学院長元気の出るブログ

日々の随想。教育問題、子育て、英語、積極思考、人間関係、霊想等など。
読む人に元気を注入します。

ジョージ学院長 元気の出るブログ

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クラシック音楽の効用

2009.05.30日

先日、中央大学時代の教え子(現在は高校英語教師)から、クラシック・コンサートの案内をいただきました。塾生に紹介してください、ということで、中学生・高校生に声をかけたところ、20数名の生徒が興味を示しました。
ほとんどの生徒たちは、普段クラシックに触れることはあまりなく、人気歌手やグループのコンサートには積極的に行くのですが、クラシックはまず行きません。
私はクラシック音楽の効用について、生徒たちに少し話しました。以下はその概要です。


カリフォルニア大学アーバイン校では、学生のあるグループにモーツァルトの音楽を聴かせ、別のグループには聞かせないでテストを行ったところ、明らかにモーツァルトを聴いた学生のほうがテストの得点が高かったそうです。


乳牛にクラシック音楽を聴かせると、2〜3パーセント乳出量が増えていることが、農林水産省畜産試験場の検査で判明しました。癒しの音楽が牛の生態リズムと共鳴して、このような効果が現れたものと思われます。


温室にクラシック音楽を流しておいたところ、植物の育ちが顕著に違っていたということです。これもクラシック音楽の振動と植物が共鳴するものと思われます。


牛や植物ですらそうならば、人間はもっと効果があるにちがいありません。
量子物理学では、すべてのものは振動し、共鳴しているといいます。
クラシック音楽がいい共鳴をもたらすと考えても何ら不思議なことではありません。


『アインシュタイン・ファクター』という本の冒頭に、
「モーツァルトの『2台のピアノのためのソナタ ニ長調K.448』を10分間聴かせると、知能指数が8〜9ポイント上がる」
と書いてありましたが、これも誇張ではありません。
さらに、この本には「すべての人に天才的な才能が備わっている」と私が5月19日に書いた「サヴァン症候群 天才か?」の内容とそっくりなことが書かれていました。
私は自分の確信にさらに自信を持ちました。


クラシック音楽は人の持つ隠れた才能を引き出す力がある、と思います。
私は先日、ネットでバッハの全作品集CD155枚のセットを購入しました。155枚のCDセットで価格は何と15,000円。1枚100円しないのです!
そして、今毎日送迎のバスの中で楽しんでいます。私のバスに乗っている生徒にもいい影響があることを信じつつ。


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ニワトリが先か、卵が先か

2009.05.27日

ニワトリが先か、卵が先か。
ちょうど3年前、英国の遺伝学者、哲学者、養鶏家の3人が結論を出したとニュースで報じられました。
「結論」は卵でした。
生物の遺伝物質は生きている間には変わらない。ゆえにニワトリ以外の鳥が途中でニワトリになることはなく、ニワトリの遺伝物質をもった卵を生むこともないという理屈です。
このためニワトリ以外の鳥が産んだ卵が、突然変異でニワトリの特性を備えた卵になった、そしてそれがニワトリになったと結論づけたそうです。
これで長年の議論の的だった「ニワトリが先か、卵が先か」の決着が着いたということで、多くの人がなんとなく納得したようです。
しかし、これでは何の解決にもなっていません。なぜなら、その卵を産んだニワトリ以外の鳥はどこから来たのか、その鳥は卵が先だったのか、それともその鳥が先だったのか、と結局堂々巡りになります。
実はこの「卵が先」の決着は、映画「チキン・リトル」のDVDを発売するディズニーの依頼で上の3人が出したもので、ディズニーの映画のDVD発売のためのプロモーションだった、といいます。


先日、大和カルバリーチャペルの大川従道牧師が礼拝の説教の中で次のようなジョークを話していらっしゃいました。
「子どもがお父さんに、『ねえ、私たちの先祖はなに?』と尋ねました。
すると、お父さんが答えました。
『教科書を見てみろ。ちゃんと書いてあるだろう。人間の先祖はサルだよ』
そこでこの子はお母さんに同じ質問をしました。
するとお母さんが答えました。
『日曜学校で習ったでしょう。神様が人間を造られたのよ』
『でも、お父さんが私たちの先祖はサルだって言っていたよ』
『そうね。お父さんの先祖はサルかもしれないわね』 (笑い)」


人類の先祖は果たしてサルなのか?
一般には、人間の先祖はサルで、その先祖、またその先祖、とずっとたどっていくと、アメーバーのような単細胞生物、さらにさかのぼるとたんぱく質、そのたんぱく質の元は、無機質の化学物質が偶然くっついてできた、その化学物質の元は、とたどっていくと、結局わからない。昔、昔、大昔、ある日突然、無から有が生じた。これがビッグバンだと説明しています。
しかし、この説も実は何も説明していません。
学校ではこれを既知の科学として教えていますが、実際にはあくまでも想像上の仮説です。


私たち人間は、どこから来たのでしょうか?
母親から娘へと、女性だけを通じて7千世代も受け継がれてきた「ミトコンドリアDNA」を遡ると、浮かび上がってきたのは20万年前のアフリカに存在したひとりの女性だった、という「イヴ仮説」があります。
「イヴ」(エバとも)というのは、聖書の創世記に出てくる神が創造した人類最初の女性の名前です。
その後、分析対象がミトコンドリアDNAだけでなく核DNAにも広がり、このような分子証拠の積み重ねから、「イヴ仮説」は少し形が変わって、現生人類が10万〜20万年前のアフリカに起源を持っていたという「アフリカ起源説」となりました。この説は今日、分子遺伝学者の大半によって支持されています。
つまり、様々な研究から、人類の祖先をたどっていくとアフリカのひとりの女性に行き着くというのです。
さらに、「イヴ」の夫「アダム」はというと、男性の性染色体であるY染色体に注目して分析した結果、やはりアフリカのひとりの男性にたどりついた、ということです。


ここで問題は、先ほどの「ニワトリが先か、卵が先か」にまた戻ってしまいます。
単細胞のアメーバーのような生物が長い年月かかって徐々に進化し、それがやがて卵子になり、その卵子がどのようにしてか受精して、それが人間となって生まれてきたのか、それとも最初にひとりの女性と男性がいて、そのカップルからその後の子孫が生まれてきたのか、ということです。
聖書の中の創世記の物語や、神の存在は神話の世界、という前提の下では、やはり偶然にある日突然宇宙が生まれ、無数に存在する星の中から地球にある日突然生命が生まれ、その生命が進化して今日の人間になった、と考えるしかありません。
しかし、ここでひとつ問題が起こります。
人間の細胞の数は60兆個といわれていますが、その60兆個の細胞が全部完全に正しい配列で並んでいないと人間にはなりません。
60兆個の細胞が正しい配列で並ぶ確立は、...まさに天文学的な数字です。
すべてが偶然の上に成り立ったとしても、ここに至るのに宇宙が誕生したといわれる137億年前からでは時間が圧倒的に足りません。
ちょうど、宇宙に存在する星の数が宇宙誕生の時からだと、1年間に1兆の星ができているということになり、それは1日に約27億の星が誕生していて、1秒間に約32000個の星が発生していることになる、というあり得ない数字になってしまうのです。(ブログ「満天の星」を参照)


私からすれば、むしろ神が宇宙とその中の星すべてを創造され、地球上にひとりの成人した男性と女性をお造りになった、という聖書の記事のほうがよほど自然で、無理のない話だと思います。
多くの動物の中でニワトリも造られた。卵ではなくて。
神の存在を前提にすれば、偶然の上に偶然を積み重ねて、何百億年という数字を挙げなくても、人間の存在もニワトリの存在もごく普通に理解できます。


昨日のブログ「人を変えようとするな」に、人類最初の女性エバ、という話をしたので、今日はその続編でした。


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人を変えようとするな

2009.05.26日

他人を自分の思うように変えようとする人がたくさんいます。
とくに親にその傾向があります。
私の好きな作家、シドニィ・シェルダンの代表作Master of the Game (日本語タイトル『ゲームの達人』)では、主人公が息子を自分の思いどおりにしようと思って策略を張り巡らすうちに、息子は母親の陰謀を知ってついには気が狂ってしまいます。
シドニィ・シェルダンの作品は全部読みましたが、どれも人間の心理をついていてとても面白いです。
日本語訳もありますが、どのページにも誤訳が4〜5ヵ所あり、やはり原語で読むと迫力が全然違います。原語で読めるようになるのを目標に英語を勉強するのもひとつの方法です。
Master of the Game は何度も繰り返し読みましたが、ストーリーがわかっていても面白いです。


話がそれましたが、自分の思いどおりに人を操ろうとしていい結果は絶対に生まれません。
人は誰でも他人の思いどおりに動かされることを好みません。
聖書の一番初めに創世記がありますが、3章に人間の堕罪の記事が出ています。そして、神は女(エバ)に向かってこう言われます。
「あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる」 (創世記3:16)
この「あなたは夫を恋い慕う」という言葉は原語で、「あなたは夫を支配したがるようになる」とも読み取れる表現が使われています。(英語では Your desire will be for your husband.)
つまり、人類最初の女性エバは、罪の性質を持ったため、夫アダムを支配しようとするようになった、しかしそれに対してアダムは力づくで妻のエバを支配するようになった、というわけです。
そしてこのことは今日まで、世界中で引き継がれているのです。
つまり、妻は夫を自分の思いどおりに動かそうとし、夫はそれが面白くないので力づくで妻を支配する、というのです。
心理学でも「男性神経症」というのがあって、男性は女性に支配されるのを極端に嫌う、ということです。


このように親が子どもを、妻が夫を、夫が妻を、自分の思いどおりにしようとすると必ず摩擦が起きます。
人を変えようとしてはいけません。
ではどうすればいいのでしょう?
自分の願い、気持ちを正直に伝えればいいのです。
「こうしてくれたらうれしい」
「こういう言い方は傷つくのでやめてほしい」
決して感情をぶっつけて怒鳴ったり、叱ったりしないことです。これでは、相手はますます意固地になってしまいます。


もうひとつの方法は、自分が変わることです。
多くの場合、自分が変わると相手も変わるものです。
これが良好な人間関係を築く秘訣です。


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マタイ効果+α(アルファ)

2009.05.25日

今読んでいる『天才! 成功する人々の法則』の第1章に「マタイ効果」というのが紹介されています。
「マタイ効果」とは、米国の社会学者ロバート・マートンが1968年に「科学におけるマタイ効果」という論文の中で提唱した科学社会学の概念です。これは新約聖書の中の
「おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう」(マタイ福音書25:29)
という箇所から著者のマタイの名前を借りて、「マタイ効果」と命名したものです。
21世紀の富の配分について、金持ちはよりいっそう金持ちになり、貧乏人はよりいっそう貧乏人になってしまうという社会法則で、これによって生じる不公平な現象を指すそうです。


