学院長元気の出るブログ

日々の随想。教育問題、子育て、英語、積極思考、人間関係、霊想等など。
読む人に元気を注入します。

ジョージ学院長 元気の出るブログ

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人との出会いで人生は決まる

2013.07.31日

先生、覚えていますか?
誰の人生にも、運命を決する瞬間がある。そして、そんな瞬間は、たいてい誰かの励ましによって訪れる。


(前略)
 先生が厳しかったことも不人気の理由のひとつだった。ほとんどの生徒は先生の優秀さに気づいていなかったのだ。
「そうですよ。将来の職業を探すんです」。先生は顔を輝かせていた。まるで、毎年の課題の中で、いちばんおもしろいテーマみたいに。
「自分の将来の職業について、レポートを書いてもらいます。自分が何になりたいかを考え、その仕事をしている人にインタビューし、発表するのです」
 みんな、どうすればいいか首をひねりながら下校した。13歳で、何がやりたいなんてわかる子がいるかしら? 私は消去法で考えることにした。好きなのは美術、歌、文章を書くこと。だけど、美術のセンスは最低だし、歌うと姉さんたちが、「きゃあ、やめてよ」と叫ぶ。残っているのは書くことだけだ。
 先生は、レポートの進行状況について毎日わたしたちに質問した。ようやく、みんな何かを選んだ。私は新聞記者を選んだ。本物の生きた新聞記者にインタビューしなければならない。私は怯えた。
(中略)
 数日後、わたしはなまなましい記憶だけを頼りに発表をした。レポートの成績はAだった。
(中略)
それから何年もして、先生のことはすっかり忘れてしまった。大学で何を専攻するかについては、いろいろ考えていた。父はビジネス界に入らせたがったし、当時としては筋の通った助言だった。ただ、わたしにはビジネスはまったく向いていなかった。そのとき、ふと、バージニア・デビュー先生のこと、13歳のときの夢を思い出した。わたしは両親に電話した。
(中略)
「何にするつもりだね?」父がやっと尋ねた。
「ジャーナリズムよ」
両親がひどく失望していることはわかったが、反対はされなかった。ただ、その世界の競争がどれほど厳しいものか、また、いままでわたしがどんなに競争を避けてきたかを指摘されただけだった。
 だが、ジャーナリズムは違った。わたしの性に合っていた。まったく見知らぬ人のところへ行って、自由に質問することができるようになった。だんだんとわたしは自信をつけた。
(中略)
 ある日、バージニア・デビュー先生がいなければ、いまわたしはこうしてデスクには向かっていなかったのだとふいに気づいた。
(中略)
 学生時代を振り返ってみると、誰でもきっと、ひとりの先生の姿が浮かんでくるのではないだろうか。人には、それぞれのバージニア・デビュー先生がいるに違いない。心からありがとうと伝えたい先生が。
                                            ダイアナ・L・チャップマン

(『こころのチキンスープ 9』 ジャック・キャンフィールド、マーク・V・ハンセン ダイヤモンド社 p.81-85)


ちょうど1週間前、「そうだ、京都へ行こう! その2」という記事を書きました。
すると、その日のうちにメールが来ました。私の恩師中の恩師、西村隆宏先生からでした。
「すっかりご無沙汰していますが、ブログは毎日読んで力を戴いています。
今日のブログを見て、もう一度是非お会いしたくなり、お泊り戴いて、京都での貴方のひと時を独占させて戴きたいと、メールをお送りします」とありました。
西村先生との出会いは、「潜在意識の力」の中にも書きましたが、私が小学4年生のときにお会いした当時は大学生の教育実習生です。わずか3週間ほどの短い期間の出会いでした。


shimei1.jpg


でも、その後53年間もお付き合いが続き、結婚式にも、また母の葬儀にも来てくださり、一昨年の夏には泊まりがけで4日間もお世話になったのです(「使用前、使用後」)。


冒頭の『こころのチキンスープ 9』の物語を読んでいて、私の頭の中には真っ先に西村先生のことが浮かびました。まさに、西村先生との出会いが、私を教育の道へと導いてくれました。ですから、西村先生こそまさに恩師中の恩師、私のバージニア・デビュー先生です。


何人かのFBフレンドの方々からもお会いましょう、とお声がかかり、日程はちょうど1週間後の8月7日から10日と決まりました。
西村先生とまた二年ぶりにつもり話をし、私の心のふるさとである嵐山や嵯峨野を散策し、龍安寺の石庭で心を沈めてじっくりと考えたりして楽しむと同時に、FBフレンドの方々とお会いできるのはなんという恵みでしょうか。
もう今からわくわくしています。


私は人との出会いを常にとても大切にしています。
本当に人生において何が大切かというと、人との出会い、これに勝るものはありません。
いえ、ひとつだけあります。それ以上のものが。それは神様との出会いです。
人生において大きな影響を与えるものは人との出会いですが、神様との出会いは人生最大の影響を与えてくれます。


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このブログの活用法

2013.07.30日

ここしばらくはほとんど毎日、5〜6キロから12キロ、13キロと結構歩いています。
昨日、ふと気づくとふくらはぎにしっかりと筋肉がついてきていました。
そして、ウェストもこれまでで最細、一番太っていた頃と比べると14センチ、1年前と比べても6センチ細くなっていました。体組成計によると体脂肪、内臓脂肪も過去最低レベルで、体内年齢はなんと38歳。
先日の記事「VIP その2」の中にも書いたように、床屋の店長にも「髪の毛も顔も若い」と太鼓判を押してもらい気をよくしています。


人間、だれでも褒められて怒りません。褒められれば気分いいものです。そして、それがさらにいいものを引き出します。
そんな当たり前のことなのですが、親が子に対し、子が親に対し、あるいは夫が妻に対して、妻が夫に対して褒めることが少ないのはいったいどうしたことでしょう。


今日、新たにひとりの方が友達から紹介されたと言って、このブログのメールマガジン登録申請をしてこられました。
コメントには、「子供達を励まし、自分も成長する何かヒントがあればと願っています」とありました。
そこで今日は、私もそんな観点から自分のこれまでのブログを読み返してみました。
方法はいくつかあるのですが、もっとも簡単かつ有効なやり方は、ブログページ左にある緑の「カテゴリー」の中から自分の興味あるテーマを選び、クリックすると関連記事が出てくるので、タイトルから、あるいはアトランダムに記事を選んで読むという方法。
次は、ページ左上の「エントリー検索」に興味のある言葉を入力して検索する方法。この時のコツは、できる限り言葉を絞ることです。たとえば、「ホームスクーリング」で検索すると1件もヒットしないのですが、「ホームスクー」だと、「ホームスクール」という言葉を含んだ記事が出てきます。
今日はそのようにして、自分の過去のブログをいくつも読んでみました。
カテゴリー「教育」で検索したところ、次から次へと「褒める」ことの重要性を説いた記事が出てきました。


ということで、今日は自分のブログの宣伝のようになり恐縮ですが、ぜひ上の方法で皆さんの興味ある分野を検索してみてください。
きっと何らかのヒントにある記事に出会うことができることと思います。
今後とも引き続き、「学院長 元気の出るブログ」をよろしくお願いいたします。


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生き甲斐

2013.07.29日

3日前のことですが、FBフレンドのKさんがラジオを聞いていたら、日本のお父さんの生き甲斐アンケートの結果は、
1位 仕事
2位 酒
3位 パチンコ・ギャンブル
と言っていたとシェアしてくれました。
これに対して、多くの人が驚いて、それは生き甲斐ではなく逃げ場でしょうとか、悲しい、情けないといったコメントがたくさん寄せられていました。


一昨夜、マレーシアのFBフレンドのマドレーヌさんからメールが送られてきました。
そこには彼女が行っている教会のお友達のジャネットさんの体験談がついていました。
それによると、息子さんのコリンくんは全盲のほか、頭蓋骨・脊柱奇形といういくつかの障がいを持って生まれてきました。
医師はお母さんに、命は1か月ももたないだろう、あきらめるようにと言ったそうです。
しかしお母さんはあきらめず、フルタイムの仕事を捨てて命がけでコリンくんの育児に当たりました。
コリンくんは1か月生き延びたのみならず、全盲者のための施設もシステムも教師もいないマレーシアで大学まで進学し、音楽を専攻して卒業されたそうです。


お母さんは自分の体験談を Harvest of Love (『愛の収穫』)という本に著わしました。
その本の中には、特異な子どもを育てる母親の苦労が書かれています。社会から拒絶されて傷つき、経済的困難や、その他、障がい児を育てる中で直面した困難の中でいかにしてご自分の鬱を克服したかなどが書かれています。


HarvertOfLove.jpg


私は早速、Googleでコリンくんのことを調べてみたところ、いろいろな記事があり、その中に、現在24歳のコリンさんは、将来は音楽の先生、とくに視覚障がい者のための先生になりたいと言っているとありました。
さらにYouTubeで検索したところ、マドレーヌさんが送ってくださったのとは違う次のような映像を見つけました。
これを見て私は感動で胸が震えました。



アメリカで知り合ったクリスチャンのほとんどが言っていた優先順位は以下の通りでした。
神第1、家族第2、仕事第3。
最初これを聞いた時、私はまだクリスチャンではなかったのですが、大きなショックを受けたことを覚えています。


日本のお父さんたちの生き甲斐の中に酒やパチンコが入っていたのには失望しましたが、それよりも本当に驚いたのは家族が入っていなかった点です。


上のコリンくんのお母さんの場合も、やはり神第一、家族第二、仕事第三にしていらっしゃったのだと思います。その結果、今日のコリンくんがあるのです。


聖書には次のような言葉があります。
あなたの宝のあるところに あなたの心もある。
(マタイの福音書6:21 )


自分の人生の中で何を大切にするかで、日々の生活が、そして生き方が変わってきます。


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幸せの青い鳥

2013.07.28日

今日はリラックスデー。そしてデラックスデー。
朝から夜まで一日ゆったりと過ごしました。


朝は教会の礼拝。
ホセア書からの難しい箇所でしたが、柿谷牧師が実に明快に聖書の伝える素晴らしいメッセージを取り次いでくださり、しっかりと受け止め、実生活の中で実践する決意が与えられました。
礼拝後は教会の皆さんと楽しい交わりのひと時。柿の葉で作ったという手作り健康茶をみたらし団子やその他いくつかの美味しい和菓子と一緒にいただきました。


dango.jpg


皆さんとお別れして妻と一緒に駅ビルに行き、昼食をとってショッピング。
その後、何か月振りかに湯乃蔵ガーデン温泉に(「台風の中の混浴露天風呂」)。
温泉と言ってもいわゆるスーパー銭湯ですが、本物の温泉よりも種類もたくさんあり、十分に楽しめます。
屋内に10、屋外に7つあるサウナや大噴流、五右衛門風呂、露天風呂、電気風呂、岩盤寝湯、炭酸泉等など、全部にゆっくりと2時間以上つかっていました。
心身ともに心ゆくまでリラックスできました。


帰宅してからは録画しておいた1週間分の「おしん」鑑賞(「オシンドローム再来、いよいよか」)。
夕食をはさんで夜はテレビのドラマ。
ああ、楽しかった。


さらに、もうひとつおまけ。
昨日の新聞の広告に載っていた北海道大周遊5日間の旅行に8月末の塾の休みの時を利用して妻と行くことを今朝二人で決めて、申し込むことにしました。妻の長年の夢だった北海道旅行で、湯乃蔵ガーデンと違い本物の温泉めぐりです。
実はこれ、新婚旅行以来と言っていいほどの夫婦での旅行。
新婚旅行と言っても、結婚式と披露宴のあと、すぐ隣の滋賀県のホテルに一泊して近辺のお寺廻りをしただけで、それも友人にプレゼントされて行ったもの。
今まで常に仕事に追われ、時間が取れなかったので、思い切って気分転換に行くことにしたのです。


というわけで、今日は超デラックスデーでした。
平凡な生活の中に見つける小さな幸せ。それが幸せの青い鳥です。


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VIP その2

2013.07.27日

最近、よく「ビップ」という言葉をテレビなどで耳にします。
最初は何のことかと思っていましたが、話の流れで英語のVIPをローマ字読みで「ビップ」と言っているのだとわかりました。
英語では「ヴィーアイピー」とそのままアルファベット読みします。Very Important Person 「重要人物」という意味で、政府などの要人に使ったりします。


VIPについては以前、「VIP」という記事の中に私の「重要人物」、とっても大切な人のことを書きました。
36年の長きにわたるおつき合いの友達で、今も1年に1回はお会いし、去年は夏に私が彼をアメリカに訪ね(「鶴田牧師夫妻と感動的な再会」)、秋には私の家を訪ねてきてくださり、年に2回も会うことができました(「裸のつき合い」)。


昨日は、私自身がVIP待遇される体験をしました。
どこで?
月に1回行く床屋でです。
この床屋さんのことはこれまでにも何度か書いたことがあるのですが、前回はここで私の教え子に会いました(「三日坊主になるかどうか…」)。
この床屋さんは今から20年近く前に開店したのですが、私はその時からの得意客で、行くと必ず店長自ら私の髪をカットしてくださいます。
ほかの店員の方もみんなわかっていて、私を店長に回してくれます。
ある時などは店長が昼休みか何かで不在だったのですが、携帯に電話して呼び戻してくれました。
ほかのお客さんが大体20〜30分ぐらいで終わるのに、私はその倍の1時間ぐらいかけて丁寧にカットしてくれます。
シャンプーもリンスも、他の客には使わないドイツ製の高級なものを特別に使って、頭皮をしっかりマッサージしてくれます。
とてもいい香りで心身ともに癒されます。
カットしている間、二人の間ではいろいろと話題が絶えません。
サービス満点です。


あるとき会話の中でお互いの年齢のことが出てきて、髪もヒゲも白くて見た目は貫禄たっぷりの店長の方が私よりも7歳若いことがわかり、二人ともびっくりしました。
昨日は店長曰く、
「髪の量は多くて黒いし、とてもしっかりしている。しかも、お顔もとても若々しい」。


VIP待遇され、すっかり気持ちよくなりました。
ウォーキングを兼ねていつも歩いて行くのですが、往復10キロあまりの道のりも全然苦になりません。
しかも昨日は、カットが終わってから食料品や生活用品などの買い物もして、背に背負った4キロのリュックの重さも気にならないぐらいで、少しずつ体力がついてきていることを実感できました。


聖書には、
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」 (イザヤ書43:4)
とあり、神様は私たち一人ひとりに「あなたはわたしのVIP、とっても大切な人」とおっしゃってくださっています。


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罪を許していただくには

2013.07.26日

 先生が質問した。「神様に私たちの罪を許していただくには、まず第一に何をしなければいけないと思いますか?」。生徒が手を挙げた。「まず第一に、罪を犯さなければなりません」。西洋の小話を『世界凸凹ジョーク』(河出文庫)から引いた
◆笑えない改変版を、どうぞ。「有権者に私たちの失敗を許していただくには、まず第一に何をしなければいけないと思いますか?」――「まず第一に、失敗を犯さなければなりません」
◆敗戦処理に混乱はつきものとはいえ、まず第一に失敗を犯すことから党の立て直しをはじめなくてもよかろうに、と思う。参院選に惨敗した民主党である
◆海江田万里代表は続投するのだとか。トップが敗北の責任を取らないという失敗に、“反党行動”をとった党幹部の処分すら満足にできない失敗を重ねている。仮にも野党第1党である
◆政府が改革を成し遂げるために最も必要なものは何ですか? 問われたとき、英国の故・サッチャー元首相は言下に答えている。「政権交代が可能な、良い野党の存在です」と。小話の生徒役からたどり着くには、遠い道のりであることよ。

