学院長元気の出るブログ

日々の随想。教育問題、子育て、英語、積極思考、人間関係、霊想等など。
読む人に元気を注入します。

ジョージ学院長 元気の出るブログ

ブログに関するご意見・ご感想は、こちらのフォームからお気軽にどうぞ

被災地復興のためにできること

2011.09.30日

読売新聞朝刊の社会面に連載されている「声援 復興をめざして」では、音楽・スボーツ・芸術・評論・学術・芸能等など、幅広く各界の著名人が被災地の方々に声援を送っていらっしゃいます。
皆さん共通して書いておられることは、自分の仕事を通して少しでも復興のお役に立つことができれば、ということです。


スボーツ選手は自分達のプレイを通して被災者の方々に元気を与えたい、ミュージシャンの方たちは音楽を通して復興に役立ちたいと。
これは素晴らしいことで、私たちの良きお手本となります。
がれき撤去やその他いくらでも人の手を必要とする仕事があります。被災地に直接出向いてボランティアでこれらをやるのも一つの方法ですが、必ずしもそうでなくて、自分達の持ち場・立場で、与えられている仕事や責務を一生懸命果たすこと、これも立派な復興のお手伝いです。


実際、現地に直接行ける人は限られています。
しかし、たとえ著名人でなく無名の私たちでも、自分のやるべきことをしっかりやること、これも劣らず立派な行為で、一つひとつが復興の手助けになります。


とくに、小中高生や大学生などの場合、今与えられている一番の責務は勉強することです。
「選ばれた戦士たち」にも書きましたが、小学生でもそれぐらいのことはわかります。
もちろん短期目標として、勉強することは自分自身の成績のため、志望校合格のためとも言えますが、今しっかり学ぶことは長期的には将来社会に出て仕事で復興に貢献できるようになるためでもあります。


学校や学習塾など教育に携わっている者は、将来の日本を担う人材育成のためにさらに汗を流さなければなりません。


同様に、お父さん方やお母さん方も一番の仕事である子育てに、そして会社やパートなどのさまざまな仕事に一生懸命取り組むことが、被災地のみならず延(ひ)いては国全体の復興のために役立つことになるのです。


「頑張ろう、日本!」は復興のための単なるスローガンではなく、私たち国民一人ひとりの責任であり、また同時に義務です。


毎日、「学院長 元気の出るブログ」を愛読してくださっている方は、ぜひこのページの左上にある「ブログの読者になる」をクリックして、メルマガ登録を行ってください。
ブログ更新情報が毎日届き、簡単にブログにアクセスでき、とても便利です。


↓ブログランキングに参加しています。読み終わったらクリックして応援してください。


にほんブログ村 教育ブログ 塾教育へ
にほんブログ村

今を生きる!

2011.09.29日

ニュートリノの速度が光速より速かった、というショッキングなニュースで今もちきりです。
E=MC2の相対性理論が根底から覆(くつがえ)され、ひょっとしたらタイムマシンも夢でなくなるかもしれない、と言われています。
昨日の読売新聞夕刊8面ファミリーページに掲載されていた漫画「POPくん」(古屋兎丸作)は、次のようなストーリーでした。


パパ 「ニュートリノが光よりも速いという実験結果が出たことによって、なんとタイムマシンが可能になるかもしれないんだって!」
ママ 「よくわからないけど、すごいわ!」
パパ 「もしタイムマシンができたら僕はおニャン子クラブのコンサートに行くな!」
ポップ「僕は普通に恐竜が見てみたいや!」
ママ 「私は中世のヨーロッパの街並みをこの目で見てみたいわ!」
パパ 「でも僕が生きているうちは無理だろうな。ポップ君、かわりにおニャン子クラブ見てきてな!」
ポップ「えー、やだよ!恐竜!」
ママ 「ははは、 そうよね!」
(ポップ君一家がタイムマシンの話で盛り上がっている部屋の窓の外には怪しい人影が…。
おじいさんになったポップ君が涙を流して、窓から家の中を覗きながら)
ポップ「パパ、ママ、懐かしい。僕が一番に見たかったのは、恐竜ではなくあなたたちでした…」


心温まるストーリーです。
タイムマシンができたらこういうシーンも起こり得るのかも。
ちなみに、ストーリーの中でパパが「僕が生きているうちは無理だろうな」と言っているのですが、確かに生きているうちにタイムマシンはできないかもしれませんが、何十年か先にタイムマシンができたとして、そのタイムマシンに乗ったポップ君がパパがまだ生きている過去にやってきてパパに出会い、一緒にタイムマシンに乗って過去や未来に行くことだって可能になります。
これは、もう一昔前の映画 Back to the Future (バック・トゥ・ザ・フューチャー)の世界です。


この手のタイムマシン絡みのストーリーはこれまでにもたくさんありますが、どうしても論理的な矛盾が生じるので、私自身はタイムマシンを信じていません。


アインシュタインによれば、過去・現在・未来という絶対時間はないそうです。
「過去、現在、未来の区別は頑固に引き継いでいる幻想に過ぎない」とアインシュタインは言っています。
実際、私たちは「現在」という時しか生きていません。
このブログ記事を読んでいらっしゃる皆さんは、今これを読んでいると思っていらっしゃいますが、実は1文、1文字読んでいくたびに、それはもう過去のものとなっていっているのです。
つまり、私たちにあるのは「現在」という一瞬一瞬の「点」だけで、過去も未来もありません。


『ザ・パワー』には次のようにあります。
「『今日を生きなさい。昨日や明日を生きるのではありません。今日だけです。この瞬間を生きなさい。生きることを明日まで延ばしてはなりません』 (ジュリー・スピネッリ)
あまりにも多くの人々が今日のために生きているのではなく、明日のことを気にして生きています。しかし、今日をどう生きるかで将来が決まるのです。大切なのは、今日どう感じるかだけです。あなたの未来を決める唯一のものは、それだからです。毎日が新しい人生のチャンスです。なぜなら、毎日毎日あなたは人生の新しい分岐点に立っているからです。そしてどの日でも、気分の持ち方次第で将来を変えることができます。良い気持ちの方にバランスを傾ければ、あっという間に愛の力が人生を変えてくれるでしょう」 (p.84-85)


著者、ロンダ・バーンは明日のために生きるのではなく、今日を生きなさい、今日の生活の仕方次第で将来は決まる、と言っています。
しかし、さらに私に言わせれば、「今日」という1日すらないのです。
あるのはただ「今」という一瞬だけです。
「今」という瞬間をどう生きるか、この積み重ねがあなたの人生になるのです。
将来は、あなたの「今」にかかっています。


毎日、「学院長 元気の出るブログ」を愛読してくださっている方は、ぜひこのページの左上にある「ブログの読者になる」をクリックして、メルマガ登録を行ってください。
ブログ更新情報が毎日届き、簡単にブログにアクセスでき、とても便利です。


↓ブログランキングに参加しています。読み終わったらクリックして応援してください。


にほんブログ村 教育ブログ 塾教育へ
にほんブログ村

愛を与えるとは

2011.09.28日

先日から何度か記事に書いている『ザ・パワー』の中に、次のような言葉がありました。
「ほんの少ししかかかわりのない人に対しても出来るだけ行為と親切と愛と思いやりを与えなさい。そしてそこから見返りを得ようとは思わないことです。するとあなたの人生は必ず、変わるでしょう」 (『ザ・パワー』 p.219)


これは私の大好きな作家、オグ・マンディーノ(「才能はやがて開花する」)の言葉の引用です。
この言葉を読んで、というかオーディオCDで聴いて、今から34年前のある出来事を思い出しました。


当時、私はUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に在籍していて言語学を学んでいました。
ある時、同じクラスで知り合ったアメリカ人の友人からアルバイトの話を持ちかけられました。
夏休みを利用して日本から2週間ほどUCLAに短期留学に来るグループがあって、そのコーディネーターの仕事をしないか、というのです。
私は、UCLAでは教授の助手をし(「You so Obama!」)、現地の日系人の子供たちに日本語学校で教え、パサデナ大学で教えたり、通訳をしたり(「通訳の仕事 2」)と目いっぱいアルバイトをして生計を立てていました。
忙しくなるので大変とは思ったのですが、この仕事を引き受けることにしました。


夏休み期間ということで普段より少しはましだったのですが、毎日朝早くから夜遅くまで2週間本当に大変でした。
グループは中学生・高校生が中心で一部一般の成人の方や大学生もいました。
一行はUCLAのキャンパスの学生寮に寝泊まりし、学生食堂で食事し、午前中は短期集中講座で英語を学び、午後からはディズニーランドやユニバーサル・スタジオなどのテーマパークに行ったり、ショッピングモールに行ったりとスケジュールはびっしり詰まっていました。
グループと一緒に行動していない時は、スタッフでミーティングをしていて、息つく暇もないほどで毎日睡眠不足でした。


中に中学生の女の子と、その子のお母さんと、おばあちゃんと3代で来ている方があり、お母さんとおばあちゃんが英語ができないこともあって、私はとくにこのご家族にいろいろと心をかけ、付き添ってお世話させていただきました。


プログラムが終わり、一行が日本に帰った後、何人かの方からお礼のお手紙をいただきました。
その中に上のご家族からの手紙も入っていました。
お母さんからは、お礼にと言って洋服のプレゼントが同封されていました。
その年のクリスマスに、そして翌年の私の誕生日にもプレゼントが送られてきました。


プログラムからちょうど1年後の夏休み、私は病床にある母を訪ねて帰国しました。
それを知った上のご家族から手紙が来て、ぜひ北海道に遊びに来てくださいとお招きをいただきました。
私はお断りしたのですが、数日だけでもいいからと、なんと北海道までの往復航空券を同封して半ば強引に招待されました。


千歳空港に着くと、お母さんが大きな高級アメ車で迎えに来てくださり、それから札幌のマンションに連れていただいて、そこでお嬢さんとおばあちゃんとも再会しました。大変なご馳走でおもてなしをいただいた上、翌日から今度はベンツに乗り換えて阿寒湖、摩周湖、屈斜路湖など、あちらこちらにドライブに連れてくださいました。
まったく予期していなかったことで腰が抜けるほど驚きました。
あとでわかったのですが、このご家族は大きな病院を経営していらっしゃる名家でした。


冒頭のオグ・マンディーノが言っている、「ほんの少ししかかかわりのない人に対しても出来るだけ行為と親切と愛と思いやりをあたえなさい。そしてそこから見返りを得ようとは思わないことです。するとあなたの人生は必ず、変わるでしょう」の言葉など当時まだ知りませんでしたが、それがそのまま現実のものとなり、その後の私の人生に多大の影響を与えたことは言うまでもありません。
だからオグ・マンディーノの作品とは波長が合うのだと思います。


あの時の中学生のお嬢さんも今頃はもう50歳近く。立派なお母さんになり、きっとご自分のお母さんに習って社会奉仕活動に励んでいらっしゃるか、あるいは医者になってお父さんの病院を引き継いでおられることだろうなと、懐かしい北海道に思いを馳せました。


毎日、「学院長 元気の出るブログ」を愛読してくださっている方は、ぜひこのページの左上にある「ブログの読者になる」をクリックして、メルマガ登録を行ってください。
ブログ更新情報が毎日届き、簡単にブログにアクセスでき、とても便利です。


↓ブログランキングに参加しています。読み終わったらクリックして応援してください。


にほんブログ村 教育ブログ 塾教育へ
にほんブログ村

六十、七十は鼻垂れ小僧

2011.09.27日

「〈六十、七十は洟垂(はなたれ)小僧、男ざかりは百から百から〉とは、107歳まで創作を続けた彫刻家、平櫛田中(ひらくしでんちゅう)さんの名言である。この言葉に、元気づけられる洟垂れたちが多いだろう。洟垂れ前でも活を入れられる
◆ただし今なら、田中先生、女を忘れちゃいませんか、とお叱りを受けそうだ。今月時点で100歳を超えている人は全国に約4万8000人、その9割近くは女性である
◆代表格、と言っていいだろう。今年6月に“女ざかり”の年齢を迎えた詩人の柴田トヨさんが先日、2冊目の詩集「百歳」を出した。ベストセラーとなった前作「くじけないで」も韓国、台湾、オランダで翻訳され、感動を呼んでいる。さらにイタリア、スペインで出版予定という
◆「百歳」に収められた26編の最後にあるのが、3月30日付の本紙朝刊に寄せてもらった〈被災地のあなたに〉と題する作品だ。再掲したい
◆〈最愛の人を失い/大切なものを流され/あなたの悲しみは/計り知れません/でも 生きていれば/きっと いい事はあります/お願いです/あなたの心だけは/流されないで/不幸の津波には/負けないで〉」
(9月25日付  読売新聞「編集手帳」より)


