学院長元気の出るブログ

日々の随想。教育問題、子育て、英語、積極思考、人間関係、霊想等など。
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ジョージ学院長 元気の出るブログ

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魔の変則六差路

2010.07.31日

私のバス送迎のルートに凄(すさ)まじい箇所があります。
私はそれを「魔の変則六差路」と呼んでいます。



大きな地図で見る


北西から南東にのびている道路がバス通りですが、幅が狭くてバスが行き来できないところも多く、ちょっと広いところでよく退避しています。
その狭い交差点内にバス停が何と2箇所あります。
しかも、南西の角には信用金庫の駐車場があり、そこに車が絶えず出入りします。
さらに、見通しの悪い狭い通りから人や自転車が入ってきます。
最悪のときは、交差点内に2台のバスが止まり、バス通りも、南北の通りも、そして南西から北東にのびる通りも全部が渋滞して、車がまったく動かなくなり、その間を縫って人や自転車が通行します。
南西に400mほど行ったところに平塚江南高校があるのですが、夕方などひどいときはこの当たりまで渋滞します。
バス通りが優先道路なので、そのほかの通りにいる車は車の切れ目ができるまで待たなければなりません。
上の地図は通りの広さがあまり正確ではなく、北にのびる通りはネックが狭くなっていて、そこは車が2台行き来できず、さらにそのすぐ先には小さな青果市場があり、そこへ行く人や自転車、トラックも数多く、この狭い通りが混雑します。
また交差点内には地図のような広い逆三角形の空間もありません。
かと言って信号をつければかえって渋滞しそうです。
日本国内にはこのようなひどい渋滞を引き起こす交差点はきっとあちらこちらに数多くあるのでしょう。


交通行政のまずさもあるのですが、それよりもさらにまずいのは運転手のマナーです。
みんな我先にと交差点に入るので、それも渋滞の原因になります。
バスの運転手も交差点に入る手前でちょっと止まればほかの通りの車が進めるのですが、当然の権利のようにして交差点内のバス停に止まり、前後左右の渋滞を引き起こします。


昔、フィリピンのマニラに行ったことがあるのですが、乗っていた観光バスの運転手は、交差点の信号が赤でも平気で無視して突っ込むわ、前方がちょっと混雑していると反対側の車線を走るわ、で生きた心地がしませんでした。
これに対して思い出すのは、アメリカでの経験です。
信号のない交差点では、優先道路とかに関係なく、すべての車が一旦停止した後、交互に車が進むのがごく普通のマナーになっていました。
最初これを見たときは本当に驚きました。
また、道路の広いアメリカでは車を斜めに頭から突っ込んで駐車できるところがたくさんあります。
そして駐車していた車がバックして出てくるとき、道路を走っていた車はストップして相手の車が出るのを待ちます。
アメリカが何でもすべていいというわけではありませんが、見習うべきことはたくさんあります。
車の運転マナーはそのうちのひとつです。


みんなが譲り合いの精神で運転するなら、渋滞も事故の数もうんと減ると思います。
譲り合いの精神は、車の運転だけではなく、日常生活のさまざまな面においても活かされるようになると、人間関係はもっとスムーズに、そして気持ちよいものになることでしょう。


今朝、別の場所ですが、狭い通りから広い通りに出るとき、右からも左からも車が続いていてなかなか出られなかったところ、1台の車が止まって通してくれました。
とても嬉しくてその運転手に手を挙げ、何度も頭を下げてお礼をの気持ちを伝えました。
たったこれだけのことで、今日1日気分がとても爽(さわ)やかでした。
そしてその後、例の「魔の変則六差路」で私も止まってほかの車に譲ってお返しをし、さらに気持ち良くなりました。


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塾の仕事は3K

2010.07.30日

一時期「3K」といういやな言葉が流行りました。
「きつい」「汚い」「危険な」仕事ということで、主に道路工事などのブルーカラーの職種に使われました。
みんな、面白半分でさかんに「3K」と言っていましたが、聞いていて不愉快でした。
最近は「3K」がどんどん増えて、「帰れない」「給料が安い」「休暇が取れない」とか、「(就業)規則が厳しい」「化粧がのらない」「結婚できない」「管理職(幹部・経営陣)が傲慢」「キリが無い」「気が休まらない」「休憩できない」「心を病む」「雇用が不安定」「子供を作れない」「(必要)経費が自腹」「過労死」「臭い」等など言われているようです(Wikipediaより)。


それだけ仕事に不満を持っている人が多いのでしょう。
私が携わっている塾の仕事の「3K」は何だろうと考えてみました。
「感動」「感謝」「関係づくり」「きれい」「快適」「貢献」「感性」「寄与」「感激」「確信」「共感」「感銘」「子育て」「関心」「感心」「活躍」「献身」「共生」「興奮」「高揚」「効果」「教育」「共有」...。
Kで始まる言葉、パッと出てきたのは、全部ポジティブな言葉ばかりでした。
実際のところ、このブログの過去の記事を振り返っても、塾の仕事に関連する記事はほとんどがこのような言葉で描写されています。
上の中から「3K」選ぶのは難しいですが、敢えて選ぶとしたら日ごろから感じている「感動」「感謝」「関係づくり」かなと思いました。


そこで、果たしてこれは塾業だけに当てはまるのだろうかと考えてみると、実はそうではなく、どのような職種にも言えるということに気づきました。
私は、反社会的・反人道的な仕事でない限り、この世に尊くない仕事などないと常々思っています。
ですから冒頭の「3K」という、ある特定の職種を侮蔑したような言葉は好きではないのです。
つまり、自分の仕事を自分自身がどのように見ているか、ということが大切なのです。
ということは、同じ仕事をするなら、私が上に挙げた「塾業の3K」のような、あるいはそれ以外何でもいいのですが、ポジティブな面に目を留めなければ損だということです。
マイナス面に目を向けると、不満がどんどんふくらんでいきます。
そして、仕事をやるのがますますいやになります。
これでは、一緒に仕事をしている同僚にも、上司や部下にも、またお客様に対しても、そして家族に対しても失礼ですし、周りのみんなが気の毒です。
扱っている商品すら可哀想です。


学生の場合の仕事に当たる勉強も同様です。
いやな面ばかり見ていると勉強がますます面白くなくなります。
アカデミーのA先生は、中学1年生のとき、「勉強が楽しくて仕方がない」と言っていました。
その理由を尋ねると、「今学んでいることが、将来すべて役立つと思うとワクワクする」との返事。
このような態度で勉強していると、実際学んでいることがすべて身につき、そして将来確実に役立つようになります。


主婦の家事や子育ても同じです。
問題はどこに焦点を合わせるかです。


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だから塾はやめられない

2010.07.29日

今朝起きると携帯にメールが入っていました。
「おはようございます。
今日のタウンニュースを見てください!!!!
田村絵梨香が載っています」


早速新聞を取り入れて、一番にタウンニュースを開きました。
すると大きな写真入りでうちの生徒の記事が載っていました(画像をクリックすると拡大されます)。


erika2.jpg


そこで返信しました。
「おはよう。
タウンニュース見たよ!
すっご〜い!!!!!
感動した!
絵梨香、写真も笑顔がとってもいい。
美人に写っているよ!
ますます絵梨香のファンになってしまった。
夢の実現のために祈っているよ!
頑張って!!!!」


またその返信。
「ありがとうございます!!!!
めっちゃうれしいです。
先生、私超頑張ります。
応援よろしくお願いします!!!!
じゃあ、先生も今日仕事頑張ってください」


実は、3週間ほど前のこと。送迎バスの中で、彼女の野球に対する思い入れを聞いたばかりだったのです。
普段は男子に混じってプレイしていて、打順は5番か6番。女子代表だと4番を打っていると言います。
私はまったくの素人なのに、親心から
「でも、女子でプロ野球の選手は厳しいよ。
ソフトに転身したら?
あるいは、中学校の体育の先生になるとか」
とアドバイスしてしまいました。
でも、彼女の熱い想いを聞くうちに、これはどうしても彼女の夢を実現させるために私も応援しなければならない、という気になりました。


そして、今日のこの記事だったので、もう我が子のことのように嬉しかったのです。
塾の仕事をやっていて、一番嬉しいのは生徒たちの輝いた顔、そして成長振りを見られること。
長い子だと10数年も通塾してくれて彼らの成長を見られるので、もう子育てをしているような感じです。
うちの先生たちも、夏休みに入ってから、生徒たちの出るサッカーやバドミントン、陸上の試合を観に行って応援したり、今朝は早くからブラスバンドのコンクールの応援に行ったりしていますが、これも私と同じような気持ちからだと思います。


数ある仕事の中で、塾の仕事を選んで本当に良かった、と実感できる一瞬です。
絵梨香、頑張れ!
先生たちも生徒たちもみんな応援しているよ!!