ロバート・マートンは経済的な面を指して言っていますが、実はこれはさまざまな分野にも当てはまるということで、前掲書『天才! 成功する人々の法則』の中では、カナダのプロのアイスホッケー選手達の誕生月が1月から3月に集中していることを取り上げています。その理由は、外国では1月が学校の新年度で1月生まれの子どもは12月生まれの子どもよりも身体面で1年の発達の差があり、体が大きく、体力もあり、そのような子どもが早くから練習に取り組むので、それだけ有利になるということです。
これをもとに、日本でもプロ野球の選手の生まれ月を調べた人がいて、新年度が4月の日本では4月から6月生まれの人がもっとも多く、1月から3月生まれの人の2.5倍だったということがわかったそうです。サッカー選手でも同様の結果が出ています。
つまり、体の成長が早く、有利なスタートを切った子どもは、メンバーに選ばれやすく、選ばれると質のよい指導を受けて、さらにレベルの高い仲間と競い合う機会にも恵まれる。それでますますその差が大きく開いていくというわけです。


私自身、これまでこのことをいろいろな世界で直感的にとらえてきていました。勉強面においてもしかりです。
たとえば、字のうまい人は字を書くのが好きでまめに書くので、ますます字がうまくなります。
漢字の好きな人は、普段書く文章に漢字を多く使うので、ますます漢字が得意になりますが、漢字が苦手な人はできる限り漢字を使わないようにするのでますます漢字が苦手になります。
計算が得意な人は、日常の生活の中で無意識のうちにいろいろな場面で計算するので、ますます計算が得意になります。
運動が得意な人は毎日運動します。その結果、ますます運動が得意になります。一方、運動が苦手な人は普段からあまり体を動かさないので、ますます運動が苦手になります。
英語が好きな人は、英語の歌を歌ったり、映画を観たり、外国人とじかに触れる機会を多く作るので、ますます英語が得意になります。逆に、英語が苦手な人は、単語ひとつさえ覚えようとしません。ですからますます英語が苦手になります。
背の高い人は、バレーやバスケットをするので、ますます高くなります。
相撲取りは体重を増やさなければならないのでたくさん食べます。だからますます大きくなります。
モデルさんやアイドル、女優さんは、ダイエット、シェープアップ、お化粧、ファッションに気を配るので、ますます美しくなります。
例を挙げれば切りがありません。
音楽やスポーツ、語学など、早期教育はやはり大きな成果を上げています。
「持っている者はますます与えれるが、持っていない者は、持っているものまで取り上げられる」
これは事実です。


しかし、ここで終わってしまうと、早生まれ(1月〜3月生まれ)の人には残念ながら、スポーツ、音楽、勉学などにおいて、チャンスがなくなる。あるいは、漢字が苦手な人は、一生漢字が苦手なままになってしまう。また、貧しい人は、一生貧しいままで終わる。いや、ますます貧しくなる。というような不公平がそのまま通用してしまうことになります。


ところが、ここに福音があるのです。
それは私が提唱する「マタイ効果+α」です。
誰でもそのまま終わるということはありません。
このことに気づいた時点で、方向転換をするのです。当たり前と言えばごく当たり前のことです。
しかし、多くの人が、とくに「持っていない」人は、「持っていない」事実にばかり目をやって、あきらめてしまっているのです。
「自分はこうだ、ああだ」という考え方は間違っています。
現在の自分がたとえどうであったとしても、それはすでに過去の自分です。
明日から、と言わず、今からでも、気づいた時点で方向転換するなら、新しい未来を自分の手で切り開いていくことができるのです。人生は常に現在進行形です。
これが+αの福音です。
字の下手な人は、早速字を書く練習をしましょう。
漢字が苦手な人は、日常生活の中でできる限り漢字を使うようにしましょう。
運動が苦手な人は、とにかく体を動かしましょう。
このようにして、負の連鎖から抜け出ることは誰にでもできます。
そして、負の連鎖を断ち切って、プラスの世界に入ると、ここからたちまちプラスの連鎖が始まります。
そして、「持っている者は、与えられてますます豊かになる」のです。
事実、このようにして負の連鎖をプラスの連鎖に変えた人も大勢います。
スーパーマンなどいません。みんな、弱いところを持っています。
自分の持つ弱さを強みに変えていこうではありませんか。


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同情と共感

2009.05.24日

英語では「同情」を sympathy (スィンパスィ)、「共感」を empathy(エンパスィ) と言います。
一見よく似た言葉です。
これはギリシャ語の pathos 「苦しみ」から来ています。日本語にもなって「ペーソス」(悲しみ、悲哀、哀愁)といった意味で使われています。
sympathy の sym- は「共に、同時に」といった意味の接頭辞で、たとえば symphony 「シンフォニー、交響曲」、 synchronized swimming 「シンクロナイズドスイミング」などにも使われています。
empathy の em- はもともと in- という形の接頭辞で「〜中に」という意味です。
すなわち、sympathy は「苦しみを共にする」、empathy は「苦しみの中に入っていく」ということから、日本語でそれぞれ「同情」「共感」と訳しているのです。(「共感」という日本語はむしろ sympathy に近いような感じがしますが)
empathy はまた「感情移入」という意味でも使われます。「苦しみの中に入っていく」のですから、それも理解できます。


sympathy と empathy はアメリカ人にも区別が難しい言葉で、同意語だと思っている人も少なくありません。
あるアメリカ人は両者の違いを次のように定義しました。
Empathy is entering into another's feelings. Sympathy is having a feeling together with someone.
「empathy はほかの人の気持ちの中に入っていくこと。Sympathy はその人と同じ気持ちになること」
また、
Sympathy is when you feel bad for someone else. Empathy is when you feel bad with someone else.
「Sympathy は誰かほかの人のために心を痛めること。Empathy はその人と一緒に心を痛めること」
When you feel sympathy for someone you feel sorry for their pain. When you feel empathy you are feeling the pain too.
「あなたが誰かに sympathy を感じるとき、あなたはその人の痛みを気の毒に思っている。しかし、あなたが empathy を感じるときは、あなた自身もその痛みを感じている」
とも言っています。


どっちでもいいじゃないか、と思う方もあるかもしれませんが、実はこのふたつはカウンセリングをする時に大きな違いを生み出します。
Empathy、すなわち「その人の痛みを共有して」「その人の立場に立って」話を聞くならば、その人は「自分のことを本当に理解してくれている」と感じます。


1994年、1995年に放送されたテレビドラマ『家なき子』では、主人公の相沢すず(安達祐実)が、「同情するなら金をくれ」と言った劇中の台詞が新語・流行語大賞に選ばれるほどのブームとなりました。
同情は当事者にとって、それほどうれしくないものなのかもしれません。


5月13日のブログ「ラッキーマン」で紹介したマイケル・J・フォックスも、その本の中(Chapter 8)で次のように言っています。
In man-on-the-street interviews, members of the public offered expressions not so much of sympathy, as I feared, but of genuine empathy, as well as heartfelt wishes for a positive outcome.
「街頭インタビューでは、私が恐れていたような同情の声はあまり聞かれず、むしろ心からの共感と良い結果を望む心からの願いが聞かれた」
つまり、マイケル・J・フォックスも人々から同情されることを恐れていました。ところが、自分の予想に反して、みんなが心から共感してくれていることにホッとしているのです。


Put yourself in her (his) shoes.
は英語でよく使われる表現で、「その人の靴の中に自分の身を置きなさい」というところから、
「彼女(彼)の身になってみなさい」
という意味です。
これも empathy に近い感覚だと思います。
マイケル・J・フォックスも言っているように genuine empathy 「心からの共感」を人は求めています。
上辺の同情はかえって人の心を傷つけることがあります。


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能力と自信

2009.05.23日

多くの人が能力を求めます。
そして、能力のある人をうらやましがります。
能力が高く、学校の成績のいい人、受験で成功する人、部活で活躍する人、芸術分野で秀でた人、社会で高い地位にありたくさん稼ぐ人、タレントやアイドルなどの有名人を陰で嫉妬している人もたくさんいます。
確かに能力のある人はこの世にたくさんいます。
意味のないこととわかっていながら、ついついこれらの人と自分を比べてしまいます。
そして自己嫌悪に陥る人も大勢います。
新聞の人生相談を見ていると、このような悩みを抱えている人が大勢いるのがわかります。


昨日読んでいた『天才!』には、芸術やスポーツなどの世界で天才と呼ばれる人を調べてみると、その人のもって生まれた資質というよりも、むしろそれに注ぐ時間の問題だ、と書いてありました。
この本によると、各界のトップレベルで活躍する人は、みんな例外なくその世界で花を咲かせるようになるまで最低10000時間を訓練・練習に費やしているとのことです。
これに対して、優秀と呼ばれる人、そして学校の教師になる人のグループを比べると、練習に費やす時間がトップレベルの人よりも明らかに少ない、すなわち資質の問題ではない、とあります。
このことは私が数日前のブログ「サヴァン症候群 天才か?」に書いたことと一致しています。
人間誰でも無限の可能性を秘めてこの世に生まれてきているのです。みんなに等しく能力は与えられているということです。
それでは成功する人とそうでない人の差はどこで生まれるのか、と言うと、もちろん上に述べたようにそれに費やす訓練・練習時間もありますが、私はそれと同じくらい大切なのが自信だと思います。


随分昔になりますが、一緒に仕事をしていた人で、ものすごくバリバリと活躍する人がいました。
誰からも一目置かれて、あの人は能力がある、と高く評価されていました。
私も最初はそう思っていたのですが、しばらく一緒にいると実は能力はそれほどでもない、ということに気づきました。
この人にはいわゆるカリスマ性があり、能力以上にこの人の自信が周りの人を圧倒していたのです。
同じ能力を持っている人がふたりいるとして、ひとりは自信を持っていて、もうひとりは自信がないとしたら、人々はどちらの人に能力を認めるかと言うと、答えは明らかです。
同じ状況に置かれていても、その人の考え方がその人の人生を決めるのです。
これは芸術、スポーツ、勉学、仕事、人間関係など、あらゆる分野に当てはまります。


私はもうひとりの人を知っています。
この人の能力はずば抜けています。その知識や感性、記憶力、どれをとっても、私の知る限りこの人に匹敵するような人はそうそういません。少し話していると、その人の知性がほとばしり出てくるのです。
私はこの方を心から尊敬しています。
それでこの人はその能力を十分に発揮しているかというと、まったくそうではなく、生活保護を受けていらっしゃいます。
自分に自信がないのです。それで仕事もできません。


世の中の多くの人は能力・才能を求めます。
しかし、能力・才能は誰にでも初めからあるのです。それをどれだけ引き出し、伸ばし、活用できるか、それはその人の持つ自信にかかっています。
それでは自信はどうすれば生まれるのか。
自信とは積み上げていくものです。一朝一夕に自信が生まれるわけではありません。
日々の努力の積み重ね、これがステップ・バイ・ステップで自信を生み出すのです。
そしてそのために、上に挙げた10000時間は必要なのです。
ちなみに、10000時間というのは、具体的には、毎日欠かさず10時間やったとしても3年間かかります。これはあまり現実的ではないので、毎日欠かさず3時間、これを10年間続ける、これならできそうです。
実際これだけやれば、誰でも自信が生まれるでしょう。
私の英語もやはり10000時間かかりました。あるいはそれ以上かも。


