学院長元気の出るブログ

日々の随想。教育問題、子育て、英語、積極思考、人間関係、霊想等など。
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ジョージ学院長 元気の出るブログ

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映画『十戒』のシーンをを彷彿とさせる光景

2017.09.16日

去る9月10日、バハマ諸島からキューバ、そしてフロリダを直撃し、各地に大きな爪痕を残した超大型ハリケーン「イルマ」。
その威力は最大風速85mといい、バーブーダ島では島の建物の95%が倒壊・損傷したそうです。
最近、日本を含め地球の至るところで異常気象による大災害が頻繁に起こっています。地球温暖化の影響を受けた海水温の上昇が原因と考えられています。
下はキューバの街の写真ですが、もうこのような光景は見慣れてしまいました。


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しかし、次の写真にはちょっとビックリ!
バハマの美しいエメラルドグリーンの海が消えてしまったのです。


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なんと低気圧によって海水が上空に吸い上げられてしまったというのです。
このような現象は理論上は起こりうるが、実際に発生した例はほとんどないと気象学者らもびっくりしたそうです。
これがその様子を撮った動画です。



見渡す限り乾いた海底でその上を人が歩いています。
そして13時間後には水が元に戻ったそうです。それが次の動画。



チャールトン・ヘストン主演の映画『十戒』(1956年作)の中で、モーセが杖を振り上げると紅海が真っ二つに割れて乾いた地が現れ、そこをイスラエルの民が渡ってエジプトを脱出し、その後を追ってきたエジプトの軍勢が戻ってきた海の水に飲まれる名シーンを彷彿とさせます。映画では特撮のものすごい劇的なシーンでしたが、今回のイルマの実例で実際には超自然の力が働いて似たような状況が起きたことは想像に難くありません。


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散る桜 残る桜も 散る桜

2017.04.27日

散る桜 残る桜も 散る桜


江戸時代の曹洞宗の僧侶で、歌人でもあった良寛和尚の辞世の句と言われています。
このほか、
「散らぬ桜に散る桜、散らぬ桜も散る桜」とか
「散る桜 散らぬ桜も散る桜」
などいろいろなバージョンがありますが、言っていることはみな同じです。


つい1週間ほど前、「遅咲き」という記事の中に、いつものウォーキングのコースに周りの葉桜に囲まれて1本だけ七分ほど花をつけている桜の木を見て感動を覚え、桜の遅咲きから人の遅咲きに思いを馳せたことを書いたのですが、昨日の早朝同じところを歩いてみると、その桜もきれいに葉桜になっていました。(当たり前のことですが)


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これを見たとき、冒頭の一句が頭によぎったのです。
散った桜の花がすっかり色あせて赤茶け、人が歩いたり自転車が通るところを除いて小径(こみち)を覆っています。
頭の上には美しい若葉が生い茂っています。
今勢いあるこれらの葉も秋には全部落ちて地を覆います。
そして、落ちた花びらもまた葉もやがて腐り、土と混ざって腐葉土となり木に栄養を与え、それがまた来春の美しい花を咲かせ、葉を茂らせる。
これを何十年、何百年どころか、何千年と繰り返している。


考えてみたら、私たち人間も同じ。
私たちが今歩いている道、住んでいる町の下にも何百年、何千年という歴史が詰まっている。
数えきれないほどの人がかつてこの地の上で生活し、やがて死んで、それが肥やしとなって今日に至り、私たちが今ここで生活しているのです。


私たちも一人もれなく、この「散る桜 残る桜も 散る桜」と同じく散っていきます。
これが世の常、生まれてきたもの、万物の宿命であり、これをやたらと怖れたり、儚(はかな)んだり、悲しむ必要などありません。
当たり前のことなのですから。
むしろ、この世に、この世の命や物質に執着するから死を怖れたり、別れを悲しんだりするのです。


大切なことは、桜の花や葉が腐葉土となり肥やしとなって次に命をつないでいるように、私たちも単に物質としてだけでなく、霊や精神、また知性などが子どもや孫の代に、さらに綿々と後世に受け継がれていくというところに目をやることです。


そのことを思うと、今、ここに生かされていることが、とてつもなく偉大なこと、素晴らしいことに思われてきます。
しかも、それが単に有名人や能ある人、歴史に名を残すような偉大な人物だけでなく、生まれてきた人すべてがこの尊い使命に生かされているということ。
このように考えると、ほかの人の命も、また同様に自分の命も決して粗末にはできません。さらにもっと積極的に、大切にしなければならないということに気づくはずです。


現代の教育でこのような視点が一番欠けているのではないかと常々思っています。
教育とは、単にテストで点を取り、志望校に合格し、企業に就職し、地位を築き、名声を馳せ、財産を築くためにあるのではありません。


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時代の流れに飲みこまれないように

2017.03.03日

NHKの連続テレビ小説『べっぴんさん』もあと1か月を切り、最終章に入りました。
昨日まで1970年の大阪万博当時の日本を描いていました。
大学生だった私も家族や友人たちと一緒に何度か足を運びました。当時の思い出がよみがえってきます。あれからもう47年も経つのですね。


面白いと思うのは、万博のシーンが実写版のニュースで映し出されると、人々が身に着けている服装だけでなく、身体のスタイルや顔つきまでが現代の日本人と違うということです。
また、ニュースの中で語っているアナウンサーの声や話し方もまったく異なっています。それはドラマのシーンによく出てくる、昭和天皇による終戦の詔書のラジオ放送の音声のような響きを感じさせます。
昨日のシーンでは、エイス社長の栄輔が「21世紀の子どもたち」というショーを演出します。
ここに登場するのはもちろん現代の子どもたち。するとやはりごく普通の21世紀の現代っ子の顔をしています。そしてドラマの中で時代の寵児だった栄輔も、現代の若者で、47年前の若者とはまったく違います。当たり前のことですが(笑)。


