学院長元気の出るブログ

日々の随想。教育問題、子育て、英語、積極思考、人間関係、霊想等など。
読む人に元気を注入します。

ジョージ学院長 元気の出るブログ

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カニワザ? 神業? 

2009.11.30日

私は食べ物で好き嫌いはほとんどなく、何でも食べますし、何を食べてもおいしく感じます。
それでも、その中で何が一番好きかと尋ねられたら、「カニ」と答えます。
それほどカニが好きです。
小学生の頃、年にほんの1〜2回でしたが、子持ちガ二を食べました。
今から考えるととても小さなもので、今日食べるような大きな高級なものではありませんでしたが、隅から隅まできれいに食べました。
本当においしかったです。


結婚してアメリカに留学していたとき、大学院でとても親しくなったアメリカ人の友人 Jim にサンフランシスコ近くの彼の実家に、クリスマス休暇に遊びに来るようにと誘われました。このときすでに長男の直人が生まれていて子育てに大変でしかも貧しい生活をしていたので、無理だと言って断りました。
すると、Jim は自分の車を貸してくれて、ガソリン代も出して、自分の家とサンフランシスコに住んでいる義兄の家に泊まれるよう手配してくれ、半ば強制的に招待してくれました。


それで彼の厚意に甘えてサンフランシスコ旅行に出かけることになりました。
そして彼の家に数日泊めていただいたあと、サンフランシスコに向かい、義兄のところでも数日泊めていただきながら、サンフランシスコ観光をしました。
そのときゴールデンゲートブリッジ(金門橋)で撮ったのが下の写真です。


SF.jpg


サンフランシスコのフィッシャーマンズ・ウォーフ(猟師の波止場)という漁港に面したレストラン街で食べたカニがおいしかったこと。
いまだに妻とこのときのことがよく話題に上ります。
この頃はとくに留学生で貧しかったこともあったのでしょうが、このとき食べたカニはこれまでの生涯で最高でした。


今日、たまたまスーパーで買ってきた安売りのカニの足の小さなパックのものを妻と食べていました。
そのとき、ふとひらめきました。
カニはよく知られているように、堅い甲羅で身を包み、大きなハサミをもっていて敵から自らの身を守っています。
おそらく、カニは自分の身がおいしいことを知っているので、海の中のほかの生き物や、人間に食べられないようにあのような鎧兜(よろいかぶと)のようなもので身を固めているのでしょう。
これはある意味、「カニワザ」です。
でもよく考えると、やはりカニを創られた神様がカニに自らの身を守るために鎧兜と武器をお与えになったのでしょう。
という意味で、これは「神業」(カミワザ)です。
実際のところ、地球上のいろいろな動植物を見ると、肉食動物は獲物を追うために速く走れるように体が創られているのに対し、草食動物は両目が頭の横についていて絶えず敵を見張るようにできていたり、身を守る角を持っていたりと、それぞれみんなとてもうまくできているのです。
これらはすべて進化の過程で自然とできたものではなく、初めから目的にしがたって創られていると見るほうが、よほど自然で理にかなっています。


ところが、今日カニを食べながら妻と話しているときさらにひらめいたことは、動植物界のすべての生物が非常にうまく創られているのですが、人間にはそのようなものは何もないということです。
ただ、神様は私たち人間にそれらに代わるものを与えてくださいました。
それは知恵です。
この知恵のお陰で、私たちは地球上のあらゆる動植物を自分たちの思うままに食べたり、利用したりすることができるのです。
たとえカニがどれほどすごい鎧兜と武器で身を守っていても、人間はカニ漁で網がはち切れんばかりにカニをたくさん獲り、簡単に手で甲羅をつかみ、茹で上げ、そしてカニ味噌からすべてを賞味することができるのです。
これを考えたとき、いやぁ、これこそ本当の「神業」だ、と心から感動を覚えました。


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3R リデュース、リユース、リサイクル

2009.11.29日

最近あちらこちらでよく目にする「3R」は、もちろん
Reduce 「ゴミの減量」
Reuse  「再利用」
Recycle 「再資源化(リサイクル)」
のことです。
一般的には、「リサイクル」ばかりが注目を集めていますが、実際にはもっとも大切なのはReduce、すなわちゴミの元となるものを初めから減らすことです。
つまり、不必要なものは買わない、作らない、あげない、もらわないことが大切です。
景品などでもらっても嬉しくないもの、使えないものなどがたくさんあります。
メーカーの人にはぜひ再考してもらいたいものです。
最近はショッピングにマイバッグを持参して、ビニール袋を受け取らない人も少しずつ増えています。
このリフューズ(拒否)もとてもいいことです。


しかし、せっかくリフューズしてビニール袋を受け取らなかったのに、家のゴミを出すときにゴミ用ビニール袋を買って使っているのは矛盾だと思うのですが。
むしろスーパーやコンビにで受け取ったビニール袋をリユース(再利用)して、ゴミ袋として使うほうがよほど理にかなっていると私は思います。
その意味で、最近自治体などで行っている有料のゴミ袋を買わせるやり方は、ゴミ袋の中にビニール袋を入れて捨てる人も多く、無駄なことだと思います。


リユースは身の周りでできることがたくさんあります。
上に挙げたビニール袋の再利用はそのよい例ですが、雨の日に濡れないように新聞をビニール袋に入れて郵便受けに入れてくれますが、このビニール袋も紙くずかごに利用できます。
ほかにも使わなくなったものをほかの用途で再利用できるものはちょっと考えてみるといくらでもあります。(「ものを大切に」
また、不用になったものをリサイクルショップ、オークションに出す、あるいはリサイクルショップ、オークションなどで中古品を使うのも再利用です。


リサイクルは、ペットボトルやビニール包装紙などのプラクル、空き缶、古新聞、古雑誌、チラシ・広告、食用油、ガラスビンなどが主なものですが、再循環、再生、精製するのに多量のエネルギーを消費し、さらにCO2を排出したりするので、必ずしも「リサイクル=環境に優しい」とは限りません。
でもリサイクルできるものはできる限り分別してリサイクルに出し、資源の再生に地球規模で取り組みたいものです。


80〜90年代のような大量消費の時代はもう終りました。
すべての資源には限りがあります。資源の無駄遣いは極力抑えましょう。
これからの時代、自然と、自然界の動植物や資源と共生しなければなりません。
今、私たちが将来のことを考えて行動しないと、私たちの子孫の時代につけをまわすことになります。


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価値観

2009.11.28日

人はみんなそれぞれ自分の価値観をもっています。
そして、その価値観にしたがって行動しています。
たとえそれがどんなに悪い価値観や程度の低い価値観であってもです。
人にうそをつく、人の物を取る、人を傷つける言動を取る、自分を傷つける行為(自傷行為)をする、そして人を殺すことすら、自分の価値観によって行っています。
何の罪もない人たちを巻き添えにして、大勢の人の命を奪うテロ行為も、テロリストたちは自分たちの価値観にしたがって正しい行為と信じて行っています。
毎年数十億から数百億円にも上る振り込め詐欺のような反社会的な卑劣な行為でさえ、やっている者にとっては人をだますことが快感で、だましのテクニックで人から何百万円、何千万円を巻き上げるのが楽しくて仕方ないのです。そして、だまして巻き上げたお金を遊興費に使うことも彼らの価値観に合致しています。


一方、マザー・テレサは、「最も貧しい人の間で働くように」という啓示を受けたと言って、富も名声も快楽もすべてを捨てて、病者・貧しい人たちのために一生を捧げました。そのような生き方が彼女の価値観に合致していたからです。


このように考えると、価値観というものは人間にとってもっとも本質的なものだということがわかります。
小中高校生や大学生にとって、勉強することは価値観によって意味がまったく変わってきます。
勉強を苦痛なもの、嫌なもの、試験のために、受験のために仕方なくやっていると考えていたら、やっている勉強が実を結ぶことは決してありません。
昨日、中1のクラスに入っていったら、社会担当の相原先生が自分がうちの塾の生徒だったときに使っていたファイルやプリントをそのまま持っていらっしゃるのを見て、感動を覚えました。
今日、そのことを伝えたら、全部取ってあります、との返事。ますます驚きました。
相原先生は中1のとき、「勉強が楽しくて仕方がない」と言って、毎晩2時、3時まで起きて勉強していました。
「どうして勉強がそんなに楽しいの?」と尋ねたら、
「今、自分の勉強していることが全部、将来役に立つと思うと楽しくて仕方ない」という返事が戻ってきたのを昨日のことのように覚えています。
たとえ成績がどんなに良くても、いやいやながら暗記して点を取っているようでは、将来役立ちません。
これも勉強に対する本人の価値観が大きくものを言います。


仕事も同じです。
自分の仕事を、生活のために仕方なくやっているというのと、自分の仕事に誇りを持って楽しみながらやっているのでは、天と地ほどの差があります。
決して仕事の種類によるのではありません。
世の多くの人は、政治家や学者や医者や法律家などは尊い職業というような見方をしていますが、これは正しくありません。
道徳的・倫理的に問題がある公序良俗に反するような仕事でもない限り、どのような職業でも尊いのです。
自分の仕事をどのように見るか。その価値観によって人生が変わってきます。


お金の使い方を見るとその人の価値観がよくわかります。
高級外車に乗る、また高級ブランドで身を包むことが自分を満足させるという価値観を持っている人もいれば、逆に質素な生活をしながら良好な家族関係を持ち、地味ではあるけれども満足できる生活を送ることに価値観を見出す人もいます。


どのような人生を歩んでもその人の勝手ですが、人としてこの世に生まれてきた限り、やはりこの世に、人に何らかの形で貢献できる人生を歩みたいものです。
それが、生きがいのある幸せな人生につながります。
あなたの価値観はどこにありますか?


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オオカミ レタス???

2009.11.27日

小学生のキッズクラブ英語クラスでは12月23日に恒例のクリスマス会を開きます。
今週の英語クラスからクリスマス会で歌うクリスマスキャロルの練習を始めました。
今年の歌は Oh, Come, All Ye Faithful (神の御子は今宵しも)です。
例年、小学生がロウソクを手にアカペラで歌う英語の賛美歌は圧巻です。


先日、小学生をバスに乗せて送迎しているとき、子どもたちが大笑いしながら、
「オオカミ レタス」
と繰り返し言っているのを聞いて、一瞬何のことか分からずしばらく彼らの会話に耳を傾けました。
すると、英語の賛美歌の歌詞のことだったのです。
以下にその歌詞を引用します。(YouTubeの素敵な動画がこちらから見られます)

Oh, come, all ye faithful, joyful and triumphant,
Oh, come ye, oh, come ye, to Bethlehem.
Come and behold Him, born the King of angels;
Oh, come, let us adore Him, oh, come, let us adore Him,
Oh come, let us adore Him, Christ the Lord.


