学院長元気の出るブログ

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雑草という名の草

2014.10.20日

ちょっと前に「主婦業も大変だ」という記事を書きましたが、これはありがたいことに今の私にはとてもいいリハビリにもなっています。


今朝は先日から気になっていた家の周りの草むしりをしました。これも今までは妻がやっていた仕事ですが、今や役割り分担で私がすることになっています。
私はなんでもやり出すとつい一生懸命になってしまうたちなので、いつも妻から無理しないでと言われているのですが、やはり「わかっちやいるけどやめられない」です。


本当に猫の額のような小さな庭と家の周囲、といってもたかだかしれているのですが、知らないうちに小一時間やっていました。
時々立ち上がって体を伸ばし、拳で腰をトントンと叩いていたのですが、それでもやっぱり終わったときにはもうアウト。
最後に立ち上がったときには、立ちくらみで頭の中が真っ白になって倒れそうになり、ちょっと怖くなりました。今はやはりまだ体調が回復していず、それがいろいろなところに出てきます。
部屋に戻って横になった途端に寝てしまい、気がついたら1時間ほど眠っていました。
腰は少し楽になりましたが、でもやっぱりまだ痛い。



草むしりをしながらいつも思うことですが、いわゆる「雑草」というものは私たち人間にとっては邪魔なものです。
しかし、雑草の中にもいろいろな草があり、みんなそれぞれれっきとした名前があるにもかかわらず、十把一絡げで私たちは「雑草」と呼んでいるのです。
しかも、人間に邪魔だからといって、いつも引き抜かれ捨てられる運命にある。
人からは他の草花のように愛(め)でられることがないばかりか、見向きもされず踏みつけられ、水や栄養、太陽の光さえも与えられない。
にもかかわらず、雑草は力強く生き、抜かれても抜かれても、次から次へとまた芽を出して立派に育っていく。
その生命力や根性に、心身ともに弱い私などは頭が下がる思いでいます。


どこからこのような強さ、いわゆる雑草魂が生まれてくるのでしょう。
雑草にも果たすべき役割のようなものがあるのだろうかなどと、ついつい考えてしまいます。


植物学者でもあった昭和天皇がかつておっしゃった言葉、
「雑草ということはない。どんな植物でも、みな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。人間の一方的な考え方でこれを雑草としてきめつけてしまうのはいけない」


これは人間にもそのまま当てはまります。みんなそれぞれ名前があり、賜物は異なっていても生きる権利を持っており、その置かれているところどころで生を営んでいます。
世の一般の人たちは、いわば雑草のように「その他大勢」の中のひとりのようであり、注目を浴びることもなく、静かに一生を終えていきます。
しかし、この世と世の中のすべてのものを創り、私たちを創ってくださった神様の目は一人ひとりに深い愛を持って注がれています。
意味のない人生など一つもありません。
そのことを雑草は私たちに教えてくれているような気がしてなりません。


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