学院長元気の出るブログ

日々の随想。教育問題、子育て、英語、積極思考、人間関係、霊想等など。
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ジョージ学院長 元気の出るブログ

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成功とはあきらめないこと 2

2009.03.30日

昨日のブログに DOOR TO DOOR というTVドラマの話を書きました。
今日、送迎バスの中で今までずっと聴いていたバロック音楽のCDをやめて、これまでに何度も聞いていたナポレオン・ヒルの Think And Grow Rich の朗読CDをまた聞き始めました。


Think And Grow Rich は日本語にも翻訳されていますが、ビジネス界では世界中でベストセラーになっています。お奨めの1冊です。


さて、今日聞いていたCDの中に、ナポレオン・ヒル自身の息子が聾唖で生まれてきたことが語られています。それでちょうど昨日観た DOOR TO DOOR のドラマを思い出しながら聞いていました。
息子が生まれてきたときに耳がなく、どの医者も一生音を聞くことも話すこともできない、とヒル氏に言うのですが、彼はいつか必ず聞こえるようになり、話せるようになる、と固く信じて、自分にそう言い聞かせ、そして息子にも赤ん坊のときからずっとそのように語りかけ、「障がいは決して重荷ではなく、逆に財産になる」という自分の信念を息子のうちに植えつけます。
この息子が7歳になったとき、新聞売りを始めますが、健常者の兄よりもたくさん売り、自分でお金を稼ぐことを身につけます。
やがてヒル氏は、ビクトローラという蓄音機を手に入れ、これで音楽をかけると、息子が蓄音機に頭をくっつけて興奮します。これを見たヒル氏は、息子が少しでも音が聞こえることを確信します。
のちに、これは今日知られている骨伝導と呼ばれるものであることがわかります。
何年もの訓練ののち、息子は少しずつ音が聞こえるようになってきます。
ある日、新しく出た補聴器を試してみると今まで聞こえなかった音が健常者と同じように聞こえることがわかり、息子は飛び上がって喜びます。ヒル氏の長年の夢がついに実現したのです。
息子はこの補聴器の会社に電話をかけ、ニューヨークの会社を訪れ、自分の体験をぜひとも同じ問題で苦しんでいる人たちに教えたいと伝え、そしてこの会社に就職し、聾唖者に対する啓蒙運動をするようになるのです。


ヒル氏はこの本の中で、繰り返し「燃えるような願望があればそれは必ずかなう」と語っています。
もし彼が医者の言葉をそのまま信じて、息子が聞こえるようになると信じなかったら、息子は一生聾唖のままでいたことでしょう。
ヒル氏の息子は本当に障がいを財産に変えたのです。


私たちのほとんどは障がいはなく、普段の生活に何不自由ないのですが、それにもかかわらず、なんと不平や不満が多いことでしょう。
私たちはとかく自分が持っているものではなく、持っていないところばかりに目をやります。
持っていてもいなくても、そのこと自体が問題なのではありません。
問題は、持っているもの、あるいは持っていないものをどう活かすかです。


たとえどんなことでも、あきらめずにコツコツと頑張り続ければ、必ず日の目を見るようになるものです。
「成功とはあきらめないこと」です。


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DOOR TO DOOR

2009.03.29日

普段、テレビを見ることはほとんどないのですが、今晩は久し振りにTBSのドラマ「DOOR TO DOOR  脳性まひのトップセールスマン」を見ました。


脳性まひによる生まれつき言語と身体に障がいのある22歳の青年・英雄(二宮和也)と、息子の自立を願う母・美津江(樋口可南子)の物語です。
障がい者が職に就くのは本当に大変なことです。
母親の助けでようやく手に入れた仕事は浄水器の訪問販売。1軒1軒家をまわるのですが、どこでも門前払い。しかし持ち前の明るさで、断られても断られても「チャンスはピンチの顔をしてやってくる」と自分に言い聞かせながらまわります。幼い時に亡くなった父親が車のトップセールスだったことを母親から聞いていた英雄は、自分にもきっとその血が流れていると信じて頑張り続けます。
一生懸命商品の説明をする英雄の熱意にほだされてひとりの老人が買ってくれ、その紹介で少しずつ売れるようになります。
やがてこの小さな会社のトップセールスマンになるのですが、会社は倒産。
倒産した会社の社長がもと部下だったネットショッピングの会社の部長に頭を下げて彼を雇ってやってくれと頼み、そこに再就職。


そこで一生懸命仕事をしている時、いくつもの仕事をかけ持ちして働きづめだった母親が脳梗塞で倒れ入院。
右手が利かないためネクタイもひとりでしめられません。ひとりで生活しながら病院の母を訪ね、母を励ましながら仕事を続けます。
英雄が新しく考えて始めた仕事が少しずつうまくいきかけていた矢先、母の容態が急変して亡くなってしまいます。


「誰の人生にも、障がいなど何ひとつない」と言う英雄の姿に胸を打たれました。
途中、何度も泣かされました。
この物語、アメリカに実在する(現在77歳)ビル・ポーターの半生を描いた実話をもとにしたもので、アメリカでは映画化されています。


私が、幼稚園の頃間借りしていた家の大家さんのところに20代後半の障がい者の女性がいました。
この人は足が萎えていて歩くことができず、家の中をいざっていました。
当時は今と違って障がい者に対する偏見が強く、この人は家の外に出ることは決してなく暗い部屋の中だけで暮らしていました。


小学校の頃は、すぐ近所にダウン症の子どもさんがいらっしゃるご家庭がありました。
私はこのダウン症のお子さんとよく遊びました。そして、このご家族とは、うちが遠くに引っ越した後もずっと長い間お付き合いが続きました。


このようなこともあって私は障がいを持つ人に対して普通以上に敏感でした。
ですから、障がい者も健常者と同じ生活をする権利を持ち、みんなが平和に仲良く暮らすべきだ、という信念があるのです。


昔と比べるとうんと良くなったとは言え、まだまだ障がい者に対する偏見は強いです。
でもみんな同じ人間として生まれてきています。私たちは自覚して本当のバリアフリーの世界をもらたすよう努力すべきだと思います。


ドラマの中で、「この世の中でずっと同じことを続けている人は成功する」というような言葉がありましたが、これはまさに私の座右の銘である「成功とはあきらめないこと」と同じ意味です。
障がいがあってもなくても、成功するかどうかはその人の生き方次第です。


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蒔いた種を刈り取る

2009.03.28日

昨日の個別で高3のMさんに英語を教えていた時、次のような英文が出てきました。


You must reap the harvest of your own sowing.
「人は自分が蒔いた種を刈り取らなければならない」


聖書の中に似たような表現がいくつも出てきます。


A man reaps what he sows. (Galatians 6:7-8 )
「人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります」 (ガラテヤ人への手紙6:7−8)


They that sow in tears shall reap in joy. (Psalms 126:5)
「涙と共に種を蒔く者は、喜びの歌と共に刈り入れる」 (詩編 126:5 )


Whoever sows sparingly will also reap sparingly, and whoever sows generously will also reap generously. (2 Corinthians 9:6)
「少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります」 (コリント人への手紙II9:6)


これらはみんな同じことを教えています。
種を蒔かなければ刈り取りはありません。
少しだけ種を蒔くと少しだけ刈り取りしますが、たくさん種を蒔くとたくさん刈り取りをします。
ごく当たり前のことです。


これは私たちの生活全般にわたっていろいろな場面に当てはまります。
Mさんに次のような例を挙げたらすぐに理解しました。
「Mさんが普段から一生懸命勉強して、しっかり試験勉強していたら、試験の結果はいいし、いい成績がつく。でも、試験勉強をしていなかったら、当然いい点数を取れるわけがない。つまり、勉強という種蒔きをしておいたら、いい点数・いい成績という刈り取りができる」


小学6年生のNちゃんは背はあまり高くありませんが、いつも背筋がシャンと伸びていて、立っていても座っていてもとてもいい姿勢です。だから見ていても気持ちがいいですし、実際の背丈よりも高く見えます。
Nちゃんはバレエを習っているので、普段から無意識のうちに背筋を伸ばしているのです。
いつも背筋を伸ばしているので、結果として姿勢がよくなるのです。


中1のAさんはもう何年もソロバンを習っています。
上の級を取るために普段から一生懸命ソロバンの練習に励んでいます。
いつも買い物に行くと、無意識のうちに暗算で計算しているそうです。
ですからますます計算が得意になります。


以前アカデミーの講師をしていたH先生は小中高校時代、学業はいつもとてもトップクラスでした。
彼が中3の時、友達が言いました。
「Hはいいよな。勉強しなくてもできるんだから」
普段は柔和なH君が急にムッとして言い返しました。
「勉強しなくてできるやつなんかいるか!」
そうです、H君も普段から陰で一生懸命努力していたのです。


私の英語もそうです。
小学校の時には、大きくなったら英語が話せるようになりたい、と思ってとにかく単語をたくさん覚えました。
中学時代、教科書を外人が吹き込んだレコード(当時はフォノシートと呼んでいた)を擦り切れるほど何度も繰り返し繰り返し聞き、外人の発音と同じように発音できるようになるまで練習しました。
大学時代は、出会った外国人講師とはみんな親しくなり、毎週家に遊びに行き、家に泊めてもらったり、一緒に食事に行ったり、旅行に行ったりして英語を使う機会をいっぱい作りました。
その結果、大学卒業後アメリカに留学した時には、アメリカ人からアメリカ生まれの日系人と間違えられました。


たくさんよい種を蒔くとたくさんよい刈り取りができるのです。
その逆に、悪い種を蒔くと悪い刈り取りをしなければならなくなります。


アル中になろうとか、ニコチン中毒になろうと思って酒やタバコを始める人はまずいません。
最初は好奇心から始めたり、かっこよさを求めて始め、初めのうちはおいしくないのですが、繰り返しているうちにはまってしまいます。そのうちにやめられなくなる。これが依存症の恐ろしいところです。
酒が大好きだった俳優の石原裕次郎は肝細胞がんで死亡。タバコが大好きだったニュースキャスターの筑紫哲也さんは肺がんで死亡。やはり蒔いた種を刈り取ることになりました。


善因善果、悪因悪果。
何事も原因があって、結果があります。


同じ種を蒔くなら、よい種を蒔いてよい刈り取りをしたいと思いませんか?
普段からいろいろなところでよい種をいっぱい蒔いておきましょう。
結果は...お楽しみです。


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春期講習 第1日目

2009.03.26日

今日は春期講習の第1日目でした。
午前中は小学生の個別クラスに入りました。
今年小学4年生になる女の子3人が体験に来ました。私はこの女の子達に国語を教えました。
まず最初に3年生の漢字と文法の復習。3人ともほぼ同じスピードでどんどん解いていき、ほぼ完璧でした。次に読解問題をやってもらいました。私は一人ひとりの答案をチェックしながら〇付けをし、間違えたところやちょっと戸惑っているところにヒントを与え、生徒自身に考えさせ、自分で正しい答を導くよう指導しました。3人とも驚くほどよくできました。
最後に少しあまった時間に作文問題を与えました。題は「私の宝物」です。
まず、自分の宝物を3つあげて、その中からひとつを選び、選んだ理由とその宝物との特別な体験を箇条書きにして、それから作文させるという流れですが、時間がほとんどなかったので、残りは宿題ということにしようと思っていました。
ところが、3人ともさっさと3つの宝物を書き、その中からひとつを選びました。
さらに驚かされたのは、3人ともその宝物の中に本が入っていたことです。
2人は伝記物を読むのが好きで、それを宝物のひとつにしていました。
これは実に素晴らしいことです。
まず、小さい頃から本に親しむこと、そして伝記物を読むことはとても大切なことです。
読書、とくに伝記物は夢と希望を与え、情緒豊かにします。
さらに漢字も自然と身につき、新しい言葉も覚え、文章読解力もつき、まさに一石三鳥、四鳥です。
見学に来ておられた3人のお母さん方の子育ては本当に見事だと思いました。


午後からは新中1の英語のクラスが2時間。
これまでアルファベットから始め、スペリングと発音の関係を結びつけるフォニックスを教え、単語を数多く覚えさせ、簡単な挨拶表現などを教えてきましたが、今日から教科書の Lesson 1 です。
新中1生には少し難しいかなと思いながらも、何事も基礎・基本が大切なので、最初から主語や動詞、語順などの文法概念もしっかり教えました。
小学生の間はピアノやスイミングなどの習い事のように英語も体で覚えますが、中学生になるときっちりと文の構造などを論理的に教えたほうが身につきやすいものです。しかし最近、学校では文法用語などはほとんど教えないようで、言語活動で文を体で覚えさせようとしたり、暗記させようとしているケースが多いように見受けられます。
去年、江南高校に合格した生徒が英語が苦手と言って、個別を体験しに来ましたが、その時、文型を教えようとしたら、「主語・動詞・目的語」などは学校でも、行っていた塾でも教わっていなかった、と言ったので驚きました。
もちろん、新中1生が1回や2回で文法をすぐに理解できるわけではありませんが、何度も繰り返していくうちに徐々に身についていきます。
生徒たちはみんな熱心に説明を聞き、一生懸命ノートを取り、問題に取り組んでいました。
これからが本当に楽しみです。