太字の部分、確かに「オオカミ」「レタス」と聞こえます。
そう言えば、私も小学生の頃、「ウサギおいし かの山」と歌ったとき、
「うさぎおいしい」と読んでとても面白がっていた記憶があります。


中1のとき英語部に入り、文化祭で英語劇をやったのですが、私は後ろで英語の歌をメドレーで何曲も歌いました。そのとき歌った Red River Valley (赤い河の谷間)や Home Sweet Home (埴生の宿)、 Old Folks at Home (スワニー河)などは、その後エスペラント語で覚えた「サンタルチア」とともにいまだに覚えています。


歌がきっかけで英語が好きになったという話をよく聞きます。
20年間、成人英会話クラスに通ってくださったKさんも、やはり高校のときの英語の先生がクラスのたびに英語の歌を教えてくれて、それが楽しくて英語が大好きになったとおっしゃっていました。
この成人英会話クラスでも、英語の歌はたくさん歌いました。
何かちょっとしたことがきっかけで英語が好きになったということはよくあります。
今、英語が苦手だからといって、決してあきらめてはいけません。
英語の歌でも、映画でも、ゲームでも、マンガでも、雑誌でも何でもいいのです。
自分に興味のあることと、苦手な英語やその他の教科に接点はないかと探してみると、案外いくつも見つかるものです。
「オオカミ レタス」も英語が好きになるきっかけになるかもしれません。


何事も決してあきらめてはいけません。
チャンスはいつでも巡ってきます。


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必殺「仕分け人」

2009.11.26日

毎日のように仕分け事業のことが新聞やテレビのニュースの話題になっています。
多くの報道陣が入って映像を一般の人々にテレビで見せているため、パフォーマンスだと非難している人もいます。
しかし、無駄を見つけてカットするという仕分け事業は素晴らしいことだと思います。
ただ、政治・経済・社会・文化・科学技術といった日本の将来を左右するような大きな問題を、こんな短時間に流れ作業のようにしてどんどん処理していって、本当に将来「歴史という法廷に立つ覚悟があるのか」というノーベル化学賞受賞者の野依良治さんの抗議に私も同意見です。
また、今日の読売新聞1面の記事「ノーベル賞受賞者ら『理解できぬ』」にある仕分けに対する批判は、まことに的を射ていると思います。


さて、仕分け事業で無駄をカットするのはいいことですが、その動機が今回の衆院選での民主党の売りだった「子ども手当て」「高校無償化」「高速道路無料化」などの目玉政策を実現するための方策であるとするならちょっと問題です。(「子ども手当て、高校無償化 その1」「子ども手当て、高校無償化 その2」を参照)
つまり、初めに「目玉政策実現ありき」となり、そのために何が何でも財源が必要だからほかをカットする、ということになってしまうのです。
それを言うなら、同様に「子ども手当て」「高校無償化」「高速道路無料化」なども仕分け作業が必要なのではないでしょうか。
自分たちの考えが絶対と考えて、他者の意見に耳を傾けないのは危険です。
現に、上に挙げた民主党の目玉政策に関しては反対意見を持っている人も大勢いますし、しかも税金の問題が絡んできて、国民みんなに大いに関係してくるからです。
とは言え、これまで自民党政権の下で何十年もの間、闇に覆われていた部分に光が当てられ、この問題に国民の目が注がれるようになったことは評価されるべきです。


私は毎日のようにこの仕分け事業のニュースを見ていて、ふと考えました。
私たちの生活にもたくさんの無駄があるのではないか、と。
私たちも必殺「仕分け人」になって、生活のいろいろな部分にズバッとメスを入れ、無駄を省いて効率を上げ、また必要なところにカットしたものを注入することが大切だと思うのです。
お金と時間の使い方などその最たるものではないでしょうか。


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日本とアメリカ

2009.11.25日

先日、個別で中2のT君に英語を教えていたとき、英語と日本語の語順が正反対になっていることを指摘しました。
T君は英語は好きで、結構得意です。今は英検3級受験のための勉強をしていますが、1回目の授業の時には歯が立たなくてかなり落ち込んでいたのですが、その後毎回目に見えて力をつけてきています。
彼は英語に対しての勘がよく、会話問題やリスニング問題はめっぽう強いのですが、文法が少し苦手です。
本人もその点をよく自覚しています。
そこで英語と日本語の語順の違いを教えたわけです。


印象づけるためにわざとおおげさにその違いを強調して次のように言いました。
「日本の国旗には何がある?」
「日の丸で、太陽です」
「そう。じゃあ、アメリカの国旗には何がある?」
「星です」
「そう。日本が昼で太陽が出ているとき、アメリカでは夜で星が出てるでしょう」
「あっ、そうか!」
T君がものすごく感激してくれました。
そこで続いて言いました。
「日本では材木を切るとき、のこぎりは引く、それとも押す?」
「引きます」
「そう。でもアメリカではのこぎりは押して切るんだよ」
「えっ、そうなんですか!?」
「日本では車は道路のどちら側を走る」
「左です。あっ、アメリカは右側通行だ!」
「日本でアメリカのことを漢字二文字で何て言う?」
「米国です」
「じゃあ、アメリカで日本のことを英語で何て言う?」
「ジャパンです」
「米を食べる日本がジャパンってパンが入っていて、パンを食べるアメリカを米国って言って米が入っているでしょ」
「う〜ん...」


この一件があってから、気のせいかT君の文法が飛躍的に伸びました。
昨日のクラスでは、これまで苦手としていた文法問題の語順整序がスラスラとできて、なんと全問正解!
これには本人もとても気をよくして、自信がもてるようになってきました。
T君、頑張れ!
英検3級合格まであと一歩だよ。


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子ども手当て、高校無償化 その2

2009.11.24日

(前稿からの続き)
そこで、現金支給をやめてバウチャー制(クーポン券や商品引換券など)にしてはどうかという意見が出てきます。
中には教育費専用ということで、塾の授業料のクーポンにしてはどうかと言っている人もいます。
塾をやっている者にとってはありがたいご意見なのですが、これはちょっと行き過ぎでしょう。
子どものための手当てですから、それは別に塾専用や教育専用でなくてもいいはずです。
でも、貯蓄や遊興費に回されないようにバウチャーにするのはいい考えだと思います。
バウチャーの欠点は、クーポン券の印刷や発送など余分な費用がかかる点です。


次に、所得制限を設けるべきだという意見。
私自身はこの考えに賛成です。
しかし、菅直人国家戦略相は、所得を調べるためにかえって余計なお金がたくさんかかる、と言って所得制限導入を否定しています。


いずれにせよ、子ども手当ての財源を始め、問題は山積しています。
何か新しいことを始めようとすると、必ず賛否両論、得する人・損する人両方出てきますので、単純に唯一絶対の策というのはあり得ません。痛みわけも必要でしょう。


高校無償化については、昨日の読売新聞1面の「地球を読む」のシリーズに山崎正和氏が『「何となく進学」の弊害』と題して、投稿しておられます。(山崎氏は私の波長の合う人のひとりです)
同氏はこの中で、98%が高校に進学する今、高校無償化はただ「みんなが行くから進学する」生徒を増やすだけで、惰性になるだけだと警告しています。
さらに続けて次のようにも言っています。
学問が好きで能力もあるが、貧しくて高校に進学できないという生徒のためには、授業料免除だけでなく、生活を助ける奨学金も与えるべきだ。
そして、料理や美容やファッション関係の手仕事の訓練を希望する若者のためにも、教育クーポンを出してはどうか。
これこそ本当の意味での公平で、一考に価します。
ただ、これもかなりの経費がかかります。


マニフェストでうたったからやみくもに何が何でもそれを実行する、というような偏狭な考え方ではなく、もっといろいろな人の意見を聞いて、議論を尽くして結果を出すべきではないでしょうか。
それと大切なのは、大局的な視点から物事を見るということです。
将来、政権与党が民主党から自民党に替わったとしても、継続できる、誰もが納得できるような政策が必要です。でないと、政権が替わるたびに政策がコロコロ変わり、国民は引っぱり回されます。
目先のことにとらわれていると、あとになって必ず後悔することになります。
ですから政治家任せにするのではなく、私たち国民一人ひとりが関心を持ち、成り行きをしっかりと見つめ、意見しなければなりません。
(思わず力が入って長くなってしまいました。最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。ご参考の一助としていただければ感謝です)


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子ども手当て、高校無償化 その1

2009.11.24日

民主党政権になって、今までの児童手当(月額5000円もしくは10000円)に代わって子ども手当て(初年度13000円、2年目以降26000円)が来年から支給されることになります。
国民みんなの大きな関心事です。
なぜなら、子どもがいようがいまいが、国民全員にかかわる問題だからです。


子ども手当ての導入によって自分の収入が増えるか減るか、を問題にしている人が多いです。
これに関しては、当然のことながら該当年齢の子どものいる家庭にとっては収入は増え、そうでない家庭にとっては増税となり収入は減ります。
民主党は、少子高齢化の時代なので、増税になる人たちも痛み分けして子育て家庭のために協力してほしい、と言っています。
これはこれで正しい考え方です。
しかし、アンケートの結果を見ると、子ども手当てが支給されたからといって子どもを生むと答えた人は極少数派です。
ということは、子ども手当てを支給したところで、少子化の対策にはあまりならないということです。


次に問題になっているのが、子ども手当ての使い道です。
アンケートによると、ほとんどの人が貯蓄に回す、次に生活費に使う、そして最後に子どもの教育費に使う、と答えているようです。
先行き不透明で、100年に1度の不景気な今の時代ですから、貯蓄に回すのも、生活費に使うのもいいでしょう。
間違ったことではありません。子どものいる家庭の助けになるならば、それはそれでいいと思います。
教育費に関しては、民間調査会社「日本リサーチセンター」がまとめた調査によると、比較的所得の低い層で貯蓄や生活費に使う、高所得層で塾通いなどに充てるとする回答が目立った、ということで将来の学力や教養などの格差を助長する可能性があると同センターは指摘しています。
まあ、これは最初から十分予測できた結果です。
使い道でもうひとつ問題なのは、貯蓄や生活費、教育費に使われればまだいいのですが、中には親のパチンコ・競輪・競馬などのギャンブル代、酒・タバコ代などに使われるのではないか、という点です。
これは大いに考えられることです。
そして、本当に問題だと思います。
現金支給なので、親が子ども手当てをどのように使おうが誰にもわかりません。
年額31万2000円の子ども手当ては、子どもが4人いる家庭では15年間貯蓄に回すと、なんと1872万円になり、国内の多くの地域で新築の家1軒が建てられることになります。
子どものいない家庭の支払う税金で、子どものいる家庭の家が建つ。これはやはり不公平でしょう。
ただ、民主党政権が続こうが続くまいが、15年間も子ども手当てが続くことはまずないでしょうから、これを当てにしてローンを組んだりしたら、今度は自己破産や銀行の不良債権がまた増えるという副産物が生まれることになります。
取らぬ狸の皮算用はやめておきましょう。
(次稿に続く)