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平凡と非凡

2010.07.28日

この世の中、平凡な人と非凡な人で成り立っています。
もちろん平凡な人が数は圧倒的に多いわけで、非凡な人はごく少数です。
だから「平凡」「非凡」と言うのです。


平凡な人は、とかく非凡な人を羨(うらや)みがちです。
確かに、非凡な人の能力を見ていると羨ましくなるのはわかります。
しかし、平凡であることを嘆く必要はありません。
また、非凡であることを誇るのも間違っています。
この世の中は、平凡な人も非凡な人も必要なのです。


みんなが野球の才能や音楽の才能を持っていたら、だれも野球の試合を見に行ったり、コンサートに行ったりしなくなります。
見せる(魅せる)人がいるから、見る(観る)人もいるのです。
自分にはできないことをする人がいるので、それを観て楽しむことができるのです。
たとえスーパーマンのような人がいたとしても、すべてが完璧にできるということはあり得ません。


非凡であることはある意味危険です。
罠(わな)がいっぱい潜んでいます。
高慢になったりして失敗することがよくあります。
また非凡であるがゆえに、それを活用しなければならないという責任も伴います。
非凡な能力を悪事に用いるより、平凡を世のために忠実に使うほうがよほど尊いです。
要は、人それぞれに与えられた賜物(才能・能力)をもっともふさわしい形で最大限に活用することが大切なのです。


平凡な生活の中にも幸せはたくさん隠れています。
平凡であっても、非凡であっても、ありのままの自分に感謝し、自分の平凡・非凡を人のために、この世のために使って貢献し、自分に与えられた使命を全うすること、これが一番幸せな生き方です。
ですから平凡を嘆く必要もなければ、非凡を誇る必要もないのです。
平凡も非凡も、みんなパズルのワンピースです。


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マクロとミクロ

2010.07.27日

この世の中はすべてがマクロとミクロで成り立っています。
ですから、仕事をするときにも、勉強をするときにも、人生設計をするときにも、人間関係を築くときにも、マクロとミクロを頭に入れておくと非常にうまくいきます。


マクロを日本語で「巨視的」と言います。
ミクロはその反対で「微視的」と言いますが、ピッタリする日本語がないので一般に「マクロ」「ミクロ」と呼ぶのです。
ミクロは、たとえば顕微鏡で見るような世界です。
さらに細かく言えば、原子とか分子の世界です。
これに対してマクロは、わかりやすい例を挙げれば、空から地形を見る鳥瞰図(ちょうかんず)のようなもので、最近よくカーナビなどで「バーズビュー」といって、鳥が空から下を見るような光景がモニターに映し出されますが、これがそうです。
経済でいえば、マクロは国家の単位で経済全体を見ること、ミクロはたとえば私たちの今月の収入と支出を見るようなものです。


勉強のコツとして、最初に全体像を見ることがとても大切です。
たとえば歴史の勉強をするとき、個々の出来事の年号や登場人物名などを一生懸命暗記しようとする人がよくいますが、これはとても非効率的、かつ間違った方法です。
最初に大まかな歴史の流れをつかむことが大切なのです。
これがいわばマクロです。
そのあとで、個々の細かい内容を学びます。
これがミクロです。
英語の勉強では、文の構成要素である「主語」「動詞」「目的語」「補語」の語順を押さえ、文の構造を知るのがマクロ。
個々の単語やその発音、熟語、前置詞や接続詞など細かい品詞を学ぶのがミクロです。
両方大切ですが、最初に個々の単語などにとらわれていると全体が見えなくなり、
「木を見て森を見ず」
のようになってしまいます。


このマクロ的視点とミクロ的視点をうまく組み合わせられるようになると、勉強だけでなく、仕事や人間関係、蓄財(財を蓄えること)など、すべてに活かすことができます。
何かの予定を立てるときは、最初に全体像を、そのあとで個々の細かい計画を立てると非常に効率的です。
また、長期目標を最初に立て、次に中期、そして短期目標を立てるのもそれに似ています。
人間関係においても、最初にどのような関係を築くかを頭に入れておくと、自然となすべきことがわかるようになってきます。
会社では、経営理念やミッションステートメントのようなものがマクロであり、個々の戦略がミクロです。
日常の会話においては、相手の言おうとしていることを、言葉だけでなく顔の表情や声の調子、場の雰囲気などから総合的に理解しようとするのがマクロ、ひとつの言葉にこだわるのがミクロです。
「あの人がこう言った」と言って、ミクロに囚われていると、マクロを見失います。


人生をうまく生きていくための秘訣、それがマクロとミクロの使い分けです。


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超常識

2010.07.26日

「非常識」であってはいけません。
でも「超常識」でなければいけません。


「非常識」をWikipediaでは次のように定義しています。
「常識が、ある社会において通念的に当然とされている価値観・知識などであるのに対し、非常識はそれらを知らない、あるいは知っていてもそれに沿おうとしない言動である。このため一般的な社会においては好ましくないとされる。
ただし、常識というもの自体が、それぞれの場所により時代により、そしてそれが属する社会により異なること、所定の文化など共通認識に基づく特定の思考回路を経て得られた規範であることを考えれば、この非常識と評される言動が、本当に非難の対象であるかは厳密な検討を要する」


上の「非常識と評される言動が、本当に非難の対象であるかは厳密な検討を要する」が、一昨日のブログ「謙遜は美徳?」に書いた「普段常識と考えているものを別の角度から見直してみることも大切です」に当たります。


ところが、「非常識」に対してあまり一般的に使われている言葉ではありませんが、「超常識」という概念があります。
「超常識」とは、文字通り「常識を超えている」という意味です。
常識に捕らわれていると世界が開けません。


たとえば、19世紀後半にフランスの作家、ジュール・ヴェルヌが『月世界旅行』を書いた時には、誰も宇宙旅行ができるなんて夢にも思っていませんでした。単なる空想の世界でした。
しかし今や、宇宙飛行士でなくて、普通の人でも宇宙旅行に行ける時代になりました。
19世紀の同じ頃、ヘンリー・フォードが、馬が引かない馬車(?)を作ると言った時、みんなあざ笑いました。
初めはhorseless carriage(馬なし馬車)と呼ばれていましたが、のちに自由に走り回れる車だから automobile(自動車)と呼ばれるようになりました。
アレクサンダー・グラハム・ベルの電話の発明もそうです。


人は鳥のように空を飛ぶことができません。
また魚のように水の中を自由に泳ぐことはできません。
チーターのように速く走ることもできません。
象のような力もありません。
そこで、空を飛べればいいな、という思いが飛行機の発明につながりました。
魚を見て、舟や潜水艦を発明しました。
足の速い動物を見て、車や二輪車を発明しました。
人の力が及ばない仕事ができるようブルドーザーやショベルカー、クレーン車を考案しました。
人間の好奇心や超常識がこのようなことを可能にするのです。


ドラえもんの歌詞はこの大切なことを教えてくれています。
「こんなこといいな できたらいいな
あんなゆめ こんなゆめ いっぱいあるけど
みんなみんなみんな かなえてくれる
ふしぎなポッケで かなえてくれる
そらをじゆうに とびたいな
『ハイ!タケコプター』
アンアンアン とってもだいすき ドラえもん」


数年前に、千葉大学の入試問題に「タケコプターは実現可能かどうか。その論拠を示せ」というのがありましたが、これなどは試験として素晴らしい問題です。
不可能を可能に、夢を実現させるのは、「超常識」です。


上のような大きな問題に限らず、日常の小さな問題でも、不可能に思えるようなことを「超常識」で考えると、予想外の答えが見つかることがよくあります。
日常生活の中でも、この「超常識」を活用しましょう。


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なぜ満点が取れないのか

2010.07.25日

今日、中2のN君とY君を個別で教えました。
ふたりとも理解が速く、教えることはすぐに理解し、問題を解かせるとどんどん解きます。
学校のテストでもいつも高得点です。
とくにN君は数学が得意で満点をよく取ります。
N君もY君も英語の力はかなりあるのですが、なかなか満点が取れません。
授業中に問題を解いていても、必ず複数のsを付け忘れたり、複数なのにbe動詞をisとしたり、過去でwasとすべきところをisとしたりします。
いつもこのようなケアレスミスで点を落としてしまいます。


6月に行われた前期中間テストの結果を見ていても、50点満点のところ49点や48点を取った生徒がとても大勢いました。
原因はやはりケアレスミスです。
しかし、ケアレスミスも実力のうちです。
ケアレスミスさえなければ○○点だった、と生徒がよく言いますが、これは言い訳に過ぎず、通じません。


今日は、N君とY君に言いました。
「なぜ満点が取れないと思う?」
ふたりは考え込んでしまい、答えが返ってきませんでした。
私は言いました。
「自分は満点が取れないと思い込んでいるからだよ」
最初はふたりとも信じられないという顔をしていました。
「N君は数学だったら満点が取れるでしょ。どうしてだと思う?自分は満点が取れると信じているからだよ」
するとN君は「あっ、そうか!」という顔をしました。


高校や大学レベルになると、簡単に解けない問題も結構ありますが、中学レベルでは普通にやっていれば解けないような難問というのはまずありません。
一見難しそうに見える問題でも、「解けないはずがない」と思って発想転換をすると、誰でもたいがいのケース解けます。
高校入試の問題なども満点を取ることは十分に可能です。
それが証拠に、高校生に高校入試の問題を解かせると満点が取れます。


大学生のとき、私は試験前に友人と談笑していました。
そこを通りがかった先輩が私に言いました。
「試験前なのに勉強しないでしゃべっていていいの?」
私は答えました。
「大丈夫です。満点取れますから」
「えっ、よく言ったね。それじゃ、満点取れたら好きなもの何でも買ってあげるよ」
「本当ですか?約束ですよ」
果たして、結果は満点でした。
そして、長い間欲しいと思っていたAmerican Heritage Dictionaryという分厚いアメリカの辞書を先輩に買ってもらいました。
なぜ満点が取れたかというと、絶対に取れると信じていたからです。


もちろん不勉強とかは論外ですが、普通にやっていて満点が取れない理由は、
「きっと満点は取れないだろう」
という思い込みをしているから、それが自己実現しているのです。
必ず満点が取れると信じていれば、ケアレスミスもなくなります。


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謙遜は美徳?

2010.07.24日

「つまらないものですが」
よく聞くセリフです。
とくにこのお中元のシーズンには。
日本人の間では「謙遜は美徳」という観念があって、「謙遜な人はいい人」、「高慢な人は悪い人」といった考えが根強いようです。
確かにこれには一理あります。
しかし謙遜も行き過ぎると問題です。
たとえば冒頭の「つまらないものですが」は、謙遜して言っているのですが、もらうほうとしては「そんなつまらないものならいらない」ということにもなりかねません。


笑い話のような話ですが、昔こんなのを聞いたことがあります。
「何もありませんが、どうぞ隣の部屋で召し上がってください」
これだけだったら何も面白くないのですが、外国人のお客様に昔習った英語を思い出しつつひとりの奥さんが次のように言ったそうです。
"There is nothing to eat, but please eat the next room."
これを聞いた外国人が目を白黒(白青?)させたそうです。
上の英文を和訳すると、
「何もありませんが、どうぞ隣の部屋召し上がってください」
何もないものは食べようがありませんが、部屋を食べろとは!