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コンパニオンに抜擢されたのは、おそらく流行の最先端の人たちだったのでしょうが、今ではなんか時代遅れで、ちょっと日本人じゃないようにすら思われます。
そして、この人たちも今や70歳前後。若かった私もそうなのですからごくごく当たり前のこと。


時代の変遷を感じるとともに、私たち人間はひとりの例外もなく確実に老いて(円熟して)いき、次の世代の人たちにバトンタッチをする。そして、それが数えきれないほどの世代、脈々と繰り返されて現在に至っていると肌身で感じます。


私が小学生の頃当たり前だった白熱灯は徐々に蛍光灯に変わっていき、それが今やLEDにどんどん取って代わっていっています。
出始めた当時、画期的だったブラウン管白黒テレビは、今や薄型の壁掛け50インチ大画面、映像も信じられないぐらい美しい4K。
初代新幹線0系はとっくに姿を消し、もうすぐリニア新幹線の時代になります。


ヒトもモノもどんどん変わっていきます。
しかし、永遠に変わらないものがあります。
私たちはそこに目を注がないと、めまぐるしい時代の流れに飲みこまれて、自分を見失ってしまいます。


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たらちね考

2016.04.09日

一昨日の夜、中3生のTさんに国語を教えていました。
国語が好きで得意と言うTさん、さすがにとてもよくできます。読解問題などはほとんどいつも全問正解。
「難解」な文章は、傍線を引きながら、それこそ「何回」も読んで正解に導きます。
苦手意識を持っている文法問題も少し教えるとすぐ飲み込み、どんどんできるようになります。


一昨日は、やはりTさんが苦手としている詩と俳句・短歌でした。
苦手と言っているのに、自分で一生懸命考えて、やはりほとんど全部できています。間違えたところや、よくわからなかったところを中心に教えるのですが、全部納得してくれます。
短歌のところで枕詞(まくらことば)の「たらちね」が出てきましたが、もちろん彼女にとって初顔合わせです。


足乳根の母に連れられ川越えし
田越えしこともありにけむもの

斎藤茂吉


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(斎藤茂吉生誕地 山形県上山市月岡公園内歌碑)


意味がわからないようなので、私が自分の昔の記憶で教えようとしたのですが、その前に念のためと、ちょっとiPhoneでネット検索すると意外や意外。私が習ったこととまったく違うことが書かれています。


私が教わったのは「垂乳根」、すなわち乳が垂れた老いた母のイメージだったのですが、別解釈に「足乳根」で、「満ち足りた乳」、すなわち授乳中の豊かな乳というのがありました。
さらに、もともとは「たらちね」、漢字を当てたのは後世で、意味はないとするもの。
そして、元来の意味は未詳というものも。


Tさんには一応これらみんなの解釈を教えましたが、後でいろいろ思索しました。
ネット記事の中に「垂乳根の母とは、乳が垂れた母親のことを言うのですか? なんて下品で卑わいなのでしょうか」というのがあり、思わず笑ってしまいました。
きっと、ボ…、ペ…のようなイメージを持った、若い女性の方が書かれたのでしょう。


私が子どもの頃は、近所のおばさんだけでなく、若いお母さんが電車やバスの中など公衆の面前で恥ずかしさなど微塵もなく、胸を出して赤ん坊に乳を飲ませている情景などざらでした。
これを卑わいなんて誰も思いませんでした。
ましてや「たらちね」という言葉が生まれたのは、今から約1200年も前の万葉集の時代ですよ。


私が思うに、
「垂乳根の 母が釣りたる 青蚊帳を すがしといねつ たるみたれども」
に見られるように、「たらちね」はもとは「乳が垂れた老母」の意味だった。
しかし、新たに「足乳根」という漢字がつけられて、「ふっくらした乳」の意味になり、やがて両者の意味が薄れていって、意味のない単なる枕詞と言われるようになったので、その歌によって捉え方は異なるのではないか、と。
だからどの解釈も正解でしょう。


そう言えば、私自身も子どもの頃の母のイメージはふくよかな乳、そして晩年は垂れた乳でした。
そのいずれも、あたたかさを感じこそすれ、卑わいさなどあろうはずもない。
なにせ、「たらちね」は「母」にかかる枕詞で、「女」にかかるものではないのだから。


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新超ひも理論

2015.11.23日

昨日の記事「音楽に見られるひも理論」に書いた、NCM2のクリスマス・コンサートは本当に素晴らしいもので、魂を揺さぶられました。
記事の中でご紹介した「輝く日を仰ぐとき」が、午前の礼拝に続き、コンサートでもまた賛美されました。
また、40年近く前、導かれた教会の祈祷会でよく賛美していた「歌いつつ歩まん」が歌われ、当時大変お世話になった日系1世のおじいちゃん、おばあちゃんたちのことを思い出し、胸がいっぱいになり涙が止まりませんでした。
その昔、長男の直人もこのNCM2のメンバーとしてご一緒に賛美させていただいていたのですが、「直人くんのお父さんですか?」と何人もの方々から声をかけられたり、ブログを読んでいますと言ってくださる方など、このコンサートでも「ひも」でつながっている人があまりにも多くて驚かされました。


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さて、これまで8回にわたって「勉強のひも」について書いてきました。


「勉強のひも」と書きましたが、実はこれは「勉強」に限らず、人の人生や人間関係や人の好みや趣味を始め、その他諸科学や芸術、地球や宇宙の諸現象、引いてはすべての事物の成り立ちや起源にも通じることで、私はこれを「ひも理論」と名づけようと思ったのですが、ネットで調べてみると既にその名称も、また「超ひも理論」も物理学の世界で存在していることを知り、敢えて「新超ひも理論」と名づけたのです。