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流した涙の分だけ優しくなれる

2009.11.23日

「人は流した涙の分だけ優しくなれる」と言われています。
昨日のブログ「またいじめ...」に書いた記事を今もう1度読み返していて、上の言葉を思い出しました。


いじめのニュースを見るたびに、本当に胸が締めつけられる思いをします。
私自身、いじめられ陰で涙を流した経験があるので、いじめられている人の心の痛みがわかるような気がするのです。
いじめているほうはほんの軽い気持ちで、ふざけ半分でやっているのでしょうが、やられているほうとしてはたまったものじゃありません。
本当に死にたくなることもあります。
しかし、いじめられて死んじゃいけない、と記事の中で訴えました。
なぜなら、いじめられた人にしかわからない「貴重な経験」をしたからです。
その経験を活かして、いじめられている人の痛みを共有し、助ける、そのような新しい使命が与えられていると思うのです。
この世の中に、意味や目的のない人生、使命のない人などひとりもいません。
「いじめ」というつらい体験をプラスに変えられるなら、そしてそれが人を助けることになるのなら、こんな素晴らしいことはないではありませんか。


私の子どもも小学5・6年の頃いじめにあいました。
「びんぼー、びんぼー(貧乏)」と呼ばれ、からかわれ、随分つらい思いをしました。
それまでは本当に明るく、愉快な子どもでしたが、この頃から段々性格が変わってきました。
しかしその後、いじめていた張本人と親しくなり、その子のカウンセリング的なことをやるようになり、いまだに親交が続いています。
そして今、アメリカで心理学を学び、将来はカウンセラー的な仕事が向いているかな、と考えるようになりました。


私もアメリカでカウンセリングを学び、日本に戻ってきて施設や会社内でカウンセリングの仕事もしました。
「自分の気持ちをよくわかってくれる」と何人もの人から言われました。
また今でも塾の仕事をしていて、しょっちゅう生徒や父母の方のカウンセリングをしています。
やはり子どもの頃のいじめのつらい経験が活かされています。


しかし、「いじめられた、いじめられた」と言いながら、実は私自身も人生で1度人をいじめたことがあります。
中学2年のとき、クラスに在日朝鮮人のM君という子がいて、その子が少し変わっていてみんなで彼のことをからかっていました。
私もその仲間に加わって、いじめの側に回ったのです。
ほんの1年前には、自分がいじめられてつらい思いをしていたにもかかわらず。
このことも私のトラウマになっていて、45年たった今でも、彼のことを思い出すたびに心が痛み、「本当に悪かった。ごめんね、M君」とお詫びしています。
そして、今ごろはどうしているのだろうかと思いつつ、どこかで頑張って生きていてくれることをいつも心の中で祈っています。


いじめに限らず、たとえどのようなつらい経験でも、それはその人の人格を形成していき、やがていつかそれが人のため、世のために用いられる日が来ます。
「マイナスは必ずプラスに変えられる」と信じて、つらいトンネルの中でも出口の光を求めて一歩一歩前進していきましょう。


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またいじめ...

2009.11.22日

沖縄県で、中学2年生の男子生徒が同級生の8人から集団暴行を受けて亡くなった、といういじめのニュースが報道されています。
犠牲となった男子生徒の苦しみとそのご家族の無念さを思うと、心が張り裂けそうになります。
ここしばらくいじめのニュースを耳にしないな、と思っていた矢先でした。
毎回のことですが、このような事件が起きるたびに、前回の事件の教訓が生かされていなかった、という反省の声が聞かれます。


実は、私自身も子どもの頃いじめにあった経験があり、いじめられている子どもの悲痛な叫び声が耳に響くような気がします。
小学校の頃、私の名前が「譲二」と少し変わっていたため、同級生からいじめられました。
「ジョージ、ジョージ」と言っているうちに、いつの間にかそれが「ゾーリ」になりました。
私は親につけてもらった自分の名前に誇りをもっていましたが、それでもその名前ゆえにいじめられたときには親に「なんでもっと普通の名前をつけてくれなかったの?」と泣いて訴えたこともありました。
また赤い靴下を履いていたり、髪の毛を七三の横分けにしていたり、身体測定のときほかの男子がみんなデカパンを履いている中、私だけがブリーフを履いていたため、「女だ」と言っていじめられたこともありました。
このときも、親に「ぼくも普通の子が履いているパンツを履きたい」と懇願しました。
今から考えると他愛ないことなのですが、当時の私にとっては大問題でした。
小学5年生のときには、体育の時間に野球をやったのですが、野球のルールなどを一切教えられないままいきなりゲームをやることになり、バッターボックスに立っていた私に、いつもいじめる子が「舟田、走れ!走れ!」と大声で叫ぶので、私は何もわからないまま1塁の方に向かって走り始めました。
その瞬間、みんなが笑ってからかい、穴があったら入りたいほど恥ずかしい思いをしました。
このあと、公園でやっていた草野球の仲間に入れてもらい、野球はうまくなり大好きになりましたが。


中学のときも何度かいじめにあいました。
中1のときのいじめは陰湿でした。
同じクラスの2・3人から「どろぼう、どろぼう」と言われ、掃除の時間には「さぼるなよ」と何度も言われ、「ちゃんとやっている」と言うと、「さぼってるって誰が言った?さぼるなよって言ってるだけだ」とすごまれました。
段々エスカレートしていって、このときは追い詰められ、本当に死にたいとすら思いました。
いじめられていることを思い切って父に打ち明け、いじめている子の家に父についてきてもらって、「もうこれ以上いじめないでほしい」とありったけの勇気を振り絞って言いました。
それでいじめはやみました。
その後も、電車の駅のホームで上級生にからまれて裏に連れて行かれ、殴られそうになったことがありました。
このときは、別の上級生が見ていて、間に入ってきてくれて助けられました。
中3の修学旅行のときには旅館で、よそのクラスの子が私を彼の部屋に連れて行き、数人で私を取り囲み胸ぐらをつかんで「生意気だ」と言って殴りかかろうとしました。
このときも、部屋にいた別の子が「やめろ!」と言って間に入って助けてくれました。
その後も、同じメンバーの生徒がたびたび私のクラスに呼び出しに来ましたが、クラスの仲間がその都度助けてくれました。


私は別にいじめられっ子ではありませんでした。ごく普通の子です。明るくて、友達もたくさんいました。
それでもいじめられました。
そして、いまだに深い傷が心に残っています。


いじめは犯罪です。
沖縄の事件のようにいじめがエスカレートして、暴行で人を死なせることもあれば、自殺に追いやることもあります。
またその人を生涯トラウマで苦しませることもあります。
逆の立場で自分がいじめられるほうになったら、それがどれほど恐ろしいことかわかるはずです。
私の場合は、たまたま近くにいた人のお陰でその都度守られてきました。
いじめを目撃したら、みんなで協力していじめられている人を助けましょう。
またいじめられている人は、ひとりで悩まずに誰かに打ち明けて助けを求めましょう。
いじめている者に対して、死んでし返してやろうとすることは、親や家族、親しい友達を悲しませるだけで、正しい解決法ではありません。
いじめに対しては、やられている人も、周囲の気づいた人も、みんな勇気を持って立ち向かいましょう。


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教育は家庭から

2009.11.21日

今日の読売新聞13面に「時代の証言者 教育は家庭から始まる」という記事が載っていました。
筆者は元上智大学学長のヨゼフ・ピタウ氏。
「教育と信仰」というテーマでピタウ氏が連載しておられましたが、今日がその最終回でした。
その一部を下に引用します。


「日本の教育は、良い会社に入っていい給料をもらうための準備として、良い高校に入り、良い大学に入り − というものになってしまいました。
<経済協力開発機構(OECD)の調査では、日本の高校生の科学的応用力が2000年の2位から06年には6位へ。読解力は8位から15位へ、数学的応用力は1位から10位へと転落し、学力の低下が浮き彫りになった。また、国内総生産(GDP)に占める公的教育支出(04年ベース)が3.5%でOECD30か国中29位と低いことがわかった>
今、日本では教育再生が叫ばれていますが、主眼は、学力の向上ではないはずです。後退したとはいえ、 今でも日本の学力は世界のトップクラスです。それよりは、教育の本質に目を向けるべきでしょう。
教育とは、より良い人間を育てることです。苦しんでいる人や貧しい人を助けたいと考え、行動する人を育てることです。
教育は、学校からではなく、家庭から始まるのだということも忘れてはなりません。世界観、行動基準は、家庭で学ばずにどこで学べるというのでしょう」


日本という国は、学力が落ちた、というとすぐに教育再生で学力を上げよう、と目先のことにとらわれすぎだと思います。
日本の教育界は常に、まるで時計の振り子のように、右へ左へと大きく振れています。
これまでも、偏差値重視を反省して脱偏差値を目指し「ゆとり教育」を標榜してきたのに、学力が落ちからとすぐに教科書の内容を変え、授業時間数を増やしたり、また都立高校を始め公立高校の学力間格差が開いたといって推薦制度を見直したり、と対症療法ばかりです。
「ゆとり教育」をやれば学力が落ちるのは当たり前。
推薦入試制度(神奈川県の自己推薦も)の枠を広げれば、学力間格差が開くのも初めからわかりきったことです。
国内では秋田県が学力テストの結果が良かったというと、どこの教育委員会も秋田県に行ってやり方をまねようとし、フィンランドがOECDテストの結果が高いというと、猫も杓子もみんなフィンランドに教育視察に行ってその真似をしようとします。
良いお手本から学ぶというのは正しい姿勢です。また誤っている点は正すべきです。
しかしもっと大切なのは、国家百年の大計です。
どうも日本はすべての点において、他の国や都道府県、市町村、学校と比べて、いかにしてよそに負けないようにするかということにばかりに目を奪われて、長い目で大局的に物事を見るということが不得手のようです。
すなわち「本質」が見えていないのです。


上の記事の中で、ピタウ氏が言っているように、一番大切なのは、いかに学力を上げるか、という目先のことではなく、「教育の本質に目を向ける」ことであり、「より良い人間を育てること。苦しんでいる人や貧しい人を助けたいと考え、行動する人を育てること」です。
そして、それを教えることができるのは、まずは家庭です。
これこそ教育の本来の目的であるべきです。
それがわかると方法論はおのずとあとからついてきます。
さすがに偉大な教育者、カトリック者というのは、言うことが違います。
まったくの素人の私が言うのもおこがましいですが、正論です。
私もまったく同感です。
それはこれまでの私のブログを読んでいただいたらよくわかると思います。


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自分の持てる能力を最大限に

2009.11.20日

昨夜、というか今朝というか、夜中の1時から2時まで正人と話しました。
太平洋を越えて、さらに北米大陸の向こう側、東海岸のペンシルベニア州(ニューヨークと首都ワシントンの間に位置する)と平塚間の距離は約10900キロですが、インターネットを通じた1時間にわたる会話は、skypeでなんと無料です。
時代の変遷を感じました。
私が留学していた今から36年前は、国際電話なんて高くて考えられませんでした。
封書の航空便が当時確か240円、航空書簡が120円(現在は90円)で、届くのに1週間から10日かかっていました。
家族や友人から届く郵便物を首を長くして、毎日郵便受けの中を何度も見に行っていました。
それが今や、メールやチャット、skypeで、無料でしかもリアルタイムで会話ができます。
よくニュースなどで見られる、海外リポーターとの会話のタイムラグ(1秒足らずの時間のずれ)もほとんど感じられません。


