学院長元気の出るブログ

日々の随想。教育問題、子育て、英語、積極思考、人間関係、霊想等など。
読む人に元気を注入します。

ジョージ学院長 元気の出るブログ

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面談

2009.04.29日

4月から塾生の三者面談を行っています。中にはお子さんが部活で来れないということで、お母さんだけとの二者面談ということもあります。ときには、下のお子さん(弟・妹さん)を一緒に連れて来られることもありますし、またご両親そろって来られたり、おばあちゃまがご一緒に来られることもあり、4者面談、5者面談になることもあります。


皆さん、当然のことながらお子さんのことを誰よりも人一倍心にかけておられます。素晴らしいことです。
ただ、ときに心にかけるのがちょっと行き過ぎになることもあり、そのような場合は「子離れ」をお勧めします。親があまりにも子どもべったりになっていると、子どもは息苦しくなり、自由がなくなります。そして、親のために生きる人生になり、本人の自立が遅れることもあります。いわゆる「マザコン」です。
このようなケースはめったにありませんが、「期待過剰」はよくあります。
「期待過小」は、子どもが糸の切れた凧のようにどこかに飛んでいってしまいます。
しかし、「期待過剰」は子どもを押しつぶします。
適度の期待が子どもを伸ばします。


ほとんどのお父さん・お母さん方が面談に来られる時、心配顔をしておられます。
でもお話していくうちにだんだんと希望に満ちてきて、帰る時には笑顔になっておられます。
随分前になりますが、よその塾から替わって来られたお子さんのお母さんは、前の塾の三者面談で1時間近く散々責められ、注意され、とても不愉快な思いをした、とおっしゃっていました。
その塾では、三者面談は子どもと親を注意するのが目的と考えているようです。
私は、三者面談でいかにして子どものいいところを見つけるか、そしてそのよいところをどのようにして伸ばすかに焦点を合わせます。
もちろん、宿題をしないとか、改めなければならないところがあれば、それは注意しますが、その場合でもいかにして宿題ができるようにするか、ということを話し合います。
一般的に言って、子どものいいところに気づかず、ほめない親が多いようです。
先日の面談では、ひとりのお母さんがお子さんに「ほめてるでしょ」と言ったところ、子どもは「まだまだほめることが少ない」と言っていました。
子どもはほめてもらいたいのです。そして、ほめればほめるほど、何事にも一生懸命取り組むようになるものです。
私たちだってそうです。夫婦間でほめ合うとますますより良い夫、妻になろうと努力しますが、けなされるとますます冷たくなります。
職場の人間関係も同様です。
人間関係の基本は、相手の長所を見つけてそこに焦点を当て、ほめることです。


今回、面談をしていて気づいたことは、皆さん口をそろえて、「子どもが塾が楽しい、勉強が楽しい、と言っている」とおっしゃったことです。
いつも言うことですが、勉強は本来楽しいことです。子どもから勉強の楽しさを奪い取っているのは、大人すなわち、親であり、教師です。
誰も楽しいことは強制しません。つまらないこと、いやなことを無理強いするから強制と言うのです。
楽しいことは強制しなくても、自ら進んでするものです。
勉強とは本来このような姿であるべきです。
栄養があるから、と言って子どもの嫌いな野菜を無理やり食べさせても、身につきません。むしろアレルギーの元になることさえあります。
健康のために野菜を食べてもらいたかったら、子どもが食べやすいように、おいしく料理することが大切です。
勉強も同じです。子どもが楽しく学べるように教師がおいしく料理する。これが教師の務めです。
無理やり口の中に押し込むから、勉強嫌いになるのです。
幸いにも、アカデミーに来ている生徒たちはそのほとんどが、塾が楽しい、勉強が楽しい、と言ってくれます。


子どもの時に勉強の楽しさを覚えると、社会に出てからも一生勉強し続けます。
学校を卒業する時に、「これでもう一生勉強しなくて済む」と、子どもに言わせるような教育は失敗です。


というようなことで、まだ5月も引き続き面談をしていますので、中学生だけでなく小学生でも、ご希望の方はその旨お伝えください。アポイントをお取りします。ご遠慮なくおっしゃってください。
お子さんの成長のために、そしてお父さん・お母さん方の成長(?)のためにも、面談をぜひご活用ください。


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望むものを犠牲と交換

2009.04.28日

誰でも「〜になりたい」「〜が欲しい」「〜がしたい」といった望むものがあります。
たとえば「〜になりたい」だと、「頭がよくなりたい」「背が高くなりたい」「美人になりたい」「もてるようになりたい」「お金持ちになりたい」「健康になりたい」「医者になりたい」等など。
「〜が欲しい」だと、「ゲームが欲しい」「車が欲しい」「家が欲しい」「仕事が欲しい」「いい友達が欲しい」「伴侶が欲しい」「お金が欲しい」等など。
「〜がしたい」だと、「旅行がしたい」「デートがしたい」「映画を観たい」「本が読みたい」「サッカー(野球)の試合を観に行きたい」「コンサートに行きたい」「スキーに行きたい」「温泉に行きたい」「おいしいものを食べたい」「〇〇学校に行きたい」「試合で優勝したい」等など。


「なりたいこと」「欲しいこと」「やりたいこと」を挙げ出せば切りがありません。
しかし、多くの人は現実を見て、あれも無理、これも無理、と自分で決めつけてあきらめてしまいます。
最初、頭の中で描いていた夢がどんどん小さくなっていきます。そして、最後には「あれはただの夢。別にそんなに欲しかったわけじゃない」と、だめな理由を見つけて自分を納得させようとします。
イソップ物語のすっばいぶどうのようです。
「たわわに実ったおいしそうなぶどうをキツネが見つけた。食べようとして跳び上がるが、ぶどうの房はみな高い所にあり、届かない。何度跳躍してもついに届かず、キツネは怒りと悔しさで、「どうせこんなぶどうは、すっぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか」と捨て台詞を残して去ってゆく」 (ウィキペディアより)


でも一方で、自分のなりたいものになり、欲しいものを手に入れ、やりたいことをやる人たちもたくさんいます。
違いは何でしょうか?
能力?運?環境?まぐれ?コネ?...
これらの要素も確かにあるでしょう。しかし、1番大きい違いは、それを達成するために「犠牲をいとわないかどうか」です。


実は、自分の願望を達成している人はみんな、それぞれに犠牲を払っています。
どんな犠牲かというと、お金、時間、労力等など。犠牲を払わずに願望を達成することはできません。
こんなことはみんなよくわかっているのですが、犠牲を払おうとしません。そして、願望がかなわないと、その理由、口実を見つけようとします。
ブライアン・トレーシーは言っています。
「あなたは今、なぜお金持ちでないのですか?
こう質問をすると、みんな自分がお金持ちでない理由をいろいろと見つけてきます。
でもその理由は、ぜんぶ言い訳、口実です」


結局のところ、自分の願望を達成するための犠牲を払っていないのです。
行きたい学校に合格する人はみんな、それなりの努力をしています。
試合で優勝するためにはみんな、人一倍の練習をしています。
仕事を手に入れるためにみんな、必死でいろいろと手を尽くしています。
友達や伴侶をえるためにも、美人になるためにも、車や家を手に入れるためにも、人はみんなそれ相応の努力をしています。


自分が望むものが何であれ、それを手に入れるためには犠牲を払って交換するのです。
それがこの世のルールです。
でも、本当にそれを望むなら、犠牲を払うのは苦痛ではなく、むしろ楽しいものです。なぜなら、払う犠牲よりも自分の望むもののほうがはるかに価値が大きいからです。


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案ずるより産むが易し

2009.04.26日

今朝は去年の12月に妻と訪れた平塚教会の礼拝に正人と一緒に行ってきました。
礼拝後、牧師の息子さんの渉君と奥さんのキャサリンさんに、正人のアメリカ留学のことでいろいろとアドバイスをいただきました。
渉君は今は Temple University 東京キャンパスのアドバイザー。彼自身のアメリカ留学の経験から貴重なアドバイスをたくさんいただきました。
私が最初にアメリカに留学したのはもう36年も前のこと。その頃とはすっかりシステムや状況も変わり、やはり今の事情に通じている人のアドバイスが必要です。
渉君はまさに最適任者でした。
帰る道、いよいよ留学の話が具体的になってきて、正人も英語の勉強など、その準備に取りかかる決意が熱くなりました。


何事もそうですが、まずは行動を起こすことが大切です。すべてそこから道が開けていきます。
行動を起こさずにいて、「何も起きない」と、不平を言ったり、何も始めないうちからあきらめていたりする人がなんと多いことでしょう。
何か事を起こすのは勇気のいることです。未知のことに対する不安があります。
しかし、やってみると案外思っていたよりも簡単だった、ということは誰もが経験しています。
先ほどの渉君も、最初アメリカに向けて発った時、飛行機の中で急に不安に襲われたそうです。
しかし、アメリカの高校で半年間学んだ後、2年制のコミュニティカレッジに進み、4年制の大学に編入し、さらに大学院にまで進学することになりました。大学院卒業後は地元でカウンセラーになり、今は日本でカウンセリングの技術を仕事に活かしておられます。
将来このようになるとは、彼自身も、ご両親も、誰も想像だにしなかったことでしょう。


将来のことを心配し始めたら切りがありません。
しかし必ず何とかなるものです。
「案ずるより産むが易し」と言いますが、実際のところ、過去を振り返ると確かにすべて何とかなってきました。これからだってそうです。
人は、何かをして後悔することはほとんどなく、何もしなくて後悔することのほうが多いそうです。
このブログによく登場するデール・カーネギーは『道は開ける』の中で、このことを繰り返し語っています。実際、この本の原題は How to Stop Worrying and Start Living で、日本語にすると「心配することをやめて、生き生きと生きるには」というような意味です。
心配するのは損です。心配することに使う時間とエネルギーを行動に回しましょう。
そうすれば、確かに道は開けていきます。


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笑顔は...