夜は新中3の英語が2時間。
このクラスも今まで中1・中2の復習を繰り返し繰り返しやってきていましたが、今日から教科書の Lesson 1 に入りました。SVOOの第4文型の構造の説明、この文型に使われる動詞、そして第3文型への書き換えと、その時に使う前置詞の使い分けをしっかりと教えました。
次に中2で既習の受動態の復習。
授業に取り組む姿勢、そして宿題の高い提出率、さすが中3になると意識が変わってくるものだと感心しています。
今年の中3はかなり鍛えなければならないと思っていますが、すでに少しずつ手ごたえが出てきているのがわかり、このクラスも楽しみです。


小中学部とも、春期講習に体験生が大勢来ています。この新しい生徒たちにも勉強の楽しさを味わってもらい、生涯にわたって勉強する姿勢を身につけてもらいたいと心から願っています。
今月から塾に来始めたひとりの小学生が朝の送迎バスに乗るなり、塾が楽しい、勉強がわかるようになってきた、と言ってくれ、とても嬉しかったです。


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卒業式

2009.03.26日

今日は次男、正人の大学の卒業式でした。
有楽町前の東京国際フォーラムのホールAは1〜8階までの巨大ホールで、5000人近くの人でびっしり埋まっていました。
ステージには大学のオーケストラと聖歌隊が大きく陣取り、学長、理事長、学部長など14人が正面にずらりと並んでいました。


graduationc.jpg


聖歌隊によるアシジの聖フランシスコの平和の祈りの美しい合唱がとても素敵でした。


学長のメッセージは「今、この激動の時代にあって、弱い人を思いやる人になりなさい」という内容でした。
例話に出されたのはイソップ物語のライオンとネズミの話でした。
ある日、ライオンが昼寝をしているとネズミがその上を歩いていって、ライオンは頭にきてネズミを食べようとしたが、ネズミがどうか助けてください、と言ったのでライオンは助けることにした。すると数日後、ライオンは人間の仕掛けた罠に引っかかった。そこにやってきたネズミがライオンの引っかかった罠の縄を噛み切ってライオンを助けた、という話です。


理事長の話もソフィア会の会長の話もとても感動的でした。


でも、隣の席の人は初めから最後までずっと居眠りしていました。後ろの席の女性二人はずっと私語をしていました。


式が終わってからも、みんな友達を探しておしゃべりをするのに夢中でした。誰一人、感動で泣いている人はいませんでした。


私は思いました。
この大学の卒業式に比べると、3日前のアカデミーの卒塾式は、とても質素なものでした。
会場は建って40年近くも経つ古い建物で、施設もすべて粗末でした。
卒塾生もわずか33名(病気のため2名欠席、3名不参加)。


sotujukusiki.jpg


オーケストラも聖歌隊もなければ、立派な来賓もいません。
本当に小さな小さな卒塾式でした。
しかし、感動という点においては、今日の大学の卒業式の何倍、いや何百倍、何千倍も大きかったです。
私たち教師も生徒もほぼ全員が感動で目を真っ赤にはらして泣いていました。


物事の価値は、規模によらない、むしろハートによると心から思いました。
私自身、自分の大学そして大学院の卒業式を何度も体験しましたが、その立派さにもかかわらず、あまり印象に残っていません。それほど感動しなかったからです。
でも、アカデミーの卒塾式の感動は、私たち教師そして生徒一人ひとりの心に一生残ると確信しました。


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勉強は苦痛?

2009.03.24日

今日、地方のある大手塾の塾長からメルマガが送られてきました。
「人間の本質 ― 子供達はなぜ勉強をしたがらないのでしょうか」というタイトルです。
とても長いので、一部だけここに引用します。


「人間は肉体的、精神的、感情的に苦痛を伴うものは無意識に避けようとするのです。
そうです、生存を脅かすものと脳が判断するからなのです。
子供達は大人に比べて進化の度合いから言うとまだまだ原始的なのです。
ほとんど本能なのです。
精神的、あるいは肉体的に苦痛を伴うものは生存本能が避けてしまうのです。
だから、勉強をしないのです。
進化や成長には苦痛は付き物です。
筋肉の発達は筋肉の細胞繊維が断裂することによりそれが修復することで以前より強い筋肉細胞ができあがるのです。
断裂とはトレーニングのことです。
きつい、辛いトレーニングをすることによって筋肉はより発達するのです。
勉強も同じものです。
進化には苦痛を伴うもの、子供達の脳はそれを生存を妨げるものと無意識に判断するのです。
だからやりたがらないのです。
いかがですか?
あなたのお子さんは決してダメな子供ではないのです。
ごく普通の正常な人間なのです。
ちょっと安心しましたか?」


つまり、言わんとしていることは、
「人間は本能の動物である。
人間は苦痛を伴うものは、生存の妨げになると判断し、それを避けようとする。
子どもはより原始的で本能に従う。
子どもが勉強が嫌いなのは、勉強が生存の妨げになると判断するからである。
だから、あなたの子どもが勉強嫌いなのはごく普通のことで、正常である。
心配することではない」
ということです。
皆さんはこれを読んで納得しましたか?


先日、アカデミー学院にひとりの方が問い合わせに見えました。
その方はすでにこのホームページを見ていて、「塾生の声」に
多くの生徒が「アカデミーに来て勉強が楽しくなった」と書いているのを見て、驚いていらっしゃいました。このお母さんも、勉強はつらいもの、楽しくないもの、と思っておられたとのことでした。
数年前に、近所のある塾のチラシが新聞に折り込まれていましたが、そこには次のような内容が書かれていました。
「受験は必要悪である。
勉強はつらいもの。
しかし、それに耐えて志望校に合格することに勉強の目的がある」
この塾の塾長もやはり「勉強はつらくて楽しくないものだ」と思っているのでしょう。そうでなければこのような言葉は出てきません。
この塾の生徒が勉強をどのようにとらえているかは容易に想像がつきます。


私も小さい頃は勉強が大嫌いでした。
近所の高校生のお兄さんが「勉強が楽しい」と言っているのを、母が聞いてきて私に言ったのですが、その時私は「その人は狂っている。勉強が楽しいわけがない」と言ったのを今でもはっきりと覚えています。
しかしその後、私自身も勉強の楽しさを知ってしまいました。
その結果、あれほど勉強嫌いだった私が、なんと34歳で最終的に学校を卒業するまでずっと勉強することになってしまいました。
そして、勉強の楽しさをひとりでも多くの人に知らせたい、と思って教育の道に進むことになりました。


私自身が勉強が楽しいと思っているので、自然とそのような講師が集まってきてアカデミーで教えてくれます。だから、自然と生徒たちも勉強が楽しい、と感じてくれるのだと思います。
人間は本来、自分の知らない何かを知りたい、という欲求があります。その結果、人類はここまで発展してきたのです。
もしも冒頭の塾長の言うように、勉強が苦痛を伴うもの、人間は本能的に生存を妨げようとする勉強を避けようとするとしたら、人類はまったく成長・発展しないでしょう。
人間のうちには、真・善・美を求める心が与えられています。
もしも人間が本能によってのみ生きているとしたら、他人が駅のホームから線路に落ちて電車にひかれそうになっているのを見て、飛び込んでいって自分の命をかけて助けようとしたりしません。
もちろん、動物同様、人間にも本能はあります。そうでなければ生きていけません。
しかし、人間は動物とは根本的に異なっていて、「人の役に立ちたい」という崇高な思いが与えられています。
私たちが勉強するのは、まさにこのような崇高な思いからです。


勉強は決して苦痛なもの、避けるべきものではありません。
勉強は自分を豊かにし、周りの人をも豊かにし、社会を豊かにするものです。
勉強は楽しいものです。


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中3イベント 最終章 「祝勝会」

2009.03.23日

昨日は、中3卒塾生の祝勝会でした。
まず、塾のバス4台に分乗して厚木のボウリング場に。
上手い人も、下手な人もみんな楽しくボウリングに興じた後、愛川ふれあいの村へ移動。


bowling.jpg


夕食とお風呂が終わって、夜8時からは卒塾式。
生徒は事前に何も知らされていません。
会議室に集められ、決められた座席に着いていると、音楽が流れてきて、それにあわせて先生達が入場。
全員黒のスーツに身を固め、厳粛な雰囲気。
先生達が生徒の着席する席の真ん中を通り抜け、正面に対面した形で着席すると、本城先生の言葉。

「只今より卒塾式を執り行います。
開会のことば」
田口先生が開会を宣言。
「続きまして学院長の言葉」
「思い返せば.........」
ここまで言うと、目に涙があふれてきてもう胸がいっぱいになって、次の言葉が出てきません。
随分時間をおいて、少し冷静さを取り戻し、言葉を続けました。
「思い返せば、この3年間、君たちは本当に、勉強にイベントに、すべてに一生懸命取り組み......」
また言葉に詰まり、涙を拭き拭き、声を振り絞って、
「今日、この卒塾式を迎えることができましたことは、先生にとって嬉しくもあり、また悲しくもあり...。
まるで娘を嫁にやり、息子を社会に送り出すような気持ちです。
君たちがこのアカデミー学院で学んだことがこれからの生涯に役立てられることを願い、君たちの将来が大いに祝福されることを心から祈りつつ、塾より送り出します」
先生達の席からも、生徒たちの席からも、あちらこちらからすすり泣く声が聞こえてきます。
何度も何度も目が涙にかすみました。
「卒塾証書授与」(本城先生)
「卒塾証書
  〇〇〇〇
あなたは、雨にも負けず、風にも負けず、
雪にも、夏の暑さにも負けず、アカデミー
学院の学びに、またイベントに一生懸命
取り組み、クラスの仲間と私たち教師に、
笑いと喜びと夢と希望を与え、学院所定
の全課程を修めました。
これからのあなたの歩みに幸多かれと
祈るとともに、ここにアカデミー学院を
卒塾したことを証します。

平成21年3月22日
   アカデミー学院
         学院長  舟田譲二

本城達也、曾我浩平、舟田正人、田口甲斐
市川 丈、中野友祐、木村圭太、藤本 慶」

これを読むのにも何度も何度も涙で中断しなければなりませんでした。


このあと、先生達が制作した、塾生達の思い出のシーンをつづり合わせたスライドショー上映。
続いて、生徒たちから先生達への寄せ書きの色紙贈呈。
いつも冗談ばかり言ってみんなを笑わせていたH君が服の袖で涙を拭きながら「3年間本当にありがとうございました」。
受け取る曾我先生は、予期していなかったサプライズに膝まづいて泣き崩れ、みんな号泣。
私はこれまで自分の卒業式は7回経験してきましたが、これほど感動的なものはありませんでした。
先生も生徒もみんな目を真っ赤にはらしていました。


卒塾式が終わり、会議室からコッテージへ移動。
コッテージでは、また先生達が制作した別のスライドショーを上映。
そして、先生一人ひとりからの卒塾生へのはなむけの言葉。
また号泣。
そして、正人から中3担当の先生達へ、生徒からのビデオレターのプレゼント。
またまた号泣。
続いて先生達の脚本・演出によるビデオのドラマ上映。
今度はみんな大笑い。
お開きになったのは夜中の1時過ぎ。
そのあと、先生達と生徒たちは一晩中大声で話したり、ギターを弾いて歌ったりして徹夜。


shukushokai.jpg


今回のこの祝勝会、卒塾式を見ていて思い出したのは、オー・ヘンリーの短編小説『賢者の贈り物』です。
「貧しい夫婦が相手にクリスマスプレゼントを買うお金を工面しようとする。
妻のデラは、夫のジムが祖父と父から受け継いで大切にしている金の懐中時計を吊るす鎖を買うために、自慢の髪を美容室でバッサリ切り落とし、売ってしまう。
一方、夫のジムはデラが欲しがっていた鼈甲の櫛を買うために、自慢の懐中時計を質に入れていた」という心温まる物語です。
先生達は生徒に内緒で卒塾式や卒塾証書、卒塾記念アルバムと動画を入れたCDをプレゼント。
生徒たちは先生達に内緒で用意した寄せ書きの色紙、アルバムをプレゼント。
先生が別の先生に内緒で用意したビデオレターのプレゼント。
『賢者の贈り物』のように別に行き違いになったわけではありませんが、みんなお互いに内緒で、相手の喜ぶことを一生懸命考えて、その愛情を伝える。本当に心温まる笑いと涙、感動とサプライズの祝勝会でした。
全国に塾多しと言えども、これほど感動のある塾はそうはないでしょう。
私は心からアカデミーの先生達と生徒たちを誇りに思いました。
また、塾生専用ページに動画をアップしますのでお楽しみに。


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集団 or 個別?

