学院長元気の出るブログ

日々の随想。教育問題、子育て、英語、積極思考、人間関係、霊想等など。
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ジョージ学院長 元気の出るブログ

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為せば成る!

2009.01.31日

「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」
第九代米沢藩主、上杉鷹山のものとされる短歌。有名な格言です。
現代語訳すれば、
「やればできるよ やらなければできない どんなことでも できないのはやらないからだよ」


1月6日に行った県模試の結果が昨日戻ってきて、早速、中3生一人ひとりに簡単にコメントしながら手渡しました。
過去4回の県模試のうちで最高点を収めた生徒も多数。ほとんど変化のなかった生徒、また少し下がった生徒も若干いました。
受け取るとき、ほとんどの生徒は自信がなく、恐る恐る成績表を見ます。
しかし、最高点を取ったことを知ると、「うぉっ! やったぁ!」と大満足。
逆に、下がった成績を見た生徒は、「はぁ、やっぱり...。志望校下げたほうがいいですか?」
私の答は、
「大丈夫!できる!あと一歩だよ。決して不可能じゃない!頑張れ!」。
あるいは、
「よく頑張った!合格圏に達しているけど、決して油断しちゃいけないよ。引き続き気を緩めず最後まで頑張るように」。


T君は過去最高を収めたひとり。志望校合格圏です。本当はうれしかったのに、言ったことは、
「通過点に過ぎません。まだまだ上を目指して頑張ります!」
これは本当に優等生の答。
合格水準に達したからといって、油断するとたちまち落ちてしまう。
逆に、これは通過点でまだまだ上を目指す、という気持ちでいれば、確かに伸びるし、目標を達成することができます。


「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」
本当にやればできるんです。どんなことでも。
できない、できない、と言っているのは、ただやっていないだけのことです。


多くの人が、勉強に限らず仕事でも何でも、初めから「無理」と思ってやろうとしない。だからできないのは当たり前のことです。
私は今日、朝から夕方の仕事が始まるまでに7つの仕事をこなしました。さすがに自分でも達成感がありました。
やらなければならない大切なことにかける時間が少なすぎて、どうでもよいことにかける時間が長すぎる、これではいい結果を出すことができないのは当然です。
ではどうすればよいか? やらなければならないことを具体的に挙げて、目標を作る。そしてその目標をひとつずつ片付けていく。これが正しいやり方です。しなければならないことが多すぎると、それに圧倒されてしまって、何も手がつけられなくなる、ということがありますが、できることは一時にひとつしかありません。その積み重ねが成功へと導くのです。
そして、ひとつのことができても、それが到達点ではなく、あくまでも通過点。通過点をひとつずつ越えることによって、目標に達するのです。


受験生よ、目標に向かって、気を緩めることなく、ひとつずつやるべきことをやって、自分の望む結果を get せよ!意思があれば必ずできる!


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本当の幸せとは

2009.01.30日

「あなたは幸せですか?」


ほとんどの人が、「まあまあ幸せ」と答えます。
「なぜ幸せですか?」と尋ねると、
「健康だから」「家族に恵まれているから」「仕事がうまくいってるから」「志望校に合格したから」
といった答が返ってきます。
素晴らしいことです。
が、それは本当の幸せですか?


新聞の人生相談を読んでいると、
「夫は優しい人で幸せです。でも子どもを授からないので離婚を考えています」
といった相談がときどき載っています。


「幸せ」という言葉は、もとは「仕合わせ」と書き、「仕合わせがいい」とか「仕合わせが悪い」というような表現を昔はしていたそうです。
つまり「仕合わせ」とは、「めぐり合わせ」「運」というのがもとの意味なのです。


おもしろいことに、英語の happy という言葉も語源は hap 「運」「偶然の出来事」といった意味で、日本語とそっくりなのです。
つまり、多くの人が「幸せだ」と思っているのは、「たまたま健康だから」「たまたま家族に恵まれているから」「たまたま仕事がうまくいっているから」「たまたま志望校に合格したから」なのです。
それが証拠に、あこがれの志望校に合格したにもかかわらず、5月の連休が終わる頃には毎年大勢の「5月病」の人が出てきて、その学校に入学したことが果たして本当に良かったのかどうか、と迷い、悩み始めるのです。たちまち「幸せ」でなくなってしまいます。健康を自慢していた人が急に病気になると、たちまち「幸せ」でなくなってしまいます。
それでは、環境に左右されない「本当の幸せ」なんて、果たしてあるのでしょうか?
それがあるのです。


聖書の有名な言葉
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。...」 (マタイの福音書5:3〜12)
に出てくる「幸い」は、英語では happy ではなく、 blessed という言葉が使われていて、原語のギリシャ語でもそのような意味の言葉が使われています。
「心の貧しい者」「悲しむ者」は、この世の基準で考えると決して「幸せ」ではありません。
鍵は blessed という言葉にあります。
blessed は bless 「祝福する」という言葉の過去分詞で「祝福されている」という意味です。
「天の御国」を与えるのも、「慰める」のも神様です。
この世でたとえ苦しみを体験していても、神様は心の痛みをご存じで、その痛みをいやし、慰めてくださる、すなわち「祝福してくださる」のです。


この真理がわかれば、自分の置かれている状況に振り回されずに、「幸せだ」と感じることができるようになります。
今、苦しみのどん底にいらっしゃる方があれば、安心してください。悲しんでいる方も、辛い思いをしている方も安心してください。神様はあなたの心のうちをよくご存じです。
この世には理解できないことがたくさんあります。
「神様、なぜですか?」と神様に食いつきたくなることもあるかもしれません。
私たちは有限の存在なので、無限の世界にいらっしゃる神様の深いお考えは理解できません。
でも、そのようなとき、神様にすべてをお委ねするのです。そうすれば心は平安で満たされます。
それが、神様からの「祝福」なのです。
この世の中で生きるということは、「苦しみ」「悲しみ」「辛さ」などから完全に開放されることなど、そもそもあり得ないことです。
であるとすれば、「有限」の自分の弱さを神様の前に認めること、これが本当に「幸せ」な生き方のコツなのです。


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英語ができると国語もできるようになる!

2009.01.29日

「日本における英語教育は不毛だ。何年やっても英語の力がつかない」
と言って、公立中学の英語の学習時間を週5時間から4時間、3時間と減らしていったのが「ゆとり教育」です。
その結果、日本人の英語の力はどうなったでしょうか? ますますできなくなりました。ごく当たり前のことです。


この間、お隣の韓国や中国を始め、世界の多くの国々では小学校からの英語教育を始めました。
アメリカの大学や大学院に留学するときに受けるTOEFLという英語力テストの結果、日本は世界の国々の中で最下位に近い位置にいる一方、中国・韓国を始め東南アジアやアフリカなどの国は成績をどんどん伸ばしていきました。
小学校で英語教育を正式にやっていないのは、先進国の中で日本だけとなりました。
これまで総合学習の時間に、各小学校の自由裁量のもとでほとんどの小学校で英語が少し教えられるようになりましたが、その取り組み方には大きな開きがあり、当然のことながら熱心にやっている自治体では相当の結果を出しています。
文部科学省は、重い腰を上げてようやく2011年度の学習指導要領改定時から英語を正式教科として小学校に取り入れることにしましたが、早い自治体ではもう今年の4月から前倒しで始めるということです。


小学校の英語教育の問題が取り上げられると、必ず言われるのが、
「小学校の間はもっと日本語の教育に力を入れるべきで、日本語ができるようになってから英語をやればいい」
という意見です。
一見もっともらしく思われますが、それでは何歳になったら日本語の力が十分について、何歳から英語を始めればいいのでしょうか?
この質問に答えられる人は誰もいません。当然のことです。そのような年齢は存在しないからです。
高校生の国語力を見ても、これで十分というレベルからはほど遠いです。


私はこれまで常に、自分の体験から、英語の学習は早ければ早いほどよい、と主張してきました。英語ができるようになると、国語の力もつく、と逆説を唱えてきました。
1月7日付読売新聞の12面に「教育ルネッサンス No.996   英語漬け授業  国語力も向上」という記事が載っていました。ご覧になられたでしょうか?
群馬県太田市の私立ぐんま国際アカデミーでは、初等(小学)部の授業は日本語と英語が3:7、中等部(中学)では日本語の授業がやや増える、といいます。初等部では算数と理科がすべて英語で授業が行われています。
子供どもたちの学力を見ると、国際的な英語テストTOEICで7年生(中1)の平均点は477点(990点満点)で、英語や英文学専攻の大学1年生の平均点を上回ったそうです。さらに、小6生の全国学力テストでは、算数・国語ともに平均を上回り、とくに活用力を見る「B問題」では平均より10点以上高かったといいます。読書感想文コンクールでも、この学校の児童は成績が非常に優秀だったそうです。


夏目漱石など、明治時代の文豪も、英語が非常によくできる人たちばかりでした。
英語はとても論理的な言語で、英語の勉強をすることによって論理力もつきます。その結果、国語の力も伸びるわけです。
言語学の専門家は「何歳から外国語を始めればよいか?」という問いに対して、「早ければ早いほど良い。早すぎるということはない。小さな子どもは、教えれば教えるだけ覚える」と答えています。


「どうせ将来英語なんて使わないから」という発想ではなく、頭を良くするための訓練と思って英語を勉強するのもいいと思います。その結果、英語が使えるようになると、なお一層いいではないですか。


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英語の話

2009.01.28日

「シェークスピアの芝居をアメリカ英語でやっているのは興ざめだ。やっぱりシェークスピアの英語は伝統的なイギリスの Queen's English でないと」
これまでこの言葉を何度も聞いてきました。
イギリスから来ていた大学時代のイギリス人の先生もそう言っていました。
またアメリカ人の役者が演じるシェークスピアの舞台もイギリス英語が話されています。
ところが、何とシェークスピア時代に話されていた英語は、今日のイギリス英語よりもアメリカ英語に近いのです!


