学院長元気の出るブログ

日々の随想。教育問題、子育て、英語、積極思考、人間関係、霊想等など。
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ジョージ学院長 元気の出るブログ

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悪魔の囁(ささや)き

2011.05.31日

昨夜は疲れていて、いつになく早寝しました。
とは言っても、床に就いたのは1時でしたが。
慣れないことをしたせいか、2時40分にトイレに目が覚め、次に4時過ぎ、そして6時前に目が覚めてあまりぐっすりとは眠れませんでした。


しかも久しぶりに怖い夢を見ました。
夢の中で見たのは本です。
そのタイトルは『悪魔の囁き』です。
題からして恐ろしいです。
悪魔の口が多くの人々の耳元で囁いているのです。


その本の目次を紹介します。
目次だけでも恐ろしいので、心臓の弱い方はこの先は読まないでください。


『悪魔の囁き』
第1章 馬鹿になる方法
1. 親や教師の言うことは聞くな
2. 勉強は絶対にするな
3. 本は一切読むな
第2章 貧乏になる方法
1. 一に怠惰、二に怠惰
2. お金は貯めるな、使え
3. 寄付は絶対にするな
第3章 不健康になる方法
1. 自分の好きなものを暴飲暴食せよ
2. タバコは毎日欠かすな
3. 運動するな
第4章 人間関係で失敗する方法
1. 自己中心を貫け
2. 人に感謝するな
3. 人の嫌がることをしろ
第5章 人生で失敗する方法
1. 決して目標を持つな
2. 人のためになることは一切するな
3. 勤勉・努力などの戯言(ざれごと)に耳を傾けるな
第6章 不幸な死に方をする方法
1. 夫婦・親子・親戚・友人との関係を断て
2. 自分の人生を振り返って後悔しろ
3. 死を恐れよ


賢明な読者の皆さんには、この夢のメッセージは伝わりますよね。


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人生に不可欠なもの

2011.05.30日

昨日のブログに、勉強に必要なものは「哲学」だと書きました(「勉強に不可欠なもの」)。
多くの人は、能力・才能や努力が必要と考えます。確かにこれらもある程度は必要です。
というか、ないよりはあったほうがいいに決まっています。
でも、それ以上に大切なのがこの「哲学」です。
なぜなら、しっかりした哲学があれば、才能や努力以上のことができるからです。


今日の読売新聞(19面)に興味深い記事が載っていました。
神戸市在住の古市忠夫さん(71歳)は、55歳のときに阪神大震災を体験しました。
写真店を営んでいた古市さんは火災で店舗兼住宅を焼失。唯一残った自家用車のトランクにゴルフバッグがあるのを発見し、「これで生きていけ!」と言われたような気がして、それからプロゴルファーの道を目指します。
そしてプロになったのは59歳のとき。
以来計8勝し、古市さんの活躍する姿は映画化され、今では講演で全国を飛び回っているそうです。
古市さんは言っています。
「人生は、才能と努力がすべてだと思っていた。でも、今は、『そやない!』(そうではない)と断言できる。私は、才能も努力も人並み。優れている部分があるとすれば、それは『感謝力』です。感謝は、心を大きくし、美しく、若く、そして強くしてくれますねん。だからプロゴルファーにもなれたし、試合にも勝てたと確信する」


古市さんの場合は「感謝すること」がすべての原動力となっています。
これが彼の「哲学」です。
そう、人生でなくてならないものは、勉強において不可欠なものと同じ「哲学」なのです。
哲学があれば、どんな逆境、苦しみ、悲しみの中でも生き抜いていくことができます。
また、幸せな人生を送ることができます。
逆に、哲学がないと、自分は何のために生きているのか、人生の目的も終着点もわかりません。
そしてその「人生の哲学」は、昨日の「勉強の哲学」と同じく、別に難しいものでなくていいのです。
古市さんの場合は「感謝力」。
「人に喜ばれること」でもいいし、「ペットを家族の一員として生きる」でもいい。
芸術を愛すること、あるいはスポーツを続けること、趣味や旅行、料理、宗教等など、どんなことでもいいのです。


私の尊敬する、知り合いのHさんは「生きていたら必ず小さな幸せをいくつも見つけられる」といつもおっしゃっています。
病気を患い、貧しく、とても困難な生活をしていらっしゃいますが、いつも笑顔で一日一日を精一杯生き、幸せな人生を送っていらっしゃいます(「持っているものを数えよ」)。
「小さな幸せの発見」がHさんの「人生哲学」です。
あなたの人生哲学はなんですか?


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勉強に不可欠なもの

2011.05.29日

多くの子どもにとって勉強とは「しなければならないもの」あるいは「させられるもの」のようです。
そして、だれでも「しなければならないもの」や「させられるもの」は好きではありません。
というか、「しなければならないもの」や「させられるもの」は苦痛にさえなります。
逆に言うと、好きなものは「しなければならない」や「させられる」ものではなく、「やりたい」ものです。
ということは、ここに勉強を苦痛に感じずに、楽しみながらやるコツがあります。
勉強に不可欠なものは、まず「好きである」ことです。
部活のサッカーの練習などで、たとえ辛くても耐えられるのはサッカーが「好き」だからです。


しかし、サッカーと勉強は違う。サッカーは楽しいけど、勉強はつまらない、と言う人もいるでしょう。
でもよく考えてみると、サッカーでさえ好きになるまでには時間がかかり、練習など努力も必要なのです。
生まれた瞬間からずっとサッカーが好きで上手い、ということはあり得ません。
勉強も同じです。好きになるまでには時間がかかります。またできるようになるまで練習も必要です。
練習を重ねていくうちに次第にできるようになり、それが成功体験となって楽しくなっていくのです。


しかしこのように書くと、勉強ができるようになるためには好きでなければならない、好きになるためには勉強をしなければならない、ということで堂々巡りになってしまいます。
言い換えると、勉強ができない子は勉強が嫌いで、嫌いだから勉強しない、だからますますできなくなり嫌いになる、という悪循環に陥ってしまいます。


そこで必要になってくるのが、「哲学」です。
「哲学」というと難しく聞こえるかもしれませんが、実は物事すべてに哲学があります。
たとえば、料理にも哲学があります。
安全な材料を使い、おいしい料理を作り、それを人に喜んで食べてもらう(あるいは自分が食べて楽しむ)というのが、料理のひとつの哲学です。


それでは、勉強における哲学とは何でしょうか?
勉強をするための動機づけと言い換えてもいいでしょう。
「将来豊かな人生を歩めるようになりたい」
「いい学校に行って、しっかり学び、いい会社に就職したい」
「いい成績を取って人に認められたい」
「親を喜ばせたい」
「異性にもてるようになりたい」
「いい人と結婚したい」
「頭が良くなって将来日本の社会に役立ちたい」
「社会のシステムを変えたい」
「平和な世界を築く手伝いがしたい」
等など、どんなことでもいいのです。
これらはすべて勉強するための「哲学」です。
こうでなければならない、ということはありません。
自分自身の「勉強の哲学」を見つければいいのです。


この哲学がないと勉強をする動機づけになりません。
逆に言うと、たとえどんな哲学であっても、勉強をする目的がしっかりしていれば、勉強は苦痛ではなくなり、自分の夢実現のためにどんなことでもできるようになります。
ちょうど、サッカー選手になるためにはどんな辛い練習にも耐えられるのと同じです。


勉強を「しなければならないもの」「させられるもの」というとらえ方をして、いやいや、あるいは機械的にやっていたのでは学んでいることがまったく身に着かないばかりか、無駄な時間や労力を費やすことにさえなります。
同じやるなら楽しみながらやって、しかも自分の夢を実現できるようになる方がはるかに得ではありませんか。
しかも、それはだれにでもできることです。


「勉強に不可欠なもの」−それは勉強の「哲学」です。


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公設第1秘書出張、第2秘書ダウン!

2011.05.28日

私の公設第1秘書は所用があって昨日から名古屋に出張で、頼りにしていた第2秘書が今日ダウンしました。
それで朝からずっとてんてこ舞。


公設第1秘書は私のパートナーでもあり、事務・経理・運営面でなくてはならない強力なスタッフ、アカデミー学院副学院長である私の妻です。
交通事故で3か月入院していた義母が数日前退院したのですが、まだ歩くこともできないのでその手伝いのため実家に「出張」したのです。
第2秘書は、私の時間管理、連絡先などの管理から仕事全般にわたって私の右腕以上の存在となったiPhoneさんです(「ドラえも〜ん」)。
このiPhoneのホームボタンの反応が1か月ほど前から悪くなって、ネットで検索したところ反応の鈍かったホームボタンがある日突然まったく利かなくなったというのがいくつか見つかったので、これは大変とApple社に電話してサポートを受けました。


電話がつながるまでに20分ほどかかり、さらに手取り足取り一つひとつ丁寧に教えていただきながらデータをパソコンにバックアップして、iPhoneを工場出荷時のまっさらな状態に戻すのに1時間あまりかかりました。
これで直ることを期待していたのですが、残念ながらホームボタンの状態は変わらず、結局修理ということになりました。
それから、いくつもの携帯ショップに電話で問い合わせ、修理に出している間貸してもらう代替機(だいたいき)のある店をようやく突きとめることができました。
隣町のそのショップへ車で行くのにすごい渋滞に巻き込まれ、1時間近くかかりました。
ショップで自分の番が回ってくるまで待つこと40分。
事務手続きや、代替機が使えるようにきちんと設定してもらうのにさらに40分。
ショップから自宅に戻るのにまた40分。
夕方からの仕事の時間がどんどん迫ってきて、間に合うかどうかヤキモキしていました。


ところが、緊急に連絡を取らなければならないところがいくつもあるのに、困ったことに代替機には電話番号等データが一切入っておらず、どこにも電話はかけられないし、メールのやり取りもできません。
自宅に戻り公設第3秘書である娘に頼んでパソコンにバックアップしたデータをiPhoneに移してもらっている間に急いで食事。
時計を見つめてハラハラしながら胃袋に流し込んで家を出る寸前に間一髪でデータのアップロードが完了。
ああ、こんなの胃にも心臓にもよくない!


それにしても、iPhoneは今や一瞬たりとも手から離せないものとなりました。
これがないと本当に仕事ができません。
中高生や若者の多くが携帯中毒症にかかっているそうですが、いつの間にか私もそうなっていました。


電話で忍耐強く、長い時間とても丁寧に対応してくださったApple社の方、わかりやすく親切に説明してくださったショップの方たちには本当に頭が下がる思いをしました。
そして教えられました。
素人である客に丁寧に接することがいかに大切なことであるかを。


私たちは自分の専門分野に関しては毎日毎日同じことを繰り返し、分かり切っていることなのでついついだれでも分かっているものと思い込みやすいものです。
教師が生徒に教えるときにも、「もう何度も教えただろう」「何回言えば分かるのだ」「そんなことは常識だろう」「今まで何を聞いていたんだ」などといった言葉が出やすい。
また、親が子どもに接するときも、おうおうにして上のと似たようなことを言いやすいものです。
しかし、相手はみんな素人なのです。
素人には噛んで含んで、何度も何度も繰り返し、忍耐強く、優しく、丁寧に教えなければならないのです。
ここに教育の、そして子育ての、また仕事の鍵があります。


今日は朝からiPhoneに振り回された一日でしたが、とても大切なことを教えられ、またまたiPhoneさんに感謝しました。


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平和をつくるものは幸いです。

2011.05.27日

ACの公共広告「『思い』は見えないけれど、『思いやり』はだれにでも見える」については、これまでこのブログの記事で何度か取り上げてきました。
テレビのCMは、階段をつらそうに上るお年寄りの横を通り過ぎた高校生ぐらいの少年が、勇気を出して数段戻り、おばあさんの手荷物を持ってあげて一緒に上るという心にジーンとくるシーンです。


昨日、これとそっくりの状況を耳にしました。
ひとりの若い女の子が道を歩いていて、交差点の信号が渡れないおばあさんを見かけました。
おばあさんは腰が直角に折れ曲がって前方も見えないほどだったそうです。
一旦横を通り過ぎたもののやはり気になって戻り、おばあさんに声をかけて一緒に横断歩道を渡りました。
しかし、それでもまだ不安だったこの子はおばあさんと一緒に歩いて家まで送ってあげたそうです。
その距離、約1キロです。しかも、自分の向かうのとまったく逆の方向。
つまり往復で2キロあまり余分に歩いたのです。
私はこの話を聞いて、その子の勇気に拍手を送り、自分が当のおばあさんになったような思いで、心から感謝しました。


「愛」とは、時間も労力も犠牲にする、というより犠牲とは思わずに自ら進んで人のために行う行為のことです。
しかもなんの見返りも期待せずに。
人はだれでもこの世に生を受け生きている限り、数え切れないほど大勢の人々のお世話になっています。
そのお礼をするのは人間として当たり前のことですが、それを当事者にではなく別の人にお返しする。それが「ペイ・フォワード」です。
一人ひとりが、上の例のように小さなことを心がけるなら、これがやがて家族に、近所に、学校や会社、社会全体に、そしてゆくゆくは世界平和にもつながっていくのです。


