学院長元気の出るブログ

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舟田式ひも勉強法 その6

2014.04.30日

閑話休題


「舟田式ひも勉強法 その3」で「6. 何を勉強するにしても、枝葉末節にとらわれず、根幹から入る」と書きました。シリーズの第4回と5回では、その具体例を挙げました。
今日はその続きです。


 7. 教育の真の目的は暗記ではなく、考える力をつけ、将来使える力を養うこと
これは大切です。そして、これこそが「舟田式ひも勉強法」の根幹であり醍醐味だと言えます。
以前、「灘校教師の名物授業」という記事を書きました。


hayashi.jpg


21歳から71歳まで、半世紀にわたり灘校の教師を務められ、昨年101歳でお亡くなりになられた橋本さんの授業スタイルは、教科書からの「計画的脱線」です。
一見、横道にそれているように見える授業ですが、実は用意周到に計画されているのです。脇道にそれているように見えても、実は根幹はしっかりしていて、その枝葉を通してよりいっそう幹そのものや木全体がよくわかるよう工夫されているのです。
このようなやり方で、橋本さんは生徒を国語の虜にし、読む力、考える力、表現する力がつく本物の授業をしてこられました。
「私にできることと言えば、大学入試に若者を駆り立てることではなく、こういう非常な体制の下で、いかにして正しい勉強法−人間形成の栄養分となるお膳立てをととのえるかということだけです。
私はさりげない方法で、『楽しい勉強』をモットーとして教室に臨みました」と橋本さんは語っておられました(「心底、恐れ入りました!」)。


橋本さんの言う「楽しい勉強」は、一見遠回りで無駄のように見えるかもしれませんが、実はこれこそが本物の力を養成する唯一の方法です。
なぜなら、学んでいることがら一つひとつが全部ひものようになってつながっていき、ネットワーク化されて立体的なものとなり、その結果学んだことが身につき、生涯にわたって人生のさまざまな場面で活かされる本物の知恵となるからです。
現に橋本さんの教え子からは、現在、政治の世界や経済界で指導的役割を果たしている方が大勢出ています。
これは、単なる試験のための暗記中心、得点主義の授業では絶対にできないことです。


確かに、勉強だけでなく、芸術やスポーツ、仕事、その他ありとあらゆる分野において、本当に長(た)けている人というのは、教えられたことだけを覚える作業をした人ではなく、その後、自分でどんどん研究、実験し、その延長で新しいことを発見していき、体験を通してさまざまなことを身につけていった人たちです。


そのような人材を育てることこそ、教育の真の目的であるべきです。


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一人ひとりの個性を尊重

2014.04.29日

昨日、「舟田式ひも勉強法 その5」まで書きましたが、実はこのシリーズまだ当分続きます。
ずっと同じような話が続くと皆さんに飽きられるかもしれないと思い、今日はちょっと脱線です。
とは言っても、本当の脱線ではなく、今お話ししていることに関連はしているのですが。


今、毎日ウォーキングをしていることはこのブログでこれまで何度も書いてきています。
普通はだいたい2時間、13kmほど歩いているのですが、昨日は2時間43分あまりで約16km歩いてきました。
いつもの金目川沿いのサイクリングロードの散歩コースです。


uguisu.JPG


ここはいつも歩いていると、最近では田舎でもあまり聞かなくなったといううぐいすの鳴き声が、上の写真の木立の辺りから、またそのほかの場所でも毎回聴けるのです。
朝、歩いている時にはうぐいすが私に、
「おはよう!」
と語りかけているような気がし、帰り際、とくに夕方などは
「お帰り。お疲れさま!」
と言ってくれているように感じます。
それに対して私も
「おはよう」とか「ただいま」と祈りの中でうぐいすさんに答えています。


さて、うぐいすの鳴き声と言えば、だれでも知っているあの有名な歌。
1. 梅の小枝で うぐいすは
  春がきたよと うたいます
  ホウ ホウ ホケキョ
  ホウ ホケキョ


2. 雪のお山を きのう出て
  里へきたよと うたいます
  ホウ ホウ ホケキョ
  ホウ ホケキョ


昔、「物まね大合戦」とかいうテレビの番組に出た小学生の女の子が、実に見事にこのうぐいすの鳴きまねをして、だれが聴いても本当にうぐいすの鳴き声と思うほどそっくりで、この女の子がチャンピオンになりました。
日本では、うぐいすというと、その鳴き声はほぼだれでも「ホーホケキョ」と言います。



ところが、散歩しながらよく聴いていると、これが必ずしも「ホーホケキョ」じゃないことに気づきます。
私が気づいただけでも、たとえば、
「ホーホケホケキョ」「ホーホケキョケキョ」「ホーケキョ」「ホーホケッキョ」「ホッホーホケキョ」「ホッホッホッホーホケキョ」「ケキョケキョケキョ」「ホッホッホッホーホケキョ」「ホホホホホーケキョ」
などなど本当にたくさんのバリエーションがあるのに気づきます。
ところが面白いことに、外国人の耳にはこのうぐいすの鳴き声は「ホーホケキョ」とは聞こえず、
「スースチチュ」「スーチッチュ」「ルールキチュ」「フーフチュン」「ホーチポン」
などと聞こえるようです。
じつに面白いです。


これは動物などの鳴き声に限りません。
犬にあまり関心のない人にとって、犬は同じ種類の犬ならみんな同じ顔に見えます。
ところがある種の犬を飼っている人にとっては、よその同種の犬の顔を見ると明らかに違いがわかるのです。
これは猫や、その他なんにでも当てはまります。


一昨日、FBフレンドのSさんが、パンジーのこんな可愛い写真を載せていらっしゃいました。


panji.jpg


そして、次のように書いていらっしゃいました。
「みんな ソックリなようで、微妙に違う顔してますね(*^^*) どんなものにも唯一無二の顔がありますね(^_^)」


そうなんです。
ファッションに興味ある人には、人が身につけている服装はとても気になり、その特徴がすぐに目に入り、しっかりと頭の中に刻み込まれます。
何でもそうですが、興味あることには人間は非常に敏感に小さな違いに気づきますが、そうでない人にとってはみんな同じように見えてしまいます。


海岸でよく見かける鳩も、一見みんなそっくりに見えるのですが、よく見ていると1羽1羽みんな羽の色や柄が違うだけでなく、姿格好も、また顔すら違うし、行動も、声や鳴き方もそれぞれ異なるのです。


hato.JPG


ましてや、「人間においておや」です。
動物から見れば、人間はみんな同じように見えるかもしれませんが、我々人間同士は違いがわかります。
たとえ一卵性双生児で一見そっくりでも、親から見ていると顔や体つきだけでなく、性格や行動やさまざまな違いがはっきりと見えます。


私たちも人を見るときに気をつけなければならないのは、十把一絡げにしてはいけない、ということです。
一人ひとり顔や恰好が違うだけでなく、考え方も感じ方も表現の仕方も、歩き方や食べ方など行動も、すべてがみんな異なります。
この違いを私たちはその人固有のものとして受け入れ、尊重しなければなりません。


今、この「舟田式ひも勉強法」シリーズで繰り返し言っていることは、みんなそれぞれ個々の点から成っているのではなく、それぞれの点が集まって線になっている、ということですが、個々の特徴を尊重するとともに、個々バラバラに見るのではなく、その中に共通する線を見出すこと。これがとても大切なことで、これによって初めて、正しい人間関係を築くこともできるようになるのです。


ということで、今日はちょっと気分転換を図りました。


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舟田式ひも勉強法 その5

2014.04.28日

「枝葉末節ではなく、根幹を大切に」と2回にわたって書いてきました。
それは、多くの人の勉強法が、個々バラバラの点のような事項をとりあえず試験のために覚えるというやり方に終始していて、肝心の全体像や流れ、すなわち、点と点がつながってひもとなって見えていないのです。
そして、そのようなやり方が勉強そのものだと思い込んでいるため、勉強がつまらないという結果になってしまっています。


生徒や学生の多くが普段の学びや復習を大切にせず、試験前になって慌てて試験に出そうなものを頭の中に無理やり詰め込んで暗記しています。
このような勉強法は非効率的なだけでなく、何も身につかないばかりか、勉強嫌いになるのがおちです。


勉強とは本来、未知のものを探求し、発見し、自らの糧にしていくというワクワクするような楽しいものです。
この楽しさを一旦味わうと「勉強にハマる?」ことだって十分に可能なのです。
それは、ただ単に個々バラバラの知識を暗記で頭に詰め込むという作業ではありません。
好きなこと、楽しいことは、暗記しようとして覚えるのではなく、自然と頭の中に入っていって、記憶として身につき、生涯役立つものです。ちょうど上の「勉強にハマる?」の記事の中に登場した社会博士のN君のようなものです。


私の場合の英語も同様です。
私は英語を勉強としてとらえて、英単語を試験のために一生懸命暗記したとか、文法を覚えたという記憶がありません。
英語が好きで好きで仕方がなく、どんどんハマっていくうちに、自然と単語も発音もスペルも文法も読解もリスニングも身についていき、今では日々の生活の中のいたるところで英語を実際に使っています。
試験のために暗記中心で英語を勉強してきた人にはできないことです。
そして、これこそが本当の勉強の仕方だと確信しています。なぜなら、このような勉強法で身につけたことは試験が終わったからといって消えてなくなってしまったり、「読み書きはできるが、英会話は...」に書いたような実際に役に立たない知識とは根本的に異なるからです。


一昨日の記事「舟田式ひも勉強法 その3」を読んだひとりの愛読者の方から次のようなメールをいただきました。
「日本の人が書いた注意書きに笑ってしまいました。私も高校時代、アメリカでI'm boring. と言ってしまい、No, you are not boring.(^。^)と笑われてしまったことを思い出しました」
これに対して私はこのようなお返事をしました。
「素晴らしい具体例を挙げてくださいました。
よくわからない方のために少し補足しますと:
英語のboreは自動詞で「退屈している」という意味だと思い込んでいらっしゃる方がとても多く、現在進行形で「私は退屈している」と言うつもりでで"I am boring."と言ってしまいます。
でも、これは他動詞で「人を退屈させる」という意味で、正しくは"I am bored." 、すなわち「私は(何か外的状況により)退屈させられている」という意味から日本語の「私は退屈している」となります。
そして、bore が「退屈させる」という意味から、これに ing をつけると「退屈させている」という意味の形容詞になり I am boring. と言うと、「私は退屈させる人」という意味になるのです。ですから、"No, you are not boring." と、「あなたは決して退屈な人じゃありませんよ」と言われたわけです。
このように、理屈がしっかりわかっていれば決してこのような間違いは犯さないのですが、ただ単に暗記に頼った勉強法をしていると役立たないという、とてもいい例です。
ですから、学校で bore という語を教える時には、ここまで具体例を挙げて、英語と日本語の文法構造の違いや用法まで説明しておかないと、基礎からしっかりやったということにならないのです」


上の例のように、試験のための暗記を超えた本物の勉強は、ひものようにつながっています。英語でいえば、単語も発音もスペルも文法も読解もリスニングも会話も全部つながっているのです。
ですから、当然の結果として英会話もできるし、外国人の友達を作ることも、本も読むことも、テレビや映画を観て理解することも、インターネットを活用して自分の欲しいものを手に入れることもできるのです。
試験のために勉強し、試験が終わったら忘れてしまうような勉強は、時間とお金とエネルギーの無駄です。


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舟田式ひも勉強法 その4

2014.04.27日

歴史の勉強においても同じです。
正しい勉強法は、歴史の流れ全体をまず把握して、それから個々の時代の文化や特徴、それからどの出来事が次にどの出来事につながったか、誰が影響を与えたか、という流れを知ることが大切なのですが、今の学校の勉強法や、試験はどうしても個々の出来事が重視されていて、大きな流れを把握していません。
それで、多くの生徒が「歴史は暗記だ」と言い、暗記ばかりしていて、そのため歴史の勉強がつまらなくなっています。
結局、すべてが点の出来事になっていて、ひもになってつながっていないため、歴史がわからないし、面白くないのです。ほとんどの生徒が、歴史の学びの醍醐味をまったく知らないまま終わっています。
これは実にもったいないこと。


しかし、考えてみたら、歴史に限らず、日本ではほとんどの勉強がこのように枝葉末節にとらわれて、一番肝心な「何が」「なぜ」「どのように」「どうなったか」という流れが見えていません。
これがわからないから、みんな勉強の楽しさを知らないまま、つまらない、嫌いだと言っているのです。


これに比べて、「アメリカ滞在1日目(パート2)」に書いたアメリカの高校での歴史の授業は実に生き生きしていて、生徒全員を授業の中に引き込んで、みんなが積極的に参加し、楽しむ授業を行っていて、本当に羨ましく思いました。
勉強は本来、試験が目的でするものではありません。
日本でも、試験から離れたこのような授業が行われるようになることを切に願うものです。ちょうど「灘校教師の名物授業」のように。


小学校での算数の授業で取り扱う「速さと時間と距離」の問題もそうです。
あまりにも安易に「き・は・じ」の公式を教え、ただ機械的に問題を解けるようになることだけに終始しています(「教育哲学」)。
ですから、実生活の中で、この概念がまったく活用できないままで終わっています。
これではまったく意味がありません。


この項、さらに明日に続きます。


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舟田式ひも勉強法 その3

2014.04.26日

今日の、シリーズ第3回から本論に入っていきます。


 6. 何を勉強するにしても、枝葉末節にとらわれず、根幹から入る
多くの人の勉強法は、細かいことばかり覚えようとして、肝心な中心が見えていません。
よく、「歴史は暗記だ」「理科は暗記だ」という言葉を聞きますが、歴史や理科に限らず数学が暗記と言う人もいますし、中には国語や英語も暗記だと言う人すらいます。実際のところ、そういうタイトルの本が書店の書棚に並んでいます。
そして、面白いことに、「◯◯は暗記だ」と言う人に限って、その教科が苦手です。逆に、得意な人に「◯◯は暗記じゃないんですか?」と尋ねると、「とんでもない。暗記なんてしたことありません。ちゃんと理屈があります。理屈をしっかりと理解すれば、自然と覚えられて、誰でも必ずできるようになります」という答えが返ってきます。
中には暗記が得意な人がいます。そのような人は確かに試験である程度点数は取れるのです(中には暗記で満点さえ取る人もいます)が、肝心要のことが頭に入っていませんし、根幹を理解していないので時が経つと忘れてしまいます。これではたとえテストで満点を取って、学校の成績が5でも「得意」とは言えません。