16世紀から17世紀にかけてのシェークスピアの時代、メイフラワー号に乗ってイギリスからアメリカへ移住していった人たちが当時の英語をアメリカに持ち込みました。
アメリカに移り住んだ人たちは、次第に西部開拓で西へ西へと移動しました。
言語学的に、人々は移動している間は日々の生活に心を奪われて、言語は昔からの発音や語法や文法を保持しますが、同じところに長い間定住していると生活に余裕が生まれてきて、言語を変化させる傾向があります。つまり、アメリカでシェークスピアの時代の英語が温存されている間に、イギリスではどんどん英語が変化していったのです。


いくつかの例を挙げれば、
1. ask, answer, and のような a の発音はアメリカ英語では、エとアを一緒にした「エァ」という音で発音しますが、イギリス英語では「アー」と発音します。前者のアメリカ英語がシェークスピアの時代の発音に近いのです。
2. car や bird のように、いわゆる巻き舌の r の音がアメリカ英語には残っていますが、イギリス英語では r は落ちました。
3. ニューイングランドを始めとするアメリカの東海岸ではいまだにイギリス英語に近い発音ですが、これはイギリスとの政治・経済・文化などで常に接触があったため、イギリス英語の影響を受けたのです。
4. オーストラリアやニュージーランドの英語は、ロンドンの下町の英語 Cockney English (ロンドン英語)に近いですが、これはロンドンの下町の人たちが中心に最初オーストラリアに移住した(というよりむしろ、オーストラリアはイギリスの刑務所として最初使われていましたが、最初に送られていったのが下町の労働者階級の人たちだった)からです。
5. イギリス英語では最近、時刻を表示する 10:00 を 10.00 のように、コロンでなくピリオドを使い、Mr.や Dr. Mrs. のようなピリオドを省略しますが、これもイギリス英語の単純化という変化のひとつです。


英語は今や、世界中の多くの国々で使われ、私たち日本人が中国人や東南アジアの人たち、アフリカの人たちとビジネスをする時にも共通語として英語を使っています。
また、英語はシンガポール、香港、フィリピン、インド、南アフリカ共和国、等々多くの国や地域で公用語として使われていますが、それぞれの土地や国において文法や発音は、イギリスやアメリカの英語とはまったく異なるものになっています。従来ならばそのような英語を間違っている、と言っていましたが、今ではこれらも英語のひとつとして認められるようになりました。


イギリス英語が格式高いとか、アメリカ英語は野卑だとか、シンガポール英語はめちゃくちゃだ、というのはステレオタイプ、すなわち固定観念、偏見です。言語に良い、悪いはありません。言語は生きていますから、時代とともに、また文化とともに変化していきます。それが普通なのです。


私たち日本人も、アメリカやイギリスの正しいの英語を話さなければだめ、という考えを捨てて、もっと自由に英語でコミュニケーションできるようになることが必要だ、と私は思います。それが国際交流の第一歩です。
皆さん、もっと英語を使えるようになりましょう。世界が広がりますよ!


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Made in Japan

2009.01.27日

26日の読売新聞朝刊「編集手帳」から。
「カリフォルニアの高校生マーティが、親友の科学者ドクが発明した自動車型のタイムマシン『デロリアン』で冒険を繰り広げるSF映画『バック・トゥ・ザ・フューチャ』のシリーズ第3作に、印象的なシーンがある◆1985年から30年前にタイムトラベルしたマーティは、55年のドクにデロリアンの修理を頼む。小さな電子部品を見てドクは言う。『故障するわけさ。メード・イン・ジャパンだ』◆マーティはすぐに切り返す『何を言ってんだドク?日本製が最高なんだぜ』  55年には粗悪品の代名詞だった日本製の評価は、85年までの30年間に劇的に変わった」


私が子どもの頃は、みんな Made in USA にあこがれていたものです。アメリカ人の叔父に買ってもらった Mattel のおもちゃには Made in USA と書かれていて、それが自慢でした。友達からはうらやましがられました。
1974年にアメリカに行ったとき、ロータリークラブの人が貧しく哀(あわ)れなアジアから来た留学生である私をパーティに招待してご馳走してくださいました。そのとき、大きな家に住んでいた白髪の紳士が、
「日本に地下鉄はありますか?」と尋ねました。私はついムッとなって、
「...。日本には世界で1番速い Bullet Train (新幹線)がありますよ!」
と答えました。


当時、PennySaver と呼ばれる、日本の100円ショップのような安物ばかり売っている店には Made in Japan の製品があふれていました。
今日世界1の売り上げを誇るトヨタは、その昔「トヨペット」をもじって「トイペット」 ToyPet と呼ばれてバカにされていました。


1982年に再び留学でアメリカに渡ったとき、事態はすっかり変わっていました。
PennySaver に売っていたものは全部 Made in China, Made in Hong Kong, Made in Taiwan, Made in Singapore, Made in the Philippines などになっていました。
Made in Japan はどこに行ったかというと、高級デパートでした。
そして今や、日本製品は世界中で Cool ! (カッコいい)と言われています。
しかし...


「奢(おご)れる者も久しからず」
歴史を見ると、ペルシャ帝国、ローマ帝国、フランス、イギリス、スペイン、ポルトガル...
かつて栄華を誇った国はことごとく衰退しています。
今のアメリカもまさにそうです。
そして日本も...


「人の振り見てわが振り直せ」
「勝って兜(かぶと)の緒(お)を締めよ」
「自ら立てりと思う者は倒れるぬよう心せよ」 (聖書)
洋の東西を問わず、昔から慢心を戒める諺(ことわざ)がたくさんあります。


私たちも日々の生活の中で、気の緩みガないよう気をつけましょう。


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あなたも尊敬されています!

2009.01.26日

聖書に次のような言葉があります。
「良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです」(ルカの福音書6:45)


先週から始めた中3の面接練習が昨日終わりました。2週間にわたって4日間行い、その間に必要な人、不安な人は何度も練習を繰り返しました。その結果ほとんどの人が、どのような質問をしてもスムーズに自分の考えをスラスラと言えるようになりました。
昨日、練習をしたひとりのAさんは、「あなたの尊敬する人は誰ですか?」という私の質問に次のように答えました。
「私の周りにいる人みんな尊敬しています。それは誰でも素晴らしいところがあり、一人ひとりから学ぶところがたくさんあるからです」
この答に私は思わずうなってしまいました。
ほとんどのケース、「私の母です」とか、「黒人差別問題撤廃に貢献したキング牧師です」とか、「部活の顧問の〇〇先生です」といった答が返ってくるのですが、上のAさんの答はベストアンサーです。
「自分の尊敬する人」ですから、もちろん自分の親でもオバマ大統領でも、誰でもいいわけです。
しかし、Aさんの答を聞いたとき、「この子は本当にいつもそのように考えているのだな」と私は思いました。それは普段のAさんを見ていてもわかることです。


これまで何度かこのブログでも取り上げてきた経営コンサルタントのブライアン・トレイシーも同じようなことを言っています。
私たちは周りの人たちからいろいろなことを学ばなければなりません。


さて、Aさんの友人のSさんは、送迎バスの中で先日次のようにほかの子に言っていました。
「Aさんは、可愛いし、頭はいいし、性格はいいし、うらやましい。私もAさんのように生まれてきたかった」
このSさんも昨日2回目の面接練習をしました。
とても素直に、正直に質問に答えることができて私は彼女をほめました。そして言いました。
「この前、バスの中でSさんがAさんのこと話しているのが聞こえたんだけど、先生はSさんのこともとっても素敵だと思っているよ。明るくて、いつも周りのみんなを笑わせて楽しませてくれるし、いい性格だよ。決して自分を卑下することはないよ。自分にもっと自信をもちなさい。自分に自信をもつとますます輝くよ」
Sさんはニッコリ微笑んで、
「はい。ありがとうございます!」


そうです。SさんもAさんから尊敬されているのです。そしてほかの人たちからも。
そして「あなたも」。
あなたも、自分が気がついていないだけで、家族や友人や、その他いろいろな人たちから、尊敬されているのです。
この世の中に、役に立たない人、価値のない人、必要とされていない人、愛されていない人などいません。みんな、目的があってこの世に生まれてきたのです。みんな、愛されるために生まれてきたのです。そしてまた、人を愛するために。
私は新聞の人生相談を毎日必ず目を通しています。相談してくる多くの人が、この自分のセルフイメージで悩んでいます。傷ついています。苦しんでいます。


元気を出してください!あなたも人から尊敬され、愛されています!


中3生は、明日・明後日が前期選抜の面接試験です。自信をもって面接に臨んでください。うまくいっても、いかなくても大丈夫。道は必ず開けますから。


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訓練していたことを実践しただけです

2009.01.25日

米ニューヨークで去る15日、USエアウェイズ旅客機がハドソン川に不時着水し、乗客乗員155名全員が無事救助されるという、航空機事故史上初とも言われる奇跡のような出来事が話題に上っています。
24日にはカリフォルニア州で記念式典が行われ、表彰されたサレンバーガー機長は、
「訓練していたことをただ実践しただけです」
と謙虚に語ったそうです。


「訓練していたことをただ実践しただけです」
これは含蓄のある言葉です。
これまで数多くの生徒を指導してきて実感するのが、やはりこの機長の言葉です。


以前、全教科オールマイティによくできる生徒がいました。彼は塾の月例テスト、学校の定期テスト、模擬テスト、どれも常にトップでした。あるとき、彼の友達が言いました。
「H君はいいよな。勉強しなくてもできるんだから」
普段柔和な彼がムッとして答えました。
「勉強しなくてできるやつなんかいるか!」
彼はもちろん、陰で毎日一生懸命勉強していたのです。


今、日本のタイガーウッズとも言われ、国内外で注目されているゴルフの石川遼選手も同じです。
勉強でもスポーツでも仕事でも何でもそうですが、普段の訓練が結果を生むのです。


終末医療、日本のホスピスの生みの親、柏木哲夫氏はその著『いのちに寄り添う。 ホスピス・緩和ケアの実際』の中で次のように述べています。
「人は生きてきたようにしか死ねない」「人は生きてきたように死んでいく」「良き生というのが良き死につながる」
これまで2500人を看取ってきたホスピス・緩和ケアの第一人者が経験から語る言葉です。
上のサレンバーガー機長の言葉と相通ずるものがあります。


私は幼い頃非常に感受性の鋭い子どもでした。幼稚園のときすでに死を意識し、毎晩布団に入ると目を固く閉じ、両手で鼻と耳を押さえて息を止め死の世界を想像して
「死ぬのが怖い。死にたくない」
と泣いて、両親を困らせていました。
昼間は明るく、楽しく過ごしているのですが、夜になると死を恐れていました。
そして、この死に対する恐怖は大学生になっても、その後アメリカに留学してからもずっと続いていました(もちろん泣きはしませんでしたが)。


死の恐怖から完全に開放されたのは、27歳のときにキリスト教に触れて信仰を持ってからです。
以来、いつ死んでも後悔はない、そのような人生を送ってきました。
もし今、ガンで死を宣告されたとしても、家族や知り合いの人たちとの別れはつらいですが、死を恐れることはありません。なぜなら死後の永遠のいのちを確信しているからです。
昨日のブログに、命の尊厳を見つめることは人生でもっとも大切なことのひとつ、と書きましたが、生と死から目をそらして本当に意味ある人生を送ることはできません。死を考えない人生は傲慢である、とある人が言いましたが、そのとおりだと思います。
自分が生きているのではなく、生かされている、すべて命あるものは生かされている、この考えに立つと自然と生き方が謙虚になり、人生が意義深いものとなってきます。


人生においても「訓練していたことを実践しただけです」と謙虚に言える者になりたいものです。


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地震、雷、火事、親父

2009.01.24日

怖いものを「地震、雷、火事、親父」とよく言いますが、なぜ3つの天災の中に「父親」が入っているのでしょうか?父親はそんなに怖い存在なのでしょうか?
実はもともと「親父」ではなく、「大山嵐」(おおやまじ)すなわち「台風」のことだったのです。(山嵐−やまじ、大山事−おやじ とする説もあります)
ですから怖いものは「地震、雷、火事、台風」なのですが、私自身は地震や雷、火事などで怖い体験をしたことがなかったので、親父は文字通り一番怖い存在でした。