(7月26日付 読売新聞 「編集手帳」より)


いやぁ、これには笑ってしまいました。もちろん冒頭の小話に。あとの話にはやはり笑えませんでした。
ところで、今日の新聞1面に「東大教授 詐欺容疑逮捕  厚労省補助研究2180万円架空発注」と、えっ、東大教授が?と驚くような記事が載っていました。
社会面や地域面には毎日のように、殺人事件や傷害、強盗、放火、詐欺、横領、盗撮、痴漢など、本当によくこれだけあるものだと思うほど恐ろしい、また恥ずかしい事件が所狭しと載っています。しかも、その事件を起こしているのが、今回のように教授であったり、学校の先生や警察官だったりと、これまた笑えません。
冒頭の小話では、神様に罪を許していただくためには、まず罪を犯さなくてはなりません、という少年の答がトンチンカンで笑ってしまったのですが、現実の世界を見ていると笑えない事実がそこにあります。


昨日は、8月に予定している京都旅行で嵐山や嵯峨野を散策するための体力作りにと、2時間半、12.6キロもウォーキングしました。自宅からいつものコースの金目川サイクリングロードを通って大磯に出て、海岸線に沿って歩き、日本最初の海水浴場と言われる大磯海岸を経て、国道1号線を西進。
明治31年創業という老舗の大内旅館や大正末期に建てられた島崎藤村邸、明治23年に伊藤博文が建てた別荘滄浪閣などを経て、高麗山をぐるっと回って自宅に戻りました。
いつもそうですが、ただ歩くだけではもったいないので、愛用のiPhoneでいろいろ聴きながら一石二鳥を狙っています。
昨日は、私の尊敬するジョン・マッカーサー牧師(「100%返金保証付 成功の秘訣」)の説教を聴いていました。
その中で、マッカーサー牧師は、自分は罪人(つみびと)だ、と公言しています。もちろん、犯罪などを犯したことがあるわけではなく、人間みんなが生まれ持っている原罪のことを言っているのです。
「あなたの中の最良のものを」の中でご紹介したマザーテレサなど、まるで「愛」をそのまま人にしたかのようなお方でしたが、やはりご自分のことを罪人だとおっしゃっていました。
新約聖書の中の多くの書簡を書いた使徒の代表のようなパウロでさえ、
「私は罪人のかしらです」 (Tテモテ1:15)
と語っています。


私たち人間はみんな、罪を持って生まれてきているのです。
罪を犯すから罪人ではなく、罪人だから罪を犯すのです。
たとえ大きな罪を犯していなくても、心の中を見れば、誰でも自分は罪人だということがわかります。
神様に罪を許していただくためにすべきこと、それは罪を犯すことではなく、ごめんなさい、と神様に謝ることです。すべてはここから始まります。


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頭の中で考え得ることは

2013.07.25日

「魔法の砂」砂漠を緑化
 パナソニックと京都大学は、水をはじく特殊な処理をした砂を使い、雨が少ない乾燥地帯でも農業ができる世界初の技術を開発した。炊飯器の内釜などを表面加工する技術を応用し、水は通さずに空気だけを通す砂の層を作ることに成功した。地面に染みこんだ雨水を回収して再利用できるほか、塩分を含んだ地下水の土壌への浸入も防げるという。
 農業関連のノウハウを持つ商社などと連携し、アフリカや中東、中央アジアなど、農作物の栽培が難しい乾燥地域での農園造成サービスなどを提供する計画で、2016年度の事業化を目指す。
 炊飯器の内釜は、焦げや汚れがこびりつかないよう、はっ水性物質でコーティングしている。これをヒントに砂粒の表面を数ナノ・メートル(ナノは10億分の1)の厚さのはっ水性物質で均等に包むことで、砂の層(約5センチ)にはじかれた水は染みこまず、浮き上がる仕組みだ。
 パナソニックと京大は10年4月から共同研究を開始。実験の結果、トウモロコシ畑などに染み込んだ雨をはじく砂の層(深さ40センチ)を流れてタンクに集まり、約70%を再利用できた。塩水を底に入れた鉢植えの花は、砂の層が塩分を遮断するため水だけの栽培と同様に育ち、塩害を予防する効果も確認できたという。
はっ水砂を月産300トン製造できる装置の開発にも成功し、現地の砂を加工すれば、1トン当たり数千円以下で供給できる見通しだ。

(7月19日付 読売新聞 3面)


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これは実に画期的な発明です。
このシステムが中央アジアや中東、アフリカなど、その地質のゆえに農業が発達していない国々に導入されれば、飢餓や貧困、伝染病、戦争など、これらの地域の大きな問題が解決できる道筋ができます。
ジャンケンの後出しのようですが、素人の私でさえもこのようなものができればいいなとずっと思ってきましたし、世界中に同じことを考えていた人たちがきっとたくさいらっしゃったことと思います。
それが、日本の先進技術と研究者たちの知恵の結集で今回実現されたのです。


実は、このブログでこれまで何度も書いてきたのですが、量子物理学という新しい分野の学問があります。
その中のひとつ「波長が合う!?」の中から一部引用しますと、
これまでの「ニュートン力学」は目に見える世界を扱っています。
たとえば、物体が上に上がれば下に落ちてくる(重力の法則)とか、物体を押すと押し返される(作用と反作用の法則)のようなものです。
ところが、量子物理学では原子、分子、電子、素粒子など目に見えない世界を扱っています。
そして、原子や電子が粒子としての特徴をもつと同時に波としての特徴をもつ(物質波)ことが知られています。
つまり、光や音や電波など、すべて波を発しているということはみんな知っていますが、これらは波の性質と同時に粒子としての特徴ももち合わせているそうです。
そして、さらに話を進めると、実は光や音などだけでなく、すべての物質もやはり粒子から成り立っていて、これらの粒子が波動を起こしているというのです。
そう、車も家も、人間さえも波動しているのです。


つまり、人間の頭脳も同様に粒子から成り立っていて、常に振動しているというわけです。頭脳は空中を飛び交う無数の波動を受け取り、また自ら発することもしています。
自分の望む波長はどんなことでも、創り出し、それを放出することができるわけです。ちようど、衛星から発せられる電波やテレビ・ラジオ電波、携帯の電波などと同じように。
ただ、頭脳が発する振動の方が他のどのような波動よりもはるかに強いのです。そして、これは距離に関係ありません。
そして、あらゆる物質はラジオ波や、ガンマ線やX線などによって影響を受け、目に見えないレベルで変化しています。頭脳が発する振動もすべてのものに影響を与えます。
つまり、人間のレベルで言えば、愛情、憎しみなども波動の一種として私たちは常に発しているのです。
これは水の構造をも変える力があります。ですから、私は毎朝新鮮な水を飲むときにも「感謝!感謝!感謝します!」と念じて飲んでいるのです。


この引き寄せの法則は、重力の法則、浮遊の法則など宇宙に存在するさまざまな法則よりもさらに強力なものです。ですから、おおよそ人が頭の中で考え得ることはどんなことでも、波動となって発せられ、他の人にも受け取られ、それが今回の「魔法の砂」のように現実化されるのです。
かつてナポレオン・ヒルは「思考は現実化する」と言いましたが、これはまことに真理です。


あなたは今、どんなことを考えていますか?それが実現するのです。


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そうだ、京都へ行こう! その2

2013.07.24日

「将来を決める動機づけ」の中にも登場してもらったアンソニー・ロビンズですが、彼のセミナーCDの中に次のような例話があります。
ある教会で牧師を招聘(しょうへい)しました。
1回目の礼拝でのメッセージに教会員たちの反応はまずまずでした。
さて、2回目の礼拝のメッセージをみんなは期待していたのですが、なんと前の週とまったく同じ内容のメッセージでした。
ひょっとして牧師は前の週にやった説教を忘れて同じものを話したのだろうか、などとみんなは思いました。
ところが、3週目の礼拝でもまた1回目、2回目とまったく同じ内容の説教です。
教会員たちはちょっと不安になってきました。ひょっとしたらボケているんじゃないかと。
そして、4週目。またしても一言一句全然変わらない説教です。
そこで、ひとりの役員が意を決して礼拝後、牧師のところに話しに行きました。
「先生。ちょっと申し上げにくいのですが、先生のメッセージが1回目から今日まで4回ともずっとほぼ似たりよったりのお話なんですが...」
牧師が答えました。
「よく気づいてくれました。信仰には行いが伴わないと意味がないのです。私の説教で皆さんの行動が変わるのを私は待っているのです」


アンソニー・ロビンズもセミナーの中で、いくら頭で理解しても行動が伴わなければ意味がないのだ、と言っていました。
今、妻と一緒に『ザ・パワー』を毎朝読んでいます。
私はこの本は最初に英語版を読み、その後著者自ら朗読している音声CDも繰り返し繰り返し、おそらく100回以上聴いてきたと思います。同じ著者による最初の本、『ザ・シークレット』も同様です。
この類の本とは波長が合うのです。
しかし、考えてみたら著者はどちらの本の中でも、同じことを繰り返して言っています。
もう内容を覚えているほどです。
そして、私自身が今抱えている健康の問題も、そのルーツがどこにあるか、そしてどのようにすればいいのかも、この本の中でも語られていてよくわかっているのです。
それで言われているようにしようと何度も決意するのですが、行動が伴わないのです。
これが、人間の弱いところで、みんなわかっていてもなかなかできません。


ちょうど2年前の私も同じような状況の中で、「そうだ、京都へ行こう!」と決心して4泊5日の京都旅行に行ってきました。
そこでは、小学校時代の同級生や恩師、そして大学での教え子に会ったりと本当に充実した時を持つことができ、とても癒されました。
そして、去年の夏はロサンゼルスに住んでいる長男に誘われて、私の魂のふるさとであるロスを訪問しました(「タイムマシン」)。
この時も、大勢の友人や先生方、お世話になった方々にお会いして、心身魂ともにリフレッシュすることができました。


しかし、どうやら1年経つと油切れを起こすようで、私の心の中でまた「そうだ、京都へ行こう!」という思いがここ数日強くなってきていました。
そこで、冒頭のアンソニー・ロビンズの勧めに従って、頭の中でわかっているだけでなく、行動に移そうと決意し、今朝、妻にそのことを話したところ、快諾を得ることができました。
テレビのドラマやニュースの中で、またドキュメンタリー番組などで京都のシーンが出てくるといつも胸が熱くなるのです。
つい2週間ほど前にも、Facebookで嵯峨野の竹林の写真を見るともう心がうずいて、居ても立ってもいられないほどになったばかりです。


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それで今回は、私が中学高校大学時代に10年あまりを過ごした嵐山・嵯峨野をゆっくり散策したいと願っています。
と同時に、せっかくFBでお知り合いになった京都方面の方々ともお会いできれば、とも思っています。
もしご都合がつく方がいらっしゃいましたらぜひお声をおかけください。
そして私の心を励ましていただければ感謝です。よろしくお願いします。
日程も予定もまだなにもない状態で、私の方はどのようにでもなります。
とにかく、今の私の一番の仕事は心身をリラックスさせて、健康を回復させることにありますので。


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正しい勉強法

2013.07.23日

昨日ネットでトマトの育て方を調べてみたところ、40〜50cm間隔をあけて植えるようにとあります。
こういう基本的なことを知らずに、小さな庭に苗をいくつかくっつけて植えたものだからジャングルのようになってしまったのです。実が見えないし、収穫するのも大変。


次にびっくりしたのは、水のやり過ぎは根腐れになるので、葉がしおれてきたらたっぷり与えるようにとあるのです。
私は毎朝、愛情たっぷりだけでなく、水もたっぷり与えていたのです。
なんでもそうですが、知らないということは恐ろしいことです。


勉強もそうです。
正しいやり方というのがあるのです。
それを知らずに自己流でいくら一生懸命やっても、期待しているような効果が出ないのは当たり前のことです。


昨夜教えていた生徒を見てつくづくそう思いました。
基本的な理屈を知らないまま、ともかく頭に詰め込み、暗記することが勉強だと思っているのです。
漢字の読み方や、意味、偏や旁などにもすべて理屈があります。これを無視していくら棒暗記しようとしても無理です。覚えることが多すぎるからです。
英単語や英語の文法も同様です。
単語のスペリングにも発音にもルールがあります。英語が苦手と言う生徒はみんなそれを無視して丸暗記しようとします。
文法にも基本の基本があって、それを理解して最低限のことを覚えないことには、新しいものが出てくる都度、それを必死で暗記して取り敢えずテストである程度の点数が取っていても、その後絶対に伸びません。
そして、このような勉強法を英語だけでなく、すべての教科でやっている生徒が多いのです。


これは勉強に限らず、スポーツでもビジネスでも、子育てでも、人間関係でもなんでもそうでしょう。
自分なりに一生懸命頑張っているけれども結果が出ないと言うのは、上のような理由によります。


昨夜、後半に教えた生徒は、小学生のころから教えている現在高校3年生のTくんです。
彼のことについてはこれまでにも何度かこのブログに書いてきました(「成功の鍵はこれだ」他)。
昨日は英語のセンター試験模試をやってみたのですが、かなりの難問。
長文には彼の知らない単語や熟語もたくさん出てきますし、英文そのものもどこから取ってきたのか、普通の高校生では歯が立つレベルではありません。
読みながら知らない単語にアンダーラインを引きながら読み進んでいきます。
問題文を読み終わり、内容理解の問いに取りかかりました。
案の定、苦戦しています。慎重なTくんは何度も本文に戻り確かめながら解いていきます。
結果は、散々...ではなく、ほぼパーフェクト。
最後の一問だけ間違いました。
問題文に出てきたアンダーラインが引いてある知らない単語の意味を逆に取ってしまったからでした。
そこで、私はその単語の意味を直接教えず、接頭辞・語根・接尾辞に分けて示し、考えさせました。
すると彼の顔がパッと輝き、あっ、そうか!と、すぐに意味を悟り、正しい答えを導き出すことができました。
この他、文強勢の問題でも、高校生には非常に難しい問いでしたが、これまでにやってきた学びのすべてを活かして正しい答えを出しました。


これが正しい勉強法というものです。
応用がきき、しかもこのようにして身につけたことは実生活の中でも活かすことができるようになり、生活を豊かにします。
学校や塾での勉強が点数を取るためのテクニックになりがちで、子どもたちはそれが勉強だと思い、そのためほとんどの子が勉強は嫌いだと言っています。
「勉強は苦痛?」と思わせるような教育は実を結ばないばかりか、はっきり言って悪です。


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髪の毛まで一本残らず数えられている!

