げる人がいるでしょうか。
このように考えると、可能性はただ一つ、イエス・キリストは神ご自身であった、ということになります。


ヨハネ1:1-18で弟子ヨハネが述べているように、もしイエス・キリストが神であって、人となってこの世に来られたとすれば、イエス・キリストの奇跡など全然不思議ではなくなります。なぜでしょう。
神は永遠の昔からいまし、永遠の未来までいますお方で、天地宇宙を始め、その中の地球を始め地球上の人間や動植物などすべて存在するものを創造された全知全能のお方です。このようなお方に不可能なことはないからです。


ということは、突き詰めていくと、神が存在するかどうかという問題にかかってきます。
しかし、これについては上のアインシュタインを始め多くの科学者たちが宇宙や地球や生物を見て、創造者なる神を認めていることから、これはもう認めざるを得ません。
結論として、イエス・キリストは神であり、神であるがゆえに不可能はなく、奇跡も行うことができた、となります。
もし、今これを読んでいる方の中で無神論や進化論を信じていらっしゃる方がありましたら、どうかもう一度上の動画「進化論 vs 神」をご覧になってください。人生が変わるかもしれません。


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四苦八苦

2014.11.12日


お釈迦さま(ゴータマ・シッダルタ)は、王子として裕福な生活を送っていましたが、ある日城から一歩外へ出ると貧しい人や病人、老人など大勢の苦しんでいる人を見て「人生は苦なり」と初めて知り、いかにして人間の苦しみである「四苦八苦」から解脱するかを求めて、29歳で出家しました。
この「四苦八苦」の最初の四苦は「生老病死」、すなわち「この世に生まれてくること」「老いていくこと」「病になること」「死ぬこと」、そして、「愛別離苦(あいべつりく)」(親子・夫婦など、愛する人と生別または死別する苦痛や悲しみ)・「怨憎会苦(おんぞうえく)」(うらみ憎む相手に会う苦しみ)・「求不得苦(ぐふとっく)」(求めているものが得られないことから生じる苦しみ)・「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」(色受想行識に執着する苦しみ)の四苦を加えたものを八苦と呼んでいます。つまり前の四苦は、人間の生きものとして起こる苦しみであり、後の四苦は、人間が人間であるために味わう苦しみです。


上の動画を見ると、ひとりの人が生まれて、やがて少女になり、若い女性に、徐々に歳取って熟女に、そして最後は老女になっていく様がものすごい早送りのような感じで絵に表されています。
昨日、これを見たとき、もう圧倒されてしまいました。実に見事と言うほかありません。
この画家にかかったら、どんな赤ちゃんでも、その後の成長から年老いるまでの顔が見えてしまいそうです。


さて、聖書ではこれらのことを何と言っているでしょうか。
誕生は、
「見よ、子供たちは神から賜わった嗣業であり、胎の実は報いの賜物である」 (詩篇 127:3)
老いることに関しては、
「わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う」 (イザヤ書 46:4)
「若い人の栄えはその力、老人の美しさはそのしらがである」 (箴言 20:29)
病いについては、
「主は彼をその病の床でささえられる。あなたは彼の病む時、その病をことごとくいやされる」 (詩篇 41:3)
「まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと」 (イザヤ書 53:4)
死については、
「主の聖徒の死はそのみ前において尊い」 (詩篇 116:15)
「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」 (コリント人への第一の手紙 15:55)
「わたしたちは、兄弟を愛しているので、死からいのちへ移ってきたことを、知っている。愛さない者は、死のうちにとどまっている」 (ヨハネの第一の手紙 3:14)


神様を信じる者にとって、「生老病死」は苦しみや呪いではなく、むしろ祝福なのです。


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死の影の谷を歩むとも

2014.11.11日


主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとり伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の影の谷を歩むことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油を注いでくださいます。私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みがわたしを追ってくるでしょう。私は、いつまでも、主の家に住みましょう。

(詩篇23篇)


「死の影の谷を歩むことがあっても、私はわざわいを恐れません」。
いくら神様が共にいて、守ってくださるからといっても、上の動画はちょっといただけません。
いつ崖から落っこちてバスの観光旅行客みんながバスともども木端微塵になってもまったく不思議ではありません。
実際のところ、これまでにこのような事故が一度もなかったという方がむしろ信じられないぐらいで、おそらく事故があっても救助隊も送られないようなところでしょう。
バスツアーの乗客たちはアメリカ人と思われますが、みんな「うわぁー、神様! 信じられない。こんな最悪の道は生まれて初めてだ」とか、大声で言いながら笑っていますが、笑っているどころではありません。
このような無謀な行動を神様は守ってくださいません。


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何を信じ、いかに生きるべきか

2014.11.10日

【CJC=東京】英国国教会の聖職者1500人に行った調査の結果、約2%が神の存在を信じていないことが分かった。調査はイングランド、スコットランド、ウエールズの聖職者を対象に、国際マーケット調査機関「YouGov」(ユーガブ)が今年8〜9月にかけて行ったもの。調査結果は28日に発表された。
調査は、自分の信仰に最も近い記述を選ぶ形式で、回答者の83%という圧倒的多数が「人格的な神が存在する」を選び、さらに3%が「何らかの霊もしくは力が存在している」と答えている。一方、聖職者の16%が神についてはあいまいで、神は人間が作りだしたと考えている人が2%いることも分かった。9%が「神はどのような存在なのかを人間は知ることができない」という選択肢を選んでいる。
高齢の聖職者の方が若手よりも非正統的な信仰を保持している。2011年以後に聖職に任命された人の約9割が神を信じているのに対し、1960年代に聖職になった人は72%にとどまっている。
国教会総会(ゼネラル・シノッド)はこのような見解に対応措置は取らず、聖職者は、教義から逸脱しても制裁を受けることはない。
「インデペンデント」紙は、総会の信徒議員アリソン・ルオフさんが、神を信じないで聖職者であることが理解できないと言ったことを報じている。「聖職者は近ごろでは場当たりのことを説教しているだけだ。もっと良い話が聞けるよう望む」と言う。


「恐ろしいこと」と言うべきか、あるいは逆に「さもありなん」と言うべきか...
これが罪の恐ろしさです。
信仰を持っていないのに、聖職に就くというのは私にとっては理解できないことなのですが、そのような人は仕事の選択肢のひとつのようにでも考えているのでしょうか。
もっと、ひどいケースになると、アメリカのメガチャーチと呼ばれる、体育館に何万人も集めるような巨大な教会の牧師で、礼拝の様子がテレビ中継されているところで、「今日、今すぐ、神様のために1000ドル送ってください。献金した人には必ず神様の祝福があります」と、大胆に語っている牧師さえいます。
ここまでいくと、もう完全に金目当てに教会をやっている堕落した牧師と言わざるを得ず、このような人は、たとえこの世で高級車を乗り回し、大豪邸に住んで贅沢な生活をしていても、間違いなく地獄に行って神様の裁きをうけることでしょう。もともと信仰がないのですから至極当然のことですが。


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このような話を聞いていると宗教に関して意識の低い日本人の大半は、「だから宗教は怖いんだ」と言います。
しかし、知っておかなければならないのは、宗教と信仰心とは別物だ、ということです。
私たちは宗教を信じているのではありません。


これは日本でも同様で、以前うちの塾に就職を希望して面接に来た人で、家が神社という人がいました。
その人に少し神社のことやお父さんの神主さんの仕事のことを尋ねたところ、「神主なんてだれも神様信仰なんか持っていませんよ。ただ職業として、そして金儲けのためにやっているだけです。うちなんかそれでかなり豪勢な生活をしていて、信徒の人は知らないけれども、家の地下には大きなオーディオルームがあって、まるでちょっとした映画館のようです。そのほか、父は高級外車にも乗っているし...」という答え。
そういえば、以前たまたま前を通りかかった神社の前にあった立て看板を見てみると、人の心を引くようないいことばかりが書いてありました。
「家内安全、商売繁盛、無病息災、交通安全、合格祈願、その他」。
これらのものを手に入れたいという人間の欲望につけ込んだ商法だということもできます。
しかし考えてみれば、たとえいくら拝んでもらってもどこの家にも家族の病気や老人の死を始め、大変なこと、辛いことなど人生にはつきものです。これらをすべて逃れて生きることのできる人など地球上どこにもいません。
大切なのは、宗教ではなく何を信じ、いかに生きるかということです。


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最後通牒

2014.11.09日

韓国紙の東亜日報が、拉致被害者の横田めぐみさんが北朝鮮の薬物過剰投与によって亡くなっていたと報じたことについて、報道は承知しているが信ぴょう性はない、と菅官房長官が一昨日の閣議後会見で語ったということです。
この北朝鮮による拉致問題、いつまでたっても埒(らち)が明かず(これはダジャレではありません)、日本人はみんな怒り心頭です。
また、最高裁で確定した朝鮮総連本部立ち退き問題も同様です。
このような北朝鮮に対して、日本政府は最後通牒をつきつけるべきだ、という意見もあります。


さて、この「最後通牒」という言葉ですが、もとは「 紛争当事国の一方が、平和的な外交交渉を打ち切って自国の最終的要求を相手国に提出し、それが一定期限内に受け入れられなければ自由行動をとることを述べた外交文書」という意味で使われていたのですが、徐々に私たちの日常生活の中でも使われるようになり、「交渉の決裂も辞さないという態度で、相手に一方的に示す最終的な要求」という意味で、現在ではいろいろな場でよく使用されています。


私が子どもの頃、私が親の言うことに聞き従わないとき、両親が私によくつきつけた「最後通牒」は、「それじゃ、もう勝手にしなさい!」でした。
最後通牒をつきつけられると、賽は自分の方に投げられ、あとは自分の決断にかかっているわけです。つまりどのように決断するかは自分の責任になります。
上のように「それじゃ、もう勝手にしなさい!」と言われると、私は自分で責任を取ることはできないことがわかっているので、決まって親の元に行き、「ごめんなさい」と言って泣いて詫びていました。


アメリカに留学していた26歳のときのこと。
ある日、教会で持たれた特別伝道集会に誘われて行き、そこで神様から「最後通牒をつきつけられた」ときも、自分で自分の人生に責任を持てないことを知っていた私は顔を涙でぐしゃぐしゃにして、神様にお詫びして悔い改めました(「死の問題の解決」)。
そしてそれ以来、今もいろいろな人間関係で、あるいは神様との関係でも問題が生じて自分の内に潜んでいる高慢の罪を神様に示されると、「最後通牒」じゃないですが、素直に悔い改めて謝ることにしています。


一昨日の記事、「こんな実験を...」をお読みになった方、もちろん決して脅しでも何でもありませんが、ご自分の人生を、そして死後のことを真剣にお考えになるなら、自分で納得のいく答えを出していただきたいと真に願うものです。


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願いがひとつ実現

2014.11.08日

「初めまして。舟田譲二と申します。 共通の友達が多いので、どこかに接点があるかなと思ってリクエストしました。 よろしければお友達になってください。 自己紹介代わりに、拙ブログをご覧ください。よろしくお願いします」


「メッセージありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願い致します。実は今、朴先生のラスベガスの投稿から舟田先生のブログへと移り、塾のHPにお邪魔していたところです。HPを閉めたところで、先生からのリクエストに気づき、驚きました。私も、日本では、長いこと家庭教師や塾講師をしておりました。「先生、うちの学校に来てよ。」「うちの子の家庭教師になって下さい。」等と嬉しい言葉をもらったこと、バレンタインデーには複数の女子生徒からプレゼントをもらった(笑)こと等を思い出しておりました。先生の経営なさっておられる塾も、講師と生徒が仲がよく、生徒や保護者から信頼されているとても素敵な塾ですね。
 (ある時、以前バイトとして塾講師をしていた時の生徒の妹達の家庭教師になってもらいたいと言って、私が「今は大手の塾でフルタイムで講師をしているから無理だ」と答えても、私がYesを出すまで何度も電話をかけてきたお母さんがいらっしゃいました。携帯にも自宅にも電話がかかってくるので、辟易しましたが、あまりのしつこさに、Yesを出さざるを得ませんでした。実は、このお母さんのママ友さんも、それより以前に、「娘の家庭教師になってもらいたい」と仰って来られたことがあるのですが、その時は、私が一度「無理です」とお伝えしただけで、諦めて下さいました。後日、このママ友さんにばったりお会いした時に、「私の娘の時は無理だと仰ったのに、どうして◯◯さんで教えていらっしゃるんですか!?」と迫られました。「◯◯さんにも、無理ですとお伝えしたのですが、私が『はい』と答えるまで昼も夜も電話をかけ続けられて来たので、仕方なく……」と答えながら、寡婦と裁判官の例え話を思い出していました。今でも、どうしても相手にこちらの訴えを受け取ってもらわなくてはならない時は、聖書の話と、この時のお母さんの行動を思い出します)
 その後、神様によってブラジルでの奉仕に導かれ、さらに結婚へ導かれ、現在はサンパウロで日本語教師をしております。  よろしくお願い致します」


「ご丁寧なお返事をありがとうございます。 塾・家庭教師、日本語教師など、共通点がとても多いですね。私も昔留学中、LA近辺で常に日本語教師や通訳などの仕事をしていました。 鶴田先生とはそのような時にお会いして意気投合したのですよ」


このようなやり取りから1年以上前の去年の8月にFBフレンドになった中田ゆかりさんから、今年の5月に次のようなメールをいただきました。
「実は、神様に日本へ戻るように示されているような気がして、主人と祈ってまいりましたが、本当にそうなりそうです。 現在の職場は、心から神様を信じる教職員が多く、とても素晴らしいので離れがたいのですが、また子ども達も日本行きを嫌がっていたのですが、私達のこちらでの恩人(日系2世)の急な死を通して、私達に残されている時間があるうちに、神様に示されていることをしなければならないと、強く思わされました。 それで、驚かれるかも知れませんが、引越し先は平塚市です」


以来ずっとメールでやり取りし、お互いに祈り励まし合ってきたのですが、この中田さんご一家がちょうど1週間前にブラジルを離れて日本に到着され、ついに中田さんご夫妻と昨日平塚でお会いする機会が与えられたのです。


ブラジルと日本の地理や気候、移民などの歴史など2国間の関係から始まり、文化や習慣・習俗・政治、国民性の違い、言語について、宗教観など話題は多肢にわたりましたが、とどのつまりさまざまな問題の根源は教育にある、ということで教育者である私たちは結論に至り、教育についてさらに突っ込んで話し合いました。



このようにして、FBでつながった人たちと次々と親しいお友達が生まれ、実際にお目にかかってお交わりさせていただいたりするようになり、私はつくづく幸せ者だなぁと、昨日は心から感謝した一日でした。


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こんな実験を...

2014.11.07日

こんな実験をしてみたらどうでしょう。
あなたの住んでいる町で、同じぐらいの年齢、教育バックグラウンドもほぼ同じ、収入も生活レベルもだいたい同じ男性あるいは女性10人を選びます。あるいは、呼びかけてボランティアで集まってもらってもいいでしょう。
その人たちに一つのテーマを与えて短いエッセイを書いてもらいます。
たとえば、「日本の政治はどうあるべきか」とか「人はいかに生きるべきか」など、議論の的になるようなものならなんでもいいです。
書き終わったら、それを集めて読み比べます。
みんなが同じようなことを書いているという確率はどのぐらいだと思います?
まずはバラバラでしょう。せいぜいうまくいって数人の意見が一部で一致する程度です。


昨日、ある方からメールでご質問をいただきました。
ご本人の許可を得て、その一部をご紹介させていただきます。


子どもの頃から信じていた神さまは、世界を創られた神さま…まさにキリスト教で説いている神さま。イエスさまとも、思春期時代に出会い、恋焦がれるような思いでした。
でも、受洗に至るまでの何十年の人生で、「神さま」のことは、いろいろと考えたり感じたりしてきた中で、やはり「他の宗教」の信者さんや、イエスさまのことを知らずに神様を信じている人のことを考えてしまいます。
人間の心には、きっと「神さま」を信じ求めるものがあると思います。それに気づくか気づかないか、求めるか、求めないか…なのではと思います。


そして、未だにわからないのは、本当にイエス様を受け入れた人でなければ天国にいけないのだろうか? イエス様を知らないまま、世界を創られた神さまを信じて敬虔に生きた人はどうなるの??ということです。
「それはわからない」
と、牧師先生は仰いました。
それが答えなのなら、天国も地獄も、死んだあとのことはなにもわからないのだと、私は思います。
天国とはどんなところで、どんな人が天国に行けるのか。
そんなことが、わかるのでしょうか?
今の私には、その明確な答えがわかりません。天国へのパスポートをゲットしたなどとは全く思えません。


これは多くの人が持っている疑問で、私自身も神様を信じる前は同じように考え、通い始めた教会の牧師を攻め、また親友だった現ラスベガス日本人キリスト教会の鶴田牧師とも毎日このような問題について論議していました。


上の方のご質問には聖書の言葉をもってお答えしましたが、様々な疑問を突き詰めていくと、これらの疑問に答えている聖書が果たして信用できるかどうか、というところに行き着きます。


聖書は、今から約2000年前に書き上げられました。
紀元前1400年頃からおよそ1500年かけて、3つの大陸で、3つの言語で、異なった文化の下、教育や生まれ育ち、職業もまったく異なる40人以上の人たちによって書かれました。
現代のように、お互いに情報交換する術(すべ)を持たない人たちです。
ところが、なんと聖書には最初から最後まで統一性があり、矛盾はなく、主題はただひとつ「イエス・キリスト」です。


冒頭に書いた実験を考えるとこんなことは不可能で、このような本ができあがる確率は何兆分の一以下です。
歴史上、聖書が間違いであることを証明しようとして研究した人が何人もいます。
そのうちのひとりがあの有名な映画『ベン・ハー』の元となった小説の著者、ルー・ウォレスです。
彼は無神論者でキリスト教を論破しようと思って、聖書や当時の資料を調べていくうちに自分が逆に論破され、キリストを信じます。そして、その信仰告白を小説の形で現したのが『ベン・ハー』です。
また、日本の浄土真宗の僧侶だった人が聖書を読み進むうちに、聖書を信じクリスチャンになり、お寺を閉じたという話もいくつかあります。その中のひとりが書かれた本を読んだことがあります。
イスラムの信者やユダヤ教徒で、やはりキリスト教を論破しようとして聖書を読んでいくうちにキリスト教徒になった人も大勢います。アメリカの神学校で学んでいたとき、そのような人が何人かいました。


benhur.jpg


聖書には、夫婦の関係、子育て、人間関係、ビジネスなど私たちの実生活に直結した話題から、宇宙の始まり、人生の意味、死について、天国や地獄、救いについてなど、人がこの世で生きるにあたって知りたいことすべてが書かれています。


私の大学のときの卒論は「シェイクスピアと英語」でしたが、英語に最も大きな影響を与えたのはシェイクスピアです。しかし、シェイクスピアに最も大きな影響を与えたのは聖書で、次のように言われているぐらいです。
「イギリスはシェイクスピアを生んだ。しかし、聖書がイギリスを生んだ」
世界の永遠のベストセラーと呼ばれる聖書をお読みになることをお勧めします。


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サムシング・グレート Part2

2014.11.05日

読んでいた『奇跡を呼ぶ100万回の祈り』を昨日読み終えました。
この中で著者が言いたいことを抜粋してまとめると下のようになります。


私たち人間の体は、膨大な量の「細胞」からできています。その数は、体重1キログラムあたり1兆個として、60キログラムの人なら、60兆個。ちょっとピンとこない数字ですが、それらの細胞の1個1個に、いくつかの特殊な細胞を除いて同じ遺伝子が組み込まれているのです。


細胞の中には遺伝子があり、そこには人間の体をつくるプログラムがDNAという物質で書き込まれています。DNAは2本の糸が、二重らせん構造になってからみあい、その2本の糸が離れないよう、「塩基」と呼ばれるもので対になってつながっています。


その情報量は、というと32億の塩基対から成り立っていて、もしこれを本にするなら1000ページの本、1000冊分にもなります。たった 1個の細胞のDNAが、これだけの情報を持っているというわけです。


人間とチンパンジーの遺伝子を比較してみても、それぞれの遺伝子の塩基配列(遺伝情報)の違いは、わずか1.2%。遺伝子レベルでいえば、人間とチンパンジーは98.8%まで同じ生き物だということが分かったのです。
さらに言うと、植物のイネと人間のゲノム配列は40%までが同じだったのです。


いったい、このことは何を意味しているのでしょうか。
人間には、イネ以外の動植物の遺伝情報とも、おそらくたくさんの共通部分があると考えられます。
このことは、すべての地球上の生き物の命は、どこかしら「つながっている」ことを意味しています。


例えば、人間同士に関していえば、ヒトの全遺伝情報(ゲノム)の差は、わずか0.5%です。ほんのわずかな差でしかないのです。そのことは、自分の大いなる祈りと行動によって、ここに紹介した偉人たちのような偉業を、私たちがそれぞれの立場で成し遂げることすら不可能なことではないと示してくれていると私は思います。


このことは、人間をさかのぼっていくと共通の祖先、すなわち一組の夫婦に行き着くように、すべての地球上の動植物も元は同じで、サムシング・グレート、すなわち同じ創造者に行き着くことを暗示しています。
以前私が書いた「ニワトリが先か、卵が先か」にも通じる考えです。


そして、この本を元に映画『祈り』が制作されたとき、監督の白鳥哲氏は祈りについて次のようなショートメッセージを作りました。どうぞご覧ください。



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サムシング・グレート

2014.11.04日
kiseki.jpg


親しくさせていただいているKさんから先日いただいた本、『奇跡を呼ぶ100万回の祈り』をとても興味深く読んでいるところです。
著者は筑波大名誉教授、村上和雄氏で、ダライ・ラマ14世が「村上氏の考えは宗教と科学の垣根を越え、すべての読者を調和の世界へと誘(いざな)うであろう」と祝辞を贈っています。
村上氏は、生物科学を専門とされ、高血圧の黒幕である「レニン」の遺伝子解読を成し遂げて、世界的評価を得た方で著書多数。


この本の中で村上氏は次のように述べています。


私は、約50年にわたり生命科学の世界に身を置き、その後半半分は遺伝子の研究をし続けてきました。
遺伝子という極小単位の生命の営みを解き明かしながら、その精緻(せいち)で絶妙に組み込まれた存在と機能を目(ま)の当たりにするにつけ、これこそ人知をはるかに超えた叡智そのものであると感嘆することが私には何度もありました。
そのたび、私は胸の奥深くまで息を吸い込みながら、目には見えないけれども確実に存在する「大いなるもの」に畏敬の念や祈りを捧げるようになりました。
その偉大な何かを私は「サムシング・グレート」と名づけましたが、自分の遺伝子の中にすら、このような科学、非科学のどちらともいえない、それらを完全に超越しつつも確実に存在する「大いなる何か」が宿っていることを感じずにはいられませんでした。そのような遺伝子が、私たちの体をつくるすべての細胞の中に宿り、日々生きていく命をつくっているのです。

(中略)
アメリカの病院で、大変興味深い実験が行われました。
心臓病患者398人に対する実験で、「他人に祈られた患者」は、そうでない患者に比べて人工呼吸器、抗生物質、透析の使用率が少ない、ということが分かったのです。

(中略)
そもそも、科学と祈り(宗教)は、かつては別個のものではなかったのです。科学のルーツをたどっていくと、神の存在を研究する神学にたどり着きます。例えば地動説を唱えたガリレオ・ガリレイやコペルニクスも、エンドウ豆の研究から遺伝の法則を発見したメンデルも、みんな敬虔なクリスチャンだったことはよく知られています。
つまり、もともと人智を超えた偉大な存在を探求することを前提として出発した神学や科学が、近代になって「客観的に証明できないものが神と同じ次元で扱われるのはおかしい」とされ、別個のものに分けられてしまったのです。

(中略)
「あなたは、重いがん(悪性腫瘍)と宣告されたものが、自然に治癒できると思いますか?」
このような質問をなげかけられたとき、ほとんどの人は、そんなことは不可能に近いと思うのではないでしょうか。現代の最新科学、医学をもってしても最も恐れられているがん。
もし、仮にがんが自然治癒することがあったとしても、それは「奇跡」のようなことで、例外中の例外のようなことだと思うでしょう。
しかも「奇跡」という現象で語られるものは、人によって「信じるか、信じないか」といった、信仰の領域のような出来事となり、科学や医学の領域ではほとんど語られないものになっていました。
しかし、現実には、臨床医学で「自然寛解」と呼ばれているような、つまり自然にがんが消えてしまうという現象は、決して珍しいことではないのです。
ではどうして、このような「奇跡」が起こるのか。
アメリカでがんの自然寛解を経験した患者50人に「なぜ、あなたは回復することができたと思いますか?」というアンケートを行いました。すると、いちばん多かった答えは「祈りによって」68%というものだったのです。

(中略)
かつて、私は京都大学医学部の故・青柳安誠名誉教授から、
「優秀な外科医ほど、手術の前に、手術の成功を祈っている」
と教えていただいたことがあります。
これは決して腕に自信がないからだとか、不安であるからではありません。むしろ逆であって、医療の技術が100%力を発揮し、さらに患者の生命力、治ろうとする力も100%発揮できるよう、その「力」を引き出すために祈るのです。

(上掲書p.49-61)


非常に優れた科学者である村上氏はクリスチャンではありませんが、直感的に感じる人間にはわからない存在を「サムシング・グレート」(Something great=偉大な何か)と名づけて呼んでいらっしゃいますが、これこそ私たちの祈りに耳を傾け、応えてくださる万物の創造主にして人格者なる神以外にはあり得ません。


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学歴ってなに?

2014.11.02日

去る10月30日「ノアの洪水 Part3」と31日の「無神論 vs 神」の動画でインタビューしていたのはレイ・コンフォートという人です。


彼はニュージーランド生まれで、高校卒業後は銀行に勤務。20歳のときに自営業を始め、22歳でクリスチャンになります。
その後、集っていた教会で7年間の訓練を受けて牧師に任命され、3年半教会の牧師を務めます。
それから12年間、ニュージーランドのクライストチャーチの街角で説教する大衆伝道者に。
20代半ばで海外からも説教依頼が来るようになり、39歳のときに南カリフォルニアのカルバリー・チャペルという教会から招聘されます。


結局、レイ・コンフォート氏の学歴は高卒です。大学に進学してもいなければ、神学校も卒業していません。
でも、彼は独学で、生物学や地学、進化論や創造論、聖書などを研究して数多くの本を著し、動画の中のように博士号を持っている専門家の大学教授を次々と論破していくのです。




これを見ていると、学歴ってなんだろうと思わされます。
実際のところ、私の友人や知人、教え子などで立派な学歴を持っているもののそれがなんの役にも立っていない人もいれば、逆にビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズのように学歴がなくても大成功を収めている人もたくさんいます。


中国は今、急速に学歴社会になってきていて、卒業証書が売買されているといいます。
結局のところ、人間の価値もまた将来の働き、稼ぎも決して学歴ではありません。


あまり学歴にこだわり過ぎて、人生の本質を見失うことのないよう、親は子育てにおいて留意しなければなりません。


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進化論 vs 神

2014.10.31日

昨日の記事「ノアの洪水 Part3」を読んだひとりの方から、「こちらもおすすめ」といって紹介された下の動画、すっかりハマってしまいました。


私の母校であるUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)のキャンパスや教授、学生なども登場します。
これらの人たちは生物学や人類学、地質学、進化生物学などを専門にするいわゆるバリバリの理系学者や学者の卵たちです。
彼らは進化論を固く信じる無神論者。
昨日の動画を制作した人が、これらの人たちをインタビューします。


ちなみに、世間で一般に無神論者と呼ばれている著名人は、この動画によると誰ひとりとして無神論者ではなかったそうです。
たとえば、
アイザック・ニュートンは次のように語っています。
「太陽、惑星、彗星、これらの美しい秩序は、知的かつ絶大な力を持つ存在なくしては成り立ち得ない」。
エイブラハム・リンカーンは、
「神は常に正義の側におられる。私のたゆまぬ祈りと気遣いは、私もこの国も主の側にいつも留まることである」。
カール・セーガンは、
「私は不可知論者だ」。
マーク・トウェインは、
「人は神ほど偉大にはなれないが、誰しも善人にはなれる」。
ベンジャミン・フランクリンは、
「神は人の営みを支配している」。
アインシュタインは、
「神は人格的・無垢な存在である。われわれは創造主を完全に知ることはできないが、限られた知性の人間である私にも宇宙の秩序・調和を見れば、そんな神の存在が分かる。それなのに『神はいない』と言う人々がいる。腹立たしいのは、無神論者が私の言葉を利用することだ。自分は無神論者ではない。創造主を否定する人々は狂気の無神論者だ」。
ダーウィンは、
「私は無神論者ではない」
と、それぞれ述べています。


これはクリスチャン、無神論者を問わずまさに必見動画です。わずか30分足らずであなたの人生を大転換させるかもしれないこの動画をご覧になり、ご自分の目と耳でお確かめください。



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ノアの洪水 Part3

2014.10.30日

ノアの洪水と言うと、ほとんどの人は知っていますが、子どもだましの伝説だと思っています。
「ノアの洪水は単なる寓話だ」と言う人もたくさんいます。
あるいは、少し知識のある人なら、「地球全体を覆うような水はいったいどこから来たのか?」とか「地球上の動物すべて一つがいずつなんて膨大な数になって箱舟に全部入るわけがない」「箱舟に乗っている間、動物たちの食料はどうしたのか?」などと質問したりします。


今日のシリーズ最終回では、これらの質問に答えるのみならず、なぜ聖書にノアの洪水の物語が載っているのか、その目的や意味はなにか、などについて説明している動画をご紹介します。


この動画はかつて私が住んでいたカリフォルニア州、ロサンゼルス市内の海岸や大学のキャンパス内、街角で老若男女、さまざまな人にインタビューするユニークな形式で展開されていて、とても興味深く見ることができ、最後には私たちも大いに考えさせられる素晴らしい内容になっています。
ちょっと長いですが、ぜひ最後までご覧になってください。
また、何かご質問などありましたらお気軽にどうぞ。



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ノアの洪水 Part2

2014.10.29日

昨日の記事と掲載した写真をご覧になって眉唾だ、と感じられた方もきっといらっしゃることと思います。
私もかつてはそうでした。そして青年時代には、今、ラスベガス日本人教会の牧師を務めていらっしゃる鶴田師と毎日のようにこういったことについて議論していたものです。


さて、昨日の記事には、今から約6500億年前に隕石が地球に衝突して絶滅したと言われている恐竜(一説)と人間が共存していたと書きました。
私たちが昔、理科、地学、歴史など学校で教えられたものと真っ向から食い違うので、にわかには信じ難いことと思います。
そこで、下の何枚かの写真をご覧いただきましょう。












これらの写真は昔の人々が恐竜を目にして、それを絵に描いたり、彫刻したり、模型を作っていたことを表しています。


また、昔のトンボの化石が両翼の端から端まで72cmもある巨大なものであったことがわかります。


そういえば、やはりシダなどの植物も巨大な化石が残っているのをみんな見たことがありますよね。
つまり、恐竜が生きていた時代は、地球の環境が現在のものとは大きく異なり、引力が弱かったとか、地球の周りが天蓋(てんがい)という幕のようなもので囲まれていて、温室効果で地球全体が温暖湿潤だったということが考えられます。
その結果、動植物が大きくなり、人間も巨大であったと考えられるわけです。
下の写真は人の大腿骨の化石ですが、現代人と比べてこんなに大きいのです(「そのころ、またその後にも、地にネピリム(巨人)がいた」 創世記6:4)。


(写真は YouTube「驚くべき発見! 聖書考古学 恐竜・ノアの箱舟」より)

このような恵まれた環境に大変化をもたらしたのが、ノアの洪水だったというわけです。
天蓋が壊れて紫外線やさまざまな有害な宇宙線が地球に入るようになり、また引力が強くなったため、人間を始め動植物は大きくなることができなくなり、寿命も短くなりました。


それでは、さまざまな化石はどうなのでしょうか?
化石は一般に学校で教えられているように何百万年とかかけてできるものではありません。
空気に触れたら酸化し、化石にはならないのです。
化石ができるには、空気に触れず、一瞬のうちに圧縮される必要があります。そして、それこそが地球全体を覆ったノアの大洪水なのです。


下の写真は、世界中で見つかっている化石の墓場といわれるもので、時代も場所も異なるところから何千という動物の化石がかなり深い地層の中で発見されています。
たとえば、サイやラクダ、大イノシシ、その他数えきれないほどの外国の動物たちの化石がアメリカのネブラスカ州で見つかっているのです。


("THE GENESIS FLOOD" p.161 John C. Whitcomb, Jr. Henry M. Morris, BAKER出版1961)


この項、また明日に続きます)


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ノアの洪水!?

