学院長元気の出るブログ

日々の随想。教育問題、子育て、英語、積極思考、人間関係、霊想等など。
読む人に元気を注入します。

ジョージ学院長 元気の出るブログ

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ハロウィン

2009.10.31日

今日は10月31日。ハロウィンの日です。
「ハロウィンはもともとケルト人の収穫感謝祭がカトリックに取り入れられたものとされている。
ケルト人の1年の終りは10月31日で、この夜は死者の霊が家族を訪ねたり、精霊や魔女が出てくると信じられていた。これらから身を守る為に仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていた」 (Wikipediaより)
ハロウィンは別にキリスト教のお祭りではありませんが、欧米の多くの国でひとつの習慣のようにして子どもたちの間で行われているので、英語学習の一環としてアカデミーでも毎年イベントを行っています。


今週はずっと小学生の英語のクラスでは、ハロウィン関係のパズルやゲームを行い、みんなで楽しみました。
と、そのとき突然電気が消えたかと思うと、ロウソクを手にしたお化けが入ってきました。


halloween1.jpg


数年前までは、ハロウィンのイベントのときに突然お化けが入ってくると、子どもたちはキャーと悲鳴を上げて机の下に隠れたり、中には泣き出す子もいたのですが、今ではもう慣れっこになってしまって、みんな笑顔でお化けを迎えてくれます。さらにお化けが持っているロウソクの火を吹き消したり。
このあと、ゲームで決まった順位で、マジックハンドを使ってキャンディのつかみ取り。


halloween2.jpg


キャンディをたくさん取って、子どもたちはみんな大満足。


でも子どもたちがあまりにもお化けに驚かないので、お化けのほうはちょっと拍子抜け。
そこで、夜の中1のクラスでお化けのお面をかぶってひょこっと教室に入っていったところ、今度は「キャーッ!」とあちらこちらから悲鳴が。
ゴムのマスクはきつくて本当だったらメガネをはずさないとかぶれないのですが、生徒の表情を見たくてメガネの上からマスクを。
すると、生徒たち(男子も含めて)の恐怖に引きつった顔が見られて、ようやくやった甲斐がありました。
しばらくして、こんどは金髪のかつらをかぶって大きなサングラスをかけて教室に入って行くと、またもやみんな大げさに「ドキッ!」。


数年前、成人英会話クラスをやっていたとき、知らん顔して事務室に入り、怖い魔女のマスクをかぶって教室の窓から中を覗いていたら、ふと気づいた人が「キャーッ!」。すると次々とみんな「キャーッ!」。
この日本で、しかも朝っぱらからお化けや魔女など出るわけない、ということはよくよくわかっているのですが、予想もしていないときに突然変なものが現れるとみんな腰が抜けるほど驚きます。


そういえば、現在上映中の映画『沈まぬ太陽』を、招待券をいただいたので妻と一緒に見に行きましたが、その中に主人公の渡辺 謙演じる恩地 元がニューヨークの動物園を訪れるシーンがあります。
ライオンを見ていたあと、ふと振り返ると鉄格子の檻の奥にいる動物が目に入ります。
近づいてよく見ると、それは鏡に映った自分の姿。
檻の前には、
The Most Dangerous Animal in the World
「世界で1番恐ろしい動物」
という看板がかかっています。
そう、1番恐ろしいのは、ライオンなどの猛獣でも、お化けでも魔女でもなく、人間なのです。


みんな「学院長」というと「真面目」というイメージを持っているので、そのイメージとの落差がまた面白いようです。
人を驚かせてちょっと趣味は悪いですが、まあ、これも生徒へのサービスです。


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目標達成に必要な3つの要素

2009.10.30日

先日、送迎バスの中で生徒たちが将来の夢のことを話していました。
K君が、「将来はオリンピック選手になりたい」と言ったとき、それを聞いた彼の友達がみんな大笑いして言いました。
「オリンピック選手になるっていうのがどんなことなのか知ってるのか?」
「お前がオリンピック選手になれるわけがない。お前がなるより、まだ俺のほうがなれる可能性がある」
・・・、と一斉攻撃を受けたK君、
「でも夢だから。夢は大きいほうがいいだろう」。
そうです。夢は大きいほうがいいです。


幼稚園の年中さんのときからアカデミーに来ている中1のT君。
英語だけでなくどの教科もとてもできる生徒ですが、さらに英語の力をつけたいと言って、個別の英語のクラスも取っています。
使っているアメリカのテキストで「職業」のレッスンを先日やりました。
そこに、次のような面白い質問がありました。
「あなたは将来、たくさんお金が稼げると思いますか?」
私は彼からどのような答えが戻ってくるか楽しみでした。
彼はちょっと考えて答えました。
「はい、稼げるようになると思います」
私は嬉しくなってT君に言いました。
「素晴らしい。自分は将来お金をたくさん稼げると思っていたら稼げるし、無理だと思ったら無理なんだよ」
(この会話を英語でやり取りしているのです)


目標が具体的であればあるほど、それは達成しやすいです。
なぜなら、漠然とした目標は達成のしようがないからです。
さらに、目標達成に必要なのは、信じることです。
なぜなら、信じていないことを達成できるわけがないからです。
この目標をなんとしても達成したいという熱い思い、自分には達成できる力があるという確信、達成するまで絶対にあきらめず努力し続ける忍耐力、これらがそろえばもうその目標は90%達成できたようなものです。


冒頭のK君がオリンピック選手になるのは確かに99%(99.999%?)不可能に思われるかもしれません。
でも、オリンピックで金メダルを取った人で、そのような人はいくらでもいます。
私の小学校時代の同級生で、運動神経がとても鈍くて何もできない子がいました。
みんなから馬鹿にされ、いつもからかわれていました。
しかし、十数年後、彼がプロのバレエダンサーになった、という話を人から伝え聞きました。
K君も、熱い思い確信忍耐力があれば、不可能に思える夢を実現させることは可能です。
学校の進路指導で、「〇〇高校への進学は絶対に不可能。志望校を変えるように」と、何度も何度も担任と校長に説得されても、あきらめずにチャレンジしてトップ校に合格した生徒は何人もいます。
これらの生徒に共通しているのは、やはり上の3つの要素です。


あなたの夢は何ですか?
どうしてもその目標を達成したいという「熱い思い」、できるという「確信」、達成するまであきらめない「忍耐力」がありますか?


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十頭身美人 !?

2009.10.29日

先日、名古屋方面に行った時のこと。
コンビニに入ったら、なっ、なんと...十頭身美人(!?)に出会ったのです。
一瞬、目を疑いました。
一昔前は、「八頭身美人」という表現をよく耳にしましたが、最近の若い人は八頭身はもう標準になりつつあるようです。
しかし、十頭身には正直驚きました。(正確には九頭身かもしれませんが)
ヒールを履いているわけではありません。
実際、キリンのように長い首の上にちょこんと小さな頭が乗っている感じ(まるでモディリアニの絵の中のモデルのよう)で、体はとてもスマートで、足がものすごーく長い!
一緒にいたその人の友人もとてもスタイルがいいのですが、その人は明らかにほかの誰をも寄せつけないほど群を抜いていて、コンビニの中でも頭ひとつ分、ほかの人よりも背が高かったのです。
しかも美人!
妻にそっと教えると、妻もびっくり仰天。
「きっとプロのモデルさんよ」
でも、外人のカッコいいモデルでも、こんな十頭身の人は見たことがありません。


世の中にはいろいろな人がいるものだ、と変に感心したわけですが、一般の人たちは女優や俳優、タレントなど、美人、イケメン、カッコいい人を見るとキャーキャーと騒ぎ立てます。
確かに、人間誰でも美しい人にあこがれます。
それ自体は別に悪いことではありません。
問題は何かというと、八頭身や九頭身の人をちやほやして、逆に六頭身(?)や七頭身の人を見下し、差別することです。


神様の創造の御業(みわざ)は、すべてが最高で、差別はありません。
差別するのは人間の心です。
言い方が少し悪いですが、いわゆる一般に言うところの「見栄えがいい・悪い」は、神様の目から見れば、みんな等しく素晴らしい作品で、違いは単なる個性に過ぎません。
現に、違う価値観を持つ国に行くと、美人・イケメンの基準はまったく異なります。
この世の中から差別を完全になくすことは難しいと思います。というか、不可能でしょう。
でも、私たちは日常の生活の中で、他人をうらやんだり、また見下したりするのはやめたいものです。
比較すると、劣等感にさいなまれるか、高慢になるかのどちらかです。
そして、これは本当にくだらないことです。
このくだらないことによって、いかに多くの人が傷つき、苦しんでいることでしょう。


自分も含めて、人をありのまま受け入れ、認めること。これがすべての人間関係の始まりではないでしょうか。


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お母さんはお元気ですか?

2009.10.28日

何事も基本が一番大切です。
オリンピックに出場するアスリートたちですら、みんな口をそろえて「基本が大切」と言います。
プロ野球で活躍する一流プレーヤーたちも、シーズンオフには走りこんで足腰を鍛え、シーズン中も素振りやティーバッティング、バント、走塁、フライやゴロの捕球の練習など、基本を繰り返します。
空手の選手も基本の型をいつも練習します。
実は勉強もまったく同じです。


英語を習うとき最初に覚える表現は、
“How are you?”
“I'm fine, thank you. And you?”
です。
英語が苦手な生徒もみんなこれだけは覚えます。
ただここで問題なのは、上の表現を単にフレーズとして丸暗記するだけで、基本がわかっていない、ということです。
学校で使っている教科書には、
“How are you?”
“I'm fine, thank you. And you?”
だけしか出てきません。
そこで、
「お母さんはお元気ですか?」
って何て言うのと尋ねると、「そんなのは習っていないからわからない」と答えます。
しかし、基本がしっかりとわかっていると、
“How are you?”が「あなたは元気(どのよう)ですか?」というのを応用して、
“How is your mother?”
というのが出てきます。
私はこのことを中学のときに発見して、とても嬉しかったのを覚えています。


今晩の中1のクラスで、同じ問題を生徒に出しました。
すると、
“How are your mother?”
という答えが返ってきました。
“How are you?”につられたわけです。でも、これは結構いい線いっています。
そこで、「主語は何?」とヒントを与えると、be動詞に気づいて正しい答えが出ました。
続いて、「あなたのお父さんとお母さんはお元気ですか?」
「あなたのご家族はお元気ですか?」という問題を出しました。
みんなちょっと戸惑いながらも、しばらく考えて、
“How are your father and mother?”
“How is your family?”
と正しく答えることができました。
「familyは何人かいるのに、なぜ動詞がisなんですか?」
と尋ねる生徒がいましたが、ほかの生徒がすぐに、
「家族はひとかたまりだから単数じゃない?」と言い、みんな納得しました。


これが基本と応用のひとつの例です。
基本が理解できていれば、応用が利くのです。
“How are you?”=「元気ですか?」式の丸暗記は応用が利きません。
仕組みがわかるようになると、勉強は面白くなってくるものです。


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ブログご愛読 ありがとうございます!