アメリカ留学中、文化人類学のクラスでアメリカと日本の文化の比較について発表したとき、次のような話をしました(「日本よ、どこへ行く?」)。
「日本では、しばしば自分の妻のことを『愚妻』、息子のことを『愚息』と言います。これは謙遜して言っているのです」
クラスの学生がみんな一斉に大笑いしました。
アメリカ人にとっては、そんな「愚妻」と結婚したあなたはもっと阿呆だ、「愚息」を育てたあなたは何てバカなんだ、ということになるわけです。
ところが興味深いことに、そのクラスの担当教授Dr.Sadovsky(サドフスキー)が、
「自分の出身国であるハンガリーも昔は日本とよく似た感じだった」
とコメントしました。


アメリカ人は、自分の妻のことを「世界で一番美人で、料理は上手く、気立てはよく、最高の妻だ」と言って人に紹介します。
聞いているこちらのほうが赤面します。
同様に、子どものこともさんざん褒めたおします。
ブライアン・トレーシーは、セミナーの中で子どものことをいつもべた褒めしています。
「謙遜は美徳」という概念はアメリカ人にはあまりないようです。


冒頭の「つまらないものですが」も、アメリカ人だったら、
「これは私が非常に気に入っているものです」
と言って、素敵なものをあなたにプレゼントするよ、とアピールします。


文化の違いは、どちらがいい、悪い、正しい、間違っているという問題ではありません。
日本人が常識と考えている「謙遜は美徳」が必ずしも絶対的ではないように、私たちが普段常識と考えているものを別の角度から見直してみることも大切です。


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かつては日本も

2010.07.23日

昨日、書店で雑誌を立ち読みしていて次のような記事を目にしました。
中国人資産家の一行が、2億円から5億円台もするマンションの見学会に団体バスで乗り付けたいと言ってきたそうです。投資用として買うことを考えてのことだそうです。
さらに続けて、日本の家の前を通りかかった中国人のバイヤーが庭木を売ってくれと1500万円の現金を差し出したりするとありました。
500万円で買った松の木を中国の資産家に5000万円で売るとのこと。
そのうちに中国はソニーも三菱も買ってしまうのでは、と続いています。
そういえば、今秋葉原の家電量販店には大型バスが乗り付けられ、多数の中国人観光客が流れ込んで家電品を買い占めていくそうです。
不景気な時代なので、日本にとってはとてもありがたい話ではあるのですが、そのうちに日本は中国人にすべて乗っ取られてしまうのではないか、と一部で噂(うわさ)されています。


私がアメリカに最初に留学した1973年、初めて目にした24時間営業のコンビニエンスストア(コンビニ)に驚きました。
その代表格は7-Elevenでした。
翌1974年に、7-Elevenの親会社である米サウスランド社とライセンス契約を結んだセブン-イレブンの日本第1号店が東京に生まれました。
ところが、その後日本国内には津々浦々どこにもコンビニができ、合理的なシステム管理が進み、1991年に本家のサウスランド社が経営破たんし、日本セブン-イレブンに逆買収され子会社化されることになります。
この事実は今日、アメリカ人でもあまり知らないのではないかと思います。


当時私は学業のかたわら通訳の仕事をしていて、日本から来る観光客の案内もしていました。
ロサンゼルスにあるリトルトーキョーという日本人町にはいくつかの免税店がありました。
私が付き添っている団体の乗る大型観光バスがそこに乗り付けられ、日本人観光客がどっと流れ込みます。
1〜2時間経ってバスが出るころには、店の中のゴルフセットや香水、ブランドバッグなどがごっそりなくなり、店の中は空っぽだと店の人たちが嬉しい悲鳴を上げていました。
ディズニーランドでは日本人観光客が大勢見られました。
また、金持ちの日本人が高級住宅街のビバリーヒルズの豪邸を次々と買っていると言われ、アメリカ人が眉をひそめていました。
そして「ジャパン・バッシング」なるものが起こり、日本車を取り囲んで大きなハンマーなどで車をボコボコに叩いているショッキングなシーンがニュースに流されました。


当時、中国では人民服(日本の詰襟の学生服のような感じのもの)を着た人たちが天安門広場の前の道路を横並びで自転車で往来していました。
韓国ではまだカラーテレビがなくて、日本に技術を学びに来ていました。
ハーマン・カーンというアメリカの未来学者が来日して、21世紀は日本の世紀になると予言していました。
それがなんと30数年経ってみると、すっかり逆転してしまいました。
カラーテレビは韓国のメーカーに負け、中国人が日本の物を買いあさっています。
東京ディズニーランドでは、中国語があちらこちらで飛び交っています。


時代は待ったなしにどんどん変化していきます。
かつての栄光にしがみついてると将来はありません。
成長を目指して絶えず努力し続けなければなりません。
かつてアメリカが急成長し、その後日本が高度成長時代を迎え、そして今は中国やインドや韓国などがアメリカや日本に取って代わりました。
その背後にあるキーワードは「貪欲」です。
所詮(しょせん)、歴史は繰り返すものです。


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夏休みの宿題

2010.07.22日

昨日の中3のクラスでワーク3ページ分の宿題を出したところ、一斉にブーイングが出ました。
曰く、「部活が忙しくて時間がない」「学校の宿題がたくさんあって大変だ」「3ページも多すぎる」云々。
私は言いました。
「メールをやめたら時間が生まれるよ」
「最近、メールはやってません」
「テレビをやめたら時間ができるよ」(私)
「テレビも見ていません」
「ゲームの時間を宿題に回したら?」(私)
「ゲームもやっていません」
でも、そのような会話が続いているさなか、さっさと宿題のワークの問題をやっている生徒がひとり。
「やる気さえあれば、次回の授業まで三日もあるからこの程度の宿題は必ずできる。すでに学校の宿題を終わらせた人もいるんだよ」
「私、もう英語と数学と体育の宿題を終わらせた!」
「ほらね?やる気にさえなれば誰でもできるよ」
すると、別の生徒はにっこり微笑みながら「うん、うん」とうなづいていました。


帰りの送迎バスの中でU君と話していました。
「普通の宿題はすぐにできるからいいんですけど、作文の宿題が6つもあってこれがいやです」
私は言いました。
「それはいいことだ。作文が一番頭が良くなるんだよ」
「えっ?そうなんですか?」
そこで私はいくつか具体的な生徒の例を挙げて、作文力が頭の良さにつながるという話をしました(「子どもの教育費」)。


そして昨夜、床に入ってひとつのエピソードを思い出しました。
小学6年生のときの国語の時間のことです。
担任のT先生が、テーマは何でもいい、好きな枚数だけ作文を書きなさい、と言いました。
このT先生は、学級委員や勉強のできる子をえこひいきしていると、私たち生徒の間では非常に不評でした。
そこで、いつもそのことを不満に思っていた数人が目くばせして、「ひいき」という題で担任の先生のことを書こうということになりました。
私はこのとき、人一倍頑張ってなんと原稿用紙7枚ほどに延々と不満を述べ立てました。
次の授業のとき、この作文が返却されました。
どのページにもあちらこちらに赤ペンで、先生の「言い訳」が書かれていて、そして最終ページの裏面にはぎっしりと先生の考えが書かれていました。
「このような考え方をしている子がいるとは先生にとっては驚きでした...」


このあともT先生のことはずっと嫌いなまま小学校を卒業しました。
しかし、高校生になったある日、T先生に偶然会いました。
とても老けていて白髪のおばあさんになっていました。
そして話していたら、先生は直木賞を目指して私小説を書いているとのこと。
私は、ぜひとも読ませてくださいとお願いして、送られてきたいくつかの小説を一生懸命読みました。
どれも直木賞からはほど遠いものでしたが、その一つひとつに長い感想を書き送りました。
それからT先生と文通が続き、いつの間にかT先生のことが理解できるようになり、小6のときに書いた作文のことをとても恥じました。


実は、今振り返ると、作文を書くのが好きになり、得意になったのはあの「ひいき」がきっかけで、またT先生の小説を批評するのも大きなきっかけになりました。
そして、それが今、このブログにも活かされています。
また、中学時代には作文用紙の最後のひとマスを丸(。)で終えることができるようになったのが、今毎月書いているアカデミー通信に活かされています。
T先生には心から感謝しています。
T先生も私の大切なメンターのひとりです。


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フラッシュフォワード

2010.07.21日

「突然よみがえる記憶や映画の回想場面の切り返しなどを『フラッシュバック』と呼ぶ。つまり、『フラッシュフォワード』とはその逆。未来の情景が突然見えるのだ」
これは先日の新聞に載っていた「フラッシュフォワード」というアメリカのテレビ映画シリーズの紹介記事の一部。
今月の25日からAXN(CS放送)で日曜午後9:55から始まる海外ドラマで、「映画並みのアクションシーンの迫力に驚かされる。日本人女優の竹内結子が7話から登場するのも見どころだ」とあります。
放送2週目にして100を超える国と地域で放送が決定するという異例の大ヒットを記録したといいます。
興味ある人のためにウェブサイトを紹介します(「フラッシュフォワード」)。


実は、私自身、これと似たようないわゆる「フラッシュフォワード」の体験を何度もしたことがあります。
ですから、別にそれほど驚きません。
どのような体験かというと、これまでにそのうちのいくつかはこのブログの中に書いてきました(たとえば「すごい夢を見よう!」)。
今日は、これまでに書かなかったことをここにご紹介します。


1982年、結婚して妻と一緒に2度目のアメリカ留学に向かいました。
ロサンゼルス空港に到着したのは8月のある水曜日の午後。
友人の鶴田さんに迎えに来てもらい、私たちの住む家まで送ってもらいました。
このときの様子は去年の9月のブログに書きました(「本物の善意」)。