2009.04.25日

塾の仕事をしていて、いつもとても幸せな気分になれるのは、生徒の笑顔のおかげです。


小学3年生のYちゃん。バスで迎えに行くと、乗ってくる時いつも笑顔で「お願いします」と言います。そして降りる時には必ず「ありがとうございました」と、また笑顔で言ってくれます。Yちゃんの笑顔を見ると、こちらもつい笑顔になってしまいます。Yちゃんは名前も夢いっぱいで、いい名前をご両親につけてもらって幸せだな、といつも思っています。


小学4年生のT君もいつも笑顔で、塾の講師の間で人気者です。茶目っ気たっぷりのT君は塾に着くと「ピンポーン」とチャイムを鳴らしてドアの陰に隠れます。見つけるとニコッと微笑みます。どの先生にも笑顔で冗談を言ったり、難しい問題を出して先生の反応を見てまたニッコリ。先生達もT君が可愛くて、ついついつられて笑顔になります。


小学5年生のOちゃんと6年生のNちゃん。ふたりとも目が合うと必ずニコッとします。こちらもニッコリ。笑顔が笑顔を誘います。中学生のお姉さん達もOちゃんに会うと、みんな「可愛い、可愛い」と言います。笑顔が素敵だからです。


中学生や高校生の中にも、顔を合わせるといつもニコッと微笑んでくれる子がたくさんいます。
卒塾した生徒が塾に遊びに来てくれる時も、みんなニコニコ顔で元気よく「ただいまー」と言ってくれます。こちらもまたニコニコ。つい顔の筋肉が緩んでしまいます。


アカデミーの先生達もみんな生徒の顔を見ると、ニコニコして「こんにちわー!」「こんばんわー!」と挨拶します。別れる時も、笑顔で「さよならー!」「気をつけてね!」。
笑顔はほんとうにいいものです。


以前、隣の大磯町に住んでいた時、地元の商店やスーパー、レストラン、銀行、郵便局、医者、病院などへ行くと、どういうわけかいつもしかめっ面ばかり。時には「いらっしゃいませ」とか「ありがとうございました」の挨拶すらないことも。こちらも自然としかめっ面になり、あと味が悪くなります。不愉快な思いをしたことが何度もありました。
あとで聞くと、ほかの人もみんな同じような経験をしていて、これがその町の文化のようなものだとか。


しかめっ面をするのにはなんと47もの顔の筋肉を使うのに対して、笑顔をつくるのに使う筋肉はたったの17しかないそうです。つまり、しかめっ面をしていると笑顔の時よりも何倍も疲れるということです。
しかも、笑顔はほかの人の笑顔を誘い、周囲が明るくなり、みんな幸せな気持ちになります。
それに対して、しかめっ面をしていると周りの人までしかめっ面をするようになります。当然のことながら、人間関係もとげとげしいものになります。


デール・カーネギーは次のように言っています。
「にっこりするコツおよびその効果を考えよう。まず世間や人々に対して本当に誠意をもって対さなければならない。この心掛けがなければ、にっこりしても不自然にしか見えない。だが人前ではいつもにっこりするよう心掛けるだけでも、けっこう役に立つ。ほほ笑みかけられた相手が幸福になり、その幸福がブーメランのように、こちらへはね返ってくるからだ。相手の気分がよくなれば、こちらの気分もよくなり、間もなく笑顔が本物になる。
また、ニッコリすると、不快な気持ちやよそよそしい気持ちが抑えられる。にっこりほほ笑みかければ、相手が好きだということを、それとなく伝えることになる。相手にもその気持ちが伝わり、こちらが好きになる。まあいっぺんにっこりする習慣をつけてみたまえ。きっといい事があるはずだ」 (『カーネギー名言集』から)


親しい友達の間でにっこりすることは簡単です。みんなそうしています。
でも、空気のような存在の夫婦間や家族間でもにっこり微笑みましょう。和やかな雰囲気になります。
また、会社の同僚や、クラスの仲間に、学校の先生にもにっこり微笑みかけましょう。
周りが明るくなるだけでなく、自分自身が知らないうちに明るい気持ちになります。
とどのつまり、毎日を幸せに過ごす秘訣は、自分から周りの人に笑顔で接することです。
笑顔で毎日過ごすことは健康の秘訣でもあります。病気を寄せつけません。
ただで、しかも労力もいらず、そして自分も周りの人たちもみんな幸せな気持ちになれて、しかも健康になれる、こんなに素晴らしいものはないですよね。


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should と must

2009.04.24日

英語を教えていて難しいのは、日本語では同じ言葉なのに英語で別の言葉がある場合のニュアンスの違いを説明する時などです。
たとえば、よく聞かれるのが big と large、 small と little の違いです。
同じ意味で両方使えることもありますが、微妙にニュアンスが違うのです。


big は物のかさや、重さ、重要度の大きさなどに使います。
例: a big desk 「大きな机」
   a big problem 「大問題」
   a big man 「大物」
   a big house 「大邸宅」


large は面積、容積、量の大きさによく使われます。
例: a large man 「体の大きい人」
   a large house 「大きくて広い家」
   a large family 「大人数の家族」


small は大きさが小さい、小型の、重要性が低い、小規模のといったニュアンスです。
例: a small house 「普通より小さい家」
   a small country 「小さな国」
   a small family 「小家族」
   a small man 「小柄な人」


little は可愛い、愛らしいという主観が入った言葉です。
例: a little girl 「小さな可愛い女の子」
   a little house 「小さくて可愛い家」
   a little money 「はした金」


上の例がすべてではありませんが、イメージとしてはそんな感じです。


ほかに、must と should、have to は日本語ではみんな「〜すべき」とよく訳されますが、やはりニュアンスがちょっと違います。


must は絶対にしなければならない、という強い意味で、命令的な要素を含み、主観的です。
これに対して、have to は客観的に「〜しなければならない」です。
例: I must go now. I have to get up early tomorrow morning. 「もう行かなければなりません。明日は早起きしなければならないんです」


should は must よりも弱く、「〜したほうがいい」というような感じです。
例: You should go see a doctor. 「医者に見てもらったほうがいいよ」


ここで、少し話題が変わりますが、私たちの多くは「〜しなければならない」と言う時、should の意味で言っているようです。なぜなら、しなければならないことはわかっているのですが、なかなかそれができないからです。
もし、must の意味で言うなら、これは「どうしてもしなければならない」、ということで、行動が伴います。


勉強にしても、仕事にしても、しなければならないことはわかっているのですが、なかなか手をつけられない。つまりまだ must の必要性に迫られていないからです。
何事をするにしても、目的がはっきりしていて、その目的をどうしても達成したければ、私たちはたとえどのような犠牲を払ってでもそれをします。
つまり、これは must だ、と自分で意識するなら、行動を取ることはずっと簡単になります。


そこで必要になるのが、decision 「決断」です。decide という言葉はもともと「切り離す」という意味です。日本語の「決断」にも「断」という漢字が使われていますが、decide は「後ろの橋を切り落として、戻れなくする」というような感じです。


私たちはときに、このような「決断」をしなければなりません(must) 。
本気でこれをするなら、不可能と思えるようなことでもできます。
「火事場のばか力」と言いますが、本当に常識では考えられないような強い力が発揮されるものです。


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コミュニケーション

2009.04.23日

一般的に言って日本人はコミュニケーションが下手なようです。
日本語の造語で「ノミュニケーション」(飲みニケーションとも)というのがあって、お酒を飲みながらコミュニケーションする、といった意味ですが、これはあまり感心できるものではありません。
SMAPメンバーの草なぎ剛さんが公然わいせつ罪で逮捕されたというニュースが今日の午後1番に飛び込んできました。
泥酔状態で夜中に公園で全裸になって騒いでいたといいいます。草なぎさんはとても温かい、優しいイメージだったので、ショックを受けた人も多いことと思います。
泥酔して裸になって騒いで逮捕されよう、なんて初めから考えてお酒を飲んだわけではないでしょうが、お酒の力が彼の判断力を狂わせたのでしょう。
そもそも、そのような判断力を狂わせる力を持つお酒を飲みながら、大切なコミュニケーションを取ろう、というほうが間違っています。
学生時代の友人に、酒を飲むと必ず乱暴になって喧嘩をする人がいました。初めは楽しく飲んでいるのですが、途中から酒に狂わされてしまい、大切な人間関係を壊してしまうのです。


「飯、風呂、寝る」の3つの言葉しか家で言わないお父さんがいるそうです。まあ、これは少しオーバーな表現なのでしょうが、これに似たような状況は結構ありそうです。
昔、私が英語を教えていたある人は、日本のトップ企業を定年退職し、礼儀正しく、頭も切れる、とても立派な方でしたが、家ではまさにこの「飯、風呂、寝る」のタイプの人でした。
奥さんとはまったく口を利かず、用事がある時には娘さんをまるで通訳のように使って、夫婦の間を行ったり来たりして伝言させていました。
家で犬を飼っていらっしゃいましたが、ご夫妻ともに犬とはよく会話されるのですが、夫婦間の会話はありませんでした。
おそらく夫婦仲があまりよくなかったのでしょうが、コミュニケーションがしっかりできていたらもっと夫婦仲も良くなっていたと思います。


ほとんどの人は小学校から中学校、高校で9年〜12年間いろいろなことを学びます。さらに大学に進むと16年間学びます。社会に出て働けるようになるためにこんなに長い間みんな勉強しているのです。
車を運転するためには自動車学校に通い、実技と学科を学び、試験に合格して免許を取らなければなりません。
そのほか、いろいろな資格試験があり、それらの試験に受からなければ、その専門職に就くことはできません。
みんなこれらのために一生懸命、お金も時間も労力もかけて勉強しますが、生きていくうえで1番大切な人間関係の基本となるコミュニケーションについてはしっかりと学んでいません。


アメリカでは、幼い頃から家庭で、また小学校や中学・高校でコミュニケーションの仕方を教え、訓練しています。社会人対象にもさまざまなところで、コミュニケーションのセミナーが催されたりしています。
あくまでも一般論ですが、アメリカにはコミュニケーションがうまい人が結構います。一方、日本人は政治家や学者でもコミュニケーションが下手な人が多いように思います。


私が気になるのは、親や教師、経営者、上司、先輩、役人など、上に立つ人が子どもや生徒、部下、後輩など下の立場の人に対して話す時の言葉遣いが乱暴な点です。
とくに子どもはとてもデリケートです。日本の親は子どもを自分の所有物のように思っている節があり、傷つける言葉を平気で使っているのをよく見かけます。
英語で「取り扱い注意」を Handle with Care と言います。Fragile とも言いますが、これは「壊れやすい」という意味です。
子どもはとくに「壊れやすい」です。
もっとていねいに言葉で「取り扱って」欲しいものです。
子どもだけではありません。家族を、周りの人をもっと大切に、言葉で「取り扱い」ましょう。
コミュニケーションは良好な人間関係の基本です。


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期待することの大切さ

2009.04.22日

先日、中学生の三者面談をしていた時にひとりのお母さんが次のようなことを言われました。
「先生、つい最近、この子から思ってもいなかった言葉を聞いたんですよ。
僕はこのままじゃだめだと初めて思った、って。
それで私、言ったんですよ。あなたからこんな言葉を聞くなんて考えてもいなかった、って」
素晴らしいことです。人間誰でも、「自分はこのままじゃだめだ」と気づいたら、そこからどんなことでもできるようになります。
ただ、ひとつ問題があります。それは何かと言うと、「あなたからこんな言葉を聞くなんて考えてもいなかった」という言葉です。
私は言いました。
「お母さん、私だったらこう言いましたよ。『あなたからこの言葉を聞くのをこれまで12年間待っていた』と。
人間、誰でも人から期待されることはとても大切なのです。子どもにとって一番身近な人、特にお母さんから期待されていると、子どもはその期待に応えようと思って頑張るものです。
もちろん、期待過剰で子どもに期待を押し付けるようになってはいけません。
でも、親に期待されていない子どもは可哀想ですよ。そういう子どもが非行に走ったり、『どうせ自分なんかどうでもいいんだ』って自暴自棄になったりするんですよ」
ここまで言うと、昔知っていたひとりの子どものことを思い出して涙が出てきました。
この子は小学校の時に両親が離婚し、父親に引き取られたのですが、父親は仕事で家にはほとんどいなくて、子どもひとりを放ったらかし。この子は風呂にもほとんど入らず、着替えもせず、食事もきちんとしなくなり、そのうち万引きを繰り返すようになり何度も警察に補導されました。学校の成績もオール1。その後、この子がどうなったかはわかりません。