ひも理論については、Wikipediaが的を射た説明していますので下に引用させていただきます。
超弦理論(ちょうげんりろん、英: superstring theory)は、物理学の理論、仮説の1つ。物質の基本的単位を、大きさが無限に小さな0次元の点粒子ではなく、1次元の拡がりをもつ弦であると考える弦理論に、超対称性という考えを加え、拡張したもの。超ひも理論、スーパーストリング理論とも呼ばれる。
宇宙の姿やその誕生のメカニズムを解き明かし、同時に原子、素粒子、クォークといった微小な物のさらにその先の世界を説明する理論の候補として、世界の先端物理学で活発に研究されている理論である。この理論は現在、理論的な矛盾を除去することには成功しているが、なお不完全な点を指摘する専門家もおり、また実験により検証することが困難であろうとみなされているため、物理学の定説となるまでには至っていない。


ちょっと読んだだけでは???という感じかもしれませんが、簡単に言うと、この宇宙の中のすべての成り立ちは超微粒子ではなく、超微粒「ひも」でできていて、すべてがつながっているということです。


このブログにもこれまで何度か量子物理学のことを取り上げてきましたが、私自身は物理学に関しては全くの素人、門外漢ですが、直感的に非常に納得がいきますし、またとても心そそられる分野です。


この難解な「ひも理論」を、私たちの日常生活レベルで語っているのが、私の「新超ひも理論」です。
もしこの広大な宇宙が点のようなバラバラの粒子の集まりで成り立っているのでなく、ひものようにつながりがあるとするならば、ましてや私たちのような極めて小さな存在で、有限な人間ならなおさらのこと、様々な点のつながりであるひものようなもので成り立っているということは容易に想像がつきます。
また、その方がはるかに私たちを納得させてくれ、人生に対してより深い洞察力が与えられます。


一例を挙げると、夫婦関係や親子関係、友人関係、同僚関係、師弟関係などすべての人間関係に、さらに広げると国家関係にも当てはまります。
言うまでもなく、これらの関係がうまくいくかこじれるか、戦争状態になるかなどは、すべてそれまでの数えきれないほどのお互いの関わり合い方の結果であって、「ある日、突然!」何か特別なことが起こったわけではありません。
これを言い換えると、すべての事象はそのときどきの出来事の積み重ねの結果、つまり何らかの原因があってその結果がある、ということができます。
ということは、現在起こっている出来事自体は変えることはできないが、これから先のことはどんなことでも自分の意志次第でほとんど変えることができると言えます。(『バック・トゥー・ザ・フューチャー 』


つまり、個々バラバラに見えることでも、それぞれの間に存在する目に見えない引力のようなものですべてがつながっているのです。
これが、私の提案する「新超ひも理論」です。


私たちが今、この世に存在しているのは、母親が生み出してくれたお陰です。
しかし、父親も必要でした。
さらに、その父親にも母親にも同様に父親と母親が必要で、とどんどんさかのぼっていくと、当たり前のことですが一度も途切れることなくひものようにつながっていて、結局はみんな同じところにたどりつくことになります。


宇宙がある日突然、意味もなくビッグバンで生まれ、その後自然の流れで今日に至り、その過程で偶然に単細胞の生命が生まれ、それがどんどん進化していった結果、私たちが現在この世に生きているのだとすれば、人生には何の意味もなく、生きる目的もなくなり、「飲めや、食えや」でその日その日を面白おかしく生きていけばいいことになります。
でも、私たちは直感的にそうではないことを知っています。
このように「人生のひも」が見えると見えないでは、人生は180度変わってきます。


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意欲に(1492)狂ったコロンブス‼️

2015.06.08日

"If Columbus had turned back, no one would have blamed him. No one would have remembered him, either."
-- Anonymous
「もしコロンブスが引き返していたら、だれも彼のことを非難しなかっただろう。まただれも彼のことを覚えていなかっただろう」
-- 作者不詳
(訳:舟田 譲二)


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コロンブスと言えば、「意欲に(1492年)燃えるコロンブス、新大陸発見」の語呂合わせで覚えた例のやつで、みんな学校で学びました。また、コロンブスはたどり着いたところを新大陸とは思わず、インドだと思い込んでいたので、出会った原住民のことをインディアンと呼んだこともみんな知っています。


新大陸発見を祝う凱旋式典で「誰でも西へ行けば陸地にぶつかる。造作も無いことだ」などとコロンブスの成功を妬む人々に対し、コロンブスは「誰かこの卵を机に立ててみて下さい」と言い、誰も出来なかった後でコロンブスは軽く卵の先を割ってから机に立てた。「そんな方法なら誰でも出来る」と言う人々に対し、コロンブスは「人のした後では造作も無いことです」と返した。これが『コロンブスの卵』の逸話であり、「誰でも出来る事でも、最初に実行するのは至難であり、柔軟な発想力が必要」「逆転の発想」という意の故事で今日使われています。


しかし、冒頭の言葉を見て「ん?」と首をかしげました。
私の頭の中ではコロンブスはある意味、英雄だったのです。
そのコロンブスがなぜ非難されたり、忘れ去られなければならなかったのだろう?
そこで早速、いつものごとくWikipediaで「コロンブス」を検索して彼が非難される理由を調べました。
記事を読み進むうちに、驚きが反吐(へど)が出そうになるほどの不快感に変わっていきました。
とても長いのでその一部を下に引用します。