2014.10.28日

まずは下の写真をご覧になってください。









これらは THE GENESIS FLOOD (John C. Whitcomb, Jr. Henry M. Morris, BAKER出版1961)からのものです。
著者二人は有名な創造論者です。
一番上の写真はアメリカのテキサス州、パラクシー川の河畔で発見された恐竜の足跡の化石です。一般的には約1億年前と言われる白亜紀のものです。
歩幅からいうと、かなり大股で川下から川上に向かって走っている様子がうかがえます。
興味深いのはその恐竜のすぐ右隣に人の足跡らしきものが残っているということです。


その下の写真は、そこで見つかった恐竜と人の足跡をはっきりと示したものです。右のものは明らかに人間の足跡だとわかります。
さらに一番下の写真は、その人間の足跡を現代人の足の大きさと比較したものです。
足跡の大きさからすると、巨大な人であったことがわかります。


これらのことから何がわかるのでしょう。
1億年も昔でない時代に、恐竜と人間が共存していた(「あなたは、御力をもって海を分け、海の巨獣の頭をくだかれました」詩篇74:13、ほか)ということ。次に、人間が巨大であった(聖書中に巨人の表記はたくさんある)こと。そして、川下から川上に向かって大股で走っていたということ。
つまり、3.11で大津波がやってきたときに、人々が逃げようとして高台に向かって必死で走っていたように、この当時の人々や恐竜などの動物も洪水から必死で逃がれようとして川上に向かって走っていたということです。この洪水とは、そう、聖書に出てくるノアの洪水です。


ノアの洪水に類する洪水伝説は世界中の民族の間に残っています。そのこと自体が、実際に地球全体を覆うような大洪水が起きたことの証拠ではないでしょうか。


最後に、下の動画をご覧ください。これでノアの洪水が単なるおとぎ話や伝説でないことがご納得いただけることと思います。少し長いですが、とても興味深く見られ、あっという間に終わると思います。




この項、明日の記事に続きます。


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この世に神がいなければ

2014.10.22日

「ピン、ポン、ポーン。
こちらは平塚広報です。平塚警察署からのお知らせです。
最近、市内で振り込め詐欺の被害が急増しています。犯行の手口のほとんどは息子や孫を語り、仕事でミスをした。穴埋めをしなければならないので、至急お金を振り込んで欲しい、といった内容です。
不審な電話がありましたらすぐに平塚警察署までご連絡ください」


毎日、1億4,000万円以上、今年の上半期だけで過去最悪の268億円の振り込め詐欺の被害が出ているそうです。これだけ毎日のようにテレビや新聞、地域の広報などで注意を呼びかけているのに被害は増え続けていると言います。
ひとつにはこの犯罪に関わる者たちに知恵がどんどんついてきていることもあります。
「どうやって金をもらうか、だますほうも考えてやっている。
新しいことが出てきたら勉強して、常に新作、新作みたいな。
詐欺師のほうが一歩先を行っている」
と、詐欺に関わったことのある男性がテレビで告白しています。


私たち普通の神経の持ち主にしてみれば、このような犯罪集団の考え方というのは理解できないものですが、彼らの唯一の目的はいかに人を騙してお金を巻き上げるか。一種のゲーム感覚のような感じで、スリルを味わいながらこの詐欺行為を繰り返し、楽しんでいるのです。


しかし、自分の親が別の集団に騙されて何千万と騙し取られたらどんな気持ちがするのでしょう。
また、このようなことをしていて、やがて子どもが生まれたら、その子どもは親のしていることを見て育ち、大人になったときには間違いなく同じような犯罪に関わるようになることでしょう。それを見て、「でかした」と思うのでしょうか。
心に痛みを感じることはないのでしょうか。


もしこの世に神がいなければ、確かにこのような詐欺行為もある観点からは、つまり同業の仲間などからは賞賛され、師として崇められるかもしれません。また、人から騙し取った大金で豪勢な生活もできるかもしれません。
しかし、人間が神によって創造されていて、心の中に生まれつきの良心のようなものが植えつけられている以上、法律云々ではなく、誰でも心にやましい思い、人から逃げ隠れし、安心感のない生活をするのは当たり前過ぎるほど当たり前のことではないでしょうか。


このような人生を死ぬまで送って、たとえ優雅な生活を送っても絶対に幸せになれるわけありません。
一日でも早く、一刻も早くそのことに気づき、悔い改めて神のもとに立ち返り、生まれ変わって、犯してきた罪の罰を受けて償い、新しい人生を歩んで欲しいものだと、心から願うものです。


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雑草という名の草

2014.10.20日

ちょっと前に「主婦業も大変だ」という記事を書きましたが、これはありがたいことに今の私にはとてもいいリハビリにもなっています。


今朝は先日から気になっていた家の周りの草むしりをしました。これも今までは妻がやっていた仕事ですが、今や役割り分担で私がすることになっています。
私はなんでもやり出すとつい一生懸命になってしまうたちなので、いつも妻から無理しないでと言われているのですが、やはり「わかっちやいるけどやめられない」です。


本当に猫の額のような小さな庭と家の周囲、といってもたかだかしれているのですが、知らないうちに小一時間やっていました。
時々立ち上がって体を伸ばし、拳で腰をトントンと叩いていたのですが、それでもやっぱり終わったときにはもうアウト。
最後に立ち上がったときには、立ちくらみで頭の中が真っ白になって倒れそうになり、ちょっと怖くなりました。今はやはりまだ体調が回復していず、それがいろいろなところに出てきます。
部屋に戻って横になった途端に寝てしまい、気がついたら1時間ほど眠っていました。
腰は少し楽になりましたが、でもやっぱりまだ痛い。



草むしりをしながらいつも思うことですが、いわゆる「雑草」というものは私たち人間にとっては邪魔なものです。
しかし、雑草の中にもいろいろな草があり、みんなそれぞれれっきとした名前があるにもかかわらず、十把一絡げで私たちは「雑草」と呼んでいるのです。
しかも、人間に邪魔だからといって、いつも引き抜かれ捨てられる運命にある。
人からは他の草花のように愛(め)でられることがないばかりか、見向きもされず踏みつけられ、水や栄養、太陽の光さえも与えられない。
にもかかわらず、雑草は力強く生き、抜かれても抜かれても、次から次へとまた芽を出して立派に育っていく。
その生命力や根性に、心身ともに弱い私などは頭が下がる思いでいます。


どこからこのような強さ、いわゆる雑草魂が生まれてくるのでしょう。
雑草にも果たすべき役割のようなものがあるのだろうかなどと、ついつい考えてしまいます。


植物学者でもあった昭和天皇がかつておっしゃった言葉、
「雑草ということはない。どんな植物でも、みな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。人間の一方的な考え方でこれを雑草としてきめつけてしまうのはいけない」


これは人間にもそのまま当てはまります。みんなそれぞれ名前があり、賜物は異なっていても生きる権利を持っており、その置かれているところどころで生を営んでいます。
世の一般の人たちは、いわば雑草のように「その他大勢」の中のひとりのようであり、注目を浴びることもなく、静かに一生を終えていきます。
しかし、この世と世の中のすべてのものを創り、私たちを創ってくださった神様の目は一人ひとりに深い愛を持って注がれています。
意味のない人生など一つもありません。
そのことを雑草は私たちに教えてくれているような気がしてなりません。


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アメイジング・グレース

2014.10.19日

「神とのチェス」の中でも書いたオグ・マンディーノの『この世で一番のメッセージ』からは本当に教えれることばかりです。
皆さんにもご一読をお薦めしたいのですが、今日はその中の一節から。


しかめ面の代わりに微笑みを投げかけ、無情で辛らつな言葉の代わりに、陽気で楽しい言葉を人にかけてあげられますように。
悲しみには思いやりを寄せられるようにし、どんな喜びに満ちた人生のなかにも隠されている悩みがあることに気づけますように。
人生の戦いで傷つき挫折したなら、その傷に希望という名の薬を塗って、ひるまず立ち上がり、戦いを続行する勇気を振るえますように。
どんな人間関係にも謙虚さを忘れず、自分勝手になりすぎたり、深刻な自己嫌悪の罠に陥ったりしませんように。
成功しても、有頂天になりませんように。
悲しいときも、影のないところに光はないと考えることで、魂が高揚されますように。
進退きわまり、すべてのことが自分に不利になり、もはや一瞬も持ち堪えることができないように思える瞬間まで、けっして諦めてはいけません。どん底の状態こそ、まさに形勢が逆転する時と場所なのです。

(上掲書p.162-163)


このような文章を読むともうしびれます。著者とは本当に波長が合うのです。
私たちが普段、無意識にしていることは、上に挙げられていることの正反対ではないでしょうか。
「しかめ面」「無情で辛らつな言葉」「人の悲しみには鈍く、喜びに満ちた人生の中にも隠された悩みがあることに気づかない」「人生の戦いで傷つき挫折するとすぐにひるんでしまう」「人間関係において謙虚さを忘れる」「自分勝手になりやすい」「深刻な自己嫌悪に陥る」「成功すると有頂天になる」「悲しいときには影ばかり見て光が見えない」……
いかがでしょうか?


もう見事なまでに私たちの弱さがここに浮き彫りにされています。
社会的に成功している人でもみんなそうです。
人間とはいくら強がりを言ったところで、そもそも弱いものなのです。
だから神様を必要とするのです。
それを見事なまでに証明した人が一昨日の「一年ぶりの同窓会⁉︎」のカラオケで最初に歌ったアメイジング・グレースの作詞者ジョン・ニュートンです。
こちらがみんなでアメイジング・グレースを歌っている動画です。(下の画像はクリックしても見られません。このすぐ下のリンクをクリックしてください)

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=10203773634915986&id=1072361836


ジョン・ニュートンについては、「体調は最悪、でも最高に幸せ!」の中に書きましたのでぜひこちらもご覧になってください。


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光陰矢の如し、しかし…

2014.10.15日




Time flies. It is up to you to be the navigator.
--Robert Orben, comedy writer, speech writer for Gerald Ford, magician
光陰矢の如し。ナビゲーターになるかどうかはあなた次第だ。
ーロバート・オーベン、コメディ作家、フォード元米国大統領専属スピーチライター、マジシャン
(訳: 舟田譲二)


「光陰矢の如し」は日常よく使われる有名なことわざで、日本人なら誰でも過去に一度や二度は使ったことがあるのではないかと思うぐらいです。うちの塾の小学低学年の子ですらそのように感じているようで、「昔は〜だった」などとよく言っているぐらいですから。
英語の"Time flies."もまったく同様です。


ただ、この後に続く今日の言葉、
「ナビゲーターになるかどうかはあなた次第だ」
は実に核心を突いています。
「ナビゲーター」とはいわゆる車に付いているナビや、レースなどで競技者(運転手の)横について適切な道案内をする人のことも指しますが、ここではむしろ「運転手」「操縦者」本人のことを言っています。
去る7月にも「ああ、素晴らしきかな、我が人生!」という似たような記事を書いていますが、今回はちょっと違うアングルから。


確かに「光陰矢の如し」です。
しかし時がいかに速く流れようとも、それをコントロールする役割を果たすのは、私の人生の「操縦者」なる私自身であるということです。


ああ、私はこれまで家族の者や、友人、恩師、医者などにいかに頼ってきたことか。
でも最終的には確かに、私の人生をコントロールするのは私しかいないのです。


そして、さらに言うと、私を創りこの世に送ってくださった神様こそが本当の意味での最最終的責任者。
ということは、自分の人生をコントロールすべく私自身は自分でできる限りのことはして、あとは神様のみ手に委ねる、これしかないじゃないですか。


神様、私は今大きな試練に直面しています。そして、自分に任された務めは精一杯果たすよう思いっきり頑張る所存です。
でも、あとはこの身も魂もあなたのみ手にお委ねいたします。あなたのみ心どおりにお導きください。
感謝しつつ主の御名によって。


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『花子とアン』終わる

2014.09.28日




NHKの朝ドラ「花子とアン」が昨日最終回を迎えました。
もう明日から見られないかと思うと寂しい気持ちがします。それぐらい私はこのドラマが好きでした。


今朝出席した妻の実家近くの岩倉キリスト教会の礼拝の中でも、渡辺牧師の口から最初に発せられたのは、この「花子とアン」の話。
牧師を始めおそらく教会員の80%が見ていたのではないかとおっしゃり、この番組がいかにクリスチャンの間で人気が高かったかが伺われます。


番組の中で何度も出てきて、このブログでも引用したアンの言葉、
でも、今その道には、曲がり角があるの。
曲がり角のむこうになにがあるか、今はわからないけど、きっとすばらしいものが待っていると信じることにしたわ。

この言葉は、多くの人にとって大きな慰め、励ましとなりました。


渡辺牧師は今朝早く目覚め、眠れなかったのでインターネットでいろいろ調べていたら、原作に出くわしたと言い、それをシェアしてくださいました。
それによると意外なことに、上のドラマ中の花子の言葉は実際にはちょっと違い、次のようなものだということです。
そして道には、いつも曲がり角があり、そのむこうには新しい世界が広がっているのだ!
「『神は天に在り、この世はすべてよし』」アンはそっとつぶやいた。



すなわち原文では、曲がり角の向こうには「きっと素晴らしいものが待っている」ではなく、「神様は天にいらっしゃり、すべてのことは神様の御心にふさわしい」というものだそうです。


これを聞いて、私は「うーん、なるほど」と思わずうなりました。
実際、私たちの人生を振り返ると、確かにいくつもの曲がり角がありましたが、その向こうに待っていたのはいつでも素晴らしいものとは限らなかったからです。
中には望まないことや、辛い悲しいことや苦しいことなどもありました。人が生きるということはそういうもので、苦しいことや思い通りにならないことがつきものです。誰もこれらから逃れることはできません。


しかし、しかしです。これらの辛い、苦しいことなどをとおしても、天に神様がいらっしゃることを私たちは知り、起こる出来事が神様のみ許しの下に起こり、神様はこれらすべてのことを相働かせて益にしてくださるということを経験してきたからです。


聖書の言葉、
「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている」
(ローマ人への手紙 8:28)
は真実です。


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人の目と神の目

2014.09.25日

今日の朝刊のトップ記事で、神戸で起こった小学1年生の女児殺害の容疑者が逮捕されたと報じられていました。
このような事件が後を絶たず、その都度本当に心を痛めています。
ご両親や親しい友達の悲しみやショックはいかばかりかと思うと本当に心が張り裂けそうになります。


毎日毎日ニュースをにぎわす、親が子どもを、子どもが親を殺すという事件、また自販機を放火して中の金を盗んだり、現職の警部や教師による痴漢、少女買春や盗撮事件等々、最近は新聞やテレビのニュース番組を見ていると気が重くなります。


また、国際テロ組織「イスラム諸国」対「反イスラム諸国」との軍事衝突や、残虐な人質の殺害現場をインターネット上で公開したり、大量虐殺のテロ行為など、恐ろしいニュースばかりです。


冒頭の事件での容疑者逮捕につながったのは防犯カメラに写っていた被害者と加害者の映像だったそうです。
また、上の自販機の放火事件ではすぐ近所の家に延焼して死者が出るなど、人通りの少ない商店街や住宅街では自己防衛のために防犯カメラを自分たちで設置しているところも多いそうです。


よく交差点内で起きたひき逃げ事件などで目撃者を求める立て看板を見かけます。
私は以前から少なくとも信号機のついている主な交差点に防犯カメラを設置することを提案しています。
この防犯カメラがあるだけで事故やひき逃げ事件が減少すること、またその他の大きな事件が起きた時なども犯人の動きを捉えることができ、防犯にもつながります。


一旦停止のサインがない近所の交差点でよく事故が起きるところがあります。警察官が事故現場で検証をしている時に、事故が起きる原因は一旦停止のサインがないからで早くつけるようにとこれまで何度も言っているのですが何年経っても対応してもらえません。ここにも防犯カメラがあれば事情は大きく改善されることでしょう。


以前、イギリスだったかどこかの国のスーパーで万引きがあまりにも多く、人の目の写真を大きく拡大したポスターを店内のあちらこちらに貼ったところ万引きの件数が目に見えて減少したと報じられていました。


eye.jpg


人の目や防犯カメラがあるだけで、多くの事件や事故が防げるという証拠です。
しかし、人間には罪の性質があり、マスクやお面などをかぶったりして顔が確認できないようにしてまだ犯罪を犯します。


人が罪を犯さなくなる唯一の方法は人の目ではなく、神の目を意識するようになることです。
人の目はごまかすことができても神の目はどこにもあり、ごまかすことはできません。
さらに、自らの心の内にある罪を認め、神の前に悔い改めるという行為をとれば、完璧ではないですが、罪を犯す可能性はさらに大きく減ります。
そして、これこそが我々人間みんなに求められていることではないでしょうか。


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自己中心と神中心

2014.09.24日
asanoinori.JPG


毎日デボーションに使っている本の今朝のところに次のような箇所がありました。


失望を、忍耐の契機として用い
成功を、感謝の契機として用い
不安を、不屈の契機として用い
危難を、勇気の契機として用い
非難を、忍苦の契機として用い
賞賛を、謙遜の契機として用い
娯楽を、節制の契機として用い
苦痛を、堅忍の契機として用いることができますように。

(『朝の祈り 夜の祈り』 J・ベイリー著 p. 104〜105)


これを読んでいて思いました。
普通、私たちは次のようにしているのじゃないかと。
失望を、絶望の契機とし
成功を、贅沢の契機とし
不安を、恐怖の契機とし
危難を、逃避の契機とし
非難を、応酬の契機とし
賞賛を、高慢の契機とし
娯楽を、怠惰の契機とし
苦痛を、不平の契機とする


思い返せば私もかつてはそうでした。
というか、今でも気をつけないと無意識のうちにその罠にはまってしまうことがあります。
とくに私の場合、注意しなければならないのは、
「不安を、恐怖の契機とし
危難を、逃避の契機とし
賞賛を、高慢の契機とし
苦痛を、不平の契機とする」
ではないかと直感的に思いました。おお、危ない、危ない。気をつけなければ。


それにしても同じ状況の下で、冒頭のようにまったく逆に対応し、自分を磨き、成長させることができるというのはすごいことです。
しかし、そのためにはやはりある条件が必要です。
上の引用文の直前にそれが書かれています。
「神よ、きょうわたしの生活をとりまくすべてのものを用いて、罪の実ではなしにきよい実を結ばせることを教えてください」


なるほど、確かにそうです。神を意識していないと私たちは自分が一番可愛いためどうしても自己中心になり、その結果上に私が挙げた罪の実である
「絶望、贅沢、恐怖、逃避、応酬、高慢、怠惰、不平」
という自分にとっても周りの者にとっても不快で、益にならない実を結ぶようになるわけです。


それに対して、
「忍耐、感謝、不屈、勇気、忍苦、謙遜、節制、堅忍」
といった麗しいきよい実を結ぶためには、神様の助けがないとできないことです。


ああ、神様、汚れた、弱い、自己中心だった私をこのようなあなたの愛の世界に導き入れてくださいましたことを心より感謝いたします。
また同時に祈ります。
一人でも多くの方が、この同じ素晴らしい恵みにあずかれることを。


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苦しみの意味

2014.09.23日

今朝は思いがけず佐賀県に住むFacebookフレンドからお電話がありました。
まだ一度もお会いしたことなく、FB上だけのお交わりなのですが、まるで旧知の友のようにお互いに親しみを感じ、いろいろなことを電話とskypeで1時間近くお話ししました。
佐賀県の歴史から始まり教えられることも多く、さらにこの方のこれまでの生涯のお話を伺い、そのご苦労に涙が出る思いをしました。
ことに4〜5年前にご次男さんを亡くされ、お苦しみになったお話には胸を締めつけられました。
まるでNHKの朝ドラのストーリーになりそうな波乱万丈の人生に、私は思わずこのお話は小説になりますよ、と言ったほどです。


このあと、妻と一緒にデボーションの時を持ちました。
今は、私が献身するきっかけとなった『ちいろば』の著者、故榎本保郎先生の『新約聖書一日一章』の中から学んでいて、今朝はテモテ第二の手紙3章でした。
この中に次のような箇所がありました。
「周囲を見回すとき、よく、あの人はあれほどの信仰があるのに、どうしてあんな苦しみが次々と来るのだろうかと思われる人がある。そしてほんとうに神はおられるのだろうかと思うことがある。またみずからそれを味わうことがある。それらのことを思いめぐらすとき私は、そういう人たちが苦しみによって、自分の生活の中の無駄なものが排除され、ほんとうに純粋な信仰に立たされていくことを知るのである。
いま、健康で事業も好調で、何もかも楽しいというような生活をしている者と、人が見ると気の毒でたまらないと思うほどに、次々と試練にあうが、そのことによってキリストを身近に覚え、キリストと共にきょうも生き、歩くというような生活をする者とどちらが幸せかということを考えると、必ずしも前者であるとは言えないのではないだろうか。
わたしたちは、いつ、どんな試練にあうかわからないが、しかし、いっさいは神の御旨によってなされているのであれば、そこにははかりがたい神の目的がある。苦しみに出会えば感謝すればよいのである。私たちの中には不純物が多い。神は、私たちを溶鉱炉に入れて、不純物を純粋なものにされようとなさるのである」


この部分を朗読していて、先ほどのFBフレンドの方の人生とイメージがだぶり、また他の何人かのつながりのある方々や身近な者のことを覚え、胸がいっぱいになって、祈っている時は何度も何度も涙があふれてきました。


もしも、この世に神様がいらっしゃらないならば、私たちの人生には意味も目的もなくなります。それならば、できる限り面白おかしく生きて、食い飲みし、苦しいことなど忘れればいいのですが、人間はそのようには創られていません。
だれの人生にも苦しみや悲しみ、辛いことはつきもので、これらから逃れて生きることはできません。
でも、このような中で苦しみの意味を知っていると知っていないでは、人生は天と地ほど変わってきます。私もそのことを経験した一人として、少しでも多くの方にそのことを知っていただきたいといつも願い、祈っています。


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呪文の言葉

2014.08.24日

"In the middle of every difficulty comes opportunity."
--Albert Einstein
「あらゆる困難のまっただ中に最高のチャンスが訪れる」
アルベルト・アインシュタイン

(訳 : 舟田譲二)


アインシュタインと言えば、誰でも天才の代名詞のように思います。
しかし、彼自身はこう言っています。
「私には特別な才能などありません。ただ、ものすごく好奇心が強いだけです」
またこのようにも言っています
「学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるか思い知らされる。
自分の無知に気づけば気づくほど、より一層学びたくなる」


彼は自分のことを天才とは思っていなかったようです。非常に謙遜で好感が持てます。


アインシュタインのような人ですら難問にたびたびぶち当たり、その都度その困難と闘っている中で、解決の糸口を見つけ、そこから答えを見出していったのです。


アインシュタインと比べるわけではありませんが、私もよく難問にぶつかります。
そのような時、私は自分独自の「呪文」を唱えます。
それは、
「主よ(神様のこと)、感謝します。感謝します。感謝します」
というものです。
辛い時、苦しい時、悲しい時、八方ふさがりに思えるような時も、この呪文のような祈りを唱えます。


えっ、問題に直面している時に神様に感謝できるの、と皆さんは思われるかも知れません。
聖書には、
「いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである」
(テサロニケ人への第一の手紙 5:16-18)
とあります。
問題のただ中でどうやって喜んだり、祈ったり、感謝したりできるのか、と思われるかもしれませんが、実はこれこそが問題に打ち勝つ最も簡単かつ優れた方法なのです。


普通はみんな、辛い時、苦しい時、悲しい時、八方ふさがりの時には愚痴を言ったり、周りの人に当たったり、やる気をなくしたりするものです。当然のことです。
しかし、聖書がこのような時にも、
「いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことについて祈りなさい」というのには必ず理由があるはずです。


私の場合、上の呪文
「主よ、感謝します。感謝します。感謝します」
を唱えているうちに、感謝すべきことが次から次へと頭に浮かんできて切りがなくなるのです。
そして、こうして感謝の祈りを捧げているうちに、心はどんどん平安になり、喜びに満ちあふれ、神様との会話である祈りに没頭してしまいます。


なるほど、だから神様は、そのようにしなさいとお命じになったのだと納得がいきます。
私たちをお創りになられた神様は、私たち以上に私たちのことをよくご存じで、だから私たちの最善を願ってこのようにおっしゃっているのだ、とわかるのです。


アインシュタインのような人ですら難問に当たり、その都度、神に助けを求めて
「あらゆる困難のまっただ中に最高のチャンスが訪れる」
と言っているのですから、私たちがそのような姿勢を持つことはごくごく当然のことではないでしょうか。


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信仰とは

2014.08.23日

先日、神奈川合同庁舎にパスポートの申請に行った時、受付事務は5階とありました。
左にエレベーター、右に階段があります。
昔だったら考えることなくエレベーターを使っていたのですが、ここ数年、健康を意識するようになってからエレベーター、エスカレーターは使っていません。
不思議なもので、使わなくなると今度はそれが当たり前になるのです。


で、この時も左のエレベーターは目に入らず、すぐに階段を上り始めました。
すると階段の真ん中ほどのところに何やら大きなシールが貼ってあります。薄暗い階段だけに余計に目立ちます。
最初のところには次のように書いてありました。
「チャレンジ 運動習慣 階段のぼり 3033運動 あなたの体が ヨミガエル ミチガエル ワカガエル」と可愛いカエルのキャラクターが言っています。
この「3033運動」(サンマルサンサン)ってなんだろう、って思ったら、次のところにはこのようにありました。
「1日30分 週3日 3ヶ月間 運動を続けよう」
なるほど、そういう意味か。
次の階段のところには、このように書いてありました。
「3033運動 急がば階段」
次は、
「3033運動 その1歩が体をカエル!」
そして次、
「3033運動 だんだん、楽になるよ、階段」
あと、
「3033運動 足腰をタダで鍛える階段ジム」
「3033運動 階段使って貯筋運動‼︎」
「3033運動 階段のぼりは基礎代謝も高めます」
そして、最後の階段には、このシールが。


staircase.JPG


うーん、これはグッドアイデア。
「足腰をタダで鍛える階段ジム」「階段使って貯筋運動」には思わず笑わされました。うまい!
この3033運動を庁舎内のみんなが活用して健康改善に役立っていればいいなと、願わずにはいられませんでした。


一般の人に「信仰」という言葉を使うと、多くの人は身構えて、新興宗教とか寄付、布教活動とか、そういったネガティブなイメージを抱き、警戒します。
でも考えてみたら人間ってみんな誰でも、日々、秒々刻々、ありとあらゆるものを信仰しています。
電車やバス、飛行機に乗る時もそうですし、自分の働いている会社や通っている学校や塾、家族や友人、挙げ出せば切りがありません。
みんな信仰しているから生きられるのです。


先日来、たびたび引用しているマルチン・ルター・キングJr 牧師がこのようなことを言っています。
"Faith is taking the first step even when you don't see the whole staircase."
「信仰とは、たとえ階段全体が見えなくても最初の一歩を踏み出すことである」

(訳 : 舟田譲二)


上の「3033運動」もそうですが、人間というものはみんな自分の信じるところに従って行動します。この合同庁舎で働いている人でも、階段に貼ってあるシールの言葉を信じずに、ずっとエレベーターを使っている人もいることでしょう。信じていないからです。私の場合は、食事療法と運動療法で健康がずいぶん改善しました。信じて行動したからです。


聖書に書いてある言葉も、信じる、信じないはみんな個人の自由ですが、面白いことに信じる人にはその言葉が生きて働くのです。
「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである」
(ヘブル人への手紙 11:1)
これは、実にうまい信仰の定義だと思います。


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死の問題の解決

2014.08.16日

一昨日、昨日のブログで死の問題を扱ったところ反響がものすごく驚きました。お子様を、ご兄弟を、親を亡くされた方々の体験談が多く寄せられました。
やはり、死は家族や愛するものとを引き裂く、冷酷・残酷なもので、人間にとって一番の、そして最後の敵であるからでしょう。


私自身、おませだったこともあり、幼稚園の時にすでに死を意識していました。
夜、布団に入ると目を閉じて両手で鼻と耳をふさぎ、何も見えない、聞こえない、息もできない状況を作り、死の世界というのはきっとこのような苦しい、恐ろしいところだろうと想像し、両親や友達との別れや、この世の楽しさとの別れを直感的に知り、怖れていました。
毎晩、「死ぬのが怖い」「死にたくない」と泣いて、両親を困らせました。
両親は私に、
「大丈夫だよ、譲二は死なないよ」
と言って慰めてくれても、そんなのは嘘だとわかっていました。


この死を意識し怖れるのは、小学校に上がっても、中学生、高校生になってもずっと続いていました。
自分はきっと20歳まで生きられないだろうと思っていたほどです。
外面的には友達と毎日明るく過ごしているのですが、心の中では常に死に対する恐怖心がありました。


やがて大学生になり、20歳を越えた時には「まだ生きている」と驚いたほどです。
大学卒業後、アメリカの大学院に留学してからも死を怖れる心は変わりませんでした。
ある日までは。


その日、日本のビリー・グラハムと言われる本田弘慈先生が来られるから、と特別伝道集会に誘われていました。私は特別伝道集会なるものがどんなものかも知らないまま、ただ誘われたのでその日教会に行きました。


本田先生というのは実に面白い先生で、私は漫談でも聞くような思いで腹を抱えて笑い転げていました。
その時、本田先生は突然おっしゃいました。
「年をとった人たち。あなたがたは高慢だ」
これを聞いた私は「そうだ。これは父のことだ。父こそこの話を聞きに来るべきだった」と思っていました。
ところが次の瞬間、本田先生は私の方を指差しておっしゃったのです。
「しかし、若いあなたがたの高慢さは年寄り以上だ。まるで固いハガネのようで曲げても勢いよく戻ってくる。神様はこの高慢の罪を他の何よりも嫌われる」
これを聞いた私は、つい今しがた「父を高慢だ。父をここに連れてくれば良かった」
と思っていた自分こそが高慢だったと初めて気づき、自分のうちにある高慢という罪を示されました。


本田先生のお話が終わり、招きがありました。
「今日、自分の罪を悔い改めて、生まれ変わりたいと思う人は手を挙げてください」
知らないうちに私は手を挙げていました。
「今、手を挙げた人たちのために祈りたいと思います。前に出てきてください」
と言われた時には、私は真っ先に前に出て行きました。
本田先生が私の頭の上に手を置いて、
「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪は赦された」
と言われた時、過去に犯した数え切れないほどの罪が走馬灯のように頭の中を巡り、もう涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになっていました。
そしてこの瞬間、自分の罪は赦された、もはや神に裁かれることはなく、永遠の地獄から永遠の命に移された、という確信が与えられ、ようやく死の恐怖から解放されたのです。
27歳の誕生日直前の日のことでした。


そして、次に使徒の働き16:31の
「主イエスを信じなさい。そうしたらあなたもあなたの家族も救われます」
という神様のお約束を信じ、家族の救いのために祈り始め、証ししました。
半年後に妹が救われました。1年半後に母が救われました。
そして、私を迫害していた父も7年半後に救われ、しかも私の手から洗礼を受けてくれました(「献身へ」)。


このようにして、私も家族も信仰を持って死を怖れなくなり、心臓を病んでいた母は天国の神様のもとに行ける日を楽しみにしていましたし、私も母との死別を全然悲しまなかったのです。
私が幼稚園の時、両親が「大丈夫だよ、譲二は死なないよ」と言っていたのが私だけでなく両親の上にも成就したのです。
死の恐怖から解放され、先に天国に行った両親やその他の主に在る先生方や兄弟姉妹方と再び相まみえる望みが与えられているというのはなんという幸いなことでしょう。


そして罪と死の問題の解決は、このイエス・キリストが十字架の上で流してくださった私たちのための身代わりの血潮を信じること以外にはあり得ません。
このことを一人でも多くの方々にお伝えするのが自分に与えられた使命だと思っています。


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当たり前のこと

2014.08.07日

朝、太陽が昇る。
目が覚める。
外では、ウグイスや鳩、カラスやスズメ、セミの鳴き声が聞こえてくる。
散歩に連れてもらっている犬に出会う。
猫の姿も見る。
我が家の小さな庭にはきゅうりがなっている。きゅうりが小さな可愛い花をつけている。
川には水が流れていて、爽やかなせせらぎの音が聞こえてくる。
山々は深い緑の木々で覆われている。
散歩道の両脇にはきれいな花が咲き誇っている。
海に行くと、100色の、いや1000色の絵の具を使っても表せないさまざまな異なる表情で日々、時間ごとに私たちの目を楽しませてくれる。
夕方には太陽が傾き、きれいな夕焼けを見せてくれる。
雨の後の美しい虹。
夕方になると月が姿を現す。
夜のとばりが下りると空には無数の星が輝く。


これらの自然の恵みを私たちは普段、何の気なしに見ていて、どれもこれも「当たり前」ものとして見ている。


いや、自然だけではない。
家族や友人や同僚など毎日接する人々も「当たり前」。
住んでいる家も、運転している車も、乗っている自転車も、毎日食べる食事や飲み物も、着ている服も、メガネや靴も、どれもこれもみんな「当たり前」。


これらのものに改めて感謝することなどまずほとんどないのではないでしょうか?


