学院長元気の出るブログ

日々の随想。教育問題、子育て、英語、積極思考、人間関係、霊想等など。
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ジョージ学院長 元気の出るブログ

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まだまだ知らないことばかり

2018.08.24日
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ティラノサウルスよりも大きかった体長15m以上にもなるスピノサウルス。
およそ1億年前、現在のモロッコあたりの北アフリカの海岸線をうろついていた史上最大の肉食恐竜スピノサウルスは、ワニのような頭を持ち、魚や他の動物を食べていました。


スピノサウルスは水の中の獲物を追って、多くの時間を水中で過ごし、泳いでいた可能性、さらには潜水をしていた可能性もあると言われていたのですが、なんと8月16日付けのオンラインン学術誌「Peer」に発表された結果によると、泳ぎがうまくなかったらしいといいます。
コンピューター・シミュレーションを使って調査した結果、スピノサウルスが獲物を追って水中に潜るには浮力がありすぎ、また、頭が重くスリムな体形ゆえに、水の中では体が横に傾いてしまうということです。
これを紹介しているのが下の動画です。とても興味深いです。



まだまだわからないことがたくさんあります。恐竜が1億年前に住んでいたということさえ、果たして本当かどうか学者の間でも意見が分かれています。


さて、話は変わりますが、それでは次の動物は何でしょう?
哺乳動物のように全身が毛で覆われていて、心臓も哺乳動物のものに似ているのに、水鳥のような口ばしを持っていて、足にも水かきがあります。足の先には蛇のような毒づめがあり、卵を産むような穴が尻尾の下にあります。
何だかわかりますか?


最初、この動物の標本がイギリスの動物学者のもとに届いたとき、みんな初めて見る奇妙な動物に戸惑いました。哺乳動物と爬虫類、鳥類の特徴を併せ持っています。
ビーバーのような動物の体にカモのくちばしを縫いつけた作り物で、動物学者たちをかつごうと悪ふざけをしているのだと騒がれました。
しかし、作り物にしてはあまりにも精巧にできていて、縫い合わせた痕(あと)も見られない。
もし本物の生き物だとしたら、これは爬虫類の特徴を持った哺乳動物なのか、哺乳動物の特徴を持った爬虫類なのか、一部鳥類なのか、そうでなければいったい何なのだと動物学者たちは喧々諤々(けんけんがくがく)。


この熱い議論がイギリスで数十年続きました。
しかし、その動物のはく製が送られてきたオーストラリアで、目撃者の情報が次第に寄せられるようになり、偽物ではなく本物だと言わざるを得なくなりました。
哺乳動物かどうか確証はないけれども、一応、世界でもっとも奇妙な哺乳動物だと結論づけられました。19世紀のことです。
皆さん、もうおわかりになりましたか?


そう、卵を産む鳥のようでありながら母親は子に乳を与えて育てる哺乳動物、カモノハシです。とても愛嬌のある可愛い顔をしています。


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今でこそよく知られるようになったカモノハシですが、いまだに世にも奇妙な動物です。
「奇妙な動物」というのは、私たち人間の常識にとらわれるからそう思うだけで、じつは私たちの知らない世界というのはまだまだたくさんあります。
というか、知らない世界のほうがはるかに多く、地球上のことですらまだまだ知らないことばかりです。
(出典:前半のスピノサウルスの記事はナショナル・ジオグラフィック、後半のカモノハシは東北大の英語入試過去問長文読解からの抜粋要約)


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ユーレカ!

2018.08.03日

「ユーレカ!」(ギリシャ語 εὕρηκα [ウレーカ] 英語表記 Eureka [ユーーカ])とは、日本語で「わかった!」「そうだったんだ!」「これだ!」「やったー!」のような意味です。
何か新しいことを発見したり、今までわからなかったことが急に閃いて解決できた時などに使い、英語の “Aha!” (アッー!)に当たります。(太字の部分を強く発音します)


昨日の記事を書いた直後にふとこの言葉が頭に浮かんできました。
一昨夜教えていた高3生、そして夕方ちょっと教えた小学1年生と、夜にやはりちょこっと教えた中3生が「そうか!」と、見せてくれた笑顔を思い出したからです。


「ユーレカ!」の由来をWikipediaから一部引用します。
数学でおそらく誰でも一度は耳にする「アルキメデスの原理」で有名な古代ギリシャの数学者アルキメデス(紀元前3C)の逸話です。


"Eureka!"という感嘆詞は、古代ギリシャの学者アルキメデスに帰するものである。伝えられるところでは、彼が風呂に入ったとき、浴槽に入ると水位が上昇することに気づき、上昇した分の体積は彼の体の水中に入った部分の体積に等しいとわかり、"Eureka! Eureka!"と2回叫んだという。彼は形状の複雑な物体の体積を正確に量るという困難な問題を解決できたと理解し、浴槽から飛び出して、裸のままシラクサの街を駆け抜け、この発見を共有しようとしたと伝えられている。


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アルキメデスの洞察は、ヒエロン2世によって提起された、形状の複雑な金でできた誓いの王冠(英語版)の純度を計測するという問題の解決につながった。ヒエロン2世は金細工職人に王冠の材料として純金を渡したが、金細工職人が金の量を減らして同じ重さの銀を加えたのではないかと疑っていたのである。物質の重さを高い精度で比較するための器材は既に存在していた。これに体積を量ることができれば、密度が計算でき、金の密度は銀の約2倍もあり、標準温度・圧力において大きな値であるため、銀が混ざっていれば密度が低くなるのでそれがわかる。


やっぱり頭のいい人というか、天才の考えることは違いますねぇー!
凡人は風呂に入って湯船から湯が溢れるのを見ても当たり前のことと思って、別に何も感じない。
そして、「ユーレカ!」と叫ぶや否や、風呂から飛び出して裸のまま街の中を駆け抜けた、というところがいかにも天才(笑)。


私たちの生活の周りにはこのような思わぬ発見につながるものがいっぱい隠されています。
アルキメデスのような天才的発見でなくても、日々の人間関係において、また学生であれば勉強で、大人であれば料理や家事や仕事など、至るところにこの "Eureka!", “Aha!”, 「そうだったんだ!」が潜んでいます。
私はこの体験をするのが大好きで、毎日大小様々な発見をして楽しんでいます。それを教えている生徒や、またこのブログの読者の方に分かち合いたいというのが私の一番の願いです。


2年前の並行記事、「Aha!体験」にも面白い発見・気づきがあります。ぜひ併せてお読みください。


あっ、そうそう大切なことを今、思い出しました。
昨日、眼科に再び行ってきました。
前回の診察時検査してもらった結果、ウイルス性急性(流行性角)結膜炎は陰性だったのですが、3日目にそれまで大丈夫だった左目まで真っ赤に充血し始めたので、きっと右目のがうつったのだろうと思っていたら、やはりそうでした。いわゆる「はやり目」です。
ウイルスは細菌よりも小さく目に見えない微生物で、自分で生きることはできません。
ヒトや動物の細胞内に侵入して、その細胞を自分の住みやすいように変えて住み着きます。ウイルスの住み着いた細胞はやがて衰え、死んでしまい、病気になります。
しかし、ウイルスに対するヒトや動物の抵抗力が強いときは、ウイルスは活動することができないので病気になりません。
つまり、体力や免疫力が衰えているときにウイルスに侵されるのです。
今回、ものもらい(細菌性でウイルス性ではない)とはやり目の記事を書いたところ、何人もの方が同時期に同じ病を発症していらっしゃいました。
じつはこの夏の暑い時期に両者とも発症しやすく、直接の接触により伝染するのがはやり目です。
細菌やウイルスはどこにでもいます。身体の抵抗力をつけておくことと目を清潔に保つことが大切です。
皆さんもどうぞお気をつけくださいね。


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救急車の蛇のロゴのルーツ

2018.05.28日

救急車のロゴに蛇が使われているのを皆さんご存じだと思います。


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よく見かけますよね。
蛇が棒(杖)にからみついています。
なぜ蛇が使われているのかご存じですか?救急車のイメージと蛇ってあまり結びつかないのではないでしょうか?


はっきりしたルーツはわかりません。
杖と蛇は古代ギリシャ神話でアスクレーピオスが持っていたものとする説があります。
優れた医術の技で死者すら蘇らせ、後に神の座についたとされることから、医神として現在も医学の象徴的存在となっていると言われています。


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もうひとつの説は聖書に由来します。
有名な「モーセの十戒」の中の1シーンで、エジプトを脱出したイスラエルの民が荒野の中を放浪します。このとき、民は食べ物がないと言って、昔エジプトで奴隷とされていたときのほうがご馳走をお腹いっぱい食べられた、とモーセに食ってかかりました。
神様はこのとき、民を憐れんで天よりマナという食べ物を与えられました(「なんである アイである Part4」)。
初めのうち、民はこのマナを「ありがたい、ありがたい」と言って喜んで食していたのですが、来る日も来る日も食べているうちに飽きてきて、マナを「粗悪な食べ物」「みじめな食物」と呼んで、神とモーセに文句を言い始めました。
このとき、感謝をすぐに忘れて不平を言う民に神様は怒って燃える蛇を送りました。蛇は民に噛みつき、多くの人たちが死にました。そこで民は自分たちの罪を認め、救いを求めました。彼らはモーセのところに来て、「私たちは主とあなたに不平を言って罪を犯しました。どうか、蛇を私たちから取り去ってくださるよう、主に祈ってください」と乞いました。
そこで、モーセが彼らのために祈ると、神は民を救済する方法をモーセに教えました。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる」。これが神の救済方法でした。(民数記21章)
紀元前1500年少し前の出来事です。


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モーセが死んだヨルダンのネボ山には上の出来事を記念した蛇の彫刻が今日もあります。


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これが新約聖書になると、
「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。
それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」
(ヨハネ3:14-16)


これが医療の世界に引き継がれて、今日世界中の救急車や医療施設、WHOなど救急医療のシンボルとして使われているロゴとなったのです。
Star of Life と呼ばれるこのロゴには、6つの救急医療の柱があります。
それぞれは次のものを象徴していて、杖にからみつく蛇の周りについています。