2009.03.21日

塾を選ぶときの基準は、ほとんどの場合「集団」か「個別」か、ということになります。
塾になじまない人の選択肢は家庭教師か、進研ゼミのような通信教育か、それとも自宅で自分で勉強するか、ということになるのでしょう。
通信教育は費用が安いのが魅力でしょう。でも、自分で自覚して勉強する時間を作り、期限内にきちんとこなしていくことはなかなか難しいです。
家庭教師は先生を独り占めできるのが魅力ですが、費用が高いのがネックです。しかも当たりはずれがあります。
自宅で自分で勉強できればそれが一番いいのでしょうが、これは学年トップクラスの人でもない限り、やはり不安がありますし、学校の授業だけで完璧に理解できるかというとそれも難しいです。
そこで、ほとんどの人は塾を考えるわけです。
ゆとり教育になって、ひと昔前と比べると通塾率は下がっているとはいえ、やはり大半の中学生は塾通いしています。
そこで塾をどのような基準で選ぶかというと、子どもの性格が集団塾に向いているか、個別塾に向いているか、次にその塾がどのような教育方針をもっているか、塾長や教師陣はどんな人たちか、高校の合格実績はどうか、成績が上がるのかどうか、通っている生徒や近所の人たちの間の評判はどうか、料金は高いか安いか、送迎バスがあるかどうか、どんな生徒が通っているか、どのようなサービスがあるか等などいろいろあるでしょう。
そこで多くの人は、塾をひとつずつ回ってパンフレットをもらったり、説明を聞いたり、あるいはホームページでどんな塾か調べたり、料金などさまざまな要素を比較したりします。


ちょっと手前味噌になり恐縮ですが、上に挙げたどの点においてもアカデミーはどこの塾にも引けを取らないと自信を持っています。
もちろん経営者であればだれでも自分のところに自信を持っているのでしょうが。
自信を持っていなければそれはすぐに消費者(生徒・父母)に伝わりますし、それではやっていけません。
それでは、アカデミーの売りは何か、と問われれば、言いたいことはたくさんありますが、ひとことで言うと「消費者(生徒・父母)の立場に立ったサービス」だと思っています。
これはどこにも負けないと自負しています。
ただ単に勉強を教えるだけの塾なら五万とあります。(実際、全国の塾の数は約5万だそうです)
ですから、それぞれ独自の特徴を出さなければなりません。
アカデミー学院の特徴は「サービス」です。
授業料、無料補習、無料英検対策、1か月無料体験、バーベキュー大会・ディズニーランド遠足・夏合宿・映画会・祝勝会などのイベント、わかりやすい楽しい授業、親しみやすいうえ、生徒思いの講師陣、アットホームな雰囲気、最新式のデータベースシステム、授業の内容を定着させるためのデータベース演習、通信・成績表・面談・進路指導などのご家族とのコミュニケーション、バス送迎、地域密着、生徒一人ひとりのニーズに応える集団と個別指導の自由な組み合わせ、等などここに挙げていないのもまだまだありますが、これらはすべて「サービス」です。
このサービスに、生徒もご家族の方にもご満足していただく、これがアカデミーのポリシーです。


ネームブランドで塾を選ぶ方はアカデミーに足を運んでくださいませんが、実質で選ぶ方はアカデミーのこのポリシーを知ってご納得してくださっています。
リピーターじゃないですが、ご兄弟の入塾が多いのもこの表れかと思います。
ご兄弟3代にわたっての入塾も結構あります。


明日は卒塾生の祝勝会、卒塾式。
生徒を感動させるいくつものサプライズがあります。
私たち教師自身もとても楽しみにしています。
明日生徒に配布するアルバムに教師一人ひとりのプロフィールの欄があり、そこに私は
宝物: アカデミーの先生達と生徒たち
と書きましたが、心底そのように思っています。
私のアカデミーに対する思い入れが、先生達に伝染し、それが生徒にも伝染しています。
アカデミーはまるで大きなファミリーのようです。
私はそんなアカデミーが大好きです。
自分の会社(塾)に、仕事に誇りを持てるというのはなんと幸せなことでしょう。
今日、申し込み手続きに来られたご家族の方にアカデミーのご説明をしながら、もう1度アカデミーに惚れ直したような次第です。


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あなたの中の最良のものを

2009.03.20日

「人は不合理、非論理、利己的です
気にすることなく、人を愛しなさい


あなたが善を行うと
利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく、善を行いなさい


目的を達しようとするとき
邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい


善い行いをしても
おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、し続けなさい


あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい


あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい


助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい


あなたの中の最良のものを、世に与え続けなさい
けり返されるかもしれません
でも気にすることなく、最良のものを与え続けなさい


気にすることなく、最良のものを与え続けなさい」


マザー・テレサ


私の枕元には上のマザー・テレサの言葉を書いたものが置いてあります。
私自身、それほどひどいことではありませんが、上のと似たようなことは何度か体験しています。
おそらく、ほとんどの人が大なり小なり経験したことがあるのではないでしょうか。
このような時、私たちはとかく、傷つき、腹が立ち、怒り、時には復讐したいとすら思うものです。
でも、私たちはマザー・テレサの勧めに従うべきなのです。
なぜでしょうか?
それは、私たち自身のためだからです。
私たちが人の仕打ちを根にもっていると、それは自分自身をさらに傷つけ、不幸に、不健康にするからです。
聖書には次のように書いてあります。
「愛する人たち。自分で復習してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる』」 (ローマ人への手紙12:19)


自分で復讐しようとして悪に陥る人がなんと多いことでしょう。
復讐は神の手に委ねましょう。
そして、マザー・テレサが言うように、
「あなたの中の最良のものを、世に与え続けなさい
けり返されるかもしれません
でも気にすることなく、最良のものを与え続けなさい
気にすることなく、最良のものを与え続けなさい」
これこそ、神様が私たちに望んでおられることです。
そして、それは私たちの幸せのためなのです。


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恥をかくこと

2009.03.19日

日本は「恥の文化」とも呼ばれ、私たち日本人は一般的に「恥をかく」ことにとても敏感です。
親が子どもを育てるときも、「そんなことを言ったら(したら)恥をかく」とか「恥をかかない人間になりなさい」というようなことを教えるケースが結構あります。


私はもともと気の小さい人間で、小中高校の頃は授業中わからないことがあっても、手を挙げて質問することなどできませんでした。
まず一番に「恥ずかしい」という思い、次に「もし間違っていたらどうしよう」とか「こんなことを聞いたら恥だ」というような考えがありました。
思いっきり勇気を振り絞って手を挙げると、もう胸がドキドキして「もし当てられたらどうしよう」などと思ったものです。
学級会のときなども、たとえ自分の意見を持っていても発言することは恥ずかしくてできませんでした。


自信を持って質問や発言ができるようになったのは、大学に入ってからです。
大学時代はほかのだれよりも一番質問、発言をしました。
でも初めの頃はやはりとても恥ずかしかったです。
ときに間違っていることもあり、恥をかいたこともありました。
でも、恥をかくことによって徐々に慣れていきました。
そのうち、結構自分の意見をはっきりと言うことができるようになってきました。
時事英語の授業のとき、授業の内容があまりにも時事英語からかけ離れてつまらなかったので、思い切って手を挙げて教授に言いました。
「先生、これは時事英語の授業です。もっと時事英語を学びたいです」
そうしたらその教授は自分のことを侮辱されたと思い、頭にきて、手に持っていたテキストを思いっきり床にたたきつけて大声で怒鳴りました。
「き、きみぃっ!......今、言ったことを英語で言ってみろ!」
クラスは一瞬緊張の空気に包まれました。
私は勇気を奮い起こして言いました。
「先生、英語で言うとか、そういう問題ではなく、ただ時事英語を教えてください、と言ってるだけです」
しかし、このあとも、時事英語のクラスはまったく変わりませんでした。教えていたのが老齢の教授だったので、このクラスは「時事英語」というより、むしろ「じじい英語」で、忍耐を試された授業でした。
この教授は恥をかかされたと思ったのでしょうが、そのところから学ぼうとしなかったようです。


大学を卒業してアメリカに留学するとき、多くの小中高校時代の友達が新幹線の駅に見送りに来てくれました。今はもう引退した0系の列車がホームに入ってくると、みんなが一斉に大声で
「舟田君、バンザーイ!バンザーイ!バンザーイ!」
と言ったので私は恥ずかしくて真っ赤になりました。
電車に乗り、座席に着くと、ホームにいた友人のひとりがなにやら紙を窓に貼り付けています。
「何を書こうかといろいろ迷ったけど、君に恥をかいてもらうことにした」と大きく書いてあり、周りにいた人たちがみんな笑い、そこでもまた恥をかきました。


アメリカに留学してからも何度も恥をかきました。
知らないことだらけ、初めてのことばかりなので恥をかいて当たり前です。
授業が始まって間もないある日、大学の書店のレジで、ものすごい早口でペラペラペラと言われましたが、何を言っているのかチンプンカンプン。問い返すと、また早口でまくし立てられました。
私は再度問い返しました。
すると、レジのおばさんは頭にきて怒鳴りました。
そのときは何で怒られたのかよくわからなかったのですが、考えてみると私の英語の発音が普通のアメリカ人のようだったので、私がふざけてからかっているのだと思ったようです。
ここでも恥をかきました。


アメリカの大学院の授業は、学生による質問で進められる、と言ってもいいぐらい質問が次々と出ます。
あるときは、学生からの質問があまりにも多くて、教授が「お願いだからもう質問はストップしてくれ。私の言いたいことも言わせてくれ。今日の予定の授業が全然できないよ」と言ったぐらいです。
私はまだそこまで自由に質問できるほどではなかったのですが、ただ聞いていると、学生の質問のほとんどはある意味馬鹿げたものでした。
「なんでそんなわかりきったことを聞くんだよ。バカじゃないの?」と言いたくなるぐらい、単純な質問をみんな平気でします。
アメリカ人は「恥」の概念があまりないようです。
あるいは、「恥をかいて、そこで新しいことを覚える」という極意を心得ているのかもしれません。


実際のところ、人は恥をかいて新しいことを学ぶものです。
中学2年のとき、私は新しいことわざを覚えました。「十人十色」です。
私はこれを使いたくて仕方なく、まず友達にさっそく試してみました。
「十人十色だよ」
すると友達に笑われました。
「じゅうにんといろ、って言うんだよ」
私は文字を見てこの言葉を覚えたので、「じゅんにんじゅっしょく」と言っていたのです。
でも、このときかいた恥のおかげで、その後よそで恥をかかずにすみました。


塾の授業でも、恥ずかしがって質問しない人がよくいますが、どんどん恥をかきましょう。
人は恥をかいて初めて学ぶものです。恥をかくことは大切なのです。
昔から、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」と言います。


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語彙力強化

2009.03.18日

多くの子どもたちを長年指導してきて強く感じることは、語彙力(知っている言葉・使える言葉の数)と知識量・知恵とは正比例するということです。
現在小学1年生のYちゃんは保育園の年長さんの時からキッズクラブの英語クラスに通っています。
送迎バスの中でいろいろと保育園(今は学校)のことや友達・家族のことなど話してくれます。
話の中に、「先週の火曜日、8日(ようか)」などといった言葉がしょっちゅう出てきて驚かされました。
Yちゃんは、年長さんの時、すでに「ついたち、ふつか、みっか、よっか、いつか、むいか、なのか、ようか、ここのか、とおか、はつか」という、小学生でもなかなか覚えられない言葉をしっかりと使い分けできていました。
普通は「よっか」と「ようか」、「ふつか」と「はつか」などの使い分けは難しくて、中には中学生でも「にじゅうにち」という子もいるぐらいです。
Yちゃんはこのほか、今年の成人の日の天気がどのようだった、とかもよく覚えています。


随分前になりますが、塾に通っていた小学6年生で、「梅雨」という言葉を知らず、台風がいつ来るかも知らない生徒がいました。家庭環境もあるのでしょうが、語彙力が著しく不足していて、学校の勉強も大きく遅れていました。
中学生を指導していても、トップレベルの高校に合格する生徒とそうでない生徒の間では、使っている語彙に差があります。