そして次の日曜日はヴェニスビーチというところで、教会の野外礼拝がもたれました。
この教会は私が信仰を持ったところで、日本語を話す人たちの日語部と英語を話す人たちの集まる英語部があり、その合同礼拝でした。
ビーチでの礼拝なので、みんなラフな格好をして集まっていました。
参加者一人ひとりにドアプライズという数字を記したカードが配られました。
そして礼拝では、鈴木牧師が「まず神の国と神の義をもとめなさい。そうすれば、これらのものはすべて添えて与えられるであろう」という聖書の箇所(マタイの福音書6:33)からメッセージをしてくださいました。
礼拝のあと、ビーチで食事がありました。ものすごいご馳走でした。
みんな満腹して、最後にドアプライズの抽選会がありました。
日本のマンガとか、インスタントラーメンなどさまざまな食品や、生活グッズなどが賞品でした。
1等賞はカリフォルニアローズ米1袋でした。
みんなこの1等賞の賞品を狙っていました。
7等賞から順に進んでいきました。
みんな息をのんでいました。
妻が、「1等賞のお米はどこに当たるのかしら」と言いました。
私は妻にそっと言いました。
「神様はよくご存じだから必要なところに当ててくださるよ」
しかし、私はこのときすでにフラッシュフォワードで、私たちに当たる光景をありありと見ていました。
果たして、そのとおりうちに1等賞の米が当たりました。
それがあまりにもリアルだったので私は恐ろしくなって鳥肌が立ったのを、まるで昨日のことのようにはっきりと覚えています。


このほかにいくつも私はフラッシュフォワードを体験しています。
うそのような話ですが、このようなことは現実に起こります。
どのようなときにフラッシュフォワードが起こるかというと、霊的に敏感になり、自分の願うことをありありと心に描くときです。
そうすると、それが現実のように見えて、そしてのちに実際に現実化するのです。
否定的なこと、悪いことなどを頭の中でありありと考えてはいけません。
それが現実に起こるからです。
どの分野の成功者もみんな大なり小なりフラッシュフォワードを体験しているのではないかと思います。
そして、あなたもこのフラッシュフォワードを体験できます。


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すいません

2010.07.20日

最近私に送られてくるメールに「すいません」という言葉が頻繁(ひんぱん)に使われています。
「すいません」の終止形は「すう」なので、本来ならば「吸う」→「吸いません」となり、たとえば「タバコはもう吸いません」という使い方になるはずなのですが、ここではもちろん「すみません」の意味で使われています。


「すみません」というのは、「済む」から来ていて、「済まない」が「済みません」に変化しました。
もともとは「気が済まない」というような意味なのでしょう。
「すみません」がなぜ「すいません」になったかというと、イ音便で「み」という音が発音しやすいよう「い」に変化したのです。
ちょうど、関西で「すみません」を「すんまへん」と言うのと同じような感じです。


問題なのは、「すいません」を正しい表現だと思っている人が多いことです。
とくに若い人の間では、圧倒的に「すいません」派が多いようです。
私たちの世代になると「すいません」と言うのは抵抗がある人が多いようで、「すみません」派が増えます。
日常の会話では「すいません」でもいいのですが、誤って覚えていると正式な場でも、また書き文書でも「すいません」を使ってしまいます。
これはやはり困りものです。


以前、このブログ(「5月末決着 or 未決着?」)にも書いたことがあるのですが、コンビニやレストランのレジで
「○○円からお預かりします」
と言うのが今や一般的になりました。
先日はちょっと新しい表現で、
「○○円でお預かりします」
というのを耳にしました。
一番面白いと思ったのは
「ちょうどからお預かりします」
です。
私としては
「○○円お預かりします」
「ちょうどお預かりします」
という正しい日本語を使ってもらいたいのですが。


そういえば、小学生の頃、私はいつも自分のことを「ぼく」または「おれ」と相手によって使い分けて言っていたのですが、近所の年下の子が「わし」と言っているのを聞いてとても違和感があり、その子に言いました。
「『わし』というのは悪い言葉だよ。せめて『おれ』って言ったらどう?『おれ』は『おのれ』という言葉からできたんだから」
するとその子が言い返しました。
「『わし』というのは『わたくし』という、もっと丁寧な言葉からできているよ」
私はギャフンとなり、返す言葉がありませんでした。


言葉は多分に生まれ育った環境や文化などを反映していて、どれがいいとか悪いとかいう問題ではないのですが、でもやはり正しい言葉遣いをしてもらいたい、と思うのは私が昔、言語学をやっていたせいでしょうか。


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赦(ゆる)しは癒(いや)し

2010.07.19日

今日の読売新聞の「人生相談」から。


「40代女性。昨年病院を経営する夫の浮気が発覚。すでに関係は終わっていたようですが相手は病院のスタッフでした。気付かずに毎日顔を合わせていたのです。私は激怒し落胆しました。
夫は大恋愛の末の結婚。もてるので心配していましたが、まさかスタッフと――。発覚したのはその女性が突然退職し、事実をほのめかすメールを全スタッフに一斉送信したからです。子どもにも知られました。
夫は反省し『やり直したい』。子どものことも考えて離婚はしませんでした。夫は別人のようになり、身勝手さは消え、家事もし、毎日「愛している」と言います。休日はほとんど一緒に過ごします。
夫の努力はわかります。ただ裏切られたことがいまだに許せず悔しくて仕方ありません。最近はこのつらい気持ちを取り乱したりせず冷静に夫に話せるようになりましたが、そうそう愚痴をこぼしたくない。心の持ちようを教えてください。(Y子)



相談のお手紙を読みながら、タイガー・ウッズさんの謝罪会見の『私は一生懸命働いたので、誘惑を楽しむ資格があると思っていました。(中略)でもそれは間違いでした』という言葉を思い出しました。病院を経営し、女性からもてるご主人の心の中にも少なからず「自分には資格がある」というおごり、勘違いがあったのかもしれません。
身から出たさびではありますが、ご主人は職場にメールが行きわたり、皆から軽蔑(けいべつ)され相当恥ずかしい思いをされたことでしょう。また、家では子どもにまで知られ、地獄を味わい、猛省したのだと思います。
許すことは本当に難しいことです。でも、許せないことで訪れる憎しみや怒りの気持ちは、どんどんあなたの心を消耗させてしまいます。ご主人のためでも、子どものためでもありません。あなた自身のために、今回一度限りと決めて『やり直したい』というご主人を信じ、許してあげませんか。許されることでご主人のあなたへの感謝の気持ちも膨らむでしょう。しかし、もしもご主人が同じ過ちを繰り返したら、その時は迷わず離婚すべきです。
(増田 明美・スポーツ解説者)」


もし私がこのコラムの回答者だとしたら、やはり同じように答えていたと思います。
「赦しは癒しです」と。
赦さないでいることは、自分を苦しめ、傷つけ、周りの人をも苦しめ、傷つけます。
中には、人に裏切られたと言って、一生復讐(ふくしゅう)に人生をかける人がいますが、このような生き方は哀(あわ)れです。
さらに、傷つけられた相手に自分の手で復讐をすることはもっと大きな悲劇です。
「赦せない」と思っているから赦せないのであって、「赦そう」と思えば赦せます。
そして赦せば、癒されます。


人生に失敗や過ちはつきものです。
自分だって失敗します。
「浮気」「不倫」というと、たいがいの人は男性の犯す過ちだと思いがちですが、同数の女性も同罪で、「自分は絶対に大丈夫」と言うことは誰にもできません。
私の尊敬するK牧師は、この問題に関して「自分はこれまで守られてきた」とおっしゃっていました。
本当に謙遜です。


自分もいつ過ちを犯すかわからないような弱い存在なのですから、同じ弱い存在の人を赦すのです。
聖フランシスコの平和を求める祈りにあるように、私たちは
「与えるから受け、ゆるすからゆるされ」(「人のために何ができるか」)るのです。


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イマージョン教育

2010.07.18日

アカデミーではよその塾よりも一足早く今日から夏期講習が始まりました。
8月26日までの長〜い、熱〜い夏です。
とは言っても、塾の中は常に冷房がきいていて、外の暑さを忘れて快適な環境で勉強できるのですが。
ここ1週間ほど、毎晩(というか朝の)3時・4時まで個別小学部や中高部の時間割を作ったりなど準備に追われくたくたでした。


ところで今日の読売新聞1面の「編集手帳」に次のような記事が載っていました。
「外国語を使い各教科の授業を進める方式をイマージョン教育と呼ぶ。米国で約20年前から日本語によるイマージョン教育を実施している公立校にバージニア州のグレートフォールズ小学校がある。
各学年1クラス、約180人の児童が、算数、理科、保健の3科目を日本語で学んでいる。
(中略)
米国で日本語のイマージョン教育を実施している小・中・高校は9州に25校ある。
(中略)
米国の子供たちが日本語に親しめる環境を確保し、世代を超えて日米の絆(きずな)を保って行くことが重要である」


私はこれを読んで感心しました。
アメリカは押しも押されもせぬ世界の大国(最近は中国やインド、EUなどに押され気味ですが)。
アメリカにとって、日本はどこにあるのかも知らない人が多いほどの小国。
私がアメリカに留学していたのはもう40年近くも前のことですが、当時「日本から来た」と言うと、「ああ、中国の」という返事が戻ってきたほど、日本のことを知らない人がたくさんいました。
私もアメリカ滞在中は、日本語学校を始め、パサデナ・シティカレッジ、UCLAなどで日本語教育に携わりました。
しかし、上の記事のようなイマージョンメソッドで、アジアの小国の国語である日本語を教えている小・中・高校が25もある、というのは驚きでした。


片や、日本はどうかというと、英語でイマージョン教育を行っている学校は、主に外国人の子女が生徒であるインターナショナル・スクールを除いては、ごく一部の私立校と中高一貫校ぐらいです。
日本にとってアメリカの存在がものすごく大きいにもかかわらずです。


「どうせ英語なんかやっても将来使うことなんてまずない。何のために英語勉強しなければならないの?」という人がよくいます。
アメリカの小中高校で日本語を勉強する人のほとんどは、生涯日本語を使うチャンスはまずないでしょう。
私も一教育者として、自分の経験したアメリカ文化やアメリカ人の生活や物事の考え方などを、英語を教えながら生徒に常々話して、日米の架け橋に少しでも役立てるよう頑張っています。
しかし、日米の相互理解のためにアメリカでこのような努力がなされているということは、私たちはもっと真剣に日本での英語教育について考え直さなければならない、と思いました。


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国会をつるし首にしろ!