2009.10.27日

アカデミー学院のウェブサイト運営会社の方に、日本ブログ村への参加を勧められて参加したのが去る5月15日。
それから5か月が経ちました。
参加して1週間後には「塾・予備校教育」分野で約300サイト中5位になり、9日目に4位、以来ずっと4〜6位に位置しています。
この数日、「瞬間最大風速」じゃないですが何度か3位にもなりました。
私自身は、ブログでランキングを競うということに関心はまったくなかったのですが、読んでくださる方が大勢いらっしゃるということに喜びを覚え、さらに読んでいらっしゃる方々からメールでご感想をいただくようになると少しでもお役に立てていることがわかり、ますます嬉しくなります。
ですから、ランキングはひとつの目安かな、と。


9月27日のブログ「距離・速さ・時間」の中に、正人の高校1年生のときの広島への自転車旅行のことを書いたところ、広島で泊めてお世話してくださったHさんから次のようなメールをいただきました。
「毎日読ませていただいています。正人君の8年前の冒険は今でも思い出します。
倉橋島をドライブすれば夫と正人君の事が話題になります。
臆せず淡々と2週間の一人旅を終えられ、お礼状をご本人から頂戴しました。今でも大切に取ってあります。
もう8年たったのだなと私の年齢を逆算してしまいました」
Hさんは、36年前アメリカ留学中に知り合った方で、いまだにメールで親交があります。


また昨日は、Mさんから次のようなメールが届きました。
「ブログは、最近はたまっても必ず全て見ていますよ!
ランキングも楽しみ!ブログ書いている友だちも多いけど、毎日読みたくなるのはないよ。付き合いで仕方なくたまに斜め読みするものもあったり…。
やっぱりアカデミックだったり、ためになったり、おもしろかったり、楽しかったり、プラスにならないと読む気にならないものね。
長さも!長すぎて嫌になるのもあるけど、アカデミーのは『続きをもうちょっと!』と思う時もあるからね」
Mさんはもう48年以上の長いお付き合いで、1番大切な人のひとりです。


塾生のお母さんであるTさんからは、
「学院長先生のブログは毎日欠かさず読んでいます。私は幼少より今に至るまでとても病気がちでした。
何で私だけがという思いが常にありました。しかし最近では、朝痛みで辛い時も、子どもたちのお弁当が作れた事に感謝、洗濯物が干せる事に感謝、お買い物に行ける事に、主人や子どもたちが元気に過ごせた事に感謝、と毎日とても感謝できるようになりました。
長い間病気をしてきたおかげかもしれません。病気をする事にも大きな意味があるのでしょうか・・。
先生のブログはとても共感でき、勇気や元気や感動を与えてくれます。ありがとうございます。私の聖書になっています。きっと読んでいる皆様も同じだと思います。
ランキング4位おめでとうございます」
と、10月18日の「幸せって何だっけ」を読んで、ご感想を送ってきてくださいました。


ということで、皆さんからのご意見・ご感想は私にとって大きな励みとなります。どなたでもこちらからお気軽にどうぞ。


このほかにもご愛読の皆さん、本当にありがとうございます。
読者の中には、まだお会いしたことのない方もいらっしゃるようです。インターネットが可能にした新しい出会いです。いつか、何かの機会にお会いしてお話できるといいですね。その日を楽しみにしています。
お知り合いの方にこのブログをご紹介してくださっている方もいらっしゃいます。
小学生・中学生・高校生の塾生や卒塾生も大勢読んでくれているようです。感謝しています。
小学生にはちょっと難しいかな...。「内容が深い」というコメントを何人もの方からいただいていますので。


折りしも今日から読書週間。
なかなか本を読む時間のない人、根気のない人でも、手軽に読めて、しかも本のエッセンスのようなものを学ぶことができるブログの記事は、とりあえず「読書の入門編」のようなものでしょうか。
でも、ブログを読むのに慣れたら、やっぱり本を読まないとだめです。


そういえば、「読書の勧め」でも書いたことですが、子どもの頃からたくさん本を読んで、やがて町の図書館の本を全部読んでしまい、のちにアメリカの大統領になった人がいました。
私自身は小学校の頃は、『宝島』や『三銃士』などの読みやすい本を、中学のときは『次郎物語』『西遊記』『レ・ミゼラブル』などの文学や小説、伝記物を、高校になってからは文学に加えてエッセイを、大学・大学院時代は哲学書や宗教書、専門書を、社会に出てからは実用書や教育書などを中心に読んできました。
中学時代は、学校の図書館の本を読みまくり(貸し出し図書数全校1位)、高校に入ってからは自分で買った世界文学全集などを多読しました。
年齢に応じた読書がいいと思います。


読書は人を形成します。


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夢はかなう! その3

2009.10.26日

去る6月20にアカデミー学院からディズニーランド遠足に行ったときのことをこのブログ「ディズニーランド遠足」に書きました。
その記事の中で紹介したことですが、1971年にディズニー・ワールドがフロリダに誕生したとき、ウォルト・ディズニーの兄、ロイ・ディズニーにある人が言いました。
「ウォルトがこのディズニーワールドを見ることができなくて残念でしたね」
するとロイが答えました。
「弟がディズニーワールドを見なかったですって?とんでもない。ウォルトが夢の中で見ていたから、今日このようにディズニー・ワールドが誕生したのですよ」
ディズニーのメッセージ、それは「夢は必ずかなう」です。


これまでに、「夢はかなう!」「夢はかなう! その2」と、2回にわたって同じテーマで書いてきましたが、今日はシリーズ3です。


先日、私の長年の夢が最終的に実現しました。
ただ単に自分の夢をかなえた、というのではなく、今年の正月に決心したこと、すなわち1月3日に書いた「ペイ・フォワード」が実現できた、という点において、喜びは何物にも変えがたいものでした。
私にとっては自分の一生の中でも、信仰をもったこと、結婚したこと、子どもたちが生まれたこと、に次ぐぐらい大きなことです。


これまで数多くの夢を実現させてきましたが、今回の出来事をとおして学んだことは、どんなことでも心から願い、絶対にできると信じ続け、あきらめないならそれは実現できる、ということです。たとえどのような障がいがあっても。
もうひとつは、自分自身のための夢を実現させるよりも、人のための夢を実現させるほうが、はるかに喜びが大きいということです。


夢はかないます。
皆さんの夢実現のためにお祈りします。


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手をかけるな、心をかけよ

2009.10.25日

子育ては難しいものです。
みんな、あっちで頭をぶっつけ、こっちで頭をぶっつけで、何度も失敗します。
親は失敗を繰り返しながら学んでいくものです。


でも、子育てだけでなく、教育においても、さらにはすべての人間関係においても通じるものがあります。
それは、手をかけ過ぎないこと。その代わりに、思いっきり心をかけることです。


多くの親や教師は、また会社の上司は、子どもや生徒、部下に手をかけ過ぎます。
その結果、いつまでたっても自立できない子ども、生徒、部下が生れるのです。


動物界において、たとえば雛が卵の殻を割って出てくるのを、親鳥は手伝いません。
雛は自分の力で殻を割って出てこなければならないのです。
手伝うとこの雛はだめになってしまいます。
脱皮もそうです。苦しみながら脱皮しますが、親は手伝いません。そして、脱皮しなければ成長はありません。


人間も同じです。
手をかけ過ぎると子どもをだめにしてしまいます。
もちろん放ったらかしにしておいてはだめです。
心をかけるのです。


たとえば、勉強を教えるとき、下手な教師は一から十まですべてを教えようとします。
教え過ぎるのはだめな教師です。
一だけではだめでしょうが、二、三を教え、生徒に考える時間を与える。
わからないようであれば、ヒントを与え、見守る。
それでもだめだったら、様子を見ながら四を教え、必要であれば五を教える。
普段からこのようなやり方をしていると、「一を聞いて十を悟る」子どもを育てることができるのです。
一から十まで、いつも全部を教えていると、その子は依存心が強くなり、自分で考えようとせず、いつまでたっても自立できなくなります。
今、日本にはこのような子どもが多いのではないでしょうか?
これは親の、そして社会の責任です。


子どもにお小遣いを与え過ぎることも同様によくありません。
お小遣いは、限られた範囲内でいかに有効に使うか、貯金して計画的に使うかを学ばせる絶好の教育の場です。


心はかけても、手はかけるな。
これが本当の子育てであり、教育です。


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24時間筆記テスト

2009.10.24日

これまでにも何度かこのブログで書きましたが、日本の教育システムはどうしても暗記偏重で、テスト問題はそのほとんどが暗記力を試す問題です。
先日のブログ「考える習慣を身につけよう」には、世界の学習到達度テストで毎年トップを取るフィンランドでは、テストは暗記問題ではなく、考えを述べさせるエッセイタイプのテストだと書きました。


暗記も確かに必要です。
しかし、日本の教育現場を見ていると、暗記ばかりが強調されすぎていると思います。
アメリカのマネージメントエキスパート、Ken Blanchard がその著 The One Minute Manager (邦題『1分間マネジャー』)の中で、同じようなことを言っています。
「小学校の社会科の時間に、州名と州都を生徒に覚えさせ、答えさせるテストをすることにどれだけの意味があるのか?教室の壁に合衆国の地図を貼っておいて、生徒がそれを見ながら州名と州都を書けば良いではないか」
と。


先日、片付けをしていたら、昔アメリカに留学していたときの、テストのコピーが出てきました。
修士論文を提出した後、最後にやった筆記テストです。
懐かしくて、手にとって見てみました。
このテストを受ける前に読んでおかなければならないリーディングリストには、なんと51冊もの本が載っています。(これを全部読んだのかどうか、記憶がはっきりしません)
11問中9問を選んでエッセイ式で答える24時間テストです。
事務室で問題を受け取り、図書館でも自宅でもどこでやってもよく、参考文献も自由に見ていいのですが、人と相談したりすることはできず、24時間後に事務室に提出するというものです。
私は自分の住んでいたアパートに持ち帰り、必死で24時間近くずっと手書きでこのテストの答案を作りました。


ma%20test1.jpg
これが1ページ目の答案です。(クリックすると拡大されて文字が読めます)


ma%20test2.jpg
これが24時間かけて書いた最後の45ページ目の答案です。
鉛筆を握る右手の人差し指と中指、親指が真っ赤になってペコッとへこみ、右手・右肩がカチカチに固まったようになるほど疲れていましたが、今見てみると字はほとんど1ページ目と変わっていません。
やっぱり若かったんだなぁと思います。
25歳のときのことです。
筆記試験に続く口頭試験も無事合格し、修士を授与されました。


大学院のレベルと同じことを日本の中学校や高校、大学でもやれ、というわけではありませんが、日本の教育の将来を変えようと思ったら、やはり暗記主義を脱却して、もっと思考力を養う方向に進まなければならないと思うのです。
テストもオープンテキストで、丸写しではなく、自分の考えを述べさせるようなスタイルにしたら、将来日本からもっと大勢のノーベル賞受賞者が生まれるのではないでしょうか。


折りしも、先週、教員資格を取るために大学院レベルの学び(修士号)と1年間の教育実習を必須とする案が文科省から出されたと新聞に載っていましたが、とてもいいことだと思います。


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幸せになりたい!