人はだれでも言葉を使って頭の中で考えています。
言葉数が少なければ、思考が乏しくなるのは当然のことです。
これは日本語に限らず、英語の学習においても同様です。
英語ができる生徒は例外なく、たくさんの単語・熟語を知っています。
逆に、英語が苦手という生徒はみんな単語を知りません。というか、新しい単語を覚えようと努力しません。これでは英語ができるようになるわけがありません。
また、地理の得意な生徒は国名や地名をたくさん知っていますし、歴史が得意な生徒は歴史上の出来事や人物名などをよく知っています。これは試験のために暗記しているのとはまったく異なります。
興味の連鎖でどんどん新しいことを覚えていくのです。
これも語彙力と関連しています。語彙の貧しい生徒は知恵も限られてきます。


しかしこれは同時にグッドニュースでもあります。
なぜかというと、語彙力はたとえ何歳からでも、その気にさえなれば増やすことはいくらでも可能だからです。「手遅れ」ということは決してありません。
今年、中1になるT君は、小学4年生の時に電子辞書を買ってもらいました。
お母さんによると、電子辞書が手に入ってから、自分でどんどんいろいろなことを調べ、勉強するようになった、ということです。
T君は幼稚園の年中さんからキッズクラブ英語クラスに来ていましたが、小学4年生で中学終了程度の英検3級にすでに合格し、6年生の時には高校生でも難しいアメリカのテキストを使って英語を勉強していました。
普通の生徒だったら知らないような planet(惑星), Mercury(水星), endangered(絶滅危惧の), predator(捕食動物), passenger(乗客), taste bud(味覚芽) 等などたくさんの言葉をT君は覚えました。英語が得意になるのは当然のことです。
さらにその結果、日本語の語彙も豊富になるため、学校の勉強もとてもよくできます。
ご家族の間で会話を盛んにしてください。
「三寒四温」「桜前線」「田植え」「祭り」「小春日和」など、四季折々の風物詩なども会話の中に取り入れましょう。そこから異常気象、地球温暖化、CO2、エアコンの設定温度...どんどん話が発展していきます。
語彙を豊かにするだけでなく、情緒豊かな子どもに育ちます。


電子辞書は日本語・英語の語彙を増やすのにとても役立つツールです。
国語辞典で引いていた言葉をそのままジャンプ機能で和英辞典として使ったり、あるいは英和辞典で英単語を調べている時に、わからない言葉や漢字をその場で国語辞典や漢字辞典にジャンプできる、というすごいワザがあります。
また今の電子辞書には、辞典だけでなく、百科事典も入っているので、言葉の意味を調べるだけでなく、地名や人名、歴史、生物、化学、物理などいろいろな調べものも簡単にできます。
私の電子辞書使用歴は出始めた当初からすでに10数年に及びますが、本当に重宝しています。
うちでは家族みんながひとり1台持って活用しています。
私は英語関係の辞書がたくさん入っている機種、息子は韓国語も調べたいと言って韓国語の辞書も入っているタイプ、娘は日本語の辞書がたくさん入っているもの、とみんなそれぞれのニーズにあったものを使っています。


電子辞書は1度使い始めるともう手放せません。生活のいろいろな場面でとても役立ちます。
とくに語彙力増強のためにお奨めです。
このたび、塾専用教材出版社の「育伸社」の斡旋で、アカデミーでもカシオの最新型電子辞書をどこよりも安く提供しています。もうすでに4台の注文があり、使った人からは「感動した!」という声が届いています。
ご興味のある方は専用パンフレットが塾にありますので、学院長にご請求ください。


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目標達成の一番の障がいは

2009.03.17日

だれでも、大なり小なり、自分自身の目標のようなものがあります。
目標はできる限り具体的で、現実的であるほうが達成しやすいものです。


一昨日、「たけし×NASA50年!人類は宇宙を目指した 奇跡の挑戦!」というTV番組をやっていました。
その中でケネディ大統領の有名な演説のシーンが何度も放映されました。
「我々は1960年中に人類を月に送り、無事に帰還させる」
ケネディ大統領は、このアポロ計画を発表する前に、人類を月に送り、無事に帰還させることは可能かとか、どうやったらそれができるか、とNASAの専門家達に尋ねて、納得できる答を得てからこの演説をしたわけではありません。
彼は果たしてそれができるかどうか、どうやったらできるのか、まったく知りませんでした。
しかし、それを実行すると断言したのです。
そして1969年7月16日、NASAはその偉業を達成しました。
私もこの人類が月面に降り立つ光景をTV中継で見ていました。今でもその時の興奮を覚えています。


180px-Aldrin_Apollo_11.jpg


宇宙開発でソ連に大きく遅れを取り、それまで失敗続きでまったく信頼のなかったNASAがどのようにしてこのような偉大なことができたのでしょうか。
それはケネディ大統領のひと声があったからです。
ケネディが「そんなことできるわけがない」と思っていたら、あのような演説はできなかったでしょう。
「できる。絶対にやってみせる」と言ってからその方法を考えたのです。
これは正しい目標設定です。
ごく当たり前の、絶対にできることだけを目標にしていたら、目標を達成できた、という喜びも感動も何もないでしょう。それは当たり前の結果が出たに過ぎません。


目標達成の一番の障がいは何か?
それは自分自身です。
自分自身の頭の中です。
どんなことでも、自分の頭の中で「無理だ」と思ったら、その瞬間にそれは不可能になります。


私が英語ができるようになったのも、アメリカに留学できたのも、帰国後大学の講師になったのも、現在このように塾の仕事をしているのも、すべて頭の中にそのような絵を描いていたからです。
能力があったからとか、環境が恵まれていたから、という理由では決してありません。
留学するのにお金がない、と思っていたら留学できませんでした。
留学する、と決めてから、お金のことを考えました。
「このようになりたい」「これができるようになりたい」「これが欲しい」...
最初自分の頭の中にこのような夢を描きます。
そこで、「できない」と考えるのではなく、どのようにしたらそれができるのかを考えるのです。
方法はあとからいくらでも見つかります。
これは勉強でも、仕事でも、どんなことにも当てはまります。


目標達成の一番の障がいは自分自身です。


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頭の中にあることは

2009.03.16日

先日、バスの中で小学生のA君に、
「〇〇君はゲームのことは何でも知ってるね」と言ったところ、
「〇〇の頭の中はゲームのことだけです」
という返事が返ってきました。そこでA君に、
「じゃあ、君の頭の中には何があるの?」と尋ねると、
「勉強のことと家族のことです」という模範的な答えが戻ってきました。
「先生の頭の中には何があると思う?」と聞くと、
「お酒ですか?」
「先生はお酒は飲まないよ」と私は笑って答えました。
「じゃあ、塾のことですか?」とA君。
「そうだね。いつも塾の生徒や先生のこと、仕事のことを考えているよ」と私。
今晩の送迎バスの中でも、K君が、
「ポケモンのことなら何でも知ってる。だれにも負けない」
と友達に言っているのが聞こえてきました。


コンピュータの専門用語で GIGO (ガイゴー) というのがあります。
Garbage in, garbage out の省略形で、garbage (ガーベッジ)とはゴミのこと。
つまり、意味のない変なものをコンピュータに入力すると、意味のないものが出てくる、ということです。
コンピュータに限らず、これは人間にも当てはまります。
頭の中にいつも何が入っているか、ということはとても大切です。
犯罪者というのは、ある日突然犯罪者になるのではなく、いつもそのようなことばかり考えているそうです。だから犯罪を犯すのです。
ノーベル賞を取るような人はみんな、いつも自分の研究のことばかり考えています。
スポーツ選手もそうです。
そうでなければ、あのようなすごい結果を出すことはできません。


聖書に "As a man thinks in his heart, so is he." (箴言23:7)
という言葉があります。
日本語の聖書にはうまく訳されていないのですが、これは、
「人は心に考えるような人になる」というような意味です。
James Allen (ジェームス・アレン)という人は、この聖書の言葉から1冊の本を書きましたが、100年以上にわたってこの本はベストセラーになっています。
日本語でも翻訳されて出ていますので一読をお奨めします。『人は心の中で考えたとおりの人間になる』


「頭の中で考えているとおりの人になる」のであれば、大きく、積極的に考えないと損です。
いいことを考えていると、いいことが次から次へと起こります。
逆に否定的なこと、消極的なことばかり考えていると、それはそのまま実現してしまいます。
コップの中の水が「半分しかない」と思うのと「半分もある」と思うのでは、同じ量の水でもありがたみが全然違う、というのはよく言われることですが、本当にそのとおりです。
あなたが何をどのように考え、どのように行動するかで、あなたの人生は決まります。


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Needy student

2009.03.15日

ちょうど30年前、私はアメリカの Talbot Theological Seminary (タルボット神学校)というところで学んでいました。
Biola University (バイオラ大学)というキリスト教系の大学の大学院で、私はここでキリスト教神学、教育学、心理学、カウンセリングなどを学んでいました。
それまでに California State University Fullerton (カリフォルニア州立大学フラトン校)と University of California Los Angeles (カリフォルニア大学ロサンゼルス校)で3年間学んでいたので、英語には結構自信がありました。
ところが、実際に授業が始まると、これが本当に大変。生まれてからこれほど勉強をしたことがない、というほど一生懸命勉強するのですが、それでも追いつきません。
クラスメートの助けもあって、少しずつ慣れていくことができました。


勉強とは別に大変だったのが、経済的な面。
授業料は高く、勉強が大変なのでそれまでのように通訳や翻訳、日本語教師などのアルバイトもできなくなり、収入が途絶えました。
ある火曜日の朝、カルバリーチャペルという建物の中で、いつものように礼拝が行われていました。


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(カルバリーチャペル)


礼拝が終わると、ひとりの学生が前に出てきて、
「Needy students (困っている学生)のために寄付をしましょう」
と呼びかけました。
そして、献金袋が回ってきました。
私はある意味、生活に困窮していたので、心の中で「自分も needy student なんだけど、きっと自分よりももっと困っている人がいるんだろうな」と思いながら、財布の中から確か5ドル札を出して入れました。
数日後、事務室に呼び出されました。何だろうと思いながら行って名前を告げると、
「学生会からあなたにギフトです」
と言って、封筒をくれました。開けてみると、なんと200ドルほどの小切手が入っていたのです。
「Needy student って自分のことだったの!?」 私は体が震えました。
多分、当時のお金で1000円ほど献金して、40000円ほどいただいたのですから驚いて当然です。


当時、母が重い心臓病を患っていたので私は母を見舞うためにタルボット神学校に休学届けを出して、5年間の留学生活に終止符を打ち、一旦帰国することにしました。
そして父の承諾を得て、神戸にある関西聖書神学校というところに入学したのですが、ここで運命的な妻との出会いがありました。
母は何度か危篤状態に陥り、私はこの学校にも休学届けを出して京都に戻り、母の看病をしながら、父の仕事を手伝うことにしました。この時、寝泊りさせていただいて大変お世話になったのが、先日夢を見た京都聖徒教会です。
翌年、母は長い間の苦しみから解放されて天に召されました。56歳の若さで。
その1年半後、私は妻と結婚し、一緒にアメリカに渡り、タルボット神学校に復学しました。


この時も本当に貧しい生活でした。
住んでいたのは建ってから50年以上も経つ家で、雨が降るとあちらこちらから雨漏りがしました。
人からいただいた中古の冷蔵庫の中には、アリの大群が入って食物にたかっていることが何度もありました。
このような中で長男が誕生しました。
長男の誕生の翌日、家に泥棒に入られ、TVやラジカセなどわずかな貴重品を全部盗まれました。
でも、通っていた教会の方々の助けでなんとか生活を続けることができました。
この時に奨学金を申請する夢を見たのです。
2年間の滞在中、私たちは食費も何もかも切り詰めました。
教会の人たちが、ご厚意でお米や野菜、肉などを家によく届けてくださいました。のちに妻から聞いたのですが、2年間にお米を買ったのはたったの1回だけで、それは教会の人に「お米はまだありますか」、と聞かれ、その時はまだあったので、「まだあります」、と答えてその後なくなったときだけだったそうです。


2年目のクリスマスの時、またしても学校の事務室に呼び出されました。
何か悪いことでもしたのかな、と恐れ恐れ行くと、今度はクリスマスプレゼントが匿名の人から届けられている、と言って手渡されました。
家に帰って妻と一緒に開けてみると、1歳の誕生日を迎える長男と妻と私に3つの心のこもったプレゼントが入っていました。
私たちは大泣きに泣きました。これほど感動したことはありませんでした。


このようにして、needy student だった私は、多くの人たちの祈りと支えで無事タルボット神学校を卒業して、帰国することができました。
このほかにも、多くの人々から数え切れないほどたくさんのご好意をこれまで受けてきました。
ですから私は Pay It Forward (ペイ・フォワード)の映画を観た時、大きく心を動かされ、自分もぜひともこのような運動を日々の生活の中で実践したいと思ったのでした。
私たちはだれひとりとして、自分の力で生きていません。
数え切れないほど多くの人々のお世話になって生きています。
たとえどんなに小さなことでも、その恩返しをほかの人にしてあげる、これがペイ・フォワードの精神です。