先日、小学生のNIE(教育に新聞を)のクラスでテロリズムについて話し合いました。
ビンラーディンが殺害されたことに対して、アル・カーイダが報復し、それに対してまた報復と、終わりのない泥沼に陥る様相です。
この悪い連鎖を断ち切るにはどんな方法があるだろうか、と生徒に問題提起しました。
オバマ大統領がパキスタンに行って、アル・カーイダのリーダーと話し合えば解決するだろうかと私は問いました。
みんなの答えは「ノー」でした。
そこで私は、かつて長年にわたって流血が繰り返されたイギリスとIRA(アイルランド共和軍)との戦いを例に挙げ、生徒に考えてもらいました。
すると、「お互いにもっと理解できるように市民レベルで交流する」という素晴らしい意見が出ました。
これが正解です。


そして、そのためには、私たちが毎日の生活の中で、目に見える「思いやり」を冒頭の話のように実践することが一番の近道であり、また唯一の方法なのです。


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まだ使命がある

2011.05.26日

洗面所の陶器の洗面台が汚れてきたので、掃除するよう妻に頼まれました。
そんなものは「朝飯前」とばかりに早速取りかかりました。
普通の汚れは大体落ちたのですが、細かい点点があちらこちらについていてこれがなかなか取れません。
磨き砂やカビキラーやさまざまなものをブラシやナイロンたわし、ゲキ落ちなどを使って試したのですが、なにをしても無理です。
そこでインターネットで検索して掃除法を見つけました。
重曹を振りかけて30分ほど置いておき、そのあと酢を含んだナイロンたわしで落とせばうそのように落ちると書いてあったので、妻にそれらを用意してもらって早速試しました。


ダイニングに戻ってきて妻に言いました。
「重曹と酢を使ったらうそのように落ちるって書いてあったけど、なんと本当にうそだった。
全然落ちなかった」
と言ったところ、妻がプッと吹き出し、それにつられて私も笑い出して、それからしばらくふたりとも涙を流して大笑いしました。
そんなに受けるとは思ってもみませんでした。


昨日のブログ「思い出せない!」に「肩の力を抜いて、もっと気楽に、これからの人生を一瞬一瞬、許されている限り楽しんでいくことにします」と結論を書いたのですが、まさにこれこそがこれからの老いを楽しんでいく生き方かなと思いました。


ところが、アメリカにいる親しい友人からメールが来て、「脳腫瘍を患って入院している人を訪問してキリスト教の福音を伝えて欲しい」と依頼されました。
さらに、しばらくすると、昔の職場の同僚から電話があり、「息子が職場のパワーハラスメントでノイローゼになり、今ちょっと危ない状態だ。医師には、もうここは宗教関係の方の出番だと言われている。そこで、舟田さんにぜひとも力になっていただきたい」と頼まれました。


「そうか、まだまだこれから私の出番があるのだ。冗談を言って笑っている場合じゃない。
これまでずっと教育一筋でやってきたけど、もとはと言えばカウンセリングやキリスト教牧師の仕事もしていたので、これからはそういう面での働きの場もあるのか...」
神様は、私が思いもよらなかったご計画をまだお持ちになっていらっしゃるのだと思うと、厳粛な気持ちになりました。


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思い出せない!

2011.05.25日

「歳をとった」と言ってはいけないのですが、最近物忘れが多くなってきました。
そして、体力の衰えも感じます。
今のところ、まだ生活に大きな支障が出るほどではないので、なんとかやっていますが、自分でも少々自信喪失気味です。


つい先日、ディズニーシー遠足の前夜、普段乗り慣れていない正人のサドルの高いサイクリングバイクに乗って自宅から塾まである物を取りに行きました。
塾に着いて、今まで乗っていたママチャリのつもりで降りようとしたら、ハンドルとサドルの間にあるフレームに足が引っかかりました。
一瞬宙を舞ったかと思った次の瞬間、思いっきり体を地面に叩きつけました。
「ピヨピヨピヨ。ここはどこ?私は誰?」と、しばらく息もできないほどでした。
ようやく起き上がって、ズボンをまくってぶっつけた左の膝を見ると、かなりひどく擦りむいていて血が出てきていました。
これでもう明日のディズニー遠足には行けなくなったと思いました。
翌朝、少しびっこを引きながらも歩くことができたので行くことにしました。
ディズニーシーで人に指摘されてズボンを見ると、膝のあたりが出血で赤く染まっていました。
今日はあの「忌々しい自転車事故」から5日目なのに、まだ絆創膏の下から血がにじみ出ています。


昨夜、寝ているとき夢の中で素晴らしい発想が頭に浮かんで、「これはすごい!ぜひとも明日のブログに書こう」と思っていたのですが、目が覚めるとその内容をすっかり忘れてしまっていて、どうしても思い出すことができません。
夢の中で、「目が覚めても忘れなければいいんだけど...。でも、今ここで目を覚まして起き上がってメモにでも書こうものなら、もう目が冴えてしまって寝られなくなるから起きないでおこう」などと思っていたら、まさに予感的中です。


それで、昨夜夢の中で考えたことを思い出すことができないので、今日は上のことに関連したことを徒然なるままに書くことにしました。


人は誰でも、好むと好まざるとにかかわらず必ず歳をとります。
若い頃はそんなこと考えたこともなかったのですが、いつの間にかそれが現実になっていました。
正直、嫌です。
誰でも歳なんかとりたくない。できることなら、いつまでも若いままでいたいと思います。
でも、否定してもこれが現実でここから逃げることはできません。
気持ちだけはいくら若いつもりでいても、実年齢は確実に1年ごとに1歳ずつ増えていきます。
もしも歳をとるのはいやだ、と言ったら、歳をとる前に早死にするしかありません。
しかし、命というものは天からの授かりもので、自分の思い通りにすることはできません。


そこで、現実をありのまま受け入れるよりほかありません。
私にもかつては、幼少時代があり、少年時代、青年時代があり、バリバリ仕事に励んだときがあり、その後壮年時代がやってきましたが、そのときどきを思う存分楽しんできました。
今、昔を振り返って後悔はありません。
というか、後悔がまったくないというわけではありませんが、後悔するのは好きではないので、数多くの失敗も感謝してそのまま受け入れることにしています。


そして過去を振り返ったあと現在を見つめるとき、一番賢明なのは変えることのできない現実を変えようとせずそのまま受け入れ、楽しむことだということです。
それで、ようやく少し気が楽になりました。
考えを切り替えて、今の生活を思う存分楽しもうと決断しました。


肩の力を抜いて、もっと気楽に、これからの人生を一瞬一瞬、許されている限り楽しんでいくことにします。
思い出せないことを無理やり思い出そうとせずに。


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練習は嘘をつかない

2011.05.24日

2年半近く前のブログ記事「引き寄せの法則」で現巨人軍の大田泰示選手のことを紹介しました。
2年前にドラフト会議で原監督が大田選手を引き当てたのは、決して偶然ではなく「引き寄せの法則」だと書きました。
その後、大田選手の1軍での活躍をずっと楽しみに待っていたのですが、なかなか名前が登場しませんでした。
そうしたところ去る5月19日、ようやく彼の名前が新聞の上に踊り出ました。


「途中出場で放った勝ち越し適時打がプロ初安打となった巨人の3年目大田。
(中略)
神奈川・東海大相模高からドラフト1位で指名されたのは3年前。松井秀喜(現アスレチックス)がつけていた背番号55を託された瞬間から『将来の4番候補』という期待を背負うことになったが、2年間は重圧と戦い続ける日々だった。
2年間の通算成績は7打数無安打。1軍で思うような結果を残せない中、2軍の試合でファンからヤジを飛ばされることもあったが、2軍では2年間で800打席以上の実戦経験を積んだ。相次ぐ主力選手の故障で前日に1軍昇格したばかりの20歳は、ようやく刻んだ初安打に『ファームで必死に練習を積み重ねてきた。練習は嘘をつかないと思った』。努力を重ねることの大切さを改めて痛感した」
(5月19日付読売新聞)


私の目を引いたのは大田選手が言った「練習は嘘をつかない」でした。
あこがれの巨人軍に入ったものの周りはものすごい選手ばかり。
自分が登場できる場面などまずやってきません。
そしてようやくそのようなチャンスが巡ってきても結果を出すのはさらに大変。
「2年間の通算成績は7打数無安打」という数字がそれを物語っています。
しかし、彼は決してあきらめませんでした。
自信をなくし、腐ってしまい、途中で脱落する人がほとんどというプロの世界で、続けていくというのは並大抵のことではないでしょう。
しかし、彼はコツコツ、コツコツと練習を積み重ねました。
それが「2軍では2年間で800打席以上の実戦経験」となり、やがて18日の活躍の場が備えられることになるのです。
そして彼の実感が「練習は嘘をつかない」だったのです。


去る5月5日の「読売KODOMO新聞」の表紙と2ページに紹介された滋賀県の小学2年生中井卓大(たくひろ)君も同じです。
3歳でサッカーを始めた中井君は最初の頃、思うようにプレーができないと、ピーピー泣いていたそうです。そこから彼のあだ名は「ぴぴ」になりました。
ところが、彼は来る日も来る日もボールをけり続け、家でもリフティングをして次々と技を身につけていき、今ではリフティングの記録はプロ顔負けの3600回といいます。
ドリブルはボールが足に吸いついているかと思うほど巧みで、天才的なテクニックも数多く、スペインの世界最強チーム「FCバルセロナ」も今から中井君に目をつけているとのことです。


これは何も野球やサッカーに限ったことではありません。
どのスポーツにも、また学生の勉強にも、お父さんの仕事にも、お母さんの家事や育児にも、何にでも当てはまります。
うまくできないと言ってあきらめたら、そこで終わりです。


練習は嘘をつきません。


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小さな感動を大切に

2011.05.23日

一昨日のディズニーシー遠足の疲れが今頃出てきて、今日は足腰が筋肉痛です。
歳とった証拠だそうです。


ディズニーシーのレストランはどこも美味しいと書きましたが、今回はプ◯◯ハムがスポンサーをしているレストランでハンバーグを食べました。
さすがプロ、と舌鼓を打ちました。
ところが、その翌朝、つまり昨日の朝の食事がなんとまたハンバーグ!
普段あまりハンバーグなんて食べないのに「えー、また⁉」という感じでした。
しかも、その大きさたるやディズニーシーで食べたものの3倍はあろうかと思われるほどのジャンボサイズ。
ちょっとうんざり気味に一口食べてビックリ。
美味しいという言葉では十分に表現できないほど、本当に「超美味」なのです。
娘が前夜、私たちのために愛を込めて作っておいてくれたものです。
娘に言いました。
「昨日シーで食べたハンバーグが美味しいと思ったけど、これはあのハンバーグの1000倍も美味しいよ!」
「1000倍」というのは、長男の直人が子どもの頃よく用いた表現です。
でも「1000倍」と言ってもまだ十分にその感動を言い表せないと思うほど、本当に美味しかったのです。
正直、もし娘がディズニーシーにレストランを出して、このハンバーグを作ったら、プ◯◯ハムのハンバーグは売れなくなるのじゃないか、と思ったほどです。


その感動がまだ残っていたのでしょう。「夢は潜在意識から」じゃないですが、昨夜(というか、今朝方)はハンバーグの夢まで見ました。


3人の兄妹(これがうちの子どもたちだったのかどうかははっきりしないのですが)がハンバーグ作りを競うのです。
それぞれ独り身、夫婦、4人家族という構成なのですが、この3人が異なった分量そして材料を用いてハンバーグ作りをします。ところが、出来上がりはなんとどれも同じ味。


実に他愛ない夢なのですが、テレビのバラエティー番組のようなノリで、しかも美味しいハンバーグを食べた直後だったので、この夢にすっかりはまってしまいました。
途中何度も目が覚めてトイレに行ったりしたのですが、この夢があまりにも面白かったので、続きを見たいと思っていたら本当に何度も続きが見られました。夢の続きを見ることは可能なのです。


たかがハンバーグ、されどハンバーグ。
小さな感動を大切にして生活すると、毎日がとても充実して、幸せに過ごすことができます。


そうそう、今日は娘の誕生日。
いつも美味しい料理を作って感動を与えてくれてありがとう、と娘に心から感謝しました。


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プロ意識

2011.05.22日

昨日は塾からディズニーシー遠足に行ってきました。
みんな十二分に楽しめて、大満足の一日だったことと思います。


参加した先生のひとりからは次のようなメールが昨夜遅くに届きました。
「お疲れさまでした。
アカデミーで行くディズニーは格別に楽しかったです。
本当に良い思いでができました。
来年も予定があえば、ぜひ参加したいと思ってます。
中3にとって大事な中間試験なので対策や補習にも力を入れていきたいと思います。
1日ありがとうございました」
先生たちが本当によく生徒たちのことを見てくれて、生徒たちもきっととてもいい思い出になったことでしょう。