しかし、考えてみたら、私たちはこれらすべてのものや人の恩恵にあずかり日々暮らしているのです。
どれ一つ欠けても困るし、生きていけません。


この世に存在するものすべてのものに存在目的があります。
意味のないものなど一つもありません。
たとえ道端に転がっている、何の役にも立たなさそうに見える石ころ一個にさえ存在目的があるのです。


山にある岩石が川に流され、途中互いにぶつかり合ってだんだん小さくなり、やがて海に至る頃には砂になっています。私たちはその砂を用いて家や道路などの建造物を造ります。


私たちが「当たり前」に毎日使っている車や飛行機や船なども全部、この世に存在する原材料を使って造っています。


太陽と地球の間の距離は絶妙で、あと少し距離が近いと地球は灼熱の砂漠になり、あとほんの少し近いと南極大陸のように氷に覆われます。
もし月と地球の距離が現状の半分だとすると、引力によって起こる潮の干満は現在の4倍となり、地球との距離が3分の1になると、潮の干満は9倍になるので一日に2度全てが水浸しになりおぼれることになります。



酸素と窒素、二酸化炭素、その他の元素の割合もまさにピッタリで、このお陰で私たち人間を始め哺乳類は呼吸することができ、植物も生きることができるのです。
そして、食のサイクルも最善の形でかみ合っています。


これら上に挙げたものどれ一つをとっても、バランスが少しでも崩れると私たちは生きていけません。
私たちが普段「当たり前」と思っているものは、宇宙から始まり、私たちの日常の生活に至るまで決して当たり前のことではなく、絶妙なバランス、最高の計画に従って成り立っているのです。


そして、それらすべての背後にあるのが創造主なる神様で、神ぬきにこれらを説明することはできません。


そして、被造物すべてが創造主をほめ歌っているのです。


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宝のあるところに心もある

2014.08.06日

「あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。
むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。
あなたの宝のある所には、心もあるからである」

(マタイによる福音書 6:19-21)


これはイエス・キリストの有名な山上の垂訓の中の一部です。
イエスさまがこれをおっしゃっていたのは紀元1世紀、日本では弥生時代中期です。
この時代に「あなたの宝のある所には、心もあるからである」とおっしゃっていたのには驚かされます。


これはまさに現代にもそのまま通じる心理学そのものです。
自分が何かを大切にしていたら、たとえそれがものでなくて仕事や研究や趣味、あるいは家族や好きな人など、どんなものであっても確かに、「心もそこにあります」よね。
いつも心の中でそれについて、あるいはその人について考えています。
これは現在最先端のカウンセリングでも活用される手法です。


私は今、我が家の小さな庭で家庭菜園をしています。
これが昨日採れたものです。
横にある500円玉と比べると大きさがわかります。



このように立派に育ってくれると、もう我が子のように可愛いものです。これが毎日毎日採れるのです。
そして、毎日たっぷりキュウリをサラダや漬け物にしていただいていますが、そのシャキシャキ感がなんとも言えず美味しい。
もうこうなると、いつでも(とまではいきませんが)我が子のキュウリのことを考えます。


私は毎日、夕方涼しくなってからウォーキングに出かけます。だいたい2時間前後、10〜15kmほど歩きます。するとまた、これが楽しい。毎日見る海の顔がその日によって違うのです。
こうなると海も我が子のようなものです。


このように、人は自分が大切にするものや人、ことなどをまるで自分の宝物のようにします。
すると宝物ですからいつでもそのことが頭の中にあります。
これが冒頭のイエスさまのおっしゃった、
「天に、宝をたくわえなさい。
あなたの宝のある所には、心もあるからである」
なのです。
地上にたくわえる宝物はやがて必ず消えてなくなるか、あるいはたとえどんなに素晴らしい宝物であったとしても、やがて私たちがこの世を去る時にはお別れしなければなりません。
愛する家族であっても。


頭の中でいつも、いかにして人を騙して振り込め詐欺のような方法でお金を取るか考えている人たち。心の中はそれで常にいっぱいになっています。しかし、たとえいくら人を騙して金を儲けてこの地上で遊んで、食べて、いいものを着て豪遊しても、そんなもので心が満たされるわけありません。
むしろ、心の中では常に警察に捕まることを恐れ、逃げ隠れしています。そんな生活が幸せなわけないでしょう。


あなたの宝物はなんですか?
それによってこの世での人生の生き方が変わってきます。そしてさらに、死後、永遠を過ごすところもこの地上で何を宝物にしていたかによって変わってきます。


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神の創造のみわざ

2014.07.27日

「猫の額」と私が呼んでいる3平方メートル弱の我が家の庭。
以前はもう少し広かったのですが、駐車場のスペースを広げるために庭を削ってしまいました。最初は全部なくそうとしていたのですが、娘の強い願いによってほんの気持ちだけ残すことにしました。


去年はここにミニトマトがたくさんなりました。
もと畑だったせいか、あるいは事前に蒔いた栄養分が良かったのか、今年は一面がキュウリの大きい葉っぱに覆われています。
私は毎朝水やりはしていたのですが気がつかない人間で、つい先日、妻が2本のキュウリの初なりを取ってきました。葉っぱに隠れて気づくのが遅かったせいでしょう、なんと直径が5〜6cmのとても大きな実になっていました。
これをサラダに入れたり、漬物にしたりしていただいていますが、やはり自家製のものは美味しいですね。


今朝は3本目の、前のよりも少し小さめとは言ってもごく普通の大きさですが、私が水やりの時に取り入れました。


cucumber.JPG


今まで、キュウリなんて栄養価はほとんどないものとばかり思っていたのですが、ちょっと調べてみると結構高い栄養価があり驚きました。


考えてみたら、この地球上のもの、魚類から動植物を含めほとんどのものが私たち人間の食用になっていて、それらによって私たちが生かされているというのはすごいことです。
そして、それらを管理・維持し、さらには品種改良など発展させる知恵まで人間だけに与えられていることも驚くべきことです。


聖書の初めには次のように書かれています。
神はまた言われた、「地は生き物を種類にしたがっていだせ。家畜と、這うものと、地の獣とを種類にしたがっていだせ」。そのようになった。
神は地の獣を種類にしたがい、家畜を種類にしたがい、また地に這うすべての物を種類にしたがって造られた。神は見て、良しとされた。
神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。
神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。
神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。
また地のすべての獣、空のすべての鳥、地を這うすべてのもの、すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える」。そのようになった。
神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。

(創世記 1:24−31)


聖書のこの部分が書かれたのは紀元前1500年頃です。仏教の仏典が書かれたのが紀元前4世紀頃(?)、イスラム教のコーラン(クルアーン)が成文化されたのが紀元650年頃、日本の古事記・日本書記が712年というので、聖書がいかに古いかということがわかります。


上の聖書の「神は地の獣を種類にしたがい、家畜を種類にしたがい、また地に這うすべての物を種類にしたがって造られた」という記事は、今日でも生物学的に正しい表記で、今から3700年も前に書かれたものとは容易には信じられません。
やはり神業としか言いようがありません。


先日、釣りをしていた人が言っていましたが、どぎつい色をしたものはたいがい毒を持っているので、それさえ避ければ大丈夫、と。
そういえば、草花などもそうですね。


宗教改革者のルターが言っていた名言です。
「神は福音を聖書の中だけではなく、木にも、花にも、雲にも、星にも書いている」
(マルチン・ルター)


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私は今、毎日ウォーキングしながら動物や鳥、魚を見ても、蝉の声や鳥の鳴き声を聞いても、木々や草花を見ても、山や海を見ても、背後にいらっしゃる創造主なる神様がはっきり見えます。逆に、神様なしにこの世界がこんなにうまくできるわけがありません。


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進化か創造か

2014.07.25日

「おー、スゲエ!」
「この車の名前、知っとる?」
「知らん」
「わしも知らん」
「うち知っとるえん」
「えっ、なんちゅうの?」
「ほんじゃから今、言ったじゃろ? 知っとるえんって」
「えっ、知っとるえん…シトロエン? あのフランスの名車の?」
(『花子とアン』風の会話にしてみましたが、あまり正確ではないと思うので、どなたか方言指導をお願いします)


citroen1.jpg


それにしても奇抜でカッコいい。両側のドアは上に開きます。
未来の車みたいですよね。
この車の原型というか、今から44年前の型が下ので、その当時は奇抜で世界でも注目を集めていた人気の車です。私が20歳の頃、あこがれていた未来の車です。


citroen6.jpg


この同じものがうちの近所の駐車場にずっと捨て置かれたままになってなっています。


citroen2.JPG


citroen3.JPG


よく見るとあちらこちらこのように錆がいっぱい出てきています。かつての雄姿はどこへやら...。
このページトップの最新型は、44年前のシトロエンが進化してできたものではありません。
人の知恵が進んでこのようなデザインやさまざまな技術が取り入れられて作られたものです。なぜなら、人はほかの動物と違い「神の像に似せて創られ」ていて、神の知恵が与えられているからです。


citroen5.JPG


さて、熱力学の第2法則に、この世のものはすべて崩壊に向かっているというのがあります。
上の車のみならず、現在も膨張しつつある宇宙ですら崩壊に向かっています。いわんや地球も地球上の生き物もすべてです。


つい先日、Facebookに面白い画像が載っていました。これです。上の絵は「偽物の進化論」、下は「本物の進化論」と書かれています。
なるほど、「本物の進化論」とは、私たち人間が自らの心の内の罪に気づかされ、神の前に悔いくずおれて生き方を改める、というわけなのですね。


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1年ほどまでに「偶然と必然」という記事を書きましたが、その中の一部を再度ここに引用します。


私たちはみんな学校の理科の授業で進化論を教えられ、それが真実であるかのように思い込んでいます。でも、進化論は一つの仮説また哲学であって、それが真実であると証明した人は誰ひとりいません。
進化論は、この宇宙は138億年前にある日突然、エネルギーか何かが爆発し、それがどんどん膨張していったと言っています。そして、地球上の生命は、偶然と途方もなく長い時間によって無機物が有機物になり、それが命になって単細胞のアメーバのようなものになり、それが徐々に進化して最終的にできたものが人間だと言っています。


ボーイング747は約600万個の部品でできています。
進化論的に言えば、何十億年もの長い間、この600万個の部品を大きな袋に入れてガチャガチャと振り続けていたらボーイング747になったということになります。
しかし、たった数十個の部品ですら、たとえどれだけ長い年月振っていても偶然に時計とか何かの形ができあがるということはありません。


人間の脳細胞の数は100億個から140億個ぐらいだと言われています。
その細胞1個1個の中に入っている情報は、少なく見積もっても厚さ約3cmぐらいの500ページの本1000冊分と言います。これらの細胞百数十億個が全部、順番通りに正しく組み合せられないと脳はできあがらないのです。
人の体全体では約60兆個の細胞から成り立っていると考えられていますが、これらが正しい順序に組み合わせられる確率はそれこそ天文学的な数字になり、実質上偶然ということはあり得ない、ということになります。


進化論的に、偶然の上に偶然が重なってある日突然、と考えるより、創造者が造られたと考える方がよほど理にかなっています。
また、進化論では突然変異が数え切れないほど繰り返されて現在のヒトになったと言いますが、突然変異である種のものが別の種になるということはあり得ませんし、また突然変異が起こる時には常に元のものより情報量が少なくなり、その多くは劣性あるいは致命的なものです。
さらに熱力学の法則によると、宇宙の中のすべてのものは常に崩壊に向かって進んでいて、進化していません。


創造論では、ヒトは創造者である神の知恵によって、神の霊に似せて造られたものです。
「神は自分のかたちに人を創造された」(創世記1:27)とあります。
偶然ではありません。神の愛によって宇宙も私たちも造られたのです。必然です。
神の存在を否定するところから進化論は生まれました。宗教色を排除することが科学的だと考えたのです。
しかし、上に見てきたように、進化論も創造論と同じくひとつの説です。
進化論を信じて、人の霊を信じないと、死は永遠の別れです。
愛も夢も希望も何もありません。


「ジェリーの生き方」の中に書いたことではないですが、私たちは一瞬一瞬、様々なものを選択して生きています。
皆さんは、上の「進化か創造か」、どちらを選択されますか?
それによって、この世の生き方も、考え方も、死後の世界もすべてが180度変わってきます。


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寿命は神様のみ手の中に

2014.07.19日

一昨日、夜7時前にウォーキングから戻ってきて自宅近くまできた橋の上でかつての教え子に出会いました。
自転車に乗っていてすれ違う寸前に気づき、
「おっ、I さん!」
と声をかけました。
急ブレーキをかけて振り返ったI さん、
「あっ、学院長先生!」。
「どこへ行くの?」
「フラです」
「えっ、なんだって?」
「フラです。フラダンス」
「へえー、フラダンスやってるの? 楽しい?」
「はい、とっても。先生、痩せましたね」
「うん、体重は15キロほど減って、ウエストは20センチほど縮んで、以前履いていたズボンがみんなこんな感じでごそごそ」
「あっ、ウォーキングやってるんですね」
「そう。今日も8キロほど歩いてきたところ。でも多い時は2時間以上、12キロから15キロほど歩くよ」
「えーっ、そんなに歩くんですか。私は無理。そんなに歩けません」
「先生もフラは無理!」
二人で「アッハッハッハッハッ!」。
「今はもう高3?来年受験だね」
「はい」
「お兄ちゃんはもう大学卒業して就職だよね?」
「はい、今年就職しました。よくわかりませんが、道路の工事関係の会社だとか」
「道路公団みたいなところかな?」
「さあ…」
「じゃあ、フラ、楽しんできて」
「はい、ありがとうございます」
「お兄ちゃんとお母さんによろしくね」
「はい、わかりました」


自転車で走り去るI さんの後ろ姿を見て、たくましくなったなぁ、と驚くとともに彼女の将来の祝福を祈らずにはいられませんでした。


彼女の言葉「先生、痩せましたね」は、昔の私を知っている人からはみんなに言われ、自分では食事療法と運動療法で減量に成功して健康体になったんだ、と思いつつもふと不安になる時があります。ひょっとして癌だったりして…と。


でも先日観たテレビ番組で、癌の専門医が言っていたのですが、癌細胞は甘いものを欲しがるから、甘いものがやたらに食べたくなったら要注意と。私は、逆にこれまで甘いものが好きだったのに、高脂血症のためしばらく食べないようにしていたら、もう食べられなくなったので、多分癌は大丈夫でしょう。それに去年からいろいろな検査をやってきて、どこも悪くないと言われているので。


私が尊敬して大好きだった柿谷先生の奥様の寿美江さんが、50歳の誕生日を迎えられた時、「人生の折り返し点」と言って100歳まで生きることを目指していらっしゃったのに、3年前に癌で62歳の地上の生涯を終え、天の神様の元に帰られました(「心洗われます」)。ショックでした。本当にみんなからとても愛されていて、もっともっと長生きしてもらいたかったと惜しまれた方でした。


人の寿命はわからないものです。
私なんか十代の頃は二十歳までは生きられないだろうなんて思っていたのに、いつの間にかもう64歳、というか先輩からしてみればまだ64歳の若造ですが。


妻はいつも自分は90代まで生きるから、老後のあなたの面倒は見てあげる、と嬉しいことを言ってくれていますが、最近思い始めました。
ひょっとしたらひょっとして、私の方がこれからどんどん健康になって妻の老後の世話をするようになるかも、なんて。
こればかりは神様のみ手の中にあることで、誰にもわかりません。


数年前、私は自分の死期が近い予感がして、遺書を書き、自分の身に何かあった時は家族宛ての遺書とブログ用の遺書があるから、ブログ用のを最後のお別れのあいさつとしてアップするようにと次男に伝えたのですが、最近そのことを確認したら息子はもうとっくに忘れていました。
まあ、正人も忘れるぐらいですからまだ当分は死にそうになく大丈夫でしょうが。
なんて言いながらも、自動車や飛行機事故などというのもあるし、こればかりは本当に「神のみぞ知る」です。


おませだった私は幼稚園の頃から死を恐れていたのですが、27歳でイエス・キリストを信じる信仰によってこの死の恐怖からすっかり解放されました(「訓練していたことを実践しただけです」)。ですから、もし万が一、やっぱり癌だった、余命6か月、と言われてもジタバタしませんし、怖くもありません。
むしろ天国に行って、先に行って待ってくれている父や母と、そして上の寿美江さんや「偶然と必然」に書いた24歳でこの世の命を全うしたみずきちゃん、恩師の先生方などに会えるのが楽しみなぐらいです。


もしも私たちに自分の寿命がわかっていたら、生きるのがつまらなくなってしまいますし、その死の日を恐れながら生きなければならならくなります。
だから、寿命は神様のみ手の中にあって、お委ねしておくのが一番なのです。


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祈りの力

2014.07.10日

「昨日は美女とデート」という記事を2か月ほど前に書いたのですが、この時、デート相手のひかりさんから1冊の本をいただきました。
その日以来、この本を毎朝、毎晩声に出して読んでいるのですが、読んでも読んでも読み終わらず、未だに毎日読んで、しかも読むたびに大きな恵みをいただき、さらに祈りに導かれます。
その本とは『朝の祈り 夜の祈り』といい、1か月31日分の朝と夜の祈りのいわばガイドのようなもので、普段私たちが気づかないようなことまで示されます。
何と初版は56年も前に出て、それ以来62版も発行されている人気の書です。
小さな本ながら、毎回読むたびに多くのことを教えられ、同時に心が熱くなり、また満たされます。
毎日、朝と夜の祈りのテーマがとても具体的に書かれていて、自然に祈りに導かれる良書です。
この中から今晩の箇所を皆さんとシェアさせていただきます。(今朝のはちょっと長過ぎるので。他にもシェアしたいものがたくさんありますが、また追ってそのうちに)


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十日 夜
 全能にして、とこしえにたたえられるべき神よ、生きる日のかぎりわたしにともなってくださるあなたの愛を感謝いたします。あなたの真理をもってわたしの心にさとりを与え、あなたの恵みをもってわたしの志を守ってくださったことを感謝いたします。あなたのみ霊がたえずわたしをみちびき、単なる偶然のように思われた小さな出来事の一つ一つが、わたしのたましいを教えみちびこうとされるあなたの恵みふかいご計画てあったことを知って感謝いたします。どうか、あなたのみちびきをこばんだり、あなたのともしてくださった光を消すことなく、日々、あなたの恵みと、我が主イエス・キリストを知る知識のうちに成長することができますように。


 けれども、いまわたしがみ前に祈るとき、ただ自分のことだけを考え、自分のためにいのるのではありません。あなたの助けを必要とするすべての兄弟・姉妹をみ前におぼえます。ことに、この夜、
  大いなるこころみにあう者
  力にあまる大きな仕事に当たる者
  何らかの決意を迫られている者
  負債や貧困に苦しむ者
  すでに悔い改めたあやまちの結果になお苦しむ者
  少年の日にうけた環境のゆえに人生の機会を与えられない者
  死によってたち切られた家庭の交わり
  地の果てにあって天国をのべ伝える宣教師たち
  遠い国々に真理の光を高くかかげている者
  また............および............などを
  み前に覚えます。
人類の父なる主よ、わたしをとおして、あなたのきよい愛とあわれみとを、わたしのそばにいる人々の心と生活とにそそいでください。
                                                    アーメン

(『朝の祈り 夜の祈り』 p.46-47 J・ベイリー著 日本キリスト教団出版局)


昨日も夕方1時間半、約8kmほどウォーキングしてきたのですが、いつも神様と祈りをとおして会話しながら歩きます。
聖書には
「いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである」

(テサロニケ人への第一の手紙5:16-18)
という言葉があります。
ですから、私は朝晩だけでなく、ウォーキングするときにはいつも祈るのです。祈りの中で、喜び、すべてのことについて感謝します。


また、上の本の中にあった
「ただ自分のことだけを考え、自分のためにいのるのではありません。あなたの助けを必要とするすべての兄弟・姉妹をみ前におぼえます」
に従って祈ります。
昨日読んでいいた『新約聖書一日一章』(榎本保郎著 主婦の友社)にちょうど次のような箇所がありました。
「私たちはなかなか他者のために祈るところまでは行かない。他人のために祈るというのは、キリスト教の特色である。家内安全、商売繁盛とは祈るが、あの人がこうであるようにと、とりなしの祈りがなされる宗教は少ない。
(中略)
私たちがひとのためにできる最大のことは祈りではないかと思う。でもそれは、あまり表面に出てくるものではないから、人にありがとうと言ってもらえるものでもない。そういう点で、一生懸命祈ることは、値を求めないで愛していくということである」 (同 p.388-389)


ウォーキングしている時によく祈るのは、自然の美しさを神様に感謝することで、緑の美しい木々や草花、横を流れる小川とせせらぎの音、鳥の鳴き声、近くの山の美しい緑、青い海、波の音、途中出会う鳥や動物や昆虫など、神の創造のみわざを崇めて祈ります。
しかし、このような自然だけを祈るのではありません。
家族や親族や友人、恩師、知人のために祈ります。
昨日は夕方歩いていたら、救急車のサイレンの音が聞こえてきました。このような時、私はその救急車に乗っている怪我人や病人のために、またその救急車を運転し、患者の横について看病している人たちのために祈り、さらに病院に無事着いて、手際よく必要な処置や治療が受けられ、最善がなされるように、と祈ります。
また、歩いていて東海道線の電車が目の前を通ると、乗っている人たちのためにも祈ります。彼らの毎日の働きを祝福し、日本の経済の発展のために用いてくださいますように、と。
小中高校生などと出会うと、彼らの現在の勉強のために、また将来の働きと日本の国への貢献のために祈ります。


行き違う人や車やバイクに乗っている人たちのためにも祈ります。
祈りの種が尽きることはありません。
そして、祈りながら歩くことは私自身の精神上、また霊的にも大きな祝福になって戻ってきます。


冒頭の本をプレゼントしてくださったひかりさんに今日も感謝して一日過ごします。
もちろん、ひかりさんとご両親、ご兄弟方のためにも祈ります。
今日も一日、感謝とともに。


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野のユリ

2014.07.08日

一昨日、昨日は茨城県小美玉市の、いつもマッキーさんと呼んでいる金野正樹先生の教会を訪ね、FBの仲間たちと去年の9月(「初対面同士の再会?」)以来の再会を果たしました。


私たちはこれを、リユニオンと呼んでいます。お仕事や健康上の理由で来れなかった方々もいらっしゃいましたが、金野先生の奥様を入れて8名の、小さいながらも密度の濃い、実に幸いな交わりの時となりました。
これも今の私にとっては、必要かつ元気と力を与えられる最高の「千載一遇のチャンス」となりました。


私の居住している平塚からはかなり遠く、今はあまり体力がないので集会の前日に寄せていただき、集会の翌日、すなわち今日はちょうど中間点になる東京の病院の予約があるので勝手を言って昨夜もう一泊させていただきました。
そのお陰でご夫妻とゆっくりとお交わりしたり、昨夜はお寿司をご馳走になり、何度もご一緒にお祈りすることができて、本当に幸いな時を持つことができました。


昨日の「御国に一緒に行く会」では、午前中はお互いの近況報告や祷告課題をみんなでシェアし合い、お互いのために祈るとても幸いな時を持たせていただきました。


そしてそのあとはお楽しみの「流しそうめん」のお昼。
これは私にとっては初体験。
美味しい天ぷらやその他のおかずも皆さんによって用意されていて、美味しい美味しいと言っているうちに、ついつい食べ過ぎてしまいました。


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お昼が終わると教会の会堂で今回のメインイベントである映画会。
会員みんなの事前の人気投票で「野のユリ」に決まっていました。


元ワーナー・ブラザーズ映画社の製作室長で字幕翻訳を専門としてこられた、FBフレンドの小川政弘さんが映画上映の前に見るべきポイントを簡潔にお話しくださり、さらに上映後には再びこの映画の特徴や教えられることを解説してくださいました。


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昔、この世界で有名だった故淀川長治氏顔負け、というよりはるかに淀川氏をしのぐ小川さんの名解説が私たち参加者全員の心を完全にとらえ、魅了しました。
映画だけだったら、「ふーん、なるほどね」で終わっていたところが、小川さんの解説がつくと映画の価値がそれこそ何百倍にもなり、みんな驚きました。


この映画で主演のシドニー・ポワチエは私の好きな俳優ですが、主演男優賞およびゴールデングローブ賞主演男優賞をダブル受賞するという歴史的快挙を遂げています。


「人間のエゴイズムは他者への感謝で乗り越えられる」という本当に素晴らしい映画です。お時間の許す方はぜひ映画の1シーンですが下の動画をご覧になってください。
お薦め度 No.1のシブいけど、スマートで後味のとても良い映画です。



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日本に帰国

2014.07.07日

独身の時の5年間と結婚してからの2年間で、前後合わせて7年間の滞米生活に区切りをつけて帰国しました。


帰国と同時に岸 義紘先生と柿谷正期先生と共同牧会でお二人の住まいの中間点である二宮町で開拓伝道することになりました。キリスト教会友愛という名前の教会で、鉄工所の2階の事務所を借りてのスタートでした。
日本のキリスト教会を代表するこのお二人とご一緒に教会の働きができること自体がまさに「千載一遇のチャンス」で、神学校卒業したばかりの新人なのに毎週三人交代で礼拝説教ができたのは本当に大きな恵みで、良き訓練の時でした。


(後列左が岸先生、真ん中が柿谷先生、右が私)



住まいが見つかるまでは柿谷先生が運営していらっしゃるハーフウェイハウスというところにしばらくお世話になることになり、柿谷カウンセリングセンターのスタッフとして、カウンセリングや結婚セミナー、カウンセリング講座などのお仕事をご一緒にさせていただきました。


よく「二足のわらじ」と言いますが、私はこの時、カウンセリングセンターの働きと教会の牧師の仕事のほか、ジョンソン(カビキラーの)という会社の広報室で週に3日間働き、広報室主催の英会話教室で小中高校生、一般成人までのクラスを受け持ち、同時に週に一日は中央大学で朝から夕方まで英語音声学や表現研究、一般英語など4クラスを教え、日曜日には他府県の教会の礼拝や特別伝道集会のご用のほか、ときどき翻訳・通訳の仕事もこなし、「七足のわらじ」ぐらいを休む暇なく履き替えていました。


(ジョンソン広報室で)


(中央大学の最終授業)


この後、ジョンソンとキリスト教会友愛と中央大学を辞めて独立して、旭福音キリスト教会と旭イングリッシュ・アカデミーを全くのゼロからのスタートで始めました。



イングリッシュ・アカデミーの方は開校と同時に百数十名の生徒が与えられ順調なスタートでした。
教会もこの時には、信仰を持ち私の手から洗礼を受けていた父(「献身へ」)も開所式に臨んで協力してくれました。父と私はよく兄弟、時には双子と言われるほど似ていたようです。


(教会の開所式で父と)


そして3番目の子どもも与えられ、仕事に家事、育児に忙しくも充実した楽しい日々を送っていました。



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死後の世界はあるのか?