日野原重明さんも講演会で、
「85歳を超えた人は?80歳を超えた人は?
(挙がった手がまばらなのを見て)
みなさん若いのですね」って(「長生きするための秘訣」)。


日野原先生の講演会でのお話によると、
「1947年(昭和22年)、約70年前の日本人の平均寿命は男子50.06歳、女子53.96歳でしたから、当時は人生わずか50年と言われていました。100歳以上の人は、60年前にはわずか125人」
だったそうです。


つい70年前まで、人生50年と言っていたのが、今や日本は世界一の長寿国。
義母は今83歳で 、去る2月に交通事故に遭って以来心身ともに随分弱っていますが、人生まだまだこれから、と言って励ましてきたところです。


そう言う私など、本当にまだまだ鼻垂れ小僧。
「男ざかりは百から百から」と言われて、本当に身の引き締まる思いをしました。


それにしても、冒頭の柴田トヨさんの詩集「百歳」に紹介された〈被災地のあなたに〉と波長がぴったり合います。


「最愛の人を失い
大切なものを流され
あなたの悲しみは
計り知れません」
「苦難→忍耐→練達→希望」


「でも 生きていれば
きっと いい事はあります」
「小さな幸せ」


「お願いです
あなたの心だけは
流されないで
不幸の津波には
負けないで」
「負けるが勝ち」


鼻垂れ小僧ながら、“女ざかり”の百歳、柴田トヨさんと波長が合うというのは、大変光栄なことです。


去る8月28日のブログ「遺書」の中で、私も遺書を急いで書こうと述べて、実際その3日後に「私の遺書」を完成させました。
最近、体調不良でちょっと弱気になっていましたが、平櫛田中さんに「鼻垂れ小僧」と活を入れられ、男ざかりの100歳を目標に頑張ることにしました。
「私の遺書」の公開日付けも、せいぜいこれぐらいだろうと思って20年後に設定してあったのを、思い切って40年先に設定し直しました。


毎日、「学院長 元気の出るブログ」を愛読してくださっている方は、ぜひこのページの左上にある「ブログの読者になる」をクリックして、メルマガ登録を行ってください。
ブログ更新情報が毎日届き、簡単にブログにアクセスでき、とても便利です。


↓ブログランキングに参加しています。読み終わったらクリックして応援してください。


にほんブログ村 教育ブログ 塾教育へ
にほんブログ村

与えなさい、そうすれば与えられます。

2011.09.26日

今日のタイトルは聖書の中の有名な言葉です(ルカの福音書6:38)。


先日のブログ記事「ザ・パワー」の中に面白い一節があります。
少し長くなりますが、下に日本語訳から引用します。


「数年前に仕事でパリにいた時のことです。街を歩いていたら、パリジェンヌ風の洗練されたデザインのスカートを穿(は)いた女性が慌てて私の横を通り過ぎて行きました。そのスカートは私がそれまで見たこともないほど素敵でした。その時の私の反応は『なんて美しいスカートなのかしら!』とスカートに対する愛でした。


その数週間後に、私はオーストラリアのメルボルンにいました。幸せな気分で職場に向かって運転している時、他の自動車が交差点で違法なUターンをしたので、私も止まらざるを得ませんでした。その時見たお店のウィンドウに、パリで見たのと全く同じスカートが飾ってあったのです。その時、私は自分の目を信じることができませんでした。職場に着いて、そのお店に電話で問い合わせると、そのデザインのスカートはヨーロッパからたった1点だけ入荷し、それがあのウィンドウに置いてあるものだとわかりました。もちろん、そのスカートは私にぴったりのサイズでした。そのスカートを購入するためにお店に行くと、何と半値になっていました。店員の話では、それは注文していなかったのに、注文したものの中に偶然入っていたのだということでした!


そのスカートを私が引き寄せたのは、何といっても愛の仕業です。色々な状況、出来事を通して、パリからメルボルン郊外にいる私に全く同じスカートが届けられたのです。これこそが愛の磁力なのです。それが愛の引き寄せの法則が働いた結果なのです」


ちょうど2週間ほど前、送迎バスを運転しながらこの箇所をオーディオCDで聞いていた時、すぐ後ろの席に座っていた小6のMちゃんとNちゃんが、私に尋ねました。
「学院長先生、今そのCDで何て言ってるんですか?」
そこで私が上の内容を話したら、二人ともびっくりして、
「えー、すごいっ!」
と大声を上げました。


私はこのCDをすでに何度も繰り返し聴いているのですが、その内容に首肯することばかりなので、日本語訳を買い求めて、今、妻に読ませているところです。
読め始めた妻の第一声は、
「この本に書いてあるようなこと、あなたいくつも経験してるんじゃないの?」。


そうです。冒頭に引用したのとそっくりの状況を私自身何度も経験しているのです。
もちろん、このようなことを経験したことのない人は、「あり得ない」とか「単なる偶然だ」、あるいは「気持ち悪い」などと言うのでしょう。
でも、経験している者にとっては、ある意味ごく当たり前のことなのです。


そして、これを信じるか信じないかは本人次第ですが、信じるならば、この本を自分も読んでみようとか、実際にそんなことが起きるかどうか自分で確かめてみよう、という行動が引き寄せられるのです。


断っておきますが、私は別に神秘主義者でもなければ、この本の宣伝を頼まれているわけでもありません。
ひとつだけ言えることは、このようなことは信じる人には本当に起きるということです。
実際、このような体験をこのブログにいくつも書いてきています。一例を挙げると、
「すごい夢を見よう!」「成功とはあきらめないこと」「夢はかなう!」「人生の分かれ道」
信じるか信じないかはあなたの決意、選択です。


そう、一昨日のブログ「すべてはこの一語に尽きる」に書いた「一語」は、「選択」です。
人生は、生まれた時から死ぬ時まで、常に一瞬一瞬が「選択」の連続で、選択次第であなたの人生はどのようにでもなるのです。


毎日、「学院長 元気の出るブログ」を愛読してくださっている方は、ぜひこのページの左上にある「ブログの読者になる」をクリックして、メルマガ登録を行ってください。
ブログ更新情報が毎日届き、簡単にブログにアクセスでき、とても便利です。


↓ブログランキングに参加しています。読み終わったらクリックして応援してください。


にほんブログ村 教育ブログ 塾教育へ
にほんブログ村

お父さんは幸せ?かわいそう?

2011.09.25日

去る9月17日の読売新聞26面に永谷園のお茶づけ海苔の全面広告が載っていました。
ご覧になった方も大勢いらっしゃることと思います。


これはインパクトがありました。
ネットで検索したら、原画を描いたイラストレーターの方の「丘の上から通信」というブログにその新聞の広告がそのまま載っていたので、ここに転載しようと思ったのですが、「イラストレーションの無断使用および複製・転載を禁じます」とあったので、上にリンクを貼りました。
とても面白いので、是非ご覧になってください。


「おかえりなさい。
家に帰れば、あたたかい人がいる、
あたたかいお茶づけがある。」
という言葉とともに、お父さんがお茶づけを食べているイラストがあります。
残業で遅く家に帰ってきたお父さん。家族はもうみんな寝ていて、ダイニングのテーブルの上には「パパおかえり」と書いたメモとお茶づけ海苔の袋があります。
お父さんは着ていた背広を脱ぎ、ネクタイを外して隣の椅子の背にかけて、ホッとしたような表情で家族の愛情こもったお茶づけを食べています。


とてもユーモラスです。
思わず吹き出してしまいました。
私自身はサラリーマンもわずかながらもやったことがありますが、残業で家族が寝静まった家に夜遅く帰宅して一人でご飯を食べたという経験はありません。
でも、何となくこの雰囲気分かるような気がします。


そして、熱いお茶づけ、香りや味、舌触りまで実感できます。
お父さんのホッとした気持ちもよくわかります。


この広告を見て、批判する人もいるでしょう。
ほかに何もおかずはないの?とか、お父さんがかわいそうとか。


これがレトルトのサトウのご飯で、お父さんが水道の水をかけて、電子レンジでチンして、それにお茶づけ海苔を振りかけて惨めな気持ちで食べていたとしたら、これは確かにかわいそう。
でも、イラストの中のお父さんは「パパおかえり」のメモを見ながら微笑んでお茶づけを食べている。
これはこれでありかなと思うのです。


要するに、これはお父さんの気持ち一つ。
「何だ、これは!
家族のために一日働いてクタクタに疲れて帰って来たのに、お茶づけ海苔で、パパおかえりだと。
人をバカにするのもほどほどにしろ‼」
と言いながら、頭に来て、家を飛び出して飲み屋に行くこともできるわけです。
妻を叩き起こして、怒鳴りつけ、悪態をつくこともできます。
場合によっては、もう離婚だ!と言うことだってできます。
実際、そのようなことをする人もきっといることでしょう。


すなわち、同じ状況に置かれていても、それに対してどのように反応するかは、その人の選択なのです。


人生とはまさにこのようなもので、さまざまな状況で私たちは一瞬一瞬、自分の行動を選択しているのです。
そして、この選択次第で幸せにも不幸にもなることができます。
突き詰めていくと、人の幸不幸は自分で選び取り、自分で決めているのです。


ということで、これが昨日のブログ「すべてはこの一語に尽きる」の「一語」のヒントです。
皆さんの答えは何でしたか?


毎日、「学院長 元気の出るブログ」を愛読してくださっている方は、ぜひこのページの左上にある「ブログの読者になる」をクリックして、メルマガ登録を行ってください。
ブログ更新情報が毎日届き、簡単にブログにアクセスでき、とても便利です。


↓ブログランキングに参加しています。読み終わったらクリックして応援してください。


にほんブログ村 教育ブログ 塾教育へ
にほんブログ村

すべてはこの一語に尽きる

2011.09.24日

読者の方々のご声援のお陰で、長い間ほぼ毎日このブログを書き続けてくることができました。
ご愛読を心より感謝いたします。


なんて書き方をすると、もう今回のブログが最終回か、と思われる方があるかもしれませんが、別にそういう意味ではありません。


読者の方から、毎日読むたびに元気をもらえる、◯◯の記事を読んでいろいろと教えられた、等とメールで励ましのお言葉をいただくと、じゃあますます頑張らねば、という思いになります。
記事の内容についてコメントをくださる方や、ご質問くださる方もありますが、大歓迎です。
皆さんに少しでもお役に立つことができれば、望外の喜びです。


自分の過去の記事を読み返していると、なんとなく毎回同じようなことを言っているような気がしてきました。
まあ、考えてみれば、同じ人間が書いているのだから当たり前のことなのですが。
ある読者の方からは、一貫性があってブレがない、というお褒めの言葉をいただきましたが、なるほど、そういう褒め方もあるのかと。ありがとうございます。


私はこのブログに、教育問題のみならず、親子や家族、社会の人間関係、子育て、仕事、先端技術、積極思考などさまざまな問題を取り上げ、自分の経験から、また教えられたことや気づいたことなどを織り交ぜながら書いています。


これまでいろいろとたくさん書いてきましたが、すべてはこの一語に尽きる、というキーワードに気づきました。
それは、…と書きかけたのですが、昨日のブログ「PISA型学力 その2」に「自分で考えることが大切」といった旨のことを書いたばかりですので、ここで答えは書かないことにしました。


