学院長元気の出るブログ

日々の随想。教育問題、子育て、英語、積極思考、人間関係、霊想等など。
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ジョージ学院長 元気の出るブログ

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視野を広げる

2010.04.30日

三者面談をしていて気づくのは、志望校とか将来の目標がはっきりしている生徒は、それだけ勉強にも力が入ってるということです。
このブログでも目標を持つことの大切さをこれまで何度も書いてきました(「目標を持つことの大切さ」ほか。エントリー検索をご利用ください)。


逆に具体的な目標のない人は、行き当たりばったりの人生を送ることになります。
そこで面談では必ず「目標」を尋ねます。
よく返ってくる答えに、
「まだ具体的な目標はありません。高校は行けるところに行ければ」
「将来の夢はまだわかりません」
というのがあります。
確かに、中学生ぐらいで将来の夢を明確に持っている子などそうはいません。
また、夢は成長とともにどんどん変わっていきます。
それでいいのです。
私自身、小学生の頃は科学者になりたいという夢を持っていました。
中学生の頃は外交官。
高校生の頃は弁護士。
大学生の頃は学者。
大学院の頃は牧師・カウンセラー。


子どもに夢を持たせるためには、子どもの世界を広げなければなりません。
子どもの知っている世界はとても小さいです。
子どもの視野を広げるために、たとえばこのゴールデンウィークや夏休みなどを活用して、家族旅行に行くこともいいでしょう。
また普段、家庭で簡単にできることとしては、テレビのいい番組を見ることです。
お奨めはたとえば、
「ガイアの夜明け」「ハイビジョンスペシャル」「世界のドキュメンタリー」「ルビコンの決断」などです。
子どもにはまだ少し難しいかもしれませんが、こういった番組を家族みんなで見て、そして家族で話し合う、こういったところから子どもの世界がどんどん開けていきます。
その中から、子どもが興味を持ったものが将来の夢につながるかもしれません。


「子どもの視野を広げる」 ― これが夢を持つきっかけになります。
そして夢ができたら、親が勉強しろと言わなくても、子どもは夢実現のために自分から進んでどんどん勉強するようになります。


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アボカドうまいっ!

2010.04.29日

アメリカに留学したのは今からもう40年近くも前のこと。
カリフォルニアのロサンゼルス郊外の街に最初住んでいました。
このあたりは気候もよく、年中温暖で、とても過ごしやすいところでした。
留学して間もないあるとき、ホームステイしていた家の裏庭に巨大なネズミがいるのを目撃しました。
驚いて家の人に尋ねると、その近辺にたくさんできているアボカドの実を食べているから大きくなっているのだとの返事。
そして私もアボカドを食べました。
一口食べていっぺんにアボカドファンになってしまいました。
最初は、サラダに入れて食べていたのですが、そのうち現地の日系人からマヨネーズとしょうゆを混ぜたものをつけて食べるとおいしいと教えられ、以来その食べ方が一番好きになりました。


Avocado.jpeg


のちに、マヨネーズの代わりにワサビを使って食べてみると、これがまるでトロの刺身を食べているよう。
実際のところ、ロサンゼルス近辺の寿司屋では、カリフォルニア巻きというのがあって、鉄火巻きの中身がアボカドになっています。


留学中に1度帰国することがあり、日本の親戚や友人達にもぜひアボカドを食べてもらいたいと思って、1箱に20個ほど入ったものを2箱お土産に持って帰ったことがありました(石のように重かった!)。
その頃日本ではまだアボカドは一般の店では売られていず、みんな初めてでした。
食べ頃やおいしい食べ方を教えたのですが、ほとんどの人がまだ熟れていない硬いまま食べて、まずいと言い、あまり喜ばれませんでした。


その後、日本でも一部の輸入食品専門店などで売り出されましたが、当時は「アボガド」と間違えて呼ばれていました。
余談ですが、ちょうどこの頃、「キーウィ」が「キューイ」と呼ばれていました。


今ではアボカドは日本でも随分ポピュラーになり、普通のスーパーでも1個100円前後で売られています。
アボカドは、果実ですが脂質が2割も含まれ、よく「森のバター」と呼ばれています。
脂質の大半は不飽和脂肪酸でコレステロールの心配はなく、
ビタミンEが豊富(1個で1日必要量の3/4が摂れる)で、リノール酸、オレイン酸も多く含まれ、健康食として注目を集めています。
料理の仕方はネットで検索するとたくさん出てきます。
ぜひ1度お試しあれ。
我が家ではよく食卓に上りますが、みんな大好物です。


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目を見て

2010.04.28日

中学1年のときの担任のK先生は社会科担当で、地理を教えていました。
この先生のくせは、授業中に限らず人と話すとき、目を見ないことでした。
授業中はいつも目をつぶっているか、天井を見ていて、生徒の目は絶対に見ませんでした。
生徒を注意するときですら、天井を見ながら怒っていました。
K先生と授業中目を合わせることがなかったので、生徒たちはみんな授業に集中していませんでした。
この先生は面談のときですら、親の目も生徒の目も見ませんでした。
アメリカだと、目を見ないで話す人は不誠実で、信じられないとすら言われます。


さて、私は大学生の頃から塾などで教え始めました。
以来40年近く、大小さまざまな規模の学校や塾や大学で生徒・学生を教えてきました。
セミナー講師やキリスト教会の牧師を務めていたこともあり、いろいろな教会を回って話していたこともあるので、これらの人たちも含めると、これまでに教えてきたのは優に4000名を超えます。
私は授業中、あるいは人前で話すとき、たとえ100名以上の人を相手にしているときでも、できる限り一人ひとりの目を見ながら話すよう努めています。
生徒の目を見ながら授業していると、生徒の理解度や集中力、ノリがよくわかります。
授業中、しっかりと教師の目を見て話を聞いている生徒はまず間違いなく授業に集中していて、理解度も高く、学校の成績もとてもいいです。
これは教科や、日本とアメリカなどの国や文化の違い、小学生・中学生・高校生・大学生・一般成人など年齢にも関係なく、みんな共通しています。


つまり、ひとことで言うと、話すほうも聞き手の目を見ながら話すことが大切であるのは言うまでもありませんが、聞くほうも話し手の目を見ながら聞くことがとても大切だということです。
そもそもコミュニケーションというのはそういうものです。
相手の目を見ないコミュニケーションは、本当の意味のコミュニケーションではありません。
「目は口ほどにものを言う」ということわざもあるほどです。
目を見ながら話すと話し手の熱意や意欲が聞き手に伝わりますし、目を見ながら聞くと話し手の言わんとしていることがよくわかるようになります。


ということは、生徒や学生の場合、学ぶ姿勢のまず第1歩は、先生の目をしっかりと見ながら授業を受けることだと言えます。
授業を理解し、学んでいることを身につけたいと思ったら、まずは教師の目を見ながら話を聞くことです。


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四角い頭を丸く

2010.04.27日

今日の読売新聞「USO放送」から。
「高速槍合戦
よこヤリ―小沢幹事長
一本ヤリ―前原国交相
ぼんヤリ―鳩山首相」


思わず大声で笑ってしまいました。
この「USO放送」は毎日の楽しみのひとつです。
さまざまな読者が投書しているのですが、どれも本当に面白い。


このようなユニークな発想ができる人は、まず頭がいいです。
「四角い頭を丸くする」は、中学受験専門塾○○研のキャッチコピーでしたが、これはとても大切なことです。
たとえば、「新聞紙は何に使いますか?」と尋ねられて、
「ニュースを読むため」「テレビ欄を見るため」「スポーツ欄を読むため」などは、型にはまった考え方です。
頭の丸い人の答えは、
「まるめてテープで貼って刀を作り、チャンバラをする」
「兜を作る」
「寒いとき体にまとって寒さをしのぐ」
「野菜を包んで保存する」
「油で汚れた食器を洗う前に拭く」
「引越しのときに食器などの割れ物を包む」
など、いくらでも出てきます。
私が子どもの頃は、野菜に限らず買い物をすると、食品でも何でも新聞紙にくるんで、包装紙として使っていたものです。
また、掃除機が出る前は、ほうきで掃くとほこりが立つので、新聞紙を水で濡らして小さく切ったのを畳や床の上にまいていました。
今では信じられませんが、新聞紙を20センチ四方ぐらいの大きさに切ったのが便所(トイレではなく)の隅に置いてあって、落とし紙として使われていました。ちり紙がでる前のことです(明治・大正時代でなく昭和です)。


以前このブログで取り上げた『天才!成功する人々の法則』という本の中に次のような箇所があります。
英国の名門高校に通うひとりの生徒に「レンガと毛布の使い方」を尋ねたところ次のような答えが返ってきたそうです。
「レンガは店のウィンドウ破りに使う。家の崩壊を防ぐ道具、掛け布団の四隅にくくりつけ、羽毛布団がベッドからずり落ちるのを防ぐ。毛布は、テントの代わり。燃やしてのろしをあげる。船やカートやそりの帆。燃え上がる高層ビルから飛び降りた人を受け止める」
一方、学校でもっともIQの高い生徒に同じ質問をしたところ、
「レンガは何かを建てる。投げる。毛布は身体を暖める。覆って火を消す。即席の担架」
などごくありきたりの答えだったといいます。
前者の生徒のほうがノーベル賞を受賞する可能性が高いのです。


私たちも普段の生活の中で、頭を柔らかくして、豊かな発想力をつけるよう心がけたいものです。
また、子ども達には、テストで点を取らせるだけの丸暗記式の勉強ではなく、柔軟な考え方ができるような教育をする必要があると思います。
これが真の生きる力につながります。


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価値観 2

2010.04.26日

人はみんなそれぞれ自分自身の価値観を持っています。
そしてこの価値観は生まれ育った環境の中で育(はぐく)まれてきたものです。
親や友達など周囲の人、あるいは読んだ本や観た映画、音楽や絵画・彫刻などの芸術など自分を取り巻く全ての人や物などから、私たちは影響を受け、それで価値観を築いていきます。
自分の価値観や物事の考え方、感じ方など、これらが自分という人間をつくり上げています。
これをボブ・プロクターは「パラダイム」と呼んでいます(「成績不良から億万長者に」)。


誰でもこの自分のパラダイムに従って生活しています(「価値観」)。
しかし、同時にこのパラダイムに縛られてしまって、それ以外の考え方や見方、行動ができなくなっていることがしばしばあります。
食べ物や音楽、人などの好き嫌いもその例です。
ところが、見方を変えると、「あれ、なんだ。こんなことだったのか!」と驚くことがあります。
これをパラダイム・シフトというのです。


今では環境問題で一番の悪者になっている自動車の排気ガス。
みんな「臭い」と言って、車が目の前を通り過ぎるとき、排気ガスを吸わないように息を止めたりします。
ところが、この前ふと思い出したのですが、私が子どもの頃、自動車がまだ珍しくて、みんなのあこがれの的だったとき、目の前を車が通り過ぎると、排気ガスを胸いっぱい吸って「ああ、いい匂い!」と人々(私を含め)が言っていたことがあったのです!