正人は先日の「正人のアメリカリポート その1」の中に書いているように、とても元気な様子で、有意義な日々を過ごしています。
あちらの気候のこと、毎日の食事のことや、友達のこと、大学生活のこと、来年以降のことなど、いろいろと話がはずみました。
アメリカの大学は高校を卒業したばかりの学生だけでなく、一般社会人も大勢学びに来ています。
そのような中で、勉強のほうは、今まで経験したことないほど一生懸命やっているようです。
私たちは、成績のことはあまり気にしなくていいから、ゆったりとした気持ちで、むしろアメリカでの生活を楽しむようにと言っているのですが、本人はかなり気合を入れて勉強に取り組んでいる様子です。


かつて私がタルボット神学校(バイオラ大学大学院)で学んでいたとき、朝のチャペルでDr. Hunter (ハンター教授)が次のように語りました。
「君たちはみんな成績を気にしすぎる。大学・大学院を卒業して社会に出て、君たちの学校での成績を問うところなんてどこにもない。
頑張って良い成績を取ろうとすること自体は悪いことではないが、何よりも大切なのは、自分の能力に応じた努力をすることである。
聖書の中にタラント(日本語では「タレント」で、才能のこと)のたとえがあるが、人が持って生まれた才能はみんな一人ひとり違う。
問題は、才能がどれだけあるかではなく、与えられた才能をいかに最大限に発揮するかだ」
ハンター教授は厳しい先生で、毎週のテストやレポート、試験のほか課題図書の数も半端じゃなかったので、私などはかなり苦労していたのですが、この先生から上の言葉を聞いて私はどれほど肩の荷が下りたことか。
そうだ、成績のために勉強するんじゃないんだ、と目からうろこが落ちたような思いをしました。
(ちなみに、この「目からうろこが落ちる」という私たちが日常よく使う表現も聖書の言葉です)


勉強だけではありません。仕事でもなんでもそうですが、無理をする必要はありません。
大切なのは「自分の持てる能力を最大限に」活かす、ということです。


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a と the は英語のABCでXYZ

2009.11.19日

一昨日、中学生と高校生に個別で英語を教えていて、a と the を扱いました。
a と the というと、英語の基本中の基本で、中学1年の最初に習います。
初めて出てきた名詞には a をつけ、2回目以降は the をつけると教えます。
確かにそのとおりなのですが、実はそれほど単純ではありません。
a と the は実に奥が深いのです。
アメリカ人など、ネイティヴスピーカーが日本人の英語を聞いていて、あるいは日本人の書いた英語を見て、その人の英語の実力が即座にわかるのが、a と the の使い分けです。


たとえば、中1の英語の教科書に次のような文が出てきます。
This is Ms Matsumoto. (こちらは松本さんで)
She lives with a dog. (彼女は犬と一緒に暮らしています)
The dog helps her. (その犬は彼女を助けます)
でもこの場合、普通最後の文は、
It (He, She) helps her.
のように代名詞で言い換えます。
また、ワークにも
I have a dog. (私は犬を飼っています)
I like the dog. (私はその犬が好きです)
のような文が出てきますが、これも同様に下の文は、
I like him (her).
と言います。


日本の学校では「ピアノを弾く」と言うときには、
play the piano
と言って、楽器には必ず the をつける、と教えます。
ですから、学校のテストでもし play a piano と書いたら必ずバツになります。
しかし実際には、play a piano ということも可能なのです。
どのような状況でそのように言うかというと、楽器店に行ってヤマハやカワイやスタインウェイなどいろいろある中で、試しに1台弾いてみる、というのであれば当然 play a piano と言います。
それではなぜ「ピアノを弾く」と言うとき play the piano のように the をつけるかと言うと、楽器というのは一般的に自分専用でいつも決まったものを弾くからです。
私は生徒にこのように教えます。
「このクラスでピアノを弾く人誰?
うん、じゃあ、〇〇さんに聞くけど、明日学校から家に帰ってピアノを弾くとき、隣の家のチャイムをピンポーンって鳴らして、おじゃましますって家の中に入っていって、隣の家のピアノを弾く?
学校の音楽の時間にリコーダーを持って行くのを忘れたとき、隣のクラスの友達のところに行って、リコーダー貸してって言って、友達は貸してくれる?
君たちだって自分のリコーダーを人に貸したくないでしょ?
楽器を演奏するというとき、普通は自分の楽器を演奏するから英語では楽器に the をつけるんだよ。
コンサートなんかでピアノを弾く場合は、もちろん自分のピアノを持っていくわけには行かないから、会場にある大きなグランドピアノを弾くんだけど、これもそこにあるただ1台のピアノという意味で play the piano って言う」
このように説明すると生徒は納得して、以後必ず play the piano と書きます。丸暗記して書いているのではありません。


このほか、「学校に行く」は go to school、「教会に行く」は go to church、「寝る」は go to bed 、というように、冠詞の a や the はつけませんが、この場合はそれぞれ、「学校に勉強しに行く」、「教会に礼拝に行く」、「ベッドに寝に行く」からで、ベッドに置いてある本を取りに行くのであれば、go to the bed、学校に忘れた携帯を取りに行く場合は go to my school と言います。


「駅で会おう」とか「図書館で友達に会った」という場合も、the station や the library のように the をつけますが、これは話し手と聞き手の間で、どの駅、どこの図書館、ということが共通の理解となっているからです。
もし、Let's meet at a station と言ったら、どこの駅で会っていいのかわかりません。


意味を理解せずに、ただ play the piano、go to school、meet at the station と言っているのと、理由がわかって言っているのとでは、応用力で差が出てきます。
このように、a と the の使い分けは、英語の入門(ABC)であり、同時に卒業(XYZ)でもあるのです。


勉強は「暗記ではない」、「理屈を理解する」ことが大切なのです。


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卒塾生に会いました

2009.11.18日

今日、平塚市内で1番大きく、また評判のよいY眼科に検査に行ってきました。
暗室に案内され、機械を使って視野を検査するとき、検査担当の女性の方が、
「アカデミー学院の先生ですよね。私も妹も前にアカデミーに通っていたんですよ」
と言いました。
「えっ?本当?名前は?」
「AKです」
「ああ、Kさん覚えているよ。確か広川に住んでいたんだよね」
「覚えていらっしゃいましたか?」


検査が終って顔を見たのですが、インフルエンザ対策でマスクをしていらっしゃるので、顔があまりわかりませんでした。
その場で妹さんの名前がさっと出てくればよかったのですが、医院を出て車に乗ってからお二人のことが突然、よみがえってきました。
そうだ、妹さんはAさんと2つ違いのMさんだ。
塾の中でも美人姉妹ということで有名でした。
思い出をたどると、Aさんは今23歳。Mさん21歳。
Y眼科はとても大きくて、医師も看護師もたくさんいます。
その中で立派に仕事をしていらっしゃるのを見て、本当に嬉しくなりました。


とくに幼稚園や小学1年生の頃から長い間教えている生徒の成長振りを見ると、ついつい目を細めてしまいます。
小学生を教えているとき、ふと手を見ると、もみじのような可愛い手。
この小さな、可愛い手を見ると、ああそうなんだ、この子は小学生なんだ、と改めて驚きます。
ところが、昨夜教えたF君のように、高校生になるとその体の大きいこと。
横に座っているだけで、ものすごく存在感があります。
中学の頃までは私よりも小柄だったF君も、今では私より一回りも二回りも大きくなりました。あの気弱で、もみじのような手をしていたF君が...。


ショッピングセンターやレストラン、ホームセンター、スーパーなどで、バイトをしている卒塾生に出会うと、ほんとにまぶしく見えます。
まるでわが子の成長を見るように嬉しくなります。
子どもたちの人生の一部になれたことを誇りに思います。
ああ、塾というのは本当にいい仕事だなぁ、いや、こんないい仕事がほかにあるだろうか、と心から感謝した次第です。


Aさん、引き続き仕事頑張ってね。


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物事の本質を見抜く力

2009.11.17日

今晩の個別のクラスで、久し振りに高校2年生のF君に英語を教えました。
彼は小学生の頃からアカデミーに通ってくれています。
苦手だった英語もずいぶんできるようになってきていて、とても嬉しく思いました。
ただ、ひとつ残念だったのは、
「ぼくはいつでもその場しのぎの勉強法です」
と言ったことです。
「その場しのぎ」の勉強法とは、毎回の定期テストの範囲だけ、とりあえず暗記して点を取り、終わったらきれいさっぱり忘れてしまう、というやり方です。
そこで、今日は彼に英語を教えながら、いくつかの例を挙げて正しい勉強法も一緒に教えました。
一つひとつのことがわかるようになってくると、彼の目が輝いて、ニコニコしながら、
「なるほど、そういうことだったのか!」
と納得してくれたようでした。


F君のような勉強法をしている人は多いです。というか、ほとんどの人の勉強法がそうなのではないでしょうか。
私自身も中学・高校の頃はそうでしたから。
「とりあえず試験のために覚える」というその場しのぎの勉強法は、結局のところ「労多くして功少なし」(苦労の割には効果が少ない)です。
勉強とは、テクニックではありません。テクニックに頼っているうちは必ずどこかで頭を打ちます。
大切なのは、「物事の本質を見抜く力」を養うことです。


少し前のことですが、実際にアメリカであったことです。
ある配送センターの倉庫で、数多くのベルトコンベヤーがいきなり全部動かなくなりました。
責任者は真っ青です。
ベルトコンベヤーは配送センターの生命線だからです。(今日ではシステムはすっかり変わっています)
そこで、責任者はベルトコンベヤーのメンテナンス会社に急いで電話しました。
技術者が来るまでの間、倉庫で働いていた人たちは手が止まり、心臓も止まる思いでいました。
しばらくして技術者が到着しました。
彼は、ベルトコンベヤーを制御しているコントローラーの蓋を開けると、いくつか点検し、数多くあるネジの中からひとつを選び、ドライバーでほんの5ミリほど回しました。
その瞬間、倉庫内のベルトコンベヤーが全部動き始めました。
倉庫の責任者は技術者にお礼を言いました。
「あなたは私の命を救ってくれましたよ。いくらお支払いすればいいですか?」
すると技術者が答えました。
「1万ドル(100万円)です」  (当時の換算レートでは250万円ぐらい)
「えっ!でもここに着いてまだほんの5〜6分しかたってないでしょう?」
「そうですよ。じゃあ、内訳を請求書に書きましょう。
ネジを回した技術料は1ドル(100円)。
どのネジを回したらよいか見抜いた技術料が9999ドル(99万9900円)」
責任者はこれを聞いて大いに納得し、喜んで1万ドル支払ったそうです。


大切なのは、ネジを5ミリ回す技術ではなく、問題の本質を見抜く力なのです。


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ビタミンA,B,C,D,E,F,G

2009.11.16日

ビタミンというと、ほとんどの人がA,B,Cぐらいまでは知っているのですが、そのあとずっと続いていることはあまり知りません。
実は、D,E,F,I,J,K,L,M,N,O,P,Q,T,U,Vなどがあります。
ビタミンBにいたってはB1,B2,...B17,BH,BP,BT,BXなどたくさんあります。
ビタミンGはないようですが、かつて成長因子として知られていたビタミンB2(ビオフラビン)が成長の頭文字を取ってビタミンGと呼ばれていたことがあるそうです。


日本ではビタミンは薬の1種のように思っている人が多いようです。
実際には、ビタミンは果物や野菜、その他の食品から抽出されたエッセンスのようなもので、薬ではありません。