ディズニーに行くといつもたくさんのことを教えられ、励まされます。
ひとつは働いている人たちのプロ意識です。
全員が正規従業員というわけではなく、アルバイトの人の数は相当なものなのでしょうが、本当にみんなよく訓練されていて、立派な仕事をしています。
通りを清掃している人たちもみんな笑顔で、ちょっと何か尋ねるととても親切に丁寧に答えてくれます。
昨日は清掃している人のパフォーマンスを初めて見ました。
ほうきでちり取りに落ち葉などを入れようとすると「ブッ」とか「ピッ」とか変な音がして、それを足で踏みつけると今度はまた違う「ギュウ」というような音がします。
そこで近くにいる人を呼んで、それを踏ませると、「ギャア」という音がしたりして、もう周りは黒山の人だかりで、みんな大笑い。
何気なくやっているように見えて、実はその仕事を専門にやっている人なのでしょう。


小さな子どもを見かけると笑顔で手を振ったり、近づいていってしゃがみこんで、子どもの目線でニコニコしながら話しかけたり、とこれはもう見事というほかありません。


さまざまなキャラクターの着ぐるみを来て園内を歩いている人たちも、暑くてきっと内側では汗だくなのでしょうが、そのキャラクターになりきっておどけた動きをして人々を楽しませます。


ビッグバンドのジャズアーティストに混じってミッキーマウスの着ぐるみを着たプロのドラマーも、いかにもミッキーらしいパフォーマンスをして、観客の笑いと拍手を引き出します。
もうすべてがプロの成せるわざです。


これらを見ていて教えられること、それは私たち塾人も一人ひとりがもっと本物のプロを目指して日々努力を重ねていかなければならないということです。


教師は教師として、学生は学生として、アスリートはアスリートとして、芸術家は芸術家として、科学者は科学者として、芸人は芸人として、商売人は商売人として、みんなそれぞれ自分に与えられている持ち場・立場でプロ意識を持って最善を尽くす。
ディズニーのアルバイトの人たちのように、たとえアルバイトでも仕事をやる限りはプロとしての意識が必要です。
ここが大切なポイントです。
どの世界にいても、私たちは常に上を目指して向上していかなければなりません。


昨日のディズニー遠足ではとくにこの「プロ意識」の大切さを教えられ、私も早速日々の生活の中にこれを活かしていこうと決意を新たにしました。


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ディズニーシー なう!

2011.05.21日

ハーイ、皆さんこんにちは。
今日はディズニーシーからの実況中継で〜す!
東日本大震災以降、国民全体の消費が冷え込んでしまったこと、また東京ディズニーランド・ディズニーシーが震災の影響でしばらくの間休園。液状化や乗り物のストップなどもあり、入場客数がガタ落ちになっていたそうです。
それもあってか、今日のディズニーシーは、休日の土曜日であるにもかかわらず比較的空いていて私たちにとっては大変ありがたいことです。
今日は晴天に恵まれ、暑いぐらいですが、海風が肌に心地いいです。


「今回のディズニー遠足は、なんと...」
「シー?やったぁ!」
と数週間前に報告したとき一斉に歓声が上がりました。
私は続けて言いました。
「今回のディズニーシーには、なんと塾生以外の学校の友達を誘ってもいいよ」
「ワーイ!○○ちゃん誘おうっと」
「さらに、なんと、君達のおじいちゃんやおばあちゃんも誘っていいんだよ!」
「エー!ヤダーッ!」
「いやいや、もちろん冗談だよ!」


というようなわけで、おじいちゃん、おばあちゃんを誘った子はひとりもいませんでしたが、学校の親しい友達を誘ってきた子は何人もいます。
参加者は小中高生45名、付き添い教師10名、みんなで55名の大所帯です。
最初のうちは25名の団体の人数に達するだろうかと心配していたのですが、間際になって申し込んできた人が大勢いました。
しかも、神奈川県民ということで、今週から始まった「ホームタウンパスポート」という団体よりも安い料金になりました。
ラッキー!


思い返せば、アカデミーの最初の遠足は、車で10分ほどの平塚総合公園ふれあい動物園。
今、ここへ行くなんて言ったら、一斉にブーイングが出るでしょうが、なにせ今から20年以上も前のこと。
みんな本当に素直で、文句ひとつ出ませんでした。
翌年は平塚の湘南平へ。
次に、隣町二宮の吾妻山公園。
湘南平と吾妻山公園ではアスレチックで遊びました。
その次は、小田原城跡公園。
次いで横浜動物園ズーラシア。
次は、八景島シーパラダイス。
アカデミーの遠足は毎年進化し続け、ついに思い切ってディズニーランドへ。
途中1回だけディズニーシーへ行きましたが、あとはずっとディズニーランド。
お陰で毎年引率する私たちはいつの間にかディズニーランドのプロになりました。
「来年あたりは、アメリカのディズニーワールドにしようか」と冗談で言ったら、「行く、行くっ!」と本気にした子が何人かいました。
いったいいくらかかると思うの!?


毎年そうですが、今日も小学生の親代わり(というか◯◯代わり)をしてお供しています。
小学2年生のときからずっと一緒に毎年ディズニー遠足に来た現在中2のM君は今年も来ていますが、もう私たちと一緒に回るのは卒業。今年は友達と回っています。
私たちは小学4年生のYちゃんとAちゃんと一緒です。
Aちゃんはディズニーの「おたく」だそうで、私たちを連れて回ってくれています。


一緒にレイジングスピリッツというジェットコースターのような乗り物に乗ったり、食事したり、ビッグバンド・ビートというショーを見たり、と十分に楽しませてもらっています。
とくにビッグバンド・ビートでやったグレン・ミラーの「イン・ザ・ムード」やベニー・グッドマンの「シング・シング・シング」は、本場ブロードウェイのショーを見ているようで、感動で涙が出てきたほどです。
また、最後のショー「ファンタズミック」は迫力十分でした。
私たちの若さの秘訣はひょっとしたらこのディズニー遠足にあるのかもしれません。
参加している小学生は小学生らしく可愛く、中学生は中学生らしく元気がはち切れそうで、高校生はぐっと大人っぽくなり、一人ひとりの成長振りを見て感動しています。


東京ディズニーシーと言えば、何といっても異国情緒あふれる街並み、たくさんのショー、おいしいレストラン、過激な乗り物、美しい夜景、ということでその一部を下にご紹介しますので、雰囲気を味わってください。

disneysea2.jpg disneysea4.jpg

disneysea3.jpg disneysea.jpg

今日はディズニーシーからの実況中継でした。


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アイ、マイ、ミー、マイン

2011.05.20日

「アイ、マイ、ミー、マイン。
ユー、ユア、ユー、ユアズ。
ヒー、ヒム、ヒズ、...。
シー、ハー、ハー、ハーズ。
ウィ、... あれ、なんだっけ?」
中学1年生が必ず通る英語の人称代名詞の覚え方です。


「未然、連用、終止、連体...」
「け、け、ける、ける、けれ、けろ...」
「かろ、かつ、く、い、い...?」
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす...えーと何だっけ?」


学校の勉強は覚えることがたくさんあります。
というか、覚えても覚えても、次から次へと出てきます。
まさに終わりがありません。


昨日も、中2の生徒に英語を教えていたところ、「覚えることが多すぎる」と言って半泣きのようになりました。
そう、確かに覚えることが多すぎます。
でも、みんなここを通ってきているのです。
お父さんや、お母さん、お兄さんやお姉さん、先輩も。
それでは、どうすればいいのでしょうか。


冒頭の人称代名詞も、最初の部分は何度も繰り返し言っているので覚えているのですが、途中からだんだん怪しくなってきます。
いったん覚えた「つもり」だったのですが、しばらくすると「アイ、マイ、ミー」じゃないですが、「曖昧」(あいまい)になってきます。
そのうちに、覚えることが多過ぎると言って、勉強が嫌になったり、あきらめたり、開き直ったりする人がたくさん出てきます。


原因を突き詰めていくと、新しく覚えなければならないことが次々と出てくるのですが、曖昧に覚えていることにあります。
そのうちに、覚えなければならないことがどんどん出てきて、覚えきれなくなりそれに押しつぶされてしまうのです。


ということは、新しいことを学んだらその場で一つひとつを確実に覚えていく。これが一番大切なのです。
「覚えられない」と言う人はみんな、最初を曖昧に覚えています。
それが証拠に、自分は記憶力が弱い、覚えられない、と言う人でも、自分の好きなスポーツ(サッカーや野球等々)のルールや攻め方・守り方の定石はきっちりと覚えています。
また、ゲームのやり方、漫画等に出てくるキャラクター等に関しては、もうプロの領域に達しています。
私などはとってもじゃないですが、足元にも及びません(というか、私にとっては外国語を聞いているようなものです)。


だれでも自分の関心のあることは、それほど苦労しなくても覚えられるものです。
ここにヒントがあります。
いやいややっていたのでは、覚えられません。
やっていることに興味を持つのです。
「自分は歴史には興味がないから無理」と言うのではなく、歴史が好きな人になぜ歴史が面白いのか、どのようにして得意になったのかを聞くのです。
そして、それを真似ればいい。
先日、送迎バスの中でひとりの生徒と話していたとき、この子はほかの教科は苦手だけど歴史は得意と言います。
理由を尋ねたら、歴史もののゲームをやっていて歴史に興味がわくようになり、自然と覚えられるようになったというのです。


私の場合は英語が小さいころから好きで、大きくなったら絶対に英語がペラペラになれるようにしよう、と心に決めていたので、英語の勉強にはさほど苦労しませんでした。
というか、英語の勉強がいつでも楽しくて仕方ありませんでした。
そして今、中学生や高校生に英語を教えるとき、その面白さやコツを伝授します。
すると、みんな英語がよく分かるようになり、楽しくなっていきます。


何事も、「アイ、マイ、ミー」と言いながら、基本を「あいまい」に覚えてはだめなのです。


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人間関係の潤滑油

2011.05.19日

最近、テレビのCMで見るたびに笑わされるものがあります。
撮影はローマかどこかの町だと思うのですが、ごく普通の男の子が出てきていきなり歌い始めます。
「ララララーラララ、ラララララー、ララララ...、消〇力!」という例のやつです。
いくつかのパターンがありますが、最近はおじいちゃんが出てくるバージョンもあります。
このCMを流している会社は、昔から意外性とユニークさで人を笑わせるのが得意なようです。
しかも、CMの目的である、商品名はしっかりと印象に残るよう、よく工夫されています。
本当に感心します。


この「意外性」というのは、CMに限らずなんにおいてもとても大切なことです。
一般に、人は習慣の動物ですから、いつの間にか無意識のうちにパターンの中に陥ってしまいます。
そしてそれを心地よく感じるようになります。
毎回、毎回、変わったことばかりで、次に何が起こるか予測もつかない、というのではみんな疲れてしまいます。
しかし、いつものパターンの中で「意外性」が起きるので面白く感じるのです。


「意外性」は人を深く印象づけます。
また、楽しませてくれます。
人のジョークも同じです。
思いもかけないときにパッと出てくるジョークは人を楽しませます。


昔、アメリカの著名なビジネスマンがスピーチをしていました。
「ここの冬の寒さはハンパじゃないですよ。
予期していないありとあらゆることが突然起きます」
と言ったそのとき、会場だったホテルのブザーが大きな音を立てて鳴りました。
予期していなかったブザーの音でスピーチが一瞬途切れました。
しかし、スピーカーは澄ました顔をしてスピーチを続けました。
「ブザーも鳴ります」
聴衆はどっと沸きました。


先日、個別のクラスのとき、ひとりの生徒が〇日は休みですよね、と私に言ったので、私はあまり深く考えずに「うん、休み」と答えました。
その直後、S先生が私のところに来て、「学院長、〇日は休みじゃないですよね」と言うので、確認したら休みじゃありません。
そこで、「うん、休みじゃない」と答えました。
S先生は、先ほどの生徒のところに戻って、〇日は休みじゃないよ、塾あるよ、と言いました。
すると、生徒が「だって、さっき休みって学院長が言いましたよ」。
S先生は澄ました顔で、「人の言うことをそんなに簡単に信じるものじゃないよ」。
このとっさの機転にみんなどっと笑いました。
そして私の言った間違いをさっぱりと洗い流してくれました。