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愛は愛を呼ぶ

2009.05.22日

こちらが相手に好意を持っていると、自然とそれが相手に伝わり、相手も自分に好意を持ってくれるようになる、ということを多くの人が経験しているのではないでしょうか。
面白いもので、犬や猫は特に動物的勘というのでしょうか、動物好きの人がわかるようで、動物もその人が好きになります。
私の母がやはりそういう人で、どこに行ってもすぐに動物が母になつきました。犬や猫だけでなく、スズメまでもが。
人間は動物よりも勘が鈍いので、時にだまされることもありますが、一般的に言うと私たちもある程度相手の自分に対する好意はわかるものです。
ということは同時に、自分はこの人が苦手だとか、馬が合わないなどと思っていると、それも相手に伝わってしまいます。
生徒が「学校の〇〇先生が嫌いだ」などと言っているのを聞くことがありますが、これはよくありません。
なぜなら、自分も先生から嫌われることになるからです。そうすれば当然のことながら悪い成績がつきます。


そもそも完璧な人間なんてどこにもいません。それは自分自身を見たらいちばんよくわかることです。
しかし、私たちは自分が完全でないくせに、なぜか人に完全を求めます。
自分を計る物差しと人を計る物差しの基準が違うのです。
そして人のあらが目につきます。そうすると、その人のいいところが見えなくなってしまいます。
悪いところばかり見ていると、それは相手に伝わり、自分がよく思われていないと思うと、その人も自分のことを敬遠するようになります。
人の成功や幸せを素直に喜べない。嫉妬する。これもまたその人に伝わります。
このようにして人間関係が壊れるのです。


それでは、人間関係を回復させるいい方法は何でしょう。
その人にいいところを探し、そこに目を留め、認め、感謝し、そこから学ぼうとすることです。
そのような目で人を見ていたら、それは必ずその人に伝わり、その人もあなたのことをよく思うようになります。
これはどのような人間関係にも当てはまります。友人関係だけではありません。上司と部下、教師と生徒、先輩と後輩、親子や兄弟、親族、近所の人間関係においてもしかりです。


愛は愛を呼ぶのです。
憎しみは憎しみを呼びます。
人間関係を壊したかったら相手を憎めばいいのです。そうすれば簡単に壊れます。
しかし、誰もそんなことは望みません。
みんな愛を求めています。
この世の中の様々な問題のほとんどは、壊れた人間関係、愛の欠如から起こっています。
私たち一人ひとりが先頭に立って、日々の生活の中で愛の種を蒔いていったら、人間関係は確実に改善していくことでしょう。


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学問に王道あり!?

2009.05.21日

一昨日、小学生のT君とS君に教えていたときのこと。
教室の壁に貼ってある世界の国旗を見ながら、ふたりがどこどこの国の国旗はこうで、ああで、というような話をしていて、私にアメリカの国旗(星条旗)について尋ねました。
私はその意味を次のように説明しました。
「左上の枠の中にはいくつの星があるか知ってる?50あるんだよ。これは現在のアメリカの州の数。50番目、最後にアメリカの州になったのはどこだと思う?ハワイだよ。49番目はアラスカ。
星の横の赤と白の線は13本あって、これはアメリカがイギリスから独立したときの州の数を表しているんだ」
すると、T君が目を丸くして、
「先生の頭の中、脳みそどれぐらい詰まってるの?」
私は冗談で「これぐらい」と言って、両手の10本の指を合わせて丸い球体を作りました。


まあ、これぐらいのことは別にどうってことありません。常識の範疇です。自慢できることでも何でもありません。
しかし、私はよく生徒から物知りだ、と言われます。
「物知り」というのは別に「頭が良い」ということと同じ意味ではありません。
私自身はこれまで一度も自分のことを頭が良いなどと思ったことはありません。むしろ、自分などそんなに大したことないと思っていますし、ものすごく頭のいい人をいくらでも知っています。


でも、「頭がいい」ってどういうことなのでしょうか?
「物知り」でなければ、「テストで高い点数を取る人」あるいは「成績のいい人」、または「高い学歴の人」のことでしょうか?
一般には、記憶力のいい人のことをよく「頭がいい」と言います。
確かに、「テストで高い点数を取る人」も「成績のいい人」も「高い学歴の人」も「記憶力のいい人」もみんな頭がいいのでしょう。


昔、エジプトの王様、プトレマイオス王1世(紀元前4世紀〜3世紀頃)が数学者のユークリッドから幾何学を学んでいたときに、
「わしゃ王だぞ。もっと簡単な学び方はないのか?」
と言ったところ、ユークリッドが答えた言葉が
「学問に王道なし」 (もともとは「幾何学に王道なし」)
です。
「いくら王様でも、学問するのに簡単な楽な道、王様専用道路というのはありませんよ」
といった意味です。
このことわざはあまりにも有名で、よく耳にします。
そしてほとんどの人が、「そうだ、学問に王道なし。勉強はただコツコツやっていくほかないのだ」と素直に信じ込んでしまいます。

アメリカの大学院で学んでいたとき、新しく取ったクラスの最初の授業でショッキングな出来事がありました。
これは聖書の釈義のクラスだったのですが、聖書の中の短い1節を取り上げて、その1節に10の質問を作りなさい、と言われました。
私はそれまでそのような訓練は受けていなかったので、ただ何でもあるがままに「そういうものか」と受け止めていました。それで10の質問を考えることは至難のわざで、結構苦労しました。
でも、このクラスのお陰で、物事をいろいろな観点から、疑問の目を持って見ることができるようになりました。


というような次第で、上の「学問に王道なし」も、本当にそうかな、と考えてみました。
私には昔から持論があります。それは何かというと、
「何事でも興味を持って、楽しく学ぶなら、それほど苦労せずに、楽に学べる」
ということです。
私自身、英語をこのようにして身につけました。
確かに、人の何倍も何十倍も、いや何百倍も時間もお金もかけて英語を学びました。
でも全然苦痛じゃありませんでしたし、費用対効果を考えると、そんなものは取るに足りないものです。
ですから、このブログでもしばしば「楽しく学ぶこと」の重要性を説いています。
また「好きこそ物の上手なれ」こそ「学問の王道」だと思っています。
もし私がユークリッドだったとしたら、王様にそのように答えて、もっと楽しく教えていただろうと思います。


昨年、ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英さんも言っていました(「勉強を楽しむとは」)。
「勉強という言葉には苦しみを強いる意味があって私は大嫌い。でも英語のstudyの語源には知る楽しみという意味がある。本来、知ることは楽しいこと。ぜひ楽しみ方を覚えてください」と母校の高校で後輩に語りました。
私も実にそのとおりだと思います。
「楽しく学ぶこと」、これこそ「学問の王道」です。


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真理の両面

2009.05.20日

真理はひとつしかありません。ですから英語では「真理」を表す truth という言葉はいつでも定冠詞 the をつけます。
ふたつの互いに矛盾するものがあるならば、そのどちらかが真理でもうひとつは真理でないか、両方とも真理でないかのどちらかです。両方とも真理ということはありえません。
しかし、真理に両面があります。コインの裏表のようなものです。これは一見矛盾するように見えても、実は矛盾ではなく、同一のものの別の面なのです。


たとえば、目標設定の大切さがどこでも言われます。実際のところ、目標設定は何かことをなそうとするとき不可欠なものです。目標がはっきりすれば、半分達成されたようなものだ、とよく言われます。
しかし同時に、努力も同様に大切です。目標を設定したからそれで結果が自動的についてくる、というわけではありません。目標を設定して、それに向かって努力することが大切なのです。
目標を設定せずに、ただがむしゃらに一生懸命努力している、と言っても、これでは太平洋の真ん中で手こぎボートで一生懸命こいでいる、というのと同じで、決して目的地に着くことはできません。


学生であれば受験で成功したければ、当然のことながら、どこの学校に行きたいか、まず目標設定をしなければなりません。しかし、「絶対に〇〇高校(大学)に行きたい」といくら言っても、合格に必要な学力を努力してつけなければ、その願いをかなえることはできません。
逆に、目標がはっきりしていないと、どのように努力していいのかわかりません。空を打つようなものです。


社会人であれば、仕事や家庭生活において成功したいと思うでしょう。
そして成功するためには、やはりできる限り具体的に、どのような成功を求めるのかをはっきりさせる必要があります。
そして自分の求める成功を得るために努力しなければなりません。
学生の受験の場合と同様です。


お金儲けをしたい、という場合も具体的に「いくら」稼ぎたいのか目標設定をしなさい、とビジネスセミナーなどではよく言われます。これも正しい考え方です。
しかし、一見矛盾しているように見えますが、毎日一生懸命コツコツと頑張っていたら、結果としてお金持ちになる、ということもあります。


漢検協会の前理事長と前副理事長親子が、協会に2億6000万円の損害を与えたとして、背任容疑で逮捕された、というニュースが今日の新聞の第1面に載っていました。
私は個人的にこの前理事長親子を知っているわけではありませんが、報道されているところを見る限り、彼らは「お金儲け」をすることを目的に、漢検という公益事業を営んでいたようです。
これは本末転倒です。漢字検定という仕事をとおして社会に利益を供する、という真摯な気持ちでこの事業に携わっていたなら、利益は結果としてついてきていたはずです。
彼らは利益を株取引やカーレースにつぎ込んでいたということで、まことに情けない話です。


昔聞いた話ですが、太陽に向かって歩いていたら影は後ろからついてくる、と。
影を追い求めていると、影はどんどん逃げていきます。
実は、仕事での成功とか、利益とか、受験での成功なども同様で、一生懸命、真面目に、正しい方法で物事に取り組んでいたら、結果はあとからついてくるものなのです。
結果を求めて頑張る。頑張っていたら結果がついてくる。
これも真理の両面なのです。


私は今から30数年前にキリスト教の信仰を持ちました。
聖書には「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒の働き16:31)と書いてあるので、私は素直に信じることにしました。そしてその結果、キリストの救いを体験しました。さらに、私の妹もも、もみんな信仰に入りました。聖書の約束どおりだ、と思いました。
ところが、ふと振り返ると、今通ってきた「信仰」のドアの内側には「あなたがわたし(神)を選んだのではありません。わたしがあなたを選んだのです」(ヨハネの福音書15:16)とあり、さらに「神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選んだ」(エペソ人への手紙1:4)と書いてあるではありませんか。
これも一見矛盾しているように見える真理の両面です。


この世の中には、「どれかひとつ」ではなく、「これも大切、そしてあれも大切」というものがたくさんあります。そして一見、そのふたつが矛盾しているように見えることがあります。
人の話を聞いていても、矛盾して聞こえることがしばしばあります。しかし、その人の頭の中ではまったく矛盾していないのです。


私たちにとって大切なことは、謙虚に、その両方を受け入れ、両方から学び、それを素直に実践することです。
自分の限られた知恵や知識、経験で、物事を「ああだ、こうだ」と決めつけない姿勢・態度が大切です。
これが真理の両面から学び、成長する秘訣です。


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サヴァン症候群 天才か?