自分は文系だから数学や理科は苦手とか、理系だから英語や社会、国語は苦手、と言う人がとても多いですが、これも思い込みです。正しい勉強法を知らないだけのことです。
現に、理系でありながら文系科目が得意な人やその逆の人もたくさんいます。そして、理系、文系両方とも苦手な人などいくらでもいます。このような人は、まずほとんどのケース、その場限りの暗記に頼った枝葉末節の勉強をしていて、根幹をまったく理解していません。


たとえば、昔、うちの塾で講師をしていたある理系の先生は、かつて神奈川県で実施されていたア・テスト(アチーブメントテスト)で、通っていた中学校で歴代1位という立派な記録の持ち主です。彼はどの教科もまんべんなく点数が取れる人で、どの教科でも教えることができました。
ところが、この人はいつも「英語は暗記だ」と言っていました。
確かに暗記で、学校のテストや入試ではかなりの高得点ができたのですが、根幹をしっかりと理解していないため、実力はありませんでした。実際に英語の専門書を読むとか、テレビなどで英語を聞いて理解することなどまったくできず、ただ単に学校のテストができるというだけだったのです。こういう人は、学校でせっかくいい成績を取ってきても、学んできたことが社会に出て使い物になりません。
同様に、試験範囲が決まっている学校の中間・期末テストなどでは高得点でき、内申点もいいけど、実力テストや模擬試験になると偏差値が低いという生徒も同じような勉強法をしているため、本当の実力が伴っていないのです。


以前、Facebookで面白い画像に出くわしました。


engrish.jpg


この画像の出処は明らかではありませんが、おそらく日本国内のどこかで実際に使われているものでしょう (このwww.engrish.comは主に日本や韓国、中国などで見かける「ヘンな英語」の画像満載の面白いサイトです)。
You must not enter. というのはかなり高度な英語です。普通だったら Do not enter. と書くところです。
この看板を作った人の英語の知識は普通以上だと思います。
しかし、一番大切な最初の Because you are dangerous, の部分で、これを書いた人が英語の基本をきちんと理解していないことがすぐにばれてしまいます。
蛇足ですが、これだと「あなたは危険なので」(=あなたは危険人物)という意味になり、まったくナンセンスというか、ユーモアのセンスがあるのかわかりませんが、トンチンカンな英文です。
しかし、アメリカなどで普通使われている「危険。立ち入り禁止」の看板には You must not enter. とは書いてなく、ごく普通の Do not enter. で、たとえば次のようなものです。


danger-do-not-enter-md.png


上の「あぶないから、はいってはいけません」の看板を書いた人も、英語の根幹である主語+動詞の形をきちんと理解さえしていれば、決して Because you are dangerous, のような変な英文は書かなかったことでしょう。


日本では、このようなとんちんかんな英文をTシャツを始め看板やレストランのメニューなどあちらこちらでよく見かけますが、まさに日本の英語教育の欠陥を如実に物語っています。
実際のところ、英語が苦手という人はまず例外なく、英語の基本中の基本である S+V, S+V+C , S+V+O , S+V+O+O , S+V+O+C という基本5文型を理解していませんし、また自動詞と他動詞の区別もわかっていません。
これを教えようとすると、「だから英語は暗記で苦手なんだ」と言う人がいますが、この同じ人がサッカーやバスケットなどの細かいルールや試合運びなどは暗記でなく、しっかりと覚えています。
同じことです。暗記じゃないのです。基本は理解し、繰り返して身につけるものです。
英語が苦手と言う人に、この基本をしっかりと教えていくと、みるみる力がついていくというケースをこれまで数え切れないほど見てきました。基本がわかるようになると、次から次へとつながって「芋づる式」で身についていきます。
だから、これを「舟田式ひも勉強法」と呼ぶのです。


この項、次回に続きます。


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舟田式ひも勉強法 その2

2014.04.25日

一昨日の「舟田式ひも勉強法 その1」では真の勉強法のバックボーンとなるべき基本中の基本についてお話ししました。
それは、「勉強する目的」が豊かな人生を送るためであるということ、そして「勉強にはすべて原因・結果があってひものようにつながっている」ということを知っておくことです。
今日はシリーズの第2回。


 3. 健康な生活を送る
健康的な食生活、適度な運動、良質な睡眠、良好な人間関係を築くことは、上の2点に劣らず大切なことです。
食事が貧弱だと脳に十分な栄養が行き渡りません。適度な運動がないと脳に酸素が行きません。時間ではなく良質な睡眠が取れていないと脳はいつも半分眠った状態です。人間関係がうまくいっていないと、心がそれに煩わされて効率的な勉強などできるわけありません。
つまり、これらは勉強の準備運動のようなものです。
これも「原因と結果の法則」につながっています。準備運動なしにどんなスポーツでも最高の結果を出すことなど絶対にできません。勉強も同じです。
普段から食事、運動、睡眠、人間関係をきちんとしている人は、勉強においても好結果を出すことができます。


 4. 積極思考、楽天的な生き方、リラックスすることが大切
「自分はできない」「頭が悪い」「何をやってもうまくいかない」「親を見ていて夢が持てない」などと否定的・消極的な考え方をしていたら、これらは当然のことのように自己実現してしまいます。
つまり、自分で自分を「できない」「だめな人間だ」と洗脳しているから、自分でもそのように信じてしまうのです。
生徒を教えていて気づくことは、できる生徒はたとえ今の状態がどうであっても自分の可能性を信じていて、逆にできない生徒は「自分は頭が悪いからできるようになるわけない」と決めつけているということです。
自分の可能性に目覚めると、小さな点と点がつながっていき、ひもとなり、やがて道はどんどん開かれていきます。(「人生は出会いで決まる」
楽天的な考え方、生き方をしていると脳細胞は活性化され、シナプスがつながっていきます。そして、これが勉強において大きな役割を果たします。
「笑う門に福来る」は、古今東西、どこにおいても真理です。暗い顔をして、否定的な考え方をしていると、福は逃げていきます。
また、緊張は学習の敵です。頭や体が緊張していると、入ってくるものも入ってこなくなります。
リラックスするために、軽い音楽を聴くとか、体を動かすとか、自分に合った方法を見つけましょう。


 5. 自己責任を持つ
できない人に限って、自分の努力不足を棚に上げて、できない理由を他人のせいにします。親の遺伝や家庭環境、友人関係、学校の教師、さらには日本の政治や経済のせいにしたり、自分ができない理由をありとあらゆるところに見つけます。
できる人は、できないのは自分の努力が足りないからだと悟り、より一層の努力をすることを惜しみません。ですから、ますます伸びます(「努力するのをあきらめたら失敗者」)。
これも線になってつながっていきます。


勉強ができるようになるには、必ずそれなりの理由があります。そして、それはほとんどのケース、自分の意志と行動で変えていくことができるものばかりです。
自分が変えなければ、当然のことながら何も変わるわけありません。
誰でも、たとえ何歳からでも、どのような状況の中からでも、変わっていくことができます。
自分の意思一つで、頭は必ず良くなり、勉強もよくできるようになります。


中1の夏期講習から入塾した生徒で、英語が基礎から全然わかっていなかったものの、いちからしっかりやり直していくうちにどんどんできるようになっていき、中2に上がる時に志望校を1ランク上げ、さらに力を伸ばして中3になった時にはもう1ランク上げて、結果的に3段階上げた志望校に合格した、という生徒がこれまでに何人もいます。しかも、これらの生徒たちの入試の結果は自分の得意だった科目以上に英語の方が得点が高かったというおまけ付きです。
可能か不可能か、それは自分の頭の中の考え方ひとつです。
そして、勉強ができるようになると、人生はどんどん変わっていきます。これもひものようにつながっているのです。


今日は下準備や心構えを中心にお話ししました。
この「舟田式ひも勉強法」シリーズは明日に続きます。
明日からは、さらに具体的な方法についてお話ししていきます。乞うご期待。


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新超ひも理論 その2

2014.04.24日

一昨日、「新超ひも理論」を書き、その具体例として昨日から新しいシリーズ「舟田式ひも勉強法」を始め、今日は「舟田式ひも勉強法 その2」に進む予定でした。
しかし今日は特別な、本当にものすごく特別な出来事があり、予定変更でまた「新超ひも理論」の続編「その2」になりました。


どういうことかと言うと、まだちょうど1間前にFBフレンドになったばかりの方と、メッセージのやり取りをしているうちに今日の朝10時にお会いすることに突然決まったのです。
そして、この出会いこそ、まさに「新超ひも理論 その2」の内容にふさわしいと思ったわけです。


今朝お会したこの方は高城 信さんといいます。FBでは Shin Takagi さんとなっています。ご本人のご了解を得たうえでこの記事を書いています。


ことのきっかけは、私の1週間前の記事をお読みになった高城さんが、次のようなコメントを送ってくださったことでした。
「舟田先生は平塚ですか。気が向くと朝4時に自宅を出発、犬たちとー緒に海岸目指して歩きます。自宅から片道10km強、日の出前なのでR129の歩道を歩きます。歩道の幅が広く、車との接触の心配がないので往路は必ずこのルートで辿ります。平塚駅構内をそのまま渡り海までー直線、海に着くとビーチバレーの辺りから相模川河口迄砂浜散歩、復路は相模川の土手を上流へと仙ります。自宅に戻るのは午前10時頃、海岸散歩の折、確率は限りなく低いですが、偶然ということもあります。どうぞよろしくお願いいたします」
これに対して私は、
「一度ぜひ平塚海岸でお会いしましょうよ。低い確率の偶然に任せずに。天気の良い日に予めお約束して」とお返事したところ、今度は高城さんの方から、
「主の平和。舟田先生、ご提案感謝します。良いですね、是非お会いいたしましょう。日程、コンディション整えば私はオーケーです。早朝お会いする時間を6時から7時前後に設定すれば、先生のお仕事に支障はないのではと思います。曜日で設定すると火曜日が1日フリーで助かります。その他の曜日では、月曜日、木曜日あたりだと日にちによってはオーケーです。この中で設定くだされば助かります。いやあ、楽しみ、楽しみ、気合入っています。主に在りて、この出会いに感謝します。アーメン」


このようなやり取りをしているうちに、高城さんの方から今日の朝という日時を提案してこられ、お会いする運びとなったわけです。


私はお会いする平塚海岸まで約50分ほど歩いて行きました。
いつものウォーキングコースの金目川サイクリングロードを歩きながら、うぐいすの「ホーホケキョ」(おはよう)というメッセージを聴き、私もうぐいすに祈りの中で感謝のお返事をしました。
行く道、八重桜が満開でとてもきれいでした。


yaezakura.JPG


これから初めてお会いする高城さんとのお交わりが大いに祝福されるよう何度も祈りながら歩いて海岸に向かいました。


平塚海岸に着いて、海岸沿いの国道134号線をそのまま歩けばすぐの距離なのですが、私は敢えて海岸の波打ち際を歩くことにしました。時間はかかるし、歩くのも大変なのですが、波が打ち寄せるすぐ際を波音を聴き、楽しみながら歩いて行きました。
歩いてきた道をふと振り返るときれいに私の足跡が残っていました。


hratsukakaigan.JPG


これを見た時、ついている足跡はひとつだけど、イエスさまがともにいて私を背負って歩いていてくださっているのだという「FOOTPRINTS(あしあと)」の美しい詩を思い出していました。


ようやく約束の場所に着くと、1時間半もかけて12kmほどの道のりを歩いて先に来て待っていてくださった高城さんとお互いにすぐに相手を見つけて駆け寄り、固い握手を交わしました(右手がまだ痛むので左手で)。
「お写真と全然変わりませんね」と高城さん。
それから、ボードウォークのボードに腰かけ、延々2時間半にわたり、これまでのお互いの人生の足跡について語り合いました。


takagi.JPG


写真の中で後ろを歩いているのは、高城さんの愛犬のうちの一匹ララで、とても可愛い犬です。


高城さんのお話があまりにも感動的で、途中、私は何度も涙し、鼻をかんだりしなければなりませんでした。
その内容は個人情報に関わることなので、ここでは触れません。
連れてこられた3匹の犬はリードをつけていなくても勝手にどこへも行かない、みんなとてもお利口さんですが、3匹とも捨て犬を拾ってきたとのこと。これまで30年間にこのようにして飼ってきた犬は11匹になるそうです。家にはまだ4匹の同様の捨て猫を飼っていらっしゃるとのこと。
その動物愛にも感動しました。犬にも高城さんの愛情が伝わるので、みんなとてもよく言うことを聞くのです。


気がつくともうお昼を過ぎていたので、昼食をお誘いして帰り道にあるパスタのお店に寄りました。
ここでもさらにいろいろなびっくりするようなお話が続き、私と正反対のような性格で、そのようなすごい人生を歩んでこられた方だと改めて驚かされ、またその話の内容に吸い込まれていきました。
その間、犬たちは店の前の歩道につながれて、吠えもせず、行き交う人が手を出して相手になるととてもなつっこく尻尾を振って愛想を振りまいていました。左からピース、ララ、そしてあずさです。


aiken.JPG


高城さんがこのような話は他の人にはしないんだが、と前置きしてお話しされるのですが、私も非常に関心のある内容で、また少しばかりの聞きかじりや読みかじりの知識があったので、ここでの話も大いに盛り上がりました。
驚いたのは、高城さんの知識や経験の広さ、そして記憶力の良さです。
上の写真を見たところでは、高城さんは私よりもいくつも年上に見えるかと思うのですが、実は同い年だったのです。高城さんの記憶力やお話の豊富さ、ご健康など、どれひとつをとっても逆に私よりもはるかにお若く、圧倒されっぱなしでした。