アメリカでの留学を終えて帰国するとき、途中ハワイに立ち寄りました。
そしてハワイに在住していた叔母夫婦に会い、食事をご馳走してもらいました。
そのとき、叔母が手のひらいっぱいのビタミンを服んでいるのを見て、正直とても驚きました。
私もアメリカにいたときビタミンは服んでいましたが、あれほど大量に服んだことはありませんでした。


帰国後、環境の変化や仕事のストレスなどから体調を壊し、病気ばかりしていました。(「感謝の心 2」
その頃、成人英会話クラスに来てくださっていたひとりの方からビタミン療法を薦められ、私も始めることになりました。
そして、それ以来20年近く20種類以上のビタミン剤やミネラル等をかなりの量、毎日服用しています。
子どもの頃からいろいろと病気な病気を経験してきていたのに、今ではとても健康になりました。
このようにして、私もビタミンの信奉者になったのです。


昨日のブログに書きました柿谷寿美江先生もガンの治療法として、毎週2回、大量のビタミン投与を受けていらっしゃいます。
寿美江先生はこのほか、いいと思われることはあらゆることを行っているそうです。


いいと言われることは何でもやってみる、という姿勢が大切なのです。
私自身もこれまで、健康に限らず、頭に良いこと、精神に良いこと、人間関係に良いことなど、人から教えられたことはありとあらゆることを実践してきています。


先週、ブログの愛読者のおひとりから次のようなメールをいただきました。
「いつも『元気の出るブログ』を拝見しています。
読むたびに、元気が出たり、感心したり、感嘆の声が思わず出たり・・です。
息子は自分で自分のことを『舟田信者』と言っていますが私もそうかもしれません。
今日あらためて意見・感想を書こうと思ったのは心が弱っているからかもしれません。
3月20日のマザーテレサのお話は、ブログで読んだときに涙が出ました。
私は人と言い争いをするのが苦手です。嫌いです。相手が間違っていると思っても、相手の言い分を察しているうちに謝るか黙ってしまいます。ですから私に喧嘩を売ってくる人に出会うこともありませんでした。
しかし、とうとう出会ってしまいました。とても傷つきました。そんなとき、マザーテレサの言葉を読んだのです。
唯一の喧嘩の売人は身近な人なので買うことはできません。
辛らつな言葉で不満をぶつけてくるので逃げられませんし、腹立たしいのですが、深呼吸をさりげなく繰り返しやり過ごしています。
3月20日のページはプリントアウトして私の机の前に貼ってあります。
今日も深いため息をつきながら、どうすればよかったんだろう、これでよかったのか・・と『言葉』を読み返し、心の中で消化(昇華)させます。
先生のブログは私の精神安定剤になっています。
正人先生がお元気そうなのも、私にとっては明るい気持ちになれました。
これからもよろしくお願いします」


私のブログが精神安定剤になっているとのこと。ありがとうございます。
少しでもお役に立てているなら本望です。


体と心と頭脳を健康にするいろいろなビタミンがたくさんありますが、中でももっとも大切なのは、
ビタミンT(愛)です。


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余命6か月!

2009.11.15日

去る10月18日のブログ「幸せって何だっけ」に書きました柿谷寿美江先生のその後のことがずっと気がかりでした。
そして今日、柿谷正期先生が牧会される湘南見附キリスト教会の礼拝に妻と一緒に出かけてきました。


礼拝のメッセージは、「祈りは聞かれる」という内容のものでした。
柿谷牧師は、神様が祈りに応えられる4つの方法を語られました。
1つ目は、私たちの祈りが願いどおりの形で応えられる。
2つ目は、神様が私たちの最善のために、私たちの願いとは異なる形で応えられる。
3つ目は、祈りに対して自分の希望するのと違うタイミングで応えられる。
4つ目は、祈りに対して自分の希望するのと違う方法で応えられる。


私はメッセージを聞きながら、一番前の席に座っていらっしゃる寿美江先生のことが気がかりでなりませんでした。寿美江先生はどのような気持ちでこれを聞いていらっしゃるのだろうかと。


礼拝が終わり、寿美江先生とようやくお話できました。
脳腫瘍で手術を受けられたとはまったく思えないほどお元気です。
そこへ柿谷先生がやってきて、笑いながらおっしゃいました。
「あっはっは。余命6か月ですよ!」
そう、寿美江先生のホームページには確かに余命6か月と書いてありました。
それなのにこの明るさはいったい何なのだ!?


礼拝後のお茶の時間に寿美江先生とゆっくりお話しすることができました。
放射線療法と抗がん剤治療を拒否して退院されたのですが、それが正しい選択だった、アメリカの政府はこの2つの療法を効果がないと断言しているとおっしゃるのです。
そして今は、気功や岩盤浴、ビタミン療法、食事療法などを実践していらっしゃるのです。
この後、寿美江先生のお父さまとお話しました。
「この間の検査でがん細胞が消えていたのですよ。
医者がこのようなケースは初めてだ。考えられないと言っているんです。
お祈りのお陰です。本当にありがとうございます」
お母さまも、
「一時はどうなるものかと思っていたけど、今こうして、礼拝に一緒に座っているのを見て信じられないくらいで、涙が出てきますよ」
とおっしゃっていました。


神様が本当に祈りに応えてくださったのです。
しかも明確な癒しという方法で。
私も息子たちに寿美江先生のために祈ってくれと頼み、毎日祈っていたのですが、ほかにも数多くの人が祈っていました。
私たちも嬉しくて涙が出てくるほどでした。


柿谷先生がメッセージの最後に読まれた、ニューヨーク大学のリハビリテーション研究所の壁に刻まれた一患者の「応えられた祈り」を下に引用します。
「大事をなそうとして力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと弱さを授かった。
より偉大なことができるように健康を求めたのに
より良きことができるようにと病弱を与えられた。
幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった。
世の人びとの賞賛を得ようとして権力を求めたのに
神の前にひざまづくようにと弱さを授かった。
人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにといのちを授かった。
求めたものはひとつとして与えられなかったが
願いはすべて聞きとどけられた。
神のみこころに添わぬ者であるにかかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた。
私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ」


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Happy Birthday, Masato!

2009.11.14日

今日は正人の誕生日でした。
朝起きると、正人から次のようなメールが入っていました。
「いろいろ問題もかけてきたし、まだ成熟した大人には程遠いけど、今の自分のことを好きでいられてます。
24年間、どうもありがとう」


私は返事を書き送りました。
「こちらこそ、24年間、本当にありがとう。数え切れないほどたくさんの素敵な思い出を正人はパパたちにくれたよ。それだけでも本当に感謝」


親は子どもを育てているつもりでいますが、実は育てられているのは親だ、ということを今日、強く思いました。
先日のブログ「手をかけるな、心をかけよ」でも書きましたが、本当に子育ては難しいものです。
私も今振り返ってみると、子育てでたくさんの失敗をしてきたと思います。
でも、自分としてはそのときどき一生懸命やってきたつもりです。


そして気づくと、実は自分が子どもを育ててきたのではない、自分は子どもに育てられてきたのです。
子どもに与えたと思う以上にたくさんのものを子どもから与えられ、教えたと思う以上に多くのことを子どもから教えられ、生きる力の源泉をもらってきたように感じます。
中学の国語の時間に習った山上憶良の
「銀も金も玉も何せむに、優れる宝子にしかめやも」
(しろかねも くがねもたまも なにせむに、まされるたからこに しかめやも)
の歌を思い出しました。
自分が子どもの時には理解できなかった歌が、今、自分のものになったような気がします。
考えてみれば、こうやって何百、何千世代にもわたって、脈々と命が受け継がれて、今日の自分があり、子どもがあるのですね。
人生って素晴らしいじゃありませんか。


Happy Birthday, Masato!
そして、心からありがとう!


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ものを大切に

2009.11.13日

日本は総じて「使い捨て」の文化です。
一番顕著な例は住宅です。
日本の住宅の平均寿命は27年と言われています。実際のところ、27年も住んでいると、周りの家がどんどん新しくなり、肩身の狭い思いをしたりします。
これに対して、ドイツは79年、フランスは86年。使い捨て文化の象徴のように思われているアメリカはなんと103年です。そしてイギリスにいたっては141年。日本の5倍以上も長く住んでいるのです。
日本で140年もたった家といったら、それこそ天然記念物かというほどで、まずめったに見ません。


img_23931.jpg


上の写真が築140年の京都の町家です。


車のモデルチェンジのサイクルも欧米と比べて日本は半分ぐらいと言われています。
日本では走行距離10万キロというとものすごく長く乗ったという感じですが、アメリカでは10万マイル、すなわち16万キロはざらで、中古車市場はほとんどがこれ以上です。


このほか、電化製品や携帯電話など、ほとんどのものが毎年、新製品が発売され、みんな新しいものにすぐに飛びつきます。
そして今まで使っていたものは捨てます。まだまだ使えるのに。
もったいない、もったいない。


滋賀県では3年前の知事選挙のとき、「もったいないを活かす滋賀県政」をスローガンにした嘉田由紀子氏が当選しましたが、同氏は徹底した倹約家で、ものを大切にする人です。
受け取った封筒を開いて裏返しにして再利用する、ほど徹底しています。
結構ものを大切にする倹約家の私でも、嘉田氏には足元にも及びません。


さて、ものを大切にすることはとても大事なことなのですが、その結果、たとえば子どもが何かものを壊したときの親の叱り方が私にはとても気になります。
子どもは大人と違って不注意で、誤ってものを壊すことは当たり前なのです。
ところが、親は烈火のごとく怒り、子どもの心を傷つけるほどにまで怒鳴って叱りつけることがよくあります。
このような光景を目にすると、私は次のように親に尋ねたいという思いに駆られます。
「ものと子どもとどちらが大切?」
いくら「ものを大切に」と言っても、子どもがものを壊したからと、子どもの心を傷つけるような叱り方をするのは考えものです。
ものは壊れれば買い換えることができますが、子どもの心はそうはいきません。


「ものを大切に」
でも「人の心はもっと大切に」


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できない理由

2009.11.12日

人はみんな「できない理由」を考えるのが上手です。
何か新しいことをしようと思うと、「できない理由」が次々と頭に浮かんできます。
企業でも、学校でも、病院でも、政府や地方自治体でも、およそ組織だったところでは、今までと違うことを何かするとき、必ずと言っていいほど「できない理由」を並べ立てる人が出てきます。
家庭においても、あるいは個人でも、やはり「できない理由」がたくさん見つかります。
そのような時、たいがい「できない理由」に圧倒されて、意気消沈してしまいます。
そして、やっぱり無理なんだ、と結論してしまいます。


たとえば、中学生が高校受験を考える時、行きたい高校が見つかっても、「○○だから自分には無理」と「できない理由」を見つけます。
将来なりたい職業を見つけても、やはり同じ。
マンネリになっている夫婦が関係を修復したいと思っても、やっぱり無理。
体の弱い人や病気の人は健康になりたいと思いますが、不可能。
自分の好きな人ができても、自分には無理。
不可能、無理と、「できない理由」がいくつでも見つかります。