2014.07.05日

昨日の昼間は東京の病院で検査があって、こんな恰好をしていました。


nouha.JPG


検査をしてくださった方と親しくなり、いろんなことを話し、とても楽しく、リラックスして検査を受けることができました。途中で眠ってしまったほどです。


検査が終わって平塚に戻るともう夕方。
昨日の「湘南よいとこ一度はおいで」に書いた平塚の七夕祭りですが、昨日見てきました。
駅からその近辺、もう人でごった返していました。平塚の人口が26万人で、三日間でなんとその6.5倍の人々がここに集結するのですから、すごいです。
天国の「うまい酒」は飲まないし、「きれいなねえちゃん」を見るのも忘れて、飾りつけに目は釘づけになっていました。


tanabata3.JPG  tanabata5.JPG


「天国」と言うと、わりと抵抗はないのですが、「死後の世界」と言うと、なにかうさん臭い話と感じる人が多いことと思います。
日本では、死んだら無になってしまう、と考える人は非常に多いようです。
これは現在の日本の教育が無神論に根差し進化論をもとにして、人間とは偶然の産物だと教えているからです。
昔の人、というか今でもご年配の方々の多くはお墓や自宅の仏壇などで先祖供養をすることが死人を弔うことだと思っています。
しかし、一般の日本人が思っているようにお墓も仏壇も位牌も全部もとは仏教のものではなく、のちに日本で政治的に企てられた檀家制度の一部です。


あの高僧と言われた一休和尚が臨終の床で、
「わしゃ死にとうない、ほんまにほんまに死にとうない」 (「♪好き好き好き好き好き」
と言っているように、死後の世界は悟りを得ていたはずの和尚にとってもやはり恐怖だったのです。
私は一休和尚より早く、幼稚園の頃からすでに死を恐れていました(「訓練していたことを実践しただけです」)。死の問題が解決できたのは、アメリカ留学中の27歳の時、イエス・キリストを信じ、永遠の命をいただけたという確信が与えられてからのことです。


以前にも「あの世は本当にある?」という記事を書いたことがありますが、今や死後の世界が科学的に証明されようとしています。もちろん完全な証明などというものはあり得ないことでしょうが、それぞれの専門分野の人たちが死後の世界を認めつつあるのです。


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試練のただ中での感謝

2014.06.29日

「曲がり角の先には...」の中にも書きましたが、「人生は本当に『曲がり角』が次から次へと現れ、その先に『晴れ間』があるから面白いし、楽しい、そして生きがいがあるのです」。
結婚してからの2度目のアメリカでの留学生活には本当にいろいろな出来事がありました。そして、それはいつでもいいことばかりとは限りませんでした。


長男、直人の誕生の翌日、私はほぼ1日UCLAの大学病院に入院している妻を訪ねていました。
妻の労苦をねぎらい、直人に話しかけたり二人の写真を撮ったりしていました。
直人という名前は、詩篇11:7b 「直ぐな人は、御顔(みかお)を仰ぎ見る」から取りました。


夕方家に戻ると、なぜか玄関のドアが開いています。
普段いつでも裏の勝手口から出入りしていて玄関のドアなど開けることはまずありませんでした。
「なんでドアが開いているんだろう」と思いながら、車で裏まで行き、勝手口に向かいました。
すると、台所の窓ガラスが割れています。首をかしげながら勝手口のドアを開けて中に入ると、いつも鍵をかけているドアも開いているではありませんか。
中に入ると、リビングに置いてあったTVやラジカセ、そして寝室のタンスの引き出しが全部開いていて中が荒らされています。泥棒に入られたのです。
タンスの引き出しに入れてあった妻のネックレスやイヤリング、私のタイピンなどわずかな安物の「貴重品」(笑)が全部盗まれていました。


裏に住んでいる大家さんのNさんのところに行って、泥棒に入られたことを伝え、電話を借りて警察に届けました。
警官がパトカーでやってきたのは電話してから2時間ぐらいたってからでした。
映画に出てきそうな、身長が190cmほどある大柄で、お腹も大きく出た、こんな感じのアフリカ系アメリカ人(黒人)の警官でした。


lapd2.jpg


泥棒なんてもう慣れっこという感じでニコニコしながら家の中に入ってきて、
"Hi! How're ya doin'?" (やあ、調子はどう?)
と言います。
"Oh, not too bad, but not too good, either."
(まあ、そんなに悪くはないけど、良くもないよ)
と答えると、警官はリビングの中に置いてあったさまざまな赤ちゃん用品を見るなり、
「おっ、赤ちゃんが生まれたんだ。男の子、女の子?」
と尋ねます。
私が男の子と答えると、
「名前は何てつけたの?」
「ナオト・デイヴィッド」。
するとこの警官、ポケットから葉巻を出して私に手渡し(これがお祝いの習慣)、
「ナオートウ・デイヴィッド! オメデトウ!」。


一応、盗まれたもののリストを尋ね、私が言うものをノートに書き留めていきます。
「今、ここで盗難報告をして、犯人が捕まったり、品物が戻ってくる可能性はあるんですか?」
と尋ねると、
「いや、まずない。これは形だけのもの」
と笑いながら言います。


アメリカ人の大らかさに圧倒されました。
で、もちろん品物は出てこないままでした。
私はこの時、いつものように、積極思考に頭を切り替えて神様に祈りました。
「神様、感謝します。盗まれたものがほとんど価値のないものばかりで、唯一の高価なものであるカメラは病院に持っていっていたので盗まれずにすみました。ソファやテーブル、ベッド、タンスと中の衣類など、全部持っていかれなくて、生活が続けられますことを感謝します。それに神様、何を取られても直人が与えられたことを本当に感謝します。泥棒に入られましたが、私が泥棒でなくてよかったです。感謝します。
家の中にだれもいなくて危害を加えられることがなかったことを感謝します。盗まれたものはほとんど価値のないものですが、こんなものでもその泥棒さんの役に立つなら感謝します。願わくば、この泥棒さんもいつの日か、神様を信じ、このような行動を悔い改め、もっとまじめな生活を送ることができますように...」


考えてみれば、これらのこともみんな「千載一遇のチャンス」だと思われるようになり、盗まれたものなど全然気にならなくなるぐらい、心が平安になりました。
試練をすら喜びと感謝に変えてくださる神様のみ名を心より崇めました。


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またしても危機到来!

2014.06.28日

私たちは食費も何もかも切り詰めました。
教会の人たちが、ご厚意でお米や野菜、肉などを家によく届けてくださいました。のちに妻から聞いたのですが、2年間にお米を買ったのはたったの1回だけで、それは教会の人に「お米はまだありますか」と聞かれた時、悪いと思って「まだあります」、と答えたときだけだったそうです。


私たちは故Nさんにお世話になったこの家に1年ほど住んでいましたが、ある日トイレで用を足して立ち上がろうとしたら、便器がドーンと大きな音を立てて横に倒れてしまいました。
Nさんに頼んでプラマー(水道屋)に来てもらったところ、倒れた便器を見て大笑い。
そして、もうこの便器は直すまでもない。家自体がもう寿命だと言いました。
確かに雨が降ると雨漏りもしました。
冷蔵庫の中にはアリが入ってきて食品にたかったりしました。
寝ていたベッドの中にもアリが入ってきて額の上を歩きました。
無理もありません。築50数年も経っていた家ですから。
でも、この家を出て通っていたタルボット神学校の近くのアパートに引っ越すのには勇気がいりました。
家賃が75ドルから450ドルに一気に6倍も上がったからです。


ある火曜日の朝、神学校のカルバリーチャペルという建物の中で、いつものように礼拝が行われていました。


main-aboutus.jpg


礼拝が終わると、ひとりの学生が前に出てきて、
「Needy students (困っている学生)のために寄付をしましょう」
と呼びかけました。
そして、献金袋が回ってきました。
私はある意味、生活に困窮していたので、心の中で「自分も needy student なんだけど、きっと自分よりももっと困っている人がいるんだろうな」と思いながら、財布の中から確か5ドル札を出して入れました。
数日後、事務室に呼び出されました。何だろうと思いながら行って名前を告げると、
「学生会からあなたにギフトです」
と言って、封筒をくれました。開けてみると、なんと200ドルほどの小切手が入っていたのです。
「Needy student って自分のことだったの!?」 私は体が震えました。
多分、当時のお金で1000円ほど献金して、40000円ほどいただいたのですから驚いて当然です。
これも例の「千載一遇のチャンス」の一つです。


「千載一遇のチャンス」というのは、千年に一度あるかないかのものすごいチャンスという意味ですが、冒頭に書いた教会の方々のご愛による食料品をいただいて2年間の生活ができたことも、住まいの家賃が75ドルから450ドルに上がったけれども2年目の授業料が奨学金で全額免除になったのも、野外礼拝のドアプライズでカリフォルニアローズ米が1袋当たったのも、長男の出産費用がほとんどかからずに済んだのも、これらすべて一般的な言い方をすれば「千載一遇のチャンス」です。千年に一度のチャンスがこれだけ続くともう何千年生きてきたのか、という感じですが、ただただ神様の憐れみに感謝するばかりです。


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もうだめだぁ〜!

2014.06.27日

ロサンゼルスに着いて9月から学校が始まりました。
とにかく今までこれほど勉強をしたことがない、というほどやってもやっても追いつかないぐらいハードな神学校生活でした。


それに加え、生活も大変でした。
学費も生活費も底をついて留学を断念して帰国しなければならない、というところまで追い詰められました。それまでに何度も学生課に奨学金の申請に行っていたのですが、当時アメリカはものすごい不景気のまっただかなで、留学生に出す奨学金はない、お金がなくなったら帰国しなさい、と言われていました。


ある夜、夢を見ました。それは聖書の記事(ルカの福音書11:5〜9)をまるで映画にしたかのような鮮やかな夢でした。
「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます」
が結論です。
私は翌朝目覚めるとすぐに妻に、興奮しながらこんな夢を見た、今日もう一度奨学金の申請に行って来る、と伝えて家を出ました。
学生課に行くとどうでしょう。いつも冷たい態度で門前払いの担当の人が驚いた顔をして私を見て言いました。
「これは不思議。今日、ちょうど新しい奨学金の枠ができたのですよ。だめもとで申請してみたら」
その日の夜中に夢で神様からメッセージをいただいていた私は、奨学金が下りると確信してその場で申請しました。
数週間後、事務所から連絡がきました。
はたして翌年1年間の全学費が免除となる、しかも返済義務のない奨学金がもらえることになり、夢が現実化しました。
これがアメリカで2番目の「千載一遇のチャンス」でした(千年に一度偶然訪れるくらいの機会という意味)。


このような時、妻のお腹がどんどん大きくなり、翌年の1月の初めが予定日とわかりました。
日本では自然分娩法としてはラマーズ法が有名ですが、アメリカではブラッドレーメソッドが人気があります。私たちは人に紹介していただいて、ブラッドレーメソッドのクラスを取ることにしました。


講師はまだ20代の若い女性で、小さなお子さんがいました。
その方の自宅で行われる12週間にわたるコースは費用が結構高くて驚きました。
私たちは貧乏留学生でしたので、生活にゆとりはまったくありません。
それを悟った講師の方が、無料でいい、と言ってくださいました。
でも12週間も無料でやっていただくというのは、どう考えても虫が良すぎるので、いえ支払いますと言ったところ半額にしてくださいました。


ところが、大きな問題がありました。
かかりつけの産婦人科医はユダヤ人で、1回診察に行くごとに高い診察費がかかり、さらに出産には多額の費用が必要で、私たちはどうしようかととても不安に感じていました。
日本からの留学生で、うちよりも少し予定日が早かった方はかかっていた産婦人科で出産し、その多額の費用の支払いで本当に自己資金が底をつき、学業を中途断念して日本に帰国されました。


で、うちはどうしたかと言うと、教会の方が、かつて私が学んでいたUCLA(カリフォルニア大学)の大学病院には貧しい人たちのための特別なプログラムがあり、ほとんど費用がかからずに出産できると教えてくださいました。
そこでUCLAに1度診察してもらいに行き、次回のアポイントを取りましたが、そのアポイントの日が来る前の予定日より1週間早い12月26日に出産を迎えました。
ぎりぎりセーフで、本当にただ同然で出産することができました。そして、出産に立ち会った私は医師や看護士の通訳をしながら、夫婦の共同作業でブラッドレーメソッドで学んだことをきちんと実践することができました。
アメリカで3番目の「千載一遇のチャンス」です。


アメリカで誕生した長男は自動的にアメリカ国籍となり、現在アメリカ留学中ですが、留学生としてではなく米国市民としてとても安い授業料で大学で学んでいます。
ブラッドレーメソッドの学びも、出産も、現在の息子の大学の授業料も、すべて信じられないくらい安くしていただく巡り合わせとなりました。これらもすべて神様が備えておいてくださった「千載一遇のチャンス」です。
「もうだめだぁ〜!」と思うたびに、ギリギリのところで不思議と道が開かれるのでした。


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アメリカに着いて

2014.06.26日

このようにして私たちは母の召天から1年半後の3月に、「千載一遇のチャンス」となる結婚へと導かれました。これが母が残していってくれた私たちへの最高のプレゼントでした。


wedding.JPG


今から32年前、私にとっては2度目となるアメリカ留学を結婚した妻と一緒にしました。
最初の留学の時も貧乏学生でしたが、このときはさらに貧乏でした。


前回の留学のときお世話になっていた教会の今は亡きNさんのご厚意で75ドルという信じられないほど安い家賃で一軒の家に住まわせていただくことになっていました。
友人の鶴田さんが空港に迎えに来てくださって、教会近くのその家まで送ってくださいました。
この家は、家主のNさんが建てられて、ご自分が住まれたあと、何人もの教会の人が住み、さらにその後は日本から来た留学生が数多く住んでいました。
私はその家をよく知っていたのですが、妻は私が言った「古い家」というのをどのようにイメージしていたのかわかりませんが、家に着いてリビングのソファに腰掛けたとき、そのあまりの古さに驚いて言葉を失っていました。
天井には数箇所雨漏りのしみがあり、家具は昔私自身が使っていたものでしたが薄汚れていて、ベッドのマットレスはしみだらけ、バスルームには西部劇に出てくるような脚のついたバスタブが床の上に置いてありました。


次の日曜日はヴェニスビーチというところで、教会の野外礼拝がもたれました。
この教会は私が信仰を持ったところで、日本語を話す人たちの日語部と英語を話す人たちの集まる英語部があり、その合同礼拝でした。
ビーチでの礼拝なので、みんなラフな格好をして集まっていました。
参加者一人ひとりにドアプライズという数字を記したカードが配られました。
そして礼拝では、鈴木牧師が「まず神の国と神の義をもとめなさい。そうすれば、これらのものはすべて添えて与えられるであろう」という聖書の箇所(マタイの福音書6:33)からとても力強いメッセージをしてくださいました。
礼拝のあと、ビーチで食事がありました。ものすごいご馳走でした。


beachworship.JPG beachpicnic.JPG


みんな満腹して、最後にドアプライズの抽選会が始まりました。
日本のマンガとか、インスタントラーメンなどさまざまな食品や、生活グッズなどが賞品でした。
1等賞はカリフォルニアローズ米1袋でした。
みんなこの1等賞の賞品を狙っていました。


roserice2.jpg


7等賞から順に進んでいきました。
みんな息をのんでいました。
妻が、「1等賞のお米はだれに当たるのかしら」と内緒声で言いました。
私は妻の耳元でそっとささやきました。
「神様はよくご存じだから一番必要としているところに当ててくださるよ」
しかし、私はこのときすでに例の第六感で、私たちに当たる光景を心の目でありありと見ていました。
果たして、そのとおり私たちに1等賞の米が当たりました。これがアメリカに着いて最初の「千載一遇のチャンス」でした。
「まず神の国と神の義をもとめなさい。そうすれば、これらのものはすべて添えて与えられるであろう」というメッセージを聴いて、私が頭の中で描いていた映像があまりにもリアルに現実化したので、私は恐ろしくなって鳥肌が立ったのを、まるで昨日のことのようにはっきりと覚えています。


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母が残してくれた最高のプレゼント

2014.06.25日

一昨日の続きです。
さて、母が残していってくれた素晴らしいプレゼントとは・・・


数日前、「運命の出会い」の中に、
そして、まさにここでそれこそ「千載一遇のチャンス」となる出会いがあったのです。
ここは大きな教会だったので、神学生は男性・女性それぞれ3名ずつが遣わされたのですが、その中の一人が将来の私の妻となる人だったのです。

と書きましたが、この神戸中央教会での妻との一緒の奉仕はわずか3か月あまりだけでした。
私が休学して翌年4月に復学した時には、すでに妻は神学校を卒業し、伝道師として遠くの教会に派遣されていたので入れ違いになっていたのです。


普通だったらこれでもう終わりなのですが、母が天国に帰った時にこんな出来事がありました。
妻と同じ教団から献身して神学校に来ていた先輩のIさんという人が奉仕で母教会に戻った際、妻に出会い、そこで私の母が召天したことを伝えました。
それを聞いた妻が私に慰めと励ましの手紙を送ってきてくれたのです。
神学校の私のメールボックスに差出人名のない1通の手紙を見た瞬間、なぜか直感的にこれはきっと"あの姉妹"からだと思い、封を開けると私の第六感は当たっていました。
ごく普通の内容の慰めの手紙で、私もごく普通の感謝の返事を書きました。
私の返事に対してまた彼女から返事があり、というふうにして自然と文通が始まりました。しかし、なんとなくこれはただ事ではないという、またしても第六感が私の心に語りかけていました。


私は子どもの頃からどういうわけか、この「第六感」というのがとても発達していて、小さい頃から自分が思い描いたことがそのとおりに実現する、ということが数えきれないほどあったのです。
そうすると数か月後に彼女から来た手紙の末尾に次の聖書の言葉が書いてありました。
「あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」
(マタイによる福音書28:20)
そこで、私が彼女に宛てた返事には最後に次のみ言葉をもって締めくくりました。
そこでイエスは答えて言われた、「女よ、あなたの信仰は見あげたものである。あなたの願いどおりになるように」。
(マタイによる福音書15:28)


canan.jpg


このようにして私たちは母の召天から1年半後の3月に、「千載一遇のチャンス」となる結婚へと導かれました。これが母が残していってくれた私たちへの最高のプレゼントでした。
私は関西聖書神学校を自主退学し、アメリカのタルボット神学校の残りの2年間の学びを続けるために二人でアメリカに渡ったのでした。


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アメリカから日本へ

2014.06.23日

「そして、まさにここでそれこそ「千載一遇のチャンス」となる出会いがあったのです。
ここは大きな教会だったので、神学生は男性・女性それぞれ3名ずつが遣わされたのですが、その中の一人が将来の私の妻となる人だったのです。
校長も学監も、だれも想像だにしなかった出会いでした。ご存じだったというか、ご計画してくださったのはじつに神様ご自身でした。
続きはまた明日」
と書いて、翌日、翌々日と続きを書くことができませんでした。私の誕生日が入ったからです。
それで、今日はその続きをここに記したいと思います。


アメリカのタルボット神学校で1年間の学びを終えた段階で、日本の神学校で訓練を受けたいと思い、休学届を出して帰国してきました。
正直なところ、タルボット神学校での学びは大学院修士課程のレベルで学問中心だったので、神戸の神学校の神学や聖書の学びはかなり物足りなさを感じました。授業中、教授に質問や意見しても期待しているような答えが戻ってこず、失望することもしばしばでした。
しかし、日々の生活は、毎朝5時半起床、6時から7時までの早天祈祷会に始まり、朝食や昼食は我々神学生が当番制で食材の買い物や調理に当たったりしました。授業中以外は建物内外の掃除や、古い資料のコピーや製本、建物内外や備品の修理、修繕等など、実習的なものが大半で、あとは教会への水曜日、土曜日の午後からの、日曜日は朝からの奉仕活動や、教会学校での指導、ときに祈祷会での証し、メッセージの奉仕などもあり、これらはすべて何にも代えがたい貴重な体験となりました。


(左はタルボット神学校、右は関西聖書神学校)

la_mirada.jpg KBC.jpg


関西聖書神学校での学びを夏休み前の1学期間終えたとき、京都で母の看病をしながら事業をしていた父から助けを求められ、それができないようならもう勘当だと言われ、随分苦しみましたが神様に祈り、神学校の先生方とも相談の上、休学届けを出して京都に戻りました。


ここでは、私が小学校の6年間を過ごし、毎日登下校時に真ん前を通っていた京都聖徒教会で寝泊まりさせていただいて訓練をしていただくことになりました。
毎朝5時半からの早天祈祷会、そして朝食が終わると父の会社に出かけ夕方まで仕事を手伝い、仕事が終わると母の待つアパートに戻り、母の看病や話し相手になったり、夕食の準備をしたりしました。
「それからイエスは、いっしょに下って行かれ、ナザレに帰って、両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた」 (ルカによる福音書2:51)
というイエスさまのお姿に習って私も両親に仕えました。、
夕食後の後片づけが終わると9時ごろに教会に戻る、という生活が翌年の4月の復学の時まで続きました。
でも、この期間は本当に素晴らしく祝福された時となり、父の仕事を手伝うことによって父が負っていた大きな借金を後に全額返済することができる基盤づくりができ、母とは信仰の話をしたり、共に祈ったりし、母は心身そして魂ともにかなり強められ毎週の日曜日の教会の礼拝に出られるまでに快復しました。


しかし、復学した年の7月頃からは、「神のみもと、天国に行ける日が近づいてきた。今はその日がただ待ち遠しい」と言い始めました。生涯、勤労の人であった母は、健康を害して手から仕事を奪われてからは、残された唯一の仕事、「祈り」に自分を捧げるようになっていました。
こうしてその年の9月に母は心不全で平安のうちに天国に凱旋しました。
次のような美しい詩をたくさん書き残して。


「まくらもとに 立たれし御神のみことばが
   今も耳に残りて 苦しみもぬけ去りぬ
まくらもとに 立たれし御神のみ恵みに
   甘えすがりて 悩みも悲しみも忘れ去りぬ
まくらもとに 立たれし御神の力強き
   御腕の中で 我安らかな眠りに入りぬ」
「もしキリストの愛がなかったら 痛い苦しみ
   今ごろは さまよう羊となっていたでしょう」


ところが、母はさらに素晴らしいプレゼントを残して天に帰ったのでした。
それは...
続きはまた明日。


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弱き者よ汝の名は…

2014.06.22日
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「弱き者よ汝の名は女なり」というのは、シェイクスピアの作品「ハムレット」中でハムレットが言った言葉です。
「母が、夫の死後間もなく夫の弟と結婚してしまったことを嘆いてハムレットが言った言葉」(大辞林 第三版)。


一昔前まで、この「弱き者よ汝の名は女なり」は当たり前のように一般社会に受け入れられていました。
しかし、今回の東京都議会でのまことに恥ずかしいヤジの問題、女性蔑視も甚だしい。
しかも、こんな恥ずべきことを言っておきながら逃げ隠れして、自らを明かさない、これこそまさに「弱き者よ汝の名はお前なり」と言いたくなるほどです。


私は昨日、64回目の誕生日を迎えました。朝、起きた時点で100人あまりの方々からFB上で「誕生日おめでとう」メッセージが届いていて驚いたのですが、これが一日中続き、一部はまだ今朝も届いているほどです。
FBのタイムラインのほかメッセージで、また個人的にメールで、またアメリカからの国際電話でもお祝いや励ましの言葉をいただき、感謝に堪えません。


数えてはいませんが、おそらく全部で300近く届いたのではないかと思います。
一日にこんなにたくさんの方々から誕生祝いのメッセージをいただいたのは生まれて初めてのことで、皆さんお一人おひとりのご愛に、もうただただ胸が震え、背筋を正される思いをし、
「弱き者よ汝の名は我なり」
と自分に言っているほどです。


でも、よく考えてみたら、女性男性にかかわらず、人間たるもの老若男女問わず弱い存在です。
つい先日もテレビで癌をテーマにした番組をやっていましたが、とても楽天的で明るいカップルでさえ、癌を宣告されたところ、ティッシュが山になるほど二人で毎日、一日中泣いていた、と言っていました。


「弱き者よ汝の名は我ら人間なり」です。
このことを知り、認めることはとても大切で、ある意味、人生はここからスタートすると言っても過言ではないとさえ思います。
自らの弱さをありのまま受け入れた上で、天よりの助け、慰め、励ましを乞う。
これこそが人間たるもののあるべき謙虚な姿だと思います。
このことは積極思考と決して相矛盾するものではありません。アインシュタインなど立派な人ほど謙遜なのです。


大勢の方から励ましや祈りの言葉を贈っていただき、さらに拙いブログに感謝や応援の言葉もたくさんいただき、とても恐縮しました。
この新しい一年を皆さんのお祈り、期待にお応えすべく健康管理に留意し、ちょっとオーバーな言い方をすれば、今の私にとって使命ともなっているブログに力を入れていきたいと思いますので、引き続き応援のほどよろしくお願いいたします。
心からの感謝とともに。


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運命の出会い

2014.06.20日

「千載一遇のチャンス」シリーズ その6、昨日の続きです。


受洗した翌年の夏、日本伝道チームの一員として日系2世・3世に交じって私一人だけが日本人として日本に送られました。
クリスチャンになって初めての帰国で、今までとは違った視点から祖国日本を見直すことができました。
豊かな物質文明のただ中で、かつての自分がそうであったように、人生の目的を見失い、目先の快楽や贅沢ばかり追い求めている日本の青少年を見ている時、聖書のみ言葉が私に迫ってきました。
そして弟子たちに言われた、「収穫は多いが、働き人が少ない。だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい」
(マタイの福音書9:37-38)


そしてこのミッションツアーで10日間ずっと同行してくださり、いろいろとお世話くださったのが東京聖書学院の神学生や先生方だったのです。そこで、彼らに必ずここに戻ってくると約束して、ロサンゼルスに戻り母教会の牧師に相談したところ、「ダメだ」と言われたのですから、相当なショックでした。
でも、牧師は別の神学校を私に薦めてくれました。神戸にある関西聖書神学校というところで、この牧師のお父さまがその教団委員長や、また同神学校の教授も務めていらっしゃったことがあり、母教会の1歳上の姉妹がその前年にやはりこの神学校に行き、とても感銘を受けたとおっしゃっていたことによりました。


というような次第で、神戸の神学校に行くことになりました。両親は京都に住んでいたので、近くてしょっちゅう母の見舞いにも行くことができるという利点もありました。
このようにしてこの神学校に入学した時、私はすでに29歳になっていました。
この年入学した男子神学生は10名で、例年のしきたりに従って全員が神戸の下町の歓楽街にある湊川伝道館というところに奉仕に遣わされることになっていたのですが、どういうわけか私一人だけが別の教会に遣わされることになりました。
その教会とは神戸中央教会といって、私がロサンゼルスの母教会の特伝で信仰を持つきっかけとなった大衆伝道者の本田弘慈先生が開拓・伝道し始められた教会でした。
当時の校長先生と学監の先生が私のことをいろいろと配慮して、この教会に派遣することを決められたようです。


そして、まさにここでそれこそ「千載一遇のチャンス」となる出会いがあったのです。
ここは大きな教会だったので、神学生は男性・女性それぞれ3名ずつが遣わされたのですが、その中の一人が将来の私の妻となる人だったのです。
校長も学監も、だれも想像だにしなかった出会いでした。ご存じだったというか、ご計画してくださったのはじつに神様ご自身でした。
続きはまた明日。


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最重要人物

2014.06.19日

「千載一遇のチャンス」シリーズ その5、昨日の続きです。


昨日は私がどのようにして「献身へ」導かれたかを書きました。「献身」とは文字どおり神様に身も心も献げて神様のお仕事をすることで、具体的には牧師や宣教師になることを指します。
両親の期待に背き、反対を押し切って神学校に行くことは容易いことではありませんでした。かなりの葛藤や苦しみがありました。でも、やがて必ずわかってもらえる時が来ると信じて歩を進めました。
私にとって MIP (Most Important Person) 「最重要人物」はイエス・キリストになったのです。


ちょうどこの頃、とても親しくお付き合いしていた友人(今では一番の親友)とは、それまで毎晩のように徹夜で宗教論やキリスト教批判などをしていたのですが、その私が突然クリスチャンになり、話すことが180度変わってしまったので彼は面喰いました。
この人はバリバリの理系で進化論を固く信じていたので、神様など入り込む余地もありませんでした。
そこで私は、自分でも進化論をもう一度勉強しなおし、進化論に対して神が宇宙を始め一切のものを創造されたという創造論を勉強し始めました。
今度は、彼と毎晩のように進化論と創造論、無神論と有神論などを語り合うようになりました。
そのへんのいきさつを書いたのが「VIP」という記事で、彼こと鶴田健次さんもやがて進化論を捨て、創造論が真理であると結論し、神を信じるようになりクリスチャンとなりました。
私にとって MIP はイエス・キリストですが、VIP (Very Important Person) 「重要人物」はこのようにして鶴田さんとなったわけです。


当時、鶴田さんは貧乏留学生(失礼!)でしたが、神様を信じるようになってからやっていらっしゃった貿易のお仕事がものすごく祝福され、こんどは大金持ちになられました。
ところが、彼も神様からの迫りを受け、大きな利益を上げていた会社も、所有していたいくつかのアパートなどの建物も、住んでいた大豪邸もすべて主に捧げて献身し、奥さんとお二人でラスベガスに行って教会を始められることになります。(詳しくは上の「VIP」の記事の中に。さらに、一昨年、この「ラスベガス日本人キリスト教会」を訪ねた時の記事も併せてご覧ください)


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この写真に写っている日本人の青年が鶴田さんで、もう一人のアメリカ人の青年は私たちの共通の友人、ハロルド・ネットランドさん。3人でよく神様について、聖書について夜を徹して話したものです。
ハロルドさんは日本で育った宣教師の子どもだったのですが、その後トリニティ神学校の教授となられました。(写真を見比べると「使用前」「使用後」がよくわかります)


私は受洗した翌年の夏、北米ホーリネス教団から日本伝道チームの一員として日本に派遣されました。
この時、大変お世話になったのが東京の東村山にある東京聖書学院でした。
当時、母は心臓病を患っており、かなり悪化していたので少しでも母のそばにいてあげたいと思い、通っていたタルボット神学校に休学届を出して、この学校に行こうと思いました。


ロサンゼルスに戻った時、そのことを教会の牧師先生にご相談したところ、ひと言で反対されてしまいました。
私は「えっ、なぜ?」と、納得がいきませんでした。
ところがここにまた不思議な神様のご計画があり、ここでも「千載一遇のチャンス」が待っていたのです。
この続きはまた明日。


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献身へ

2014.06.18日

「千載一遇のチャンス」シリーズ その4、昨日の続きです。


献身と自分の欲との間で悩み、葛藤していた時与えられたみ言葉は、
「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている」
(ローマ人への手紙8:28)
で、万事を相働かせて最善に導いてくださる神様にすべてを委ねようと心を決めました。
すると、
「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」
(マタイの福音書4:19)
のお言葉が私の心に迫り、ついに献身を決意するに至りました。