来る途中、川沿いの道で採ってきたとおっしゃる野ぶき、ノビル、クコ、よもぎなどの野草と八重桜の花を大きなビニール袋に3つも持ってきてくださって、それをお土産にくださいました。
高城さんは普段からこのような自然のものを毎日食べていらっしゃり、また犬の散歩やサイクリング、スポーツジムなどの運動も相まって、とてもご健康なのです。
高城さんからは教えられることばかりで、「私と友達になったら舟田先生、あっという間に必ずお元気になりますよ」と言っていただき、それだけでも大いに元気をいただきました。
海岸でも、そしてこのレストランでもご一緒に心をひとつに合わせてお祈りの時を持ち、最後にはまた固い握手を交わして、6月の再会のお約束をしてお別れした時はもう夕方でした。
本当に恵まれ、祝福されたひと時でしたが、この私たちの出会いが可能になったのは、間違いなく見えないひもによってつながっている、という「新超ひも理論」によります。高城さんもこの点についてはまったく同意見でした。
ご自分でもおっしゃっていましたが、「良寛」を現代に生かした、まさにそのような超越した方でした。
この出会いに心から感謝します。


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舟田式ひも勉強法 その1

2014.04.23日

「新超ひも理論」という昨日の記事を最初、約2年前に書きました。
それに先立って5回にわたって「ひもシリーズ」を書きました(「勉強のひも」「灘校教師の名物授業」「生活の中に潜む数学」「英語ができるようになるには」「ある日、突然!」)。
ブログ愛読書のひとりで、私の小学校時代からの友人の和田くんが、これらの記事を読んですぐに次のようなメールをくれました。


「舟田くんへ
いつもブログを楽しんでおります。
今日、メールしたのは『舟田式教育ひも理論』についてです。
私は、文章を書くのが苦手なので伝えたいことを箇条書きにします。
●舟田くんの教育方法を体系づけてほしい。
●不完全でも名前を付けるべきだ。
たとえば、「舟田式ひも勉強法」
●ウィリアム・グラッサー博士の「選択理論」にもとづいたものを具体的に教育現場で活用した例。(舟田式)
もちろん、体調やお互い年のことも気になることですが、私にとってはそんなこと忘れてしまうくらい、面白いこと、意味のあることなんです」


このメールを受け取ったのはちょうど2年前の5月のこと。以来ずっと気になりながら、日々の生活に追われて、なかなか落ち着いて書くことができませんでした。
ところが、それから3か月ほどたったある朝、目覚めてすぐに、というか潜在意識の中に常にあったものが、突如スラスラと出てきました。忘れないうちにこれを書きとめようと決意し、早速記事にすることにしました。
そして、「和田くん長いことお待たせしました」、とこの勉強法をまたシリーズで書くことを決意しました。
それをまた今回ここで、少しバージョンアップして再現させていただきます。
また、「勉強法」とは言いますが、これは単に小中高校生、大学生など学生だけに当てはまることではなく、一般社会人もみんな人間である限り一生さまざまなことを学び続けるので、誰にでも適用できることです。そのつもりでぜひお読みになってください。必ずや日常の生活にも役立つことと思います。


和田くんの提案に従って「舟田式ひも勉強法」と名付けました(最初は「舟田式 勉強ひも理論」を考えていたのですが、和田くんがつけてくれた名前の方がすっきりしていてわかりやすいと思い、これを採用しました)。
これこそまさに「ザ・勉強法」だと確信しています。
この方法で勉強をやっていったら、誰でも必ず勉強が楽しくなり、学んだことが自然と身につき、その結果成績は上がり、行きたい学校に行け、しかも幸せな生涯を送ることができます。
また社会人の場合も、必ず生活に役立てることができます。保証付きです。
実に、世界の各分野で成功している人は、まずほとんどのケース、このような勉強法をしていると思います。
それでは、「舟田式ひも勉強法」を以下に記します。
ただし長くなりますので、また何回かに分け、シリーズにして書いていくことにします。
今日は序論のようなものです。


 1. まず、何よりも勉強の目的をはっきりさせること
多くの人が、勉強に目的意識を持たずに、学校で、あるいは塾や予備校で、ただ与えられることを無意識に、ほとんど機械的に勉強しています。
また、「親に言われるから」「試験があるから」「受験のために」「就職のために」「資格のために」勉強しているとみんな思っていますが、これらも本当の勉強の目的ではありません。
これらを勉強の目的にすると、たとえば受験で合格という「目的」を達成してしまうと、もう勉強する意味がなくなってしまい、五月病になってしまったり、勉強の意欲を失ったり、バイトに明け暮れる生活をしてしまったりします。また、たとえ希望の会社に就職しても、何だこんなものか、と失望してしまってやる気をなくしてしまうこともよくあります(というか、どんな会社に就職してもほとんどそんなものですが)。


「勉強の目的」とは、人生を豊かにすることです。この目的がわかっていないから、ほとんどの生徒や学生が強制的にやらされていると感じて、勉強はつまらない、嫌いだと思ってしまっているのです。
「自分の人生を豊かにするために勉強するのだ」ということがわかれば、勉強する意味がわかるようになり、やる気が出てきて楽しくなり、もはや全然苦痛でなくなります(「ありがた迷惑」)。
人から言われなくても、試験がなくても、資格のためでなくても勉強できるようになります。
当たり前のことのようですが、ここのところが日本の教育全般を見ていて欠落していると常々感じています。
実はこれも、子どもの頃からの勉強が一生の生活へとひもでつながっている、という意味において「ひも勉強法」の基本なのです。


 2. 勉強とは、個々バラバラのものではなく、すべてがつながっていて、意味がある
この点においても、日本の教育のやり方は非常にまずいです。
各教科間で有機的につながっていることをまったく示せていません。
また、ひとつの教科の中でも、単元と単元の間につながりが見えていません。だからみんな、個々バラバラに知識を頭に無理やり詰め込もうとするのです。
そして、生徒たちは無機質な、味気ない勉強を、意味がわからないまま、いやいややっているのです。
つまり、勉強の全体像が見えていないのです。
どんな勉強をする時にも通じることですが、すべてに原因・結果があり、私たちが現在見ていることは何かの結果です(「蒔いた種を刈り取る」)。
この「原因と結果」というひもで、すべてのことがつながっているというのが見えてくるだけでも、勉強はわかるようになってきて、がぜん面白くなってきます。


上に挙げた「勉強の目的」と「勉強の有機的なつながり」は、いわば木の幹のようなもの、身体の背骨、バックボーンです。このバックボーンがないから、多くの人の勉強は実を結ばないのです。
「舟田式ひも勉強法」の基礎の基礎、これがなければ始まらない、というのが上の2点です。
以下、具体的な「ひも勉強法」については、明日以降の記事でご紹介していきます。
ご期待ください。


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新超ひも理論

2014.04.22日

これまで5回にわたって「勉強のひも」について書いてきました。


「勉強のひも」と書きましたが、実はこれは「勉強」に限らず、人の人生や人間関係や人の好みや趣味を始め、その他諸科学や芸術、地球や宇宙の諸現象、引いてはすべての事物の成り立ちや起源にも通じることで、私はこれを「ひも理論」と名づけようと思ったのですが、ネットで調べてみると既にその名称も、また「超ひも理論」も物理学の世界で存在していることを知り、敢えて「新超ひも理論」と名づけたのです。


ひも理論については、Wikipediaが的を射た説明していますので下に引用させていただきます。
超弦理論(ちょうげんりろん、英: superstring theory)は、物理学の理論、仮説の1つ。物質の基本的単位を、大きさが無限に小さな0次元の点粒子ではなく、1次元の拡がりをもつ弦であると考える弦理論に、超対称性という考えを加え、拡張したもの。超ひも理論、スーパーストリング理論とも呼ばれる。
宇宙の姿やその誕生のメカニズムを解き明かし、同時に原子、素粒子、クォークといった微小な物のさらにその先の世界を説明する理論の候補として、世界の先端物理学で活発に研究されている理論である。この理論は現在、理論的な矛盾を除去することには成功しているが、なお不完全な点を指摘する専門家もおり、また実験により検証することが困難であろうとみなされているため、物理学の定説となるまでには至っていない。


ちょっと読んだだけでは???という感じかもしれませんが、簡単に言うと、この宇宙の中のすべての成り立ちは超微粒子ではなく、超微粒「ひも」でできていて、すべてがつながっているということです。


このブログにもこれまで何度か量子物理学のことを取り上げてきましたが、私自身は物理学に関しては全くの素人、門外漢ですが、直感的に非常に納得がいきますし、またとても心そそられる分野です。


この難解な「ひも理論」を、私たちの日常生活レベルで語っているのが、私の「新超ひも理論」です。
もしこの広大な宇宙が点のようなバラバラの粒子の集まりで成り立っているのでなく、ひものようにつながりがあるとするならば、ましてや私たちのような極めて小さな存在で、有限な人間ならなおさらのこと、様々な点のつながりであるひものようなもので成り立っているということは容易に想像がつきます。
また、その方がはるかに私たちを納得させてくれ、人生に対してより深い洞察力が与えられます。


一例を挙げると、夫婦関係や親子関係、友人関係、同僚関係、師弟関係などすべての人間関係に、さらに広げると国家関係にも当てはまります。
言うまでもなく、これらの関係がうまくいくかこじれるか、戦争状態になるかなどは、すべてそれまでの数えきれないほどのお互いの関わり合い方の結果であって、「ある日、突然!」何か特別なことが起こったわけではありません。
これを言い換えると、すべての事象はそのときどきの出来事の積み重ねの結果、つまり何らかの原因があってその結果がある、ということができます。
ということは、現在起こっている出来事自体は変えることはできないが、これから先のことはどんなことでも自分の意志次第でほとんど変えることができると言えます。


つまり、個々バラバラに見えることでも、それぞれの間に存在する目に見えない引力のようなものですべてがつながっているのです。
これが、私の提案する「新超ひも理論」です。


私たちが今、この世に存在しているのは、母親が生み出してくれたお陰です。
しかし、父親も必要でした。
さらに、その父親にも母親にも同様に父親と母親が必要で、とどんどんさかのぼっていくと、当たり前のことですが一度も途切れることなくひものようにつながっていて、結局はみんな同じところにたどりつくことになります。


宇宙がある日突然、意味もなくビッグバンで生まれ、その後自然の流れで今日に至り、その過程で偶然に単細胞の生命が生まれ、それがどんどん進化していった結果、私たちが現在この世に生きているのだとすれば、人生には何の意味もなく、生きる目的もなくなり、「飲めや、食えや」でその日その日を面白おかしく生きていけばいいことになります。
でも、私たちは直感的にそうではないことを知っています。
このように「人生のひも」が見えると見えないでは、人生は180度変わってきます。


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ある日、突然!

2014.04.21日

「勉強のひも」シリーズの5回目です。

「ある日、突然〜!」ということはよくあります。
ただし、よくできたもので、それまでまったく何もしないでいて「ある日、突然」とはなりません。
どういうことかと言うと、それまでの目に見えない積み重ねが「ある日、突然」実を結んでいるのです。


たとえば、今年東京の難関国立大学に現役合格したのT君などその典型です。
彼のことはこれまで何度もこのブログに書いてきました(「成功の鍵はこれだ!」他)が、小学3年生の時、漢字を勉強したいと言って入塾してきました。
最初のうちは漢字の勉強を中心にしていたのですが、漢字はどんどんできるようになり、そのうちに英語、次に国語をやり始めました。
すると、漢字の力がついていたので、読解力もあり、いっぺんに英語も国語もものすごくできるようになり、さらに中学校に進学すると全教科オール5、定期テストでは学年1位、地元トップの高校に入ってからも全国模試で校内学年1位、という成績です。
そして大学受験直前までアカデミーで勉強していました。
大学卒業後はまず学校教師を目指す彼は、早速アカデミーの講師の一員として仲間に加わってくれました。


T君は中3の時の文化祭で、ブラスバンドの顧問の先生のために自ら作曲し、それを全員で演奏して先生にプレゼントしました。「将来は作曲家になりたい」と言っています。
T君の場合も、ある日、突然作曲できたのではなく、それまでにたくさんの曲を聴き、演奏してきて、その積み重ねの延長に「ある日、突然」があるのです。
私の場合の英語もしかり。

小学生の時に入塾してきたN君もそうです。
彼はまさに「社会博士」とみんなが呼ぶほどの「社会オタク」でした。社会のことなら何を聞いても知っているのです。彼のことを書いた「勉強にハマる?」は必読です。
N君の場合も、「ある日、突然」社会ができるようになったわけではなく、積み重ねてきた結果、ある日、突然、「勉強のひも」によって社会のさまざまなことがつながって見えるようになったのです。


2年前、私のお気に入りのテレビ番組「カンブリア宮殿」で、富士フイルムのことをやっていました。
デジカメが今までのフィルムカメラに取って替わった時、富士フイルムのような会社はどうするんだろう、と私は人ごとながら心配していました。
ところがなんと、昔の富士フイルムの売上げはコダックよりずっと小さかったのに、逆転してしまったのです。
コダックはデジカメを発明したのですが、本業だったフィルムが売れなくなり、自らの首を絞める結果となりました。
その間に、富士フイルムは一見まったく関係ないと思われる化粧品の分野に新しい活路を見出しました。自らのフィルム製造の技術を活かして、肌に浸透しやすい超微粒子を使って化粧品を開発し、さらに同じナノ技術を利用した健康食品や経鼻内視鏡検査機へと多角経営にシフトたのです。
その結果、かつて世界の巨大企業だった米コダック社は2年前の1月に倒産し、富士フイルムはV字回復。


skincare.jpg kodak.jpg


「ある日、突然」のように見えますが、実は両社のそれまでの企業風土の違いの結果で、起こるべくして起こったのです。
これらはすべて、「ひも」でつながっています。


皆さんには、自分の人生において様々なものがつながっている「ひも」が見えますか?
この「ひも」が見えるようになってくると人生は変わります。たとえあなたが何歳だったとしても。


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英語ができるようになるには

2014.04.20日

日本人の大半は、自分には英語は関係ないと思っています。
そして、それ以外のほとんどの人は英語ができるようになりたいと願っています。英語ができると世界が広がると思っているからです。


実際、英語の必要度は高まる一方で、今や社内公用語を英語にして、英語で会議をしたり、社内文書を英語で回す企業や英語力を昇進の条件にしているところも増えてきているほどです。
身の周りの英語もどんどん増えてきています。
TOEICの受験者も年々増え、国内での英語熱は今まで以上に高まっています(「英語ができると得すること」)。
ところが、TOEFLやTOEICの結果を見ると、日本人の英語力はどうしたことか、いまだに先進国中最低レベル、世界全体で見ても下から数えた方が早いぐらい低いのです。