人は、自分が誰かから愛されている、必要とされている、という実感がなければ生きていくのは本当に苦痛になるものです。
人から期待されるのも同様にとても大切なことです。
デール・カーネギーの『人を動かす』に次のような一節(要約)があります。
「ある小学校4年生の担任教師が新しいクラスの生徒名簿を見て気が重くなった。それは学校で1番悪評の高いトミーという子がいたからだ。校長をはじめ、教師みんなが彼のことを問題児と見て毎日こぼしていた。
いたずらをするだけではなく、男子には喧嘩をしかける、女子はからかう、先生に対しては反抗的、しかも年々ひどくなってきていた。
新学期の初日、この教師は生徒一人ひとりにひと言ずつ声をかけた。
『ローズ、すてきなドレスね』
『アリシア、あなたはとっても絵がうまいという評判よ』
トミーの番がまわってきたとき先生は彼の目をしっかり見て言った。
『トミー、あなたは生まれながらのリーダーなんだってね。先生はこのクラスを今年の4年生で1番いいクラスにしようと思っている。あなたを1番の頼りにしてるわよ。お願いね』
先生は最初の数日間、トミーの行動をいちいちほめ、トミーは本当に良い子だ、と繰り返した。
良い評価を与えられたトミーは、先生の期待を裏切るまいと努力し、実際に先生の期待に応えるようになった」


親の多くは、自分の子どもの欠けているところ、足りないところにばかり目が行き、そこを口うるさく注意したり、時にはけなしたりします。学校の教師や塾の教師もそのようになりがちです。
しかし、そのように注意ばかりされていては、たとえ動機が相手にしっかりしてもらいたい、もっと成長してもらいたい、というものであったとしても、それは伝わらず、むしろ反感を持つようになります。
反抗期というのはまさにその表れだと思います。


そこで、もっと子どものいいところに目を向けて、ほめ、期待していると、子どもはそこに愛情を感じ、期待に応えようと頑張るようになるものです。
私は、いつも授業で生徒に教える時、また三者面談で親子に話す時、このことを心がけています。
これ以上に効果がある方法を私は知りません。
皆さんもぜひご家庭で試してみてください。


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やる気

2009.04.21日

「うちの子はやる気がない」という言葉をよく耳にします。
そしてお母さんやお父さん方は子どもに言います。
「もっとやる気を出しなさい!」
「うーん、うーん」と、頑張ったところで「やる気」は出てくるものではありません。
むしろ、「やる気をだしなさい!」と責められるほうが、ますますやる気をなくしてしまう原因になります。


面談の時などに私はお母さん方によく言うのですが、お尻をたたいても身長が伸びないように、精神年齢もお尻をたたいたところで急に成長するわけではありません。
「やる気」も同じです。「やる気」が出る「時」というものがあるのです。


たとえば、「やる気がない」という子どもでも、それは多くの場合「勉強」に関してであって、ことゲームに関して、あるいは部活、スポーツ、歌、ファッション、タレントなどに関しては夢中ということがよくあります。
ですから、何もかもまったくやる気がない、というわけではないのです。自分の好きなこと、関心のあることに関しては十分にやる気はあるのです。
ここにヒントがあります。


子どもであれば「勉強」、大人であれば「仕事」にどうすれば「やる気」が生まれるのでしょうか?
その答えは「興味を持つ」「好きになる」ということです。
いやな勉強、強制的にやらされる勉強、テスト・テストで丸暗記ばかりする勉強、よく理解できない勉強...これでは「やる気を出せ」と、言うほうが無理です。
仕事もそうです。いやな上司の下で働く、馬の合わない同僚と一緒に働く、また自分に合わない仕事、ストレスになるような仕事、危険な仕事、成果が見えない仕事をすることなどはすべて「やる気」をそぎます。
また人から強制されることは人間は本能的に避けようとします。ですから「やる気を出せ」と言って無理強いされると、やる気をなくすわけです。


ですから、やる気のない人に対して「やる気を出せ」と言うのは逆効果なのです。
むしろやる気が出るような状況をつくることが必要です。
「やる気が出るような状況」とは何でしょうか?
勉強であれば、つまづいているところを見つけて発見してそこをしっかり理解できるようにするとか、丸暗記の勉強ではなく、意味を理解する、あるいは生活に結びつけて理解する、などから興味を持てるようにする、そして好きになる、楽しむことができるようにする。そうすれば自然と「やる気」も生まれてきます。
仕事の場合はそう簡単にはいきません。上司を替える、同僚を替える、職場を替える、仕事内容を替える、ということはなかなかできません。しかし必要ならばもっと自分に合った仕事に替わることも考えなければなりません。そうでないと、ストレスから心身の健康を損なうことだってあり得るからです。


勉強や仕事や人間関係などで「やる気」が出ない時、自分の考え方を変えるだけでやる気が出てくることもあります。
「あの人が嫌だ」「この人が嫌い」などと考えていたら「やる気」がなくなるのは当然です。
そこで、その人のいいところを探してそこに焦点を合わせるとか、その人に対する自分の接し方を変えるとか、たったそれだけのことで「やる気」が生まれてくることもあります。


要は、人や物事や状況や勉強、仕事などの否定的な面ばかり見ていると「やる気」はどんどんなくなっていきますから、肯定的な面、よい面、楽しい面、興味ある点などを見るようにすることが「やる気」につながります。
普段から、日々の生活を楽しむような生き方をしていたら、やることなすことみんな楽しくなってきますし、周りの人々もみんな素敵に見えてきます。そうすれば「やる気」も生まれるというものです。


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自信はどのようにしたら生まれるか

2009.04.20日

「自信がない」という言葉をよく耳にします。
自分の能力に、学業に、受験に、部活の試合に、就職に、仕事に、容姿に、将来に...。
「自信のない」ものを挙げだせば切りがありません。
では、どのようにしたら自信が生まれるのでしょうか?
私たちの周りには自信に満ちた人もいます。どのようにして自信がもてるようになったのでしょうか?


最初から何に対しても自信のある人などおそらくいません。
幼い頃を思い返せば、最初自転車に乗るときはみんな自信がありませんでした。横に支えがないのに2輪だけで自転車を走行させるということは奇跡のように思われました。
でも、みんな自転車に乗れるようになっています。
車の運転も、水泳も、英会話も、何でもそうです。誰にでも「最初の一歩」があります。
自信がないのは当然のことです。今までやったことがないのですから。
しかし、自信がないからと言って、最初の一歩を踏み出さなければ、いつまでたってもそのままです。
ほかの人にできることは、たいがいあなたにもできます。


「自分には能力がない」と思っている人へ。
あなたに能力があるかないか、体温計のように測るものが何かあるのですか?なぜあなたは自分に能力がない、と決めつけるのですか?やってみないことには誰にもわかりません。
世の中を見回すと、確かに能力のある人はたくさんいます。しかし、自分には能力がある、と最初からわかっていた人などまずいません。
みんな「最初の一歩」を踏み出し、一歩一歩、歩みを進めるうちにだんだん自信が生まれてきたのです。
実際のところ、これ以外に自信をつける方法などありません。


「自分は頭が悪い」と思っている人へ。
15歳で掛け算の九九も覚えていず、足し算は指を使い、字もほとんど読めない人がいました。(うちの塾の生徒の話ではありません。アメリカでの話です)
頭の悪さでこの人に勝てる人はいますか?
この人は3歳の時に交通事故に遭い、頭に大きな傷を負いました。縫った跡が額を横断していて、同級生からはフランケンシュタインと言ってからかわれていました。
特別学級に入っていたこの子のことを、教師達も事故の後遺症による脳障がい児だと思っていました。
しかし、ラジオやテレビをいじるのが好きだったのを見て、父親はテレビ技師になるのには数学が必要だと言って、彼のために足し算・引き算・掛け算・割り算のカードを作り、これを毎日毎日繰り返しました。
できないカードを別にして、それが全部できるようになるまで繰り返しました。
最初はものすごく時間がかかっていましたが、少しずつ早くできるようになってきました。
やがて全部のカードが完全にできるようになりました。掛け算ができるようになると彼の学校の数学の成績はB(日本の5段階評価では4)がつきました。これまで考えられなかったことです。
これで自信がついて、次に読み書きの練習をし始めました。
読み書きもできるようになりました。
この子は、勉強のコツをつかみました。「なんだ、勉強って簡単じゃないか」と。
その結果、中学2年の時から高校まで優等な成績を取り続け、高校では全国優等生協会のメンバーに選ばれるまでになりました。(デール・カーネギー著『人を動かす』より)


自分の容姿に自信がない人へ。
人生、容姿ではありません。タレントや俳優、女優を見ていて、みんながみんなハンサム、美人というわけではありません。世の中、ハンサム、美人だけでは成り立ちません。みんな、それぞれ個性があって、それで当たり前なのです。だから、少々人相の悪い人も悪役の俳優になり、ブ〇(失礼!)な人も人気者のお笑いタレントになっているのです。
美人でも自分に自信がなくて自殺する人もいますし、逆に少々見栄えが悪くても大勢の友達を作り、明るく、幸せに生きている人もたくさんいます。むしろそのような人のほうが、ただの美人よりもよっぽど魅力的です。


将来に自信がない人へ。
将来のことなど誰にもわかりません。「人生、一寸先は闇」と言うぐらいですから。
わからないから人生は面白いのです。もし、先のことが何もかもわかったら人は生きていけなくなります。
ならば、1日1日、前進するしかありません。前進していくうちに自信もついてくるのです。


『運のいい人、悪い人』という本を随分前に読みました。著者リチャード・ワイズマンは心理学者。
大勢のボランティアを集め、数千人の運のいい人と悪い人の考え方や行動パターンを分析しました。
その結果わかったことは、自分は運がいいと考える人たちは人生に対する姿勢と行動で自ら幸運をつくり出していた、というのです。私はこの著者の考え方とまったく同意見です。
著者は、自分は運が悪いと思っている人たちに、運のいい人の考え方と行動パターンを教え、同じように行動させたところほぼ全員、自信がもてるようになってきて、人生が大きく変わり始めたのです。
つまり、自信とは自分の考え方の問題だということです。
自分は自信がない、と思っていると、まさにそのような人生を歩むようになるのです。


あなたはどのような人生を歩みたいですか?
「自信がない」と言って同じところにとどまる人生ですか?
それとも、自分で自信を生み出すために「最初の一歩」を今、踏み出しますか?