また、今や体つきがほっそりした人が「カッコいい」と言われて、みんな憧れ、ダイエットして一生懸命やせようとしています。
しかし、ちょっと前までは「やせている」ことは栄養失調で、貧しいことの象徴でした。
みんなせっせとご飯を食べて、一生懸命太ろうとしていました。
今でも、発展途上国に行くと、太っている人は金持ちの象徴で、みんな太ることにあこがれ、太っている人がもてているのです。


ということは、この世に絶対的な基準というものは存在しないということです。
善悪の基準や、人を殺してはいけないといった、ごく当たり前のように思えることですら、時代や文化によっては変わってくるのです。


自分のパラダイム(価値観)に縛られて、ほかの世界が見えないということは実に損なことです。
私たちは「自分のこの考え方、物の見方は果たして正しいのだろうか、これ以外の考え方や、見方はないのだろうか?」と自問してみる必要があります。
パラダイムシフト。
これが他人を受け入れることにつながり、また自分自身の可能性を広げることにもつながります。


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賢い親はほめ上手

2010.04.25日

面談をしていて、お母さん(お父さん)方に子どもをほめることの大切さをよくお話します。
すると次のような答えが戻ってくることがあります。
「ほめることが大切なのはわかりますが、ほめることがないのです」
「ほめると調子に乗って、ますます何もやらなくなってしまいます」
本当にほめるところがないのでしょうか?
ほめると調子に乗ってしまってかえってだめになるのでしょうか?


私はこれまでほめることの大切さを繰り返しこのブログで語ってきました。
試しにこのブログの左上にある「エントリー検索」に「ほめる」あるいは「ほめて」と入力してみると、10稿以上の記事が検索されます。
今日、本屋さんでいろいろな本を見ていたら、中に「ほめると子どもをだめにする」と書いてあるものがあり、正直驚きました。


私自身、子どもの頃のことを思い出してみると、親や先生や友達や周りの人にほめられるととても嬉しくて、ますます頑張ったものです。
逆に、親などから叱られたり、けなされたりすると、やる気をどんどんなくしたことを思い出します。
毎日多くの生徒に接していて、やはりほめることはとても大切で、効果的である、と思い知らされています。


「ほめるところがない」というお母さん方へ。
実際にはほめるところはいくらでも見つかります。
ただそこに気づいていないだけのことです。
何か文句をつけたくなったら、それには思い切って目をつむりましょう。
そして思いっきりポジティブになって、子どものよいところを探しましょう。
ひとつでもふたつでもいいところが見つかったら思いっきりほめましょう。
「豚もほめれば木に登る」と言うぐらいですから、とくに子どもには効果抜群です。


小さい頃、ほめられて育った子どもは高いセルフイメージを築きます。
そして高いセルフイメージは、想像もつかないような大きな力の源泉となります。
ほめられたことがきっかけで、勉強やスポーツができるようになった人はもちろんのこと、のちにノーベル賞を取った人までいるぐらいですから。


賢い親はほめ上手です。


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音楽の効用

2010.04.24日

今日の読売新聞17面の連載・健康プラスというコラムに「『好きな曲』が最も効果的」という記事が載っていました。
音楽の主な効用として次の5つを挙げています。
1. 感情の発散や鎮静作用をもたらす
2. 自然に体がリズムを感じることにより身体運動を誘発する
3. 記憶の中の出来事と結びつき、懐かしい思い出を連想させる
4. 言語や国境を越えた共通のコミュニケーション手段となる
5. 合唱や演奏などの集団活動で社会性が育ち、人格形成の手段となる


記事には次のように書いてありました。
「ふだんリラックスしたい時には、どんな音楽を聴くといいのだろう。1980年代から音楽の効果に着目してきた心療内科医の牧野真理子さんは『基本的に好きな曲が一番』と話す。気分の安定には、音の持つリラックス効果だけでなく、好みや慣れ、文化的背景も影響するからだ。
 牧野さんは、軽いうつ病やうつ状態の入院患者に、好きな曲を聴いてもらった。すると、聴いている時は手などの末梢(まっしょう)皮膚温が上がって血行がよくなり、血圧や脈拍はやや低下、脳波にもリラックス効果が出た。最初は荘厳な曲を選んだ人が、退院が近づくと軽快な曲を選ぶなど、選曲で心の状態もわかった。ちなみに人気の曲は、パッヘルベルの「カノン」やバッハの「G線上のアリア」。
 牧野さんは『健康な人も、朝はさわやかで元気な曲、寝る前は落ち着いた曲と、場面に合わせて聴きたい曲を流すと、気分がよくなりますよ』とアドバイス。ただし、うつなど病気の人にとって、音楽は主たる治療ではなく補助的なものだということは忘れないでおこう。
 特に好きな曲がない人は、鳥のさえずりや小川のせせらぎといった自然音と、それに合うメロディーを組み合わせたヒーリングミュージック(癒やし音楽)を使う方法もある。専門の医師が監修したCDも人気だ」


これまで何度かこのブログでも音楽の効用について書いてきました(「いやしのバロック」「心身の休息とエネルギー充電」「バロック (続き)」「クラシック音楽の効用」「クラシック音楽の効用 2」「クラシック音楽の効用 3」)。


上に挙げた記事の中で私はとくにクラシック音楽を薦めてきましたが、読売新聞のコラムによると、自分の好きな曲が一番とのこと。
確かにそうですね。
私はこれまでロック音楽は要注意と書いてきました。
でもロック音楽と波長の合う人だっているわけです。そのような人にクラシックは波長が合わない(「波長が合う!?」)かもしれません。
そして、好きな音楽を聴くときに「気分が安定する」という一番の効用があるというのです。


ここで、ひとつ面白い実験の結果があります。
認知症(痴呆)の老人にさまざまな音楽を聴かせて一番効果的だったのは何だと思いますか?
「クラシック?」
残念でした。
クラシックを聴いた老人はほとんど反応しなかったそうです。
答えは「ロック」です。
つまり、感覚が鈍っている人にとってクラシックは刺激にならなかったけど、ロックはものすごい刺激になったということです。
ということは、普通の感覚の人にとって「ロック」は激しすぎるということです。
また、普段から大音量で「ロック」ばかり聴いていると、それに慣れてしまってさらに刺激を求めるので、どんどんエスカレートしていき、感覚がますます麻痺する結果にもなり得るのです。
私の知人の子どもは、高校生のとき自殺してしまいました。
はっきりした原因はわかりませんでしたが、ヘビメタにはまっていてどんどん強い刺激を求めていたことは事実です。
ですからやはり、ロックは要注意です。
「食わず嫌い」ということもあります。
「クラシックは苦手」と言う人も、今や「のだめカンタビーレ」というマンガ・アニメが大人気という時代ですから、ぜひ1度手軽なパッヘルベルの「カノン」やバッハの「G線上のアリア」などを試してみてはいかが?


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遺伝か環境か 2

2010.04.23日

昨日の読売新聞夕刊10面に「遺伝か環境か」というテーマの記事が載っていました。
東京大学教育学部付属中等教育学校にこれまで在籍した726組の一卵性双生児と148組の二卵性の双子の運動能力を調べたというのです。
結論として、
「体格や単純な運動能力を問う種目ほど、遺伝の影響が大きい傾向がある。ただ、遺伝と環境が影響する割合は、成長とともに変化することがある」
とあります。
さらに続けて、次のように書いてありました。
「『マナーや生活習慣を守らせる』『言いつけに従わせる』というように厳しくしつけたり、気分次第でしつけ方にむらがあったりするほど、3歳から3歳半にかけて子どもの問題行動が増えていた。厳しく育てるほど遺伝の影響が大きくなっており、安藤さん(慶応大学行動遺伝学教授)らは、このような育て方が、引っ込み思案だったり不安を感じやすかったりする素因をもっている子供から、実際に問題行動を誘発したとみている。
逆に、『小さいことでもほめる』『頭をなでる』といった温かい育て方をすると、問題行動につながりかねない遺伝的な素因の差は、ほとんど表れなかった。安藤さんは『遺伝と環境は、切り離して考えることができない。交互に絡み合いながら、人間の行動や心に影響を与えている』と強調している」


私はこれまでにこのブログで同じ問題を何度か取り上げたことがあります(「遺伝か環境か」「あなたも天才!」ほか)。
最近、親の経済力格差が子どもの学力格差を生み出している、ということがさかんに言われています。
今回の民主党のマニフェストで一番の売りは「子ども手当て」です。
世の中不景気なので、子ども手当てを支給して、子育てを支援しようというわけです。
が、実際のところ親の収入の低い家庭では支給される子ども手当てを教育費に回さず生活費に回し、収入の高い家庭は塾などの教育費に回すとアンケートに答えていて、ますます教育格差を助長するのではないかと批判されています。