なぜでしょう?
すべての結果には原因があります。
ひとつにはほとんどの日本人の英語勉強法が、学校の試験のため、受験のためになっているからです。
英語を暗記科目だと思っているのです。
単語や熟語を一生懸命暗記し、文法を覚え、長文読解や作文問題をやり、発音・アクセント問題をこなし、リスニングテストの練習をしています。
そして、とりあえず学校のテストで点を取り、受験もなんとかこなして志望校に合格します。
しかし、みんな自分の英語力は大したことないと知っています。
大学に入ると英語はもう役目を果たしたかのように、みんな勉強しなくなります。文学部や外国語学部で英語を専攻する学生ですらそうです。
これで英語ができるようになったら不思議です。
英語と言えども日本語と同じ言語で生きています。それを、まるでテストのために源氏物語を覚えるような勉強法をしていて、英語ができるようになるわけありません。


私たち日本人がどのようにして日本語を身につけたかというと、まずはたくさん聞き、聞いたことを真似して話し、次にたくさん読んで、読んだことを真似て書いてきた結果です。
これを言うと、母国語と外国語では学習法が違うと言う人が必ず出てきます。
しかし、現実は逆で、外国語ができる人は国語もできるのです(「英語ができると国語もできるようになる!」)。
また、昨日の数学同様、英語も私たちの生活の中のあちらこちらに潜んでいます。たとえば、身の周りの外来語や歌の歌詞、街でよく見かける看板やテレビのCMなど。
普段からそれらに慣れ親しんでおくことは、英語の学習にも大いに役立ちます。


私の英語学習法はこれまでこのブログで繰り返し書いてきましたが、まずは大量に聴きました(「多聴多読多〇」)。
リスニングにかけてきた時間は数万時間になります。
今はiPhoneで、本を朗読したオーディオブックやセミナーを録音したCDを毎日聴いていますが、新たに別のCDをiPhoneに入れようとして整理し始めたところ、あるわあるわ。
なんと数百枚あるのです。
これらをすべて何回も繰り返し繰り返し聞いています。
この結果、英語を聴いていても日本語と同じ感覚で聴き取ることができるようになりました。


そして、たくさん聴くことは話すことにつながり、次に読むことにつながり、そして書くことにもつながるのです。
これが、英語の「勉強のひも」です。
単語、熟語、文法、読解、作文、発音・アクセント、リスニングなどをバラバラでやっていたら「ひも」でつながらないのは当たり前のことです。
英語の「ひも」が見えてくると、学習は楽しくなり、新しいことがどんどん頭に入ってきて、実際に生活の中でも使えるようになります。こうして、学んできた英語が初めて役立つのです。


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生活の中に潜む数学

2014.04.19日

「勉強のひも」シリーズ3回目です。
今日のテーマは「生活の中に潜む数学」です。


去年の秋、「43年ぶりの再会」を果たした高校時代の親友、画家の堀 博喜くんのブログに面白いことが書かれていました。


1を7で割ると
   0.142857
この数字は不思議。
  142857×2=285714
  142857×3=428571
  142857×4=571428
  142857×5=714285 
  142857×6=857142
と数字が規則正しく繰り返しでてくる。
こんな不思議が 絵の中にもあるかも知れない。


「こんな不思議が 絵の中にもあるかも知れない」
と言うところが、さすが画家、芸術家です。
そして、これは実は真理なのです。


多くの生徒に嫌われていて、役立たないと思われている数学は、生活の様々な分野で生きています。
ドイツの数学者、天文学者、物理学者、ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウス(1777年4月30日 - 1855年2月23日)は、子供の頃から神童ぶりを発揮しました。
小学校での話が逸話として残っています。ある時、1から100までの数字すべてを足すように課題を出された彼は、1 + 100 = 101、2 + 99 = 101、…、50 + 51 = 101 となるので答えは 101×50 = 5050 だ、と即座に解答して教師を驚かせたそうです。
この話を知って、私は「本当なの?」と、検証してみることにしました。
小学生の頃、そろばんをやっていました。今でもよく覚えているのは、
「1円也、2也、3円也、...10円では」
「55円!」。
そこで、上のガウスの計算法を当てはめてみました。
1+10=11、2+9=11、3+8=11、4+7=11、5+6=11    11×5=55
1+20=21、2+19=21、…10+11=21   21×10=210
あっ!本当だ。すごいっ!!


また、作図できる正(素数)角形は古来から知られていた正三角形と正五角形のみだと考えられていたところ、ガウスは約二千年ぶりに正17角形が作図できることを発見しました。
このほか、
・ガウス積分・ガウスの定理・ガウスの判定法・ガウスの超幾何級数・ガウスの消去法・ガウスの相互法則・ガウス平面・ガウス整数・ガウス素数・ガウス関数、ガウス曲線等など、数えきれないほどの法則や定理を発見し、後の数学界に大きく貢献しました。


黄金比は、
1:1+√5/2
の比で、近似値は1:1.618、すなわち約5:8。
黄金比はパルテノン神殿やピラミッドといった歴史的建造物、絵画などの美術品の中に見出すことができるといいます。
また、自然界にも現れ、植物の葉の並び方や巻き貝の中にも見つけることができるといった主張があります。これらから、最も安定し美しい比率とされ、意図的に黄金比を意識して創作した芸術家も数多いそうです。
身近なところでは、名刺などのカード類や、パソコンのディスプレイなどにも多く利用されています。


「数は何故美しいのか。それはベートーベンの交響曲第九番がなぜ美しいのかと訊ねるようなものだ。君がその答を知らないのであれば、他の誰も答えることはできない。私は数が美しいということを知っている。もし数が美しくないのなら、美しいものなど何も無い」
とハンガリーの数学者ポール・エルデシュが言っています。
ガリレオ・ガリレイは全ての現代物理学の数学的基盤と整合する一文として
「数学は神が創造した世界を設計するために用いた言語である」
と主張しました。
(以上、Wikipediaより)


一見、無味乾燥に見える数字の羅列の中に美を見出すことができるのです。
というか、ガリレオ・ガリレイが言うように、神がご自身の無限の知恵を用いて創造された宇宙に整然とした数学的美が隠れているのは、ある意味当然のことでしょう。
これらの主張はすべて「ひも」でつながっています。
そして、古今東西の偉大な物理学者や数学者らは、自ら研究を進めていく中でこの「ひも」を発見し、偉大な功績を後世に残しました。


しかし、これは物理学や数学の世界に限ったことではありません。
宇宙の事物・事象すべてに原因があり、結果があります。
原因のない結果は存在しません。もしそうでなかったら、宇宙に上のような規則性はなく、混沌(こんとん)としていて、何の目的もないことになります。
そして、宇宙が無目的であるなら、私たち人間の存在も、人生もすべて目的がなくなります。
しかし、私たちは直感的にそうでないことを知っています。だから、みんな一生懸命生きようとするのです。
宇宙の規則性も、地球上のすべての生物、人間にも意味があり、これらはすべて「ひも」でつながっているのです。
そのつながりの関係を見抜くのが、すなわち論理力なのです。
これを見抜くことができると、勉強(学問)の面白さにはまり、様々な分野で次々と新しい発見ができるようになります。
さらに、学者に限らず、私たちのようなごく普通の人間にとっても、「ひも」を発見することは、無意味な人生でなく有意義な人生を送ることができるということにつながります。
私はこの「勉強のひも」を英語に見出し、その結果英語が得意になって、その後人生ずっと英語で生活するに至りました。


明日の「勉強のひも」では、「英語ができるようになるには」というテーマでお話しします。
これは今、学校で英語を勉強している生徒・学生だけを対象にしているものでは決してなく、だれの生活にも当てはまり、役立つ内容ですのでご期待ください。


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灘校教師の名物授業

2014.04.18日

昨日から「勉強のひも」シリーズを、2年前の記事から転載させていただいています。
おそらくまだ読んでいらっしゃらない方が多いだとうということと、たとえ読んでいらっしゃったとしても、2年もたつとたいがい誰でも忘れてしまうものだからです。


今日の記事の中でご紹介する元灘校の名物教師、橋本 武さんは昨年9月に101歳でお亡くなりになりました。私は同氏の『<銀の匙>の国語授業』は2度ほど読ませていただき、その都度たくさんのことを教わりました。


hanako.jpg


さて、今、NHKの連続朝ドラで「花子とアン」をやっていますが、ご覧になっていらっしゃる方も多いことかと思います。私もこのドラマは大のお気に入りで毎日欠かさず見るようにしているのですが、先週土曜日から今週の月曜日まで小旅行に出かけていました(「素晴らしい出会い」「友達の友達は友達」)ので、今朝見逃していた分をまとめて見ました。
その中で、次のような会話のシーンが出てきました。
「花さんはどんな時にときめくの?」
「それは...こんなふうに辞書を引く時のわくわくした気持ちがたまりません」


「夢はかなう! その4」の中にも書きましたが、私も中学1年生の時、上の花子さんと同じ感動、ときめきを覚えたことがをまるで昨日のことのように思い出されます。
花子さんはこの後、英語がさらにどんどん上達して、やがて『赤毛のアン』を翻訳するに至るのですが、やはりここにも「勉強のひも」が見えてきます。
それでは、これらのことを念頭に今日の記事をお楽しみください。


 東大合格者を多数出している灘校(神戸市)で、夏目漱石も絶賛した中勘助の自伝的小説『銀の匙(さじ)』を、中学3年間かけてじっくり読む授業を行ってきた半生をまとめた。この夏には100歳になるが、「学ぶのを面白いと感じさせるのが教育のプロ」「ゆとり教育とは遊ぶことではない。水準以上のことをやって生まれる余裕のこと」と飛び出す言葉は鋭く、深い。
 1934年、当時新設校だった私立の灘校に赴任。「自由にやっていい」と国語の授業を任され、戦後、『銀の匙』を使った授業を始めた。モットーは「横道にそれること」。本文に干支が出てくればそこから昔の時刻や甲子園の由来にまで話が及び、正月の場面では実際にたこを作って揚げ、駄菓子もみんなで食べてみた。
 生徒が書きこむプリントもすべて手作り。ガリ版しかなかった時代には夢中になりすぎて過労で体を壊したこともある。「プリントを持って教室に入ると生徒が拍手で迎えてくれて、疲れが吹き飛びました」。教え子は政治家や東大学長から落語家まで各界で活躍するが、「育てたんじゃなくて育っていったんですよ」とにっこり。それだけに、68年に灘が東大合格者数日本一になったときに「詰め込み教育」「汚れた栄光」と言われ、「本当に悔しかった」と唇をかむ。
 84年に50年の教師生活を終えたが、昨年、27年ぶりに特別授業で灘の教団に立った。「学ぶ」と「遊ぶ」の違いから始まり、現役時代と変わらぬ寄り道だらけの授業に、生徒はぐんぐん引き込まれた。
 能や短歌からカエルグッズ収集、宝塚観劇、和とじ本作りまで、多趣味で多忙。85歳から9年間かけて源氏物語の現代語訳も完成させた。おしゃれも忘れず、目指すは120歳の大還暦だ。(岩波ジュニア新書、820円)  金巻有美

(2012年5月6日付 読売新聞13面「本 よみうり堂」著者来店 「<銀の匙>の国語授業  橋本 武さん」より)


昨日の記事「勉強のひも」の続編です。
上の書評を読み、早速『〈銀の匙〉の国語授業 』を求めて書店に行ったのですが置いてなくて、ネットで注文しました。
本が届いて読むのが今から楽しみで、ワクワクしています。


橋本さんの授業スタイルは、私が予備校の時に体験した英文解釈の先生(お名前は忘れましたが、体形からみんな「だるま」というあだ名で呼んでいました)のものとよく似ています(「教育哲学」)。
私はこの「だるま」先生の授業が毎回楽しくて仕方なく、言葉に言い表せないほど大きな影響を受けました。少しオーバーに聞こえるかもしれませんが、その後の私の一生を変えるほどの新鮮でショッキングな授業で、この先生から学んだことは数えきれないほどたくさんあります。
実際のところ、大学に入ってからも「だるま」先生の授業が懐かしくて、大学の授業をさぼって予備校に行き、もぐりで授業を受けたことが何度もあるほどです。


教科書をただ教えるだけなら誰にでもできます。問題集の問題を解かせて説明するだけなら誰でもできます。
でも、これでは本当に面白い、楽しい、身に着く授業はできません。そして、勉強好きな生徒を育てることもできません。
私自身も「だるま」先生に習い、幅の広い、奥の深い授業をすることを常に心がけてきました。
その結果、英語大好きな、得意な生徒をたくさん育ててくることができました。(橋本さん流に言うなら、英語大好きに育ってくれました)
中央大学時代に教えた学生の中からはその後高校教師や大学の先生になった人、塾の教え子で中学の教師になった人など何人もいます。


一見、脱線のように思われる話の中に、たくさんの関連事項が含まれていて、それが全部「ひも」でつながっているのです。
その「ひも」で生徒や学生を勉強の中に引きずり込み、勉強大好きにする教師、これこそが橋本さんのおっしゃるプロです。
ですから、橋本さんのおっしゃることは一つひとつ納得がいき、とても波長が合うのです。
橋本さんご自身も「勉強のひも」を発見し、それを授業の中で活用してこられた方です。
そして、橋本さんの教え子の中から「勉強のひも」を発見した大勢の人たちが現在、社会で活躍しておられます。


それにしても、「85歳から9年間かけて源氏物語の現代語訳も完成させた」というのには脱帽です。
まだまだ若輩者の私ですが、頑張れば今からでもシェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』(「お前もか、ブルータス?」の翻訳ができるのかなあ...。