私の父はとても厳しい人でした。しかし同時に、とても優しい人でした。
過去形で言うともう亡くなったみたいですが、まだ存命しています。
ただ私が知っている昔の父ではありません。アルツハイマー症になり、今では私のことも分からなくなりました。今は老人ホームで介護を受けています。私たちが仕事で忙しく、家にいることがほとんどないので面倒をみることができないからです。


小さい頃、父は私にとって何でもできるスーパーマンのような存在でした。車の運転がうまい(当時、車を持っている人はほとんどいませんでした)、英語がペラペラ、白バイに乗るカッコいい警察官の友達がいた(昔は警察官はとても偉かった)、レコードの音楽にあわせて母と一緒に社交ダンスを踊るダンディな、車のセールスでは昭和30年代から40年代にかけて毎年全国優秀セールスマンで表彰され、本社から社長功労賞をもらった、話がうまい、タバコを吸う姿が様になっていた...
本当に私の憧れの人でした。
父は私の友人の間でもとても人気がありました。私の従兄弟の間でも人気者でした。だれとでも気さくに話し、すぐに友達になる人でした。
車のセールスをやっていて、お得意様だったいくつもの大会社の社長にとても可愛がってもらって、しょっちゅうゴルフに連れてもらっていました。


私が何度か大きな失敗をしたときには厳しく叱りましたが、そのあとはすぐにまた優しい父に戻っていました。私はそんな父が大好きで、父に喜んでもらいたくて自分から進んで洗車と車のワックスがけを毎週手伝っていました(小学生の頃から大学生になっても)。


そんな父が50代で妻(私の母)を病気で亡くし、それからとても気弱になりました。
認知症の症状が少しずつ出始めたのもこの頃からだったようです。


私の中にある父の一番のイメージは、父が40歳の頃のこの写真です。


father.jpg


父はものすごいヘビースモーカーでした。
しかし私が高校生のとき父はピタッとタバコをやめました。
知人には「禁煙なんて簡単だよ。マーク・トウェインは100回以上も禁煙したことがあるって言うぐらいだから」と笑って言っていました。
私が尋ねると、何となく、知らないうちにやめてしまった、と答えました。


ところが20年ほどたったある日、父は私に打ち明けました。
「お前が高校生のとき、周りの友達のだれそれ君がタバコを吸い始めた、〇〇君も吸い始めた、と言っているのを聞いたとき、このままだときっとお前も吸い始めるだろうと思い、お前には吸ってもらいたくなかったのでやめた」
私はこれを聞いたとき本当に驚きました。
簡単にやめられた、と人には言っていながら実際には随分苦しんでいたのです。私のために。


私はそんな父を心から尊敬しました。
大学生のとき、周りの友人はみんなタバコを吸っていましたが、父のお陰で私はタバコを吸わずにすみました。


父をホームに訪ねると、一生懸命何か言おうとするのですが、何を言いかけたのか途中で忘れてしまって、結局意味の通らない支離滅裂のことを言います。
スーパーマンだった昔の父のイメージがあまりにも強いため、認知症になった父を見るのは本当に辛いです。訪問して家に戻るときはいつも涙が流れてきます。


今日、高2のO君を教えていたとき、英語の教科書に次のような一節がありました。
「彼女はリエが知っていた母ではなくなっていました。彼女はよだれを垂らして突然うとうとし始め、自分の考えを言葉につむぎ出そうとするときでさえ、その断片だけが彼女の唇からこぼれ、床に落ちていきました。リエは自分の感情を無理やり抑えましたが、彼女の愛しい母親に目に見えて起こる変化を見ることは、17歳の少女にとっては過酷なものでした」


自分の親が、目の前でどんどん年老いていくのを見るのは本当に辛いことです。
ビバルディの「四季」ではありませんが、人間だれでも人生に春・夏・秋・冬があります。
辛いことから目をそむけるのではなく、命の尊厳をしっかりと見つめることは、私たちの人生でもっとも大切なことのひとつかもしれません。


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自分のすることに誇りをもて

2009.01.23日

先日、近所のスーパーに買い物に行ったら、アカデミーの卒塾生がレジをやっていて、前の客に笑顔で丁寧に応対し、両手をお腹の前でそろえ深く腰を折って「ありがとうございました」とお礼を言っていました。M君は現在高校1年生。
「頑張ってるね!」
と声をかけると、とてもうれしそうに
「はい。バイトを始めてもう9ヶ月になります」。


これまでにも、近くのマックや小僧寿し、オリンピックのお店、さくら書店、美容院、ラーメン屋、ガソリンスタンド、ホームセンター、バーミヤン等など、たくさんのところで卒塾生がバイトしているのに出会いました。卒塾生はほとんど顔も名前も覚えていますが、中には卒塾して7年ぐらいたち大学生になっていて、声をかけられても名前を言ってもらうまでわからないほど立派に変身している子(大人?)もいました。
みんな頑張っているなぁ、とわが子の成長のようにとてもうれしくなります。


私も高校生の頃から数え切れないほどたくさんのアルバイトをしてきました。
高校に合格した直後の春休み、近所のガソリンスタンドで初めてのバイトをしました。
そのあと、金糸製造工場、花屋、大手スーパーの衣料品の梱包、ダンボール加工業、プリント布地の色抜けの修正、行楽地でのホットドッグ販売、大手塾の電話のアポ取り、コンサート会場のガードマン、家庭用品の訪問販売、職域販売、土産物屋のセールス、店舗の陳列棚の搬送、引越し屋、ビルの清掃、家庭教師、塾講師、大学講師、語学学校講師、通訳、翻訳、カウンセラー、セミナー講師...
思い出すままに書き留めましたが、まだまだ書き落としているものがありそうです。
別に長続きしなかったわけではありません。それぞれ結構長くやりました。1番短かったのは金糸工場で、これは1週間。工場で働くのは本当に苦痛でした。
でも、そのほかのバイトはみんな結構楽しみました。また一緒に仕事をしている人たち、先輩やご年配の人たちとも親しくなりました。またそれなりに成功を収めたものもたくさんあります。


私はいつも新しいバイト先に行くときには、玄関を入る前に頭を下げて、心の中で「お世話になります。よろしくお願いします」と言ったものです。
そしてやる仕事はどれも一生懸命取り組みました。やる仕事に誇りをもっていたのです。
これは大切なことです。
自分が通う学校、勤める会社、どこでも「自分は今、目的があってここに遣わされているのだ」という意識をもって真剣に取り組みました。
家族もそうです。独身の間は、両親・妹・親族に、結婚してからは自分の妻・子どもたち・義理の家族に、やはり自分に与えられた使命と思って、一生懸命仕えてきました。


私は今、やっている塾の仕事にも誇りをもっています。正直、これほど神聖な、やりがいのある仕事はない、と思っています。
「舟田は能力のある人間なのに、塾なんかやっていてもったいない」と、ある人が言っているのを人づてに聞いたことがありますが、そんなことは全然気になりません。自分のやっていることに誇りをもっているのですから。
アカデミーで働いている先生達もみんな同じだと思います。


学院から毎月送付する中学部の家庭成績通知表には「自己評価」欄があります。ここには、生徒が先月自分はどれだけ頑張ったか、ということを10段階評価で書くのですが、全教科、毎月必ず9か10をつけている生徒が以前いました。これは素晴らしいことです。自分に高い評価をつけるということは、自分でも意識して頑張っているということの現われだからです。この姿勢がクォリティ(上質)を生み出すのです。
私はアカデミー通信や、ブログを書くとき、このホームページを作るときも、チラシを作るときも、常に上質を目指してよりよいものを作ろうと努めています。


あなたはどうですか?
自分の学業に、バイトに、仕事に、人間関係に、家庭生活に、日々の生活に自己評価をつけるとしたらいくつをつけますか? 10段階で8以上が上質です。
自分のすることに誇りをもてるよう頑張りましょう !


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YES WE CAN !   YES I CAN !

2009.01.22日

昨日のオバマ米大統領の就任演説の興奮がまだ冷めやらぬ今日、世界中がオバマ氏の大統領就任をとても好意的に受け止めていて、期待がさらに大きく膨らんできているのが新聞の論調で伝わってきます。


オバマ氏が選挙期間中から繰り返してきたスローガン
"CHANGE" と "YES WE CAN !"  (「変革」と「我々にはできる!」)
が今まさに、現実化しようとしていて、私たちは歴史の大きな転換期を目撃することができるという特権に与っています。
(ちなみに CHANGE を日本語で「チェンジ」と言っていますが、英語の正しい発音は「チェインジ」です)


オバマ氏は就任演説を作るに当たって、過去の主な大統領の就任演説をひと通り目を通したそうです。その中でやはり最高のものは、彼の尊敬するリンカーン大統領の演説で、2番目はケネディ大統領の演説だったそうです。


今から70年あまり前のことです。ひとりの青年がニューヨークの街中を失意のどん底でとぼとぼと歩いました。
彼は生きる気力すら失っていました。
ふと見上げるとビルとビルの間に I CAN と書かれた看板が見えました。
「そうだ、できる!自分にもできる!」
彼は自分にそう言い聞かせて、希望を持ち、目標を作り、目標に向かって頑張り始めました。
彼こそ、のちに大統領になったケネディでした。
のちに、ケネディは自分の人生を変えたその看板をもう1度見るために同じ場所に足を運びました。
なんと、それはアメリカン・エクスプレスという信販会社の看板でした。
AMERICAN EXPRESS と書かかれた看板が、ビルの谷間で ICAN の部分だけが見えていたのだった、という逸話が残っています。


無名の一上院議員であるオバマ氏が大統領選に立候補したとき、まさか彼が本当に大統領になるとは誰も思っていませんでした。とくに、アメリカの黒人で信じている人は皆無に近い状態でした。
しかし、オバマ氏自身は信じていました。
彼が繰り返して言う YES WE CAN ! を聞いているうちに、だんだんそうかも知れない、と思うようになり、ついには黒人だけでなく、白人の大半までがオバマ氏の言うことを信じるようになったのです。

しかし「変革」はそう簡単に達成できることではありません。白人・黒人だけでなく、あらゆる民族・人種が、あらゆる宗教を信じる人が、共和党・民主党を問わず、みんなが団結して協力しなければ、オバマ氏ひとりの力で「変革」をもたらすことはできません。YES WE CAN!  そう、みんなが力を合わせればできるのです。
そして、その一人ひとり、すなわち「あなた」や「私」が動かなければ何も始まりません。それが私たちの「責任」なのです。


YES I CAN !  そう、「私にもできる!」のです。
何ができるのでしょう?
信じることは何でもできます。
信念は山をも動かす力があるのです。


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オバマ大統領誕生!