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私としては神話よりも史実に基づく話の方が説得力があるように思えますが、ひょっとしたら両者の説にこのロゴの起源があって、後に合体したのかもしれません。
象徴的とは言え、とても興味深いです。


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新潟県女児殺害事件 プロファイリング

2018.05.21日

去る5月7日、新潟県で小2の女児が殺害され、遺体を線路上に遺棄して遺体損壊をはかるというとても痛ましい事件が起こりました。
事件後1週間、毎日のように新聞やテレビで報道され、国民の多くの人がこの事件に心を痛め、一刻も早い犯人検挙を願っていました。
そして14日、ニュース速報で23歳の重要参考人が事情聴取され、本人が殺害・死体遺棄を認めたため逮捕状が出たと伝えられました。
それから1週間がたちましたが、その後事件の続報はほとんど伝えられていません。


事件直後の1週間は毎日、各テレビ局の特別番組に元刑事や犯罪心理学者など、いわゆるプロファイラーと呼ばれる人たちが犯人像を描いていました。
妻が、まだ犯人は捕まらないの、警察は何をしているの?と言っていましたが、警察は付近の聞き込みや防犯カメラや車のドライブレコーダーなどの分析から、犯人像をかなりしぼっているからもう時間の問題で捕まるよ、と私は言っていましたが、同時に私なりにプロファイリングして犯人像を妻に語っていました。


私は推理小説や刑事ドラマ、サスペンスなどで結構、推理が働くほうで、犯人を言い当てることがしばしばあります。実は今回の事件でも、私が妻に言っていた犯人像は、
1.被害者宅のすぐ近くに住んでいる
2.ごく普通に見える20代前半の独身男性で、家族と同じ家に住んでいる
3.性格は外見上おとなしく、家族や友人などだれも彼が犯人とは思いもよらないような人物
4.黒い服を着、サングラスをかけて女児を追いかけたという不審者とは別人物
などでしたが、これらがほぼ全部当たっていたので、妻は驚いていました。
今は、犯人はまだ黙秘を続けているのか、犯行の動機や経緯(いきさつ)を少しずつ話し始めているか明らかにされていませんが、きっともう近いうちに自白し始め、あとは時間の問題で犯人が犯行を自供というニュースが速報で流れると見ています。


本当はこのような残虐な事件をこのブログで語ることははばかられるのですが、なぜ今日このことを話題にしたかというと、昨日の礼拝メッセージの中でうちの柿谷牧師が好地由太郎(こうちよしたろう、1865年 - ?)の話をしたからです。
礼拝後、彼の生い立ちや生涯を少しリサーチしてみました。(ソース:Wikipedia、日本キリスト教人物史、聖書に触れた人々シリーズ「犯罪者から伝道者になった人、好地由太郎」、河野ハレのブログ等)


兄2人、姉1人がいた。祖父母の代までは資産があり、使用人を雇って海産物行を営んでいたが、明治期の初年ごろから毎年の不漁続きに加えて種々の災難が重なり田畑、家屋敷が人手に渡った。
由太郎が9歳のとき両親は別れて、父は兄と姉を連れ、母が由太郎を連れて出たが、住む家もなく、小さな物置同然の小屋で雨露をしのいでいた。しかし、10歳のときに母親と死別し、同じ村の農家に父親の借財の質として引き取られ、家畜以下の半奴隷の扱いを受け、4年間を過ごした。


このような非常に貧しい環境の中で育った由太郎は親や身近な人の愛を知ることのないまま、17歳で奉公先の女主人を強姦し、それを隠蔽するため殺害・放火。逮捕され、死刑を宣告されるが、未成年のために無期懲役刑になる。
しかし、模範囚となった由太郎は監獄の頭となっていたが、ひとりの青年が路傍で耶蘇教(キリスト教)について語っているときに巡査の命令に服さなかったために官吏侮辱の違警罪で投獄されたが、取扱上の手落ちで重罪犯の監房に入れられた。
獄のほかの囚人たちがこの青年を袋叩きにしたが、そのとき、この青年が言った言葉、「わたくしはここで殺されても天国に参りますが、ここにいる方々は神を信ぜぬ罪人です。どうか、この方々の罪を許してください」と祈るのを聞いた由太郎は、青年が監獄を出る際、「どうすれば君のような心になれるのか教えてくれ」と尋ねたところ、青年は「耶蘇教の聖書をお読みなされ」とひとこと言って獄を去った。この間、ほんの20〜30分の短い時間だった。


由太郎が聖書の差し入れを願ったところ、ひとりの牧師を通して聖書が贈られた。学のない由太郎は文字がまったく読めなかったが、聖書を読むためにカタカナとひらがなを学んで聖書を読み始めた。その後もたびたび脱獄を試みたりしたが、やがて自らの罪を悔い改め生まれ変わる。
新約聖書をすべて覚えるほどまで繰り返し読み、さらに旧約聖書も暗記して、模範囚となって39歳のとき明治天皇の特別な恩赦により釈放され、全国の監獄を巡回して伝道活動をするようになる。
多くの重罪人を含む囚人を始め、学者や実業家も信仰に導き、陶器の器で有名なノリタケの創業者、森村市左衛門も導いて洗礼を授けた。
のちに神学校の教師も務めた。
そして、自らの生涯を綴った『恩寵の生涯 獄中三十年 好地由太郎自伝』を著した。


この信仰生涯を見ていくと、今日のミッションバラバ(元暴力団員の牧師たち)の働きを連想します。
冒頭の、新潟女児殺害犯も真に自らの罪を悔い改めて生まれ変わり、被害者家族や関係者たちに心から謝罪するとともに、このような事件が将来起こらないよう、自らの命を捧げて社会に対して何らかの貢献ができるほどになって欲しいと心から願うものです。ほとんど不可能に思われるようなことですが、好地由太郎とて同じでした。


「それは人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである」
(マルコによる福音書 10:27)


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なんである アイである Part4

2018.04.25日

森永製菓と言えば、やっぱり何と言ってもエンゼルマークですよね。
これは森永太一郎自身がデザインしたもので、1905年に商標登録されました。
以来少しずつ変わってきて現在のものになりました。


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明治38年版       昭和8年版       平成25年版


森永製菓広報によるとこのエンゼルマークの由来は、
「創業当時の代表的な商品であったマシュマロの別名『エンゼルフード』からヒントを得て、天使をモチーフとしました。子供たちに幸福と希望を与えるエンゼルは、菓子を通して子供の世界に楽しい夢を与えたいという創業者の志にぴったりと合致するもの」
といいます。


私はこの「マシュマロの別名『エンゼルフード』」に興味を引かれて少しリサーチしてみました。
その出典は聖書にありました。
「人は天使のパンを食べた。神は彼らに食物をおくって飽き足らせられた」
(詩篇 78:25)


これは、約400年間エジプトで奴隷状態に置かれていたイスラエル人(びと)が指導者モーセ(モーゼ)によって紀元前13世紀ごろ出エジプト(チャールトン・ヘストン主演の有名な映画『十戒』〔じっかい〕の出来事)した直後の出来事です。
イスラエルの人々は神に約束されたカナンの地を目指しますが、荒野をさ迷います。食べ物がないと言って民がモーセに不平を言ったとき、神が不思議な方法で40年にわたって食物を与えられました。それが上の「天使のパン」(angels' food)です。〔[パン]は今日のパンではなく、糧、食物の意味〕


以下にその前後の経緯を説明した聖書の箇所をいくつか引用します。


「そのとき主はモーセに言われた、『見よ、わたしはあなたがたのために、天からパンを降らせよう。民は出て日々の分を日ごとに集めなければならない。こうして彼らがわたしの律法に従うかどうかを試みよう』」
(出エジプト記 16:4)


「夕べになると、うずらが飛んできて宿営をおおった。また、朝になると、宿営の周囲に露が降りた。
その降りた露がかわくと、荒野の面には、薄いうろこのようなものがあり、ちょうど地に結ぶ薄い霜のようであった。
イスラエルの人々はそれを見て互に言った、『これはなんであろう』。彼らはそれがなんであるのか知らなかったからである。モーセは彼らに言った、『これは主があなたがたの食物として賜わるパンである』」
(出エジプト記 16:13-15)


「イスラエルの家はその物の名をマナと呼んだ。それはコエンドロの実のようで白く、その味は蜜を入れたせんべいのようであった」〔[せんべい]は英語ではwafer、日本語でお菓子のウエハースのこと]
(出エジプト記 16:31)


「マナは、こえんどろの実のようで、色はブドラクの色のようであった。民は歩きまわって、これを集め、ひきうすでひき、または、うすでつき、かまで煮て、これをもちとした。その味は油菓子の味のようであった」
(民数記 11:7-8)


イスラエルの人々は神が天から降らせたパンのような食物を初めて見たとき、「これはなんだ?」と言いました。「これはなんだ?」をヘブル語で「マナ」と言ったため、その食物は「マナ」と呼ばれるようになったのです。
このことから、神が天から降らせたマナを詩篇で"angels’ food"(天使の食物)と呼び、人がマシュマロを初めて作ったときにマナを連想して"angels’ food"と名づけました。


ちなみに、上のエンゼルマークの天使が手に持っているTMとはTrade Markではなく、Taichiro Morinagaのイニシャルです。
以上のことから、森永製菓のトレードマークに森永太一郎が天使の絵を描き、その下にTMと書いたのは、天使がマナ(マシュマロ)を持って天から自分のところに下ってきたのをイメージしたのだと私は思うのです。つまり、荒野でイスラエルの民が窮地にあったとき、天使の食物で救われたように、森永太一郎も天使の食物なる「マシュマロ」によって助けられた、という意味です。「子供たちに幸福と希望を与えるエンゼルは、菓子を通して子供の世界に楽しい夢を与えたい」というような単なる願いではないのではないでしょうか。
これは、神が天使を使ってマシュマロを自分のところに送ってくれたという彼の信仰の証、神の愛への感謝の気持ちです。