このような「意外な」ジョークや、とっさの機転、ユニークさは人間関係において潤滑油のような役割を果たします。


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O111とO157

2011.05.18日

焼肉チェーン店の集団食中毒で、死者4名と重軽症患者多数が出るというとても痛ましい事件が最近起こりました。
一躍脚光を浴びたのはO111という大腸菌。


今から15年前の1996年、大阪の堺市では学校給食から大腸菌O157による集団食中毒患者を9500人近くを出しました。
全国では死者8名、感染患者15000人近くも出て、全国民をパニックに陥れました。
連日テレビや新聞でこのニュースが大きく取り上げられていました。
このとき小学5年生だった次男の正人が学校から帰ってくるなり笑いながら言いました。
「今日、学校の全校集会で校長先生がO157の食中毒に注意するようにって」
「それの何が面白いの?」
「だって、校長先生、O157(オーイチゴーナナ)のことを0157(ゼロイチゴーナナ)って言ったんだもの」
これには私もつい大笑いしてしまいました。


「ゼロイチゴーナナ」なんてまるで電話番号の市外局番みたいです。
毎日毎日、朝から晩までテレビで「オーイチゴーナナ」と言っているのに、校長先生は何を聞いていたのでしょう。
しかも、全校集会の場で、生徒たちに注意を喚起するつもりで自分の無知・無神経振りを披露してしまい、小学生達に笑われてしまったのです。


さすがに今回の事件で「ゼロイチイチイチ」と言う人はひとりもいないでしょうが。
普通の人が「ゼロイチゴーナナ」と言っても笑われるのに、教育者が、しかも学校長が言えばこれは笑われて当然です。


教育者というのは、実に責任重大な立場にあります。
良きにつけ悪しきにつけ、教育者は子ども達に多大な影響を与えます。
「ゼロイチゴーナナ」と言って間違ったことを子どもに教えた、というのではなく、教育者としての信頼を揺るがしたという意味においてこれは大きな問題なのです。
おそらくこのとき、この学校の生徒たちは「校長先生、バカじゃない」とか「校長って大したことないな」と思ったことでしょう。
つい先日も、ひとりの小学校長が女児のスカートの中をカメラで盗撮したというニュースが新聞に載っていました。
信頼関係を失うというのは、教育以前の問題です。


これは専門の教育者に限ったことではありません。
子育てにおける親も同じです。


今日、道を歩いていてある光景を目にしました。
幼稚園児ぐらいの女の子が母親の言うことを聞かず、母親をぶっているのです。
これに対して母親は子どもを大声で叱りつけています。
子どもはますます強く母親をぶち、母親はますます大声で怒鳴っています。
見ていて心が痛みました。
親子の間に信頼関係がまったくできていない。
このままいったら、間違いなくこの子どもはどんどんひどくなっていくだろうと思いました。


逆に、うちの塾生などで、礼儀正しく、勉強もよく頑張り、常識もある子を見、よくできた子だなと感心していて、その親御さんにお会いすると、「ああ、なるほど。この親にしてこの子あり」と納得がいったりするものです。


子育てする親も、また子どもの教育に携わる者も、一瞬一瞬が真剣勝負です。
結果は必ずあとからついてきます。


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命の恩人

2011.05.17日

「命の恩人」と言うと、交通事故や地震・火事などの災害で、ある人に助けられた、といった劇的なものを普通は想像するでしょうが、そのような経験をする人はめったにいません。
私もそのようなドラマになるような命の恩人はいません。
しかし、これまでの人生を振り返ると、その時その時にさまざまな「命の恩人」に出会っています。


高校2年のときのことです。
先日のブログ、「夢は潜在意識から」の中に「高校生の頃ピアノを習っていた」と書きました。
ピアノを教えてくださっていた先生のご主人は当時著名な洋画家でした。
ちょうどこの頃、美術部に入り油絵を描いていた私は、将来画家になりたいと思っていました(「愛すること」)。
大学進学のとき芸大も選択肢に入れていたのですが、あるとき思い切ってこの画伯のお宅に自分の描いた絵を持って伺いました。
吹き抜けの広いアトリエに通されて、完成した作品やイーゼル上の描きかけの絵などを見せていただきました。
そして私の絵を取り出して見ていただきました。
すると即座に「やめたほうがいい」と実にそっけなく言われました。
もう少し何とか言いようがあるんじゃないかと私は思いました。
正直、がっかりしました。


でも、あとになって考えてみると、このS画伯の言葉であっさりと芸術の道をあきらめたわけで、私はS画伯のことを「命の恩人」と思っています。
S画伯はかなり有名だったにもかかわらず、生計を立てていたのは奥さんのピアノ教室のほうだったんじゃないかと思っていました。
ということは、ご自分の経験から「芸術の道は厳しいからやめておいたほうがいいよ」と私にアドバイスをくださったのだろうと、S画伯のことを「命の恩人」と思っているのです。
(もっとも、絵自体も下手の横好きの代物だったのでしょうが)
今、私の家のリビングにあるピアノの上には、「舟田譲二君の結婚を祝して」と裏に書いたS画伯のカトレアの油絵がかかっています。
ピアノとこの絵を見るたびにご夫妻に心から感謝しています。


ちなみに、S画伯のことをネット検索してみたところ私よりも40歳年上ということがわかりました。
ということは、私がピアノを習っていた高校生の頃、S画伯は50代後半。
髪の毛は真っ白で、とても貫禄のある方で、私は60代後半のおじいちゃんだとばかり思っていたのですが、なんと今の私よりも若かった!


小学4年生のときに教育実習に来られたN先生のことはこれまでこのブログに何度も書いてきましたが(「50年のお付き合い」)、この方も私の「命の恩人」です。
50年以上も前の出会いで、しかもたった1か月間ほどのお付き合いでしたが、その後の私の一生を左右するほどの大きな影響を与えてくださいました。
N先生にはいくら感謝してもし切れません。


このほか、私の「命の恩人」と呼べる人は数え切れないほどいます。
私の人生に欠くことのできないほどの影響を与えてくださった多くの方々のことをこのブログに書いてきましたが、みんな私の「命の恩人」です。
今日の私があるのは、恩師や両親を始め、数え切れないほどの多くの「命の恩人」のお陰と、いつも感謝しています。


皆さんの「命の恩人」は誰ですか?
きっと私のように数え切れないほどの「命の恩人」にめぐりあってこられたことでしょう。
「命の恩人」は、決してドラマチックである必要はありません。


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頭のいい人は要注意!

2011.05.16日

先日、高校生に現代文を教えていたとき、非常に興味深い文章に出くわしました。下にその一部を引用します。


「少年期から青年期にかけてのかなり長い期間、ぼくは『効率性』を至上として生きてきた。(中略)
しかし、そうやって自分自身を効率化していったぼくは、大学に入ってから、壁にぶち当たることになる。(中略)
ぼくにとっての『地理』はその内容に意味があるのではなく、いい点数を取る『素材』にしか過ぎなかった。古文にしてもしかり、数学にしてもしかり。それがいったん与えられれば、自分を効率化してそこで最大の成果を上げる。『成果』を上げることが目標であり、『なぜ』成果を上げるのかは問われなかった。そんな人間のほうが、受験というような場では成功を収められるシステムがそこにはあった。(中略)
それは言い換えれば、<愛>の不在ということにもなる。たとえば地理という分野そのものを愛し、そこにかけがえのない興味を抱いている人間は、その研究に喜びを感じて没頭するだろう。そしてそのためならば他の勉強など少々犠牲になってもいいと思うだろう。(中略)
ぼくの場合は、いい点数を取ってしまえば、それ以上にそれに没頭する必要はない。それを愛しているのではなく、それは素材なのだから。世界とぼくは<愛>で結ばれていない。そしてそれゆえ、自分の存在感も、そこからは得ることができないのだ」
(『日本型システムの終焉』上田紀行著)


これは頭のいい人が陥りやすい最大の罠です。
このタイプの人は、それほど苦労しなくてもたくさんの情報を頭の中に詰め込むことができます。
そのため、割り切って勉強します。そしてどの教科も当然のことのように高得点でき、いい成績がつき、受験においてもトップレベルの高校や大学に合格することができます。
まさに日本の受験システムにぴったり合ったタイプの人で、知らず知らずのうちに勉強とはこういうものだと思いこんでしまいます。


しかし、上の引用文にあるように、<愛>が欠如し、勉強を真に楽しむことができないのです。
志望校合格のみを目標にして意味も分からず割り切って勉強してきたため、合格して目標を達成するとたちまち自分を見失う。
著者の上田さんは大学入学後、ノイローゼや心身症を患って病院巡りをし、カウンセリングにも通ったと上掲書に書いています。
その後、真の学問に目覚め東京大学卒業後、同大学博士課程終了。現在は東京工業大学准教授で文化人類学者。


ずいぶん前のことですが、アカデミーの講師に応募してきたとても優秀な人がいました。
地元トップ高を卒業後一流大学に合格。
文系・理系、どの教科もできる人でした。
お話を聞いていると、「とくに歴史が得意」と言います。
理由を尋ねると、「年号や人物名、出来事など苦労せずにどんどん覚えられ、試験では満点が取れるので得意」という返事でした。
でも、別に歴史が好きというわけではないのです。
つまり、上田さんと同じタイプで、歴史をただの得点源の「素材」としていたのです。
頭は抜群にいいのですが、人の心が読めない、人間関係の弱い人でした。


これに対して私が「社会博士」と呼んだN君はまさに社会の勉強にはまっていた人です(「勉強にハマる?」)。
上田さんが言うところの社会という科目と<愛>で結ばれていた人です。
これが本物の勉強です。
このことに気づいた人はのちのち必ず成功します。
人の人生を決めるのは、学校での成績や出た学校ではありません。
学校で何を学び、それをどう活かすかです。
頭のいい人は要注意です。


それでは、自称「頭の悪い人」はどうでしょうか。
心配いりません。
努力です。努力に努力を重ねる。そして、一歩一歩前進していく。
人生とはその積み重ねです。
しかし、自分は「頭が悪いから」、と思って努力しない人は、要注意どころか、「超」注意です。
とどのつまり、人生とは持って生まれた能力というよりも、努力の結果で決まるものです。


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不思議な糸で結ばれている

2011.05.15日

アカデミーメールマガジンを始めて今日は1周年です。
最初の頃は、No.10 ...No.25 など、いつまでたっても数字が小さくて、こんな調子でこのメルマガ続けられるんだろうか?などと思ったものですが、「塵も積もれば山となる」(もちろんこのブログは塵ではありません)でいつの間にか1年経ちました。
思いつきで始めたのですが、これを通して知人から知人へと紹介の輪が広がって、今では国内外多くの方々がメールマガジンに登録して毎日ブログを読んでくださっています。
心から感謝いたします。
もし登録がまだで、ブログをご愛読してくださっている方がありましたが、この機会にぜひご登録ください(登録はこちらから)。


昨夜授業が終わってひとりの生徒をバスで家に送る道、その子が意外なことを話してくれました。
「今日、髪の毛のカットに行ったら、やってくれた人がもとアカデミーの生徒でした。学院長は元気にしていますかって」
「駅の近くの美容院じゃない?そこはうちの卒塾生が4人ぐらい働いているって聞いたけど」
「いえ、うちのそばです」
「えっ、どこの美容院?」
「〇〇〇です」
「それって前にうちにきていた〇〇君のうちのお店じゃない?」
「そうなんですか?」
「で、美容師さんの名前は聞いた?」
「ユ〇さんです」
「その名前の人っていっぱいいるからな...」
ところがしばらくして思い出し、尋ねました。
「ひょっとしたら、その人色白で目が細い人じゃない?ク〇〇〇ユ〇さんっていうんだけど」
「そういえば色白で目が細かったです。きっとそうです」
その子の家もお母さんの顔もよく覚えています。多分、もう29歳になっています。


そういえば、つい3日前にも送迎バスの中で面白い話がありました。
「学院長、前にアカデミーにいた人で、〇〇〇って名前の人知ってる?」
「うーん、もうずいぶん前になるけど、その名前の人はいたよ。たしか下の名前はタ〇〇〇だったけど」
「そうそう、その人。うちのお母さんの妹がその人と結婚してるんだよ」
「えっ!? じゃあ、君のおじさん?」
「そう。この前もうちに来ていたよ。自分も昔、アカデミーに行ってたって」
彼は以前このブログの中に書いたT君で、何年か前に偶然に紳士服店であった青年です(「板についている」)。


うちの生徒が美容院に行ったら、そこは以前うちの塾に来ていた生徒の親の経営するお店で、しかもそこで働いていてカットしてくれたのが卒塾生だった、という上の話もそうですが、こういうのを「偶然」と人は呼びます。
でも、これらすべては目に見えない糸によって結ばれていると私は信じています。
アカデミーで出会って結婚したカップルが二組あります。
この人たちの場合は、「運命の赤い糸」で結ばれていたのでしょう。
先日、ご結婚されたイギリスのウィリアム王子はケイトさんと、「赤いケイト」で結ばれていたとか。


william.jpg


今、このブログを読んでくださっている方々とも、不思議な糸で結ばれているのですね。
地球の長〜い長〜い歴史の中のこの一点で、しかも世界に住む何十億という大勢の人々の中で出会うというのは、気が遠くなるほどの天文学的な小さな確率です。
この不思議な出会いに心から感謝します。