2009.10.23日

先日の読売新聞の人生案内に、30代独身女性が、男性と交際したいと切々と訴えていました。
「30歳代後半の独身女性。一人暮らしです。今まで男性とお付き合いしたことがありません。
仕事関係でも趣味関係でも男友達は多く、2人きりで食事に行くこともありますが、恋愛に発展しません。
男友達に告白して断られた時に理由を尋ねたところ、『友達としてしか見られない』とのこと。女性としての色気が足りないのでしょう。
言葉遣いや身なりに気を使っていますが、実を結びません。
誰からも恋愛の対象にされず、深く悩んでいます。何より性体験がないことがつらいです。
いつか絶対にご縁があるはず、と信じていこうと思うのですが、一方で、自分には異性を引きつける性的魅力が欠けているのだろうと薄々感じています。
可能性がないのに男性との出会いを追い求めても絶望するだけ。
このまま歳を取ることが不安です。いっそ恋愛をあきらめることができたらいいのですが……。(東京・A子)」


このような相談はよく見かけます。
男性からも女性からも、若い子からも中年からも熟年からも。
みんな、「幸せになりたい!」と叫んでいるのです。


「幸せになりたい」人に朗報があります。
簡単な方法で幸せになれます。
答えは、「人を幸せにすること」です。
同様に、友達が欲しい人。「自分のほうから人の友達になる」ことです。
「お金が欲しい人」は「人にお金を惜しみなく与える」。
(逆説のように見えるかもしれませんが、真実です。人に、社会にお金を還元する人のところにお金は流れ込んできます)
「勉強ができるようになりたい人」は「勉強を好きになる」。
(勉強を好きになると、勉強もあなたを好きになってくれます)


先生が好きになると、その先生から好かれる。
社長が社員を愛すると、社員は社長を愛するようになる。
社長を信頼すれば、社長から信頼される。
スポーツを愛すると、そのスポーツに愛され、どんどん上達する。
読書を愛すると、本のほうがあなたを愛してくる。
人を助けると、人から助けらる。


その反対に、人に不親切にすると、不親切がもどってきます。
人を嫌うと、その人から嫌われます。
読書を嫌うと、本から嫌われます。
勉強をいやだと思っていると、どんどん勉強ができなくなります。
お金をケチると、お金は逃げていきます。


しかも、この法則はなんと2倍になって返ってきます。だから、やらなければ損なのです。
これは、「引き寄せの法則」と同じ考え方です。
この法則がわかると、人生は自分の思うように生きることができるようになります。
人生は、一瞬、一瞬、すべてのことを選択し、その結果がついてくるものです。


幸せになりたければ、人を幸せにする。
こんな簡単なことはありません。
みんな、自分のことばかり考えているから、求めるものがどんどん逃げていくのです。


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不可能を可能に

2009.10.22日

昨日の読売新聞1面に「ため息誘う『青いバラ』」という記事が大きな写真入で載っていました。
「世界初の『青いバラ』が11月3日から首都圏と京阪神、愛知県内の生花店で販売されることになった。遺伝子組み換え技術を用いて開発に成功したサントリーホールディングスが20日、発表した。
価格は1本2000円〜3000円で、一般のバラの7〜8倍という高級品種だ。
青いバラは世界中の愛好家が交配により開発を目指してきたが、青い色素がバラにないため実現できず、欧州では『不可能の代名詞』をされていた」


中央大学で英語表現研究というクラスを教えていた時、アメリカの Longman 社が出版した Your Life In Your Hands というビデオ教材を使っていました。
これは1985年に出版された当時、画期的なものでした。
ナチュラル・メソッドといって、自然なストーリーの中で文法力も会話力もつけるというもので、まさに英文学専攻の学生にもってこいの教材でした。
授業はすべて英語で行い、学生同士も英語で話すことしか許されていませんでした。
内容は日本の大学生の生活とも重なる部分がたくさんあり、学生の多くがこのストーリーに共感を覚えて、授業外、たとえば昼食のときなど友達同士で話しているときや、通学途中などでもしょっちゅう会話に上っていたということです。


この物語の中で、主人公のひとりが
“Have you seen the Blue Rose yet?”
と言う箇所が出てきます。
ここでは、 the Blue Rose は映画のタイトルです。
青いバラは作るのが不可能ということから、「不可能」という意味でこれまで用いられてきました。
"Blue rose"means "impossible"in English. と学生達に説明しました。
この教材のストーリーの中でも、主人公達が「不可能」に見えることを、徐々に「可能」に変えていくのですが、blue rose は絶対に実現しないものと教えていたのに、24年後の今日、青いバラが現実のものになるとはうそのようです。
「自分の人生は自分の手の中に」というのがメインモチーフで、ここに登場した映画のタイトル『青いバラ』も、間接的ながらその役割を果たしています。


今までの人生を振り返ると、確かにそのときは「不可能」に見えていたものが、のちに「可能」になったものがたくさんあります。
かつて勉強嫌いだった私が勉強好きになって、今や人に「勉強の楽しさ」を教える立場になったことも考えてみれば、まさに「不可能」が「可能」になったようなものです。


上の中央大学のクラスでは、1年が終わる頃には、英語が嫌いだった学生は好きに、好きだった学生は得意に、最初私の話す英語をまったく聞き取ることができなかった学生のほとんどが90%ぐらい聞き取れるようになり、4年間の大学生活で1番楽しくて役立ったクラスだった、と学生達が最後の試験の答案用紙に書いてくれていました。
これも「不可能」が「可能」になったケースです。


いかに「不可能」に見えることでも、「可能」に変えることはできます。
大切なのは、「可能だ」と信じることです。


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四半世紀の長きにわたって

2009.10.21日

今朝、四半世紀の長きにわたって成人英会話クラスに通ってくださった方々との最後のクラス(いわば卒業式のようなもの)を持ちました。
今日は最後のクラスにふさわしく、去る18日のブログ「幸せって何だっけ」でご紹介した柿谷寿美江先生の “Hapiness is ...” を一緒に読んで、そこからみんなで一緒に学びました。


思い返せば、皆さんと初めてお出会いしたのは、私がアメリカから帰ってきた25年余り前、隣町の大磯で始まった英会話クラスです。
20年前にここ平塚に移ってきて、旭イングリッシュ・アカデミー(アカデミー学院の前身の英会話学校)を始めたときにも引き続いて来てくださいました。
成人英会話クラスには、二宮や小田原、茅ヶ崎、東京から、はるばる電車やバス、車を使って通ってくださった方も何人かありました。
成人英会話の生徒の数、多いときは50〜60名。
当時、皆さんお子さんがまだ中学生とか高校生で、子育て真っ最中の若いお母さん方でしたが、いつの間にかお子さん達は結婚してご家庭を築かれ、お孫さん達もできて、今や貫禄あるお〇〇ちゃま達(いや、今も昔と変わらない美女軍団!)。
時の流れの速さに驚かされます。
みんなで一緒に年を重ねる(のではなく、成長していく!)のは、本当に楽しいものです。


englishclass.jpg


この英会話クラスでは、英会話のテキストだけでなく、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(シリーズ全作品)、『ET』、『ある愛の詩』、『摩天楼はバラ色に』等など数多くのビデオも使い、さらにシドニィ・シェルダンの小説も何冊も読んできました。
さすがに25年もやってきたのですから、皆さん英語はもう...。
謙遜して「全然だめです」とおっしゃいますが、多くの方がこの間、アメリカやヨーロッパ、オーストラリア、ニュージーランドなどに旅行に行かれたり、ホストファミリーになって外国からのお客様を家でおもてなししたりして、国際交流にも励んでこられました。
クラスの仲間でハワイ旅行をされた方もありました。
おひとりは、来月お子さんご家族がいらっしゃるブラジルにご旅行に行かれます。


英会話、英語の勉強だけでなく、人生のお勉強もたくさんしてきました。
今日のお別れ会で皆さんがおっしゃったのは、このおまけの部分がとても楽しかったと。
私も本当に楽しかったです。
皆さん、本当に長い間ありがとうございました。
これからも時々クラス会をやりましょう、と言ってお別れしました。
これからは人生のセカンドステージ、いつまでもお元気で。
そして、続きはこのブログでお会いしましょう。
以前、英会話クラスに通ってくださっていた方も、もしこのブログをお読みになりましたら、ぜひご一緒にクラス会をしましょう。


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理系鳩山首相 国社が苦手

2009.10.20日

読売新聞の「USO放送」9月月間賞
「社・国 苦手だな・・・
−理系鳩山」
連立政権を揶揄(やゆ)したものです。
思わず吹き出してしまいました。


前期の成績が大体出たようです。
今日、中3のA君が塾に持ってきた通信簿を開けてみると、
5,5,5,5,5,5,5,5,5  オール5 選択教科 A,A,A,A
「意欲・関心・思考・理解・能力」などの観点別評価は
A,A,A,A,A,A,A,A,A,A,A,A,A,A,A,A,A,A,A,A,A,A,A,A,A,A,A,B,A,A,A,A,A,A,A,A,A,A,A,A,A,A,A,A,A
ひとつを除いて全部Aでした。
実に見事!
「A君、おめでとう!」
と帰り際に声をかけると、ニッコリ笑って、
「ありがとうございます!」


これまでにも何人か、このようなパーフェクト賞の生徒がいましたが、今回のA君はすごい!
何がすごいかと言うと、彼の意気込みと努力です。
どうしても行きたい志望校合格を目指して、彼が今学期全力を尽くした結果です。


A君は学校の部活でも部長を務め、まだ現役で責任を果たしています。
勉強か部活かではなく、両方に精一杯打ち込んでいるのです。


たいがいの生徒は文系、理系などある種のパターンがあり、全教科オールマイティというのは稀です。
実は、A君もオールマイティではありません。オール5を取ったのは、彼の努力の賜物です。
集団部で5教科学びながら、英語が少し弱いと見ると、すぐに個別で英語を履修して弱点をカバーし、数学の力が少し落ちたと感じるとすぐに数学も個別に加えて頑張るという徹底振りです。


三者面談のときによく言うのですが、中学までの勉強は基本が中心で、無茶苦茶難しくて歯が立たないというような科目はありません。
きっちりやっていれば、誰でもある程度のことはできます。
入試問題を見ても、基本的なものばかりで、きちんとやっていれば必ず高得点が取れます。
面白いのは、数学や理科が得意な生徒は、英語や社会は暗記科目でつまらないと言い、逆に英語や社会が得意な生徒は、英語と社会は絶対に暗記科目ではない、ちゃんと理屈があって、理屈を理解すれば暗記しなくても身につくと言います。
つまり、自分の好きな科目は暗記科目ではなく、嫌いな科目は暗記科目だと思っているのです。


勉強を暗記だと思っているうちは、勉強が面白くなくて苦痛だとよく私が言うのはこのことです。
勉強を楽しめるようになると、結果はあとからついてきます。


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感謝の心 2

2009.10.19日

昨日のブログ「幸せって何だっけ」で感謝の心について書きましたところ、早速ひとりのお母さんから次のようなメールをいただきました。


「学院長先生のブログは毎日欠かさず読んでいます。
私は幼少より今に至るまでとても病気がちでした。何で私だけがという思いが常にありました。
しかし最近では、朝痛みで辛い時も、子どもたちのお弁当が作れた事に感謝、洗濯物が干せる事に感謝、お買い物に行ける事に、主人や子どもたちが元気に過ごせた事に感謝、と毎日とても感謝できるようになりました。
長い間病気をしてきたおかげかもしれません。病気をする事にも大きな意味があるのでしょうか・・
先生のブログはとても共感でき、勇気や元気や感動を与えてくれます。ありがとうございます。私の聖書になっています。きっと読んでいる皆様も同じだと思います。
ランキング4位おめでとうございます。(後略)」


実は、私も幼少の頃から体が弱くて、ほとんど毎週のように医者通いをしていました。
毎年、何回も風邪をひいていました。
また胃腸が弱く、胃腸薬のビオフェルミンは毎日服み、正露丸も手放せませんでした。
しょっちゅう喉を痛めて声が出なくなり、吸入器を使っていました。
10代のときからずっとじんましんにも悩まされました。頭から足の先までかゆくて、夜も眠れないほどでした。アレルギー性鼻炎にもなりました。
20代の若い頃も、胃潰瘍や尿路結石、ぜんそく、その他の病を患いました。
入院は何度か経験し、手術も2回しました。
帯状疱疹も経験し、原因不明のひどい頭痛が1週間、絶え間なく続いたことや、急性胃腸炎で苦しんだこともありました。突発性難聴にもなりました。
そのようなこともあって、体の弱い人の気持ちは少しはわかるような気がします。