冒頭に挙げた森永製菓の広報による説明は、おそらく創業者森永太一郎の信仰を隠し宗教色を薄めている理由によるのではないかと思います。
太一郎は70歳で社長を退いて会長となってから天の神のもとに帰るまで、全国の教会を伝道講演して回りましたが、そのときの講演題はいつも、「我は罪人の頭(かしら)なり」(Iテモテ1:15)であったといいます。
このことからも太一郎の信仰が本物だったということが容易に推察できます。


太一郎をこのような偉大な人物にしたのは、まぎれもなく幼いころ叔父文左衛門から受けた商売道徳の教え、そして青年のときアメリカで出会ったクリスチャンの夫人を通してキリスト教に導かれて改心し、聖書の教えに忠実に従った彼の生き様そのものです。
神様は私たちに大小様々な試練をお与えになりますが、耐えられないような試練はお与えにならないばかりか、それと同時に脱出の道も備えていてくださっているのです(Iコリント10:13)。
そして、これも「新超ひも理論」ですべてつながっているのです。


「これはなんだ?(なんである?)」→「マナである」→「マナとはなんだ?」→「神が荒野でイスラエルの民を憐れんで40年間養ってくださった天使の食物で、神の愛の表われである」


だから
「なんである、愛である!」


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過去に置いてきたものと将来待ち受けているもの

2018.03.04日
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"There are far, far better things ahead than any we leave behind."
―C.S. Lewis -1898-1963, Novelist
「私たちが過去に置いてきた何ものよりも、比較にならないほど素晴らしいものが将来に横たわっている」
―C・S・ルイス、小説家
(訳 舟田譲二)


「懐古主義」という言葉があります。
「昔は良かった…」というやつです。昔を懐かしみ、過去の思い出を大切にするのはいいことです。しかし、いつまでも後ろばかり振り向いていて、現実を直視しなかったり、過去にどっぷり浸っているのはあまり建設的とは言えません。


好むと好まざるにかかわらず、いつの時代も時はどんどん流れているので、私たちは現実を受け入れ、未来を見て前進していかなければなりません。
C・S・ルイスが言うように、「私たちが過去に置いてきた何ものよりも、比較にならないほど素晴らしいものが将来に横たわっている」と信じなければ、未来に対して希望が持てなくなり、それはすなわち現在の生き方に少なからず悲観的な影響を与えることになります。


現在の社会風潮を見ていると、ちょっと首を傾げたくなるようなことや、ついていけないこと、また不安になることなどがあります。
私なども、このままどんどん進んでいったら将来が危うくなるのではないか、と危惧するようなことが多々あります。
たとえば、核問題や民族・宗教問題などが複雑に絡まった緊張した国際関係、地球温暖化や環境汚染などによる生態系の破壊、近年急速に進んできた医療技術に伴う生命倫理にも関わる様々な問題、LGBTや性転換手術を始めとする男女間や性別を超えた諸問題、AIの発達による近未来社会に対する不安等々挙げ出せば切りがありません。


でも、私たちはこれらの問題から目をそらし、昔を懐かしんで生きていくことはできません。
このような時、私たちが過去に置いてきた良いものよりも、将来にはさらにもっと比較にならないほど良いものが待ち受けているに違いないという希望を持たなければ、私たちは生きていけなくなります。
考えてみれば、人類の歴史はこのような問題と常に向き合い、危機感とともに生きつつ発展してきたのです。


また、このことはさらに私たち自身の個人の生活にも直接関わっています。
健康の問題から仕事、結婚、子どもたちの問題、老後の問題etc, etc、常に様々な問題と直面しています。
言い換えれば、問題のない人生なんてあり得ないのです。
ですから結論としては、やはり
「私たちが過去に置いてきた何ものよりも、比較にならないほど素晴らしいものが将来に横たわっている」
と考えるしかない、ということになります。


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あなたのルーツは?

2018.02.04日

まずはこの動画をご覧ください。




この動画に登場する人たちはDNA検査によって自分のルーツを知り、相当なショックを受けたようですが、本来全然驚くようなことではありません。
「再び、ニワトリか卵かどちらが先?」の中にも書きましたが、創造主なる神がニワトリをオスとメスに造り、メスのニワトリが卵を産んだように、人間も男と女に神が造られそこから最初の子どもが生まれたのです。
無生物質から生物が発生し、それがやがてアメーバ―のようになり、細胞分裂を繰り返し徐々に複雑な生物になっていき、何十億年かけて進化してヒトになったのではありません。
私たちの先祖をずっとたどっていけば、みんな同じ父親と母親に行き着く。つまり、私たちヒトはもともと一つの大きな家族。
このように考えれば、上の動画の中で言われているように「ひろい意味でいえば、私たちはみんな、いとこ同士」ということになります。


世界の過激思想によるテロリズムはおろか、民族と民族、国家と国家、宗教と宗教の対立などいかに馬鹿げたことかということがよく分かります。
私たちはみんな「◯◯人」という特定の国の国民である前に、血を分けた「地球人」なのです。
このことの意味が本当に分かるなら、戦争はなくなり、真の平和が来ます。
でも残念なことに、人間は高慢な罪人で、自らの罪を認めようとしないので、いつまでたっても戦争はなくならないばかりか、同じ家族間にあっても争いは絶えず、殺し合いもするのです。


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明治天皇とツーショット

2018.01.29日

昨日は礼拝後、お茶の交わりが終わると食料品や雑貨などの買い物をしてから、久しぶりに足を延ばして大磯の海岸を歩きました。
朝、家を出た時は氷点下でとても寒かったのに、午後からは日がさして暖かくなり、海風が心地よく顔を撫でていました。


相模湾に臨む大磯高校そばの海岸沿いの堤防脇に明治天皇観漁の碑が建っています。
今までにも何十回と同じところを歩き、目に留まっていたのですが、今回はちょっと立ち止まって前でしばし昔を偲びました。
「明治元年東京へ行幸の折に、明治天皇は大磯の北浜で漁夫に網を引かせられ、大きな鯛がかかり、赤ふんどし一つで鯛を生け捕ろうとする姿を楽しくご覧になられた」と大磯町ホームページに紹介されています。


明治元年(1868年)に思いを馳せて、明治天皇とツーショットを撮りました。もとい、「明治天皇観漁の碑」とのツーショットです。


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2年前の同日、やはり大磯町を散策していてその日のことを「大磯散策」に記したので、その記事を読み返していました。


大磯町はアメリカ留学から戻ってきてから5年間住んでいたところで、親しみを覚えます。
また歴史の重さをいたるところで感じます。東海道松並木を始め、伊藤博文公の本邸や旧島崎藤村邸、旧吉田茂邸、平安末期の歌人・西行法師に因んだ鴫立沢(300年以上続く俳諧道場)、澤田美喜(三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の孫)が設立したエリザベスサンダースホームなどがあり、新島襄がその晩年を療養で過ごし終焉を迎えた地です。
そして私の敬愛した大学時代の恩師、福田恆存先生宅もあります。


これらのことを考える時、上に挙げた偉人がかつてここで同じ空気を吸い、同じ海風に吹かれ、同じところを歩き、ここで生活を営んでいたと思うと感慨深いものがあります。


帰り道、いつもの金目川沿いのサイクリングロードを歩いていると、カラスの群れが水浴びをしていたり、カモメが群れて飛んでいたり、この地をねぐらとするムクドリの群れ(「空の鳥を見よ」)が木に止まっている光景に遭遇し、「ああ、きっとこの状況も昔の人たちが同じように見ていたんだろうなぁ」と、ここにも歴史を感じました。時代が変わっても自然の中での人と動物の営みは変わりませんね。


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クリスマスは12月25日?

2017.12.25日

今日は12月25日、クリスマス。
ん? 本当に?


エホバの証人(ものみの塔)はクリスマスを祝うことを拒否します。その根拠として:
「イエスの生まれた日が12月25日であることを示す証拠はありません。聖書中に誕生の日付は記されていません」
「クリスマスは,異教の慣習や儀式に由来するので,神に是認されていない,とわたしたちは考えています」
「イエスの使徒たちと初期の弟子たちは,クリスマスを祝いませんでした」
「イエスは,自分の誕生ではなく死を記念するよう命じました」
と、もっともらしい理由を挙げていますが、その本心はイエス・キリストの誕生を祝いたくないのです。
彼らは一番大切なクリスマスの意味、目的を理解していません。イエス・キリストの神性を否定しているからです。


さて、来年は2018年。
これを日本では西暦と言いますが、「西暦」はただ単に「西洋の暦」ではありません。
英語では紀元前をBC、紀元後をADと言います。
このBCは Before Christ (キリスト前)、ADは Anno Domini (主〔=イエス・キリスト〕が支配しておられる年)という意味です。キリストが誕生して2018年目ということです。
つまり、世界の歴史はイエス・キリストの誕生で二分されたのです。
それぐらい大きな出来事でした。


ただ、このBCとADは紀元6世紀ごろに決められたものです。
新約聖書によるとキリストが十字架にかかって死に、その後に復活したのはユダヤ教の過越祭の頃だったということが分かります。過越祭の日は春分の日を過ぎてから最初の満月の日と定められていて、532年周期で一巡します。また、イエスが十字架にかかったのは30歳とされていました。
これらのことから、イエス・キリストが誕生した年を割り出して、AD1年と定めました。


反キリスト教の立場の人たちの中にはイエス・キリストの存在すら認めない人もいますが、キリストの誕生が書いてある有名なルカの福音書の2章1節〜7節に、当時のローマ帝国の皇帝アウグストゥスが住民登録を行ったと書いてあり、この住民登録の最中にイエス・キリストが誕生したことが書いてあります。この住民登録はBC4年頃に実施されたと言われています。
イエスの存在については、ヨセフス、タキトゥス、スエトニウスといった1世紀の歴史家がその著作の中で言及していることからも明らかです。


マタイの福音書2:16にユダヤ地方を治めていたヘロデ王が2歳以下の男の子を皆殺しにしたと書いてあり、さらにマタイの福音書2:19には、ヘロデ王が死んだとあります。ヘロデ王が死んだ年は歴史研究でBC4年と判明しています。これらのことを元にイエス・キリストの誕生はBC4年に修正されました。
このことが後に判明しましたが、BCとADがすでに世界で広く使われていたので途中で変更するわけにもいかず、そのままイエス・キリストがBC(キリストの誕生前)4年に誕生したという矛盾が起きてしまいました。