2009.01.21日

今日未明、アメリカで初の黒人大統領オバマ氏が誕生しました。
世界中が不景気のどん底であえぎ、イラクやアフガニスタンでの戦闘の長期化、テロの脅威、イスラエル−パレスチナ間の衝突、北朝鮮やイランの核問題等々、先行き不透明で困難なとき、世界中の期待を背負ってオバマ氏が大統領に就任しました。


日本時間の午前2時頃から行われた就任演説をライブ放送で見ました。20分もの長い時間、原稿を見ることなく、議会議事堂前に集まった200万人の大群衆を前に力強く語りかけていました。感動しました。
オバマ大統領の演説は大統領選の時から何度も聴いてきましたが、彼の誠実な人格がにじみ出ていました。
そして今回の就任演説で特に印象的だったのは、次の言葉です。


「政府はやれること、やらなければならないことをやるが、詰まるところ、わが国がよって立つのは国民の信念と決意である。堤防が決壊した時、見知らぬ人をも助ける親切心であり、暗黒の時に友人が職を失うのを傍観するより、自らの労働時間を削る無私の心である。我々の運命を最終的に決めるのは、煙に覆われた階段を突進する消防士の勇気であり、子どもを育てる親の意思である。

我々の挑戦は新しいものかもしれない。我々がそれに立ち向かう手段も新しいものかもしれない。しかし、我々の成功は、誠実や勤勉、勇気、公正、寛容、好奇心、忠実、愛国心といった価値観にかかっている。これらは、昔から変わらぬ真実である。これらは、歴史を通じて進歩を遂げるため静かな力となってきた。必要とされるのは、そうした真実に立ち返ることだ。

我々に求められているのは、新しい責任の時代に入ることだ。米国人一人ひとりが自分自身と自国、世界に義務を負うことを認識し、その義務をいやいや引き受けるのではなく喜んで機会をとらえることだ。困難な任務に我々のすべてを与えることこそ、心を満たし、我々の個性を示すのだ」

オバマ大統領は、演説の中で何度も「我々」「責任」という言葉を使い、国民全体に連帯感を呼び起こしました。国民全員が団結して困難に立ち向かおうと呼びかけました。素晴らしいことです。
ケネディ大統領が就任演説で言った「国があなたたちのために何ができるかを問うな。むしろ、自分達が国のために何ができるか問いなさい」といった言葉を思い出しました。


奴隷制度はリンカーン大統領の時に南北戦争を経て廃止されました。しかし、ほんの60年足らず前まで、黒人はレストランやトイレ、バスなど白人と一緒に使えないという差別を受け、公民権は認められていませんでした。ノーベル平和賞受賞者マーチン・ルーサー・キングJr.牧師の運動によって、初めてアメリカ国民の意識が黒人の公民権に向けられたのです。
1963年、リンカーン記念堂の前で25万人の聴衆を前にキング牧師が語った有名な言葉、
「私には夢がある。いつの日か、かつての奴隷の子孫と奴隷所有者の子孫が同胞の同じ食卓に着くだろうという...」
彼の夢が今、まさに実現されたのです。
オバマ大統領の就任演説を聴きながら涙を流している黒人のお年寄りの女性の姿がテレビに映し出されました。私も胸が熱くなりました。


アメリカだけでなく、日本も、いや世界中の国々が融和を目指し、団結してこの困難な時代を乗り越えなければなりません。


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不景気なときの最高の投資

2009.01.20日

私の尊敬する経営コンサルタントのブライアン・トレーシーは、今のこの不景気な時代にできる最高の投資は「自分に対する投資だ」と言っています。
先行き不透明なこの時代、株も外貨も、安全なものはほとんどありません。ブライアン・トレイシーは、こういう時こそ自分に投資しろ、すなわち本を読んだりセミナーに出たりして学び、技術を身につけよ、と言うのです。私はこの考えに賛成です。


アメリカでは明日(現地時間20日)オバマ新政権が生まれますが、オバマ次期大統領は貧しい中で育ったため奨学金を得てハーバード大学法科大学院まで進学しました。そのため、新政権の下では、教育にたくさんのお金をかけることになるそうです。これは正しい方法です。日本のように、国民一人当たり1万数千円の現金をばらまいたところで大した助けにはなりません。本当に必要なのは、長い目で見た国家の大計です。


私自身も、幼少時代はとても貧しい環境で育ちました。
どれぐらい貧しかったかというと、幼稚園の頃はよその家の2階の二部屋を間借りしていて、小学校の頃は小さな借家に住んでいました。隣の大家さんの家とはベニヤ板1枚の仕切りで、話し声がよく聞こえてきました。
水道は台所に1つだけ。しかも栓をいっぱいひねっても糸を引くような細い水がちょろちょろと出てくるだけで、いつもやかんやボール、鍋、バケツなどに溜め置きしていました。
もちろん風呂はなく、近所の銭湯に1日おきに通っていました。ですから、親戚の家に遊びに行ったりすると必ず風呂に入れてもらって帰ってきたものです。また、友達の家に遊びに行った時もよく風呂に入れてもらいました。夏には台所の土間にたらいを置いてその中に水を入れて行水して銭湯代をうかしました。
その頃シャンプーが市場に出始めました。父にシャンプーを買って、と言ったら父は1本買ってきて、それがなくなると石鹸をナイフで細かく削り、それを空いたシャンプーの容器に入れて水で溶かして、「さあ、自家製シャンプーだ」と言って、それをずっと使っていました。
小学生の頃、私の大好物のバナナはまだ高価であまり食べられませんでした。そこで父は、卸売市場で果物を扱っている友人から売れ残った黒くなったものをもらって帰ってきて、これが1番おいしいバナナだと言って私に食べさせてくれました。
小遣いはまったくもらっていませんでした。当時私はテレビに出ていましたが、出演料(1回1000円。劇団が500円ピンはねして手取り500円)はいつも親の懐に入っていました。

友達と一緒に遊んでいると、小遣いをもらっている友達はよくお好み焼き屋とかうどん屋に行って自分達で注文して食べましたが、私は友達がおいしそうに食べるのをいつも横で眺めていました。

友達の間で流行ったおもちゃもほとんど買ってもらったことがありませんでした。いつも学校で友達からもらっていました。メンコやビー玉ですら買ったことはありませんでした。最初友達からもらって、あとは勝ってためました。
まるで島田洋七著の『佐賀のがばいばあちゃん』のような世界でした。


このように本当に貧しかったのですが、映画「3丁目の夕日」のように、周りの人たちから愛情をいっぱい受けて、毎日精一杯幸せに、楽しく暮らしていました。よその家をうらやましく思ったこともありませんでした。
母は常に内職して、家計を助けていました。しかし、貧しい中で両親は私を大学に行かせてくれ、さらに卒業後アメリカの大学院にも留学させてくれました。留学する際、お金があることを証明する銀行の残高証明が必要でしたが、銀行にはお金がなかったため、父は銀行から1日だけ必要な額を借りて残高証明を取り、翌日利息を払って銀行に返していました。
留学中、私は常にいろいろなアルバイトをしてお金を稼ぎ、またもらえる奨学金や学費援助は何でも受けました。


今、子どもの頃を振り返ると、ただただ両親に感謝するばかりです。私が今日あるのは、両親のお陰、そして常に我が家を援助してくれた何軒もの親戚のお陰です。それから奨学金をくださった大学院や、学費や生活費をサポートしてくださった多くの方々に心から感謝しています。


留学から帰ってきたときは、ほとんど一文無しの状態でした。それで生活費は切り詰めていましたが、子どもたちの教育費にはお金を惜しみませんでした。
両親から学んだように、お金がない時の最高の投資は教育だ、と思っていたからです。


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これぞ ザ・サービス!

2009.01.19日

結局、昨夜(というか今朝)成績表の処理・印刷が終わって家に帰ったのは、午前4:30。それから風呂に入って寝たのは5:30でした。塾を出ると、向かいのマクドナルドだけが煌々と明かりを灯していましたが、中に客はひとりもいませんでした。もったいない!


そして9:30に起床し、早速印刷した成績表にマーカーでマークしたり、折ったりする作業を始めました。
前に塾でこの作業をしているのを見た生徒が驚いて尋ねました。
「学院長、それいつも全部手でやってるの?」
「そうだよ。先生はそんなに器用じゃないから足ではできないので、手でやってるんだ」
「...」


毎月のこととはいえ、この成績表のデータ処理と印刷、通信の作成、封筒詰めの作業は大変です。


さて、話は昨夜というか今朝に戻りますが、データ処理と印刷の作業をしていたら、3人の先生たちが塾に戻ってきて、遅くまで私が仕事をしているのを見て驚きました。
「学院長、明日大丈夫ですか?」
しかし、本当に驚いたのは私のほうでした。
先生たちは、この日の朝9時に集合して上野の湯島天神に、中3生のための合格祈願のお守りを買いに行っていたのです。さらに驚いたことに、先生たちが筆ペンで習字を始めるではありませんか。何と、お守りを入れる袋1枚1枚に、生徒たちの名前とメッセージを書いていたのです。
先生たちはこのあと、7時過ぎまでかかって全部を書き上げて帰宅したのでした。


この合格祈願のお守りは湯澤先生が10年ほど前に始めたことで、以来ずっと先生達に受け継がれています。

そして今日の授業が終わって、先生達が中3生一人ひとりにこのお守りを手渡しました。
生徒たちからは悲鳴にも似た感動の声と大きな拍手が一斉に起こりました。
「えーっ!」「ウォーっ!」「うっそー!」「まじー!」「やばい!」


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そして最後は、みんなで「アカデミー最高!」


湯島天神のお守りそのものにご利益があるというより、むしろ朝9時にみんなで集まって東京までお守りを買いに行き、徹夜して生徒一人ひとりにメッセージと名前を筆ペンで願いを込めて書く、この愛に本当のご利益があるのです。これこそまさに「期待していないことをするおもてなしの心」ザ・サービスです。
生徒たちはみんな、先生達のこの愛をふところに入れて、ちょうど1か月後の本番の入試に臨むことでしょう。


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大変だぁ!

2009.01.19日

本当に申し訳ありません!