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身から出た錆

2009.04.19日

昨日の読売新聞の「編集手帳」の記事を引用します。


「パソコンや携帯メールで文章をつづるとき、入力した言葉が思いもよらぬ1行となって画面に現れることがある。<良く出来た内容です>が<欲で汚いようです>になっては、天と地ほども違う◆日本漢字能力検定協会は漢字検定や「今年の漢字」のほか、傑作な変換ミスを公募する「変換ミスコンテスト」も手がけている。前段のミス事例は協会ホームページの候補作から引いた◆公益事業でありながら多額の利益を上げるなど、不透明な運営の責任を取って大久保昇理事長と長男の副理事長が辞任したが、それをもって協会の改善策を<良く出来た内容です>と評するわけにはいかない◆親子が代表を務めるファミリー企業と協会の取引は過去3年間で66億円にのぼるが、取引の一部は継続するという。誰の目にも、、欲で汚いようです>と映ろう。前理事長は記者会見で「役職を離れても新理事長を支える」と述べたが、“お掃除の邪魔”以外の何物でもあるまい◆前理事長親子の影をぬぐい去り、旧体制ときっぱり一線を画すことが協会の生き残る道である。<画す>を変換ミスで<隠す>にしてはいけない。


この文章は秀逸です。漢検協会では「文章能力検定」も行っていますが、上の「編集手帳」の記事には1級を授与すべきです。


アカデミー学院でも毎年、年に2回漢字検定を行ってきていたので、なんだかだまされたような気がします。英検と比べて漢検のほうが受験料が高いのは、受験者数が少ないからだ、と言われていましたが、何の、莫大な利益を上げていて、しかもその利益を私物化していたというではありませんか。
いつも漢検協会からの電話は、どの人もとても礼儀正しく、愛想もよく、好感をもっていました。
協会の従業員はみんな一生懸命働いてきていたのでしょうが、経営者の金儲け主義には驚かされました。残念としか言いようがありません。
記者会見で、記者に問題の原因を問われた時、前理事長は「マスコミが騒ぎ立てたのが問題を大きくした」とマスコミ批判をしました。会見冒頭の「ご迷惑をおかけしました」という謝罪の言葉も空しく響きました。
「検定料を100円から500円引き下げる」と、協会では言っていますが、全額無料にして、今まで儲けすぎてきた利益を全部吐き出してしまうほどの勇気はないのでしょうか。
経営体質を完全に改めて、漢字の普及に引き続き貢献してほしいと願うのは私だけではないでしょう。
新生「日本漢字能力検定協会」に期待したいものです。
生徒の皆さんには、この問題に揺れることなく、引き続き漢字の勉強に精を出して、ぜひとも今年も漢検にチャレンジしてもらいたいと思います。


今、国民のみんなが楽しみにしているのは、「今年の漢字」に何が選ばれるかでしょう。
「汚」でしょうか?「儲」でしょうか?それとも「欲」?きっと漢検協会を皮肉る漢字が選ばれることになるでしょう。
前理事長親子はそれをどのような気持ちで見るのでしょうか。
「身から出た錆」(準1級出題問題)と、自らの行為を反省するのでしょうか。
漢検協会のパソコンが「欲で汚いようです」と叫んでいるような気がしてなりません。


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私の自慢

2009.04.18日

私の自慢は何かというと、私の英語力ではありません。
もちろん英語も自慢できるものですが、それ以上の自慢はアカデミーの先生達と生徒たちです。
これは私の宝物です。(今春卒塾した生徒にプレゼントしたアルバム集の中の「宝物」のところにもそのように書きました)


今日、塾生専用ページフォトギャラリーに6本の動画をアップしました。ムービーが4本ととスライドショーが2本です。
ここに私の自慢する先生達や生徒たちの「顔」を見ていただくことができます。
ただの顔ではなく、いろいろな「顔」です。


普段は真剣に一生懸命授業している先生達が、とぼけた、愉快な「顔」を見せてくれています。
真面目な先生達なのに、サングラスをかけてわざとガラの悪い雰囲気を出してみたり...。(実際にはこわい先生達ではありませんので、ご心配なく。みんな優しいお兄さんばかりです)
ビデオを制作するために、脚本を書き、演出し、演技の練習をし、撮影し、映像・音響効果を加え、編集し、と一人ひとりの先生が自らの持てる才能をいかんなく発揮しています。ここにも画面に現れない先生達の「顔」を垣間見ることができます。
ビデオを見ていると、教室の中で撮ったものがたくさんありますが、時々映る時計に気づきます。
針は夜中の2時半を指していたりします。つまり、授業が終ってから真夜中に撮っているのです。
また服装に注目すると、夏の半袖姿やスーツなど、何日にもわたって撮影しているのがわかります。
さらに、時系列をそろえるため、冬に録画したシーンなのに半袖を着ていたり、と苦心のあとが見えます。何か月にもわたって制作しているのです。汗をかきながら、また寒さの中で。ここにも先生達の「顔」が見えます。
また、真夜中に湘南平に行ったり、神社の境内や、塾の近辺の道路や塾前の自販機の前など、いろいろな場所で撮影しています。
一見ばかげて見える、ナンセンスに見えるストーリーの中にもプロット(筋書き・構成)がちゃんとあります。私だったら恥ずかしくてできないような面白い、ふざけた「顔」もあちらこちらに見られます。
塾生の通う各中学校の運動会を回り、生徒たちを応援している先生達の「顔」が見られます。
そして、卒塾生に心を込めてメッセージを送る先生達の「顔」が見られます。
私の自慢の先生達の「顔」です。


しかし、忘れてはいけないことは、主役はあくまでも「生徒」だということです。
あれもこれも、先生達はすべて「生徒のため」にやっているのです。
生徒の「顔」もあちらこちらに映っています。
中1から中3までの成長の「顔」が見られます。
普段の塾の日には見られない、のびのびとイベントを楽しんでいる「顔」。
アカデミーの生徒はみんなとても素直です。生徒同士、また先生達ともみんなとても仲良しです。そのような「顔」も見られます。
仲間思いの優しい「顔」。塾が大好きな「顔」。勉強を楽しんでいる「顔」。
それぞれみんな生徒の素顔です。
こんな生徒たちが私は大好きです。
私の自慢の生徒たちの「顔」です。


生徒思いの先生達が生徒のために制作した動画をエンジョイしてください。
私が先生達や生徒たちが自慢なのがおわかりいただけると思います。
今、もう1度、一つひとつの動画を見ていたら、また感動で胸が一杯になり、つくづく自分は本当に幸せものだなぁと思いました。
先生達、生徒のみんな、ほんとうにありがとう。


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期待されている以上のこと

2009.04.17日

今日、送迎バスの中で聴いていたブライアン・トレーシーのCDの中で、彼が次のようなことを言っていました。
「顧客サービスには4つのレベルがある。
第1のレベルは、人に期待されていることをする。これは当たり前のことをやっているだけ。
第2のレベルは、期待されていることを超える。これは競合相手よりも少し長く留まるだけ。
第3のレベルは、顧客を喜ばせ、満足させる。
第4のレベルは、期待されていないことをして客を驚かせる。これが本当のサービス」
(ブライアン・トレーシーについては「自分を買ってもらえ」「オリンピックで金メダルを取る人に共通していることは...」「不景気なときの最高の投資」でも書いています)


今日、送迎のときにちょっとしたハプニングがあって、教室の階段と踊り場が泥だらけになってしまいました。
授業が終わって生徒を家に送り届けて教室に戻ってきたら、なんとあれだけ汚かった階段が跡形もなくきれいになっているではありませんか!本当に驚きました。
送迎に言っている間に、教室に残った3人の先生達がほうきと掃除機できれいに掃除してくれていたのです。だれも頼んでいなかったのに。
これこそ期待していないサービス予期していないサービスおもいやりの心です。とてもうれしく思いました。


一人ひとりがこのような小さな心遣いをしたら、世の中どれほど住みやすい、平和なところになることでしょう。


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本末転倒

2009.04.16日

アカデミーの卒塾生で、現在横浜国大2年生のSさんのことを今朝、散歩しているときに思い出しました。
Sさんは理科が大好きで得意。将来は理科の先生になりたい、と中学の時から言っていました。理科の先生になるべく大学では教育学を専攻しています。


今から4年あまり前、高校受験の面接練習をしていた時にSさんが自分の座右の銘(好きな言葉)として選んだのがこの「本末転倒」でした。
座右の銘として選ぶ言葉は普通もっと積極的・肯定的な言葉なのですが、Sさんの選んだ言葉はちょっと変わっていました。
理由を尋ねると、反面教師として自分に言い聞かせるためにこの言葉を選んだ、と答えました。
これは素晴らしい考え方です。


「アフガンの若いカップルが駆け落ちしたかどで、タリバンに公開銃殺刑に処された」というショッキングなニュースが2日前の新聞に載っていました。
イスラム教は厳格な宗教で、男女の駆け落ちを禁じています。
このニュースを見た時、今から20年近く前に神戸で起きた女子高校生の校門圧死事件を思い出しました。遅刻の取締りをしていた教師が、鉄製門扉を時間通りに閉めて、扉をくぐり抜けようとした生徒が頭を挟まれて亡くなった事件です。
似たような体罰事件がその後もしょっちゅう起きています。
確かに法律は法律、校則は校則です。しかし、何のための法律、校則、体罰でしょうか?
これも本末転倒ではないでしょうか?


親による子どもの虐待もあとを絶ちません。親は決まって「躾だった」、と言います。
子どもを生かすのが躾なのに、躾によって殺してしまいます。本末転倒です。


公益法人である漢検協会が莫大な利益を上げていた。これも本末転倒。


私たちの日常の生活の中にも、あちらこちらにこのような本末転倒がたくさんあります。
本質を見失ってしまい、枝葉末節にとらわれて本来の目的とまったく逆のことをしてしまう。
気をつけなければなりません。


とくに、上に立つ者、親、教師、政治家、経営者、警察官、役人等などは気をつける必要があります。弱者に対して人権を無視した本末転倒なことをすることが多いです。


また、個人的な問題にも当てはまります。
趣味で始めたのがいつの間にかはまってしまい、本業の仕事以上に時間を使い、仕事に支障が出る。これも本末転倒です。


私たちも自分の生活の周りを見渡して、このような本末転倒がないか時々チェックする必要があります。


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人のために何ができるか

2009.04.15日

このホームページのトップページを開くと、最初に
Do to others whatever you would like them to do to you.
「自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい」
というフラッシュが流れます。
これは聖書の中の言葉(マタイの福音書7:12)で、一般に Golden Rule 「黄金律」とも呼ばれています。
黄金律とは、「金科玉条」「行動規範」とも言い換えられます。
辞書には「人生にとってこの上なく有益な教訓」と定義されています。
上の言葉は、キリスト教の根幹をなす教えです。
「人にして欲しくないことは、人にしてはいけない」という教えは、ユダヤ教、イスラム教、ヒンドゥー教、儒教(孔子の教え)に共通しています。
一見よく似ているように思われますが、実は180度違う教えです。
「人にして欲しくないことは、人にしてはいけない」は「〜するな」という消極的な教えです。「〜しなければよい」とも言えます。
これに対して上の黄金律といわれる教えは「〜しなさい」という積極的な教えです。「自ら進んで〜しよう」と行動を呼びかけています。
なぜこのような教えが生まれたのでしょうか?