それでは12月25日はどうなのでしょう?
ルカの福音書2章8節の記述から、誕生の頃羊飼いが放牧していたことが分かります。当時のイスラエルでは、寒い時期に羊を放牧することはないため、この時期は暖かい時期であることが分かります。
当時は人が死んだ年はきちんと記録されていましたが、誕生日については現代のようにそれほど重要視されていなかったために記録は残っていません。
以上のことから、12月25日でないことは明らかです。
歴史の中で12月25日にクリスマスをキリスト誕生祭として祝う習慣になったのです。


それでは、12月25日でないのにイエス・キリストの誕生日をお祝いすることは誤ったことなのでしょうか?
「日が長くなりはじめる冬至のころに『太陽の再生』を祝うために行なわれた異教の祭りが起源」だから12月25日にイエス・キリストの誕生をお祝いするのは間違っているとエホバの証人は言います。
そのように言うことによってイエス・キリストの誕生の大切さをぼかしてしまっているのです。


しかし、世界中のクリスチャンがクリスマスにイエス・キリストの誕生をお祝いするのは、
「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネによる福音書 3:16)
という理由からです。


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キリストの誕生の日がはっきりと分かっていないのは、ある意味神様の知恵にかなうことです。
なぜなら、イエス・キリストは1年365日、いつでも信じる者の心の中に誕生してくださることができるからです。
以上のことから、クリスマスを12月25日にしているのは、キリストの誕生を象徴的にお祝いするためで、正しいことなのです。


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どのような結果が出るか分からなくても

2017.12.24日

"You may never know what results come from your action. But if you do nothing, there will be no result."
--Mohandas Karamchand Gandhi - 1869-1948, Led India to Independence
「行動を起こしてどのような結果が出るかは誰にも分からない。しかし、何もしなかったら結果すらない」
--モハンダス・カラムチャンド・ガンディ(マハトマ・ガンディ)、インド独立運動指導者
(訳 舟田譲二)


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ガンディは私の尊敬する人物の一人で、これまでこのブログで何度か取り上げてきました。
暴力を用いないで政治や社会を変えることなど不可能だと考えられていた時代に、南アフリカ共和国で公然と行われていたアフリカ系の黒人やインド人も含むすべての有色人種に対する人種差別の問題に立ち向かい、後にはイギリスからのインドの独立運動も「非暴力、不服従」で成し遂げました。
イエス・キリストの言った「右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい」という言葉に心を動かされ、「非暴力非服従闘争」という革新的な手法を取ったのです。


「行動を起こしてどのような結果が出るかは誰にも分からない」とガンディも言うように、果たしてそれがどのような結果を生むか、彼には分かりませんでした。
「わたしの信念によると、もし、臆病と暴力のうちどちらかを選ばなければならないとすれば、わたしはむしろ暴力をすすめるだろう。インドがいくじなしで、はずかしめに甘んじて、その名誉ある伝統を捨てるよりも、わたしはインドが武器をとってでも自分の名誉を守ることを望んでいる。しかし、わたしは非暴力は暴力よりもすぐれており、赦しは罰よりも、さらに雄雄しい勇気と力がいることを知っている」と語り、敢えて非暴力の道を選んで行動を起こしたのです。
それは、「何もしなかったら結果すらない」からでした。


果たして彼の信念のとおり、イギリスはついにインドの独立を受け入れる結果となりました。
さらにガンディの信念は、マーティン・ルーサー・キングJrを始めチャップリン、ネルソン・マンデーラ、ジョン・レノンらに受け継がれていったのです。
どのような結果が出るか分からなくても行動を起こすことの大切さを、ガンディは私たちに教訓として残してくれました。行動を起こさなければ何も起きないからです。


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感謝の心は静かな喜び

2017.11.24日

"There is a calmness to a life lived in gratitude, a quiet joy."
--Ralph Blum (1932-2016) Screenwriter
「感謝の心を持って過ごす人生には静けさがある。静かな喜びだ」
--ラルフ・ブルーム、脚本家
(訳 舟田譲二)


ラルフ・ブルームは文化人類学者、作家でもありました。
むしろそちらのほうでよく知られています。
ある時、イングランドで研究中、2000年前の古代バイキングの粘土板に刻まれた24のアルファベットに出合います。25番目は何も刻まれていない白の板でした。


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ラルフはこの出合いを自分が見つけたのではなく、向こうから自分を発見してくれた、と言っています。
そしてこの文字板をいろいろと並べ替えているうちに、上の写真の順番になり、右上から左に順に読んでいくと、人生の主要なテーマである「自分」「協力」「合図」「退避」「力」「開始」「肥沃」「防御」「保護」「所有」「喜び」「収穫」「機会」「戦士」「成長」「活動」「流れ」「旅」「出入口」「突破」「休止」「一体」などで、そして最後の白いのは「神聖」だと発見します。
「かつてマーガレット・ミードが言った、"A-B-C-D...X-Y-God”という私が知っている唯一のアルファベットだ」
とラルフはピンときました。


ラルフはこの時、無職で一文無し、鬱の状態でしたが、これこそが自分の生涯の仕事と信じました。
彼はこの粘土板の文字は神からのe-mailで、これこそ神から私たち現代人へのメッセージだと言っています。人々に伝えることにより自分が会うことのない何百万人もの人たちの知恵・行動指針になると信じ、これを読解したノンフィクションをシリーズで5冊も書きました。


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ラルフ・ブルームは、
「感謝の心を持って過ごす人生には静けさがある。静かな喜びだ」
と語り、その言葉どおりに、前立腺癌が発見されてからも化学療法や放射線治療を一切受けずに27年間生きて著作・啓蒙活動をし、「静かな喜び」に満たされて昨年84歳で天寿を全うしました。


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映画『十戒』のシーンをを彷彿とさせる光景

2017.09.16日

去る9月10日、バハマ諸島からキューバ、そしてフロリダを直撃し、各地に大きな爪痕を残した超大型ハリケーン「イルマ」。
その威力は最大風速85mといい、バーブーダ島では島の建物の95%が倒壊・損傷したそうです。
最近、日本を含め地球の至るところで異常気象による大災害が頻繁に起こっています。地球温暖化の影響を受けた海水温の上昇が原因と考えられています。
下はキューバの街の写真ですが、もうこのような光景は見慣れてしまいました。


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しかし、次の写真にはちょっとビックリ!
バハマの美しいエメラルドグリーンの海が消えてしまったのです。


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なんと低気圧によって海水が上空に吸い上げられてしまったというのです。
このような現象は理論上は起こりうるが、実際に発生した例はほとんどないと気象学者らもびっくりしたそうです。
これがその様子を撮った動画です。



見渡す限り乾いた海底でその上を人が歩いています。
そして13時間後には水が元に戻ったそうです。それが次の動画。



チャールトン・ヘストン主演の映画『十戒』(1956年作)の中で、モーセが杖を振り上げると紅海が真っ二つに割れて乾いた地が現れ、そこをイスラエルの民が渡ってエジプトを脱出し、その後を追ってきたエジプトの軍勢が戻ってきた海の水に飲まれる名シーンを彷彿とさせます。映画では特撮のものすごい劇的なシーンでしたが、今回のイルマの実例で実際には超自然の力が働いて似たような状況が起きたことは想像に難くありません。


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散る桜 残る桜も 散る桜

2017.04.27日

散る桜 残る桜も 散る桜


江戸時代の曹洞宗の僧侶で、歌人でもあった良寛和尚の辞世の句と言われています。
このほか、
「散らぬ桜に散る桜、散らぬ桜も散る桜」とか
「散る桜 散らぬ桜も散る桜」
などいろいろなバージョンがありますが、言っていることはみな同じです。


つい1週間ほど前、「遅咲き」という記事の中に、いつものウォーキングのコースに周りの葉桜に囲まれて1本だけ七分ほど花をつけている桜の木を見て感動を覚え、桜の遅咲きから人の遅咲きに思いを馳せたことを書いたのですが、昨日の早朝同じところを歩いてみると、その桜もきれいに葉桜になっていました。(当たり前のことですが)


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これを見たとき、冒頭の一句が頭によぎったのです。
散った桜の花がすっかり色あせて赤茶け、人が歩いたり自転車が通るところを除いて小径(こみち)を覆っています。
頭の上には美しい若葉が生い茂っています。
今勢いあるこれらの葉も秋には全部落ちて地を覆います。
そして、落ちた花びらもまた葉もやがて腐り、土と混ざって腐葉土となり木に栄養を与え、それがまた来春の美しい花を咲かせ、葉を茂らせる。
これを何十年、何百年どころか、何千年と繰り返している。


考えてみたら、私たち人間も同じ。
私たちが今歩いている道、住んでいる町の下にも何百年、何千年という歴史が詰まっている。
数えきれないほどの人がかつてこの地の上で生活し、やがて死んで、それが肥やしとなって今日に至り、私たちが今ここで生活しているのです。


私たちも一人もれなく、この「散る桜 残る桜も 散る桜」と同じく散っていきます。
これが世の常、生まれてきたもの、万物の宿命であり、これをやたらと怖れたり、儚(はかな)んだり、悲しむ必要などありません。
当たり前のことなのですから。
むしろ、この世に、この世の命や物質に執着するから死を怖れたり、別れを悲しんだりするのです。


大切なことは、桜の花や葉が腐葉土となり肥やしとなって次に命をつないでいるように、私たちも単に物質としてだけでなく、霊や精神、また知性などが子どもや孫の代に、さらに綿々と後世に受け継がれていくというところに目をやることです。


そのことを思うと、今、ここに生かされていることが、とてつもなく偉大なこと、素晴らしいことに思われてきます。
しかも、それが単に有名人や能ある人、歴史に名を残すような偉大な人物だけでなく、生まれてきた人すべてがこの尊い使命に生かされているということ。
このように考えると、ほかの人の命も、また同様に自分の命も決して粗末にはできません。さらにもっと積極的に、大切にしなければならないということに気づくはずです。