最初に上陸した島でコロンブス一行は、アラワク族インディアン達から歓待を受ける。アラワク族は船から上がったコロンブス達に水や食料を贈り、オウムや綿の玉、槍やその他見たことのないたくさんのものを持ってきた。コロンブス一行はそれをガラスのビーズや鷹の鈴と交換した。だがしかし、コロンブスの興味は、ただ黄金にしかなかった。彼はこう書き残している。
「私がインディアに到着するとすぐに、私が見つけた最初の島で、彼ら原住民(アラワク族インディアン)たちに、私に差し出さなければならないものがこの品々の中にあるのかどうか教え込むために、私は力ずくで原住民の何人かを連行した」
「彼らは武器を持たないばかりかそれを知らない。私が彼らに刀を見せたところ、無知な彼らは刃を触って怪我をした。 彼らは鉄を全く持っていない。彼らの槍は草の茎で作られている。彼らはいい身体つきをしており、見栄えもよく均整がとれている。彼らは素晴らしい奴隷になるだろう。50人の男達と共に、私は彼らすべてを征服し、思うままに何でもさせることができた」
コロンブスはこの島で略奪を働き、次に現在のキューバ島を発見。
帰還したコロンブスを歓迎して宮殿では盛大な式典が開かれた。コロンブスは航海に先んじて、発見地の総督職、世襲提督の地位、発見地から上がる収益の10分の1を貰う契約を交わしていた。この取り決めに従い、コロンブスはインディアンから強奪した金銀宝石、真珠などの戦利品の10分の1を手に入れた。また陸地を発見した者には賞金が王夫婦から与えられるとされていたのだが、コロンブスは自分が先に発見したと言い張り、これをせしめている。
コロンブスの軍勢は凶暴性を増し、窃盗、殺人、強姦、放火、拷問を駆使して、インディアンたちに黄金の在処を白状させようとした。
コロンブスが何カ月もの間病いに臥せっている間、コロンブスの軍勢はやりたい放題の大虐殺を続けた。コロンブスが快復するまでに、5万人以上のインディアンの死が報告されている。やがて完全復帰したコロンブスの最初の仕事は、彼の軍勢に対し、略奪を組織化することだった。
1495年3月、コロンブスは数百人の装甲兵と騎兵隊、そして訓練された軍用犬からなる一大軍団を組織した。再び殺戮の船旅に出たコロンブスは、スペイン人の持ち込んだ病いに倒れ、非武装だったインディアンの村々を徹底的に攻撃し、数千人単位の虐殺を指揮した。コロンブスの襲撃戦略は、以後10年間、スペイン人が繰り返した殺戮モデルとなった。
彼らは刀の切れ味と男ぶりを試すため、捕虜のインディアンの首を斬り落とし、または胴体を真っ二つに切断し、賭けの場とした。捕えた酋長を火炙りにしたり、絞首刑にした。
1492年の「新大陸」へのコロンブスの上陸時に約800万人いたインディアンの人口は、1496年の末までに、その3分の1までに減った。
ラッセル・ミーンズは、「コロンブスは大西洋を横断した世界初の奴隷商人だ。コロンブスの前では、アドルフ・ヒトラーはまるでただの不良少年だ」、AIMコロラド支局代表のインディアン、グレン・モリスは、コロンブスを「殺人者であり、強姦者であり、今日も続く大量虐殺思想の大立者である」、ウィノナ・ラデュークは、「生物学的、技術的、生態学的な侵入は、500年前のコロンブスの不幸な航海から始まった」とコメントしている。


知らないことは恐ろしいことです。
意欲に狂ったコロンブスがやったことは、IS(イスラム国)と変わりない、と言うよりもそれ以上にひどいではありませんか。
これを読んでいて、コロンブスが途中で大航海をあきらめて引き返していたことを心から願った次第です。
人間の罪の恐ろしさをまざまざと見せつけらました。


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ノアの洪水 Part3

2014.10.30日

ノアの洪水と言うと、ほとんどの人は知っていますが、子どもだましの伝説だと思っています。
「ノアの洪水は単なる寓話だ」と言う人もたくさんいます。
あるいは、少し知識のある人なら、「地球全体を覆うような水はいったいどこから来たのか?」とか「地球上の動物すべて一つがいずつなんて膨大な数になって箱舟に全部入るわけがない」「箱舟に乗っている間、動物たちの食料はどうしたのか?」などと質問したりします。


今日のシリーズ最終回では、これらの質問に答えるのみならず、なぜ聖書にノアの洪水の物語が載っているのか、その目的や意味はなにか、などについて説明している動画をご紹介します。


この動画はかつて私が住んでいたカリフォルニア州、ロサンゼルス市内の海岸や大学のキャンパス内、街角で老若男女、さまざまな人にインタビューするユニークな形式で展開されていて、とても興味深く見ることができ、最後には私たちも大いに考えさせられる素晴らしい内容になっています。
ちょっと長いですが、ぜひ最後までご覧になってください。
また、何かご質問などありましたらお気軽にどうぞ。



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ノアの洪水!?