2013.07.22日

先日来、何度かこのブログでも取り上げた、うちの小さな小さな庭にできているトマトですが、次々と新しい実をつけて、しばしば食卓にも上っています。
最初、全部ミニトマトだとばかり思っていたところ、半分は普通のトマトということを妻から教えられました。
道理でどんどん大きくなっていって、いくら肥料と太陽と水があってもちょっとおかしいなと思っていました。
つい先日4〜5センチだったのが、今ではもう8〜9センチぐらいになったからです。でも、実はまだ青く硬いので、食べられるようになるのは当分先になりそうです。


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ミニトマトは次々とオレンジ色になり、赤くなると収穫していますが、実になる前の黄色い花がどんどん咲いてきています。
私はふと考えました。
いったいいくつぐらい実がなるのだろう。見ていたら、それこそ無限にできそうな気がしますが、無限ということはあり得ません。当然のことながら有限です。
でも、私たち人間にとっては、今の段階でこれから先、いくつの実がなるかは知る由もありません。


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こんなことを考えていたら、聖書の言葉が頭に浮かんできました。
「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている」
(マタイの福音書10:29-31)
なるほど、これからうちの庭にいくつのトマトの実がなるか私には想像もつかず、次から次へと咲く花を見ていて無限にできそうに思えるのですが、神様は初めからいくつ実がなるかご存じです。
私たちの髪の毛の数まで一本残らず数えておられるぐらいですから。


ということは、私たちの寿命ももちろん神様はご存じ。
その上で、聖書は「だから恐るな」と私たちに語りかけています。
すべては神様のみ手の中にあるのです。そのことがわかれば確かに何も恐ることはありません。
今日は、庭になるトマトの実を見ていてこんなことを考えました。


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商売の極意

2013.07.21日

まだつい3日前に「オシンドローム再来、いよいよか」という記事を書いたばかりなのですが、つい先ほど録画しておいた1週間分の「おしん」を見たところで、今日も「おしん」について書こうとしています。


上の記事に対して、「かじりついて見ていました」「おしん再燃、いいですね!」「今ロスでもやっています」と何人もの方がコメントしてくださいましたが、その中にマレーシアにお住まいのFBフレンドのマドレーヌさん(発音は正確には「マデレン」さん)が英語で次のようなコメントを送ってくださいました。
Hi! Joji-San, to my curiosity i checked on Youtube and i was pleasantly surprised i could view this drama online!. The subtitle in English is very good. So far i have watched a few episodes and guess i will also be glued to the computer as it gets more and more interesting. Here is a clip of the 1st episode. See whether the subtitle is accurate? Thank you.
「こんにちは、ジョージさん。好奇心からYoutubeで検索したところ、このドラマをネットで見られることを発見してとても驚くと同時に嬉しく思いました。英語の字幕スーパーはとても上手いです。いくつかのエピソードを見ましたが、なんと、どんどん面白くなってきて私もハマってしまいそうです。第1回目のエピソードをここに貼りますので、字幕スーパーが正確かどうかみてください。ありがとう」



早速見てみたところ、その字幕は実に見事なもので、日本語の難しいニュアンスを適確に英語で表していました。よろしければ皆さんも上のリンクからご覧になってください。


「おしん」を見ていて毎回、いくつも大切なレッスンを教えられています。
今日のレッスンは「商売の極意」です。
これまで紆余曲折あったおしんが伊勢に居を移し、そこでまた一から新しい仕事を始めます。
しかも、まったく経験のない魚の行商。
一日目はどれだけ回っても、いつも買う人が決まっているから、と言ってだれも相手にしてくれません。
そこで、畑仕事をしている最後に出会った人に、「このまま持って帰っても仕方ないので、ただで全部あげます。近所の人にも声をかけてください」と言って、全部あげてしまいます。
翌日も一匹も売れない。そこでおしんは、他の行商が仕入れ値に3割上乗せして売っているところを、自分はたったの1割増しで薄利多売を試みます。
おしんを世話している人がそんなおしんを見て感心し、「損をして、得を取るか…」と言っていましたが、まさにこれこそ商売の極意と言えるのではないでしょうか。
おしんはただこれだけでなく、他の人がしないような、お客さん一人ひとりのニーズに応える商売をし、法事の裏仕事や、畑仕事を手伝ったりもします。
このようにして、どんどん客を増やしていき、最初のうちは敵視されていた他の行商仲間からも1年後には一目置かれるようになります。


うちのアカデミー学院でも、まずはお客様である生徒、そしてそのご父母の方々お一人ひとりのニーズに応えることをモットーにしています。
そして、そのためにサービスや料金など、誠実を尽くすよう常に心がけています。
同時に私たちは先生たちも大切にします。
ですから先生たちはみんなとてもいい仕事をしてくれますし、在勤期間が非常に長い上に、何年も前に働いていた先生たちが何代にもわたって交流を続け、現在の先生たちとも一緒に何十人も忘年会に集まったり、夏のバーベキューや一泊旅行に集合したりします。これは私にとって大きな誇りです。


おしんの商売の極意ではありませんが、何事も誠心誠意、一生懸命やっていれば、結果は必ずついてくるものです。
そしてこれは商売に限ったことではなく、人間関係を始め、ありとあらゆることに通じます。


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わくわく発見クラブ レポート4

2013.07.20日

「わくわく発見クラブ レポート1」「わくわく発見クラブ レポート2」「わくわく発見クラブ レポート3」に続くシリーズ4回目をお届けします。


と、その前にちょっとコマーシャル。
「わくわく発見クラブ」じゃないですが、今、私もわくわく・ドキドキしていることがひとつあります。
それは、にほんブログ村の順位です。
学生時代、友人の多くがやっていた麻雀やパチンコ、競馬や競輪など賭け事や勝負事などは一切苦手で縁遠かったのですが、今回ばかりはちょっとこのにほんブログ村の順位が気になっています。
順位というのは、結果としてあとからついてくるもので、自分ではどうしようもないものです。しかし、多くの方の応援をいただいているというのは、ものすごい励みになります。
それで、今日の順位を先ほど見てみると、塾教育部門では火曜日からずっと1位ですが、6000人以上が参加している教育部門でも2位まで上がりました。しかも、1位に肉薄状態が続いています。


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これはやっぱり、わくわく、ドキドキしますね。
そうしたところ、最近Facebookでお友達になったKさんが、私のブログの熱烈な愛読者となってくださり、なんとこれまでのすべての記事を印刷してファイルしてくださっている、と昨日言ってきてくださったのです。
もう感謝、感激です。
そしてKさんも、やはり毎回ドキドキしながら順位を見ているということです。
Kさんを始め、応援してくださっている愛読者の皆さんにこの場をお借りして、心から感謝の気持ちをお伝えします。


さて、ここから今日の本番です。
「わくわく発見クラブ」は、アカデミー独自のもので、よその塾にないとてもユニークな小学生対象のクラスです。どうぞごゆっくりお楽しみになってください。クラス担当清田奈甫先生のレポートです。


わくわく発見クラブ 5月レポート
 5月の第1回目の授業では、水性ペンの色分離実験と、時計の大分解を行いました。低学年のクラスでは、水性ペンの色分離の実験が大好評で「もっとやりたい!」との声が多く、色を12色から32色に増やして再度実験をしました。すでにやり方に慣れている子どもたちは実験操作よりも「どんな色で作られているのか」「何色か組み合わせたらどうなるのか」「きれいな模様にするにはどうすればよいか」など考えられるようになっていました。実験は1回きりのものではなく、何度も行うことでより考察が深まります。これからも、好評だった実験や、子どもたちが興味をもった実験は何度でも取り入れていきたいと思います。また、高学年のクラスでは、前回調べた時計の知識を確かめるために実際に時計を分解しました。とても楽しそうに分解した子どもたちは、元通りに戻すにはどうすればよいかと考え、ぜんまいやモーターを設置する場所を一生懸命考えていました。教室では分解した時計を復活させることができませんでしたが、翌週「動いたよ!」と時計を持ってきてくれたYちゃん。「時計を組み立てられるなんて!」と感動してしまいました。
 第2回の授業からは、都道府県をテーマに活動しました。都道府県カルタを行って楽しく都道府県の名前と特産品を覚えています。低学年のクラスの子どもたちにとってはまだ難しい内容ですが、カルタで楽しみながら県の名前や特産品に触れています。また、日本地図をなぞったり、色ぬりをしながら楽しく勉強しています。
 高学年のクラスでは、毎回都道府県を1つ選び、各自で調べて発表し合っています。最初はもちろん「神奈川県」。KちゃんやYくんは一生懸命ノートにまとめてきてくれました。発表する内容や順番を考え、少し照れながらも一生懸命発表していました。また、友だちの発表についてメモをとったり質問したりすることもできました。学びの姿勢がすばらしいです。5月の授業では、神奈川県、沖縄、北海道について発表会を行いました。これからもさまざまなテーマで「興味を持つ」「調べる」「発表し合う」「考えを深める」「新たな発見から、さらに興味をもつ」のサイクルで考えを深めていきます。
 今月の四字熟語は「創意工夫」「一刀両断」「一部始終」でした。ぜひご家庭での話題の種になさって下さい。


わくわく発見クラブ 6月レポート
 6月わくわく発見クラブでは、5月に引き続き都道府県についての学習を中心に、実験を織り交ぜて活動しました。低学年と高学年で活動が違ったものになってきましたので、クラス別にご紹介します。
<低学年のクラス>
 第1回の授業では、「割り箸で作った線路の上に横一列に5つ並んだビー玉に、横からビー玉を1つ転がしてぶつけたらどうなるか?」という実験をしました。子どもたちの予想は「5つ全部が横に動く」でした。実際にやってみると、あら不思議!1つビー玉をぶつけたら、並んでいるビー玉の一番外側(ぶつけたビー玉とは反対側の端)にある1つだけが動き、はじかれたのです。これを見た子どもたちはビックリ!「え〜!うそ〜!どうして?」と何度も何度もビー玉をぶつけて確かめていました。そのうちYちゃんが「2つぶつけたらどうなるの?」と疑問を抱き、2つぶつけてみることにしました。すると並んだビー玉の端の2つがはじかれて動きました。「4つだったら?」「5つだったら?」と次々と実験を発展させた子どもたち。自分たちの力で「転がしてぶつけたビー玉の数だけ、ぶつけられたビー玉も動く」という法則を発見しました。Yちゃんの疑問がすばらしい発見を生みました。子どもたち自身が考え、試し、発見できるよう見守っていきたいと思います。
 第2回、第3回の授業では、都道府県の地図を切り抜き、パズルを作って日本地図を組み立てました。まだまだ都道府県の名前と位置は一致していませんが、実際に切ったり、触ったり、貼ったりしながら大きさや形を覚えていって欲しいと思います。また、都道府県カルタが大人気で、ゲームを楽しみながら都道府県の特産品を学んでいます。
 第4回の授業では、「水槽の中に一円玉を落とし、水槽の底の真ん中の的の上にぴったりと落とすことができるか!?」という実験をしました。水中では一円玉がひらひらと動き、予測不可能な場所に落ちます。子どもたちは落とす一円玉の向きや位置を変え、どうすれば目的の位置に落ちるのか試行錯誤をしていました。的の上に落ちると大喜び!さらに、一円玉を水に浮かせることにも挑戦しました。一円玉の周りの水がぷっくりと盛り上がっていることから、表面張力という難しい言葉も学びました。子どもたちにとって貴重な体験になったことを願っています。


<高学年のクラス>
 高学年のクラスでは、6月の4回の授業を通して段ボールで「空気砲」を作り、穴の大きさや段ボールの大きさによって威力がどのように変わるか実験しました。
 インターネットで空気砲の作り方を調べ、必要な材料と道具を考えることから始まりました。段ボールとカッターを使って工作できることが楽しくてたまらないようでした。「自分はどの大きさで作ろう?」「穴の大きさはどのくらいにしよう?」と悩み、一人ひとりがお気に入りの空気砲を完成させました。その結果、様々な大きさの様々な形の穴の空気砲ができました。
 次に、実験です。厚紙を折り曲げて的をつくり、いくつ的を倒すことができたかで威力を測ることにしました。空気砲を置く位置と的を置く位置を決め、順番に空気砲を発射して的を倒し、記録しました。
 今回の実験では、残念ながら正確に威力の違いを測ることはできませんでした。子どもたちは空気砲を打つことが楽しくなり、的を1つでも多く倒すことを目標にしてしまいました。できる限りの力を込めてたたいたり、「方向が少し違った、失敗した」などと何度もやり直したりして、箱の大きさや穴の大きさ以外の条件を変えてしまったのです。このことで、ちょっとしたケンカも起きました。実験後に皆で話し合いを行った結果、「最初に打つ回数や条件をきちんと決めなかったからこのようになってしまった」ということがわかりました。また、自分の楽しみを優先させてしまっては、仲良くできず、楽しくできなくなってしまうことも学びました。日を改めて再度実験を行い、調べたいことを実験して確かめるためには、きちんと計画を練っておかなければならなかった、と反省しました。最後にろうそくをたてに並べ、「何本のろうそくの火を消すことができるか」という実験をしました。
 今回の実験では正確に威力を測ることができませんでしたが、子どもたちは大切なことをたくさん学びました。この経験を活かして、さらに正確な実験ができるよう、再度機会を作って挑戦したいと思います。また、今月は実験の合間にカルタなどで触れてきた都道府県についても、調べ学習を再開していきたいと思います。
<今月の四字熟語>
 6月の四字熟語は「自画自賛」「後生大事」「百発百中」「先手必勝」でした。クイズ形式で復習問題を出したところ、特に高学年のクラスでは競って答えを言い合いました。子どもたちの暗記力に感心しました。子どもたちはポケモンや例文を手がかりに意味を理解できていますので、ぜひご家庭でも日常生活に取り入れてください。


皆さん、いかがですか?楽しそうでしょう。
小学生のためのクラスですが、おとなの方でも無料体験(?)、クラス見学歓迎しますよ。


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インド人もビックリ!

