学院長元気の出るブログ

日々の随想。教育問題、子育て、英語、積極思考、人間関係、霊想等など。
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ジョージ学院長 元気の出るブログ

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チャンスは手を伸ばし、もぎ取るもの

2015.08.31日
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"Opportunities are not offered. They must be wrested and worked for. And this calls for perseverance...and courage."
-- Indira Gandhi, Indian prime minister
「チャンスというものは与えられるものではない。手を伸ばし、もぎ取るものだ。そして、それには忍耐とさらに勇気を必要とする」
-- インディラ・ガンディー(ガンジー)、インド首相


インディラ・ガンディー(1917-1984)は、インドの女性政治家で第5代(1966-1977)、8代(1980-1984)首相。
「インド独立の父」マハトマ・ガンディーとの血縁関係はないが、初代首相であるジャワハルラール・ネルーの娘。


チャンスとは向こうからやってくるものだと思っている人がとても多いようです。ですから、チャンスに恵まれると「ラッキーだった」とか「運が良かった」という言葉が出てくるのです。
でも、インディラ・ガンディーがここで言っているように、チャンスとは求め、手を伸ばし、もぎ取らなければならないものです。「棚からぼた餅」式で、指をくわえて待っていてはだめなのです。
これは、私自身の経験からもはっきりと言うことができます。
これまで数え切れないほどそのような体験をしてきて、そのうちのいくつかをこのブログでもシェアしてきました。このブログを「元気の出るブログ」と名づけたのもそのような理由からで、一人でも多くの方にそのような体験をしていただきたいという願いから毎日書き続けています。


さて、チャンスを見つけたらもぎ取らなければならないのですが、見つける前に、インディラ・ガンディーが言っているようにそのためには忍耐と勇気も必要です。
求めても求めても、チャンスが見えてこない時があります。このような時は辛いし、苦しいものです。でも、待つ忍耐が必要なのです。
さらに忍耐だけでなく、思い切ってチャレンジするという勇気も不可欠です。
ガンディーだけでなく、およそこの世で大きな事を成した人というのは、まず例外なしにこの「忍耐」と「勇気」を実践しています。


去る5月に書いた記事「障害が大きければ」の中でご紹介したテレビ神奈川で世界名作劇場『ペリーヌ物語』に続き放映されていた『母をたずねて三千里』。原作はエドモンド・デ・アミーチスによる『クオーレ』で、宮崎駿が場面設定・レイアウトでスタッフとして加わった1976年の作品です。
いよいよ明日が52話、最終回。
アルゼンチンに出稼ぎに出た母を訪ねて、わずか9歳の少年マルコが一人でイタリアのジェノヴァを出て三千里という途方もない旅をし、幾多の困難、試練を乗り越えてようやく今朝の51話で母との再会を果たします。これまでマルコは川の水を飲みながら野を越え、山を越え、時には雪の猛吹雪に遭い死の一歩手前で通りがかりの人に助けられたりします。マルコは旅の途中、何人もの人を助け、また数えきれないほどの人々に助けられ、ようやく母のもとにたどり着きます。
しかし、母親は重い病気で危篤状態。
母は死の間際でしたが、間一髪でマルコの顔を見て、奇跡的に一命を取りとめて手術を受け、回復します。


この物語を通して教えられることは、やはり冒頭でインディラ・ガンディの言っている
「チャンスというものは与えられるものではない。手を伸ばし、もぎ取るものだ。そして、それには忍耐とさらに勇気を必要とする」
です。
素晴らしい感動のアニメ大作です。こちらから無料動画が見られます。


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夢を実現させるための努力を惜しまない人

2015.08.30日

"Happy are those who dream dreams and are ready to pay the price to make them come true."
-- Leon Suenens, Clergyman
「夢を見、その夢を実現させるための努力を惜しまない人は幸いです」
-- レオン・スーネンス、ローマカトリック教会枢機卿(すうききょう)


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"Happy are those who..."
と言えば、あの有名なイエス・キリストの山上の垂訓の出だしの言葉です。
"Happy are those who are humble; they will receive what God has promised!"
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです」


そして、それに続く次の言葉はとても有名です。
「悲しむ者は幸いです。その人は慰めれるからです。
柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。
義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。
あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。
心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。
平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。
義のために迫害される者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。
喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたよりも前に来た預言者たちも、そのように迫害されました」
(マタイの福音書5:3-12)


若い頃、イギリスで法律を学んでいたガンジー(「不屈の精神からくる強さ」)は聖書の山上の垂訓、とくにこのあとに続く、
「『目には目で、歯には歯で。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい」
(マタイ5:38, 39)
のみ言葉に出会って大きなショックを受け、イエス・キリストの「非暴力」の教えによってインドを独立へ導いたのでした。


さて、今日の格言
「夢を見、その夢を実現させるための努力を惜しまない人は幸いです」
はカトリック教会の枢機卿(教皇の最高顧問)、レオン・スーネンスが語ったものですから、当然聖書の山上の垂訓を意識して作ったものでしょう。
面白いのは、枢機卿という立場にありながら、信仰のことを語るのではなく、まるで現代の積極思考の先導者であるかのようなことを言っている点です。
しかし、実はこの「夢を見、その夢を実現させるための努力を惜しまない人は幸いです」は、積極思考だけでなく、信仰の世界にも通じることなのです。
「彼(アブラハム)は望みえないのになおも望みつつ信じた」(ローマ4:18)
とありますが、アブラハムはただ信じただけではなく、それに伴う行い、努力も惜しみませんでした。
ヤコブも
「それと同じように、信仰も、もし行いがなかったらな、それだけでは、死んだものです」
(ヤコブ2:17)
と語っています。


信じること、夢を見ることはとても大切ですが、ただ夢を見るだけでなく、その夢を実現させるための努力も当然のことながら不可欠です。ちょうどガンジーがイエス・キリストの山上の垂訓の教えに従って命を張って実行に移したように。


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人類の未来は日本にかかっている

2015.08.29日
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ひと昔前(40年近くも前!)に大流行したノストラダムスの予言ならぬ、「アインシュタインの予言」というのがあります。下にご紹介します。


近代日本の発達ほど、世界を驚かしたものはない。
この驚異的な発展には、他の国と異なる何ものかがなくてはならない。
果たせるかなこの国の、三千年の歴史がそれであった。
この長い歴史を通して、一系の天皇をいただいているということが、今日の日本をあらせしめたのである。
私はこのような尊い国が、世界に一カ所位なくてはならないと考えていた。
なぜならば世界の未来は進むだけ進み、その間幾度か戦いは繰り返されて、最後には戦いに疲れる時がくる。
その時人類はまことの平和を求めて、世界的な盟主を挙げねばならない。
この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、凡ゆる国の歴史を抜き越えた、最も古くまた尊い家柄ではなくてはならぬ。
世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。
それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。
吾々は神に感謝する、吾々に日本という尊い国を、作って置いてくれたことを。


これは、今村均(1886-1968)陸軍大将が1956年に記した『祖国愛』の中に紹介されているもので、その後も何人かの人によって同文が引用されています。
今村大将は、聖書を愛読していた人格者で、自分の部下が一人として戦犯として裁かれることを望まず、自らがすべての責任を負って刑罰を受けました。
マッカーサーは今村のことを、
「日本に来て以来、初めて真の武士道に触れた思いがした」
と述べたそうです。
今日でもインドネシアでは多くの人に語り継がれ愛されている人物で、日本に好感を持っている人が多いのは今村大将によるところが大きいそうです。
誠実な人ですから、嘘を言っているとは思えませんし、どこかで話がこんがらがって上の言葉をアインシュタインの予言として紹介したのかもしれません。
もしも本当にアインシュタインがこのようなことを言っていたらすごいことです。でも、真偽のほどは分かりませんが、どうも別人が言ったことのようです。


実際にアインシュタインが語った予言は次のようなものです。
「第二次世界大戦では原子爆弾が兵器として利用されましたが、第三次世界大戦が起こったら、どのような兵器が使われると思いますか?」
というインタビューを受けたアインシュタインが
「第三次世界大戦についてはわかりませんが、第四次大戦ならわかります。石と棍棒でしょう」
と答えたといいます。第三次世界大戦は全面核戦争になるため、世界文明の崩壊は必至で、人類は原始の時代に戻るということです。


平和主義者、反戦論者だったアインシュタインらしい機知に富んだ警告の「予言」です。
この予言が実現しないためにも、平和国家日本の果たすべき役割はとても大きく、為政者が道を誤らないことを切に祈るものです。と同時に、その為政者を選び、意見を反映させる私たち国民の責任もとても大きいです。


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愛している者には、時は永遠である

2015.08.28日
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"Time is too slow for those who wait, too swift for those who fear, too long for those who grieve, too short for those who rejoice, but for those who love, time is eternity."
-- Henry Van Dyke
「時は待っている者にはあまりにも遅く、恐れている者にはあまりにも速く、悲しんでいる者にはあまりにも長く、喜んでいる者にはあまりにも短い。しかし、愛している者には、時は永遠である」
-- ヘンリー・ヴァン・ダイク
(訳:舟田譲二)


ヘンリー・ヴァン・ダイク(1852ー1933)は、アメリカの作家、詩人、随筆家で、長老派教会の牧師を務めたあと、プリンストン大学の英文学教授となり、その在任中オランダ公使も務めた多彩な人物です。
上のダイクの言葉は、作家、詩人、また牧師に実にふさわしいものではないでしょうか。


時というのは非情なもので、
「時は待っている者にはあまりにも遅い」。
早く来ないか、とその時を待ちこがれている者には、時は永遠に感じるほどゆっくりと流れます。


「恐れている者にはあまりにも速い」。
願わくはその時が来ないで欲しい、と思っている者にはあまりにも速くやってきます。


辛い思いをして
「悲しんでいる者にはあまりにも長く」
感じられるものです。


そして、
「喜んでいる者にはあまりにも短い」。
こんな喜びが永遠に続いて欲しいと思っている者にはあまりにも短く感じられます。


そんな一見、いじわるのように見える「時」ですが、
「愛している者には、時は永遠である」。


時は神様から私たちへのプレゼントです。
そして、この愛があるからこそ、私たちは神から与えられたつかの間の地上の人生を真に享受することができるのです。
もし愛がなかったら、この世の人生はあまりにも苦渋に満ちていて、空しい。
神様、あなたの無限のご愛を心から感謝いたします。


「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」
(ヨハネI 4:10)


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計画と目標達成

2015.08.27日

"If you have accomplished all that you have planned for yourself, you have not planned enough."
-- Edward Everett Hale, Author and Historian
「自分のために計画したことをこれまで全部達成してきていたとしたら、それは十分に計画していなかったということだ」
-- エドワード・エヴァレット・ヘイル、作家、歴史家
(訳:舟田譲二)


エドワード・エヴァレット・ヘイル(1822-1909)はアメリカのユニテリアン派牧師であり作家、歴史家。


私たちはとかく、計画したうちのいくつを達成できたかで成功したかどうかをはかろうとします。
しかし、エドワード・エヴァレット・ヘイルが上で言っている「自分のために計画したことをこれまで全部達成してきていたとしたら、それは十分に計画していなかった」というのは、とても面白い視点から語っていると思います。


ひょっとしたら、「自分はこれまで計画したことを全部達成してきた」と言って自慢したくなるかもしれませんが、ヘイルはそれに対して、全部達成したということはその計画が十分ではなかった証拠だと言うわけです。つまり、本来やるべきこと、あるいは十分に計画していたならできたことがもっとあったはずだと言うのです。