皆さん、何だと思いますか?
考えてみてください。
そして、もしよろしければメールで皆さんの考えを寄せていただければとても嬉しいです。
このブログ記事の上に
「ブログに関するご意見・ご感想は、こちらのフォームからお気軽にどうぞ」
という囲みあります。
「こちらのフォーム」をクリックしてご意見をお寄せください。
これは別にテストではなく、正しい答えは一つだけということもありません。
皆さん、それぞれが感じられたことが正解です。
「この一語」はあくまでも私自身の考えですから。


毎日、「学院長 元気の出るブログ」を愛読してくださっている方は、ぜひこのページの左上にある「ブログの読者になる」をクリックして、メルマガ登録を行ってください。
ブログ更新情報が毎日届き、簡単にブログにアクセスでき、とても便利です。


↓ブログランキングに参加しています。読み終わったらクリックして応援してください。


にほんブログ村 教育ブログ 塾教育へ
にほんブログ村

PISA型学力 その2

2011.09.23日

去る9月19日のブログ「PISA型学力」に次のように書きました。
「今後、PISA型学力をつけることを目標にした授業が全国の小中学・高校でどんどん取り入れられていき、現在の閉塞感のある教育に大きな風穴を開けることになることと私は期待しています。
私たち学習塾に携わる者も、学校の成績を上げるため、志望校に合格させるだけのための、生徒にとってつまらない授業をしていてはだめです」


すると、9月20日の読売新聞16面「教育ルネサンス 知識活用 根拠まで回答」の記事には、塾でそのような取り組みをしているところがあると紹介されていました。
「一見、PISA型とは関係ない設問でも、『なぜそう思うのか』『根拠は何か』を考えさせ、『考える力』の育成に取り組んでいる。
例えば、『弥生時代に、貧富の差が生まれたのはなぜか』という歴史の問いでは、『稲作が始まったから』と答えれば、正解になる。だが、授業では、さらに『なぜ、そう考えたのか』を聞く。『教科書に載っていたから』ではだめで、自分の知識を活用して回答させる」


そして昨日の同シリーズ6回目の「考える習慣 塾で培う」という記事には、「塾に通わせる親の間には、入試の得点に直結した授業を望む声が根強い。このため、PISA型学力を強調する学習塾は、まだまだ少ない」としながらも、「PISAの影響は、学校にとどまらず、学習塾にも広がりつつある」とありました。


このような記事を読むと嬉しくなります。私自身も自分の教育理念である、「考える力」をつける授業を日々実践しているからです(「早いと速い」「選ばれた戦士たち」)。
塾はテストの点数を取らせ、志望校に合格させればそれでいい、という風潮がある中で、このような真摯な取り組みをしている塾があるということはとても励みになり、また全国の塾にも大きな影響を与えることと思います。


それが証拠に、同記事は次の言葉で締めくくっています。
「公立高校入試にPISA型学力を問う問題を導入する動きは、各地に広がっている。
千葉県では2003年から07年まで、県独自の学力調査を実施。その結果、『筋道を立てて考える思考力』『資料を読み取る力、自分の言葉で表現する力』などに課題があることが分かり、08年の入試から、思考力などをみる問題を増やした。平均点は下がったが、中学生に考える力をつける勉強をする動きがでてきたという」


このような動きは、今後我が神奈川県を始め、全国に広がっていくと私は思っています。
そうでないと、これからの国際競争力において日本は確実に世界に遅れを取ることになります。
そのためにも、学習塾も旧態依然とした丸暗記・詰め込み式の教育から脱皮しなければなりません。


毎日、「学院長 元気の出るブログ」を愛読してくださっている方は、ぜひこのページの左上にある「ブログの読者になる」をクリックして、メルマガ登録を行ってください。
ブログ更新情報が毎日届き、簡単にブログにアクセスでき、とても便利です。


↓ブログランキングに参加しています。読み終わったらクリックして応援してください。


にほんブログ村 教育ブログ 塾教育へ
にほんブログ村

台風一過 行方不明1 避難1 被害総額...

2011.09.22日

昨日の台風はものすごかったです。
このような大きい台風が湘南地方を襲ったのは20年振りぐらいでしょうか。
昼過ぎに塾にやってきて様子を見ていましたが、雨風がどんどん強くなってきて、外の階段わきに置いてある立て看板は下に重いブロックが2個置いてあるにもかかわらず、風で歩道のほうに落ちかけていて、激しい風雨の中ずぶ濡れになって場所を移動しました。途中何度か風に吹き飛ばされそうになりました。


2時過ぎに補習に来た生徒2名に休講を伝え、夕方のクラスの小学生に電話およびメールで休講の連絡をしました。
もうしばらく様子を見ていましたが、さらに雨脚が強くなってきたので、ついに夜のクラスも休講措置に。
メールと電話で塾生および保護者に連絡。


夜のクラスが始まるはずだった7時過ぎ、雨も風も随分収まってきました。
近辺の中学では明日まで期末テストで、4日前の土曜日から昨日まで連日、塾の全教室が満杯になるほど大勢の生徒が補習にやってきていました。
今日も予定していた補習や、夜の個別クラスに来たかった生徒がたくさんいただろうに、と思うと本当に残念で申し訳なく思いましたが、自転車通塾している生徒が多い中、万に一でも怪我人が出ては大変、と断腸の思いで夜のクラスも休講にしました。
みんなが明日の試験のために一生懸命自宅学習することを祈りつつ。
今時分生徒たちは最終日のテストに臨んでいるのでしょうが、学んできたことの結果が出ているかな?


平塚市内では停電が11,500軒にのぼり、うち1軒に住まう塾のS先生が夜に塾に避難しに来ていました。携帯の充電が切れそうになってやむなくの避難だったそうです。
行方不明1は、人ではなく駐輪場に置いてあったゴミ用のポリバケツです。夜、付近を捜索しましたが、発見できませんでした。これによる被害総額は約4,000円。
心配した方から「大丈夫?」とメールをいただきましたが、無事でしたのでご安心ください。


明けて今日は台風一過。朝から雲一つない真っ青な空が広がりました。
気温はかなり上がりそうですが、爽やかな秋晴れです。
我が家では、一昨日屋根と外壁を高圧洗浄、今日から塗装作業です。
足場なども影響なくてよかったです。


今回の台風で被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。
でも、負けてはだめです(「負けるが勝ち」)。


毎日、「学院長 元気の出るブログ」を愛読してくださっている方は、ぜひこのページの左上にある「ブログの読者になる」をクリックして、メルマガ登録を行ってください。
ブログ更新情報が毎日届き、簡単にブログにアクセスでき、とても便利です。


↓ブログランキングに参加しています。読み終わったらクリックして応援してください。


にほんブログ村 教育ブログ 塾教育へ
にほんブログ村

負けるが勝ち

2011.09.21日

この世の中、すべてが勝負事と思えるほど、身の回りを見るとビジネスの世界からスポーツ、勉学、果ては人間関係まで勝ち負けがあります。
そして、善し悪しは別にして私たちはこの勝負の世界に日々巻き込まれています。


ほとんどの人はやはり勝ちたいもの。負けると悔しい。さらに、世の中は当たり前のようにこぞって勝った人を褒め称えます。
勝った人を褒めてその労に報いることはもちろん大切なのですが、その陰で負けて悔し涙を流している人(実はこちらの方が数は圧倒的に多いのですが)、これらの人の労苦も認めて、同じように褒めることも大切ではないかと思います。


場合によっては、負けるが勝ちというケースだってたくさんあります。


どうしても自分が勝たなければならないと思っていると、ストレスで身も心もズタズタに引き裂かれ、最後は病の床に伏したり、あるいは寿命を縮めることにもなり、結局は負けるという皮肉な結果になることだってあります。
こんなことなら、負けておいた方が勝ちです。


駅のホームなどで、ぶつかった、ぶつからない、お前が謝れなどと喧嘩しているうちにだんだんエスカレートしていって、暴力事件や時には殺人事件にまで発展することがあります。


狭い道路でお互いに譲らず、運転者同士で喧嘩をしているケースもあります。これも暴力・殺人事件に至ることがあります。
このような場合は明らかに「負けるが勝ち」です。


私自身は、敢えて事を荒立てたくないたちで、できる限り穏便に済ませたいので、相手と喧嘩になりそうになったら、すぐに謝って身を引くようにしています。
時には、謝っても謝っても相手は責め続け、こちらも弁解や反撃をしたくなることもありますが、そのような場合でも私は決まって「負けるが勝ち」と自分に言い聞かせ、引き下がるようにします。
このお陰で、これまでどれだけ助かってきたかわかりません。


たとえ自分が正しくても、悔しくても、自分の方が相手よりも強かったとしても、敢えて負ける勇気を持つことはとても大切なことです。


でも、負けてはいけない場面では、歯を食い縛って勝利をものにしましょう。
受験生は、負けたら負けです。


今、ちょうどこの辺りは台風が直撃しているところです。
今年は東日本大震災や相次ぐ台風で大きな被害が出ていますが、これも負けてはいけないケースの一つです。


毎日、「学院長 元気の出るブログ」を愛読してくださっている方は、ぜひこのページの左上にある「ブログの読者になる」をクリックして、メルマガ登録を行ってください。
ブログ更新情報が毎日届き、簡単にブログにアクセスでき、とても便利です。


↓ブログランキングに参加しています。読み終わったらクリックして応援してください。


にほんブログ村 教育ブログ 塾教育へ
にほんブログ村

寒っ!

2011.09.20日

今日は早く目が覚めました。新聞を取りに外に一歩出るなり「寒っ!」。


「暑さ寒さも彼岸(ひがん)まで」とはよく言ったもの。
今日は彼岸の入りです。
台風が近づいてきていることもありますが、やはり彼岸になるとうそのように涼しくなります。


「彼岸とは、煩悩を脱した悟りの境地のことで、煩悩や迷いに満ちたこの世をこちら側の岸「此岸」(しがん)と言うのに対して、向う側の岸「彼岸」という」(Wikipediaより)
仏教の概念である「彼岸」は、クリスチャンの私にとって別に何の意味もないのですが、やはり日本人だからか季節の変わり目ということで、小さい頃から自然と体で覚えています。
太陽が真東から上がって、真西に沈み昼と夜の長さが同じになる春分の日と秋分の日を挟んだ前後3日の計7日間を「彼岸会」(ひがんえ)と呼びます。


去る9月16日付読売新聞38面に載っていた「10代7割『来れる』派 『ら』抜き言葉 浸透中」の記事には、「ら」抜き言葉と並んで最近の若者言葉である形容詞の語幹を使う言い方が目立ってきているとありました。
「寒っ!」とか、「すごっ!」「長っ!」「短っ!」「うるさっ!」などがその一例です。


「寒っ」は63%が「自分も使うし、他人が言うのも気にならない」と答え、「自分は使わないが、他人が言うのは気にならない」が22%。
これらが「気になる」割合は年齢が上がるにつれて多くなると言います。


してみると、「寒っ!」と普通に言える私はまだまだ若いということか。
実は、塾という仕事をしていて毎日小学生、中高生などと接していると、否(いや)が応でもこれらの言葉が耳に入ってきて、自分でも知らず知らずのうちに使ってしまっているのです。


でも、これはありがたいことで、子ども達から毎日若さの素(もと)をいただいているわけです。
いつも塾の仕事はありがたいと思い、子ども達には感謝しています。
「塾の仕事は3K」に、塾の仕事に対する私のイメージをKで始まる言葉で表しましたが、新たなKが見つかりました。
「気持ちが若くいられる」です。


「ショウほど素敵な商売はない」じゃないですが、本当に塾ほど素敵な仕事はないと思っています。


ちなみに、「見れない」「食べれない」などの「ら」抜き言葉には耳にするのにもまだかなり抵抗があり、私自身は使うことができません。
ということは、やっぱり年相応ということか...。
さらに、「寒っ!」は何と江戸時代から使われていたとか(9月16日付「よみうり寸評」)。
なぬっ!ということは私は古い人間じゃないか!