この学力間格差の問題は、一見遺伝の問題であるかのように思われがちなのですが、これに対して御茶ノ水女子大学教育学部の耳塚教授が小学校6年生約1,200人とその保護者を対象に、親の経済力と子どもの学業成績の関係を調べました。(出典:「格差脱出研究所ホームページ」


succeed-to-income-test.gif


上の表から、親の経済力と子どもの学力の相関関係は明らかです。
しかし、その原因は遺伝というよりもむしろ家庭環境です。


succeed-to-income-time.gif


つまり、収入の低い家庭は、概して子どもの教育に対して関心が低く、逆に経済力のある家庭は教育熱心であることがわかります。
結局、家庭環境なのです。
「家庭環境」と言うとき、これは決して経済的な面だけでなく、子どもの将来のために親がどれだけ心を砕き、子どもの日常生活に係わっているか、ということが大きな要因を占めています。
普段から親の子どもに対する接し方が、穏やかで、優しく、積極的・肯定的で、ほめることに重点を置いているのと、親が常にイライラしていて、子どもと顔を合わせればガミガミと怒鳴り、時には暴力を振るい、他人の悪口ばかり聞かせているのとでは、子どものセルフイメージが大きく変わり、勉強に対する意欲、学力に差が出てくるのは当然のことです。


2009.07.09日のブログ「IQよりもEQ」に書いたクリス・ランガンは生後6か月で話し始め、3歳で読むことができるようになった神童でした。
知能指数ではアインシュタインを大きく上回っていて、学者になっていてもまったく不思議ではないのですが、生まれ育った家庭環境が貧しかったため社会性が身につかないまま育ち、さまざまな問題があって大学も卒業できず、現在は牧場で馬の飼育をしています。


とどのつまり、生まれつき高いIQを持っていても、社会性が身についていないとそれを生かす場もありません。
そしてそれを身につける場は、他ならぬ家庭です。
天才は「生まれつき」の遺伝の要素よりも、「つくられる」要素のほうが大きいのです。
早ければ早いに越したことはありませんが、遅すぎるということもありません。
「思い立ったが吉日」です。


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セリフを忘れた!

2010.04.22日

私は小学生の頃、劇団に入っていてテレビに出ていました(「何事も一生懸命」)。
毎週劇団に通い、発声練習や早口ことば、演技の練習などを繰り返し繰り返ししていました。
やがて練習の成果があって、『スーパーお姉さん』というレギュラー番組の主役に抜擢されました。


あるとき、一緒に出ていた別の子がセリフを忘れてしまいました。
当時はほとんどの番組がぶっつけ本番で、NGが出て撮り直しというようなことはありませんでした。
一瞬沈黙のときが流れました。
私は必死でその子のセリフを思い出そうとして、そのシーンの最初に戻り、一人ひとりのセリフの糸をたぐり寄せました。
(あっ、思い出した!)
私は腹話術よろしく、口を動かさずに内緒声でその子にセリフを教えてあげました。
ちょっと間が空きましたが、何食わぬ顔でその子はそのセリフを言いました。
ほっとしたのもつかの間、何と次にくる肝心の自分のセリフを度忘れしてしまったのです。
顔は真っ赤になり、心臓のドキドキいう音が聞こえてくるほどでした。
そしてその後のことはなんにも覚えていません。
多分、ほかの誰かが教えてくれたか、アドリブで回したのか。
とにかく覚えているのは、番組が終わってからディレクターや劇団のマネージャーに半泣きの状態で何度も謝っていたことだけです。


また別のときのことです。
「東芝日曜劇場」(1960.9.18放送 脚本=藤本義一)に出たのですが、そのリハーサルを別の日にやっていて、そのリハーサルが終わるや否や劇団の人に連れられて別のTV局に車で走りました。
これもぶっつけ本番のコマーシャルなのですが、どうやら子役の人が急に出られなくなったか何かで、ピンチヒッターをすることになったらしいのです。
スタジオに入ると、当時数多くのCMに出ていた有名なお笑い芸人がいました。
本番まで30分ほどしかありません。
短いセリフだったので、何度か練習して自分ではもう大丈夫と思いました。
そしてカメラの上の赤いランプがつき、ディレクターのキューサインが出ました。
と、その瞬間頭の中が真っ白になってしまったのです。
数十秒の短いコマーシャルなのですが、私のセリフが出てこないとすぐに悟った相手方の人は、アドリブで言いました。
「坊や、このカメラすごいだろ?何がすごいって、これはね...」
私はこのプロの人のとっさの機転に圧倒されて、ただ見とれていました。
このときも、撮影が終わって私はただ「すみません。すみませんでした」とみんなに謝るばかりでした。
これはコニカカメラのCMでした。
私のセリフ忘れのCMでコニカの会社がつぶれたわけではありませんが、今でも本当に申し訳なかったと思っています。


後にも先にも、セリフを忘れたのはこの2回だけ(2回も!)だったのですが、いまだに私の心の中にトラウマのようになって、このときの鮮明な記憶が消え去りません。
最近はセリフどころか、いろいろなことをよく忘れるようになってきましたが...。
ビデオ撮影ができなかった昔のようにアドリブでなんとか回しています。
結局のところ、人生とは一瞬一瞬がぶっつけ本番のようなものです。


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仏像と銅像がけんかしたら...

2010.04.21日

先週は小学生の生徒たちをバスで家に送る道、しり取り遊びをしました。
今日は、なぞなぞごっこをしました。
生徒があらかじめいくつか用意してきたなぞなぞをお互いに出し合って答えるのです。
生徒が私に尋ねました。
「カンはカンでも、おうちに入るところにあるカンはなーに?」
「玄関」と私。
「すご〜い!」
「それ何年生の問題?」
「小学1・2年生だよ」
「ああ、よかった。先生は小学1・2年生は合格だ」
今度は私が生徒に問題を出しました。
「仏像と銅像がけんかをしたらどっちが勝つでしょう?」
みんなしばらく考えて、
「わかった!仏像。仏像が『ぶつぞー』って言ったら、銅像が『どうぞ』って」
「残念でした!仏像と銅像はけんかできないよ」
「なぁんだ」


今から30数年も前のことですが、当時私はいくつかのキリスト教会で奉仕をしていました。
その仕事のひとつは、日曜学校(教会学校)で小学生に聖書のお話をすることでした。
そのとき話したことでいまだによく覚えているのが次の話です。
「少年アブラハムくんのお父さんは木で偶像の神様を作るのが仕事でした。
家の中にはお父さんの作った神様の像がたくさん棚にのっていました。
あるときお父さんが仕事で出かけるので、アブラハムくんに留守番を言いつけました。
アブラハムくんが留守番をしていると、ひとりのおばあさんがやってきました。
『坊や、お留守番かい?お利口さんだね。
おばあちゃんにどれかひとついい神様をくれないかね?』
アブラハム少年が答えました。
『おばあさん、これはみんなうちのお父さんが作った木で作ったただのでくの棒ですよ。
こんなの家に飾っておいてもおばあさんを助けてくれることなんかできません。
第一に、おばあさんよりも年が若い。まだ最近作られたばかり。そんな若い神様におばあさんを助ける力なんかありませんよ』
『なるほど。そう言われればそうだ。
じゃあ、そこにある黒光りしている歳取った神様をくれないかい?』
『おばあさん、この神様は鼻が欠けているよ、ほらっ。
自分の欠けた鼻も治せないような神様におばあさんの願い事なんかかなえることはできないよ』
『坊や、賢いね。なるほどそのとおりだ。
坊やの言うことを聞いて、神様を買うのはやめることにしたよ。
いいことを教えてくれたので、さっきお店で買ってきたあんころ餅を坊やにご褒美にあげるよ』
あんころ餅をもらったアブラハムくんは腹いっぱい食べました。
さて、お父さんが家に戻ってくると、なんと家の中、木で作った神様が全部床にめちゃくちゃに散らかされているではありませんか。
お父さんは、アブラハムくんを呼んで叱りました。
するとアブラハムくんが言いました。
『お父さん、ぼくが留守番をしているとひとりのおばあさんが神様を買いに来たんだ。
そして留守番をしていて偉いね、と言ってあんころ餅をくれたので、それを食べようとしたら、お父さんの作った神様がみんなぼくのあんころ餅を取りに来て喧嘩になったんだよ。
それでこの一番大きな神様の大将がほかの神様を全部やっつけてぼくのあんころ餅を取って、全部自分で食べてしまったんだよ。
ほら、口の周りにあんこがついているでしょ』
するとお父さんは真っ赤になって怒って言いました。
『バカもん!こんなでくの棒のろくでなしの神様にそんなことできるわけないだろ!』」


これはあくまでも偶像を拝むことの愚かさを教える創作話です。
仏像も銅像もけんかすることはおろか、実際のところ何もできません。
でも、誤解しないでくさい。決して、仏像などの彫刻物の芸術性や製作者の敬虔さをいやしめるものではありません。
その神秘的な洗練された美しさには正直とても心惹かれ、癒されます。
私はかつてお寺を巡って、建築や庭や仏像などの芸術を鑑賞するのを趣味にしていたことがあるほどですので。


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エピソード

2010.04.20日

高校生の頃、アメリカの高校生を交換留学生として夏休みの間うちでお世話しました。
そのときのエピソードです。


友達と一緒に愛宕山に登りました。(「意思あらば道通ず」
このとき、小学校時代のことが話題に上りました。
誰かがエドに英語で、
「こんなエピソードがあった」
と言ったのですが、これがどうしても通じません。
みんなで何度も言っているうちにようやくエドが、
「ああ、なんだ、エピソードのことか」
と言うので、みんなキョトンとしました。
「えっ?だからさっきからエピソードって何度も言ってるじゃない」
するとエドが、
「いや、君たちが言っていたのは『エピソード』で、正しい発音は『エピソード』だ」
このやり取りは、日本語で書いたのではさっぱり意味がわかりません。
ようするに、「エピソード」の発音の問題です。
エドがゆっくりと丁寧に発音しました。
"Episode"
私がそれを聞いて、
"Oh, episode!"
と言うと、エドが
"That's right!"
みんなますますわからなくなりました。
辞書で episode という単語を引くと、
ep-i-sode
と音節で分けて表記されています。
発音するときにも、ちょっとオーバーに言うと、
「エプ・イ・ソウド」
と言うのです。
結局、私の友達はみんなさっぱりわからないままでした。
これも、17日のブログ(「バカの反対はカバ?」)に書いたテープレコーダで音節を発見したお陰でした。