2013.07.19日

2年半ほど前、父が召天したとき、「瞬間最大風速?ランキング1位!」という記事を書いたのですが、今これを見てみると、そのときの「週間IN」ポイントはわずか850。これで1位だったのです。
で、現在の同じポイントを見ると1370。この2年半ほどの間に参加者も増えて、競争も激しくなったのでしょう。
あのとき以来、塾教育部門では結構長い間、ランキング1位をキープしていたのですが、ここ数か月はずっと2位〜3位に甘んじていました。


そもそも勝負事が嫌いな私は、このランキングというものにあまりこだわる方ではないのですが、塾のホームページを作ってくださった方に勧められて参加したのが始まりです。
そして、気にしていないと言いながらも、やはり多くの方々に読んでいただいて、それなりの評価をいただき、その結果が1位というのは、やっぱり素直に嬉しいものですね。
しかし、このランキング、実は「塾教育部門」でのもので、参加者は578人。その中での1位なんて、そんなに大したものではありません。
今日、この上に位置する教育部門(ありとあらゆる教育関係のものを含む)の順位をふと見てみると、6024人参加している中で、いつの間にか3位にまで上昇し、1位の方との差はわずか80ポイント。
これには正直、驚きました。「インド人もビックリ!」なんて、昔大流行りしたテレビCMが頭をよぎりました。
この分だとひょっとしたら、ひょっとして、なんて考えたりしています。


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(約50年前の「インド人もビックリ!」のヱスビーカレーテレビCMから)


それはそうと、今日の本題はこれからです。
昨日、面白い出来事がありました。
ある人からの連絡待ちで、平塚駅まで4.5キロの道のりを歩いて行って(ウォーキングの一環)、地下の食料品売り場にある椅子に腰かけて、いつものようにiPhoneをいじっていました。
すると突然、知らない人からFacebook上でチャットが入ってきたのです。しかも英語で。


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まあ、時間もあるのでお付き合いしようか、と返答しました。
すると、18歳の彼はインド人といいます。
偶然、私の名前を見つけたようで、私が日本人であることも知らずに声をかけてきたのです。


インドはもともと英領で、今も公用語は英語、公教育も英語でなされています。
ちょうど、昨日の朝知ったインドで起きた小学校の給食で22人もの生徒が毒物で死亡した、という事件について尋ねました。
すると、彼から戻ってきた返事には、
"thats write" (「その通り」のつもりなのですが、正確には That's right.")
"while the food was being prepared, one lizard fall into the food. And people who were making food, they dont know that"
(給食が料理されているとき、1匹のトカゲが食べ物の中に落ちたけど、料理している人たちは気づかなかった)
そこで、私は「たった1匹のトカゲで?ちょっと信ぴょう性に欠けるな。それに、もしそうだったら、なぜ校長は姿をくらましたの?インタビューに出てきてそう言えばいいじゃない」と書いたところ、返事は、
"yes u r write"
私が、「インドは今急成長している国だけど、まだまだ貧しい地域があるのですね」と書いたら、
"its all about corruption that in india thier are still poorers lives"
(すべては腐敗から始まっています。インドにはまだ多くの貧しい人たちが住んでいるのです)
日本のことについて尋ねられたので、「日本は世界でも有数の安全な国で、とても住みやすい」と答えました。
"ya that's write but natural calamity will happens anywhere...it doesnt look any country"
(そのとおり。でも天災はどこの国にも起こります)
なんとその英語たるや凄まじいのです。助動詞 will のあとに三単元の s がきたり、poorers なんて単語を勝手に生み出し、その複数形のあとに三単現の s をつけ、その他にも、
"after one moth my college was about to be started"
(1か月後に私の大学が始まります)
など、その英語があまりにもすごいので、私は彼に何歳から英語を学び始めたの、学校では英語を勉強しているんでしょ、と尋ねました。その返事は、
"when i was 3 yrs old, i started learning my studies in english"
(3歳から英語を学び始めました)
3歳で英語を学び始め、学校でも、日常の生活でも使い、それでこの文法と単語力。
私は彼に、周りの人たちもみんなそうなの?と尋ねると、いや自分は特別だ、周りの人はもっと英語がうまい、と言います。
じゃあ、なぜあなたは英語ができないの?と聞くと、練習不足だという返事。
いやあ、3歳から習い始めて、小中高と英語をやってきて、しかも日常生活でも英語を使っていて、練習不足はないでしょう、と私はインド人じゃないですが、まさに「インド人もビックリ!」。
そのことを指摘すると、じゃあ、今から私の英語を添削してください、と頼まれました。
このとき、チャットを始めてすでに50分。私のiPhoneの電池残量はもうほとんどゼロです。
ごめんなさい、またね、と言ってお別れしました。


それにしても、このインド人の青年の積極性には恐れ入りました。
3か月ほどの記事「チョット、チャット」の中にも書いたように、日本の青年もこのインド人青年に習って、もっともっと積極的に、貪欲に英語学習にとどまらず、外界に目を向けチャレンジしてもらいたいものです。


あっ、ちなみに今日はこれが2稿目です。愛読者の方何人かが一日に何回もクリックして応援している、なんて書いてくださっていましたが、何度クリックしても同じコンピュータからは1回分しかカウントされません。
それで、この記事のクリックは明日に回してください(笑)。
明日は久しぶりに新聞じゃないですが、「休刊日」にしようかと思っています。
とか言いながら、また書いてしまうかもしれませんが。
もしも、教育ブログで1位になったら、それこそ本当に「インド人もビックリ!」ですね。


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妻は夫を恋い慕う?

2013.07.19日

聖書の中の創世記に出てくるエデンの園とアダムとイブの物語はあまりにも有名です。
聖書を読んだことも、手に取って見たこともない人でも知っています。


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ここに面白い表現が出てきます。
つぎに女に言われた、「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。それでもなお、あなたは夫を慕い、彼はあなたを治めるであろう」(創世記3:16)


これは神様の言いつけにそむき、園の中央にあった禁断の木の実を取って食べたことに対して、神様がイブ(聖書の中ではエバ、英語ではイーヴ)におっしゃっている言葉です。
出産の痛みと苦しみはここから来ているのですが、それよりもそのあとの「あなたは夫を慕い、彼はあなたを治めるであろう」という言葉に注目したいと思います。
妻に恋い慕われれば夫は嬉しいのではないでしょうか。
しかし、それにもかかわらず夫は力づくで妻を支配しようとするというのです。


この「恋い慕う」という同じ言葉が、その直後に再び使われています。
「あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行なっていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたはそれを治めるべきである」(創世記4:7)
「罪があなたを恋い慕っている」というのは、とても怖い状況です。この言葉のもとの意味は、「誘惑する」で、罪が戸口で待ち伏せして女性を誘惑しようとしているというのです。


これに先立つところには次のような出来事がありました。
女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。
つまり、イブが最初にへびの誘惑に負けて木の実を食べ、それをアダムに与えているのです。
そして、神に叱られたとき、二人はどうしたかというと、言い訳ばかりして他人のせいにしました。
人は答えた、「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」。
そこで主なる神は女に言われた、「あなたは、なんということをしたのです」。女は答えた、「へびがわたしをだましたのです。それでわたしは食べました」。

(創世記3:12, 13)


罪は実に巧妙に人を誘惑し、だまします。そして、罪を犯した人はそれを素直に認めて謝ることができず、責任転嫁をしようとします。
人間の弱さ、罪の本質を見事に表しています。


さて、話をもとに戻して、イブはどのようにして夫を恋い慕っているか、すなわち誘惑しようとしているかと言うと、夫婦間の力関係においてです。
妻は無意識のうちに夫を自分の思いのままに動かそうとする傾向があります。そして、それに対して夫は妻のご機嫌取りをして妻の言うように動くのですが、それが何度か繰り返されると堪忍袋の緒が切れて、頭にくると言葉や力で妻をねじ伏せようとする。これを男性神経症と呼びます。夫婦間の問題というのは、ほとんどのケースこれに集約されそうです。
DVなどはその典型です。


夫婦が同じ権力を持っていると、ことあるごとに喧嘩になり、うまくいきません。一般に芸能人カップルに離婚が多いのもこれが一因と思われます。
そこで聖書は、男女のどちらが偉いかということではなく、秩序として妻は夫に従うようにと教えているのです。
でも、これでは妻の方は面白くありません。男女平等じゃない、と言いたくなります。


それでは夫に対して聖書はなんと言っているかというと、
夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。
(エペソ人への手紙5:25)
キリストはどのようにして教会(キリストを信じる群)を愛されたか、というとご自分の生命をささげてくださったのです。ということは、聖書は夫に対して「命がけで妻を愛せよ」と言っているのです。
これが聖書の教える夫婦間の秩序です。
どうでしょうか。命懸けで夫に愛されていたら、妻は喜んで夫に従えるようになるのではありませんか。
まあ、女性的な夫と男性的な妻の場合は、立場が逆転してもいいのですが。


わかりやすい例えで言えば、通常交差点内ではどの車も信号に従って走ったり止まったりしています。みんな平等で、ルールに従っているのです。
しかし、パトカーや救急車、消防車などは緊急時には赤信号でも進むことができます。これは緊急車両が他の車よりも偉いからではなく、優先順位を設けて秩序を保つためです。このような秩序がないとあちらこちらで自己主張して譲らず、喧嘩になったり事故になったりします(「長生きするための秘訣」)。


同様に、神様は健全な夫婦の関係を願って、力関係ではなく、秩序を設けらました。
そして、その神様の定められた秩序に従うとき、夫婦関係はうまくいくのです。
私自身、このところから深く教えられ、反省しきりです。もちろん、私が暴君だとか、妻を力づくでねじ伏せようとしているというわけではありませんが。


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オシンドローム再来、いよいよか

2013.07.18日

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(テヘランで「おしん」の放送に夢中になる家族)


イランで、NHKの連続テレビ小説「おしん」(1983〜84年)が再放送され、国民がテレビにかじりついている。
 イラン・イラク戦争(1980〜88年)時にも放送され、最高視聴率約90%を獲得。イラン国営テレビによると、その後再放送はなかったが、同テレビ系タマシャ・チャンネルが5月、毎晩午後10時の再放送を始め、ブームに再び火がついた。
 イランでは現在、視聴率の定期調査はないが、同チャンネルの6月末の視聴者調査では、「おしん」を好きな番組と答えた人は58%で断トツ。同国では毎晩、イラン警察の特集番組が放送されていたが、警察庁長官は8日、記者団に「家族と一緒に『おしん』を見ている」と答えた。
最近まで同時間帯に警察の
 80年代の「おしん」人気の背景は、主人公の辛苦が戦時中のイラン人と重なったことがある。国営テレビ関係者は再ブームについて「米欧の経済制裁で国民(の気分)は沈んでいる。戦争時と似たような状況が理由では」と指摘した。
「おしん」は、貧しさから奉公に出された主人公がたくましく生きる物語。80〜90年代に世界70か国以上で放送され、人気を呼んだ。

(7月18日付 読売新聞 7面)


「おしん」は日本でも今年に入って、NHK BSで日曜日に1週間分をまとめて放送しており、妻も私もすっかりハマってしまいました。毎週、日曜日の楽しみのひとつになっています。
このブログでも取り上げて「オシンドロームよ、再び!」という記事を書き、オシンドロームの再来を願っている、と書きました。
すると、それから1か月もたたないうちに「おしん」の映画化が決まった、というニュースを知り、再び「オシンドローム、再来なるか!」という記事を書きました。
この約5か月後の今日の新聞に再び冒頭のイランでの記事が載り、私の想いが通じたか、と思うほどです。


でも、私の本当の願いは、今、尖閣諸島や竹島問題で関係がぎくしゃくし、お互いにちょっと感情的になり過ぎているお隣の中国と韓国でオシンドロームが再び起きることです。おしんは本当に日本の美徳の象徴だと思います。
日本でも、学校の道徳の時間などにこの番組を生徒に見せる方が、孔子や老子、ガンジーなどの名前を暗記させるよりよほど効果があると思うのですが。


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技術立国、将来の日本を担う青少年を育てよ!

2013.07.17日

一昨夜、「未来世紀ジパング」というテレビの番組で、“世界一美しい星空”−アンデスで進む日の丸天文台プロジェクト!−をやっていました。
これを見て、もう感動!


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このプロジェクトには日米欧20の国と地域が参加し、南米チリの標高5000mの高原に直径18km(東京・山手線内に匹敵)に66台ものパラボラアンテナを建設し、それらが合わさって一台の巨大電波望遠鏡になるというのです。その精度たるや、ハッブル宇宙望遠鏡の10倍以上といいます。
日本は早くから参加を表明していましたが、予算の関係で2年も出遅れたにもかかわらず、なんと他の国々を抜いて一番にパラボラアンテナを設置したのです。
しかも、そのアンテナ1台の重さは100トン、数億円もかかります。そして、どれぐらいの精度が求めれるかというと、なんと分度器の1°をさらに36000分の1に分割した精度で動かすというとんでもないものです。
それを日本の下町の工場を含む中小企業80社が集結して取り組み、アンテナ表面の凹凸誤差を、なんと1000分の4ミリで、ベテラン職人が1つ1つ丹念に磨き上げて完成させたというから驚きです。
これには心底度肝を抜かれました。


別のテレビ番組のものですが、それを紹介しているものをYouTubeで見つけましたので、どうぞご覧ください。



世界最大の電波望遠鏡に生きる日本の職人魂 投稿者 samthavasa


労働力の安さで商品の価格を大きく下げ、日本を抑えて国際舞台に突如躍り出た中国や韓国の電気・電子機器メーカーとは違い、やはりここに技術立国である日本が生き残る道が残されています。
冒頭の「アルマ」と呼ばれる巨大電波望遠鏡プロジェクトでは、今日本が牽引役を果たしています。
このプロジェクトには、宇宙のルーツ、人類のルーツを探るという大きなテーマがあります。
宇宙や人類が生まれるためには、すでにそれに必要なものが存在していたはずだ、と番組の登場人物が語っていました。
でも、たとえこの巨大電波望遠鏡のさらに何百倍、何千倍もの精度の高い望遠鏡ができて、宇宙のかなり遠くまで調査できるようになったとしても、宇宙や人類のルーツを見つけることは不可能です。
宇宙や人類など生命の源となる物質がすでにあった、ない物から何かが生まれることはない、という前提がもっともらしく語られていましたが、それではその元になるものはどのようにして存在するようになった
のか、という結局堂々巡りの議論になり、そのようなところから答えなど出るわけありません。
神の存在抜きに、宇宙も人類もいかなる生命体も存在し得ないのです。
無から有を創り出すことができるお方は神のみです。


いずれにせよ、日本が誇る技術力、これが日本の将来の鍵を握っています。
そして、それを担うのが現在の青少年です。
私がいつも繰り返して言っている、教育の大切さはここにあります。国の、いや世界の未来を動かすのは子ども達です。そして、そのためには、ただ単にテストで点数を取らせ、受験で目標を達成できるような安易な教育に頼っていてはだめなのです。
ものごとの真理を追求するような学究的な心が今、もっとも必要とされます。


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仕事の価値

2013.07.16日

私は英語教室・学習塾の仕事をほぼ30年やってきています。
高校1年のとき初めてやったアルバイトは近所のガソリンスタンドの仕事でした。
でも、よく考えてみたら小学2年生のときにそれこそ生まれて最初のアルバイトをしていました。
それは、日本酒月桂冠のテレビのCMとカレンダーのモデルでした。
今日、そのときの写真を発見しました。本邦初公開です。(ちょっとボケていますが)


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このときの様子を「時代の変遷」に書きましたので、よろしければご覧ください。
その後、小学生のころはTVタレント、舞台・映画、高校生以降は金糸製造工場、花屋、衣料品の梱包、ダンボール加工、プリント布地の色抜けの修正、行楽地でのホットドッグ販売、大手塾の電話アポ取り、コンサート会場のガードマン、家庭用品の訪問販売、土産物屋のセールス、引越し屋、ビルの清掃、貿易業、家庭教師、塾講師、大学講師、語学学校講師、通訳、翻訳、カウンセラー、セミナー講師、サラリーマン、キリスト教牧師等を経て、現在の学習塾の仕事に至ったのです。


以下は先日、Facebookにシェアされていた「涙が止まらない」からの転載です。少し長くなりますが、とても感動的なお話ですのでお付き合いください。
「あるレジ打ちの女性」
その女性は何をしても続かない人でした。
田舎から東京の大学に来て、部活やサークルに入るのは良いのですが、すぐイヤになって、次々と所属を変えていくような人だったのです。
そんな彼女にも、やがて就職の時期がきました。
最初、彼女はメーカー系の企業に就職します。
ところが仕事が続きません。
勤め始めて3ヶ月もしないうちに上司と衝突し、あっという間にやめてしまいました。
次に選んだ就職先は物流の会社です。
しかし入ってみて、自分が予想していた仕事とは違うという理由で、やはり半年ほどでやめてしまいました。
次に入った会社は医療事務の仕事でした。
しかしそれも、「やはりこの仕事じゃない」と言ってやめてしまいました。