私たちはとかく人から「〜される」ことを望みます。
「愛されたい」「理解されたい」「受け入れてもらいたい」「親切にしてもらいたい」「優しい声をかけてもらいたい」「プレゼントをもらいたい」「慰められたい」「ご馳走してもらいたい」「尊敬される身になりたい」等など。


そこで思い出すのは、聖フランシスコの平和を求める祈りです。
「わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、絶望のあるところに希望を、
闇に光を、悲しみのあるところに喜びを
もたらすものとしてください。
慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。
わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからゆるされ、
自分を捨てて死に、永遠のいのちをいただくのですから」


上の「慰められるよりは慰めることを、理解されるよりは理解することを、愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように」は、まさにキリストの教えの黄金律を具体化したものです。


実は、私たちは「人に〜してもらう」よりも、「人に〜してあげる」ほうが幸せに感じるものなのです。
私は、子どもの頃とても貧しい環境で育ちました。随分親戚のお世話になりました。親戚の助けは子ども心ながらにいつも本当にありがたいと思っていました。
そして、生活に少しゆとりが生まれてきた今、今度は親族を助ける立場になりました。これは今年の初めにブログに書いたペイ・フォワードの教えと一致しています。
そして、わかったことは、「人にしてもらう」ことより、「ひとにしてあげること」のほうがはるかに喜びが大きいということです。


ですから、イエス・キリストは、
「自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい」
と私たちに勧められたのだと思います。
「慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように」
このような生き方こそ、本当の幸せな生き方なのです。


「一日一生」のつもりで、「今日は誰に何ができるだろう」と考えながら生活するなら、私たちの毎日は今よりもずっと有意義なものになります。
別に大きなことを考えなくてもいいのです。
自分のすぐ身の周りで、まずは家族に対して、何かできることはありませんか?
あなたのすぐ身近なところに、あなたの助けを必要としている人がきっといます。


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引き寄せの法則 2

2009.04.14日

昔、ヨーロッパの靴屋さんがふたり、新しい市場を求めてアフリカに行きました。
ひとりは、アフリカの人たちがだれも靴を履いていないのを見て、「こんなところで靴が売れるわけがない」、と言ってあきらめて国に帰りました。
もうひとりは、「だれも靴を履いていない。これはすごい。ものすごくたくさん売れるぞ」、と言ってアフリカで靴を売ることにしました。


笑い話のようですが、このようなことは私たちの日常の生活の中でもよく起こっています。
同じ状況に遭遇しても、否定的に見る人と、肯定的に見る人がいます。
どちらが得かと言えば、もちろん肯定的に見る人です。


セールスの世界でも、明るく積極的で肯定的な考え方をしている人は成功します。
なぜかというと、そのような人は魅力的で、人を惹きつけるからです。
引き寄せの法則です。


勉強においても同じことが当てはまります。
勉強は仕方なくやらなければならないものと思っていたら、苦痛になります。苦痛な勉強を、悲壮な顔をしてやっていたのでは、学んだことが身につくはずがありません。
歴史が得意な人はみんな歴史が大好きです。年号暗記が歴史の勉強だと思っている人で、歴史の得意な人はいません。
英語を暗記科目だと思っている人で英語が得意な人はいません。英語が好きな人が得意になります。
「好きこそ物の上手なれ」で、好きなものは何でも得意になるものです。
これも引き寄せの法則です。


仕事をするにしても、勉強をするにしても、家事をするにしても、何をするにしても、楽しみながらやっていると実を結ぶようになります。
多くの人が、実を得ることばかり考えて、いかに楽して実を得るか、とテクニックばかり追い求めています。
しかし、事実はそのまったく逆で、明るく積極的に考えて、楽しみながらやっていたら、実は自然とあとからついてくるのです。
これも引き寄せの法則です。


万有引力の法則が宇宙にあるように、人間の世界にも引き寄せの法則があります。
意識的にせよ、無意識にせよ、この引き寄せの法則を活用する人は、どの世界においても成功します。


今日、ひとりのお母さんが、子どもの志望校を平塚江南高校ではなく、湘南高校を考えている、とおっしゃいました。しかもこの子は、クラブチームでスポーツをし、そのうえ学校でも運動系の部活をするといいます。目標がはっきりしていて、それに向かって努力できるって本当に素晴らしいことです。
このような子は、必ず目標を達成することができます。
引き寄せの法則です。


そんなうまい話があるわけがない。何でもかんでも引き寄せられたら、だれも苦労しない。そんなのまやかしだ、と思う人は、その時点で否定的な考え方を引き寄せています。ですから、結果も当然うまくいきません。そして、そのような人は言います。「やっぱりうまくいかなかった」と。
これも引き寄せの法則です。


あなたはどちらを引き寄せたいですか?
私たちは人生で常に選択を迫られています。
同じ人生を送るなら、幸せな人生を引き寄せたほうが得ですよね。


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小学校英語教育必修化

2009.04.13日

昨日の読売新聞23面に「小学校英語教育必修化編 地域の人たちの参加で子供に楽しい英語体験を」という記事が載っていました。
フリーアナウンサー木佐彩子さん(元フジテレビアナウンサー)と上智大学外国語学部教授の吉田研作さんの対話形式になっています。
その一部を下に引用します。


木佐 小学校で英語は早すぎる、むしろ国語に力を入れるべきという意見もあるようですが。
吉田 国語がきちんとできなければ、英語も内容が貧弱になりますからね。ただ、それができるまで外国語を勉強しないというのもおかしな話です。同じことを表現するにも、日本語と英語はこんなに違うということがわかれば、逆に日本語の力も向上し、考え方の幅が広くなります。外国語を同時に勉強することで、日本語の能力も発達していくわけです。
木佐 私は小学校2年生から中学校2年生までロサンゼルスにいたのですが、少なくとも両方学んで混乱したということはなかったですね。英語を勉強していくうちに、日本語がすごく綺麗な言葉であることと、その美しい響きや微妙なニュアンスを理解できるようになると思います。
吉田 日本で日常的に日本語で暮らす子供が、週に1時間だけ英語をやったからといって、日本語がおかしくなるはずがありません。
木佐 先生方の指導法についてはいかがですか。
吉田 それが大きな問題です。先生だけで新たに英語も教えるとなると大変な負担になります。そこで、英語ができる外部の方などに協力していただく目的もあって、2003年にJ-SHINE(小学校英語指導者認定協議会)が発足したのです。


(中略)


木佐 小学校で英語が必修になると、親としては学校外でも英語教室などに通わせた方がいいのでしょうか?
吉田 英語に触れる機会が多くなれば、それだけ英語力も伸びます。その意味では、学校外で地域の子供たちと英会話を楽しむことでよい影響があるでしょう。子供が英語に触れ合う環境を整えると同時に、親も一緒になって英語を楽しんでください。
木佐 親も積極的に英語教育に参加する姿勢が大切なんですね。


「英語ができると国語もできるようになる!」という記事を以前書きましたが、まさに私が主張していることと同じことを、言語学者で英語教育の専門家である吉田研作さんも言っておられます。


日本は昔から国粋主義的な発想が根強くあり、、「パパ」や「ママ」など外国の言葉は日常の生活で使わず「お父さん」「お母さん」という日本語を使うべきであるとか、日本人は日本語ができればそれでよいとか、日本語が世界で一番美しい言語である、といったことがよく新聞の読者投書欄にも載っています。
このような考え方は偏見に満ちていて、視野が狭く、日本の国際化を妨げるものです。
日本の英語教育が遅々として進まない原因の一部はここにもあります。


第2次世界大戦当時、旧日本軍は英語は敵国語であるとして国民に英語を使わせないようにしました。他方、アメリカは軍人のエリートに徹底的に日本語を教育しました。この結果、ドナルド・キーンサイデンステッカーのような偉大な日本文学研究者や日本学者がたくさん生まれ、これらの人たちが戦後の日米関係の修復に大きく貢献しました。


というようなわけで、小学校の英語必修化はむしろ遅いくらいで、これからの日本の国際化のためには欠かせないことと私は考えています。
小学校教師の英語指導力不足などの問題は、吉田研作さんが言っているように民間の活力利用で補うことができます。
このほか、使用する教科書の問題や、中学校の英語教育との連携の問題など、もちろん難しい面はたくさんありますが、難しいからやらないではなく、いかにしてこれらの問題を解決していくか、ということを考えなければなりません。道は必ず開けます。
小学校の英語教育、大いに期待しましょう。
私たち民間の児童英語教育関係者も様々な面で協力できるだろうと思っています。


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すべては生徒のために

2009.04.12日

今日はアカデミー恒例の中学部イベントの第1弾「新入生歓迎バーベキュー大会」でした。
去年の参加者の数も記録破りでしたが、今年はさらにその記録を破り、参加した生徒の数は59名、スタッフの教師を含めるとなんと72名という大所帯となりました。


スタッフは数日前から毎晩遅くまで打ち合わせを繰り返し、前日も徹夜して、各係りの担当と責任、材料の買出し、材料の下準備、会場設営など当日の段取り、夜のレクリエーションのプログラム、等など入念な分単位の計画を立ててきました。総責任者の田口先生からは前夜、「成功させるために最善を尽くします」というメールが届きました。


イベントを行うたびに、教師達は何日にもわたって準備します。去る3月22日に行った祝勝会・卒塾式などはそれこそ秒単位の計画が立てられていました。そのおかげで大成功させることができたのです。


今日のバーベキュー大会、そして夜のレクリエーションも成功すべくして成功した、と言ってもよいほどよく準備されていました。
それに毎回驚かされるのは、先生達の働き振りです。「すべては生徒のために」と、生徒をいかにして楽しませるかを考えて行動しています。
バーベキューの時にも先生達はほとんど食べずに生徒たちの給仕に徹し、食後海岸で遊ぶ時も、生徒たちと一緒にサッカーをしたり、ドッジボールやバレーボールをしたり、と生徒をエンターテインするまさにプロです。
かくして生徒同士、生徒と先生の間に温かい人間関係が生まれ、それが信頼関係に成長し、生徒の勉強に取り組む姿勢にもつながるのです。
これがイベントの一番の目的ではないかと思います。