もうひとつのエピソード。
これはアメリカ人宣教師のミルビー先生と一緒に仕事をしていた頃のこと。
あるとき、私が動物園に行こうと提案しました。
ところがそれまで当たり前だと思っていた英語の zoo という言葉がどうしても通じません。
何度も言っていたら、ミルビー先生がようやく
「あっ、なんだ zoo のことなの?」
と言いました。
「だからさっきから何度も zoo って言ってたじゃない」
「いや、きみは『ヅー』って発音していた。正確には『ズー』だ」
ここで初めて気付きました。
自分では「ズー」と言っていたつもりだったのですが、実際には無意識のうちに「ヅー」と言っていたのです。
違いがわかりますか?
「ズー」は「スズメ」の「ズ」で、「ヅ」は「カンヅメ」の「ヅ」です。
つまり、「ズー」と言うときには、舌の先をどこにもくっつけずに「スー」と言うのを濁らせて「ズー」と言います。
「ヅ」は舌の先を上の歯茎にくっつけて「ツ」の位置で濁らせて「ヅ」と発音します。
したがって、car の複数形 cars は「カーズ」、card の複数形 cards は「カーヅ」と発音します。
「私はカードを4枚持っています」と言うつもりで、
「アイ ハヴ フォー カーズ」と発音したら、相手はあなたのことを「車を4台持っている金持ち」と誤解してしまいます。


「エピソード」と「エプ・イ・ソウド」、「ズー」と「ヅー」。
わずかな違いですが、アメリカ人にまったく通じない日本人英語です、というエピソードでした。


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クロペラ トンデル???

2010.04.19日

「クロペラ」 「トンデル」
何のことだと思います?
「クロペラ」は「プロペラ」(飛行機の)のこと、「トンデル」は「トンネル」のことです。
これらは私が幼稚園の頃、間違えて言っていた言葉です。
小さい頃は耳で聞いた言葉をそのまま覚えるので、聞き間違えると自分ではそう信じ込んでいるので直すのがなかなか難しいものです。


うちの子どもがやはり小さい頃、「カニに食われた」と言っていて、それを聞いた兄がおどけて、
「こえー!カニに食われたんだって」
と笑いながら言っていました。
これは「蚊に食われた」を聞き間違えた例です。


アメリカにいたとき、親友だったポールは、よく間違った英語を話していました。
そのうちのひとつは「エクセドラ」です。
「今、何て言った?」と尋ねると、
「エクセドラ」と言うので、
「何、それ?」
と聞き返すと、彼は
「えっ?こんなこと知らないの?ほら、『その他もろもろ』の意味だよ」
と言います。
そこで私が、
「それを言うなら『エトセトラ』だよ」
と言うと、日本人に英語を直されたのが面白くなくて、彼はむきになって
「いや、『エクセドラ』だ。誰も『エトセトラ』なんて言っていない」
と言い張りました。


また、別の時にポールが、
「マインアズウェル」 (Mine as well.)
と言っていたので、私が
「それは『マイトアズウェル』(Might as well.) だよ」
と言うと、
「いや、絶対に『マインアズウェル』だ。日本人のくせして、アメリカ人に英語を教えるな」
と言い返しました。
Might as well. というのは、「〜してもいいよ」といったような意味の表現です。
彼はこれを小さいときに「マインアズウェル」と聞き違えて、そのまま覚えてずっと使っていたのでしょう。


思い込みというのは誰にでもよくあることです。
NHKの大河ドラマで、
「殿がそう申されました」
というのをよく耳にするので、昨日のブログにも書いたように、
「校長先生が申されました」
といった間違った敬語が使われるようになります。


言語はその国の文化のとても重要な一部分ですので、もっと大切にしなければならないと常々思っています。
もし間違った表現を使っていたら、お互いにやんわりと正してあげるような優しさがあってもいいのではないでしょうか?


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ロンドン or ランドン?

2010.04.18日

大学1年の時、外人実習の英会話の授業が2つありました。
ひとつはアメリカ人の先生、もうひとつはイギリス人の先生でした。
アメリカ人の先生とはすぐに意気投合したのですが、イギリス人の先生はちょっと苦手でした。
I can't speak Japanese. (私は日本語は話せません)
を「アイ カーント スピーク ジャパニーズ」
と慣れないイギリス英語で話していたからです。
そこで私はイギリス人の先生のクラスの時には、イギリス英語で話そうと決めました。
結構うまくいきました。
ある時、London の発音をする際、イギリス英語だからと思って「ロンドン」と言ったところ、その先生に
「ランドン」と直されました。
あれっ?o を「ア」と発音するのはアメリカ英語だったんじゃないの?と思って尋ねると、何と London はアメリカ英語でもイギリス英語でも「ランドン」と発音するのだと教えられました。
早速辞書で発音記号を調べたら、確かにvを逆さまにした「ア」という記号で表記されていました。
その後、やはりそのイギリス人の先生から front も「フロント」ではなく「フラント」と発音するのだと教えられました。
bus とか up の「ア」という音です。
それ以来、私は必ず「ランドン」「フラント」と発音してきました。


ところが、アメリカ人で「ロンドン」「フロント」と発音する人がたくさんいるのです。
ブライアン・トレーシーなどは、これらの発音だけでなく、たとえば thorough (完全)という単語も「ソラ」と発音しています。これは正確には「サラ」と発音しなければなりません。
辞書にも「ソラ」という発音は載っていません。
これをスペリング・プロナンシエーションと言って、スペリングどおりに発音するもので、とくにアメリカ人にその傾向が強いようです。


日本の学校の英語の試験だったら×になるところですが、アメリカ人は平気で間違った(?)発音をしています。
アメリカ人はスペリングも弱い人がたくさんいます。
tomorrow を tommorrow と綴ったり、Wednesday を Wendsday、February を Feburary などへっちゃらです。
私はときどきアメリカ人とチャットをしますが、返信が来るのが随分遅いので、なんでこんなに時間がかかるんだろう、と思っていたら、チャットをしながら辞書でスペリングを調べていた、と言うのです。


日本人でも漢字を間違えたり、敬語など変な日本語を話す人がいくらでもいるのと同じです。
たとえば、「申す」というのは自分のことに使う謙譲語なのに、「ただ今、校長先生が申されておりましたように...」など、学校の教師でも平気で間違った日本語を使っています。
さらに最近、「○○さんがお死にになられました」という奇妙な日本語を耳にしました。


最近、「なので」とか「自分的には」、「なにげに」などといった変な日本語がメジャーになってきています。
でも、やはり正しい日本語、英語を使えるようにしておきたいものです。


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バカの反対はカバ?

2010.04.17日

小学生になぞなぞで、
「カバが逆立ちしたらなーに?」
と尋ねると十中八九「バカ」と答えます。
そこで私は、
「残念でした。カバは逆立ちできないよ!」
と言うと、みんな「な〜んだ。やられた!」と言います。


中学1年の時、英語が好きだった私は、英語の勉強に必要だと父を説得し、当時出たばかりのとても高価なラジオ付きテープレコーダーを買ってもらいました。
オープンリール式のもので、カセットレコーダーの前の世代のものです。


TC-104.jpg


同型機ではありませんが、上の写真によく似たものです。
これはラジオの番組が録音できるだけでなく、4トラックで、上に外人の発音を録音して下に自分の英語の発音を録音して聞き比べることのできる画期的なものでした。
あるとき、間違ってテープをひっくり返してプレイしたところ、先に録音したものが逆に再生されました。
さっぱりわけのわからないものでした。
しかし、このとき閃きました。
「バカ」と録音したら、反対に再生されるから「カバ」って言うかどうか確かめようと思ったのです。
そこで「バカ」と録音した後、ひっくり返して再生したら「アクアブ」と聞こえたのです。
これには驚きました。
そこで今度は今聞こえた「アクアブ」と言って録音し、ひっくり返して再生したら「ブアクア」と聞こえました。
何度かやっているうちにうまく言えるようになり、逆向けに再生すると、ほとんど「バカ」と聞こえるようになりました。


これが私の英語の音声に対する勘を画期的に鋭くしました。
この後すぐ、英語の発音記号は難なく全部覚えることができ、辞書で初めて調べた単語もすぐに発音できるようになりました。
また耳で聞いた発音も発音記号で書けるようになりました。


大学で取った音声学のクラスで役立ったばかりでなく、大学卒業後アメリカの大学院で言語学を学んだとき、音韻論というコースを取りましたが、これもすんなりと理解できました。
ルーツはテープレコーダーの「バカ」でした。


勉強の面白さ、秘訣はいろいろなところに転がっています。
問題は、それをいかに見つけ、活用するか、ということです。


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ふりをする

2010.04.16日

去る3月27日のブログ(「笑うから幸せ?」)に、「幸せだから笑う」のではなく、「笑うから幸せ」なのだ、と書きました。
そして12日のブログには(「あたかも〜のように」)という記事を書きましたが、面白いことにデール・カーネギーも同じようなことを言っています。
「仕事が面白いふりをすると、それだけで仕事が本当に面白くなるから妙だ。疲れをあまりかんじなくなるし、緊張も解け、心配もやわらぐ」 (カーネギー名言集より)


授業をしていて常々感じるのは、生徒の目です。
しっかりと私の目を見て話を聞き、ノートを取り、うなずいたり、「あっ、そうか!」というような反応を示す生徒は、授業に一生懸命取り組んでいます。
目が輝いているのです。
それは教師にビンビン伝わってきます。
時には部活で疲れたり、友達関係でうまくいっていなかったり、家族とぶつかったり、学校で先生に叱られたり、といろいろなことがあるでしょうが、授業で切り替えがしっかりできています。
このような生徒は着実に成績を上げます。


逆に、「疲れた」という顔をして、「今日は勉強できる状態じゃない」と初めから決めて授業に臨む生徒もいます。
また、勉強は嫌いだ、塾には親に無理やりやらされている、というようなモチベーションの低い生徒もいます。
このような生徒の目はうつろで、死んでいます。
当然のことながら授業は面白くないし、内容は頭に入りません。
成績が上がらないのも当たり前です。


もちろん私もスーパーマンではないので、心身の状態がいつも安定しているわけではありません。
でも、笑顔で授業に臨むと、本当に楽しくなります。
また疲れていても、「元気なふり」をしていると、不思議と元気が出てきます。
逆に、「疲れた」と思っているとそれは顔にも出ますし、態度にも出ます。


まあ、時には正直に、素直に自分の気持ちを全部さらけ出すことも健康上必要でしょうが、意識的に「〜のふりをする」ことによって、「疲れ」が「元気」に、「不愉快」が「愉快」に、「不幸」が「幸福」に、「不満」が「満足」に、「つまらない」が「楽しい」に、「不安」が「安心」になるのなら、そうしないと損ではありませんか?
それが勉強や部活、仕事や家庭生活、人間関係などすべてに大きな影響を及ぼします。


結局のところ、人はみんな自分の感情を自分で選択しているのです。


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まるで奇跡のよう!