そうしたことを繰り返しているうち、いつしか彼女の履歴書には、入社と退社の経歴がズラッと並ぶようになっていました。
すると、そういう内容の履歴書では、正社員に雇ってくれる会社がなくなってきます。
ついに彼女はどこへ行っても正社員として採用してもらえなくなりました。
だからといって生活のためには働かないわけにはいきません。
田舎の両親は早く帰って来いと言ってくれます。
しかし負け犬のようで帰りたくはありません。
結局、彼女は派遣会社に登録しました。
ところが派遣も勤まりません。
すぐに派遣先の社員とトラブルを起こし、イヤなことがあればその仕事をやめてしまうのです。
彼女の履歴書には、やめた派遣先のリストが長々と追加されていきました。


ある日のことです。
例によって「自分には合わない」などと言って派遣先をやめてしまった彼女に、新しい仕事先の紹介が届きました。
スーパーでレジを打つ仕事でした。
当時のレジスターは今のように読み取りセンサーに商品をかざせば値段が入力できるレジスターではありません。
値段をいちいちキーボードに打ち込まなくてはならず、多少はタイピングの訓練を必要とする仕事でした。
ところが勤めて1週間もするうち、彼女はレジ打ちにあきてきました。
ある程度仕事に慣れてきて
「私はこんな単純作業のためにいるのではない」と考え始めたのです。
とはいえ、今までさんざん転職を繰り返し、我慢の続かない自分が彼女自身も嫌いになっていました。
もっとがんばらなければ、もっと耐えなければダメということは本人にもわかっていたのです。
しかしどうがんばってもなぜか続かないのです。
この時、彼女はとりあえず辞表だけ作ってみたものの、決心をつけかねていました。
するとそこへお母さんから電話がかかってきました。
「帰っておいでよ」
受話器の向こうからお母さんのやさしい声が聞こえてきました。
これで迷いが吹っ切れました。
彼女はアパートを引き払ったらその足で辞表を出し、田舎に戻るつもりで部屋を片付け始めたのです。
長い東京生活で、荷物の量はかなりのものです。
あれこれ段ボールに詰めていると、机の引き出しの奥から1冊のノートが出てきました。
小さい頃に書きつづった大切な日記でした。
なくなって探していたものでした。
パラパラとめくっているうち、彼女は
「私はピアニストになりたい」と書かれているページを発見したのです。
そう。彼女の高校時代の夢です。
「そうだ。あの頃、私はピアニストになりたくて練習をがんばっていたんだ。。。」
彼女は思い出しました。
なぜかピアノの稽古だけは長く続いていたのです。
しかし、いつの間にかピアニストになる夢はあきらめていました。
彼女は心から夢を追いかけていた自分を思い出し、日記を見つめたまま、本当に情けなくなりました。
「あんなに希望に燃えていた自分が今はどうだろうか。
履歴書にはやめてきた会社がいくつも並ぶだけ。
自分が悪いのはわかっているけど、なんて情けないんだろう。
そして私は、また今の仕事から逃げようとしている。。。」


そして彼女は日記を閉じ、泣きながらお母さんにこう電話したのです
「お母さん。私 もう少しここでがんばる。」
彼女は用意していた辞表を破り、翌日もあの単調なレジ打ちの仕事をするために、スーパーへ出勤していきました。
ところが、「2,3日でいいから」とがんばっていた彼女に、ふとある考えが浮かびます。
「私は昔、ピアノの練習中に何度も何度も弾き間違えたけど、繰り返し弾いているうちに、どのキーがどこにあるかを指が覚えていた。
そうなったら鍵盤を見ずに楽譜を見るだけで弾けるようになった」
彼女は昔を思い出し、心に決めたのです。
「そうだ。私は私流にレジ打ちを極めてみよう」と。
レジは商品毎に打つボタンがたくさんあります。
彼女はまずそれらの配置をすべて頭に叩込むことにしました。
覚え込んだらあとは打つ練習です。
彼女はピアノを弾くような気持ちでレジを打ち始めました。
そして数日のうちに、ものすごいスピードでレジが打てるようになったのです。


すると不思議なことに、これまでレジのボタンだけ見ていた彼女が、今まで見もしなかったところへ目がいくようになったのです。
最初に目に映ったのはお客さんの様子でした
「ああ、あのお客さん、昨日も来ていたな」
「ちょうどこの時間になったら子ども連れで来るんだ」とか、いろいろなことが見えるようになったのです。
それは彼女のひそかな楽しみにもなりました。
相変わらず指はピアニストのように、ボタンの上を飛び交います。
そうしていろいろなお客さんを見ているうちに、今度はお客さんの行動パターンやクセに気づいていくのです。
「この人は安売りのものを中心に買う」
とか
「この人はいつも店が閉まる間際に来る」
とか
「この人は高いものしか買わない」
とかがわかるのです。


そんなある日、いつも期限切れ間近の安い物ばかり買うおばあちゃんが、5000円もするお頭付きの立派なタイをカゴに入れてレジへ持ってきたのです。
彼女はビックリして、思わずおばあちゃんに話しかけました。
「今日は何かいいことがあったんですか?」
おばあちゃんは彼女ににっこりと顔を向けて言いました。
「孫がね、水泳の賞を取ったんだよ。今日はそのお祝いなんだよ。
いいだろう、このタイ」と話すのです。
「いいですね。おめでとうございます」
嬉しくなった彼女の口から、自然に祝福の言葉が飛び出しました。
お客さんとコミュニケーションをとることが楽しくなったのは、これがきっかけでした。
いつしか彼女はレジに来るお客さんの顔をすっかり覚えてしまい、名前まで一致するようになりました。
「○○さん、今日はこのチョコレートですか。でも今日はあちらにもっと安いチョコレートが出てますよ」
「今日はマグロよりカツオのほうがいいわよ」などと言ってあげるようになったのです。
レジに並んでいたお客さんも応えます。
「いいこと言ってくれたわ。今から換えてくるわ」
そう言ってコミュニケーションをとり始めたのです。
彼女は、だんだんこの仕事が楽しくなってきました。
そんなある日のことでした。
「今日はすごく忙しい」と思いながら、彼女はいつものようにお客さんとの会話を楽しみつつレジを打っていました。
すると、店内放送が響きました。
「本日は大変混み合いまして大変申し訳ございません。どうぞ空いているレジにお回りください」
ところが、わずかな間をおいて、また放送が入ります。
「本日は混み合いまして大変申し訳ありません。重ねて申し上げますが、どうぞ空いているレジのほうへお回りください」
そして3回目。


同じ放送が聞こえてきた時に、初めて彼女はおかしいと気づき、周りを見渡して驚きました。
どうしたことか5つのレジが全部空いているのに、お客さんは自分のレジにしか並んでいなかったのです。
店長があわてて駆け寄ってきます。
そしてお客さんに
「どうぞ空いているあちらのレジへお回りください」と言った、その時です。
お客さんは店長に言いました。
「放っておいてちょうだい。
私はここへ買い物に来てるんじゃない。あの人としゃべりに来てるんだ。だからこのレジじゃないとイヤなんだ」
その瞬間、レジ打ちの女性はワッと泣き崩れました。
お客さんが店長に言いました。
「そうそう。私たちはこの人と話をするのが楽しみで来てるんだ。
今日の特売はほかのスーパーでもやってるよ。だけど私は、このおねえさんと話をするためにここへ来ているんだ。
だからこのレジに並ばせておくれよ。」
彼女はポロポロと泣き崩れたまま、レジを打つことができませんでした。
仕事というのはこれほど素晴らしいものなのだと初めて気づきました。
すでに彼女は昔の自分ではなくなっていたのです。
それから、彼女はレジの主任になって、新人教育に携わりました。
彼女から教えられたスタッフは、仕事の素晴らしさを感じながら、お客さんと楽しく会話していることでしょう。
出典元 (木下晴弘著『涙の数だけ大きくなれる! 』フォレスト出版)


嫌々やっているのと、楽しくやるのとでは、こうも違うものなんですね。
視点を変えるだけで、周りの世界も劇的に変わるんですね。
思いやりの心が薄れていく中、心が温かくなりました。
良かったらシェアお願いします。


読み終わったとき、私も胸が熱くなりました。
最後尾を見ると、何と11万人以上の人たちが「いいね!」をクリックしています。


仕事の数でいったら私も彼女に負けないほどいろんなことをやってきましたが、長く続かなかったというより、自分の経験のためにやってきたことで、それぞれみんな楽しみ、同時にたくさんのことを学んできました。そして、これらの経験が今、みんな役立っています。


反人道的、反社会的なものでもない限り、仕事に「いい、悪い」などありません。どれも、その一つひとつが尊い働きで、社会に、そして人々に貢献しているのです(「自分のすることに誇りを持て」)。


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楽しみができました

2013.07.15日

次男の部屋が所狭しと、物であふれかえり、床には本が山積みになっていて、さらに隣の部屋にまで侵入しています。
本棚を買いたい、と数日前に言ってきたのですが、部屋には天井にも届くほどの大きな本棚があります。ところが、その本棚は私が全部占領してしまっていて、次男はその隣にある小さなスチール製の本棚を使っています。
申し訳なくなって、私の本を全部出すからそこを活用して、と言い、今日の休みはその整理に時間を当てることにしました。
いつも利用している近くの青空市場で数日前にダンボール箱をいくつかもらってきて置いてあったのですが、先延ばしにいていたのです。
箱に詰め始めると、あるわあるわ。
しかも大きな本棚で奥行もあるので、ひとつの棚の後ろと前に本が二列になって置いてあります。
かなり大きなダンボール箱ですが、もらってきた5箱を全部使ってもまだ本棚にはたくさん本が残っています。
今日だけで多分、数百冊片づけたと思うのですが、また明日にでも追加でダンボール箱をもらいに行かなければなりません。
箱は、資源再生に出すものと、ネットオークションに出すもの、そして手元に置いておくものに分けました。
いざとなるとなかなか捨てがたいもの、とくに昔専門としていた言語学や英語関係の本やキリスト教関係のものはそうです。


ある一段は前後ともほとんど全部、同じ著者による本が占めていました。
そして、私が一番捨てがたいと思ったものは、なんとおそらく一番安物のこの一段を占拠していたシドニィ・シェルダンの英語のペーパーバックでした。その日本語訳もかなりあるのですが、これはブックオフなどの中古書店に行くと1冊100円ぐらいから売っているものです。
新しいものが出るたびに私が先に英語版を読んで、それがあまりにも面白くて、のちに妻や子どもたちにも薦めて日本語訳を買っていたのです。
箱に詰める前に撮った写真がこれです。


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シドニィ・シェルダンについては「明日がある」を始め、これまでにも何度かこのブログに書いてきました(ご興味のおありの方は、ページ左上コーナーの「エントリー検索」をご利用ください)。
まだお読みになったことがない方は、英語が得意でしたら英語版のペーパーバックを、そうでない方は日本語版がまだブックオフなどで売っていますので、それをお薦めします。
とにかく、一旦読み始めたらもう食事をするのもトイレに行くのも忘れるほどハマってしまい、やめられなくなってしまいます。


今、大学1年生になっているアカデミーの卒塾生が、今朝Facebookに「最近、英語の本を読むのが楽しい」と書いているのを見て、私は「すご〜い!」と褒めて、シドニィ・シェルダンのペーパーバックを薦めたのですが、考えてみたら大学生にはちょっと難しかった、とあとで思いました。
でも、英語を勉強している人には、このシドニィ・シェルダンのペーパーバックをぜひお薦めしたいと思います。英語力がつくことは請け合いです。


シドニィ・シェルダンはベストセラー作家で、多くの作品がテレビドラマ化され、日本でも放映されましたが、どれもこれもつまらなくてがっかりでした。また、ナレーターが朗読しているCDもいくつも買って聴いたのですが、これもつまらない。
逆に、今日整理していて出てきた「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は映画はめちゃくちゃ面白かったのに、ペーパーバック版は全然面白くなかった。面白いものです。
シドニィ・シェルダンは、そのほとんどを何度も繰り返し読み、ストーリーも、ときには言葉まで覚えているほどだったのですが、それでも毎回、本当に楽しませいただきました。
どこでこういう違いが出てくるのでしょう。
捨てずにとっておくことにしたシドニィ・シェルダン、また一冊一冊読むのが今から楽しみです。


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私の隣人とは

2013.07.14日

昨日の読売新聞「人生案内」より。
友人とは何か悩む
30歳を目前にした公務員男性です。「友人」とは何なのか、悩んでいます。
友人と呼べる存在はいますが、自分の側だけが友人だと思っているのではないかと考えてしまいます。「今度、いつ空いてる?」「飲みにでも行く?」と誘うのは、いつもいつも自分。自分が動かないと、会うことも遊ぶこともありません。自分ばかりが声をかけるむなしさを感じます。
大学を卒業する時に、友人と呼べる存在を作ろうとしなかったことに気づき、社会人になって積極的に動き、出会いを広げようとしました。「求めよ、さらば与えられん」と言いますが、「与えられた」と感じたことはほとんどありません。
自分は「つまらないやつ」と思われているのでしょうか。趣味もないので関係が広がらないのでしょうか。
花火大会や海水浴など自分には無縁です。そんな話を聞くと孤独感が強くなり、つらくなります。若いうちに親友や仲間という存在を感じられない自分は人生の負け組ですか。自分の今までの人生は何だったのでしょうか。(神奈川・T男)
    ◇
友だちを作るのを、いちどやめてみませんか?
あなたは友だちというのを、いっしょに飲む仲間、あるいは祭りや海水浴などでいっしょに遊ぶ人というようにイメージされているようですね。たしかに仕事の後で息抜きしたいとき、だれも横にいないのは寂しいものです。
ごはんも一人で食べるより、仲間と食べるほうがうんとおいしい。けれどもそれがおいしいのは、相手が自分にとって大切な人だからです。苦楽をともにしてきたという共通の思いがあるからです。
楽のみならず苦をともにしてきたというこのことが、たがいの信頼というものを築きます。地域社会の結束も、日々の暮らしを、伝統行事を手をたずさえて守ってきた、災害を、戦乱を力を合わせてくぐり抜けてきた、という体験をとおして育まれます。
遊びや飲み会に誘うよりも、相手が苦労している仕事に思いをはせる、もがいている相手に脇から手を差しだす、そんな小さな思いやりが後で大きな意味をもってきます。友だちというのは、「作る」ものでなく「なる」ものです。
  鷲田 清一(哲学者)

(7月13日付 読売新聞17面)


今日の礼拝の柿谷牧師のメッセージは、「誰が私の隣人か?」というタイトルでした。
聖書の中でもとても有名なルカの福音書10章、善きサマリヤ人のたとえ話からです。
ユダヤ人の律法学者が同じユダヤ人であるイエスに、永遠の生命を受けるために何をすべきかと問いかけたところ、イエスは逆に律法にはどうあるかと尋ね返します。
律法学者が、「神を愛し、隣人を愛する」と答えたところ、イエスは「正しい、その通りにしなさい。そうすればいのちが得られる」と答えます。
律法学者が「隣人とは誰のことですか」と尋ねると、イエスは次のたとえ話をします。
ある人がエルサレムからエリコに向かう道中で、強盗に襲われて身ぐるみはがされ、半殺しになって道端に捨てられていました。
祭司、そしてレビ人といったいわゆる聖職者はこの人を助けずに通り過ぎます。
しかしユダヤ人からとてもに嫌われていたサマリア人は、この大怪我をした人の手当てをし、自分の家畜に乗せて宿屋まで運び、介抱します。翌日、宿屋に怪我人の世話を頼んで費用まで出して出かけました。
このたとえ話をした後、律法学者に対してイエスが、このたとえ話の中で怪我人の隣人は誰かと尋ねたところ、「助けたサマリア人です」と彼は答えます。
するとイエスは、「あなたも行って同じようにしなさい」と言った、というストーリーです。