しかし、私の大好きな作家、故三浦綾子さんは、若い頃から結核、脊椎カリエス、心臓発作、帯状疱疹、直腸癌、パーキンソン病など、数多くの病魔と闘い、自らを「病気の問屋」と称しながらも、「こんなにたくさん病気をして、私は神様にえこひいきされている」と、ご自分の大変な病気すらいつも感謝しておられました。
私は、病気にも意味があると思います。


今日、面談したひとりのお母さんは、先週は1週間ずっと夜勤で、今日の午前中まで働いていた、とおっしゃっていました。本当に頭が下がります。
子どもは自分が日夜働いているのを当たり前のことのように思っている、と言っておられましたが、そのようにして一生懸命働いたお金でお子さんを塾にやってくださっているのです。感謝なことです。


先日、小学生の作文指導をしていたとき、「最近、とくに感謝したこと」を書くという課題がありました。
本人は時間をかけていろいろ考えたのですが、最近感謝したことはとくにない、という答えでした。
そこで私が、「とくに感謝したことでなくても、毎日感謝していることはない?」とヒントを与えたのですが、返事は同じ、「なにもない」でした。
「じゃあ、毎日お母さんが働いて、食事を作ってくれて、〇〇ちゃんを学校や塾にやってくれていることはどう?感謝していない?」
と言うと、ようやく普段の生活の中で感謝できることに気づきました。


子どもは一体どれだけ親に感謝しているのでしょうか?
しかし、親も一体どれだけ子どもに感謝しているでしょうか?
顔を合わすとグチばかりこぼし、叱りつけ、子どもの心を傷つける言葉を無神経に吐いている親がどれだけたくさんいることでしょう。
気をつけて見ると、子どもは親に喜びや夢や希望を毎日いっぱい与えてくれています。
そのことに感謝しているでしょうか?
子どもに感謝を求めていながら、子どもに感謝することができない親が多いのではないでしょうか?


感謝することは、日常の生活の中で、数え切れないほどたくさんあります。
感謝できることを見つけて、素直にそれを言葉や行動で表してみましょう。
すると、不思議と自分自身も幸せな気持ちになりますよ。


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幸せって何だっけ

2009.10.18日

「幸せって何だっけ」と言うと、一番頭に残っているのは、今から20年余り前のキッコーマンのポン酢のテレビCMで人気となった明石家さんまの歌です(歌詞はこちらから)。
当時は、テレビをつけるとどのチャンネルでも、繰り返し繰り返しこの歌が流れ、耳にタコができるほど聞かされました。覚えている方もたくさんいらっしゃることと思います。


しかし、いったいどれだけの人が、「幸せって何?」って真剣に考えていることでしょうか?
ひとりの生徒は、お金があれば幸せだ、と言いました。お金があれば何でも好きなものが買えるし、好きなことができる。人生はお金だ、とさえ言いました。
私はこれを聞いて少し淋しくなりました。
私はこの子に言いました。
「先生が君に好きなだけお金をあげて、それで君が好きなものが買えたとして、君が本当に幸せになれるとは先生には思えないよ。
むしろ、お金がたくさんあると、働く意欲もなくなるし、かえって不幸になることさえあると思う」


今日、私はこの「幸せ」について深く考えさせられました。
今朝、私の尊敬する師であり、同労者であり、友人でもある柿谷正期牧師の牧会される湘南見附キリスト教会の礼拝に妻と一緒に行ってきました。
柿谷先生とは30数年に及ぶ家族ぐるみのお付き合いで、同じビジネスに携わってご夫妻とグアムやフィリピンへの招待旅行にもご一緒させていただきました。
また私たちがアメリカの留学を終えて帰国したとき、住まいが決まるまでのしばらくの間、先生のお宅でお世話になり、仕事でも数多くご一緒させていただいてきました。


その柿谷先生の奥様、寿美江先生が脳腫瘍で突然倒れ、手術を受けられた、という知らせを聞いたのは1か月少し前のこと。
私たちは大きなショックを受けました。
その後、リハビリで順調に回復され、歩くこともできるようになった、とお聞きし、1日も早い全快を毎日祈っていたのですが、病状は芳しくないそうです。
今朝は、寿美江先生が礼拝に出られるとお聞きし、お会いしに行ったのですが、残念ながら帰宅が少し延びたということでお会いできませんでした。
礼拝後、柿谷先生に寿美江先生の病状についてお伺いしました。
そして、柿谷先生が寿美江先生のホームページを作ったので見てください、とおっしゃったので、帰宅して妻と一緒に早速見てみました(こちらから)。


寿美江先生が口述されるのを、アメリカから訪ねてこられていた妹さんが筆記され、それを息子さんがホームページにアップされました。
全文英語で書かれ(近々日本語訳も載るそうです)、しかも6ページに及ぶ長いものですが、妻と一緒に読んでいて涙が溢れてきました。(日本語訳が出ました)
悲しくて、可哀想で泣けたのではありません。
そのようなことは寿美江先生も望んでおられないことでしょう。
感動の涙です。


ホームページには、脳腫瘍を発症した経過から、リハビリのこと、感謝なことのリスト、予後について、聖書のみことば、祈り、看病された妹さんの言葉、という構成になっています。
これまで寿美江先生のことは、このブログに書くのは控えさせていただいていましたが、寿美江先生のホームページを今日見て、ぜひこの証しをひとりでも多くの人と分かち合いたいと書いてあったので、勇気を持って書くことにしました。


とくに、私がとても感動したのは、「感謝のリスト」です。
「幸せとは」で始まるこの感謝のリストは延々と続きます。
私たちが普段、なんとも感じていないごく当たり前のことがどれほど幸せなことかを教えてくれます。
以下に一部引用させていただきます。


「幸せとは、朝、窓から差し込む太陽の光を見ること。
幸せとは、呼吸し、話し、聞き、見ることができること。
幸せとは、血餅(血液の凝固)を防ぐためにたとえほんの少しでも足や腕を動かすことができること。
幸せとは、座って、自分で靴下を履けること。
幸せとは、自分のお気に入りの歯磨きと歯ブラシで歯を磨けること。
幸せとは、手術の1週間半後、初めて外に出て、太陽の輝きを見、新鮮な空気を吸い、美しい花、木、鳥を見、庭の噴水から流れる水の音が聞けること。
幸せとは、家族や多くの友人が自分のことを覚え、祈って支えてくれていること。
幸せとは、私を愛し、毎日見舞ってくれる夫がいること。
幸せとは、誇りに思う子どもたちがいること。
......。」


ご夫妻の、ご一家の、寿美江先生のリハビリ中の写真などがたくさん載せられていますが、寿美江先生の表情はどれも明るいものばかり。
医者の診断によると、余命は放射線治療をして6か月、放射線と化学療法(抗がん剤治療)で13か月と、このホームページに書いていらっしゃいますが、とてもそのようには見えない明るさです。


私は以前このブログ「訓練していたことを実践しただけです」に書いた、日本のホスピスの生みの親、柏木哲夫氏の言葉を思い出しました。
「人は生きてきたようにしか死ねない」「人は生きてきたように死んでいく」「良き生というのが良き死につながる」
私は今でも寿美江先生の奇跡的な癒しを信じて祈り続けています。
でも、同時に神様のみ手にお委ねしています。
私自身の命も、人生も、すべて神様のみ手の中に委ねています。


幸せとは、なにか特別なことではないのですね。
普段の生活の中の当たり前のことをもっともっと感謝するものになりたいと思いました。


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お薦め脳訓練法

2009.10.17日

誰でも必ず頭は良くなります。
それは訓練の仕方にかかっています。


一生懸命頑張っているけど、結果が出ない、と言う人はたいがいやり方が間違っています。
たとえば、英単語を覚えるときノートに何十回も書いて覚えようとする人がよくいます。
学校で、英語の先生に単語は何十回も書いて手で覚えろと言われた、と彼らは言います。
でも、残念ながら手は覚えません。覚えるのは脳です。理屈がわからないまま、たとえ何百回書いても覚えられません。
その逆に、単語のスペリングと発音の関係(フォニックス)の理屈がわかれば、正確な発音さえ身につければスペリングは比較簡単にできるようになります。
何事もそうですが、理屈を身につけることが大切です。
「理屈はどうでもいいから、まず暗記しろ」と言う人がときどきいますが、これは間違っています。
たとえ暗記してテストである程度の点数が取れたとしても、それで終わりです。
このような勉強法では頭は良くなりません。


ずいぶん前のことですが、距離・速さ・時間の問題を教えるときに、生徒に繰り返し繰り返し、
「距離は速さ×時間、速さは距離÷時間、時間は距離÷速さ」
と後について暗唱させている先生がいました。
言葉で公式を覚えても、しばらくすると忘れてしまいます。
このような生徒は、計算間違いをして、車の速さが時速3000キロとかになっても、別に何とも感じません。
9月27日のブログ「距離・速さ・時間」でも書きましたが、理屈を知ることが一番大切です。


さて、脳の訓練法としてお薦めなのは、学校や塾の授業で学んだこと、あるいは新聞や本、テレビのニュースなどで知ったことを、自分の言葉で言い換えて人に説明するという方法です。
よく言われることですが、人から説明を聞いているうちはなかなか自分のものになりませんが、人に説明できるようになると自分のものになります。
ですから、テレビのニュースを見るときにも意識して内容を理解しようと努めます。
そして、理解して覚えたことを早速、自分の家族や友達に話す。すると、そこでその知識が本物になります。


普段の生活で簡単にできることがあります。
たとえば、昨日の晩御飯のおかずは何だったか、一昨日は何だったか、などを思い出すことです。
これだけでも結構いい脳の訓練になります。
ある人は、1日遅れの日記を書くことを勧めていますが、これも同じ考えです。


何か新しいことを覚えるときに効果的なのは、既知の事柄(すでに知っていること)に結びつけることが非常に効果的です。
これは暗記のテクニックでもありますが、同時に脳の訓練にも役立ちます。
たとえば、円周率をただ単に数字の羅列で、3.1415926535897932384と覚えようとすると大変ですが、これを「才子、異国に婿さ、子は苦なく身ふさわし」などと語呂合わせで覚えると、忘れません。
人の名前を覚えるときも、私たちは無意識のうちに、自分の知っている同じ名前の人に結びつけたり、何かその人の特徴に結びつけて覚えたりしていますが、それと同じ理屈です。


日常の生活で、アンテナを張り巡らせておくことも頭を良くします。
「いつでも、どこでもドア」に書きましたように、勉強はいつでも、どこでもできるものです。その機会を失わないように、見るもの、聞くもの、触れるもの、ありとあらゆるものから貪欲に学ぶこと、これがアンテナを張るということです。


脳訓練法のもっとも大切な点は、思考力を養うことです。(「考える」習慣を身につけようを参照してください)


訓練を始めるのは、早ければ早いほど効果が高いです。
でも、手遅れということはありません。いつでも、思い立ったが吉日です。


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実るほど頭を垂れる稲穂かな

2009.10.16日

今日の読売新聞夕刊3面に「言葉のアルバム  父の人生訓 授ける番」というタイトルで、前厚生労働相、舛添要一氏のことが紹介されていました。


戦前炭鉱事業に失敗し、戦後個人商店を始めた舛添氏のお父さんは、「浮き沈みの多い人生で、酸いも甘いも味わった」といいます。
田んぼのところでしなる稲穂を指して、幼い舛添氏に父親が語った言葉が、
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
だったそうです。
数多く教えられたことわざ、故事の中で、これは父親が人生訓としてかみしめていた言葉らしく、「この一言がもっとも印象的」だったと舛添氏は語っています。


「それまでは国際政治学者として学問の世界にいた。飛び込んだ永田町は別世界だった。国会議員としての自尊心が強く、偉ぶる人間が少なくなかった。警護官が付いたからといって威張り始める政治家がいれば、来客に無礼な対応をする議員秘書もいた。こうした人たちは反面教師。永田町では父の言葉を思い出し、議員バッジの権威を自ら退けようとしています」
この舛添氏の言葉に、私は「ああ、やっぱり」と思いました。
麻生前首相にはこのような謙虚な姿は見られませんでしたが、腰の低い舛添氏にはいつも好感を持っていました。


先日のブログ「カーソナリティ」にも書きましたが、立派な肩書きに反して人格が伴っていない人、また逆に大富豪なのにとても謙虚な人などに、私自身、これまで数多く会ってきて、冒頭の言葉
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
を自分の人生訓としてきました。


でも私はまだまだ「頭が高い」と常々思っています。
舛添氏は、「今度は自分が『言葉』を授ける時期なのかもしれない」と語っていますが、私もひとりの父親として、また塾で毎日接する大勢の子どもたちの「お父さん」として、もっともっと「頭を垂れる」者になって、舛添氏のようにお手本になりたいと思わされました。


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人を変えようとするな 2

2009.10.15日

去る5月にも同じタイトルでブログを書きました。(人を変えようとするな)
このトピックはあまりにも大切なので、何度でも書く必要があります。
(英語で言うと、
This topic is so important that I have to write about it again and again.)


