学院長元気の出るブログ

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言葉遣い

2015.08.16日

私はどうも生真面目というか、クソまじめというか。
まあ、きっとクソまじめなのでしょう。
言葉遣いにとてもうるさいのです。
昨日も録画しておいたテレビ番組「心と脳の白熱教室 『あなたの性格は変えられるか』」を見ていたのですが、英語で話されているのを日本語に翻訳してナレーションをしている人が「気高い」という言葉を「きだかい」と言っているのを聞いてちょっと幻滅してしまい、素晴らしい番組の価値が半減したかのような気がしました。
もちろん、これは「けだかい」と読みます。


ほかにもこれまでこのブログで言葉に関する記事はたくさん書いてきましたが、昔、言語学をやっていたこともあってか、とくに言葉遣いについてはうるさいのです。
今ではもう当たり前のようにみんなが使っている「なので…」という言い方も、私は好きではなく、自分では絶対に使うことはできません。
考えてみたら、「嗚呼、福田恆存先生!」の中に書いた福田恆存先生や、金田一春彦先生(「自分を買ってもらえ そこ2」)など、国語の大家から受けた影響が大きいのかもしれません。


また、言葉遣いに敏感な私は、ええとこのボン(「今日は何の日?」)じゃないですが、これまで一度も妻や子どもたちに対してさえ「俺」とか「お前」という言葉を使ったことがありません。親しい友達の間ですらそうです。自分のことは「僕」、「私」また「パパ」などと言い、相手のことは名前を使って呼んでいます。
小学生のとき、近所に住んでいた2歳年下の子が自分のことを「わし」と言っているのを聞いて驚き、「僕」と言った方がいいよと教えてあげたことがあるほどです。


このような言葉遣いになったのは、おそらく両親の育て方の故でしょう。
私は小さい頃から言葉遣いにはデリケートで、言葉が大好きでした。
ですからきっと福田先生や金田一先生とも波長が合い、大学では英語、英語学を専攻して、大学院では言語学を専攻することになったのだと思います。


このような私が聖書に触れたとき、聖書の言葉
「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった」(ヨハネによる福音書 1:1)
はまさに私の魂に即座に響き、その後の聖書理解、神理解に大いに役立ちました。


私たち人間が人間たる所以は、言葉を使うことにあり、そしてこの言葉は神様ご自身が私たち人間とコミュニケート(意思疎通)するために与えられた最大のプレゼントだと確信するのです。


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