受洗して5か月後のクリスマス、ロサンゼルスの合同教会で市民クリスマス会が開かれ、そこで聖歌隊の一員としてハレルヤコーラスを賛美していた私を見つけたひとりの牧師が、終わった途端、私のところに駆け寄ってきて泣きながら抱きかかえてくださいました。同じ日本語学校で教えていた同僚のA先生でした。(このA先生とは一昨年、訪米した時「奇跡に次ぐ奇跡、・・・に次ぐ奇跡」で再会することができました)
「舟田先生のためにずっと祈ってきましたよ」
「A先生、私献身を決意しました」
「それじゃ、私の卒業したタルボット神学校へ行くことをぜひともお奨めします」
ということで、タルボットの面接に行きました。
信仰歴半年で神学校へ来る学生は初めてだ、と言って驚いた面接担当者は、私にいくつかの質問をし、証しを聞いて入学を許可してくれました。
面接の2週間後に学校が始まりました。


両親に神学校へ行くことになったと伝えたところ、事後通告は許せない、母はショックのあまり病床に臥してしまったと父が言ってきました。
私はとても苦しかったですが、
「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」
(使徒行伝16:31)
の約束を確信していました。


授業の始まる当日、テキストとともに初めての英語の聖書を購入しました。
聖書の知識がほとんどないまま入学したため、最初の3か月ぐらいは授業がまったくわからないような状態で無我夢中でした。
毎回の授業の宿題や予習、復習、毎週のテストやリーディングアサインメント(何冊もの本を読んでおく宿題)、レポート、クラス発表などがハンパな量でなく、アメリカに留学して以来一番大変な勉強となりました。
そしてここでの勉強の大変さは卒業するまで続きました。


さて、11歳年の離れた妹は、私の救われた日から半年後に、母は1年半後に、父は7年半かかりましたが救いにあずかりみんな受洗して、上の神様のお約束は果たされました。
しかも、父の洗礼はなんと私の手から、という神様からの最高のプレゼントつきでした。
この時の様子を書いたのが「夢はかなう! その2」で、これが本邦初公開のその洗礼式の写真です。


titisenrei.JPG


この項、明日に続きます。


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千載一遇のチャンス その2

2014.06.15日

昨日の記事、「千載一遇のチャンス」の続きです。


飛び込みで訪れた家から出てこられたのは日系2世の少しご年配の方で、日本語はまったく話せませんでした。
私が日本からの留学生であるのを知ると、早速いくつかの製品を買ってくださいました。
とても明るくて感じのいい方で、ここから2ブロック離れたところにある日系人のキリスト教会に行っているが、そこの日語部の牧師はあなたと同じ京都の出身の方で、年もそれほど変わらないからそこへ一度行ってみなさい。皆さん、喜んで協力してくださいますよ、と言ってくださいました。


でも、私は敷居が高く感じて教会には行きませんでした。
この方からお電話があり2度目の注文をいただき訪ねましたところ、もう教会には行ったかと尋ねられ、私はまだ行っていなかったことをお詫びして、早速教会に足を運びました。


案の定、皆さんとても協力的でたくさん製品を買ってくださいました。
そして、牧師先生が今度の日曜日の朝、教会にいらっしゃいと誘ってくださいました。
それからしばらく毎週、教会の礼拝に出席しましたが、正直なところ牧師の話すメッセージはあまりわからず、しょっちゅう居眠りをしていました。


でも、牧師先生とは親しくなり、行くたびに牧師室にある本をお借りして読みました。
その中に、三浦綾子の『塩狩峠』や榎本保郎の『ちいろば』などがありました。


私は毎週礼拝後、牧師に聖書の中の難問をぶっつけていました。
このような時、日本のビリー・グラハムと呼ばれる日本の大衆伝道者、本田弘慈先生がこの教会に特別伝道集会に来られるからぜひいらっしゃいと誘われました。
私は当時、ビリー・グラハムや本田弘慈の名前はおろか、特別伝道集会が何かもまったく知りませんでした。
でも、何か惹かれるものを感じて、これに出席することにしました。


hondakoji.jpg billy-graham-620x465.jpg


そして、数週間後その日がやってきました。
続きは次回に。


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黄金律とは

2014.06.12日

「友達の友達は友達」に書きましたように、去る4月の14日、高校時代のミニ同窓会に参加するために京都に行ってきました。
その前日は、お隣の滋賀県に寄り、何人かの方々との「素晴らしい出会い」がありました。
その夜は、親しいFBフレンドの方のお世話になってホテルに泊まり、翌朝京都に出発する前、その方がホテルに訪ねてきてくださって短いひと時でしたが、素晴らしいお交わりの時を持たせていただきました。


お別れする時にその方からプレゼントしていただいた一冊の本、『バイブルに見るビジネスの黄金律』(マナブックス)は示唆に富む本当に素晴らしいものでした。
「一線で働くクリスチャン・ビジネスパースン20人の証言」が副題ですが、この中には例えば、近江兄弟社や資生堂、MKグループ、白洋舎、カネボウ薬品、ムラサキスポーツなど、普段の生活の中でよく見かける有名な会社などがたくさん入っています。(シリーズ2も出ています)


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聖書の黄金律とは、
「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい」
(マタイの福音書7:12)
というイエス・キリストのおっしゃった有名なお言葉で、これを経営方針のモットーとしておられる会社のトップの方々がインタビューに答える形式になっています。


その中の一つ、人材派遣会社、株式会社フジスタッフの経営理念は、
「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」という聖書の黄金律。社員は毎日の朝礼でこの聖書の言葉を斉唱し一日の業務を始める。毎月一回の幹部会は牧師のメッセージから始まり、聖書の話を通して人間関係や生き方の学びをしている。
「人を扱う会社が、人を大切にする理念がなければ失敗します。効率とお金儲けに走ることよりも人を大切に育て、お互いの追求するものを共有していくことが大切です。だから、聖書のことばから一日を始めます。そうすれば神様が祝福されないはずがありません」
(上掲書 p.97)
「聖書のことばをシンプルに受け入れ従うこと。それしかありません」
(同 p.102)


この本をくださった方も、この黄金律に従って会社を経営していらっしゃり、お仕事はとても祝福されています。


私たちのアカデミー学院の仕事もまさに「人を扱う会社」。
相手は幼稚園児から小中高校生、そしてその生徒たちを送ってきてくださっているご父母、ご家族の方々、そして毎日生徒に接して教育に携わる講師の先生方。
妻と私は毎朝、これらの人たちのためにお祈りをもって一日を始めます。
一人ひとり、そしてそのご家族の祝福を祈ります。
時に、ウォーキングしながら、生徒や卒塾生の家の前を通るとやはり祈ります。というか祈らずにはいられません。
ときには、「近くの小中学校」を回りながら祈ることもあります。


私たちは年賀状などに、「ご多幸をお祈り申し上げます」などとよく書きますが、いざ自分が本当に祈られていると思うと、誰でも嬉しくなるのではないでしょうか。


私たちもこの聖書の黄金律をモットーにこれまでアカデミー学院を運営してきて、数え切れないほどのたくさんの祝福を神様からいただいてきました。
この黄金律はビジネスのみならず、人の人生そのものに、そして人間関係などすべてのものに適応されるまさに最高の黄金律です。
さらに、この祝福は神様を信じる者には誰にでも惜しげなく与えられるものです。


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祈りの交換

2014.05.20日

数日前、「昨日は美女とデート!」の中に書いたデート相手(なんて書いたらきっと迷惑に思われることでしょうが)のひかりさんとデートしていた時、一緒にお祈りする時間を持ちました。
それと同時に、自分たちがとても大切にしていて、ある意味自分の信仰の基盤としている祈りがあり、それをお互いに交換しあいました。


そして、私はひかりさんがシェアしてくださったこの「病者の祈り」が自らの祈りになりました。


病者の祈り


大事を成そうとして力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと弱さを授かった


より偉大なことができるように健康を求めたのに
よりよきことができるようにと病弱を与えられた


幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった


世の人々の賞賛を得ようとして権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと弱さを授かった


人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに
あらゆるものを喜べるようにと生命を授かった


求めたものは一つとして与えられなかったが願いはすべて聞き届けられた
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた
私はあらゆる人々の中で最も豊かに祝福されたのだ


これは、ニューヨーク・リハビリテーション研究所の壁に書かれている患者の詩だそうです。
実に私たちの人生の真理を描いた詩だと思います。
普通、人は「力」「健康」「富」「権力」「あらゆるもの」を求めるものですが、これらを求めた祈りは一見聞かれなかったように思われるほどすべては逆の結果になった。
しかし、人生振り返ると神様は求めたものはひとつとして与えられなかったが、祈りはすべて聞かれていた。そしてあらゆる人々の中で最も豊かに祝福されていた、と病者の方が書いていらっしゃる真実な祈りです。


作家の故三浦綾子さんも、その生涯はほとんどずっと大きな病気の連続でした。しかし、ご自分のことを「自分は本当に神様にえこひいきされている」とおっしゃっているほど、病気でも神様のご愛をいつもとても身近に感じていらっしゃいました。(「損か得か 価値観の大転換」
私も今、同じ気持ちです。


さて、私がひかりさんにシェアした祈りはこれです。


平和を求める祈り


わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
闇に光を、
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。
慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することをわたしが求めますように。
わたしたちは与えるから受け、
ゆるすからゆるされ、
自分自身を捨てることによって、永遠の命に生きるからです。

「平和」


これは毎週、私たちの教会の礼拝の中でみんなで祈っている聖フランシスコの「平和を求める祈り」と呼ばれるものです。


fransisco.JPG


この「平和を求める祈り」は、祈るたびに胸が熱くなり、背筋が正される思いがします。
私たちはとかく、「憎しみ」「いさかい」「分裂」「疑惑」「誤り」「絶望」「闇」「悲しみ」などに陥りやすく、「慰められること」「理解されること」「愛されること」「受けること」「ゆるされること」を求めやすいものです。
しかし、むしろ人を慰め、理解し、愛し、与え、ゆるすことを日常の生活の中で私たちが実践していくならば、自分の生活だけでなく、周囲が変わり、そしてさらにその輪を国際間にも広げていくなら、世界は平和になることでしょう。
綺麗ごとのように思われるかもしれませんが、これ以外に身の回りで、あるいは世界で真の平和を達成する方法はありません。


お互いのために祈るだけでなく、このように自らの祈りを互いに交換しあい、それを自分の祈りとできるというのはなんて幸いなことなんだろうと心から感謝した次第です。


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昨日は美女とデート!

2014.05.16日

昨日は美女とデート。
午後1時に平塚駅で待ち合わせ、平塚駅南口から海岸に向かう途中にある美味しいパスタ店でお昼を一緒にいただき、話題が尽きず2時間おしゃべりしました。
そして海岸まで歩き、波打ち際を散歩。感激した彼女ははしゃぎながら駆けて行き、靴を履いたまま海水の中へ。


hikari1.JPG


10日前には彼女のお母さんと同じ場所でデートしたばかり。
お母さんと一緒に撮ったのが左の写真。同じところで写真を撮ろうと思って今日も彼女をその場所にお連れしたところなんと十字架がなくなっている。残念!左の写真の十字架についている紙には「違法建造物」と書かれていて撤去命令が出ていたのです。
そこで海をバックに彼女と一緒に「ピース」して記念写真を撮りました。ちょうど親子ぐらい年が離れているのですが、まるでナイスカップルのよう?
(写真をクリックすると拡大されます)


motomi.JPG hikari.JPG


実はこの母娘、今年の1月に「最高の一日」の中でご紹介したFBフレンドの田中さんです。
この時、伊豆の別荘にご招待いただき本当に文字通り「最高の一日」を過ごさせていただいたのですが、その後もこの別荘をご厚意で使わせていただいたりして大変お世話になっています。
ご長男の晴也くんがこの年末年始に、ロサンゼルスを訪れ直人と親しいお交わりを持たせていただいたのがきっかけで、ご家族みなさんととても親しくなりました。そして、上のお写真のご長女のひかりさんも先月末に1週間ロサンゼルスを訪問し、やはり直人とお交わりさせていただいたのです。


今日はこの後、先日お母さんとご一緒に腰かけてお話したりお祈りした同じベンチのところで、ひかりさんとお話ししたのですが、あっという間の3時間でした。ロサンゼルスのお話しに始まり、これまでの信仰の軌跡について、また私自身のこれまでの人生のお話など話題は尽きませんでした。
驚いたのは、お母さんもそうでしたが、ひかりさんも私の過去のブログ記事をよく読んでくださっていて、いろいろな出来事や経験をとてもよく覚えていてくださったことで感激しました。
でも話の主人公は初めから終わりまでずっと神様で、ひかりさんの口から、「舟田先生がいつもおっしゃっている『ひも』ですね」という言葉に、私もそれを改めて強く感じました。
そしてふたりで神様に心から感謝して、一緒にお祈りの時を持ちました。
駅でお見送りしたときにはお会いしてから6時間が経っていました。


家に戻ったのは夜の8時近く。
今日歩いた時間は3時間、距離は16kmでした。
私が今年の目標としている心身魂脳の健康にとてもいい一日となりました。
感謝!


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素晴らしい出会い

2014.04.13日

昨日は滋賀県に寄せていただきました。
滋賀には親しくさせていただいているFBフレンドの方を始め、ロサンゼルスで授洗してくださった牧師先生(現在は近江兄弟社学園学園長)もいらっしゃり、また妹も住んでいるので、本当はみんなにお会いしたかったのですが、残念ながら皆さんお留守だったりご都合が悪かったりでお会いできませんでした。
しかし、神様は期待を上回る素晴らしい出会いをちゃんとご用意してくださっていました。


去年の8月に「京都はとても暑く、私も熱かった!」の中に記した、私の信仰の原点とも言える『ちいろば』著者、故榎本保郎先生の奥様である榎本和子先生に約1年ぶりにお会いすることができました。


和子先生は相変わらず88歳というお年が信じられないほど、というか私も負けるほどのすごい記憶力で、遠くなったとおっしゃる耳も私とほとんど変わらず、保郎先生の話に始まり会話はよどむことなくどんどん広がり、心底驚かされました。


榎本保郎先生は私が心から尊敬している先生で、著書の『ちいろば』と『ちいろば余滴』は何度も繰り返し読み、その都度感激の涙を流しました。また今も、毎朝妻と一緒に『新訳聖書一日一章』や『旧約聖書一日一章』を読み、その都度深く教えられ、心を探られ、それを妻とシェアし合い、それから二人でお祈りしています。


さらに素晴らしかったのは、『ちいろば』の本の中で赤ちゃんから子ども時代のことが書かれていたお嬢様のるつ子さんともお会いでき、ご一緒にお話しできたことでした。
私と同い年ということでとても親しみを感じ、共通の友人も多くて、連絡先をお伝えしたりしました。


さらにさらに大きなおまけ付き。
すぐ近くにお住まいのご長男の恵(めぐみ)先生宅にもご訪問させていただいたのです。
恵先生とも共通の知人・友人がとても多くて話がものすごく盛り上がり、初対面とはまったく感じませんでした。
今年の夏にはアシュラムでロサンゼルスの方にいらっしゃるとのことで、行き先をお尋ねしたら、なんと長男の直人がいる教会という、まさにびっくりの連続。


また、恵先生宅は、往年の建築家として有名なヴォーリズ氏の設計により90年も昔に建てられたという由緒ある建物で、今でもとてもモダンな素敵な洋館でした。そこで、おいとまする時恵先生ご夫妻もご一緒に綺麗なお庭で記念写真をパチリ。



昨日はこのようにまったく予期していなかった最高の出会いがいくつも与えられ、皆さんとのお話を心ゆくまで楽しませていただき、私の信仰も燃やされました。


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◯◯◯が◯んだ、小指が痛い...

2014.04.11日

あなたがかんだ 小指が痛い
きのうの夜の 小指が痛い
そっとくちびる 押しあてて
あなたのことを しのんでみるの
私をどうぞ ひとりにしてね
きのうの夜の 小指が痛い


これは、伊東ゆかりの1967年の大ヒット曲「小指の想い出」の1番の歌詞です。
私とほぼ同世代の人だったら、ほとんどみんな無意識のうちに口ずさんだ経験があるのではないかと思うほど、当時はみんながこの歌を歌っていました。
意味も知らずに私も歌っていましたが、なんで「あなたがかんだ 小指が痛い きのうの夜の 小指が痛い」のだろう、とネットで調べてみたら結構ヤバイ内容のようです。それを国民みんなが知ってか知らずか歌っていたのす。


実は、私も今、小指が痛いんです。
でもそれは、当前のことながら「あなたが昨日の夜、噛んだ」からではありません。
今日のブログタイトルの
「◯◯◯が◯んだ、小指が痛い」
の◯に入る言葉は、
「わたしが転んだ」なのです。恥ずかしながら...
ついでに、その続きの部分はこのようになります。
「ひと月前の、小指が痛い」


ちょうど1か月前の今日、「心身の健康をあなたにも」という記事の中に、山梨県南都留郡(山中湖近く)にある美徳杜(びとくもり)に来ています、と書いてその中にテニスをしている写真を載せました。実はこの時、テニスコートの周りはすっかり雪に覆われていて、コートに降りる階段も雪が積もっており、しかもそれが凍っていたのです。手すりに捕まりながらゆっくり気をつけて一歩一歩降りていたのですが、底が丸い「健康になる靴」MBTを履いていたため、滑って大きく転んでしまいました。
その時、体を支えようとして右手を階段についた時、どうやら打ち所が悪かったようで、右手の小指をひどく痛めてしまいました。
でも痛みを我慢してテニスを続けました。撮ってもらった写真を見ると、ちょっと格好が悪いのは右手の小指が痛かったせいです(と、長年やっていなかったのを怪我をした小指のせいにする私です)。


tennis.JPG


夜になると小指が赤く大きくはれ上がり、美徳杜のスタッフの方に湿布をしていただきました。
数日、痛みは激しかったのですが徐々に引いていき、家に帰る頃にはかなり良くなっていたので、もう大丈夫と思っていたら、なんの1か月たった今もまだ痛いのです。
私のホームドクター(娘)によると、たとえ骨折していても固定しておけば自然とつながるものだ、ということで整形外科にも行かずにいたのですが、なかなか痛みが消えません。
食事するときに箸を持つのさえ不自由なぐらいです。
怪我をしてもう1か月もたつのに、生活のさまざまな場面で不便を感じています。


聖書に次のような言葉があります。
目は手にむかって、「おまえはいらない」とは言えず、また頭は足にむかって、「おまえはいらない」とも言えない。
そうではなく、むしろ、からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり...

(コリント人への手紙第1 12:21-22)


たった1本の、それも小さな小指。普段、小指のことなどまず考えもしない、まさに「からだのうちで他よりも弱く見える肢体(体の一部)」です。
しかし、この1本の小指が痛むと、身体全体が痛みを共有する。気分まで滅入ってしまうのです。
人間の体というものはこのようにできているのです。


そして、それは身体だけに限らず、家族や学校、会社や、どんな集合体も同様で、小さな目立たない人でもみんな絶対に必要不可欠な存在です。だれかが痛みを覚えると、みんなが痛みます。
こんな共生の家族や社会を、そして世界を、私たちは日常の生活の一場面一場面で目指していきたいものです。


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いろはにほへと

2014.04.05日

色は匂へど 散りぬるを
我が世誰そ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず


日本人なら誰でも知っているのではないかと思われるほど有名な、そして実に見事に日本文化を表した歌です。


昨日は、いつものコースを散歩しながら、真っ青な空を背景に満開ながら早くもヒラヒラと花びらが風で散り始め、足元が桜の花びら絨毯になりつつある光景を目の当たりにし、ふと上の「いろはにほへと」が心に浮かんでしきました。


cherry5.JPG  cherry6.JPG


これはもともと仏教的な思想で、平安時代末期に流行したもの。
『涅槃経(ねはんきょう)』の
「諸行無常 是正滅法 生滅滅己 寂滅為楽」を表すと言われています。
すなわち、今日流の言葉に変えると次のようになります。


「香りよく色美しく咲き誇っている花も、やがては散ってしまう。
(諸行無常)
この世に生きる私たちとて、いつまでも生き続けられるものではない。
(是生滅法)
この無常の、有為転変の迷いの奥山を今乗り越えて
(生滅滅己)
悟りの世界に至れば、もはや儚(はかな)い夢を見ることなく、現象の仮相の世界に酔いしれることもない安らかな心境である。
(寂滅為楽)」

(「にほんごであそぶふぁんさいと」より)


一昨日の「プロの船乗り」の中にも書きましたが、FBフレンドのお孫さんさんが、わずか1歳3か月という短い生涯を終えて天国に召されました。ご両親をはじめ、ご家族の方々の気持ちを思うと心締めつけられる思いがします。


昨日、結心(ゆう)くんの告別式がありました。
それに参列した別のFBフレンドの方からのご報告を受け、葬儀のお写真を拝見させていただき、悲しい、辛い思いをすると同時に、天国での再会が約束されているクリスチャンの告別式のなんと幸いなものであるかを再認識させていただき、私もその場にご一緒させていただいたかのような錯覚を覚えました。


これは、上の「いろはにほへと」の無常、希望のない世界とはまるっきり正反対のものではないか、と大きな慰めと励まし、平安と希望が与えられ、きっとご家族の方々皆さんも同じ気持ちでいらっしゃることだろうと思いました。
ちょうど私の母と父の、そして敬愛していた友人の柿谷寿美江さんの告別式がそうであったように(「天国よいとこ一度はおいで」)。


昨日は昼に2時間ほど用事を兼ねてウォーキングしましたが、暗くなってから再び結心くんの追悼の気持ちを込めてもう1時間ほどいつものコースを歩きつつ、ご遺族の皆様のために、そしてこれまでの苦しみから解放されて今や天のお父さまのみ懐で安らいでいらっしゃる結心くんに心を馳せてお祈りしました。


途中、私の父の葬儀の時に司式をしてくださった牧師先生の教会の前を通りかかりました。
桜のシルエットの向こうに美しい十字架が輝いていました。


church3.JPG


かの内村鑑三がご自分のお嬢さんを19歳で天国に送られた時に、
「ルツ子さん万歳!」
と、大声でおっしゃったことを思い出し、私も
「結心くんバンザーイ!」
と大声で何度も繰り返しました。
その都度、涙が頬を伝わって落ちてきました。
地上ではお会いすることはありませんでしたが、お名前の通りみんなの心を結んでくれた結心くん。
私もやがて天国で可愛い結心くんにお会いできるのを楽しみにしています。


なお、この記事は個人情報を含んでいますので、結心くんのことをご存じの方は、もしコメントをお書きになる場合、個人を特定できるような姓などはお書きにならないようご協力のほどよろしくお願いいたします。


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芸術と非芸術の差

2014.03.25日

昨日の記事「健康になる靴」の最後のところに、これからウォーキングに出かけます、と書きましたが、2時間少し、距離にして11.5kmほど歩いてきました。
そして、心地よい汗をかいて、思ったとおり気持ちよくなってもどってくることができました。
昨日歩いたコースはいつもの大磯海岸ですが、ここは以前毎年、中学部の生徒たちと一緒に「新入生歓迎BBQ大会」をしていたところです。今はバーべキュー禁止の札が立っています。


海岸の砂浜の上には西湘バイパスが走っていて、その高架の下でいつもバーベキューをしていました。
この高架の橋脚には大磯町が主催したものでしょうか、一般市民による絵がたくさん描かれています。
これまではいつもなんとなく見てはいたのですが、昨日はゆっくり一つひとつを見ながら砂浜の上を歩きました。
おそらく中学生や高校生、大学生、また一般成人の方々が参加して描いたものと思われますが、どれもこれも力作ぞろいで心ゆくまで目を楽しませていただきました。
下の写真のように見渡す限りずっと絵が続いています。


oiso1.JPG


あまりにもたくさんあって、全部を載せられないのは残念ですが、そのうちのごく一部を下にご紹介させていただきます。皆さんもお楽しみください。
(横に2つずつ並べていますが、それぞれの絵をクリックすると拡大表示されます)


oiso2.JPG  oiso3.JPG


oiso4.JPG  oiso5.JPG


oiso6.JPG  oiso7.JPG


oiso8.JPG  oiso9.JPG


大磯の海をテーマにしたこんな素晴らしい作品が延々と続いているのです。もうこれは見事というほかありません。


目を十二分に楽しませていただき、砂浜から上に上がり小路に出るところ、防波堤の裏にこのような落書きが今度はまた延々と続いています。


oiso10.JPG


もうこれには本当にがっかりです。
でも、ここでちょっと考えてみました。


ここを犬を散歩に連れて歩いている人がたくさんいらっしゃいますが、散歩している犬など動物には、もちろん絵が描いてあることなどまったく自覚なんかありません。
ましてや、芸術の絵と落書きの絵の違いなどわかるわけがありません。
しかし、人間であればたとえ子どもでもわかります。
それはなぜでしょう。


よく「心身の健康」などと言います。つまり、「心と身体」です。
この「心」という言葉、「精神」や「魂」という言葉と似ていて、なかなか厳密な区別をするのが難しいものです。
しかし、上の絵と落書きの例を見ると、おそらく世界中の人(人間)は、絵を見て美しいと感じ、落書きを見て不快な思いをするでしょう(一部の落書き愛好家を除いて)。
落書きを芸術の一つとみなすこともできますが、このような公衆の目に触れるところに卑猥な言葉や絵を描いたり、よその家の塀や店舗のシャッターに、夜中に人目につかないようにして落書きしていること自体が反社会的な行動で、人から受け入れられないのではないでしょうか。
つまり、人間には「美しいもの」を愛(め)でて、「醜いもの」を嫌うという「心」が本能的に備わっているのです。
これが聖書のいうところの、
「神はまた言われた。『われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り...』」
で、人間が神にかたどって造られたことの証拠のひとつだと思うのです。


しばらく歩き、金目川沿いの土手の小径を歩き始めると、ちょうど夕日が西の山に沈む時でした。あまりの美しさに心打たれてパチリ。
これはもうまさに神の創造のみわざです。


oiso11.JPG


今朝、気分が悪かったのも、運動しながら上の芸術品と神の創造のみわざに触れていっぺんに吹っ飛んでしまいました。感謝。


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神の存在は証明できるか

2014.01.21日
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今日は夕方、ウォーキングをしている時、facebookを見ていたらFBフレンドのYHさんが、
「私が求めている真実は、神様が本当にいるかということだと思う」(後略)
と書いていらっしゃいました。
これまでにも同じようなことを何度か書いていらっしゃり、メッセージを使ってやり取りをしてきました。
ご本人は、「神様のために生きる生き方ができれば。。。と思っているのですが、迷いが少しあります。ただ、私は子供の頃から、信仰をもっているので、それから離れるのは、まずあり得ないでしょう」とおっしゃっています。
ですから、基本的には信仰はお持ちなのですが、迷いがある、確信が持てない、ということでしょうか。
私は今日は約2時間、10km歩きながら、ずっとそのことを考えました。


実は、YHさんに限らず多くの方が同じ問題にぶつかっていらっしゃいます。
私も27歳で信仰を持つまで同じでした。
高校生の時、近くの教会に行き、牧師先生に尋ねました。
「先生、本当に神様は存在するのですか?」
これに対する牧師の答えはこうでした。
「だって、人間の顔を見るだけでも神の存在は明らかですよ。
まず目が頭の前にあって、その下に鼻があり、口がある。もし、目が頭の後ろにあったら物を食べる時、口に持っていけないないですよ。鼻が口の上にあるから物を食べる時、腐っていないかどうか臭いをかいで確かめて食べることができる。こんなふうに人間を創ることができるのは神様しかありませんよ」
私はこれを聞いて、「なるほど、そうだったのか!」とは思わず、「この牧師、バカじゃないか」と思って、それ以来その教会には足を運びませんでした。


その後、私の人生はすごく順調に進んでいるように思われ、周囲の人々からも羨ましがられていました。
毎日を楽しく、自分の思い通りのことをして過ごし、将来も約束されているように思われていました。
しかし、私の心の中には常に「神様は存在するのだろうか?私は死んだらどうなるのだろうか?」という疑問があり、心に平安はありませんでした。


アメリカの大学院に留学していた26歳の時に教会に通い始め、やはり牧師に同じ質問を投げかけ、真剣に神を求め始めました。
そして27歳の誕生日直前のある日、はっきりと神様の存在、自分の罪の性質、キリストの十字架と罪の赦し、永遠の命の約束を信じることができるようになり、一生をクリスチャンとしてやっていこうという決断をしました。
この時、両親からは猛反対され、父からは勘当だとまで言われ、苦しい思いをしましたが、決断は揺るぎませんでした。


信仰を持つ前から非常に親しくしていた、やはりノンクリスチャンの鶴田さんと、毎日のように宗教批判や神の存在否定などの話を人生論などとあわせてしていましたが、ある日突然私が信仰を持ったので彼は面喰いました。
それからは、私は鶴田さんに毎日のように聖書の話や神の話をするようになりました。
彼も自分で進化論などいろいろ調べていくうちに、無神論の信念が揺るぎ始めました。
その時、彼が言ったのが、パスカルのパンセの話です。


その内容をひと言でいうと、神の存在の証明は人間にはできないということです。
ならば、「存在する」と「存在しない」は両者とも50%の確率です。
哲学者、数学者、物理学者であったパスカルはいろいろと考えた挙句、最後に結論を出しました。
それは、同じ50%の確率なら神の存在に賭けた方が得だ、ということで彼は神の存在を信じたのでした (「パスカルの賭け」に詳しく書いていますので、ご興味のある方はご覧になってください)。


このことが鶴田さんにも大きな影響を与え、彼も信仰を持つ決断を下します。
以来、私たちはいつも神について、聖書についてなどを話すようになり、鶴田さんはのちに大成功を収めていた事業を捨てて、牧師になる決断をし、今はラスベガスでキリスト教会の牧師を務めていらっしゃいます(「ラスベガス日本人キリスト教会」)。


神の存在は人間の知恵では証明できません。
神を信じる信じないはもちろん自由です。しかし、神を信じるか信じないかで人生が180度変わることは事実です。
私も27歳で信仰を持って以来、今日までこのことで後悔したことは一度もありません。
いえ、ひとつだけ後悔していることがあります。
それは、もっと早くに信じていればよかった、という後悔です。


人生はある意味、賭けの連続です。友達選びや学校選び、伴侶選びもそうです。
しかし、信仰を持つか持たないかは、人生において何よりも大きな賭けだと私は思います。


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最高の一日

2014.01.12日

今日は朝の教会の礼拝に始まり、この礼拝に東京からいらっしゃったFBフレンドの田中さん母子に熱海にある別荘にご招待を受け、温泉や海の幸のご馳走、ご家族との親しいお交わりで、最高の一日になりました。


ご長男の晴也(ハルヤ)くんがこの年末年始にロサンゼルスに1週間いらっしゃり、そこでうちの長男の直人にお世話になったので、ということで今回のこの出会いが実現しました。カウンセラーを目指していらっしゃるご長女のひかりさんには、柿谷先生がやっておられるリアリティセラピーをご紹介し、空きが出る5月から学びを始められることも今日、決まりました。


教会を後にして、伊豆に向かう道は連休の観光客で結構混んでいて、ずいぶん時間がかかりましたが、車の中ではずっと楽しい会話が続き、あっと言う間に着いた感じです。


田中さんの別荘すぐ近くにある温泉旅館で、晴也くんとご一緒に温泉に入らせていただきました。
なんと目の前に美しい相模灘が広がる絶景の温泉です。妻がいつか海の見える温泉に行きたいと、ずっと前から言っていましたが、まさにそれをそのまま絵にしたようなところです。ご一緒だった方としばらくお話ししていて、写真を撮っていただきました。