明日も引き続き「勉強のひも」の具体例を別の観点からお話ししたいと思います。


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勉強のひも

2014.04.17日

「勉強のひも」って何でしょう。
これは私が発明した言葉です。ですからネットで「勉強のひも」を検索しても出てきません。


先日来、高校の時の同窓会についての記事をいくつも書いてきていますが(「43年振りの同窓会」「使用前、使用後 その2」「お父さ〜ん!」「お前もか、ブルータス?」)、みんな顔や体形など外見は変わっていても、本質的な人となりはほとんど変わっていないとつくづく思いました。
話し方や立ち居振る舞い、話の内容、人との関わり方など、ふと40数年前にタイムスリップしたかと思うほど、みんな昔のままでした。
今日のテーマである「勉強のひも」もそのうちのひとつです。


同窓会でひとりの人と次のようなやり取りをしました。
「高校2年までは真面目で、勉強をものすごく頑張っていたので、学校の成績も良く結構自信があったけど、高3になって勉強が難しくなると成績がガタガタと落ちて、結局は4年制大学に行けなくなって短大に行きました」
「得意な教科は何だった?」
「数学でした」
「数学のどういうところが好きだったの?」
「問題が解けた時の快感です」


数学が得意と言う人で、上の人のように「問題が解けた時の快感」を理由に挙げる人がとても多いことに塾の仕事をしてきて気づきました。
これはこれでもちろんいいのですが、そこでストップしていたらだめなのです。
昨日の読売新聞11面の「論点」に、「数学入試の多様化の弊害」と題して、興味深いことが書かれていました。
「2000年に実施された国立大学学部長に対するアンケートによれば、学生の学力低下の状況を尋ねた項目のなかで『論理的に思考し、それを表現する力が弱い』という選択肢に突出して8割の回答が集まった。
(中略)
大学入試は中等教育の在り方に大きな影響を与える。かつては、大学に入学するには数学を克服する必要があった。現在では、『苦手な科目を克服するより、受験方式に特化した勉強をさせたほうが効率的』との風潮が高校現場にはある。その結果、学生が本来身に着けるべき基本的な論理力を習得する機会を奪ったとも考えられる」


勉強の本質は、ただ単に問題が解けて楽しいとか、試験で高得点できる、入試で合格する得点力をつけるといったところにはありません。
本当に数学が得意な人は、計算問題であろうが、図形問題だろうが、文章題だろうが、何でも解けます。
社会が本当に好きな人は、地理も日本史も世界史も、政治も経済も、倫理社会も全部できます。
英語が得意な人は、文法問題だけでなく、発音・アクセント問題も、読解も、リスニングもみんなできます。さらに、会話もできます。
それぞれにコツがあるのです。
それはあたかも、目に見えない「ひも」のようなもので全部つながっているような感じです。


もう一歩進むと、どの教科にも通じる勉強法のような、つながっている「ひも」があります。
この「勉強のひも」を発見すると、勉強が苦痛でなくなるどころか、むしろ楽しくなり、しかもどんどん理解できて、身についていくようになります。さらに、学んだことは生涯使えるようになります。


この「勉強のひも」はどのようにしたら発見できるのでしょうか。
練習量で発見する人もいます。
良い教師に出会って見出す人もいます。
家庭環境で自然と身につける人もいます。
本を読んでいて悟る人もいます。
ある日突然、何かをきっかけに目覚める人もいます。
一人ひとり異なります。


ところが「勉強のひも」を悟ることができる人はほんのごく一握りです。大半の人は、「勉強のひも」が見えないままで一生終わります。
「勉強のひも」が発見できない人にとって、勉強は苦痛で、そのときどき行き当たりばったり的な勉強をし、とりあえず暗記して成績を上げ、そして入試で成功し、志望校に合格します。
しかし、学んだことがほとんど身についていないため忘れてしまい、将来役立てることができません。
社会に出て仕事をするようになると、上司から役立たない人間と見なされます。
企業側はこれまで大学名で信頼して雇っていたのに、期待を裏切られたと言います。


この「勉強のひも」を知っているのといないのでは、人生が180度変わってきます。
同窓会で再会した昔の友人たちを見ていても、このことが如実に表れていました。中学・高校時代にすでにこれを見抜いて、着実に身に着けていた人はみんなそれぞれの世界で成功していました。
「勉強のひも」は、上に引用した記事の「論理力」と同じようなものです。


「勉強のひも」についての具体例は、また明日の記事の中でご紹介します。

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教育の目的とは

2014.04.16日
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"Knowledge is power, but enthusiasm pulls the switch"
-- Ivern Ball, Poet
「知識は力である。しかし、その知識にスイッチを入れるのは情熱だ」
 (舟田私訳)
(アイヴァーン・ボール、詩人)


今日も昨日に続いてブライアン・トレーシーの3日前のメールマガジンからの引用です。


学校教育を始め、塾や予備校などの教育はともすれば知識の切り売りになってしまいがちで、いかにして知識を身につけさせるか、あるいはテストで点数を取らせるか、そして志望校に合格させるか、に重きを置いてしまいます。
しかし、これは実際ほとんどの人の経験から言えることですが、学校で学んだことそれ自体は、社会に出るとほとんど忘れてしまっているものです。
みんなの記憶に残っているのは、「あの先生は怖かった」「楽しい授業だった」などの印象です。


しかし、これらの先生との出会いの中で、何か面白いこと、興味深いことなどに触れると、それがきっかけであとは自分でどんどん勉強していき、それが自分の血となり肉となり、実際に使えるものとなっていくのです。
つまりこれは言い直すと、その先生との出会いによって目覚めさせられた情熱です。


私は以前、これを「勉強のひも」と名づけて勉強のコツのようなことをシリーズで書いてきました。
2年前のことですのできっとご覧になっていらっしゃらない方も多いことと思います。ですから、また過去の記事をこのブログでご紹介させていただきたいと思っています。
これは私の実体験に基づくことであり、また各界の多くの成功者がやはり同じような体験をし、それを語っているので保証付きです。


知識は確かに力です。知識がなくては何も始まりません。
しかし、知識をただ持っているだけでは何の役にも立ちません。
ここに、情熱という要素が加わって初めてそれがスイッチの働きをし、得た知識を実際に役立たせることができるようになるのです。


ですから、「教育」という時、それがただ単なる知識の切り売りや、テストの点数、成績、受験での成功などで終わっていたのでは、それは本当にもったいない話です。
そしてみんなこんな勉強法をしているから、勉強はつまらない、面白くない、嫌いだ、仕方ないからやっている、ということになるのです。
教育に携わる者はこの点にとくに注意を払わねばなりません。
なぜなら、それがその生徒の一生を左右するからです。


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努力するのをあきらめたら失敗者

2014.04.15日
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"A man can get discouraged many times, but he is not a failure until he begins to blame somebody else and stops trying."
-- John Burroughs, Writer
「人はだれでも数え切れないほど何回落ち込んでもいい。他人のことを責めて、自分で努力するのをあきらめない限り失敗者にはならない」
 (舟田私訳)
(ジョン・バローズ、作家)


これまでこのブログに何度も引用し、皆さんにシェアさせていただいたブライアン・トレーシーの1週間ほど前のメールマガジンにあった言葉です。


この言葉はもう何も説明がいらないほど明白な内容です。
私たち人間は誰しも失敗したり、恥をかいたり、落ち込んだりします。
そんな経験は一度もない、などと言う脳天気な人はこの世に一人もいないと思います。
でも、何回、何十回落ち込んでもいい。人を責め、自分で努力するのをやめない限り誰も失敗者にならない、というのは何という励ましの言葉でしょう。
私もこのスピリットでこれからの人生を一歩一歩前進していく決意をしました。
感謝!


ところで、4日ほど前の記事「◯◯◯が◯んだ、小指が痛い...」に、「私が転んだ 小指が痛い。ひと月前の小指が痛い」と書きましたところ、何人もの方からご心配のメールをいただき、また一昨日の「素晴らしい出会い」や昨日の「友達の友達は友達」の中に登場した方々からもずいぶんご心配いただき、やはり医者に診てもらった方がいいと強く勧められました。
とくに、このミニ同窓会で会った仲間たちと握手を交わすたびに、もう悲鳴を上げそうになるほど痛んだので、皆さんのアドバイスに従って今日、近所のかかりつけの整形外科医に診てもらいに行ってきました。ほかにも、夜中に目が覚めたときなど首がものすごく痛く、また首や肩が痛い状態がいつも続いているのでそれも一緒に診てもらおうと思ったのです。
手と首のレントゲンを撮っていただいた結果、手の方は骨にひびが入っているとかいうことはなく、おそらくじん帯が傷ついているのではないかということで、やはり私のホームドクターの言っていたとおり、下の写真のように固定されました。


hand.JPG


ご心配をおかけしましたが、とくに問題はありませんでしたのでご報告させていただきます。
ただ、今、この記事を書くのにキーボードを使うのがとても不便でしょっちゅう間違えます。
首の方は、第5頸椎(けいつい)がちょっと変形していて、第6頸椎との間隔も狭く、これが痛みの原因だろうとのことで、痛み止めの薬を処方していただき、時間がある時にはリハビリに来るようにと言われました。
こちらの方も上のアドバイスに従って努力するのをあきらめないよう頑張ります。今後ともお祈りいただければ感謝です。


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友達の友達は友達

2014.04.14日

ちょうど2年ぐらい前に、「43年ぶりの同窓会」「お父さ〜ん!」という記事に、高校の時の同窓会があったことを記しました。昨日はその第2弾、というか他の人たちは去年もやっていたようなので正確には第3弾なのですが、京都の植物園でお弁当を各自持ち寄りで集まり、旧交を温めるミニ同窓会が開かれました。
しだれ桜がちょうど満開で最高に美しく、一緒に歳取っている同窓生たちも桜に映えて一層若々しく、そして美しく見えました。来れる人たちだけで、というミニ同窓会でしたが45名も集まりました。
(下の写真は、いずれもクリックすると拡大表示されます)


shokubutuen1.JPG


私たちの頃は1学年のクラス数も生徒数も多かったこともありますし、今と違って男女間の交わりはほとんどなかったので、当時の女の子たち(現在は◯女)の印象が薄く、というか男同士でさえわからない人があまりにも多くてびっくりで、「初めまして、じゃないですが、私は舟田譲二です。失礼ですが…」と言ってお互いに自己紹介しなければなりませんでした。(ちなみに上のカッコ内の◯に入る文字は「熟」ではなく「美」です(^o^))。


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みんなと別れて私は小学生当時6年間住んでいた家や、毎日遊んでいた賀茂川の辺りをちょっと散策しながら小学生時代を懐かしく振り返りました。


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そしてその後、小学5・6年当時同級生だった近所の親友に電話をして、近くのモールで会うことに。京都に戻るたびに彼と会い、一緒に食事したりしていますが、今回は1時間ほどお話しして別れました。


つい2週間ほど前には、「50年振りのミニミニ同窓会」を中学2年当時の仲間二人と一緒にやったばかりです。
大学卒業と同時に故郷京都を離れアメリカに留学し、帰国してからは湘南地方に住み、なかなか同窓会なるものには参加できませんでした。
でも、ようやく時間も少し取れるようになり、またこのようにして旧友と会って昔を懐かしんで話すことが自分の健康のためにもとてもいいことがわかり、積極的に同窓会に出るようになりました。


昨日は、この高校の時のミニ同窓会のあと、さらに大きなおまけつきでした。
これまでこのブログに何度も登場していただいている、小学4年生の時の教育実習生だった先生とその後54年間(!)もずっとお付き合いが続いているのですか、ちょうど植物園の近くにご実家があるので、事前にご連絡して夕方お邪魔させていただくことになっていたのです。
前回お会いしたのは、去年の夏(「京都はとても暑く、私も熱かった!」)。なんか毎年お会いしているような感じです。
西村先生は私にとっては年齢的にはお兄さんなのですが、まるで父のような存在で、何かあるとご相談に乗っていただいたり、アドバイスや励ましをいただいたりで、いつも本当にお世話になりっぱなしです。
今回もまたお会いする機会が与えられ、本来の目的だった高校の同窓会以上にこちらの方がメインイベントのような感じになりました。


もうこれまでに何度もお宅に泊めていただいているので、「ただいまー!」とまるで実家に帰ってきたような気がするほどです。
しばらくご夫妻とお話しして、夕食に出かけることになりました。
なんと行き先は私が小学生の頃住んでいた家のすぐ近く。ご夫婦でやっていらっしゃるとても素敵な京料理店で、小学校の時の同級生の家の隣です。


ここでまたまたびっくりの出来事が。
つい1時間前に「じゃあ、またね!」と言って別れたばかりの先ほどの親友Sくんが奥さんと一緒に入って来て隣の席に着いたのです。私は彼の声に気づいていたのですが、彼がいつ気づくかと思って黙って様子を見ていたら、ふとこちらの方を見て、目をパチクリ。一瞬何が何だかわからないといった表情でした。それからは、ご一緒していた西村先生ご夫妻とSくん夫妻との間でも楽しい話題が次々と持ち上がり、とても盛り上がりました。


fujiya1.JPG fujiya2.JPG


いただいたお料理はさすが本場の京料理、しかもこの二家族が常連客で懇意にしているお店というだけあって盛り付けから、一品一品もう芸術品とも言える最高のもの。
美味しいお料理に舌鼓を打っていたら私の携帯がなり、取ってみると昼の同窓会で一緒だったNくんから。
明日、京都駅を発つ時に見送りに来たいとのこと。ところが面白いことに、19歳の時にアメリカからうちにホームステイに来た交換留学生のエドくんを通じて、小学校時代のSくんと中高時代のNくんも友達(「意思あらば道通ず」)。そこで、電話を代わってまた二人の会話も盛り上がり、近く会う約束に。そして、Sくんと西村先生ご夫妻も親しくなって、今度は6月にこのお店でご一緒しましょうという話に発展。もうこうなると、偶然の積み重ねではすみません。
まさに「友達の友達は友達」を地でいく形となりました。最高に祝福された素晴らしい京都滞在の一日となり、「ああ、京都に来て本当に良かった」と、とても幸せな気持ちで床に就きました。


そして明けて今日、西村先生ご夫妻とお別れしてから、昨夜電話がかかってきたNくんと京都駅で午前10時半に会い、なんと4時間にわたり喫茶店でいろいろなことを話し合いました。


nakamura.JPG


電車がホームを出るまで付き合ってくれ、座席に着いて「ありがとう。またね」と口を大きく開けてお互いに言い、手を振りながらお別れしました。
つくづく私は幸せ者だな、と心から感謝しました。そして、これでもう半分以上、健康になった気持ちになりました。