11月度の成績表が年内に送れず大変ご迷惑をおかけしました。
12月度の成績表を冬期講習の分と一緒にデータ処理して印刷し終わり、発送するばかりになっていたのですが、小学生の成績表を見ていてふと気づくと、普段授業のない土曜日に授業をやったことになっているではありませんか!えっ、なに?
もう1度成績処理のプログラムを開いて調べてみると、何と年が明けて12月分を入力したのが全部2009年になっているのです!やっとわかりました。コンピュータは融通が利かず、12月〇日と入力すると、全部今年の12月と解釈して自動的に2009年のカレンダー表示をする仕組みになっているのです。


というわけで、データの入力を今し直している最中なのですが、かなり大変な作業で今晩遅く、と言うかもう日が替わってしまったので、朝早くまでかかりそうです。
本当に申し訳ありません。遅れついで、というわけではありませんが、成績表の発送がまた遅れてしまいました。今週水曜日にはお手元に届くよう全力で頑張りますので、何卒ご容赦ください。


今日のブログは残念ながら内容のあることを書くことができなくなりました。併せてお詫びいたします。ブログの日が飛んだのはこれで3度目です。
明日のブログを楽しみにお待ちください。


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自分の言いたいことをはっきりと

2009.01.17日

今日は中3生のための面接指導を行いました。今日・明日と、2つのグループに分けて、第1陣です。
臨場感を増し、緊張感を高めるために、敢えて全員に制服で塾に来させました。
普段はほとんどの生徒がジャージや私服姿で塾に来ているので、全員が制服を着ている光景は圧巻でした。


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オリエンテーションで面接の流れや、注意事項などひと通り勉強したあと、一人ひとり別室で面接練習をしました。
ドアをノックして入室し、受験番号、出身中学校、氏名を言って着席。本番さながらの緊張感からか、顔がこわばっていたり、普段もっと自由に何でも話している生徒たちが思うように言葉が出てこなかったり、となかなか思うようにいかなかったようです。中には、面接の達人ではないかと思うほど、どんな質問をしても臨機応変にさっと的確な答が戻ってくる生徒もいました。


やっぱり生まれて初めての面接で、しかもこれである程度志望校合格や、将来の進路も決まってくる、と思うと緊張するな、と言うほうが無理なのかもしれません。
でも、何事も慣れです。同じような経験を繰り返していくうちに、だれでも落ち着いてできるようになっていくものです。


面接でもっとも切なことは、自分の考えや感じていること、言いたいことをはっきりと自分の言葉で伝えることです。面接は自分をアピールする場ですから、遠慮していてはいけません。
まだ面接本番まで時間がありますので、自分の言いたいことをはきはきと言えるよう、もっとよく練習しておきましょう。明日に引き続き来週もまた面接練習をしますので、大丈夫です。
自信をもって本番の面接に臨めるようにしましょう。


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素晴らしきかな、人間!

2009.01.16日

先日、高校2年生のO君に英語を教えていたとき、教科書にチスイコウモリ(別名吸血こうもり)というのが出てきました。バンパイア、まさに吸血鬼です。南アメリカの熱・亜熱帯地域に生息し、牛や馬などの動物に大きな鋭い歯で噛み付き、血を吸うことによって生きています。恐ろしい動物です。


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ところが、教科書に紹介されているチスイコウモリは何ととても義理堅い、社会性のある動物なのです。どういうことかと言うと、チスイコウモリはえさである動物の血にいつでもありつけるとは限らず、あるときはたっぷりと血を吸うが、まったく食事にありつけない日もあるそうです。これは個々のコウモリの技術というより運によるようです。それで、中に運悪く数日間動物の血にありつけず、衰弱して餓死するものも出てきます。
とても獰猛なイメージがするチスイコウモリですが、たっぷり食事を摂ったものは、食事にありつけなかったかわいそうな仲間に口移しで分けてやるそうです。そして、以前に食事を分けてもらったことのあるコウモリは、その次たっぷり血を吸うと、今度は恩返しに前に血をくれたコウモリに返すというのです。
また、いつ自分もまた食事にありつけなくなるかわからないので、余裕があるときにはほかのコウモリに分け与えるそうです。
つまり、チスイコウモリは自分だけでは生きていけないのを知っていて、お互いに助け合いをしているのです。
これを知ってO君は感心しました。動物の世界はすごいなぁ、と。


これは別にチスイコウモリに限ったことではなくて、結構いろいろな動物も似たようなことをやっています。
しかし、動物の場合は本能に従ってこれらの行動を取っていますが、人間は愛と理性で行っています。チスイコウモリのような仲間内の助け合いは、人間の場合はたとえば保険制度などを通して行っています。
人間はそれ以上に、自分の益を求めずに人のために自己犠牲を払うことすらします。地震のときの救援活動や、さまざまなボランティア活動がそれです。ときに、人を助けるために自分の命を犠牲にすることさえあります。
私はここに人間の素晴らしさを見ます。


動物と人間を比べると、人間は多くの点で動物に劣っています。鳥のように空を飛ぶことはできませんし、魚のように水の中を自由に泳ぐこともできません。また陸上を走ることにおいても多くの動物に負けます。
しかし、人間には知恵が与えられていて、空を飛びたいと思ったら飛行機を発明し、また川や海を渡るために船を、早く走るために自動車や電車を発明しました。やがて人間は空を飛ぶことを大きく超えて、宇宙にまで行くことができるようになりました。
力でも人間は多くの動物に負けてしまいます。ペットの犬ですら、きちんと飼いならさなければ人は犬に負けます。
人は自分よりもはるかに大きく、強いライオンや象や熊のような動物すら調教して、自分の思い通りに操ることができます。


人間には動物に勝るすごい能力が与えられていて、さらに動物には真似のできない愛が与えられています。人間の可能性を大いに期待しましょう。
地球温暖化防止、地域紛争の解決、地域間の貧富の差の解消、そのほか私たちの身の回りにあるさまざまなバリア(障壁)を取り除くために、人間に与えられている愛や理性に期待しましょう。
 
素晴らしきかな、人間!


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私の英単語記憶術を公開します

2009.01.15日

私自身は昨日のブログにも書きましたように、父が英語を話すことができ、叔母がアメリカ人と結婚していたことなど、環境が恵まれていたため自然と英語が入ってきました。単語も自然と入ってきて覚えることができたので、とくに苦労しませんでした。周りの友達が苦労していた単語のスペルも、発音を正確に覚えていたので自然と綴ることができました。これはいわゆるフォニックスですが、ルールを教えてもらったわけではありませんでしたが、無意識のうちに自分でルールを見つけて、活用していたようです。
英語力はまずは英単語力です。語彙力が乏しければ、英語を読むことも書くことも、聞くことも話すこともできません。
英語が苦手な生徒から、単語の覚え方を教えて、とよく言われます。


そこで、私が自然と身につけた英単語の覚え方をここに公開します。
1.フォニックスの基本的なルールを覚える
  英語の音は母音と子音から成り立っていますが、ほとんどのケース子音と母音がセットになって音 
  節(音のかたまり)を作っています。(例外はstraight のようにstという子音が続くケースですが、これ
  はそれほど多くありません)
  母音は a e i o u の5つですが、これにはアルファベット読み(エイ、イー、アイ、オウ、ユー)した長音
  と、ローマ字読み(ア、イ、ウ、エ、オ)のような単音があります。
  フォニックスのルールで、とても役立つのは「マジックe」で、
  母音+子音のときは短母音で、母音+子音+e のときは長母音で読む。
  (例) hat(ハット) hate(ヘイト)、pet(ペット) Pete(ピート)、kit(キット) kite(カイト)、
  hop(ホップ) hope(ホウプ)、cut(カット) cute(キュート)
2.接頭辞・接尾辞などを覚える
  possible (可能な) im+possible (不可能な) im (in, un) は反対の意味の接頭辞
  tradition (伝統)  tradition+al (伝統的な)  -al は形容詞を作る接尾辞
3.同意語・反意語をセットで覚える
  big large, small little
  tall short, fat thin
4.語源を調べる
  drive (動物などを追う、馬を駆る → 車を運転する)
5.グループで覚える
  週、月、季節、動物、植物、乗り物など
6.文章の中で覚える
  英語が苦手な人ほど、豆単のようなものを使ってaから順番に覚えています。
  知らない単語が出てきても、文章の中でどのような意味で使われているか類推し、文章全体の中で
  単語を覚えると忘れにくいです。
7.たくさん本を読む
  自分の興味のある分野の本や雑誌を数多く読むことで語彙をふやすことができます。
8.語呂合わせで覚える
  私が生徒に教えているものの中からいくつか例を挙げると、
  cicada 「セミ」 (ミーン、ミーンとうるさいセミ死刑だ
  must 「〜しなければならない」 (体重増すとダイエットしなければならない
  May I 〜?  「〜してもいいですか?」 (メイ、愛してもいいですか?
  
語呂合わせは邪道のようですが、覚えるための最初のきっかけ作りです。結局は、覚えた者勝ちです。私は使いませんでしたが、記憶術の専門家も勧める有効な手段です。


まだほかにもいろいろあるでしょうが、とりあえず思いついたものを挙げました。お役に立てば幸いです。


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意思あらば道通ず

2009.01.14日

ちょっと生意気なようですが、私は自分のことを「英語の達人」と自称しています。
なぜ、敢えてそのようなことを言うかといえば、英語にかける意気込みが違うからです。
英語が得意な人や英語が読み書きできる人、会話ができる人はいくらでもいるでしょう。
それでは、私の「英語にかける意気込み」とはなんでしょうか?


私は幼稚園の頃、父がアメリカ人と英語を自由に話しているのを見て、自分も大きくなったら絶対に英語が話せるようになりたいと思いました。それで幼稚園の頃、描いた絵には「ABC」とか「NHK」とか自分の知っているアルファベットを必ずどこかに書いていました。それを見た幼稚園の先生が、赤でコメントを書いてくれました。「譲二君は大きくなったら英語がペラペラになるんだね」。
私はこの言葉を信じていました。
そして小学校の4年生頃には、学校の図書館にあった英語関係の本を全部借りて読んでいました。
『小学生のための楽しい英語』と書かれていたものがありました。楽しみにして借りて家に持って帰って見ると、全然楽しくありません。それでも、その本の中に書かれている英語の言葉を全部覚えました。


私の場合、叔母(母の妹)がアメリカ人と結婚していて、毎年夏休みはその叔母の家でずっと過ごし、そこで叔母や叔父の話す英語に触れる機会があったことが本当にラッキーでした。また横須賀の米軍基地にしょっちゅう連れてもらって、基地のPX(デパート)やcommisary(カマセリ − スーパーマーケット)の買い物に付き合わせてもらったり、将校クラブのBingo gameに参加させてもらったり、当時まだ日本にはほとんどなかった基地内のボウリング場でボウリングをさせてもらったり、とほかの人が経験できないことをさせてもらったことが私の人生に大きな影響を与えました。叔父の友人のアメリカ人の家に泊めてもらってそこの子どもと遊んだり、一緒に旅行に行ったり、と数え切れないほどの思い出ができました。そのとき、とくに英語がペラペラと話せたわけではありませんでしたが、聞いていてなんとなく言っていることがわかったものです。


このようにして小学校の頃覚えた英語の単語の数は中学、高校時代ほとんど間に合うほどでした。
高校生の頃、アメリカ人高校生の交換留学生をうちでお世話しましたが、この経験も私にとってはかけがえのないものとなりました。


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手前一番左が交換留学生のエド君、その隣が私。小学校、中学校、高校時代の友人たちと一緒に京都の愛宕山に登ったとき。一番後ろの左の人は関係ない人。なぜか一緒に記念写真の中に収まりました。


当然のことのように大学では英語を専攻し、大学卒業後はアメリカの大学院に留学することになりました。このような機会が与えられたことは、すべて両親のお陰と心から感謝しています。


さて、英語の話に戻りますが、私の場合はどうしても英語ができるようになりたい、という熱意が小さい頃からありました。そこで中学校に入ったときには、学校の英語教科書(Standard Jack and Betty)準拠のレコード(当時はフォノシートと呼ばれたペラペラの薄いレコード盤)を擦り切れるほど繰り返し聴き、録音されているアメリカ人の発音と同じ発音ができるまで練習しました。高校生のとき、うちに来た交換留学生が私に最初に言った言葉は、「君はバークレーで生まれたの?」でした。私は当時、バークレーがどこにあるかも知らず、一体何のこと?と不思議に思いましたが、今考えると、レコードに録音していたアメリカ人がきっとバークレーの人だったのでしょう。
アメリカに留学したとき、アメリカ人は最初から私のことをアメリカ生まれの日系人と思っていました。


私の「英語にかける意気込み」、この意思が道をどんどん開いていきました。つまり「引き寄せの法則」です。


「意思あらば道通ず」  これは何事にも当てはまります。また誰にでも当てはまります。
要は「固い意志があるかどうか」です。


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本当のサービスとは

2009.01.13日

皆さんは、「サービス」というとどんなイメージを持ちますか?
価格あるいは料金以上の価値あるもの、といった感じでしょうか?