現代の教育でこのような視点が一番欠けているのではないかと常々思っています。
教育とは、単にテストで点を取り、志望校に合格し、企業に就職し、地位を築き、名声を馳せ、財産を築くためにあるのではありません。


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時代の流れに飲みこまれないように

2017.03.03日

NHKの連続テレビ小説『べっぴんさん』もあと1か月を切り、最終章に入りました。
昨日まで1970年の大阪万博当時の日本を描いていました。
大学生だった私も家族や友人たちと一緒に何度か足を運びました。当時の思い出がよみがえってきます。あれからもう47年も経つのですね。


面白いと思うのは、万博のシーンが実写版のニュースで映し出されると、人々が身に着けている服装だけでなく、身体のスタイルや顔つきまでが現代の日本人と違うということです。
また、ニュースの中で語っているアナウンサーの声や話し方もまったく異なっています。それはドラマのシーンによく出てくる、昭和天皇による終戦の詔書のラジオ放送の音声のような響きを感じさせます。
昨日のシーンでは、エイス社長の栄輔が「21世紀の子どもたち」というショーを演出します。
ここに登場するのはもちろん現代の子どもたち。するとやはりごく普通の21世紀の現代っ子の顔をしています。そしてドラマの中で時代の寵児だった栄輔も、現代の若者で、47年前の若者とはまったく違います。当たり前のことですが(笑)。


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コンパニオンに抜擢されたのは、おそらく流行の最先端の人たちだったのでしょうが、今ではなんか時代遅れで、ちょっと日本人じゃないようにすら思われます。
そして、この人たちも今や70歳前後。若かった私もそうなのですからごくごく当たり前のこと。


時代の変遷を感じるとともに、私たち人間はひとりの例外もなく確実に老いて(円熟して)いき、次の世代の人たちにバトンタッチをする。そして、それが数えきれないほどの世代、脈々と繰り返されて現在に至っていると肌身で感じます。


私が小学生の頃当たり前だった白熱灯は徐々に蛍光灯に変わっていき、それが今やLEDにどんどん取って代わっていっています。
出始めた当時、画期的だったブラウン管白黒テレビは、今や薄型の壁掛け50インチ大画面、映像も信じられないぐらい美しい4K。
初代新幹線0系はとっくに姿を消し、もうすぐリニア新幹線の時代になります。


ヒトもモノもどんどん変わっていきます。
しかし、永遠に変わらないものがあります。
私たちはそこに目を注がないと、めまぐるしい時代の流れに飲みこまれて、自分を見失ってしまいます。


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たらちね考

2016.04.09日

一昨日の夜、中3生のTさんに国語を教えていました。
国語が好きで得意と言うTさん、さすがにとてもよくできます。読解問題などはほとんどいつも全問正解。
「難解」な文章は、傍線を引きながら、それこそ「何回」も読んで正解に導きます。
苦手意識を持っている文法問題も少し教えるとすぐ飲み込み、どんどんできるようになります。


一昨日は、やはりTさんが苦手としている詩と俳句・短歌でした。
苦手と言っているのに、自分で一生懸命考えて、やはりほとんど全部できています。間違えたところや、よくわからなかったところを中心に教えるのですが、全部納得してくれます。
短歌のところで枕詞(まくらことば)の「たらちね」が出てきましたが、もちろん彼女にとって初顔合わせです。


足乳根の母に連れられ川越えし
田越えしこともありにけむもの

斎藤茂吉


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(斎藤茂吉生誕地 山形県上山市月岡公園内歌碑)


意味がわからないようなので、私が自分の昔の記憶で教えようとしたのですが、その前に念のためと、ちょっとiPhoneでネット検索すると意外や意外。私が習ったこととまったく違うことが書かれています。


私が教わったのは「垂乳根」、すなわち乳が垂れた老いた母のイメージだったのですが、別解釈に「足乳根」で、「満ち足りた乳」、すなわち授乳中の豊かな乳というのがありました。
さらに、もともとは「たらちね」、漢字を当てたのは後世で、意味はないとするもの。
そして、元来の意味は未詳というものも。


Tさんには一応これらみんなの解釈を教えましたが、後でいろいろ思索しました。
ネット記事の中に「垂乳根の母とは、乳が垂れた母親のことを言うのですか? なんて下品で卑わいなのでしょうか」というのがあり、思わず笑ってしまいました。
きっと、ボ…、ペ…のようなイメージを持った、若い女性の方が書かれたのでしょう。


私が子どもの頃は、近所のおばさんだけでなく、若いお母さんが電車やバスの中など公衆の面前で恥ずかしさなど微塵もなく、胸を出して赤ん坊に乳を飲ませている情景などざらでした。
これを卑わいなんて誰も思いませんでした。
ましてや「たらちね」という言葉が生まれたのは、今から約1200年も前の万葉集の時代ですよ。


私が思うに、
「垂乳根の 母が釣りたる 青蚊帳を すがしといねつ たるみたれども」
に見られるように、「たらちね」はもとは「乳が垂れた老母」の意味だった。
しかし、新たに「足乳根」という漢字がつけられて、「ふっくらした乳」の意味になり、やがて両者の意味が薄れていって、意味のない単なる枕詞と言われるようになったので、その歌によって捉え方は異なるのではないか、と。
だからどの解釈も正解でしょう。


そう言えば、私自身も子どもの頃の母のイメージはふくよかな乳、そして晩年は垂れた乳でした。
そのいずれも、あたたかさを感じこそすれ、卑わいさなどあろうはずもない。
なにせ、「たらちね」は「母」にかかる枕詞で、「女」にかかるものではないのだから。


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新超ひも理論

2015.11.23日

昨日の記事「音楽に見られるひも理論」に書いた、NCM2のクリスマス・コンサートは本当に素晴らしいもので、魂を揺さぶられました。
記事の中でご紹介した「輝く日を仰ぐとき」が、午前の礼拝に続き、コンサートでもまた賛美されました。
また、40年近く前、導かれた教会の祈祷会でよく賛美していた「歌いつつ歩まん」が歌われ、当時大変お世話になった日系1世のおじいちゃん、おばあちゃんたちのことを思い出し、胸がいっぱいになり涙が止まりませんでした。
その昔、長男の直人もこのNCM2のメンバーとしてご一緒に賛美させていただいていたのですが、「直人くんのお父さんですか?」と何人もの方々から声をかけられたり、ブログを読んでいますと言ってくださる方など、このコンサートでも「ひも」でつながっている人があまりにも多くて驚かされました。


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さて、これまで8回にわたって「勉強のひも」について書いてきました。


「勉強のひも」と書きましたが、実はこれは「勉強」に限らず、人の人生や人間関係や人の好みや趣味を始め、その他諸科学や芸術、地球や宇宙の諸現象、引いてはすべての事物の成り立ちや起源にも通じることで、私はこれを「ひも理論」と名づけようと思ったのですが、ネットで調べてみると既にその名称も、また「超ひも理論」も物理学の世界で存在していることを知り、敢えて「新超ひも理論」と名づけたのです。


ひも理論については、Wikipediaが的を射た説明していますので下に引用させていただきます。
超弦理論(ちょうげんりろん、英: superstring theory)は、物理学の理論、仮説の1つ。物質の基本的単位を、大きさが無限に小さな0次元の点粒子ではなく、1次元の拡がりをもつ弦であると考える弦理論に、超対称性という考えを加え、拡張したもの。超ひも理論、スーパーストリング理論とも呼ばれる。
宇宙の姿やその誕生のメカニズムを解き明かし、同時に原子、素粒子、クォークといった微小な物のさらにその先の世界を説明する理論の候補として、世界の先端物理学で活発に研究されている理論である。この理論は現在、理論的な矛盾を除去することには成功しているが、なお不完全な点を指摘する専門家もおり、また実験により検証することが困難であろうとみなされているため、物理学の定説となるまでには至っていない。


ちょっと読んだだけでは???という感じかもしれませんが、簡単に言うと、この宇宙の中のすべての成り立ちは超微粒子ではなく、超微粒「ひも」でできていて、すべてがつながっているということです。


このブログにもこれまで何度か量子物理学のことを取り上げてきましたが、私自身は物理学に関しては全くの素人、門外漢ですが、直感的に非常に納得がいきますし、またとても心そそられる分野です。


この難解な「ひも理論」を、私たちの日常生活レベルで語っているのが、私の「新超ひも理論」です。
もしこの広大な宇宙が点のようなバラバラの粒子の集まりで成り立っているのでなく、ひものようにつながりがあるとするならば、ましてや私たちのような極めて小さな存在で、有限な人間ならなおさらのこと、様々な点のつながりであるひものようなもので成り立っているということは容易に想像がつきます。
また、その方がはるかに私たちを納得させてくれ、人生に対してより深い洞察力が与えられます。


一例を挙げると、夫婦関係や親子関係、友人関係、同僚関係、師弟関係などすべての人間関係に、さらに広げると国家関係にも当てはまります。
言うまでもなく、これらの関係がうまくいくかこじれるか、戦争状態になるかなどは、すべてそれまでの数えきれないほどのお互いの関わり合い方の結果であって、「ある日、突然!」何か特別なことが起こったわけではありません。
これを言い換えると、すべての事象はそのときどきの出来事の積み重ねの結果、つまり何らかの原因があってその結果がある、ということができます。
ということは、現在起こっている出来事自体は変えることはできないが、これから先のことはどんなことでも自分の意志次第でほとんど変えることができると言えます。(『バック・トゥー・ザ・フューチャー 』


つまり、個々バラバラに見えることでも、それぞれの間に存在する目に見えない引力のようなものですべてがつながっているのです。
これが、私の提案する「新超ひも理論」です。


私たちが今、この世に存在しているのは、母親が生み出してくれたお陰です。
しかし、父親も必要でした。
さらに、その父親にも母親にも同様に父親と母親が必要で、とどんどんさかのぼっていくと、当たり前のことですが一度も途切れることなくひものようにつながっていて、結局はみんな同じところにたどりつくことになります。