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夢は潜在意識から

2011.05.14日

最近、送迎バスを運転するとき、ショパンのピアノ曲を聴いています。
何度も何度も、繰り返し繰り返し聴いています。
そして聴くたびに感動し、心洗われています。
ショパンのピアノ曲はもっとも好きなもののひとつです。
ショパン特有の繊細で華麗なものから、可憐なもの、力強いもの、どれもこれも胸に迫るものがあります。


つい4日前の出来事です。
私はピアノ発表会が行われている大きなコンサートホールにいました。会場は人でいっぱいです。
ピアノの演奏はどれもこれも素晴らしいものばかりで、身震いしていました。
やがて大変な状況になりました。
なんと、もうすぐ私の番が回ってくるのです。
ところが、自分の弾く曲がわかりません。
それに、もう何十年とピアノなんて触れたこともありません。
それなのに、この大きなコンサートホールで私がピアノを演奏するのです。
「こんなことあり得ない!」
曲と曲の間で私はそっと会場を出て、ロビーから携帯で妹に電話して、私が演奏する曲目を言って、どんなメロディーだったか聞きました。
すると妹が口で「ジャジャンジャジャーン、ジャンジャンジャンジャーン...」とメロディを口ずさんでくれるのですが、それでも頭の中に曲のイメージが湧いてきません。
仕方なく会場に戻ると、もう次が私の番です。
もう頭の中は真っ白、完全にパニックしました。


心臓のドキドキという音を耳にしながら目覚めました。
「ああ、夢でよかった!」
まだ早朝5時半ぐらいでした。でも、あまりにも夢がリアルで神経が立っていたので、その後眠りに戻ることができませんでした。


どういうわけか、このようなたぐいの夢をよく見ます。
起きてきた正人にこの夢のことを話すと、なんと正人も大学の授業に全然出ていなくて焦っているという同じような夢を見ていたと言います。
これは私もいまだによく見る夢です。
「夢は潜在意識から」と私は思っていますので、この夢のもとになる潜在意識を探ってみました。
ひとつは、最近ずっとショパンのピアノ曲を聴いていたこと。これは明白。
2番目は、昔高校生の頃、ピアノを習い始めたのですが、あまり練習していなかったということ。そして、やはりピアノ発表会が近づいてくるといつも緊張していたこと。
このふたつの理由は容易に想像がつきましたが、これだけでは納得がいかず、ずっと考えていました。


翌日になって気づきました。
いつの日か、もう一度ピアノを弾いてみたいな、とずっと潜在意識の中で思っていたのです。


私が最後にピアノを弾いたのは、アメリカに留学して言語学を学んでいたときのこと。気まぐれで大学の趣味のピアノのクラスを取った40年近くも前のことです。
初めにも言いましたように、私はショパンのピアノ曲が大好きです。
『愛情物語』はお気に入りの映画で何度も繰り返し見ました。
その中で、天才ピアニストエディ・デューチン役を演じるタイロン・パワーが弾く(実際に演奏しているのはカーメン・キャバレロ)ショパンの「夜想曲」(ノクターン)が弾きたくて、大学時代独学で練習して下手ながらも一応弾けるようになったのです。
その思い出があったので、ショパンの曲を弾きたいと最初のクラスで言ったところ、先生が選んでくれたのが「前奏曲集」(プレリュード)でした。
その中の何曲か簡単なものが弾けるようになったのですが、それがバスの中で聴いているCDの中に入っているのです。
毎回、聴くたびに昔の留学時代の懐かしい思い出に浸っていました。


それで夢に触発されて一念発起。
ショパンの「前奏曲」に再チャレンジすることを決意したのです!
昨日、ピアノの上や前に積み上げられていたものを片づけ、椅子を置いて腰かけました。
譜面台の「前奏曲」の楽譜を見ながら音を取ってみました。
ト音記号のほうはなんとかなりそうです。
しかし、なんとヘ音記号の楽譜が読めないのです。
「えっ!なにこれ!?」
40年間のブランクは大きい。
ほとんどゼロからのスタートになりました。
時間はかかるでしょうが、時間を作って少しずつやってみます。
少し弾けるようになったらまたこのブログでお知らせしますね。


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優しさとは その3

2011.05.13日

2回にわたって「優しさとは」というテーマで記事を書きました。というよりも、正人の東日本大震災現地レポートを載せました(「優しさとは その1」「優しさとは その2」)。


さて、先週からまた近所のF歯科にかかっています。
これまで何度もF歯科医のことをこのブログの記事に書いてきました(「プラスαのパーソナルタッチ」他)。
先日、会計で料金を支払おうとしていたらF先生が私のところにやってきて、小さな卓上カレンダーのような写真アルバムを見せてくださいました。
先生も宮城県南三陸町に歯科災害ボランティアとして、有志と一緒に発電機やスーツケースのようなものに入った機械類を持ってバスで行ってこられたそうです。
正人の撮ってきたのとそっくりのがれきの山の写真が次から次へと続きます。
それらに混ざって、被災地の保育園で歯の治療をしておられるF先生の写真がありました。
懐中電灯を片手に、普通の椅子に腰掛けた患者さんの口の中を照らしながら歯の治療をしていらっしゃるのです。
しかも、ご自分の患者さんをキャンセルして行ってこられたというのです。
「やっぱり」と思いました。


F先生は患者さん一人ひとりのことをよく覚えていらっしゃいます。
受付に来たひとりの男性には、
「〇〇さん、お久し振りですね。前回来られたのは平成17年ですよ」。
「平成17年」はもちろんカルテを見てのことでしょうが、6年ぶりに来た患者さんの顔も名前もちゃんと覚えていらっしゃるのです。
そして、どの患者さんに対しても優しく、言葉遣いも丁寧。
「連休はどこかにいらっしゃいましたか?」
と尋ねられたので、妻の実家の名古屋のほうに、と私が答えると、
「奥さんのご実家は名古屋なんですか?」
これがうわべの会話ではなく、一言ひとことに真実味があり、患者に関心を持っていらっしゃることが伝わってきます。
看護師さんや助手、事務の方たちに対してもF先生はいつも丁寧な言葉遣いです。
「〇〇お願いします」「はい」「そうです」「ありがとう」云々。
だから、看護師さんたちもみんな患者さんに親切で、いつも笑顔で接していらっしゃいます。


私の喉が弱いのを知っている受付の方は、私が診察台に座るとすぐにうがい薬を持ってきてくださいます。
優しさは人に対する心遣い、思いやりです。
F歯科に行くといつもそのことを教えられます。
歯の治療は正直、痛いこともあります。
でも、F先生を始めスタッフの方々がみなさんいい方々なので、たとえ痛い治療でも行くのが全然苦痛でなく、むしろ歯が悪くなると治療に行くのが楽しみになるぐらいです。
また、治療が終わるときには一抹の寂しさを感じるほどです。
おそらく同じ匂いがするのでしょう(「同じ匂いがする」)。


「優しさの具現化」がボランティアだと「優しさとは その1」に書きましたが、これはなにもボランティアに限ったことではありません。
「思いは見えないけど、思いやりはだれにでも見える」(「心温まるシーン」)のごとく、みんながお互いにちょっとした心がけで優しさを表すならば、私たちはハッピーな日々を送ることができ、世の中もっともっと平和になるのですが。


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できない理由 その2

2011.05.12日

1年半ほど前にこのブログで「できない理由」という記事を書きました。
今もう1度その記事を読み返しました。
そして、なるほどそのとおりだ、と改めて自分の書いたことに首肯しました。


昨日は夕方にひとりの小6生のお母さんから電話がありました。
「本人が漢検を受けたいと言っている」とのこと。
この子は3年生のとき入塾しましたが、算数・国語とも正直なところかなり遅れていて、同じことを何度も何度も教えましたが、なかなか理解が伴わず教えるのにも結構苦労しました。
ところが昨日の電話でお母さんがおっしゃるには、学校の漢字テストは最近はいつも満点で、算数もとてもよくできるようになってきた。アカデミーのお陰だと感謝しているとのこと。こういうお電話をいただくと本当に嬉しくなります。
この子はとてもまじめで、出された宿題はたとえどんなにたくさんあっても必ずやってきます。
これまでの繰り返しの練習の成果が出てきたのです。


そして、夜の授業後、2人の中2生の三者面談をしました。
ひとりは最近入塾してきた生徒で、先週個別で英語を教えたところものすごい理解力で驚かされました。
教えながら、理解しているかどうか確認の質問を何度もしましたがすべて正確に答えました。
この分だとワークで問題を解かせれば難なく全部できるだろうと思っていたのですが、意外にもあまりできていないのです。
ほとんどに小さな間違いが散見されます。これでは本番のテストでは高得点できないと思い、本人にそのことを指摘すると、そのとおりだという返事が戻ってきました。
原因は本人のうちにある教科に対する苦手意識、自分はできないという思い込み、そして問題練習不足です。
「ということは、これからどうすればいいと思う?」
「その逆のことをすればいい?」
「そう、そのとおり!」


最後のひとりは本人は結構楽天的なのですが、お母さんが学校の成績のことや進学のことでとても心配していらっしゃいます。
そこで私は言いました。
「〇〇ちゃんは、最近勉強がよく分かるようになってきて、面白くなってきているんですよ。
テストの点数も上がってきていて、苦手だった数学では塾の月例テストで1番にもなりました。その理由を聞いたところ、同じところを何度も繰り返しやったらよく分かるようになって、テストもよくできたとの返事。
つまり、勉強のやり方がわかってきたのです。
まだ学校のテストで思うような結果が出ていないのは、あと一歩の詰めが甘くて、一つひとつをきちんと覚えていないからです。何事も身につくまでは練習が必要です。
一般に天才と呼ばれる人は、勉強に限らずスポーツでも芸術でも、仕事でもなんでもそうですが、みんなものすごい練習を繰り返して、自分のものにしているんです」
これを聞いて、親子共に納得。帰るときには、本人はとてもやる気になっていました。
そして、今日、顔を合わせたとき尋ねたところ、昨夜家に帰って早速漢字の勉強をしたとのこと。


今晩は高3のK君の英語を指導しました。
先日、学校で予備校のセンター試験模試があったそうで、1年前と比べて英語は60点も上がったと言います。
苦手としていた発音・アクセント問題は全問正解。文法・語順整序・語句選択・読解問題など、どの分野も8割から9割できたそうです。
高1のとき、英語が苦手と言って入塾してきたのですが、基本から始めてコツコツと練習を積み重ねてきた結果です。
今日塾でやった問題も1問を除いてあとは全問正解。
本人曰く、「センター試験で英語は9割を目指して、一番の得点源にします!」。


誰でも、できない理由はいくらでも見つけられるものです。
「自分は〜だからできない」と言っていると、魔法使いジニーは
「あなたの望みどおりにしてあげよう」
と言って、できないという思いこみをそのままかなえてくれます(「あなたはなぜ〇〇じゃないのですか?」)。


できない理由を見つける時間と労力を、できる理由を見つけるのに使いましょう。
そうすれば、ジニーは同じように
「あなたの望みどおりにしてあげよう」
と言って願いを全部かなえてくれます。


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慣れないことをすると

2011.05.11日

毎年この時期になると、庭の雑草が気になり始めます。
庭と言ってもそれこそ「猫の額」ほどの小さな庭なのですが。
そういえば、1年ほど前のブログにも「雑草にも栄養が必要!?」という記事を書きました。


そして、今年も庭の雑草がずいぶん伸びてきたので、というか妻に頼まれて、先日草むしりをしました。
鎌を使ってやるととても早いので、これは便利と、調子に乗ってやっていたら、鎌の刃で人差し指を切ってしまいました。
鎌の根元を持っていたら刃先に指が触れて、チクっとしたなと思った次の瞬間血がポトポトと落ちてきました。
ようやく傷口が癒えて、この前の日曜日は久しぶりに朝から晴れたので先日の続きをすることにしました。
今回は気をつけて鎌を持っていたので、指を切ることはありませんでした。
調子よく進んで、あとちょっと、あとちょっと、とやっていたらいつの間にか結構長い時間(とは言ってもたかが30分ほど)かがんでやってました。
立ち上がろうとした時、「あっ!」。
腰痛です。
あまりいっぺんにたくさんやらないようにとあらかじめ妻に言われていたのに。
でも、前のようにギックリ腰にはならず、しばらく横になっていたら治りました。
「慣れないことをすると」と、先日の鎌の件も併せて、自分でも少しあきれてしまいました。


雑草を抜きながらいろいろ考えました。
私たち人間にとっては邪魔な雑草なのですが、それは人間の勝手な都合で、雑草はそんなこと知りません。
どこからか風に乗ってきた種の落ちた先がたまたまうちの庭で、そこに根を張って一生懸命生きていたら、突然鎌で切られ、引き抜かれてしまうのです。
雑草とはいえ、たとえわずかでも私たちの出す二酸化炭素を吸い、酸素を出して地球温暖化防止のためにも役立っているのに、人間には邪魔者扱いされるのです。
そういえば、害虫も同じで、人間にとって害虫というだけで駆除されますが、その虫自身にしてみれば人間そのものが害人(ガイジン?)です。
立花隆氏も『エコロジー的思考のすすめ―思考の技術』の中で同じようなことを述べています。


