学院長元気の出るブログ

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ジョージ学院長 元気の出るブログ

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悪夢の人生からの脱出

2017.01.30日

父はよく言っていました。
「自分は大きな試練の中を通っていると思ったなら、もっと大変な人が必ずいるものだ」と。
父の言っていることは確かにその通りでしたが、だからと言ってそれで私の大変な人生が少しでも楽になることは決してありませんでした。私は自分の身の上話を人に話すことはめったにありません。というのは、私の人生は苦しみと不運と挫折に満ちていたからです。しかし、ある日私の人生は奇跡的に一変したのです。


私はアル中一家の中で育ちました。7人きょうだいの中の末っ子でした。私が生まれるまでに両親は20年間も子育てをしていました。家族はみんな精神、情緒、神経障害で苦しんでいました。まさに全員が犠牲者の一家だったのです。


私は子どもの頃、見捨てられたように感じていました。ですから、姉がガンになったときには連れができた、とホッとしたほどです。姉は肢体切断されベッドに寝たきりの状態でした。そして私はまだ小学校に上がる前で家にいたので、姉と私は奇妙な組み合わせの二人連れになりました。


姉は亡くなるまでのほんの短い期間、私に時間も心もすべてを捧げてくれ、それまで経験したことのない「養育される」という経験をさせてくれました。姉と一緒にいることで、それまでの暗い雲が消えて晴れたような気持ちになり、純粋な優しさの中にどっぷりと浸からせてもらえました。私は姉と過ごすこの貴重な時が永遠に続いて欲しいと願いましたが、残念なことに私が5歳のとき、愛する姉は神様のみもとに帰って行ったと両親に告げられました。


私が一番必要とし、これほどまでに愛していた姉を私から取り去ってしまうなんて、なんとひどい神様なんだろうと神様を恨みました。
機能不全の私の家族は、悲しみの経験をすらきちんと受け止めることができませんでした。私の悲しみ、見捨てられた思い、苦しみは、まもなく激しい苦痛と怒りに変わりました。私の内にあった不満の種が、試練の人生経験に花を咲かせていくのにさほど時間はかかりませんでした。


私はまだ幼かったときに赤ん坊を産み、そして何年もたって困難な結婚生活が続けられなくなりました。それはとても劇的な終わりで、あたかも燃え上がるビルから沈没しかけている船に飛び移るような感じでした。


ようやく立ち直った私は、夢に描いていた仕事を見つけました。それから数年は、まともな人生が送れていたのですが、ある日突然、人生はまた下降線をたどり始めました。私は職場を変え、人を支援するような仕事からまったく正反対と思えるような仕事に就きました。新しい仕事を始めて7日目のこと、娘が恐ろしい交通事故に遭いました。命を失っていて当たり前というような事故でした。6週間、集中治療室で10回に及ぶ手術を受けたあと、命は取りとめたものの身体が麻痺した状態になりました。


娘はシングルマザーでした。4歳、6歳、10歳の男の子たちを引き取りました。我が家にはまだふたりの娘がいて、私たち3人が生活するのがぎりぎりという小さな家に住んでいました。人生は全然好転しませんでした。


身体が麻痺した私の娘は、受けていた介護が虐待とネグレクトに変わり、その結果、地獄のような最悪のうつ状態になりました。数年後、私の2番目の娘が夫と赤ん坊を連れて私の家に転がり込んできました。最悪の職場環境の中で3年間、私は人手を借りずに10人もの人の面倒をみたのです。私は自殺願望になりました。


私はまるで存在しない一個の「存在」でした。存在したのは、絶え間ない要求とストレス、苦痛、そして朝から晩まで続く仕事でした。私は死なせてくださいと祈りました。


最終的には、八方ふさがりの行き詰まりがブレークスルー、突破口となったのです。
ちょうど両親がそうだったように、私も精神、情緒、神経障害を患っていることに気づきました。娘は身体が麻痺していましたが、私は麻痺状態で生きていました。


そのとき、突然人生に変化が起きたのです。
私が世話をしていた何人かの者が家から出ていきました。私は仕事を辞めました。次の1年間、回復の道を歩みながら同時にまったく新しいレベルで自分を訓練し始めました。ボブ・プロクターのコーチングプログラムとマトリックスに参加したのです。充実した人生を築くために、これまで見つけることができなかったジグソーパズルの欠けていたピースをようやく見つけたのです。