計画したことを全部達成したと思っている人ですらそうならば、自分は十分な計画を立ててきた、などと言える人は一人もいないということになります。
「これで完璧」ということはあり得ないのではないでしょうか。
これで良いのかと常に吟味し、修正したり、削ったり、加えたりと、私たちのやるべきことは多く、達成感に満足してあぐらをかくことなどできません。
さすが歴史家の言うことです。


5年前の記事「Be→Do→Have」の中にも書きましたが、目標を立てて具体的に計画し、それを一つひとつ達成していくことはとても嬉しいことですが、その中でも「Be(〜になりたい)」という目標が私にとっては何よりも一番大切だと、改めて思わされます。


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英語は聞き流すだけで話せるようになる!? Part2

2015.08.26日
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昨日の記事の続きです。
「英語が話せるようになるなんて不可能」なんて思っていらっしゃる方、ミッション・インポッシブル、絶対不可能に挑んでください。そして、不可能だと証明してみせてください。ただし、昨日、今日の記事に書いてあることを試してから。
もし見逃していらっしゃたら、昨日の「Part1」もぜひご覧くださいね。


D I my me mine, you your you yours, he his him his, といった人称代名詞の変化、speak, spoke, spoken のような不規則動詞の活用は、かけ算の九九のように何度も口で言って覚えましょう。
英語を母国語としている人たちですら、これらの活用を正確に覚えていなくて、誤った使い方をしている人をよく見かけますが、日本人の日本語の誤用と同じです。間違いを恐れていては何もできませんが、間違わずに少しでも正確に使えるに越したことありません。


E 英語は言葉です。読んだり書いたりしているだけでは身につきません。お手本になる英語をCDなどで何度も繰り返し聴き、物真似をするようにできる限りそれに近い発音(正しいリズム・イントネーション)で後について声に出して言います。そして教科書やテキストの本文を覚えるまで声に出して読む。音読はとても効果的です。気がついたら口からスラスラと英語が出てくるまで練習しましょう。


F 自分の興味のあることや好きなことなどを英語を使って学ぶ。
スポーツが好きな人は、スポーツ関係の雑誌を読むとか、芸術に関心のある人は芸術関連の英文に触れるようにします。
今ではインターネットを使って、どこにいても瞬時に世界中のありとあらゆる情報を手に入れることができます。これを活用しない手はありません。
また、ネットを使って海外のサイトでショッピングしてクレジット払いするとか、生活に密着したところで英語を使うと自然と身につくものです。
このほか、外国旅行をする、ホームステイをする、あるいはホストファミリーとして海外からの人を自分の家に迎えて一緒に生活することなどもとてもいい方法です。


G 話すのも書くのも英作文は「英借文」です。お手本となるようないい英語をどんどん借りて使っていけば、やがてそれが自分のものとなり、見事な英作文ができ、また話せるようになります。
昔、予備校の英作文の先生が、自分はシェイクスピアやサマセット・モーム、D・H・ロレンス、ディケンズ、ヘミングウェー、サリンジャーなど、英米の大御所の文学者の英語をそのまま借りて、格調高い英文を書いているのでみんなから褒められる、と言っていましたが、あまり時代やスタイルの違う人の英文をごちゃまぜにすると、寄せ鍋のような感じになり、違和感を与えます。むしろ、自分の好きな人の英文を真似て一つの決まったスタイルを作る方が自然でいいでしょう。


H 学生の方のための、テストの得点源となる文法問題の勉強法ですが、レベル別に見てみましょう。
(1)基本の習得…「現在進行形」、「受け身」などの単元ごとに、どのような形になるかを簡単な問題を解きながら確認していく。
(2)実戦問題…空所の多い穴埋めや、並べ替え問題、英作文問題などを解けるようにしていく。新しく学んだところを中心に、学校の定期試験範囲を目安に習得しましょう。
(3)実力問題…それまでに学んだことが全て混ざって問われる総合問題です。長文読解でも文法問題でも、今までに学んだことをいつでも頭の中に浮かべられるように準備しておくことが必要です。分からない単元が出てきたら先生に聞くか自分で調べるかして、上の(2)に戻りその単元をもう一度確認しましょう。
以上のポイントを押さえ、自分のレベルに合った学習をしていきましょう。そしてどのレベルでも、類題をたくさん解くこと、復習をこまめにすることが大事です。人間は忘れる動物だからです。でも、完全に身につけてしまえば忘れることはなくなります。
この方法は、別に学生でなくて一般社会人の人たちにも有効です。たとえ、英検やTOEICなどの試験を受けなくても、頭の中を整理し、基礎力をつける上でとても効果があります。でも、試験にチャレンジすると、さらにそれがモチベーションになり、力がつくこと請け合いです。


I 単語・熟語・文法問題、読む・書く・聞く・話す、すべてを何度も繰り返す。
スポーツでも楽器でも何事も、繰り返し練習していかなければ身につきません。最終的にはこれに尽きます。


上に挙げたのは、私がこれまで実践してきたことのほんの一例ですが、このような正しい学習法を時間をかけてコツコツと実践していけば、誰でも必ず英語を得意にすることができます。
結論として、聞き流すだけでは話せるようになりません。
ねじり鉢巻きでひたすら暗記し、苦しみながら勉強してもだめです。
楽しみながら学んでいくのが一番効果的で身につきます。
繰り返し言いますが、英語をマスターすることは決して「絶対不可能」なことではありません。


「この記事に書いてあることを忠実に実行しない者の英語の上達に関して当局は一切関知しない。なおこの記事は自動的に消滅しないので繰り返し確認せよ。成功を祈る」by IMF (不可能作戦部隊)



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英語は聞き流すだけで話せるようになる!? Part1

2015.08.25日
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よく巷のCMで「英語は聞き流すだけで話せるようになる」というのを目にします。
果たして本当でしょうか? そんなに簡単に英語をマスターできるのでしょうか?


夏休みを利用して数日前から遊びに来ている中学3年生の甥と一緒に、昨日は映画『ミッション:インポッシブル ローグ・ネイション』を観に行ってきました。
私のお気に入りのシリーズですが、この最新作は本当に面白かったです。最初から最後までハラハラドキドキ、息もつかせない展開で、引き込まれて夢中で観ていたら、主人公のトム・クルーズに感情移入し過ぎたせいか、途中で胃がキリキリと痛くなってきたほどです。心臓の悪い人には良くないかもしれません(笑)。


映画が大いに楽しめる理由の一つは、字幕スーパーに頼らずに英語が分かることです。
つい先日、FBフレンドで私の敬愛する元字幕翻訳家の小川政弘先生(私の師匠)と字幕翻訳談義をしていたばかりだったので、昨日はセリフを生で聴きつつも、字幕スーパーにも注意を払っていました。
翻訳があまりにも見事だったので、これはきっと戸田奈津子さんによるものだろうと思い、最後まで観ていたら案の定「字幕翻訳 戸田奈津子」と出てきました。
小川先生が30年にわたる個人的なお付き合いの中で、戸田奈津子さんのことを翻訳技術も含め、人間的にも高く評価し、敬愛していらっしゃるということを伺っていたばかりでしたので、なるほどと思わされました。


英語の歌を聴いたり歌ったり、吹替えなしの映画観たり(字幕ありで良い)、外国人と触れる機会を作ったりして、英語の環境に自分を置くことは英語学習においてとても効果的です。歌や映画では気軽にリスニング練習ができますし、外国の文化を楽しみながら吸収していけます。さらに現在ではfacebookやtwitterなどのコミュニケーションツールも身近なところにたくさんあるので外国人との交流も持ちやすくなっています。実際に学んだことを使ってみると、英語の楽しさが倍増します。


さて、今日は、冒頭に書いた英語をただ聞き流すだけでない、英語の正当法の勉強の仕方をここにご紹介します。私が実践して英語をモノにした実証済みの勉強法です。
これであなたも英語をマスターできます(嘘だと思ったらぜひ試してください。「ためしてガッテン!」です)。
少し長くなるので、今日・明日、二部構成でご紹介します。


英語の勉強の正しい方法は:
@ 英語を学ぶ具体的な目標を持つ。
文系・理系にかかわらず、英語は高校受験でも、短大・専門学校・大学受験や入社試験でも必要です。また将来、社会に出てからも使う機会がたくさんあります。英語ができると外国人と知り合ったり、外国の文化を知ったり、外国の本や雑誌が読めたり、字幕なしで映画が観られたり、外国旅行に行ったりと、世界が広がります。目標を持つと英語の学習も楽しくなります。


A できれば小さい頃から英語に慣れ親しみ、スイミングやピアノのように身体で覚えるのが理想です。10歳から13歳の間を臨界期といいますが、語学はこの時期までに学び始めると比較的楽に身につきます。英語の達人だった「経世済民 高橋是清」もそうだったように、小学低学年での英語学習が絶対にお勧めです。


B 上に書いたように、語学は体で覚えるのが一番ですが、現在中学生あるいは高校生以上で英語が苦手な人でも英語は必ずできるようになります。
まずは基本に戻ります。単語が読めなくて英語が苦手と言う人がとても多いです。単語の発音が英語の基本です。ですから、フォニックス(英語を発音する際のルール)で英語のスペリングと発音のパターンを身につけます。
たとえば、 a は通常「ア」とローマ字のように発音し(正確には cat の a のように「ェ」と「ア」をくっつけた「ェア」とあいう音)、単語の最後が e で終わるときは最後の e は発音せず、a を「エィ」とアルファベットのように発音します。(マジックeのルール)。 
例: hat は「ヘァット」 hate は「ヘイト」など。


C 生活に関連した身近な単語から始めて、単語・熟語をたくさん覚える。難しい単語は語呂合わせでもいいです。漢字をたくさん知っている人や語彙力(使える言葉の数)がある人ほど、日本語の読み・書き・話す・聞くがよくできるのと同じで、英語も単語・熟語の数がものを言います。
単語を書く際には、必ず実際に発音しながら書きましょう。だんだんと単語のスペリングと発音の規則性がつかめてきて、気づけば単語を書くのが得意になっているはずです。


D 文法のルールをしっかり覚える。
一見当たり前すぎることですので、ポイントを絞りましょう。
(1)まず初歩段階として、Be動詞と一般動詞の区別、その肯定文・疑問文・否定文の形を押さえること、そして中級以上ではSVO(主語・動詞・目的語)など基本5文型を身につけることが、英文法の中でも特に大切です。
(2)いっぺんに全部覚えることはかなり困難なので、英語全般に通じる大事なことを押さえ(「英文では大事なことを先に言う」など)、同時に細かいルール(【動詞・前置詞の後ろは人称代名詞の目的格を使う】など)を一つひとつ覚えていきましょう。英語が苦手で最初から分からないと言う人でも、一つの単元に絞って勉強していけば、大きな一歩を踏み出すことができます。その際にはこのようなルールを覚えて、使っていく練習をすることが大切です。


この項、明日に続きます。


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別れは再会の始め

2015.08.24日

今日の紙上説教は、昨日、湘南見附キリスト教会で取り次いだメッセージです。
少し長いので、ご興味のある方だけお読みください。


「別れは再会の始め」
(ヨハネの福音書3:16)


♪Should auld acquaintance be forgot,
And never brought to mind?
Should auld acquaintance be forgot
And auld lang syne?