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このあと、田中さんの別荘に連れていただき、そこで夕食までの時間、親しくお話ししてお交わりしました。
FBでつながるまで、全く別の世界で生きてきた私たちでしたが、お話ししていると、いろいろなところで共通の知人や恩師などたくさんの接点があり、背後にある神様のご計画にみんな驚いた次第です。


この後、家からすぐ近くの和食料亭に連れていただき、そこでこれまで食べたこともないような海の幸のご馳走をいただきました。店のご主人がザルに入った生きたイカを持ってきて見せてくださり、しばらくするとそれが形を変えてお皿の上に乗って運ばれてきました。まだ足がピクピクしている超新鮮なものです。この他、さまざまな刺身やサザエの壺焼き、カニの味噌汁など、本当に豪勢なお食事で、ここ数年ずっと食事療法で粗食を食べていた私の胃はきっと驚いたことでしょう。



夕食後はまた別荘に戻り、私のこれまでの人生の証、信仰のお話など、話題は尽きませんでした。最後に、みんなで一人ずつ順番にお祈りし、神様のご栄光を崇めました。


クリスチャンの交わりがかくも素晴らしいものだとは、私にとっては本当に新たな発見のようでとても新鮮に感じ、大感謝の一日でした。まるで、信仰を共にするもう一つの新しい家族ができたような錯覚を覚えるほど、祝福された最高の時を過ごさせていただきました。
神様の恵みに心から感謝するとともに、田中さんご一家のご愛に胸を打たれた一日となりました。


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人生を振り返ると

2014.01.10日

昨夜、BS歴史館というTV番組で、松尾芭蕉を特集していました。
松尾芭蕉と言えば、
「古池や
蛙飛び込む
水の音」。
芭蕉のことをより深く知ることのできるとても興味深い番組でした。


もう一句、
「白波の
打ち寄せ際に
足跡が」


えっ、こんな俳句聞いたことも見たこともないですって?
そりゃそうでしょう。これは、今日私が即席で作ったものです(駄作ですみません)。


一昨日、昨日と雨に降られましたが、傘をさしてウォーキングを続けました。
今日は、曇天でしたがまあ歩き日和かと思い、出かけました。
歩いたコースはこれです。


walking3.jpg


2時間半ほど、いつもと逆コースの高麗山を回るもので、途中からWalkmeterを起動したので、全部で約12kmほどでした。
上の地図で5kmの地点で撮ったのが次の写真で、かの有名な東海道53次の大磯の松並木です。


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右側が上り、白い車が見えている左側車線が下りで、これが昔のままの松並木で、このすぐ先に旧伊藤博文邸の滄浪閣があります。


この後、大磯海岸に出て砂浜を歩きました。とても気持ち良かったです。


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先ほどの
「白波の
打ち寄せ際に
足跡が」
の句が突然生まれたのは、上の地図の7km地点で、砂浜の歩いてきた道を振り返ったときのことです。


walking2.jpg


そしてこれを見て、ふと思い出したのが、次の詩です。


ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、あなたは私に約束されました。
あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、わたしと語り合ってくださると。
それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、ひとりのあしあとしかなかったのです。
いちばんあなたを必要としたときに、あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、わたしにはわかりません」
主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。
わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みの時に。
あしあとがひとつだったとき、わたしはあなたを背負って歩いていた。

「FOOTPRINTS(あしあと)」より)


常に順風満帆の人生ということものは絶対にだれにもありません。
いいこともあれば、辛いこと、悲しいこと、苦しいこともあります。
でも、上の詩は私たちを大きく慰め、励ましてくれます。
そして、これから先に出会う困難にも打ち勝てる力を与えてくれます。


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心の一新

2014.01.05日
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今日は今年初めの教会の聖日礼拝。
牧師のメッセージの箇所は、ローマ人への手紙12:1-2で、「新年の決意」というタイトルでした。


心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。
(ローマ12:2)


メッセージの要約は以下のようです。
「私たちの内側にはこのままではいけない、変わらねばならないという意識がある。
でも、どうせだめだと頭からあきらめていることがよくある。
しかし、聖書は私たちは変えられると教えている。
わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。
(2コリント3:18)


ここで使われている「変えられる」という言葉は英語では transformed で意味は「すっかり変わってしまう」。
これに対して、ローマ12:2で使われている「造り返られる」は conformed で「〜の型に従う、一致する」という意味。


自らをどのようにして変えるのか。
「心を新たにすることによって、造りかえられる」(別訳「心の一新によって」)
「心 」という言葉は日本語特有のもので、私たちは胸を押さえて心はここにある、と言う。
しかし、原文の意味は、「考え方を変える」ということ。


現代日本は高齢化時代。日頃から人を悪く思う習慣を身につけていると歳取っても変わらず、いつまでたっても人を悪く思う。
しかし、考え方の習慣を変えることによって、自分を変えることができる。
また、自分自身についての考え方を変えることも大切。
自分は、教育を受けていないから、失敗したから、などと考えていると、いつまでたってもそこから脱することはできない。
作家、三浦綾子さんは病気の問屋と言われるほど、たくさんの病気を次から次へとした。そこで、NHKは三浦綾子さんの追悼番組を早くから準備して撮影したが77歳でなくなるまで、何度も撮り直ししなければならなかった。
だから、自分自身に対する考え方を変える必要がある。
欠けだらけ、罪だらけでも良い。
Transform(すっかり造り返られる)のである。
心の大掃除をして、恨みつらみを捨てる。心の刷新をする。
「赦し」とは、赦しの感情が伴わなくても赦すことである。しかし、それでは偽善ではないかと人は言う。
私たちは朝、起きる感じがしなくても起きる。これは決して偽善ではない。
行動を起こすと気持ちは後からついくるものである。
人を赦す、否定的な言葉を肯定的に変える。これらは決して偽善ではない。
教師が変われば生徒も変わってくる。
かつて落合監督は、選手に対して、悪いところを治すのではなく、良いところを伸ばすようにしたら中日は変わった。
親子、夫婦関係など人間関係も変わってくる。
感謝するという考え方に変えていくと生活も変わってくる。感謝するようマインドセットをする。
「何でこんなことが起こるのだろう」という考え方は、「神様が敢えて許されたということは、それに意味があるからに違いない」というふうに。
肯定的な考え方を身につけると肯定的に生きられるようになる。
感謝する生き方をしていると感謝できるようになる。
子どもを叱る代わりに自己評価させる。
立正大学で昔教えていた心理学のクラスのひとりの学生は、自分は間違ってこの大学に入り、間違って心理学を専攻したと思っていた。授業中も帽子をかぶったままでサングラスをかけてきていたが、注意しなかった。彼は注意されると思っていたが、注意されず驚き、自分を見直し、自ら帽子とサングラスを取った。
今は、立派なスクールカウンセラーになっている。あのとき、帽子とサングラスを注意されていたら、今日の自分はないと言っている。
心の一新は思考の一新である。
この新しい年、私たちは思考を一新して、新しく造りかえられたいものである」


上のメッセージにより、素晴らしいチャレンジをいただき、私も思考を一新して、新しい人生を歩み始めたいと心から願わされました。


初めてお会いするご一家が礼拝に見えていました。柿谷牧師ご一家との長いお付き合いで、信仰に導かれたとのこと。
礼拝後、お茶の時間に自己紹介してお話を始めると、なんと相手の方は私をご存じ。
「えっ、どこでお会いしましたか?」とお尋ねすると、FBフレンドでメールマガジン登録していて、私のブログを読んでくださっているとのこと。
さらに、お話が進むと、奥様は山梨県の富士山のふもとで食育が学べるペンション「美徳杜」(びとくもり)を経営し、健康増進と疾病予防のプログラムを実践していらっしゃるとのこと。上の富士山の写真は奥様から送っていただいたもので、こんなところだそうです。
私も2泊3日ぐらいでいらっしゃったら、と勧められ、早速伺わせていただくことに。
神様が、素晴らしい出会いを昨日に引き続き今日も与えてくださって心から感謝しました。
これで、今年の私の目標、心身魂脳の健康回復がさらに手の届くところに近づいてきたことを実感しました。


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問題に目を向けずに

2014.01.03日

昨日のブログ「日本民族の大移動」にも書きましたが、東名でUターンラッシュに巻き込まれ、9時間かかって昨夜12時に無事帰宅しました。


疲れましたが、それ以外にも理由があり、今日は朝から体調不良で、ずっと布団の中に入って寝ています。これぞ、本当の「寝正月」です。


そのような中で、これまで何度もこのブログに登場していただいたFBフレンドの小川さんの今日のポスティングに大きな慰めと励ましをいただき、心より感謝しています。




本当に、人生にさまざまな問題は付きもので、平穏無事に何事もなく一生を終えるなんてことはあり得ません。
このような時、問題に目を向けるのではなく、神様に目を向けて祈る、という、とても大切なことをもう一度思い起こさせていただいて、心から感謝しています。


また、昨年暮れの拙記事「横棒〈一〉が生み出す大きな違い」に、「辛い」から「幸い」への脱出の道は、上に横棒の「一」を加えること、すなわち一歩前進することだ、と書きました。
そして、同時に「辛」の字の上に十字架の「十」、すなわち信仰を加えると「幸」になるとも書きましたが、実に上の小川さんのポスティングと同様、信仰こそが人生を幸せに生きる秘訣だと思っています。


私は信仰を持つ27歳までは、どんなことでも自分の力でできるなんて、甘い考え方をしていました。
しかし今、この年まで生きてきて、信仰なしの人生なんて考えられません。
善にして善を行い、すべてを相働かせて最善に導いてくださる、絶対者にして愛なるなる神様を信じずにどうやって生きていけるのだろうと不思議に思うほどです。


ということで、今日は心身ともに不調でしたが、また新たな力を上からいただいて再び元気にしていただき感謝した次第です。


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今日は3時間以上におよぶウォーキング

2013.12.23日

今日は3時間15分に及ぶウォーキングでした。
しかも平塚海岸へ、教会でご一緒している久川 円(まどか)さんとご一緒に。
昨日の礼拝後、愛餐会で健康のためにいつもウォーキングをしているとお話ししたところ、円さんが自分も平塚海岸をウォーキングしているのでご一緒しませんか、prayer walking (祈りのウォーキング)をしましょうとお誘いくださり、今朝早速それが実現したわけです。


家から海岸までは往復で1時間10分、それプラス海岸線の波打ち際や砂浜を2時間ほど一緒に歩き、これまでのお互いの信仰人生について、共通の友人について、そして祈りの課題をシェアし合い、それからお互いのために歩きながら祈りました。


途中でこのような記念写真を撮りました。


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しばらく進むと驚くような光景に出くわしました。これです。


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だれが立てたのか名前も書いてなく、わからないのですが、いきなり砂浜のど真ん中に立っている大きな十字架には度肝を抜かれました。
しかも、裏表両面にしっかりと聖書のメッセージが書かれているのです。
これには感動を覚えました。


3時間あまりのウォーキング、しかも砂浜を2時間も歩いたのはちょっとこたえて、さすがに帰宅するとクタクタになっていて昼食後は昼寝をしなければなりませんでした。
そして、目覚めてからまたエンデの『モモ』の続きを読み始めました。
久川 円さんもエンデの作品やサンテグジュペリの『星の王子さま』など、たくさんの児童文学を読んでいらっしゃって、この点でも話がとても合い、楽しい交わりのひと時でした。
円さん、お誘いくださってありがとうございました。心から感謝します。


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クリスマス

2013.12.22日

今日は日本国内のキリスト教会ではどこでもクリスマス礼拝が持たれたことでしょう。
また明後日、イブ礼拝をやるところやクリスマスコンサートをするところもたくさんあると思いますが、その一つひとつのプログラムが祝福されますようにお祈りします。


今朝は、私たちの通う湘南見附キリスト教会でもクリスマス礼拝でした。


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柿谷牧師のメッセージは、「イエス・キリストがこの世にご誕生くださったのは、私たちを罪から救うため。その罪とはギリシャ語で『ハマルティア』と言い、意味は『的外れ』。
私たちの人生で様々な問題が起きる原因は、この的外れからきている。
的外れの生活を改めるには、イエス・キリストに従順になること。『信じなさい』と言われれば信じる。『やめなさい』と言われたらやめる。そのような従順さが私たちに求められている」というような内容でした。


礼拝後は、愛餐会でみんなで一緒にお食事とデザートにクリスマスケーキをいただきました。
その後、一人ひとり、この1年間の感謝と来年の抱負をお互いにシェアしました。
本当に感謝なひと時でした。


教会をあとにして、私はウォーキングを兼ねて駅の方に買い物に出かけ、約50分、6kmあまり歩いて家に戻りました。
そして、昨夜から読み始めたミヒャエル・エンデ著の『モモ』の続きを読みました。
これも娘から薦められた本の1冊ですが、なかなか面白く、惹きつけられて読みだしたら止まりません。

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読んでいると、アメリカにいる長男と同じ教会に行っているひとりのFBフレンドの方から、「舟田先生 ご子息直人君がソロで歌ってくれたメサイヤです」と連絡が入りました。
早速見てみました。全部で1時間20分に及ぶかなり長い動画ですが、ここにシェアさせていただきます。
もしよろしければ皆さんもご覧になってください。
息子が独唱するシーンは0:13:20辺りから6分間ほどですので、お時間のない方は飛ばしてこの部分だけでもご覧いただければ感謝です。
最後の合唱は見事です。教会でやっているコンサートとは思えないほどとても見ごたえのあるものでした。



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真の友、魂の家族

2013.12.19日




つい先日の「夕闇に輝く十字架」という記事の中に、三浦綾子さんの『生きること 思うこと』を読んでいると書きましたが、昨夜読み終えました。


なんかまるで私の心の中を見透かして書いていらっしゃるんじゃないかと思うほど、三浦綾子さんとは考え方や感じ方で波長が合うのを感じます。


三浦さんは作家デビューされる前、ご自宅で雑貨屋を1年ほど営んでいらっしゃいました。当時の時代背景が随所に見られます。
店先に置いてある赤電話を借りに来た人のことが書いてあったりして、「赤電話」と聞くだけで懐かしさがこみ上げてきます。


この『生きること 思うこと』が出版されたのは1972年のこと。すでにデビューして10年ほど経っていて、その間に次から次へと大ヒット作品を発表していらっしゃいますが、自分はまだまだ新人と、とても謙虚です。


さて、この本を書かれた頃、1970年と言えば私はまだ20歳の大学生です。今から40数年も前のことですが、昨夜読んだところに次のような箇所があり、驚かされました。
「友人とは何か。わたしの場合、お互いに何を祈ってほしいのか、わかっている間柄の人たちだと思っている。お互いの祈りの課題、それは、真の心の底を見せることであり、弱さを見せるこだと思う。この課題をお互いに祈っているならば、ふだん、特に親しく出入りしなくても、遠くに離れていても、わたしは深く交わっていることになると信じている」
(上掲書p.200)


えっ、これって今、最先端のFacebookのことじゃないの⁉︎
Facebookについては、今年に入ってからブログの記事の中でも度々書いてきました。
一例を挙げると、
「感謝!」「毎日の元気の源」「今日のデート その2」「Facebookよ、ありがとう!」「人生、悲喜こもごも」「初対面同士の再会?」「これからだ!」「子育て禁句のあいうえお その6」
等などです。


上に挙げた記事を順に読み返すと、初めのうちはFacebookのありがたさに感謝していたのが、これが次第に発展していって、FBでつながる人たちが増え、さらにこれらの方々と次々とお会いする道が開かれていったことがよくわかります。
さらに、ただ会ったというだけでなく、この中から祈りのグループが生まれ、遠く離れているにもかかわらず、これらのフレンドと毎日FB上でお会いし、お互いに祈り合い、固い絆で結ばれているという事実です。もう他人という気がしないのです。いわば、真の友、魂の家族です。


これはまさに三浦綾子さんが上でおっしゃっていることそのものではありませんか。
三浦さんご自身が40数年前にご体験していらっしゃったことが、今やこのインターネットという時代の落とし子のお陰で、私たちも同じ恩恵にあずかることができるようになったのです。


昨夜、上の本を読み終え、感謝の気持ちにあふれてしばし神様にお祈りしました。
そして、最後になりましたが、FBフレンドの皆さん、ありがとうございます。心から感謝しています。


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キッズクラブ クリスマス

2013.12.17日

アカデミー学院は1989年に平塚に旭イングリッシュ・アカデミーとして誕生しました。
来年はちょうど25周年を迎えます。
最初は幼稚園児から小学生、中学生、高校生、一般成人クラスと、開校と同時にあっという間に百数十名を超える生徒が集まりました。
しかも、最初は私ひとりでやっていたのですが、どうしても手が回らなくなって新しい先生方を数人雇い入れました。
そのうちに、中学生や高校生から学校の勉強を教えて欲しいという希望が寄せられ、英語・数学・国語の学校の教科書をサブで教え始めたのですが、そのうちにこちらのニーズの方がどんどん高まってきて、主要5教科を教え始めると、学習塾として認知されるようになり、それに従って名前も「アカデミー学院」に変更しました。


でも、最初からずっと変わっていないことは、小学生の英語教育にとても力を入れていることで、「英語はアカデミー」との評判をいただいています。
小学部では開校初年度からずっと一度も欠かさずにクリスマス会を催してきました。
毎年、最初はキャンドルラートサービスと英語の賛美歌から始まるかなり本格的なものです。


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初めの頃は、私が英語で語るクリスマスメッセージを妻が日本語に通訳していたのですが、これだと時間が倍かかるので、数年前から日本語で話すことになりました。
また、これまでは私がサンタクロース役を務めてきましたが、私の体調の問題で副学院長を務めている私の次男、正人が今年からはサンタクロースになってくれ、私はカメラマンとして参加します。
下に挙げるのは、去年のクリスマス会のライブ(?)中継です。サンタさんが登場する前に私が生徒たちに語っているクリスマスメッセージのシーンです。


クリスマスというと一番に考えることは何ですか?
そう、クリスマスプレゼント。
みんな誰だってクリスマスプレゼント楽しみだよね。


今年もサンタさんにアカデミーのクリスマス会に来てくれるようお願いしてあります。
今、サンタさんからのメールを待っているところです。


あっ、今メールが入りました。
平塚に着いて、プレゼントの買い物をするためにオリンピックに来ているそうです。
屋上にソリを駐車しようとしたら、混んでいて満車で止められないって。


つい先週のことです。
中学生クラスに学院長が入って行って一人ひとりに
「はい、クリスマスプレゼント」
と言ってあるものをあげました。
何だと思う?
それは月謝袋でした。
ただ、黙って受け取る子もいましたが、中には
「わーい、やったぁーっ!」
と大声を上げて喜んでくれる子もいました。もちろん冗談でしょうが。
一人がこう言いました。
「空っぽじゃなくて何か入っている方がいいな」
学院長は答えました。
「学院長が君たちに空の袋をプレゼントして、君たちはそれに対して中身の入った袋を持って来て学院長にプレゼントしてくれるんだよ」
その子はちょっと考えて
「なるほど。そうかっ!」
とニコニコしながら言いました。


実は、これには深い意味があります。
何か欲しいと思ったら、先に何かを上げて、自分の手の中を空っぽにしなければならないのです。
たとえば、プレゼントを両手にいっぱい抱えていたら、それ以上何も受け取ることができませんよね。


今から約2000年前、イスラエルという小さな国の小さな町の小さな馬小屋で一人の赤ん坊が生まれました。誰でしょう?
そう、イエス・キリストです。
今年は2012年で来年は2013年ですが、これはイエスさまがお生まれになって2013年目という意味です。
2000年以上もたって、なぜ世界中の人々がイエス・キリストの誕生日であるクリスマスをお祝いするのでしょう?
また、なぜ、プレゼントを上げたりもらったりするのでしょう?


イエスさまがお生まれになった時、東の国から3人の博士たちがイエスさまにプレゼントを持ってきたということは君たちも知ってますよね。そのプレゼントが何だったか知っていますか?
黄金と乳香ともつ薬です。
黄金は世界中の王様の中で最高の王様にプレゼントするものです。
乳香は世界で一番高価な香水で、これは神様にプレゼントするもの。
もつ薬というのは、死人をお墓に葬る時に使う防腐剤のようなもので、人に上げるものです。
そうです、イエス・キリストは、王であり、神であり、同時に人でもありました。


今日イエスさまは、私たちから黄金・乳香・もつ薬などの高価なプレゼントは望んでいらっしゃいません。
何を望んでいらっしゃると思いますか?


イエスさまが私たちにくださる最高のプレゼントである永遠の命を受け取るためには、私たちが両手いっぱいに持っているものを全部差し出して空っぽにしなければなりません。ちょうどさっきの月謝袋のように。
イエスさまが一番喜ばれる私たちからのプレゼントは、私たちがイエスさまに「ごめんなさい」と言って、自分のわがままという罪を差し出すことです。
そうしたら、イエスさまは私たちの空っぽになった心の中に入ってきてくださって、永遠に一緒に住んでくださいます。
その時、私たちはわがままな性質から神様を愛し、人を愛して、人に優しくなることができるようになります。
イエスさまはそのためにこの世に来てくださったのです。
そして、そのことをお祝いするのが本当のクリスマスです。


今日のクリスマス、みんなも心の中にイエスさまをお迎えしましょう。


あっ、今またサンタさんからメールが届きました。
ダイソーもクリスマスの買い物客で混んでいてもう少し時間がかかるそうです。
アカデミーに着くまで、ゲームなんかしながら待っていてくださいと言っています。


と、このような感じでしっかりとクリスマスの意味をみんなに教えます。
そしてしばらくすると、早変わりしたサンタさんが登場。
初めての生徒は目を丸くしてビックリ。
でも、もうこれまで毎年クリスマス会を経験してきている生徒はみんな口々に「あっ、学院長だ!」と。
ここではサンタさんは生徒からの質問に英語で答え、わくわく発見クラブとキッズの英語クラス担当の清田先生が通訳をしてくれました。


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今年のクリスマス会は、キッズクラブクラス合同で明日開催されます。
クリスマスメッセージは山下先生が語ってくださることになっています。
生徒たちはみんなとても楽しみにしています。私も楽しみです。


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夕闇に輝く十字架

2013.12.14日

何十年ぶりかで今、三浦綾子さん(1922-1999)の『生きること 思うこと』を読んでいます。
最近、また体調があまり芳しくなく、精神的にもちょっと落ち込んでいたので、自分を励まそうと思って本棚でふと目に留まったこの本を取り出しました。
多分、もう3回目ぐらいだと思うのですが、意外なほどあまり内容は覚えていず、ただ読み進むうちに「そうだ、そうだ!」と相槌を打ったり、「なるほど…」と共感したり、また感動を覚えたりしています。


アメリカ留学中の27歳のときに信仰を持つきっかけとなったもののひとつが、三浦綾子さんの『塩狩峠』です。
読み始めたらもう止まらず、とうとう徹夜して読んでしまいました。
読み終わったときは、目は涙涙涙で、声を上げて男泣きに泣いていました。
私も人生をこのような生き方に賭けてみようという気持ちになりました。
そして、その数ヵ月後、洗礼を受けてクリスチャンになりました。
ですから、三浦綾子さんはいわば私の命の恩人のような方です。


その翌年、28歳のとき、病床にある母を見舞いに帰国した際、ある方に北海道へお招きいただきました。このときの経緯を書いたのが、「愛を与えるとは」です。
そして、ご招待してくださった方に私の希望で、塩狩峠の記念碑が立っている現場にも連れて行っていただき、さらに旭川の三浦綾子さんのご自宅までお訪ねさせていただきました。どうしても、ひと言お礼の言葉をお伝えしたかったのです。
でも、たまたまそのときは病院に行っていらっしゃって残念ながらお会いすることができませんでした。
お手伝いさんが私の名前と住所を尋ねられたので、紙に書いてお渡ししてきました。
すると、その2週間後ぐらいに、三浦綾子さんご本人のサイン入りの英語訳された著書がアメリカに送られてきて心底、驚かされました。


そんなこともあって、三浦さんの本は小説、エッセイ集ともにすべて読み、ものによっては何度も繰り返し読みました。
相性というか波長が合うのです。
今回読み始めた『生きること 思うこと』も、書いてあること一つひとつに「うん、うん」と納得しています。


今日読んだところにこんな箇所がありました。
三浦さんが小学校に入る前、「赤い石を拾うと、母親が死ぬ」という言い伝えを誰かから聞いたそうです。
それ以来、三浦さんは怖くていつも赤い石から逃げていました。
ところが、5歳ぐらいのとき、思い切って赤い石を手に取り、家に走って持って帰りました。
はたしてお母さんは死んでいませんでした。
これを機会に三浦さんは迷信などから完全に解放されました。


ところがある日、宣教師の先生とお会いしたとき、その方のお名前がウェスレー・カルバリーと知ります。
「カルバリーとは、キリストが十字架につけられた丘の名で、されこうべという意味です」と聞いた三浦さん。自分は迷信から解放されていると思っていたけど、もし自分の名前が「されこうべ」だったら、家庭裁判所に申し立てて、姓を変えてほしいと騒ぎ立てるだろう、と。
ところが、カルバリー先生は、「キリスト教会の印は十字架。十字架はもともと死刑台。人を殺す死刑台が今は救いの印となった。これは奇跡ではないか」とおっしゃったそうです。
これを聞いた三浦さんは、「キリストが血潮を流された十字架を、キリスト教のしるしとして掲げたその自由な精神には、死からも自由である確信が、如実に現わされているではないか」と、神への全き信頼と服従こそ、真の自由の根源なのだ、と悟ったとおっしゃっています。


昨日夕方遅くに散歩していて通りかかったところに、長い間建築中だったキリスト教会が完成していて、屋根の上に火を灯した十字架が美しく夕闇の中で輝いていました。
私も子どもの頃はなんとなく不気味に感じ、怖かった十字架ですが、今は感謝と喜びと希望のしるしとなりました。


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ムンクも真っ青「ギャーッ!」

2013.11.15日

競売会社クリスティーズが12日にニューヨークで行った競売で、アイルランド生まれの画家フランシス・ベーコン(1909―92年)の作品「ルシアン・フロイドの三習作」が、美術品の競売で史上最高額となる約1億4240万ドル(約141億6400万円)で落札された。
 これまでの最高額は、昨年5月に約1億1992万ドルで落札されたエドバルド・ムンクの「叫び」だった。

(11月13日付 YOMIURI ONLINE より )


この最新ニュースに私もびっくり、ムンクと一緒に叫んでしまいました。
昨日、FBでご紹介したところ、多くの人の関心を引き大きな反響がありました。
ご覧になっていらっしゃらなかった方々のために、ここにもう一度載せさせていただきます。


これがかの有名なムンクの「叫び」で、おそらくほとんどの人がこれまでに何度かは目にしていらっしゃるのではないかと思います。それぐらい世界的に有名な絵です。



これに対して、今回史上最高値で落札されたというフランシス・ベーコンの「ルシアン・フロイドの三習作」はこちらです。
私も見たのは初めてですが、多分ほとんどの方も初めてではないかと思います。



それにしても、絵の価値はどのようにして決まるのでしょうか?
それは、見る人、あるいは買う人の価値観です。
私にはムンクの方が馴染みがあるので、値打ちがあるように思われるのですが、落札した人にとってはベーコンの方がはるかに価値があるのでしょう。


私たちの人生も同じで、自分では価値がないと思っていても、神様からご覧になると、私たちには無限の価値があるのです。
ですから、私たちは自分の命を、人生を粗末にしてはならず、大切にしなければなりません。
そのことがわかったら、毎日の生き方が必ず変わってきます。


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羊頭狗肉

2013.11.05日




(11月5日付 中日新聞より)


缶詰のラベルに〈牛肉風うま煮〉。中身は馬肉である。実在の品か、笑い話か、実否のほどは不明という。世相語の採集で知られた国語学者の見坊(けんぼう) 豪紀(ひでとし)さんが『〈’60年代〉ことばのくずかご』(筑摩書房)に書き留めている。
◆まあ、嘘(うそ)は言っていない。当節が当節だから、嘘だけはつかない心掛けに誠実味を感じてしまうところが悲しい。あちこちの有名ホテルで、レストランのメニューから“偽装”も同然の「誤表示」が明るみに出ている。
◆「小ぶりのエビは、すべて〈芝海老〉と表記していいと思っていた」という記者会見での言い訳には笑ってしまった。
◆ひょっとすると、霜降りの牛肉はすべて「松阪牛」と表示していいと思っているのかも知れない。俗に〈一文儲(いちもんもう)けの百失い〉という。たかだかナンボかの後ろ暗い儲けと引き換えに、信用の暖簾(のれん)に泥を塗ってどうする。
◆西洋のジョークより。「ボーイ君、これは仔牛(こうし)の肉かね? それとも、普通の牛肉かね?」「区別がおつきになりませんか?」「うん、つかないなあ」「それなら、どっちだっていいじゃありませんか」。それを言っちゃあ、おしまいよ。

(11月11日付 読売新聞「よみうり寸評」より )


確か中学の時、国語の時間に「羊頭狗肉(ようとうくにく)」の四字熟語を学びました。
ネットの四字熟語辞典には次のようにあります。
「狗肉」とは、犬の肉のこと。
羊の頭を看板に掲げながら、実際には犬の肉を売ってごまかすことから。
『無門関・六則』に「羊頭を懸けて狗肉を売る」とあるのに基づく。
また、『晏子春秋』には「猶牛首を門に懸けて馬肉を売るがごとし」とある。
【出典】 『無門関』
【注意】 「羊頭苦肉」と書くのは誤り。



「車海老といいながら実際はブラックタイガーだった」など、次から次へと発覚する今回の一流ホテル、レストランの偽装表示事件、ルーツはここにあったのですね。
上にご丁寧にも、【注意】 「羊頭苦肉」と書くのは誤り。とありますが、ホテルやレストランのお詫びの記者会見で語られる「小ぶりのエビは、すべて〈芝海老〉と表記していいと思っていた」とか「誤表示」だったという、これぞまさしく「苦肉」の弁明。


確かに上の西洋のジョークじゃありませんが、仔牛の肉か牛肉かなんてプロでもない限りわかりませんよ。「それなら、どっちだっていいじゃありませんか」というわけにはいきません。


企業の場合、こういったことがどこからか漏れて明るみに出ると、お詫びの記者会見とか、取締役辞任とかでまあ何とか片を付けるわけですが、このたびの秘密保全法ではそうはいきません。
「羊頭狗肉」以上に、非常に危険な臭いがプンプンします。
冒頭の小泉元首相のような「外野党」が必要になってきました。


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昨日の大きな収穫

2013.11.03日

「実るほどに頭を垂れる稲穂かな」という記事をずいぶん前に書きましたが、昨日は散歩してしてまさにこの文字通りの光景をたくさん目にしました。



このことわざは本来、人の謙遜さをうたったものですが、その由来である実物も当たり前のことですが、その通り「実って頭(こうべ)を垂れて」刈り入れを今か今かと待っているようでした。