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素晴らしい出会い

2014.04.13日

昨日は滋賀県に寄せていただきました。
滋賀には親しくさせていただいているFBフレンドの方を始め、ロサンゼルスで授洗してくださった牧師先生(現在は近江兄弟社学園学園長)もいらっしゃり、また妹も住んでいるので、本当はみんなにお会いしたかったのですが、残念ながら皆さんお留守だったりご都合が悪かったりでお会いできませんでした。
しかし、神様は期待を上回る素晴らしい出会いをちゃんとご用意してくださっていました。


去年の8月に「京都はとても暑く、私も熱かった!」の中に記した、私の信仰の原点とも言える『ちいろば』著者、故榎本保郎先生の奥様である榎本和子先生に約1年ぶりにお会いすることができました。


和子先生は相変わらず88歳というお年が信じられないほど、というか私も負けるほどのすごい記憶力で、遠くなったとおっしゃる耳も私とほとんど変わらず、保郎先生の話に始まり会話はよどむことなくどんどん広がり、心底驚かされました。


榎本保郎先生は私が心から尊敬している先生で、著書の『ちいろば』と『ちいろば余滴』は何度も繰り返し読み、その都度感激の涙を流しました。また今も、毎朝妻と一緒に『新訳聖書一日一章』や『旧約聖書一日一章』を読み、その都度深く教えられ、心を探られ、それを妻とシェアし合い、それから二人でお祈りしています。


さらに素晴らしかったのは、『ちいろば』の本の中で赤ちゃんから子ども時代のことが書かれていたお嬢様のるつ子さんともお会いでき、ご一緒にお話しできたことでした。
私と同い年ということでとても親しみを感じ、共通の友人も多くて、連絡先をお伝えしたりしました。


さらにさらに大きなおまけ付き。
すぐ近くにお住まいのご長男の恵(めぐみ)先生宅にもご訪問させていただいたのです。
恵先生とも共通の知人・友人がとても多くて話がものすごく盛り上がり、初対面とはまったく感じませんでした。
今年の夏にはアシュラムでロサンゼルスの方にいらっしゃるとのことで、行き先をお尋ねしたら、なんと長男の直人がいる教会という、まさにびっくりの連続。


また、恵先生宅は、往年の建築家として有名なヴォーリズ氏の設計により90年も昔に建てられたという由緒ある建物で、今でもとてもモダンな素敵な洋館でした。そこで、おいとまする時恵先生ご夫妻もご一緒に綺麗なお庭で記念写真をパチリ。



昨日はこのようにまったく予期していなかった最高の出会いがいくつも与えられ、皆さんとのお話を心ゆくまで楽しませていただき、私の信仰も燃やされました。


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少年よ大志を抱け

2014.04.12日
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Boys be ambitious.
「少年よ大志を抱け」

これは日本人ならみんな知っているのではないかと思うほど有名なクラーク博士の言葉です。


Wikipediaによると、
新島襄の紹介により、日本政府の熱烈な要請を受けて、1876年(明治9年)7月に札幌農学校教頭に赴任する。マサチューセッツ農科大学の1年間の休暇を利用して訪日するという形をとった。クラークの立場は教頭で、名目上は別に校長がいたが、クラークの職名は英語では President と表記することが開拓使によって許可され、殆ど実質的にはクラークが校内の全てを取り仕切っていた。


このクラーク博士が8か月間の北海道滞在ののち、離日するにあたり、残したのが上の言葉だと言われています。
実際にはいくつかの説があり、どれが真実なのか今ではわからなくなっていますが、キリスト教会の間では一般にこの言葉のあとに「キリストにあって」という言葉が続いていたと言われています。すなわち、
"Boys be ambitious in Christ (God)."


クラーク博士は「イエスを信ずる者の契約」という書の中で、
「我らは信ずる、聖書が、人に対する神からの、言葉による唯一の直接的啓示であり、来たるべき栄光の生に向けての唯一の完全で誤りのない手引きであることを。
我らは信ずる、我らの慈悲深き創造主、我らの義なる至上の支配者でまた我らの最後の審判者である、唯一なる永遠の神を...」
と書いているので、「キリストにあって」と最後に付け加えていたというのはまことにあり得る話だと思います。


また、全文はこうだ、という話もあります。
"Boys be ambitious ! Be ambitious not for money or selfish aggrandizement , not for that evanescent thing which men call fame . Be anbitious for the attainment of all that a man ought to be ."
「少年よ、大志を抱け。
しかし、金を求める大志であってはならない。
利己心を求める大志であってはならない。
名声という、つかの間のものを求める大志であってはならない。
人間としてあるべき すべてのものを 求める大志を抱きたまえ」


実に素晴らしい教えです。
ところが、なんと私の毎日のウォーキングコースでもこの言葉を目にすることができるのです。


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これは、JR東海道線高架の橋げたにある落書きです。
この落書きをした人はどんなつもりで書いたのかわかりませんが、クラーク博士の心を伝えたくて書いたとはとても思えません。
「少年よ、野望に燃えよ!」
とでも言うつもりで書いたのでしょうか。
あまりにもクラーク博士の意志とはかけ離れているようで、見るたびに残念な気持ちになります。
この落書きをした人(多分少年でしょう)も、野望に燃えるのではなく、「キリストにあって大志を抱く」人になってもらいたいものだと切に願う次第です。
そして同時に、私も自身に対して活を入れているところです。
「壮年よ、大志を抱け!」と。


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◯◯◯が◯んだ、小指が痛い...

2014.04.11日

あなたがかんだ 小指が痛い
きのうの夜の 小指が痛い
そっとくちびる 押しあてて
あなたのことを しのんでみるの
私をどうぞ ひとりにしてね
きのうの夜の 小指が痛い


これは、伊東ゆかりの1967年の大ヒット曲「小指の想い出」の1番の歌詞です。
私とほぼ同世代の人だったら、ほとんどみんな無意識のうちに口ずさんだ経験があるのではないかと思うほど、当時はみんながこの歌を歌っていました。
意味も知らずに私も歌っていましたが、なんで「あなたがかんだ 小指が痛い きのうの夜の 小指が痛い」のだろう、とネットで調べてみたら結構ヤバイ内容のようです。それを国民みんなが知ってか知らずか歌っていたのす。


実は、私も今、小指が痛いんです。
でもそれは、当前のことながら「あなたが昨日の夜、噛んだ」からではありません。
今日のブログタイトルの
「◯◯◯が◯んだ、小指が痛い」
の◯に入る言葉は、
「わたしが転んだ」なのです。恥ずかしながら...
ついでに、その続きの部分はこのようになります。
「ひと月前の、小指が痛い」


ちょうど1か月前の今日、「心身の健康をあなたにも」という記事の中に、山梨県南都留郡(山中湖近く)にある美徳杜(びとくもり)に来ています、と書いてその中にテニスをしている写真を載せました。実はこの時、テニスコートの周りはすっかり雪に覆われていて、コートに降りる階段も雪が積もっており、しかもそれが凍っていたのです。手すりに捕まりながらゆっくり気をつけて一歩一歩降りていたのですが、底が丸い「健康になる靴」MBTを履いていたため、滑って大きく転んでしまいました。
その時、体を支えようとして右手を階段についた時、どうやら打ち所が悪かったようで、右手の小指をひどく痛めてしまいました。
でも痛みを我慢してテニスを続けました。撮ってもらった写真を見ると、ちょっと格好が悪いのは右手の小指が痛かったせいです(と、長年やっていなかったのを怪我をした小指のせいにする私です)。


tennis.JPG


夜になると小指が赤く大きくはれ上がり、美徳杜のスタッフの方に湿布をしていただきました。
数日、痛みは激しかったのですが徐々に引いていき、家に帰る頃にはかなり良くなっていたので、もう大丈夫と思っていたら、なんの1か月たった今もまだ痛いのです。
私のホームドクター(娘)によると、たとえ骨折していても固定しておけば自然とつながるものだ、ということで整形外科にも行かずにいたのですが、なかなか痛みが消えません。
食事するときに箸を持つのさえ不自由なぐらいです。
怪我をしてもう1か月もたつのに、生活のさまざまな場面で不便を感じています。


聖書に次のような言葉があります。
目は手にむかって、「おまえはいらない」とは言えず、また頭は足にむかって、「おまえはいらない」とも言えない。
そうではなく、むしろ、からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり...

(コリント人への手紙第1 12:21-22)


たった1本の、それも小さな小指。普段、小指のことなどまず考えもしない、まさに「からだのうちで他よりも弱く見える肢体(体の一部)」です。
しかし、この1本の小指が痛むと、身体全体が痛みを共有する。気分まで滅入ってしまうのです。
人間の体というものはこのようにできているのです。


そして、それは身体だけに限らず、家族や学校、会社や、どんな集合体も同様で、小さな目立たない人でもみんな絶対に必要不可欠な存在です。だれかが痛みを覚えると、みんなが痛みます。
こんな共生の家族や社会を、そして世界を、私たちは日常の生活の一場面一場面で目指していきたいものです。


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昨日はリラックスできて調子は上々

2014.04.10日

ここしばらく好天が続き、初夏を思わせるような暖かさで、ウォーキングをしている途中、上に着ている薄いジャンパーを脱いで腰の周りに巻いたりしています。


昨日もそのような日でした。
いつも歩く桜の並木道、金目川サイクリングロードは、もうかなり花は散ってしまい葉っぱと混ざり合っています。
学生の頃は、この時季の五分葉桜がわびさびの美しさをかもし出しているような気がして大好きだったのですが、今は自分の年齢と重ねて考えるせいか一抹の寂しさを感じるようになってきました。


hazakura.JPG


でも、昨日はこの同じ五分葉桜を見て、桜の花が散って寂しくなった方にではなく、新芽、若葉が出てきたことに焦点を合わせると、希望があふれてきて、逆に元気が出てきました。不思議ですね、同じものを見ていても、「わびさび」「寂しさ」「希望」と、とらえ方が変わってくるのです。


いつも歩く小径の横の小川には落ちた桜の花がたくさん浮いてなんやら文様を描いているようで、それも風情があってなかなかいいものでした。


sakurakawa.JPG


また、子どもたちが川の浅瀬で遊んでいるのを見て、「ああ、自分もこんなことをしていたなぁ」と、子どもの頃のことを懐かしく思い出しました。


kodomo.JPG


これまでウォーキングする時の楽しみの一つは、「好きなものと心中する」に書いたようにiPhoneでアメリカのお気に入りの牧師のメッセージを聴くことでした。
しかし、数年前に「五感を大切に」という記事の中にも書きましたが、突発性難聴になりました。
幸い癒されて、今は聴力は少し衰えてはいるものの生活に支障がない程度なので感謝しています。
つい最近娘から、散歩しながらイヤホンを使って何かを聴くことは難聴の人には良くないと言われ、素直な私はすぐにその忠告に従ってやめました。


楽しみが一つ減ったと思っていたのですが、なんと昨日気づいたことは、これまで聞こえなかったいろいろな種類の鳥のさえずりや小川のせせらぎなどがものすごくよく聞こえるようになっていることでした。
しかも、これらは高周波音で脳にもいいということです(「春来りなば夏遠からじ」)。
逆に楽しみが一つ増えました。


昨日の大磯の海は凪でした。
サーファーの人たちにとっては凪はつまらないでしょうが、一年には春夏秋冬があり、人生に生老病死があるように、海にも凪も嵐も必要なのです。
私は凪の海を見ながら海岸を歩いていて、心がとても癒されました。


oisonagi.JPG


首輪をしていない野生の猫(捨て猫?)が海岸で気持ちよさそうに日向ぼっこをしているのを見て、きっとこの猫も私と同じようにリラックスして楽しんでいるんだろうな、と想像しました。


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幸運の女神に微笑んでもらうために

2014.04.09日

チャーリー・チャプリンとルイ・パスツールの共通点とは?
一見したところ、正反対に見えるのですが...


chaplin.jpg  pasteur2.jpg


"You have to believe in yourself, that's the secret. Even when I was in the orphanage, when I was roaming the street trying to find enough to eat, even then I thought of myself as the greatest actor in the world."
「自分自身を信じなければならない。これが秘訣だ。私は孤児院にいた時も、食べ物をあさって放浪していた時も、こんな時でさえ私は自分のことを世界一の俳優だと思っていた」

(チャーリー・チャプリン)


うーん、さすがチャーリー・チャプリン。言うことが違いますね。
チャーリー・チャプリンが幼少の頃、このような大変なところを通っていたことを私は知りませんでした。
Wikipediaによると、彼の幼少期は、次のようだったそうです。
「両親はミュージック・ホールの歌手で、チャーリーが1歳のときに離婚。彼は5歳のとき、声の出なくなった母親の代わりに舞台に立ったという。その7年後、父チャールズ・チャップリンはアルコール依存症によって死去し、母ハンナ・ヒルは精神に異常をきたし施設に収容される。
どん底生活を余儀なくされたチャーリーは、4歳違いの異父兄シドニーと孤児院や貧民院を渡り歩いた。生きるために床屋、印刷工、ガラス職人、新聞やマーケットの売り子とあらゆる職を転々。また俳優斡旋所に通い、ミュージック・ホールでパントマイム劇などを演じて一家の家計を支える。10歳の時には「エイト・ランカシア・ラッズ」という木靴ダンスの一座に加わり、14歳の時には「シャーロック・ホームズ」のビリー役を得て地方巡業に参加するなど、演技のスキルを積んだ」


確かにチャプリンの演技を見ていると、このような苦労を経てきたところがあちらこちらに垣間見えます。
奇しくも彼が言っているように、「自分自身を信じなければならない」のです。すべてはここから始まります。


「生命の自然発生説」を否定した他、「低温殺菌法の実験」「蚕の微粒子病防止」「嫌気性菌の発見」などで有名なフランスの生化学者、細菌学者であるルイ・パスツールも似たようなことを言っています。
「幸運の女神は用意された人にのみ訪れる」


冒頭のチャーリー・チャプリンにしても、このルイ・パスツールにしても、その他これまで世界中の歴史に名を刻まれるような偉大な功績を残した人たちというのは、みんな間違いなく「用意されていた人」、すなわち「自分自身を信じていた人」たちです。
幸運の女神というのは、決して気まぐれではありません。
物事にはみんな道理というものがあるのです。