Refrain:
For auld lang syne, my dear,
For auld lang syne,
We'll take a cup o' kindness yet
For auld lang syne.♬

(日本語に直しますと)
古い友人は忘れ去られ、
もう二度と思い出されることもないのだろうか。
古い友人は忘れ去られ、
古き良き日々の記憶もまた、心から消え去ってしまうのだろうか。

コーラス:
親愛なる友よ、古き良き日々のために、
古き良き懐かしい日々のために
親愛なるこの一杯を飲みかわそうではないか。
古き良き日々のために。


言うまでもなく、これは有名な『蛍の光』の元の英語の歌で、スコットランドの民謡、準国歌です。
NHKの去年の朝ドラ『マッサン』の中で、主人公のエリーが繰り返し歌い、紅白歌合戦ではエリー役のシャーロット・ケイト・フォックスさんが大トリで歌っていました。
この”Auld Lang Syne”は私にとっても思い出の歌です。
英語が大好きだった私は、中学1年生になって英語部に入りました。その年の秋の文化祭で英語部ではいくつかの英語の歌を歌ったのですが、これがそのうちの一つでした。以来、これは私の愛唱歌となりました。


日本人ならみんなそうでしょうが、『蛍の光』を歌うと胸がいっぱいになり、涙が出てきます。このスコットランドの民謡”Auld Lang Syne”を歌う人たちも同様でしょう。この歌を歌うと、どうしても「別れ」のイメージが大きくて辛くなり、胸がいっぱいになります。
日本では「会うは別れの始まり」と言います。夫婦であろうと親子、兄弟姉妹、親族、親しい友人、師弟、教会内の兄弟姉妹等々すべての人間関係にはやがて必ず別れの時がきます。中には、死に別れの辛さのあまり病気になり床に伏してしまったり、場合によっては気が変になってしまったり、また後追い自殺をする人さえいます。死は大切な人間関係を引き裂く、人生最大の敵です。


大変なときなどに、「四苦八苦する」と私たちはよく言いますが、この「四苦八苦」は仏教の用語です。生・老・病・死(生きる、老いる、病気になる、死ぬこと)の四苦、すなわち4つの苦しみに、愛別離苦(あいべつりく - 愛する者と別離すること)、怨憎会苦(おんぞうえく- 怨み憎んでいる者に会うこと)、求不得苦(ぐふとくく - 求める物が得られないこと)、五蘊盛苦(ごうんじょうく - 肉体と精神が思うようにならないこと)の四つを加えて、八つの苦しみのことを「四苦八苦」と呼ぶのです。


このうちのひとつ「愛別離苦」、愛する者と生き別れたり、あるいは死に別れすることの苦しさ・辛さは他のどれよりも一番酷なものでしょう。
仏教では、これらの人生に伴う苦しみに対する答えとして、悟りを開くこと、解脱することを教えています。言い換えると、それらを超越して、苦しみから解放されることですが、そんなに簡単にできることであれば誰も苦労しません。現にあのとんちで有名な高僧、一休和尚は臨終の床で、自分の死後の行き先が分からず、「わしゃ死にとうない。ほんまに、ほんまに死にとうない」と言って、枕もとに集まって師匠の最後の言葉を待っていた弟子たちを驚かせたと言われています。


私は幼稚園児の頃から、死を考え、恐れる非常に多感な子どもでした。26歳の時にカラスの鳴き声を聞いて悟りを開いたという一休和尚よりもある意味早熟だったかもしれません。
毎晩、布団の中に入ると、自分の両手の親指と中指で耳と鼻を押え、目を閉じて息を止めて、真っ暗で音も聞こえず、息もできなくて苦しい世界、これが死後の世界だろうと想像して、「死ぬのが怖い。死にたくない」と泣いて両親を困らせていました。4、5歳のときのことです。
両親はなんとか私を慰めようとして、「大丈夫だよ。譲二は死なないよ」と言うのですが、私にはそれが嘘だとよく分かっていました。


そんな私がアメリカ留学中の27歳のとき、聖書の中のまことの神様に出会い、自分の罪を悔い改めてイエスさまを救い主として信じて生まれ変わりました。このとき初めて、永遠のいのちが与えられたということが分かり、幼少の頃より恐れていた死の恐怖から解放されました。


さらに、この永遠のいのちのことをどうしても両親にも知ってもらいたいと思い、必死で毎日祈りました。母は1年後にイエスさまを信じて救われました。
そして、「神により 生きる尊さ 今あらた」
「まくらもとに 立たれし御神のみことばが 今も耳に残りて 苦しみもぬけ去りぬ」
「もしキリストの愛がなかったら 痛い苦しみ 今ごろはさ迷う羊となっていたでしょう」
など数多くの詩を書き残して、2年後に心臓病で天国に帰りました。
父は私の信仰をどうしても認めることができず、ずいぶん迫害しましたが、7年後についに信仰に至り、サプライズで私の手から洗礼を受けてくれました。そしてその父も今から4年半前に天に帰りました。かくして、私が幼稚園児のときに「譲二は死なないよ」と言っていた両親にも永遠のいのちをプレゼントし天国に送って、将来私も天国に召されるときそこで再会できることになりました。つまり、「別れは再会の始め」がここに実現されたのです。


皆さん、これこそが福音です。福音とはグッドニュース、良い知らせのことです。英語では、good の比較級 better「より良い」、 最上級 best「最高に良い」と変化しますが、「良い知らせ」 どころか、「最高の知らせ」、これ以上のグッドニュースは世にありません。人類最大の敵である罪の問題と、死の問題を解決してくれるからです。


しかもこの永遠のいのちはだれでも受け取ることができます。
ただし、それにはたった一つだけ条件があります。この条件を満たさない限り永遠のいのちをいただいて天国に行くことはできません。それは、本来、私たちが罪人として支払うべき罰である永遠の死の裁きをイエスさまが身代わりになって十字架にかかって受けてくださったことを信じて受け入れることです。これなしに天国に行くことはできませんし、「別れは再会の始め」の希望を持つことはできません。


世の宗教はこぞって善行功徳、良い行いをして徳を積んで天国に行くことを教えますが、人の罪はそんな生やさしいものではありません。善行功徳が天国に行ける保証とならないのは、第一にその基準がないということです。どれだけ良い行いをしたら天国に行けるのか誰にも分かりません。だから、悟りを開いていたという一休和尚でさえ死を恐れていたのです。
そして、もし善行功徳で天国に行けるのなら、イエスさまは十字架上でわざわざあのような苦しみの極みをなめて、神の罰を受ける必要もありませんでした。


さて、私たち日本人はみんな、自分はそんな恐ろしい罪人ではない、ごく普通のありきたりの人間だと思います。罪と言うと犯罪をイメージし、自分は警察につかまったり、裁判にかけられて有罪判決を受けるような犯罪人ではないと思うのです。
しかし、聖書のいう罪人とは、犯罪人のことではありません。
新約聖書の中で使われている「罪」という言葉は、原語のギリシャ語では「ハマルティア」といいます。
この「ハマルティア」の元の意味は「的外れ」です。すなわち、神中心でなく、自己中心で自分が一番可愛い、自分が一番大切という生き方、これが的外れな生き方で、罪なのです。


人を憎んだり、恨んだり、嫉妬したり、高慢になって人を心の中で裁いたり軽蔑したり、心の中に汚れた思いを持ったりする。先ほど、四苦八苦のところで言ったような、怨み憎んでいる者に会うとか、求める物が得られない、肉体と精神が思うようにならない、などというのはすべて人間の心の中にある罪からくるものです。そして、これらの罪が表に現れたもの、それが社会のルールを破る、いわゆる犯罪なのです。ですから、たとえ犯罪を犯していなくても、私たちはみんな生まれながらにして罪人なのです。


神様は私たちがひとりとして滅びて永遠の地獄に行くことを望まれず、自らイエス・キリストという人の形をとって今から約二千年前にこの世に来てくださり、十字架上で私たちの罪の罰を身代わりになって受けてくださいました。そのことを信じる者のみが罪赦され、永遠のいのちをいただくことができます。


人はみんな罪を隠そうとします。しかし、いくら小さくしても、その罪は残っていて消すことはできません。イエスさまの十字架の贖いを信じた者だけが、神様から罪なし、と宣言されるのです。ちょうどこのように。
(罪が消えるマジック)


この地上の私たちの人生はさまざまな苦しみや悲しみもあり、そしてやがて肉体のいのちは終わり、愛する者と別れます。しかし、天国では永遠に別れることがありません。つまり、この地上での別れは天国での再会の始まりなのです。肉体の死は、永遠のいのちへの出発、いわば毛虫が美しい蝶に生まれ変わるようなものです。
だれでも家族や親しい者との別れは辛いです。私も皆さんとの地上での別れはとても辛いです。しかし、やがて天国で再会できることが約束されています。私は今からその日を楽しみにしています。


「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」


お祈りします。
愛する天の父なる神様。
あなたは私たち罪人を愛して、私たちが罪の故に永遠の地獄に落ちることを望まれず、ひとり子イエスさまをこの世にお送りくださいました。そしてイエスさまは十字架上で尊い血を流して、私たちの罰を身代わりになって受け、贖いのわざを成し遂げてくださいました。イエスさまを信じる者は永遠のいのちが与えられ、たとえ地上で悲しい別れがあっても、天国での再会が約束されています。
あなたの深いご愛を覚えて、心より感謝いたします。
しかし、まだこの素晴らしい永遠のいのちを受けていらっしゃらない方が私たちの身の周りにたくさんいらっしゃいます。これらの方々に神様の愛を、そしてイエスさまの十字架上の贖いの最高のニュースを伝える使命が私たちに与えられています。どうか、私たちがあなたによってこの世に遣わされたキリスト者としての良き香りを放ち、イエスさまを人々にお証しすることができますように。そして愛する人たちがイエスさまを信じて永遠のいのちを受け、天国で再会する恵みに与かることができますように、切に祈り求めます。
私たちの尊い救い主、イエス・キリストさまのお名前によってお祈りいたします。
アーメン。


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経世済民 高橋是清

2015.08.23日
Korekiyo_Takahashi_2.jpg


昨夜9:00〜10:00、オダギリジョー主演のNHK放送90年ドラマ『経世済民(けいせいさいみん)の男 高橋是清』を観ました。(総合テレビで5週連続放送)


高橋是清は幕末に生まれ、幼くしてアメリカ留学しました。帰国後は、英語教師や官僚などの職を転々とし、ペルーの銀山経営にも挑戦します。銀山経営に失敗して、すべてを失った彼ですが、日本銀行の工事責任者として名を成してから、人生の歯車が回り出します。
幾度の難局を乗り切り、日銀総裁までのぼりつめた後は、政治家へと転身。副総裁の時、日露戦争の戦費調達に成功。財政の天才といわれ、大蔵大臣を7度(兼任ふくむ)務め、第20代総理大臣に。世界恐慌から日本経済を回復させましたが、二・二六事件で暗殺されました。


「高橋是清」はとても親近感を覚える名前です。
それは、私がアメリカ留学から帰国してすぐ、大磯町で小中学生のための英語教室の責任者として働いていたとき、教室を提供してくださっていたのがこの高橋是清のお孫さんでした。
そして、その方のお孫さんが、当時小学生から中学生だった時、家庭教師させていただいていました。彼女のお祖母さんがとても教育熱心な方で、お孫さんの教育を私の手に委ねてくださっていました。