雑草にしても、人間は鎌を持っていきなり自分たちに切かかり、根こそぎ引き抜いく残酷な生きもののように思っているのかもしれません。
人間にとって悪の存在であると言って雑草や害虫などを取り除くという考え方は、気をつけないとジェノサイド(集団殺戮)、すなわち戦時中のナチスドイツや、現代のテロ組織のような独善主義にもつながりかねません。
もっとも、雑草を引き抜き、害虫を駆除するのは、この地球の管理を委ねられている人間にとって必要なことでもあり、ジェノサイドと同列に扱ってはいけませんが。
しかし、地球上の絶滅危惧品種の動植物のいのちを守るためにも、人間に与えられている英知を使わなければ管理を委ねられたものとしての責任を全うしていることにはなりません。


などと、雑草を引き抜きながら、つれづれなるままに思索にふけるひと時を楽しみました。


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教育の力 その2

2011.05.10日

今日の読売新聞2面に「教育委は首長指揮 3歳から義務教育」という記事が載っていました。
それによると、中曽根元首相が会長を務める財団法人世界平和研究所が義務教育の開始年齢を3歳に引き下げるという改革試案を発表したということです。
試案は、東日本大震災を踏まえ、「日本再生・復興の鍵は教育の建て直しにある」と位置づけた、と記事にあります。


私もこれまでこのブログで何度も同様の主張をしてきました。
たとえば「教育の力」(2010.2.6)には、次のように書きました。
「勉強できる環境にある私たちがもっともっとしっかりと学んで、世界中で生活に困っている人たちのために何ができるか、何をすべきかを考えなければなりません。
みんな同じ地球という星に住んでいる地球人です。
もとをたどれば、私たちはみんな兄弟姉妹です。
自分さえよければいい、ではなく、人の痛みを思いやることのできる者になりたいものです」


「選ばれた戦士たち」(2011.3.17)には、
「今回の地震の被災地を復興させるのに10〜20年ぐらいかかるかもしれない。
復興のためには、別に自衛官や警察官でなくて、ほかの仕事をしていても社会に役立つことはいくらでもある。
今、しっかり勉強することが、将来の日本を担う小中高校生・大学生など『選ばれた戦士たち』の使命である」
といった内容のことを書きました。


ですから、冒頭の「日本再生・復興の鍵は教育の建て直しにある」という考え方には、いくら賛成しても賛成しきれないほどです。
一般の人々の間には、勉強というのは受験のため、就職のため、といった非常に狭い考え方をしている人がとても多いように見受けられます。
学校や学習塾、予備校、どれも同じような考え方をし、父母の要望に迎合し、また生徒にそのような勉強を強要している傾向があります。
これでは、子ども達が勉強嫌いになるのは当たり前です。


今、読んでいるレイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』の中で著者はとても大切なことを語っています。
「いろいろな生きものの名前をしっかり心にきざみこむということにかけては、友だち同士で森へ探検にでかけ、発見のよろこびに胸をときめかせることほどいい方法はない、と私は確信しています」 (同書p.14)


日本の現在の教育は試験のための暗記・詰め込みが中心です。
そのため、感動に欠け、せっかく大切なことをたくさん学んでいても、それを日々の生活に、人生に、社会に活かせるようになっていないのです。
これは日本という国にとって大きな損失です。
なぜなら「教育は国家百年の大計」(「物事の本質を見抜く」)だからです。


そしてさらに一歩進めて言うと、教育は国や学校だけの仕事ではないのです。
教育の基本はあくまでも家庭です(「教育は家庭から」)。
奇しくも、今日の同じ読売新聞11面に、劉傑(りゅうけつ)・早大教授が「中国は日本の復興に注目」と題して寄稿しています。
その中で、同氏は「今回の大震災・原発事故の中、日本でパニックが起きないのは教育の成果である」と結論しています。
私は、ここで言われている「教育」は「学校教育」というよりむしろ「家庭教育」であると思っています。
塾という仕事をしていてつくづく感じるのは、子どもが育つ段階での家庭教育の大切さです。


「教育の力」―それは、義務教育の開始年齢を3歳に引き下げるとか、教育委員会を文科省から切り離して都道府県の首長直属にすれば解決するといった単純な問題ではありません。
私たちみんなが、家庭レベルから始めて、学校の現場レベル、そして国家レベルに至るまで、もっともっと真剣に教育に向き合い、積極的にかかわるべき問題なのです。


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優しさとは その2

2011.05.09日

昨日のブログに対して早速おひとりの方が次のようなメールをくださいました。
「本日、正人先生のレポートを読んで改めて今回の震災に心が痛みました。
震災以降、毎日、ニュースなどで見る人々の様子に涙を流していました。テレビで見ているため、ただの『悲しいお話』、『他人事』として自分は見ているんじゃないか、と自分の気持ち・感情さえ疑われるような暗い気持ちになりました。そして、震災については安易な意見は言えない気持ちでした。
ゆうべ読んだ、パルシステム(生協)が発行している『POCO21』にボランティアについて書いてあり、自分でもできることがあるんだ、と気付きました。
その冊子の内容では、『ボランティアとは共に生きること』と財団法人富士福祉事業団理事長の枝見太朗さんのお話が載っていました。
『ボランティアはともすれば「奉仕活動」と訳されることがある。
奉仕は言葉のとおり仕え奉ることであり、そこには上下関係があり、隔たりがある。
本来ボランティアとは、誰かに束縛されたり押し付けられたりするものではなく、一人の人間として自らが『こうかかわりたい』という想いから行われるものです。それは、たとえば赤ちゃんのお世話に近いものでしょう。ただひたすらに、健康と幸せを願う。金銭や物品の寄付は、施し与えるものではなく、分かち合うものであり、実際的な支援は、支援を必要とする人々に寄り添い支えることなのです』
とのお話でした。
援助という考え方ではなく、共生という考え方であれば、遠く離れた私たちでも継続的に支援していけるのかな、と思いました。何日・何年経っても被災地・被災者・避難住民のことを忘れないこと。優しさを分かち合い、優しさを具現化していくこと、それが、お互いの生きる力になればいいなと思いました。
震災について、やっと心の整理がついたように思います」
Sさん、貴重なご意見をありがとうございました。


それでは正人のレポートその2をお送りします。


東日本大震災現地レポート【陸前高田市】その2


Kさんの姿にこちらが励まされ、みんなそんなに辛い顔をせず(きっと一番辛い顔をしていたのは腰を痛めた僕だったでしょう)、お手伝いをすることができました。
前述の自然栽培で育てられたそば「光香(ほのか)」を関東で唯一使っているお店が湯河原にあるというので、みなさんもよかったらチェックしてみてください。
「もち米ができたら連絡します」とおっしゃってくださったので、連絡先をみんなで交換し、Kさんのお宅を後にしました。


しかしながら、僕たちが片付けた畑というのは被災した全体のほんのわずかな一部でした。
陸前高田市だけでもまだまだ広大な土地が手つかずの状態です。テレビでは復興を始めようとしている場所が多く取り上げられていますが、まだとてもそんな状況ではないという方もたくさんいらっしゃることでしょう。
復興ムードに盛り上がり、悲しむことを切り離してしまうと、また一層被災地の人たちとの気持ちのギャップが開いてしまうのではと感じました。
一番強く感じたのは、地元の人たちと、僕たちボランティアや写真を撮りに来ていた人、そして自衛隊の人たちとでは、表情も動きも全然違うということでした。
ボランティアセンターや診療所などで働く地元の人たちは、真剣な表情で仕事をし、何か急いでいるような印象を受けました。そのように一番力を尽くしている彼らに対して、「支援してあげよう」というのはあまりにおこがましく思われました。


それから僕は高田第一中学校に向かいました。避難所に本を届けるというのがもう一つの目的だったからです。
マッサージもヘアカットもできない自分でも、面白くて夢のある本を届けることならできる。避難所で生活をしている人たちに、少しでも元気を取り戻してもらいたい。そんな願いで、ワンピースやハリー・ポッターなどの人気のマンガや小説を中心に集め、持っていきました。
どれだけ役に立つかわからないし、もしかしたら置き場に困って邪魔なだけかもしれない。しかし、やらないよりはやって失敗した方がいい、いらないと言われれば持って帰ればいいと思い、実行に移しました。
同校には500名ほどの方々が避難生活をしていらっしゃるということで、各地から物資も届けられているようでしたが、僕の本も無事受け取ってもらえました。
いろいろと話を聞きたかったのですが、やはりみんな多忙を極める様子で、すぐに帰るのも必要かと思い、帰路につきました。


一日滞在しただけでしたが、あの壊滅した街の光景は脳裏に焼き付けられました。
翌日、この平和な平塚の街を歩いていて、不思議な違和感を覚えました。今まで当たり前だった日常の景色、便利な生活が、実はとても不安定なものの上に築かれていたのではないか。一度の地震、一度の津波で、今の生活が全て壊されてしまう可能性を持っている。
しかしそれこそが地球にとって当たり前のことではないのか。もしかすると、人間のリズムは地球のリズムに比べるとずっと速く、数年も経つと災害のない状態に慣れてしまい、それが日常であると認識して、ゆっくりと、しかし必ずやってくる地球のリズムである災害のことをいつも忘れてしまうのかもしれません。


僕が今回の旅で見たのは、東北の人々のやさしさと、人間のもつたくましさです。
一泊した旅館の女将さんも、道中で休憩をさせてくれたある家族も、ボランティアでお世話になったKさんも、みんな他人への思いやりのある方々でした。
また、瓦礫の山に挟まれた一軒のガソリンスタンドが手動のポンプを使って営業していたり、ほっかほっか亭が、店舗がつぶれたのかあるいは遠くから支援に来たのか、バスで屋台を出していたりと、一部かもしれませんが、力強く復興への一歩を踏み出しているようでした。
現地の人々のそういった力強い姿には胸が熱くなりました。


復興までにどれだけの時間がかかるのか僕には見当もつきません。5年かあるいは10年か。そしてたとえ街が復興し元通りになったとしても、あまりにも多くの尊い命が犠牲となってしまいました。


高田第一中学校の廊下には、先生が書かれたのでしょうか、激励の言葉が貼ってありました。写真は撮らなかったためにうろ覚えですが、内容は次のようなものでした。
「我々はあきらめるために生かされたのではない。絶望の中から立ち上がり、明るい未来を再建するために、子どもの未来を輝かせるために、天によって生かされたのだ」


大きなダメージを受けた被災地のために、また日本のために、自分にできることなんていうのはごく小さなことかもしれません。でも、いずれ必ず、ひとりでも多くの人たちが元気を取り戻し、少しでも幸せな生活を送れるようになる、という希望を持ち続けていきたいと思いました。
そして、5年後、10年後には社会に出ていく、アカデミーで今学んでいる生徒たちとも、そんな希望を分け合っていきたいです。


この場を借りて、被災された皆様に謹んでお見舞い申し上げます。
以上で陸前高田市のレポートを終わります。


rikuzentakata4.JPG

(画像をクリックすると拡大されます)


小さなボランティアをして、夕方6時頃岩手を発った正人が、途中休み休みしながら帰宅したのは翌朝4時頃だったようです。
6時頃、トイレに目覚めて玄関に行ったら下駄箱の上に正人の車のキーが置いてあるのを見てホッとしました。
そしてふと足元を見ると、メモが目に入りました。
「お疲れさま。もしお腹空いてたら台所におにぎりがあるので食べてください」
娘の字でした。
台所に入るとおにぎりはありませんでした。
娘の小さなボランティア活動でした。


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優しさとは その1

2011.05.08日

ゴールデンウィークの大型連休中、東日本大震災の被災地である東北地方にボランティア活動に行った人の数がハンパない(今風の言い方)そうです。
いくつかの自治体では、受け入れ態勢が整っていないという理由でボランティアを断ったとのことです。
かつてはボランティアという概念すら乏しかった日本も、経済的にまた精神的に成長してきた証しとして多くのボランティアが生まれ、活躍しているのを見て本当に嬉しくなります。
最近では、中学や高校でもボランティア体験というものがあって、駅前や街頭での募金活動を始め、老人ホームや幼稚園などの施設でのボランティアなど、生徒たちが積極的に関れる機会を設けていますが、実に素晴らしいことです。


今回の大震災で日本人全体が優しくなってきたと、以前このブログの「生まれてまもない君に」という記事の中に書きましたが、ボランティアとは突き詰めていくと、「優しさの具現化」とでも言えるのではないでしょうか。