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今日の読売新聞8面に、けいざい百景「不況でも売れる謎」という興味深い記事が載っていました。
そこに書かれていたことは、世の中の不況にもかかわらず、東京ディズニーランドとディズニーシーの入園者数は前年度比7.1%増で過去最高、ひとり当たりの売上高も伸び、不況とは無縁のまさに「夢の国」だ、というのです。その理由は、「楽しい」「面白い」などと消費者を虜にする仕掛けだ、とありました。
しかし、私はそれだけではなく、やはりディズニーランドのサービス精神にあると思います。
アカデミー学院では過去10年以上にわたって毎年、東京ディズニーランドに遠足に行っています。
行くたびに教えられ、感動させられることは、まさにこの「サービス精神」です。
各アトラクションの係りだけでなく、売店の店員も、レストランの従業員も、あちらこちらにいる案内係りも、道路を清掃している人たちも、パレードの行進者も、吹奏楽団員も、チケット売り場の人も、みんな笑顔で客に接し、仕事をしています。
これは実にすごいことです。


東京ディズニーランドができる前、うちの子どもたちがまだ幼い頃、何度か横浜ドリームランドに行ったことがあります。
ここは2002年に閉園しました。理由は、東京ディズニーランドに比べて立地条件やアトラクション内容、ネームバリューが劣るなど、いろいろ言われています。どれもそのとおりでしょう。
しかし、私は東京ディズニーランドができるずっと前から、横浜ドリームランドの衰退を予見していました。それは「サービス精神」の欠如です。従業員の接客態度や愛想が悪く、レストランの料理の味も最低。2度と食べたくない、というような代物でした。
横浜ドリームランドは、やはりつぶれるべくしてつぶれたと思いました。


以前のブログに「本当のサービスとは」を書きましたが、これはホテルや遊園地のようなサービス業に限ったことではありません。突き詰めると、どの業界もみんなサービス業です。
サービス精神が欠如する、言い換えると「顧客本位でない」企業は、必ず客からそっぽを向かれます。


夜のレクリエーションも生徒を十分に満足させる楽しい内容でした。
帰りの送りのバスの中でK君に「今日は何が一番よかった?」と尋ねたところ、返ってきた答えは、
「全部」
でした。


送迎から戻ると、今春卒塾した高1の生徒たちが大勢塾に来ていて、イベントの後片付けを手伝ってくれていました。そういえば、去年も同じようにその前の年に卒塾した生徒が手伝いに来てくれていました。
それだけでも驚いたのですが、さらに驚いたのは、たまたま今日はイベントデビューした二宮孝太先生と後片付けの手伝いに来てくれていたNさんの誕生日だった、ということを知った曾我先生が早速、内緒でバースデーケーキを買ってきて、みんなで「ハッピーバースデー」を歌ってお祝いしたことです。
これも「期待していない、予期していないことをする、おもてなしの心」です。


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才能はやがて開花する

2009.04.11日

今日は、午後2時からは小学生の、夜の8:30からは中学生の第1回の英検対策授業でした。
毎年大勢の生徒がこの対策授業に参加し、そのほとんどが合格します。
しかし、最初の授業ではほぼみんながとても難しく感じて「無理!」「不可能」と言います。
ところが授業を進めるうちに徐々に力がついてきて、最後には合格力がつくのです。
今日も、いつもと同じ反応でした。それで、
「大丈夫。毎年、みんな同じことを言うけれども、全員合格しているから」
と言って励ましました。


送迎バスの中で聴いていたデール・カーネギーの How to Win Friends and Influence People (邦題『道は開ける』)の朗読CDの中で、人を励ますことの大切さを著者が説いていました。
昔、イタリアのナポリにひとりの少年がいました。家は百姓をしていて貧しかったので、彼は10歳の時すでに工場で働いていました。
少年は将来歌手になりたい、という夢を持っていましたが、最初についた音楽の先生は、「無理。声はよくないし、そのような才能はまったくない」と言ったそうです。
しかし、彼の母親は彼の才能を信じて、息子を音楽学校にやるために靴を買うお金も節約して裸足で働いていたそうです。
母親は息子に「大丈夫。あなたには才能がある」と言い続けました。
そして、そののち彼はその時代を代表する偉大な歌手となりました。彼こそイタリア人オペラ歌手のカルーソ(1873〜1921)です。


イギリスのロンドンに住んでいたひとりの青年は作家になりたいという夢を持っていました。
しかしいくら小説を書いても全部没になり、だれからも認めてもらえませんでした。
彼は人生に失望して自殺を考えました。
卒業した学校の校長先生に手紙を書いて、自分の苦しさを訴えました。
校長は、「あなたには才能がある」と言って彼を励まし、自分の学校の教師として彼を雇いました。
やがて彼はジャーナリストになり、ひとつの作品がひとりの人の目に留まりました。30歳の時のことです。
そののち、彼は小説を書き続けて有名な作家になりました。彼の名前はH.G.ウェルズ(1866〜1946)。『タイム・マシン』『透明人間』『宇宙戦争』など多くのSF小説を世に残しました。


人の才能はどこで開花するかわからないものです。
私の大好きな作家オグ・マンディーノ(1923〜1996)も、幼少時代に母親から文才を認められ、大きくなったら小説家になろうと決意します。
しかし、書いても書いても作品は売れず、やがて彼はアル中になり、妻子に捨てられます。
そして失望のどん底で自殺しようとしますが、自殺するための銃を買うお金もありません。
冬のある寒い日ふらふらと歩いていた時、ふと気づくと図書館の前に立っていました。暖を取るために中に入り、そこで吸い寄せられるように手に取った本がきっかけで目が開かれ、彼は保険のセールスになります。その保険会社の社内報に彼の書いた記事がひとりの人の目に留まり、出版を勧められます。
彼の処女作『地上最強の商人』はベストセラーになります。オグ・マンディーノの作品は数多く日本語に翻訳されていますが、どれもお奨めです。涙なしには読めません。


偉大な人物の背後には必ず、その才能を認め、ほめ、励まし続ける人がいます。
今日、英検対策授業を受けて難しく感じた君たちにも才能があります。無限の才能です。
お父さん、お母さん方、皆さんのお子さんにも無限の才能があります。信じてください。そしてほめ、励ましてあげてください。
信じて、頑張り続けるなら、やがて才能が大きく開花する時がきます。


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何事も基礎・基本

2009.04.09日

今日、高3のK君が個別のクラスに初めて来ました。
K君のところは、中1の妹と小1の妹、と3人でアカデミーに来てくれています。
「英語は何をやりたい?何か希望はある?」とK君に尋ねたところ、
「英語は苦手なので基本からお願いします」という返事。
それで高校生向けの文法書の一番初めの「文の要素と成り立ち」「文の種類」「文型」から始めました。
「苦手」と言ってた割には結構できて一安心。でも、基本的な3単現のsを忘れたり、文の構成要素で目的語を主語と間違えたり、修飾語を補語と間違えたり、「従兄弟」という単語がわからなくて、cousin と教えてもスペリングが書けなかったり、とやはり「苦手」なのがあちらこちらでわかりました。
そこで、一つひとつ教えると、「ああ、なるほど」「ああ、そうか!」「ああ、3単現のsですか?」と非常に反応が良く、とても素直でした。


以前のブログに「オリンピックで金メダルを取る人たちに共通していること」は「コーチの言うことに素直に従うこと」と書きました。
素直な人は教わることをどんどん吸収し、身につけます。
素直でない人は、コーチが「基礎・基本が大切」と言っても、テクニックを求めます。
空手でも、どんなスポーツでも、結局行き着くところは「基礎・基本」です。


日本は世界でもまれに見る英語学習熱の高い国です。
小学校から学ぶ人が大勢います。そしてほとんどの人は中学・高校で最低でも6年間学びます。
大学に進む人は8年から10年学びます。
それにもかかわらず、日本人の英語力が世界的に見ても極端に低く、実際に使える人がほとんどいないのは、「テストのためにとりあえずまる暗記する」というやり方をしているからです。
確かにまる暗記である程度点が取れます。
しかし、ちょっとひねられたり、応用が試されるとたちまち化けの皮がはがれてしまいます。
基礎・基本、理屈・道理がきちんとわからないまま暗記する勉強法は、「とりあえずテストで点を取ること」以外にはあまり役に立ちません。
日本人の多くは、勉強とはこういうものだ、と思っています。だから勉強嫌いな人が多いのです。
以前、中央大学で英文科の学生を教えていた時、あまりにも単語力がないのに驚きました。
「高校で習ったでしょう」と言うと、
「受験の時に覚えた単語は大学に入って全部忘れてしまいました」という返事。
試験のためにいやいや、無理やり暗記するので、試験が終わるときれいさっぱり忘れる、という実にむだな勉強法をしているのです。


理屈・道理がわかると勉強というのは面白くなるものです。
そのためには、やはり基礎・基本が大切になってきます。
どの教科でもそうですが、「苦手」という人はまず基礎・基本をきちんと身につけていません。


去年の夏期講習から来た高3のO君も英語がとても苦手でした。
そこで、やはり基礎の基礎、be動詞と一般動詞の区別から復習を始めました。
コツコツと頑張って、今年の2月の最終授業までに高校3年間の英文法をほとんど身につけることができました。基礎・基本から始めたからです。


K君もO君と同じようにきっと英語の文法をしっかりマスターできると思いました。
マスターするのに必要な「素直さ」と「基礎から学びたい」という姿勢があるからです。
これがあるなら、だれでも、どんなことでもできるようになります。


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生徒の成長

2009.04.08日

昨日は高校の入学式。
そして今日はどこの学校でも、初めてのホームルームで自己紹介などをやったようです。
学校が終わって、今春卒塾した新高1の生徒たちが、それぞれの学校の制服を着て、塾に集まってきました。
「ただいまー!」と言って塾に来て、帰るときには「行ってきまーす!」と言います。卒塾してもアカデミーが第2の我が家になっているようです。
3月に卒塾してからもしょっちゅう、入れ代わり立ち代わり顔を出してくれます。
今日集まった生徒たちは、それぞれの学校やクラスの様子を話し合って、みんなで大受けしていました。


ほんの2か月ほど前まではまだ中3だったのに、今日はみんな高1。
2か月でこんなに変わるものか、と思うほど、みんな高校生らしくなっていて驚かされました。
あんまりにも立派になっていて、正直、まぶしく見えました。