高橋是清の血を引いていたからというわけではないでしょうが、打てば響くという感じのとても英語のできる聡明なお嬢さんでした。
中学生の時には、自ら英語弁論大会にチャレンジしたいと申し出られ、その指導をしたこともありました。
その後引っ越しされて連絡が途絶えましたが、もう40代半ばの立派なお母さん、あるいはキャリアウーマンになって活躍していらっしゃることでしょう。
高橋是清も幼少の頃から英語を学んで、その英語力によって人生を切り開いていきましたが、この玄孫(やしゃご)の方も小さい時から英語を学び英語をモノにされました。
私の経験からも言えますが、英語学習はやはり幼少から始めるのが一番です。


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神はさいを振られない

2015.08.22日

"God does not play dice."
-- Albert Einstein
「神はさいを振られない」
-- アルバート・アインシュタイン
(訳:舟田譲二)


昨日の記事、「夕日の神秘や、月の美しさ」の中でもアインシュタインの言葉を引用しましたが、今日の彼の言葉も至言です。


「神はさいを振られない」とは、神は気まぐれなお方ではない。神は偶然に物事をゆだねられるお方ではない。すべてをご計画し、ご自分の意志によって歴史を支配しておられる方である、というような意味です。


これに対して、「さいを振る」とは、意志の入り込む余地がない、成り行き任せということで、絶対神の存在を認めない進化論の教えはまさにそれです。
進化論によると、宇宙が生まれたのも、地球上に生命が生まれたのも、そして私たちが生まれ、この地球上に現在生きていることもすべてが偶然によることで、意味も目的もなにもない、ということになります。


このような進化論の教えに従うと、愛や善意、思いやり、人助けなどおよそ徳と言われるものはすべて絶対的でなく相対的なものになり、別にしてもしなくても良いことになります。
さらに言えば、この世は弱肉強食の世界なので、弱いものをたとえ蹴落としてでも強いものが生き残り、その遺伝子を子孫に残せばいいことになり、弱者に対する思いやりなど必要なくなります。
極端な言い方をすれば、高尚に生きる意味や目的もないので、飲めや食えやでその日を面白おかしく過ごし、自分の欲を満たせればいい、ということにすらなります。
そして、現代はまさにそのような生き方が人々の理想になっているかのようにすら見えます。


昨日、滋賀に住む甥が5日間ほどの滞在の予定でこちらに遊びにきました。
彼が携帯に載っている乙武洋匡さんの写真を見せてくれました。しかし、そのあとには身体障がい者がこの世から消えていなくなればいい、といった読むに堪えないひどい侮辱の言葉が延々と続いているのです。
私はそれを見て言葉を失いました。甥も同様にとても心を痛めていました。


しかし、面白半分でそのような生き方をしていても、人の魂は決して満足できるわけありません。
なにか違うのではないか、この人生になにか意味があるのではないか、自分はいったいなんのために生きているのか、などと自問するものです。


これに対して、「神はさいを振られない」という考え方をすると、自分は偶然の産物ではないので自分の人生には意味があるはずだとなり、たとえ苦しみや辛いこと、試練などがあっても、その背後にある神様のご計画、ご愛を感じることができるようになります。



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夕日の神秘や、月の美しさ

2015.08.21日
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"When I admire the wonders of a sunset or the beauty of the moon, my soul expands in the worship of the creator."
-- Mahatma Gandhi
「夕日の神秘や、月の美しさをほめたたえるとき、私の魂は創造主を拝してふくらむ」
-- マハトマ・ガンジー
(訳:舟田譲二)


ガンジー自身はキリスト教を否定し、自分のことをヒンドゥー教徒と称していました。
しかし、ヒンドゥー教は輪廻を教える多神教で、宇宙の絶対的な創造者の存在を教えていません。
それにもかかわらず、ガンジーが「夕日の神秘や、月の美しさをほめたたえるとき、私の魂は創造主を拝してふくらむ」と言っているのは、注目に値します。


アインシュタインもクリスチャンではありませんでしたが、同様のことを言っています。
「神は人格的・無垢な存在である。われわれは創造主を完全に知ることはできないが、限られた知性の人間である私にも宇宙の秩序・調和を見れば、そんな神の存在が分かる。それなのに『神はいない』と言う人々がいる。腹立たしいのは、無神論者が私の言葉を利用することだ。自分は無神論者ではない。創造主を否定する人々は狂気の無神論者だ」。


聖書には、上のガンジーやアインシュタインの言葉を想起させるような表現が繰り返し出てきます。
「わたしは、あなたの指のわざなる天を見、あなたが設けられた月と星とを見て思います」
(詩篇 8:3)
「夜をつかさどらすために月と、もろもろの星とを造られた者に感謝せよ」
(詩篇 136:9)
「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである」(ローマ人への手紙 1:20)


「神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて」というのは、アインシュタインの言う「宇宙の秩序・調和を見れば、そんな神の存在が分かる」であり、ガンジーが月星太陽等を見て、その背後にいます創造主を拝しているのと同じことです。
主の御名はほむべきかな!


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晩夏のひとコマ

2015.08.20日

今年の夏は記録的な猛暑で、全国的に熱中症患者もたくさん出ました。
身近なところで、うちの塾からも小学生の生徒一人が、親戚にも熱中症にかかった者が出ました。幸い二人とも軽くですみましたが。
しかし8月も半ばが過ぎ、暑さもひと息つけるようになり晩夏という感じですが、暦の上ではもう初秋。


この夏はあまりの暑さにウォーキングにもほとんど出かけられず、出ても夜の7時過ぎからでしたが、最近は夕方5時頃から出かけられるようになってきました。
昨日も夕方家を出て、いつもの散歩コース、金目川サイクリングロードを歩いていると、セミが夏の終わりを告げるかのように大合唱していました。ここは春は満開の桜が目を楽しませてくれる私のお気に入りのコースです。



ふと、この春書いた記事「はーるよ来い」がよみがえってきました。
そこで、その中に書いた歌、
「♬梅のこえだで
うぐいすは
春が来たよと
うたいます
 ホウホウ ホケキョ
  ホウ ホケキョ♫」
をもじった歌が生まれました。同じメロディーに乗せて、
「♬散歩道で
セミさんが
もうすぐ秋だと鳴いてます
ツクツクボーシ、ジー、ミンミン♫」


晩夏のセミの鳴き声はやはりツクツクボウシが圧倒的です。それに混じって、アブラゼミとミンミンゼミが歌っています。
途中、出会ったセミ取りをしている兄弟の子どもたちの虫かごの中は空っぽ。可哀想に...
うちの長男、次男が小学生の時、虫取り網とかごを持って近くの公園に出かけ、しばらくして戻ってくるとかごの中は真っ黒に見えるほどセミがぎっしりと詰め込まれ、ジージーと鳴く声は耳をつんざくほどでした。
懐かしい思い出です。


昨日は海から吹いてくる風がとても涼しくて最高に気持ちよく歩けました。
大磯の海岸近くに出たところで、ひとりのご年配の方(と言っても私とほぼ同年輩)が犬を散歩に連れながら、左手には大きなビニール袋、右手にはゴミ拾いトングで道に捨てられたタバコの吸い殻を腰を折り拾って歩いていらっしゃいました。
頭が下がる思いがしました。こういう人を見るととても心が温まります。


海岸に出ると風が強くてちょっと肌寒いぐらいでした。
ふと砂浜を見ると、目の前に若者たちが捨てて行ったかと思われる花火のゴミが捨てられていて、今度は胸が痛みました。
花火を入れて持ってきたビニール袋にそのまま入れて持って帰ればいいのに。
このゴミを捨てて行った人たちは、歳を取ってゴミを拾う人になるのだろうか...


fireworks.JPG


そのすぐ横で、一人の中学1年生くらいの少年が砂浜に野球のベースと思しきものを二つ描き、その間を全速力で走り片方には足からの滑り込み、もう一方には頭から滑り込んでベースにタッチする練習を、頭から全身砂だらけになって暗くなるまで繰り返していました。
このような子どもが「たった1キロが天地の差を生み出す」で、いつの日か甲子園で活躍するのでしょう。
今度は、将来を担う一少年の姿に希望で胸がふくらみ、嬉しくなりました。


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▢+2=5

2015.08.19日

"If you can't explain it simply, you don't understand it well enough."
-- Albert Einstein
「もし簡単に説明できないならば、あなたはそれをまだ十分に理解していないということだ」
-- アルベルト・アインシュタイン
(訳:舟田譲二)


昨日、小学1年生のYちゃんの算数を教えていました。
最初算数が苦手だったYちゃんは、たし算もひき算もできるようになったのですが、ちょっと形が変わった問題がこれまでどうしてもできませんでした。
▢+2=5
という、私たちにすればごく簡単な問題です。
ところが何度説明しても、2+5と考えて▢の中に7と書いてしまうのです。


私はこれを何とか分かりやすく説明しようとして、ありとあらゆる手を尽くしました。
言葉で、また手で書いて説明しました。お手本をたくさん示しました。
Yちゃんが難なくできた
3+2=5
の問題を見せて、3を▢で囲んでその後3を薄く消して「何かに2を足したら5になるんだよ」と説明してもダメです。本人はこのタイプの問題になると、もうメンタルブロックしていまい、
「算数、きらいっ!」
と言います。
このタイプの問題になると拒絶反応を示すのです。


Yちゃんをこのまま算数嫌いにしたくないので、なんとかしてこの問題をクリアさせたいと私はここ数週間必死でした。
で、昨日は別の手を考えました。
最初にいくつかの問題
▢+4=6
▢+3=8
で、わざと答えを先に口で言って、▢の中に数字を手で書いて示しました。
+4=6
+3=8
と。


次に、▢のところを指さしながら、
「ん+4=6」
「ん+3=8」
と言い換えて、「ん」は何?と言うと、それぞれ「2」「5」と正しい答えを言うことができました。
最初のうちは、
「学院長先生、さっきの『ん+〜』って言って!」
とお願いしていたのですが、そのうち言わなくてもできるようになってきました。
本当に分かったかどうか試しに、他の問題を解かせると、なんともうどんどんできるようになったのです。


「おめでとう、Yちゃん! これでもうこの問題は大丈夫だよ! 良かったね!」
と言ったらYちゃん、ニコニコ顔。
帰る時にも、「今日はよく頑張ったね。良かったね、Yちゃん。もう算数大丈夫だよ」
と言って励まして送り出しました。
正直、こちらの方がホッとしたのですが(笑)...