2009.05.19日

昨年(2008年)1月4日の読売新聞一面に「日本の知力」と題して、次の記事が載っていました。少し長くなりますが、一部を抜粋します。


「野良犬がウイスキー飲んだ。ふらふらしてどうなる? 13億6747万3723.75。まむしは猛毒? 2億7349万4744…」。男性(33歳)がとりとめのない話を間断なくしながらボードを数字で埋めていく。彼が「大きい数」と呼ぶ9から11ケタの数と、大好きな「0.0625」との掛け算だ。
愛知県内の授産施設で働くこの男性を30年近くみてきた神野秀雄・愛知教育大教授(障がい心理学)は、人並みはずれたこの計算能力の正体を「記憶」と見る。3〜9ケタと1ケタの掛け算も1〜2秒で即答でき、「計算にしては反応時間が短すぎるから」だ。
記憶だとしても驚異的だ。「9ケタ×1ケタ」の問題は約90億通り。神野さんは「人間がこんなに記憶できると言い切る自信はない」。男性の口からその奥義が説明されることはない。
「こんな才能は25年の臨床経験で1人だけ」。次良丸睦子・聖徳大教授(発達心理学)は1999年、6歳の男児に出会った。4歳でピアノを始め、幼児向けの「アイネクライネ・ナハトムジーク」を一度聞いただけで弾きこなした。
3週間前の演奏会。幼児向けの楽譜に見向きもせず、母親が前夜にCDで聴かせた大人向けのバージョンを弾き、周囲を唖然とさせた。
「サヴァン」…電光石火計算、再現演奏など狭い分野で特異な才能を発揮する人々をこう呼ぶ。これらの才能は孤立しており、創造性の発露は見られないのが普通だ。対人関係が苦手で、自閉症などと診断されるケースが多い。
サヴァンが広く知られるようになったきっかけは、驚異的な能力を持つサヴァン男性をダスティン・ホフマンが演じた88年の米映画「レインマン」だ。モデルの男性は9000冊もの本を写真のように忠実に記憶している。
サヴァンは知的障がいが「あるにもかかわらず」ではなく、「あるからこそ」能力を発揮する。アラン・スナイダー豪シドニー大教授(脳科学)は「人はみな同様の能力を潜在的に持つが、普段は封じ込めている」とみる。サヴァンの場合は障がいのため鍵が外れ、脳がのみ込んだ情報を抽象化も取捨選択もしていないナマの状態で出し入れできるというわけだ。実際、脳機能の一部を抑える実験でサヴァン的才能が現れた。
ニコラス・ハンフリー英ロンドン大教授(進化心理学)は「進化の過程で人類はサヴァンのような能力を積極的に放棄した」と考える。人類は集団を形成するようになったが、社会生活を送るうえで「あまりにも大きな能力」はかえって邪魔になる可能性がある。人類は、より抽象的で総合的な言語能力、対人能力を優先させたというのだ。
絵画の才を示すサヴァンもいる。幼児、自閉症と診断されたイギリスの人気画家スティーブン・ウィルトシャー氏(33)は2005年に来日。六本木ヒルズ屋上から東京を30分ほど眺めて景色を頭に焼き付けるとスタジオに1週間こもり、縦1メートル、横10メートルの細密なパノラマ画をサインペンで描き上げた」


Stephen_in_Tokyo.jpg
(スティーブン・ウィルトシャーのウェブサイトから)


上に引用した記事中、アラン・スナイダー教授が言った「人はみな同様の能力を潜在的に持つが、普段は封じ込めている」という言葉に私は着目しました。
「封じ込めている」というところにひっかかりがあるのですが、私は基本的に「人間は誰でもとてつもない能力を持っている」という考え方をしています。
一説によると、私たち人間は誰でも生まれて以来この世に生を受けている期間に見聞きしたこと、体験したこと、学んだことは全部脳の中に記憶されているといいます。


20世紀最大の科学者、アインシュタインが生きている間に活用したのは、脳のわずか30%だったとかよく言われますが、これは俗説で、人によっては10%だと言ったり、15%だと言ったりで、まったく根拠のない数字です。
しかし、かのアインシュタインでさえ自らの持てる能力すべてを活用したわけでないというのは疑いようのない事実で、そうであるならばましてや我々凡人の活用している脳など確かにほんの数%に過ぎないことでしょう。


すなわち、サヴァン症候群の人たちが示すずば抜けた才能は、天才と言われるような特別なものではなく、もともと私たちみんなが持っているものだと言うことができるのです。
天才と呼ばれるような人も、確かに普通の人と比べると能力は桁違いに高いのですが、やはりもともと人間すべてに与えられている能力なのです。


そういえば、エジプトのピラミッドやペルーのナスカの地上絵、バビロンの空中庭園、ペルーのマチュ・ピチュ、中国の万里の長城等など、世界中には今日の技術をもってしても解き明かせない不思議な建造物や遺跡などがたくさんあります。
これらも昔の人たちの卓越した能力を表しています。ということは、大昔から、否、人間の歴史が始まったときから、人にはものすごい能力が備わっているということの証ではないでしょうか。昔も今も、人間の能力はもともととてつもない可能性を秘めているのです。


私たちはコンピュータは頭がいい、と思っています。どんなに頭の良い人でもコンピュータにはかなわないと思い込んでいます。
しかし、実際は人間の脳は世界最高のスーパーコンピュータよりもはるかに優れているのです。
なぜなら、そのスーパーコンピュータを設計し、造り、活用しているのは人間だからです。


roadrunner_m.jpg


(世界最高といわれるIBM社のスーパーコンピュータ「Roadrunner」)


アカデミー学院のホームページの「学院長ごあいさつ」のところに私は次のように書きました。
「教育」という言葉は英語でeducationといいますが、これはラテン語のeducare(訓練する、の意) とeducere(引き出す、の意)という両方の言葉から派生しています。教育は「訓練する」面と、子どもが持っている能力を「引き出す」面の両者があいまって初めて最大の効果を上げます。


読み・書き・計算・暗記ももちろん学習活動の大切な一面です。
テストで良い点を取らせ、良い成績を上げさせ、志望校に合格させることは確かに塾の仕事です。
しかし、私はそれ以上に、一人ひとりが持っている能力を最大限に引き伸ばすことが教育の1番の目的だと思っています。
35年余り教育に携わってきて、数え切れないほど多くの児童、生徒、学生、一般社会人を指導してきてつくづく感じるのは、今日のテーマである人間の持つ「無限の可能性」です。
これをいかにして引き出し、伸ばすか、それが私たち教育に携わる者の課題であり、使命であると思っています。


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マイナスは必ずプラスに変えられる

2009.05.18日

私の尊敬する大川従道牧師は日本で一番大きい教会「大和カルバリーチャペル」の牧師です。
大川先生はこれまでインドネシアへ宣教旅行中、マラリヤという重い病にかかったり、昨年は心筋梗塞に襲われて生死の間をさまよったりと、大変なところを通ってきていらっしゃいます。
また数千人という大きな規模の教会の牧師なので心労もいかばかりかと思います。
しかし、礼拝の説教の中で大川牧師の口からしばしば出てくる
「マイナスは必ずプラスに変えられる」
という言葉は、先生の信仰の証です。
私もこの言葉を固く信じています。
これを信じると信じないでは、人生は天と地ほどの大きな違いになります。
「マイナスは必ずプラスに変えられる」と信じているなら、たとえどんな苦しみやつらいところを通っているときでも、それを乗り越える力が与えられます。
ただ苦しみやつらさに耐えられる、という次元ではありません。この苦しみやつらさが、やがては大きなプラスに変えられるのだ、と信じているなら、希望が生れます。たとえ今はわけが分からなくても、やがてはその背後にある苦しみやつらさの意味がわかるときが来る、と信じられるなら、不安や恐怖からも開放されます。


「マイナスは必ずプラスに変えられる」と、どうして言い切ることができるのか、と反論する人もいることでしょう。
そのように言うのはもっともなことです。
しかし、これは信仰の領域なのです。
信じる人にはそのとおりになるし、信じない人にはならない、それが信仰の世界です。
聖書には信仰の定義が次のように書いてあります。
「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである」(ヘブル人への手紙11:1)


「自分の苦しみなんか人にはわからない」
そう言う人もきっといるでしょう。
そのとおりです。
他人に分からなくて当然です。でも、人にわかってもらわなくてもいいのです。
ほかの誰でもない、神様ご自身があなたのことを一番心にかけていてくださるからです。
聖書に次のような言葉があります。
「神がすべてのことを働かせて益として下さることを、私たちは知っています」 (ローマ人への手紙8:28)
すなわち、神は万事を益となるようにしてくださる、というのです。


このような聖書の約束の言葉により、「マイナスは必ずプラスに変えられる」と言うことができるのです。
そして私自身、これまで数え切れないほど、これが真実であることを体験してきました。


10年ほど前に亡くなられた三浦綾子さんは私の大好きなクリスチャン作家です。
彼女の作品はほとんど全部読みました。
彼女の代表作のひとつ『塩狩峠』は実際に起こった出来事をもとに書かれています。
主人公のクリスチャンの青年が、塩狩峠を暴走する列車の下に自らの身を投げ犠牲となって列車を止めて、多くの乗客の命を救うという物語です。
私はこの小説を読んだとき、大泣きに泣きました。「なぜこんなことを神は許されたのか」と、私は納得がいきませんでした。
しかし、この出来事を通して当時、多くの人が信仰をもったそうです。
そして私自身も、この小説を読んだのがきっかけで信仰をもつようになりました。
また、この小説は韓国語にも翻訳され、韓国ではこの小説を読んでクリスチャンになった人が数え切れないほど大勢いると聞いています。
「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただの一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる」(ヨハネの福音書12:24)
という言葉が成就したのです。


三浦綾子さんは、結核、脊椎カリエス、心臓発作、帯状疱疹、直腸癌、パーキンソン病など度重なる病魔に苦しみながら、執筆活動を続けられましたが、ご自分の病気のことで一度たりとも神様に不平を言われたことはなく、それどころか「私は誰よりも神様にえこひいきされている」とおっしゃっていました。


この世の基準から見れば、彼女ほど苦しい、つらい人生を歩んだ人はないのでしょうが、三浦綾子さんは神に人一倍愛されているといつも感じて、幸せな生涯を送られました。
三浦綾子さんも、神は万事を益としてくださることを、またマイナスは必ずプラスに変えられる、ということを信じていたからです。