私は常々、アカデミー学院の売りはこの「サービス」だと思っています。
問い合わせのお客様が見えたとき、塾の説明をしますが、そのときに強調するのが「サービス」です。
他塾以上のサービスをたくさんつけるよう心がけています。


たとえば、小学部のディズニーランド遠足、クリスマス会。親が忙しくてなかなか子どもをディズニーランドに連れて行けない、そのような方々のために私たちが1日親代わりのようになって子どもたちを連れて行きます。子どもたちは友達と一緒なので、家族と一緒のときよりも伸び伸びとさらに楽しむことができるようです。クリスマス会では、ほかでは経験できないキャンドルライトサービスや英語の賛美歌合唱、子どもたちの楽しめるゲームをやったり、ケーキやお菓子、ジュースなどのリフレッシュメントのほか、プレゼントも子どもたちにあげます。みんな、子供会のクリスマス会よりずっと楽しいと大満足してくれます。


中学部では、入塾前の1か月無料体験、季節講習無料体験、集団指導と個別指導の自由な組み合わせ、バス送迎、年間300時間を超える無料補習、期末テスト前の音楽・美術・保健体育・技術家庭の技能4科の対策授業、年間通じての無料英検対策授業、他塾にない30万題におよぶデータベースシステムの活用、ご家庭に毎月送付する家庭成績通知表、バーベキュー大会、夏合宿、映画会などのイベント、等々このほかにも生徒やご父母の方々に喜んでもらえること、役に立つことは何でもやろう、という感じです。
先生達もみんなサービス精神満点です。生徒のために徹夜で、わかりやすい楽しい教材作りをしたり、生徒の通う学校の体育祭や文化祭に行ったり、生徒のいろいろな相談にのったり、と。


しかし、サービスの本質は実は、「〇〇をする」とか「◇◇をあげる」とかではなく、お客様を大切にするハートです。
2年半前の誕生日に長男から1冊の本をプレゼントしてもらいました。
『リッツ・カールトンが大切にする サービスを超える瞬間』というタイトルで、リッツ・カールトンという一流ホテルの日本支社長が書いたものです。


最初この本を見た瞬間、これはあまり自分には関係ないな、という印象を受けました。
表表紙を開いたところに息子が次のように書いていました。
「パパへ
父の日と誕生日、おめでとう。そしていつもどうもありがとう。
家族をはじめ、誰に対しても既にサービス精神いっぱいのパパだけど、
これからもますますそこに磨きをかけて、人間関係の達人になってください」
これを読んでジーンと来て読み始めました。
すると、読み進むにつれて感動で胸が震えるようになりました。教えられることの多い、最高の書物の1冊になりました。そしてそれ以来、何度も読み直し、その都度また新しいことを教えられています。


本の中にはいろいろなことが書かれていますが、エッセンスをひとことで言うと、
「お客様が期待していない、予期していないことをする、おもてなしの心」でしょうか。
これは、仕事のみならず、すべての人間関係にも通じることで、だれが読んでも多くのことを教えられる良書です。皆さんにもぜひ一読をお勧めします。


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中3生がだんだんアカデミーになってきたぁ!

2009.01.12日

1月5日のブログ「アカデミーになってくる」で、中3生が4日から12日まで9日間連続で塾に来ることになる、と書きましたが実際、土・日・月の補習や個別も含めて9日間連続で来た生徒が15〜16人もいました。
生徒に尋ねたら、「もうアカデミーになってきました!」という返事。


6日のブログ「冬期講習が終わったぁ!」に登場したS君も、さすがに切羽詰ってか顔色が変わり、毎日塾に通うようになり、補習でも、個別でも必死で勉強に取り組んでいます。10日の授業が終わって帰りのバスを降りるとき、「先生、今からでも必死で頑張ったら〇〇校に合格できるでしょうか?」と彼が尋ねたので、私は「まだ3か月分あるんだよ。必死で頑張ればね」と答えました。いよいよ、S君も必死モードになりました。


今年の中3生は本当に気合が入っています。集団で勉強しながら、さらに個別で英語、数学、理科、社会などを勉強している生徒が何と15人もいます。土曜日の個別は教室が満杯状態。この気合を私たち教師ももらって頑張っています。


月・水・木・金曜日の入試直前特訓の授業のほか、月曜から金曜日まで毎日午後4時〜6時も中3生のために教室開放しています。そして、土・日曜日は午後2時〜10時まで補習です。どんどん活用してください。これからが勝負です。まだまだいくらでも伸びます。やればやるほど伸びます。自分の可能性を信じて頑張りましょう。


エベレスト(チョモランマ)を何度も登頂した人が言っています。
「エベレストは誰でも登れます。一歩一歩、足を前に進めれば、誰でも必ず頂上に到達できます」と。

そうです。「成功とはあきらめないこと」です。あきらめさえしなければ、誰でも必ず成功することができます!


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憎しみに打ち勝つのは愛

2009.01.11日

1950年代のアメリカでの出来事です。


13歳の黒人少年が通う学校ではワシントンDCに遠足に行くことになりました。
このビッグニュースを持って帰った息子に母親はお金がないから無理だ、と言います。
クリフトンはどうしてもこの遠足に行きたくて、2ヶ月間キャンディを売ったり、新聞配達をしたりしてようやく期限ぎりぎりにお金を貯めます。


子どもたちはワシントンDCのリンカーン記念堂のそばのホテルに泊まることになりました。
クリフトンと、同じ部屋になったフランクのふたりは、部屋の窓から水風船を下の通行人に投げつけるいたずらをしてすぐに友達になります。
翌朝、担任の先生にクリフトンが呼び出されます。ふたりは昨夜の水風船が窓の下を歩く女性に当たったことを知っていたので、こっぴどく叱られると覚悟します。
「クリフトン、メイソン・ディクソン・ラインって知ってる?」と先生。
水風船とそれと一体なんの関係があるのだろうと思いながら「いいえ」とクリフトンは答えます。
「南北戦争の前に、ペンシルベニア州とメリーランド州の間にメイソン・ディクソン・ラインという線があったの。今では、北部と南部を分ける目に見えない境界線のようになっているのよ。明日みんなで行ことになっているグレン・エコー公園はメリーランド州にあって、黒人はここに入れないの」
「つまり、僕は公園に行けないってことなの?」
「ごめんなさいね」


部屋に戻ったクリフトンは泣き始めました。それを見たフランクが「どうしたの?」と尋ねます。
「僕は黒人だから、公園には行けないんだ」
「それなら僕も行かないよ」
やがて部屋には11人のほかの白人の少年達が集まり、フランクの話に耳を傾けます。
ひとり、ふたり、次々と「僕も行かない」と少年達は言い始め、ついに全員が公園に行かない決心をします。みんなとても行きたかったのに。


翌日、別の先生の取り計らいで野球の試合を見に行くことになった少年達は、途中リンカーン記念堂の前で立ち止まります。
リンカーンの像の下には彼の有名な言葉「この国は、神の下、自由の新しい誕生を見る」がありました。


リンカーンは自由はただではない、と言っていました。肌の色の違いゆえに差別行為が行われるとき、自由のための戦いが始まります。時には、銃や暴力を人々は使います。しかし、一番効果的な「武器」は愛と勇気の行為です。


クリフトンは生涯、このとき11人の白人の友達が示してくれた愛の行為を忘れませんでした。この愛こそが憎しみに打ち勝つ力なのです。
(高校の英語教科書 Pro-vision Lesson 7 の要約)


サンフランシスコ近くのオークランドという町で、喧嘩をしていた黒人青歳を取り押さえた白人の警官が、青年の背中を銃で撃って殺したという衝撃的な事件が数日前に起きました。これに怒った黒人たちが激しいデモを行い、さらに一部は暴徒化して商店のガラスを割ったり、車に火をつけたということで100人ほどが逮捕されたそうです。


アメリカ史上初の黒人大統領オバマ氏が10日後に就任式を迎えようとしている矢先の出来事で、非常に残念です。
私自身は、これまでのオバマ氏の演説を聞いてきて、きっと素晴らしい大統領になるだろう、黒人と白人の融和が進められるだろう、と大いに期待しています。


イスラエル・パレスチナ問題も、アメリカの黒人・白人問題も、日本国内における在日朝鮮・韓国人問題も、そのほか世界中のさまざまな問題も、根源は人間の罪の性質から起こっています。
しかし、人間は同時に愛も持ち合わせています。この愛以外に、これらの問題を解決する方法はありません。


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ものごとの背後には複雑な歴史が

2009.01.10日

昨年の海外10大ニュースの第1位は、アメリカの大統領選でバラク・オバマ上院議員が共和党候補のジョン・マケイン上院議員の2倍を越す選挙人を獲得して、初の黒人大統領に選ばれたことでした。
アメリカの黒人というと、アフリカから強制的に連れてこられた奴隷の子孫である、ということはみんな知っています。オバマ氏自身は奴隷の子孫ではありませんが。


しかし、アフリカの人たちが奴隷として連れて行かれたのは今日のアメリカ合衆国だけではありませんでした。
アメリカ以前にヨーロッパ、とくに当時勢力のあったスペインやポルトガルもアフリカから大勢の奴隷を自国に連れて行っています。
アメリカ合衆国南部とメキシコにはさまれたカリブ海(ディズニーランドの「カリブの海賊」や映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』で有名)に浮かぶ島々にも今日、黒人がたくさん住んでいます。たとえば、キューバ、ハイチ、ドミニカ、ジャマイカ、プエルトリコなどの国々です。