柿谷牧師は、メッセージのまとめとして、「隣人とは友人ではない。出会った人、神があなたの隣に置いてくださった人のことである。あなたの隣人は誰か。あなたはどのような隣人になりたいか。隣人に今週一週間何ができるか」と問いかけられました。


冒頭の「人生相談」の中で質問者のT男さんが、人から遊びや飲みに誘われるのを待っているけど誘われない。自分の方ばかり誘っているのはむなしい。「親友や仲間という存在を感じられない自分は人生の負け組ですか。自分の今までの人生は何だったのか」と言っています。


確かに、どのような友人も最初は隣人です。神があなたの隣に置いてくださった人です。
まずは神が自分の隣に置いてくださった隣人に対して何ができるかを考え、そしてそれを実行するところから、人間関係が友人へと発展していくのです。


私は自分の隣人とは誰か、考えました。
近所に住んでいる人たちだけが隣人ではありません。
神様が私の隣に置いてくださった人たち、たとえば、仕事の仲間であるアカデミーの先生たちや生徒、その生徒を送ってくださっているご父母の方々、これまで学校や職場などさまざまなところで出会ってきた人たち、さらにこのブログを通して、あるいはFacebookを通して知り合った方々、など挙げ出せば切りがありません。


礼拝後、妻と一緒に近くのショッピングモールに出かけましたが、そこでアカデミーの生徒とそのご家族ふた組に、さらに10年以上も前にうちで先生をしていた方でつい先日結婚されたばかりの素敵なカップルにも出会い、この人たちも私の隣人だと気づきました。


私が今週、これらの人たちにできることは何か。
ひとつはこのブログを通してメッセージを送ること。また、声をかけてあげること。耳を傾けてあげること。
さらに自分に何ができるか、毎日考えながら生活しようと思いを新たにしました。


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豊かにまくと豊かに刈り取る

2013.07.13日

先日、「超特大と超極小」という記事の中に、我が家の猫の額ほどの庭にトマトがなっていると書きました。
今朝、いつものように水やりしていて気づいたのですが、10日ほど前には1mぐらいだったのが、いつの間にか背丈近くまで大きく成長し、まるでジャングルのように密生しているのです。
しかもよく見ると、もう何十個もの実をつけていて、一番下の実は赤く色づいてきていました。
初なりをいただいた時、超極小だった実は、今や直径4〜5cmほどの大きさになっていました。


トマトの隣には獅子唐の実が10個以上ついています。
全然肥料をやっていないのに、と思っていたら、実は数年前に駐車場のスペースを作るために庭の一部を壊し、その時「猫の額」ほどになった小さな庭に、娘が残っていた肥料を全部まいたということでした。


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なるほど、そういうことだったのか。
「まかぬ種は生えない」という諺があります。
「種をまかなければ、芽も出ないし花も咲かない。良い結果を得たい時は、そのために必要な努力をしなければならない。何もしないで結果だけ期待しても無理である。何事も原因があって結果が生まれる」という意味です。


トマトも獅子唐も妻がガソリンスタンドでレディースデーに苗をもらってきて植えたもの。
そこは肥料がたっぷり含まれていた土地で、しかも毎日、湘南地方の暖かい陽射しをたっぷり受け、そして私の毎朝の愛情たっぷりの水やり。
トマトも獅子唐もたくさん育つわけです。


聖書には、
「少ししかまかない者は、少ししか刈り取らず、豊かにまく者は、豊かに刈り取ることになる」
(IIコリント9:6)
また、
「涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る」
(詩篇126:5)
という言葉があります。


これはいろいろなことに当てはまります。
生徒や学生であれば、今やっている勉強に、職に就いている人の場合は仕事に、親ならば子育てになどなど。
何事も決してたやすくありません。みんな、それぞれに苦労があります。しかし、今の苦労はのちに想像もつかないほど大きな祝福となって返ってくるのです。


私は庭のトマトと獅子唐を刈り入れるために別に涙を流したり、それほど汗したわけではありませんが、背後で農家の方が種をまいて苗を育ててくださったのです。そこには確かに苦労があります。
また私の水やりなどたかが知れていますが、それでも面倒くさがってサボっていたり、忘れていたりしたらやはり実を刈り取ることはできません。


ということで、今晩の料理は焼きそばになりましたが、採れたての自家製無農薬獅子唐が入っていました。
いつも食べる焼きそばより2倍も3倍も美味しくて、普段の倍も食べてしまいました。


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この親にして、この子あり

2013.07.12日

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私は、岡山で小さな病院の受付事務をしています。
内科、小児科が専門ですが、十年前のある日の夕暮れ時、病院の待合室で起った出来事です。
狭い待合室に、三人の患者さんがいました。
その中に、学校の先生が二人おられたのです。
一人は五十半ばの女の先生。もう一人は三十過ぎの男の先生です。
そこへ、顔色の悪い女の子を連れたお父さんが、入って来ました。
どうやら、こちらは初めての患者さんのようです。
私は受付のガラス窓から、保険証を受け取り、カルテを作っていました。
ところが、「ウェー」という声がしたのです。
急いで顔を上げると、先ほどの女の子が食べていたものを吐き出し、それをちょうど真向いに座っていた男の先生が、自分の両手で受け止めていたのでした。
他人の嘔吐物を、父親ではなくて、見ず知らずの他人が、素手で受け止めていたのです。
私は驚いて声も出ませんでした。


そして、世の中にはこのような人もいるのかという衝撃で体中に熱いものが走りました。
それは、勇気などというものではなくて、とっさの場合に出た自然の行為で、平素から子供に対して深い愛情を注いでいるに違いないこの先生の、豊かな人間性に他ならないと思ったからです。


 (中略) 


看護婦さんが、急いで雑巾で後始末をされましたが、もう一人の女の先生は、自分の足元あたりを指差して、
「このあたりまで飛び散っていますよ」
と言われただけでした。


そして何ヵ月かたった、ある日のことです。
その日は待合室が大変混んでいました。
風邪がとても流行っていたのです。
玄関には、脱いだ履物が散乱していました。
そこへ小学校高学年くらいの男の子が入って来ました。
男の子は靴を脱ごうとして立ち止まり、すぐにしゃがみこんで、散らかっている履物をきちんと揃え始めたのです。
今どき、珍しい子がいるなあと思って感心しました。
男の子は揃え終わると、自分の靴を脱いで、私の前まで来て、保険証を出しました。
差し出された保険証には、何と数ヵ月前、他人の嘔吐物を素手で受け止められた先生の名前が書いてあったのです。


やはり、この親にして、この子ありなんですね。
私はなんとも言えない感動で胸が一杯になりました。
男の先生がとった行動は、考えたらできないことだと思います。
とっさにそういう行動が出るところにこの先生の人柄が現れていますね。


子は親を見て育つ。

これも自然な流れなのだと思います。
染み付いてしまっているものは変えられないかもしれません。
しかし、少しでも変えられるように意識的にい生きようと思います。


昨日、この記事をFacebookで見た私はたいそう感動し、さっそくシェアさせていただきました。
反響はとても大きかったです。ほかにもこの話をシェアしていらっしゃる方がきっと大勢おられることでしょうから、かなり多くの人の目に留まっているのではないかと思われます。
私が今日のブログでこの記事を再シェアしようと思ったのは、Facebookでつながっていない方々にもぜひとも読んでいただきたいと思ったからです。
このような心温まる話が人々の間でどんどん広まっていくと、それだけでも社会は一歩一歩前進し、より良い方向に進んでいくのではないかと思います。
殺伐としたこの社会で、このような涼風をもたらしてくれるFacebookの働きに心から感謝しています。


それにしても、タイトルのように「この親にして、この子あり」は真実ですね。
私たち親の責任の大きさをつくづく思い知らされます。また、同時に学校や塾の先生など、普段から子どもたちに接する職に就いている人たちも同様の責任を負っていることを自覚しなければなりません。


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視点を変えると世界が変わる!

2013.07.11日

昨日Facebookを見ていたら次のような面白いものに出会いました。


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それで下のような日本語訳をつけてシェアさせていただきました。
「ロバの背にふたりも乗ってる。かわいそうに!」
「奥さんを歩かせるなんてなんてひどい人なの!」
「奥さんをひとりで乗せるなんてバカだね!」
「ロバの使い方も知らないなんてバカじゃない!」
とかく社会とはこういうもの。


いつもだと、私が面白いなと思ったものはほとんど小川先輩が訳してアップしてくださっているので、今回も一応チェックしたのですが、小川さんがまだやっていらっしゃらないようなので、自分で訳をつけて皆さんに見ていただきたいと思った次第です。
しかし、本当に私が言いたかったことは、上のことではなく、ちょうどその正反対のことです。


英語がわからないとして、このような翻訳がついていたらどうでしょう。
「ふたりも乗せてる。偉いロバだね!」
「ご主人思いの優しい奥さんだね!」
「奥さんのことを本当に大切にしているご主人、すごいね!」
「ロバをいたわって自分たちは歩いている。偉い人たちだね!」
社会とはこのようにあるべきもの。


同じ絵を見ても、視点を変えると世界がまったく正反対に見えます。
とかくこの世は、社会を、人々を批判的に見がちです。そして、裏でとやかく陰口をたたくものです。
でも、このような優しい心遣いをして、お互いにいたわり合うなら社会は変わります。
そして、あなたの人生も変わります。
あなたはどちらの生き方を選択しますか?


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天は二物を与えず?

2013.07.10日

「天は二物を与えず」ということわざがあります。ひとりの人はそういくつも才能や長所を持っているものではない、という意味です。
しかし最近、塾の生徒を見ていてつくづく感じることは、小学生でも中学生や高校生でも、みんないくつもたくさんの才能や長所を持っているということです。このことわざは「天は二物を与える」と書き換えなければならないのではないかと思っているほどです。


まず、皆さんに言いたいことは、「自分の能力、才能、長所はこんなものだ」と決めつけてはいけないということです。このように考えると、自分が卑屈になってしまいます。
そして卑屈になると、天(神様)から与えられたさまざまな才能すら十分に発揮できなくなってしまいます。これでは、神様に対しても、また両親に対しても、申し訳ありません。


テストで高得点を取る友達がいると、「あの人は頭がいいから」と言う生徒がよくいます。
しかし、この表現は間違っています。たとえ頭が良くても、その能力を努力して精一杯発揮していなければ、それはどのような結果も生みません。テストでいい点を取る生徒はまず例外なく、陰で一生懸命努力しています。逆に、テストで点が取れないと「自分は頭が悪いから」と言う生徒がいますが、これも同様に間違っています。ただ努力していないだけのことです。


人と比較すること自体が意味のないことです。人と比較すると、自分のほうが少しでも優れていると思うと、うぬぼれることになりますし、反対に自分のほうが人よりも劣っていると思うと、たちまち劣等感で悩むことになります。


去年の12月に飼っていた愛犬ラブが亡くなりました(「息を引き取りました」)。
ラブは、寒い冬も暑い夏も庭の犬小屋で暮らしていました。食べ物はドッグフードしか食べたことがありませんでした。
でもすぐ近所に同じラブラドールでも、冷暖房の効いた家の中で、家族と同じ生活をし、缶詰の肉など、ご馳走を食べている恵まれた犬もいました。
さて、ラブは散歩に出かけたとき、道で出会ったよその犬に、
「最近暑くてやってられないわ。あちらこちら蚊にはさされるし。ご飯だって毎日同じドッグフードばかり。もうあきちゃった!」
などと言ったでしょうか。
また、これを聞いた犬が、
「えっ、ほんと? ぼくなんか家の中で冷房が効いていて全然暑くないし、蚊にさされたこともない。毎日おいしいご馳走だってもらってるよ。きみは気の毒だね」
と答えたでしょうか。
もし、このような会話が犬語でなされていたら、ひょっとしたら犬も自分を他の犬を比べて、うぬぼれたり、あるいは嫉妬したりするかもしれません。でも犬がうぬぼれたり、嫉妬したりしているという話は聞いたことがありません。犬は自分をほかの犬と比較しないので、みんな幸せです。


私たちも人間も自分をほかの人と比較する必要はありません。神様は私たち一人ひとりに、それぞれ異なったすばらしい才能、長所をいっぱい与えてくださっています。私たちがするべきことは、自分に与えられた才能や長所を精一杯生かすことです。そうするとき、将来に無限の可能性が生まれるのです。


さて次にお父さん、お母さん方へのメッセージです。
親はどうしても自分の子どもに対して期待があり、その期待に少しでも添わないことがあると、「どうしてうちの子はこうなんだろう。それに比べて隣の子どもはなんてしっかりしているんだろう」などと、考えてしまいがちです。そして、どうかすると実際に言葉に出して、「だれだれさんを少しは見習いなさい」とか言ってしまいます。
三者面談をしていて、このような話になることはしょっちゅうです。
でも、上にも書きましたように、人と比較すること自体が意味のないことなのです。さらに、このように考えている間は、自分の子どもの持っているいくつもの才能や長所が見えなくなってしまいます。欠点や短所ばかりが目について、顔をあわせるたびに小言を言っていると、親子の間の信頼関係が壊れ、やがて子どもの心は親から離れていき、親の言うことを聞かなくなります。そうなるとますます子どもの欠点ばかりが目につく、という悪循環に陥ってしまいます。
どの子どもにも、いくつもの才能、長所があります。才能、長所を見つけるよう努力しましょう。そしてたとえ小さなことでも、良い点を見つけたら精一杯褒めてあげましょう。そうすると、才能、長所がますます伸ばされます。
親が子どもはこんなものだ、と決めつけてあきらめてしまったら、もうそれでおしまいです。
天は二物を与えます。いえ、三物も四物も与えます。目先のことにとらわれずに、子どもの無限の可能性を信じてください。


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人を赦すとは

2013.07.09日

小学校を卒業した翌日に私は引越ししました。
京都の市電がすぐ近くを走っている、当時としてはけっこう街中から、田んぼに囲まれた田舎、嵐山にです。
でも、私はこの嵐山がすぐに大好きになりました。
幼稚園の頃からずっと借家住まいだったのですが、初めての自分の(というか父の)家でした。
行きつけだった寿司屋のおじさんから生まれたばかりのポインターをいただき、たいそう可愛がり、毎日散歩に連れて行きました。コースは嵐山から嵯峨野です。
内容は今日、これから書こうとしていることとは全然関係ないのですが、以前ブログの記事の中にこの犬が登場したことがあるので、写真はこちらから見ることができます。
昨日、たまたまFacebookで下の嵯峨野の竹林の写真を見て、ちょうどそこを散歩コースでよく歩いていたのでとても懐かしくなり、当時のことを思い出したのです。


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中学1年生になって間もない頃のことです。学校までは遠かったので電車通学をしていました。
同じクラスではなかったのですが、近所のSくんと親しくなり、一緒によく通学しました。
あるとき、このSくんが乗っていた電車の少し前の席の窓から顔を出して何やら大きな声を出して言っていたので、私も顔を出してSくんの言っていることを聞こうとしました。
次の瞬間、私の顔にSくんがふざけて吐いたつばが「ベチャッ」と大きな音を立ててかかったのです。私は頭にきて、「コンチクショー!」とばかりに仕返しをしました。
ところが、車両の後ろの方にいた私は風下ですから、当然のことながらつばを吐いたと同時に口の周りに自分のつばがそのままかかりました。(ああ、なんてバカなんでしょう! ホントに恥ずかしい…)
自分の馬鹿さ加減に呆れたということもありますが、顔につばをかけられたからといって、Sくんを恨んだり、喧嘩したりすることはありませんでした。


中学生の頃は、何度か執拗ないじめに遭いました(「心が痛むいじめの問題」)。でも、意気地がなかったこともありますが、自分から仕返しをしようと思ったことはありません。もともと平和主義というか、喧嘩が嫌いなのです。
小学生のときにも友達に殴られたことがありましたが、仕返ししませんでした。仕返ししたらそれが倍になって返ってきて、泥沼化することを本能的に知っていました。


今、エジプトで失脚したモルシ前大統領派と軍などとの間で連日衝突が起こっていて、50人以上が死亡、400人以上がけがという大惨事に発展しています。このニュースを見るたびに心が痛みます。


先日読んでいた本の中に次のような箇所がありました。
「赦しはまずきみのため、赦す者のためなんだ」(『神の小屋』p.311 ウィリアム・ポール・ヤング著 サンマーク出版)
主人公は…、と書こうとしたのですが、ネタバレになるのでやめておきます。


そう言えば、うちの次男がまだ2歳だった頃、隣町の厚木市で大きな事件が起きました。
強制わいせつの前科のある19歳の少年が、更生のために通ってお世話になっていたキリスト教会牧師の5歳の娘にいたずらしようとして騒がれて殺害し、知人の家の天井裏に遺体を隠していたという大変なショッキングな事件です。
当時、毎日、テレビのワイドショーで取り上げられていましたが、犯人が捕まった直後に牧師のインタビューがテレビに流れ、新聞でも大きく報道されました。
「私は少年を赦しています」
この言葉に多くの人が大きな感動を覚えました。


赦しはもちろん相手のためですが、まずは自分のためなのです。
エジプトで反目し合っている人たちが、この赦しの力に一日も早く目覚めることを願ってやみません。


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熱中症になりました!