2014.10.28日

まずは下の写真をご覧になってください。









これらは THE GENESIS FLOOD (John C. Whitcomb, Jr. Henry M. Morris, BAKER出版1961)からのものです。
著者二人は有名な創造論者です。
一番上の写真はアメリカのテキサス州、パラクシー川の河畔で発見された恐竜の足跡の化石です。一般的には約1億年前と言われる白亜紀のものです。
歩幅からいうと、かなり大股で川下から川上に向かって走っている様子がうかがえます。
興味深いのはその恐竜のすぐ右隣に人の足跡らしきものが残っているということです。


その下の写真は、そこで見つかった恐竜と人の足跡をはっきりと示したものです。右のものは明らかに人間の足跡だとわかります。
さらに一番下の写真は、その人間の足跡を現代人の足の大きさと比較したものです。
足跡の大きさからすると、巨大な人であったことがわかります。


これらのことから何がわかるのでしょう。
1億年も昔でない時代に、恐竜と人間が共存していた(「あなたは、御力をもって海を分け、海の巨獣の頭をくだかれました」詩篇74:13、ほか)ということ。次に、人間が巨大であった(聖書中に巨人の表記はたくさんある)こと。そして、川下から川上に向かって大股で走っていたということ。
つまり、3.11で大津波がやってきたときに、人々が逃げようとして高台に向かって必死で走っていたように、この当時の人々や恐竜などの動物も洪水から必死で逃がれようとして川上に向かって走っていたということです。この洪水とは、そう、聖書に出てくるノアの洪水です。


ノアの洪水に類する洪水伝説は世界中の民族の間に残っています。そのこと自体が、実際に地球全体を覆うような大洪水が起きたことの証拠ではないでしょうか。


最後に、下の動画をご覧ください。これでノアの洪水が単なるおとぎ話や伝説でないことがご納得いただけることと思います。少し長いですが、とても興味深く見られ、あっという間に終わると思います。




この項、明日の記事に続きます。


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豚のローストビーフ!?

2013.09.05日

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去る8月28日にNHK総合で放映された「歴史秘話ヒストリア」では、今日の観光都市京都の魅力の裏話を紹介していました。たった今、録画されていたものを見たのですが、これは意外中の意外、おそらく多くの京都人ですら知らないような話でした。


京都は、京都御所を中心に様々な職人や商人の住まいが立ち並び、日本の宮廷文化を支える街として繁栄を謳歌していました。
ところが、元治元(1864)年7月、御所の蛤御門をめぐる戦いで火事が発生。炎は瞬く間に京都中に広がり、2万7500軒を焼き尽くす大惨事となったのです。
京都の火事を前に、大久保利通は天皇を京都から東京へ移し、東京を新な都にしようという計画を立てました。大久保は京都から天皇を引き離し、東京で新しいく国づくりをすべきだと考えます。京都とつながりの深い保守的な公家や寺社などは強硬に反対。大久保は保守派を説得するために「行幸」(ぎょうこう)ということにし、天皇が東京へ行くのはあくまでも「お出かけ」であり、また京都に戻ってくるということにします。


明治元(1868)年10月13日、天皇は江戸城に入り東京城と名を改めます。2ヶ月後、天皇は予定通り京都に帰ってきました。しかし、京都の人々の間ではいずれ都が東京に移るといううわさが絶えません。
新政府は人々を安心させるためにお触れを出し、京都の町内一つひとつに明治天皇の名義で御土器などを配ります。これに喜んだ京都の人達は、仕事を2日間休んで天皇から頂いたお酒を心ゆくまで楽しんだといいます。


明治2(1869)年3月、天皇は再び東京に行幸します。しかも、今回の行幸は太政官という当時の政府をまるごと東京に引き連れて行ってしまい、事実上の遷都を意味しました。
これに京都の人達は、天皇が東京に行った後もまだ残っていた皇后に京都を離れないよう訴えたといいます。しかし、群衆は門兵に追い払われて皇后も東京へと出かけました。
さらに、保守派の公家2人は日光で兵を挙げ、天皇を京都に連れ帰ろうとクーデターを計画しましたが事前に情報が漏れて失敗。
明治3年の正月を天皇と皇后は東京で迎え、京都は首都の地位を東京に明け渡します。天皇を失った京都の産業は御所という得意先を失い、廃業または東京へついていく店が続出。京都の人口は一挙に3分の2に減り、閑古鳥が鳴くありさまだったといいます。


現在の京都は年間5000万人を超える観光客が訪れる日本屈指の観光都市です。
その観光客の中でも特に目につくのが外国人の姿で、大河ドラマ「八重の桜」の主人公の兄で会津藩士だった山本覚馬は戊辰戦争後に京都府に顧問として迎え入れられ、衰退した京都を蘇らせるために注目したのが外国人の力を借りることでした。


1867年に開かれたパリ万博には42か国が参加し、各国の特産品や最新の科学技術が披露され900万人が押し寄せました。日本館は東洋風で精巧に作られた工芸品が高い評価を受け人気を博します。山本覚馬はこの日本のブームに目をつけて、京都で博覧会を実行すべく京都博覧会社を設立。


博覧会の開催に向けて、街を挙げての準備が始まります。会場は多くの人が入れるよう西本願寺・知恩院・建仁寺が提供。肝心の展示品は街の人から外国人が喜びそうな品物が集まり、英文のガイドブックを作るために山本覚馬の手助けをしたのが妹 八重でした。


明治5(1872)年3月、第一回京都博覧会が始まります。選りすぐりの工芸品などが展示され、80日間で外国人770人を含む4万人が会場を訪れて博覧会は大成功を収め、翌年に御所で開催した博覧会には40万人の人出でにぎわいました。
街の人たちも初めて接する外国人のおもてなしに奮闘します。老舗の料亭が外国人の食事を担当し、試行錯誤の末にフランス料理のフルコースを完成させます。
そのメニューになんと「豚のローストビーフ」や「鶏のローストビーフ」なるものが残っているのです。
京都の人たちの気配りは外国人の安全にまで及んでいて、外国人専用ガードマンが配備されました。
こうして京都の産業は外国という新たな得意先を見つけ、復興の糸口を掴んでいったのです。
(以上、「TVでた蔵」の一部を抜粋、改変)