連休の前半、鼻炎から風邪を患って家で寝ていた次男の正人も、体調が回復した後半、ひとりで車で岩手まで行き、ほんの少しですがボランティア活動に携わってきたそうです。
私たち家族には何も言わずに早朝出かけ、夜中になって「今、岩手に来ている。今晩はこちらに泊まってくる」という電話をしてきました。
どんな体験をしてきたのか、2回にわたって正人のレポートをお送りします。


東日本大震災現地レポート【陸前高田市】その1


こんにちは、舟田正人です。
先日、GWの休みを利用して、岩手県の陸前高田市へボランティアに行ってきました。今回はそこで見たもの、感じたことなどを報告したいと思います。


東北に向かった動機はいくつかありました。
一つは、現地の様子を一度この目で見てみたかったということ。そしてただ見るだけというのも無神経だし、何か力になりたい、どうせなら行ったことのない岩手を観光して微力ながら応援したい、というものでした。


しかし、岩手の内陸のほうで出会った方々が言われていたように、市内の被害状況を見て、言葉を失いました。
まずは川沿いの地域。道路一本を挟んで、山側は何の被害も見られない家屋。川側には家屋の崩れさった瓦礫の山。天国と地獄。
海の近くの平野部の状況は、想像を遥かに超えていました。
全てが破壊され、復旧された道路の両側には瓦礫が山積みにされ、街の面影はまったくありませんでした。
「壊滅的状況」ではなく、文字通り街が壊滅していたのです。それは今までに見たどんなものにも似ておらず、実際にその場に立つと、「テレビに映っていた」という感じはしませんでした。ニュースや写真で何度も見て、背筋が寒くなったのと同じ光景のはずなのに。


rikuzentakata1.jpg rikuzentakata3.jpg


先生や生徒たちにも災害の大きさを伝えようと、道路わきに車を停めて写真を撮っていると、1台のトラックにクラクションを鳴らされました。
見ると、運転手が口を動かしながら身振りをしていました。
観光客は邪魔だ、帰れ・・・きっとそう言っているのだとわかり、途端に居づらくなりました。自分はここではよそ者なのだ、そんな自分が「力になる」ことなんてできないのではないか、そう感じました。


せめてボランティアに参加しよう。自分の労働力なんて本当に微々たるものだけど、やらずに手をこまねいているだけよりもいい。
ここにいる人たちは、みんな大変な思いをしているんだ。自分だけ楽な思いはできない。被災していない自分がのうのうとこの場にいることはできない。
そう思い、何の用意もしてなかったのですが、ボランティアセンターを探し、参加することにしました。


10名ほどのグループで向かったのは、お米を自然栽培で育てているというKさんのお宅でした。
お宅といっても、家は完全に破壊され、敷石と瓦礫が残っているばかり。長野県でそばも育てていて、それを家で石臼で挽いていたそうですが、その150kgはあるという石臼までもが流されていました。近くを通る鉄道の線路が、まるで垣根のように荒々しく持ち上げられていて、津波の威力の恐ろしさを改めて感じました。


作業は、畑に流された瓦礫の撤去。作業をしながらKさんはいろいろなお話をしてくださいました。
母と自分は奇跡的に助かったが、親戚にはまだ行方不明になっている人がいる。今は支援を受けているからいいが(義援金は届いていない)、明日どうなるかがわからないのは不安だ。早く畑を片づけて、今年はもち米もまいて、年末には餅をつけたらいい...。
土壌改良に尽力してできた土には多様な生物・バクテリアなどが住んでいて、「だから土は生きているようなものなんですよ。そこからは肥料なんて使わなくても本当においしいお米ができる」と誇らしげにおっしゃっていました。
無農薬・無化学肥料のお米は、体の弱いお年寄りや病人にも安心して食べてもらうためのものだそうです。


印象的だったのは、この方の笑顔でした。
「何もなくなって海が近く(見やすく)なりましたよ」とか、「財産は何も残っていないけれど、これでみんな平等ですよ。みんな何も持っていないんだから」なんて笑いながら冗談を言い、しかしたまに神妙な顔つきにもなる...。
家も畑も滅茶苦茶にされ、震災のあと1か月は何かしなくてはと思っても体が動かなかったとおっしゃっていましたが、それでも今は希望を持ち、目標に向かって仕事の再興に取りかかっている。
人間には、どんな困難も乗り越える不屈のたくましさが眠っているんじゃないか、そしてこの人の中には、自分には決して想像もつかないような大きな悲しみと、それに打ち勝つだけのたくましさが同居しているんじゃないか、と感じさせられました。
(明日に続く)


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本当に怖い話

2011.05.07日

高校3年のとき、英語担当の先生が夏休みに山ほどの宿題を出しました。
わら半紙に印刷したものが何ページもあり、それを全部日本語に訳してくるようにというものでした。
私は英語が好きだったのでそれほど負担には感じませんでしたが、ほかの生徒たちはその膨大な量にうんざりしていました。


さて、夏休みに入ってその宿題に取りかかりました。
集中してやりたかったので、周りの雑音が全部消えた真夜中、家族がみんな寝静まってからすることにしました。
自分の部屋ではなく、台所のテーブルでやりました。
ラフカディオ・ハーン(日本名、小泉八雲)の Kwaidan (『怪談』)です。
英語名の Kwaidan (くわぃだん)からしてとても怖そうです。
いくつかの短編が集められているものでしたが、どれもこれも怖くて怖くて、背筋を寒くしながら読み進みました。
私はもともと「怪談」系は苦手で、お化け屋敷もホラー映画もできる限り避けるようにしてきました。
もしも間違って見たりしたら、その映像が目に焼きついてしばらくは寝ることもできないほどでした。
しかし、これは違いました。
辞書を横に置いて知らない単語を調べながらの作業でしたが、私はたちまちその内容に引き込まれていきました。
まさに、「見たいけど怖い、怖いけど見たい」、そのものでした。


夜中にひとりで読んでいると、後ろに誰かいるような気がして何度も振り返ったり、またときには頬から全身に鳥肌が立ったり、トイレに行けなくなったり。
幽霊が庭を通って近づいてくるとき手に持っている鈴のチリンチリンという音が耳元で聞こえてきたりと、本当にリアルすぎてもう心臓がバクバク言っていました。
でも夢中になって一気に(とは言っても数日かかりましたが)読んで、翻訳しました。
日本語にするときは、できる限り原文の味を出そうと思って、直訳ではなく意訳しました。


今から考えてみると、これが英語の勉強に大きな弾みをつけるきっかけとなりました。
大学に入ってからの英語の勉強も、その後アメリカに留学して膨大な量のリーディングアサインメント(テキストや関連文献の読書)もあまり苦痛でなく読めたのは、この夏休みの宿題のお陰でした。
のちに、趣味でシドニィ・シェルダンやオグ・マンディーノほかの作家の作品を全部読むことができたのも、やはりルーツはこの夏休みの英語の宿題だと思っています。


そして今、手元に Kwaidan の原書があります。
少し読み始めると40数年前の夏休みの夜の思い出がよみがえってきて、やはり背筋が凍ります。
しかし、その翻訳版『怪談』を試しに読んでみると、まるで気の抜けたコーラのようで全然迫力がありません。
ラフカディオ・ハーンは、日本の怪談を自分の日本人妻から聞いたり、あちらこちらの伝承を自分で調べて、それを英語で書いたのですが、原書の英語のほうが日本語よりも迫力があって怖いというのは本当にすごいです。


こういうところでも英語の勉強が役立っています。
英語に限らずなんでもそうですが、ただ単に学校の試験、成績、入試のために勉強するのではなく、人生を豊かにするために勉強する、これが勉強の醍醐味です。


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枝葉末節

2011.05.06日

高校生に現代文を教えていたとき、面白い文章に出くわしました。
以下はその一部を抜粋したものです。


「第一の形式主義は、独特の儀式 ritualism (儀式主義)と名目尊重の習慣に、典型的に表れています。まず複雑な儀式の体系がある。社会生活のどの面にもあったし、今もあると思いますが、なお生きているものについていえば、たとえば贈答形式です。お中元とかお歳暮とか。またたとえばやたらにハンコを押す、― 押さなければならない習慣。私の名前は加藤で、加藤というハンコなどはどこにでもあって安く買える。そんなものは、人物を特定するために、なんの役にも立たないでしょう。それでも、そのハンコを押せば、役所は満足し、押さなければ郵便物一つ受け取れません。これは実質的な意味が全くなくなっても、儀式的な形式が残るという見事な例です」
(加藤周一著 『日本社会・文化の基本的特徴』より)


私も似たような経験をよくしていて、加藤氏とまったく同じ考えを持っていました。
先日、郵便局の窓口で教材会社への支払いを振り込もうとすると、10万円以上なので本人確認が必要だと言います。
そこで免許証と会社名義の郵便貯金のキャッシュカードを見せました。
すると、振込書に書かれている住所と登録されている住所が異なるのでだめだと言います。
振り込め詐欺やマネーロンダリング(資金洗浄)を防止するためということです。
そこで私は言いました。
「振込先が教材出版会社で、これまでこの郵便局で何十回と同じ会社に振り込んでいて、しかも局員の方は私の顔も会社名も知っていて、会社の登記簿謄本の写しも既に提出してあり、どれをとっても振り込め詐欺やマネーロンダリングでないことはわかりきっていることでしょう。
それでいて、いまだに毎日のように全国のあちらこちらで多額の振り込め詐欺が行われていますが、そちらのほうはなぜ未然に防ぐことができないのですか?」
結局、このときはそれで了解してもらえたのですが、これ以降も同じようなことを何度も繰り返しています。


また別の折、所用があって内容証明郵便というものを書かなければならないことがありました。
ネットで調べ、「1行26文字で20行以内」という書式にしたがって作成しました。
ところが郵便局にそれを持っていったところ、読点「、」がパソコンで禁則処理されて文末に入っていたため、1文字オーバーと言われて差し戻されました。
そこで、その「、」に二重線を引いて訂正印を押し、それで一件落着したのですが、正直、なんてくだらない決まり事なのだろうと思いました。
ちょうど、冒頭の引用文の中の「ハンコ」や、上の「振込者の身元確認」と同じです。


世の中、このような形式だけの、実に意味のない、くだらないものがたくさんあります。
とくに日本は諸外国と比べて多いように思われます。
こういうのを「枝葉末節」といいます。
「枝葉末節」(しようまっせつ)は辞書に、
「中心から外れた事柄。本質的でない、取るに足りない事柄。『枝葉末節にとらわれて大局を見失う』」
と、例文を挙げて定義されています。


さまざまな決まり事は、人間が社会の中で共同生活をしていく上で必要不可欠なものです。
しかし、その決まり事が絶対的になってしまい、融通が利かなくなり、人間ががんじがらめになってしまうと、本末転倒になってしまい、「本質」「大局」を見失ってしまうことになります。


私たちも人のことはよく見えるものですが、案外自分のことが見えなくて、同じような間違いを犯していることがあります。
よくよく気をつけなければなりません。


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全国デビュー

2011.05.05日

今日、5月5日はこどもの日。
こどもの日にふさわしく、今日の読売新聞23面には「新聞で広がる世界」と題して、読売KODOMO新聞の一面特集記事が組まれました。
そのトップで紹介されたのが「平塚・アカデミー学院 記事をテーマに作文」という記事です。


ちょうど1週間前の取材の模様は、「読売新聞の取材を受けました!」に書きました。
今日の読売新聞の記事が読めない人のために下に転載します。


kodomo4.jpg


(画面上をクリックすると拡大され、文字が読みやすくなります)


この記事の主役はあくまでも生徒たち。
生徒全員が写真に写らなかったのと全員の声が載らなかったのは残念ですが、紙面の関係上仕方ないのでしょう。
記者の方は授業風景を1時間、その前後に1時間インタビューし、ノート何ページにもわたって取材メモを書き、写真部の方は1時間ほとんどずっとカメラのシャッターを切りっぱなしで、おそらく100枚近い写真を撮られました。
そして、その2時間分の取材が凝縮されてエッセンスだけがここに書かれ、選ばれた写真が上のものです。
このことから、記事をもとに要旨をまとめて作文を書くコツを教えられます。
記事の中に紹介されている私の言葉、
「社会の動きや他人の考え方を知り、自ら考える力を養える」
も見事に要約されています。


今日の読売KODOMO新聞の主な記事を拾うと、
「スーパーサッカー少年現る 世界最強チームが注目」(1面)
「イギリス 世界中に兄弟国いっぱい」(ウィリアム王子・キャサリンさんの結婚式から 3面)
「津波対策やり直し・お札の番号 色変わる・ビンラーディン死亡」(3面)
「安藤美姫選手が金」(4面)
「プレステから情報が漏れた」(5面)
「天国で日来社のお役に立ちたい スーちゃん亡くなる直前メッセージ」(5面)
「ディズニーシー再開」「青森―鹿児島つながった」(5面)
「時事ワード 日本銀行・ハッカー・アルカーイダ・キャンディーズ」(6面)
大人向け一般紙顔負けの上のような記事のほか、ファッション、科学特集、歴史マンガ、勉強のページ、英語のページ、上野のパンダ等など、子どもに興味ありそうな記事もふんだんです。