2013.07.08日

とても暑かった昨日は、全国で900人近くの人が熱中症で病院に担ぎ込まれたそうです。
私が小学生の頃は、日射病とよく言っていたものですが、最近はこの日射病という言葉をとんと聞かなくなりました。日射病は、真夏の暑い昼日中、戸外にいて太陽光を浴びてなるもので主に小学生など小さい子どもによく見られました。一方、熱射病は家の中にいても高温にやられるもので、主にお年寄りなどによく見られます。その総称が最近よく使われる、いわゆる「熱中症」で、寝苦しい熱帯夜にも起こりうるものです。


普段は海風があって比較的涼しい、私の住む平塚市でも今日は朝から35.9度に達し、もう息をするのもしんどいぐらいでした。
しかし、私がかかっている「熱中症」は、この太陽光や高温によるものではありません。
「熱中」という言葉から私が一番に連想するのは、何か好きなことにハマっている状態です。そして、私が今ハマっていることは何かと考えると、それはこのブログであり、またFacebookと言えるかもしれません。
つまり、私の熱中症は「ブログ」なのです。


「なーんだ」と思われるかもしれませんが、人間にとって、この何かにハマる、熱中するものがあるということはとても大切なことです。
それが趣味であってもいいし、あるいはもちろん仕事や学業であればなおいい。また友達づきあいや家族など人間関係でもいい。何かに熱中できるということは、本当に素晴らしいことではありませんか。
毎日の仕事を熱中してやっているとか、勉強に熱中しているという人はあまり多くはないようです。むしろ、このようなものは一般的には、やらなければならないから仕方なくやっている、という感じです。つまり、熱中できていないということです。
ところが、同じ人が一旦仕事や勉強から離れ、麻雀、パチンコ、ゲーム、カラオケなどを始め、音楽や芸術、はたまた野球やサッカーなどの観戦、あるいは自分でやるテニスやゴルフ、スイミング、ボウリング、ジョギングなどのスポーツなどになると、周りから「もういいかげんにしろ」と言われても、聞く耳を持たないほど熱中しています。


このように熱中できるものがあるということ自体は、本当に素晴らしいことです。
ただ、お金や時間やエネルギーをそこに全部費やしてしまって、やるべき仕事や勉強や家事、育児など本来の責任を放棄したり、軽視するようになったらこれはやはり問題です。
日本では昔から「何事もほどほどに」とよく言いますが、確かにその方が賢明なようです。
私はもともと、「何事も一生懸命」というのが自分のモットーでここまでやってきました。
実際のところ、このブログページ左上コーナーの「エントリー検索」に今、「何事も一生懸命」という言葉を入力して検索したところ、上のほかに25件もありました。私が「何事も一生懸命」という言葉がいかに好きかということがわかります。


1月19日に書いた「一生懸命」を見てみると、なんとすでに半年ほど前にもう自分で結論をはっきりと出していたではありませんか。
すなわち、頑張りすぎないこと。のんびり、マイペースで、ゆったりした気持ちでやっていくこと。自分自身に負担をかけないことです。
しかし、不思議なことに、このブログはそれほど負担に感じることなく、楽しみながらやることができ、しかもボケ予防にもなっています。
そして、FBは自分の世界を広げるのにとても役立っていて、いつも感謝しています。
皆さん、今後ともよろしくお願いいたしますね。


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アンコー、ハスペロー

2013.07.07日

タイトルの「アンコー、ハスペロー」を見てすぐにピンと来る人は英語の玄人です。
以前、「意志あらば道通ず」にも書きましたが、叔母がアメリカ人と結婚していて、私は幼少の頃から毎年夏休みはその叔母の家でずっと過ごし、そこで叔父や叔母の話す英語に触れる機会がありました。
下の写真は、両親、叔父・叔母たちと一緒に箱根小涌園ホテルに行った時のもので、私は小学3年生でした。
叔父と叔母に子どもがいなかったこともありますが、実の子どものように可愛がってもらいました。


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幼稚園の頃から英語が好きだった私は、叔父と叔母から英語を学ぶのがいつも楽しみでした。
身の回りにあるものや気になった言葉はほとんど何でも、「英語で何て言うの?」と尋ねて教えてもらいました。
上のふたつはその時、教わったものです。おわかりになりましたか?
そう、「アンコー」は叔父を意味する uncle です。叔父のことをアンコーと呼んでいました。
中学生になって文字から英語を学び始めると、これはほとんどみんな「アンクル」として覚えます。実際のところ、学校の先生もそのように発音して教えています。
しかし、耳に聞こえる音は「アンコー」なのです。
これは発音記号で記すと【ʌŋkl】ですが、絶対に「アンクル」とは発音されず、最後の【kl】の発音は耳には「コー」と聞こえるのです。実際のところ、アメリカ人で幼児など、まだ正確な発音ができない子どもなどは「アンコー」と言っています。
【kl】を始め、【pl】【dl】【tl】【sl】など子音に続く【l】を音声学では dark l (暗いl)と呼び、実際アメリカ人でもこの l を舌先を上の歯茎にしっかり当てずに発音する人もたくさんいます。つまり、発音しにくく、また聞き取りにくいから dark l なのです。
(これに対して、 clean, plan, lead などその後に母音が続く l は舌の先を歯茎にしっかりとつけてはっきり発音しやすいので、clear l とか light l と言います)
ですから、日本でも小学生の時に耳から英語を学ぶと、pencil を「ペンソー」、circle を「サーコー」などと発音するのです。


それでは、冒頭の「ハスペロー」は何でしょう。
答えは hospital です。日本では、病院は「ホスピタル」と思い込んで、そのように発音しているのですが、これも実際に聞くと「ハスペトー」のように聞こえます。
これを、私の叔母が叔父の発音を何度も聞いて、私に教えてくれたのが「ハスペロー」だったのです。でも、私が「ハスペロー」のように発音したところ、叔父もOKを出してくれたから面白いものです。
子ども心ながら、叔母の話す英語は発音が下手だなといつも思っていました。


中学生になってわかったことですが、このアメリカ人の叔父が話す英語の文法はめちゃくちゃでした。
“She don’t know nothing.” (「彼女は何も知らない」。正確には“She doesn’t know anything.”)
“You ain't seen nothing yet.” (「お前はまだ何も見ちゃいないよ」。正確には“You haven’t seen anything yet.”)
といった調子です。
私の父も戦後、駐留軍GHQで働いていましたから、やはり耳から学び、叔父と同じように “She don’t know nothing.” を連発していました。
私自身はこれには抵抗があって、一度もそのようには言えませんでしたし、今でもアメリカ人を始め、外国の方とメールのやり取りやチャットをしていても文法的な英文を書きます。


でも大切なことは、文法的に正しい英語を書けるか、話せるかということではなく、たとえ間違ってもいいからもっと話す、ということだと思います。
人はだれでも間違って初めて学ぶものだからです。
事実、現在外国人とチャットをしていて、文法的な間違いなどみんな全然恐れていません。
昔、アメリカに留学していた頃、タイやベトナム、フィリピン、ホンコンなどのアジアの国々から来ていた留学生は、発音も文法もめちゃくちゃだったにもかかわらず、そんなことには無頓着でどんどん積極的に話していました。一方、日本人はそのほとんどが無口でした。間違いを犯したら恥ずかしいという思いがきっとあったのでしょう。そしてこれは、おそらく今でもあまり変わっていないのではないでしょうか。
国民性ということもあるのでしょうが、日本人にはもっと積極的になってほしいものです。
このような積極姿勢は、とくに語学や文化を学ぶ時には絶対不可欠です。
さらに言えば、「間違いから学ぶ」ことは学問の王道です。


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母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい

2013.07.06日

ある男性が認知症の母親を殺害し、心中を図るという事件が起きました。
認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母親と相談の上で殺害したというものです。母親を殺害した後、自分も自殺を図ったのですが発見され一命を取り留めました。
両親と3人暮らしでしたが、95年に父親が死亡。
その頃から、母親に認知症の症状が出始め、男性はひとりで介護していました。


母親は05年4月ごろから昼夜が逆転し、徘徊で警察に保護されるなど症状は進行していきました。
男性は休職してデイケアを利用しましたが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められませんでした。
介護と両立する仕事は見つからず、失業保険の給付は12月にストップ。
カードローンの貸し出しも限度額に達し、デイケア費やアパート家賃が払えなくなり、06年1月31日に心中を決意しました。


「最後の親孝行に」と、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、次の早朝、河川敷の遊歩道で、
「もう生きられへん。ここで終わりやで」
と言うと、母親は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」
と答えました。
「すまんな」
と謝ると、母親は
「こっちに来い」
と息子を呼び、彼が母の額に自分の額をくっつけると、母親は
「○○はわしの子や。わしが殺ったる」
と言いました。この言葉を聞いて、男性は母の殺害を決意。
母親の首を絞めて殺し、自分も包丁で首を切って自殺を図りました。


冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていました。
肩を震わせ、 眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もありました。
裁判では検察官が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を陳述。
殺害時の2人のやりとりや、「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。目を赤くした裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返りました。
男性は、
「私の手は母を殺めるための手だったのか」
と言葉をもらしたそうです。


裁判官は被告に対し、
「尊い命を奪ったという結果は取り返しのつかない重大なことだが、経緯や被害者の心情を思うと、社会で生活し自力で更生するなかで母親の冥福を祈らせることが相当。被告人を懲役2年6ヵ月に処する…」
そして続けてこう言いました。
「…この判決確定の日から3年間、その刑の執行を猶予する」


被告は、殺人(承諾殺人)で異例の執行猶予つきの判決を言い渡たされました。
そして被害者(母親)の心情に対し、
「被害者は被告人に感謝こそすれ、決して恨みなど抱いておらず、今後は幸せな人生を歩んでいくことを望んでいるであろうと推察される。
絶対に自分で自分を殺めることのないように。お母さんのためにも幸せに生きてほしい」
と言うと、被告は深々と頭を下げ、
「ありがとうございました」
と答えました。


被告に判決を言い渡した後、裁判官は次の言葉を残しました。
「本件で裁かれるのは被告人だけではなく、介護保険や生活保護行政の在り方も問われている。
こうして事件に発展した以上は、どう対応すべきだったかを行政の関係者は考え直す余地がある」

(引用元: Kokoro堂  一部語句表現を改変)


昨日、Facebookで読んだこの記事はあまりにも悲しすぎて心が痛み、読んでいて涙が出てきました。
社会の片隅にこのような追い詰められた生活をしている人が、今、この瞬間にもきっとたくさんいらっしゃることでしょう。
裁判官も言っているように、行政は杓子定規にただ規則だけを云々するのではなく、困窮した人たちの状況をくみ取り、なんとか超法規的な決断を下すことができるようなシステムを構築することが必要です。
しかしなによりも、まずは近所の人たちが気づいて助けの手を差し伸べるような、映画「3丁目の夕日」の昭和時代(「日本よ、どこへ行く?」)にあった温かい人間関係のある地域社会の再構築を私たち自身が目指さなければなりません。


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大安吉日? ダイアン吉日?

2013.07.05日

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今日の読売新聞2面「顔」に第9回中曽根康弘賞・奨励賞を受賞した英語落語家 ダイアン吉日さん」という記事が載っていました。
「アリゲーター? いいえ、どういたしまして」。「ありがとう」がうまく発音できず、英語で「ワニ」と言ってみたら通じたというエピソードをネタにした」で始まる紹介文に私は魅せられ、ネットで検索してみたら、あるわあるわ。
下のYouTube画像には思わず吹き出してしまいました。



さらに検索すると、毎日小学生新聞の記事が出てきました。こちらの方が、冒頭の読売新聞の記事よりも面白いので、下にそのまま引用させていただきます。
イギリス・リバプール出身の落語家、ダイアン吉日さん。古典落語から英語を混ぜた創作落語まで、ユーモアあふれる話芸は日本人はもちろん、外国のお客さんにも人気です。1990年に来日し、着付け、茶道、華道までたしなむダイアンさんに、毎小特派員の津村美和さんと、弟の直樹君が日本の文化について聞きました。


美和さん:   日本に来て驚いたことは何ですか。
ダイアンさん: 野菜だけで作った食品がほとんどないことです。私は肉や魚を食べないベジタリアンで、イギリスではベジタリアン向けの食べ物があるのが普通。「日本人は健康食品を食べている」というイメージがあって、野菜中心の食事が多いと思っていたから、肉や魚がよく食べられていてびっくりしました。
直樹君:    なぜ落語家になったのですか。
ダイアンさん: 日本に住んで6年目に、友人から「落語家の桂枝雀師匠のお茶子をしない?」と電話がありました。お茶子は、寄席で舞台の座布団を用意したり、演者の名前を書いたビラをめくったりする人。故・枝雀師匠は、英語の落語に挑戦していて、友達は英語を教えていたんです。私は落語はよく知らなかったけど、「着物が着られるよ」と聞いて飛びついた(笑い)。枝雀師匠の落語を見て、「たった一人で、扇子と手ぬぐいだけを使って世界を表している。なんてすばらしいパフォーマンス!」と大好きになり、落語を学び始めました。今はコンピューターで遊ぶ人が多いけど、落語のように、想像力を使う文化をもっと大切にしてほしい。
美和さん:   得意な落語は?
ダイアンさん: 初めて日本に来たイギリス青年の驚きを落語にした「ワンダフル・ジャパン」。日本では街角でテッシュをもらえたり、タクシーのドアが自動で開くことにびっくりする話です。私も来日当初、「ただでティッシュをくれるなんて、日本はお金持ちの国!」と思いました。
美和さん:   着物はどのような色や柄が好きですか。
ダイアンさん: 赤やブルーなどの派手な色の着物が好きで、250着は持ってる。でも、最近は地味だと思っていた色や柄の「渋さ」が分かってきました。
美和さん:   私は日本舞踊を習っています。
ダイアンさん: すばらしい! 海外の友達はみんな、日本に来たら着物を着た女性と写真を撮りたいと思ってる。着物は世界一の民族衣装よ。
直樹君:    日本人と、イギリスの男の人はどちらがすてきですか。
ダイアンさん: 私は世界40か国以上を旅してきたから、すてきな男の人に国籍は関係ないなあ。イギリスの男性は、女性の荷物を持ったりする「レディ・ファースト」のマナーがあるところが好き。日本の男性は、なんでも丁寧に教えてくれて、すごく親切ですね。
直樹君:    今、夢中になっていることは何ですか。
ダイアンさん: 旅行が好きで、年に1か国は訪れます。旅先では必ず「日本のことを教えて」と言われる。昨年、ロンドンで開かれた日本文化を紹介するイベントに、3日間で3万5000人が来ました。私の落語も、三味線や合気道のパフォーマンス、漫才も大人気。だから、私は世界を回って日本文化を伝えたいと思う。今、日本文化は世界で「かっこいい」と言われてる。なのに、日本人はそれを分かってなくて、華道も茶道も着物も古くさいと思っているでしょ。それって、すごくもったいないよ!