このような時どうすればいいのでしょうか?
見つかった「できない理由」に対して、一つひとつ「なぜできないのか」を考えます。
次に、その一つひとつに対して、「どのようにしたらできるか」、別の角度からもう一度見てみます。
そうすると、不思議なように次々と「できる理由」が見つかるようになります。
そして、たいがいのことは「できる」ようになるのです。


私はこれまで、このやり方で、「絶対に不可能」と思われることをいくつもやってくることができました。
別に私に特別な能力があるからではありません。
発想の転換で、「できる」と考えると、本当にできるようになるのです。
考えてみれば、新しいものが発明されるときはまさにそうです。
つい最近、掃除機で有名なイギリスのダイソン社が、羽根のない扇風機を発明したとニュースで報じられました。
以前このブログ「考え得ることは...」でも書きましたが、人が頭の中で考えることは、まずほとんどのケース実現可能です。


この次、何かしようとする時、「できない理由」が見つかったら、それに負けないほど「できる理由」をたくさん探してみましょう。
きっとあなたにもできます。


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森繁久弥さん逝去

2009.11.11日

今日の朝刊第1面の「森繁久弥さん死去」の大きな文字が目に飛び込んできました。
96歳。大往生です。
国民みんなから愛され、尊敬され、そして惜しまれて逝かれました。


読売新聞朝刊の編集手帳の一部を引用します。
「芝居が始まったのに、その少女は客席の最前列で頭を垂れ、居眠りをしている。『屋根の上のヴァイオリン弾き』九州公演でのことである。
◆森繁久弥さんをはじめ俳優たちは面白くない。起こせ、起こせ・・・。そばで演技するとき、一同は床を音高く踏み鳴らしたが、ついに目を覚まさなかった。
◆アンコールの幕があがり、少女は初めて顔を上げた。両目が閉じられていた。居眠りと見えたのは、盲目の人が全神経を耳に集め、芝居を心眼に映そうとする姿であったと知る。心ない仕打ちを恥じ、森繁さんは舞台の上で泣いたという (後略)」


森繁久弥といえば、押しも押されもしない、日本を代表する最高の俳優。
この人が、ひとりの盲目の少女に対して、居眠りをしていたと勘違いしたことを恥じて、舞台の上で泣く。
これだけで、森繁久弥という人物がどれほど偉大だったかがわかります。
先日のブログ「カーソナリティ」「実るほど頭を垂れる稲穂かな」でも書きましたが、偉大な人ほど謙虚なのです。


自分が偉いと思っていると、他人に対して横柄な態度になります。
そして、横柄な態度を取るということ自体が、その人の低い人間性を表しています。
私たちはこのような横柄な人に出会うと、とかく腹立ちを覚え、ひとこと言ってやりたくなるものです。
「おっと危ない」
このことが取りも直さず、また横柄なのです。
身の程をわきまえて、自分を隠し、人を立てたいものです。


サービス精神満点で、多くの人に夢と希望と喜びを与え、素晴らしい人生を全うされた森繁さん、ありがとうございました。
そしてお疲れさまでした。


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備えあれば憂いなし

2009.11.10日

昨日の朝、犬の散歩に出かけ金目川沿いのサイクリングロードを歩いていたら、川で河床改善・護岸工事をしていました。
最近、雨がほとんど降っていなくて、川に水はほとんど流れていません。
以前、大雨が降ったとき、橋のすぐ下のところまで水位が上がり、サイクリングロードの一部が冠水したことがありました。
20数年ここ平塚に住んでいてそのようなことはほんの数回しかありません。
普段はほとんど水が流れていない川ですが、そのようなときに護岸工事をしているのです。
これを「備えあれば憂いなし」と言います。


私が小学生の頃住んでいた家は、小さな古い借家でした。
その頃の生活の様子を「不景気なときの最高の投資」に書きました。
古い家だったので、雨戸もついていませんでした。
それで台風が来ると、父が雨の中、外に出て、ベニヤ板や少し厚手の板の切れ端を窓や玄関の戸の上から釘で打ちつけていました。
当時、台風が来るとよく瓦が飛んで、窓に当たるとガラスを割って家の中に雨風が吹き込んできたので、このような予防策を取っていたのです。
今から考えると、借家に住んでいながら窓の上にベニヤ板を釘で打ちつけるというのは信じられないような話ですが、この頃はごく普通のことでした。
もちろん雨戸のついたちゃんとした家もありましたが。
台風の影響で電線が切れるとよく停電しました。
すると、あらかじめ用意しておいたロウソクに火をともします。
これらも「備えあれば憂いなし」の例です。


今、塾で子どもたちに勉強を教えていてよく感じるのは、やはりこの「備えあれば憂いなし」です。
普段からきちんと勉強している生徒は、当然のことながら中間・期末テストのような定期テストでも、また塾内で行う月例テストでも、全県(全国)規模の模擬テストでも、必ずいい結果を出します。
これも「備えあれば憂いなし」です。
一方、「今回のテストやばい」と言う生徒は、例外なくきちんと「備え」をしていません。


子どもが中学生ぐらいの思春期になると、反抗期が始まります。
三者面談をしていると、父母の多くの方が、「親の言うことを聞きません」とおっしゃいます。
塾で見ていると本当に素直でとてもいい子なので、親の言うことを聞かない、というのは信じられないぐらいです。
反抗期はほとんどの子どもが通ります。
これを経て成長していくのです。
でもこの反抗期は、子どもが小学生の頃に、親がいつも子どもを叱ったり、命令したり、自分の思いどおりに子どもを操ろうとしてきたことの反動として起きるものです。
ですから、親の子どもに対する接し方を、上から下への強制的なやり方でなく、横から支えるようなやり方で親子間の信頼関係を築いておくと、反抗期の嵐の中を通らずに済みます。
夫婦間を始め、あらゆる人間関係も同様です。
人間関係が壊れるのは、やはりどこかでやり方を間違っていたからです。
普段から人間関係を大切にしていると、このような問題は起こりません。


「備えあれば憂いなし」はあらゆる場面に通じる真理です。


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コミュニケーション その2

2009.11.09日

前回4月23日にもこのブログで「コミュニケーション」について触れました。
その中で、子どもは fragile (壊れやすい)ので Handle with Care (取り扱い注意)、また子どもだけでなく家族や周りの人たちに対しても丁寧な言葉使いをしましょう、と書きました。


さて、「コミュニケーション」と言うとほとんどの人は「言葉」だと思います。
しかし、心理学者が実験・研究した結果、コミュニケーションにおいて「言葉」が占める割合はたったの7%だそうです。
それでは残りの93%は何かと言うと、38%が声の調子、55%が顔の表情やジェスチャーなのです。


例を挙げると、妻が夫に
「あなた、最近私に愛してるって言ってくれないわね。もう私のことを愛してないの?」
と言ったとしましょう。
すると夫が言います。
「愛してる、愛してる、愛してる!愛してるったら愛してる。ハー...。もういいだろう?」
これを聞いた妻は、
「あー、自分は夫に本当に愛されている!」
って感じるでしょうか?
答えはもちろん「ノー!」です。
いくら口で「愛してる」と言っても、言い方やその時の顔の表情などで「愛していない」というのが伝わります。
逆に、「愛してる」と言わなくても、普段の生活の中で夫が妻に優しく接し、妻のために毎日一生懸命生活していれば、それで十分夫の愛は伝わります。
それが本当のコミュニケーションです。
ですから、「コミュニケーション=言葉」ではないのです。


口がひとつで耳がふたつあるのは、話すよりも聞くことに2倍の時間を使いなさい、というようなことがよく言われます。
これは真理です。
人はみんな自分の話を聞いてもらいたいものです。
生徒たちの会話を聞いていると、誰かが何か言うと、
「私なんかこの間...」
というようにすぐに自分の話をし始める子がよくいます。
人の話を横取りしてしまうのです。
このこと自体が、みんな自分の話を聞いてもらいたいと思っているということの現れです。


みんながみんな、自分の言いたいことばかり話していたのでは会話は成り立ちません。
ということは、会話の上手な人は、聞き上手な人だということです。
自分の言いたいことはちょっと我慢して、相手の話をよく聞いてあげる。これが一番大切なのです。


そこで「聞き上手」になるためには、ただ単に「言葉」と「声」をふたつの耳で聞くだけでなく、相手の顔の表情やしぐさ・ジェスチャーなども同時にふたつの目でしっかり見ることも必要なのです。
なぜなら、上で述べたように、コミュニケーションの半分以上(55%)が顔の表情・ジェスチャーによるからです。


会話は口と耳だけでなされているのではありません。
目も大きな働きをしています。
でも、もっと大切なのは、ハートです。
いくら笑顔で話していても、心が伴っていないとそれはすぐに伝わります。


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正人のアメリカリポート その1

2009.11.08日

去る11月5日のブログ「すぐおいしい、すごくおいしい」で予告しました「正人のアメリカリポート その1」をお届けします。
アメリカは実に多様性に富む国です。その中でも、正人の滞在するペンシルベニア州ランカスター郡はかなり特異なところです。その文化の一端をご紹介します。


こんにちは。学院長の次男の正人です。
このブログをご愛読していらっしゃる方はご存知かもしれませんが、僕は8月5日からアメリカのペンシルベニア州、ランカスターという町に留学に来ています。
こちらに来て約3か月が経ち、いまだに英語では苦労していますが、生活にはだいぶ慣れてきて、学業の方も順調に進んでいます。本当に、全面的に応援してくれる家族をはじめ、日本で僕を励ましてくれて、今の僕の心の支えになっている友人や生徒たちに、すごく感謝しています。


ということで、近況報告を兼ねて、僕がこちらで経験したことの中から、いくつか印象的だったことをお伝えしたいと思います。


まず、最初に受けたこの町の印象について。
ホストファミリーのお父さんに空港まで車で迎えに来てもらい、夜も遅い中、四苦八苦して英語を話しながら家へ向かっていました。周りからはどんどん街灯がなくなっていき、あぁここは自然が豊かなところなんだな、と思っていました。星とかよく見えるんだろうなー、と。そして家に到着し、素敵なベッドルームに案内され、慣れない大きなベッドで眠りにつきました。


次の日の朝、家の周りを見回してみて、愕然。
家の前後は馬と牛のいるでっかい牧場で、家の周囲は見渡す限りのとうもろこし畑。
目の前を飛び回る何匹もの蝿。


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家の表を通り過ぎる馬車。
とんでもないところに来てたんだ、と思いました。


buggy


この辺りには、アーミッシュと呼ばれる、独自の文化を持つキリスト教の一派の人たちがたくさん住んでいます。彼らは基本的に電気を使わず、家の中ではろうそくを使って生活していて、移動手段には馬車かキックボード(みたいなもの)を用いています。
特に僕の家の周りは、観光地としても有名なくらい変わった風景が広がっています。
家の前を通る馬車の数はハンパじゃありません。日本で言うプリウス並みに走っています。しかもプリウスより環境に優しいっていう。
とは言えこれらの馬車は当然1馬力なので、道の端をゆっくり走っています。そのせいでたまに渋滞になることがあっても、この辺りに住んでいる人たちは何一つ文句を言いません。


hefleys.jpg

(ホストファミリーのヘフリーさんご夫妻と)