「押してダメなら引いてみよ。引いてダメなら押してみよ」
で、生徒の理解力が劣るとか、できないなどと言う前に、あの手この手で試してみること。
とくに理解の遅い生徒、いわゆるできないと言われる生徒には、その生徒の立場に立って、何が分からないのか、どうしたら理解してもらえるか、を探りながら手を尽くすこと。これが教師の務めです。
当たり前のことですが、絶対に切り捨ててはだめなのです。


冒頭のアインシュタインの言葉、
「もし簡単に説明できないならば、あなたはそれをまだ十分に理解していないということだ」
がぐさりと胸に突き刺さりました。


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不屈の精神からくる強さ

2015.08.18日

"Strength does not come from physical capacity. It comes from indomitable will."
-- Mahatma Gandhi, statesman
「強さというのは肉体の能力から来るものではない。不屈の精神から来るものである」
-- マハトマ・ガンジー、政治指導者
(訳:舟田譲二)


gandhi2.png


ガンジーについては以前にも「永遠に生きると思って学べ」の中で彼の有名な格言「永遠に生きると思って学べ。明日死ぬと思って生きよ」をご紹介させていただきました。
生きる姿勢、学ぶ姿勢についてもっとも大切なことを教えてくれている名言です。


ガンジーは数多くの名言を残しました。
本当に言葉通りの生き方をした立派な人物です。
今日の格言、
「強さというのは肉体の能力から来るものではない。不屈の精神から来るものである」
もその中の一つです。
多くの人が肉体的な能力こそが強さだと思っていますが、ガンジーは一見ひ弱に見えながら、徹底した非暴力でそれが暴力よりも無限に優れていることを、そして許すことが罰することよりはるかに男らしいということを自らの命を張って実証した人です。
映画『ガンジー』は、彼の気高い生き方を克明に描写した感動的な大作でした。


gandhi.jpg


肉体的な能力が大きくもてはやされる現代においても、このガンジーのような不屈の精神に生きる本当の強さは燦然と輝いています。


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たった1キロが天地の差を生み出す

2015.08.17日

"Do more than is required. What is the distance between someone who achieves their goals consistently and those who spend their lives and careers merely following? The extra mile. "
-- Gary Ryan Blair, Author and Motivational Speaker
「求められている以上のことをしましょう。自分の目標を常に達成している人と、自分の人生、また仕事においてもただ人の後についていっている人との間の距離はどれだけでしょう? たった1キロです」
-- ゲァリー・ライアン・ブレア、作家・モチベーショナルスピーカー
(訳:舟田譲二)


最後の「たった1キロです」というのは、「あとほんの少しの努力です」という意味です。
成功している人とそうでない人の間の距離がどれぐらい離れているか、というと「たったの1マイルだけです」と言っているのですが、1マイルは約1.6キロ、つまり「ほんの少しだ」ということになります。


たしかにどの世界においても、成功している人というのは、他の人よりももう少し努力している人です。ただし、「もう少し」というのが、どれぐらいの努力かというと、それは個人個人異なります。ある人は、人の何倍も努力するでしょう。また別の人は、本人の持って生まれた才能により、まさに「ほんの少し」かもしれません。
大切なのは、どれぐらいが「もう少し」かという問題ではなく、他の人以上に努力する、ということです。
やったらやっただけの結果が伴うのです。


プロの世界では「1万時間」と言われています。「成功の秘訣」の中にも書きましたが、たとえ1日1時間でも、それを毎日、1年365日、30年間続けるならば、トータル1万時間を超えます。これだけやればプロの世界です。
そして、これが「ほんの少し」「たった1キロ」の差なのかもしれません。
たった1キロが天地の差を生み出すのです。


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言葉遣い

2015.08.16日

私はどうも生真面目というか、クソまじめというか。
まあ、きっとクソまじめなのでしょう。
言葉遣いにとてもうるさいのです。
昨日も録画しておいたテレビ番組「心と脳の白熱教室 『あなたの性格は変えられるか』」を見ていたのですが、英語で話されているのを日本語に翻訳してナレーションをしている人が「気高い」という言葉を「きだかい」と言っているのを聞いてちょっと幻滅してしまい、素晴らしい番組の価値が半減したかのような気がしました。
もちろん、これは「けだかい」と読みます。


ほかにもこれまでこのブログで言葉に関する記事はたくさん書いてきましたが、昔、言語学をやっていたこともあってか、とくに言葉遣いについてはうるさいのです。
今ではもう当たり前のようにみんなが使っている「なので…」という言い方も、私は好きではなく、自分では絶対に使うことはできません。
考えてみたら、「嗚呼、福田恆存先生!」の中に書いた福田恆存先生や、金田一春彦先生(「自分を買ってもらえ そこ2」)など、国語の大家から受けた影響が大きいのかもしれません。


また、言葉遣いに敏感な私は、ええとこのボン(「今日は何の日?」)じゃないですが、これまで一度も妻や子どもたちに対してさえ「俺」とか「お前」という言葉を使ったことがありません。親しい友達の間ですらそうです。自分のことは「僕」、「私」また「パパ」などと言い、相手のことは名前を使って呼んでいます。
小学生のとき、近所に住んでいた2歳年下の子が自分のことを「わし」と言っているのを聞いて驚き、「僕」と言った方がいいよと教えてあげたことがあるほどです。


このような言葉遣いになったのは、おそらく両親の育て方の故でしょう。
私は小さい頃から言葉遣いにはデリケートで、言葉が大好きでした。
ですからきっと福田先生や金田一先生とも波長が合い、大学では英語、英語学を専攻して、大学院では言語学を専攻することになったのだと思います。


このような私が聖書に触れたとき、聖書の言葉
「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった」(ヨハネによる福音書 1:1)
はまさに私の魂に即座に響き、その後の聖書理解、神理解に大いに役立ちました。


私たち人間が人間たる所以は、言葉を使うことにあり、そしてこの言葉は神様ご自身が私たち人間とコミュニケート(意思疎通)するために与えられた最大のプレゼントだと確信するのです。


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毎日が最高の日

2015.08.15日

"Write it on your heart that every day is the best day of the year."
-- Ralph Waldo Emerson - 1803-1882, Essayist, Lecturer, and Poet
「毎日がその年で最高の日だとあなたの心に刻み付けなさい」
-- ラルフ・ウォルドー・エマソン(1803-1882)、エッセイイスト、講演家、詩人
(訳:舟田譲二)


エマソンのことはこれまでにも何度か書いたのですが、調べてみると去年の9月21日に最後に書いていました。
「最高の贈り物は、あなたの一部を分け与えること」というエマソンの言葉から大きな励ましを受けていたのです。
今、それを読み返したところ、ほんの1年足らず前のことですが、当時の私は自分の体調不良のことでかなり弱気になっていました。治る可能性が50%と医師に言われ、心が暗くなっていたのです。(「最高の贈り物とは」)。
でも、このとき多くの友人や家族などが背後で祈って、支えてくれていることが大きな励みになり、私は完治する50%に賭けることにしたのです。
「それと同時に、上のストーリーの少年や著者のように、私自身も暗い顔をしているのではなく、周りの人たちと幸せを分かち合い、その輪を少しでも広げたい、そしてそれこそが最高の贈り物だ、と教えられた次第です」とその日の記事を締めくくっていました。


そして、その約3か月後の12月のある日、ふと気づくと本当に嘘のようにこれまでの体調不良から解放されていました。
まだ完治とまではいっていませんし、今も病院に通い、医師に処方される薬も服用していますが、自分の中ではほぼ癒されたと思っています。


このことからも、考え方が私たちの人生にいかに大きな影響力を与えるか、ということがよく分かります。
エマソンの冒頭の言葉、「毎日がその年で最高の日だとあなたの心に刻み付けなさい」というような生き方をしていたなら、私たちは間違いなく日ごとに最高の日を送ることができ、幸せになることができることでしょう。
そして、このような生き方をするかどうかは私たちの選択なのです。


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成功の秘訣 Part2

2015.08.14日

"Either write something worth reading or do something worth writing."
-- Benjamin Franklin, Inventor
「読むに値するものを書くか、あるいは書くに値することをせよ」
-- ベンジャミン・フランクリン、発明家
(訳:舟田譲二)


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ベンジャミン・フランクリン(1705-1790)は、アメリカ合衆国の政治家、外交官、著述家、物理学者、気象学者。印刷業で成功を収めた後、政界に進出しアメリカ独立に多大な貢献をした。また、凧を用いた実験で、雷がelectricity(電気)であることを明らかにしたことでも知られている。現在の米100ドル紙幣に肖像が描かれている他、ハーフダラー銀貨にも1963年まで彼の肖像が使われていた。
勤勉性、探究心の強さ、合理主義、社会活動への参加という18世紀における近代的人間像を象徴する人物。己を含めて権力の集中を嫌った人間性は、個人崇拝を敬遠するアメリカの国民性を超え、アメリカ合衆国建国の父の一人として讃えられる。『フランクリン自伝』はアメリカのロング・ベストセラーの一つである。
(Wikipediaより)


勤勉で探究心のあるベンジャミン・フランクリンは、実業家として成功してから、政治家、外交官、著述家、物理学者、気象学者、発明家と、何をしても成功した偉大な人物で、死後2世紀以上たってもいまだに国民の間で人気が高く、彼の自伝はロング・ベストセラーというからすごいです。


100ドル紙幣と言っても日本の1万円札ほどの価値のもので大したことはないのですが、アメリカでは早くから小切手が流通していたこともあって、私は昔の留学時代にはめったにお目にかかることもありませんでした。
でも、今になって考えると、このベンジャミン・フランクリンが国民の間で評価が高く、100ドル紙幣に肖像が描かれ、自伝が人気というのもうなずけます。


冒頭の言葉、
「読むに値するものを書くか、あるいは書くに値することをせよ」
は成功者自らが語る成功の秘訣を凝縮した言葉です。
傾聴に値するだけでなく、私たちも真似て実践すべきまさに珠玉の言葉です。


ベンジャミン・フランクリンについては、以前「成功の秘訣」にも別の観点から書いていますので、ご興味のある方はこちらもあわせてご覧ください。


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明日のために今日を大切に

2015.08.13日

"You must do the things today that others will not do so that you can have the things tomorrow that others will not have."
-- Anonymous
「人がしないことを今日しなければならない。そうすることによって人が手に入れることができないものを明日、自分のものにすることができるのだ」
-- 作者不詳
(訳:舟田譲二)


人は得てして、周囲の人たちと同じことをやっていたら安心だと思いやすいものです。
確かに周りの人たちと同じようなことをしていたら大きな失敗をすることはないかもしれません。
しかし、
「危険は冒さなければならないものだ。なぜなら、人生における最大の危険は、なんの危険も冒さないことだからだ」
というレオ・バスカーリアの言葉を先日ご紹介しましたように(「危険を冒さないことは…」)、自らの殻を破ってチャレンジしないでいると、当然の結果として陳腐なことしか手に入れることはできません。


ここで「自分のものにする」「手に入れる」というのは必ずしも物質だけとは限りません。
自尊心や自信、人望、信頼を始め、高潔、人格、優しさや思いやり等々、目に見えない徳というものも含まれます。
ときには恥ずかしい思いをしたり、仲間から浮いてしまうことや、嘲笑されるようなこともあるかもしれません。
でも、いいのです。
人がしないことを敢えてするのです。
勉強でも仕事でも、スポーツでも、芸術活動でも、人間関係でもなんでもかまいません。
「小事に忠実な者は大事に忠実」で、今日やっている小さなことが信任されて、明日、大きく実を結ぶことにつながります。


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疑問を持つことをやめないこと

2015.08.12日

"Learn from yesterday, live for today, hope for tomorrow. The important thing is not to stop questioning."
-- Albert Einstein
「昨日から学び、今日のために生き、明日に希望を持とう。大切なのは、疑問を持つことをやめないことだ」
-- アルベルト・アインシュタイン
(訳:舟田譲二)


私はアインシュタインとはとても波長が合い、これまでにもたびたびこのブログでご紹介させていただきましたが(興味のある方は、このブログページ左上コーナーにある「エントリー検索」に「アインシュタイン」と入力して検索してみてください)、冒頭の言葉もビンビン来ます。
「昨日から学び、今日のために生き、明日に希望を持とう」はみんなが言うことです。
でも、その後の「疑問を持つことをやめないことだ」が肝要なのです。


人生、ある期間生きていると、見るもの、聞くもの、触れるもの、食べるもの等々、だれでも慣れっこになってしまって、幼い子どものように驚きや感動、疑問を持つことを忘れてしまいます。言葉を覚え始めたばかりの幼児が、「なぜ? どうして?」を連発して好奇心を満たして成長していくのがまさにそれです。
そう、すべての学びは「なぜ?」という疑問から始まるものです。
試験のための丸暗記は本当の意味での学びではありません。意味も分からずにただ覚える丸暗記は、ちょうど犬が芸を覚えるのと同じです。
「明日に希望を持つ」ためには、疑問を持つことが不可欠です。
言われたことをただやるだけの丸暗記型の人は、これからの社会では間に合わなくなります。