私たち凡人は、「歴史に名を刻まれるような偉大な功績を残せる」者ではありません。
しかし、上の道理は誰にでも当てはまるもので、私たちはそれぞれ自分の日常の生活の中で、「自分を信じ」そして何事にも「用意できて」いなくてはなりません。
幸運の女神はそういう人に微笑みかけてくださるのです。


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政治家は金銭に関して襟を正せ

2014.04.08日
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そんなわけないだろ、と思いつつも、おかしい。〈除夜の鐘 税込み価格で108つ〉
◆第一生命保険の「サラリーマン川柳コンクール」入選100作品の一句である。数字を見ると時節柄、つい見境もなく消費税率を計算してしまう心境も分からないではない
◆あれを買っておこう。これは買い急ぐこともない。消費増税を目前に思案中の方は多かろう。通勤の駅で定期券を購入する人の行列を見たあとに新聞をひらくと、同じ数字の「8」でも別世界の出来事に感じられる。みんなの党の渡辺喜美代表が化粧品販売会社の会長から借りた8億円である
◆貸した会長は選挙資金として用立てたと証言しているが、渡辺氏は否定している。 酉とりの市の熊手など、「政治家として生きていく上で必要なもろもろ」の費用に充てたという。熊手ねえ
◆鐘は鐘でもこちらは『平家物語』祇園精舎の鐘を思い出させる。往年のパロディー集『 寶ほう石筥せきばこ 』(小社刊)に、選挙を勝ち抜く政治家を描いた一編がある。〈議員勝者の金の声、所業不浄の響きあり〉。使途も手続きも清浄そのものだと言い張るには、資料と説明が足りない。

(3月29日付 読売新聞 「編集手帳」より)


これは実に見事なコメント。
読んでいて思わず吹き出してしまい、また「うん、うん」と納得させられることばかりでした。
同日の読売新聞38面には「猪瀬前知事に罰金50万円」という記事が載っていて、その中で猪瀬さんは
「5000万円は選挙資金の側面もあった。これまで不正確な説明をし、おわびしたい」と謝罪した。
(中略)
猪瀬前知事は「『1億円を要請したことは100%ない』とか『選挙資金でないと断言できる』などの発言は、自分がそうするはずがないというおごりで述べてしまった」と謝罪。「個人の借入金」との説明を翻し、容疑を認めたことについて「責任を取ってけじめをつけたいと考え、検事に『処罰を受け入れたい』と申し出た」と説明した。


この猪瀬前知事の正直な罪の告白には好感が持てます。
しかし、冒頭の渡辺喜美代表の、8億円を酉とりの市の熊手など、「政治家として生きていく上で必要なもろもろ」の費用に充てた、という釈明には誰も納得できないことでしょう。
渡辺喜美代表にも正直に話してもらいたいものです。
また、このことをきっかけに、政治家たちはみんな金銭に関しては襟を正し、同じ間違いを繰り返さないように心から願うものです。


と、ここまで先日書いて、そのうちに結果が出るだろうと思っていたら、なんと1週間たった昨日、ようやく渡辺喜美代表が多額の借り入れ問題で党内が混乱した責任をとり、代表を辞任する考えを表明した、とニュース速報が流れました。
でも、ただ代表を辞任して責任を取るというのではなく、やはり猪瀬前東京都知事のように、正直に話してもらいたいです。政治家たる者、やはり国民に選ばれた代表ですし、ある意味お手本にならなければならない人たちですので。


今日の読売新聞編集手帳には、
「選挙に使ったとすれば公職選挙法に触れる。辞任しても疑惑は晴れない。酉の市で大きめの熊手を買ったのはもう分かった。ほかの使い道である」
とあります。
これまで、正義の味方のようにしていつも、猪瀬前都知事を始め他の政治家のモラルを問うてきた人ならば、ただ責任を取って代表辞任で決着を図るのでなく、ことの真相をはっきりさせ、謝罪すべき点は堂々と国民の前につまびらかにすべきだと思います。「酉の市で大きめの熊手」ではだれも納得しません。


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人にして欲しいこと

2014.04.07日

8年前の誕生日・父の日(父の日は6月の第3日曜日で、何年かに一度私の誕生日と重なります)のプレゼントとして、アメリカにいる長男、直人が贈ってくれたものは『リッツ・カールトンが大切にする サービスを超える瞬間』(かんき出版)という本でした。
なぜこんな本を送ってきたのだろうと、最初は意味がわからなかったのですが、読んでみると書かれていること一つひとつに「なるほど」と首肯することばかりで、数えきれないほど多くの大切なことを教えられ、息子に感謝した次第です。


教えられたことの一つはお客様に対するサービスの心です。
つい先日、次のような記事に出会いました。


ザ・リッツ・カールトンというホテルを知っているでしょうか?
「紳士淑女をおもてなしする私たちもまた紳士淑女です」というモットーが伝説となり、今では、日本で最もホスピタリティに富んだサービスを行うホテルとして不動の地位を築きました。
多くの人が、「リッツ・カールトンに一度でいいから泊まってみたい」ということを言います。
そんな伝説のホテル、ザ・リッツ・カールトンですが、このリッツ・カールトンにも、多くの伝説ストーリーがあります。
今日は、その中から一つ。
リッツ・カールトンに泊まっていた二人のご婦人が、部屋から出てきます。そして、廊下を歩きながら、こんな会話をしていました。
「今日で50歳か。嫌ね〜、年とるって。」
「まだまだ、若いじゃない!大丈夫よ」
その会話を、リッツ・カールトンのアルバイトの子が、ちょうど掃除をしていたので聞いていました。
そのアルバイトの子は、すぐに上司に報告。
そして、そのお客様を喜ばすスペシャルチームが結成されます。もちろん、リーダーはそのアルバイトの子。
そのご婦人の部屋にバースデイケーキを用意し、飾り付けやメッセージカードを置いておきました。
帰ってきたご婦人は、ものすごく感動したそうです。
どうですか?
なんか誰にでも簡単にできそうな話です。
が、これがなかなかできない・・・
よくアルバイトの子は、上司に相談したと思います。
普通なら、「え〜、誕生日なんだ〜」ぐらいで終わってしまいます。
常に、お客様を喜ばすことをミッションとして考えていなければ、できないことです。
そして、この話には続きがあります。
実はこの誕生日だったご婦人は、某上場企業の社長の奥さまだったのです。このことは、後でわかったそうです。
そして、このサプライズにいたく感動したご婦人は、社長であるご主人に報告。
社長は、数ヶ月後に予定していた会社の創立祝いのパーティーを、他のホテルからリッツ・カールトンに変更したそうです。
そのパーティーの予算は、数千万円だったそうです。。。
アルバイト一人のホスピタリティが、数千万円の売上を生んだわけです。


昨日、駅ビルのレストラン街の中のうどん屋さんでお昼をいただきました。
私の健康上の食事制限もあり、食べられるものが限られていて、妻には申し訳ないのですがどうしてもこういったあっさりしたものになりがちです。
このお店は、以前もやはり別のうどん屋さんが入っていたのですが、数年前に改装しオーナーも変わって新たにオープンしました。
前の店にも何度か行ったことはあったのですが、正直それほどお気に入りではありませんでした。
「仕方なく」という感じでした。シートはあちらこちら破れていたり、店員の態度もつっけんどんで店の雰囲気があまり良くありませんでした。


新しく生まれ変わったこの店に入ってみると、メニューはすっかり変わり、店内も非常に明るく、きれいになっていました。


udon.JPG


さらに一番驚いたのは、このお店の店員の接客の丁寧さ、愛想良さ、丁寧な言葉遣いです。
アルバイトの若い店員なのですが、みんないつもニコニコしてとても丁寧に、しかも明るく客に接します。
もちろん、うどんそのものの味も前の店と比べてはるかに美味しいのですが、いつも人気で客が外で列を作って待っているのです。
客層も若いカップルから親子連れ、家族連れ、中高年のおひとりの方、とほぼ全世代にわたっています。


やっぱり大切なのは、客を大切にする心です。これはどんな職業にも通じます。冒頭に挙げたリッツ・カールトンのケースもまったく同じです。


聖書にも、
「人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ」
(ルカ6:31)
という言葉がありますが、これはいつの時代、どこの国、どんな職種にも、そしてあらゆる人間関係など、すべてに共通する真理です。
これをきっちりやっていれば、結果は必ずあとからついてきます。


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幸せを感じる瞬間

2014.04.06日

昨日は晴れ時々雨、寒くなるという天気予報だったのが大きく外れ、とても良いお天気で暖かく、気持ちの良い一日でした。
午前中は体育館のプールでスイミングをし、午後からは太陽の光を浴び、爽やかな海風に吹かれながら湘南ひらつかビーチパークで持参したランチ(コンビニのおにぎりとサラダ)を妻と一緒に美味しくいただきました。


ここは昔はなにもなく、しかも遠浅ではないので海水浴もできなかったところですが、今やビーチバレーを始め、防波ブロックと遠浅工事による海水浴場、サーフィンやさまざまなマリンスポーツのちょっとしたメッカになっています。


ランチを終えてからぶらぶらと近辺を歩いてみました。
親子連れで野球を楽しんでいらっしゃる方。


3 ON 3 でバスケットのシュート合戦に夢中の中学生たち。



ビーチバレーやビーチラグビーを楽しんでいる青年たち。






そして荒波に乗ってサーフィンに興じている若者がなんと数十人。



中高年の方々で「花見」ならぬ「海見」でウッドデッキの上でお酒とおつまみを楽しんでいらっしゃっていたり、とどこでも大いに盛り上がっていました。



休日にこのようにして家族や仲間と一緒に楽しめるというのは、なんて幸いなことでしょう。
今、世界では飢餓や内戦・主権争いの真っただ中にいる人たちが大勢いるのに、日本はなんて平和で住みやすい国なんだろうとつくづく思わされました。


帰り道、また毎日通っている金目川サイクリングロードの桜並木の下を花吹雪を楽しみながら花びら絨毯の上を歩いていました。



桜の木の下でお母さんが娘さんの写真を撮っていらっしゃるところに通りかかり、
「ご一緒にお撮りしましょうか?」
と声をかけようとしたその時、そのお母さんが、
「あっ、舟田先生!」。
お顔がよく見えなかったので、一瞬何が何だかわからない状態でいると、
「Kですよ。これは娘のK」。
「えっ、Kさん?」
「はい、娘が今年高校を卒業し、大学に進むので記念写真を撮りに来たんですよ」


長男のWくん、長女のHさん、そして次女のKさん、兄妹3人みんな揃ってうちの塾に来てくださっていたご一家でした。
何年か見ないうちにKさんはすっかり大人になっていらっしゃって見違えました。
街でお会いしても絶対に気づかなかったことでしょう。
長女のHさんは先日の「塾の同窓会」に来られたばかりで、お母さんが、
「アカデミーは、先生も生徒もみんな仲良くて、ファミリーのようですね」と。


実はそれこそがアカデミーの味であり、自慢です。
ですから何年経っても生徒たちは同窓会をしたり、塾に顔をのぞかせてくれたり、はたまた卒塾生で結婚してまた子どもさんをアカデミーに送ってくださったり、と25年間やっていてつながりがいつまでもあるのです。本当に感謝なことです。
また、同時にこのようにして卒塾生の成長ぶりを目の当たりにできるのも、塾の仕事をやっていて本当に良かったと幸せを感じる瞬間です。
感謝!


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いろはにほへと

2014.04.05日

色は匂へど 散りぬるを
我が世誰そ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず


日本人なら誰でも知っているのではないかと思われるほど有名な、そして実に見事に日本文化を表した歌です。


昨日は、いつものコースを散歩しながら、真っ青な空を背景に満開ながら早くもヒラヒラと花びらが風で散り始め、足元が桜の花びら絨毯になりつつある光景を目の当たりにし、ふと上の「いろはにほへと」が心に浮かんでしきました。


cherry5.JPG  cherry6.JPG


これはもともと仏教的な思想で、平安時代末期に流行したもの。
『涅槃経(ねはんきょう)』の
「諸行無常 是正滅法 生滅滅己 寂滅為楽」を表すと言われています。
すなわち、今日流の言葉に変えると次のようになります。


「香りよく色美しく咲き誇っている花も、やがては散ってしまう。
(諸行無常)
この世に生きる私たちとて、いつまでも生き続けられるものではない。
(是生滅法)
この無常の、有為転変の迷いの奥山を今乗り越えて
(生滅滅己)
悟りの世界に至れば、もはや儚(はかな)い夢を見ることなく、現象の仮相の世界に酔いしれることもない安らかな心境である。
(寂滅為楽)」

(「にほんごであそぶふぁんさいと」より)


一昨日の「プロの船乗り」の中にも書きましたが、FBフレンドのお孫さんさんが、わずか1歳3か月という短い生涯を終えて天国に召されました。ご両親をはじめ、ご家族の方々の気持ちを思うと心締めつけられる思いがします。


昨日、結心(ゆう)くんの告別式がありました。
それに参列した別のFBフレンドの方からのご報告を受け、葬儀のお写真を拝見させていただき、悲しい、辛い思いをすると同時に、天国での再会が約束されているクリスチャンの告別式のなんと幸いなものであるかを再認識させていただき、私もその場にご一緒させていただいたかのような錯覚を覚えました。


これは、上の「いろはにほへと」の無常、希望のない世界とはまるっきり正反対のものではないか、と大きな慰めと励まし、平安と希望が与えられ、きっとご家族の方々皆さんも同じ気持ちでいらっしゃることだろうと思いました。
ちょうど私の母と父の、そして敬愛していた友人の柿谷寿美江さんの告別式がそうであったように(「天国よいとこ一度はおいで」)。


昨日は昼に2時間ほど用事を兼ねてウォーキングしましたが、暗くなってから再び結心くんの追悼の気持ちを込めてもう1時間ほどいつものコースを歩きつつ、ご遺族の皆様のために、そしてこれまでの苦しみから解放されて今や天のお父さまのみ懐で安らいでいらっしゃる結心くんに心を馳せてお祈りしました。