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成長と若さを保つ秘訣

2009.05.15日

今日は妻と一緒に駅前のV店にちょっと遅いお昼を食べに行きました。
このお店は私たちのお気に入りで、大体週に1回ぐらい行きます。
おいしそうなパンを選んでレジの前に立つと、レジ係りは何と卒塾生のNさんではありませんか。
ああ、懐かしい。こんなところで会えた!
ほぼ毎日、バス送迎のときにNさんの家の前を通り、そのたびにいつもNさんは今はどうしているんだろう、と考えていました。
Nさんは今年はもう大学生。どこの大学に行ったんだろう。弟のS君も卒塾生で今は高校2年生。どうしているのかなぁ。
家の前を通るときには、ひょっとしてNさんかS君に会えないかな、などとちょっぴり期待しながら玄関の周りを見るのですが、二人とも卒塾して以来まったく会っていませんでした。
そして今日、念願かなって会えました。
「どこの大学行ってるの?S君は元気?どうしてる?」
矢継ぎ早に質問してしまいました。


Nさんはすっかり大学生らしいお姉さんになっていました。
中学のときの可愛い雰囲気はそのままで、大人っぽくなっていました。
以前にもブログ「自分のすることに誇りをもて」に書いたのですが、レストランやお店、スーパー、ホームセンターなど、行く先々で卒塾生に会います。このV店でもこれまでN姉妹が何年も働いていました。妹のMさんは今でも働いていますが。
みんなそれぞれ、立派に成長していて、わが子のことのように本当にうれしくなります。
当たり前のことなのですが、みんな年相応に成長していきます。しかし、それが何となく不思議な気がするのです。


夕方には今年卒塾した生徒ふたりが塾に遊びに来ていました。
この子達もついこの前までは中学生だったのに、高1になった今は本当に高校生っぽい。
今年の中学1年生も、つい数か月前まで小学生だったのに、今はいかにも中1生らしい。
今年から講師スタッフに加わった4人の先生達も、今は本当にいかにも先生という感じ。
小学生も、1年生だった子が2年生になると、急に2年生っぽくなる。
中3生も、急に大人びてくる。
当たり前のことと言えば本当にごく当たり前のこと。
しかし、それが不思議に思えて仕方ないのです。
これが成長というものなのでしょう。


先日、前を歩くふたりの生徒の後姿を見ていて、ふと気づきました。
一人ひとり、その子の気持ちや考え方、性格などが、歩き方や話し方、ちょっとしたしぐさにも表れます。
そして、そこに成長の跡が見られます。
ということは、私自身も自分の考え方や気持ちが、自分の行動の一つひとつに表れているのだな...。
「歳取った」と思っていたら、当然人の目にもそのように映ります。


2年ほど前、近所のひとりのおじいさんが道端でよそのおばあさんと話していました。
「わしゃもう年じゃよ」
「えっ、あんた、歳取ったって、いくつ?まだ若いじゃない」
「いやー、もう来年60じゃよ」
これを聞いた私は、それこそ、
「えっ!? まだ59だったの?僕とそんなに変わんないじゃない!」
と、驚きました。


「病は気から」とよく言いますが、これは何も病に限ったことではありません。
精神的年齢も、肉体的年齢も、実にその人の気持ち次第です。
「人は心に考えるような人になる」のです。
私はよく人から「若い」「20年前から全然変わっていない」と言われます。
これは毎日、子どもたちと接していることと、若い先生達と接していることのお陰だと思っています。
接している人たちがいつも同じ年齢層なので、自分もいつまでも歳を取らないような気がしているのです。
そしてその気持ちが外見にも表れているのだと思います。
でも、内面は成長していなければなりません。
考え方や行動がいつまでも進歩がないと困ります。
ですから、ただ単に心身ともに成長するだけでなく、同時にフレッシュな気持ち、新しいことを学ぶ姿勢、チャレンジする姿勢を忘れてはいけないと思うのです。
それが若さを保つ秘訣ではないでしょうか。


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夢を描く

2009.05.14日

かつて画家のゴッホが言いました。
「私は私の描く絵を夢見て、それから見た夢を描く」と。


だれでも絵を描くときには、最初に心の中に描く絵をイメージします。
作曲する人は、作る曲を心の中でイメージします。
小説を書く人も、やはりストーリーをまずイメージします。
自動車や家電、家具など、どんな物でも作る前に、どのようなものを作るかイメージします。
スポーツにおいても同様です。たとえば、野球ではバッターはバッターボックスに立つ前に、どのようなバッティングをするか心の中に描きます。ピッチャーも対するバッターを見て、どのような球をどのコースでどこに投げるか、やはりイメージします。
優勝するチームは最初から優勝するイメージを心の中に強く描いています。
決勝戦まで勝ち進んだチームで、「よくここまで来れたものだ。本当にラッキーだった」と思ったチームはまず負けます。
逆に、「ここまで来たのは予定通り。さあ、この試合で必ず決着をつけてやる」と心に決めて試合に臨むチームは優勝します。
人生とはそういうものです。


自分が心に描いたとおりに物事が運んだ。
このような体験をほとんどの人がこれまでに何度か経験しているはずです。
しかし、「いつも思うようにうまくいく」と、考える人もいれば、反対に「思うようにうまくいくことはめったにない」と、考える人もいます。(「自信はどのようにしたら生まれるか」


ここが成功者と失敗者の分れ目です。
成功者は「絶対に思うようにうまくいく」と考えて、その夢を実現させるまで決してあきらめません。
必ずしも簡単に夢を実現できるわけではありません。いろいろな困難にぶつかります。
しかし、困難にぶつかったとき、どのようにしたらこの困難を乗り越えることができるだろうか、ということに焦点を当て、いろいろと試します。そうしているうちに不思議と道が開けるのです。
一方、失敗者は困難にぶち当たると、「やっぱり自分には無理なんだ」と、すぐにあきらめてしまいます。
たとえすぐにあきらめなかったとしても、このような人は「なぜできないか」「なぜうまくいかないのか」と、できない理由ばかり探し、できないことを正当化します。その結果、失敗するのです。
というか、初めから失敗することが見えています。


これは人生のあらゆる場面に通じます。
小中高校生ならば学校の試験や受験において、あるいは友達作りや部活など、大学生なら就職活動において、社会人なら会社での昇進や、将来の配偶者との出会い、結婚、家庭作り、いろいろな場面での人間関係等など。


やりたいこと、なりたいもの、ほしいもの、どのようなことでも、ゴッホのように最初に心の中にイメージを描くのです。そして、次にそのイメージを具体化させるために行動を取るのです。
これを繰り返していくならば、本当に不思議なほど「自分が思い描くとおり」の人生を送ることができるようになります。
実はこれこそが、私がこれまでに何度もこのブログで言ってきた「引き寄せの法則」「引き寄せの法則 2」)であり、「魔法のランプ」であり、「夢をかなえる」「夢はかなう 2」)方法なのです。


まずは夢を描きましょう。大きな夢を。すてきな夢を。最高に幸せな夢を。
そして、それが実現できるまで決してあきらめずに追い求めましょう。
自分でもびっくりするようなことが起こりますよ。


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ラッキーマン

2009.05.13日

今朝の成人英会話クラスで、高校の英語教科書 PRO-VISION ENGLISH READING からマイケル・J・フォックスの LUCKY MAN を読みました。


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私は彼の映画はほとんど全部見てきました。繰り返し、繰り返し何度も。それぐらい彼の大ファンでした。
私の3人の子どもたちもみんな、彼の『バック・トゥ・ザ・フューチャ』のシリーズはそれこそ何十回も見ています。
新聞の記事で彼がパーキンソン病にかかっているということを知ったときは本当に大きなショックを受けました。
パーキンソン病というと普通は「老人がかかる病気」というイメージをもっていたからです。
驚いたことに、フォックスは『バック・トゥ・ザ・フューチャ 3』が公開された頃から既に自覚症状が出始めていたといいます。


今日読んだテキストに書いてありましたが、彼は自分が超有名な映画俳優だったのにパーキンソン病にかかったということで、人々が自分のことを悲劇の主人公、犠牲者として見ることをもっとも恐れていたそうです。
彼は発症してから7年間、自分の病気のことを隠して映画の仕事を続けていました。そして公表してから自らパーキンソン病の治療のための研究費を政府に出してもらうよう上院の公聴会で証言し、さらに治療法の早期発見のために「マイケル・J・フォックス パーキンソン病リサーチ基金」という財団を設立して、その運動のために自らを捧げています。


フォックスはこの突然降りかかった難病を喜んで受け入れることはできませんでした。
しかし、たとえ現実を否定しても、いくらあがいても、自分が不治の病に侵されているという事実を変えることはできません。そこで彼は苦しみぬいた挙句、現実を受け入れ、そして自分に何ができるかを考えます。
彼は、自分が有名人であることを生かして、パーキンソン病治療のために人々の関心を集め、資金を集めるという使命を見出します。
そして彼の言った言葉、
「私がこの病気を受け入れてからのこの10年間は、自分の人生の中で最高の10年間でした。それは、私が病気であるにもかかわらずということではなく、むしろ病気のおかげなのです。
この病気は私にとって贈り物でした。この贈り物をもらわなかったら、こんなに心豊かな気持ちにはなれなかったことでしょう。だから私はラッキーマン、幸運な男だと思っているのです」


かつて自分が俳優で有名人だったのは、このパーキンソン病の運動をするためだったのだ。だから自分はラッキーだ、という発想。本当に心打たれます。

ぜひ、この『ラッキーマン』をお読みください。本の売上金は財団にいくそうです


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ミケランジェロのダビデ像

2009.05.12日

ミケランジェロのダビデ像はあまりにも有名です。皆さんもどこかでこの写真を見たことがあるでしょう。


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「ミケランジェロが1501年から制作を開始し、1504年9月8日に公開した彫刻作品である。ピエタと並ぶミケランジェロの代表作であるばかりでなく、ルネサンス期を通じて最も卓越した作品の一つである。力強さと若き人間の美しさの象徴ともみなされる作品であり、芸術の歴史の中で最も有名な作品と呼びうるのは本作をおいて他にない。大理石で身の丈5.17メートルにかたどられたこの像は、旧約聖書の登場人物ダビデが巨人ゴリアテとの戦いに臨み、岩石を投げつけようと狙いを定めている場面を表現している」(ウィキペディアより)


私はこの実物大のレプリカをロサンゼルス郊外グレンデールのフォーレストローンという広大な敷地の墓地へ何度も見に行きました。


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この写真を見てわかるように本当に大きいです。


このダビデ像について逸話があります。
ある人がミケランジェロに尋ねました。
「先生、どのようにしてこのような力強い、生き生きとしたダビデ像が作れるのですか?」
ミケランジェロは答えました。
「彫刻するときに、ダビデでないものを全部削り落としていくのですよ」