これらの島々にはカリブ族と呼ばれる先住民が住んでいましたが、1492年にコロンブスがアメリカ大陸にやってきたことをきっかけに、その後スペインに植民地とされます。
このカリブ海の地域の気候は亜熱帯で農作物の栽培に適していたため、サトウキビがスペイン人の農園(プランテーション)所有者らによって大規模に栽培されることになります。
当時、ヨーロッパでは高価だった砂糖が甘味料、薬、装飾美術品などに大量に消費され始めていたため、カリブ海のプランテーションは砂糖をさらに増産する必要に迫られました。
そのためヨーロッパを出港する船は銃や金属製品などさまざまな品物を満載してアフリカに向かい、そこでこれらを黒人奴隷と物々交換し、次にその黒人を労働力としてカリブ海のプランテーションに送り込み、そこで彼らによって作られた砂糖をヨーロッパに送るという、大西洋をはさんだ「三角貿易」が行われることになります。
このように、ヨーロッパでの砂糖の需要を満たすために、労働力として黒人奴隷が大量に北アメリカ大陸を始め、カリブ海、中南米の国々に売られたのが、今日のこの地域の黒人住民の始まりなのです。
つまり、今日では決して認められない人身売買という恐ろしい制度を、当時は人間のエゴが正当化していたわけです。


ものごとの背後には複雑な、また醜い歴史があります。私たちは同じ間違いを犯さないために歴史から学ぶことが必要です。


昨年末以来、どんどん悪化の一途をたどっているイスラエル・パレスチナ問題も、何千年という長い歴史が複雑に絡み合っています。問題解決は決して容易ではありませんが、誰かが勇気をもって、たとえ大きな犠牲を払ってでも、解決に向けた第一歩を踏み出さなければなりません。世界中の国々が、対岸の火事と見過ごさずに、収束に向けてみんなで協力すべきです。国益だけを考えていてはいけないのです。


パレスチナに真の平和が1日も早く訪れることを祈りつつ。


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引き寄せの法則

2009.01.09日

昨日の読売新聞スポーツ面に載っていた記事「55を継ぐ男  大田泰示物語」が私の目を引きました。
大田泰示(たいし)は今年、超高校級スラッガーとして、東海大相模高校から鳴り物入りで巨人に入団した選手です。


2004年、広島で行われた少年野球教室に当時中2の大田が参加していた。原巨人監督が、
「誰か、バットを振ってみてくれないか」と言ったのに、大田ひとりが手を挙げた。
大田の素振りを見た原は「いいなあ。進路は決まっているのか。まだ2年生か!? 言うことないな」とうなった。
原の放つオーラに圧倒された大田は、原監督が東海大相模高校を卒業していることを知ると、両親の猛反対を押し切って原の母校に進学。
そして「原監督の下で野球をしたい」と、プロ入りを決意し、反対する両親を3日間かけて説得。
10月のドラフト会議で、ソフトバンクと競合の末、5回連続で抽選を外し続けてきた原が、大田との交渉権を引き当てた。それは「偶然」ではなく、「運命」だった。(同記事を要約)


非常に感動的な内容です。いつも私が言っている「信じて疑わず、決してあきらめなければ、夢は必ずかなう」を実証しています。
私はこれを「引き寄せの法則」と呼びます。
これを「偶然」とか「運がよかった」と言う人もいます。すると、この世の中の出来事はすべて「偶然」と「運」の結果起きるもので、「意味のある」ものは何ひとつありません。私たち自身の存在さえもそうです。
私たちの命、人生が、意味なく、偶然の産物であるなら、生きる価値もありません。
しかし、私たちは本能的にそうではない、ということを知っています。


私自身、これまでの人生で数え切れないほど、この大田君のような体験をしてきています。ですから、これらが「偶然」や「運」の結果起きることではなく、「引き寄せの法則」が働いて起きることである、と確信して言うことができるのです。
このブログでも以前書いた 「テレビに出たこと」 や 「家を建てたときのこと」 、「奨学金をもらったこと」 、「英語がマスターできたこと」 等々、「引き寄せの法則」が働いたケースは挙げればきりがありません。


ただ、「引き寄せの法則」にはひとつ落とし穴があります。
何でしょう?
それは「信じて疑わず、決してあきらめない」という条件があるということです。
「自分は何をやってもうまくいかない」と言う人は、初めから「きっとうまくいかないだろう」と思っているので、その考えが自分の望まない結果を引き寄せているのです。


ほとんどの人が、これまでの人生を振り返ると、良きにつけ、悪しきにつけ、自分の考えが結果を引き寄せていた、という経験がいくつかあるはずです。
ならば、いい結果を引き寄せないと損じゃないですか?
受験生よ、自分の夢を信じなさい!そして自分の望む結果を引き寄せなさい!


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ブログの閲覧、ありがとうございます!

2009.01.08日

サイト運営会社から12月度のアクセス解析が先日送られてきました。
1か月弱の間にアクセス数が1000あった、ということで正直驚きました。
さらに驚いたことは、学院長ブログが予想外に大勢の人たちに読まれていることでした。
ありがとうございます。毎日欠かさず書いている甲斐があります。


昨日の中3の授業で、「今、風邪を引いて喉を痛めていてあまり声が出ないので」と言ったら、H君が大声で「学院長の元気の出るブログを読んだら、元気が出るよ!」
そしてT君が「麻生さんの記事読んだよ」
H君が「正月の先生の写真も見たよ」
「僕も見た」
「クリスマスツリーのを読んだ」
「サッカー少年のを読んだ」
「先生がテレビに出ていたのも読んだよ」
「中3のS君って、〇〇君のことでしょ」
次々とブログを読んでいる、と生徒たちが言ってくれて、とてもうれしくなりました。これまであまり反応がなかったので、どれだけ読んでくれているのかわかりませんでした。
それで、ついついサービスしていろいろと面白い話をしてしまい、クラスが終わったら本当に喉が痛くなって、声が出なくなってしまいました。
でも、H君の勧めに従って「学院長の元気の出るブログ」を読んだら、本当に元気が出てきました。
H君、ありがとう!


推薦文を書いてくれた中大時代の教え子の中藤君も毎日ブログを読んで、メールで感想を送ってきてくれて励ましてくれています。
そのほか、年賀状でアカデミー学院のホームページのことを知った人たちからも、ブログを読んだ感想をいただいており、感謝しています。


ホームページはただ作りっぱなしだと、一度見たらもう目新しいことがないので、みんな見なくなってしまいますが、ブログは結構人の興味を引くようです。
そこで皆さんへのお願いですが、せっかくステキなホームページができたのですから、もっと塾生専用ページの掲示板も活用して交流しましょうよ!ブログとともによろしくお願いします!!
できればブログの感想なども書いていただけたらうれしいです。


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漢字を馬鹿にする者は、漢字に馬鹿にされる

2009.01.07日

麻生首相がまたやりました。


昨日の衆院本会議で、日本の現在の経済の状況に関する答弁で「低迷」を「ていまい」と読み間違えたそうです。昨年12月にも同じ読み間違いをしていたそうで、麻生首相はこれまでこの漢字を「ていまい」と思い込んでいたものと思われます。
これまでにも、「踏襲(とうしゅう)」を「ふしゅう」、「頻繁(ひんぱん)」を「はんざつ」、「未曾有(みぞう)」を「みぞうゆう」と読み間違えています。これらの漢字はうちの塾の中学生でも読めます。
首相の秘書が記者会見で、「首相は最近老眼が進んできて字が見えづらくなってきている」という苦しい弁明をしましたが、老眼で字が見えづらければ単に見えないだけで、読み間違えるということはあり得ません。やはり麻生さんは、これまでずっとそのように読んできていたのでしょう。


麻生首相は日本の経済状況を憂いて、活性化を願っているのでしょう。その願いがかなってか、出口宗和著「読めそうで読めない間違いやすい漢字」(二見書房、税込500円)が、教養本としては異例のベストセラーになっているそうです。


また4日の記者会見では、自ら書いた書初めを手に抱負を語ったそうですが、その色紙にも誤字が。


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平成廿一年とすべきところを、「廿十一年」と書いてしまいました。「廿」という漢字はよく見ると、十という漢字が横に二つ並んでいますが、そのようにして作られたものです。
今日の読売新聞の「USO放送」には、この出来事を皮肉って「廿十一  十はプラスと読む ―麻生首相」とあり、思わず吹き出してしまいました。


漢字が苦手な人は、普段からできる限り漢字を使わないようにしてひらがなばかり使っていますが、それがますます苦手を助長します。漢字が得意になる方法はただひとつ、日常の生活の中でできる限りたくさん使うことです。


漢字を馬鹿にする者は、漢字に馬鹿にされます。


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冬期講習が終わったぁ!

2009.01.06日

今日、冬期講習が終わりました。
終わってみればあっという間でした。
昔は22日間の夏期講習は延々と続くように感じられたものですが、最近は夏期講習ですらあっという間に終わってしまいます。時が経つのが早く感じるのは歳を取ったせいなのでしょうか...


そう言えば、今中3のS君が小学6年のとき、最近時が経つのが早く感じて、1年があっという間に過ぎてしまう、と言ったのを昨日のことのように覚えています。その彼も今では背丈は私よりもうんと高くなり、すっかり大人になりました。授業中は、納得がいかないことがあると必ず質問します。説明するとこと細かに全部書き留め、自らの理解を確認します。送迎バスを降りるときには、バスの中でペコッとお辞儀をして「ありがとうございました」とお礼を言い、降りてドアを閉めてからまたバスに向かってきちんとお辞儀をするとても礼儀正しい子です。成績も中1から中3までの間にぐんぐん伸びました。もうすぐ塾を巣立つのかと思うと、ちょっぴり寂しくなります。あるいは、将来大学生になったらまた塾講師としてアカデミーに戻ってくるのだろうかなどと思い、感慨深くなります。


今日は、中3は県模試。朝10時から、お昼を1時間はさんで夕方4時までの長丁場でした。
「できた!」「自信がある」「やばい!」「先生、ごめんなさい。反省会します!」等、いろいろな反応がありました。


そう言えば、私自身人一倍長く試験を経験してきました。最終の学校を卒業したのはなんと34歳のとき。それまでずーっと勉強と試験ばかりでした。小中高校の頃は大の勉強嫌いだったのに、なんでこんなに長い間勉強することになったんだろう、と考えてみたら、小中高校の頃は無理やり勉強させられていたので勉強が面白く感じなかった。しかし、大学に入って自分の好きな勉強を始めて勉強の面白さがわかるようになり、いつの間にか勉強にはまってしまった、という感じです。今も絶えずいろいろな勉強をしていますが、今は勉強が楽しくてしかたありません。


でも、学生生活で一番最後の試験が終わったときのあの感動は今でも忘れることができません。
答案用紙を提出して教室から外に出てキャンパスを歩いていたとき、「ついに終わった!。これでもう試験はない!」とじわじわと感動がこみ上げてきて、我慢できなくなり、周りに人がいるかどうかも確かめないで、文字通り飛び上がって、「やったぁ!終わった、終わった!」と大声で叫んでしまいました。


思い起こせば、アメリカに留学してからの勉強は本当に大変でした。毎日のようにクイズという名の小テストがあり、4ヶ月間のセメスターにペーパーと呼ばれるレポートがいくつもあり、さらにミッドタームとファイナルという大きなテストがあり、リーディングアサインメントは1つのコースに最低でも5〜6冊あり、本当に毎日勉強漬けでした。


いつの間にか、生徒たちに勉強させ、試験をする側になっていました。試験はいつまでたってもやはり大変ですが、少なくとも勉強を楽しめるようになって欲しいと願ってやみません。


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アカデミーになってくる!