毎日、「学院長 元気の出るブログ」を愛読してくださっている方は、ぜひこのページの左上にある「ブログの読者になる」をクリックして、メルマガ登録を行ってください。
ブログ更新情報が毎日届き、簡単にブログにアクセスでき、とても便利です。


↓ブログランキングに参加しています。読み終わったらクリックして応援してください。


にほんブログ村 教育ブログ 塾教育へ
にほんブログ村

PISA型学力

2011.09.19日

読売新聞の「くらし 教育」面に長年にわたって連載されている「教育ルネサンス」は、私のお気に入りのシリーズです。
去る9月14日からは新しいシリーズ「PISA型学力」が始まりました。


近年、日本でもこれまでのような丸暗記型の学習法の限界が指摘されるようになり、実生活に役立つ教育が求められてきています。
これは正しい方向性で、私は以前からこのような教育の必要性を訴えています(「勉強と実生活の接点」「数学を勉強する目的」)。
これがいわゆるPISA型(国際学習到達度調査)学力と呼ばれるものです。


今回、シリーズ第2回「日常生活 数学で解く」(9月15日付)に、日常生活で数学を活用する「実社会数学」という新しい授業の試みが紹介されています。
たとえば、「航空券が36%引き」という教師が準備した旅行のチラシをもとに、さまざまな条件の4つのプランを比較、計算してどれが一番得か、自分ならどのプランを選ぶか、などをみんなで調べ話し合う、というようなユニークな授業です。
このような授業だったら生徒はみんな食いつき、自然な形で実生活につながる数学を楽しみながら学び、身に着けることができます。
無味乾燥でつまらない、役立たないというイメージがつきまとう数学を、このような形でみんなに興味を持たせ、楽しくする、これこそ理想的な教育の姿ではないかと私は思います。


このような学習法は、どの教科でも活用することが可能です。
今後、PISA型学力をつけることを目標にした授業が全国の小中学・高校でどんどん取り入れられていき、現在の閉塞感のある教育に大きな風穴を開けることになることと私は期待しています。
私たち学習塾に携わる者も、学校の成績を上げるため、志望校に合格させるだけのための、生徒にとってつまらない授業をしていてはだめです。


毎日、「学院長 元気の出るブログ」を愛読してくださっている方は、ぜひこのページの左上にある「ブログの読者になる」をクリックして、メルマガ登録を行ってください。
ブログ更新情報が毎日届き、簡単にブログにアクセスでき、とても便利です。


↓ブログランキングに参加しています。読み終わったらクリックして応援してください。


にほんブログ村 教育ブログ 塾教育へ
にほんブログ村

模試の結果が戻ってきて

2011.09.18日

夏期講習最終日に行った模試の結果が昨日戻ってきました。
普段の勉強に対する取り組みが面白いほどそのまま結果に出ていました。
生徒の名前を見れば、偏差値がほぼ90%近い確率で当たります。
つまり、模試も本番の入試も、普段の積み重ねがそのまま出るということです。当たり前のことですが。


群を抜いていたのは、幼稚園の年中の時から英語を学びにきて、通塾11年目のT君でした。これも当たり前と言えば当たり前のことかもしれません。
しかし、5教科総合で偏差値73というのは、やはり彼の絶え間ない努力と勉学に対する彼の姿勢の結果以外の何物でもありません。


生徒はよく「◯◯君は頭がいいから」というような言い方をしますが、頭がいいから高い偏差値が出るのではなく、高い偏差値も頭がいいのも全部努力の結果です。
何も努力しないでできる人などこの世に存在しません。
天才と呼ばれる人もみんな努力しています。
昨日のブログ「会うは別れの始め」に書いたエド君もそうです。


昨日、もう一人の昔の友人をネット検索しました。
彼とは幼稚園の時一緒だったのですが、その後私は小学校と中学校の時引っ越しました。
ところが、2度引っ越した先でまた彼と同じ中学になったのです。
初めは知っている子に似ているなぐらいの感じだったのですが、どうしても気になりある時思い切ってひょっとしたらと尋ねてみました。
すると、彼の方も私と同じように感じていたようで、やっぱり!ということになりました。


結局、彼とは中学・高校と6年間一緒だったのですが、一度も同じクラスになることもなく、顔を合わせればお互いに声をかける程度でした。


しかし、私の頭の中にはその後もずっと彼のことが潜在意識に残っていたのです。
きっと今では成功しているだろうな、と思って調べたところ、何とあの世界的にも有名なJR京都駅の駅ビルの会社の社長になっていました。
さらに調べると、高校卒業後は現役で京都大学工学部に進学、さらに大学院を卒業し、旧国鉄に入社。
その後、新幹線関連の仕事にも携わり、JR西日本の理事も務めていることがわかりました。
確かに頭のいい子でしたが、ただそれだけではなく、やはり努力家で真面目でした。
それが今日の結果につながっているのです。
私は昨日のエド君と併せて彼の成功をとても嬉しく思いました。


人の成功の陰には必ずものすごい努力があります。
そして、この努力は誰にでもできることです。
もともと頭のいい人だけが努力するのではありません。
みんなに同じチャンスが与えられているのです。


模試の偏差値や学校の成績、どこの学校を卒業したかが人生を決めるのではありません。
少年時代から青年時代にかけての人生に対する真摯な姿勢と努力がその後の人生を決めます。


毎日、「学院長 元気の出るブログ」を愛読してくださっている方は、ぜひこのページの左上にある「ブログの読者になる」をクリックして、メルマガ登録を行ってください。
ブログ更新情報が毎日届き、簡単にブログにアクセスでき、とても便利です。


↓ブログランキングに参加しています。読み終わったらクリックして応援してください。


にほんブログ村 教育ブログ 塾教育へ
にほんブログ村

会うは別れの始め

2011.09.17日

私たち人間は、誰ひとりとして一生孤独で、誰とも会わず、人と関わらずに生きることはできません。
まず、この世に生を受けたということ自体、そこに少なくともそこに母親との出会いと関わりがあります。


そして、生涯に数え切れないほどの出会いを経験します。
両親や兄弟などの家族との出会いに始まり、親戚、友人、恩師、同僚、先輩・後輩、上司・部下、近所の人たち、そして伴侶、子ども等など。
そして当然のことながら、出会いがあればそれに伴う別れもあります。
それを「会うは別れの始め」と言います。
これは仏教的な考え方で、「会うことは別れることの始まりでもある。人生は無常で、会えば必ず別れる時がくる」という教えです。


昨夜、寝る前にふと思い出して、今から42年前にうちでお世話したアメリカからの交換留学生、エド君の名前をネットで検索しました。
すると今、彼はアメリカの名門、イェール大学の東アジア言語・文学部学部長、日本文学教授を務めていることがわかり、胸の高鳴りを覚えました。
イェール大学東アジア言語・文学部に紹介されている写真は昔の面影はまったくなく、むしろお父さんに似ているような感じがしました。


エド君のことはこれまでにこのブログで何度か取り上げました(「意思あらば道通ず」)。
その一つ「エピソード」に書いた愛宕山登山の時、エド君に私の友人の一人が言いました。
「日本には『会うは別れの始め』ということわざがある。僕たちもやがては別れるんだね」
エド君には通じなかったので私が通訳しました。
"In Japan, we say 'Meeting is the beginning of parting.' We have to say good-bye soon."
するとエド君が悲しそうな顔をして言いました。
"I don't like that idea."
(僕はそういう考え方は嫌いだ)
そこで私は続けて言いました。
"Then, parting is the beginning of meeting again."
(じゃあ、別れは再会の始まりだ)
エド君はこの考えをとても気に入ってくれました。


その後、彼はアメリカに戻り、高校卒業後はイェール大学に進学し、日本文学を専攻しました。
在学中、岡山の倉敷に備前焼を体験しに半年ほどホームステイに来ました。
私は車で彼を訪ね、再会を喜びました。
そして今度は私がアメリカに留学した時、日本貿易振興機構(JETRO)ロサンゼルス支局で働いていたエド君を訪ね、またまた再会を果たしました。
この時、彼は流ちょうな日本語を話し、すっかり日本人のような雰囲気を醸(かも)し出していました。
そして、それから36年の歳月が流れました。


「会うは別れの始め」という考え方は嫌いだ、と言っていたエド君。
しかし今や、日本文学、とくに奈良・平安・鎌倉時代の古典文学を専門にしているエドワード・ケイメンズ教授は、仏教の教えに通じていて「会うは別れの始め」の無常の精神をきっと私たち日本人以上に深く理解し、アメリカ人に教えていることでしょう。


一方、私はアメリカ留学中にキリスト教に出会い、クリスチャンになりました。
キリスト教には「永遠の命」という概念があり、死後天国での再会が約束されています。


エド君の日本との出会いが日本文学者としての彼のその後の人生を決定づけ、一方私は仏教の環境の中で生まれ育ってきたにもかかわらず、彼との出会いを通して英語に目覚めてアメリカに留学し、そこでクリスチャンになり、それが今日の私の英語の仕事につながっている、というのは何という不思議な巡り合わせでしょうか。
これらのことを考えていたら興奮して、昨夜はなかなか寝つけませんでした。


ちなみに、「会うは別れの始め」ということわざの英語版は、私が高校生の時に思いつきで言った
Meeting is the beginning of parting.
ではありませんでした。もちろんエド君に意味は通じましたが。
英語では下のような言い方をします。
The best of friends must part.
(いちばんの親友でも必ず別れの時がくる)
All good things come to an end.
(いいことには必ず終わりがある)
We never meet without a parting.
(別れなしの出会いはない)
We meet only to part.
(会えば必ず別れがある)


確かに、どの出会いにも必ず別れがありますが、その向こうに永遠の再会という希望があるというのは何という慰め、喜びでしょうか(「バレンタインデーに嬉しいことが3つ」「心洗われます」)。


毎日、「学院長 元気の出るブログ」を愛読してくださっている方は、ぜひこのページの左上にある「ブログの読者になる」をクリックして、メルマガ登録を行ってください。
ブログ更新情報が毎日届き、簡単にブログにアクセスでき、とても便利です。


↓ブログランキングに参加しています。読み終わったらクリックして応援してください。


にほんブログ村 教育ブログ 塾教育へ
にほんブログ村

自己暗示

2011.09.16日

一昨日、個別クラスで中3生に英語を教えていた時、一人の生徒が言いました。
「Lesson 5 の文法がよくわからない」
すると、別の生徒も言いました。
「ここ試験範囲に入るけどホント難しいよね」
実は、学校の方が先に進んでいて、私の担当の生徒はまだここをやっていなかったのです。
そこで私は言いました。
「大丈夫。今からわかりやすく説明するから」


生徒に限らず誰でも、新しいことを学ぶ時というのは不安があり、またとっつきが悪く、頭から難しいと決めつけがちです。


私は Lesson 5 の文法単元である現在分詞と過去分詞の形容詞的用法を修飾語がある場合・ない場合を例を挙げながら、ポイントを絞ってできる限りわかりやすく説明しました。
そして繰り返し言いました。
「ほらね、簡単でしょ。たったこれだけのことだよ。難しいと思うから難しくなるんだ。
難しい、わからないって言ってたら自分に自己暗示をかけているんだよ」


実際、解説が終わって問題を解き始めると本人たちの予想に反し意外と簡単にできました。まだ語順整序問題や日本語訳で時々間違うのは演習量が足りないからで、基本は理解できています。


一緒のグループにいた、小さい頃から野球をやっているT君に言いました。
「試合で、相手チームのピッチャーがうまくて、これは打てないって思ったらそれだけで本当にヒットが打てなくなる。でも、何くそ絶対に打ってやるぞ!って思っていると打てる。そんなことってあるでしょ」
「いつもそうです。何としても相手に負けないぞと思っていると本当に勝てます」
「そうだよね。勉強もまったく同じだよ」
と先ほどのふたりに言いました。


そうです。多くの場合、私たちは無意識のうちに、自分はできるとか、できないとか自己暗示をかけていて、実際に自分の考えた通りの結果になっているのです。
だから、だめだと思ったら損なのです。本当にダメになるのですから。