宇宙がある日突然、意味もなくビッグバンで生まれ、その後自然の流れで今日に至り、その過程で偶然に単細胞の生命が生まれ、それがどんどん進化していった結果、私たちが現在この世に生きているのだとすれば、人生には何の意味もなく、生きる目的もなくなり、「飲めや、食えや」でその日その日を面白おかしく生きていけばいいことになります。
でも、私たちは直感的にそうではないことを知っています。
このように「人生のひも」が見えると見えないでは、人生は180度変わってきます。


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意欲に(1492)狂ったコロンブス‼️

2015.06.08日

"If Columbus had turned back, no one would have blamed him. No one would have remembered him, either."
-- Anonymous
「もしコロンブスが引き返していたら、だれも彼のことを非難しなかっただろう。まただれも彼のことを覚えていなかっただろう」
-- 作者不詳
(訳:舟田 譲二)


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コロンブスと言えば、「意欲に(1492年)燃えるコロンブス、新大陸発見」の語呂合わせで覚えた例のやつで、みんな学校で学びました。また、コロンブスはたどり着いたところを新大陸とは思わず、インドだと思い込んでいたので、出会った原住民のことをインディアンと呼んだこともみんな知っています。


新大陸発見を祝う凱旋式典で「誰でも西へ行けば陸地にぶつかる。造作も無いことだ」などとコロンブスの成功を妬む人々に対し、コロンブスは「誰かこの卵を机に立ててみて下さい」と言い、誰も出来なかった後でコロンブスは軽く卵の先を割ってから机に立てた。「そんな方法なら誰でも出来る」と言う人々に対し、コロンブスは「人のした後では造作も無いことです」と返した。これが『コロンブスの卵』の逸話であり、「誰でも出来る事でも、最初に実行するのは至難であり、柔軟な発想力が必要」「逆転の発想」という意の故事で今日使われています。


しかし、冒頭の言葉を見て「ん?」と首をかしげました。
私の頭の中ではコロンブスはある意味、英雄だったのです。
そのコロンブスがなぜ非難されたり、忘れ去られなければならなかったのだろう?
そこで早速、いつものごとくWikipediaで「コロンブス」を検索して彼が非難される理由を調べました。
記事を読み進むうちに、驚きが反吐(へど)が出そうになるほどの不快感に変わっていきました。
とても長いのでその一部を下に引用します。


最初に上陸した島でコロンブス一行は、アラワク族インディアン達から歓待を受ける。アラワク族は船から上がったコロンブス達に水や食料を贈り、オウムや綿の玉、槍やその他見たことのないたくさんのものを持ってきた。コロンブス一行はそれをガラスのビーズや鷹の鈴と交換した。だがしかし、コロンブスの興味は、ただ黄金にしかなかった。彼はこう書き残している。
「私がインディアに到着するとすぐに、私が見つけた最初の島で、彼ら原住民(アラワク族インディアン)たちに、私に差し出さなければならないものがこの品々の中にあるのかどうか教え込むために、私は力ずくで原住民の何人かを連行した」
「彼らは武器を持たないばかりかそれを知らない。私が彼らに刀を見せたところ、無知な彼らは刃を触って怪我をした。 彼らは鉄を全く持っていない。彼らの槍は草の茎で作られている。彼らはいい身体つきをしており、見栄えもよく均整がとれている。彼らは素晴らしい奴隷になるだろう。50人の男達と共に、私は彼らすべてを征服し、思うままに何でもさせることができた」
コロンブスはこの島で略奪を働き、次に現在のキューバ島を発見。
帰還したコロンブスを歓迎して宮殿では盛大な式典が開かれた。コロンブスは航海に先んじて、発見地の総督職、世襲提督の地位、発見地から上がる収益の10分の1を貰う契約を交わしていた。この取り決めに従い、コロンブスはインディアンから強奪した金銀宝石、真珠などの戦利品の10分の1を手に入れた。また陸地を発見した者には賞金が王夫婦から与えられるとされていたのだが、コロンブスは自分が先に発見したと言い張り、これをせしめている。
コロンブスの軍勢は凶暴性を増し、窃盗、殺人、強姦、放火、拷問を駆使して、インディアンたちに黄金の在処を白状させようとした。
コロンブスが何カ月もの間病いに臥せっている間、コロンブスの軍勢はやりたい放題の大虐殺を続けた。コロンブスが快復するまでに、5万人以上のインディアンの死が報告されている。やがて完全復帰したコロンブスの最初の仕事は、彼の軍勢に対し、略奪を組織化することだった。
1495年3月、コロンブスは数百人の装甲兵と騎兵隊、そして訓練された軍用犬からなる一大軍団を組織した。再び殺戮の船旅に出たコロンブスは、スペイン人の持ち込んだ病いに倒れ、非武装だったインディアンの村々を徹底的に攻撃し、数千人単位の虐殺を指揮した。コロンブスの襲撃戦略は、以後10年間、スペイン人が繰り返した殺戮モデルとなった。
彼らは刀の切れ味と男ぶりを試すため、捕虜のインディアンの首を斬り落とし、または胴体を真っ二つに切断し、賭けの場とした。捕えた酋長を火炙りにしたり、絞首刑にした。
1492年の「新大陸」へのコロンブスの上陸時に約800万人いたインディアンの人口は、1496年の末までに、その3分の1までに減った。
ラッセル・ミーンズは、「コロンブスは大西洋を横断した世界初の奴隷商人だ。コロンブスの前では、アドルフ・ヒトラーはまるでただの不良少年だ」、AIMコロラド支局代表のインディアン、グレン・モリスは、コロンブスを「殺人者であり、強姦者であり、今日も続く大量虐殺思想の大立者である」、ウィノナ・ラデュークは、「生物学的、技術的、生態学的な侵入は、500年前のコロンブスの不幸な航海から始まった」とコメントしている。


知らないことは恐ろしいことです。
意欲に狂ったコロンブスがやったことは、IS(イスラム国)と変わりない、と言うよりもそれ以上にひどいではありませんか。
これを読んでいて、コロンブスが途中で大航海をあきらめて引き返していたことを心から願った次第です。
人間の罪の恐ろしさをまざまざと見せつけらました。


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ノアの洪水 Part3

2014.10.30日

ノアの洪水と言うと、ほとんどの人は知っていますが、子どもだましの伝説だと思っています。
「ノアの洪水は単なる寓話だ」と言う人もたくさんいます。
あるいは、少し知識のある人なら、「地球全体を覆うような水はいったいどこから来たのか?」とか「地球上の動物すべて一つがいずつなんて膨大な数になって箱舟に全部入るわけがない」「箱舟に乗っている間、動物たちの食料はどうしたのか?」などと質問したりします。


今日のシリーズ最終回では、これらの質問に答えるのみならず、なぜ聖書にノアの洪水の物語が載っているのか、その目的や意味はなにか、などについて説明している動画をご紹介します。


この動画はかつて私が住んでいたカリフォルニア州、ロサンゼルス市内の海岸や大学のキャンパス内、街角で老若男女、さまざまな人にインタビューするユニークな形式で展開されていて、とても興味深く見ることができ、最後には私たちも大いに考えさせられる素晴らしい内容になっています。
ちょっと長いですが、ぜひ最後までご覧になってください。
また、何かご質問などありましたらお気軽にどうぞ。



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ノアの洪水!?

2014.10.28日

まずは下の写真をご覧になってください。









これらは THE GENESIS FLOOD (John C. Whitcomb, Jr. Henry M. Morris, BAKER出版1961)からのものです。
著者二人は有名な創造論者です。
一番上の写真はアメリカのテキサス州、パラクシー川の河畔で発見された恐竜の足跡の化石です。一般的には約1億年前と言われる白亜紀のものです。
歩幅からいうと、かなり大股で川下から川上に向かって走っている様子がうかがえます。
興味深いのはその恐竜のすぐ右隣に人の足跡らしきものが残っているということです。


その下の写真は、そこで見つかった恐竜と人の足跡をはっきりと示したものです。右のものは明らかに人間の足跡だとわかります。
さらに一番下の写真は、その人間の足跡を現代人の足の大きさと比較したものです。
足跡の大きさからすると、巨大な人であったことがわかります。


これらのことから何がわかるのでしょう。
1億年も昔でない時代に、恐竜と人間が共存していた(「あなたは、御力をもって海を分け、海の巨獣の頭をくだかれました」詩篇74:13、ほか)ということ。次に、人間が巨大であった(聖書中に巨人の表記はたくさんある)こと。そして、川下から川上に向かって大股で走っていたということ。
つまり、3.11で大津波がやってきたときに、人々が逃げようとして高台に向かって必死で走っていたように、この当時の人々や恐竜などの動物も洪水から必死で逃がれようとして川上に向かって走っていたということです。この洪水とは、そう、聖書に出てくるノアの洪水です。


ノアの洪水に類する洪水伝説は世界中の民族の間に残っています。そのこと自体が、実際に地球全体を覆うような大洪水が起きたことの証拠ではないでしょうか。


最後に、下の動画をご覧ください。これでノアの洪水が単なるおとぎ話や伝説でないことがご納得いただけることと思います。少し長いですが、とても興味深く見られ、あっという間に終わると思います。




この項、明日の記事に続きます。


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豚のローストビーフ!?