隣同士の田んぼで、すでに刈り入れが終わっているところもあれば、刈り入れを待っているところ、さらにはまだ色づいていない成長の遅い稲もあり、素人考えながら不思議に思いました。
植えられた苗の問題なのか、その時期なのか、それとも土地の質(栄養状態)の問題なのか私にはまったくわかりません。



昨日も体育館のジムに行きました。
そのすぐそばの田んぼで、刈り入れが終わったところにご夫婦で藁を蒔いていらっしゃる方があり、立ち止まってお声をかけました。



「それは田んぼの養生のためにしていらっしゃるんですか?」
「ああ、そうじゃよ。これから寒くなるから、土地を冷やさないようにな」
「お宅の田んぼは早くに刈り入れが終わっているのですが、向かいの田んぼは十分に色づいているのになぜ刈り入れをしないんですか?」
「わしらは歳取ってもう暇だからいつでもできるけど、この辺の田んぼをやってる人で農業専業の人はほとんどなくて、みんなサラリーマン兼業なんじゃよ。それで、稲刈りをするにも手がないもんだから、土曜とか日曜にやったりするからなかなかできんのじゃ」
「へえ〜、サラリーマン兼業なんですか」
「そう、今どき農業だけでは食っていけんから、みんな働いとる。うちなんかも、これで自分とこの分だけで、売るところまでいかんよ」
「そうなんですか。大変ですね。最近は自動稲刈り機をよく見ますが」
「もう今はみんなあれを使っとる。手で刈り入れやっとるとこなんかほとんどない。けど、あの機械安いもんでも100万ぐらい、高いもんやと1000万もするよ」



(後ろに見えるのが体育館)

「へえ〜、そんなに高いんですか。あと、この近くの田んぼを見てたら、まだ青いまんまの稲もあったんですが、あれはどうしてですか?」
「あれは肥料のやり過ぎじゃよ」
「肥料はやり過ぎてもだめなんですね」
「あと、いつ田植えしたかとか、日当たりとか、土地とか、いろいろあるなぁ」
「台風で稲が倒れているところもたくさんありましたが、あれでも刈り入れはできるのですか?」
「ああ、あれは手でやりよるよ」
「普通、刈り入れって9月から10月じゃないんですか?もう11月ですけど」
「台風があったのと、刈り入れの手がないのと、まあちょっとでも遅らして実を大きくしようと思っとるんじゃろ」
「なるほど、よくわかりました。ありがとうございました。頑張ってくださいね」


このご夫婦と話していて思いました。
人間も同じだなぁと。
成長の早い人もいれば、遅い人もいる。
田んぼにおいて日差しなど、見たところ同じ条件のように思われるところで育っても異なる結果が生まれる。
それこそ同じ親からでも、全然違う兄弟姉妹が生まれてくる。
栄養を与え過ぎてもだめ。
同じ田んぼで取られた米でさえ、みんな同じ味ではない。美味しいのもあればそうでないのもある。
私たちにはその理由はわからない。
しかし、現実にみんな違う。


でも、それで当たり前なんだ。
人も顔も違えば、身体の大きさや性格も、能力もみんな違う。
だからこそ、みんなが必要で、誰ひとりこの世に不必要な人なんかいない。
神様はよくご存じだ。


でも、それでは人に迷惑をかけたり、暴力を振るったり、さらには人のものを盗んだり、騙したり、殺したりする人がいるのはなぜ?
そうか、これが聖書の言うところの「罪」で、今、大きな問題になっているホテルやレストランなどの産地偽装、表示偽装なども全部納得がいく。
逆に言うと、人間の罪の問題を解決せずに、この地上において、みんなが住みやすい、安心できる社会、あるいは国、世界などできるわけがないのだ。


というわけで、昨日は農家の方から多くのことを教えていただきました。これが私の昨日の大きな収穫でした。


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今日は久しぶりの休日

2013.10.25日




ここしばらく、毎日ちょっと頑張り過ぎたようで、今日は朝起きた時から体中が痛く、重くてダウンです。


一昨日「心を鍛える」に書いたトレーニングジムの運動、そんなにたくさんやったわけではないのですが、やはり筋肉痛です。ほぼ毎日ウォーキングしていて下半身はそこそこ鍛えられていて平気なのですが、普段鍛えていない上半身、とくに上腕や胸の筋肉などがかなり痛んでいます。
翌日に出なくて一日置いて痛みが出てくるのは歳を取ったせいだとよく言われます。
でも昨日「これからだ!」と書いたばかりなので、弱気にならず、今日は久しぶりの心身の休息の日とすることにしました。


上の「心を鍛える」にも書きましたが、一般には「身体と心」を鍛えると言います。ここではさらに、技術が加えられ、「心・体・技」となっていましたが、これはよくスポーツの世界で言われることです。
私自身はこれまでにもこのブログでよく「心身魂」と、魂を加えて語ってきました。
人はただ単に心と身体で成り立っているのではないからです。ましてやたとえ「技術」を加えても、これで人間は完璧ではありません。


毎日のニュースを賑わす数々の強盗、殺人、詐欺などの重犯罪に始まり、人々の日々の生活の中に見られる嘘偽り、高慢、差別、いじめ、憎しみ、裁き等など、これらはたとえ「心・体・技」が揃っている人々でも日常に見られるものです。
これらの問題の原因をたどっていくと、それは魂に行き着きます。この病んだ魂の問題は、教育や修練、訓練などでも解決できません。


聖書では、これらの問題の根源を人間の心の中に潜む「罪」と呼んでいます。
この罪の問題の解決なしに、いくら綺麗ごとを語っても、人が生きていく上でのさまざまな困難から完全に解放されるということはあり得ません。


私たちはただ単に、いかにしてお金を稼ぎ、この人生を生きるか、ということを考えるだけでは決して幸せになることはできません。
そのことは、他でもないあなたの魂自身が一番よく知っています。
ですからみんな、たとえどんなに豊かで健康な人生を送っていても、何かが足りないと感じ、その何かを求めているのです(「天国よいとこ一度はおいで」)。
多くの人がそれを愛に求めようとしますが、人間は完璧ではない故に、この愛にもしばしば失望し、落胆してしまいます。


ここで神様の出番となるわけです。
この世に数え切れないほどの宗教が世界中に存在するということ自体がそのことを物語っています。
ですから、私はいつも「心身の健康」ではなく、「心身魂の健康」と言うわけです。
魂の問題を抜きにして、人間の諸問題の根本的な解決はないと私は思っています。
ですから、古今東西、哲学者たちはこのことを語ってきているのです。
これは、学校での道徳教育などで解決できるような簡単な問題ではありません。


皆さんもぜひ、この問題に真剣に取り組んでみてください。求める人は必ずその答えを見出します。


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常時喜悦

2013.10.12日

昨日は一日体調が優れず、「元気の出るブログ」があまり元気なくて申し訳ありませんでした。
今日、もう一度昨日のブログ「ホントにすご〜い!」の動画を観て、本当に元気をいただきました。
「すご〜い!
こんなことが可能なんだ。
明確な目標と希望と努力で」
なんて書きましたが、私自身はたとえ世の中がひっくり返っても、決して真似できるようなことではありません。
でも、神様が私たち一人ひとりに与えてくださった賜物(ギフト・才能)と、それを活用させていただく決意と覚悟があるならば、本当に不可能はないと思います。


昨夜はぐっすり眠れて、今朝は昨日よりも元気だったので、塾の掃除に行きました。
いつもは掃除に専念するのですが、今日は祈りに専念しながら掃除することにしました。
すると、一番に心に浮かんだ言葉は

常時喜悦、不断祈祷、万事感謝

(いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。
I テサロニケ5:16-18)
でした。


そして、「常時喜悦」が心に浮かぶたびに意識的に笑顔になって掃除しました。
次に「不断祈祷」でずっと祈り続けました。神様を除いて聞いている人などだれもいないので、遠慮なく声に出して祈りました。
「万事感謝」は本当にすごいです。
現代語訳では「すべてのこと」とか「どんなこと」などとなっているのですが、文語訳の「万事」はすごいですね。「万事」はもちろん「すべてのこと」なのですが、文字通りには10,000です。
数え上げれば切りがない、とよく言いますが、果たして10,000も感謝することがあるのだろうか、と思いました。
ところがいざ祈り始めると、自分の誕生前の両親の出会いのことから、誕生、幼少の頃、小学校に始まり34歳で最終校を卒業するまでの長かった学生時代、そしてその後の結婚、育児、仕事などなど考えると、感謝できることは10,000でも足りないぐらいだと気づきました。
そして、それら一つひとつに思いを馳せながら「感謝します。感謝します」と言っていたら、もう感動で胸がいっぱいになって涙があふれてきました。(これもだれも見ていなかったので平気でした)


「点と点がつながって線になる」という記事を前に書きましたが、これはいわば私の人生哲学のようなものです。
その時、その時の出来事や人との出会い、学び、仕事など一つひとつは「点」なのですが、実はそれらの数え切れないほどの「点」の集合体が「線」になってつながっているのです。
私たちはこの「線」が見えないために、人生においてしばしば戸惑い、苦しみ、悩んだりしますが、いったんこの「線」が見え始めると、三浦綾子さんじゃありませんが、病気すらも神様にえこひいきされている、と言えるほどになります。そして、私も現在の体調不良すら感謝することができました。


今日は日中は31度もあって真夏のような暑さでしたが、日が落ちると24度ぐらいに下がり、ずいぶん涼しくなったのでまたウォーキングに出かけました。
満月ならぬ半月が夜空にくっきりと浮かび上がっていました。


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昨日と同じく今日も海風に吹かれながら気持ちよく2時間、10キロ歩くことができました。
しかも、今日はiPhoneで賛美を聴きながら、またお祈りしつつ歩いたのですが、感謝することが次から次へと浮かんできました。そして、「常時喜悦」を思い出すたびに自然と笑顔になりました。
いつもなら歩いていて何度か気持ち悪くなるのですが、今日は2時間気持ち悪くなる暇もありませんでした。
ああ、これが健康の秘訣か!
感謝!


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生きる目的

2013.10.10日

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昨日読んでいた本の中に面白い文があったので、下に引用します。


世界中のいろいろな職業についている人々に、「あなたがたはキリストをどう思うか」と尋ねてみよ。
私たちは、次のようにいろいろな救い主の属性を知って驚くことであろう。彼は、
芸術家にとっては──ことごとく麗しいかた
建築技師にとっては──すみの石(礎石)
天文学者にとっては──義の太陽
パン屋にとっては──いのちのパン
医者にとっては──偉大な医者
教育家にとっては──偉大な教師
農夫にとっては──種まき人、収穫の主
新聞記者にとっては──大きな喜びの知らせ
しもべにとっては──よい主人
学生にとっては──受肉した真理
神学者にとっては──信仰の導き手、またその完成者
家造りにとっては──確かな土台
大工にとっては──門
説教者にとっては──神のみことば
銀行家にとっては──隠れた宝
生物学者にとっては──いのち
労働者にとっては──安息を与えてくださる方
罪人にとっては──罪を取り除く神の子羊
であられる。

(『山頂をめざして』 p.470 L・B・カウマン著 いのちのことば社)


これらはいずれも、聖書の中に出てくるイエス・キリストのいろいろなお姿です。
考えればまだまだほかにもたくさん見つけられることと思いますが、見事に表現されていると思いました。


イエス・キリストというと、一般にはキリスト教の創始者、たとえば仏教で言えばお釈迦様、イスラム教でのムハンマドなどのような捉えられ方がされていますが、クリスチャンにとっては決してキリスト教という宗教の教祖ではありません。
私たちが辛い時、悲しい時にはともにいて慰め励ましてくださる慰め主であり、道に迷っている時には進むべき正しい道を示し、かつ導いてくださるお方であり、真理を求め、人生の目的を探している時にはそれを教えてくださる師であり、嬉しい時、喜んでいる時にはともに喜んでくださる友です。
ですから、冒頭に挙げたように世界中のありとあらゆる人種・民族・文化・身分・職業などを超えて、私たちの求めることに応えてくださることがおできになるのです。
単なる宗教家であったなら、こんなことは不可能です。


私はかつて若い頃、人生の意味や目的がわからず、ただ自分の将来のために一生懸命勉強していました。友達と一緒に遊び、旅行し、語り合い、恋をし、音楽を聴き、芸術品を鑑賞し、酒を飲み、いろいろなことをして楽しもうとしましたが、心の中はいつもなにか虚しく、ぽっかりと穴が開いたような感じでした。
いくら楽しんでいても、これらはすべて一時的なものであり、やがてすべての終わりである死がやってくる、と幼稚園の頃から死を意識していたのです。


この答えをいただいたのが27歳の誕生日を迎える直前のある日の出来事でした。
「天国よいとこ一度はおいで」の中にも書きましたように、この日にすべての問題が解決し、生きる目的や意味もわかるようになり、人生が180度変わったのです。


あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に
(伝道者の書12:1)


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ユーレカ!

2013.09.29日

ギリシア人の植民都市であったシラクサの僭主ヒエロン2世が金細工師に金を渡し、純金の王冠を作らせた。ところが、金細工師は金に混ぜ物をし、王から預かった金の一部を盗んだ、という噂が広まった。
そこで、ヒエロンはアルキメデスに、王冠を壊さずに混ぜ物がしてあるかどうか調べるように命じた。アルキメデスは困り果てたが、ある日、風呂に入ったところ、水が湯船からあふれるのを見て、その瞬間、アルキメデスの原理のヒントを発見したと言われる。
このとき、浴場から飛び出たアルキメデスは「ユレーカ」(分かったぞ)と叫びながら裸で走っていったという。


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アルキメデスは、金細工師に渡したのと同じ重量の金塊を用意し、これと王冠を天秤棒に吊るしてバランスを取り、水を張った容器に入れた。空気中では天秤棒は、てこの原理によりバランスが保たれている。てこの原理は水中でも変わらないので、金塊と王冠を水中に沈めても、天秤棒のバランスは保たれるはずである。しかし、水中でのバランスが崩れたために、王冠と金塊の比重が違うということが判明し、金細工師の不正が明らかになった。これがアルキメデスの発見した浮力の原理である。金細工師の名は知られていないが、その後死刑になったと伝えられる。
(以上、ウィキペディア「アルキメデスの原理」より一部抜粋)


先月20日にサプライズのプレゼントをいただいたことを記事に書きました(「サプライズの日」)。
この時、マドレーヌさんからいただいた音楽CDはその後、寝る前や散歩の時に何度も聴いて、そのたびにとても癒され感謝しています。
そして贈っていただいた本は、その頃まだ読んでいる途中の本があったのと、また北海道旅行に行くのに kindle で他の本を持って行って読んだりしていたので、なかなか読み始めることができませんでした。
しかし、つい1週間ほど前、「ホッとひと息」に書いたように、ようやく3週間かかって読み終えました。


それ以来、ずっと楽しみにとってあったこの本を読んでいます。


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これは、それまで読んでいた "Master of the Game" のような、いわゆるセキュラー(世俗的)な本と異なり、非常に霊的に深く、高尚な本で、読むたびに霊のまなこが開かれる思いをしています。
この中に、冒頭のアルキメデスの逸話が登場します。
この難しい問題を解いた時、アルキメデスは大声で "Eureka!"(ユーレカ!) と叫んだ。それは英語で "I have found it!" (見つけたぞ!)という意味だ、とあります。
1840年代、カリフォルニア州サッターズミルで金が発見された時、やはり「ユーレカ!」と叫ばれ、そのことを聞いた数多くのアメリカ人を始め、外国からも人々がここに押し寄せました。これがいわゆる「ゴールドラッシュ」です。


この本の著者はイエス・キリストに出会った時、思わず「ユーレカ!」と叫んだそうです。
金とは比べ物にならない素晴らしい出会い。この瞬間に著者プリシラ・デグナン・フリッツさんの人生は180度変わったと言います。
フリッツさんは成功を目指して哲学や歴史、宗教などを学び、一生懸命働いていました。
真理を探し求めていましたが、愛の神がいらっしゃるならなぜこの世は憎しみや戦争や、虐待、混乱などに満ちあふれているのか、あまりにも不合理だと考えていました。
ところがある日、自分が数多くの小さな偽りの太陽に満ちた暗闇の中を歩んでいることに気づいたそうです。
それまでは、人生というのは限られた短い期間、終わるまでに楽しんで生きればいいのだと思っていました。
しかし、イエスに出会い、人生の目的地は墓場ではない、肉体はちりだからちりに帰るが、魂は造り主である神のもとに帰る、と悟ったのです。


「天国よいとこ一度はおいで」の中に書いたように私も36年前、同じ体験をしました。
「ユーレカ!」とは叫びませんでしたが、今、その日のことを振り返るとフリッツさんとまったく同じ気持ちで、心の中で「ユーレカ!」と叫んでいます。


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ハッピー・ハッピーな人生?

2013.09.28日

近年、アメリカのキリスト教界で人気のあるのは、prosperity gospel (繁栄の福音)と呼ばれるもので、このような教会の礼拝は何千、何万人という人であふれかえり、一流のアーティストなどでステージがすべて派手に演出されています。
牧師の語るメッセージは多くの人の耳に心地よいもので、神様にたくさん捧げなさい、そうすればたくさん与えられ裕福になります、あらゆる病いは癒されます、というような内容のものが多いようです。


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今朝読んでいた本に次のような箇所がありました。
人にふりかかる最悪のわざわいは、揺りかごから墓場まで自分の思いどおりにして暮らすということ、ほしいものはなんでも与えられ、また買うことができるということ、そして、「私はこうしたいができない。ああしたいがそれをしてはならない」と言わざるを得ないはめに追い込まれることが決してないということ、決して自己否定をすることがなく、決して働くことがなく、決して欠乏を感ずることがないということ、である。このような人の魂は、大きな罪を犯すときのように、非常な危険にさらされているのである。
チャールズ・キングズリ

(『山頂を目指して』 L.B.カウマン著 いのちのことば社 p.497)


これこそまさに現代の人々が望んでいることではありませんか。
「揺りかごから墓場まで自分の思いどおりにして暮らす」「ほしいものはなんでも与えられ、また買うことができる」「『私はこうしたいができない。ああしたいがそれをしてはならない』と言わざるを得ないはめに追い込まれることが決してない」「決して自己否定をすることがなく、決して働くことがなく、決して欠乏を感ずることがない」。
これらを望まない人が果たしているでしょうか。
ですから、冒頭のような「繁栄の福音」を語る牧師、教会は人気を博するのです。
多くの新興宗教もまたしかり。


しかし、このような絵に描いたような夢のような人生をずっと歩むことはまずあり得ません。
病いや試練、失敗や悲しみ、辛さ、絶望、苦難、恐怖、愛する者との別離、老い、死…、これらはだれの人生につきもので、これらを避けて通ることはできません。


釈迦は王宮で王子として生まれ、何不自由ない幸せな生活を送っていましたが、ある日、城の外に出て人の生老病死を目の当たりにして考え込みました。
そして出家し、石の上で座禅を組んで瞑想して35歳の時に悟りを開き、仏陀(ぶっだ)となりました。
人には生まれながらにして欲望や誘惑があり、それらに惑わされるから不幸になる、故にそれらから解き放たれて自由になること、それが悟りだと言ったのです。
しかし、生身を持った私たちがこのように悟りを開いて煩悩から解放されるというのはまず至難のわざです。
実際のところ、とんち話で有名な高僧、悟りを開いていた一休和尚ですら臨終の床で「わしゃ、死にとうない。ほんまにほんまに死にとうない...」と言ったそうで、死を恐れていたようです(「♪好き好き好き好き好き」)。


キリスト教の言う「福音」とは、良き知らせという意味ですが、それは決して苦しみのない、ハッピー・ハッピーのものではありません。
私たちのこの地上のでの人生は不完全なものなので、さまざまな苦しみなど尽きませんが、やがて来るあの世ではすべての苦しみから解放され、最高の状態を体験することができるという約束が与えられているのです(「あの世は本当にある?」)。
これを知らないで、この世での繁栄を目的にした人生を歩むことは残念ながらはかなく、虚しいものに終わります。
逆にこのことを知っていると、地上での人生はたとえ苦しみや困難があっても、それに正面から向き合い、力強い、感謝の日々を送ることができます。


いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべてのことについて、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、、神があなたがたに求めておられることである。

(I テサロニケ5:16-18)


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人生最大の大逆転

2013.09.23日




去る17日に召天した義母(「お義母さん、ご卒業おめでとうございます!」)の思い出の詰まった衣類などの遺品整理や形見分けを妻と義妹が毎日やっています。


元気だった義母は2年半前に交通事故に遇い、以来急に体力が衰えて最近はほとんどベッドの上の生活になっていました。会話は減りましたが、頭は最後までしっかりしていて私たちと普通に話すことができ、痴呆になることなく天国に行きました。
あっと言う間のことだったのでみんなびっくりでした。


本当に幼い時から苦労の絶えなかった義母でしたが、30年ほど前にイエスさまに出会い、人生は大逆転しました。
野球で言えば、9回裏ツーアウトで満塁ホームランを打って逆転するようなものです。しかし、野球ではたとえ逆転勝利してもそれはほんの一時的なものですが、信仰を持つとこれは永遠につながるので、それこそほかの何物にも替えられない、本物中の本物の大逆転です。


自宅で、苦しむことなく、娘(義妹)の腕の中に抱かれ、話しかけられながら眠るようにして往く、というまさに絵に描いたような大往生です。
こんな幸せな往き方があるでしょうか。
しかも、往った先は天国で、神様のみ腕の中! もう最高です。
私もこのようにして神のもとに召されたいものです。


義母の人生は苦労の連続だったと妻がよく言います。確かにそうだったと思います。まるで、おしんの人生のようです(「おしんドロームよ、再び!」)。


私は義母の人生を考えていた時、ピッタリした言葉がないものかと頭の中で探していました。
その時、ひらめいたのがこの「大逆転」で、これを妻と義妹、義弟たちに言った時、みんな口を揃えて「まさにそれだ!」と言いました。


そう言う私も27歳の時、やはり同じ人生の大逆転を経験しました。この気持ちはそれ以来微動だにすることなく、むしろますます固い確信となっています。
クリスチャンとなってただ一つだけ後悔することがあります。
それは、「お奨めします!」の中にも書きましたが高校生の時に教会に行ったことがあり、そして大学生の時にも「英会話の基本はここで学びました」にあるように宣教師の家に4年間も聖書研究に通い、信仰をもっと早くに持つ機会が何度もあったのに先延ばしにしていたことです。
信仰を持って人生の大逆転を経験した私の唯一の後悔は、もっと早くに…、ということですが、これにも神様の「時」というのがあるのです。


聖書の言葉。
「あなたがたは主にお会いすることのできるうちに、主を尋ねよ。近くおられるうちに呼び求めよ」
(イザヤ書55:6)


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パスカルの賭け

2013.09.22日

『パンセ』の著者として知られる、17世紀のフランスの哲学者、思想家、数学者、物理学者、宗教家のパスカルが言った、
「人間は考える葦である」
は世界中の人々に知られているあまりにも有名な言葉です。
実際のところ、これが人間をほかの動物すべてと区別するもっとも大きな相違点です。


パスカルはあるとき、人生で最大の賭けをしました。
数学者でもあった彼は、緻密な論理と計算によって考え尽くし、ある結論に達しました。これが『パンセ』の中に書かれています。


人間の限られた知恵では、100%の確信を持って神の存在を証明することも、また否定することもできません。ということは、神の存在の可能性は五分五分です。


そこで、彼は考えました。
神が存在しなかったとした場合、神の存在を信じていたとしても信じていなかったとしても、天国も地獄も存在しないから死んで得るものも失うものも何もない。


しかし、神の存在を信じていて、実際にもし神が存在していたとしたならば、死後の行き先は天国で、受け取るものは無限大だが、神が存在しなかった場合は、天国も地獄もないので失うものは何もない。
ならば、神の存在の可能性がたとえどれだけ小さかったとしても、それに賭けた方が得である。故に自分は神の存在を信じる、と。



神の存在を損得で信じたり、また信じることだけで、すべての問題が解決するわけではありませんが、まずはこれが人生のスタートラインです。


あなたはどちらに賭けますか?


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ホッとひと息

2013.09.21日

つい先日、「今日は凪」という記事を書き、平凡な日々をリラックスして過ごしている様子を書きましたが、まさかその1週間後に義母を天国に送るとは夢にも思っていませんでした。
昨日、無事告別式を終えましたが、同居していてショックが大きかっただろうと心配していた義妹と義弟は、私たちが一緒にいることもあってか、比較的元気でホッとしています。
義母の思い出話を語るときも、笑顔で明るく、やはり天国の信仰の力の大きさを改めて感じています。
もしも、この地上での別れが永遠の別れと思ったら、これほど辛く、悲しいことはないのですが、天国での再会を信じて待ち望むことができるというのはなんと幸いなことでしょう。


冒頭の「今日は凪」の中に書いた、シドニィ・シェルダンの本 "The Master oh the Game" も3週間とこれまでにないほど長い時間がかかりましたが昨日読み終わりました。



(もう何度も読んだので、ボロボロになり、この本もいよいよ寿命です)
早速次の本 "Nothing Lasts Forever" (邦訳『女医』)を読み始めました。
本当は次に読む本はすでに決まっていたのですが、妻の実家に持ってくるのにかさばるので、また娘の Kindle を借りてきたためこの本になってしまいました。
これも前に読んでいるのですが、もう20年ほど前のことなので内容は覚えていません。


義母の召天という出来事があったので、辛い思いを紛らわし、気分転換するにはとてもいいです。
上に述べた『ゲームの達人』(邦訳名)も十分に楽しむことができました。
英語を使って本を読んだり、映画やテレビで洋画を見たり、外国人と話したりするとき、英語をやってきて本当に良かった、とつくづく思います。
繰り返し言うことですが、これがもしも試験のための勉強で終わっていて、英語が実際に使えなかったなら、私の人生は大きく変わっていただろうと思います。
この点で、私に英語に興味を持つきっかけを作ってくれた父やアメリカ人の叔父と叔母に心から感謝しています。


そして、今回は義母の死を通して、改めて妻に巡り合えたことを感謝した次第です。
人生とは出会いです。


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お義母さん、ご卒業おめでとうございます!

2013.09.20日

去る火曜日、17日に義母が85歳で天に帰りました。
そして今日が告別式でした。



(直前の式場の様子)
大勢の方々にご参列いただき、皆さんにお別れを惜しまれながら、神様の栄光顕わされる素晴らしい告別式となりました。


義母はもともと熱心な日蓮宗の信者で、毎日家にある仏壇に手を合わせて親や先祖に心から感謝し、供養することを怠らない人でした。
そして、長女である私の妻が20歳の時イエス・キリストに出会いクリスチャンになった時、
「あなたはキリストでいきなさい。私は仏教でやっていく」
と言っていました。
しかし、私たちが結婚しアメリカに留学していた時、妻は毎週のように母親に手紙を書き、近況報告をするとともに福音を語り、伝道し続けました。
それがきっかけで義母は教会に通い始め、やがて信仰に導かれて洗礼を受けクリスチャンになりました。
それから義母の人生は変わり、毎朝熱心に聖書を読み、祈り、教会奉仕に励むようになりました。


幼い時に親に死に別れて養女に取られ、以来辛い、苦しい人生を長い間送ってきましたが、最後は兄弟仲のよい子どもたちや孫たちに囲まれ、本当に幸せな日々を送り、大往生を遂げました。
そんな義母を私は心より誇りに思い、これまでの長い人生に本当にお疲れさまでしたと、声をかけました。
眠っているような安らかな綺麗なお顔でした。


一昨日の記事、「目標の大還暦ならず」にも書きましたが、脳死研究の専門家、京都大学大学院教授、カール・ベッカー氏の語った次の言葉には本当に深い意味があります。
「死後の世界があることは明白です。古今東西、世界中どこの国、文化でも死後の世界を信じないところはありません。往生というのは、あっちの世界に往って生きる、という意味です。
死とは、この世という学校、訓練、苦しみの世界からの卒業式のようなものです」


お義母さん、ご卒業おめでとうございます。
今までの苦労が豊かに報われ、天国の神様のもとでこれから先ず〜っといつまでも、平安に幸せにお過ごしくださいね。


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あの世は本当にある?

2013.09.15日

つい先日、「天国?」という記事を書いたところ、ものすごい反響がありました。
人間、誰しも関心のあるトピックです。なぜなら、たとえこの世でどれだけ幸せに暮らしていたとしても、誰にも必ず最後の日、死がやってくるからであり、その死がすべての終わりになることを人は恐れるからです。


昨日のブログ「超プチ贅沢」の中に、本屋で立ち読みして内容がほぼ頭の中に入ってしまった、と書いたところ、ひとりのブログ愛読者の方から、「舟田先生、立ち読みでほとんど頭に入れられちゃ、本屋さん上がったり(笑)」とお叱りを受け、反省しました。


さて、「あの世は本当にあるのか?」という問題。
思わず引き寄せられ立ち読みしたのは、『「あの世」が存在する7つの理由』という本です。


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著者はフランス人で、麻酔・蘇生医として25年以上にわたり救命救急の現場で働いてきた人で、その経験を通して書かれたのが本書です。長年にわたる研究によって、「人生とは、死によって必ずしも終わるものではなく、意識をともなったまま、別の次元の中で続いていくものだ」というのが結論です。
フランスでベストセラーになっている本だそうで、専門家が書いているだけに確かに説得力があります。
最新の研究によれば、「死後の世界を信じること」は免疫力を高め、さらにはストレスによる病気の症状をやわらげて、寿命を延ばすといいます。
ではもし、死後の世界を信じられるような科学的で論理的な根拠がすでに存在するとしたら?
しかもその根拠が7つもあって、そのすべてが反論できないほど決定的なものだとしたら?
そして本書を読むことで、あなたの常識がまったくくつがえされるとしたら?
本書は、救命救急の現場で日夜、死の淵をさまよう患者をみてきた蘇生医が、25年にわたる経験の末にたどりついた、死後の世界が存在する明確な根拠を示しています。
これによって、見えない世界に懐疑的・否定的な人々によるお決まりの反論は見事に打ち砕かれ、家族や友人の死から立ち直れない人、死を恐れる人は大きな勇気を得ることができるかもしれません。
そして、あなたの死生観や人生観さえも根本から変わるに違いありません。

(Amazon.co.jp の同書内容紹介より抜粋)


○臨死体験は幻覚ではない
○視覚障害者たちの臨死体験
○確かに「あの世」から戻ってきた!
○死に瀕した人々の共通点
○私たちは慣習に支配されている
○珍しいことではない体外離脱
○隠しテレビによる画期的な実験

など興味深い内容が延々と続きます。


この本の中に紹介されている臨死体験者の話を読んでいて、「母の日に寄せて」の中に書いた私の母も一度臨死体験をしており、やはり同じように魂がふっと抜けてベッドの上で苦しそうにしている自分を上から見ていた、と同じような話をしていたことを思い出しました。


普通より少しおマセな子だった私は、幼稚園のころから死に体する恐怖にとらわれていたのですが、「訓練していたことを実践しただけです」に書いたように、27歳でキリスト教に触れて信仰を持ったその瞬間に死の恐怖から完全に解放されました。


「人生、悲喜こもごも」の中に書いた、つい1か月ほど前に24歳の若さで天国に旅立たれたみずきさんのこともよく考えますが、もし肉体の死が永遠の別れであるとするなら、ご両親にとってこれほど辛いことはありません。しかし、しばしの別れであって、やがて天国での再会があるということがわかっていれば、これからの残された人生の生き方にも、またご自身の心身の健康にも大きな影響を及ぼすことでしょう。
日本ではよく、「故人のご冥福をお祈りします」と言いますが、私は今、ご両親のためにお祈りするばかりです。


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35年来の友人と…

2013.09.12日

昨日は平塚の海のように私の心身も「凪」で、とても幸せに健やかに過ごせました。
あまりにも調子良く、しかもたくさんウォーキングもして体も心地よく疲れていたので、今晩は薬を服まなくてもきっとぐっすり眠れるだろう、と思って薬なしで床につきました。
ところがなんと、頭が妙に冴え渡って仕事のことなどいろいろなことを考えて寝つけず、ちょっとウトウトとしたかと思ったらすぐに目覚め、時計を見たら朝の4時。それからもう一睡もできないような状態でした。
で、今朝は頭がちょっと朦朧(もうろう)としていて、しかも寝不足からか気分もあまり良くなく、結局いつものウォーキングにも行けずじまいで、夕方にはもう眠くてたまらなくなり、ちょっと夕寝してしまいました。
昨日はちょっと調子が良すぎた。やっぱりまだまだなのだなぁと思った次第です。


しかし、今日は昨日以上の、最高の出来事がひとつありました。
それは、...