子どもだけでなく大人もそうです。
言われたことをただやるだけの人ではなく、「何か自分にできることはないか」と自らに問いかけて、自分から進んで家族や友人、社会などに貢献できることを探り、発見し、それを実行できる人になってもらいたいものです。
それがすなわち、「昨日から学び、今日のために生き、明日に希望を持つ」ということです。


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重厚長大から軽薄短小へ

2015.08.11日

不景気の影響もあって、世の中は急速に「重厚長大から軽薄短小」化しています。
同時に便利を追求して軽薄短小化も進んでいます。身近なところでは、パソコンやメモリー媒体、携帯などのサイズがどんどん小さくなっています。
車も今やコンパクトなのが世界の主流に。
私が初めアメリカに留学した1970年代のアメ車はまさに「重厚長大」でした。
その典型の当時のキャデラックはこんな感じでした。


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私の住んでいる街で時々この車を見かけますが、改造し車高を低く下げて大音量で「ドン、ドン、ドンっ!」とビートを効かせた音楽をかけて走っています(笑)。


つい先日見かけた新車のキャデラックは信じられないほど小さくなり、隣の日本車のクラウンとほとんどサイズが変わらないほどです。


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しかも、昔はキャデラックと言えば一部の本当の金持ちしか持てなかったのに、今やごく普通の人が所有しています。私が子どもの頃は、ごく少数の金持ちの医者がカブトムシの愛称で呼ばれる小さなフォルクスワーゲンに乗っているだけでした。
しかし今では800万〜1000万円以上するような外国車を至るところで見かけるようになりました。


昨日は、なんと世界一の高級車と言われるロールスロイスが停車している私の小さな愛車、プリウスの真横を通っていき驚かされました。
これは見るからに「重厚長大」でした。


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日本はまだまだ不景気のただ中というのに、このような超高級車が普通に走っているところを見ると、国の景気はどん底ではないということでしょうか。


世の中はこぞって重厚長大から軽薄短小へ進んでいますが、人もひと昔前のような大きな器は長らく現れず、重厚長大な地位や名誉や財産、モノなどを求める軽薄短小な人が増えてきているような気がするのは私だけでしょうか。


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嗚呼、福田恆存先生!

2015.08.10日

「舟田君、久しぶりだね。この前会ったのは講演会の時だったかね?」
「いいえ、先生のお宅に伺った時です」
「そうか、じゃあ、ずいぶんなるね」
「先生、一つお伺いしたいのですが」
「何だね」
「先生、昔よりもかえって若返っていらっしゃるようですが、何か秘訣があるのですか?」
「洗顔石鹸だよ。人からいただいたものだけど、これを使ってから肌がすべすべ、白くなったよ」
「もう一ついいですか?」
「どうぞ」
「先生の書棚を拝見していたら、ところどころ上下逆さになっている本があるのですが、これには何か意味があるのですか?」
「ああ、このあいだ本の整理をしてね。その時、この本はまた読みたいな、って思ったのをわざと逆さにしておいたんだよ。でも、君のお気に入りで欲しい本があったら、どれでも好きなのを持っていっていいよ。君に差し上げるよ」
「えっ、本当ですか? ありがとうございます!」
...


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「永遠に生きると思って学べ」「幸せなひととき」「お前もか、ブルータス?」「勇気を奮い起こして」などに登場していただいた今は亡き恩師、福田恆存先生の夢を今朝がたまた見ました。
今朝見た夢もとてもリアルで、本当に先生とお話しているようでした。
当時、今の私よりも若い60歳ぐらいだったのに、へなちょこの私と違い、とても貫禄がありました。夢の中ではまだ70代ぐらいに見え、あまりにもお若いので驚いて先生のお歳をを尋ねたところ「80代だよ」とお答えになりました。
「えっ、先生それじゃ計算が合いません。あれからもう40年以上も経っているんですよ」
と言ったら、先生は「君の計算が間違っているんだよ」と笑いながらおっしゃいました。
夢の中でお会いしたのはこれで何度目でしょうか。それぐらい福田恆存先生は私の人生に大きな影響を与えてくださった恩師中の恩師です。


学問とはなんたるか、学問の面白さ、学問に取り組む姿勢、英文学、翻訳、戯曲演出等を教えてくださいました。
卒業後も、そしてアメリカ留学から戻って来てからもしばしばお会いして、いろいろと教えていただきました。


こんな偉大な恩師といまだに夢の中でお会いしてお話しできるなんて私はなんて幸せなんだろうと、目が覚めてからしばらくの間、夢の余韻に浸りながら先生の昔の授業を思い出し、懐かしんでいました。


ちなみに、先生のお宅の書棚の本が逆さになっていたのは、多分、つい先日私自身が「断捨離」で本をたくさん整理した時のことが、また「好きな本を持って行っていいよ」とおっしゃったのは、「英会話の基本はここで学びました」の中に登場したPaul Winn先生から本をいただいたことが、潜在意識の中に眠っていてそれらが一緒になって今回のような夢につながったのでしょう。


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目は口ほどにものを言う

2015.08.09日

毎朝観ているNHKの朝ドラ『まれ』。
俳優一人ひとりの目の演技にくぎ付けになっています。
みんな本当に上手い。もう見事です。
観ていて「目は口ほどにものを言う」のことわざを思い出しました。


3日前から始まったアカデミーの夏合宿。
1日目は勉強合宿で、中1・2生は5教科1時間ずつ学ぶ5Hours、中3生は各2時間ずつの10Hours。
始める前はみんな「えーっ、そんなに勉強するの?」という目をしていましたが、終わった時には満足に満ちた目に変わっていました。
そして2日目は、勉強合宿の成果を見る中1・2生の学力テスト、中3生は県模試。
そしてテストが終わった時の、翌日のサマーキャンプの期待に満ちた目。


昨日の朝、塾に集合した時の生徒たちの生き生きした目。
前夜は興奮して眠れなかったという生徒も目はトローンとしていず、興奮の目でした。
そして、先生たちの愛情に満ちた目。
毎晩、徹夜近くで頑張って準備してきて、生徒を迎える目。
教室に集合した生徒全員にあらかじめ用意していたアイスキャンデーを配り、喜ぶ生徒たちを見て満足している先生たちの目。
そして、生徒たちがアイスキャンデーを食べている間に、部屋を暗くしてムービーでエンターテインして生徒たちの感動の声を聞きながら大満足の先生たちの目。
生徒たちの嬉しそうな目。
ムービーが終わって、生徒がムービーのDVD、たとえ5000円出しても欲しい、という時の興奮した目。


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キャンプ場に着いて入村式が終わり、学院長の特別マジックショーを見て、「えーっ!」と声を上げる生徒たちの驚きに満ちた目。


最初のサプライズは、先生たちから生徒たちへの特別なプレゼント。バッグや貯金箱、アイスキャンデー作り機、etc.etc。
生徒一人ひとりの合宿のしおりに振り当てられたIDナンバーをくじ引きして、当選者を発表するたびに歓声を上げる生徒たちの目。
そして、生徒にプレゼントを手渡す時の先生たちの愛情に満ちた目と、受け取る生徒たちの嬉しそうな目。


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よくもまあ、これだけのサービス満点の合宿があるものだ。もし私が生徒で、こんな合宿に来ていたなら、本当に一生で最高の思い出になるだろう、と思うとウルルとなってしまいました。
生徒も先生もみんな、目が口以上に嬉しさや驚きや満足などを表していました。


今日、合宿から戻ってきた生徒たちの声の一部をご紹介します。口も目同様に感動を語っています。
「入村式のときの学院長のマジックがすごかったし、どうなっているんだろう?と思いました」
「夜レクの時の動画や行く直前に見た動画はとてもクオリティーが高くよかった」
「ムービーがちょーよかった!! 大縄で絆が深められた。プレゼントのQRコードのTシャツがちょーマジよかった!! うれしかった!」
「夜レクの5文字の単語当てるゲーム、難しかったけど、メッチャ盛り上がった! 白くまの車もおもしろかった!」
「昼レクも夜レクも全部がすごく楽しかったです。昼レクは班のみんなで体を動かしながらとても楽しくできました。カレー作りもうまくいって、とってもおいしいカレーができました。
そのあとの水鉄砲もすごくおもしろかったです」

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初公開 学院長のマジック

2015.08.08日

昨日は朝から一日、塾で県模試と学力テストの実施に伴う諸作業に追われ、夜家に戻った時はもうくたくたでした。
でも、そのような中でとても嬉しい一服の涼風が吹き込み、癒されました。
それは、現在大学2年生の卒塾生、仲良し三人組が5年ぶりに塾を訪ねてきて懐かしい顔を見せてくれたことです。
彼らは中学時代以来の仲良しで、同じ高校に進学。中学時代もいつも一緒で、見ていて本当に微笑ましいぐらいでした。
つい先日の次男の結婚式の披露宴二次会にも参加してくれていた三人組です。


最初に、近況報告を一人ひとりしてもらいました。
Mくんはロボット工学を、Kくんは電気工学、Oくんは観光・経営学を専攻していて、みんな将来は今学んでいる道に進むそうです。これらの分野についてひとしきり話をしました。
彼らが社会に出て、どのように活躍してくれるか、今から本当に楽しみです。
当時、お姉さんも来ていたMくんに、お姉さんの近況を尋ねたところ、ある道でプロデビューしたとのこと。名前を聞いてその場でネットで検索し、写真を見てビックリ。可愛かった子がますます美人になっていました。
Kくんは現在妹が中3生で来ていて、ついその前まで県模試を受けていました。
兄弟姉妹で来てくれるのは本当に嬉しいです。
彼らの成長ぶりに目を細めました。


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アカデミーの思い出を尋ねると、「塾は授業も全部楽しかったけど、とくに合宿がとても楽しかった」とみんな声をそろえて言ってくれました。
ちょうど明日からの合宿の準備で、先生たちが隣りの部屋で準備や打ち合わせをしているところでした。


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先生たちはここ数日、ほとんど徹夜に近い状態で合宿の準備をしていました。
そして、準備万端。今朝南足柄のキャンプ場へ。
入村式が行われ、それに続いて「学院長のお言葉」ならぬ、ミスター・マジックのマジックショー。



みんな、今日明日の合宿、思いっきり楽しんでくださいね。


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人を偶像化してはいけない

2015.08.07日
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"Everyone should be respected as an individual, but no one idolized."
--Albert Einstein, Theoretical Physicist
「みんな個人として尊敬されるべきである。しかし決して偶像化されてはならない」
-- アルベルト・アインシュタイン、理論物理学者
(訳:舟田譲二)


ここが人間の弱いところで、地位のある人、医者や弁護士、大学教授、学者、作家、芸術家、スポーツ選手、イケメンや美人等々、とかくこれらの人は偶像化されやすいものです。
しかし、その一方で、上のような人たちでない、いわゆるこの世で目立たない人たちは、人間としての尊厳すら認められない。
本来、神が創られた人間は、一人ひとりがほかに類を見ない、ユニークで素晴らしい賜物、能力、優れたものを持っているのに、それらがないがしろにされて、表面的なもので判断され、人々の関心を集め、さらに偶像化されがちです。