2013.09.05日

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去る8月28日にNHK総合で放映された「歴史秘話ヒストリア」では、今日の観光都市京都の魅力の裏話を紹介していました。たった今、録画されていたものを見たのですが、これは意外中の意外、おそらく多くの京都人ですら知らないような話でした。


京都は、京都御所を中心に様々な職人や商人の住まいが立ち並び、日本の宮廷文化を支える街として繁栄を謳歌していました。
ところが、元治元(1864)年7月、御所の蛤御門をめぐる戦いで火事が発生。炎は瞬く間に京都中に広がり、2万7500軒を焼き尽くす大惨事となったのです。
京都の火事を前に、大久保利通は天皇を京都から東京へ移し、東京を新な都にしようという計画を立てました。大久保は京都から天皇を引き離し、東京で新しいく国づくりをすべきだと考えます。京都とつながりの深い保守的な公家や寺社などは強硬に反対。大久保は保守派を説得するために「行幸」(ぎょうこう)ということにし、天皇が東京へ行くのはあくまでも「お出かけ」であり、また京都に戻ってくるということにします。


明治元(1868)年10月13日、天皇は江戸城に入り東京城と名を改めます。2ヶ月後、天皇は予定通り京都に帰ってきました。しかし、京都の人々の間ではいずれ都が東京に移るといううわさが絶えません。
新政府は人々を安心させるためにお触れを出し、京都の町内一つひとつに明治天皇の名義で御土器などを配ります。これに喜んだ京都の人達は、仕事を2日間休んで天皇から頂いたお酒を心ゆくまで楽しんだといいます。


明治2(1869)年3月、天皇は再び東京に行幸します。しかも、今回の行幸は太政官という当時の政府をまるごと東京に引き連れて行ってしまい、事実上の遷都を意味しました。
これに京都の人達は、天皇が東京に行った後もまだ残っていた皇后に京都を離れないよう訴えたといいます。しかし、群衆は門兵に追い払われて皇后も東京へと出かけました。
さらに、保守派の公家2人は日光で兵を挙げ、天皇を京都に連れ帰ろうとクーデターを計画しましたが事前に情報が漏れて失敗。
明治3年の正月を天皇と皇后は東京で迎え、京都は首都の地位を東京に明け渡します。天皇を失った京都の産業は御所という得意先を失い、廃業または東京へついていく店が続出。京都の人口は一挙に3分の2に減り、閑古鳥が鳴くありさまだったといいます。


現在の京都は年間5000万人を超える観光客が訪れる日本屈指の観光都市です。
その観光客の中でも特に目につくのが外国人の姿で、大河ドラマ「八重の桜」の主人公の兄で会津藩士だった山本覚馬は戊辰戦争後に京都府に顧問として迎え入れられ、衰退した京都を蘇らせるために注目したのが外国人の力を借りることでした。


1867年に開かれたパリ万博には42か国が参加し、各国の特産品や最新の科学技術が披露され900万人が押し寄せました。日本館は東洋風で精巧に作られた工芸品が高い評価を受け人気を博します。山本覚馬はこの日本のブームに目をつけて、京都で博覧会を実行すべく京都博覧会社を設立。


博覧会の開催に向けて、街を挙げての準備が始まります。会場は多くの人が入れるよう西本願寺・知恩院・建仁寺が提供。肝心の展示品は街の人から外国人が喜びそうな品物が集まり、英文のガイドブックを作るために山本覚馬の手助けをしたのが妹 八重でした。


明治5(1872)年3月、第一回京都博覧会が始まります。選りすぐりの工芸品などが展示され、80日間で外国人770人を含む4万人が会場を訪れて博覧会は大成功を収め、翌年に御所で開催した博覧会には40万人の人出でにぎわいました。
街の人たちも初めて接する外国人のおもてなしに奮闘します。老舗の料亭が外国人の食事を担当し、試行錯誤の末にフランス料理のフルコースを完成させます。
そのメニューになんと「豚のローストビーフ」や「鶏のローストビーフ」なるものが残っているのです。
京都の人たちの気配りは外国人の安全にまで及んでいて、外国人専用ガードマンが配備されました。
こうして京都の産業は外国という新たな得意先を見つけ、復興の糸口を掴んでいったのです。
(以上、「TVでた蔵」の一部を抜粋、改変)


京都の奇跡的な大復興の陰に「八重の桜」の八重がいたのです。
感動!
京都を心の故郷と思っていた私にとって、大きな驚きの発見でした。


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世界を変えた28日間

2013.04.20日

昨日封切りされた「リンカーン」を今日、観に行ってきました。感動の大作です。
「撮影は2011年10月17日に開始され、同年12月19日に完了した」という超スピードの制作にもかかわらず、信じられないぐらいの素晴らしい出来栄えです。それもそのはず、スピルバーグ監督は1999年にこの映画の構想を練り始めていながら、最初に出来上がった脚本が気に入らないと言って脚本家を変え、さらに2度書き直しをさせています。
さらに、リンカーン役のキャスティングも途中で変えられ、最初の俳優は役作りのために「リンカーンを広範囲にわたって研究し」、あとを引き継いだ「デイ=ルイスは本作への出演を1年間の準備期間を条件に受諾し、『私が興味を持ったのは、リンカーン個人の経験を主観的に理解すること』であると語っている。そのために髪やあごひげを伸ばし、リンカーンが書き残した書物を読みあさり、メアリー・トッド・リンカーン役のサリー・フィールドと4カ月間 当時の文体でつづって文通を行った」(以上Wikipediaより抜粋)といいます。


出演者のメイクも一流でリンカーン大統領もメアリー・トッド婦人も本物そっくり。


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とてもしぶい役作りをしていたのは、缶コーヒーBOSSのCMに宇宙人として登場するトミー・リー・ジョーンズ。


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さすがベテラン、うまい!
というか、どの俳優もすべてそれぞれの役になりきって演じており、まるで当時の状況を目の当たりに見ているかと錯覚するほどで、2時間半の上映時間があっという間に感じるぐらい引き込まれてしまいました。


ひとりの人間として、父親として、夫として、そして大統領として、悩み、苦しみ、もだえ、考え抜いて自分の信念を貫いていったリンカーン大統領に深い感動を覚えました。
映画の中で彼の語った「もう十分に戦った。これからは憎しみを捨てる勇気を持とう」「今なにをするかがこれから生まれ来る無数の人々の未来を決める」という言葉は、いつの時代、どこの国でも、そしてだれにでも当てはまる大切な教えです。
そして、このリンカーンの命がけの奴隷制度廃止の結果、今日のアメリカがあり、世界があるのです。


お世辞抜きで本当にお薦めの映画です。


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ジョン万次郎

2012.07.04日

2年前に放映され、大人気だったNHKの大河ドラマ「龍馬伝」にも登場したジョン万次郎こと中濱万次郎は、黒船来航の際、漂流をきっかけに米国で10年間過ごすという当時では稀な境遇を生かし、日米和親条約の締結に活躍した人物です。
(その人物像は「ジョン万次郎の愛」にさらに詳しく書かれていますので、ぜひご覧ください)


修養会二日目の今日、進行役を務めていらっしゃる中浜さんとお話ししました。
中浜さんは日本からやって来て、建設関係のお仕事をしていらっしゃいました。こちらで韓国人の女性とご結婚されましたが、この奥様が熱心なクリスチャンで、教会に関心のなかった中浜さんは日曜日はいつもゴルフにふけっていらっしゃったそうです。
ところが、このマウント・ハーモンにやって来て、キリスト教の信仰を持った中浜さんは神様のお声を聞いて牧師になる決意をし、通信教育で神学の学びをし、今はサンフランシスコすぐ近くのエルソブランテという街で、建築のお仕事を続けながら牧師をしていらっしゃいます。
この先生が何と、ジョン万次郎の5代目の子孫に当たる方と直人から聞き、びっくりしました。
お忙しい中、しばらくご一緒にお話しし、お祈りする機会が与えられました。


これまで本で読んだり、テレビで見たりしてジョン万次郎のことは多少なりとも知ってはいましたが、中浜牧師とお知り合いになって、急にとても近しく感じるようになりました。
数奇な人生を歩み、日本の近代化に欠かせない役割を果たしたジョン万次郎でしたが、中浜さんもそれに劣らないほど不思議な神様のご摂理の中で牧師に導かれ、このアメリカの地で日系人のために尊いお働きをしておられます。


お昼は、帰米2世のHさんという方とご一緒して、いろいろとお話を伺いました。
Hさんは、アメリカで生まれたものの幼少の頃、ご両親と日本に帰り、日本で育った後アメリカに帰ってこられました。
ところが、その時第二次世界大戦が勃発。
Hさんは強制収容所に18歳から22歳まで他の日系人とともに入れられるという経験をなさったそうです。
奇しくも、「龍馬伝」と同じ2年前にTBSで放映され、私も見ていた「99年の愛〜JAPANESE AMERICANS〜」の中に出てきた物語と同じ体験をされたのです。
テレビのドラマもご覧になっていらっしゃったそうで、ドラマとほとんど同じだったとおっしゃっていました。
まさにマンザナー強制収容所の体験者の生の声を聞く特権に預かり、とても光栄に思いました。
Hさんは来月89歳になられますが、とても若々しく、お体も頭の方もお元気で、歯も3本のブリッジを除いては全部ご自分のものということで、去年82歳で召天した父(「バレンタインデーに嬉しいことが3つ」)のことを思い出して、本当に驚きました。
Hさんは50年間、ガーデナー(庭師)の仕事をされました。
お客さんの一人に億万長者の方があり、そこで忠実に仕事をしていたところ、リタイア(退職)する時とても惜しまれ、奥様とご一緒に日本への飛行機のファーストクラスのチケットをプレゼントされたそうです。
信仰に入ったのが54歳の時だったそうで、それからの35年は本当に祝福された幸せな人生だったとおっしゃっていました。


今日は、日本とアメリカの歴史を垣間見る貴重な体験をさせていただきました。
感謝。


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いい国つくろう、〇〇〇〇。

2012.06.13日

「いい国つくろう、〇〇〇〇」
と言えば、誰でも中学の時に覚えた歴史年号の語呂合わせ
「いい国(1192)つくろう、鎌倉幕府」
を思い出します。


しかし、今朝の読売新聞20-21面に、「第28回 読売広告大賞」の金賞として紹介されていたのは、
「いい国つくろう、何度でも。」
です。


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これは、去年の9月2日の全国紙の朝刊などを見開きで飾ったもので、当然のことながら私の目も引きました。
1945年8月30日、連合国総司令官のダグラス・マッカーサー元帥が厚木飛行場に降り立つ写真を背景に、「いい国つくろう、何度でも。」という見出しをつけているのですが、これには賛否両論ありました。
しかし、東日本大震災で日本国民全体がかなり大きなダメージを受けていた時に、この「いい国つくろう、何度でも。」に勇気づけられた人はきっと多かったことと思います。
そう言う私もそのうちの一人です。


広告主の宝島社によると、
「敗戦や災害など、これまで幾度となく苦境に直面してきた日本。 日本人はそのつど、不屈の精神と協調性を武器に国を建て直してきた歴史があります。世界のどこを見ても、これほどしぶとく、強い生命力を秘めた国民は存在しないのではないか。そんな気さえするのです。『いい国つくろう、何度でも。』この投げかけを通じて、日本人が本来持っている力を呼び覚ましてみたいと考えました」
ということで、なるほどとうなずけます。


マッカーサー元帥が67年前に厚木飛行場に降り立った時、心の中で「いい国つくろう」と思ったかどうかはもちろん誰にも分かりませんが、敗戦を屈辱的と見るよりも、むしろ敗戦のお陰で戦後、日本はここまで成長発展してこれたのだ、ということは誰しもが認めるところです。
そして、宝島社が言うように、日本人の底力は今回の大震災も福島原発問題も、今後起こるであろうと最近とみに言われている日本全国での大地震や火山の爆発、少子高齢化など幾多の試練もきっと乗り越えていくことができると私も信じるものです。


日本国民みんなで心を合わせ、「いい国つくろう、何度でも。」と大声で叫んで、新しい国づくりに励んでいきたいと心から望んでいます。


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警告!警告!