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昔を懐かしむ

2009.03.14日

昨夜は大嵐でした。
今日、塾に行くと、教室のひとつの窓が開いていて、床は昨夜の雨で水浸し。
あ〜、また仕事が増えた...。
そして、個別カルテなどを印刷して、通信や成績表と一緒に封筒詰めしていると、卒塾生達が8人やってきました。
そこで、彼女たちに仕事を手伝ってもらい、さらに教室の床の水拭きもしてもらいました。
終わってから見に行くと、完璧な仕事!感動しました。自分だったらあそこまできれいにはできなかった。本当にありがとう!
みんなにお礼にジュースをおごりました。


封筒詰めが終わって、平塚郵便局に投函に行きました。
終わるともう夜の個別の生徒の送迎の時間です。そのまま直行しました。
そして7時から個別。
小学4年生のT君はすでに英検準2級に合格。夜の中学部の個別に通い、今は英検2級(高校卒業程度)の勉強と、中学の数学の勉強に励んでいます。
先週やったところをコピーして宿題に出しておいたところ、家でしっかりやってきていて全問正解。
今日は、続きの長文読解をやりましたが、1問をわずか2分ぐらいで終え、答え合わせと解説をするとほとんどができていて、驚かされました。
1センテンスずつ読んで翻訳してもらい、単語や熟語で知らないものや文法を教え、ノートを取らせます。しばらく時間をおいて質問すると全部覚えているのです。
彼は将来、外科医になって手術をしたい、と言っていますが、きっとその夢はかなうだろうと思います。
God hand (神の手)を持つ外科医になることでしょう。


個別が終わって生徒を送迎バスで送るとき、先日のコンサートで買ったバロックの新しいCDをかけました。
バッハのチェンバロ協奏曲集です。


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これはほかの演奏者のCDを持っていて、今までにも何度も聴いているのですが、やはり指揮者とオーケストラが異なるとすっかり違う持ち味になります。
このCDは、今風に言うと「やばい」です。しびれます。脳内快感物質のエンドルフィンがドバーッと出てくる感じです。


このバッハのチェンバロ協奏曲は私の大好きな曲です。
ちょうど私が大学生のときLove Story (邦題『ある愛の詩』)が大ヒットしました。


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私もこの映画を何度も観に行ってその都度泣かされたのですが、主人公の音楽専攻のジェニー(アリ・マッグロー)が映画の中で演奏する曲がこのバッハのチェンバロ協奏曲です。
私はこの映画を観たときから、この曲の大ファンになりました。以来ずっと、バッハは波長が合うのかどの曲も好きです。
ですから、この曲を聴くと、『ある愛の詩』を思い出し、胸がキュンとなります。
白血病で余命わずかのジェニーが恋人オリバー(ライアン・オニール)に言う台詞、「愛とは決して後悔しないこと」 (Love means never having to say you're sorry.) は私に大きなインパクトを与えました。


原作の著者エリック・シーガルは、主人公のオリバーと同じハーバード大学出身。のちにハーバード大学やイェール大学の教授となるのですが、その時自分の学生の悲恋物語を聞いてこの小説を書いたと言われています。1970年代、アメリカではこの小説が記録的な大ベストセラーとなり、映画も世界中で大ヒットしました。


この映画および原作の Love Story は成人英会話クラスでも教材に使ったことがあり、何か月もかけて原作を読みながら、ビデオの1つひとつのシーンから英語の会話を学びました。私自身もアメリカ留学の経験があるので、この物語はとても身近に感じます。


成人英会話クラスでは、この映画のほか、その続編の Oliver's Story 『続ある愛の詩』も使用しました。
そのほか、ET, Back to the Future, Back to the Future2, Home Alone などもビデオとスクリーンプレイを使って学びました。
懐かしい思い出です。
英会話クラスに通ってくださっている方々は、もうすでに24年のお付き合い。アカデミー学院を始める前から来てくださっています。
今は、ロバート・リードの Finding Japan という本を使って、日本の歴史や文化を学んでいます。
著者は日本に30年以上在住するまさに日本通で、私たち以上に日本のことをよく知っていて、毎回外国人から日本のことを教えられています。


今日は、バッハの曲を聴きながら、昔を懐かしく思い出していました。


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パイクシンドローム

2009.03.13日

「パイクシンドローム」   聞きなれないことばですよね。
パイクというのは魚のカマスの一種で、小魚やカエルなどの両生類や時にはカモの子なども襲う肉食魚です。
口先がとがっていて、大きな口に鋭い歯が並んでいて、いかにも獰猛な顔つきをしています。


220px-Giant_barracuda.jpg
(ウィキペディアから)


科学者達がある実験をしました。
水槽の中にカマスと小魚を一緒に入れておきました。するとカマスは小魚を襲って食べました。
そこで、水槽の中に透明なガラス板の仕切りを入れました。
すると、カマスは小魚を襲おうとして突進していきますが、ガラス板に頭というか口先を思いっきりぶっつけます。カマスはもちろん生き物ですから、「痛い!」という感覚があります。
カマスは透明なガラス板など理解できるわけありません。ですから何度も何度も小魚を襲おうとしますが、その都度ガラス板にゴッツンとぶつかります。
これを繰り返しているうちに、カマスはやがて小魚を襲うのをあきらめてしまいます。
そこで科学者はガラス板を取り除きました。
科学者の予想は当たっていました。カマスは小魚を襲うことを忘れてしまったのか、恐れてしまったのか、目の前をゆっくりと小魚が泳いでも、時にカマスの口に触れても、カマスは小魚を食べようとしません。
カマスは水槽の底に沈んだまま、やがて餓死してしまったそうです。
これを英語で「パイクシンドローム」と呼ぶのです。


実はこれと同じことが子育てにおいても日常茶飯事に行われています。
この人は鬼じゃないか、と思うような母親を町で時々見かけます。
小さな子どもを平手打ちしたり、泣いている子どもに大声で怒鳴り散らして、叱り飛ばしています。
子どもに伝わるメッセージは、
「お前はバカだ。可愛くない。何をやってもだめだ。私はお前を愛していない」
です。
私はこのような光景を見ていて、人事ながらつい口出ししたくなります。
「お母さん、だめですよ。お子さんが可哀想じゃないですか。そんなに大声で怒鳴るようなことじゃないですよ。お子さんをもっと可愛がってあげてください」と。
でも、お母さんの顔を見ていたら怖くなって、一言も言えなくなります。
こっちにとばっちりがきそうで。


このようにして育てられた子どもはどのような人物になるでしょうか?
セルフイメージが低い、ひねくれた、人の愛情を知らない、攻撃的な人物になるのは想像に難くありません。
先ほどのカマスと同じです。自分はだめだ、と信じ込むようになってしまうのです。
非行に走る子どもや暴力的な子ども、反社会的な子どもは、このような家庭環境で育っているケースが多いそうです。


親の責任、大です。
子どもはみんな、無限の可能性をもって生まれてきています。
その可能性を伸ばしてあげるのが親の務めではありませんか。
では、どのように子どもに接したらいいのでしょうか?
「あなたには価値がある。ただあなたが存在するというだけで価値がある。
〇〇ができるからとか、可愛いからとかではなく、条件一切なしで私はあなたを愛している。
あなたには無限の可能性がある。私はできることはどんなことでもして、あなたの可能性を伸ばしてあげたい」
というメッセージを、日常の生活のいろいろな場面で伝えるのです。言葉でも行動でも。
そして同時に、子どもに「責任」ということを教えます。
自分の言うこと、することに責任を持つことの大切さを、生活の中で教えるのです。
すると、子どもは愛されているという安心感からのびのびと育ちます。
しかし同時に、何でも好きなことをしてよい、ということではなく、責任ある行動が取れるようになります。
社会生活を営んでいくうえで何よりも大切なことは、自分が愛され、必要とされている、と感じることと、責任ある行動が取れることです。


お父さん、お母さん。子どもは真っ白です。どのようにでも育ちます。
どのように育てるかは親の責任です。


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何事にもルールがある

2009.03.12日

勉強にも、スポーツにも、芸術にも、政治にも、人間関係にも、子育てにも、仕事にも、...すべてのことにルールがあります。
その道で成功する人は、みんなこのルールを発見した人、あるいは身につけた人、実践した人です。
自分でルールを発見するのはなかなか大変です。ですから、先生やコーチや上司や先輩など、教えてくれる人がいて、またさまざまなことを教えてくれる本があるのです。
オリンピックで金メダルを取る人に共通しているのは、コーチの言うことを素直に聞く人だ、と前にブログに書きました。


このルールを知らないで、我流でただがむしゃらにやっても、無駄なエネルギーと時間とお金を使うだけで、望むような結果を得ることはできません。
たとえば、英語を学ぶとき、スペリングと発音のルールや文法のルールがあります。
英語が苦手な人は例外なくこれらのルールを無視しています。教えてもらっても、初めから自分にはわからない、と決めつけて、理解しようとしません。
逆に英語ができる人はみんな、これらのルールをきちんと理解し、身につけています。
ルールは物事を簡単に身につけるためのもので、少々難しく思われても、1つひとつをしっかりと覚えるのが結局は早道です。先生やコーチ、先輩や本が教えることは、できる限り簡単に身につけられるよういろいろと工夫されています。


ルールは面倒だとか、しばられて不自由だ、と言う人がいます。
でもルールどおりに従うことが結局のところ自由なのです。
たとえば、電車がレールの上を走るのはめんどくさいとか、不自由だ、と言ってレールから離れると脱線してしまいます。電車はレールの上を走っているのが一番自由なのです。
私たちの日々の生活も同じです。交通のルールを破ると事故を起こしてしまいます。
人間関係のルールも同じで、自己中心で自分の思いどおりに人を動かそうとすると、関係は壊れてしまいます。


ルールは難しいことではありません。むしろ、単純で、だれでもできることばかりです。
だれにもできないようなことなら、ルールにはなりません。


勉強のルールは、新しいことを学んだら、それが定着するまで何度も繰り返すことです。
そのために、宿題やテストがあるのです。
宿題やテストがなければ、みんな勉強しません。そして身につきません。
ですから、宿題もテストもいやなものだ、というふうに考えるのではなく、自分が学んだことを身につけ、成長し、将来それを役立てるものにできるよう、愛情をもって与えられているのだ、と思えばそれほど嫌なものでなくなります。


何事にも「基本」といわれるルールがあります。そのルールに従いましょう。
ルールはあなたを幸せにするものです。


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満天の星

2009.03.11日

今日も1日の仕事が終わって、バス送迎から塾に戻り、歩いて家に帰る途中、ふと空を見上げると、満天の星、とまではいきませんが、たくさんの星が夜空にまたたいていました。これほどたくさんの星を見たのは本当に久し振りです。


思い出すのは、今からちょうど30年前のこと。アメリカの大学院で同じクラスになった Jim と親しくなり、よく一緒に勉強したり、プールで泳いだり、食事をしたり、家に泊めてもらったり、一緒に旅行に行ったりしました。
Jim と奥さんの Ann に誘われて、砂漠のど真ん中にある Joshua Tree National Park というところにキャンプに行きました。ちょうど西部劇に出てくるような感じのところです。
その夜、キャンプファイアーが終わって、寝袋の中に入り空を見上げると、それこそまさに宝石箱をひっくり返したような星が空一面に広がっていました。手を伸ばすとつかめそうな感じです。
いわゆる天の川です。砂漠の中なので光は一切なく、空は真っ黒。だから星がよく見えたのですが、あまりの美しさに絶句しました。
私は目が悪く、めがねをかけていて寝るときにははずすのですが、このときばかりはめがねをはずすのがもったいなくて、空の星を見つめながらめがねをかけたまま眠ってしまいました。
翌朝、日が昇り始めると同時にじりじりと焼けつくような暑さに目覚め、朝食をとると、高さ20メートルほどある大きな岩山を Jim に教えてもらいながら初めてロッククライミングしました。正直、死ぬのではないか、と思うほど怖かったのですが、なんとか頂上までたどりつくことができました。
ところが、いざ頂上に立ってみると、地面がはるか下に見えて、もうひざががくがく。
行きはよいよい帰りが怖い、とはまさにこのことで、降りるのは登ること以上に勇気がいりました。
Jim に降り方を教えてもらったのですが、ロープを両手に持って、足で岩肌を蹴りながら、手のロープを少しずつ緩めて下に降りていく、というのです。そんなこと不可能。ヘリコプターを呼んで、上からロープで救出して欲しいと、本気で思いました。
しかし、もちろんそんなことはできるわけもなく、仕方なく勇気を出して思い切ってやってみると、予想外にうまくいき、無事地上まで降りることができました。