これは勉強や仕事だけでなく、毎日の生活のあらゆる面に適応できます。
その典型的な例が人間関係です。
たとえば、この人は苦手だ、好きになれないなどと思っていると、自分に暗示をかけるだけでなく、その気持ちが相手にも伝わり、相手も自分のことを同じように見るようになります。
逆にこの人はいい人だ、好きだと自己暗示をかけていると、その気持ちは同様に相手に通じ、相手も自分のことをよく思ってくれるようになります。


自分はアナログ人間で、パソコンやスマートフォンや機械物は苦手と自己暗示をかけていると、相手も自分から遠ざかっていき、ますます苦手になります。
これは何にでも当てはまります。
ならば、積極的・肯定的な自己暗示をかけないと損です。
そのような自己暗示をかけていると、自分の望む通りの結果を得ることができます。


毎日、「学院長 元気の出るブログ」を愛読してくださっている方は、ぜひこのページの左上にある「ブログの読者になる」をクリックして、メルマガ登録を行ってください。
ブログ更新情報が毎日届き、簡単にブログにアクセスでき、とても便利です。


↓ブログランキングに参加しています。読み終わったらクリックして応援してください。


にほんブログ村 教育ブログ 塾教育へ
にほんブログ村

英会話

2011.09.15日

英会話はかつてほど特別なものではなくなりました。
今や小学生でも多くの子があちらこちらで英語教室や英会話教室に通っています。
もっと多くの国民が英会話に慣れ親しむことができるようにと文科省はカリキュラムを組み、中学や高校の英語の授業の中でも、英会話の時間がずいぶん取り入れられるようになりました。


実際、街角で外国人に英語で話しかけられても、昔のように手を顔の前で横に振って「ノー、ノー」と言って逃げる光景はあまり見なくなり、その代わりに片言ながらジェスチャーを交えて一生懸命英語を話そうとする人の姿をよく見かけるようになってきました。結構ご年配の方々も。


日本人は「英会話」というものに一種の憧れのようなものを持っているようです。
それはそれでいいのですが、「英会話」と言うとき、「外国人に道順を尋ねられたら教えられる」的なレベルが念頭にあるようで、中にはそれが英会話だと思っている人も少なくありません。
学校の教科書に載っている「英会話」も、特定の状況が設定された同じ類(たぐい)のものがとても多いです。
確かにそれも英会話の一つでしょうし、何も話せないよりそれだけでも話せるほうがいいに決まっています。コミュニケーションはそこから始まるからです。


しかし、学校の現場ではせっかく外国人のAET(英語指導助手)が来ているのに、ゲームなどを中心としたものだったりして、英会話の授業がまだまだ十分に生かされていないのは残念なことです。
学校の定期テストでは、教科書に載っている英会話の一部を取り上げて、結局は暗記していないとできないような穴埋め問題が出されたりして、本物の英会話になっていません。
もしも英会話をペーパーテストで扱うなら、会話の順序の整序や、似たような会話文で単語を入れ替えたものにするとか、いろいろと方法はあると思います。


外国から日本に来ている留学生などがよくテレビの番組に出て、さまざまな問題を自由に討論している姿を見ますが、日本人留学生が外国のテレビ番組で討論している姿はまず見ません。
日本に来ている留学生たちは、日本語会話ができるなどとは言いません。すなわち、日本語で道順を教えられるレベルのことを会話とはとらえていないのです。
自分の考えを自由に言って討論できることが、本当の意味での会話だからです。


もう20年近く前になりますが、アカデミーの小学生や中学生を連れてアメリカへ10日ほどの短期ホームステイに何度か行きました。
私も生徒と一緒にアメリカ人の家庭にホームステイするのですが、ある時ホストファミリーとの間で捕鯨問題が話題になったことがありました。
ホストファーザー曰く、クジラは哺乳動物だから捕鯨はいけないことだと。
そこで私は、牛や豚も哺乳動物だけど、みんな普通に殺して食用にしているではないか、と言いました。
しかし、牛や豚は飼育してきちんと管理しているが、クジラは海の中で自然に生息しているもので数が減ってきているからだめだと言います。
さらに、その人は冬にライフル銃を持って山に入り、うさぎ猟をすると言います。
私がそれは残酷だと言うと、冬山でうさぎを放っておくと凍死するので、自分はむしろうさぎの命を無駄にしないように殺して食べてあげているんだと言います。だからうさぎも人間の役に立っていて幸せなんだと。
私は、日本人は昔からクジラを食用にしてきていて、魚を食べるのと同じような感覚でいて日本の食文化の一部になっている。それにクジラの数も調査捕鯨で絶えず確認しながらやっていて、決してクジラの数が減ってきているとは言えない、と言いました。
だんだん討論が白熱してきたとき、ホストファーザーが言いました。
「これ以上続けると喧嘩になるからやめよう」。


この討論を目の前で見ていた生徒たちは驚いていました。
こういうのを本当の英会話と言うのです。
道順を聞かれて教えられるというのは、単に覚えたパターンを繰り返しているにすぎず、本当の意味での会話ではありません。


日本人はよく、「読み書きはできるが、英会話は...」と言いますが、本当は読み書きがしっかりできる本物の英語力がついているならば、英会話もできるものです。


毎日、「学院長 元気の出るブログ」を愛読してくださっている方は、ぜひこのページの左上にある「ブログの読者になる」をクリックして、メルマガ登録を行ってください。
ブログ更新情報が毎日届き、簡単にブログにアクセスでき、とても便利です。


↓ブログランキングに参加しています。読み終わったらクリックして応援してください。


にほんブログ村 教育ブログ 塾教育へ
にほんブログ村

色弱

2011.09.14日

先日、息子が言いました。
「高校生のK君、昨日茶髪だったね」
「えっ、そうだったの?気がつかなかった」
「だって、自分が教えてたんでしょ」
「うん。でも髪の毛の色は見なかった」


「◯◯さんって青い服着てた人?」というような話が出てくると、私の返事は決まって、
「いや、服の色までは覚えていない」。


そう、私はこと色に関しては本当にうといのです。
これで高校生の頃、よく将来芸術家を目指すなんて無茶なことを考えたものです。
幸い、知り合いの画家によって諭(さと)され、すぐに諦(あきら)めましたが(「命の恩人」)。
中学生になった最初の身体検査では「赤緑色弱」と診断されました。
色盲・色弱の検査は、いろいろな色の円が大小さまざま混ざっていて、その中から数字を見つけるものですが、私の場合、赤と緑が混ざっていると灰色のように見えて、見えるはずのない模様が見えたり、見えるべきものが見えなかったりしてしまうのです。
色盲ではないので、個々の色の区別はつくのですが色弱で、その名の通り「色に関して弱い」、いわゆる「色音痴」です。


人の髪の毛の色や服の色などにはほとんど関心がなく、印象に残りません。
だから冒頭のような出来事はしょっちゅうです。
また自分の衣類に関しても同様で、スーツやワイシャツ、ポロシャツ、Tシャツ、ズボンにどんな色があり、何着持っているかもあまり関心がなく、シーズンの変わり目の衣替えの時、ああこんなものがあったんだと驚くような始末です。


しかし、私は「心の色」に関しては人一倍敏感なほうで、違いがよく見えます。
この人の今日の心の状態は「空色」「緑」「黄色」「赤」「灰色」など自然に伝わってきます。
ですからカウンセリングには向いています。心の状態が見えるのですから。
昔、カウンセリングの仕事をしていたのですが、来談者から自分の心をよく理解してくれていると言われたものです。
しかし、このことは同時に、ある意味敏感すぎてほかの人に見えない部分まで見えてしまうのでとても疲れるという面もあります。


英語に To put oneself in someone's shoes. という表現がありますが、「他人の靴の中に自分を入れる」ということから、「その人の立場に立つ」というような意味になります(「同情と共感」)。
結局、私の場合はカウンセリングを仕事として割り切ってやることができず、人の悩みや苦しみを一緒に背負い込んでしまってすごいストレスになり自分自身が体調を壊してしまったのでカウンセリングの仕事は辞めることになりました。


人の髪の毛や服の色に敏感な人が心の色に鈍感だ、とはもちろん言いませんが、人それぞれ敏感、鈍感な点が異なり、得意・不得意や、またさまざまな分野において適性というものがあります。
上の色盲・色弱も最近では「異常」というよりは、「個性」の違いという受け止め方をしているようで、ある特定の色が見えない、区別できないから異常とするほうがむしろ異常ではないかと思います。


実際、この世の中、いろいろな人がいて成り立っていて、それぞれが自分の得意な分野で自分の能力を伸ばせばいいわけで、みんながお互いに補い合い助け合う、そのような共生できる社会を私たちは目指すべきだと思います。


毎日、「学院長 元気の出るブログ」を愛読してくださっている方は、ぜひこのページの左上にある「ブログの読者になる」をクリックして、メルマガ登録を行ってください。
ブログ更新情報が毎日届き、簡単にブログにアクセスでき、とても便利です。


↓ブログランキングに参加しています。読み終わったらクリックして応援してください。


にほんブログ村 教育ブログ 塾教育へ
にほんブログ村

iPS細胞の恐怖

2011.09.13日

「そこに落ちているあなたの髪の毛。だれかが持ち去り、それをもとにiPS細胞(新型万能細胞)を作成する。これを変化させた精子と卵子から、あなたにそっくりな赤ちゃんが知らぬ間に誕生している−」。
これは9月11日付読売新聞36面「わかるサイエンス − 生殖研究 倫理問題に直面」という記事の冒頭の部分です。


「iPS細胞研究の急速な進展は、生命倫理の根幹に触れるこんなフィクションに、現実味を与えている」
と記事は続きます。
京都大学の教授らがマウスのiPS細胞から作った精子で子マウスを誕生させたと発表したのはまだつい1か月程前のこと。


「マウスでできたならヒトではどうか。はてしなく知を追い求める科学の営みには、倫理面からの歯止めが本来的にかかりにくい。東京大学の島薗(しまぞの)進教授(宗教学)はさらに、『科学や技術は、研究者の意図を離れて想定外の使われ方をする危険性もある』と指摘する」
と記事にあります。
実際のところ、これまでの人類の歴史を振り返ると、このような技術を使って人間のクローンを作るといったことは十分すぎるほど「想定内」のことであり、驚くようなことではありません。
むしろ、これを「想定内」と考えて、今から歯止めをかける方向に進まないと、必ず手遅れになり、ほんの近い将来、冒頭のサイエンスフィクションのような恐ろしい世界に私たちは直面することになります。


同記事に、明治大学の石井美智子教授(医事法)は「なぜ、人間を人為的に誕生させてはいけないのか。まだ先だと思っている今から、そのような根源的な問いについて、きちんと議論する必要がある。それが将来の世代に対する責任だ」と強調しているとありますが、このような調子で議論をしていると知らず知らずにどんどん話が進んでいく確率が高いです。
常識で考えても、これがどのような結果を生むかということは火を見るより明らかです。
人類の英知は大いに賞賛されるべきですが(「ドラえもんのふしぎなポッケ」)、同時にはっきりと「ダメなものはダメ」という姿勢を貫かないと、知の追求という美しいお題目の下で、人類を滅亡に導く方向に進まないとも限りません。
そして、このような人間の根源的な問題こそ、早い時期から教育の場で扱わなければなりません。
単なる知識の詰め込みと、暗記力を試す試験の繰り返しばかりしている現在の教育は不毛です。


毎日、「学院長 元気の出るブログ」を愛読してくださっている方は、ぜひこのページの左上にある「ブログの読者になる」をクリックして、メルマガ登録を行ってください。
ブログ更新情報が毎日届き、簡単にブログにアクセスでき、とても便利です。


↓ブログランキングに参加しています。読み終わったらクリックして応援してください。


にほんブログ村 教育ブログ 塾教育へ
にほんブログ村

砂の器

2011.09.12日

一昨日、昨日と連夜で「砂の器」のテレビドラマが放映されました。
松本清張の原作は1974年に映画化され、その後今回のテレビドラマ化は5回目というから、かなりの人気作品です。
映画化、テレビドラマ化されると、必ず原作とは随分変わってしまい、原作の味が失われる面は否めませんが、しかし同時に映像故の良さもあります。原作に登場する音楽のシーンが毎回異なったもので演奏されこれは一つの見ものにもなっています。
でも作中人物の心の動きを想像しながら読むほうが私自身は好きです。