アインシュタインはノーベル賞を受賞して以来、人々から偶像視されましたが、彼は決まって、自分はごく普通の人間に過ぎないと言い、生涯謙遜を貫きました。
このような人物の言う言葉だからこそ、重みがあり、真実味があるのです。


人は天の下、みんな平等に創られています。
神以外に誰ひとりとして、神聖視されたり、偶像化されてはいけないのです。


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利口と賢明

2015.08.06日

"Yesterday I was clever, so I wanted to change the world. Today I am wise, so I am changing myself."
-- Jalal ad-Din Muhammad Rumi (1207-1273), Persian Poet
「昨日、私は利口だった。だから世界を変えたいと思った。今日、私は賢くなった。だから今、私は自分を変えている」
-- ジャラル・アディン・ムハンマド・ルミ(1207-1273)、ペルシャの詩人


13世紀の詩人ですが、この時代においてすでに人生を達観していますね。
ここで言っている「昨日」「今日」はもちろん字義通りの意味ではなく、「かつて」「現在」のような意味です。
若気の至りで、私自身も昔、少しは利口だと思い、世界を変えたいと思ったことがありました。
しかし、自分の力で世界を変えることなど逆立ちしてもできないことを間もなく悟りました。
にもかかわらず、私がジャラル・アディン・ムハンマド・ルミのように賢明でなかったのは、そこで自分を変えようとしなかったことです。


「利口」という言葉と「賢明」という言葉。いずれも一般には「賢い」「頭がいい」と言い換えられ、区別されないことが多いようです。
犬や猫など「利口」なペットはいくらでもいます。
しかし、残念なことに本当に「賢明」な人は少ないです。


日本では教育が進み、大学進学率はうなぎ上り。今や選り好みしなければ大学は全入時代です。

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幼少の頃より学習塾を始め、算盤、ピアノその他の楽器、バレエ、サッカーや柔道などのスポーツ等々、習い事もオンパレードで、小学生の多くがほぼ毎日なにかの習い事に通っています。(という私のところもそのうちの一つなのですが)
子どもたちは昔と比べて確かにどんどんお利口になってきています。
しかし、果たして賢明な子どもに育っているか、というとはなはだ疑問です。


さまざまな事実を暗記してテストで高得点できる。
しかし、「◯◯ができる」=「賢明」とは限りません。
これからの時代に求められるのは、「利口な◯◯ができる」子(人)ではなく、真に「賢明な」人物で、私たち教育に携わる者はもっとこのことに心を砕かなければなりません。


アカデミー学院では今日から夏合宿。
初日の今日は、一日勉強合宿。中1・中2生は5時間の勉強、中3生は朝9時から夜10時までの"Ten Hours"です。

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2日目の明日は、中1・中2生は学力テスト、中3生は県模試。
3日目・4日目の土日は、恒例の足柄ふれあいの村での一泊合宿です。
単にお勉強だけができるお利口さんをつくる塾ではなく、全人格教育を目指したトータルな4日間の合宿です。
アカデミーから将来の日本を担う賢明な生徒たちが巣立っていくことを心から願っています。


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神なしの1週間

2015.08.05日
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アメリカ在住のFBフレンド、Masumi Hughesさんがシェアしてくださった上の画像の言葉が機知に富んでいてあまりにも面白く、何とかこれをうまく日本語に翻訳できないものかと、夜も寝て(!)夢の中で(?)考えました。
そして、ついに一昨夜たどり着きました。
でも、その前にまず上の英文をそのまま日本語に訳します。


神がいないと私たちの1週間は:
Sinday 「罪の日」(Sunday 日曜日を文字って。以下同様)
Mournday 「悲しみの日」(Monday 月曜日)
Tearsday 「涙の日」(Tuesday 火曜日)
Wasteday 「無駄遣いの日」(Wednesday 水曜日)
Thirstday 「渇きの日」(Thursday 木曜日)
Fightday 「闘いの日」(Friday 金曜日)
Shatterday 「打ち砕かれる日」(Saturday 土曜日)
神なしの7日間は私たちをひ弱にする。


で、原文の語呂合わせの味を保ちつつ、私が日本語風に直して創作したのが次のものです。(裏付ける聖書の注付き)


神がいない1週間は:
ニーチェ様日 (日曜日 「神は死んだ」のニーチェの様な日)

(愚かな者は心のうちに「神はいない」と言う。彼らは腐れはて、憎むべき事をなし、善を行う者はいない。−詩篇14:1)
下水道日 (月曜日 下水道のように嫌な臭いを放つ日)
(またその運河は臭いにおいを放ち、エジプトのナイルの支流はややに減ってかわき、葦とよしとは枯れはてる。−イザヤ書19:6
それは、かんばしいかおりであり、神の喜んで受けて下さる供え物である。−ピリピ人4:18)
禍異様日 (火曜日 禍-わざわい-を異様に大きく感じる日)
(悪しき者はわざわいだ、彼は災をうける。その手のなした事が彼に報いられるからである。イザヤ書3:11
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。−詩篇 23:4)
追悼日 (水曜日 死を恐れ、死後に望みがないので近親者の死を悼み、悲しむ日)
(イエスは彼に言われた、『わたしに従ってきなさい。そして、その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい」。』−マタイ8:22
「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。−Iコリント15:55)
黙夜日 (木曜日 夜な夜な孤独な沈黙を過ごす日)
(わたしは黙して物言わず、むなしく沈黙を守った。しかし、わたしの悩みはさらにひどくなり、−詩篇39:2
あなたがたが主と共におる間は、主もあなたがたと共におられます。−歴代志下15:2)
金要日 (金、金が要ると、金が全ての空しい日)
(これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。−マタイ6:32-33)
どんよ〜り日 (土曜日 頭も心も霊もどんよ〜り曇って神が見えない日)
(そして、彼らがイスラエルの神を見ると、その足の下にはサファイアの敷石のごとき物があり、澄み渡るおおぞらのようであった。−出エジプト記 24:10
心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。−マタイ5:8)
神なしの1"週間"は、人に悪い"習慣"をつけさせる。


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若者の利点?

2015.08.04日
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"One of the virtues of being very young is that you don’t let the facts get in the way of your imagination."
- Sam Levenson - 1911-1980, Humorist
「若者の利点の一つは、"現実"に自分の夢の邪魔をさせないことだ」
-- サム・レヴェンソン、ユーモリスト
(訳:舟田譲二)


原文には"One of the virtues of being very young"とあるので、正確には「非常に若いことの美徳の一つは」となりますが、より自然な日本語にするために上のように訳しました。
「非常に若い」というのが何歳くらいのことを言っているのか分かりません。訳したように、一般的な「若者」を指すのか、あるいは怖いもの知らずのもっと幼い子供を指すのか。
でも、いずれにしても子供、もしくは若者というのは、良い意味においても悪い意味においてもまだ人生経験が浅いため、常識という「現実」に邪魔されずに、自分の夢を追い続けることができます。
そしてこれは紛れもなく、若者の利点、美徳、特権ですね。


しかし、それでは若者でない人はどうなのでしょうか。
アサラ・ラブジョイという作家は次のように言っています。
「多くの人が、現実とはありのままの状況のことだ、と言うが、私の経験から言うと、まったくその正反対だ。現実とは新しいものを生み出すための私たち自身のものだ」。


プロスキーヤーであり登山家でもある現在83歳の三浦雄一郎氏は、70歳でエベレストを登頂し、さらに、75歳、80歳と3度のエベレスト登頂を果たし、90歳で再度エベレスト登頂を目指していらっしゃいます。
この三浦氏、60歳を超えて体はどんどん太り、糖尿病と診断されて、医者からは3年も持たないと言われたそうです。
そこで一念発起し、このエベレスト登頂というものすごい目標を達成されました。
三浦氏も現実を見ていたなら、こんな偉大なことはできなかったことでしょう。
60歳を過ぎて「現実」に自分の夢の邪魔をさせないことを決意されたのです。


「現実とは新しいものを生み出すための私たち自身のもの」なのです。
年齢は関係ありません。


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神の奴隷? 罪の奴隷?

2015.08.03日
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昨日、湘南見附キリスト教会の礼拝において語ったメッセージを、今日はそのままご紹介させていただく紙上説教です。
実際には原稿から離れて話しており、アドリブや冗談が入り、また最後の方で視覚に訴えるゴスペルマジックも行っているのですが、それをこの紙上で再現するのは不可能なので、ここでは元の原稿をそのまま転写いたします。
ただ少し長いということと、キリスト教や聖書の話に関心のない方もいらっしゃると思いますので、そのような方はスルーしてください。あくまでも興味のある方だけお読みください。


「神の奴隷か罪の奴隷か」

ローマ人への手紙6:12-23


 4か月ほど前になりますが、『ガイアの夜明け』というテレビ番組で「産後ドゥーラ」という活動を特集していました。これは娘のお気に入りの番組で、私も一緒によく見ています。
 産後ドゥーラは、産後の悩めるお母さんたちを助ける働きです。普通、家事代行は家事しかやってくれませんし、ベビーシッターは赤ちゃんの世話だけで料理や掃除はしてくれません。しかし、産後ドゥーラは、産後のお母さんをトータルでサポートするのです。
 この「ドゥーラ」というのは日本人には聞きなれない言葉ですが、私は聞いた瞬間、直感でこれはギリシャ語の「ドゥーロス」の女性形だと思いました。ドゥーロスとは「奴隷」のことです。
 一緒に番組を見ていた娘にこのことを言ったところ、娘は驚いて、「まあ言わんとすることは分からないではないけど、やっぱり『奴隷』という言葉は響きが悪いし、印象も良くない。名前の付け方にちょっと問題があるのでは」と言いました。
 確かに、今のこの時代に「奴隷」という言葉を使うのには抵抗があるでしょう。ですからこの団体ではホームページ上で、「ドゥーラの語源は、ギリシャ語で他の女性を支援する、経験豊かな女性」というふうに説明していて「奴隷」という言葉は使っていません。


 もし万が一、現代の世界のどこかの国で奴隷のようなことが行われていたら、それがどこであっても人権蹂躙(じゅうりん)だと言って国際団体が訴え、廃止に追い込もうとすることでしょう。
 誰だって「奴隷」になんかなりたくありません。
 ところが、聖書を見ていると「奴隷」という言葉が頻繁に出てきます。それは単に昔の時代のことで奴隷制度があったからではありません。今日の私たちも「神の奴隷だ」と聖書は言っています。
 教会外の人たちが、クリスチャンとは神の奴隷だなんて聞いたら、自分たちはまっぴらご免だと言って、つまずきになることでしょう。しかし、聖書には創世記の最初から黙示録の最後に至るまで一貫して、私たちは神の奴隷であると記されています。


 聖書を読み始めた時、私が一番初めにとても違和感を覚えた言葉は「主」(しゅ)でした。今日私たちは「主」なんて言葉はまず使いません。ひと昔前には「館の主(あるじ)」というような使われ方はしていましたが、今や聞くことはありません。しいて言えば、妻が夫のことを「主人」と呼ぶのに使われているぐらいです。まあ、どちらが主人なの分からないケースもよくありますが。あと「主」を使うのは「主従関係」とか「主語・述語」、「主治医」「主任」とかで、「主」という言葉自体を耳にすることはまずありません。