こちらに来て思ったのは、アメリカ人はすごく親切、寛容で、フレンドリーだなということです。特に見知らぬ人に対しては、日本よりもずっと。
入り口を通るときは、後の人のためにちょっと立ち止まってでもドアを開けておくとか、
お店の人はいつも "Hi, how are you doing?" と気さくに聞いてきます。


しかしながら同時に、すごくサバサバもしています。
ほとんどの人が、 "Hi, how are you doing?"
に対する相手の答えを聞く前に歩き去っています。元気か、と聞きたいというよりも、決まり文句みたいな感じでしょうか。
日本は日本でもちろん親切な人はたくさんいます。ですから、親切にする仕方や考え方が違うのだな、と思いました。
たとえば日本では、見知らぬ人に対しては警戒して親切に接しないけど、知人などには気を使い、すごく丁寧に接する、とか。
「○○人のほうがより親切」というのではなくて、何をより親切と考えるかは、個人的にどんな文化が好きか、ということによって変わってくるんじゃないか、と思います。


日本と違う寛容さは、法律のレベルでも存在します。
申し訳ありませんが、食事中の方はちょっと読まないほうがいいかもしれません。
前述したように、家の周りは畑に囲まれているので、道路には泥が結構ちらばっています。
ある日、友人の車に乗っていると、前方に馬車が走っているのが見えました。
速度を落とし、後からついて走っていると、馬車のどこからか泥が落ちました。

馬の、そう、尻尾(しっぽ)の辺りから。

泥だと思っていたのは、馬のフンだったんですよね…。
道路の端に落ちていたたくさんの泥のようなものが、実は全部それだったと知り、かなりショックを受けました。
排気ガスを出さない一方で、いいことばかりじゃないんだな、と。
それでも、警察はおろか、誰もそれについて文句を言いません。店の前にフンをされたからと言って店主が訴訟を起こす、というようなこともありません。

でも、犬のフンの不始末は2万円の罰金だそうです。
異なる文化に対しては特例的に罰金も免除にしてしまう寛容さに、理解できないながらもかなり感心させられてしまいました。


そんなこんなで、色々なことに衝撃を受け、カルチャーショックの憂鬱をくぐり抜け、3か月経った今では、アメリカ人のいい意味での「適当さ」が好きになり、楽しくやっています。

それでは、次回のアメリカリポートがお届けできるまで、みなさんお元気で!


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MVP

2009.11.07日

ニューヨークヤンキースの松井秀喜選手がワールドシリーズMVPに選ばれました。
昨日の読売新聞夕刊の「よみうり寸評」には次のようにありました。
「<ヤンキースの誇り> − 松井秀喜選手のワールドシリーズMVPにこの言葉を思い浮かべた。
◆ヤンキースタジアムに試合の途中から沸き上がった『マツイ、マツイ』『MVP、MVP』の大歓声はニューヨークの誇りとしてしっかり認知した証しだろう。
◆<ヤンキースの誇り>は日本では<打撃王>の名で公開されたルー・ゲーリックの伝記映画の原題だ。今シリーズの松井のMVPはベーブ・ルース始めゲーリック、ディマジオ、マントル・・・・・・チームの大先輩たちの系譜に連なる大活躍といえる。
◆とりわけシリーズ最終戦となったきのうの先制2ラン、2点適時打、2点二塁打の1試合6打点はシリーズのタイ記録。これが制覇とMVPの決め手になった。
◆渡米して7年目で世界一の宿願達成。手首やひざなどここ数年のけがを克服して、シャンパンファイトの美酒に『夢のようだ』と松井。
◆きのうは昼に松井の快打、夜は日本シリーズのミラクルを堪能、夢のようだ」


松井ならずとも、日本人もアメリカ人もみんな「夢のよう」と美酒に酔いしれたことでしょう。
本当に、けがに次ぐけがで、その上契約最終年、35歳という年齢ということもあって、早くから放出がうわさされ、しかもけがで守備につけず、試合にもなかなか出られない、という状況の中で、松井はただひたすら耐え、このワールドシリーズの最終戦を迎えました。
試合を見にきていた父親に、「きょう頑張るから」と試合直前にメールで知らせていたそうです。
まさにその予言どおりの活躍ぶりで、見事MVPを手に入れたのです。


今晩、テレビのニュース番組でヤンキースの優勝パレードの様子を見ました。
紙吹雪が舞う中、松井選手が輝いていました。
「おめでとう!」と私も心から声援を送りたいと思いました。


松井選手は、小学3年生の時に父親から贈られた「努力できることが才能である」という言葉をモットーにしているそうで、「努力の天才」と呼ばれています。
そしてジャイアンツ時代から今日まで、天災やテロのたびに被害者や被災地へ義援金を一度に数千万円寄付しているという奇特な人物です。
松井選手を知る人は、みんな口をそろえて「いいヤツ」と彼のことを評価しています。
これらのことから考えると、彼の普段からの人生や野球に対する真剣さが今回のMVPを呼び寄せたとも言えるのではないでしょうか。


さて、MVPとは Most Valuable Player (最優秀選手)、すなわち「もっとも価値ある選手」という意味です。
このMVPの称号を与えられるのは、ただひとりです。
でも、もうひとつのMVPがあります。
それはだれでも受けることのできるMVPです。
それは Most Valuable Person (もっとも価値ある人)です。
家族の中でMVPのお父さんや、お母さん。
友人の間でみんなから信頼され、愛されるMVP。


皆さんも、ぜひこのようなMVPを目指してはいかがでしょうか。


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プラシーボ効果

2009.11.06日

プラシーボ(プラセボとも)は日本語で「偽薬」と訳されています。
見た目は本物の薬そっくりなのですが、中にはただのブドウ糖などが入っていて薬としての働きはまったくありません。
とくに新しい薬ができたときなどに、その薬の治療的効果をはかるためにプラシーボを使用して比較対照実験に使われたりします。
ときに、プラシーボ自体を処方して、薬だと信じ込ませることによって心理的のみならず、実際に病気の症状を改善もしくは治療するために用いられることもあります。
これを「プラシーボ効果」と呼びます。


よく聞く話に、たとえばアフリカの発展途上国などで、頭痛・腹痛・下痢などの症状を訴えている患者に歯磨き粉を薬だと言って服用させると、実際にその病気が治るというのがありますが、これこそまさにプラシーボ効果です。


これに似たような話で、以前にこのブログでご紹介した「ピグマリオン効果」というのがあります。
これは、教育の現場で、教師に期待されている子どもは無意識のうちに期待に応えようとして成績が向上するというものです。
私はこれを日常茶飯事に体験・目撃しています。


両者に共通するものは、心理的な作用です。
人間はそもそも単なる物質ではなく、また本能によって生きている動物でもなく、心理面・精神面の影響が大きいことを示しています。
実際のところ、精神的に大きなストレスを受けると病気になりますし、逆に精神的に落ち着いた状況に置かれていると健康になるものです。
ですから、プラシーボ効果もピグマリオン効果も全然不思議なことではありません。
むしろ当然過ぎるぐらい当然のことです。


実は、私はこの10年近く五十肩を患っています。
もっともひどかったときは、それこそ24時間ずっと肩が痛み、夜も眠れないほどでした。
ちょっとでも変な力が腕に加わると、悲鳴を上げたくなるほど痛みました。
整形外科にもカイロプラクティックにも整骨医にも長い間通い、ヒアルロン酸の注射を始めさまざまな治療を受けてきました。一時的に少しは良くなるのですが、なかなか完治しません。
痛み止めの漢方薬も長い間服用しています。
ところがつい最近、痛みがずいぶんましになってきたことにふと気づきました。
そこで先日、妻にそのことを伝えました。
すると妻は驚いて、「えっ、いったいどうして?」と私に尋ねました。
実は妻は私のこの五十肩の癒しのために、首の痛みのために、何年にもわたって毎朝祈ってくれているのです。
そこで私は、「お祈りのお陰だよ。ありがとう」と言いました。
すると妻は、「うそでしょ。信じられない。きっと漢方薬のお陰でしょう」と言うのです。
何年も、毎朝祈ってくれていながら、本気で癒しを信じていなかった(!?)ようです。
でも、私は妻が毎朝祈ってくれるたびに、「ありがたい。必ず祈りが聞かれて癒される」と信じていました。
信じれば癒される、信じなければ癒されない。
うそのような話ですが、たとえば、信頼していない医者にかかっても病気は良くならないでしょう。
また、絶対に効かないと思っている薬を服んでもやっぱり効かないでしょう。
成績は上がらないだろうと思いながら塾に通っていたら、やはり成績は上がらないでしょう。
病気の癒しにも、成績を良くするのにも、信仰の力が大切なのです。
これも一種のプラシーボ効果のようなものです。


ならば、どんなことにもこのプラシーボ効果を活用しなければ損です。
信仰の力は実に大きいです。
聖書には「信仰は山をも動かす」とあります。


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すぐおいしい、すごくおいしい

2009.11.05日

月曜日から木曜日まで毎日、夜の7時から10時まで集団か個別の授業が入っていて、その前の夕方の時間は小学生のクラスとバス送迎があり、夕食をとる時間がありません。
家で夕食を食べることができるのは金曜日から日曜日だけです。
それで、授業が終わり、送迎が終わって家に帰って食べるか、途中の休憩時間におにぎりを食べるか、という選択になるわけですが、今日はおにぎりを食べたけどお腹がすいて、家に戻ってから何か食べるものはないかと探してみました。
とくに食べるものはなく、どうしようかと考えていたら台所の床下収納庫にチキンラーメンがひとつ残っていました。
昔ながらの「すぐおいしい、すごくおいしい」のCMソングがいまだにテレビで流れている「あれ」です。
忘れもしない小学3年生のとき、遊びに行っていた親友のO君の家で、初めてこのチキンラーメンをご馳走になりました。
「こんなにおいしいものがあるのか!」
あのときの感動。
当時のチキンラーメンは1袋35円。
安いと思いきや、なんと当時の大卒者初任給は13,467円、国鉄初乗り10円、入浴料16円とWikipediaに載っていました。
めちゃくちゃ高い。
でもインスタント食品第1号のチキンラーメンは画期的でした。


Chikin_Ramen.JPG

発売当時のパッケージデザイン(Wikipediaより)


昔の思い出に浸りながらチキンラーメンをすするとこれがまたおいしいこと。
お腹がすいていたのと、久し振りに食べたこと、昔のことを思い出しながら食べた、の3要素が合わさって食べたのできっと思いのほかおいしかったのでしょう。


チキンラーメンが世に出てからなんともう50年以上の年月が流れました。
その後、鍋で調理するインスタントラーメンが生まれ、そしてカップラーメン。
さらに、レトルト式のカレーやハンバーグ、冷凍食品等など、次々とインスタント食品が生まれ、今や「お袋の味」ならぬ「袋の味」になってしまいました。


この間、時代は目まぐるしく変遷してきました。
そして最近とくに強く感じるのは、「時はどんどん流れていく」ということ。
若い頃は、時間は永遠に続くかのような錯覚を覚えていましたが、今は止めることのできない時間がとても惜しく感じるようになりました。