今から28年前の留学中のこと、私は妻と一緒にこの映画をロサンゼルスのリトルトーキョーの映画館で観ました。
とは言っても、妻に言われるまで私の頭の中からはすっかり記憶が消えていたのですが、「そう言われれば」という感じで徐々に思い出しました。でも「砂の器」のストーリーまではまったく覚えていませんでした。
一緒に上映された「この子を残して」は、長崎の原爆をテーマにしたもので著者、永井隆博士の随筆をもとに映画化されたものです。
私はこちらのほうが鮮烈な印象で残っていたのですが、逆に妻はこちらの映画は記憶にないと言い、面白いと思いました。
両映画とも加藤剛が主演していました。


ちょうどこの時、長男の直人がアメリカで生まれ、まだ1歳になっていなかったのですが、近所のアメリカ人のおばあちゃんにベビーシッターをお願いして初めて出かけました。
直人は私たちから離れたことがなかったため、この時ものすごい不安を覚えたようで、わんわん泣き叫び、私たちは本当に映画のタイトルどおり「この子を残して」出かけるのに後ろ髪を引かれる思いをしました。
映画が終わり急いで家に戻ってくると、直人はまだ起きていて泣き続けていました。
たった数時間のことだったのですが、この時、主人公が白血病を患い子どもを残して死んでゆく悔しさを訴えている気持がほんの少しだけわかったような気がしました。


「砂の器」も同じく親子の愛情の絆がテーマになっていて、深く考えさせられました。


毎日、「学院長 元気の出るブログ」を愛読してくださっている方は、ぜひこのページの左上にある「ブログの読者になる」をクリックして、メルマガ登録を行ってください。
ブログ更新情報が毎日届き、簡単にブログにアクセスでき、とても便利です。


↓ブログランキングに参加しています。読み終わったらクリックして応援してください。


にほんブログ村 教育ブログ 塾教育へ
にほんブログ村

成功≠幸福

2011.09.11日

多くの人が、成功することを夢見ます。
成功することはいいことです。
そして、成功したら幸せになれると思っている人がとても多いのですが、「成功=幸福」とは限りません。


昨日書いたブログ「ザ・パワー」の中に次のような言葉が出てきます。
「成功は幸せの鍵ではありません。
幸せが成功の鍵です」。
これは、アルベルト・シュバイツァーの名言です。
数学ではA=BならB=Aなのですが、上の言葉を等式で表すと次のような関係になります。
「成功≠幸福」
「幸福=成功」


彼はまた、次のようにも言っています。
「もし自分のしていることが大好きなら、あなたは成功しているのです」
これは実に含蓄のある言葉です。


ビジネスやスポーツ、学問、教育、医療、先端技術等など、いろいろな分野で成功を収めている人がいます。
ところが、成功と引き換えに幸福を犠牲にしている人もまたたくさんいます。
中には、こんなことなら成功するんじゃなかったと、成功したことを後悔している人すらいます。
実際、成功ののちに自らの命を断つ人もいるぐらいです。


その逆に、成功とはほど遠い、ごく平凡な人生を送り、それでいて本当に幸せを満喫している人もいます。
シュバイツァーは、これらの人こそ本当に幸福であり、成功者なのだ、と言っているのです。


あなたは今、幸福ですか?
答えが「イエス」なら感謝しましょう。
あなたは成功者です。


もし「ノー」 なら?
心配ありません。
自分の人生すべてで完全に満足できる人などこの世に存在しません。
自分の置かれている境遇やその他あらゆる現実をありのまま受け入れて、感謝することです。
境遇を変えることは容易にはできませんが、それをどのように受け入れるか、そしてどのように感じるかは自分の選択です。
その気になって周りを見回すと、健康、家族、仕事、友人、趣味を始め、自然や動植物、おいしい空気や水、食べ物など感謝できることは数え切れないほどたくさんあります。
感謝していると人は幸せになり、そしてそれが成功につながるのです。


毎日、「学院長 元気の出るブログ」を愛読してくださっている方は、ぜひこのページの左上にある「ブログの読者になる」をクリックして、メルマガ登録を行ってください。
ブログ更新情報が毎日届き、簡単にブログにアクセスでき、とても便利です。


↓ブログランキングに参加しています。読み終わったらクリックして応援してください。


にほんブログ村 教育ブログ 塾教育へ
にほんブログ村

ザ・パワー

2011.09.10日

先日、書店で新刊書をいくつか手にして中身をパラパラ見ていました。
パッと見た瞬間すぐにわかった本がありました。
2年前に読んだ本とそっくりの装丁で同じ著者によるものだとピンときました。
本のタイトルは『ザ・パワー』
前作は『ザ・シークレット』
この本についてはこれまで私のブログに何度も登場しています。(「あなたの望みをかなえよう」「成績不良から億万長者に」ほか)。
この手のものは波長が合うので、自然と目が行きます。
ところが、私はこの本を買いませんでした。


家に戻るとすぐにインターネットのebayで検索し、著者自ら本を朗読しているThe Secret: The Power (Audio CD) を注文しました。いつもやる手です。
その理由はいくつかあります。
CDだと車を運転しながらでも聞くことができて時間がセーブできること、著者の朗読なので直接語りかけられているような感じがして二重に得したような気になること、何十回でも繰り返し聞くことができ本を1回2回読むよりもはるかに記憶にしっかりと残ること、そしてその結果、教えられたことを日常生活の中で実践しやすくなるなどです。


そして10日ほどたって届いたCDを早速運転しながら聞きました。
乗用車だったこともあり、その音響効果や臨場感はまるで映画館の中にいるようで圧倒されました(上の本のリンクでオープニングの迫力ある映像と音声を味わうことができます)。
以来、毎日毎日、送迎バスを運転しながら聞いていますが、昨日5枚のCDを全部聞き終えました。


著者、ロンダ・バーンはオーストラリアの方で、英語の発音が私の慣れているアメリカ英語とは違うのでちょっと違和感を覚えます。もっとも、長年のオーストラリア人の友人のお陰で慣れてはいますが(「夫婦円満の秘訣」)。
たとえば、can't は「キャント」ではなく「カーント」、more は「モア」ではなく「モー」、always は「オールウェイズ」でなく「オーウェイズ」、fire は「ファイア」でなく「ファアー」といった感じです。
外国人の私が言うのも生意気ですが、著者の発音はなんとなく舌足らずのような感じで可愛いです。


さて、肝心の本の中身ですが、前作の『ザ・シークレット』と非常によく似ていて、一貫して「与えれば、受ける」、「愛を与えなさい」、「感謝しなさい」というメッセージです。
とくに目新しいところはないのですが、それでもとてもインスパイアーされます。
そして、生活のさまざまな面に教えられたことを取り入れて実践するように努めています。
具体的な内容についてはまた追ってこのブログの中でご紹介させていただきます。
ご興味がある方は、ぜひ本をご一読されることをお勧めします。


毎日、「学院長 元気の出るブログ」を愛読してくださっている方は、ぜひこのページの左上にある「ブログの読者になる」をクリックして、メルマガ登録を行ってください。
ブログ更新情報が毎日届き、簡単にブログにアクセスでき、とても便利です。


↓ブログランキングに参加しています。読み終わったらクリックして応援してください。


にほんブログ村 教育ブログ 塾教育へ
にほんブログ村

カラスと鳩

2011.09.09日

今日はゴミの日。
朝早くから家の前で「カー、カー」とカラスのけたたましい鳴き声が聞こえてきたので、もしやと思って外を見てみると、案の定2羽のカラスがゴミ袋をあさって、道路に散らかしています。
私はすぐに家を飛び出し、大きな足音を立ててカラスの方に駆け寄りました。
カラスは大声で「カー、カー」鳴きながらすぐ横の電柱に避難しました。
私は家にビニール袋とトングを取りに戻り、カラスが散らかしたゴミを片づけました。
何度同じことを繰り返していることでしょうか。
電柱の上では先ほどのカラスが、私をあざ笑うかのように相変わらず大きな声で鳴いています。


気がつくと、近所のあちらこちらからカラスの鳴き声が聞こえてきます。
きっとよそのゴミをあさっているのでしょう。
よく聞いていると、カラスの声にも1羽1羽特徴があって、低い声やかん高い声、「カー、カー」ではなく、「アー、アー」と鳴くものなどいろいろです。


昨日の朝、散歩に出かけた時はハトの鳴き声を耳にしたので、私はカラスと鳩を比べてみました。そして、面白いことに気づきました。


karasu.jpg hato.jpg


カラスは真っ黒。
鳩は白または薄いグレー。


カラスの鳴き声は「カーカー」で結構うるさい。
鳩の鳴き声は「クークーホッホー」で静か。


カラスは肉食、雑食。
鳩は草食(穀物)。


カラスは攻撃的。
鳩は友好的。


カラスはしばしば悪の象徴。
鳩は平和の象徴。


カラスはゴミを散らかし、人に嫌われる。
鳩は公園などで人に近づいてきて、人に愛される。


カラスは知能が高い。
鳩はそれほど賢くない。


なんとなく人間の世界と似ているような気がしました。
でも、気をつけなければなりません。
カラスは悪そのものではなく、また鳩イコール善でもありません。
宗教や政治など、あまり主義主張に凝り固まると、自分以外の価値観を持つものを悪と見立てて、それを抹殺しようとすることすらあります。ちょうど今、インドなどあちらこちらで起こっているテロなどがその一例です。
これは非常に危険な思想です。
それぞれに生きる権利があり、自分自身の価値観を持つ権利があります。それを他人が無理やり奪い取ることはできません。


人間に人権があるように、カラスにも「鳥」権があるのです。


毎日、「学院長 元気の出るブログ」を愛読してくださっている方は、ぜひこのページの左上にある「ブログの読者になる」をクリックして、メルマガ登録を行ってください。
ブログ更新情報が毎日届き、簡単にブログにアクセスでき、とても便利です。


↓ブログランキングに参加しています。読み終わったらクリックして応援してください。


にほんブログ村 教育ブログ 塾教育へ
にほんブログ村

女房と畳は新しい方がいい

2011.09.08日

「女房と畳は新しい方がいい」
ということわざは、まことに男性中心的な考え方で失礼にもほどがある、とよく女性が言います。
これに対抗して、
「旦那と車は新しい方がいい」とか
「旦那とキッチンは新しい方がいい」
という新ことわざも女性の間にあるようです。


「女房と畳は新しい方がいい」は、
「畳は新しい方が快適で、女房もまた新鮮なうちが生活に喜びが多い」という意味だそうですが、実際には畳を新しいものに取り替えるように妻も新しく取り替えるというような意味で使っている人もいます。
でも、妻も夫も畳や車のような「物」ではないので、比較すること自体間違っています。


フランスでは似たようなことわざで、
「ワインとワイフは古い方がいい」
というのがあるそうですが、いかにもフランス的ですね。


私自身は、
「女房は古い方がいい」
のほうがしっくりきます。
なぜなら、履き慣れた靴、使い慣れた愛用品のようなもので、新しいうちはまだ慣れていないので違和感や緊張感のようなものがあるからです。
「古い女房」は、ワインじゃないですが、味わい深く、またお互いによく知り尽くしているので気楽でいいものです。新鮮でない良さというのもあるものです。
実際のところ、結婚して年月が経てば経つほど妻に対して感謝の気持ちがふくらんできて、むしろ新妻の頃よりも「古い方がいい」となるわけです。
中には何度も離婚、再婚を繰り返す人がいますが、そんなことしていたら良さが分かる前に取り替えてていて結局損しているように思うのですが。