そして、今晩は中1のクラス。生徒たちはみんなまだ小学生のようで本当に可愛いです。
ふと、先ほど塾に来ていた高1の生徒たちの3年前の時のことを思い出しました。
そういえば、あの子達も中1の時はこんな感じだったんだ...
3年間でこんなに成長したんだ...と、思うと感無量になりました。
中学3年間の成長は本当に目まぐるしいほどです。
今晩来た中1の生徒たちもこれからの3年間に、同じように成長し、今はまだ背の低い男子もほとんどが私の身長を大きく越していきます。うそのようです。
家で自分の子どもを毎日見ていると、なかなか成長は見えませんが、塾での3年間の成長は私たちにはとてもよく見えます。
塾の仕事をやっていて一番楽しいのは、生徒の成長を見られることです。
身体的にも、精神的にも、能力的にも、ひと回りもふた回りもみ回りも大きくなっていきます。


小学校1年生から来ていたKさんは今年高3。昨日、Wさんと一緒に塾に顔を出しました。
Kさんの小学1年の時の顔や声、雰囲気までいまだによく覚えています。
来年はもう大学生です。本当に時の経つ早さにめまいを感じるほどです。


卒塾した生徒たちが、3年後4年後に大学生になって、塾に講師として戻ってきてくれるのも本当にうれしい限りです。
自分は全然歳を取っていないつもりでいるのですが、塾生達の成長振りを見るとき、自分の年を感じます。
でもやりがいのある仕事です。
「汝の愛するものを仕事に選べ、そうすれば生涯一日たりとも働かなくて済むであろう」
と孔子(B.C.551-B.C.479) が言いましたが、私たちは本当に素晴らしい仕事を見つけることができた、といつも感謝しています。「働いている」「働かなければならない」という意識がないからです。


今度の日曜日は今年度第1回のイベント「新入生歓迎バーベキュー」
すでに50人近くの大勢の生徒が申し込んでいます。
そして先生達は、このイベントを成功させるため、もうすでに何日もかけて話し合い、準備しています。
今晩もまた遅くまで話し合いが続きます。
先生達の塾の仕事への献身にもいつも感謝しています。
そして、塾の仕事をとおして先生達自身も成長していくのを見ることができるのも喜びのひとつです。


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時間管理術

2009.04.07日

「することが多すぎるのに、それをする時間がない」
ほとんど人がこのように感じます。
これは会社勤めをしているお父さんやお母さん方、パートで仕事をしながら家事や育児をしているお母さん方、あるいは学生・生徒、等などだれにでも当てはまります。


中学生や高校生、あるいは大学生の場合、毎日の授業や部活、塾、予備校、宿題、友達付き合い、趣味など、やることがたくさんあり過ぎます。
それらに圧倒されてしまい、結局何も手につかない、という結果に終わることもよくあります。
塾の宿題をしてこない生徒はたいがい、学校の宿題、部活などで時間がない、と言います。
確かにそのとおりでしょう。やるべきことが多過ぎるのです。
でも、ちょっと待ってください。
同じように部活に一生懸命取り組んでいる人で、毎回きちんと宿題をやってきている人もいるのです。
しかも学校の宿題も同じ条件です。
これらの人たちはどのようにやっているのでしょうか?
これが時間管理術なのです。
無意識のうちにこの時間管理ができている人もいます。が、ほとんどの人は時に流されてしまい、いつでも時間が足りなくなってしまっています。
どのようにすればいいのでしょうか?
これは学生だけでなく、お父さんやお母さん方、だれにでも適用できることです。


まずやるべきことは、計画を立てることです。
最初に長期計画、そしてその長期計画を達成するために何をするかという中期計画、さらにそのステップとして必要な短期計画を立てることです。
計画を立てると、具体的な行動を取ることができるようになります。
また具体的な目標があるとやることに力が入ります。


時間がない、と言う人の多くは、
どうでもよいことに時間を使いすぎ、肝心のしなければならない大切なことに十分な時間を使っていません。
これが第1のポイントです。
ですから、時間がない、と思っている人はまず、何にどのように時間を使うべきか、ということを考えなければなりません。
そこで大切なのが優先順位をつけることです。
「絶対にしなければならないこと」から順番に、「しなければならないこと」、「したほうがよいこと」、「しなくてもよいこと」、にA, B, C, D の順位をつけます。そして、A(絶対にしなければならないこと)をまず片付けます。Aが終わらないうちはB(しなければならないこと)に手をつけません。
Aの中にもより優先順位の高いものがあります。その場合は、A1, A2, B1, B2 というふうに順位をつけます。


新聞や雑誌を読む、テレビを見る、友達とメールのやり取りをする、ネットサーフィンなどはどちらかというとD(しなくてもよいこと)に属します。多くの場合、これらの優先順位の一番低いDに時間を取りすぎて、AやBのための時間が足りなくなって、焦ったり、イライラしたりするのです。


次に大切なのは、いくら焦ってもできることは一時にひとつしかない、ということを知ることです。
あれもしなければならない、これもしなければならない、という気持ちはわかりますが、しかしそれでもできるのはひとつずつです。
であるならば、目の前の優先順位の高いものから順番にひとつずつ片付けていくしか方法はないのです。
とくに受験生の場合、入試までにやるべきことがたくさんあるとどうしても焦りがちで、結局何も手につかなくなる、ということがよくあります。この場合も、単語ひとつずつ、漢字ひとつずつ、年号ひとつずつ覚えるしかありません。


次にだれでもできることは、すき間時間を活用することです。
たとえば、トイレの中とか、人と待ち合わせをしている時間、電車やバスに乗っている時間、食事前の少しの時間、歯を磨いている時間、寝る前の3分間、等などほんの少しの空き時間を有効に使うことです。
たとえば単語のひとつでも覚えるとか、電話をかけるとか、明日の予定を立てるとか、本を少しずつでも読むとか、できることはいくらでもあります。


時間はだれにも同じ1日24時間が与えられています。その時間をどれだけ有効に使うか、これが時間管理術の極意です。


私自身、時間管理はそれほど上手なほうではないので、あまり大きなことは言えませんが、自分でもやっていることで皆さんに何かヒントになればと思い書くことにしました。


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現実を受け入れる

2009.04.06日

今日から学校が始まりました。
クラス替えがあり、好きな友達と一緒になったり、別れたり、あるいは好きじゃない子と同じクラスになったり、とみんな一喜一憂しています。
送迎バスに乗ってくるなり、何人かの生徒が愚痴をこぼして、
「いやだー、いやだー!」
と繰り返していました。


私も同じところを通りましたので、その気持ちはよくわかります。
しかし、現実は変えることはできません。受け入れるしかないのです。
「いやだー」と言っているうちは、そのクラスがつまらなく、本当にいやなクラスになってしまいます。
そうすると、結局は自分自身が不愉快になり、勉強にも力が入らなくなり、自分が一番損をすることになります。


これは、生徒のクラス替えに限ったことではありません。
大人でも同じことです。
職場に嫌な人がいたり、上司と合わなかったり、言うことを聞かない部下がいたり、とだれでも同じようなことを経験しています。
しかし、現実は変えられません。受け入れるよりほかないのです。


ラインホールド・ニーバー(1892-1971)というアメリカの神学者が説教の中で祈った祈りの一節を引用します。
「主よ
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ」


あるご夫妻にダウン症のお子さんが生まれました。
おふたりは大変なショックを受け、一家無理心中しようとすら思いました。
「なぜ、なぜ、うちにこのようなことが起きたの?」とずっと問い続けました。
悩みに悩んだ挙句、おふたりはカウンセリングを受けることにしました。
そこで聞いた話は、
「なぜといくら問いかけても答えは返ってこない。ならば現実を受け入れるしかない」ということでした。
実際、できることはそれ以外ないのです。
ご夫妻はこのアドバイスを聞いて、現実を受け入れることにしました。
そうしたら、肩の荷が下りてうんと楽になり、今ではお子さんと平和に幸せに暮らしていらっしゃいます。


私たちも現実の日々の生活の中で、納得のいかないことや、自分の思いどおりにいかないこと、面白くないこと、いやなこと、等などいくらでも起こります。
そのような時、現実から逃避せずに、変えられない現実は、ありのまま受け入れる、これが一番の解決策です。


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Sound of Silence

2009.04.05日

サイモン・アンド・ガーファンクルの Sound of Silence (You Tubeでライブが見られます) はとても美しい曲です。
若い頃大ヒットしました。私も大好きで、よく口ずさんでいました。
歌詞の中に、
People talking without speaking
People hearing without listening
という箇所があります。
英語を教えている時、生徒からよく聞かれるのがこの talk と speak、hear と listen の違いです。
日本語だと「話す」「聞く」で済んでしまうのですが、英語では厳密に区別します。
英語ではほかに「話す」に当たる言葉が tell, say、「見る」に当たる言葉が see, look, watch など、ほかにもまだたくさんありますが、それぞれ微妙に意味が異なります。


おおまかなニュアンスの違いを挙げると次のようになります。
talk      おしゃべりする(聞き手がいます)
speak    話す(言語を話したり、演説したりする、しゃべる)
tell      伝える、告げる、教える
say      言う(誰それが〇〇と言う)
hear     聞こえる(意識しなくても耳に入ってくる)
listen     聴く(意識して耳を傾ける)
see      見える(意識しなくても目に入ってくる)
look     見る(意識して見る)
watch     見つめる(動きのあるもの、小さいものを見る)


上の区別はあくまでも大体の目安です。
たとえば、「映画を見る」は see を使います。画面が大きくて自然と目に入ってきます。
テレビを見るときは watch を使います。
それではテレビでDVDの映画を見る時は何と言うでしょう?そう、画面が小さくて一生懸命見るので watch です。
それではホームシアターで大画面で見ると? うーん、大きさにもよりますが、see でしょう。


先ほどのサイモン・アンド・ガーファンクルの Sound of Silence の
People talking without speaking
People hearing without listening
はどういう意味でしょうか?
「人はおしゃべりはしているけど、心で話していない。
聞いてはいるけど、心で聴いていない」
というような意味で、人々のコミュニケーション能力の低さと愛の欠如を皮肉っています。
私たちの日常の会話を反省させられます。


心のこもっていない上辺だけの会話。むなしいです。
夫婦の間で、親子の間で、教師と生徒の間で、上司と部下の間で、友達同士の間で、もっともっと心をこめた会話がなされると、誤解の多くは解かれることでしょう。


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ルーチンワーク

2009.04.04日

「ルーチンワーク」という言葉が最近よく聞かれるようになってきました。
ルーチンは英語の routine から来ていますが、発音は「ルーチン」ではなく、正確には「ルーティーン」です。
「日常の決まり決まった仕事、日課、手順」といった意味で、アメリカでは日常茶飯事に用いられる言葉です。