なるほど!確かに「ダビデでないものを全部削り落として」いったら出来上がるのはダビデですよね。
実に簡潔明瞭な答えです。


ミケランジェロのこの答えから大切なことを学び取ることができます。
私たちは誰でも、自分自身が理想とする自分の姿をもっています。それは容姿かもしれませんし、あるいは能力や技術、性格かもしれません。職業や家庭かもしれません。
自分の理想像は人それぞれみんな異なります。
しかし多くの人が、「そんなこと不可能だ」と思って、初めからあきらめてしまっています。
何事もそうですが、あきらめたらその時点で可能性はゼロになってしまいます。
しかし、あきらめなかったら可能性は無限大です。
理想像をかなえるコツは、理想像になるのにふさわしくないものを全部削り落としていくことです。
ちょうどミケランジェロがダビデでないものを全部削り落として、あの有名な不朽の名作「ダビデ像」を作ったように。
巨大な大理石のかたまりを与えられて、「さあ、ダビデでないものを全部削り落としなさい」と言われても、高さ5.17メートルのダビデ像を作ることは私たちにはできません。
しかし、自分自身の理想像を作り上げていくことは誰にでもできます。


さあ、さっそく今日から始めませんか?
「自分の理想像」作りを。楽しいですよ。やりがいがありますよ。
そして、完成されたときの感動は「ダビデ像」よりはるかに大きいですよ。


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からだの一部になるまで

2009.05.11日

昨夜ひとつの夢を見ました。
相手が誰だったかよく覚えていないのですが、二人の人と話していて、パソコンのブラインドタッチの話題になりました。
私は40年のキャリアがあり、ほとんど人が話すスピードでタイピングすることができます。
それでそのふたりにそのコツを聞かれて、タイピングをどのようにしてマスターしたかを話していたのです。以下がその話の内容です。


大学に入って英語を専攻していたのですぐに英文タイプライターが欲しくなりました。
丸善にオリベッティやブラザーのタイプライターを何度も何度も見に行きました。でも高くて手が出ませんでした。
私はタイプライターのキー配列を実物大で紙に書いて、その紙の上をまるでタイプライターを打っているかのように、繰り返し繰り返し指でたたいて練習しました。
やがて周りの友人が次々とオリベッティのタイプライターを買い始め、私は少々焦りました。
そこで横須賀の米軍基地で働いていたアメリカ人の叔父に頼んだところ、叔父が使っていた中古のタイプライターをくれました。
これがそのタイプライターです。


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こんなケースに入っていました。


typewriter%20case.jpg


このタイプライターは米軍で多く使用されていたもので、1950年頃製造されていてかなり年季が入っていました。
QUIET-RITER 、quiet writer すなわち「音の静かなタイプライター」という名前でしたが、打つとバチバチバチとすさまじい音がしました。また、ポータブルという名前がついていて、ケースの中に入っているのですが、かなり重たく、持ち運びは大変でした。
友達はみんな音の静かな、軽いタッチの、スタイリッシュなオリベッティのタイプライターを使っていて、私のタイプライターをバカにしました。
しかし、友達とタイピングのスピードを競うと誰にも負けませんでした。
大学の教授達はIBMのセレクトリック・タイプライターという最新式の電子タイプライターを使っていました。
これは指先が少し触れただけでゴルフボール状の活字盤がクルクル回って瞬間に印字し、しかも間違えて打ったときには間違いを修正して打ち直してくれる画期的なものでした。
私はこのタイプライターが欲しくてたまりませんでした。しかし何十万もする高価なもので買えるわけがありません。
私はこのレミントンのオンボロタイプライターを愛用することに決めました。そしてこのタイプライターをそののちずっと長年使用し、大学の卒論も大学院のレポートや卒論も全部これを使いました。卒論は、ページの最後の部分で打ち間違えると、また一から打ち直したりして、とても骨が折れました。
やがてワープロを買って、愛着のあったこのタイプライターは処分しましたが、今でもあの音や臭い、キータッチの感覚をはっきりと覚えています。


私はこのタイプライターをからだの一部になるまで使いこなしました。それが今日のタイピングのスピードにつながっています。
成人英会話教室に通っていたKさんに、20年近く前にテニスを教えていただきました。この方は、その当時既に60代後半、かなりのお年でしたが、フットワークは私よりもずっと軽く、ラケットさばきは抜群でした。ラケットがからだの一部になっていたのです。
イチロー選手のバットもしかり。そのほか、一流のスポーツ選手はみんな当然のことですが、自分の専門の分野の道具をからだの一部にしています。
音楽家の楽器も、美容師さんのハサミも、画家の絵筆も、大工さんの道具もそうです。
車もそうです。私は大型免許を取り、今15人乗りのマイクロバスを毎日運転していますが、全長5m38cm、幅1m88cm、高さ2m28cmとかなり大きく、狭い道で対向車と行き違うのは大変です。でもこのバスも今や私のからだの一部となっています。


この「からだの一部になるまで」というのは、道具だけでなく、何にでも当てはまります。
通訳や翻訳、サッカーのボールコントロール、セールスの接客技術などもそうです。
私の場合は英語であり、また人に教えることです。
ほかにもたとえば、歌やダンス、相撲、レスリングといったからだを使う技術的なものもあります。


「からだの一部にする」のに共通することは、言うまでもなく、繰り返しです。
初めから一輪車に上手に乗れる人などだれもいません。みんな練習して乗れるようになるのです。
勉強においても同じです。できる人はみんな例外なく繰り返しをやっています。
アカデミー通信の今月号表面に載せた「合格体験インタビュー」の中でも、やはり合格の秘訣は繰り返しだと、ふたりが言っています。
繰り返さないでできるわけないのです。ほんの一部の天才的な人を除いては。
なにか極めたいと思ったら、まずは繰り返し、繰り返し練習して、からだの一部にしてしまうことです。
トニー・ロビンスはセミナーの中で言っています。
"Repetition is the mother of skills."
「繰り返しは技術の母である」
これは、"Necessity is the mother of invention." 「必要は発明の母である」ということわざをもじったものですが、真理です。
漢字でも、英単語でも、その他なんでもそうですが、繰り返してからだの一部にしてしまいましょう。
これが成功の秘訣です。


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母の日に寄せて

2009.05.10日

今日は母の日でした。
母の日の起源は、今から100年ほど前、アメリカでアンナ・ジャービスという人が亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、白いカーネーションを贈ったのが初めと言われています。アンナは友人たちに「母の日」を作って国中で祝うことを提案。1914年に「母の日」はアメリカの祝日になり、5月の第2日曜日と定められたのです。


私の母は、10年近く心臓病で闘病したのち56歳の若さで亡くなりました。
母が病院で息を引き取った後、私は家に戻って父と一緒に母の身の回りのものを整理し始めました。
すると1冊の小さな黒い手帳が見つかりました。表紙を開けるとそこには、
「神により 生きる尊さ 今あらた」
という俳句が書いてありました。
さらにページをめくっていくと、
「まくらもとに 立たれし御神のみことばが
   今も耳に残りて 苦しみもぬけ去りぬ」
まくらもとに 立たれし御神のみめぐみに
   甘えすがりて 悩みも悲しみも忘れ去りぬ
まくらもとに 立たれし御神の力強き
   御腕の中で 我やすらかな眠りに入りぬ」
「もしキリストの愛がなかったら、痛い苦しみ 今ごろはさ迷う羊となっていたでしょう
もしキリストの赦しがなかったら、 世の多くのやさしい人々の祝福を受けず 光も見ずにいたことでしょう」
と延々と信仰の証の詩が綴られていました。
病院で母が息を引き取るのを見ていて、ああ、母は今ようやく肉体の苦しみから開放されて天国に旅立ったのだ、と感慨深く思い、涙ひとつこぼさなかったのですが、この母の手帳を見たときは涙が止まりませんでした。
母の葬式には親戚を始め、父と母の、そして私と妹の友人も大勢来てくれましたが、そのほとんどがキリスト教式の葬式は初めて、と言ってみんな一様に感動を覚えているようでした。


母は本当に働き者でした。
朝早くから夜遅くまで常に働いていました。
私が子どもの頃は、家が貧しかったこともあって、母は絶えず内職をしていました。
洋裁が得意だったので、人から頼まれて洋服をよく作っていました。
そのうち、和裁にもチャレンジして、打ち掛けを作る内職も長い間やっていました。


また母はとても優しい人でした。
人を見ると怖がって逃げる野良猫や野良犬が母にはなつきました。
家の裏庭に降りてくるスズメさえ、母がいるときには恐れずにすぐ近くまでやってきました。
父から大声で怒鳴られて叱られても、決して言い返すことをしませんでした。


私はこんな母が大好きでした。
闘病生活が長く、晩年はとても衰弱していました。
私が母を励まそうと思って、
「孫の顔を見るまで頑張って」と言ったら、
「もう待ちくたびれた」
という返事が返ってきました。
私が結婚して子どもができたのは、母が亡くなった2年後でした。
結婚が遅くなって孫の顔を見せてあげられなかったことが私の唯一の親不孝だったと思っています。
母に十分な親孝行ができなかった分を、私は今、義母に親孝行したいと思ってできる限りのことをしています。


今日の読売新聞の第1面に「森光子さん『放浪記』2000回 89歳」という記事が載っていました。
私はよく森光子さんに母の姿をダブらせます。
実は、私は小学生のとき毎週テレビに出ていたのですが、同じスタジオのすぐ隣で、私の出演していた「スーパーお姉さん」という番組のすぐあと「街のどんぐり」という番組をやっていて、それに森光子さんが主演しておられたのです。それで毎週、森光子さんにスタジオでお会いしていました。この番組には、ほかに藤田まことや南都雄二、荒木雅子というそうそうたるメンバーが出演していました。
「スーパーお姉さん」が子供向けの番組だったのに対して、「街のどんぐり」は大人向けの番組で、どこにでもある街の人々の暮らしを描写していましたが、森光子さんは素敵なお母さん役でした。
森光子さんはその頃40歳でしたが、50年近く経った今も、昔と全然変わっていらっしゃいません。
当時は、今のようにビデオ録画などなく、ほとんどの番組がぶっつけ本番でした。
ですから、終わっても「お疲れ様でした」などと大声を出すことはできず、すぐ隣で始まる番組を静かに見ているのでした。今でもその時の光景が目に焼きついています。スタジオの臭いまではっきりと覚えています。


母が今生きていたら、森光子さんとほぼ同じくらいの年齢。
森光子さんは今でも舞台で現役。足を上げて踊ったり、歌ったり、でんぐり返しもできるという超人です。
母も森光子さんのように健康だったらよかったのにとよく思います。
でも、もし健康だったら、冒頭の詩にあったように、母は信仰の世界を知らなかったかも知れません。


私は、森光子さんに母の分まで長生きして、これからもますます活躍してもらいたいと心から願い、陰ながらいつも応援しています。
母の日に寄せて、母を偲んだ今日1日でした。