2010.07.17日

先日の参院選で民主党が大敗して過半数割れとなり、衆参でねじれ国会となりました。
この結果、衆院選で通った法案が参院に回されてもそこで否決され、再度衆院に差し戻されても3分の2以上の賛成がないと通らないので、重要法案がひとつも通らなくなる可能性があると言われています。


イギリスでも去る5月の総選挙で同じような結果となり、過半数に達する政党がなくなったため「ハングパーラメント」(宙ぶらりんの国会)状態となりました。
この総選挙の数日前、イギリス各地では人々がプラカードを持ってデモをしていました。
そのプラカードなどに "Hang Parliament" と書いてあったのですが、日本の各テレビ局のレポーターおよびニュース解説者が、これを「ハングパーラメント」と言って、「過半数割れ政党の宙ぶらりんの国会という意味だ」と解説していました。
ところが、「ハングパーラメント」は正確には "Hung Parliament" で、デモをしている人たちが持っていたプラカードの文字とは微妙にスペルが違っています。
テレビ局の解説者たちはこれに気づいていませんでした。
Hang は「つるす」という意味の動詞の原形で、hung はそれの過去分詞形です。
したがって、hung と言えば確かに「つるされた」という意味から「宙ぶらりんの」という意味の形容詞になりますが、hang は原形なので命令文になり、今日のタイトルのように「国会をつるし首にしろ」という意味になるのです。


hang%27em.jpg


ネットで上のような絵を見つけました。
これがまさに「国会をつるし首にしろ!」です。
これを市民運動でやっています。


つまり、イギリスの国民も日本の国民も、政権与党に期待できず、「ノー」を突きつけたわけです。
政局は安定しませんが、このことによって与野党の政治家がみんな襟を正して真剣に政治に取り組むようになるといいと思います。
そして、それが国民の声です。


選挙のことを心にかける政治家はいりません。
国民のことを心にかける政治家が必要とされています。


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学院長、カッコいいよ!

2010.07.16日

多分2か月ぐらい前からだと思うのですが、中2の男子生徒が私の顔を見るたびに、
「学院長、カッコいいよ!」
と言うのです。
初めのうちは冗談と受け止めて、
「ありがとう。みんなそう言うよ」
と冗談で返していたのですが、最近段々とエスカレートしてきました。
一昨日はついに何人かが私のことを
「学院長、カッコいい。ニコラス・ケイジみたいだよ」
と言うのです。
まあ、ほめられて気分悪くはないのですが、ちょっと気になることがありました。
みんなニコニコ(というかニタニタ)しながら言うのです。
しかも、よく聞いていると、
「ニコラス・ケイジ」ではなく、「ニコラス刑事」と聞こえるのです。
どうもかつがれているみたいです。
そこで
「もういいよ。冗談は」
と言ったら、
「真面目に、カッコいいっすよ!」
とS君が言うのです。
「真面目に」というのは、いわゆるこれまでの「まじで」の新しいバージョンのようです。


正直、私は自分がカッコいいなどと思ったこともありません。
ましてや、中学生の男子から「カッコいい」なんて言われる覚えもありません。
しかし、誰でも「カッコ悪い」とか「ブスだ」とか「バカだ」とか「うざい」とか言われるよりも「カッコいい」と言われるほうが、たとえ冗談でも気持ちいいものです。
それで私もS君に「学院長、カッコいいっすよ!」と言われたら、「Sもかっこいいよ!」と言い返すことにしています。


先日、バス送迎をしているとき、Rちゃんに
「○○ちゃんのお母さんがRちゃんのことをとてもいい子だってほめてたよ」
先生も本当にRちゃんはいい子だと思ってる」
と言ったところ、
「全然そんなことないですよ」
という返事が戻ってきました。
もちろん謙遜しているのです。
そこで私は
「オーケー、じゃあ、○○ちゃんのお母さんに、Rちゃんは全然いい子じゃないですよ、って言っておくね」
と冗談で言って、
「でも本当にいつもいろいろありがとう。Rちゃんにはとっても感謝しているよ」
と付け足しました。
Rちゃんはニッコリ笑って、元気よくあいさつしてバスを降りました。


人間、誰でもほめられると嬉しいものです。
「ブタもおだてりゃ木に登る」と言うぐらいですから。
それにしても、みんな人のことをあまりほめないのは一体どうしてでしょう。
耳にするのは批判的な悪い言葉ばかりです。
そしてお互いに傷つけあっています。
みんながお互いに相手のいいところを見つけて、それをほめれば人間関係はもっとうまくいき、みんなが幸せな気持ちになり、人生が楽しくなるのに。
教師は生徒を、親は子どもを、夫は妻を、妻は夫を、兄姉は弟妹を、同僚同士で、友達間で、上司が部下を、部下が上司をもっとほめるようになったら、みんなもっともっと素晴らしい人間に成長していくと「真面目に」思うのですが。


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ショック!

2010.07.15日

去る6月24日のブログ(「嵐の13年間」)に書きましたが、睡眠時無呼吸症候群の疑いがあって、先週病院で器具を借りてきて身体に一晩装着して検査しました。
そして今日、病院へ検査の結果を聞きに行ってきました。
結果は、やっぱり睡眠時無呼吸症候群ということが判明しました。
それほど重症ではないとは言うものの、やはり大きなショックです。
一晩に30秒ぐらいはしょっちゅうで、ひどい時は2分ぐらい呼吸をしていないのです。
自分でも信じられません。
朝、目覚めた時すっきりしていず、1日中身体がだるくて、眠気に襲われていた原因はこの睡眠時無呼吸症候群のせいだったのです。
でも、原因がわかって内心ほっとしました。
なぜならそれなりの対処法があるからです。
「ためしてガッテン」の番組で紹介していたマウスピースを早速歯科医で作ってもらって試そうと思っています。


市民病院まで家から自転車で5分ほどの距離で、途中橋を越えるのですが、つい数年前まで3段の変速ギアの一番重いものでも登れていたのが、今日は一番軽いギアでもふうふう言ってギリギリのところでした。
自分ではまだ若いと思っていて、30〜40代ぐらいの気持ちでいても、実際にはやはり年相応にだんだん衰えてきているのを実感し、またまたショック。


でも、一昨日のブログ「つぶやきが大流行り」、そして昨日のブログ「たとえどのような状況でも」にも書きましたように、私はつぶやいたり、ぼやいたりするのは嫌いです。
転んだら石ころひとつでも拾って立ち上がり、痛い経験から何かを学び取ろうとします。
ですから、今回のこともいかにしてこれを肯定的にとらえるかと考えました。
まず、「ためしてガッテン」のテレビ番組に感謝しました。
この番組を見ていなかったら、自分が睡眠時無呼吸症候群だなど思いもつきませんでした。
身体の疲れや日中の眠気の原因もわからないままでした。
次に、この番組を見て、妻がすぐに病院に検査を受けに行くようにと勧めてくれたことを感謝しました。
自分だけだったら、どうせ大したことないだろうとたかをくくってきっと受診しなかったことでしょう。
そして今日の診察ですが、急患が4人も入ったということで、予約の時間から2時間半も待たされましたが、途中で帰らず忍耐強く待って良かったと思いました。
さらに上のテレビ番組でマウスピースという方法を教えてくれていたことを感謝しました。
今日診てくれた医者は、なんとマウスピースのことを知らなかったのです!


感謝し始めるといくらでも見つかります。
ありがたいことだと心から思いました。
そして、これをきっかけに自分の健康を過信することの危険も知りました。
感謝です。
これからはもっと謙虚に生きていこうと反省しました。
マウスピースを装着して寝れば、気道が確保されて呼吸が助けられ、きっとぐっすり眠れるようになるだろう、無呼吸症候群の症状も治まるだろうと楽観的に信じることにしました。


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たとえどのような状況でも

2010.07.14日

昨日のブログに「つぶやき、ぼやきは周りの人をも暗くする」と書きました(「つぶやきが大流行り」)。
アメリカにいる私の長男などは、新聞を読むとあまりにも暗いニュースが多くて気が滅入ってしまうので、新聞は読まないとすら言っているほどです。


外国ではこれまでに何度か、暗いニュースを一切載せない、明るいニュースだけを取り上げる新聞が発行されたことがあるそうです。
素晴らしいことです。
しかし、何度試みられても全部ことごとく失敗に終わりました。
人は元来、暗いニュースが好きだからだそうです。
だから明るいニュースだけを取り上げた新聞は売れなかったとのこと。
そういえば、新聞を読むとき、ほとんどの人が三面記事の事件や事故から読むそうです。
私の知り合いの人は、子どものころ父親に、新聞は1ページから順に読むものだと教えられたそうです。
新聞にはストーリー性はないので別に1面から読まなければならないということはありませんが、確かに内容の重要度から言うと1面から読むべきだと私も思います。
しかし、今は1面から始まる国内の政治や外国の政治も、経済面も本当に暗いニュースが多過ぎますよね。


政治家や財界人に頑張ってもらって、少しでも日本を昔のような活気ある国にしてもらいたいと願うのですが、やはり肝心なのは自分自身です。
自分自身が明るく積極的に生きなければなりません。
自分の生活が暗いのを政治や経済や国際問題のせいにしてはいけません。
考え方を変えると同じ状況でも生活は一変します。
とどのつまり、周囲がどうであれ、自分の置かれた状況のもとで、幸せに生きることもできれば、不幸に生きることもできます。
人生は選択の連続です。


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つぶやきが大流行り

2010.07.13日

今やツイッターが大流行(おおはや)り。
一般の人からビジネスマン、学生、主婦、政治家にいたるまで、全世界でかなりの数の人がツイッターにはまっているようです。
私自身は、ただでさえ時間がないのにこれ以上忙しくなったら困るので、これには手を出さないようにしています。
もうひとつの理由は、ツイッターを日本語では「つぶやき」と呼んでいて、そのためかツイッターがつぶやいたり、ぼやいたりするのに使われているからです。
日本人は一般に「つぶやき」「ぼやき」が好きなようです。