私の塾の仕事もいわばルーチンです。
毎日生徒を教え、あとは成績表を作成したり、通信を書いたり、その他様々な事務の仕事がありますが、どれもこれも同じことの繰り返しです。
でも考えてみれば、どんな仕事でも、あるいは学生でも主婦でも、突き詰めればみんなやっていることはルーチンです。
掃除・洗濯・炊事のような主婦の毎日の仕事も、小中高校生の勉強も、義務感でやっているとつまらないし、苦痛にすらなります。しかしその中に、人の役に立っているとか、自分の将来を築いているのだ、というような意味を見出すと、楽しくなるものです。
またルーチンを「同じことの繰り返しで退屈だ」と言って不満に思う人もいますが、ルーチンの中にも色々な変化があり、それぞれの中に面白さ、楽しさがあります。
私の場合であれば、教える生徒が毎日違うので、今日は〇〇のクラスだから◇◇達に会える、というのも楽しみのひとつです。生徒たちの顔が見られるだけでも幸せです。


とくに月末と月初めはたくさんの仕事が集中してとても忙しくなります。
このブログも私のルーチンですが、時間が取れなくて途切れがちになります。
毎日読んでくださっている方がずいぶんいらっしゃるようで、アップされていない日があると「どうしたのだろう」とご心配をおかけしているかもしれません。申し訳ありません。
妻は、毎日ブログを書いていたら暇人だと思われるわよ、と言いますが、仕事が終わってから夜中に書いています。
しかし、このルーチンも私の楽しみのひとつです。


考えてみれば、ルーチンの仕事ができるというのは幸せなことです。
よく「平凡なのが一番」と言いますが、本当にそうです。
平凡な毎日の生活の中にも、ちょっと注意すればそれこそ数え切れないほど、新しい、楽しい、刺激的なことに気づきます。
これらをエンジョイするのが、日々幸せに生きる秘訣だと思います。
幸せの青い鳥は毎日の生活の中にいくらでも見つけることができます。
さあ、また通信の作成に戻ります。


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VIP

2009.04.03日

日本では VIP を「ヴィップ」と発音する人がよくいますが(実際には「ビップ」と言っています)、これは間違いで正しくは「ヴィーアイピー」といいます。
意味は Very Important Person で「重要人物」です。


昨日、我が家に VIP をお迎えしました。
と言っても、もちろん政府の要人とか偉い人とかいう意味ではありません。
私の親友の鶴田さんご夫妻です。


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(みづほ野で一緒に夕食)


鶴田さんとは32年以上の長いお付き合いです。私がアメリカに留学して4年目、鶴田さんは日本の大学を卒業後、ハーバード大学で建築学を学んで将来建築家になる夢をもってアメリカに留学してこられました。彼がアメリカに来て2か月後に私たちは運命的な出会いをします。
それからすっかり意気投合して、毎日のように会い、しょっちゅう徹夜して議論に花を咲かせました。
人生哲学、宗教論、文学、芸術等など本当によくこれだけ話すことがあるものだ、というぐらい来る日も来る日も話しました。


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(友人の Dennis とその家族とともに。前列左が鶴田さん)


そして知り合って半年後に私は教会に通い始めクリスチャンになりました。
それまで鶴田さんと宗教論を語るときには、いつもキリスト教の批判を一緒にしていた私が急にクリスチャンになったので、鶴田さんは面くらいました。
やがて鶴田さんも興味をもって教会に通い始めるようになりました。


wla.jpg

(West Los Angeles Holiness Church のホールで。右は友人のハロルド・ネットランド。ハロルドは今は大学教授。3人で一緒によくキリスト教の話をしました)


鶴田さんはとても頭のいい人で、3桁の掛け算を暗算でするというほどのバリバリの理系で、進化論を絶対的に信じていたので、神が宇宙や人間を創造したという聖書の記事はあくまでもおとぎ話に過ぎず、信じられませんでした。
私は鶴田さんにどうしてもキリスト教のことを伝えたくて、自分でも進化論のことを勉強しました。その中で出会った『創造と進化』という本がとても良かったので彼にプレゼントしました。
この本を読み進むうちに鶴田さんの進化論に対する信念が揺るぎ始めました。彼はほかの本も読んで真剣に進化論を勉強しなおしました。
そしてたどり着いた答えは、創造論でした。ある日、彼は言いました。
「カラスが口に一粒の砂をくわえて月まで飛んでいき、その砂を月に置くとまた地球まで飛んで戻り、そして再び砂を一粒くわえて月までいき、とこれを繰り返して、地球上の砂が全部なくなるまでかかる時間、これが進化論が真理である確率です。すなわち天文学的な数字になり、絶対にあり得ないとうことです」
しかし、頭の中で進化論が間違いで、神が宇宙を創造したという創造論が正しいということがわかってからも、なかなかキリスト教は信じられませんでした。

「だからどうなの。自分には関係のないこと」と、思っていたのです。
鶴田さんが信仰をもって洗礼を受けたのはそれから約1年後のことでした。
それからも信仰がすぐに固まった、というわけではなく、数年たったある日、ある体験を通して信仰が明確になりました。
この頃、彼はロサンゼルスでビジネスをやっていて、これがどんどん大きくなり大成功を収めました。
パロス・ヴァーデスという高級住宅地に、岬の先端に海を200度見渡す大豪邸(敷地700坪、建坪147坪)を購入し、最高級のベンツに乗り、クリスチャンビジネスマンとして教会でも大切な役割を果たして大活躍していました。
あるときはホームレスの人に自分がアパートを借りてあげて住まわせ、自分の会社で雇って仕事を上げて面倒を見たりしました。


その彼が、ある日神様からお呼びの声がかかり、ビジネスも豪邸も車も財産すべてを売り払い、奥さんと一緒にラスベガスの町に移り住み、在住日本人および日系人にキリスト教を伝えるために教会を単身で始めたのです。
それまで1年8か月にわたって、ロサンゼルスからラスベガスまで毎週車で通い(走った距離は地球を2周以上)、聖書研究のグループを育ててきていたのですが、神様がラスベガスで自分を必要としておられる、と信じて神様に従ったのです。ビジネスマンから牧師への転身。すごい決断だったと思います。


今、鶴田さんはラスベガスで牧師をしながら、毎年4月から5月にかけてのゴールデンウィークに日本を訪れ、九州から北海道までいくつもの教会でご奉仕しながら、ラスベガスの教会で知り合った方々のご家族やご親族を訪ねてキリストを伝えていらっしゃいます。
その都度、私たちもご夫妻が宿泊していらっしゃる東京のホテルを訪ねてお会いしているのですが、今年は我が家を訪問してくださることになったのです。
私たちは数日前から家の内外をきれいに掃除し、布団を干し、お迎えする準備をしました。
とても大切な方、VIPだからです。
そして昨夜は、夜中の2時半まで私たちの子どもたちも一緒に色々な話題に花を咲かせました。
32年前にタイムスリップしたような感じでした。
鶴田さんの話すことは、一つひとつ理路整然としていて、わかりやすく、説得力があります。
昔、誇りに思っていた金のローレックスの腕時計は、今では恥になり、ずっと片付けてあるとも言っていました。
これを聞いたとき、私は聖書の中の次の言葉を思い出しました。
「私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。
それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています」 (ピリピ人への手紙3:7-8)
彼は、今の牧師の仕事に命をかけていて、自分の身の回りで次々と人々が生まれ変わっていくのを見るのが一番の幸せだ、と言っています。


鶴田さんは私のもっとも尊敬する牧師のひとりです。
32年以上にわたって家族ぐるみでお付き合いが続いていることは私にとって誇りです。
絶対的に信頼でき、同じ価値観をもって、心を通い合わせることができる人がいるということは何と幸せなことでしょう。
彼と話すといつも胸が熱くなります。
私の VIP です。


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関係は本質に先立つ

2009.04.01日

「存在は本質に先立つ」と哲学者サルトルが言いました。
これは、「私が何であるか(本質)ということに先だって、私はとにかく今ここにいる(存在)」というような意味です。


先日の正人の大学の立派な卒業式アカデミーの質素な卒塾式を比べて、アカデミーの卒塾式のほうがはるかに感動が大きかった、とブログに書きました。
正人とこのことについて話していたら、彼も同じように感じていて、大学で教授が言っていたタイトルの「関係は本質に先立つ」という言葉を正人が思い出しました。


「関係は本質に先立つ」とは、人間の本質すべてよりも人間関係のほうが大切だ、というような意味です。
このことがわかれば、いろいろな問題の解決の糸口が見えてきます。
たとえば、親子関係を考えると、関係がうまくいっているとき、子どもはのびのびと素直に育ち、精神的にも落ち着いていて、ほかの人間関係もおおむねうまくいっているものです。
逆に、親子関係がうまくいっていないと、ほかの人間関係もうまくいっていないことが多く、このような場合、非行に走ったり、非行まではいかなくても、あちらこちらで問題を起こす確率が高くなります。


社会に出てからも、人間関係がうまくいかない人の多くは、すべての人間関係の基本である幼少時の親子関係がうまくいっていなかった可能性が大きいです。
また、夫婦関係がうまくいっていないと、親子関係もうまくいかなくなるケースが多いです。


アメリカではほかのどの病気よりも精神病を患っている人が一番多いそうですが、精神病の一番の原因はやはり人間関係です。
人間関係がうまくいっている人は、毎日の生活も充実しています。
日々の生活が充実すると、仕事や学業もうまくいきます。


アカデミーの粗末な卒塾式がとても感動的だったのは、まさに良好な人間関係の結果です。
教師と生徒、生徒同士、教師同士の人間関係がとてもうまくいっていたから、あのような大きな感動があったのです。


人間関係の基本は、まずは信頼です。お互いに信頼していると安心できます。これが精神的な安定に
つながります。
信頼関係ができていると、お互いに批判したり、心の中で裁いたり、陰で悪口を言ったりすることもなくなります。
これはとても大切なことです。


次に、相手に自分の考えや価値観を押しつけないことです。
とくに、親子関係や夫婦関係、兄弟関係では無意識のうちに自分の価値観を押しつけがちです。
人はだれでも自分自身の考え、価値観をもっています。人に押しつけられるのはいやなものです。
強制が良い結果を生まないのはこのためです。相手の考えや価値観を尊重することは大切です。


他人と比較しないことも同様に大切です。
比較すると人間関係を壊します。
人はみんな一人ひとりユニークな存在です。みんな違うからこの世の中、うまくいっているのです。
比較することは実に意味のないことです。
ありのまま受け入れましょう。


たとえ正しいことであっても、人間関係を壊すようなことなら言わないほうがましです。
W. Livingston Larned という人が書いた Father Forgets という有名な詩(日本語訳つき)があります。
ひとりの父親がベッドで眠る幼い子どもに対して、毎日がみがみと小言ばかり言っていたことを詫びます。
子どもはあくまでも子どもです。たくさん望みすぎること自体が間違っているのです。


人間関係でとても大切なもうひとつのことは、相手に感謝することです。
私たちはとかく当たり前のことと思って感謝することが少ないものです。
素直な気持ちになると感謝することはいくらでも見つかります。


人をほめること。これも人間関係の潤滑油になります。


素晴らしい人間関係を築くのも壊すのも、私たちの意志ひとつです。
良い人間関係を築くことは、結局自分自身のためです。


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