以前読んだ本に次のようなことが書いてありました。
ある女性が通う(確か)人間関係のクラスか何かで、講師が、
「自分にどのように変わってもらいたいか伴侶に尋ねてくるように」
という宿題を出したそうです。(もちろんアメリカでの話です)
そこでその女性が夫に尋ねたところ、
「何も変わってもらいたいことはないよ。今の君のままでいい」
という返事が返ってきたそうです。
そのことを彼女がクラスで発表したところ、講師を始め、クラスのみんながとても感動したそうです。


素晴らしいですよね。
私たちは誰でもひとつやふたつ(いや、きっとたくさん)、夫に、妻に、子どもに、親に、兄弟に、親戚に、友人に、教師に、生徒に、会社の同僚に、上司に、部下に...変わってもらいたいと思っていることがあるのではないでしょうか。
でも、よく考えてみると、周りの人も私たちのことを「〜のように変わってくれたらいいのに」と思っていますが、私たちは決して変わろうとしません。
むしろ、人に言われると不愉快になるものです。
人間、みんな自分自身の考え方、価値観、好み、やり方、生き方等があるものです。
それを人に変えようとされるのは、みんないやなのです。
ならば、私たちも人を変えようとしてはいけません。
自分と異なる価値観を持つ人を、そのまま受け入れ、認めなければならないのです。
それが良好な人間関係を築きます。
むしろ、人を変えようとする無駄なエネルギーを、自分を変えるために使うほうがよっぽどいいです。


私たち夫婦は、朝起きるといつもお互いに、
「Good morning! 今日も1日よろしくね!」
と挨拶します。
そして、夜寝るときは必ず、
「今日も幸せな1日だった。ありがとう」
「ありがとうございます」
「Good night!」
と言って床につきます。
そうすると、心がポカポカと温かくなってきて、すぐに眠れます。一晩中ぐっすりと。
相手を変えようと思って、イライラして眠れないより、よほど健康的だと思いませんか?
「結婚して20代は情熱、30代は惰性、40代は忍耐、50代はあきらめ、60代になって感謝」
ということを昔聞いたことがありますが、感謝するのに何も60代まで待つ必要はありません。


新聞の「人生案内」の相談内容を見て、今日のトピックを考えました。


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インフルエンザにかかりました!

2009.10.14日

早朝、苦しくて目が覚めると、頭がガンガンします。
体中が痛くて、もう最悪です。
辺りは真っ暗。今、一体何時なんだろう、と思ってテレビをつけると、いきなり火事のニュースが目に飛び込んできました。
見ていると、もう街中が火の海。


e03_17_08.jpg


なんだ、これは!?
夢なのか?自分の感覚が狂っているのか?頭がクラクラしました。
しばらく見ていると、高速道路が崩れ落ち、電車が脱線している様子やビルや家が倒壊している様子が次々とテレビの画面に映し出されます。


そう、これは今から15年近く前の1995年1月17日の阪神・淡路大震災の日のことです。
忘れもしないこの日、私はインフルエンザが発症しました。
お騒がせして申し訳ありません。
「インフルエンザにかかりました」というのは、今日のことではありません。ご安心ください。
英語だと、
"I've got a flu." または、"I have a flu."
と言うと、今インフルエンザにかかっているという意味で、
"I had a flu."
と過去形で言うと、以前かかったということになります。
しかし、日本語の
「インフルエンザにかかりました」はどちらにも取れて、あいまいな表現です。


先週1週間インフルエンザで塾を休んでいた生徒ふたりが今日、カムバックしました。
医者からOKが出た、ということで、もうふたりとも元気いっぱい。
お母さん方からのお電話では、ふたりとも塾に行きたくてうずうずしていたとのこと。
ふたりとも熱が高かったのは最初の1日だけで、薬ですぐに熱は下がりそれほど大変ではなかったそうです。
私の場合、そのような薬はなかったので3〜4日高熱が続き、布団の中でウンウンうなっていました。


幸い、今回の新型インフルエンザは感染力は強いものの、数年前の鳥インフルエンザのときのように強毒性ではなく、回復も早いのですが、油断は禁物です。
私も今日からマスクをして授業に臨みました。
普段、マスクなどしたことがないので、息苦しくて大変でした。
生徒に、自分の予防のためにも、また他の人への感染予防のためにも、できる限りマスクをしてくるようにと伝えました。


結局のところ、インフルエンザに対する最善の予防法は、マスクのほかは、うがい、手洗い、十分な栄養と休息、というごく当たり前のことしかないようです。


アカデミーの新型インフルエンザ対応策についてはこちらをご覧ください。
皆さん、くれぐれもご注意ください。
ちょっとでも熱っぽい、体がだるい、普段と違う、と感じたら、学校も塾も会社も休みましょう。


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類は友を呼ぶ

2009.10.13日

「類は友を呼ぶ」はよく耳にすることわざです。
英語では、
Birds of a feather flock together. (同じ羽根の鳥が群れる)
Like attracts likes.  (似たものが似たものを引き寄せる)
とか言います。


確かに、鳩は鳩と、ツバメはツバメと、スズメはスズメと群がり、その中にカラスが混ざるということは絶対にないし、その逆もありません。
鳥だけでなく、ほかの動物もそうです。
人間界においても同じです。
スポーツ好きな人のところには自然とスポーツ好きな人が集まるし、同じ趣味や考え、価値観を持っている人には同じような人が集まってきます。
ある人が、このことを「同じ匂いがする」と表現しましたが、言い得て妙です。
学校でも同じような生徒が自然とグループを形成します。
会社もそうです。社員は同じようなタイプの人が多いです。
塾もそうです。同じ考え方の先生達が集まってきます。


悪い仲間と一緒にいるといつの間にか、そのような人間になってしまいます。
親切な人たちと一緒にいると、自然と自分も親切な人間になっていきます。
ということは、もし成長したければ、そのようなグループとつるむことです。


以前に何度かこのブログで紹介した『天才! 成功する人の法則』の著者、マルコム・グラッドウェルは、オーディオCDブック Outliers のインタビューの中で、
「1200人のうち、たったの20人ぐらいしか大学に進学しないような環境で育ったが、たまたま親友のひとりが New York Times 紙の編集者に、もうひとりがハーバード大学でもっとも若い教授になる。このような環境が、自分を文筆家につくり上げた」
と言っています。(成功の背景)


また、このことは引き寄せの法則にもつながります。
引き寄せの法則は、人だけでなく、人の考え方や才能、そして人生そのものまで引き寄せます。(引き寄せの法則 2)


「類は友を呼ぶ」はあらゆる世界で働く法則です。


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カーソナリティ

2009.10.12日

トヨタでは数年前から、個性を持った車「カーソナリティ」の研究を進めているといいます。
これはもちろん「カー」(車)と「パーソナリティ」(個性)のふたつの言葉の造語です。
将来、ドライバーがカーソナリティを持つ車と対話しながら運転できるような技術を目指しているそうです。
トヨタの車はトヨタらしい「カーソナリティ」があり、日産には日産の、ホンダにはホンダの「カーソナリティ」。
今はまだ、デザインや内装などの面でのみ各社の個性が出ているのですが、ゆくゆくはコンピュータ技術を駆使して運転者と対話する、まるで「ナイトライダー」のような車です。
面白い時代になってきました。
ひと昔前までは夢物語だったのですが。


ところで、この「カーソナリティ」という言葉にはもう一つの意味があります。
免許の更新で講習会に行くと、自己アンケートのような用紙が配られます。そこに自分の運転パターンをマークしていくと、運転者の性格が判断されるというものです。
車を運転するときに表れる運転者の「パーソナリティ」を「カーソナリティ」と呼ぶのです。
確かに、車の運転を見ているとその人の性格が出ています。
注意深い人、不注意な人、丁寧な人、横着な人、落ち着いた人、せっかちな人等など。


さらに、車の運転に限らず、いろいろなところに人の性格は表れます。
歩き方、話し方、笑い方、人との接し方、勉強の仕方、仕事の仕方、趣味の楽しみ方、遊び方、スポーツのプレーの仕方、楽器の演奏の仕方、文章の書き方、芸術作品の作り方、商品の作り方、...。
考えてみると、人のすることには一つひとつその人の性格が表れています。
当たり前のことと言えばごく当たり前のことなのですが。


私たちが日常の生活の中で、何気なく言ったり、したりしていること、すべてが私たちの「パーソナリティ」を表していて、人はみんなそれを見て、私たちがどのような人物かと判断しているのです。
つまり、私たちは自分の言うこと、することに責任を持たなければならないということです。
かつて、リンカーン大統領は、「40歳過ぎたら自分の顔に責任を持て」とさえ言いました。
顔にもその人の人格が表れているというのです。


私は若い頃、〇〇クラブの会長とか、〇〇の家元とか、〇〇社の社長とか、いわゆる世間的に見て立派な肩書きを持っている人にたくさん会いましたが、若造の私に対するその人の接し方、言葉遣いですぐにその人の人格を見抜くことができました。
お客に対して、また目上の人に対して丁寧でも、自分より下の者に対して乱暴な言葉遣いをする人は、やはりそういう人格の持ち主です。
本当の人格者は、誰に対しても丁寧です。
そうそう、アメリカで知り合った大富豪のBさんご夫妻は、とても謙虚な方で私は心から尊敬していました。
Bさんの豪邸に私の家族が招待されたときの写真が今日出てきたので、ブログ「何事も一生懸命 2」にアップしました。


「カーソナリティ」、車の運転の仕方だけでなく、私たちは自分の言動一つひとつに気をつけたいものです。


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天地人

2009.10.11日

NHK大河ドラマ「天地人」の原作の著者、火坂雅志(ひさかまさし)さんのことが、今日の読売新聞20面に載っていました。
「兼続(かねつぐ)の生き方 現代に問う」という題で、火坂さんのこの小説に対する思い入れが語られています。
「謙信、兼続の生き方を描いているうちに、『現代社会に足りない部分がある』『こういう考え方があったのか』と私自身が目を開かされました。これを表現できなければ現代を生きる小説家として意味がないのではないか、と思うようになりました。もともと同郷の人物であるため興味を持っていましたが、彼らの生き方を描くことが歴史小説家としての私の使命であり、現代社会に訴えていかなければならないと感じたのです」