2010.04.16日

先週の金曜日に塾のパソコンの1台が故障し、あわてて新しいパソコンを1台購入したのですが、このパソコンには生徒の成績を管理し、毎月父兄に送っている成績通知表を処理するAccessというデータベースソフトが入っていません。
それで、別のパソコンに入っているAccessを使ってすでに入力してあったデータを呼び出して通知表を印刷しようとしたところ、このパソコンに入っているAccessが今まで使っていたパソコンに入っていたAccessとバージョンが異なり、いろいろと不具合が生じてデータが読み込めない状態になっていました。
そこで日曜日にこのシステムを構築してくれたOさんに電話して、電話で指示を受けながらあるところまで復旧はできたのですが(「餅は餅屋 2」)、今日印刷しようとするとやはりうまくいきませんでした。


Oさんには申し訳ないとは思いつつ、また今晩仕事が終わって10時30分頃から電話をして何とかOさんに直してもらおうとしたのですが、今までできていたネットミーティングというパソコンの遠隔操作ができなくなってしまいました。
そこで、裏技でskypeを使って画面の共有化をして、Oさんに塾のパソコンの画面を見てもらいながら、skypeで指示を受けて、非常に複雑な作業をやって(私はただ言われるままにやっていただけで何が何だかさっぱりわからなかったのですが)、夜中の12時30分を回ってようやく通知表が印刷できるところまでこぎつけることができました。
まるで奇跡のようです。
Oさん、いつも本当にありがとうございます。


遅くなりましたが、これで成績表を印刷して、通信と一緒に送れるようになりました。
まだ発送までもう少し時間がかかりますが、今週末にはできそうです。
塾生の方、およびご父母の皆様には大変ご迷惑をおかけしました。
お手元に届くまでもうしばらくお待ちください。


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板についている

2010.04.14日

この前の日曜日、か○○屋という近所のラーメン屋さんに行ってきました。
うちのY先生が生徒と話しているとき、か○○屋のラーメンがとてもおいしくて月に1度は食べに行っていると言うのを聞いて食べに行こうと思ったわけです。
戸を開けて中に入ってびっくり。
パッと目が合ったのは、現在専門学校2年生の卒塾生のNさん。
ふたりとも「アッ」と声を上げ、目を大きく見開きました。
「いらっしゃいませ!」と威勢のいい声。
ここでバイトしていたのです。
注文して待っている間、見ていると接客が実にきびきびしていて見事。
まるでこのラーメン屋さんの女将(おかみ)じゃないかと思うほど、笑顔で愛想よく、堂に入っているのです。
こういうのを「板についている」と言います。


そういえば、ちょうど1か月前に肩を壊して市民病院に行ったときも(「骨肉腫になった!?」)、診察が終わって会計の順番を待っていると、
「お待たせしました。舟田譲二さん、3番の窓口にどうぞ」
と呼ばれ、会計をしていると、窓口の女性が私に尋ねました。
「先生、昔アカデミーにいたう○○○ち○って覚えていますか?」
「ええ、覚えていますよ」
「私です」
「えっ!」
マスクを取ってもらうと、確かにあのときの...。
Uさんはアカデミーの1期生だったので、じゃあ今はもう○○歳!?
本当にびっくりしました。
Uさんの対応も板についていました。


去年の11月、眼科に行ったときも(「卒塾生に会いました」)、目の検査をしてくれたのは卒塾生のAさんで、これもびっくりでした。
言われるまで気づきませんでした。
Aさんの検査も板についていました。


先日は、塾生のJ君のお母さんから電話があり、話していたらいきなり、
「学院長、○○中出身のY君って覚えていますか?」
と尋ねられました。
「ええ、よく覚えていますよ」
「今、私の働いている会社で席が隣なんですよ。Y君はもう結婚してお子さんもいらっしゃり、仕事のほうもとても頑張っています。偶然にアカデミーの話が出て、Y君が先生によろしくって言っていました」
Y君もきっと板についた仕事をしているのでしょう。
とてもうれしくなりました。


数年前に、紳士服店で偶然出会ったT君は上に書いたUさんと同じ1期生。
英語がとても苦手だった彼は、今では市内の大手製薬会社に就職して、しょっちゅう海外に仕事で出張して英語を使っているとのこと。
すっかりサラリーマンが板についていました。
卒塾生が社会で活躍しているのを見ると、我が子のことのように本当にうれしくなります。


学校が始まってまだ1週間なのに、アカデミーの中3生がすっかり中3らしくなって驚いています。
中2生もすっかり中2が板についてきました。
中1生は...、まだまだ小学生のよう。
中1生が板につくにはもう少し時間がかかりそうです。


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ブーメラン効果

2010.04.13日

これまでこのブログに何度か書いた原因と結果の法則(「蒔いた種を刈り取る」「頭が良くなりたかったら...」)を、「ブーメラン効果」とも言います。
ご存じのとおり、ブーメランとは投げた人のところに戻ってくる狩猟やスポーツで使われるあのV字型、あるいはX型の道具です。
面白いことに、私たちの言ったこと、したことがそのままブーメランのように自分のところに戻ってくるのです。
これを「ブーメラン効果」と呼びます。


人に親切にすると人から親切が戻ってくる、人の悪口を言うと自分にもそれが戻ってくる、一生懸命働くと報いがやってくる、勉強を頑張るといい成績が、そして志望校合格という結果がついてくる、これらも全部いわば「ブーメラン効果」です。


オプラ・ウィンフリーはものすごく貧しい、ひどい環境の下で生まれ育ちましたが、彼女の誠実さが幸運を引き寄せ、世界でも有数の億万長者になりました(「人が見ていなくても」)。
彼女はまた慈善家としても広く知られ、これまでに250億円とも推定される寄付をしてきましたが、お金がたくさんあるから寄付するのではなく、寄付するからますますお金が入ってくる、という循環になっています。
貧しい人に施す、慈善活動を惜しみなくするということは、天がその善意に応えて、もっともっと慈善活動ができるようにさらにたくさんのお金を送ってくれるということで、これも「ブーメラン効果」です。


この法則がわかるようになると、人に親切にすることも、施すことも、寄付することも、まったく苦痛ではなくなり、むしろ喜びとさえなります。
その代表的な例がマザー・テレサです(「あなたの中の最良のものを」)。
そして、結局のところ、このような生き方が一番幸せな生き方なのです。


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あたかも〜のように

2010.04.12日

成功者というのは、ある日突然、偶然に成功するのではありません。
自分は必ず成功すると信じて、成功するまで忍耐強く頑張ります。
たとえ目の前に見える状況がいかに厳しくても、成功を固く信じて疑わず、一歩一歩前進し続けます。
そして途中であきらめません。
そのような人だけが成功するのです。


これは仕事だけに限ったことではありません。
生徒や学生であれば、学校の成績や志望校合格においても同じです。
また人間関係や家庭生活もそうです。
自分は幸せな家庭を築きたいと本気で思っている人は、必ずそのとおりの家庭が築けます。
誰々さんと親しくなりたい、と思っていたらそのようになります。


そこで大切なのは、「あたかも〜のように」振舞うということです。
「いつか成功するだろう」という希望を持って行動するのではなく、「もう成功した」かのように話し、行動するのです。
学生だったら、いい成績を取ったかのように自信を持って授業を受け、質問し、発表し、レポートを書き、試験を受けるのです。
そうすれば、そのとおりの結果がついてきます。
自信を持っていないとそれは相手に伝わり、相手は自分をそのように見ます。
そうするといい成績などつくわけがありません。


これは決して空威張りや偽りなどではありません。
空威張りや偽りはすぐに相手に見抜かれます。
しかし、信念を持って行動していると、当然自分の行動に責任を負うようになります。
これがいい結果を生むのです。


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餅は餅屋 2

2010.04.11日

一昨日、塾で使っているパソコンのうち1台が急に壊れてしまいました。
このパソコンの中には、生徒の成績管理など大切なデータがたくさん入っています。
3月度の成績表を印刷して送ろうと思っていた矢先の出来事です。
一瞬真っ青になりました。
代わりのパソコンを買いに急いで近くのY電機に出かけました。
陳列してあるのはモニターばかりで、本体はどこにあるのか、と探していたら、パソコン担当の方が今のパソコンはモニターと本体が一体化していると教えてくれ、びっくりしました。
その人にいろいろアドバイスをいただいてすぐにその場で1台買い求め、さらに壊れたコンピュータの中のデータをバックアップしてもらうためのハードディスクも一緒に買いました。
しばらくパソコンを見ていない間に、すっかり変わっていて驚きました。
そして昨日、ミスター○○○○○に壊れたパソコンとハードディスクを持っていって、データをバックアップしてもらうよう依頼しました。
そして今日、ミスター〜の方が来て、コンピュータのネットワークなどの作業をしてくださいました。
当たり前のことですが、この方がとてもコンピュータのことに詳しいので、尋ねました。
「ここまで詳しくなるのに必要なのはやはり経験値ですか?」
「ええ、まあそうですね」
「私などは見よう見真似で素人考えでこれまでやってきたのですが、理屈がわかっていないので、すぐに忘れてしまいますし、なかなか自分のものになりません」
「先生はやはり教えるのが専門ですから、そちらのほうにエネルギーを使われて、パソコンのことは私たち専門家に任されたほうがいいですよ。そうでないと、私たちの仕事がなくなってしまいますから」
結局3時間もかかる大がかりな仕事になってしまいましたが、見事に問題をみんな解決してくれました。
さすが専門家です。