アカデミーでは、冒頭のNIEのクラスを取っていない生徒でもKODOMO新聞を取っている人が大勢います。
まだの方はぜひ講読をお薦めします。


今日のこどもの日は、アカデミーの生徒の全国デビューの日でした。


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遺産相続

2011.05.04日

最近、娘と話す機会がとても多く、ときには夜中の2時、3時までも話し合うことがあります。
私の幼少の頃の話、中学・高校・大学・アメリカ留学時代のこと、信仰、価値観、妻との出会い、結婚、子育て、仕事のこと等などこれまで歩んできた私の人生、生き様を知ってもらいたいと思って話しています。
娘はそれに対して、驚いたり、笑ったり、感動したり、質問したり、自分の考えを言ったりと、関心を示してくれます。
機会を見つけてはふたりの息子にも同様の話をよくします。
ただ単に血がつながっているということでなく、私の全人格を含め人生そのものを知ってもらいたい、何かひとつでも学び取ってもらいたい、受け継いでもらいたいという願いを込めて話しています。


私自身は、両親が天に召されてから初めて両親のことをあまり知らなかったということに気づき、一抹の寂しさを覚えました。
断片的に父や母から、また親戚から聞いた話などをもとに全体像を描いているのですが、もっともっと知りたかったと今になって思うのです。
自分の何代前の誰それは〇〇の仕事をしていたとか、曽祖父は誰それだったとか、そういう話を人から聞くとますますその思いが強くなります。
今、日本のフィギュアスケート界で大活躍している小田信成選手が織田信長の17代目の末裔であるとかいう話は本当にすごいと思います。


私は祖父のこともほとんど知りません。
母方の祖父には子どもの頃とても可愛がられ、あちらこちらに連れて行ってもらいました。
子どもの頃父から聞いた話では、先祖は士族の出だということ、また母方の旧姓がちょっと珍しい右近で「右近の橘、左近の桜」に由来しているかもしれないということぐらいしか知りません。
だからと言って、別に先祖が偉かったとか、いい家系だとか、そんなことは考えたこともなく、私にとっては正直どうでもいいことです。
私が両親に関して、あるいは先祖に関して興味あるのは、綿々と受け継がれてきて私に至った血の流れにどんな人物がいたのだろうか、どんな人生を歩んできたのだろうかということです。
もちろん、今となってはもう知る由もありませんが。


そこで、自分が偉いとか、自分のことを子孫に伝えてもらいたい、というのではありませんが、やはり自分の歩んできた人生を自分の子どもに知っておいてもらいたい、それこそが、私が自分の子ども達にバトンタッチできる遺産ではないかと思うのです。
他人から見れば遺産と言えるようなものではありませんが、ある意味、〇〇億円とか、不動産とか目に見える財産などの遺産よりもよほど価値があるのではないか、と私は思っています。
それは、私の両親が残してくれた財産などというものは何もありませんでしたが、母が自分の人生を通して私に教えてくれたこと、また父がその生き様を通して教えてくれたことが、今の自分という人間を形成していると思うとき、やはりこれが一番の遺産だと思うからです。


聖書に、
「金銀は私にはない。しかし、わたしにあるものを上げよう。
ナザレのイエス・キリストの名によって歩きなさい」 (使徒の働き3:6‐7)
という有名な言葉がありますが、私も同じように、金銀は私にはないが、私にあるものを上げよう。それは私の生き様だ、その上を歩きなさい、と少しおこがましいけれど言いたいのです。
これが子ども達に残す私の遺産であり、またこのブログもその同じ目的の延長線上にあるものです。
金銭・不動産などの財産を子どもに残すことよりも、自分という一個の人間そのものを子どもにバトンタッチすることこそ、親の真の使命ではないでしようか。
それが後悔しない死に方だと思います(「死ぬときに後悔すること」)。


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セイコーカイタイ

2011.05.03日

今から40年ぐらい前のことです。
私の高校・大学時代の親友がアメリカにホームステイに行きました。
彼は予定していたホームステイの期間が終ったとき、帰国する前にヨーロッパを回り、さらに当時のソ連を経て帰ってくることにしました。


シベリア鉄道でソ連に入ったのですが、国境を越えた途端、機関銃を肩にかけたソ連兵が何人も列車に入ってきて、乗客一人ひとりの荷物を開けて検査し始めました。
私の友人もカバンを開けられ、アメリカやヨーロッパの国々で買ってきた雑誌類やちょっと高価な土産物などを目の前で全部没収されたそうです。
そして、モスクワに入ったときにはほとんど無一文になっていました。


日本大使館に助けを求めに行きましたが相手にされず、赤の広場で途方に暮れていました。
そのとき、ひとりの中年男性が近づいてきて、言いました。
「セイコーカイタイ、セイコーカイタイ」
友人は何のことかさっぱり分からずポカンとしていると、彼の左手首を指差します。
やっとわかりました。
彼のセイコーの時計を売ってくれと言っているのです。
お互いに片言の英語で話して商談成立。
当時のお金にして10万円ぐらいで売れました。
実はこの時計、旅に出る前に質屋で3000円ぐらいで買ったものだったのです。


ところが困った問題が起きました。
ソ連に入国する際に申請した所持金以上の現金を出国時に持っているとまた全部没収されてしまいます。
そこで彼は時計を売ったお金を一生懸命使おうとして、何度もパブのようなところに足を運びました。
そして、地元の若者と一緒にウォッカを飲みながら語り合ったそうです。
ソ連の若者が国に対する不満を訴えていると、すぐに秘密警察が来て会話に耳を傾けます。
それに気付くと若者は顔を真っ青にして走って逃げて行ったとのこと。
当時のソ連は貧しい国で、お金を使っても使っても使い切れなくて、仕方なくダイヤモンドの指輪を買い、それをパンツの中に隠して出国しようとしたそうです。
しかし、それでもまだ所持金が多過ぎたため、港で警察に拘束されました。
言葉が通じず、もうだめかと思っていたとき、日本人のツアーガイドの人が通訳して助けてくれ、無事出国できました。
ダイヤの指輪は見つからずにすみ、帰国後、また質屋で売ってお金に変えました。


彼のお土産は、ソ連製の質の悪い 葉巻でした。もちろん吸いはしませんでしたが。
でもそれ以上に価値があったのは、まるで映画のような彼の土産話でした。
面白くて涙を流して笑い転げながら聞き入りました。
40年経った今でも細部まではっきり覚えているぐらいです。


昨日、国際テロ組織アル・カーイダの指導者、ビンラーディンが殺害されたとのことです。
しかし残念ながら、これでテロ行為が終結するということは考えられず、これから先も報復、再報復、再々報復と惨事が繰り返され、多くの無関係な人の尊い命が奪われることでしょう。


今回、日本へ帰化することを決断された日本文学研究者のドナルド・キーンさんが、「火星人がいたらどんなにいいでしょう」と語ったことがあるそうです(5月3日付読売新聞「編集手帳」)。
その意味は、「私たちは団結して、火星人に対して皆一緒の地球人」ということです。
私も「教育の力」という記事の中に、
「みんな同じ地球という星に住んでいる地球人です。
もとをたどれば、私たちはみんな兄弟姉妹です」
と書きましたが、国や宗教や文化、人種、歴史などを超えた「地球人」としての兄弟愛をみんなで目指していくためには、教育の力が不可欠です。


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Hな私たちの時間

2011.05.02日

Hな私たちの時間はアワのように消えてしまった
私たちのお湯はアワがいっぱい


上の文を見ただけでは「意味不」(最近はやりの言葉)です。
実は、これは私が編み出した英単語の覚え方のダジャレです。
私自身は小さい頃から英語が好きだったので、英単語を覚えるのにほとんど苦労したことがありません。
そもそも、人は誰でも自分の好きなこと、興味あることは苦労しなくても自然と頭の中に入っていくものです(「社会は暗記科目?」)。
面白いのは、電車が好きな人は、駅の時刻表のような、私にとっては無味乾燥で何の意味もないように思われるものでさえ、自然と覚えられるのです。
私にすれば、一つひとつの英単語そのものの中に、ドラマが詰まっていて、面白くて自然と覚えられると思うのですが、誰にとってもそうというわけではなく、覚えられない人が予想外に多いのです。


今から10年くらい前、生徒から英単語を簡単に覚えられる方法を教えてくれとせがまれて考えついたのがダジャレです。
私からすれば、このような覚え方は邪道なのですが、英語が苦手な生徒にとっては結構役立っているようです。


今までに考えた中でも特に良い出来だと自分で思っているものは、これです。
May I 〜?  (〜してもいいですか?)
「メイ、愛してもいいですか?」
これはずばりそのもので、一度教えるとほとんど誰でも一発で覚えます。


さて、今日のタイトル「Hな私たちの時間」は、「時間」という意味の英単語  hour の覚え方です。
この言葉は、高校入試の必出単語で実際試験によく出るのですが、覚えられない生徒がとても多いのには驚かされます。
そこで考えたのが、次の覚え方です。
「Hな私たちの時間はアワのように消えてしまった」
この「Hな私たちの時間」という表現は、みんな想像をたくましくして必ずニャッと笑います。
h な 私たちの(our )「時間」です。
これでもわからない人のために、ちょっとしつこいですが説明を加えると、h+our  で hour 「時間」という意味になります。
しかし、中には「私たちの」という意味の単語すら知らない、あるいはスペルを知らない生徒がいるので、「私たちの」お湯は(our)アワがいつぱい、と言えば、「私たちの」という言葉は our (オーユーアー:お湯は)と綴り、読み方は「アワ」と一気に覚えられます。


かえって複雑すぎて覚えられないと言う生徒も中にはいますが、たいがいはこれで覚えてくれます。
これは覚え方のコツを教えているわけで、本当は自分が覚えやすいように、自分の覚え方を考えなければなりません。
でも、このようなくだらない覚え方でも、一旦覚えるとずっと覚えているもので、しかもいちいち上の覚え方を繰り返さなくてもすぐに思い出せるようになります。
これが記憶術のすごいところです。
この記憶術は「超人」に書いた世界記憶力選手権で記憶術のプロが使っているのと基本的には同じ方法です。


ちなみに、「Hな私たちの時間」そのものに興味がある人は、今年の1月8日のブログ「むっつりスケベ」をご覧ください。
これは今年の1月8日の記事ですが、教育ブログ人気記事ランキングで、全4549人中1位を数日間キープしました。


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アカデミーの怪談

2011.05.01日

子ども達は怖い話が大好きです。
私は小学生のころ、「ヒチコック劇場」というテレビ番組が好きでしたが、これが怖くて、見たあとはトイレにも行けないぐらいでした。
番組初めに流れてくる音楽を聞いただけで、もう胸がドキドキしてきました。


先週、送迎バスの送りで最後の生徒だった中1のMちゃんに「怖い話好き?」って聞くと、案の定好きという返事。
そこで、アカデミーの怪談を聞きたいかと尋ねると、聞きたいけど怖い、でも怖いけど聞きたいと言います。
そこで、彼女が降りるまでの1分間で急いで話しました。
以下はその話のあらましです。


今から20年近く前、本当にあったことです。
いつものように、夜の授業が終って生徒一人ひとりをバスで送っていました。
そして日向岡のバスロータリーのところで最後の生徒を降ろすとき、「さよなら」「さよなら」とお互いに声をかけました。
その生徒がバスから降りたそのとき、私のすぐ後ろの席、ちょうど今Mちゃんが座っている席から「バイバイ」という声が聞こえたのです。
私は、ゾゾゾーっと身の毛がよだちました。
そして、恐る恐るバックミラーを見ました。
しかし、誰も見えません。
もう心臓はバクバク、心臓麻痺を起こすかと思いました。
「出たーっ!」と本当に真っ青になりました。
降りた生徒はもうドアを閉めてバスを離れていました。


と、ここまで言って、Mちゃんの家の近くの川の堤防の所で止まって言いました。
「続きはまたこの次」
すると、Mちゃんは怖くてバスを降りられないと言い、降りようとしません。
「本当に最後まで聞きたい?」
「はい、聞かないと家に帰れません」
「でも、聞いたら今晩寝られないかもしれないよ。それでも聞きたい?」
しばらく考えて、
「はい、聞きたいです」
そこで、私はこのアカデミーの怪談の結末を思い切って話しました。
「実は…。
その子が最後だと思っていたら、その前に降ろす子を忘れていたんだ。ところがこの子はとてもおとなしい子で、先生が忘れていてもなんにも言わなかったの」
「なーんだ。でもよかった。これで今晩は安心して寝られる」
「じゃあね、お休み」
「お休みなさーい」


残念ながら、アカデミーには怪談はありませんでした。
やっぱり私は怖い話が苦手です。


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