私はこれを読んで心を動かされました。
小説家はただ単に生活のために小説を書いているのではなく、使命感を持って書き、社会に訴えかけているのです。
これは小説家に限らず、ありとあらゆる職業に当てはまります。
スポーツ選手は、ただ単にスポーツが好きだから、あるいは人々の脚光を浴びたいからやっているのではありません。自らのプレイにより、ひとりでも多くの人に夢、希望を与えることを願っているのです。
同様に、芸術家も作品を通して自分の考えや生き方を訴えているのです。
かつて、ある人がゴッホに、
「あなたはこの絵で何を訴えたいのですか?」
と尋ねました。
「言葉で訴えることができるのなら絵は描きません」
がゴッホの答えでした。


実は、少しおこがましいのですが、私のこのブログも自分の人生をかけて書いているつもりです。
大げさに、あるいは傲慢に聞こえるかもしれませんが、「天地人」の著者、火坂さんが言っているのと同様、私がこれまで経験してきたことや、普段考えていること、感じていることをブログをとおして、ひとりでも多くの人と分かち合い、そのことによって、その人の人生が少しでも豊かになるお手伝いができれば、と思って書いています。
今はそれが私の使命であるとすら思っています。
生意気に聞こえたら申し訳ありません。でも、私の正直な気持ちです。
私のこの思いをくみ取ってこのブログを愛読してくださっている方には、いつも心から感謝しています。
「元気の出るブログ」と名づけましたが、少しでもエネルギーの源泉、夢を描く助けとなるなら、それこそ私の本望です。


私はまだまだ本当に未熟者ですが、「天地人」の主人公、直江兼続のようなまっすぐな生き方ができれば、と常々願っています。


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ノーベル平和賞、おめでとうございます!

2009.10.10日

5年前のことです。
ある朝、いつものように起きて着替え、郵便受けに入っている朝刊を取ろうと思って玄関のドアを開けました。
家の周りは黒山の人だかりです。
何事かと思った瞬間、一斉にフラッシュがバチバチと大きな音を立ててたかれ、私はそのまぶしさに目がくらみました。
「おめでとうございます!」
「ノーベル平和賞、受賞おめでとうございます!」
私は何が何だかさっぱりわけが分からず、キョトンとしていました。
「受賞の感想を何かひとこと!」
えっ、まだ寝ぼけているのだろうか?
それともまだ夢の中だろうか?
あっ、わかった。これはきっと例のドッキリカメラだ!
と思った瞬間、目が覚めました。
夢だったのです。(当たり前のことですが...)
でも、あまりにもリアルな夢だったので、夢なのか本当なのかわからないぐらいで、私はしばらく夢の余韻を布団の中で味わっていました。


今朝、玄関のドアを開けて郵便受けから新聞を取ると、1面トップを飾っていたのはオバマ米大統領のノーベル平和賞授与決定の記事でした。
私は心からオバマ大統領に「おめでとうございます!」と言いました。
まるで自分のことのように嬉しかったです。(私が受賞できるわけないのですが)


今年の3月、アカデミーの卒塾式をするとき、生徒にプレゼントするアルバムの中に各教師の紹介欄があり、そこに「尊敬する人」というのがあったのですが、私は躊躇することなく「オバマ大統領」と書きました。
生い立ちが貧しくて、苦学生だったこと、そのような中でコツコツと努力して今日の人生を築き上げてきた、という点で私はオバマ大統領を心から尊敬しています。
彼の"YES, WE CAN!" のメッセージに共感を覚えました。
また、彼の苦学の学生時代にもとても親しみを感じました。
さらに今回のノーベル平和賞授与の決定で、同じ平和を愛する者として、また同じ賞の受賞者(?)として、ますますオバマ氏に共感しました。


ですから、オバマ大統領のノーベル平和賞授与決定のニュースに、私はとても興奮したのです。
しかも、授与決定の理由が「実績」ではなく、「期待値」であることも素晴らしいと思いました。
これで、オバマ氏自身も、アメリカ合衆国も、アメリカ国民も、また全世界も、心をひとつにして「核のない平和な世界」を希求し、実現に向けて努力するのを後押しすることになるでしょう。


オバマさん、本当におめでとうございます!
でも、仕事はこれからですよ。
頑張ってください!世界のみんなが応援していますよ。


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テストを楽しむ

2009.10.09日

えっ、テストを楽しむ !?
テストなんか大嫌い。楽しめるわけがない!冗談じゃないよ!


おそらくほとんどの人がそう思うでしょう。
私自身、小中高校生のころテストは大嫌いでした。
私の場合、34歳まで学生稼業をしていたので、多分他の誰よりもたくさんテストを受けてきたと思います。
あまりにも長い間テストを受けていたので、今でもときどき恐怖の夢を見るほどです。
「あっ、ヤバイ!明日はテストだった!すっかり忘れていてまったく勉強していなかったぞ!」
というような夢です。


ところが、長年テストをやってきて、さらに大学で教える立場になり、またその後学習塾で生徒たちに教えることになり、テストの裏側が見えるようになってきました。
「そうか!テストとはこういうものだったんだ!」と。
これがわかると、テストを楽しむことができるようになるのです。


1. 少しずつ覚える。
テストを受ける側(生徒・学生)にとっては、覚えなければならないことがあまりにも多くて圧倒されます。これだけでもテストは嫌なものです。
この問題をクリアする1番いい方法は、いっぺんにたくさん覚えなくていいように、普段から少しずつ、出てくるたびに覚えることです。
テストができない人は、テスト直前に必死で暗記しようとします。そして覚え切れないままテストに臨み、そのとおりの結果が出ます。
そして、ますますテストが嫌いになります。


2. ポイントを絞る。
多くの人がどこが大事だか分からなくて、あれもこれも覚えようとします。
これだとストレスになります。
そこで、覚えるポイントを絞ります。そして、小分けにして覚えるのです。
大切なところは、教科書や問題集には太字で書いてあります。
問題集をやっていくうちに、同じ問題が何度も出てくるので、そこが重要ということがわかります。
そこを何度も繰り返して、確実に覚えるのです。


3. 出題者の立場になって重要なポイントを見抜く。
自分がここから問題を作るとしたら、多分こういう問題だろうな、というふうに。
これは楽しい作業です。
最初のうちは、教科書の文章をそのまま写して(    )をつけて穴埋め問題を作るといいでしょう。
チェックペンとチェックシートを活用するのもいい手です。
この段階で重要な部分は大体わかるようになってきます。


4. 興味を持って楽しみながら学ぶ。
普段から丸暗記の勉強法ではなく、意味を納得して、理屈を理解して学んだことを身につけることです。
これだと楽しく学べます。 楽しく学んだことは記憶に残り、テストでも思う存分力を発揮できます。
どの教科も、得意な人はみんな例外なく暗記ではなく、興味を持って楽しみながら学んでいます。


5. 結果を出す。
テストで1度いい結果が出ると誰でも嬉しいものです。そして自信がつき、さらに欲が出てきます。
このサイクルに入ると、テストがどんどん楽しくなります。


大切なのは勉強を楽しむことです。そうすると、テストも楽しくなります。


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袖触れ合うも他生の縁

2009.10.08日

「袖触れ合うも他生の縁」は仏教の教えで、「他生」とは仏教の思想である輪廻で「前世」、すなわち「今の世」に対して、この世に生まれてくる前の世界を指しています。
上のことわざの意味は、
「袖が触れ合うようなちょっとしたことも、前世からの深い因縁によって起こるものである」
ということです。


キリスト教には輪廻の思想はありません。キリスト教では神の摂理、すなわち神の深いご愛と知恵の中で立てられたご計画、によってすべては最善に導かれる、といいます。


3年ほど前のことになりますが、副学院長が送迎バスを路上に停めて教室にいたとき、外で「ドーン!」という大きな音がしました。
「あっ、また事故だ」
どういうわけか、教室の前ではこれまでにも何度も自動車同士の事故、自動車と自転車やバイク、歩行者の事故が起こっています。
しばらくすると、以前アカデミーに来ていた人が教室に来て、
「先生、アカデミーのバスがよその車にぶつけられましたよ!」
と言ってきました。
あわてて外に出てみると、バスの後部に乗用車がめり込んでいます。
幸い、運転していた人に怪我はなく、バスにも誰も乗っていなかったので、ホッとしました。


さて、バスの修理の話になったとき、相手の方の保険会社の担当者がうちに来て、どうか自分の知り合いの修理工場で修理をやらせてください、と頼みました。
私はこれまでずっとディーラーで修理してもらっていたので、今回もディーラーでと思っていたのですが、どうしてもと言われてあまり気は進まなかったのですが、その工場で修理してもらうことにしました。


それ以来、この3年間、何と車検も修理も、タイヤ交換も、すべてこの修理工場、Tボディーでやってもらっているのです。それも4台の送迎バスと乗用車の5台全部を。
Tさんとはすっかり親しくなり、去年はジャズのライブショーに招待までしていただくことになりました。


「袖触れ合うも他生の縁」は仏教用語ですが、キリスト教式に言うならば、神様のご計画のうちにTさんとめぐり会うことになっていたということです。


そういえば、私の場合、妻との出会いも、いわばいくつもの偶然が重なってたまたま出会った、と普通の人だったら言うかもしれませんが、これは「赤い糸」ならぬ「神の意図」によって出会ったと言うほかありません。そして、私たちの間に生まれてきた3人の子どものことを思うとき、とくにそう感じます。
そのように考えてみると、人と人との出会いは、場所や時だけでなく、すべての状況がぴったり合わなければ起こり得ないことで、やはり背後で神の手が働いていると思います。
これをすべて「偶然」と呼ぶほうが、よほど大きな信仰がいります。
有名な心理学者ユングは、この世の中のことはすべてがつながっていて、意味のない偶然はない、とまで言っています。
「他生の縁」どころか、永遠から永遠に、意味をもってつながっている、しかもただのつながりではなく、すべては私たちの最善のために。
と考えると、人生はとても面白くなってきませんか?