2009.01.05日

昨日、冬期講習が再開しました。今日は2日目で、明日は総仕上げの学力テストと中3生は県模試の日です。そして、中3生は、冬期講習明けからいよいよ入試モード突入で、入試直前特訓に入ります。

直前特訓では、英語・数学を週2日、国語・理科・社会も週2日で、週4日体制で最後の追い込みをします。入試直前の6週間、この特訓を行いますので、なんと通常授業の3か月分近くも学べるという集中講座です。


予定では明日の県模試が終わって1日休みをとり、明後日から直前特訓を開始することになっていました。ところがうっかりと昨年度実施した特訓の曜日を頭に入れてスケジュールを組んだため、最後の授業が本番の入試の前日になってしまいました。少なくとも前日ぐらいは家で心身ともにゆったりするほうが、本番でも実力が発揮できるので、いつも前日は休みにしています。そこでやむなく、1日繰り上げて実施することにしました。


すると、1月7日スタートです。今年度の直前特訓実施の曜日は、月・水・木・金曜日です。
そこで、今日の中3生の最終授業で、ホワイトボードに日程を書いて変更を伝えました。
なんと、昨日4日から授業が始まり、今日5日の授業、6日の県模試、そして直前特訓が7日、8日、9日と続き、さらに個別指導で強化学習をしている生徒は10日、そして翌11日(日)は自由参加の補習日、さらに12日は直前特訓ということで、生徒によっては9日間連続の塾ということになりました。
これを聞いた生徒からは一斉に悲鳴が上がりました。ただそれは恐怖の悲鳴ではなく、感激の悲鳴(?)のように私には聞こえました。


Kさんが大声を上げました。「アカデミーになってくる!」
教室がどよめきました。
そうです。毎年、この時期になると、生徒によっては家にいる時間よりもアカデミーにいる時間のほうが長くなる、という現象が起きるのです。でも、生徒はそれをとても楽しんでいます(と私の目には映っています)。
「学校よりも塾のほうが楽しい」「塾が毎日あるなら、毎日でも来たい」という生徒の声に応える形となりました。


このホームページの卒塾生の声に「アカデミーは第2の家」と書いてくれた現高1の吉岡さんが言っていました。
「食事をとって塾に行くとき、『行ってきます』ではなく、無意識のうちに『塾に帰ってくる』と言ってしまって、母親に笑われた」。


中3生は、これからだんだん「アカデミーになってくる」んですねぇ...


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厳しさと優しさ

2009.01.04日

学生の頃、坪内逍遥について本を読んで、いたく感動したことを覚えています。
逍遥は早稲田大学で教えていましたが、当時彼は指先まで黄色くなるヘビースモーカーだったそうです。
あるとき、彼の学生がタバコを吸っているのを見て、彼はショックを受けます。学生のお手本になるべき教師が悪いお手本となっている、と自ら深く反省し、ただちに禁煙したそうです。
彼は自分自身にとても厳しかったそうです。
しかし同時に逍遥はとても優しい先生でした。
彼に教わった学生はみんな、自分が先生に一番愛されていると感じていた、と述懐していました。


厳しさと優しさ。
私たちはとかく、人に厳しく、自分に甘くなりがちです。人を計る物差しと自分を計る物差しが違うのです。
逍遥に倣って、自分に厳しく、人に優しくありたいものです。


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ペイ・フォーワード

2009.01.03日

『ペイ・フォワード』という映画を皆さんはもうご覧になりましたか?
2000年の作品なので9年近くも前に作られたことになります。テレビでも放映されたことがあるようです。封切された当時、私は興味を持っていたのですが見そびれてしまって、いつか見ようとずっと思っていました。
そしてついに昨日、レンタルDVDで見ました。まさに私が思っていたとおりの映画で、最後のシーンは感動で涙が止まりませんでした。
 

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映画会<アカデミーSHOW>で次回にでも上映したいと思うので、詳しい内容はここでは書きませんが、おおまかな内容は次のようなものです。
人は他人から何か厚意を受けると、普通その相手にお返しをしようとします。しかしそれでは、その厚意は当事者間のみで完結してしまいます。
この「厚意」を受けた相手に返す(ペイ・バック)のではなく、別の人に別な形でお返し(ペイ・フォーワード)していくと、善意の輪が知らず知らずのうちにどんどん広がっていきます。
やがてそれは私たちの家族を、友達を、学校を、社会を、国を、世界を変えていくことになる、という話です。


これは普段私がこのブログに書いているのとよく似た考えです。
「平和」 「思いやりの心」 「新しい年に期待すること」
私はこの映画を見て、本当にうれしくなりました。私が言っていることは、単なる理想論ではない、ということです。


学校などでも上映されているようで、とても教育的な映画です。途中、一部?なシーンもありますが、見た人はほとんどみんな大きな感動を覚え、その人からこの小さな親切運動が広げられていっているようです。
実際、ペイ・イット・フォーワード財団まで作られていて、この運動は世界に広がっているとのことです。
アメリカでは、高速道路の料金所で料金を支払うとき、次に来る人の分まで支払ってあげる、などが実際に行われていると聞きました。
人は自己中心で、悪意も持っていますが、善意も持ち合わせており、捨てたものではありません。


この映画についてネットで調べていたら、次のサイトが見つかりました。ぜひご覧ください。 
pay-forward_move.gif 
あなたにも世界は変えられますをクリック


心温まる、お奨め映画です。
この新しい年、アカデミー学院でもこのような運動が広げられていくといいなと思います。
そのためにはまず、私自身からその運動を始めないと。


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何事も一生懸命

2009.01.02日

昭和34年(1959)4月10日の皇太子殿下(今の天皇陛下)結婚パレードの実況中継放送を機会にTVが大きく普及し始めました。我が家でもこの頃TVを購入しました。
それまではTVのある近所の家にみんな集まって、プロレスや月光仮面などを見ていました(そう、『三丁目の夕日』に出てくるあのシーンです)。


ちょうどその頃、どういうわけか私はTVにとても興味があって、劇団に入っていました。
劇団では発声練習や早口言葉、演技の練習などをしていました。何事も一生懸命の私は、家でも毎日早口言葉を練習し、劇団で一番うまくなりました。泣く演技では涙をぼろぼろ流し、みんなを驚かせました。そんなわけで、劇団に入ってくる子役の話はたいがい私のところに回ってきました。

それまでにもカレンダーのモデルになったり、何本かのCMに出たりしていましたが、あるとき連続ドラマの主役が入ってきました。毎週月曜日の夕方、大阪の毎日テレビから関西と関東で放映されていた『スーパーお姉さん』という番組です。

昭和34年のTV番組表 毎日テレビ 月曜日 6:30

当時を知っている人たちにとっては懐かしい番組ばかりです。


そのときの数少ない写真です。


TVcast.jpg TV.jpg


共演していたスーパーお姉さんは、那智子さん。とってもきれいな魅力的な方でした。


nachiko.jpgTV2.jpg


右は当時の私の写真で、テレビ各局に登録されていたものです。


那智子さんとは今でも毎年年賀状のやり取りをしています。今年いただいた年賀状には、今もボランティアの人形劇をやっているとありました。
中学3年のとき修学旅行で東京に行った際に、またアメリカに留学する時など、節目節目に何度もお会いし、家に泊めていただいたりして、とても可愛がっていただきました。今でも私のお姉さんのような方です。

『スーパーお姉さん』には、荒木雅子さん(私の母役)、北村英三さん(お姉さんの父役)、鮎川十糸子さん(お姉さんの母役)など有名な人がたくさん出ていました。これらの方々や、ディレクターの本間さんにも大変可愛がっていただきました。毎週スタジオに行くと、ディレクターは私の大好物のバナナパフェをご馳走してくださいました。

このほか、東芝日曜劇場や舞台、映画にも出演しました。そのほとんどはちょい役でしたが...。
今でも、スタジオの臭いや空気をはっきりと覚えています。懐かしい、すてきな思い出です。


先日、小学生に教えていたときに、何の話からか「先生は君たちと同じ年頃のときテレビに出ていたんだよ」と話したところ、5年生のN君がものすごく感激して言いました。
「家に帰っておじいちゃんに話してみるよ。きっと覚えているかもしれないね!」

そうか、覚えているのはもうおじいちゃんの年齢か!!


何事も一生懸命取り組んでいると、必ず結果が出ます。


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新しい年に期待すること

2009.01.01日

新年明けましておめでとうございます


昨日、妻と一緒に車で名古屋の妻の実家に行ってきました。
途中、足柄SAで富士山をバックに写真を撮りました。


2009.1.1


義母と義弟・義妹達と一緒に親しく交わるのを楽しみにしていたのですが、義弟が体調を悪くしていたために、義母の訪問と義弟の見舞いに終わり、本当に残念でした。でもこの家族のために少しでも力になることができて感謝でした。


この年末年始、イスラエルとパレスチナ自治政府の間の軍事衝突、イスラエル軍のガザ空爆で死者400人超、負傷者2000人という痛ましいニュースが報じられています。
パレスチナ自治政府はイスラエルの生存権を認めない、イスラエルは自らを守るために自治政府を攻撃する、パレスチナハマスはロケット弾で報復する、という悪循環です。


しかしこのような悲劇は、なにもイスラエルとパレスチナ自治政府の間に限ったことではありません。いつも思うことですが、人間誰しも自分が可愛いものです。自己中心なのです。相手を認めないで、自分の言いたいことだけ主張していたらいつまでたっても解決の糸口は見つかりません。お互いに折れる、相手を認める、相手の立場を尊重する、これしか生き残る道はないのです。


私は昨日・今日の出来事を帰りの車の中で振り返りながらバリアフリーについて考えていました。
バリアフリーは単に建物の段差をなくすことではないと思います。老人や障がい者、病人だけを対象にするものでもありません。真のバリアフリーとは、貧富の差、男女の差、能力の差、身分・地位の差、民族・人種間の違い、宗教の違い、政治信条の違い、これらすべてを越えて、相手をありのまま受け入れ、認める。これができなければ人類の将来はない、と思います。
イスラエルとパレスチナのような国家間の問題だけでなく、もっと身近なところ、たとえば夫婦間、親子間、兄弟間、友人間、同僚間、近所の人たちの間、これらすべてにおいて、いじめや差別行為等の障壁をなくすよう、日常の生活の中で私たち自身が努力する。この積み重ね、発展が世界の平和につながっていくと思います。


バリアフリー、障壁をなくした本当の平和は、思いやりの心から始まります。
この新しい1年、私たちの身の回りで、国内で、世界で、一歩一歩バリアフリーが進められることを心から祈っています。


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