それはそうと、つい先日新しい運動靴を買いました。
靴屋に立ち寄ってふと足元を見ると、自分の履いている靴がもうくたびれてボロボロになっていたので、ちょうど買い替え時かなと思い、いくつか試してみたらぴったりして気に入るものが見つかりました。
そして今朝、その靴を履いて散歩に出かけたところ、気持ちのいいこと。
前の靴は履き慣れてはいたのでしょうが、疲れやすかったようで、ちょっと距離を歩くと足の裏が痛くなっていました。
でも、今度の新しい靴は軽くてまるで空気のクッションの上を歩いているような感じで快適です。
なるほど、こういうのを「エアクッション」って言うんですね。納得です。


うちではまだ畳は替えていませんが、きっと靴のように畳も新しくすれば、毎日がとても新鮮で気持ちがいいんでしょうね。妻は今後ずっと取り替えませんが。


毎日、「学院長 元気の出るブログ」を愛読してくださっている方は、ぜひこのページの左上にある「ブログの読者になる」をクリックして、メルマガ登録を行ってください。
ブログ更新情報が毎日届き、簡単にブログにアクセスでき、とても便利です。


↓ブログランキングに参加しています。読み終わったらクリックして応援してください。


にほんブログ村 教育ブログ 塾教育へ
にほんブログ村

無私の心で

2011.09.07日

昨夜ふと思い出して、昔アメリカ留学中に大変お世話になった医師をネットで検索したところ、日本小児がん学会理事長、会長をお務めになられたことがわかりました。


結婚して2度目の留学をした時、ちょうどM医師も研究でUCLAに来ていらっしゃって教会でお知り合いになりました。
教会では毎週日曜日の礼拝後、お年寄りの方々の血圧を計ったり、健康相談に乗ったりと、よくご奉仕してくださっていました。
とても腰の低い謙虚な方で、ご家族皆さんが教会の方々から愛され、慕われていらっしゃっいました。
私たちも歳が近いことと住まいも近かったことから、お食事に招かれたりして親しくお交わりさせていただきました。
長男がロサンゼルスで生まれた時は定期的に検診までしてくださり、高熱を出した時には診察して薬もくださいました。


日本に帰国する時期が、M先生ご一家のほうが私たちよりほんの1か月ほど早かったのですが、住んでいらっしゃったお宅の庭でご自分たちが使っていらっしゃった家具や電化製品などを知り合いに売るガレージセールを催されました。
ご親切に私たちにも声をかけて、うちの処分したいものも持って来てくださいと言ってくださいました。
私たちがこのガレージセールに持って行ったものは、それこそ絶対に誰も買ってくれないだろうというような代物ばかりでした。


ソファは、その10年ほど前、私が初めに留学していた時に使い帰国する際に同じ日本人留学生にあげていったものでしたが、その後いろいろな人の手に渡ったのち薄汚れてまた私の手に戻ってきたものでした。
そのほか、人からいただいた中古の電子レンジやトースター。同じく私が昔使っていた食器類、そのほか鍋釜、衣類、ベビー用品などで私たちはとても恥ずかしく、肩身の狭い思いをしました。


それに対してM先生ご一家が出されたものは、留学期間中の3年間ほどしか使われていない、まだ新しい家具や家電などで、誰もが欲しいと思うようなものばかり。
初めから勝負あり、という感じでした。


ところが、終わってみるとM先生のところが出されたものはたくさん売れ残り、私たちが出したガラクタ同然の物が全部売り切れてしまったのです。
まあ、全部売れたと言ってもたかだか2万円ぐらいだったかと思うのですが、私たちはこのお金を帰国する際の引っ越し費用に回すことができてとても助かりました。
M先生ご夫妻は、ご自分たちの物が売れなかったにもかかわらず、私たちの物が売れたことをとても喜んでくださいました。


帰国して1年半後、次男が誕生しました。
その次男が10か月ぐらいのある日、朝から火がついたように泣き叫びました。
いろいろ試してみて、しばらく落ち着いたかと思うとまた苦しそうに泣きわめきます。
その日は日曜日で近くの医者も病院も全部休み。
あちらこちらに電話して、ようやく夕方になって隣町の医者が診てくれることになりました。
医者は診察が終わり、原因がわからないまま頓服薬を出し、今晩はこれで様子を見て翌朝まだむずかるようだったら連れて来てくださいと言いました。


ところが、夜中になっても症状は収まらず、嫌な予感がした私は東京にお住まいのM先生に12時近い遅い時間で失礼とは思いつつ思い切ってお電話しました。
症状をお話しすると、M先生は腸重積の可能性が高い、このまま放っておいたら命取りになる、今すぐ大きな大学病院に連れて行くようにと驚くようなアドバイスをくださいました。
そこで伊勢原の東海大病院に車を飛ばし、診てもらったところ果たして腸重積。
間一髪のところで一命を取り留めました。
M先生はまさに次男正人の命の恩人です。


将来きっと立派なお医者さんになられるだろうと思っていたのですが、予想的中。
小児がんでは日本を代表する名医になられました。


ホームページに書かれていたM先生の言葉、「患者さんにお礼を言われて、感謝したいのはこちらのほう。患者の回復と元気な姿が、なによりのご褒美です」に、先生のお人柄が表れています。
謙遜で柔和で、無私の心で人のために尽くされるM先生から教えられたことは計り知れません。
誰でもこのような人生を送っていたら、結果は必ずあとからついてきます。


毎日、「学院長 元気の出るブログ」を愛読してくださっている方は、ぜひこのページの左上にある「ブログの読者になる」をクリックして、メルマガ登録を行ってください。
ブログ更新情報が毎日届き、簡単にブログにアクセスでき、とても便利です。


↓ブログランキングに参加しています。読み終わったらクリックして応援してください。


にほんブログ村 教育ブログ 塾教育へ
にほんブログ村

蜂の巣

2011.09.06日

うちの2階の屋根の軒天(のきてん)に大きな蜂の巣ができていると、昨日お隣の方から知らされました。
早速今朝外に出て見てみると、裏の家の庭からでないと見えないところにありました。
高いところでハシゴを掛けないと届かないし、しかも蜂の巣なんて危険なので、専門の業者に頼もうと妻に言ったのですが、妻は2階の窓から棒を使って、あっという間に巣を下に落とし、ビニール袋に入れてゴミに出しました。
あまりの手際の良さに私は驚き、脱帽しました。


昨日のブログに、台風で家族や家を失った方々のことを書いたのを思い出して妻に言いました。
「親の蜂にしてみれば、外で働いて帰ってきたら家がなくなっていて、しかも子供がさらわれていていない。神様、なぜですか? なんて言ってたりして」
妻は吹き出していました。
でも言ってから台風の被災者の方々のことを考えると、こういうことを冗談にしたことで後味が悪くなりました。
被災者の皆さん、本当に申し訳ありませんでした。
そして、蜂さん、ごめんなさい。


それから、蜂の巣で思い出しました。
小学校の卒業式の翌日、市電が目の前を通っていた街から郊外の家に引っ越しました。
嵐山という名勝地で、自然に恵まれていて、私はここの生活がすぐに気に入りました。
地元の子供たちが、街から来た私をからかってヘビやトカゲ、カエルなどを捕まえて見せたりしましたが、私はこれらが苦手で逃げ回りました。
ひとりの子が私に言いました。
「蜂の子、食べたことある?」
私はまたからかわれていると思ったのですが、何人かの子が私の目の前で蜂の巣から取り出したウジ虫のような蜂の子をおいしい、おいしいと言って食べ始めるのです。
結局、私は食べられなかったのですが、考えてみると蜂蜜のような甘い味がしてきっとおいしかったのでしょう。


妻は田舎の育ちだったので、子供の頃蜂の子を食べたことがあるかと尋ねたところ、そんなこと聞いたこともないという返事でした。


そこで、またはめられたかと思い、ネットで調べてみると、Wikipediaには
「はちのこ(蜂の子)は、クロスズメバチなどの蜂の幼虫(蛹、成虫も一緒に入れることもある)で、日本では長野県などの中央高地を中心に食用とされている。
調理方法は、佃煮、蒸し焼き、炊き込みご飯、生食など」
とあり、写真も載っていました。

hachinoko.jpg

これを見て、グエーッ!
やっぱりだめだ...。


毎日、「学院長 元気の出るブログ」を愛読してくださっている方は、ぜひこのページの左上にある「ブログの読者になる」をクリックして、メルマガ登録を行ってください。
ブログ更新情報が毎日届き、簡単にブログにアクセスでき、とても便利です。


↓ブログランキングに参加しています。読み終わったらクリックして応援してください。


にほんブログ村 教育ブログ 塾教育へ
にほんブログ村

台風12号去って

2011.09.05日

今朝起きて、ようやく涼しくなったとホッとする間もなく、ネットで台風関連のニュースを見て大きなショックを受けました。

typhoon.jpg

なんと死者27名、行方不明54名、「8月30日の降り始めからの雨量が1800ミリを超えるなど、紀伊半島を中心に記録的な豪雨となった」とのこと。
他人事のように、「涼しくなった」などと言っていられません。
ご家族を亡くされた方や家を失った方々に心からお悔やみ、お見舞い申し上げます。


今年は3.11の東日本大震災、およびそれに伴う巨大津波と福島原発事故、そして今回の台風12号と、息つく間もなく大災害が続いています。
野田新内閣に課せられた使命はあまりにも重いです。政治家が自分の政治生命のことばかり考えて、派閥争いをしていたら日本の復活はあり得ません。
しかし、政府任せにしているのではなく、国民みんなが痛み分けをして被災地の復興と日本の復活のために犠牲を払い、汗を流さなければなりません。
他人事のように思っていたら、いつ何どき自分の身にも同じことが起こらないとも限りません。
そして、このようなときこそ、国民みんなが心を一つにしなければなりません。


日本はこれまでも数えきれないほどの苦難と試練を乗り越えてきています。
今回の試練が乗り越えられないなどということは絶対にあり得ません。
そして世界中のみんなが日本の復活を信じ、見守っています。
今、日本が世界に良いお手本を示さなければ、世界中が失望落胆し、さらには経済的にもますます厳しい状況に陥ります。


「頑張ろう、日本!」というスローガンだけでなく、「みんなで頑張るぞ!」という固い決意が全国民に求められています。


毎日、「学院長 元気の出るブログ」を愛読してくださっている方は、ぜひこのページの左上にある「ブログの読者になる」をクリックして、メルマガ登録を行ってください。
ブログ更新情報が毎日届き、簡単にブログにアクセスでき、とても便利です。


↓ブログランキングに参加しています。読み終わったらクリックして応援してください。


にほんブログ村 教育ブログ 塾教育へ
にほんブログ村

栄枯盛衰

2011.09.04日

大学を卒業した年、アメリカへ留学するため日本を発ちました。
我が家の家計は厳しい状況にあり、そのような中で留学させてもらうことに対して親に申し訳ない気持ちでいっぱいでした(「不景気なときの最高の投資」)。


利用した航空会社は大韓航空です。
当時、大韓航空は格安チケットで有名でした。とは言っても最初に乗ったこの飛行機はロサンゼルスまで片道15万円ほどかかりました(他社は20万〜30万ほどしていました)。
この時、成田空港はまだ開港していず、羽田空港からの出発でした。
数年前に就航したばかりのボーイング747ジャンボジェットに乗るのを楽しみにしていました。
離陸してしばらく経ち、リクライニングの背もたれを少し後ろに倒そうとしましたが動きません。
何度やってもビクともしないので、スチュワーデス(今はフライトアテンダントと呼ぶ)にリクライニングできないと告げました。
席を立ってスチュワーデスがいろいろと試しているのを見ていましたが、やがて直らないことがわかりました。
スチュワーデスは、ホノルルで停まった時に直すのでそれまで我慢してくれと言いました。
仕方なく背もたれが起きたままの姿勢でホノルルまで行きました。
ホノルルで2時間ほど停まっている間、乗客はみんな一旦飛行機から降りて空港で時間をつぶします。
飛行機に戻り元の席に座りリクライニングを試してみると、なんと直っていません。
スチュワーデスは顔ぶれが変わり、別のスチュワーデスやパーサーに言いましたが、結局直りません。
しかも、格安チケットの大韓航空はすごい人気で、空港でキャンセル待ちするほどでしたから空き席がありません。
結局、目的地のロサンゼルスまでの十数時間、リクライニングできず一睡もしないままで、着いた時はもうクタクタでした。
しかし、フライトアテンダントはみんなそんなことはすっかり忘れていて、一言の謝罪もありませんでした。