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三者面談で気づいたこと

2009.10.07日

中学部では学校の前期期末試験が終わり、今回の期末の成績と夏期講習最終日に実施した学力テストおよび中3生対象の県模試の結果をもとに先日来、三者面談を行っています。
連日8名ほどの面談をこなしていますが、まだまだ予約の入っていない人のほうが多いです。
まだの人はぜひ、早めに予約を取ってください。この面談を機会に、やる気を出して、真剣に勉強に取り組む人が大勢います。


今回の三者面談をとおして気づいたことをお話します。
やはり普段からの学習に取り組む姿勢がそのまま結果に出ています。当たり前のことですが。


ときに、期末試験と学力テスト(県模試)の結果に違いがあることがあります。
たとえば、中間でも期末でも数学がとてもよくできていたので、自分は数学が得意だと思っていたが、学テ(模試)では数学が思うような結果ではなかった、というようなケースです。
これは理由は簡単で、学校の試験範囲の決まった定期テストではその箇所をしっかりやっておけば点が取れますし、また教科担当教師のテスト問題の出し方のくせなどもあります。
「ここは大切。試験に出すぞ」と先生が言っていたところをしっかり勉強していれば、いい点数が取れて当たり前です。
しかし、学テ(模試)ではそういうわけにはいきません。試験範囲はこれまでやったところすべてで、しかも学校の先生のように出題のヒントを言ってくれません。ですから、本当の実力勝負です。
学校の定期テストでいつも高得点を取り、学年順位もトップクラスで、成績も非常にいいけれども、学テ(模試)になると、高い偏差値が出ない、という人は要注意です。
このような人の勉強法は、試験のための暗記中心の勉強です。
このタイプの人に必要なのは、学んでいることに興味を持ち、理屈をきちんと理解し、演習を繰り返して確実に身につけることです。


一方、学テ(模試)では高い偏差値が出ているのに、学校の定期テストではなかなかいい結果が出せない、という人も中にいます。
このような人は、本当の実力はあるのですが、定期テストのための勉強をしっかりしていないのです。
頭のいい人に多いタイプです。
がむしゃらに試験勉強をしなくてもある程度いい点数が取れるので、つい手抜きしてしまうのです。
このタイプの人に必要なのは、「学校の勉強をなめるな!もっと真面目にやれ!」ということです。


学校の定期テストもまた学テ(模試)も同じように悪い人。
これは頭が悪いというよりも、普段の勉強をほとんどしていないからです。
部活もいいでしょう。また友達との付き合いを大切にし、ゲームや音楽など自分の趣味を楽しむのもいいことです。
しかし、大切なのはけじめのつけ方です。
勉強のできる人はみんな例外なく、けじめのつけ方がうまいです。
このタイプの人に必要なことは、学校や塾での授業に集中し、授業後は日を置かずに必ず復習し、さらにその復習の延長線上で宿題をやり、勉強と息抜きにメリハリをつけることです。
これさえきっちりやれば、本当のところ誰でも成績を上げることができます。
言われたとおりやっているのに成績が上がらないという人は、ただ漫然と机に向かい、ダラダラと時間をかけているだけで、ツボを押さえた勉強をしていません。
ツボを押さえた勉強とは、覚えるべきところは確実に覚えるまで何度も繰り返して声に出して読んだり、手で書いたりすること。
次に、覚えたことを少し時間をおいて、覚えているかどうかを確認すること。
そして、問題演習を繰り返すこと。
わからないこと、納得のいかないことはそのままにしておかず、必ず先生に尋ねて疑問を解決すること。
先天的に脳に障がいでもない限り、これをしっかりやって、成績が上がらないということはまずあり得ません。


最後に、定期テストも学力テスト(模試)も同じようにいい結果が出ている人。
よく頑張っています。
あなたは他の生徒のお手本です。
これからも、油断することなく、引き続き努力を続けましょう。


試験前の勉強だけでは実力はつきません。
普段からコツコツ勉強し、本をたくさん読み、また新聞やテレビなどでニュースを見、家族でさまざまなことを話し合い、頭を鍛えておくことが大切です。これが本当の実力につながります。


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嫌煙権と喫煙権

2009.10.06日

嫌煙権があるのですから、当然喫煙権だってあります。
タバコを吸う、吸わないは個人の自由だからです。
ただ、喫煙権を主張しタバコを吸うことによって、タバコを吸わない人に受動喫煙の迷惑をかけるのは考えものです。
なぜなら、嫌煙権を主張する人は、タバコを吸わないことによって、喫煙者に迷惑をかけることはないからです。
受動喫煙の危険性は広く認知されていて、受動喫煙を防止する目的で健康増進法ができているほどです。


10年ぐらい前のことですが、平塚の駅ビル、ラスカの星の広場で妻と一緒に小さなテーブルを囲んでコーヒーを楽しんでいました。
そこにひとりの60代の方が近づいてきて、「相席してもいいですか?」と尋ねました。
私はにっこり笑って「ええ、どうぞ」と答えました。断る理由は何もありませんでした。
しばらくするとその方が「タバコを吸ってもいいですか?」と私たちに尋ねました。
私は「私たちはタバコは吸わないので、タバコは遠慮していただきたいです」と答えました。
するとその人は、いきなりすごい剣幕で怒鳴りました。
「ここは相席をしていい場所ですよ。相席していいところでタバコを吸うのがなぜだめなんですか?」
「でも私たちが最初からここに座っていて、後から来たあなたにタバコを吸ってほしくないと言うのですから、タバコを吸いたい人が他の席に移るのが常識じゃないですか?」
「私はタバコを吸うことによって税金を払ってJRに寄付をしているのですよ!」
???
(タバコとJRと何の関係があるの?ここがJRの駅ビルだから?)
相手が喧嘩腰になってきて、今にもこぶしを上げんばかりになったので、私たちは仕方なく席を立ち上がり他の空いている席に移動しました。
私は非常に不愉快でした。でも、こんなところでお年寄りを相手に喧嘩するのも馬鹿げているので、自分から引き下がることにしました。
(後になってわかったことですが、この人が言いたかったのは、JRではなくJT、日本たばこ産業のことだったのです)


大学に入って最初のフランス語の時間、ベレー帽をかぶり、マントを羽織って、パイプをくわえた日本人の先生が教室に入ってきました。
「ボンジュール、ムッシュ・エ・マドモワゼル!」
しばらくフランス語で自己紹介したりしてペラペラ話し、その後ようやく日本語で話し始めました。
「私はこのクラスでは日本語は一切使いません。フランス語で授業を進めます。新しい単語や文法などで、説明が必要なときは英語を使います」
(おっ、カッコいいぞ!このクラスはおもしろくなりそうだ)
「私は授業中にパイプタバコや紙巻タバコを吸います。君たちももし授業中、タバコを吸いたかったら、教室を吸殻で汚さないように、このような携帯灰皿を持ってくれば吸ってもいいです」
(ちょっと待った!タバコを吸わない人にとっては、タバコを吸われるのは迷惑なんだ!吸殻の問題じゃない!)
授業後、私はその先生のところに行って言いました。
「先生、ちょっとお話したいことがあるのですが」
私はその場で、授業中のタバコのことを抗議したかったのですが、その先生は何を勘違いしたのか、
「あっ、それじゃ今からレストランに一緒に食事に行きましょう」
と言って私を職員食堂に連れて行き、言いました。
「何でも好きなものを注文してください。ご馳走します」
(しまった。これはやばいことになったぞ)
でも、食事をしながら私は正直に私の考えを先生に伝えました。
先生は驚いてまじまじと私を見つめて言いました。
「今まで長年教えてきて、このようなことを言われたのは初めてです。
でも、君の気持ちはよくわかりました。次回の授業のとき、学生に授業中はタバコを吸わないよう言います。そして私もできる限り授業中は控えるようにします」
その後、2年間このT先生のフランス語のクラスを取りましたが、ずっととても可愛がっていただきました。
「嫌煙権」という言葉もなかった40年も前のことです。


嫌煙者の中には、私のようにタバコの煙にアレルギーで、喉や目が痛くなる人もいるのです。
喫煙者は嫌煙者のために気遣う心を持ち合わせてほしいものです。
また自分の健康のためにも、周りの人々の健康のためにも、さらに自らの精神の鍛錬のためにも、タバコをやめることができたらもっといいと思います。
私の父は、私のために禁煙してくれました。私は今でもこのことで父に感謝しています。


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「考える」習慣を身につけよう

2009.10.05日

英語を専攻し、言語学に興味を持っていた学生時代、私は外山滋比古さんの本をよく読みました。
波長が合い、彼のファンになりました。
たまたま昨日の読売新聞2面の「顔」に「『思考の整理学』が100万部を突破した外山滋比古さん」という記事が載っていて、懐かしくなり早速買い求めて読み始めました。
20年以上も前に書かれた本が、昨年、東大、京大生協での販売部数が1位となったというだけあって、やはり期待に反しない素晴らしい内容です。
冒頭、「われわれは、花を見て、枝葉を見ない。かりに枝葉は見ても、幹には目を向けない。まして根のことは考えようともしない。とかく花という結果のみに目をうばわれて、根幹に思い及ばない」とあり、
「ああ、本当にそのとおりだ!」といたく感動しました。
外山さんの論旨は、ひと言で言うと、日本の学校教育は、ものを知り、覚え、それを再生することにばかりに重点を置いてきて、その能力を持っているものを社会は「優秀」な人間とみなしてきたが、本当に大切なのは「考える」力である、ということです。


学習塾という教育の現場に長年携わってきて、私も常々同じことを考えてきました。
このブログの中でこれまで何度も言ってきましたが、ただ単に教科書の内容を暗記し、理解し、試験で高得点を取り、良い学校に進学することは、真の教育の目的ではありません。
多くの学校や塾は勉強とはそういうものだと教えて、何の疑問も持っていません。
ところが、実際に学校を卒業して社会に出ると、そのような知識はあまり役に立ちません。
社会で必要とされるのは、問題解決能力です。
その中には、人間関係も含まれます。
物事をたくさん知っていて、マニュアルどおりに動く人間は、確かに以前の高度成長期の日本では必要とされたでしょうが、これからの時代、マニュアル人間はあまり役立ちません。
必要とされるのは、さまざまな問題に遭遇したときに、考え、ほかの人たちと知恵と力を合わせてともに問題を解決する能力です。
ところが、日本の教育界はいまだに、外山さんの言うところの「グライダー人間」、すなわち飛行機に引っ張られないと飛ぶことのできない、そのような機械的な、独創性のない、マニュアル人間を造ることばかりに躍起になっています。


一方、世界の学習到達度テスト(PISA)で毎年、ほとんどの分野で1位を取るフィンランドの教育はどうかというと、勉強は楽しむものという前提で強制を排除、教師は生徒の案内役、生徒の自主的な研究活動、テストは暗記問題ではなく考えを述べさせるエッセイタイプのものと、日本とは正反対のスタイル、アプローチです。
つまり、考える力を養うことに力を注いでいるのです。


考える力は一朝一夕にはつきません。普段から「考える」習慣を身につけることが大切です。
勉強は机に向かってがむしゃらに暗記したり、問題を解くことではなく、いつでもどこでもするものです。


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2009.10.04日

人間だれでも生きているとさまざまな風に当たります。
向かい風、追い風、横風。
自分の思うように前進できない向かい風にぶつかることもあります。
かと思えば、うまい具合に追い風で自分でも知らないうちにどんどん前進することもあります。
また、横風が遠慮なくぶかってきて、横に流されそうになることもあります。しばしばそれは、一番身近な家族や親友、学校の先生、同僚などであったりします。
人生にこのような風はつきものです。


31歳のとき、携わっていたビジネスで成功を収め、会社から表彰されグアム旅行に招待されました。
グアムでは毎日、一緒に行った人たちと親しく交わったり、プールで泳いだり、ご馳走を食べたり、セミナーで学んだり、またスピーチしたりしました。
昼間は自由時間で、海で泳いだり観光したりしました。
グアムといえばマリンスポーツが盛んで、多くの人が海でウィンドサーフィンを楽しんでいました。
みんながあまりにも気持ちよさそうに、エメラルドグリーンのきれいな海の上をスイスイとサーフィンしているのを見て、私もチャレンジしてみることにしました。
そこで簡単なスクールに入りました。
ビーチの砂浜の上で、現地の若い女の子がコーチしてくれました。
最初にボードの上に乗って、次に立ち上がり、マストを左手そして右手でつかんで、マストを立ち上げるという流れで、それをコーチの子がいとも簡単に「ワン、ツー、スリー、フォー」とお手本を示してくれます。
そこでスクールに参加した私たちも、「ワン、ツー、スリー、フォー」と声を出して、同じことを真似ます。
「なんだ、思ったより簡単そうじゃん!」
何度も繰り返して、これで大丈夫、さあ海に入ってやってみましょう、ということになりました。
「ワン、ツー」
のところで、ドッボーンと海の中に落ちてしまいました。
波が来るのでボードの上でうまくバランスをとることができないのです。
再チャレンジ!
「ワン、ツー」
ドッボーン。
何度も何度も繰り返すのですが、一瞬ボードの上に立ち上がれたかと思った途端、またドッボーンと海に落ちてしまいます。
「コンチクショー!今度こそ!」
「ワン・ツー・スリー」
ドッボーン。
かけていたメガネが海の中ではずれて、底に沈んでいきます。
私はメガネがなかったら何も見えないので必死でもぐってメガネを取り戻しました。