今年の1月に大磯の海岸までウォーキングして、夕焼けに赤く染まった大島を見て「価値観の大転換」に書いたあの日の出来事がありありとよみがえってきました。
思い起こせば、私がまだ28歳だったときのことです。
クリスチャンになってまだ1年しかたっていないのに、ロサンゼルスの母教会から日本伝道チームの一員として日本に送られ、大島での青年キャンプに参加したのです。


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そこで出会ったひとりの若い美しい女性。
私は直感的に、この人はこのキャンプで必ずや信仰に導かれ、生まれ変わりを体験されると確信しました。
夜のキャンプファイヤーで、参加者の方々の前で私自身の体験談を語る機会が与えられ、そのあとでその女性とお話ししました。
とても真面目な方で、真剣に神様を求めていらっしゃいました。
そこで個人伝道をして、最後にお尋ねしたら「イエスさまを信じます」という嬉しいお返事。その場で一緒に涙を流して感謝のお祈りをしました。
その後、何度かお会いしてお話しなどしていましたが、途中から音信不通。どうしていらっしゃるかな、といつも心の中にこの姉妹のことがありました。
そう言えば、「神様のウンチ」の中に書いた先天性盲目の晶子ちゃんという小学4年生の女の子が、この姉妹と同じ街に住んでいらっしゃることを知って、姉妹にお願いして訪問していただいたこともありました。


上のことを思い出したのは今日、この姉妹が今や大きな教会の牧師をしていらっしゃり、素晴らしいお働きをなさっていることをネットで知り、もう居ても立ってもいられなくなり教会にお電話したことに始まります。
ご本人が直接電話を取られ、お互いに35年前の昔を懐かしみながら親しい会話を20分ほど心ゆくまで楽しむことができました。
「今日の私があるのは、そしてこの教会があるのは、あの大島での譲二さんとの出会いの結果です」と言われ、胸が熱くなるのを覚えました。
最後には、さすがは牧師、「お祈りさせてください」と、私のためにお祈りしてくださいました。
35年前と立場がすっかり逆になっていました。


これが今日の最高の出来事です。
調子が優れなかった体も心もこれでいっぺんに元気になりました。
神様、あなたの御名を崇め、心から感謝します。


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天国?

2013.09.10日

毎日Facebookを見ていて、本当にいろいろな人たちとの出会いがあり、また自分の知らない世界を垣間見させてもらいとても感謝しています。
とくに訪れたことのない地の風景や人々、その地方の特産品やさまざまな花などの植物や動物など、驚きがいっぱいです。
FBでお友達になった人たちはとても親しみを感じ、まだ会ったことのない人でももうまるで知古の友のような感じになり、実に不思議な世界です。
ちょっと前なら仮想現実などと呼んでいましたが、今ではそれがもう仮想でなくなっています。


最近、FB上でよく見る画像には驚かされるもの、微笑ましいもの、胸が熱くなるものなどが実にたくさんあります。
次のはそのうちの「動物と人」シリーズです(1,000,000 Pictures より)。


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本当に心温まります。
聖書の中に次のような箇所があります。
「おおかみは小羊と共にやどり、ひょうは子やぎと共に伏し、子牛、若じし、肥えたる家畜は共にいて、小さいわらべに導かれ、雌牛と熊とは食い物を共にし、牛の子と熊の子と共に伏し、ししは牛のようにわらを食い、乳のみ子は毒蛇のほらに戯れ、乳離れの子は手をまむしの穴に入れる」
(イザヤ書11:6-8)
これは天国の描写ではありませんが、千年王国と言われる天国に似たような状況です。
こんな光景でしょうか。


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つい先日、FBフレンドのUさんのタイムラインに『天国は、本当にある』という本が紹介されていました。
臨死体験をした4歳の子どもが話したことをもとに書かれているということで、ものすごく説得力があるそうです。
Amazonでもとても評判の良い本のようで、私もぜひとも読んでみたいと思っています。

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きっと天国は上の写真以上に、想像もつかないほど素晴らしい世界なのでしょう。
「偶然と必然」の中に書いた、1か月ほど前に若くして天国に旅立たれたみずきちゃんに、また私自身の父や母に、そして信仰の先輩方や主にある兄弟姉妹たちに天国でお会いできる日が今から本当に楽しみです。


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偶然とは

2013.08.19日

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昨日、「偶然と必然」という記事を書きました。
私たちは日常生活の中で、よくこの「偶然」という言葉を使います。
おそらくみんなあまり深く考えずに使っているのだと思います。
「偶然〜で◯◯さんに会った」というふうに。


さて、昨日も書きましたように、進化論は偶然によって宇宙も地球も地球上の生命も生まれたと言います。
つまり、神のような超越的な存在が意図的に生み出したのではないと言うのです。
しかし、もし私たちのこの世における存在が単なる偶然の結果によるものであるとすれば、命や人生に意味も目的もなくなります。


また、進化論が言うようにもし「適者生存」の概念が正しいものだとすれば、極論ですが殺人者を死刑にする必要も、老人や弱者、絶滅危惧種を保存しようとする努力も必要なくなります。
なぜなら適者、すなわち強いものが生き残ればいいのですから。


進化論によれば、これらすべてが偶然の上に偶然を積み重ねてきた結果、現在があるということになります。
しかし、「偶然」とはいったい何でしょうか。
「偶然」という力が働いてある国に人を生み出したり、人と人を出会わせたり、結婚させたりしているのではありません。
「たまたま日本に生まれた」とか、「たまたま、そこにいた◯◯さんと出会い、結婚した」というように、起こった出来事をあとから振り返って「たまたま」と言っているのであって、「偶然」も同様に過去の出来事を見て「意図していなかったが」というような意味合いで使っているのです。
つまり、「偶然」というものは実態がなく、この世にも宇宙にも存在しないのです。
この実態のない、存在しないものが、たとえ無限の時間やさまざまな物質がふんだんにあろうとも、何かを生み出すということはあり得ません。
この点から言っても、進化論は砂上の楼閣です。


私たちがよく言う、「偶然〜で◯◯さんに会った」というのは実は、「◯◯さんはある目的があって〜に行った」、そして「私も別の目的があって〜へ行った」、そして「そこで二人は出会った」ということで、偶然という目に見えない何かが働いて二人を出会わせたわけではありません。


すべての出来事には原因があり、結果があるのです。偶然は原因たり得ず、結果を生み出すこともあり得ないのです。
進化論では、原因を「神」と呼びたくないので、「偶然」と言っているに過ぎません。


私たちは無目的に、偶然この世に生まれてきたのではありません。
神様が無限の愛をもって私たちをこの世に生まれさせてくださったのです。
「わたしは限りない愛をもってあなたを愛している」 (エレミヤ書31:8)
地球上の動植物などの生命体も同様です。
鳥や蝶、犬や猫、ライオンや虎、すべてが本当に美しい。
これらはすべて神様のデザインによって造られたものです。
でも、その被造物すべての中で一番美しいのが創造の冠である人間です。
偶然に生まれてきたのでも、意味も目的もなく生まれてきたのでもありません。
人生の意味や目的がわかるようになると、生き方が変わってきます。


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偶然と必然

2013.08.18日

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先日の記事、「人生の目的地」の中に書いたみずきちゃんは24歳でこの地上での短い生涯を終えました(いきさつをご存じない方は、「人生、悲喜こもごも」を先にご覧ください)。
でも、亡くなったからと言って、それですべてが終わったわけではありません。
人生の終わりは死で、すべては灰になり、存在が無になるのではないのです。


聖書には人の死について次のように記されています。
「あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」
(創世記3:19)
「ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る」
(伝道者の書12:7)


私たちの肉体は土と同じ成分でできていて、死んで土に埋めると土に帰ります。
しかし、人間はただ単に土でできているだけの物質ではありません。霊があって初めて人になるのです。
このことは、母や父の臨終に立ち会ったときに強く感じました。
かすかにでも息をしている間は魂があり語りかけることができるのですが、心臓が止まり魂が抜けたとたん、粘土細工のような抜け殻になっていたのです(「母の日に寄せて」「バレンタインデーに嬉しいことが3つ」)。
もしも、死がすべての終わりであるとすれば、この世における私たちの人生、命は意味も目的も価値も、何もありません。
もしそうなら、「現在」という一瞬を、私たちは酒を飲み、踊って、笑って楽しむ、そのような享楽的な生活を送ればそれでいいのです。
しかし、私たちはみんな直感的にこれは違う、人生には何か意味があるに違いない、と考えます。
私も子どもの頃からずっとそれを考えてきました。
「天国よいとこ一度はおいで」の中に書きましたように、27歳のある日まで、私の人生は意味も目的もなく、たとえ楽しいことをしていても、一生懸命働いていても常に空しいものでした。


私たちはみんな学校の理科の授業で進化論を教えられ、それが真実であるかのように思い込んでいます。でも、進化論は一つの仮説また哲学であって、それが真実であると証明した人は誰ひとりいません。
進化論は、この宇宙は138億年前にある日突然、エネルギーか何かが爆発し、それがどんどん膨張していったと言っています。そして、地球上の生命は、偶然と途方もなく長い時間によって無機物が有機物になり、それが命になって単細胞のアメーバのようなものになり、それが徐々に進化して最終的にできたものが人間だと言っています。


ボーイング747は約600万個の部品でできています。
進化論的に言えば、何十億年もの長い間、この600万個の部品を大きな袋に入れてガチャガチャと振り続けていたらボーイング747になったということになります。
しかし、たった数十個の部品ですら、たとえどれだけ長い年月振っていても偶然に時計とか何かの形ができあがるということはありません。


人間の脳細胞の数は100億個から140億個ぐらいだと言われています。
その細胞1個1個の中に入っている情報は、少なく見積もっても厚さ約3cmぐらいの500ページの本1000冊分と言います。これらの細胞百数十億個が全部、順番通りに正しく組み合せられないと脳はできあがらないのです。
人の体全体では約60兆個の細胞から成り立っていると考えられていますが、これらが正しい順序に組み合わせられる確率はそれこそ天文学的な数字になり、実質上偶然ということはあり得ない、ということになります。


進化論的に、偶然の上に偶然が重なってある日突然、と考えるより、創造者が造られたと考える方がよほど理にかなっています。
また、進化論では突然変異が数え切れないほど繰り返されて現在のヒトになったと言いますが、突然変異である種のものが別の種になるということはあり得ませんし、また突然変異が起こる時には常に元のものより情報量が少なくなり、その多くは劣性あるいは致命的なものです。
さらに熱力学の法則によると、宇宙の中のすべてのものは常に崩壊に向かって進んでいて、進化していません。


創造論では、ヒトは創造者である神の知恵によって、神の霊に似せて造られたものです。
「神は自分のかたちに人を創造された」(創世記1:27)とあります。
偶然ではありません。神の愛によって宇宙も私たちも造られたのです。必然です。
神の存在を否定するところから進化論は生まれました。宗教色を排除することが科学的だと考えたのです。
しかし、上に見てきたように、進化論も創造論と同じくひとつの説です。
進化論を信じて、人の霊を信じないと、死は永遠の別れです。
愛も夢も希望も何もありません。


Facebookのみずきちゃんのページを見ると、彼女が天に召されたあと、何十人という人が天国での再会を信じて書き込んでいて、夢と希望にあふれています。
みずきちゃんのご両親は、彼女がこの世の命をかけて自分たちに伝えたかったことを真剣に考えてみる、とおっしゃっているそうです。
きっとみずきちゃんご自身も天国でそのことを一番望んでいらっしゃることでしょう。


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人生の目的地

2013.08.11日

一昨日の朝、ラスベガス教会の松岡さんから次のようなメールが入っていました。
「みずきさんのご両親は米国時間の午後3時半に来られました。
今10時半ですがおやすみになられたそうです。
あとで鶴田先生より詳しく連絡があると思いますが、お母様はクリスチャンになって変わったみずきちゃんに会いたかった、とおっしゃられたそうです。今もみずきちゃんは生きておられ、再会も可能である事を伝えたと思います。
みずきちゃんが命を懸けて伝えたかった事を、ご両親は知りたい意欲があるそうですよ」


昨日の記事「至れり尽くせり」に書いた「輝く日を仰ぐとき」の続きの歌詞は次のようなものです。
Bみ神は世人(よびと)を愛し 一人のみ子を下し
世人の救いのために十字架に架からせたり


我が霊(たま)いざ称(たた)えよ 大いなるみ神を
我が霊 いざ称えよ 大いなる御神を(繰り返し)


C天地(あめつち)造りし神は 人をも造り変えて
正しく清き魂 持つ身とならしめたもう
(繰り返し)


みずきさんのご両親が、「クリスチャンになって変わったみずきちゃんに会いたかった」とおっしゃり、それに対して鶴田牧師が答えた「今もみずきちゃんは生きておられ、再会も可能ですよ」は、まさに上の聖歌の歌詞そのものです。


昨日は朝食時に西村先生ご夫妻と教育談義に花が咲きました。ご夫妻は長年、小学校教育に携わってこられましたが、自分たちは一番いい時期に教師の仕事ができて幸せだった、今の教育はおかしいとおっしゃっていました。
私もまったく同感です。


朝食後、嵐山のデイサービスにいるKくんを訪ねました。
中学・高校時代に毎日利用していた懐かしい阪急嵐山線に乗り、松尾駅で下車。
歩いてデイサービスへ。
一番奥にいるKくんが真っ先に目に入ってきました。
車椅子に座っているKくんは私が近づき、横に立ってもきづきません。
肩をポンと軽くたたいて、彼の目の前に顔を出してもすぐにはわからなかったようで、しばらくポカンとしています。
かぶっていた帽子を脱いで顔を見せるとハッと驚いた様子。


一年ちょっと前、「昨日はデート」にも書きましたが、Kくんは脳梗塞、脳内出血を起こし、胸が苦しかったにもかかわらず自分で車を運転して病院へ。
その場で入院、即手術。
壊死していた前頭葉の右半分を切除。助かったとしても、もう歩いたり、普通の生活はできないと医師に宣告されたそうです。
今も左半身が麻痺し、まだ自由に話すことはできませんが、これまでのリハビリの甲斐あってなんとか会話ができました。


人が生きるのは使命があるから。自分はもう人に迷惑ばかりかける存在だから使命はないと思っていたところ、二人の友人が、あなたが生きていてくれるだけで自分たちは嬉しいと言ってくれて、それで自分は生きる決意をしたと言います。そして、そう言ってくれた女性とつい最近結婚したとのこと。介護を覚悟の上で結婚してくださった方に心から感謝しました。


私は彼のことを書いたブログ記事「48年前にタイムスリップ」を読み上げ、覚えているかと尋ねたところ、どれもこれもはっきり覚えているとのこと。
Kくん曰く、
「あの頃は、毎日毎日が本当に楽しかったね」。
そこで私は、「心と体は一体」の記事を読み、彼の記憶を確かめると「あの時は本当にビビった」。
そこで私は、この時の車の中の話の続きをしたくて今日ここに来たのだと伝えました。


彼は私の言うこと一つひとつに大きくうなずき、理解を示してくれます。そして彼が言いました。
「この世の中に偶然というものはない。すべてに原因があり、結果がある」
「そう、そのとおり。君が去年心筋梗塞を起こし、危機一髪のところで命拾いし、今日ここで僕たち二人が再会し、話をしているのも決して偶然ではなく、必ず意味がある。
君はさっき、自分の寿命は自分で決める。92歳まで生きることにした、と言ったけど、たとえ何歳まで生きたとしても、人間みんな必ず死ぬ。問題は体の死ではなく、死後の魂の行き先だよ。
僕は幼稚園の頃からこれまでたくさん罪を犯してきて、そのことがずっと心の重荷になっていて、死後の裁きを怖れていたけど、アメリカ留学中、キリストに出会ってこの問題の解決ができた。
だから、今は死に対する恐怖はなく、いつ召されても怖くない。
君にも是非ともこのことを知ってもらいたいと思ってる」


このあと、さらに彼と聖書について深く話をすることができ、本当に感謝な時を持つことができました。
お昼の食事の時間になったので、「じゃあ、また来るね!」と言って肩を叩くと、彼の目から涙がこぼれました。
デイ・サービスをあとにして嵐山に向かって歩き始めましたが、彼の目の涙が目に焼きついて、私の目も潤みました。彼の癒しを祈りつつ歩を進めました。


中学・高校・大学時代の11年間を過ごした嵐山には特別な思い入れがあり、どの風景を見ても胸がジーンとなりました。
昔、住んでいた家や近辺も見ましたが、もう何もかもすっかり変わっていました。


嵯峨野の竹やぶの中の小径を歩きながら、昔、何度も訪れた落柿舎や化野の念仏寺ほか、神社やお寺を巡りました。


arashiyama.JPG sagano.JPG


その時、ラスベガス教会の松岡さんが「みずき姉妹最後の賛美」と題してFBのタイムラインにYouTubeをアップされたのが届き、イヤホンをつけてしばし聴き入りました。そして、何度も繰り返し聴きました。


「みずき姉妹の賛美」


二つ目の賛美「いつくしみ深き」の歌詞が特に心に響きました。
「いつくしみ深き 友なるイエスは
われらの弱きを 知りて憐れむ
悩みかなしみに 沈めるときも
祈りにこたえて 慰めたもう」


この喜び、この平安が、みずきちゃん同様、Kくんにももたらされることを祈りつつ。


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雲が雨で満ちると

2013.08.02日

この前の日曜日、礼拝で次の賛美を歌いました。


♬ 雲が雨で満ちると 地に雨が降るように(※repeat)
賛美が満ちると 主がそこに現れる。ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ!
(※repeat)
祈りが満ちると 主がそこに住まわれる。ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ!  
(※repeat)
感謝が満ちると 主の平安が訪れる。ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ!    
(※repeat)
主の血潮あおぐと いやしの雨が降り注ぐ。ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ!♫


昔よく歌っていた賛美で、歌っているだけで胸がいっぱいになりました。


そして、今日は朝から曇り空。夕方少し涼しくなってきてウォーキングに出かけようとしたら、雨が降り始めてきました。
ああ、そうだ。雲が雨で満ちたから、地に雨が降ってきたんだ。
してみると、今の私は「賛美」「祈り」「感謝」「主の血潮をあおぐこと」が欠けているんだな、と示されました。
その瞬間、「いつも落ち込んでいなさい」という記事を少し前に書いたことを思い出しました。


今はとにかくリラックスして、できる限り何もしないよう心がけています。今の私に必要なのはこれなのです。
しかし、英語のことわざに次のようなものがあります。
Doing nothing is doing evil.
(何もしないことは悪をしていることである)


日本ではその静かな文化からか、おとなしくしていることが美徳のように教えられています。
「出る杭は打たれる」ということわざもそれを表しています。
しかし、欧米などの文化では、自分をアピールすることが良いこととされ、おとなしくしていて目立たないのは良くないこととされています。
「悪いことをしないこと」が良いことではなく、「良いことをすること」が良いことなのです。
日本の古流生け花の「天地人」のような、質素な中に美を見出すというような感覚があまりありません。


ikebana.jpg


ですから欧米の学校では、生徒・学生はとても積極的で、質問や発言をどんどんして自分をアピールしますが、日本ではどちらかというとこのような学生は出しゃばりのように見られます。このことは、「恥をかくこと」の中にも書きましたが、いわゆる日本独特の「恥の文化」です。


でも、私の場合、今はリラックスして何もしないのではなく、もっと積極的に、貪欲に神様に健康の快復を祈り求め、「賛美」「祈り」「感謝」「主の血潮をあおぐこと」をしていこうと改めて思いました。
「雲が雨で満ちると 地に雨が降るように」


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罪を許していただくには

2013.07.26日

 先生が質問した。「神様に私たちの罪を許していただくには、まず第一に何をしなければいけないと思いますか?」。生徒が手を挙げた。「まず第一に、罪を犯さなければなりません」。西洋の小話を『世界凸凹ジョーク』(河出文庫)から引いた
◆笑えない改変版を、どうぞ。「有権者に私たちの失敗を許していただくには、まず第一に何をしなければいけないと思いますか?」――「まず第一に、失敗を犯さなければなりません」
◆敗戦処理に混乱はつきものとはいえ、まず第一に失敗を犯すことから党の立て直しをはじめなくてもよかろうに、と思う。参院選に惨敗した民主党である
◆海江田万里代表は続投するのだとか。トップが敗北の責任を取らないという失敗に、“反党行動”をとった党幹部の処分すら満足にできない失敗を重ねている。仮にも野党第1党である
◆政府が改革を成し遂げるために最も必要なものは何ですか? 問われたとき、英国の故・サッチャー元首相は言下に答えている。「政権交代が可能な、良い野党の存在です」と。小話の生徒役からたどり着くには、遠い道のりであることよ。

(7月26日付 読売新聞 「編集手帳」より)


いやぁ、これには笑ってしまいました。もちろん冒頭の小話に。あとの話にはやはり笑えませんでした。
ところで、今日の新聞1面に「東大教授 詐欺容疑逮捕  厚労省補助研究2180万円架空発注」と、えっ、東大教授が?と驚くような記事が載っていました。
社会面や地域面には毎日のように、殺人事件や傷害、強盗、放火、詐欺、横領、盗撮、痴漢など、本当によくこれだけあるものだと思うほど恐ろしい、また恥ずかしい事件が所狭しと載っています。しかも、その事件を起こしているのが、今回のように教授であったり、学校の先生や警察官だったりと、これまた笑えません。
冒頭の小話では、神様に罪を許していただくためには、まず罪を犯さなくてはなりません、という少年の答がトンチンカンで笑ってしまったのですが、現実の世界を見ていると笑えない事実がそこにあります。


昨日は、8月に予定している京都旅行で嵐山や嵯峨野を散策するための体力作りにと、2時間半、12.6キロもウォーキングしました。自宅からいつものコースの金目川サイクリングロードを通って大磯に出て、海岸線に沿って歩き、日本最初の海水浴場と言われる大磯海岸を経て、国道1号線を西進。
明治31年創業という老舗の大内旅館や大正末期に建てられた島崎藤村邸、明治23年に伊藤博文が建てた別荘滄浪閣などを経て、高麗山をぐるっと回って自宅に戻りました。
いつもそうですが、ただ歩くだけではもったいないので、愛用のiPhoneでいろいろ聴きながら一石二鳥を狙っています。
昨日は、私の尊敬するジョン・マッカーサー牧師(「100%返金保証付 成功の秘訣」)の説教を聴いていました。
その中で、マッカーサー牧師は、自分は罪人(つみびと)だ、と公言しています。もちろん、犯罪などを犯したことがあるわけではなく、人間みんなが生まれ持っている原罪のことを言っているのです。
「あなたの中の最良のものを」の中でご紹介したマザーテレサなど、まるで「愛」をそのまま人にしたかのようなお方でしたが、やはりご自分のことを罪人だとおっしゃっていました。
新約聖書の中の多くの書簡を書いた使徒の代表のようなパウロでさえ、
「私は罪人のかしらです」 (Tテモテ1:15)
と語っています。


私たち人間はみんな、罪を持って生まれてきているのです。
罪を犯すから罪人ではなく、罪人だから罪を犯すのです。
たとえ大きな罪を犯していなくても、心の中を見れば、誰でも自分は罪人だということがわかります。
神様に罪を許していただくためにすべきこと、それは罪を犯すことではなく、ごめんなさい、と神様に謝ることです。すべてはここから始まります。


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髪の毛まで一本残らず数えられている!

2013.07.22日

先日来、何度かこのブログでも取り上げた、うちの小さな小さな庭にできているトマトですが、次々と新しい実をつけて、しばしば食卓にも上っています。
最初、全部ミニトマトだとばかり思っていたところ、半分は普通のトマトということを妻から教えられました。
道理でどんどん大きくなっていって、いくら肥料と太陽と水があってもちょっとおかしいなと思っていました。
つい先日4〜5センチだったのが、今ではもう8〜9センチぐらいになったからです。でも、実はまだ青く硬いので、食べられるようになるのは当分先になりそうです。


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ミニトマトは次々とオレンジ色になり、赤くなると収穫していますが、実になる前の黄色い花がどんどん咲いてきています。
私はふと考えました。
いったいいくつぐらい実がなるのだろう。見ていたら、それこそ無限にできそうな気がしますが、無限ということはあり得ません。当然のことながら有限です。
でも、私たち人間にとっては、今の段階でこれから先、いくつの実がなるかは知る由もありません。


%83g%83%7D%83g%89%D4.JPG


こんなことを考えていたら、聖書の言葉が頭に浮かんできました。
「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている」
(マタイの福音書10:29-31)
なるほど、これからうちの庭にいくつのトマトの実がなるか私には想像もつかず、次から次へと咲く花を見ていて無限にできそうに思えるのですが、神様は初めからいくつ実がなるかご存じです。
私たちの髪の毛の数まで一本残らず数えておられるぐらいですから。


ということは、私たちの寿命ももちろん神様はご存じ。
その上で、聖書は「だから恐るな」と私たちに語りかけています。
すべては神様のみ手の中にあるのです。そのことがわかれば確かに何も恐ることはありません。
今日は、庭になるトマトの実を見ていてこんなことを考えました。


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神の存在を100%信じることは可能か その2

2013.05.09日

5月6日付の本ブログ「神の存在を100%信じることは可能か」の続編です。
前回の最後の部分を少しリピートします。


本当に深い神聖な祈りで、そのあと私もお祈りをしました。その時、天から黄金の強い光がまっすぐ自分の頭から心、全身へ降りてくるのを感じ、いや 感じただけではなく目をつぶっていた中にはっきりと見たのです。その光は太く熱を帯び、魂を心から熱くさせるようなものでした。それをしばらく浴びて、お祈りが終わった後、動こうとすると何かの力にとらわれているかのように動けなかったのです。立とうとしても立てず、全身にその力が残っている感じでした。「これは間違いなく神である、それ以外の何者でもない。」と、私が神様の存在を100%確信した瞬間でした。


―それは、凄い神体験ですね。


はい。あまりにも強すぎる霊体験だったので、今思うとそれは夢だったのではないかと思うときもありますが、この体験をすぐ、私をおうちにステイさせてくださった彼女や直人兄にも話しましたし、この霊体験によって、私はこれは神様によって導かれている、神様のことを学ばなければいけないと強く思ったのです。


―なるほど。


それも、ラスベガスに帰って船田先生の親友である鶴田先生のところで学ばないとと思ったのが、私がこのラスベガス日本人教会に本格的に通い、入門クラスを受けるようになったきっかけです。


―思いが与えられたのですね。


はい。これが、私が神様を確信した時です。今思うと「あの時この時、私を守ってくれていた絶対的権力の存在も、あなただったのですね。」と、感謝をせずにはいられません。神は私を、私が気づく前から愛してくれていたのです。神様は私たち一人ひとりをノンクリスチャンでも平等に愛してくれているんです。神は愛です。ハレルヤ!


―ハレルヤ!主のみなを賛美いたします。みずきさんは、今後どのような信仰生活を送っていきたいと思っていますか?


今後は、できるだけ多くクリスチャンの交わりの場に足を運び、霊的に成長していきたいです。今は日曜の礼拝の他に、水曜日の祈祷会には必ず出ています。この祈祷会は、私のクリスチャンの歩みにおいても重要な意義を持っていまして、皆様が私の救いの為に真剣にお祈りして頂いたように、私も真剣にまだ救われていない人々、神様の癒しが必要な人々の為にお祈りをしています。
また、少し難しいのですが、月曜の聖書クラスと金曜のスモールグループも積極的に参加しています。松岡さんはいつも聖霊さまの働きによって神様の御言葉を私たちにわかり易く教えてくださいます。


―スモールグループに参加なされて、どうですか?


スモールグループは少人数で神様について学び、意見交換もでき、霊的に成長するには非常によい場なので、皆様にも積極的に参加していただきたいです!また聖書を毎日少しずつでも読むようにしています。今は、旧約聖書を読んでいて、全ページ朗読し終わることをまず目標としています。そして、お祈り!!


―クリスチャンライフには、欠けてはいけない祈りですね。


はい。お祈りは、眠る前に神様が与えてくださった日に感謝して、毎日行うようにしているのですが、精神的に疲れていると忘れて寝てしまうことがあるので、しっかりと意識をしてやっていかなければと思います。


―日々、大切にしている御言葉はありますか?


私が大切にしている御言葉は、「いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることです。」第一テサロニケ5:16-18


まず神が与えてくれる日用の糧に感謝して、一日一日神が与えてくれることに喜びを見出しそれを感じること。そして、その喜びと感謝を神にお祈りすること。この御言葉を常に胸に刻み、日常生活に反映させることで、神の愛と霊に満たされた生活を送りたいです。そして、できるだけ教会に奉仕をして神様が望まれるクリスチャンへと成長していきたいです。


―最後に、伝えたいことはありますか?


本当に神様のもとに導いてくれた方々、一人ひとりに感謝をいたします。


一人でも欠けていたら、私はここにいなかっただろうし、神によって与えられた人生がこんなに素晴らしいものだと実感することはなかったでしょう。何より大きな変化は、クリスチャンになってかけがえのない神様の愛の存在を知ったことです。クリスチャンになる前を愛という事に対して、あまり深く考えたことはなかったのですが、今はいつでもどこでも、変わる事のない何よりも深い愛を神様が与えてくれたことを知ったのです。イエス様が私たちのために罪をかぶり、十字架にかけられたことが、それを証明することに気がついたのです。私は、今後それを常に心に留め、神様を愛し、神様が私たちに望まれるように生き、愛と喜び、感謝に溢れる人生を送っていきたいです。神は愛なり。ハレルヤ!