そういえば、息子の正人も同じことを言っていました。
「パソコンのことに詳しくなるために時間とお金を使うよりは、自分自身のことに時間をかけて、パソコンのことは専門家に任せてお金を払ってやってもらうほうがいい」と。
なるほどそのとおりです。


そして今日は、「新入生歓迎バーベキュー大会」でした。
私はミスター〜の技術者が来るので、BBQには行くことができず、先生たちに任せておきました。
先生たちは海岸でバーベキューの準備をするかたわら、砂浜で生徒たちと一緒にバレーをしたりしてみんなを十分に楽しませ、夕方塾に戻ってからは第2部のクイズなどのゲームでまたまた生徒たちをエンターテインしてくれました。
私などが一緒にいると、先生たちも生徒たちも緊張して十分に楽しむことができないのかもしれません。
そう考えてみると、やはりイベントは先生たちの専門。
そして、楽しむのは生徒たちの専門。


夜10時過ぎ、塾に戻り、Accessというデータベースで成績管理システムを作成してくれたOさん(元アカデミー講師)に電話をして、電話で教えてもらいながらAccessが使えるように復旧作業をしました。
何しろ電話でのやり取りで、しかも塾のAccessとOさんの使っているAccessのバージョンが違うためインターフェースも違い、勘を働かせながらああでもない、こうでもないと言いながらいろいろ試して、ようやくなんとか成績管理ソフトが使えるところまでこぎつけることができました。
まだエラーが出て完ぺきではないのですが、あとはコンピュータに任せずにとりあえず手入力するという手段で問題を回避しました。
これにまた2時間かかりました。
実際に目で見ていないのに、電話で指示するというところがさすがに専門家だと思いました。


ときどき塾生のお母さんが、家で子どもに勉強を教えようとするが、すぐにケンカになってしまう、とおっしゃいますが、これもやはり私たち塾の教師の仕事です。


「餅は餅屋」とはよく言ったものです。
そして、餅屋(専門家)になるのはやはり「経験値」です。
つまり勉強でも仕事でも、料理でも子育てでもなんでもたくさん量をこなして「経験値」を積む、これが秘訣です(「1万時間の壁」)。


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奉仕の心

2010.04.10日

明日は今年度最初のイベント「バーベキュー大会」です。
すでに先生たちはもう何日もかけて、毎晩遅くまで明日のバーベキュー大会のための話し合いをし、昨日と今日は買出しに行き、そして現在、夜中の12時には塾でバーベキューに使う材料の下ごしらえをしています。
そして塾の中で会場設定をし、最後の打ち合わせ準備で、今晩もほとんど徹夜に近い状態でしょう。
うちの先生たちの生徒思いには、本当に頭が下がる思いです。
次の記事はちょうど1年前のブログです(「すべては生徒のために」)。


毎年、さまざまなイベントがあるたびに、先生たちは何日も徹夜して生徒のために準備し、イベント当日はたとえくたくたに疲れていてもそのような顔は一切見せずに、生徒に喜んでもらうために一生懸命尽くします。
この伝統は先生たちの間で代々受け継がれています(「愛塾精神」)。
ですから、生徒はみんな先生たちが大好きで、先生たちをお兄さん、お姉さんのように慕います。
そして好きな先生たちの教える授業が楽しくて、一生懸命勉強します。
これがアカデミーの1番の強みだと思っています。


シュバイツァーは言っています。
「本当に幸せになれる者は、人に奉仕する道を探し求め、ついにそれを見出した者である」
とどのつまり、自分のために生きているうちは真の幸せは見出せず、人に尽くして、人を喜ばせ、幸せにする人こそが、本当に幸せになれる、というのです。
私もまったく同感です。
そういう意味において、アカデミーの先生たちは生徒に尽くして、生徒に喜んでもらってそこに幸せを見出しているのです。
これは私たち全ての日常の生活にも当てはまります。


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幸せな人生の秘訣

2010.04.09日

誰でも幸せな人生を送りたいと思っています。
でも現実には、自分の思いどおりになることはなく、それで自分は幸せじゃない、と多くの人が考えます。
私の尊敬するデール・カーネギーに次のような名言があります。
「次の心がけを人生のモットーにしよう。
『人に対する憎悪、不信、不親切を心の中に起こさせる事柄は、すべて忘れよう』
いつなんどきでも忘れる方法がある。そうした事柄についての考えを自分の心の中に忍び込ませないようにするのだ。
もし親切で、寛大で、幸福で、自分のプラスになる事柄だけを考えるように心がければ、心の中のどこにも憎しみなどは起こらない。
そして人生は満足感で満たされるようになる」 (『カーネギー名言集』より)


幸せかどうかは、状況によるのではなく、自分の考え方、焦点の当て方によるのです。
それをボブ・プロクターはパラダイムシフトと呼んでいます。
たいがいの人は、周りの状況や人に対して、自分の思いどおりにならないと、いらだったり腹を立てたり、怒ったり、憎しみを持ったりします。
そしてその結果、不幸になります。
周りの状況や他人を変えることは誰にもできません。
変えることができるのは自分自身の考え方だけです。
とするならば、自分の考え方を意識的に変えることです。
これが自分を幸せにする唯一の方法です。


デール・カーネギーが言うように、不愉快なことがあったら、それをいつまでも根に持たないで、忘れるように努力し、いい面に目を向けることです。
そうすると、幸せな気持ちになれます。


W・クレメント・ストーンという人は、どんなにひどいことが起こってもいつでも、
「それは良かった!」
と言うのを口ぐせにしていたそうです。
そして、「それは良かった」と言ってから、起こった出来事の中でひとつでもふたつでもいい点を探すよう努めたそうです。
私もこれに似たような考え方をするようにしています。
人間ですから生きていると当然さまざまな不愉快なことに遭遇します。
しかしそのようなとき、不愉快なことから目をそらし、いいところに目を留めるようにしています。
以前、カバンを盗まれたときもそのように考え方を変えたら、思わぬ方法で祝福を受けました(「ありがたい、ありがたい」)。


人に不愉快な思いをさせられたとき、腹が立ったときにはそこから目をそらしましょう。
そして自分の得になることだけを考えるようにしましょう。
これが幸せな人生を送る秘訣です。


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バセバ11

2010.04.08日

「バセバ11」ってお聞きになったことがありますか?
うちの中学生が何人も「バセバ11」と言っているのを聞いて、私は最初何かゲームの名前か「ゴルゴ13」のようなコミックかと思っていたら、何と英語の baseball のスペリングの覚え方だったのです。
なるほどよく見ると、ローマ字読みで baseba を「バセバ」、そして最後の ll を数字の1に見立てて「バセバ11」と読めます。
さらに驚いたのは、学校の先生がそう教えていた、というのです。


中学生が英語のスペリングを覚えるのに、よくこの「バセバ11」式のローマ字読みやこじつけを使います。
たとえば、同じく baseball を「バセバール」、some を「ソメ」と言ったり、rice を「リセ」、come を「コメ」のように言って覚えるのです。
でもこの覚え方は根本的に間違っています。
理由は、「応用が利かない」ということです。
このやり方だと、いつまでたっても意味のないこじつけで際限なく覚えなければなりません。
このような覚え方をしている生徒で英語のできる子はひとりもいません。


私はこれまで英語のほかに、フランス語、スペイン語、ドイツ語、ポーランド語、ギリシャ語、ヘブライ語、ロシア語、中国語、韓国語、タガログ語、そしてエスペラント語など、趣味で勉強しました。中にはちょっとかじっただけのものもあります。
英語はほかのヨーロッパ系の言語と比べると、発音がとても不規則で例外が多く、覚えても覚えても切りがないほどです。
スペイン語のスペルと発音はほとんどローマ字に近くとても簡単。
フランス語やドイツ語などは発音は難しいけれども、スペリングと発音にルールがあり、基本をしっかりやればほとんどどんな単語でも読み書きできるようになります。
しかし英語だけは、英語を母国語とするアメリカ人やイギリス人でも、読めない単語、書けない単語がたくさんあります。


しかしそれでも、ある程度の基本的なルールはあります。
そしてそれをマスターすれば、大体は発音もできるし、スペリングも綴れます。
最初は面倒なようでも、この基本をしっかり学ぶことが、先々役立つようになります。
たとえば先ほどの例では、ルールどおりにいけば、 base は「ベイス」、 ball は「ボール」としか読めませんし、それ以外に書きようがありません。
そのような基本的なルールを教えずに、たとえ冗談半分にしても教師が「バセバ11」と教えるのは、あまりにも軽率です。


先日、個別で教えていたときに、rice の読み方がわからない生徒がいました。
私は正統派ですから、「リセ」とは教えずに、フォニックスでスペリングと発音の規則を教えました。
「rice から r を取ると何て発音すると思う?」
「...」
「じゃあ、ヒント。最初の文字は i (アイ)。夏に食べるもので、君の大好きなものだよ」
「あっ、わかった!アイス!」
「そう。じゃあ、その前に r をつけるとどうなるかな?r は『ル』というような音だよ。
『ル』と『アイス』を一緒に発音するとどうなる?『ル』『アイス』」
「うーん。うーん...。あっ、わかった!アイスクリーム!」
「ギャフン」


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日本の教育は七五三

2010.04.07日

「日本の教育は七五三」と言われても何のことかわからないでしょう。
これは、小学生は大体7割の生徒が授業内容を理解していて、中学生は5割、高校生にいたってはわずか3割しか理解していない、という意味です。