かつてアメリカに留学していた頃、学業のかたわら常にいろいろなアルバイトをしていました。
日本語学校と短大(city college)で日本語を教え、翻訳や通訳をし、大学ではTA(ティーチング・アシスタント)という教授の助手をして教授の作った問題集の問題をチェックしたり、学生たちの宿題を作ったり、答え合わせをしたり、また別のクラスのTAでは実際にクラスを教えたり、さらに大学で教えていた学生に紹介されたビジネスにまで手を伸ばしてしまいました。
このビジネスで知り合ったアメリカ人のデニスは、成功を収め大きな家に住み、キャデラックに乗っていました。
身体も大きく、私は彼をとても尊敬して「ビッグ・ダディ」と呼んでいました。
私にとってデニスは本当に父親のような人でした。
この頃の私は自信家であると同時に、結構悲観的でもありました。
それでデニスのところに行くと、
「○○がうまくいかない」「○○が大変だ」「時間がない」「○○という問題が起こった」
等など、しょっちゅうこぼしていました。
するとビッグ・ダディのデニスが私に言いました。
「ジョージ、そのような泣き言は聞きたくない。否定的な考え方はやめてもっと積極的に、肯定的に物事を考えろ」
何度かデニスに同じことを言われました。
そして彼から積極思考の本をもらったり、積極思考の人たちの集うセミナーに何度も連れてもらったりしました。
このようにして、私は徐々に積極思考の持ち主に変わっていきました。
今日の私があるのは、このデニスのお陰だと思っています。
彼も私の大切なメンターのひとりです。


あるとき、デニスの年齢を知って驚きました。
なんと私のたった1歳年上だったのです。
彼は高卒で、自動車の修理工をやっていたのですが、このビジネスに出会い、人生がすっかり変わったと言っていました。
そうです。考え方ひとつで人生は変わるのです。
私も彼に教わって、考え方を否定的から肯定的に、悲観的から楽観的に、消極的から積極的に変えました。
そして人生が変わりました。


ですから、私はたとえどんなにつらいことや、大変なことがあっても、つぶやいたり、ぼやいたりしません。
問題の中の肯定的な面に目を留めるようにしているからです。
つぶやき、ぼやきは周りの人たちまで暗くしてしまいます。


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還暦ってなに?

2010.07.12日

去る6月19日はディズニーランド遠足の日で、1日生徒孝行をしてきたのですが、同じ日に私の故郷の京都では「還暦記念同窓会」が開かれていました(「ディズニーランド遠足」)。
「還暦って誰のこと?」と思っていたら、なんと自分のことでした。
その二日後に私自身、還暦を迎えました(「神様からのプレゼント」)。


そして今日、幹事役を務めた友人がこの同窓会の日の写真とスライドショーを載せたサイトを知らせてきてくれました。
胸をドキドキさせながら早速見てみました。
「えっ!? なにこれ?どこかの老人会?」
と生意気にも私は自分の歳も忘れて、還暦の同窓生の老けぶり(?)に驚かされました。
それもそのはず。私は小学校の卒業式の翌日引っ越して、それ以来みんなとは中学校も一緒に行っていないため3人ほどを除いてはまったく会っていなかったのです。
ですから、そのギャップの大きさに唖然としたわけです。


でも、写真を見ていると48年前の小学6年生の頃の日々が甦ってきました。
ほとんどの人は名前がついていないので分からなかったのですが、記憶の糸をたぐり寄せて何人かは大体想像がつきました。
ああ、行きたかったなぁという気持ちと、なんだかみんなに会うのがちょっと怖いような気がして内心複雑でした。
「還暦」とはこういう感じなのだ、と実感しました。
仕事柄、小学生や中高生、大学生と毎日接していて、いつも冗談を飛ばしているので、自分はいつまでも歳を取っていないようなつもりでいたのですが、やはり現実は厳しい。


一昨日の土曜日には近くの社会保険事務所に年金の受給申請に行ってきました。
用紙に必要事項を書き込み提出すると、受付票のようなものをもらいました。
そこに「老齢」の文字があるのを見て、またしても「えっ、老齢ってだれのこと?」とボケてしまいました。


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昨日中に仕事を終っておきなさい!

2010.07.11日

昨夜12時を回っているのに気づかずにN先生に
「今日中に成績表の入力を終えておくよう正人に伝えておいて」
と言ってしまいました。
日付が変わっているのに気づいてあわてて、
「昨日中に終っておくように」
と言い直しました。
言ってから、矛盾に気づき思わず笑ってしまいました。


来週の日曜日(18日)から夏期講習が始まります。
それで夏期講習の時間割を急いでA先生に作成してもらい、今日は朝からずっと今にいたるまで(現在すでに夜中の12時前)、時間割を今月号のアカデミー通信に印刷し、これと一緒に送る小学部から中学部、高校部の成績表や個別カルテを作成し、印刷していました。
今、隣のパソコンで副学院長が小学個別の夏期講習の時間割を作成しています。
毎年、この時期は目が回るような忙しさです。
まだこれから、中高個別部の時間割を、生徒のスケジュールに合わせて作らなければなりません。


うちの場合、「ひとりを大切に」をモットーに、生徒一人ひとりのニーズに応えるよう陰で私たちが頑張っています。
たとえば集団部と個別部の授業を自由に組み合わせたり、夏期講習では昼の部と夜の部を用意して部活を頑張っている生徒を応援したり、ほかの習い事や家庭ごとの夏休みの帰省のスケジュールに合わせた個別部のスケジュールを作成したりします。
この辺りが個人塾の小回りの利く利点です。
でも正直、ちょっとやり過ぎじゃないかと思うほどです。
そしてあまりの忙しさに、冒頭の言葉じゃないですが、
「昨日中に仕事を終っておきなさい!」
と自分に言っている次第です。


数年前までは中学部の英語は1年から3年まで全学年を私が担当していたため、どうかすると朝から夜までずっと立ちっぱなして教えていることがありました。
声枯れして喉は痛くなるし、足はガクガク。
我ながらよくやっていたものだと感心します。
今は、優秀なスタッフが大勢いて随分助けられています。


我々教師スタッフ一同みんな気合いを入れて夏期講習に臨みます。
しかし、主役はあくまでも生徒の皆さん。
私たちがいくら頑張っても、生徒が頑張ってくれなければ意味ありません。
アカデミーには毎年恒例の夏合宿や中3生のための1日缶詰勉強合宿もあります。
勉強と遊びにけじめをつけることが「やる気」につながります。
さあ、暑い夏、思いっきり燃えて熱くなりましょう!


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視点を変えると

2010.07.11日

これまで多くの生徒を教えてきてしょっちゅう感じることは、「こんな問題、この子だったら当然解けるのにどうしてできないのだろう」という疑問です。
ところが、その生徒にしてみれば、問題を解いているその時はどうしても閃(ひらめ)かなかったのです。
あとになって見直すと、「なんだ、そうだったのか」と簡単にわかったり、ちょっとヒントをもらうとすぐにわかったり、ということがよくあります。
私はいつも、
「君達にとって解けないような難しい問題はない。問題を見て、一見難しいと思ったら視点を変えてみること。そして、自分にも必ず解けると自信を持つこと」
とアドバイスします。
そうです。難しいと思い込んだ結果、実際には解ける簡単な問題も解けなくなることがよくあるのです。


そして、これは私たちの人生のあらゆる場面にも通じます。
何か困難な問題に出会ったとき、「もうだめだ」と思いがちですが、このようなときにも
「必ず方法はある。絶対にこの問題を解決できる」
と信じるなら、本当に道は開けるものです。


世界でも指折りの大金持ちと言われたW・クレメント・ストーンという人は、問題に出会ったときいつでも
「よかった」
とまず言ったそうです。
そう言ってから、その問題の中で「いいこと」を探したのです。
実際のところ、どのような問題の中にも、視点を変えると「いいこと」がいくつも見つかるものです。
そして、この「いいこと」に目をとめると、解決策が次から次へと見えてくるものなのです。
「できないこと」、「難しいこと」、「大変なこと」ばかりに目を奪われるのではなく、どのようにしたらできるか、どこに簡単な面があるか、なにが大変じゃないか、そこに目を向けるのです。


生徒・学生が勉強をしていて問題を解くときにも、あるいはさまざまな問題に遭遇したときに、その問題の解決策を探すときにも、「視点を変える」と予想外な解決法が見つかるものです。


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失敗を恐れるな

2010.07.09日

花王の後藤社長が、かつて新聞のインタビューに答えて次のように語っています。
「『いい商品を出してますね』とほめていただきますが、失敗した商品も数え切れません。
失敗と成功を積み重ね、商品を絞り込みながら伸びてきたのが花王です。
『このままではだめだ』と、常に満足しない健全な危機感、それがベースです」
(読売新聞2003年5月19日付朝刊)


私たちは成功している人を見るとき、その人の成功した面だけしか見ていません。
しかし、成功者は実際には新しいことを10やってみて、8つは失敗しているそうです。
つまり成功の背後には数え切れないほどの失敗があるということです。


随分昔の話になりますが、かつてアメリカでひとりの青年が失業しました。
その年、彼は州議会議員に立候補して落選しました。
1年後、彼は事業を起こしましたが倒産しました。
数年後、ようやく彼は州議会に当選しました。翌年彼は妻を亡くしました。
その次の年、彼はノイローゼ(神経衰弱)を患いました。
その後、彼は2回落選の苦しみを味わいました。
連邦議会の下院にようやく当選した後も、再指名に失敗、上院に立候補して落選。
後に副大統領の指名にも失敗。再度上院にチャレンジしましたが、またしても落選。
不思議なことに、私たちはこの人のこれらの数多くの失敗のことはだれも覚えていません。
彼が後世に名を残したのはたった1回の成功の結果です。


この人の名前はエイブラハム・リンカーン(1809〜1865)、第16代大統領です。
今日でも多くの政治家によく引用される「人民の、人民による、人民のための政治」は、リンカーン大統領が今から140年前の1863年11月19日に、ペンシルベニア州ゲティスバーグで行った有名な演説の一部です。
リンカーン大統領は、その年の1月1日に奴隷解放令を発して、400万人にのぼる黒人奴隷に自由をもたらしました。
そして1865年4月14日に熱狂的な白人至上主義者によって暗殺され、56歳の生涯を閉じました。
しかし、今日の自由なアメリカがあるのはリンカーン大統領のお陰と言っても過言ではありません。