2010.06.09日

鳩山さんが首相を下りて、菅新首相による新内閣がスタートしました。
首相と閣僚の平均年齢は59歳という若さ。
最年少の蓮舫行政刷新相(42歳)など、新鮮さをアピールしています。
菅首相を始め、みんなやる気満々という感じで、大いに期待したいと思っています。
しかし、かつての自民党政権や前鳩山政権の過ちから学んで、同じ過ちを繰り返さないように気を引き締めなければなりません。


島田洋七著『佐賀のがばいばあちゃん』の中に面白いエピソードが記されています。
「スポーツ万能だった俺だったが、勉強はイマイチだった。...
俺はばあちゃんに泣き言を言った。
『ばあちゃん、英語なんかさっぱり分からん』
『じゃあ答案用紙に、「私は日本人です」って書いとけ』...
『でもばあちゃん、俺、漢字も苦手で...』
『「僕はひらがなとカタカナで生きていきます」って書いとけ』...
『歴史も嫌いでなあ...』
『歴史もできんとか?』...
『答案用紙に、「過去には、こだわりません」って書いとけ』...
俺は本当にこれを書いて、結果は......
殴られた。...」(「過去にこだわらない」)。


「過去にこだわらない」のは大切ですが、「過去から学ぶ」をことはもっと大切です。
ブライアン・トレーシーの How to Raise Happy, Healthy, Self-Confident Children (幸せで、健康で、自信ある子どもの育て方)というCDを今、送迎バスを運転しながら聴いているのですが、その中でブライアンが、学校における学業以外の問題で、1940年代に問題とされたものと1980年代のものとを比較しています。


1940年代の1位 『授業中のおしゃべり』       1980年代の1位 『ドラッグ』
1940年代の2位 『授業中のガム』          1980年代の2位 『アルコール』
1940年代の3位 『授業中に騒音を立てる』     1980年代の3位 『妊娠』
1940年代の4位 『廊下を走る』            1980年代の4位 『自殺』
1940年代の5位 『順番を守らず割り込みする』   1980年代の5位 『強姦』
1940年代の6位 『服装の乱れ』            1980年代の6位 『窃盗』
1940年代の7位 『くずかごに紙くずを捨てない』  1980年代の7位 『暴行』


左側の1940年代に問題になったものを見ると、私の子どもの頃のことを思い出します。
右側の1980年代の問題は、今や日本でもしばしば見かけるようになってきました。
1位の「ドラッグ」こそ、日本ではまだそれほど大きな問題にはなっていませんが、アメリカではドラッグはかつて大学生の間の問題だったのが、やがて高校生から中学生の問題になり、今や小学3〜4年生にまで下りてきているそうです。
ドラッグ問題は、日本でも決して対岸の火事視できません。


かつて、日本の高度成長時代、あちらこちらで水質汚染などの公害問題がたくさん起こりました。
中国が今ちょうどかつての日本のような高度成長時代を迎えていますが、日本の失敗から学ばなければ同じ道を歩むことになります。


歴史から学ばないものは、同じ過ちを繰り返します。


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箱根八里は馬でも越すが

2010.05.04日

「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」
とかつて言われた静岡県の大井川。
江戸の防衛に加え家康の隠居城であった駿府城の外堀の役目を果たすため、架橋はおろか船による渡し舟も厳禁とされました。
このため大名・庶民を問わず、大井川を渡河する際には馬や人足を利用して輿や肩車で渡河した川越(かわごし)が行われました。このため、大井川は東海道屈指の難所とされ、『箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川』と詠われたのです(Wikipediaより)。


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ゴールデンウィーク、妻と名古屋のほうに出かけてきたのですが、この大井川は今や東名高速で越えるのにほんの20数秒しかかかりません。


「箱根八里は馬でも越すが」
今から9年近く前、次男の正人が自転車で広島へひとり旅に出かけました(「距離・速さ・時間」)。
正人は2日目、箱根を自転車で越えました。
あまりにもしんどくて、何度も途中でくじけそうになったそうです。
あと、関が原の峠越えが向かい風でなかなか進まなくて大変だったとのこと。
でも、一番怖かったのは、峠でもトラックでも車でもなく、目の前の道路を横切った蛇だったとか。
箱根もその気にさえなれば自転車で越せるでしょう。
ましてや大井川なんて自転車だとちょろいでしょう。


さて、東名高速では箱根は迂回しますし、大井川もほんの20数秒であっという間に越えます。
しかし、「越すに越されぬ」のは「渋滞」。
昨夜はまだ大渋滞前でしたが、それでもあちらこちらで中渋滞し、普段4時間足らずのところ6時間近くかかりました。
運転しながらつくづく思いました。
きっと22世紀になっても、ドラえもんの「どこでもドア」は発明されないだろうな、と。
ドラえもんの便利な秘密道具で一番欲しいのはこの「どこでもドア」です。
これがあれば、昔アメリカで大変お世話になった日系1世の方々にすぐにでもお礼に行けるのですが。
ご存命の方もかなりお年を召してきていらっしゃるので、早くお会いしたいと願いつつ。


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古き良きアメリカ

2010.05.01日

ヒチコック監督の『知りすぎていた男』という映画を見ました。
子どもの頃、私はヒチコックの映画が大好きでした。
懐かしい思いで見ていましたが、1955年制作という古い映画にもかかわらず、俳優、筋書き、カメラアングル、音楽、すべて一流で、最後までハラハラドキドキしながら見てしまいました。


ちょうど同じ頃の映画で、『グレンミラー物語』『ベニー・グッドマン物語』など、いずれも古き良きアメリカの香りがしてきます。
『ベニー・グッドマン物語』については、「失ったものを数えるな」の中で、またグレン・ミラーについては「何か極めるには」の中でも書きました。


この時代の映画には夢があります。
みんな一生懸命、夢に向かって頑張っていました。
そんな「古き良きアメリカ」が大好きです。
子どもの頃の思いでがいっぱいつまっていて、見ていると胸が熱くなります(「起死回生」)。


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ものごとの背後には複雑な歴史が

2009.01.10日

昨年の海外10大ニュースの第1位は、アメリカの大統領選でバラク・オバマ上院議員が共和党候補のジョン・マケイン上院議員の2倍を越す選挙人を獲得して、初の黒人大統領に選ばれたことでした。
アメリカの黒人というと、アフリカから強制的に連れてこられた奴隷の子孫である、ということはみんな知っています。オバマ氏自身は奴隷の子孫ではありませんが。


しかし、アフリカの人たちが奴隷として連れて行かれたのは今日のアメリカ合衆国だけではありませんでした。
アメリカ以前にヨーロッパ、とくに当時勢力のあったスペインやポルトガルもアフリカから大勢の奴隷を自国に連れて行っています。
アメリカ合衆国南部とメキシコにはさまれたカリブ海(ディズニーランドの「カリブの海賊」や映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』で有名)に浮かぶ島々にも今日、黒人がたくさん住んでいます。たとえば、キューバ、ハイチ、ドミニカ、ジャマイカ、プエルトリコなどの国々です。


これらの島々にはカリブ族と呼ばれる先住民が住んでいましたが、1492年にコロンブスがアメリカ大陸にやってきたことをきっかけに、その後スペインに植民地とされます。
このカリブ海の地域の気候は亜熱帯で農作物の栽培に適していたため、サトウキビがスペイン人の農園(プランテーション)所有者らによって大規模に栽培されることになります。
当時、ヨーロッパでは高価だった砂糖が甘味料、薬、装飾美術品などに大量に消費され始めていたため、カリブ海のプランテーションは砂糖をさらに増産する必要に迫られました。
そのためヨーロッパを出港する船は銃や金属製品などさまざまな品物を満載してアフリカに向かい、そこでこれらを黒人奴隷と物々交換し、次にその黒人を労働力としてカリブ海のプランテーションに送り込み、そこで彼らによって作られた砂糖をヨーロッパに送るという、大西洋をはさんだ「三角貿易」が行われることになります。
このように、ヨーロッパでの砂糖の需要を満たすために、労働力として黒人奴隷が大量に北アメリカ大陸を始め、カリブ海、中南米の国々に売られたのが、今日のこの地域の黒人住民の始まりなのです。
つまり、今日では決して認められない人身売買という恐ろしい制度を、当時は人間のエゴが正当化していたわけです。


ものごとの背後には複雑な、また醜い歴史があります。私たちは同じ間違いを犯さないために歴史から学ぶことが必要です。


昨年末以来、どんどん悪化の一途をたどっているイスラエル・パレスチナ問題も、何千年という長い歴史が複雑に絡み合っています。問題解決は決して容易ではありませんが、誰かが勇気をもって、たとえ大きな犠牲を払ってでも、解決に向けた第一歩を踏み出さなければなりません。世界中の国々が、対岸の火事と見過ごさずに、収束に向けてみんなで協力すべきです。国益だけを考えていてはいけないのです。


パレスチナに真の平和が1日も早く訪れることを祈りつつ。


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