しかし、その後アメリカと日本との間を何度も往復しましたが、背に腹は代えられず安い大韓航空を何度も利用しました(後に、やはり安かったヴァリグ・ブラジル航空やノースウェストも利用しましたが)。
その間、大韓航空は何度も大小さまざまな事故を起こしていました。
「安かろう、悪かろう」のイメージがついていました。
乗務員が燃料補給中の滑走路や積み荷エリアでタバコを吸っていたり、パイロットたちが飛行中ずっと新聞を読んでいて警告灯がついても気づかない状況だったり、士気の低さ、決められた手続きの省略、ジャンボの訓練基準の甘さなどが指摘されました。


実際、当時の韓国の金大中(キムデジュン)大統領は、相次ぐ事故に関して、
「大韓航空の問題は一企業の問題ではなく、韓国全体の問題である。我が国の信用が危機に瀕している」
と発言します。
ところがその後、大韓航空が奇跡的に立ち直り、1999年以降事故ゼロになり、世界で名だたる航空会社が加盟するスカイチームの優良メンバーとなります(『天才! 成功する人々の法則』 p.205)。


一方、当時、日本の花形企業としてもてはやされ一番の人気企業で、世界でもトップクラスのサービスと安全で名声を誇っていた日本航空(JAL) は、2010年1月、東京地裁に会社更生法の適用を申請し、受理されました。負債総額は2兆3221億円となり、事業会社としては戦後最大、負債の多い金融業を含めると戦後4番目の大型経営破たんとなりました。


大韓航空と日本航空、まさに栄枯盛衰のお手本のようです。
どんな大企業でも絶対安全、安心という保証は一切なく、企業は常に上を目指して努力し続けなければいとも簡単に潰れてしまいます。
そして、これは私たちの人生そのものにも当てはまります。
今、うまくいっていても決して慢心することなく、常に精進し続けなければなりません。


毎日、「学院長 元気の出るブログ」を愛読してくださっている方は、ぜひこのページの左上にある「ブログの読者になる」をクリックして、メルマガ登録を行ってください。
ブログ更新情報が毎日届き、簡単にブログにアクセスでき、とても便利です。


↓ブログランキングに参加しています。読み終わったらクリックして応援してください。


にほんブログ村 教育ブログ 塾教育へ
にほんブログ村

サラサラとザラザラ

2011.09.03日

去る7月27日のブログ「ブーンとサクサク」に、擬音語と擬態語のことを少し書きました。


英語を始めとするヨーロッパの言語などにはこの擬音語・擬態語というのはあまりありません。
たとえば、gli というスペリングがあれば、それはだいたい光に関連していて「キラキラ」「チラチラ」「キラリ」などの感じを含んでいて、sn が入っていると、それは鼻に関した言葉で、「くすくす」「クンクン」「グーグー」などの意味を持っていることが多いですが、それでも上に挙げたような日本語の擬音語・擬態語にははるかに及びません。


日本語にはおよそ2000語ぐらい擬音語・擬態語があると言われますが、お隣の韓国語にはなんと8000語もあるというから恐れ入ります。
日本語や韓国語に擬音語・擬態語が多いのは、ヨーロッパの言語などと比べると、動詞や形容詞の数が少ないのでそれを補い、表現の幅を広げるために生まれたと言われています。
日本語に擬音語・擬態語が多いのはよく知られているところですが、韓国語にさらに日本語の何倍もあるというのは、韓国語では男性と女性で、また赤ん坊や子どもや一般成人、そして老人などで使える表現が異なるためだそうです。


日本語の擬音語・擬態語の場合、「ガタガタ」のように点点を使った濁音(だくおん)になると、「重い」「荒々しい」「不快」「醜い」「遅い」「鈍い」などネガティブなイメージがつくことが多いのです。
ですから、「サラサラ」と言うと、きれいな、さわやかな、すべすべしたイメージを受けるのですが、「ザラザラ」と言うと、荒れた、粗い、不快なイメージがします。


この擬音語・擬態語はとても便利いいもので、新しく発明することもできます。
私の場合、毎朝安全カミソリでひげを剃っている(「無料お試し」)のですが、新しい刃は気持ちよく剃れます。
しかし、しばらく使っているとだんだん切れ味が落ちてきて、肌を荒らしたりします。
ホルダーにインジケーターと呼ばれる緑色の部分があり、そこが白くなってくると刃の替え時だということが分かるようになっています。
1週間から10日もたつと徐々に白くなってきて、「もうぼちぼち刃の替え時ですよ」と教えてくれるのですが、やっぱりそれ以上に信頼できるのは切れ味という感覚です。
私の場合、切れ味がいい時は「ソリソリ」と気持ちよく剃れるのですが、切れ味が落ちてくるとこれが「ゾリゾリ」という感じになります。
この「ソリソリ」は「剃る」のイメージから私が発明した表現です。
そして、切れ味が落ちてきた時の「ゾリゾリ」は、濁音が入っていて鈍くなった感じがします。


私が発明したこの「ソリソリ」と「ゾリゾリ」は、まず日本中の誰もまだ使っていない表現ですが、誰かに「このカミソリはソリソリと剃れる」とか「剃り味がゾリゾリしている」と言えば、初めて聞いた人でも大体イメージでき、私の言っている意味が通じます。
もし、ジレットやシックのような安全カミソリメーカーの関係者の人が、私のこのブログをたまたま目にして、「これは面白い!」と思って、この表現をテレビのCMで使い始めたりしたら、この擬音語はやがて立派な日本語となり、辞書にも載るようになるのです。
まあ、そのようなことはないでしょうが。
でも、言葉が新しく生まれる時というのはそういうものです。
皆さんも、新しい擬音語や擬態語を発明してみてはいかがですか?
楽しいですよ。


毎日、「学院長 元気の出るブログ」を愛読してくださっている方は、ぜひこのページの左上にある「ブログの読者になる」をクリックして、メルマガ登録を行ってください。
ブログ更新情報が毎日届き、簡単にブログにアクセスでき、とても便利です。


↓ブログランキングに参加しています。読み終わったらクリックして応援してください。


にほんブログ村 教育ブログ 塾教育へ
にほんブログ村

人生、どうなるかわからない

2011.09.02日

夏休みも終わろうとしていた数日前、中3のS君の三者面談をしました。
S君は中2の途中からやったきた生徒で、それまでは家庭教師についていたそうです。
お母さんによると、その頃のS君はまったく学習意欲がなく、家庭教師とも雑談をしていたりしてもったいないことをしたとのこと。
友達に紹介されてアカデミーに入塾したものの、最初のうちはいやいや通っていたそうです。
この頃のS君は確かに顔の表情がまったくなく、ただ体が塾にいるだけという感じでした。


ところがもうすぐ3年生になるというある日、学んでいることがわかり始め、急に勉強に目覚めました。
塾の玄関のドアを開けて入ってくる時はいつもニコニコ笑顔でしっかりと挨拶できるようになり、授業に取り組む姿勢もガラリと変わりました。
それまで、英語の単語の読み書きもできなかったのがスペリングを覚えて書けるようになり、英語の教科書の暗唱も頑張ってスラスラ言えるようになりました。
国語の読解問題にも根気よく取り組んでいます。
納得がいかない時は質問もします。
この頃から勉強が楽しくなり、家でも塾のことをよく話すようになったとお母さん。


志望校は◯◯高校ですねと確認すると、本人もお母さんも照れ臭そうに、今の学力だと公立ではこの高校ぐらいしか行けるところはありません、と言います。
私は、昔うちにいたひとりの生徒のことを話しました。
この生徒も実はS君の志望校である◯◯高校に通っていたのですが、サーフィンに夢中で全然勉強しない子でした。
そして高校卒業後、アメリカに留学したいというので、私のアメリカ人の友人を通してペンシルベニアにホームステイ先をご紹介しました。
彼は最初アメリカの高校3年に編入し、その後コミュニティカレッジに進み、カレッジ卒業後は大学に、さらに大学院にも進み心理学を専攻して、なんとそこで知り合ったアメリカ人の女性と結婚し、アメリカでカウンセラーになったのです。
だから、人の人生はわからないもの。高校や大学で決まるものではないと話しました。


すると、S君急に目が輝き始め、隣に座るお母さんに言いました。
「俺も頑張る。留学してホームステイもしたい」と。
英語が面白くなってきて、最近英会話も習い始めていたS君はどうやら本気です。


「この生徒のことは以前ブログに書いたけど、中学の時英語が苦手だったのに、今はシンガポールで自分の会社をやっている人などほかにもこのような人は何人もいるよ」
と言ったところ、S君
「じゃあ、今度は俺が学院長のブログに載る番だ!」
「そう、君の将来だってどうなるか、誰にもわからない。君にも無限の可能性があるんだよ。頑張ろうね!」
S君、俄然(がぜん)やる気が出てきました。


そういえば、中2のMさんも1年の終わりごろ三者面談して以来やる気が出てきて、塾での勉強の姿勢が大きく変わり、家庭学習を欠かさなくなり、塾でも学校でも成績がどんどん伸びてきています。
要するに、人生とは本人の持つ能力や学校の偏差値云々ではなく、目標とやる気の問題です。
本当に人生、どうなるかわからないものです。


毎日、「学院長 元気の出るブログ」を愛読してくださっている方は、ぜひこのページの左上にある「ブログの読者になる」をクリックして、メルマガ登録を行ってください。
ブログ更新情報が毎日届き、簡単にブログにアクセスでき、とても便利です。


↓ブログランキングに参加しています。読み終わったらクリックして応援してください。


にほんブログ村 教育ブログ 塾教育へ
にほんブログ村

お金は目的ではない

2011.09.01日

この世の中、お金がものを言う場面がたくさんあります。
ですから多くの人たちがお金を求めます。お金さえあれば何とでもなる、と(「幸せって何だっけ」)。


日本には「地獄の沙汰も金次第」(じごくのさたもかねしだい)ということわざもあるぐらいです。
これは、地獄で受ける裁きも金の力で有利になる。ましてこの世では、何でも金の力で左右されるというたとえで、お金さえあればどんなことも思い通りにすることができるという意味で使われています。


「この世の中、お金がすべて」という考え方で、億万長者になることを夢見て一生懸命働く人もいます。
そして人をだましてでも、法律に反した方法でもお金を儲けようとします。
しかし、そのようにしてお金を手に入れても、人間関係や信頼関係を壊したり、身近にそのお金を一緒に享受(きょうじゅ)することができる人が誰もいなければ、お金はいくらあっても空しく、その上何の役にも立ちません。
それどころか、そのようなお金は災いになります。


一方でお金でできないこと、またお金がなくてもできることもたくさんあります。
お金とはまったく無縁の生活をした人もいます。
たとえばマザー・テレサ(「あなたの中の最良のものを」)などはその典型です。
しかし、彼女ほど幸せな人生を生きた人はほかにいないということは誰もが認めるところです。


この世の中、お金で失敗し、身を滅ぼす人が多いのはお金を目的にしてお金の奴隷になっているからです。
お金はあくまでも何かをするための「手段」であって、「目的」ではありません。
この点をよく理解したうえで一生懸命働いてお金を稼ぎ、その稼いだお金をきちんと管理し、賢明に、正しく使うことは美徳ですらあります。


毎日、「学院長 元気の出るブログ」を愛読してくださっている方は、ぜひこのページの左上にある「ブログの読者になる」をクリックして、メルマガ登録を行ってください。
ブログ更新情報が毎日届き、簡単にブログにアクセスでき、とても便利です。


↓ブログランキングに参加しています。読み終わったらクリックして応援してください。


にほんブログ村 教育ブログ 塾教育へ
にほんブログ村