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さて、昨日長男、直人のブログを見ていたら面白いことが書いてありました。
その一部を以下に引用します。
「科学者は、仮説(もし仮にAが・・・だとすると、Bは・・・だろう、
という考え方)に基づいて、いろいろ計算して、
▼宇宙ができたのは、
だいたい100〜150億年前だろう、と予想している。
(この予想もちょくちょく変わるけどね)
▼そして、これまでの宇宙観測に基づくと、
・銀河(Galaxy)は、宇宙に1000億以上あると推測され、
・ひとつの銀河には、小さい銀河で1000万から、
 大きい銀河では1兆もの星がある。
(太陽系を含む銀河系には4000億ほどの星があるようだ)
(これは観測されている事実に基づいているから、
 実際の数より少ないことはあっても、多すぎる
 ことはないはずだと、素人ながら思う。)
■ここで、とてもおもしろい計算式がなりたつ。
もしも上記を元にすると、宇宙にある星の数はざっと、
銀河の数(≒1000億) × 銀河にある星の数(≒1000億)
で10の22乗(100垓 [がい] )となり、
もしこれらの星が、宇宙の存在の中でできたなら、
宇宙の年数(≒100億年)で割って平均を出すと、
100垓(個)÷100億(年)=1兆(個/年)
つまり、平均すると、ざっと1年間に1兆の星ができている
ってことになる。
つまり、1日に約27億の星が誕生していて、
1秒間に約32000個の星が発生していることになる。
いやいや、星って、普通に考えて、
1秒で3万2000個も増えないでしょ。笑
■じゃあ、宇宙の年数がもっと長ければいいのか。
もっとそれっぽい数字が算出できるのか。
というと、そこにはまた他の矛盾も生じるわけで。
つまり、
「ビッグ・バンで100億年以上前に宇宙ができて、
長い年月をかけて宇宙のチリが集まって、
そこからだんだん星ができていきましたよ〜」
っていう説は、俺にとってはあまりにも信じがたい!!」


ちょっと専門的になって難しかったかもしれませんが、息子の結論は、
「■つまり、この宇宙の存在を見るだけでも、
創造者がいる
というのは明らかだと思うんだよね。」


聖書には次のように書かれています。
「主のことばによって、天は造られた。
天の万象もすべて、御口のいぶきによって」 (詩篇33:6)
同志社大学の創立者で、福沢諭吉と並んで明治時代を代表する教育者と呼ばれた新島襄は、
「はじめに神は天と地とを創造された」(創世記1:1)の言葉に衝撃を受けて、クリスチャンになったと言われています。


私も今晩の美しい星空を見て、天地宇宙をお造りになられた創造主は確かに存在するな、と実感しました。実際、創造主の存在を考えずに、すべてが偶然の結果生まれたものだとすると、私たちの存在すら意味のないものになり、生きる価値もなくなってしまいます。


去る1月のひと月に2645人もの自殺者があったと先日報道されていました。
空の星を見上げてください。私たちの周りの植物や生き物を見てください。何ひとつ、無目的に存在するものはありません。
あなたの命は、何ものにも代えがたい尊いものです。命を大切にしましょう。
あなたの人生には意味があります。


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潜在意識の力

2009.03.10日

昨日、送迎バスの中で助手席に座った小学4年生のMちゃんが、よく見る夢の話をしてくれました。
ブランコに乗っていたらだんだん大きく揺れて、そのうちに止まらなくなって落っこちる怖い夢を何度も見るそうです。
私は、最近はあまり見なくなりましたが、以前は空中を泳ぐようにして飛んでいる夢をよく見ていました。それがとてもリアルで、目が覚めてからも現実と区別がつかないほどだった、とMちゃんに話しました。
潜在意識の中で考えていることが夢になって現れる、と言われています。


果たして、今日の明け方、とても感動的な夢を見ました。目が覚めてからもしばらくその余韻に浸っていました。そうしたら眠れなくなって、まだ早い時間でしたが、起きて着替え、またいつものコースでラブを散歩に連れていくことにしました。
もう20年以上も成人英会話クラスに来てくださっている方が、犬を飼うと健康になる、と以前言っておられましたが、本当にそのとおりです。犬を散歩に連れて行っているつもりが、実は犬に散歩に連れてもらっていて、その結果健康になる、ということです。
私のブログも最近は読んでくださっている方がずいぶん増えてきているようで、あちらこちらからいろいろなコメントをいただくようになってきました。
つい先日は、私のブログを読んで子どもの入塾を決めた、という方が手続きにいらっしゃいました。
まだお子さんのいらっしゃらない方が、ブログを読んでいて、もし自分に子どもがいたら、ぜひともアカデミーに入塾させたいと思う、と言ってきてくださいました。
いつもは辛口のアメリカ留学中の長男も、今朝メールを送ってきて、「ブログすごくいいね!!読んでて感動してるよ。自分の父親とは信じがたいほどだ!(笑) 」と書いてきました。
同じく今朝届いた小島君からのメールには、「ブログは毎日楽しみに拝見しています。いろいろなことを教わります。そうそう、"Pay It Forward"、生徒たちに見せましたよ!」
と書いてあり、とても嬉しく思いました。
実は、先ほどの「犬を飼うと健康になる」と同じ理屈で、私自身このブログを書くようになって、自分が一番感動し、祝福を受けています。


日曜日にコンサートに行った時、お世話してくださった小島君の結婚10周年がちょうどその前日の7日だったということを彼のブログで知り、お祝いしました。
実は私たちも今月22日に結婚27周年を迎えます。
そのようなこともあって、潜在意識の中に結婚記念日のことがあったのでしょう。今朝、感動した夢とは何かと言うと...


27年前に結婚式を司式してくださった京都聖徒教会の船田牧師夫妻を夢の中で訪ねていたのです。
ご夫妻はずいぶん歳を取っておられて、最初私のことが分からなかったのですが、お話ししているうちに思い出してくださり、とても喜んでくださいました。
私は、先生方のご期待の道に進むことができなくて、本当に申し訳ありませんでした、と涙ながらに牧師夫妻に謝りました。実際のところ、ずっとこのことが気がかりで、これまでにも何度もこの教会を訪れる夢を見ています。
泣いて謝っているところで目が覚めたのですが、実はこの後目が冴えて眠れなくなったのは、この結婚式のときに来てくださった西村隆宏先生のことを思い出したからです。


西村先生は私が小学校4年生のときに教育実習に来てくださった方で、わずか3週間ほどの短い期間でしたが、私はこの先生の大ファンになりました。
私の今日の教育者としての礎を築いてくださった方と言っても過言ではありません。
春の教育実習が終わったその夏、習ったばかりのローマ字で夏休みの様子を書いて西村先生に手紙を送りました。すると、西村先生からすぐにローマ字で返事が返ってました。飛び上がるほど喜んだのをまるで昨日のことのようにはっきりと覚えています。
それ以来、なんと48年間も西村先生と文通が続いているのです。


そして今からちょうど5年前、京都の向日市に一人住まいしていたと電話で話していたところ、どうも様子が変で、訪ねることにしました。
父の住所をネットの地図で調べると、たまたま同じ町に住んでおられた西村先生の家とほんの500メートルほどしか離れていないではありませんか。
これは何かの縁だと思い、私は西村先生にお電話して、事情を話し、父を連れて先生の家も訪問することにしました。
20年ぶりにお会いした西村先生は、もうすでに小学校教師を定年退職して、ずいぶんお年を召しておられ驚きました。
古いアルバムの中から、教育実習のときの写真を何枚か見せてくださいましたが、その中に私が写っているものも何枚かありました。この時の先生はまだ23歳の若きハンサムな青年。


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私がアメリカ留学中にお送りした手紙も見せてくださいました。大事に取っておいてくださったのだ、と思うと涙が出てきました。
西村先生は、長い教師人生の中で私ほど印象に残っている子はいない、教師冥利に尽きる、と言ってくださいました。
50年近く前の、しかもたった3週間の実習期間だけの出会いとその時の感動が今日まで続いている。これだけでも奇跡と言えるではありませんか。潜在意識がふたりを引き寄せているのです。
西村先生ご夫妻は、ご自分たちのご両親3人の面倒を見ておられたのですが、ついに昨年最後のお一人を看取られました。ご訪問したとき、ニコニコして話しかけてくださったあの優しいおばあちゃま。思い出して胸が詰まりました。
西村先生ご夫妻、本当に長い間、3人のお年寄りのお世話、ご苦労さまでした。


西村先生は、一小学校教師として、はた目には平凡な人生を送ってこられたかもしれません。しかし、私の人生においてこれほど大きな影響を与えてくださった方はありません。
西村先生、私の今日あるのは先生のお陰です。本当にありがとうございました。


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バロック (続き)

2009.03.09日

昨日のバロックのコンサートの感動、興奮がまだ冷めません。それほど大きなインパクトがありました。
たった1時間半ほどのコンサートで9,500円というのは実際高いです。ものすごい贅沢な趣味だと思います。
でも、クラシックファン(バロックファン)が昨日のコンサートに大勢詰めかけて、大きな会場はほぼ満席でした。やはり、それだけの価値がある、と考える人がたくさんいるということです。


会場で買い求めたコープマンのCDを早速、今日バスの送迎の時にかけました。
大好きなテレマンの曲ですが、これは今までに聴いたことのないものばかりで、とても新鮮でした。
ただ曲を聴くだけなら、CDのほうが断然安いし、しかも何度も繰り返し聴けます。
これに対してコンサートは1回だけ。しかもCDの何倍もの料金がかかります。
生のコンサートの魅力は何でしょうか?


ひとつは、目の前で実際に演奏されるのが見られること。TVでも見られますが、やはり目の前で実際に演奏されているのを見るのとTVで見るのとでは違います。
次に、空気が違います。ただ曲を聴くのではなく、楽器から奏でられる音楽が空気を伝わって響いてくるのです。これは大きいです。とくにチェロやコントラバスの音などずしんとお腹に来ます。また、弦がこすれる音など、微妙な音も聞こえます。
曲と曲の間の拍手もいいです。クラシックコンサートでは、曲が終わるたびに、指揮者は何度も何度も舞台の袖に消えてはまた登場し、その間ずっと拍手が鳴りやみません。口笛を吹く人や、大声で「ブラボー」と叫ぶ人、この雰囲気もいいです。
曲を演奏し始める前の音合わせの響きもいいです。
そして、演奏が終わってからのアンコールもいいですね。初めからアンコールで演奏する曲目は決まっているのでしょうが、拍手がいつまでたっても鳴りやまず、指揮者が頭を振りながら「まったく、仕方ないなぁ」、という振りをしながら、さっと次のアンコールの曲が演奏されます。観客は何か得をした気分になるものです。
すべての演奏が終わったときの満足感、これもいいですね。
これらはCDやTVでは味わえません。


昨日、生の演奏を見ていて感じたことは、ほとんど音が聞こえないような脇役の楽器も、すべてが一緒になってひとつの曲を作り上げている、ということ。どれかひとつでも欠けたら、やはり曲になりません。
指揮者のコープマンは、チェンバロの奏者ですが、両手が開いているときは自分の手を使って指揮をし、自分が演奏しているときは頭を振ったり、目を使って指揮をしていました。これもすごいと思いました。
1つひとつの楽器はそれぞれ自分のパートを果たしているだけですが、それらがみんな集まると、完璧な曲になる。これがオーケストラの醍醐味でしょうか。


私たちの社会もこれに似ていて、国、都市、地域、会社、学校、等など、どの組織もみんな多くの人々から成り立っています。家庭もそうです。
そして一人ひとりがそれぞれ自分の分を果たして、1つのものを作り上げている。
つまり、誰一人として不必要な人というのはいない。誰一人欠けても完璧ではないのです。
だから、いじめや、憎しみ合いや、けんか、戦争などは間違っているのです。
みんな、お互いに相手を必要としています。そのことを私たちはもっと自覚すべきです。
そうすれば、私たちの社会も家庭も、もっと住みやすい、平和な場所になることでしょう。


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心身の休息とエネルギー充電

2009.03.08日

今日は久し振り、何か月ぶりかの休日でした。
ここしばらく本当に毎日、朝から晩まで働きづめでした。
それで、今日は1日ゆったりと過ごしました。
夕方5時には、娘とのデートで茅ヶ崎市民文化会館に行きました。
長い間楽しみにしていたトン・コープトン指揮、アムステルダム バロック管弦楽団のコンサートです。