今日の読売新聞のONLINE版に次のような記事が出ていました。
「授業中に居眠り、日本の高校生45%!
 日米中韓の4か国中、日本の高校生は授業中に居眠りをする割合が最も高く、勉強する時間は最も短い――。


 そんな実態が7日、文部科学省所管の教育研究機関による意識調査で明らかになった。
 調査は財団法人「一ツ橋文芸教育振興会」と「日本青少年研究所」が昨年夏から秋にかけて、日米中韓の高校生計約6200人を対象に実施した。
 それによると、授業中に「いつもする」「ときどきする」態度として、「居眠り」を選んだ高校生は、日本が45%とワースト1位。ついで韓国(32%)、米国(21%)、中国(5%)と続いた。「積極的に発言する」のは米国(51%)、中国(46%)、韓国(16%)に対し、日本は14%にとどまった。
 一方、平日に学校の授業と宿題以外に、まったく勉強しないと答えた高校生は日本は34%。米国(24%)、韓国(18%)、中国(7%)より多かった。
 また、学校生活の評価(複数回答可)について、「勉強に関してクラスで競争する雰囲気が強い」としたのは中国(77%)、米国(54%)、韓国(32%)に対し、日本は26%どまりだった。同研究所の千石保所長は『日本では学習についてクラスで切磋琢磨(せっさたくま)する姿勢がなく、さらなる学力の低下が懸念される』としている」
(2010年4月7日19時33分 読売新聞)


私自身、高校生の頃、学校の授業がつまらなくて、また勉強嫌いだったこともあり、授業中の居眠りは常習犯でした。
寝ていて急に高いところからガクンと落ちるようなあの経験(皆さん、きっとあると思います)を授業中にやってしまいました。
教科書の上にうつ伏せになって寝ていたのですが、両手で教科書のページをつかみ「グシャグシャ!」と大きな音を立ててしまい、教室のみんなに大笑いされたこともありました。
また、黒板のすぐ前の席に座りながら、先生の話を子守唄にしてコックリコックリ寝てしまいました。
先生が穏やかに、
「舟田、お前、いくら名前が舟田だからって、先生の目の前で舟を漕ぐなよ」
と言っているのが、夢の中で聞こえてきてあわてて目を覚ましたこともありました。
とくに弁当を食べた後の午後1番の授業はいつもとても眠かったのをよく覚えています。


日本では大学生も授業中よく居眠りをしていました。
大学卒業後アメリカに留学して驚いたのは、アメリカ人では授業中に居眠りをする学生がほとんどいなかったことです。
これにはひとつ理由があります。
アメリカでは授業が日本のように一方通行の講義形式ではないのです。
教授はしょっちゅう学生を指名して質問しますし、学生も授業中教授を質問攻めにします。
あるときなどは、学生からの質問があまりにも多くて、教授がこう言いました。
「もう質問はこれで打ち切り!
今日、予定していた分がまったく進まない。
お願いだ。私にも少しは話させてくれ」


アメリカの中学校や小学校も訪問して授業を参観したことがあります。
教室の中で机を使わずに円にした椅子に生徒が座り、お互いにディスカッションをしていたり、いくつかのグループに分かれて共同作業をしていたり、生徒がグループで調べた内容をクラスで発表していたりと、日本ではうまくいかなくて結局中止になった「総合学習の時間」のようなスタイルでした。
なるほど、これだと生徒は居眠りしている暇などありません。


中国や韓国で「競争意識」が高いのは、彼らの学習に対する貪欲さの現れです。
「今の中国や韓国を見ていたら、ちょうどかつてのアメリカを見ているようだ。アメリカもかつてはみんな貪欲で何事にも一生懸命だった」
と以前あるアメリカ人が言っていました。


この言葉は今、日本にもそのまま当てはまります。
日本の国際競争力が落ちて、日本の得意分野だった家電や電子機器の分野でもどんどん中国や韓国に食われています。
これは、日本があまりにも恵まれていて、貪欲さを失った結果だと思います。


文科省は今度の指導要領改定から、「ゆとり教育」をやめて教科書のページ数・内容を増やして学力増強に力を入れる、と言っていますが、これでは今までと同じように振り子が右から左に大きく振れるだけで、まったく根本的な解決になっていないと思います。
またかつてのように暗記中心の詰め込み教育になって、ますます勉強嫌いな生徒を生み出すばかりです。
生徒・学生の意欲を引き出すような魅力的な授業をしなければ、落ちこぼれを量産し、ますます授業中の居眠りが増えることでしょう。


まあある意味、だからこそ塾の存在意義があるのでしょうが。


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お金は大切。でも...

2010.04.06日

今はとくに不景気で、生活が苦しい人が大勢います。
このようなとき、「お先真っ暗」と言って自殺する人も少なくありません。
確かに、食事から生活全般にお金がかかるのでお金は大切です。
でも、「お金、お金」と言っていながら、お金の扱い方に無頓着な人が多いのも事実です。
生活に困るほどなのに、タバコや酒やギャンブル(パチンコ、競馬、競輪、競艇など)に、携帯電話代に、ブランド品に、あるいは宝くじにたくさんお金を使っている人がいます。
ブライアン・トレーシーが言っています。
「この世で成功者といわれる人、金持ち、賢い人で、宝くじやギャンブルにお金を使っている人はいない。
このような人は、労しないで一攫千金(いっかくせんきん)を求めることに倫理的な問題を感じていて、宝くじやギャンブルを本能的に嫌う。
金持ちは一般的に倹約家である」と。


今日送られてきたあるメルマガに面白いことが書かれていました。
「1億円以上の宝くじが当選した人は、そのあとどうなったか?
追跡調査をした人がいるのです。
さて、その結果はどうだったのか、あなたには、わかりますか?
結果としては、ほとんどの人が宝くじが当選する前より不幸になったそうです。
なぜ、不幸になったのでしょう?
『浪費癖がついた』
『高い車を買ったので、維持費がしんどい』
『税金で取られる分を計算せずに、家を買ったら、逆に赤字がでた』
『みんなにタカられるようになった』
『周りから妬まれるようになった』
などなどいろいろ考えられます。
そして、もう一つ確実に言えることがあります。
それは、お金はいつまでもあるわけではないということです。
お金は、使えば無くなってしまうのです。
1年間は、遊べたとしても、10年後、そのお金はあなたの人生に、おそらく何の影響も与えてはいないでしょう。
あなたは今、会社を経営しているかもしれませんし、投資で生計を立ているかもしれません。
または、会社に勤めているかもしれません。
あなたがどのような状況かは、わかりませんが、ただ一つ言えることは、
『あなたがいつでも1億円を稼ぐだけの、知識・経験・能力があれば、社会がどんな状況になってもあわてる必要がない』
ということです。
また、作ればいいのですから。
先に紹介した、ヘンリー・フォードには、次のような続きがあります。
『もし、お金によってあなたの生活が安定すると考えているなら、あなたは一生自立できないだろう。
唯一本当の安定とは、この世で得た知識、経験、能力の蓄積である』
ジェームス(ジェームス・スキナー)が成功者達を観察し、研究した結果、ある共通点を発見したのです。
それは、『学び続ける』ということです」


お金は大切です。
しかし、それ以上に大切なのは、学び、自分を高める姿勢です。
学生だけでなく、社会人も、家庭人もみんなそうです。
「学び続け」ていると、結果は必ずあとからついてきます。


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成績不良から億万長者に

2010.04.05日

中学3年生のとき、成績不良で学校を中退した少年。
その後、低い時間給のアルバイトを転々とし、またどの職業についても長続きせず、借金の生活。
25歳のときふと手にした本がナポレオン・ヒルのThink and Grow Rich (邦題『思考は現実化する』)。
彼はむさぼるようにこの本を読み、そしてその1年後には年収が10万ドル(1000万円)を突破。
彼は今や億万長者で、アメリカを代表するビジネスコンサルタント、著述家、モチベーショナルスピーカーです。
彼の名前はボブ・プロクター。
私も彼の本 YOU WERE BORN RICH (邦題『宇宙を味方にしてお金に愛される法則』)を読み、彼のCDもいくつか聴いていて、とても波長の合う人のひとりです。
これまでこのブログの中で何度か取り上げてきた「引き寄せの法則」を、 The Secret (邦題『ザ・シークレット』)の中でボブ・プロクターが語っています(「不愉快なことがあったとき」)。


先日、ブライアン・トレーシーのメルマガでボブ・プロクターの最新のビデオの案内があり、早速見てみたところ彼は今75歳。
しかし30分あまりのビデオで、力強く、流れるようにメッセージを語っていて、とても75歳とは信じられないほどでした。


このビデオの中で彼が言っていました。
「成功し、金持ちになるのに、学歴とか生まれつきの頭の良さとかは必要ない。
物事には正しいやり方がある。自分はそれを知らなかったので遠回りしてきたけれど、実は簡単なことである。
それはパラダイム(理論的枠組み)を変えることだ。
パラダイム(考え方の枠組み)を変えると自分自身が変わる。
自分自身が変われば、すべてが変わる」


勉強においても、仕事においても、人間関係においても、正しいやり方というものがあります。
それを忠実に実行するなら、誰でも人生で成功を手に入れることができます。
ただ、実行する前にその原則を学ばなければなりません。
上に挙げた本をお薦めします。
ぜひ皆さんも読んで、学び、実行し、人生のさまざまな分野で成功を収めてください。


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I played a piano...?

2010.04.04日

学校の英作文で
I played a piano.
と書いたら、まず間違いなく×をつけられるでしょう。
「楽器には the をつけるって何度も言っただろう?」
と先生に怒鳴られそうです。
でも、本当にそうでしょうか?
皆さん、考えたことありますか?
「楽器には the をつける」というのは絶対的なルールですか?