京都の奇跡的な大復興の陰に「八重の桜」の八重がいたのです。
感動!
京都を心の故郷と思っていた私にとって、大きな驚きの発見でした。


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世界を変えた28日間

2013.04.20日

昨日封切りされた「リンカーン」を今日、観に行ってきました。感動の大作です。
「撮影は2011年10月17日に開始され、同年12月19日に完了した」という超スピードの制作にもかかわらず、信じられないぐらいの素晴らしい出来栄えです。それもそのはず、スピルバーグ監督は1999年にこの映画の構想を練り始めていながら、最初に出来上がった脚本が気に入らないと言って脚本家を変え、さらに2度書き直しをさせています。
さらに、リンカーン役のキャスティングも途中で変えられ、最初の俳優は役作りのために「リンカーンを広範囲にわたって研究し」、あとを引き継いだ「デイ=ルイスは本作への出演を1年間の準備期間を条件に受諾し、『私が興味を持ったのは、リンカーン個人の経験を主観的に理解すること』であると語っている。そのために髪やあごひげを伸ばし、リンカーンが書き残した書物を読みあさり、メアリー・トッド・リンカーン役のサリー・フィールドと4カ月間 当時の文体でつづって文通を行った」(以上Wikipediaより抜粋)といいます。


出演者のメイクも一流でリンカーン大統領もメアリー・トッド婦人も本物そっくり。


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とてもしぶい役作りをしていたのは、缶コーヒーBOSSのCMに宇宙人として登場するトミー・リー・ジョーンズ。


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さすがベテラン、うまい!
というか、どの俳優もすべてそれぞれの役になりきって演じており、まるで当時の状況を目の当たりに見ているかと錯覚するほどで、2時間半の上映時間があっという間に感じるぐらい引き込まれてしまいました。


ひとりの人間として、父親として、夫として、そして大統領として、悩み、苦しみ、もだえ、考え抜いて自分の信念を貫いていったリンカーン大統領に深い感動を覚えました。
映画の中で彼の語った「もう十分に戦った。これからは憎しみを捨てる勇気を持とう」「今なにをするかがこれから生まれ来る無数の人々の未来を決める」という言葉は、いつの時代、どこの国でも、そしてだれにでも当てはまる大切な教えです。
そして、このリンカーンの命がけの奴隷制度廃止の結果、今日のアメリカがあり、世界があるのです。


お世辞抜きで本当にお薦めの映画です。


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ジョン万次郎

2012.07.04日

2年前に放映され、大人気だったNHKの大河ドラマ「龍馬伝」にも登場したジョン万次郎こと中濱万次郎は、黒船来航の際、漂流をきっかけに米国で10年間過ごすという当時では稀な境遇を生かし、日米和親条約の締結に活躍した人物です。
(その人物像は「ジョン万次郎の愛」にさらに詳しく書かれていますので、ぜひご覧ください)


修養会二日目の今日、進行役を務めていらっしゃる中浜さんとお話ししました。
中浜さんは日本からやって来て、建設関係のお仕事をしていらっしゃいました。こちらで韓国人の女性とご結婚されましたが、この奥様が熱心なクリスチャンで、教会に関心のなかった中浜さんは日曜日はいつもゴルフにふけっていらっしゃったそうです。
ところが、このマウント・ハーモンにやって来て、キリスト教の信仰を持った中浜さんは神様のお声を聞いて牧師になる決意をし、通信教育で神学の学びをし、今はサンフランシスコすぐ近くのエルソブランテという街で、建築のお仕事を続けながら牧師をしていらっしゃいます。
この先生が何と、ジョン万次郎の5代目の子孫に当たる方と直人から聞き、びっくりしました。
お忙しい中、しばらくご一緒にお話しし、お祈りする機会が与えられました。


これまで本で読んだり、テレビで見たりしてジョン万次郎のことは多少なりとも知ってはいましたが、中浜牧師とお知り合いになって、急にとても近しく感じるようになりました。
数奇な人生を歩み、日本の近代化に欠かせない役割を果たしたジョン万次郎でしたが、中浜さんもそれに劣らないほど不思議な神様のご摂理の中で牧師に導かれ、このアメリカの地で日系人のために尊いお働きをしておられます。


お昼は、帰米2世のHさんという方とご一緒して、いろいろとお話を伺いました。
Hさんは、アメリカで生まれたものの幼少の頃、ご両親と日本に帰り、日本で育った後アメリカに帰ってこられました。
ところが、その時第二次世界大戦が勃発。
Hさんは強制収容所に18歳から22歳まで他の日系人とともに入れられるという経験をなさったそうです。
奇しくも、「龍馬伝」と同じ2年前にTBSで放映され、私も見ていた「99年の愛〜JAPANESE AMERICANS〜」の中に出てきた物語と同じ体験をされたのです。
テレビのドラマもご覧になっていらっしゃったそうで、ドラマとほとんど同じだったとおっしゃっていました。
まさにマンザナー強制収容所の体験者の生の声を聞く特権に預かり、とても光栄に思いました。
Hさんは来月89歳になられますが、とても若々しく、お体も頭の方もお元気で、歯も3本のブリッジを除いては全部ご自分のものということで、去年82歳で召天した父(「バレンタインデーに嬉しいことが3つ」)のことを思い出して、本当に驚きました。
Hさんは50年間、ガーデナー(庭師)の仕事をされました。
お客さんの一人に億万長者の方があり、そこで忠実に仕事をしていたところ、リタイア(退職)する時とても惜しまれ、奥様とご一緒に日本への飛行機のファーストクラスのチケットをプレゼントされたそうです。
信仰に入ったのが54歳の時だったそうで、それからの35年は本当に祝福された幸せな人生だったとおっしゃっていました。