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会場に着くと、中央大学時代の教え子(と言ってももう40代半ば)の小島君が出迎えてくれました。彼は現在藤沢市内の県立高校英語教師で、茅ヶ崎楽友会理事を務めています。
教師の仕事をこなしながら、趣味の音楽でもこのような大役を果たしていて本当に立派です。


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ひげを生やしていて貫禄十分で、どちらが教え子だかわかりません。(いや、やっぱりわかりますよネ)
彼は1か月ほど前に、アカデミーのホームページに中大時代の思い出を投稿してくれましたが、都合で削除しましたので、彼の許可を得てここに再びそのまま引用させていただきます。


「舟田先生との出会いに感謝!
私は1983年に中央大学文学部文学科英米文学専攻に入学しました。初めから英語教員になることを目指していた私ではありますが、入学後しばらくして、いったいどの程度英米文学作品に関心があるというのだろうか、また、英語をどこまで深く学ぼうと考えているのだろうか、というような疑問ばかりが、心の中を大きく占めるようになりました。
しかし、私が3年次に出会った舟田譲二先生の授業、「英語表現研究」は、それまでの授業とはまったく異なるタイプのもので、私の興味・関心を大いに高めました。先生はビデオや音声を活用し、アメリカでの様々な生活場面で用いられる会話表現を中心に扱われました。それまで一度も海外経験がなかった私は、先生の授業で初めて"detergent"(洗剤)という語を知ったことを今でもよく憶えています。
授業は新鮮そのもので、次はどんなことを学べるのだろうかという期待感で、私は毎回の授業を心待ちにしていました。それまでの自分とは打って変わって、真剣に、そして積極的に授業に参加するようになりました。先生のお人柄も話術も実に魅力的でした。
先生は、学期末には学生に「自己評価」をさせていましたが、これも当時の日本の大学の授業においては、かなり先進的な取り組みだったと思います。
先生は授業において、実践的な英語コミュニケーション能力のみならず、「異文化への理解」が大切であることも教えてくださいました。それは、今日私が実践している英語教育における重要な柱ともなっています。母語として英語を話す人々と、日本人のものの考え方の違いについて、テキストでのさまざまな場面、あるいは読書課題等を通じ、常に意識して理解するよう努めることを、私は授業の中で学びました。
舟田先生のすばらしいご指導ぶりには足元にも及びませんが、先生との出会いに心から感謝し、毎日のブログからさらに多くの教えを心に刻みつつ、学校現場で充実した毎日を過ごしております」


本当に身に余る言葉で、私のほうが恐縮してしまいます。
中央大学で教えていたのはまだ30代の時で、働き盛りでした。
この頃の教え子が今も毎年何人か年賀状をくれ、付き合いが続いていることをとても嬉しく思っています。
小島君の学校も一度訪問して、彼の英語教師としての熱心な仕事ぶりをぜひとも見させてもらいたいと思っています。


コンサートの曲目は、ヘンデルの「水上の音楽」とバッハの「管弦楽組曲」でした。
アンコールで演奏された1曲を除いて、今日演奏された曲は、ここ2か月あまり毎日、繰り返し繰り返し、何十回、何百回と送迎バスの中でかけていたものです(いやしのバロック)
この会場の中で、これらの曲を一番たくさん聴いているのはきっと自分だろうな、と思いました。
あまりにも全曲、馴染み深いものだったので、思わず体が音楽に合わせて揺れてしまいました。
いつもバスの送迎中には、音楽に合わせて下手な口笛を吹いています。
しかし、おもしろいことに、指揮者が違うとまるで違う曲のように聞こえます。
私はすっかり今日のトン・コープマンのファンになってしまいました。
そして会場で、コープマンのCDを4枚買ってきました。これからまた毎日、送迎バスの中で聴けるのが楽しみです。
クラシック、とくにバロックは本当にいいです。頭にも、心にも、体にも。
皆さんにもお奨めです。


ということで、今日は1日心身の休息とエネルギー充電の日でした。
小島君も毎日、私のブログを読んでくれている、ということでしたので、ここでお礼を述べさせていただきます。素敵な機会を本当にありがとうございました。


そうそう、今日、教え子の江南生Nさんが現役で首都大学建築家に合格した、と連絡してきてくれました。Nさんからのメールには次のように書いてありました。
「英語が得意科目で、受験で有利だったんですが、ほんと学院長のおかげです。英語の基礎、アカデミーで習って良かったです。本当に!本当の本当に!」
そういえば、Nさんは中学に進学したとき、英語が一番苦手で、「なんでみんな英語ができるの?」といつも聞いていたのですが、中3の時には英語がものすごく伸びて、本人もびっくりしていました。
Nさん、おめでとう! 立派な建築士になってください。


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ないものねだり

2009.03.07日

送迎バスの中でよく耳にする生徒たちの会話です。
「あ〜、お兄ちゃんが欲しかったなぁ...」
「うちのお兄ちゃんあげるよ。代わりに弟ちょうだい」
こういうのをないものねだりと言います。
一般的に言うと、弟や妹がいる人は兄や姉を欲しがり、逆に兄や姉がいる人は弟、妹を欲しがる傾向があります。


しかし、ないものねだりをするのは子どもたちだけではありません。親も同じです。
「お兄ちゃんが〇〇ちゃんのようにもうちょっとしっかりしていたら...」
「お隣の誰それさんのところは姉妹そろって美人だね。それに比べて...」
「数学ができるんだから、もうちょっと英語も頑張って」


会社や学校でも同様です。
「あいつは本当によくできる。それに比べて俺は...」
「あの人はとても社交的で、誰とでも気さくにしゃべれる。でも私は...」
「あの会社の社員はみんな愛想がいいし、仕事もできる。それなのにうちの社員ときたら...」


昔から「隣の家の芝生は青い」(青く見える)と言います。
よその家のもの、ほかの人のことはとかくよく見えるものです。
しかし、ないものはない。仕方ないことです。ないものを欲しがるから不幸が起こるのです。


私は身長が低いので、背の高い人を見るとうらやましく思います。
また喉が弱く、すぐに声が出なくなります。ですから、いい声をしている人、歌のうまい人がうらやましいです。
身体もそんなに強くありません。だから、健康な人、頑健な人がうらやましいです。
ああ、もっと背が高ければなぁ、歌がうまければなぁ、スポーツができたらなぁ...。
でも、もし自分が背が高くて、声がよくて歌がうまかったら、そして健康でスポーツができたら、と考えると、きっと高慢になってほかの人を見下すようになるのではないか、と思います。
結局、自分は自分。人は人。みんなそれぞれ、いいものを持っている。それでいいではありませんか。


そもそも、他人と自分を、あるいは自分の家族と、あるいは持ち物と、...比べること自体意味のないことです。
人と比べて、自分のほうが優れていると思うと、高慢になるし、自分のほうが劣っていると思うと、劣等感を感じるし、どっちに転んでもいいことはひとつもありません。
人はみんなそれぞれ顔も違えば、背の高さも、性格も、能力も、生まれついた環境も、すべてが異なります。当たり前のことです。それを否定したところで、何ひとつ変わることはありません。
ならば、ありのままの現実を受け入れるよりほかありません。
そして、それが私たちにとって一番幸せなことなのです。
ないものねだりは不幸のもとです。
自分が、自分の家族が、自分の学校や会社が、持っているものを感謝しましょう。
そして、ほかの人の持っているものをそのまま認め、受け入れ、それも感謝しましょう。
たったこれだけで、争い、浮気、ねたみ、分裂、だまし合い、盗み、殺人、戦争等など、世の中のほとんどの問題や犯罪などがぐんと減ることでしょう。
自分が自分であることを感謝しましょう。それだけで幸せになれます。


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同窓会?

2009.03.06日

昨夜、送迎が終って塾に戻ると、3年前に卒塾した生徒3人が来ていました。
Aさん、Kさん、Sさん。3人とも今年高校を卒業し、それぞれ大学に、専門学校に進学する、ということで教え子達の成長振りを見て目を細めました。
そして、やはり卒塾生で今年大学に進学する二宮君と浅尾君が今日、個別部の講師としてデビューしました。ふたりとも、中学時代は集団で、高校の時には個別に通い、アカデミーのことは隅から隅まで知り尽くしています。その上、ふたりともとても優秀なので、安心して任せられました。
ということで、3人の卒塾した女子と2人の男子で、あたかも同窓会をしているように見えました。
みんな久しぶりの再会で懐かしそうでした。


そして今日は、学校が終って、今年卒塾した現中3生が昼から続々とやって来ました。雨の中、ずくずくに濡れて遠いところを歩いて来てくれました。
最初に、Hさん、Iさん、Mさん、Sさん、Yさんが。しばらくしてAさん、Wさんが。みんなでわいわいとおしゃべりしたり、お菓子を食べたり、ホワイトボードに落書きしたり、写真を撮ったり、チラシのための文章を書いてくれたりして、その後みんな向かいのマックに行きました。


しばらくすると、今度はKさん、Sさん、Nさん、Tさん、S2さんが。そして彼女たちが帰った後、今度はI2さん、Mさんが。またまた、まるで同窓会のよう。
みんな、塾備え付けのノートに好きなことを書いていきました。いわば、生徒の意見交換、生徒と先生達の交流の場のようなノートです。いろいろな色で次のようなことが落書きされていました。
「ただいまアカデミー」
「やっぱり、アカデミーは最高すぎます〜!!! また帰ってくるネ」
「大好きです」
「祝勝会 早く行きたいな」
「ACADEMY大スッキー」
「あかでみー アカデミックな塾ですね」
「先生達 元気ー?」
「みんな元気だよ」
「ひさびさアカデミー やっぱさいこー!!」
「またただいまするネ」


読んでいて思わずにっこりしてしまいます。
アカデミーのいいところは、みんながまるで大きなファミリーのようなところ。
先生達はお兄さんのよう。すると、私はお父さん?
そういえば、去年英検2級の2次面接対策をして欲しい、と言って個別にしばらくきた高3のTさん。久しぶりに会って、
「学院長、全然変わってない! 最初、小学校のときにアカデミーに来たときのままだよ」
「何言ってんだよ。20年前、30年前からの知り合いの人が、みんな先生のこと全然変わってない、って言うんだよ」
そうです。私の若さの秘訣は生徒のエネルギーです。
毎日生徒たちと接していて、本当に気持ちは歳取らないです。
とくに塾の仕事をしていてありがたいと思うのは、毎年毎年、新しい生徒が入ってきて、中学3年生になると卒塾していき、いつまでたっても接しているのはいつも同じ年齢層の小中学生と高校生。
そして講師の先生達もそのほとんどが大学生と大学院生(一部、うーんと年上の人たちもいますが)。
若い先生達とも毎日接していて、自分もそのうちのひとりのような錯覚をしてしまいます。
だから歳を取らないのです。


昨日、今日と、卒塾した生徒たちが大勢元気な顔を見せてくれて、本当にハッピーでした。
わが子のような生徒を見るといつも自然と顔がゆるんでしまいます。
このようなことを言うこと自体が歳取った証拠!?