ふと気づくと、いつの間にかどんどん沖に流されて岸辺から遠く離れてしまっていました。
焦れば焦るほど、さらに沖に流されてしまいます。
やがて岸辺の人たちが小さく見えるようになってきました。
「これは大変だ!このままだと遭難してしまうぞ」
と思った私は、船がついている桟橋にいる人たちに向かって必死で手を振って助けを求めました。
すると気づいた人がこちらに向かって手を振って返しました。
私が助けを求めているとは思わなかったのです。


仕方なく私は、ボードにつかまって、必死で足で漕いで岸まで泳いで帰りました。
コーチしてくれた現地の女の子をつかまえて、ひどい目にあった、言われたとおりやったけど沖に流されてもう少しで遭難するところだったよと言ったところ、その子は笑い出して、言いました。
「最初はみんなそうよ。私も初めてのときは遭難しそうになったわ」
「冗談じゃないよ、それならそうと初めからちゃんと言っといてよ」


実はボードの上に立ち上がるためには、足でバランスをとるのではなく、風をうまく利用してマストでバランスをとらなければならないのです。
そういえば、ヨットも同じで、向かい風であろうが、横風であろうが、どんな風でもそれをうまく利用して自分の望む方向に進むことができると聞いていました。


今回の衆院選では、自民党は風を見失い、民主党は風をうまく利用しました。
人生も同じで、たとえどのような風に当たっても、それをうまく利用すれば、自分の思う方向に進むことができるのです。


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「寛大」と「いい加減」

2009.10.03日

「寛大」というといいイメージです。
しかし、「いい加減」というと悪いイメージです。
でも、しばしば「寛大」と「いい加減」は表裏一体です。


今週の火曜日にアメリカにいる正人に銀行から送金しました。
すると木曜日に銀行から電話があって、口座の名義と口座番号が一致しないので送金できない、番号を確認して銀行に手続きに来てほしいと連絡がありました。
そこで何度も正人にメールを送ったり、電話したりするのですが返事がありません。
日本とアメリカでは時間がちょうど逆で、日本の正午は向こうの真夜中。生活時間が合わず、うまく連絡が取れないのです。
何とか金曜日中に手続きしたいと思っていたのですが、結局正人から連絡はありませんでした。
銀行に手続きに行くのは来週の月曜日になり、送金はさらにその後になるとあきらめていたところ、今日正人からメールがきました。
12桁もある口座番号の4桁目の数字を間違って伝えてきていたのです。
ところが、驚いたことに自分の口座に私の送金した金額がちゃんと入金されていて、すでに水曜日に必要なお金を引き出すことができたというのです。
???
唯一考えられるのは、アメリカの銀行が4桁目の番号が違うのを「寛大」に処理してくれて、入金してくれたということです。
日本の銀行は正しい口座番号を持ってきて訂正の手続きをしてくれ、それには2500円の費用が必要だ、と言っていたのですが、向こうではその手続きなしで処理してくれたのです。
私の最初の印象は「アメリカはなんていい加減なんだ。日本では考えられない」というものでしたが、日本のように杓子定規でないアメリカでは結構融通が利き、「寛大」に処理してくれたわけで、昨日正人から連絡が来なかったお陰で手続きの費用もかからず一件落着となったのです。


昔、聞いた話ですが、アメリカで新車を買った人がドアのあたりで異音がするのに気づき、ディーラーに持って行って見てもらったところ、内張りをはずすと何とコカコーラのビンと腐ったハンバーガーが出てきたとそうです。おそらく工場でその車を作っていた作業員が昼食を摂りながら仕事をしていて、そのままドアの中に置いたまま忘れて内張りを張ってしまったのでしょう。
これは、実に「いい加減」です。


今日、床屋に散髪に行ったところ、床屋さんが昔、旅行先のオーストラリアで床屋に入ったら何と鏡がなかったというのです。散髪が終わって、「オーケー?」と聞かれたけど、自分の姿を見ていないので、オーケーなんて言えるわけがない、なんて「いい加減なんだ」と思ったそうです。
日本の床屋では、髪の毛をカットした後、顔そり、シャンプー、さらに鼻毛を切ってくれたり、肩をマッサージしてくれたりしますが、アメリカの床屋はカットだけ。しかも、終わった後肩の上には髪の毛がたくさんついたまま。
「いい加減」です。
でもアメリカ人にとってはそれが当たり前。「寛大」なのです。


アメリカのデパートで買い物をすると、茶色のペーパーバッグに買ったものを全部そのまま入れるだけで、一切包装はありません。
今日、デパートで商品券を買ったところ、商品券を箱に入れ、それを包装紙で包み、その上にのしがみをつけ、それを紙袋に入れて、さらにデパートの大きなビニールの袋に入れてくれました。
アメリカでは考えられません。
日本は異常なほどにまで気を遣います。神経質、サービス過剰です。


どちらがいい、悪いという問題ではありません。文化の違いです。
アメリカ人は「寛大」であり、同時に「いい加減」です。
日本人は「サービス満点」であり、同時に「神経質すぎ」です。


長所と短所はしばしば表裏一体です。
人を見るときに、あるいは自分の子どもや伴侶に接するときに、短所に目を留め批判的になるのではなく、長所に目を留め感謝するよう心がけたいものです。


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ショウほど素敵な商売はない

2009.10.02日

『ショウほど素敵な商売はない』は1954年のアメリカの映画です。
英語の原題は“There's No Business Like Show Business”といい、Businessという言葉が2度出てくるので、その感じを出そうとして「ショウ」「商売(ショウバイ)」と語呂合わせしたのです。
昔の映画の邦題は結構工夫して翻訳されていたのですが、最近は英語の原題をそのままカタカナにしたものが多く、ちょっとさびしい気がします。


この映画の題をもじって、『カイロプラクティックほど素敵な仕事はない―「独立・開業」で大成功する物語』という本が出ています。
今の不景気な時代にリストラされた人や、商売がうまくいっていない人、定年退職した人などにカイロプラクティックの開業を勧める内容の本です。


自分の仕事を「これほど素敵な仕事はない」と胸を張って言えるのは素晴らしいことです。
生活のために仕方なくいやな仕事をしている人もたくさんいます。
また、たくさんのお金が入るからと言って、「振り込め詐欺」や「霊感商法」など、人をだます仕事をしている人もいますが、このような人の心は決して満たされていないと思います。
「自分の仕事に誇りを持つ」 − これは大切なことです。


私はこれまで本当に数え切れないほどたくさんの仕事を経験してきました。もちろん、そのほとんどはアルバイトでやってきたものですが、中には生涯の仕事として真剣に取り組んできたものもあります。
そして20年前から始めたのが今のアカデミー学院の仕事です。
塾の仕事を始める前から何らかの形で教育の仕事には携わってきました。
やってきたほとんどの仕事はそれなりに楽しかったですし、今の自分に大いに役立っています。


でも、いろいろな仕事を経験してきて、今やっている「塾ほど素敵な仕事はない」というのが、今の私の正直な気持ちです。
私は「ひとりを大切に」をモットーに、小中学生、高校生の人生の土台作りのお手伝いができることを本当に誇りに思っています。
生徒が成長していく過程を見られるのは、子育てをしているようでとても楽しいです。
子どもたちからはいつもたくさんエネルギーをもらっています。
毎年、新しい生徒が入塾してきて、新しい出会いがたくさんあるのも塾の仕事の素敵な一面です。
立派に成長して、大学生や社会人になった卒塾生はとてもまぶしく見えます。
毎日、若い先生達と接することができるのも素晴らしいことです。これが私の若さの源泉にもなっています。
また若い先生達がアカデミーでいろいろな経験を積んで、学校や社会に巣立っていくのを見るのも楽しみのひとつです。彼らの生活、人生の一部になれるのも私の喜びです。
そして、このブログで塾生だけでなく、保護者の方や卒塾生、またさまざまな形でこれまで係わってきた人たちに、さらに偶然このブログにたどり着いた人たちにも、私がこれまで経験したことや、普段考えていることをお話しし、分かち合うことによって元気になってもらうのも、私のひとつの使命と思い、教育という塾の仕事のひとつと位置づけています。


「〇〇ほど素敵な仕事はない」と言えるのは実に幸せなことです。
自分に与えられている仕事を心から愛し、楽しみ、学び、成長させていただく、これは人生の最高の生き方です。


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遺伝か環境か

2009.10.01日

うちで飼っているラブラドールを見た小5のH君が「名前なんていうの?」と聞いたので、
「何だと思う?ラブラドールだよ」と言ったら、
「あっ、ラブだ!」
「正解。前に先生の知り合いのアメリカ人がやっぱりラブラドールを飼っていたんだけど、名前は『愛』ちゃん。アメリカ人が日本語で『愛』ちゃんて名前をつけて、うちの犬は『ラブ』て英語の名前で反対だった」
「先生、ラブは走るの速い?」
「速くないよ。でも愛ちゃんは同じラブラドールでもものすごく速かった。実は飼い主のアメリカ人がスポーツマンで、いつも愛ちゃんを自転車で散歩に連れて走っていたからよく訓練されていたんだ。それで救助犬の資格まで持っていた。
あるとき、ラブと愛ちゃんを一緒に大磯の海岸に連れて行った。アメリカ人が木切れを海の遠くのほうに投げたら愛ちゃんは海に飛び込んで泳いで取りに行った。それにつられてうちのラブも一緒に海の中に飛び込んだけど、初めての体験で波に足をすくわれておぼれそうになった」
と話がはずみました。


誰が聞いても愛ちゃんが運動神経が良くて、うちのラブの運動神経が悪いのは、飼い主の遺伝だとは言いません。
飼い主の生活スタイル、犬の訓練の仕方が違いを生み出しています。
もしも、ラブが生まれたときからこのアメリカ人のもとで育てられていたら、きっと愛ちゃんのように運動神経が良くなっていたでしょう。また、愛ちゃんをうちで飼っていたら、やっぱりラブのように運動神経の鈍い犬になっていたことでしょう。


実は、子どもも同様です。
人の子どもとなると、親と顔が似ているので、どうしても遺伝だと思いたくなるのですが、能力は遺伝よりも環境の影響のほうが大きいのです。
顔や体型などは遺伝しますが、能力はむしろ訓練の結果です。
このことは、これまでにもこのブログで「天才は生まれつきのものではなく、つくられるものである」と何度も言ってきています。


石川 遼や横峯さくらなどの天才ゴルファーも、メジャーリーガーのイチローも、父親のもとで小さい頃から訓練されています。
遺伝は実験で調べることはできませんが、おそらくほかの子どもが養子になってこれらの父親のもとで育てられていたら、やはりプロの選手になっていた可能性が高いと思います。


遺伝は私たちの力で変えることはできません。
しかし、環境は変えることができます。
親が作った環境はものすごい影響力がありますが、かと言ってそれが絶対的というわけでもありません。
自分自身で環境を作りかえることすらできるのです。


遺伝も環境も確かに人に大きな影響を及ぼします。
しかし、私たちは決して遺伝の犠牲者ではありません。
たとえどのような遺伝があったにしても、自分の選択で自らの道を進むことができます。
だから人生はおもしろいのです。
あなたも無限の可能性にチャレンジしませんか?


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