私は自分がなりたい人物に変身するために、それまでの自分を捨て去らなければなりませんでした。
収入はゼロでしたが、ビジネスを築きつつ、私は引き続き自分自身を高めるよう努めました。数か月後、マトリックスのプログラムに参加するときにはちょうど800ドルしかありませんでした。いったいどのようにして収入ゼロの状態で家を空けて6日間のセミナーに参加できるというのでしょう。いいえ、いったいどうして参加できないことなどあるでしょうか。セミナーに登録したとき、私はすでに参加する決断をしていたのです。そして、もうもとに戻らない決断をしていました。心の中ではこのセミナーに参加する旅行なんてあまりにも無責任だ、仕事を探しに行け、という声が聞こえていましたが、私はセミナーに参加することでなにか大きな変化が必ず起きると感じていました。


私の夢はかなうかかなわないかのきわどいところにありましたが、私に未知の世界に無理やり飛び込ませようとする力が働いていました。
私は自分の直感を信じたことを感謝しています。というのは、その結果、数えきれないほどの奇跡が次々と起こり、そして今日も家族と私はその恩恵に浴しているからです。
持っていた800ドルはホテルの宿泊費の半分にしかならなかったので、私はだれか部屋をシェアしてくれる人がいないか尋ねました。
ひとりの女性が部屋をシェアしてくれることになりました。この出会いが私にとって劇的な転換点となり、さらにポジティブな方向に進む原動力となりました。まず、彼女はすぐにクリストファー・データ・リーブ協会に私を紹介してくれました。これは、私の麻痺状態にある娘にとって奇跡的な出来事をもたらしてくれました。長期ケアの間に行われた悪夢のような虐待とネグレクトから9年後に、この協会とのつながりのお陰で娘はついに自分の人生を切り開いていくようになったのです。
次に、ホテルの部屋をシェアしてくれたこの女性は、私のビジネスが目覚ましく成長するよう手助けをしてくれ、さらにホテルの滞在費すべてを支払ってくれたのです。


しがみついていたものを手放し、人生が私たちをサポートしてくれるようにすると、不可能は可能になります。
混沌とストレス、絶望、挫折の過去から満ち足りた人生へと私の目の前で大きく変革し始めました。毎日が新しい祝福で満ちた日になりました。


マトリックスのセミナーに続く数週間、奇跡は次から次へと起こりました。現金がまったくなかったときに、なんと幸運にも私は無料の旅行クーポンが当たり、それで娘の結婚式に参列することができ、次にどうしても訪ねたかった当時危篤状態にあった姉を見舞うこともできたのです。


執着していたものを手放すと、人生に奇跡や驚くようなことが起こります。
このようないくつものブレークスルーを経験することによって、私は新しい気づきが与えられました。この中には、同時に起こった現実の肉体的なブレークスルーもあります。それはちょうど、パティオの割れたガラス戸を修理し、新しい基礎や庭や外壁を造るようなものです。私の人生の内面と外面の再構築が進行中でした。それはあたかも、明白なブレークスルーで人生が私を劇的に声援してくれているようなものでした。


それから間もなく私は素晴らしい男性と出逢いました。彼は私がこれまで一度も経験したこともないような最高の愛情を私に注いでくれました。ついに私は自らの自暴自棄と和解できたのです。


私は悲劇を生き延びて、そこからすべての夢の実現という橋を無事に渡ることができました。
私は人生によって押し流されているように感じていた問題に満ちた世界をあとにし、今、自信に満ちた、夢の人生を送っています。私は惨めな困難な世界を生きぬきました。そして今では、試練の中にある人たちがそこを脱出し、人生を変革させるお手伝いをしています。


もしあなたの人生が試練の中にあるとしても、ちょうど夜のあとに昼が来るように必ず良くなります。決してあきらめてはいけません。私が苦しみの生涯を生きぬき、成功することができたのなら、あなたも必ずや人生のブレークスルーを経験できます。
キャシー・シーバー


キャシーは著作家、講演者、人生変革コーチ、声のアーティスト。これまで数えきれないほど大勢の困難な中にある人たちが幸せな人生を送れるよう助けてきました。
(訳 舟田譲二)


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