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新中1、第1回目の授業

2009.03.04日

今日は新中1の第1回目の英語・数学の授業でした。
今年の新中1はスタートから20名。みんなリラックスしていて、なかなかいい雰囲気です。
今日のブログには英語の授業を紙上に再現します。授業の雰囲気を味わってください。


先生の自己紹介をします。
みんな先生のことを学院長と呼んでいて、中に先生の名前を「学院長」だと思っている人がいますが、名前は舟田譲二(ふなだじょうじ)です。
随分昔、先生のことを「学級委員長」と呼んだ中学1年生がいましたが、ちょっと発音がなまっています。
先生は横浜の磯子で生まれました。周りにはアメリカ人ばかりが住んでいました。お父さんがアメリカ軍の基地で働いていたからです。先生のお父さんは英語がペラペラで、先生に英語ができるようになってほしいと願って、アメリカでも通じるジョージという名前をつけてくれました。
そのおかげで、幼稚園の頃には、大きくなったら絶対に英語がペラペラ話せるようになりたいと思うようになり、その頃描いていた絵にはいつも「ABC」とか英語が書いてありました。


じゃあ、今からみんなのたこ紹介をお願いします。
「えっ、たこ紹介?なに、それ?」 (生徒。以下略)
そう、いかじゃなくて、たこ。じゃなくて、自己紹介じゃなく、他己紹介。隣に座っている友達のことを簡単に紹介してください。
(ここで一人ひとりの他己紹介)


ところで、アメリカの大統領はだれ?
「オバマ」
そう。じゃあ、去年オバマと大統領選を争った女性候補の名前は?
「ヒラリー・クリントン」
おう、みんなよく知ってるね。このヒラリー・クリントンの夫はだれだったか知ってる?
「クリントン大統領」
そう、そのとおり。今から10数年前、このクリントン大統領が日米首脳会談のために日本にやってきたんだ。
その時の日本の首相が英語ができなくて、クリントン大統領に会う前に英語の猛特訓をした。
初めて会ったらなんて言う?
「ハロー」
そう、それから「ご機嫌いかがですか?ってなんて言うの?
「ハウ・アー・ユー?」
そのとおり。そこで首相は何度も何度も練習した。
ハウ・アー・ユー?そしたらクリントンがアイム・ファイン・サンキュー。エンド・ユー?て聞くから、そしたらミー・トゥー (私もです)って言うんですよ。
ハウ・アー・ユー? ミー・トゥー。 ハウ・アー・ユー? ミー・トゥー。 ハウ・アー・ユー? ミー・トゥー。
さて、クリントン大統領が日本にやってきました。首相は緊張してなんて言うのか忘れてしまいました。
あっ、そうだ。思い出した。
フー・アー・ユー? 間違えて言ってしまった。これは「あなただれ?」という意味。
クリントン大統領は驚いた。「えっ、この人、僕のこと知らないの?」
クリントンが言いました。
「アイム・ヒラリーズ・ハズバンド」 (私はヒラリーの夫です)
そしたら首相が答えました。
「ミー・トゥー」 (大爆笑)
いや、これは本当にあった話かどうか、よくはわからないんだけど。
でも、英語が使えないとこんなふうに恥をかくんだよ。
(ここでいくつかほかの笑い話の例をあげる)


英語は単語をたくさん覚えればできるようになる。英語が苦手な人はみんな単語を覚えていないんだ。
だから、ここで学院長オリジナルの1秒で覚えて一生忘れない英単語の覚え方を教えてあげよう。
セミという言葉、だれか知ってる人いる?
「あっ、前に学院長に教えてもらった。えーっと、なんだっけ?思い出した!シケイダ!」(Sさん)
そう、覚え方は、「9月になってミンミンとセミがうるさい。うるさいセミは死刑だ!」 (爆笑)


この中には英語が初めての人もいるし、苦手な人もいる。だから、先生が特別に君たちに英語ができるようハンドパワーをあげる。これは、信じる人にはビンビン来るけど、信じない人には来ないんだよ。
でも、そう言ってもみんな信じないだろうから、実際に君たちの目の前で実演してあげよう。
(ここでハンドパワーの実演。内容は企業秘密のため書くことができません)
「えーっ、うそ!信じられない!」 (教室がざわめく)
今、君たちは歴史的な出来事の目撃者になったんだよ、と言って、一人ひとりに手をかざしてハンドパワーを授ける。
すると、T君、K君、I君が大声で「来たぁー!」 (爆笑)
これで、みんな英語が楽しく学べて、力がつくようになる。


と、まあこんな感じで、これから学ぶ英語が楽しい、自分にもできる、という刷り込みをしました。
これからが楽しみです。


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No pain, no gain.

2009.03.03日

講師紹介に載っている田口甲斐先生の好きな言葉は、
"No pain, no gain." です。
日本語では、「苦労なくして、得るものはない」というような意味で、「骨折りなければ利得なし」とも言います。
pain (ペイン 痛み)と gain (ゲイン 得るもの)は、両方とも「エイン」という音で終わり、韻を踏んでいます。
英語では韻を踏むのが日本語の七五調のような感じで、耳に心地よく響き、また印象によく残り、ことわざや、歌詞や、詩などによく使われています。
これは外国ではとても有名なことわざです。


この言葉は本当に真理です。
日本には、「濡れ手に粟」とか「柳の下の2匹目のドジョウを狙う」とか「棚からぼた餅」といったことわざがありますが、どれも安易な成功を戒めるものです。
ビジネス界においても、楽して成功することはありません。
楽して得たお金はすぐに消えてしまいます。「あぶく銭」とか「悪銭身につかず」とも言います。
スポーツにおいても、楽していい結果を出すことはできません。
芸術においても、楽していい作品は決して生まれません。
勉強においても同じことが言えます。楽していい成績をとることはできません。楽して実力がつくことはありません。
中高生を見ていると、多くの人たちが部活にとても一生懸命取り組みます。それはそれで本当に素晴らしいことです。
アカデミーにも、部活で市内大会優勝とか、県大会〇位とか、素晴らしい成績を上げる人がたくさんいます。
ところが不思議なことに、こと勉強になると、そこまで一生懸命になる人がとても少ないのです。
面談のときなどによく言うのですが、部活で鍛えた根性や集中力を勉強でも活かしたら、ものすごいことになります。


今回、高校受験でアカデミーから6人の人たちがトップ校の平塚江南高校に合格しました。
彼らはみんな、部活にも力を入れていましたが、同時にその努力を勉強にも活かしたのです。
とくに、最後の追い込みのときの集中力はすごかったです。目に見えてどんどん伸びてきました。
最初江南高校の独自入試問題を解いたときは、ほとんどみんな歯が立ちませんでした。そして戦意を喪失しました。
しかし、あきらめずに頑張り続けました。途中、みんな苦しみました。しかし、あきらめませんでした。
これこそまさに "No pain, no gain." です。


聖書には次のような言葉があります。
「患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出す。そして希望は失望に終わることはない」 (ローマ人への手紙5:3,4,5)
誰でも患難(悩みや苦しみ)は避けたいものです。
しかし、人生に患難はつきもので、誰ひとり避けて通ることはできません。
患難の中にある人は、時に死にたい、とさえ思うことがあります。
しかし、どんなに暗い、長いトンネルも歩き続ければ、やがてひとすじの光が見えてきて、必ず出口に到達します。
患難の中でこそ忍耐力が養われます。
そして忍耐は練達(練られた品性)を生み出します。
練られた品性は希望を生み出し、さらにその希望は決して失望に終わることはない、と聖書は断言します。失望に終わることはない、とは希望は必ずかなえられる、という意味です。
なんという力強い言葉でしょうか。
このことがわかれば、苦労のし甲斐があるというものです。苦労は決して避けて通るべきものではない、と。


生徒の皆さん、勉強は決して苦しいものではありません。楽しいものです。しかし、それは楽してできる、ということではありません。
ちょうど、部活は楽しいけれど、練習はきつくて苦しいのと同じです。苦しい練習を経て、初めて力がつき、試合で結果が出るのです。
さあ、もっと一生懸命勉強に取り組みましょう。今の勉強が、あなたたちの将来を形成するのですから。
そして、お父さんやお母さん方、子育てや仕事、その他さまざまなことで毎日大変かもしれません。
人生、決して平坦ではありませんから。
でも、 "No pain, no gain."


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さあ、新年度スタート

2009.03.02日

昨日までの1週間、アカデミーでは新年度準備のためのお休みでした。
休みとは言っても、実際にはさまざまな準備があって、私たちはまったく休んでいませんでした。
昨夜も11時まで教室で今日のための準備をし、家に帰ってからも2時ごろまで仕事をしていました。
石川啄木が、「働けど 働けど なお わが暮らし 楽にならざり じっと手を見る」と、『悲しき玩具』の中で歌いましたが、本当にそんな感じです。
昔、社会科で「妻制手工業」というのを習いました。バス送迎から、教室掃除、経理、受付、授業、宣伝広告、通信や成績表の印刷・発送など、何でもやるうちなどはまさに「妻制手工業」そのものです。
妻と顔を見合わせて、「我々は本当によく働くね」と言って、つい笑ってしまいます。
でも仕事が大変とか、つらいとか、休みたいなどと、思うことはありませんし、それどころか、毎日仕事を楽しみ、働けることを感謝しています。


そして今日、アカデミー学院の新年度がスタートしました。
早速、午後4時からの小学個別クラスに新しい生徒が2名、5時からの個別クラスには4名、小学6年生集団クラスには新たに2名が従来の生徒の仲間に加わりました。
あまり緊張したふうもなく、みんな楽しそうに、のびのびと授業に取り組んでいました。
新しい生徒との出会いはいつでもワクワクします。
今日私の教えた生徒のひとりはとても理解が速く、いくつか例を挙げるとすぐに応用が利き、驚かされました。これからの成長が楽しみです。


夜7時からの中学部のクラスは、新中3の英語と数学の授業、新中1のデータベースと中高生個別のクラスでした。
新中1といっても実際にはまだ小学6年生。これまで夜10時に寝ていた生徒にとって、10時までの授業はちょっとつらいかもしれません。でも、6年生のクラスや新中1準備講座で一緒に学んできた仲間なので、みんな気心知れていて、リラックスしてクラスを楽しむことができたようです。
帰りのバスの中で何人かに「疲れた?」と尋ねると、「いいえ、全然。とっても楽しかったです」と返事が返ってきました。
2〜3週間もすると新しい塾の生活にみんな慣れます。


そう言えば、今からちょうど6年前のこの時期のことです。
学校ではまだ小学6年生なのに塾では新中1クラスで夜勉強するのが、とても刺激的で、毎日ワクワクした、と言ったAさんは、小学校の間はそれほど目立つ子ではありませんでしたが、この3月の授業で頑張り、中学1年になると急に成績が伸びて、その後2年、3年生とずっと上がって、県内でも有数の難関校に合格しました。彼女は、この3月の塾生活が自分を大きく変えた、と述懐していました。


新しく出会った生徒たちの成長をこれからずっと見ていけることは私たちにとって本当に幸せなことです。
塾を巣立った生徒が、講師として戻ってきてくれることも教師冥利に尽きます。
今日から新たに、今年大学に入学した二宮君と浅尾君が加わってくれました。これから長い間、また彼らと一緒に仕事ができることも本当に嬉しいことです。
ふたりの新しい先生がもうすぐクラスデビューします。よろしくお願いいたします。


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ほめられる子 思いやり育つ

2009.03.01日

昨日の読売新聞夕刊に「ほめられる子 思いやり育つ」という記事が載っていました。
「乳幼児期に親からよくほめられる子供は、他人を思いやる気持ちなどの社会的適応力が高くなることが、科学技術振興機構の長期追跡調査で明らかになった。育児で『ほめる』ことの重要性が、科学的に証明されたのは初めて」と記事にあります。


「科学的に証明されたのは初めて」かもしれませんが、こんなことはとっくの昔からわかっていることで、誰でも日常茶飯事に経験しています。
塾の仕事をしていると、とくにこのことを強く感じます。
温厚な子ども、いつでもニコニコしている子ども、誰とでも仲良くできる子ども、思いやりのある子ども、みんなほとんど例外なく親を見ると「なるほど」と思わされます。まさに「この親にしてこの子あり」です。
逆に、切れやすい子、人にかみつく子、ひねくれた子、素直でない子、セルフイメージの低い子...、やはり親の子に対する接し方に問題があるケースが多いです。
身体を作るのは食事(栄養)・運動などですが、精神を作るのは人間関係です。
そして、乳幼児期という人格を形成するもっとも大切なときの人間関係というと、もちろん親子の関係です。


「うちの子を見ていてほめるところがない」と言うお母さんがよくいます。このようなお母さんは、四六時中子どもを叱っています。町を歩いているとき、ときどきこのようなお母さんを見かけます。
どうでもいいようなことなのに、子どもを絶えず大声でがみがみと叱っています。
これでは子どもがまともに育つわけがありません。
ほめるためには、まず子どもをありのまま受け入れるところから始まります。
自分の価値基準を子どもに押しつけ、自分の物差しにかなわないとほめられない、というのは間違っています。
しっかりと子どもを見てください。ほめるところはいくらでもあります。お母さんがほめなくて、いったい誰がほめるのですか?


「ほめてばかりいると調子に乗ってつけ上がる」と言うお母さんもいます。
それは、ほめ方が間違っているからです。
子どもを見ていて、何かいいことに気づいたらすぐに、その場で、具体的にその行動をほめ、自分の正直なうれしい気持ちを伝えることが大切です。
おべっか使いはすぐに子どもに見破られます。
ほめることと同時に、間違っていることは間違っている、とはっきりと教えることも必要です。


子どもはほめられると、うれしくなって、ますます喜ばれるように一生懸命頑張ります。
これは何も勉強に限ったことではありません。何事にも当てはまります。
子どもにお手伝いをしてもらいましょう。お手伝いは子どもを健全に育てます。そして、手伝ってもらったら、お礼を言い、ほめてあげましょう。ほめればほめるほど、子どもはますますいい子になります。
大人だって、人からほめられて不愉快になる人はいないでしょう。誰でもほめられるのは嬉しいことなのです。
であれば、子どもはもっとそうです。


お母さん、お父さん、もっともっと子どもをほめてあげてください。
必ずセルフイメージの高い、思いやりのある子どもに育ちますよ。


そして、さらに夫婦の間でも恥ずかしがらずにもっとお互いにほめ合うようにしましょう。
ますますあなたに優しくなること請け合いです。
人をほめることは人間関係の潤滑油です。


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