 聖書の中で使われている「主」とはなんでしょう。私たちクリスチャンは普段、無意識のうちに神様のことを「主」と呼び、また「主よ、主よ」と賛美しています。


 旧約聖書の中には「主」という言葉が7000回近く出てきます。原語のヘブル語ではYHWHという子音だけで書かれていて母音がありません。母音がなくてもヘブル語は普段使われている言葉で母音を補って読むため発音は分かるのですが、この神様を表すYHWHは出エジプト20:7にある
「あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない」
というところから、人々は畏れ多くて神様のお名前を口にせず異なる母音をつけ「アドナイ」と発音し、「主」という意味に置き換えていたと言われています。


 日本でも、天皇陛下のことを昔は現人神(あらひとがみ)と言って名前を口にするのを畏れて「陛下」と呼んでいました。昭和天皇のことを「裕仁」(ひろひと)と呼ぶようになったのは英語の影響もあって、戦後のことです。
 また、今日でも現天皇の「明仁」(あきひと)という名前を知っている人はほとんどいません。昔だったら、天皇のことを「明仁」なんて名前で呼んだりしたら不敬罪で逮捕され投獄されて、ことによっては首をはねられていたかもしれません。


 同様に、旧約聖書の時代も神様の名前を口にするのをはばかっているうちに発音の仕方が分からなくなったのです。YHWHに母音を補っておそらく「ヤハウェ」のような発音だったのだろうと言われていますが、これすら確かではありません。
 アドナイの母音を使って発音した「イェホワ」を英語読みしたものがJehovah(ジェホゥヴァ)で、日本語風に直したのが「エホバ」です。皆さんもよくご存じのエホバ証人が使っている名前です。エホバの証人は、聖書の中に出てくる「主」とか「神様」というのは本当の名前ではなく、正確に神様のお名前を「エホバ」と呼ばなければならないと主張し、私たちキリスト教会を非難しています。しかし、彼らが使っている「エホバ」も英語の「ジェホゥヴァ」もヘブル語のYHWHの正確な読み方ではありません。そのことを彼らに指摘したところ、発音はどうでもよい、正しい名前で呼ぶことが大切なのだと返答しました。これはまったく見当外れな答えで、たとえて言うならば、人の名前を間違えて呼んでいるのと同じで、かえって失礼になります。
 さて、以上のような理由で、神様のお名前を口にするのが畏れ多くて、「主」と呼んでいたのです。


 新約聖書において「主」と訳されている言葉は、原語のギリシャ語では「キュリオス」で、750回ほど登場しますが、これは旧約聖書に出てくるヘブル語の「ヤハウェ」のことで、同じ神様のことを指しています。このことは、新約聖書の中でイエスさまやパウロなどが旧約聖書を引用して「ヤハウェ」のことを言うときに「キュリオス」という言葉を使っていることからも明らかです。
 つまり、旧約聖書においても、新約聖書においても、神様のことを「主」と呼んでいるのは、神様が私たちの「ご主人様」であり、私たちは神様の奴隷であるからです。パウロも自らのことを「キリストの僕(しもべ)」と呼んでいます。「僕」とはもちろん奴隷のことです。つまり私たちはみんな神様の僕、神様は私たちの「主」なのです。


 これらのことを念頭に置いて今朝の聖書の箇所、ローマ人への手紙6:17−18を見ると、パウロはここで、私たちは「罪の奴隷」から解放されて「義の奴隷」になったと言っています。 
 私たちはかつて罪の奴隷だったのです。
 16節の前半には、「あなたがたはこのことを知らないのですか。あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り」とあります。すなわち23節にあるように「罪から来る報酬は死」、私たち生まれながらのものはみんな例外なく罪人であり、その行き着く先は永遠の死なのです。
 しかし、聖書の中に記されているまことの神が素晴らしいのは、世界中のどの宗教にもない、人間が持つ最大の敵であり、私たちを苦しめ、不幸にしているこの罪の問題を解決しているところにあり、これこそがキリスト教のトレードマークと言えるものなのです。


 20−22節にあるように、「罪の奴隷であった時は、あなたがたは義については、自由にふるまっていました。その当時、今ではあなたがたが恥じているそのようなものから、何か良い実を得たでしょうか。それらのものの行き着く所は死です。しかし、今は、罪から解放されて神の奴隷となり、清潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです」。
 罪の奴隷は、奴隷制度における奴隷とは比べものにならない本当に恐ろしい、最悪の奴隷です。神様を知らない人たちはみんなこの罪の奴隷状態にあります。だから、周りの人々に、とくに家族や親族、友人など身近な人たちにこの素晴らしい神様からのプレゼントである永遠のいのちを知らせるために神様によってこの世に教会が置かれ、私たちクリスチャンは伝道するよう命じられているのです。
 人々は奴隷になることを恐れていますが、自分たちが罪の奴隷であることに気づいていません。しかも、その行き着く先は永遠の死であることも知りません。
 しかし、罪の奴隷状態から解放され、神の奴隷になるなら最高のプレゼントである永遠のいのちをいただくことができるのです。こんな素晴らしい奴隷だったらだれでも喜んで神の奴隷になりたいと思うのではないでしょうか。ちょうどパウロが神の奴隷であることを誇っているように。


 罪の奴隷状態から解放され義の奴隷になる、すなわち罪が完全に赦されて、神様が私たちのことを「罪なし」と宣言されるところが聖書には何か所も出てきます。
 「東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される」(詩篇103:12)
 イエスさまは十字架の上で流されたその犠牲の尊い血潮によって私たちを洗い清め、雪よりも白くしてくださいます。


 しかし、「東が西から遠く離れている」とか「イエスの十字架の血潮によって雪よりも白く洗い清めてくださる」と言われても、ちょっとイメージするのが難しいです。
 そこで、このみ言葉を具体的なイメージで表すとこんな感じになります。
(ここで、罪から解法されるのを表すゴスペルマジックを披露)


 ヨハネの福音書3:16−18には、
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている」
とあり、また今日の箇所ローマ6:23には、
「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」
とあります。


 あなたの主はだれですか。本当にヤハウェの神様、イエスさまが主になっていますか? 私たちはヤハウェの神様、主イエス・キリストの僕になっているでしょうか。罪の奴隷から解放されて、義の奴隷となっているでしょうか。


 お祈りします。
「私たちの主。主の主。王の王なるイエスさま。
私たちはかつては罪の奴隷でした。自分が望む善を行うことができず、悪を行う、本当にみじめな者でした。そして、その罪の奴隷が行き着く先は永遠の死であり、そのために死を恐れていました。
 しかし、イエスさまが十字架上で流してくださいました血潮によって私たちを罪の奴隷状態から解放し、神の子、僕としてくださいました。今や私たちはさばかれることがなく、永遠のいのちが与えられ、生きる意味も目的も与えられています。そのことのゆえに心より感謝いたします。
 しかし、私たちの身の周りには家族や親族、友人たちの中に、まだまだこの素晴らしい福音を知らず、罪の奴隷状態になっている人たちがいます。
 主よ、どうか私たちをきよめ、あなたの義の奴隷にふさわしい者として整えてくださり、世の光、地の塩としてキリストの良き香りを放ち、周囲の者に良い証しを立てて、この素晴らしい救いの世界に導くことができますよう助けてください。
 私たちの主、イエス・キリストの御名によって感謝してお祈りいたします」


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良い夫婦関係を築く秘訣

2015.08.02日
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去る7月19日に司式した次男正人と小島萌さんの結婚式(「昨日は最高に幸せな一日でした」)で行ったショートメッセージを以下にシェアさせていただきます。
良い夫婦関係を築くのに、新婚・既婚、結婚年数に関わらず通じることで、少しでも皆さんのお役に立つことができれば幸いです。


聖書が教える良い夫婦関係を築く秘訣を3つのポイントでお話します。
まず第1に、妻に対して聖書は何と言っているでしょうか。
「妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい」(エペソ5:22)
「主」とはイエス・キリストのことです。
夫婦関係が壊れる原因の多くは、妻が夫に仕えない、すなわちパワーバランスが崩れるというところにあるようです。妻は自分の思い通りに夫をコントロールしようとしますが、夫は妻に支配されるのを嫌います。そこで夫は言葉や行動をもって妻を力づくで支配しようとします。
このような勧めを聞くと、こんなのは不公平だと女性の方は思い、面白くなく感じるものです。


それでは第2に、夫に対してはどうでしょうか。
夫は妻に仕えられてふんぞり返って、亭主関白で自分の思い通りに妻をこき使っていればいいのでしょうか。このような夫婦関係も非常に多く、そしてその結果離婚に至るケースもしばしばです。
聖書は何と言っているのでしょう。
「夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい」(エペソ5:25)
夫に対しては妻を愛しなさい、とあるのですが、その愛し方は単に「愛しているよ」というようなレベルではありません。
「キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように」とは、イエス・キリストがご自分を信じる者を愛して十字架上で命を捧げられたようにという意味で、命をかけて愛しなさい、という命令です。
夫がこのように命がけで妻を愛するなら、妻は喜んで夫に仕えることでしょう。


最後にふたりに対して聖書は何と言っているのでしょう。
「それゆえに、人は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである」(創世記2:24)
結婚してからも夫、または妻がまだ自分の親に精神的に、あるいは経済的に頼っていてはいけません。これも結婚生活が破たんする大きな原因のひとつです。
結婚したらふたりは一体であり、良い時だけでなく、苦しい時も、どんな時でもふたりで一緒に問題を解決していかなければなりません。実家に頼っていてはいけません。
また聖書には、
「互に重荷を負い合いなさい」(ガラテヤ6:2)
とあります。
夫婦は一心同体ですから、喜びだけでなく、相手の悩みや苦しみも自分のものです。二人で喜びを分かち合えば二倍になり、苦しみを分かつと半分になります。
最後にもうひとつ聖書から。
「怒ることがあっても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れるようであってはならない」(エペソ4:26)
ここで言っている「日が暮れる」とはその日が終わる、ということです。どんなに愛し合っていても、時には意見が衝突し、喧嘩することがあるでしょう。しかし、それを翌日に持ち越さない。お互いに謝り、また許し、相手を受け入れること。互いに許し合う、これがいつまでも平和で仲良く続けられる夫婦関係の秘訣です。
二人が一生、お互いを大切にし、支え合い、神様に祝福された素晴らしい結婚生活を築いていけるよう切に祈り求めます。
ご列席くださいました皆様もぜひ二人のことを覚えて祈り、支えてくだされば幸いです。


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感謝の気持ちを表現する

2015.08.01日
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"Feeling gratitude and not expressing it is like wrapping a present and not giving it."
-- William Arthur Ward, Scholar
「感謝してはいるけどその気持ちを表現しないことは、プレゼントをラッピングしていながらそれを渡さないようなものだ」
-- ウィリアム・アーサー・ウォード、学者
(訳:舟田譲二)


NHKの朝の連続ドラマ『まれ』が面白くてハマっています。
希を見ていて、「一生懸命」とかその他教えられることがたくさんありますが、そのうちの一つが希の素直さで、悪いと思った時には平謝りするし、ありがたいと思うと精いっぱいその気持ちを相手に伝えるところで、とても好感が持てます。


感謝していながらその気持ちを素直に表せない人がとても多いです。とくに日本人にその傾向が強いように思われます。外国の人の場合はちょっとオーバーすぎるほど言葉だけでなく、顔の表情やジェスチャー、ハグしたりなど、全身で感謝の気持ちを相手に伝えます。


確かにいくら感謝していても、その気持ちを表現しなければ、「プレゼントをラッピングしていながらそれを渡さないようなもの」で、これでは元も子もありませんね。
私たち日本人も、希のようにもっと素直に感謝の気持ちを相手に伝えられるようになりたいものです。
それも、とくに家族など身近な人たちに。


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