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アカデミーの力の源泉

2009.05.09日

昨日、ひとりのお母さんと中学生のお嬢さんが塾にお申し込みの手続きに来られました。
お話を伺うと、ゴールデンウィークの塾の休みのときに、たまたまアカデミーの教室の前を通りかかったとき、引き寄せられるように階段を上がって事務室に来たとのこと。そのとき対応したふたりの先生がとても優しそうで、しかも普通、塾というと「勉強」というイメージしかないのが、アカデミーは何か温かみ、楽しさというのを感じた、とおっしゃっていました。
そして今日、早速第1日目の授業を体験されました。最初はちょっと緊張しておられたようでしたが、すぐに先生達と打ち解けて楽しそうに話しておられ、私もホッとしました。


今日は今年新たに加わったスタッフの4人目、清田奈甫先生のデビューの日でもありました。さすがに有能な先生だけあって、初めてとは思われないほど落ち着いて堂々と教えていて、生徒のほうが圧倒されているようでした。
これまでアカデミーは伝統的に男性の先生がほとんどで、女性の先生は小学部を教える人たちだけでした。(10年以上前にいた中学部の女性講師は、アカデミーで出会った男性講師と職場結婚しましたが)
今回、女性講師スタッフが新たに中学部に加わったことで、塾の雰囲気が今まで以上に明るく、温かくなりました。
スタッフ同士も和気あいあいで、とても気持ちがいいです。
これまでにも何度かこのブログに書いていますが、私はアカデミーの力は先生達にあると思っています。本当にいい先生達に恵まれて私は幸せだ、といつも思っています。生徒たちもみんなそう感じていると思います。


そういえば、以前にもブログにわがアカデミー学院の先生達の自慢話「私の自慢」を書き、その中で塾生専用ページに掲載しているムービーやスライドショーなどの動画を紹介したことがありましたが、数日前別の先生から聞いた話で、何と5秒間のムービーを制作するのに3時間もかけていたとのこと。またまた感動しました。
実はトップの movie/OPENING が誤って試作版を載せていたことが最近判明し、このたび完成版をアップしました。「ルパン」の主題歌に合わせて先生達がカッコよく登場するシーンは見ものです。まだの方はぜひご覧ください。ムービーはこちらから。


みんな本当に生徒思いの先生達。授業で教えるときだけでなく、イベントでも、また生徒たちのために陰で授業の準備やイベントの準備をするときも、夜中にこれらのムービーを制作するときも、常に頭の中には生徒のことがある。私はこんな先生達を本当に誇りに思います。
そして、生徒たちも先生達に愛されていることを感じ、その愛に応えようと一生懸命勉強に取り組む。実にいい流れが出来上がっています。


冒頭に書いた、「温かく、楽しい雰囲気」の塾。これこそ私が追い求めている塾の姿です。
日本に塾多しと言えども、アカデミーのような塾はそうはないと思います。
先生達、これからもよろしくお願いします。生徒たちのために。


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勝って兜の緒を締めよ

2009.05.08日

今日の新聞の1面に大きく「任天堂、オリエンタルランド最高益」の記事が載っていました。
1か月ほど前のブログ「すべては生徒のために」にも東京ディズニーランドの成功の秘訣を書きました。
100年に1度とも言われるこの大不況の中で、業績好調・過去最高益というのはすごいことです。
去年GMを抜いて世界1の販売台数を誇ったトヨタも今年は71年ぶりの赤字に転落。
読売新聞USO放送の4月の月間賞に輝いたのは、「就職人気『JR』が上位  乗り換えられた −トヨタ」で、実にうまく世相をついていました。
今、どこの企業も生き残りをかけて必死です。世界最大規模だったGMが倒産の危機にあるぐらいですから。


任天堂は「Wii」や「ニンテンドーDS」が好調だった、と記事にありました。
以前、アメリカではTVゲーム機のことをみんな「ニンテンドー」と呼んでいて、代名詞になっていました。
今では、「任天堂」と言えば「ゲーム機」「ゲームソフト」ですが、実はこの会社は明治22年(1889年)創業で、花札メーカーとして京都市に誕生しました。
その後、花札が斜陽化すると、すぐにトランプを製造し、さらに滑りやすいプラスチック素材のトランプを作ったり、ディズニーのキャラクターをトランプに取り入れて大ヒット。
しかし、東京オリンピックの頃、トランプの売り上げがピタリと止まり、株価は900円から60円にまで下落。
次に、全国のボウリングのブームが終わり、あちらこちらのボウリング場がつぶれ始めると、任天堂はすぐにボウリング場あとにレーザークレー射撃場を作って、これがまた大ヒット。
レーザークレー射撃場のブームが終わる頃には、TVゲーム機を作る、と任天堂は実にうまく時代の流れを読んで人の心をつかんできました。
その後のことは皆さんのほうがよくご存じ。
ドンキーコング、ファミコン、スーパーマリオブラザーズ、ゲームボーイ、スーパーファミコン、NINTENDO64、ニンテンドーDS、Wii、と次々とヒット作を出してきて、今ではゲームでは世界のトップ企業となりました。
しかし、ここまで来るのに何度も危機を乗り越えてきているのです。


実は、私の母方の親戚が昔、やはり京都で花札をメーカーをやっていて、会社は当時任天堂よりも大きく、すごい金持ちだったそうです。
しかし任天堂のようにうまく時流に乗ることを知らず、いつまでも花札製造にこだわっていたため、ついには倒産してしまったのです。
昔から「三代目はのれんをつぶす」と言いますが、これは繁栄の上にあぐらをかいで油断していると、会社をつぶすことになる、という意味です。
私たちはこのことを肝に銘じなければなりません。
どのような業界、仕事、企業でも安泰、絶対大丈夫、などということは決してありません。
私たちの人生もそうです。
「人生、山あり 谷あり」です。
山の頂にいる時には「勝って兜の緒を締めよ」。油断せずに、常に学ぶこと、研究することが大切です。
谷の底にいる時には「案ずるより産むが易し」「継続は力なり」。大丈夫、道は必ず開けます。


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断られても、断られても...

2009.05.07日

以前、このブログにセールスの話「DOOR TO DOOR」を書きました。TVの番組を見てとても感動したからです。
このストーリーは実話に基づいていて、モデルになった人は今も健在だということも書きました。
DOOR TO DOOR、すなわち1軒1軒訪問販売に行くのですが、脳性小児麻痺のため誰からも馬鹿にされて断られるのです。
しかし、断られても、断られても、あきらめず、ついに1軒でセールスに成功し、その後も苦労の連続ですが、やがてトップセールスになるという感動物語です。
私の父も昔、車のセールスをしていましたし、私自身も学費を稼ぐためにセールをしていたことがあったので、セールスの世界がどれほど大変かということを人一倍知っています。


今日、バス送迎しているときに聴いていたトニー・ロビンスのセミナーCDの中で、彼自身の友人でもあるシルベスター・スタローンの話が出てきました。
スタローンといえば、映画『ロッキー』のシリーズや『クリフハンガー』、『ランボー』シリーズで有名です。
一般にはあまり知られていない『ロッキー』の裏話を、トニー・ロビンスの話からご紹介します。


スタローンは小さい頃から映画俳優になりたい、という夢を持っていました。しかし、医師のミスで障がいを持って生まれてきて、顔には傷跡、そして言葉がはっきりと話せない言語障がいも持っていました。
彼が若い頃出たいくつかの映画は端役ばかりで、20秒間殴られる役とか、通行人とかでした。
仕事が全然なく、やがて食べるのにも困るようになります。妻の宝石を内緒で売ってお金を得たりして、ついに愛想をつかされて逃げられます。
食べるものもなくなったある日、彼は唯一の友達ともいえる愛犬を連れて酒場に行き、見知らぬ人に犬を50ドルで売ろうとします。結局25ドルにまけて売ってしまうのですが、あとで自分の一生の中で1番の失敗だったと後悔します。
その2週間後、彼は当時のボクシングのチャンピオン、モハメッド・アリと白人のボクサーチャック・ウェブナーの試合を見ます。ウェブナーはアリに殴られても殴られても、倒されても倒されても立ち上がり、アリに向かっていきます。それを見ていたスタローンはそこに自分の姿を見ます。
そして家に帰り、20時間ぶっ続けでそのボクシングの試合のストーリーを映画の台本に仕立てます。
そして出来上がった台本を持って映画会社に売り込みに行きますが、どこに行っても断られます。
しかし、断られても、断られても、彼はあきらめません。
やがてひとつの映画会社が彼の台本を買ってくれることになりました。
台本の値段は125,000ドル。当時の日本円にして3,500万円ぐらいでしょうか。
しかし、スタローンは自分が映画に主役で出ると言い張ります。映画に出られないなら台本は売らないと言うのです。
食べるのにも困っていたのに、スタローンは125,000ドルの話をけります。
そこで映画会社は250,000ドルに値段を上げますが、彼は首を縦に振りません。
325,000ドルの提示も彼はけります。
そして最後に、たったの35,000ドルという、映画俳優の最低のギャラでロッキーの役をもらうことになります。
映画会社は『ロッキー』がそれほどヒットするとは思っていませんでした。
しかし何と、2億5000万ドルも売り上げ、アカデミー賞最優秀作品賞を取るほどになったのです。


愛犬を売ったことを後悔していたスタローンは、1か月半後、犬を売った人に会おうと酒場に通い、その人を見つけ、一緒にいた愛犬と再会します。
そしてその犬を買い戻そうとして、100ドル支払うと言いますが、断られます。
500ドルにしても、1000ドルにしても断られました。
そこでスタローンは15,000ドルを支払って、犬とその犬を買った人も一緒に『ロッキー』の映画に登場させると約束します。
そして結果は...
犬もその人も映画の中にほんの少し登場するのです。
私はこのシーンは全然記憶にありませんでした。
スタローンはこの映画のおかげで世界的な大スターになりました。


キーワードは「断られても、断られても」です。
いつも言うことですが、あきらめなければ必ず成功します。
どんなことでも。


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学んでいるすべてのことが役に立つ

2009.05.06日

最近は脳科学が大流行です。
昨日の読売新聞にも「現代を読み解くKEY WORD」【脳】という特集があり、そこに『面倒くさがりやのあなたがうまくいく55の法則』、『脳はもっと遊んでくれる』、『最新脳科学で読み解く 脳のしくみ』、『いつまでも「老いない脳」をつくる10の生活習慣』、『脳活性ダイエットCD』などの本が紹介されていました。
私は脳科学が流行するずっと前からこの分野には興味があり、これまでたくさんの本を読んで自分なりに研究してきました。


昨日書店で購入した茂木健一郎の『脳を活かす生活術』の冒頭に次のような言葉があります。
「笑顔で健やかに毎日を暮らしている人々には、脳の中を数多くの『道具』で満たしているという共通点があるのです。脳には生きる術がたくさん詰まった『道具箱』としての役割があり、その道具一つひとつの秘密を解き明かしていくのがこの本の目的です」