私たちはとかく失敗を恐れます。
そして失敗を恐れるあまり、何か新しいことにチャレンジしようとしません。
しかし、一番大きな失敗は何もしないことです。
何かをして失敗することは次の成功のための貴重なステップです。
「失敗は成功のもと」と言うではありませんか。
「このままではだめだ」という、常に満足しない健全な危機感を持って、新しいことにチャレンジしましょう。


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最高の宣伝とは

2010.07.08日

今、小学5年生の双子の男の子が塾に来ています。
今までどちらがどちらか、何度聞いても区別がつきませんでしたが、今日はっきりとわかりました。
今日ふたりが遅刻してきたということで、延長時間で初めて私が教えることになりました。
ふたりの間に座って顔を見比べながら教えていたら、一人ひとりの特徴がわかり、もうこれからふたりをE君、Y君と呼べるようになりました。


以前、多いときには6組の双子が同時に塾に来ていたことがありました。
あるとき、そのうちの一組の双子の女の子に「お母さんに間違えられることはない?」と尋ねたら、ときどきあるという返事が戻ってきました。
何人かの先生は、どっちがどっちか全然区別がつかない、と言っていました。
でも、私はこのとき、6組の双子全員区別がつきました。


今週の火曜日(一昨日)、アカデミーの夏期講習のチラシを新聞に折り込みました。
すると早速、折り込まれた当日電話で問合せがあり、翌日(昨日)数人の方がお申し込みに来られました。
そのうちのふたりは、卒塾生で現在高2の生徒の弟さんとその友達でした。
そしてさらに今日、その弟さんの友達がもうひとり申し込みに来られました。
別のひとりは、以前体験に来たことのある生徒ですが、小さい頃から長年別の塾に行っていたので、なかなか踏ん切りがつかずにきたけれども、ようやくふっきれたのでアカデミーに替わることにしたとお母さんがおっしゃっていました。
そのお母さんがおっしゃるには、アカデミーの夏期講習のチラシが入るのを毎日毎日新聞を開いて探していたけれども見つからなかった。それで、塾の前に来たら表の掲示板に夏期講習のチラシが貼ってあったのであわてて来た、ということです。
よくお話を聞くと、勉強がとてもよくできる近所の親しい友達からずっと誘われていたそうです。
昨日も、別の学校の生徒が、夏期講習に友達が体験に来ると言っていました。
この子の場合は、前から塾を探していたけれども、お母さんが「行くならアカデミーにしなさい」と言っているそうです。


これらのケースを見ていると、以前塾に来ていた生徒の弟や妹、またその友達、あるいは塾生の友達やお母さん同士のご紹介など、ほとんどが「口コミ」です。
「口コミ」のことを英語で "Word of mouth" (口の言葉)と言いますが、私の尊敬するビジネス・コンサルタントのブライアン・トレーシーは「最高の宣伝は "Word of mouth" だ」と断言しています。


うちの場合、近隣の大手の塾のように、毎週毎週チラシを折り込むということは予算的にもできません。
せいぜい、新年度でも2回、夏期講習と冬期講習各1回ですが、チラシを見て来たという人よりも、知り合いから紹介された、あるいは以前来ていた塾生の弟妹というケースのほうが圧倒的に多いです。
実際、以前調べてみたら、兄弟姉妹の入塾者の割合があまりにも高くて驚いたことがありました。
二人兄弟は当たり前、中には、現在大学生、高校生、中学生、と三代にわたって来てくれている兄弟姉妹もいますし、ほかにも三人の兄弟姉妹というケースはかなりあります。


本当にありがたいことだといつも感謝しています。
これからも「ひとりを大切に」をモットーに、生徒一人ひとりに満足していただける、そして弟妹を始め、お友達をご紹介していただけるような塾作りに励もうと再確認した次第です。
皆さん、本当にありがとうございます。


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絵で何を言おうとしているのか

2010.07.07日

中学1年の時、ピカソ展が開かれ美術館に観に行きました。
正直、幼稚園児が描く絵のように思われました。
多くの人が、ピカソの絵はわからないと言います。
昔、ある人がピカソに尋ねたそうです。
「あなたはこの絵で何を言おうとしているのですか?」
ピカソの答えは、
「口で言えるのなら絵には描きません」
だったそうです。


確かに、音楽家は音楽をとおして自分のメッセージを伝えようとしています。
スポーツ選手も、それぞれのスポーツをとおしてメッセージを伝えています。
これは、別に専門家に限ったことではありません。
この世の中の人や物など、存在するすべてのものは、何か伝えたいものがあり、それをさまざまな方法で伝えているのだと思います。
多くの人は「言葉」をとおしてコミュニケーションしていますが、言葉を介さなくても上の例のように、絵や彫刻、音楽、あるいはお花やお茶などの伝統芸術や、スポーツ、さらには自分の仕事をとおして、学生であれば勉強、試験などをとおして自分のうちにあるメッセージを伝えています。


みんながさまざまなメッセージを送っているのですが、それを正しくキャッチできないところに多くの悲劇が起こります。
わかりやすい例で言えば、夫婦間や親子間のコミュニケーションギャップ。
このために起こる離婚や親子の断裂。
上司と部下、同僚、友人間の不信。
つい先日は、女子高校生が授業中に隣の席の女子生徒をナイフで刺すというショッキングな事件が起きました。
当事者の生徒は自分をうまく表現できなくてストレスがたまっていたとか。
この場合も、周りの誰かがそれに気づいてあげることができていればこのような悲劇は起きなかったことでしょう。
毎年3万人を超える自殺者もそうです。
心の叫び声が届かないのです。


動物も植物も私たちに一生懸命メッセージを送ってくれています。
大自然もそうです。
海も山も川も森も砂漠も大空も宇宙も、すべてが私たちにそれぞれのメッセージを送っています。
建築物などもその設計者や建築家のメッセージを伝えています。
私たちの身の回りのさまざまな道具や家具、電化製品や車等などみんなそうです。


あなたはどのようなメッセージを送っていますか?
私自身は、家庭においては夫として、一父親として、塾においては学院長として、また一教師として、そしてこのブログをとおして、さまざまなメッセージを送り続けています。
そして私は、目や耳、舌や鼻、肌などの五感だけでなく、身体全体で、そして心や魂で、送られてくるさまざまなメッセージを受けとめるよういつも努めています。


自分に送られてくるメッセージに心の耳を傾ける、身体で感じる。
このようにすれば人生は何倍も有意義な素晴らしいものになってきます。


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68億7830万分の1

2010.07.06日

現在の世界の人口は約68億7830万人です。
正確な数字は誰にもわかりません。「神のみぞ知る」です。
世界の人口というサイトがあって、ここには秒々刻々変わる人口が表示されています。
このHPによると、1年間に1億4000万人が生まれ、6000万人が亡くなり、1分に152人、1日に22万人、1年に8000万人増えているということです。


つまり、私たち一人ひとりの存在というのは地球上の約69億分の1ということです。
たとえ一卵性双生児でそっくりであったとしても、ふたりはまったく異なった存在です。
将来、クローンでまったく同じ遺伝情報を持つもうひとりの自分が生まれたとしても、ふたりが目にするもの、耳にすること、経験することが同じということはあり得ないので、結果的には違う人格を持った人間になっていきます。


「69億分の1」というのはとてつもない、気が遠くなるほどの確率です。
つまり、私やあなたが、この世に生まれてきて、今生きていること自体が奇跡と言えるのです。
さらに、同じ時代に生き、ネット上にある何千万もの情報の中で、あなたが今、私のこのブログを読んでいることに至っては、限りなくあり得ない確率です。


あなたは69億分の1の存在。
とても尊い存在です。
この世に使命のない人、価値のない人など存在しません。
一人ひとりに無限の価値があります。
あなたはあなたのままでいいのです。
だれか他の人のようにならなくてもいい。
もちろん、向上することは必要です。
今のままでいい、向上する必要がないという意味ではありません。
存在の価値が無限ということです。
しかし、同時に私たちは常に上を目指して向上する責任・義務があります。
今日の私たちの生活があるのは、私たちの先祖を始め、過去の人たちの努力の積み重ねのお陰だからです。


あなたの存在は尊い。
自分の命を、人生を大切にしましょう。
そして、あなたの隣人も同様に尊い存在です。
ですから自分のことだけでなく、周りの人たちも大切にしましょう。


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コミュニケーション その3

2010.07.04日

あるとき、私の知り合いの人が妻に言いました。
「ご主人は外面(そつづら)がいいから、家では大変でしょう」
妻はその言葉の意味がさっぱり分からなかったと、言っていました。
私は外でも家でも顔はほとんど変わりません。
家に帰ってきたらお面を付け替えるというようなことはありません。
妻と私はいつもお互いに自然体で接しています。
一緒によく笑いますし、ときには泣いたり、怒ったり、悲しんだり、と喜怒哀楽も共有しています。
そして、どんなことでも話し合います。


妻と私は本当によく話します。
一緒に仕事をしているので、どうかすると1日中ずっと一緒にいることもあります。
一緒にいないのは、バス送迎しているときと、トイレに入っている時ぐらいだ、と冗談半分に言うほど一緒にいる時間が多く、しかもそのほとんどの時間、絶えずいろいろな話題について話し合っています。
一番多い話題は当然のことながら、生徒のことや先生たちのこと、ああしよう、こうしようなど、仕事のことです。
次に家族や親族のこと。
そして、それに負けず劣らずよく話すのは政治のこと。
このほか、友人・知人、人生、信仰、芸術、文化、世の中の出来事、事件、スポーツ、芸能人、私たちの若い頃のこと、将来のこと等など、挙げ出せば切りがありません。
朝目が覚めてから、寝るまで、よくこれほど話すことがあるものだね、とふたりで笑ってしまうこともあります。