実際には、たとえばネット(アメリカのGoogleなど)で検索するとすぐにわかりますが、play a piano はありです。
楽器に the をつけるのは、普通だれでも自分専用の決まった楽器を演奏するからです。
たとえば、今日は隣の家のピアノを弾きに行こう、明日は向かいの家で、というふうに毎日弾くピアノが違えば play a piano になります(もちろんこのようなことはあり得ませんが)。
実際のところ、ピアノショップに行って、試しに1台のピアノを弾いてみるというのであれば、
play a piano と言います。


同様に、
"I went to a school."
とテストに書いたらやはり×になります。
「学校に行く」というのは、冠詞をつけずに、
"I went to school."
と言います。
それでは、"I went to a school."は文法的に間違っているか、と言えばそうではありません。
たとえば、新聞記者やTVリポーターが取材のために「学校を訪問した」と言うのであれば、
"I went to a school."
が正しい英文になります。


もちろん、このようなケースはまれで、ましてや中学生や高校生であれば、
"I played the piano."
"I went to school."
で十分ですが、英語の勘を身につけるためには、杓子定規のルール丸暗記式の勉強法ではなく、状況とニュアンスの違いを知っておくことが必要です。


これは英語に限らず、ほかの勉強にも通じることです。
物事にはすべて理屈があるので、勉強するときにこの理屈・仕組みを理解することがとても大切なのです(「社会は暗記科目?」「私は今」)。


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人生、山あり谷あり

2010.04.03日

今朝、ひとりの卒塾生から電話がありました。
「学院長、高校個別に行きたいんですけど」
「何をやりたいの?」
「数学です」
ということで、高1のKさんは早速来週から数学を学ぶことになりました。
Kさんに去る3月「21日の卒塾式」のことを尋ねました。
「とても楽しかったです!感動しました」


私はその直前に肩を壊してこの卒塾式に行くことはできなかったのですが、生徒一人ひとりに渡したアルバムに次のような言葉を贈りました。
「人生、山あり谷あり
中学卒業、そして高校合格おめでとう!
望みがかなって今、山にいる人も必ず谷があります。
でも今、谷にいる人にも必ず山があります。
大切なことは、山にいる時には谷を予測し、谷にいる時には山を望むこと。
たとえどのような状況にあっても、必ず道は開けます。
今、人生のスタートラインに立ったみんな、頑張れ!
応援しています。
君の将来に幸多かれと祈りつつ。
学院長 舟田譲二」


「人生、山あり谷あり」は、「成功とはあきらめないこと」と並ぶ私の座右の銘です。
この私のブログのタイトルは「元気の出るブログ」ですが、世の中の人々はみんな「元気」を求めています。
人生、本当にいろいろなことがあります。
いつでも「順風満帆」ということは絶対にありません。
試練は誰にも必ずやってきます。
そのような時にへこたれない力が必要です。


先日、小6のMちゃんが送迎バスの中で私に尋ねました。
「学院長、今日の国語のテストで『結果と過程』というのがあったんだけど、『過程』という言葉の意味がわからなかった。どういう意味?」
「そうだね、結果が出るまでの途中の道筋みたいな感じかな。
日本全国で自殺する人が1年間に何人ぐらいいると思う?」
「100人ぐらい?」
「いーや。何と毎年30000人以上もいるんだよ。毎日90人から100人近くの人が自殺しているんだよ」
「えっ!?世界中じゃなくて日本だけでそんなにたくさんの人が自殺しているの?」
「そう。仕事で失敗したとかで自殺するんだ。でも、たとえ仕事で失敗したとしても、それで人生は終わりではない。それは過程で、失敗してもまた道が開けてうまくいくことだっていくらでもある。
あまり目先の『結果』だけにこだわっていると、『もうだめだ』と言って自殺することになってしまう。
今日Mちゃんはテストで『過程』という言葉を知らなかったので、テストはできなかった。
できなかったのは『結果』。
でもそのお陰で、今ここで『過程』という言葉の使い方を覚えた。
だから、テストでできなかったという『結果』よりも『過程』のほうが大切でしょ」
「なるほど。わかった!」


フォード社の創設者ヘンリー・フォードが言いました。
"Failure is just another way to more intelligently begin again." (失敗とは、さらに賢明に一からやり直すもうひとつの方法に過ぎない)
フォードは自動車を作るまでに何度も失敗し、そして何度も倒産しています。
でも彼はあきらめませんでした。
「失敗」という「経験」を活かして、成功を生み出したのです。


谷間にいるとき、山を望みましょう。
道は必ず開けて、努力を続ければ必ず山に至ることができます。


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あなたはハゲだ!

2010.04.02日

数年前のことです。
送迎から戻ってくると、うちの2台分の駐車場の真ん中によその車がとまっていました。
見た目、ちょっとヤバい感じの車だったので、いやな予感がしたのですが、車の所有者が戻ってくるのをしばらく待っていました。
やがて若いカップルが戻ってきて、その車に乗り込もうとしました。
そこで私はその人たちに近づいて行って言いました。
「すみません。ここはうちの駐車場ですのでとめられると困るのですが」
私のいやな予感は的中しました。
カップルは車に乗り込んで、出るときに私に罵声を浴びせました。
「バカヤロー!ハゲ!」


ちなみに私は禿げていません。
ちょっと額が広いだけです。
行きつけの床屋の店長は、私の髪の毛がとてもしっかりしていて、しかも量が多いと言って驚いているほどです。
その私をつかまえて、しかも人に迷惑をかけておきながら、
「ハゲ!」
はないでしょう。
私はしばらく胸がドキドキして、非常に不愉快な思いをしました。


先日、中学3年生を教えていた時、2年生の復習のところで「未来」が出てきました。
未来の否定形は will not で、それを短縮して won't というのですが、これを生徒たちが「ウォント」と発音しました。
そこで私が「それじゃ、want は何て発音するの?」
と尋ねると、やはり「ウォント」と答えます。
won't は「ウォント」ではなく「ウォウント」と発音します。
相手があなたに
"I won't see you!"
と言ったら、「あなたにはもう会わない!」という意味です。
しかし、おめでたい人は、
"I want to see you."
と聞きちがえて、「あなたに会いたい」と言っていると勘違いするかもしれません。


さて、初めに書いた「ハゲ」の話に戻りますが、英語で「ハゲ」のことを bald と言います。
もうひとつ bold という似た単語があります。
前者は「ボールド」と発音し、後者は「ボゥルド」と発音します。
al のスペリングは「オー」と発音するので「ボールド」となります。
一方、old は「オゥルド」と発音するので、その前に b がつくと当然「ボゥルド」となるわけです。
後者の bold は「勇敢な」という意味です。
もしも、相手をほめるつもりで、
"You are bold." (あなたは勇敢だ)
と言うべきところを発音を間違えて、「ユーアーボールド」と言ったら、
「あなたはハゲだ!」
という意味になり、相手はきっと怒るでしょう。
冒頭の駐車場の話で、もし相手の人が私に英語で
"You are bold!"
と言っていたなら、私は腹立つどころか、きっといい気持ちになっていたことでしょう。


英語の発音はとても大切です。
新しい単語を学ぶときには、その都度発音とスペリングを正確に覚えましょう。
その積み重ねで英語を得意にすることができるのです。


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成績を上げるには

2010.04.01日

アメリカの経営コンサルタント、ブライアン・トレーシーは次のように言っています。
「アメリカのサラリーマンの平均労働時間は、統計によると週32時間である。
1日の仕事を始めるのに30分から1時間ぐらいダラダラして、昼休みにまた30分から1時間ぐらい余分に時間を取り、仕事中に仲間との余談に時間を取り、途中で買い物に行ったり、家に電話をしたり、仕事を終える前にも30分から1時間ぐらい時間をかけて片づけをしたりしている。
このようにして失った時間を取り戻そうとして、忙しい、忙しいと言ってバタバタしている。
週40時間労働したとして、これは現状維持の最低限の仕事である。
1日8時間、週40時間働いていて、成功した人などひとりもいない。
成功する人はみんな、人の何倍も働いている。
マネージメント(日本でいう係長や課長級)の立場の人は週45時間働いている。
その上のシニア・マネージメント(部長級)の人は45〜50時間。
エグゼクティブ・マネージメント(支店長級)の人で50〜55時間。
CEO(最高経営責任者)は55〜60時間働いている。
もし60〜65時間働いていたら、将来は安泰だ」


私はこれを聞いて思いました。
小中高校生、大学生もまさに同じだなと。
学校の成績は勉強時間に大体比例します。
成績のいい人はやはり時間をかけて陰でコツコツと努力しています(「訓練していたことを実践しただけです」)。
「部活が忙しくて宿題ができなかった」と言う人がよくいますが、これは言い訳に過ぎません。
友達とメールしたり、インターネットしたり、ゲームしたり、マンガを読む時間がありながら、宿題をする時間がないというのは、単に優先順位の問題です。


勉強時間だけが大切というわけではなく、もちろんその中身が大切なのですが、中学生だと塾のない日、家で最低2〜3時間勉強しないと力がつかないのは当たり前のことです。
部活優先と言って宿題をしないのなら、いい成績を望むことはできません。
塾に来て、いい成績を取り、いい学校に行きたいと思うなら、当然のことですが、それなりの勉強をしなければなりません。


いつもこのブログで書いているように、スポーツでも、芸術でも、どの世界でも一流になる人はみんなものすごい時間を費やしています。
言い換えるなら、時間をかけて繰り返しやって身につけなければ、結果を出せないのです。


サラリーマンの週40時間の労働が現状維持であるように、ほかの生徒と同じ時間勉強していたら成績は現状維持です。
ほかの人よりも勉強にかける時間が少ないと、成績は下がって当たり前です。
もし本気で成績を上げたい、志望校に合格したいと思うなら、上に挙げたマネージメントの人のように、ほかの人以上に勉強に時間をかけなければなりません。
ここでも「1万時間の壁」の論理が当てはまります。
成績が上がらないのは、ほかの誰のせいでもない、自分自身の責任です。


そして、生徒や学生だけでなく、この世のすべての人にも同じことが当てはまります。
時間をかけて努力するなら、誰でも生活の質を上げることができます。
仕事でも、人間関係でも、趣味でも、健康でも。
試してみてください。


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