最後のところが読売新聞の冒頭の記事では、「今、日本は世界中のあこがれ。その格好良さに、肝心の日本人が気付いてへんねん」と笑った。となっており、大阪弁で語っているこの口調がなんとも言えずおかしい。そして、ダイアンさんの言っていることが実に的を射ていて、日本人みんなにもっとこのことを知ってほしいと私も心から願いました。


それにしても、このような形でいわゆる「外国人」が日本人以上に日本の良さを知っていて、その日本を世界の人々に知ってほしい、と言って文化の架け橋になっていらっしゃるというのには、本当に頭が下がる思いがします。私たち日本人ももっと積極的に海外に出て、異文化交流に励み、近隣諸国との摩擦の原因を取り除いたり、また遠いアフリカや南アメリカの国々との新しい交流の道も開いてもらいたいものです。
そして、彼女が願っているように、本当の「大安吉日」が一日も早く世界中に実現しますように。
そのためにも、日本の英語教育は重要な役割を担っていますよ。


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将来を決める動機づけ

2013.07.04日

先日の「超刺激をもらいました」の記事以来、またアンソニー・ロビンズにハマって毎日のように彼のセミナーCDやネット上のYouTubeで彼のさまざまな講演会を聴いています。
本当に圧倒的な話術に引き込まれ、すごいパワーをいただけます。


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(ご興味のある方は、こちらから登録できますので、よろしければどうぞ)


アンソニーが繰り返し言っていることに次のことがあります。
私たちがすることは、ほとんどのケース、次のふたつからきている。ものすごい苦痛であるならばそれを避けようとするし、もしもすごい喜びをもたらすようなものであれば、それを得ようとする。


これは本当に真理を突いていて、ほぼどんなことにも当てはまります。
今、私は自分の健康回復に一生懸命取り組んでいます。
これまでだったらごく普通に好きなものを食べ、飲みたいものを飲み、したいことをしてきたのですが、これを続けていたら必ずこの先苦痛を味わうということがわかるようになると、もちろん苦痛は避けたいので、自然と行動を変えることができるようになりました。しかも、不思議なことにそれは自分にとって全然苦痛ではないのです。
美味しそうな肉や揚げ物、ハンバーガー、ラーメンやチャーハンなどを始め、チョコレートやアイスクリームなどの甘いデザートは、今では食べたいとも思わなくなってしまったのです。コーラなども飲みたいと思いません。
家族など周りの者がそれらを食べているのを見ると、へえー、そういうものが食べられるんだ、と不思議な感じすらします。
そして今まであまり食べなかった魚と野菜を毎日食べるようになり、今はこれらが美味しくてたまりません。


今までエスカレーターやエレベーターはせっかく動いているのだから使わなければ損、と思っていたのに、今は逆に使ったら損と考えるようになり、6階まででも自ら進んで階段を使用しますが、これもまったく苦痛ではありません。
1時間、2時間の散歩は時間と労力の無駄使いと思っていたのが、健康を第一に考える今は、これに無限の価値を見出し、時間を費やすのが惜しいどころか時間もエネルギーも喜んで投資できます。
いわゆる価値観の大転換、パラダイムシフトです。


これを社会人であれば、仕事や家事、育児に、そして学生であれば勉強にうまく活かすことができます。
つまり、今、自分がしていることは、自分の将来に苦痛をもたらすのか、それとも喜びをもたらすのか、それを冷静に考えれば、今まで苦痛だと思っていたことはまったく苦痛ではなくなり、むしろ楽しくさえなりますし、さらにこれをやったら将来ものすごい喜びをもたらしてくれる、ということがわかれば少々の苦労や時間、お金、エネルギーの投資も全然苦でなくなります。
考えてみれば、これまで多くの生徒や学生を教えてきて、勉強で成功した人たちというのは、無意識のうちにこのことに気づき、自分で実践してきたのです。
社会人も同様です。
人間には、楽をしたいという怠惰な心と、このままではだめだ、今、ここで頑張れば明るい将来が待ち受けているということがわかる知恵が同居しています。
これをどのように日々の生活の中に活かすかで、将来が決まると言っても過言ではありません。


皆さんはいかがですか?思い切ったパラダイムシフトをしてみませんか?


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日本の英語教育にひと言 その2

2013.07.03日

一昨日、「日本の英語教育にひと言」という記事を書きましたが、かなりの人に読まれているようで、小学校の英語教育に世間の関心が高まってきていることがうかがえます。
そして、今日の読売新聞の「くらし 教育欄」には、「小学校の英語教育拡充 下村文科相に聞く 中学年から導入 民間を活用」という記事が載っていました。
−英語の教科化はなぜ必要なのでしょうか。
「政府の教育再生実行会議が提言したように、グローバルに活躍できる人材の育成は喫緊の課題。今の英語教育を抜本的に改革し、小学校からしっかり導入すべきだと思います」
−大臣も、国際会議などで英語力不足を感じることは。
「しょっちゅうですよ。外国人も、日本人が大学まで10年間も英語を勉強しているのに話せないのを不思議に思うでしょう。中学、高校の英語教育も含め、実践力を身に着けられるよう改革したい」
−何年生から教科化すべきだと考えますか。
「中国、韓国では小3から英語教育を始めており、3、4年生が開始の目安だと思います。日本でも2011年から英語教育を始めましたが、週1回、歌やゲームを通じて英語になじむのが主な目的です。ただ、週1時間で本当に英語をマスターできるのかと言えば、難しい。教科化する場合は、週3時間ぐらい本格的に教えるべきだと思います。省内の検討チームで、小1から英語を教えている研究開発学校などの取り組みを分析、検証しています」
−現在小学校の英語は、専門でない担任が教えており、課題も指摘されています。
「子どもが初めて英語を教わる教師の発音は、非常に重要。小学校の担任は、留学経験などがなければ指導は難しいでしょう。基本的に、英語が専門の教師を確保する必要があります。英語が母国語のALTの拡充を(事業を担当する総務省)などに求めていきますが、それだけでは足りない。例えば海外勤務経験のある退職者など、民間の力を活用することも必要だと思います。
−英語の授業時間確保も課題です。復活する土曜授業の活用を考えていますか。
「英語の授業を増やすには、どこかで授業時間を増やさないと。ただ、土曜に正規授業を行うことは考えていません」
−実施はいつから。
「次の学習指導要領の改訂(17年度頃)の前倒しも含めて考えたい。教科化するには教科書を作り、専門教員を確保し、評価もしなければなりません。小中高の教育課程全体を見直す必要もあり、大学入試にも影響が出ます。専門家と議論して検討していきたいと思います」

(7月3日付読売新聞 18面)


去る4月の、「英語熱いよいよ高まるが…」という記事の中に「文科省の前身である文部省は、30年ぐらい前には小学校への英語導入は将来的にも一切考えていないと断言していましたが、必修化されるに至りました。
時代の変化といえばそれまでですが、私は30年以上前から小学校への英語教育導入を訴えてきました。国の将来を決める文科省(文部省)が時代の流れを読み取れないというのは実に心もとない話です」と書きましたが、文科省がようやく重い腰を上げました。
しかし、実施は次の指導要領改訂の2017年度を前倒しすることを考えたい、という程度です。まだまだ数年先のことです。
お隣の韓国や中国が小3からの英語教育導入を始めたのは議論が起きてすぐで、本当に早かったです。
結局、日本は縦割り行政で、何かを改革するとなると時間がかかる仕組みになっているのです。


でも、さすがに韓国や中国の小学校からの英語教育導入とそれに伴う経済発展に危機感を抱いた日本政府は、ついに教科化と実施時期の低学年化という決断を下しました。
同じ今日の読売新聞7面には「技術革新力 日本22位どまり」という記事が載っています。
それによると、
「142か国・地域のうち、1、2位はスイス、スウェーデンで昨年と変わらなかった。日本は昨年から三つ順位を上げて22位だったが、アジアでは香港7位、シンガポール8位、韓国18位の後塵を拝した」とあります。
そりゃ、文科省大臣自身が、「国際会議などで英語力不足を感じることはしょっちゅうですよ」と言っているぐらいですから、さもありなんです。
また、「日本人が大学まで10年間も英語を勉強しているのに話せない。中学、高校の英語教育も含め、実践力を身に着けられるよう改革したい」というのももっともな話で、学校の成績や進学のための暗記中心の英語で実践力など着くわけがありません。
さらに、今回下村文科相が言っている民間の力の活用も正しい方向性です。これも、一昨日の記事の中に書いた「政府主導ではなく、教育の現場にいる学校・塾関係者、さらに全国民の理解と協力が不可欠です」と合致する考え方です。


「いよいよ」と期待するのと同時に、「まだまだ」だと感じているのはきっと私だけではないでしょう。


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超特大と超極小

2013.07.02日

Facebookを見ていると、自分の想像をはるかに超えた世界によく出くわします。そして、自分の知っている世界なんて本当に小さいな、とつくづく思わされます。


今日出会った写真がこれです。


truck.PNG


こんな超特大のトラックがこの世に存在するの?って感じです。
これには本当に度肝を抜かれました。
以前にも、多分中国での光景かと思わされますが、トラックを3台ほど載せた車両運送用のキャリアカーをなんと10台も連結(!)したものをFBで見ました。これも自分の目を疑いました。


同じく今日見た超特大の犬の写真。


dog.jpg


このようなものを毎日、家にいながらにして見ることができるというのは、やはりネット時代の恩恵です。


さて、昨日はこれらのまったく正反対のものに出くわしました。
世界でも例を見ないほどの超極小の、まさに「猫の額」と言える我が家の庭にできた、これまた超極小のミニトマトです。


tomatoes.JPG


冬に妻がガソリンスタンドでいただいてきたミニトマトの苗を植えておいたら、これが今や高さ1メートル以上にまで大きく成長し、実を付け始めたのです。
それで、昨日は初なりの実を妻と私で1個ずついただきました。
その美味しかったこと!
肥料もやらないで、毎日の太陽と水やりだけで、こんなに美味しいトマトがなるなんて嘘のようです。
今朝も水をやっていたら、3つ、4つ、5つと次々と実がなっているのが見えました。
あと数日で食卓に上り、味わわせていただくことができそうです。


超特大と超極小。
それぞれに味がありますね。


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日本の英語教育にひと言

2013.07.01日

ザ・ドリフターズの荒井注さんは国語教師の免許を持っていた。対抗心があったわけではないだろうが、今振り返れば、旧来の英語教育を皮肉るコントと言えるかもしれない
◆銀行に銃を持った外国人が立てこもり、刑事が拡声機を手にかけつける。どんな説得をはじめるかと思えば、「ディス・イズ・ア・ペン(これはペンです)」。天井から落ちてきた金だらいが刑事の頭に命中し、ゴ〜ン
◆中学、高校で計6年。それだけ勉強しても英語の<聞く、話す>ができる人は少数にとどまる。これ以上、まぬけな打音を響かすわけにはいかないと、始まったのが小学校英語だろう
◆政府は学習内容をさらに強化するという。正式な「教科」に格上げしたうえ、開始学年を3〜4年生に引き下げることが検討されている。「世界で活躍する人材を育てるため」と、安倍首相の本気度は高い
◆教科になれば、成績評価も付いてくる。試験や競争は子供たちを鍛えると言うけれど、負担が過ぎるのは考えものである。知恵が要る。国語の習得がおろそかになってもいけない。二兎(にと)を追う者に降る金だらいに、重々警戒されたし。

(6月30日付 読売新聞1面「編集手帳」)


8jidayo.jpg


上の荒井注のコントは印象深く、何十年も前のことですが私もこのシーンをはっきり覚えていました。本当に大笑いでした。


これを読んで思い出したのですが、アメリカ人の高校生、エドくんが交換留学生として我が家にひと夏滞在したときのことです(「意志あらば道通ず」)。
彼を連れて京都市内のあちらこちらの観光スポットに連れて行ったのですが、どこでも遭遇した光景、それが冒頭の荒井注のコントでした。
「ジス・イズ・ア・ペン」
外国人を見ると物珍しそうに近づいてきてこう言うおじさんたち。
私は恥ずかしくてたまりませんでした。
エドくんは最初、これが
"This is a pen."
とは聞こえず、何のことかさっぱりわかりません。
あまりにも多くの人が彼の顔を見ると「ジス・イズ・ア・ペン」と言ってくるので、彼はこれが日本語の挨拶かと思ったと言っていました。
今から44年前の話です。


うちの卒塾生が、次のように言っているのをこれまで何度も聞いてきました。
「大学生になって英会話を習い初めて、あるいはアメリカにホームステイに行って初めて、英語が使えるようになって楽しくなった。今まで中学・高校のとき習っていた英語は何だったのか?6年間もやって全然楽しくなかったし、何の役にも立たなかった」と。


そう、これまでの日本の英語教育は、学校の試験や成績のために、そして進学のためにのみ生徒たちが勉強するものでした。
楽しくなくて、役立たないのは当たり前のことです。
今回の政府の小学校英語「教科」化、開始学年の引き下げという試みは、まさにこれまでの不毛な英語教育の反省から、立ち上がろうとするものです。


このような動きが始まると必ず出るのが「国語教育vs英語教育」という二者択一的な思想です。
曰く、「二兎追うものは一兎も得ず」。
しかし、お隣の韓国や中国を始め、急激に成長発展している世界中の新興国を見るとき、これは杞憂であることは明白です。
言語学的な見地から、また私自身の経験からも、外国語の習得は母国語の学習の助けにこそなれ、妨げにはなりません。
ただひとつ気をつけなければならないのは、成績がつく「教科」化によって、従来と同じ失敗の道をたどってはいけないということです。
政府主導ではなく、教育の現場にいる学校・塾関係者、さらに全国民の理解と協力が不可欠です。
そうでないと、また金だらいの「ゴ〜ン」の洗礼を受ける羽目になります。


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