しかし、これだけよく話し合っているのに、ミスコミュニケーションをすることがときどきあります。
言ったつもりで相手に通じていなかったり、しっかりと聞いていなかったり、誤解していたりすることがあるのです。
であれば、それほどコミュニケーションに時間をかけない人なら、ミスコミュニケーションが起きないほうが不思議です。
このことに私たちは心しておかなければなりません。
自分は相手のことをわかっていると思うほどわかっていないし、相手も自分のことを期待しているほど理解してないものです。


以前書いたブログ「コミュニケーション」「コミュニケーション その2」をもう一度読み返しながら、コミュニケーションの大切さを改めて肝に銘じた次第です。


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幼児期の感覚教育

2010.07.04日

以前、このブログでご紹介した『世界一の子ども教育 モンテッソーリ』(「思いやりの心 3」)を読み返していて、私自身の子育て時代を思い出しました。


ふたりの息子達が小さい頃、毎日三人一緒に風呂に入っていました。
小さい浴槽でしたが三人で入って、楽しいコミュニケーションの時間でした。
最初はお湯につかっている間「いーち、にー、さーん」と数を数えて数字を教えました。


次に、赤・青・緑・黄のプラスチック製のカップの教育玩具を入手しました。
それぞれ1・2・3・5の割合で水(湯?)が入るようになっていました。
これを使って量の感覚を遊びながら教えました。
モンテッソーリ法でもこのような教育玩具をたくさん使用しています。


また、三人で順番に一文ずつ言って物語を作りました。
こんな感じです。
「昔昔あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました」
「おじいさんは川に洗濯をしに行きました」
「おじいさんが洗濯をしていると向こうからワニが近付いてきました」
「ワニがおじいさんを襲おうとした時、おばあさんが鉄砲でワニを撃ってやっつけました」
「おじいさんとおばあさんは獲物のワニを家に持って帰ってすき焼きにして食べました」
「おばあさんがワニの皮を市場に持って行って売ったらたくさんのお金になりました」
「おじいさんとおばあさんはお金持ちになっていつまでも幸せに暮らしました」
「めでたし、めでたし」


このゲームは本当に楽しかったです。
ふたりの息子はいまだにこのゲームを覚えています。
物語がどのように展開するか誰にもまったく想像がつきませんでした。
毎回、みんな大笑いしながらオリジナルの物語を作りました。
これはお勧めの親子ゲームです。
語彙を増やすことができるほか、作文力をつけることもでき、想像力を伸ばし、国語の基礎力をつけます。


車でどこかに出かける時は、走っている車の時速や走った距離の当てっこをしたりしました。


かるたやトランプのようなカードゲームや人生ゲームのようなボードゲームもよくやりました。


長男が8歳、次男が5歳の時、娘が生まれました。
妻の大きくなるお腹を撫でながら、私は毎日英語で話しかけました。
いわゆる胎教です。
そして、生まれてからは毎日風呂に入れながら英語で語りかけました。
"This is your little cute hand.
This is your arm.
This is your foot.
You have ten little fingers.
One, two, three, four...
You are a beautiful young lady.
You are very smart.
I love you very very much."


以来今日まで、私は娘にはずっと英語で話しかけてきました。
そして、成人した娘は準バイリンガル(英語は日本語ほど得意ではありません)になり、好きな本を英語の原作で読んだり、その本の朗読CDを聞いたりしています。


学習の基本は、鉛筆を握って机に向かうことではなく、生活の中で楽しみながら身につけていくことにあります。
これこそモンテッソーリの言う「子ども一人ひとりの『より豊かな人格を形成』」する感覚教育です。
とくに幼い頃の感覚教育は本当に大切です。


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心のあるところ

2010.07.03日

先日、娘が言いました。
「さっきつい近くに買い物に行って、戻ってくるまでにプリウス3台も見たよ」
私も送迎に出るといつでも最低でも5〜6台、多い時には10台ぐらい見かけます。


ところが、今日はなんとすでに30台以上も見ています。
30台!?
そう、今名古屋に向かう東名を走っているのです(もちろん運転しながらこれを書いているわけではありませんが)。


これまでもプリウスは気になる車でした。
6月21日のブログ「神様からのプレゼント」に書きましたが、長い間欲しいと思っていたプリウスが図らずも私の還暦プレゼントとなったのです。
つい最近まで、プリウスをホンダのインサイトとよく見間違えたり、正面から見ただけではほかの車とあまり区別がつかなかったのに、あと3か月足らずで自分の車になると思うと自然と目がそちらのほうに行ってしまい、見間違えないようになりました。
そして、注文したのと同じ白のプリウスを見かけると、まるで真っ白のドレスに身を包んだ美しい貴婦人に出会ったかのように胸がときめきます。


これまでにもこのブログに何度か書きましたが、自分の心のあるところに自然と関心が集まるのです。


私の場合、小さい頃から英語に関心があったので、毎日の生活の中で自然と英語が目につき、意識しなくてもどんどん頭に入っていきました。
英語を教えていてよく感じるのは、英語が苦手という生徒は、普段しょっちゅう目にしているカタカナ語の英語さえ知らないということです。


どんなことでも、ちょっとしたきっかけで興味を持つと面白くなって、どんどん頭に入り、好きになり、得意にすることができます。


今日のブログは「私の有能な秘書」によってアップしてもらいました。


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万物流転

2010.07.02日

最近、バス送迎をしていて夕方に行き違う下校途中の中学生を見て、ふとタイムスリップすることがよくあります。
今や、もう大学生や社会人になっている卒塾生がかつて中学生だった頃の姿を、ジャージ・制服姿の中学生の中に無意識のうちに探してしまいます。
緑のジャージを見ると、バスを運転している私にいつも笑顔で大きく手を振ってくれていたY中学のN、O、Hの3人の姿をその中に見かけたような錯覚をしてしまうのです。
そして、そうだ彼女達はもう大学生なんだ、と思うと胸がキュンと締めつけられます。


先日、生徒たちを連れてディズニーランド遠足に行ったのですが、このときつくづく小学生はやはり小学生、中学生は中学生、高校生は高校生と、当たり前すぎるほど当たり前のことなのですが、それぞれの成長の段階に驚かされました。


去る3月のブログYES YOU CAN!に書いた「ゾルバ」の物語の中で、猫のゾルバがカモメのラッキーに言うセリフがあります。
"Cats do cat things. Gulls do gull things." (猫は猫のやることをやり、カモメはカモメのやることをやる)


面白いほど、小学生は小学生の、中学生は中学生の、高校生は高校生の、それぞれのやることをやり、言うことを言います。
同じ中学生でも、1年生と2年生、3年生ではそれぞれやはり違います。
このことを考えているとき、紀元前500年頃のギリシア人の哲学者ヘラクレイトスの言った言葉を思い出しました。
「万物流転」
ギリシャ語では Panta rei. (すべては動き流れている)。
この世の中のもの、人も動物、植物も、自然も、人工物も、すべてが常に変化しています。
同じ状態のままのものは何ひとつありません。
一瞬一瞬、万物が変化しています。


これを仏教用語では「諸行無常」と言います。
古今東西、人はみんなこの世は万物流転と見てきました。
海の波の中に浮かんでは消えていく無数の泡に何も意味がないように、人の人生にも意味がないと考える人もいます。
でも、私は人もこの世のものすべては移ろいゆくけれども、一つひとつにそのときどきの意味があると見ています。
赤ちゃんには赤ちゃんの、幼児には幼児の、小学生には小学生の、中学生には中学生の、...老人には老人の果たすべき役割があり、同様に道端に咲く草花や、転がっている石ころひとつにも意味があると思うのです。
そして、この世のもの、宇宙のもの、すべてを活かすことが許されているのは人間だけです。


万物流転の世の中にあって、私たちの存在は、生まれては消えていく波間の泡のように限りなく小さいものですが、一瞬一瞬を大切にして、精一杯生きていく、これが私たち人間に与えられた使命ではないかと思うのです。


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中間テスト、お疲れさま!

2010.07.01日

平塚市は前期・後期の2学期制で、6月が前期の中間テスト実施期間となっています。
そしてちょうどこの時期、中学3年生の修学旅行と重なるため、中間テストが早い学校と遅い学校では1か月間も開いています。
アカデミー学院では、5月22日から中間テストのための対策授業と補習の特別時間割となり、これが何とほぼ6週間(!)にわたりました。
毎週土・日は午後2時から夜の10時まで補習、普段のウィークデイも空き教室がある限りやはり2時から10時まで補習をやってきました。
そして、今日がK中学校の最終試験日。
昨日まで連日、大勢の生徒が入れ替わり立ち替わり補習に来て、熱心に試験勉強をし、私たち教師に質問したり、友達同士でお互いに教え合ったりしていました。
そして今日、いつも生徒が来る2時になっても誰も来なくて(当たり前のことですが)、教室はガランとしていてちょっとさびしい感じがしました。
いつも見ている生徒の顔が見えないと、何か物足りないものです。


平塚では今日から日曜日まで七夕祭り。
全員試験が終わって、「バンザーイ!」と羽を伸ばして気分転換で街に繰り出しているのでしょう。
まあ、たまにはこういう時も必要です。
あと2週間ほどすると、今度は夏期講習ですから。
生徒には2〜3日に1日は休みが入っているのですが、私たち教師は18日から8月7日まで休みなく毎日働くことになります。
昔は延々と続いてクタクタになっていた夏期講習も、年のせいか最近はめっぽう速くなりあっという間に終わってしまいます。
「暑い、暑い!」と言っている間に「ああ、涼しくなった!」がいつの間にか「寒い!」になり、「暖かくなってきた。春だ!」に変わり、そしてまた「暑い、暑い!」と元に戻り、こうして1年が経ち、1歳年をとります。
加速度的にどんどん時間の経つのが速くなってきていて、恐ろしいぐらいです。


でも、小学生や中学生、高校生は、自分たちの人生に終わりがないかのような時間の使い方をしています。
うらやましい限りです。
私にもかつてそのような時があったのだ、と今となっては懐かしい青春時代です。


中間テスト、お疲れさまでした!
若い日々を思う存分楽しんでください。


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