長男の直人がアメリカに留学する日がどんどん近づいてきている、と思っていたのがまだつい昨日のような気がするのですが、それからすでに6年がたとうとしています。
次男の正人のアメリカ留学のときも、あっという間に出発の日が来て、そしてあれから3か月。


正人と直人にアメリカでの体験をリポートの形にして書いてくれないか、と尋ねたところふたりとも快諾してくれ、正人がその第1弾を今日送ってきてくれました。
私の若かりし頃の留学時代の日々を思い出します。
多分、明日にはそれをこのブログでご紹介できるかと思います。
シリーズにして何回かにわたって載せようと思っています。お楽しみに。


時がたつのは速い。皆さん、一瞬一瞬を大切にし、今を精一杯生きましょう。


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未曾有

2009.11.04日

麻生前首相が読み間違えて一躍有名になった漢字に「未曾有」(みぞう)があります。(「漢字を馬鹿にする者は、漢字に馬鹿にされる」
麻生さんも、日本の若者、とりわけ受験生のために、「漢字に対する意識を高める」という素晴らしい貢献をしてくれた、と私などは陰ながら感謝しているのですが。


ところで、今、新型インフルエンザが猛威を振るっています。
この数日(今日だけでも)、何人もの小学生のご父母の方から、「新型インフルエンザにかかったのでしばらくお休みさせていただきます」「新型インフルエンザのため、学級閉鎖(学年閉鎖、学校閉鎖も)になりましたのでしばらくお休みします」というお電話をいただきました。


ここ数週間、うちの塾でもインフルエンザ感染、および生徒の通っている学校の学級閉鎖(学年閉鎖、学校閉鎖)で、ごそっとクラスの人数が減って、月例テストを延期したり、先に進まず復習や演習を繰り返したりしているのですが、当分この状態は続きそうです。
というか、本格的な新型および季節インフルエンザの流行はまだこれからということなので、まだまだ増えそうです。


これこそまさに「未曾有」(「みぞうゆう」ではありません!)の出来事です。
過去20年のアカデミーの歴史で初めての経験です。さらにさかのぼって、私自身の人生を振り返ってもこのような出来事は初めてです。
国内でこの1週間に受診した新たな患者数は推計約114万人で、7月上旬以降の累計は431万人(実際にはさらに多い)といい、欧米を除いて日本の感染者数は2位になっています。
死者数も11月1日現在で43人に上っていて、世界での死者数は4700人を越え、フェーズ6でパンデミック(世界的流行レベル)にまで引き上げられました。
患者の年齢層も幼児から高齢者までと幅広く、とくに小中高校生の集団感染が急速に広がってきています。
感染力は強いが、症状は比較的軽い、と言われていますが、基礎疾患のない幼児や若者の死亡例も報告されていて、油断大敵です。


繰り返し言われていることですが、予防策としては、
1.使い捨て(不織布)マスクの使用
2.うがい・手洗いの励行
3.アルコールによる手指の消毒
4.十分な睡眠と栄養
が基本です。


不織布マスクはかなり有用だそうです。
1日に何度も頻繁にうがいと手洗いをしましょう。
塾にもアルコール消毒液が置いてありますので、利用しましょう。
そして、忘れてはならないのが、栄養と睡眠です。
睡眠中は免疫力が高まっています。また睡眠中に喉を守るために、枕元に風呂の残り湯を入れた洗面器を置く、柔らかいタオルやハンカチを首に巻く、なども効果的です。
そして栄養をしっかり摂って、体力と抵抗力をつけて、インフルエンザから自分を守りましょう。


今かかっている人は、十分に栄養と休息をとり1日も早く元気になって、塾に来てください。待っています。


アカデミー学院の新型インフルエンザ対策はこちらから。


ちなみに、今晩の中1と中2のクラスは欠席者ゼロで全員揃いました。本当に久しぶりのことです。


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文化の日

2009.11.03日

今日、11月3日は文化の日です。
ほとんどの人は、「文化の日」=「祝日」ぐらいの感覚ではないでしょうか。
「文化の日」って果たして何の日?
国民の祝日に関する法律(「祝日法」)では「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」としています。
日本という国に住んでいて、私たちは「自由」と「平和」を享受しています。
本当に豊かで、恵まれた国です。
でも、文化は?


「文化」という言葉を聞くと、多くの人は「芸術」「音楽」「文学」などを思い起こすのではないでしょうか?
「文化」という言葉は英語では、culture ですが、この言葉はもともと「耕す」とか「培養する」という意味です。
人間性を耕し、培養する、それが文化です。
わかりやすい言い方をすれば、人間をより洗練されたものにする「教養」です。


日本国民の80%の趣味はパチンコだと言われています。
確かに、パチンコやカラオケも日本の文化の一部で、別に悪いことではありません。
しかし、1年に1回のせっかくの文化の日なのですから、もう少し香り高い文化を味わう日としたいものです。
今日の読売新聞社説には、「文化の日 クラシック音楽に親しもう」というタイトルで、
「落ち着いたコンサートホールで生の名演奏に接するのも、『芸術の秋』の一つの過ごし方だろう」
と書かれていました。
私もまったく同感です。
また、各地の美術館や博物館では、文化の日は入場料無料というところもたくさんあります。
芸術品に親しむことも、私たちの教養を高めます。


一般的に、日本人は「花より団子」という傾向があります。
でも、もう少し質の高い芸術や音楽や文芸などを楽しめるようになったら、もっと香り高い文化的な生活ができるようになるのではないでしょうか。


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教育における新聞の活用法

2009.11.02日

今日の読売新聞朝刊に「読売新聞創刊135周年 記念特集」が載っていました。
1994年以降、世界最大の発行部数1000万部を維持しているというのはすごいことです。
17面の特集記事の中で、アナウンサーの久保純子さんが、次のように述べています。
「子どもの頃から読売新聞を読んでいました。最初はテレビ欄と『コボちゃん』。中学生になると父親から社説と編集手帳を読むように言われました。
今は7歳になった娘と新聞を開くことが多く、やはりマンガから入って、事件や政治の記事を見たり、感じの勉強をしたり、世の中に関心を持つきっかけになっているようです (後略)」


上の久保純子さんの新聞活用法はまさに正攻法です。
最初はマンガとテレビ欄、次に事件・事故などの三面記事、そして地域版、小学生・中学生向けの特集記事、編集手帳(新聞によっては天声人語など)、社説、自分の興味ある分野の記事、というふうに読み進んでいくとスムーズに新聞に入っていけます。
久保さんが中学生になったとき、お父さんに勧められて社説と編集手帳を読み始めた、と言っていらっしゃいますが、いきなり社説は少し難しいので、やはり編集手帳がお奨めです。


私もよく三者面談をするときに、新聞を活用することを生徒と親御さんに勧めます。
まずは漢字の勉強に、次に新しい言葉を覚えるきっかけ作りに、そして正しい文章の書き方を学ぶことができます。
と同時に、科学や教育、心身の健康、新製品、政治や経済等など、情報がいっぱい載っています。
これを活用しない手はありません。
私がよく勧めるのは、編集手帳を声を出して読むこと。同じ記事を何度か繰り返し読むうちに内容がよくわかるようになるので、それにしたがってできる限り速く読むようにします。
これで朗読の技術も身につけることができます。
次に、何度も声を出して読んだ記事を、ノートに書き写します。(書写)
この作業で、漢字や言葉や文章の書き方を身につけることができます。


最近は学校でも、NIE(Newspaper in Education)といって、「教育に新聞を」をいろいろな方法で活用しているところが増えてきています。
これは実に素晴らしいことです。


私自身は、これに加えて、新聞で読んだ関心ある記事内容を自分の頭の中で整理して覚え、それを家族や生徒などに伝える、ということをよくしています。
これは優れた脳訓練法です。


NHKの人気テレビ番組『週刊こどもニュース』のキャスターを長年務めた池上彰さんが『小学生から「新聞」を読む子は大きく伸びる!』という本を書かれました。
「国語力はもちろん、あらゆる学力を伸ばすのに最適な教材、それが新聞です。1日10分の習慣で、『読解力』や『語彙力』『考える力』『知識』といった学力の基盤がしっかり身につき、学習効率がぐんぐんアップ! 」とうたわれています。
お奨めの本です。


皆さん、もっと新聞を活用しましょう!


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隣の芝生は青い

2009.11.01日

去る6月8日のブログ「クラシック音楽の効用 2」でご紹介したピアニスト、辻井伸行氏の母、辻井いつ子さんの記事が10月26日付読売新聞5面に載っていました。
「私は、フリーのアナウンサーなどを経て、結婚しました。その翌年の1988年に息子の伸行が生まれました。息子を授かったことによって、いろんなことが180度変わっていきました。生後2日目になっても、息子はいつも目をつぶっているので、眼科の先生に診ていただいたら、実は全盲だということがわかりました。
その時はもう何か崖から突き落とされたような気持ちになって、子どもを授かった喜びというよりは、これからどうしていこう、この子はこうやって生まれてきて幸せなのかなということばかり考えていました。そんな時、福沢諭吉のひ孫に当たる女性、福沢美和さんという方がお書きになった『フロックスはわたしの目』という盲導犬とご自身のことを綴ったエッセイに出会いました。
福沢さんは、網膜色素変性症といって、途中からどんどん目が見えなくなっていく病気です。
ところが、この本には日々の生活が健常者と変わらないような楽しい内容が描かれていました。
読んでみたら、何か今までの自分がすごく恥ずかしくなるような気がして、こんなに素敵に生きていらっしゃる方がいるんだから、私は何とか息子をこのような人に育てたいと思いました」


伸行さんが生後8か月で、ショパンコンクールで優勝したブーニンのCDに反応するのを見て、いつ子さんはこの好きなことをいつまでも趣味として伸ばせたら、幸せなんじゃないかと思ったのが、音楽との出会いの原点だったと言います。


辻井いつ子さんのような状況に置かれたとき、多くの人は、
「なぜ私だけが?」
という気持ちになります。
そして、「隣の芝生が青く」見えるのです。


隣の家の芝生が青く見えるのは、そのように見えるサングラスをかけているからです。
サングラスをはずして、冷静な目で見てみると、どこの家の芝生も同じように青いのがわかります。


私の尊敬する柿谷寿美江先生は、つい最近、まったく思いもかけず脳腫瘍を発症され、余命6か月から13か月と医師に診断されましたが、「なぜ私だけが」とは決して考えずに、むしろ「自分は神様に愛されて何と幸せなんだろう」と考えていらっしゃいます。(「幸せって何だっけ」


つまり、同じ状況に置かれても、考え方を選択できるということです。
「なぜ私だけが」と考えて、「隣の芝生が青い」と思っている間は、決して幸せにはなれません。
脳腫瘍やガンに限らず、自分が、あるいは愛する家族や親族、友人がいつ、なんどき、どのような病気になるか、あるいは事故にあうか、一寸先は闇です。
それが人生です。
否定したところで、嘆き悲しんだところで、よそをうらやんだところで、現実は変わりません。
起こったことは起こったこととして受け入れるよりほかないのです。


「隣の芝生は青い」と思ったら、決して幸せな人生を送ることはできません。
現実をありのまま受け入れるところから、新しい世界が開けていきます。


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