今日は、日本とアメリカの歴史を垣間見る貴重な体験をさせていただきました。
感謝。


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いい国つくろう、〇〇〇〇。

2012.06.13日

「いい国つくろう、〇〇〇〇」
と言えば、誰でも中学の時に覚えた歴史年号の語呂合わせ
「いい国(1192)つくろう、鎌倉幕府」
を思い出します。


しかし、今朝の読売新聞20-21面に、「第28回 読売広告大賞」の金賞として紹介されていたのは、
「いい国つくろう、何度でも。」
です。


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これは、去年の9月2日の全国紙の朝刊などを見開きで飾ったもので、当然のことながら私の目も引きました。
1945年8月30日、連合国総司令官のダグラス・マッカーサー元帥が厚木飛行場に降り立つ写真を背景に、「いい国つくろう、何度でも。」という見出しをつけているのですが、これには賛否両論ありました。
しかし、東日本大震災で日本国民全体がかなり大きなダメージを受けていた時に、この「いい国つくろう、何度でも。」に勇気づけられた人はきっと多かったことと思います。
そう言う私もそのうちの一人です。


広告主の宝島社によると、
「敗戦や災害など、これまで幾度となく苦境に直面してきた日本。 日本人はそのつど、不屈の精神と協調性を武器に国を建て直してきた歴史があります。世界のどこを見ても、これほどしぶとく、強い生命力を秘めた国民は存在しないのではないか。そんな気さえするのです。『いい国つくろう、何度でも。』この投げかけを通じて、日本人が本来持っている力を呼び覚ましてみたいと考えました」
ということで、なるほどとうなずけます。


マッカーサー元帥が67年前に厚木飛行場に降り立った時、心の中で「いい国つくろう」と思ったかどうかはもちろん誰にも分かりませんが、敗戦を屈辱的と見るよりも、むしろ敗戦のお陰で戦後、日本はここまで成長発展してこれたのだ、ということは誰しもが認めるところです。
そして、宝島社が言うように、日本人の底力は今回の大震災も福島原発問題も、今後起こるであろうと最近とみに言われている日本全国での大地震や火山の爆発、少子高齢化など幾多の試練もきっと乗り越えていくことができると私も信じるものです。


日本国民みんなで心を合わせ、「いい国つくろう、何度でも。」と大声で叫んで、新しい国づくりに励んでいきたいと心から望んでいます。


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警告!警告!

2010.06.09日

鳩山さんが首相を下りて、菅新首相による新内閣がスタートしました。
首相と閣僚の平均年齢は59歳という若さ。
最年少の蓮舫行政刷新相(42歳)など、新鮮さをアピールしています。
菅首相を始め、みんなやる気満々という感じで、大いに期待したいと思っています。
しかし、かつての自民党政権や前鳩山政権の過ちから学んで、同じ過ちを繰り返さないように気を引き締めなければなりません。


島田洋七著『佐賀のがばいばあちゃん』の中に面白いエピソードが記されています。
「スポーツ万能だった俺だったが、勉強はイマイチだった。...
俺はばあちゃんに泣き言を言った。
『ばあちゃん、英語なんかさっぱり分からん』
『じゃあ答案用紙に、「私は日本人です」って書いとけ』...
『でもばあちゃん、俺、漢字も苦手で...』
『「僕はひらがなとカタカナで生きていきます」って書いとけ』...
『歴史も嫌いでなあ...』
『歴史もできんとか?』...
『答案用紙に、「過去には、こだわりません」って書いとけ』...
俺は本当にこれを書いて、結果は......
殴られた。...」(「過去にこだわらない」)。


「過去にこだわらない」のは大切ですが、「過去から学ぶ」をことはもっと大切です。
ブライアン・トレーシーの How to Raise Happy, Healthy, Self-Confident Children (幸せで、健康で、自信ある子どもの育て方)というCDを今、送迎バスを運転しながら聴いているのですが、その中でブライアンが、学校における学業以外の問題で、1940年代に問題とされたものと1980年代のものとを比較しています。


1940年代の1位 『授業中のおしゃべり』       1980年代の1位 『ドラッグ』
1940年代の2位 『授業中のガム』          1980年代の2位 『アルコール』
1940年代の3位 『授業中に騒音を立てる』     1980年代の3位 『妊娠』
1940年代の4位 『廊下を走る』            1980年代の4位 『自殺』
1940年代の5位 『順番を守らず割り込みする』   1980年代の5位 『強姦』
1940年代の6位 『服装の乱れ』            1980年代の6位 『窃盗』
1940年代の7位 『くずかごに紙くずを捨てない』  1980年代の7位 『暴行』


左側の1940年代に問題になったものを見ると、私の子どもの頃のことを思い出します。
右側の1980年代の問題は、今や日本でもしばしば見かけるようになってきました。
1位の「ドラッグ」こそ、日本ではまだそれほど大きな問題にはなっていませんが、アメリカではドラッグはかつて大学生の間の問題だったのが、やがて高校生から中学生の問題になり、今や小学3〜4年生にまで下りてきているそうです。
ドラッグ問題は、日本でも決して対岸の火事視できません。


かつて、日本の高度成長時代、あちらこちらで水質汚染などの公害問題がたくさん起こりました。
中国が今ちょうどかつての日本のような高度成長時代を迎えていますが、日本の失敗から学ばなければ同じ道を歩むことになります。


歴史から学ばないものは、同じ過ちを繰り返します。


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箱根八里は馬でも越すが

2010.05.04日

「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」
とかつて言われた静岡県の大井川。
江戸の防衛に加え家康の隠居城であった駿府城の外堀の役目を果たすため、架橋はおろか船による渡し舟も厳禁とされました。
このため大名・庶民を問わず、大井川を渡河する際には馬や人足を利用して輿や肩車で渡河した川越(かわごし)が行われました。このため、大井川は東海道屈指の難所とされ、『箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川』と詠われたのです(Wikipediaより)。