今年からアカデミーの講師の一員として加わった相原葉子先生は、中1のときに次のように言っていました。
「今、勉強していること一つひとつが全部将来役立つと思うと、勉強が楽しくて仕方がない」
中学1年生でこのようなことを言った生徒はこれまでほかにいません。
相原さんの言葉は真理をついています。勉強に対する正しい考え方です。
勉強が嫌い、と言う人はみんな勉強の面白さを知りません。そしていやいや、仕方なく勉強をしています。このような勉強法をしていて、勉強が将来役立つわけがありません。


私が小学4年生の頃、「少年探偵団」など、探偵物のTVや漫画が大流行でした。私も例外ではなく、この探偵物にはまっていました。
親しかった友達とふたりでよく探偵ごっこをしたものです。
そのうち、ふたりだけの暗号を決めて、それを使って手紙を書いたり、ジェスチャーや話し言葉にも使うようになりました。
暗号が随分増えてきたので、暗号を書いた手帳を作ることにしました。
そして、当時のガリ版刷りで探偵手帳を印刷しました。たったふたりだけのために、2冊の手帳を印刷したのです。実に馬鹿げているのですが、これが楽しくて、ワクワクしながら作りました。
しかし出来上がったものを製本しようとしたら、ページがうまく順番になりませんでした。
そこでもう1度作り直しました。今度は、どのページの裏にどのページがくればよいか、しっかりと考えて作りました。今度はうまくいきました。大満足です。私はこの探偵手帳をいつもポケットに入れていました。


大学を卒業してアメリカに留学中、学費稼ぎのためにサイドビジネスを始めました。
そして毎月、手書きのニュースレターを作りました。
帰国してから父の仕事を手伝っていたときもニュースレターを作っていました。
このときは、プロっぽく見せるため和文タイプライターを使いました。当時の和文タイプライターは40センチ四方ぐらいの盤面に漢字・ひらがな・かたかな・アルファベット・各種記号などがあり、それを1文字ずつ拾ってガチャンと手で押して紙に印字するもので、とても時間がかかりました。


やがてワープロが登場し、和文タイプライターはワープロに替わりました。
アカデミー学院の前身である旭イングリッシュアカデミーを始めた頃は、教材も、アカデミー通信も、生徒募集のチラシも全部ワープロを使って作っていました。


その後、コンピュータに乗り換えて今日に至ります。
今、振り返ると、毎月書いているアカデミー通信も、このブログも、またチラシも、元をたどると小学生のときのガリ版刷りの探偵手帳にその端を発しています。


先ほどの『脳を活かす生活術』の中で茂木健一郎さんは次のように言っています。
「脳の道具箱の中に入っている道具は、1個1個独立しているように見えて、実は回路としては全部つながっています。それは生涯に1回ぐらいしか役に立たないかもしれない。しかし、必ず何かの役に立つ時が訪れます。ですから、普段から脳の道具箱を満たすように生活していく心がけが必要になってくるのです」


そうです。相原さんも言っていたように、学んでいること、やっていること、見聞きしていること、経験していることで、将来役に立たないことなどひとつもありません。
それらをいかにして役立てるか、それが人生の面白さです。
「脳は、毎日の出来事のすべてから学んでいる」(前掲書)


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魔法のランプ

2009.05.05日

今日、書店でいろいろな本を手にとって見ていたとき、面白い話が目に飛び込んできました。


日本の総理大臣が道を歩いていたら魔法のランプを見つけた。
こすると中から妖精が出てきて、
「あなたの望みを何でもかなえましょう」
と言った。
そこで総理大臣は言った。
「日本は今大変な経済危機に面しています。この大きな借金を何とかしてください」
すると妖精が答えた。
「いくら妖精でもできることとできないことがあります。そんな天文学的な数字の借金は無理です。
何かほかの望みを言ってください」
総理大臣
「今、日本は中国との関係がうまくいっていません。中国人にもっと日本のことをよく理解してもらいたいのですが」
妖精
「... 日本の今の借金はいくらですか?」


記憶に頼って書いているので正確な引用ではありませんが、だいたいこんな感じの内容でした。
私は思わず吹き出してしまいました。


『アラビアンナイト』の中のアラジンと魔法のランプの話は有名です。
中国で母親と貧乏暮らしをしていたアラジンが叔父を騙るアフリカ出身の魔法使いにそそのかされて、穴倉の中にある魔法のランプを手にしたところから物語が始まる。
そのランプを擦ると魔神があらわれた。魔神はランプを擦った者の願いを叶える力があり、アラジンはその力を使って大金持ちになり、皇帝の娘と結婚する。(ウィキペディアから)


この物語は『ドラえもん のび太のドラビアンナイト』にも使われていて、ご存じの人も多いことでしょう。
ほとんど人はアラビアンナイトあるいはドラビアンナイトを見て(読んで)単なるおとぎ話、子供だましの物語と思います。
しかし、この物語に登場する魔法のランプの魔神ジーニの言う
「あなたの望みをかなえてあげましょう」
(英語では Your wish is my command. 文字通り訳すと「あなたの望みは私の命令だ」で、意訳すると「仰せのとおりにいたします」「何なりとお申しつけください」)
という言葉は、何と私たちの日常の生活の中で数え切れないほど実現されています。


ドラえもんの主題歌の歌詞は次のようです。
「こんなこといいな できたらいいな
あんなゆめ こんなゆめ いっぱいあるけど
みんなみんなみんな かなえてくれる
ふしぎなポッケで かなえてくれる
そらをじゆうに とびたいな
『ハイ!タケコプター』
アンアンアン とってもだいすきドラえもん」


昔、ひとりの人が「馬の要らない馬車を作る」と言ったとき、周りの人たちはみんなバカにして笑いました。しかし、これが自動車になりました。
「あの大きな山がじゃまだ。穴を掘って向こう側に行きたい」と思った人がダイナマイトを発明しました。
「海を越えてよその国に行きたい」という思いが船を作らせました。
「遠く離れた人と話したい」という願いが電話機の発明につながりました。さらに、
「電話を持ち歩いてどこでも使いたい」という夢が携帯電話を生み出しました。
「月に行ってみたい」という夢物語が1969年7月16日にアポロ11号で実現しました。
どの夢も、最初は荒唐無稽、誰からも相手にされませんでした。


もちろん魔法のランプから魔神が出てきて夢をかなえてくれたわけではありませんが、魔法のランプは人の心の中にあるのです。
自分が本当に望むなら、それを実現させようとして人は知恵の限りを尽くし、失敗しても失敗してもあきらめず、ついに手に入れることができるようになります。
これが人間に与えられた無限の知恵、知能です。


そしてこれは、何も特別な才能のある人だけに与えられているのではなく、誰にでも与えられています。
あなたも、望むなら、本当に望むなら、どんなことでも実現させることができます。
"Your wish is my command."
「あなたの望みをかなえよう」
学業でも、部活でも、受験でも、仕事でも、人間関係でも、どんなことでも実現します。
要はあなたが心からそれを望み、実現させるまであきらめない、という決意をしているかどうかです。


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夢はかなう! その2

2009.05.03日

私は積極思考が好きです。というか、積極思考を信じています。なぜでしょうか?
答えは、私自身がこれまでいくつも積極思考の効果を体験してきているからです。
それで、このブログを読んでいる人にもぜひとも、同じ体験をしてもらいたいと願っていつも書いています。


そういえば、前回「夢はかなう!」というブログを書きましたが、その中に登場した現在中2のK君はもうすでにJリーグ入りが決まっているそうで、夢の半分をかなえてしまったようです。


そして今回、このゴールデンウィーク中に私自身も長年の大きな夢をかなえることができました。
当事者がいて個人情報の問題もあるので、ここで公にすることはできないのですが、私にとってこれまでの人生で最大の出来事のひとつでした。
夜中に目覚めて、考え始めると興奮して一晩中眠れないほどでした。
そのことを考えていると、これまでに私がこのブログで書いてきたこと一つひとつが全部一緒になって実現したことがわかり、鳥肌が立ったほどです。
次のようなブログの記事が次から次へと頭に浮かび、神を畏れ(畏怖の念を抱き)ました。
「潜在意識の力」「引き寄せの法則 2」「目標達成の一番の障がいは」「すごい夢を見よう!」「人のために何ができるか」「思いやりの心」「ペイ・フォーワード」「本当のサービスとは」「不景気なときの最高の投資」...


その夜、私にとってもうひとつの人生最大の出来事を思い出しました。
私はアメリカ留学中の27歳のときにキリスト教の信仰をもちました。両親は私の信仰に猛反対しました。夜中に私を説得しようとして父は何時間も話しました。でも私の決心は変わりませんでした。両親の反対は、キリスト教がどういうものか理解していたからではなく、ただ未知のものに対する不安からのものでした。
その後、当時言語学を学んでいたUCLAの大学院をやめてバイオラ大学の大学院であるタルボット神学校に転校すると決めたとき、両親は嘆き悲しみました。
両親の心を思うと私は胸が張り裂ける思いでした。


しかし、私が信仰に入った1年半後、当時心臓病を患っていた母も同じ信仰を持つようになり、病床洗礼を受けクリスチャンとなり、教会に通い始めるようになりました。
はその後も私の信仰を受け入れることができず、親子の縁を切る、と言って私を脅したり、私の言うことすることみんな反対しました。それ以前、私は父とよく衝突していましたが、信仰をもつようになってからはできる限り衝突を避け、父を支える側にまわりました。


信仰に入って7年半後のある日、母はそのときすでに昇天していましたが、母の信仰がきっかけでキリスト教会に足を運ぶようになっていた父が通っていた教会の牧師から、結婚セミナーをやってほしいという依頼がありました。10月10・11日の1泊2日のセミナーと12日の礼拝の説教と午後の洗礼式の御用も頼まれました。
セミナーが終わり、日曜日の朝の礼拝が終わり、報告の時間のとき、牧師が午後に受洗する11人の人たちの名前を順に読み上げていきました。10番目の人の名前を言った後牧師は一息ついて、「最後の人の名前は...えーっと、誰でしたっけ?あっ、そうそう、舟田栄造さんでした」と言って、私をびっくりさせました。私はこの瞬間までまったく父の洗礼のことは聞かされていなかったので、天地がひっくり返るほど驚きました。
それまで私の信仰を迫害していた父のこと、その父のために夜中に山に登って祈っていたことなどがまるで走馬灯のようにまぶたによみがえり、涙があふれ出てきました。
そして、その日の午後、自らの手で父に洗礼を授けるという特権にあずからせていただきました。
その後、私は体を壊して牧師の仕事を続けられなくなり、今の学習塾の仕事をするようになるのですが、10年間という短い牧師生活の間に、本当に信じられないような経験をさせていただくことができました。
父の迫害の中にあって私は父のために祈り続けていましたが、その祈りがこのような形で応えられたのです。


「夢はかなう」・・・これは真実です。
信じて疑わないなら、不可能と思えるような夢でもかなえられるのです。
このゴールデンウィークの出来事をとおして、もう1度このことを確信しました。


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