途中、私の父の葬儀の時に司式をしてくださった牧師先生の教会の前を通りかかりました。
桜のシルエットの向こうに美しい十字架が輝いていました。


church3.JPG


かの内村鑑三がご自分のお嬢さんを19歳で天国に送られた時に、
「ルツ子さん万歳!」
と、大声でおっしゃったことを思い出し、私も
「結心くんバンザーイ!」
と大声で何度も繰り返しました。
その都度、涙が頬を伝わって落ちてきました。
地上ではお会いすることはありませんでしたが、お名前の通りみんなの心を結んでくれた結心くん。
私もやがて天国で可愛い結心くんにお会いできるのを楽しみにしています。


なお、この記事は個人情報を含んでいますので、結心くんのことをご存じの方は、もしコメントをお書きになる場合、個人を特定できるような姓などはお書きにならないようご協力のほどよろしくお願いいたします。


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「醜い」から「見にくい」へ

2014.04.04日

私たちはとかく「醜い」ものに目が行きがちです。
政治家の金銭がらみの汚職や、企業による製品の生産地の偽装やその他の隠ぺい工作、公害、大災害、著名人の不倫行為、中傷合戦、国と国の間の領土争い、大勢の無実の人を巻き込むテロ行為、詐欺事件や殺人・傷害事件等など。毎日の新聞やテレビのニュースはこれらで溢れています。
私の知人のある人は、ニュースはこのようなネガティブなものが多すぎて、見ていると気が滅入るのでニュースは見ない、と言っているほどです。
私はニュース番組は大切だと思い、出来る限り見るようにしていますが、それでもときには上の知人の言うようにもう見ているのが苦痛に感じることがあります。


ウォーキングしていても、道端や川に捨てられているタバコの吸い殻やパッケージ、ペットボトルや空き缶、コンビニのビニール袋に入れられた弁当箱や使い捨てマスクを始めとするゴミ類がどうしても目につきます。
私のお気に入りで、平塚の金目川サイクリングコースを経て大磯海岸に出、海岸沿いに歩いて大磯滄浪閣の前から北上し、山の間を通って自宅に戻るという約12kmの散歩コースがあります。
小川のせせらぎや海の波音やウグイスのさえずりを聴いたり、美しい道端の花や雄大な海や東海道の松並木を眺めたりと、心の癒しになる本当に素晴らしいコースです(「人生を振り返ると」は逆コースで回りました)。


ところが、ここにもありとあらゆるゴミが捨てられているし、あちらこちらのひどい落書きなど、見るたびに心を痛めます。
山と山の間を通る小路には、道路脇に山から湧き出てきた泉が小川となって流れているとても素敵なところがあるのですが、ここにもありとあらゆるゴミが捨てられています。それで、本来だったら手ですくって飲めるほどの美しい水なのでしょうが、見るも無残なぐらい汚れています。
さらに、トタンで囲われて「ゴミ捨て禁止」という看板が立っている空地には、冷蔵庫やテレビ、洗濯機などの大型ごみが山積みして捨てられています。


私はとくにこういうのが苦手で、ついついそれらが目につき、そして心が痛むだけでなく不快になったり、さらにひどい時には嘔吐感を伴うことさえあります。


そこで最近、自分の健康のために意識して行っていることがあります。
それは、敢えて「醜い」ものから目を遠ざけて、それらを「見にくく」させるということです。
これは自然に対してだけでなく、冒頭に挙げたような社会悪や人の醜さについても同じです。
そして、意識的に美しいもの、心洗われるもの、感動を覚えるようなもの、喜びがあふれてくるようなもの、笑いがこみあげてくるようなもの、あるいはそういった感じの心地よい人に目を向けるようにしているのです。


もちろん、この世の悪から目を避けて、いいものばかりを見て生きていくことはできませんし、それが必ずしも正しいこととは限りません。時には、間違っていること、不正に対して自分の意見を持ち、声を大にしなければならないことも多々あります。


でも、今の私にとって、この世の悪や人の不正に目を留めていると、私自身が参ってしまうことになるので、敢えていいことに目を向けるように意識しているのです。
すると、人のいい面もたくさん見えてくるようになり、感謝する心も生まれてきます。


敢えて「醜い」から「見にくい」へ心を変換することも人生においては大切なことだと思う昨今です。
今日は、人の気分を悪くさせるゴミの写真はここに載せないことにしました。


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プロの船乗り

2014.04.03日

"A smooth sea never made a skillful mariner."
「穏やかな海でプロの船乗りが生まれたためしがない」

(英語のことわざ−3月29日付 ブライアン・トレーシーのメルマガより 舟田私訳)


ブライアン・トレーシーから毎日送られてくるメールマガジンからは教えられることが本当にたくさんあります。
上のは数日前のものですが、昔からある英語のことわざだそうです。


なるほど、言われてみればそのとおり。
私たちはともすれば、「順風満帆」「平穏無事」を望むものですが、このような人生をずっと最後まで送れるわけがありません。
人生には雨の日や雪の日も、また嵐の日もあれば、地震や津波など大災害をもたらす日もあります。
3年前の東日本大震災を思い出しますが、ここしばらくは大きな災害をもたらすような天変地異は起こっていません。
でも、いつ南海トラフ大地震やその他の大地震、あるいは富士山の大爆発など、日本が引っくり返るような出来事があっても全然不思議ではありません。
いいえ、このような大事件だけでなく、私たちの日常生活の中でも大小さまざまな思いもよらぬような出来事、病いや事故、試練や失敗、絶望、苦難、愛する者との別れ、老いなど、辛い、悲しい、苦しい出来事と常に背中合わせのような状態の中で私たちは生きています。


昨日はウォーキングで大磯海岸に出て、波打ち際で秒々刻々変化する波を見、波音を聴きながら昨日の早朝、1歳3か月という短い生涯を終えて天に帰られた、FBフレンドのお孫さんの「結心」(ゆう)くんのことや人生について考えていました。



上の動画をプレイすると波音が聞こえます。波音も癒しになるそうです(「春来たりなば夏遠からじ」)。


oisobeach1.JPG  oisobeach2.JPG


ここは左手には先の方に江の島がそしてその向こう側には三浦半島が、右手には大磯港のはるか向こうには伊豆半島が見える相模湾のちょうど真ん中です(画像をクリックすると大きくして見られます)。


ふと足元を見ると、子どもが作ったものと思われるこんな可愛いものがありました。


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よく見ると、「hono ・ mako Best Friend」と書いてあるようでした。いつまでもベストフレンドでいられますように。


そういえば一昨日、FBフレンドの啓子さんがタイムラインにこんなことを書いていらっしゃいました。
「厳しい寒さの冬があるからこそ
次に訪れる春の到来の喜びもひとしおなんだわ!!


人生において
難しい問題を経験しなければ
成功への意欲もなくなり
成功しても その喜びも
たいして感じないのでは・・・


生きることの大変さ
そして いろいろな四季を味わい
耐えることを知った時に
本当の喜びを味わうのだと・・・


日々、今を 一生懸命生きること」


まことにそのとおりだと思いました。
人生にも春夏秋冬があり、そのお陰で私たちは日々を楽しみ、生きることができるのです。
ちょうど、冒頭の英語のことわざ
「穏やかな海でプロの船乗りが生まれたためしがない」
というのと同じです。
今日は比較的穏やかな海でしたが、何隻もの船が目の前を通過して大磯港に入っていきました。
これらの船乗りさんもきっとみんな嵐の中を経験しているのでしょうね。


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ローマは一日にして成らず

2014.04.02日

3日前の記事「50年振りのミニミニ同窓会」に登場した中学2年生当時の同級生の二人、実はすごいんです。


東出さんは、お仕事からリタイアされた2年半ほど前からスキューバダイビングを始められ、この間に何ともう200本以上も潜っていらっしゃるそうです。
ダイビングをするためには背に10kg以上もある重たい酸素タンクなどの器材を背負わなければならないので、普段は週に3回ほどはジムに通い、体力づくりをしていらっしゃるとのこと。
下の写真はダインビングを始めて50本記念の時に仲間と一緒に撮られた写真で、左から2番目のプレートを手に持っているのが東出さんだそうです。


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そして、中下さんは高校時代ワンゲル(登山部)に入っていらっしゃったのですが、それ以来まったく山登りをしていなかったのに、4年半前にまったくのいちからやり直しで、小さな山から登り始め、今ではなんと日本で5番目に高いという槍ヶ岳(標高3180m)にも登頂していらっしゃるとのこと。
私が昨日登った標高181mの湘南平とは天と地の差です。
これがその時の写真。


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あの後ろに見える岩肌のてっぺんまで登られたのです。
やはり体力づくりのためにしょっちゅうあちらこちらの山に登っていらっしゃるそうです。
なるほど、「ローマは一日にして成らず」と言いますが、これはどんなことにも言えそうですね。
「健康は一日にして成らず」
「教育は一日にして成らず」


お二人のお話を聴いていて、私は圧倒されました。そして、ものすごい元気と希望をいただきました。
最近、将来に希望が見えなくなっていてずいぶん落ち込むことも多く、気になっていた健康上のことをいくつか尋ねてみました。
たとえば、例の物忘れの件(「物忘れ対策」)。
するとお二人から戻ってきた答えはまったく同じ。
「いやー、そんなのみんな一緒だよ。隣の部屋に行って、あれっ、何しに来たんだっけとか、気がつくとかけていたメガネが見当たらない。どこに置いたか思い出せないので、今はトイレやリビングやあちらこちらにメガネを置いている」
その他の問題も、みんな共通でした。
ああ、私だけじゃなかったんだ、とホッとしました。
またお二人ともそろっておっしゃったのは、ダイビングにしても山登りにしても、やっている時は頭の中が空っぽになって、それがとてもいい癒しになっているとのこと。これが病みつきになる理由だそうです。
三人で話していてふと気づくと、昔はお互いに気の置けない親友同士で言葉遣いも仲間言葉だったのが、今回はみんなメールに始まり、直に顔を合わせても無意識のうちにお互いに敬語を使って話しているのです。まあ、それだけ大人になったのかな。


上の二人の話を聞いて元気をもらった私は、一昨日は14kmあまり、昨日も11kmあまりと最近はほぼ毎日続けている10km以上のウォーキング、そして2週間ほど前から再開したスイミングで体力をつけていくことにしました。
お二人に言わせれば、私の毎日2時間のウォーキング、しかも時速6kmから6.5kmの速さはすごいとのこと。
でも今の私にはウォーキングの延長での槍ヶ岳も、スイミングの延長のダイビングもちょっと考えられないので当分はこれでいきます。
一昨日、感動した美しい桜並木のサイクリングロードを昨日も歩き、またまた感動させていただきました。
これが私の場合の癒しの情景です。左に小川のせせらぎの音を聴きながら。


cyclingroad5.JPG


そして、物忘れ予防のためには、当分の間このブログを活用させていただくことにします。
昨日の記事をお読みになったFBフレンドの小川政弘さんからは、次のような嬉しいお言葉をいただき、とても励まされました。
「いつもながら、先生の記事は、深く考えさせる思考系と、心を揺すぶられる感動系と、そして今日のような、居ながらにして季節感あふれる景色を満喫できる癒やし系と、バラエティーあふれ、かつ絶妙のコンビネーションでの配信ですね。ランキングトップを走るのもトーゼンです。この富士山は加々美先生もご自分のコレクションに入れなきゃ。舟田先生はほんとに夏姿ですね。このような目、耳共に最高の自然環境の中のウォーキングで、ますますご健康を取り戻していってください」


そう、「ローマは一日にして成らず」。頑張り過ぎは禁物なので、コツコツと頑張り過ぎない程度に頑張り続けますので、皆さん今後ともよろしくお願いいたします。
さて、今日もこれから大磯の海岸までウォーキングに出かけ、足腰を鍛えるとともに、海の波音を聴きながら心を無にして癒されてきます。


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春来たりなば夏遠からじ

2014.04.01日

「冬来たりなば春遠からじ」という記事をまだついこの前書いたばかりだと思っていたら、もういつの間にか春になってしまいました。
暦の上では3〜5月は春ですが、今年の3月のように3月の初めは毎年どか雪が降って、受験生の足などに大きな影響を出し、まだまだ寒くて冬の真っただ中のような感じがするのですが、月末になると急に辺りは春めいてきます。


今日から4月。いよいよみんなが待ち焦がれていた春本番です。
しかし、「春来たりなば夏遠からじ」で、今度はあっという間にうだるような暑さの夏になります。
昨日はこの湘南地方では最高気温22℃というポカポカ陽気。それに誘われたかのように、一昨日までまだつぼみだった桜が一斉に花を咲かせ満開になりました。
本当は一昨日の「50年振りのミニミニ同窓会」で最高の花見をする予定だったのが雨で流れてしまいましたが、そのお陰で5時間あまりも話す密度の濃い同窓会となり、逆に感謝でした。


昨日は朝食とブログ記事、その他諸雑事を終えてからウォーキングに出かけました。
これがいつものコース、金目川サイクリングロードの桜並木です。見事に満開です。


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いつものように海に行くつもりだったのについつい足が湘南平の方に向き、途中からコース変更して湘南平を登頂しました。
標高1810mだったらすごいのですが、一桁少ないたったの181mで、たくさんの高齢者の方々もハイキング気分で登っていらっしゃいました。まあ私もそのうちの一人ですが。


途中、富士山が一望できるこのような最高のところを通っていきます。


MtFujifromchonandaira.JPG


頂上に着くと、駐車場に面白い車が止まっていました。こんなの初めて見ました。宣伝カーなのですかね。


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いつもウォーキングしている大磯海岸がこの下の方にあります。
「春来たりなば夏遠からじ」で、もう夏のような恰好をしています。


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歩いていると様々な小鳥のさえずりや小川のせせらぎなども聞こえてきて、本当に癒されます。
そういえば、先日書いた「物忘れ対策」の中に登場する雑誌『わかさ』に付録でついていた「脳活性 高周波音CD」には、この小川のせせらぎやうぐいすなどの小鳥のさえずり、海の波音などが入っていて、これを聴いていると本当に心身がリラックスして途中で眠ってしまうほどなのですが、毎日の散歩コースでこれらを自然の中で生で聞けるというのはなんと恵まれているのだろう、と改めて感謝した次第です。


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