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ゴールデンウィーク、妻と名古屋のほうに出かけてきたのですが、この大井川は今や東名高速で越えるのにほんの20数秒しかかかりません。


「箱根八里は馬でも越すが」
今から9年近く前、次男の正人が自転車で広島へひとり旅に出かけました(「距離・速さ・時間」)。
正人は2日目、箱根を自転車で越えました。
あまりにもしんどくて、何度も途中でくじけそうになったそうです。
あと、関が原の峠越えが向かい風でなかなか進まなくて大変だったとのこと。
でも、一番怖かったのは、峠でもトラックでも車でもなく、目の前の道路を横切った蛇だったとか。
箱根もその気にさえなれば自転車で越せるでしょう。
ましてや大井川なんて自転車だとちょろいでしょう。


さて、東名高速では箱根は迂回しますし、大井川もほんの20数秒であっという間に越えます。
しかし、「越すに越されぬ」のは「渋滞」。
昨夜はまだ大渋滞前でしたが、それでもあちらこちらで中渋滞し、普段4時間足らずのところ6時間近くかかりました。
運転しながらつくづく思いました。
きっと22世紀になっても、ドラえもんの「どこでもドア」は発明されないだろうな、と。
ドラえもんの便利な秘密道具で一番欲しいのはこの「どこでもドア」です。
これがあれば、昔アメリカで大変お世話になった日系1世の方々にすぐにでもお礼に行けるのですが。
ご存命の方もかなりお年を召してきていらっしゃるので、早くお会いしたいと願いつつ。


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古き良きアメリカ

2010.05.01日

ヒチコック監督の『知りすぎていた男』という映画を見ました。
子どもの頃、私はヒチコックの映画が大好きでした。
懐かしい思いで見ていましたが、1955年制作という古い映画にもかかわらず、俳優、筋書き、カメラアングル、音楽、すべて一流で、最後までハラハラドキドキしながら見てしまいました。


ちょうど同じ頃の映画で、『グレンミラー物語』『ベニー・グッドマン物語』など、いずれも古き良きアメリカの香りがしてきます。
『ベニー・グッドマン物語』については、「失ったものを数えるな」の中で、またグレン・ミラーについては「何か極めるには」の中でも書きました。


この時代の映画には夢があります。
みんな一生懸命、夢に向かって頑張っていました。
そんな「古き良きアメリカ」が大好きです。
子どもの頃の思いでがいっぱいつまっていて、見ていると胸が熱くなります(「起死回生」)。


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ものごとの背後には複雑な歴史が

2009.01.10日

昨年の海外10大ニュースの第1位は、アメリカの大統領選でバラク・オバマ上院議員が共和党候補のジョン・マケイン上院議員の2倍を越す選挙人を獲得して、初の黒人大統領に選ばれたことでした。
アメリカの黒人というと、アフリカから強制的に連れてこられた奴隷の子孫である、ということはみんな知っています。オバマ氏自身は奴隷の子孫ではありませんが。


しかし、アフリカの人たちが奴隷として連れて行かれたのは今日のアメリカ合衆国だけではありませんでした。
アメリカ以前にヨーロッパ、とくに当時勢力のあったスペインやポルトガルもアフリカから大勢の奴隷を自国に連れて行っています。
アメリカ合衆国南部とメキシコにはさまれたカリブ海(ディズニーランドの「カリブの海賊」や映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』で有名)に浮かぶ島々にも今日、黒人がたくさん住んでいます。たとえば、キューバ、ハイチ、ドミニカ、ジャマイカ、プエルトリコなどの国々です。


これらの島々にはカリブ族と呼ばれる先住民が住んでいましたが、1492年にコロンブスがアメリカ大陸にやってきたことをきっかけに、その後スペインに植民地とされます。
このカリブ海の地域の気候は亜熱帯で農作物の栽培に適していたため、サトウキビがスペイン人の農園(プランテーション)所有者らによって大規模に栽培されることになります。
当時、ヨーロッパでは高価だった砂糖が甘味料、薬、装飾美術品などに大量に消費され始めていたため、カリブ海のプランテーションは砂糖をさらに増産する必要に迫られました。
そのためヨーロッパを出港する船は銃や金属製品などさまざまな品物を満載してアフリカに向かい、そこでこれらを黒人奴隷と物々交換し、次にその黒人を労働力としてカリブ海のプランテーションに送り込み、そこで彼らによって作られた砂糖をヨーロッパに送るという、大西洋をはさんだ「三角貿易」が行われることになります。
このように、ヨーロッパでの砂糖の需要を満たすために、労働力として黒人奴隷が大量に北アメリカ大陸を始め、カリブ海、中南米の国々に売られたのが、今日のこの地域の黒人住民の始まりなのです。
つまり、今日では決して認められない人身売買という恐ろしい制度を、当時は人間のエゴが正当化していたわけです。


ものごとの背後には複雑な、また醜い歴史があります。私たちは同じ間違いを犯さないために歴史から学ぶことが必要です。


昨年末以来、どんどん悪化の一途をたどっているイスラエル・パレスチナ問題も、何千年という長い歴史が複雑に絡み合っています。問題解決は決して容易ではありませんが、誰かが勇気をもって、たとえ大きな犠牲を払ってでも、解決に向けた第一歩を踏み出さなければなりません。世界中の国々が、対岸の火事と見過ごさずに、収束に向けてみんなで協力すべきです。国益だけを考えていてはいけないのです。


パレスチナに真の平和が1日も早く訪れることを祈りつつ。


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